ボランティアとコーディネーション

2011
さが塾
講義
9月12日(月)6講目
13:00~14:00
ボランティアとコーディネーション
~もうひとつの生き方~
鳥居 一頼
1 はじめに~「あなたのボランティア度は?」
先に、あなたのボランティア度を測ってみます。(文末に「資料1」参照)
この項目に全部チェックを入れた方は、スーパーボランティアですね。
こういう事も大事なんだ、こういう考え方もできる、このことはちょっと気にかけてみ
ようかな。一度自分のボランティア活動を、振り返っていただく一つの目安にするには、
使い勝手があるかなと思い、試していただきました。
ここで、25項目全部にチェックを入れる必要はありませんし、自分の身の丈にあった
活動と言うのが、無理なく続けられるということになるでしょう。時々背伸びすることが
大事ということがあるかもしれませんが、強制されたり嫌々やるようなことであれば、相
手にとっては、一番不愉快な思いを強いられる結果になります。私たちの活動には、必ず
相手がおります。
さて、講義の最初に私のボランティア観について、定義しておきたいと思います。大阪
ボランティア協会の岡本栄一先生の考え方を、踏襲したものです。
「ボランティアは、特別の人の特別な行為ではない。地域や社会の課題に対して、自分
のおかしい、おもしろいという関心から出発して、それを他人事にせず、自ら選び自発的
に他の人と共に、それらの解決のために利潤を求めず行動する人であり、その活動を通し
て自らを成長させる人である」。
そして、ボランティアの性格について、以下のように考えています。
・自発性、自主性、主体性~自ら進んで実践すること
・社会性、公共性、公益性、福祉性、利他性~社会や人のために考え動くこと
・無償性、無給性、非営利性~対価を当てにしないこと
・先駆性、先進性、開発性、創造性~現状をよくすること
・継続性~一過性ではなく続けること
・学習性~活動から人としての生き方やあり方を学ぶこと
このような視点から、ボランティアについてふりかえってみることも、時には必要でし
ょう。
今日の学習の中では、これらのいくつかの性格についても言及します。
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2 奉仕とボランティアの違いとは?
奉仕とボランティアの違いを、よく問われます。
中学1年生の女の子が、特別養護老人ホームでボランティア活動をしました。夏の暑い
盛りです。入浴介助ということで、その子は一人の女性の服を脱がすというサポートに入
りました。悪戦苦闘している姿を見た通りかかった寮母さんは、「あなた一人でしないで、
おばあちゃんと協力したら」と言葉を残して去っていきました。子どもは、「協力したら」
と聞いて、「どうしたいいんだろう?」と考え、“声かけ”をしたんですね。「おばあち
ゃん、もう少し手を動かしてくれる?そうそう上にあげてね…足を少し曲げてくれる?」
と。しかし、手は上に上がらないんです。足は曲がらないんです。だから、服を脱がす時
に介助が必要なんですね。
まるでお人形さんと同じで、脱力状態の方の服を脱がすというのは、余計な力も要りま
すし、大変ですね。服を脱がせようとする人と脱がされる人の関係は、上下の縦関係です。
私脱がす人、あなた脱がされる人。脱がす人が優位の位置にある。これが「奉仕」です。
ところが、「協力したら」というのは、確かにその方は、人の手を借りなければ服を脱
ぐことも着ることも出来ないのですが、意識の中で「脱ごうとする」意識を覚醒されるこ
とで、自分も「服を脱ぐ」という作業に手を貸すということになる。すると、今まで何々
をされる側にいた人が、自分の力を引き出して少しでも脱ぎやすくするために、「身体を
動かそう」と努力する。ここで、「服を脱ぐ」という目的の為に、二人の力を合わせて作
業することになる。それが「真の協力である」と、中学1年生の女の子が学んだのです。
一つの目的のために一緒に力を合わせたときに、「対等な関係」になる。これが、「ボ
ランティア」です。手話で表現すると、昔はボランティアを「ご苦労を差し上げる」とし
ましたが、いまでは、「共に歩む」「共に生きる」と変化してきています。
「with」、一つの問題を解決するために、当事者の方とボランティアが、当事者の力を
引き出しながら、一緒に問題を解決していくというのがボランティア。あるいは、「to」、
目的をもって、一緒に問題を解決に当たるという考え方に変わってきている。
地域で、私より年上の方々の中には、ボランティア、ボランティアと言っても、なかな
か受け入れがたい部分も当然ありますので、“お互い様”という関係作りをこれから進め
ていくというほうが、“ボランティア”というよりは、受け入れやすいでしょう。特にボ
ランティアされる相手側から見ると、自分のプライドや奉仕観がありますから、何々され
る側、誰かに助けられる弱い立場に置かれることについて、拒絶するんですね。
その心理的な抵抗を解くためにも、“ボランティア”よりも、“お互い様”という関係
について、二人の間にどう道筋を見つけていくのかが、大事ではないでしょうか。そのよ
うにして、助け合い、支えあいの活動を広げていくことが、よろしいかなと思います。
特に、佐賀は「三夜待」という古くからの習わしがあり、うらやましい限りです。隣近
所、区、班、あるいは幼馴染が集まって、あるいは同窓生が集まって、そこでお酒を酌み
交わす。そういう集いや集まりが定期的にある。女性の方は、頼母子講の名残の「おちゃ
ご」がある。これは、鎌倉時代から興った庶民の助け合いシステムなんですが、これも、
地域の女性たちをつないでいていいなと思います。
地域の中で、「ご近所力」をつけるために、「三夜待」や「おちゃご」という古いしき
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たりが残っているところは、情報伝達のツールとしてしっかりと活用していくことが大事
ですね。
3 ボランティアのモチベーション(動機づけ)
ボランティア活動に入ろうとする動機には、いくつかタイプがあります。①同情の念を
抱いて活動に入る同情型、②相手と一緒に活動したいと活動に入る共感型、③相手から衝
撃を受けて活動に入る衝撃受容型、
④相手から何かを勉強しようと活動する見返り期待型、
⑤相手に対し優越感を持ち活動に入る自己優越感型、⑥自らボランティアの使命感を果た
そうと活動に入る使命感型、⑦何もすることがないから活動でもという暇持て余し型、⑧
なにもわからないけど好きで活動に入る興味本位型、⑨恩人、知人などに頼まれ断り切れ
ないで活動に入る義理人情型、⑩対象者の口車に乗せられて活動に入る乗せられ型、など
多様です。
中には、こんな動機
は許せないと思う方も
いらっしゃるでしょ
う。私は、動機やきっ
かけは何でも構わない
と考えています。そこ
はボランティアの世界
の入口にしか過ぎませ
ん。
しかし、どんな動機
であれ、私たちがなぜ
ボランティアをしたいのか?なぜするのか?
【図1
ボランティアのモチベーショ
ンのプロセス】
「ボランティアのモチベーションのプロセス」を知っておくことも大切です。
図1は、組織行動学の P.ロビンソンが、人は何らかの満たされない欲求をもっているとき
に、動機づけされて、その欲求を満たそうと探究行動を取る。そしてその行動によって目
標を達成し、欲求の充足を図るというのですが、この一連のプロセスを「動機づけのプロ
セス」と捉えています。
少し具体的に考えてみましょう。生きがいがほしい、居場所がほしい、人に認められた
いといった欲求を、人は誰しも持っています。
喉が渇けば、水を飲めばいい。お腹がすけばご飯を食べればいい。生理的な欲求は、求
めるものを充足させることで、対処できます。しかし、心理的な欲求に対しては、どう満
たしていったらよいのでしょうか?
特に、社会的な欲求の充足をどうしたらいいのか。人間は社会的動物である以上、社会
とのつながりは切り離すことが出来ません。この欲求こそが、ボランティアへの動機づけ
(モチベーション)そのものです。
満たされない欲求を抱えていることは、心の渇きや飢えを満たしたいという欲求が強く
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なる一種のストレスです。それは、“興味関心”の強い方向に惹かれていきます。例えば
いつも行く郵便局の中でボランティア募集のチラシや、「ボランティアしませんか?」と
いうポスターに、つい目がいく。コンサートが好きな人は、コンサートに関する情報に敏
感になるのと同じです。
そこで、ボランティア募集のポスターを見ながら、自分の中で「これおもしろそうだな」
「これって、私でも出来るかな?」と、こころが動かされ、やってみたいと意欲が湧いて
きます。でも、さらにもう一つ心の動きがあるんですね。したいと思わせる活動を知るこ
とで、はじめて「行動化」されていくのです。
サロンづくりを例にとりましょう。身近で活動している様子を遠巻きに見ながら、おも
しろそうという興味が湧く。私にもできるかもしれないと思いつつ、ある時誘われて、自
宅を開放しているサロンに参加してみた。みんないい笑顔で楽しげにおしゃべりしたり、
食事をしていた。私にも難しくなさそう。手助けしてくれそうな友だちに、一緒にやらな
いかいと声をかけてみる。気心の知った人を、まず自宅に招いてみることから始めよう。
ボランティアを始めるに当たって、大上段に構えてその入口を狭くする必要はありませ
ん。ボランティアすることもしないことも、決めるのは本人自身です。無理せずに、気楽
に関わっていくことから始めていくことが、長続きするコツです。活動を通して、徐々に
ストレスが軽減されていくのがわかるでしょう。そして、活動の中に自分の居場所を見出
し、社会的な役割を自覚することで、社会的欲求が徐々に充足されていくのです。
ボランティアするのは、崇高な動機や使命感だけでしているわけではありません。ボラ
ンティアしたいというとりとめのない思いを、少しやってみたいと意識することで、活動
のきっかけは必ずあります。その時、活動するかしないかを判断できるかどうかですね。
そのきっかけとなる「機会」を少し考えてみましょう。友だちがボランティアしている
から、あるいは知人が地域での奉仕活動が大事だと言っているから、と自分の意志ではな
くて、周りに影響されて、誘われて活動に入っていく。民生児童委員を引き受けられた時
を思い出してください。自分からやりますと意思表示した人はいらっしゃいますか?甘い
言葉に乗せられて、「なにがなんでも、あなたしかいない。やるしかない、やってよね…」
と、何度も何度も口説かれて、「仕方ないな、今まで世話になったし、気まずい思いをす
るのもいやだし、これだけ頼りにされて袖にはできないし」という形で、引き受けた方が
多いのではないでしょうか。違いますか?ここでは、自分の意思よりも相手の意向の強さ
に根負けしてしまうのですが、でも最後は自分で意思決定するわけです。ここが大事です。
価値観から考えてみると、自分より恵まれない人に関心を持っている、支援を求めてい
る人に関わることに情熱を感じる、人を助けることを大事な事と考えている、というよう
に、自分の中でボランティアの価値観を見出しながら関わる人もいるでしょう。
また、自分のキャリアアップにつながるということで、大学生のボランティア活動が推
奨されています。就職活動に有利であるというふれこみですが、根っ子は学生の社会体験
や社会認識の貧しさが、そもそも問題だったのです。大学でのボランティア活動の取り組
みは、多くの大学に広まっていますし、私も「ボランティア論」を教えてきました。今回
の大震災でも、被災地に学生を派遣してほしいという意図から、文科省がわざわざボラン
ティアの単位認定をしなさいとまでも通知してきている。未曾有の災害を受けた現場に立
つことだけでも、重要かと思いますが、国が音頭を取らざるを得ないところに、学生ボラ
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ンティアの根っ子の浅さが目立ってしまいました。参加しやすい状況環境を準備しなけれ
ば、動かない動けない動こうとしない若者を育てている気がしてなりません。
関西の某高校に講演で出向いたときのことです。体育館のステージの上に、生徒指導の
先生がお立ちになっているんです。講師の私も会場に入っていて、地域の人もぞろぞろと
何人か来ているんですが、全校生800人ほどが体育館でざわざわ整列出来ずにいる状況
です。突然先生が怒鳴りだしまして、「てめえよう!…」「てめーらが…」と、高校生に
対しての発言です。私とその先生がステージを降りて来る時に目が合ったんですが、気恥
ずかしそうに降りてきました。日常的な指導というか、高圧的な指導が垣間見られた一例
です。18歳の生徒たちもいるわけですが、彼らはもう大人ですよね。そこの学校だけじ
ゃなくて、結果的に先生が生徒を押さえるという指導の下で、高校教育が行われていると
いう現実を知ると、彼らが「大人になるチャンス」ってどこにあるんでしょうか?
ボランティアというのは、「大人になるチャンスを与える」ことができる有効な体験学
習だと考えて、私自身が子どもたちのボランティア学習を進めてきた理由のひとつでもあ
ります。
崇高な目的をもってボランティア活動に入ったからといって評価するのではなく、ボラ
ンティア活動ですから“動いたかどうか”が問題です。頭の中で一生懸命考えたって態度
として表に出てこない限り、ボランティア活動にはならない。そういう意味では、ボラン
ティアとは、“実際の場”でしかない。
若者だけではなく、いろいろな人たちにボランティアをするチャンスをつくるために、
人と関わりや問題をどう認識して、それをどのように人やものにつないで解決へと結び付
けていくのかといった、「ボランティアとコーディネーション」について、考えていきた
いと思います。
また、大人の居場所づくりについて、特に男性の居場所をどこに見出していくかが、地
域の課題になっているかと思います。様々な能力を持った有能な男性が、地域で社会的な
活動をすることで、確実に自分の居場所をつくり、さらに地域の福祉力や教育力が物凄く
強くなっていく。そんな事例もさが塾の中で見出したことですが、まだまだ一人ぼっちで
地域で孤立している方には、ネットワークの線が引かれていない。孤独孤立化が深刻化す
る地域こそ、衰退していく兆候と捉えられます。
ですから、その方々に1本でも2本でも地域とのつながりの線を、いかににつけられる
かということが、ボランティアコーディネーターとして、皆さんがこれから地域の中に戻
られて、活動をされていく目的ともなるでしょう。
4 ボランティア活動の傾向
(1)
日本人的性格とボランティア
ボランティアコーディネーションする上で、「日本人的性格とボランティア」に視点か
ら、プラスとマイナスに働くところを、一度整理してみましょう。
プラスに働く点は、①勤勉である、②隣り近所でお互いに助け合う、③輪を重視する、
④世話好きである、⑤義理・人情に厚い、⑥惻隠の情(憐れみの情)がある、⑦仲間集団へ
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の忠誠心が強い。
マイナスに働く点は、①弱者に対する差別や偏見がある、②市民意識が薄い、③甘えの
構造がある、④官尊民卑の風潮がある、⑤熱しやすく冷めやすい、⑥島国根性がある、⑦
建て前と本音を使い分ける、⑧世間体を気にする、⑨個人よりも集団で行動したがる。
この資料は、13年前に公表されたものですが、今の現状とさほど変化がないように思
いますがいかがですか?地域福祉を進める上で、日本人的性格の良さを今一度取り戻して
いく必要性を感じますが、「義理・人情に厚い」という点では難しいところもあります。
それでもなお、マイナスと指摘された点を改善していくことで、「ボランティア」という
考え方を根本から見直し正すことになるのはないかと思います。
昔、「稼ぎかあって半人前、つとめを果たして半人前、両方合わせて一人前」と伝えて
きた市井の教育は、人間教育の核心を突いているのではないでしょうか。“つとめ”はひ
とさま、世間様のためにひと肌脱いで役に立つということですが、自分の暮らしている地
域でどのように生きるのかを示しています。それが、日本人の美徳として行動化されてい
たことの証でもあります。
その地域風土や地域の絆が脆弱化したことで、ボランタリーな活動も「特別な」目線に
晒されるようになり、マイナス面が強く働いているのではないでしょうか。ボランティア
をしたくても、何をしていいのかわからない、人目が気にかかるといった心理的な抵抗を
和らげ、ボランティア活動に誘う人が、身近にいるといいですね。日本人としての良き気
質を引き出し伸ばすような、ボランティアコーディネーターが身近な地域にいたらどれほ
ど心強いことでしょう。そこに、“街角ボランティアコーディネーター”としての皆さん
の存在があるかと思います。
(2)
ボランティア活動の多様化と拡大化
活動の領域は、福祉、文化、教育、環境、平和、まちづくり、国際交流・支援など、ま
だまだたくさんあります。一人の方が、二つ三つの活動をなされている。これは、それだ
け個人が地域で求められているということですが、「私は、教育のボランティアよ」「私
は、福祉のボランティアよ」と、いわゆる縄張りを主張する方もおられます。福祉ボラン
ティア、教育ボランティア、環境ボランティア等、いちいち「囲い」をする必要があるの
でしょうか?
鳥居は、福祉もやります、教育もやります、環境もやります、国際交流もやりますとい
ちいち言うのは面倒くさい。あくまでも鳥居は、「一人の人間としてボランタリーな活動
しています」で済む。そこでは、私の活動が全て包含されて重なり合っているわけです。
人間の問題を考えると、一番のベースは福祉だと、私は思っているのですが、環境の人
は環境だと言うかもしれません。私は、福祉という人間の問題、生命の問題、暮らしの問
題から、「いのち、くらし、みどり」、この三つキーワードを示して考えてきました。こ
こには、全てが関わってくる、そう考えながら、私は“福祉と教育”への思いや関心を強
めていったかと思います。
さて、人は地域に“ただいるだけ”という存在ではない。地域そのものの環境が、いか
なるものか?自然環境や人的な環境、社会環境を含めて、人を取り巻く環境がどのような
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環境であるかというトータルな視点が重要です。
学校が環境教育と称して、自然環境にこだわった教育から枠を広げて、自然環境をも含
めて、包括的に“環境”について先ほどの3つの視点からのアプローチを考えてみると、
学習が暮らしに密着し豊かになるのではと考えています。
例えば、「住環境」の問題です。「バリアフリー」がキーワードになります。衣食住の
「住む」ということから、お家もリフォーム(改築)しなければ、老後の暮らしが不安だ
という問題が起こってきます。
そこで、皆さんのお知りあいの中に、工務店、大工さんはおられませんか?リフォーム
するには、どれだけお金がかかるのか?どこをどうリフォームしたらいいのか?聞きたい
ことってたくさんありませんか。これからの大工さんにとっても、新築は減少してきます
から、当然高齢になって住みやすいような家のリフォームが重視されるでしょう。年を取
るというのは、畳の縁の高さでもこけるんです。膝が上がらないんですね。バリアフリー
という環境は、怪我をしてからでは手遅れです。お風呂場も要チェックです。
終の棲家といいますが、暮らしやすくするためのアドバイザーとして、専門家がボラン
タリーな活動をすることも、住環境に関わるボランティアということになります。
住環境の視点からは、安全な家という視点も重要です。お年寄りさんの怪我は、外より
も室内が多い。室内でこけたときに、そばに何もなければいいのですけれども、部屋の中
にはいろんな尖った物が所狭しと置いてあります。テーブルの角、椅子の角とかソファの
角で、倒れた時にぶつけて骨折してしまうケースが多いんです。リフォーム以前に、一度
室内の家具の置かれている状態や、歩き回る動線をチェックして安全を確認することも必
要です。室内環境も重要な問題です。このような点を、専門的にアドバイスするボランテ
ィアがいてもおかしくない。タンスの置き場所一つとっても、災害時に大きな障害となる
場合もあります。家具の置き場所の安全チェックも、地域で取り組める活動にもなりませ
んか。このような視点で、子どもたちにも学習プログラムが立てられると、興味関心はも
っと高まると思いませんか?
外を歩いて見てみましょう。歩道を歩いていて「つんのめる」ことがありませんか?平
らだという感覚で足を運んでいて、突然高低差があるところでつんのめるんですね。歩道
でも、車庫前は車道との境をスロープにしていますから、斜めになっています。物凄く歩
きづらい。目の不自由な人に配慮した点字ブロック(視覚障害者誘導用ブロック)があり
ますよね。あれも、歩きにくさの原因になっている。ブロックの突起が段差となって、足
腰の弱い人がつまづきやすくなったり、車いすユーザーの障害にもなったり、ブロック自
体が雨水や寒いところでは凍って滑りやすくなったりしますね。視覚障がいのある方が、
足の裏でブロックの突起物を感知して情報を得るために、1967年岡山県立盲学校の近
くで敷設されたのが世界で初めてだったそうです。いま日本中どこにでも敷設されていて、
福祉環境の象徴のように目につくのですが、本当に目の不自由な方が利用しているのか
な?と疑問に思いませんか。街中であれば、誘導板よりも、人のやさしさが必要ではない
かといつも思っています。
身近な福祉環境についても、本当に必要なのかどうか暮らしやすくするためのチェック
をすることも、ボランティア活動になります。環境というと自然環境がイメージされます
が、地域の暮らしやすい環境づくりは、様々な視点から考えて、まちづくりをしなければ
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なりません。ここに「まちづくり」を考えるボランティアの視点も見えてきます。
このような視点で、地域の方や子どもたちの学習プログラムとして、地域で提供できる
ことがたくさんあるのではないでしょうか。
(3)
ボランティア活動の協同化・協働化
「協同」と「協働」は同音異義語です。一度整理しましょう。農業協同組合、市民生活
協同組合 COOP の「協同」で馴染みがあるかと思います。同じ問題意識や考え方を持ってい
る方が集まって、
一緒に目的を持って生活改善や活動をしていきましょうということです。
一方、最近頻繁に使われている「協働」は、コラボレーション(collaboration)の訳に
なりますが、「市民参画協働」と佐賀市でも市政を進める考え方として、打ち出されてい
ます。もともとは、解決すべき課題について、様々な立場の異なった人たちがそれぞれの
持てる力を結集して、一緒に解決に当たろうというものです。多様な問題意識や目的、そ
して価値観を持って活動している NPO と行政との協働というカタチも、ずいぶん生まれて
います。
そこで、行政との協働について考えてみます。
日本は、中央集権的な国家体制ではありませんし、一部の崇拝者や権力者によって支配
されている国ではありません。しかし、いまの国会運営は民主主義の多数決原理を勘違い
して、権力を顕示しているだけです。多数決は単なる民主的な手続きであって、結果が正
しいわけではありませんが、ねじれ国会は与野党が互いに数を頼りに政争に明け暮れて、
民心をないがしろにしている現状は、政治家への不信感を募らせるばかりです。特に、半
年になろうとする被災地の復興にも、現地の7割近い地方自治体が何ら進んでない、停滞
しているじゃないかと、厳しい評価をしていることに対して、これからどう応えていくの
でしょうか。こんな詩の一節を思い出します。
「人生には
明るい闇夜があり
まっすぐな
迷路がある
人が群れとして
盲いていて
導くものも 導かれるものも
みんな
盲いていて
そんな夜を そんな道を
ひたむきに歩むのは
悲劇だ」
まずは、前向きに国政よりも身近な地方自治を市民的に見ていきましょう。法律や条例、
規則などでしばりをかけて、様々な介護サービスの制度や生活保護などのセーフティーネ
ットなどが整備されて、福祉的な施策が実施されています。これらの法律や制度の根っ子
に、憲法の幸福追求権(第 13 条)や最低生活の保障(第 25 条)が、担保されているかど
うかが、論議する根拠の一つになっています。
ただ、一般市民にとってみれば、13条の幸福追求の権利をしっかりと考えていかなけ
ればなりません。誰もが幸せになる権利を持っています。幸せであるかどうかの目安は、
何を持ってするのか。かなり個人差の生じることでもあります。
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ブータンという小国では、国力や発展を「生産」ではなく「幸福」で測ろうと、1972 年
にGNH「国民層幸福度」を提唱しました。その考え方は、物質的な豊かさだけでなく精
神的な豊かさも同時に進歩させることが大事だと考え、それには人間関係、隣人関係、家
族関係の平和と交流だというのです。それは、人を思いやり信頼し合うことに尽きます。
ブータンの 2007 年の国勢調査で、「私は幸せです」と答えたのは、国民の90%だったそ
うです。信じられますか?
その調査は、幸福度の指標によって測るのですが、日本人は 1 に健康、2にお金、3に
家族を挙げています。この3つが満たされていれば健康だとすると、1つでも欠けると幸
福度は低下するのでしょうか。経済的に恵まれ医療が高度で、消費や所得が多い国の人は
幸せというのなら、まさに日本の国は幸せな国といえます。しかし、身の回りにうつ病な
どの精神疾患で悩む人たちが多くいるのは、なぜでしょう。
うつ病は、1999 年には 44.1 万人であった総患者数は、2008 年には 104.1 万人と 9 年間
で 2.4 倍に増加しているのです。ストレス社会が21世紀に入って別次元のレベルに深化
したのではないかと推測されています。2007 年 NHK で、「30 代の“うつ”~会社で何が
起きているのか~」を特集し、次のように解説しました。
「若い働き盛りの世代に”うつ”が増えている。上場企業 200 社のうち6割が、この3
年間で心の病が増加したと回答。年齢別に見ると、心の病は 30 代に集中している。長期休
業につながるケースも多く、企業の現場はその対応に追われている。なぜ働き盛りの社員
たちは“うつ”へと追い込まれるのか。
働き盛りで“うつ”になった人たちからのメールや取材から浮かび上がってきたのは、
合理化・効率化が進む中、現場ではしわ寄せが 30 代にのしかかっている現実。成果主義や
裁量労働制といった新しい働き方が広がる中で、多くの職場で働き手が孤立している姿。
さらに、仕事だけでなく家庭の負担も重くのしかかる。家のローンを抱え、子育てに追わ
れる中で、家庭もまた休息できる場所でなくなっている」という深刻な状態でした。
まじめなタイプな人がなりやすく、なると自分を責めるといったうつ病のイメージが、
最近変わってきているそうです。自分はもっとできるはずという自己愛が強く、うまくい
かないと他人のせいにしたがるといった挫折を知らないタイプの人も、失敗や問題が起こ
ると、うまく自分で解決出来ず問題から逃避することで、うつの症状になるといいます。
今や神経症や軽い基分の落ち込みまで、うつ病にされるそうで、実際に診療を受けてい
るのは、1割程度とされる推計もあり、それだとなんと1千万人の日本人が“うつ”を患
っているか経験していることになるのです。自殺者も年間3万人のうち7割以上がうつ病
性疾患と言われています。男女別ではうつ病・躁うつ病の場合は、男性より女性の方が 1.7
倍と多いそうです。
このような日本社会の中で、大勢の人たちが精神的なストレスを抱えて生きていること
って、幸せですか?原発問題が現実に起こり、環境汚染、食物汚染の問題を抱えた日本に
果たして豊かな社会ってあるのでしょうか?
人間が安心して生きていくには暮らしていくには、何が必要なのか、それが幸福度を測
る指標になっています。①基本的な生活水準、②文化の多様性、③感情の豊かさ(心理的幸
福感)、④健康(医療)、⑤教育、⑥時間の使い方(労働時間と自由)、⑦自然環境、⑧
コミュニティの活力、⑨良い統治(望ましい自治のあり方)が、その指標です。
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例えば、数量化できない感情的な豊かさで幸福度を見てみると、プラス面で寛容、満足、
慈愛、マイナス面で怒り、不満、嫉妬といった感情を抱いたか否か、その頻度が問われま
す。それを地域別に聞いて、国民の感情を表す地図をつくり、どの地域のどんな人が慈愛
に満ち、あるいは怒っているのかということが、一目瞭然に分かるというのです。
他者とのつながり、自由な時間、自然との触れ合いなど、心が満たされるコミュニティ
環境で生きていきたいですね。心理的幸福感が満たされることを優先しなければ、日本人
の幸福度は決して高まりません。
面白い調査があります。OECD(経済協力開発機構)が 15 歳の子どもたちに「幸福度」
を調査したのですが、「自分は孤独だ」と感じる割合が、日本は 29.8%で、回答のあった
24 カ国中トップで、オランダの 2.9%が最低だったそうです。子どもに孤独感を感じさせ
るのは、一体誰でしょう?なぜ孤独感を感じるのでしょう?ここにも、家庭機能の脆弱さ
と、共稼ぎをしなければならない経済的な自立の問題が見えてきます。幸福感を担保する
のが家庭だと考えると、3人に1人が不幸せの温床で育っているのです。何か空恐ろしい
気がします。
「孤族」という言葉をお聞きになったことがありますか?2010 年 12 月 26 日の朝日新聞
で紹介された造語です。家族といえない新しい家族のカタチ、「…高齢になったら、病気
になったら、職を失ったら、という孤立のわなが。血縁や地縁という最後のセーフティー
ネット、安全網のない生活は、時にもろい。 単身世帯の急増と同時に、日本は超高齢化と
多死の時代を迎える。それに格差、貧困が加わり、人々の“生”のあり方は、かつてない
ほど揺れ動いている。たとえ、家族がいたとしても、孤立は忍び寄る。個を求め、孤に向
き合う。そんな私たちのことを“孤族”と呼びたい。家族から、“孤族”へ、新しい生き
方と社会の仕組みを求めてさまよう、この国。 “孤族”の時代が始まる」と予告していま
す。ものやお金に幸福度の指標を合わせてきた私たちが、これからしっぺ返しを手痛く受
けていく時代が、いま始まったに違いありません。
それでもなお、どんな境遇であっても、やはりこの世に生を受けた以上、幸せを求め続
けなければなりません。ひとつでも実現させるためには、政治や経済、教育、医療、保険
などの様々な制度保障が、完備されていくことも肝心なことです。そこで、市民が直接声
を上げて、様々な社会参加活動へボランタリーに参画していくことが、一方では重要にな
ってきます。
市民と行政の関係では、まず官尊民卑の意識を変えなければなりません。時には対立す
る場合がありますが、市民は行政から指示・命令・指導を受けて、何かをする“下請けの
ボランティア”ではありません。市民がボランタリーに社会参画することによって、市民
の暮らしの目線から、既存の制度を変えていく、新しいシステムに変えていく。そういう
発言や行動をすることが、協働関係を築くことであり、自治を実現することなのです。
登別市で昨年 10 月、「協働のまちづくり」をテーマに、連合町内会〔連町)の役員を対
象にしたワークショップをしました。「協働のまちづくり」は、“あなたがどんなまちで
生きがいをもって暮らし人生を全うするのか”をどのようにイメージして、その実現に向
けてそこに生きるひとりの尊い人間存在として、他の人とどのように関わり取り組むのか
が問われました。ひとはひとによってしか支えられず救われない。一人ひとりが地域で将
来孤立しないための関係づくりを、身の丈に合ったできることから成さねばならないとい
- 113 -
う思いで、取り組んだのです。
そこで、共同体としての「地縁」が徐々に薄れていく現実に対して、特に高齢世帯が増
加し、高齢化率が高くなっている地域では、現在すでに地域活動に大きな支障をきたして
いる現実をそのままにすることは、地域の崩壊にも直結するという問題意識を共有しまし
た。生活を維持することが困難な事態に対して、行政は「福祉・医療・暮らし」を重点に
いかに支援方策を施策として展開していくのかが、必然的な重要課題となります。
その現実に向き合いながらもなお、今一度、その「地縁」を新たに結ぶための方法を「協
働」というカタチで表現し、解決の道筋を立てながら、そこに住み問題に関わる者たちが
共に活動するための“仕組み”を構築しなければならないと考え、協議したのです。
そして、「町内会・自治会」こそ、地域再生の協働の中核にならなければならないとい
う自覚と責任、そして覚悟の共通認識のもとに、行政及び市民への「公民協働」の提言と
して連町がとりまとめ、翌年2月に行政・議会関係者を招き報告会を開催したのです。
豊かな地域社会とは、そこに暮らす一人ひとりの幸福感に支えられている、そんなコミ
ュニティづくりが、ボランティアの大きな目的であり役目となっているのです。
(3)
ボランティア活動の市民化
「奉仕型・動員型」から「市民活動型」へとボランティア活動が変わってきています。
佐賀市で長年に渡り取り組まれてきた「クリークの清掃活動」は、春・秋に全市をあげ
て行われてきました。市民の義務として、川やクリークを守ることによって、自然を守り、
田んぼを守るなど様々な効果があり、特に昔は山のたくさんの人たちが、自分たちのふる
さとを守るために出て行ったと聞き及んでいますが、いまはどうでしょうか?
その時に、強制的に出されて行った、動員をかけられたこともあったでしょう。あるい
は自主的に出て行った方もいたでしょう。昔は、当然義務として強制的にかり出された奉
仕活動が、いまは自由参加ですということで、様々な思いを持っていろいろな市民が集ま
ってくる。郷土を、自然を守りたいという思いを持った人が集まってくるところもあるし、
昔のように義務あるいは賦役という共同体の慣習から、一生懸命やってくれるところもあ
る。そのあたりの意識の格差が、いまでもあるかのかなと思います。しかし、建て前は市
民活動というカタチにならざるを得ない。
町内会の一斉清掃だと、受付の町会役員さんが、「3班の鳥居さん、早く来ましたね」
なんて、出ていく者と出ていかない者にチェックがつけられる。出た者から、だんだん不
満がもれてくる。誰々は、地域の活動にさっぱり協力しないと、批判の種が芽吹いてくる。
しかし、実際にその地域を作っていく上では、必然的に義務をどう果たしていくのかが
問われる。必要な時には、まさに動員をかけなければならないという場面は否応なく起こ
ってきて、市民の主体性に委ねるという考え方を優先させることは、本当に地域が立ちゆ
くのかどうか、真剣に考えなければならない。
個人の権利を尊重するというのは、社会的な義務や責務を果たすことを拒否することで
はなく、果たした上ではじめて主張されるものではないかと思うんですね。このままだと、
自分だけよければいいといった自己中心のわがままを、たんに助長させるだけではないか
と不安になります。地域で生活する者としての義務や責任を果たしてこそ、市民権が得ら
- 114 -
れるのだと考えていかなければ、地域の崩壊は目に見えています。
奉仕や動員をマイナスの考え方という一方的な捉え方をするのではなく、市民の責務と
して地域コミュニティで果たさなければならない責務を明確にして、いかに関わっていく
のか、それを市民活動という考え方に変えていく努力こそが、いま求められているのでは
ないでしょうか。
(4)
ボランティアはボランティア学習の世界です
私は、“ボランティア学習”という考え方を、学校教育の中で子どもの体験活動として
重要であると説いて広めてきました。
ボランティア学習とは、「学習者がボランティア活動を通して、様々な社会生活の課題
に触れることにより、公共の社会にとって有益な社会的役割と活動を担うことで、学習者
の自己実現を図り、さらには自発性を育み、無償制を学び、公共性を身につけ、よりよき
社会人としての全人格的な発展を遂げるために行う社会体験学習である。
その学習内容は、教育的活動、社会福祉的活動、歴史及び社会文化の向上に寄与する活
動、自然及び生活環境の保全、コミュニティづくり、国際社会への協力と貢献、その他の
幅広い分野に渡っている。
また、ボランティア学習においては、私たちが暮らす地域社会及び国際社会そのものを
学習のフィールドとしてとらえる。こうした学習は、家庭・学校・地域、さらにはあらゆ
る地域社会において世代を越えて取り組まれることが大切である。
ボランティア学習は、人とのふれあいや自然とのふれあいなどを通して、人の全人格的
な成長と、共生と共存のための社会の創造に寄与する学習として未来の教育に大きな可能
性を開くものである」と考えています。
その上で、ボランティア学習の中味について、整理しましょう。
①ボランティア活動を学習すること、②ボランティア活動の実践で学習すること、③学
習成果でボランティア活動を実践すること、④市民生活を豊かに創るために、一市民とし
ての意識と自覚を学び、ボランティア活動を実践すること、⑤ボランティアとして生きる
喜びを自ら知ること。⑥そのことを通して、生きやすい住みやすい人間関係や地域社会を
創る“社会変革”を目指した学習活動となるのではないでしょうか。
いかがでしょうか?この三日間の学びは、まさにボランティア学習ではなかったかと思
います。
私の友人で朝日新聞の論説副主幹や週刊誌「アエラ」の初代編集長をされた西村秀俊さ
んという方が、私にですね、「鳥居さん、ボランティアっていうのは10年たってみて、
ふっと後ろをふりかえったときに、少し世の中が住みやすく生きやすくなったかな…ぐら
いの緩やかな社会変革じゃないの」って言われたんですね。当時 30 代の私は、非常にラジ
カルな指向性を思っていて、「ボランティアは、社会を変える力がある」と盛んに主張し
ていましたら、彼に鋭くたしなめられました。社会変革を急激にやるのは革命ですから。
ボランティア革命になってしまいます。
ただ「そんなに悠長なこと言ってられないよ。私の命が5年先か10年先か分からない」
という方もいらっしゃいますので、みんなでやれば世の中は変わるんですよね。変わろう、
- 115 -
変えようとする気持ちがあれば変わっていく。社会は、ボランティアする人たちや活動へ
のたくさんの理解者を得て変わっていける。いま2割とか3割しか理解がない。これでは
社会は変わらない。ところが、5割に近づいてきて5割を超えた時から急激に社会が変わ
り出すんです。人の意識の変容をいかに促すのか。それは、活動で示し、そこに生きるボ
ランティアでしか示されない。
地域で、ボランティアされている皆さんが受け入れられた、受け止められたという兆し、
その兆しを感じながら、「自分たちの地域、ほら楽しいよね」「こうやって地域で話すの
楽しいよね」「ほら、寄り合ってみんなで集まって、おしゃべりしたり、食べたりするの
楽しいよね」と、口コミで地域の楽しいが伝わっていくと、地域が少し元気になる、明る
くなる。そういうなところで、地域の変わり目を肌で感じて、他の人も動かざるを得なく
なる。そんな緩やかな地域の人の動きが、ひとつの社会変革に繋がっていくのかと思いま
す。無関心でおれなくなるところに、変化は生まれてくるのです。
(5)
ボランティアの無償性と有償ボランティア
1970年代、施設重視型から在宅福祉に政策的な転換が成されました。「住民参加型
在宅福祉サービス」が80年代に入って盛んに叫ばれ、「有償ボランティア」という無償
であることを性格とするボランティアと有償が結びついた奇妙な造語が生まれ、いまだ解
消されず違和感を持ちながらも、生き延びています。
このことで、8年前に北海道の地方紙に寄稿した私のコラムを紹介します。
『1993年、中央社会福祉審議会が「ボランティア活動の中長期的な振興方策」につ
いて意見具申してから、ちょうど十年たちました。この中で住民参加型サービスの振興の
ために、「従来のボランティア活動とは異なり、ボランティア意識を基盤としつつ、会員
制、互酬性、有償性を特色とする組織的・システム的活動」の促進を提案しました。
互酬性という、お互いさまの関係を決して否定するものではありません。ケアする相手
にも相応の金銭的負担をしてもらうことでより活動しやすい環境が生まれることと、ケア
される人も金銭を支払うことで「心的負担」が軽減されると考えられ、「有償性」を施策
的に展開したいという思いがうかがえます。しかし、そこから「有償ボランティア」とい
う言葉が派生し一人歩きを始めました。それは、まるでボランティアは有償であるかのよ
うなイメージを与え、ボランティアそのものの根幹をいびつにしてきたことは確かです。
ある時、デイサービスセンターにグループで毎週入浴のお手伝いに行っている、30代
の女性から質問されました。「社会福祉協議会では、交通費ということで一回千円を一人
ひとりに渡すんです。私は自分の車で来ていますし、ボランティアは無償と考えてきまし
たから何か逆なでされているような気持ちで我慢できないのです。どうしたらいいでしょ
う?」あなたならどのように答えますか?
まず、このお金はもらってもボランティアの無償性を損なうものではありません。交通
費や材料費など「実費弁償」という考え方に立ってください。ボランティアのお金に対す
る潔癖な態度は十分理解できます。拒否することもできるのですが、仲間うちの問題もあ
ってなかなかそういう態度はとれません。
交通費を支給することで、バスで施設に来られる方には自己負担が軽減されることと、
自前では月一度と制限される活動が、交通費を支給されることで月4回できるとなれば、
- 116 -
誰が喜ぶでしょうか?そうです。そこを利用している地域のお年寄りさんですよね。ボラ
ンティア活動を振興する方法として、問題はありません。受け取れないという心情を理解
して、方法は二つ。一つは、その町のボランティア振興のために寄付をする、二つにサー
クルで話し合って交通費をプールして、自分たちの活動資金にする。いかがでしょうか?
問題は「有償ボランティア」と表現することで、あたかもボランティアはお金をもらっ
て当然といった誤った認識を広めることです。私は、労働対価としてもらうことは、ボラ
ンティアの無償性に反すると主張してきました。低額であっても、労働対価としてお金を
もらうのであれば、「有償サービス」としてお互い納得ずくで行うべきです。
ボランティアをしたいのですが、交通費が出なければ出来ません。これも一つの考え方
ですが、お金をもらわなければ活動しないとみんなが考えたら、世の中どうなりますか?
金の切れ目が縁の切れ目にならぬよう、無償性の意味をもう一度考えてみませんか。』
いかがでしょう、得心されましたか?
(6)ボランティアの無償性は労働との区別から始まる
岡本栄一先生は、ボランティアの無償性は、もともと労働との区別から始まったと論じ
ます。『市民社会は、生産(生活)のための「雇用・労働(有給)」とボランティア活動
などの「参加・活動(無給)」の分化によって形成されています。市民社会は、この労働
の部分を正常化しつつ、この活動(ボランティアなど)の領域をも豊かにすることによっ
て、社会全体に、活力性、連帯性、公共性、自己実現性を生み出そうとしています。
市民社会におけるこの活動の重要性は、生産や生活費を得るための労働と本質的に違っ
て、雇用や身分からの自由にあります。労働との分離によって、①人間として自由である
こと、②主体的にYESまたはNOが言えること、③市民として地域に豊かさや連帯を生
み出すこと、④自由な市民として政治に参加し提言することなどの、「市民力」を担保し
てる』のです。
ボランティアは、あくまでも市民活動です。そこに費やす時間も、活動の取捨選択も自
分で判断し決定することができます。そこに、「有償化」と言って安価な労働と活動の安
直な混同をさせて曖昧に使われることに、“ノー”を言わざるを得ません。それでもなお、
意図的に使う者の魂胆は何かを知る必要があるのではないでしょうか。ボランティアは決
して安価な労働ではないのです。
ボランティアの“心意気と志”を、安売りすることはできません。
(7)
ボランティア個人に生まれる様々な矛盾
ボランティア活動をしていくなかで、“私のボランティアの二面性”に気づきます。そ
れは、利他的(利他主義)で、他者を援助する、他者のため社会のために役立つ気持ちが優
先して活動をしているのがおおよそかと考えます。反面、利己的(利己主義)な自己重視の
心もあって、そこから自分らしさの発見、意欲的な活動、成長意欲など自己実現の欲望が
動機として根付いています。この二面性のバランスが崩れると、悩みや苦しみを誘発する
原因になっていきます。
- 117 -
よく言われる、ボランティアは「人のために」と発言した時に、その傲慢さを非難され、
今度は「自分のために」と言い換えて、謙虚さを示してきたという経験はありませんか?
ボランティアは両面を併せ持つことで成り立っているのですから、卑屈になることはあり
ません。本当に傲慢で上から目線の人であれば、非難されることを覚悟で活動するしかな
いでしょう。
人間の心のあり方は複雑で、相対する動機によって様々に変化することや、本質的に個
人差があること、心情の二面性などの矛盾を理解することが大切です。
問題は、自ら進んで行動した人に起こりうるジレンマです。それは、周りからその後も
なお一層の活動を期待されるようになり、やらない人の分まで負担を背負い込んでしまう
ことが多々あります。「断るといい」と助言されますが、断り切れないところがその人ら
しさでもあり、人は当てにされるとつい頑張ろうと思うところがあります。周りの人たち
の期待や信頼を裏切りたくないという思いが強まることも確かです。そこで頑張ると、疲
労がたまり、余計にしんどくなるという“悪循環”が生まれてきます。
自発的な活動には、ここまでという基準も限度もありませんから、見て見ぬふりを出来
ない人ほど無理をする。疲労で休むと周りから不満をぶつけられる。不安を避けるため無
理を重ねる。誠実な人ほど深刻に悩んだり、落ち込みやすくなる。そんなジレンマを抱え、
成すべきか否かの板挟みに、悩むことが多いのも事実です。
次に、個人と組織間に起きる矛盾を自覚しておくことも大切です。
組織による拘束性の問題から考えましょう。個々人が集まってグループや団体を作り、
約束事を決め、自分を拘束して活動することになります。また約束して思いを共有してい
たにもかかわらず、トラブルが起き、組織を妨害する問題が発生しやすいのも確かです。
そこで、常に活動の反省しながら改善の方策を実施し、個人と組織の進む方向を一致させ、
前進することが、組織を運営する要となります。
最も重要な課題は、活動の使命感の共有です。使命(ミッション)を実現させるための具
体的方策の決定、協働の成果を向上させる態勢づくりが必要です。また、ミッションを実
現するための組織として、組織の約束で個人を拘束する必要性を説き、矛盾の自覚を促し
ます。ようやくそこで、個人は組織の一員となり、規約などの約束事を守り、組織の目的
を遂行するために活動することになるのです。そこが組織することの大きなメリットです。
約束分担は、合理的運営を行うためには必要不可欠ですが、その結果個々の思いを充足
できず不満が残るところに、問題点が内在しています。ボランティアグループの運営がう
まくいかない原因は、「こんなはずでは…」という不満が表面化したことで起こります。
さらに、リーダーは内部からも外部からも矢面に立たされて、その悩みも深く大きくな
りがちです。通常の活動と組織運営の二重の活動を、乗り越えなければならないきつい立
場となります。ボランティア活動は決して楽しいばかりではなく、時に厳しく辛いもので
あることを自覚すべきかもしれません。
ここにも、頼まれて大変ご苦労をされている方がずいぶんいらっしゃるかと思います。
断り切れない“いい人”ですから、地域でも「あの人に頼めば大丈夫よ」と信頼されてい
る。そこで、ジレンマに陥る。「いや…頼まれなきゃよかったな。引き受けなきゃよかっ
たな。自分ばっかり忙しい思いをして」それでも頑張る。しかし、時々辛くなる。ボラン
ティアは明るく楽しくしないといけないのに、暗い顔になりとんでもなく辛くなる。
- 118 -
ですから、“断る勇気”が必要だと思います。出来る出来ないを別にして、断っていて
も失礼にならない。その心情を理解することが、メンバーシップです。仲間です。
リーダーやメンバーの悩みや苦しみを分かち合うために“組織”があり“ひと”がいる
のです。一人ぼっちにしないことが、組織を動かす根幹であり原動力です。
5 ボランティアコーディネーターの働きを知る
ようやく、“ボランティアコーディネーター”の話に行き着きました。
ここで、皆さんに80年代前後のイギリスであった、少年と少女のボランティアにまつ
わるエピソードをお話しします。
『79年、初めてのイギリスはくすんだ色に落ちぶれて見えた。剥げ落ちた壁やごみが
目立ち、労働争議やストライキが頻発するとともに、経済は低迷し、失業率はうなぎ登り
だった。治安の悪化は目を覆いたくなるほどで、社会の全体がオイル不足でぎしぎし軋ん
でいるようだった。「英国病」と皮肉られるような荒廃した光景がいたるところにみられ
た。しかし、「英国病」を掃討すると訴える「鉄の女」がイギリスの新しい顔になろうと
していた。労働党から政権を奪取したマーガレット・サッチャーが「保守革命」の狼煙を
あげようとしていた…』(「在日」から)
当時のイギリスの世情を書いた姜尚中(カンサンジュン)氏の一節ですが、鉄の女と呼
ばれたサッチャー(79~90年宰相)の政治とは、「英国病」(60年代から始まった
経済不況問題の総称)の解決のため、肥大化した政府支出をおさえできるだけ民間の活力
を導入しようとしたものです。それは、日本の行政改革に影響を及ぼしました。
イギリスの取り組みは、福祉の世界では、コミュニティケア改革を掲げた歴史的な出来
事であり、その考え方は日本の福祉政策の振興にも大きな影響を与えてきたのでした。
ビートルズ全盛の60・70年代、イギリスには確固とした身分格差があり、経済的格
差も大きく、貧しい人たちは厳しい生活を強いられていた時代、ロンドンの下町にA君と
いうどうにもならない17歳のワルがいて、日本で言う「児童自立支援施設」に入れなけ
ればというところまで追い込まれていたんです。しかし、彼に立ち直るラストチャンスを
与えたいという温情が担当者に起こって、その子を連れて市内の CSV という民間ボランテ
ィア協会のボランティアセンター〔ボラセン〕に相談を持ち込みました。
そこで、ボラセンのコーディネーターが、「A君、君は何か得意なことはあるかい?」
と尋ねるんです。するとA君は、「泳ぎぐらいなら、少しできる」と返事をしたので、二
人をボラセンに残して、コーディネーターはロンドンの街に出て行って、B子ちゃんに会
います。
B子ちゃんは15歳です。「あなたは、この間から水泳を習いたいと言っていたね。実
はちょっとワルで君と同じ年頃の少年がいるんだけれど、この子から“水泳を習うという
ボランティア”をしてもらえないだろうか?」ってお願いするんです。「はい」という承
諾をもらって、A君のいるボラセンに戻ります。
「A君、目の不自由な15歳の少女が水泳を習いたいと希望してるんだけれど、この子
にあなたは、“水泳を教えるというボランティア”をしてくれませんか?」と頼んだんで
すね。ここで即座に断ってしまうと、確実に施設に収容されてしまう。「はい」と返事を
- 119 -
して、その後、街のプールで二人が仲良く水泳を楽しむ光景が見られた。
B子ちゃんは泳げるようになり、“二人のボランティア活動”は終わります。しばらく
して、更生したA君は、失業難のイギリスの社会で就職することが出来ました。
さて、ここで問題です。皆さん、どちらがボランティアですか?選択肢は4択。「水泳
を教えたA君」「水泳を教えてもらったB子ちゃん」「A君もB子ちゃんもボランティア」
「A君もB子ちゃんもボランティアではない」考えてください。(しばらく間がある)
子どもたちとの学習では、圧倒的にどちらもボランティアだと答えます。反論として、
ボランティアは助けを求めている人に手助けするのだから、どちらもボランティアはおか
しい。だからボランティアではない。ボランティアは私、あなたボランティアされる人と
いう関係を根底から覆すエピソードではありませんか。答えは、みなさんの心の中にあり
ます。ご自身のボランティア観と向き合ってください。
ここで大切なことは、二人のボランティアをするという“意思”です。動機は不純で結
構。重要なのは活動です。
A君は全く目の見えない少女にどのように水泳を教えたのでしょう。水泳を指導するイ
ンストラクターの資格をもっているわけではなく、ただ単に泳げるだけなんです。目に障
がいがあるなしに関わらず、水への恐怖心や心理的抵抗がある中で、それを排除しなから
教えるというのは、プロでも難しいことです。しかも、お手本を見せることができないの
ですから、彼女に泳ぎを想像させる手立ても、きっと手探りしながら努力したのでしょう。
しかし、泳げるようになりたいという彼女のチャレンジ精神を刺激しながら、学ぶ意欲
を引き出して、彼女が泳げたときの感動はいかばかりだったのか想像してみてください。
一方、B子ちゃんは、習うというボランティアをしたのですが、習うというのは、相手
にどうしてあげることでしょうか?まず、心を開いて“聞く”ということが最初です。彼
が教えやすい状態をつくり、彼の教えてくれたことを一所懸命やってみせることであり、
考える、感じ取る、そして信頼して試みるという素直な学ぶ態度が、彼を真剣にさせたの
ではありませんか。
学校の授業でも、教えやすい状態をつくるということは、学びやすい状況があるからで、
教師と子どもが共に学習を創るということが自覚された時に“楽しさ”が生まれます。お
互いに苦しいけれど一緒に学び合える楽しさは、目的を達成した時に喜びとして倍になる
のです。それは教える教えられるという上下の関係ではく、互いの「信頼」関係の上では
じめて成り立つ関係なのです。そんな授業を体験した先生は、授業づくりにもっと欲張り
になることでしょう。
さて、二人はお互いに“ボランティア”として相手との関係をつくろうと努力した結果、
お互いの持てる力を引き出しながら、エンパワーメントしたのです。ボランティアをして
ほしいと頼まれたことが重要ではなく、そのことをきっかけに、お互いが対等に向き合っ
て、心を尽くし合い、生きる力を得たことが全てです。そして、ここにボランタリーな心
の働きがあったことで、それぞれが自分の可能性に気づいていったことに注目してくださ
い。
A君は、人に初めて信頼されたことで、今までの自分の生き方を変える力となって更生
していくのですが、それは結果論です。しかしこのようなチャンスがなければ、自分を変
えることはなかったでしょう。B子ちゃんも、いつもボランティアされる側の存在ではな
- 120 -
く、相手と対等になって成すことのできる人間であることを“ボランティア”から体験的
に学んだことでしょう。そして、ここでは“ボランティア”という言葉は、消えていくの
です。
もうお気づきでしょう。ここに二人の可能性を信じ、二人を出会わせた人。二人の隠れ
て眠っていた人間性や能力を発見させて生きる力に変えた人。ボランティアコーディネー
ターの存在の重さです。
「コーディネーター」とは「対等にする、同格にする、調和的に働かせる」という意味
合いから「ボランティアとニーズの両者は、“対等の関係”を創造するために共通関係を
媒体として、“共同の企て”に取り組めるよう援助する専門職」と筒井のり氏は述べてい
ますが、見事に“対等な人間の関係づくり”を見せてくれました。“どちらもボランティ
アをしてほしい”と依頼した彼の思惑通りの展開は、コーディネーションの真髄を見る思
いです。
ひとは、誰かに当てにされてはじめて喜びを感じる。誰かに関わって、そこに自分の姿
や生き方を見る。自分の生きている実感を味わう。そのチャンスがいかにないか!それが
今の若者たちの現実です。あえて“ボランティアして”と言わなければ、対等な人間関係
を学ぶことの出来ない社会の貧しさが、現代の社会であることを肝にすえて、ボランティ
アという言葉を使わなくてもよい社会を創るために、いま私たちは努力しているのかもし
れません。「少年は必要とされてはじめて大人となる」という言葉をこころに刻んでみま
せんか。
ところで、ボランティアコーディネーターはなぜこのような「つなぎ」ができたのでし
ょうか。①地域の人・情報をしっかり把握している。②ボランティア学習の可能性を認識
している。③行政管轄と民間推進団体の公と民がネットワークされている。行政官の読み
も鋭い。④マッチングする際のリスクも考えなければ、冒険できない。⑤目の不自由な高
齢者との出会いで成長した少年の事例もある。相手が見えないだけに、信じることから始
めなければならない。⑥そこに、一抹の変容する可能性を見出す洞察力を養わなければな
らない。
皆さんがこれから地域の中で、人と人を結び付けていくその力を付けていくためにも、
ボランティア、ボランティアという言葉を使うことよりも、大事な人との絆を紡いでいく、
信頼を築いていくためには、自分自身が地域の中で受け入れられ信頼されていくことが唯
一です。そのためには、“自分を磨く”ということが、重要ですね。
ある方の発言で、「私に出来ることなら、私でよければ」、非常に重たい言葉です。
- 121 -
6 ネットワーカーとしてのボランティアコーディネーター
ボランティアコーディネーターには、図のように、5つの役割があります。
①知らせる、②育てる、③支える、④調べる、そしてその4つを関係づける⑤つなぐ働
きです。
まず、「知らせる」こと。相手が必要とする情報を正確に伝える「情報提供機能」です。
これが、まずベースです。
その情報をどのように収集し、分析し、整理し、提供していくのかという、情報処理能
力が必要とされます。ただ、相談される内容の全てに対応することはできませんから、そ
のことに対処できる「人や機関」につなぐことも、その情報を把握していないと対応不能
になりますね。そこには、情報やひとネットワークを日頃からつくっておくことが、肝心
です。
「育てる」こと。この街にはこのようなボランティアや活動が必要だ。いまのボランテ
ィアはこんな問題を持っている。グループ活動が低迷している。いろいろな課題を抱えて
地域での活動を頑張っておられるボランティアへの研修プログラムの提供や、新たなボラ
ンティアを育成するためにどんなプログラムが必要だろうかと、考えることが必要です。
ニーズを把握しながら、研修プログラムや体験プログラムを起案し、研修企画する教育機
能は、市民教育としての福祉教育でもあ
ります。それは、市民を対象とした「福
知らせる
育てる
祉教育」の一貫として取り組まなければ
情報提供機能
養成・教育機能
つなぐ
ならない大きな課題です。ボランティア
需給調整機能
研修もその中に包括されます。
市民が、「福祉を正しく理解すること、
福祉のこころを育てること、福祉づくり
支える
調べる
相談援助機能
調査研究機能
を実践すること」を目的として、福祉教
育を進めなければなりません。
ただ、無意識的に無意図的に計画性もなく、助け合いや支え合いをしていく中で、“福
祉”を地域に広めていることも確かにあります。それが、地域の福祉風土を育てる教育力
ともいえます。
「支える」こと。日常的な相談援助は、ボランティアコーディネーターの生命線です。
さまざまな相談がきます。迅速に対応することが求められますし、解決の糸口がつかめな
い問題も持ち込まれるでしょう。けれども、皆さん決して一人で悩まずに、一人で解決で
きない事は、必ず他の人に気軽に相談してみてください。ボランティアコーディネーター
の相談を受ける受け皿となる「ひと」も、必要不可欠です。
ただ、相談を受けるといっても、やはり相手の話を上手に聞き取る力、傾聴力がなけれ
ばなりません。話の腰を折ったり、先走って結論を急ぎすぎたりと、私もずいぶん失敗し
信頼を失いました。いまでも自己嫌悪することがあり、私の課題です。そうならないため
の「10のチェック」項目を紹介します。
①こちらから声をかけて、相手の心を開かせ、話の途中でもうまくリードや質問をする。
リードは、そこをもう少し詳しくと話を深めることであり、質問は自分の理解のため
- 122 -
ではなく、相手がそれに答えることで相手自身が理解を深めることが目的です。
②相手を大切にし、相手以外のことに気をそらさない。
相手の言葉を真剣に受け止め、誠実に聴く態度が必要です。自分に興味のない話題や
よく理解できない話でも、上の空で聞いたり、相手以外のことに気をとられて聞き流
したりしてはならない。うぬぼれ、卑屈、なれなれしいなど、反感や警戒心を起こさ
せるような態度をとってはならない。
③自分の枠組みにとらわれない。
自分の興味・関心のあるもの、知識や体験のあるもの、自分の価値観や態度に合うも
のを好んで聞き、それ以外のことは批判的に聞く傾向があります。極力色眼鏡をはず
すよう心がけたい。
④相手に対する先入観や感情に左右されない。
相手の外観や肩書、年齢、専門などでその人を値踏みしたり、情報源に対する先入観、
偏見、不信感をもたない。また、相手の言葉遣い、声の調子、話の内容が気にさわっ
ても、反感、軽蔑、軽視の気持ちをもってはならない。相手をかけがいのない人間と
して受入れること(受容)が大切である。
⑤目でも聴く。
姿勢、表情、目配り、手の動き、息づかいなど、言葉以外のあらゆる手掛かりに気を
つける。
⑥言葉じりにとらわれず、話の趣旨をつかむ。話は最後まで聞かなければわからない。
早とちりしたり、言葉じりやちょっとした間違いや矛盾にこだわらず、まず話の趣旨全
体をつかむことが大切です。
⑦フィードバックして確認する。
相手の言葉をそのまま繰り返したり、言い換えて明確にしたり、長い話を要約したり
して、自分の理解の仕方が相手の意図に合っているかどうかを確認します。
⑧相手の立場に立って聴く。
相手の地位、立場、役割、置かれている環境、ものの見方、考え方、発想の仕方、欲
求や関心、集団・組織や聞き手に対する期待などを受容し、理解しながら聴く。特に
情報は、情報提供者の立場と希望によって歪曲されがちなので、そのことを念頭に置
いて聴くことが重要です。
⑨相手の感情に応える。
人は誰でも他者に理解されたいと願っています。哀れんでほしくはないが、自分の立
場や気持ちはわかってほしい。そんな相手の言葉の背後にある感情や気分に共感し、
応えていくことで心が通い合うことになります。
⑩評価、断定を避ける。
マイナスの評価は、非難、拒絶に聞こえ、相手の自尊心が傷つきます。相手は怒った
り、反発したり、あるいは萎縮したりするので注意しましょう。プラスの評価は、褒
め言葉で相手を認め励ますことにもなりますが、相手が悩んでいることや弱点を言い
だしにくくしてしまこともあります。励ますことも、やる気を起こさせる手段のよう
に受け取られ逆効果になることもあります。
次に「調べる」こと。調査研究機能です。どんなニーズやボランティアやボランティア
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活動があるのかを把握しておくことです。ニーズ、これは昨日ワークショップでしました
が、問題や課題を見つけていく。挑戦すべき解決すべき課題を見つけなければ、そこで苦
しむ人を放置することになります。「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」と語っ
たマザーテレサの言葉を思い出します。まずは、地域の課題を抽出して、その地域だけの
問題なのか、全市に共通する問題なのかのすり合わせをして、関係者がその課題を共有す
ることです。共有するということは、市民にオープンにするということです。ここで調査
した内容は、個人情報保護条例に抵触しない限りオープンにすべきです。地域で暮らす人
たちに、自ら問題の発見をしてもらうということは、解決もまた自分たちで出来ることを
自分たちでやるという態度決定をお願いしていくことでもあるのです。ですから、地域の
方にできるだけ丁寧に説明できる資料の作成もまた大事になります。
課題解決の方策については、たくさんの知恵を集めることです。これも一人で悩まずに
相談していく。
「うちの地域にこういう問題があるけど、どうしたらいいだろうか」と公民館や校区社
協、支所、あるいは市社協の地域福祉課にニーズが集まって来ます。真崎課長はすべてを
答えてくれると思いますが…相談をしていく自分のバックボーンを増やしてください。
それらのニーズを、しっかりと社協スタッフは集約し、その対応のタイミングを判断しな
ければなりません。そのまま放置していくことは、市民の信頼を損なうことに直結します。
「つなぐ」こと。ボランティアコーディネーターの最も重要な役割で、今まで述べた4
つの機能を包括した需給調整機能です。
「街角コーディネーター」、ボランティアコーディネーターというより、街角で、村の
中で、部落の中で、ちょっとした相談にのったり、大事な情報を伝えたりする。ボランテ
ィアしたいという人とボランティアがほしいという人を結びつける。簡単なようで、仲人
と同じ気苦労もある。「あっ、このことで困っているから、こことここを結び付けていこ
う」と判断した時に、どんな図を想像できましたか?エコマップのように、いろいろな人
や商店、病院、学校と結びついたり、情報やものやお金が線で結ばれていませんか。それ
が、あなたの自身のネットワークです。それを確かなものにしていく。必要な社会資源の
全てと結びつけることは一人では出来ません。それが3人4人と、個々のネットワークを
重ねていくと網の目になりますよね。10人のネットだとお互い重なる部分もあるし、別
の部分もあります。これが地域のネットワーク。この網の目が、粗ければ粗いほど大事な
ことがぽろぽろと落ちていきます。いかに網の目を詰めていくかどうか、大事な事をこぼ
さないようにするかが、ボランティアコーディネーターとしての大いなる課題になってい
くのかと思います。
こう見てきますと、ボランティアコーディネーターに必要な能力は、第一に情報に関す
るものです。「つなぐ力」、ネットワークする力は、情報能力が補完し強化させます。ボ
ランティアコーディネーターは、ネットワーカーでもあります。
ネットワーキングは、地域に求める「場・空間ネットワーク」(施設や環境などの有効
活用)、「事業ネットワーク」(多様化・個性化に対応した様々な事業)、「ヒューマン
ネットワーク」(人材)、そしてベースの「情報ネットワーク」(ボランティアを含めた
様々な要求に対応する情報)の4つの要素・局面から、張りめぐられています。
これら4つのネットワークを有機的につなぎ合わせ、あるいは作動させる役割を担うの
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が「ボランティアコーディネーター・ネットワーク」です。ここがボランティアコーディ
ネーターの立ち位置であり、各々のネットワークの間を埋めるところです。
常に「わたし」は、その網の紐が交差している結び目に位置していると想像すると、そ
の結び目には、必ずネットをつなぐ人がいるということを意識するです。
初めてある人とつながろうとするときに、あなたはどのような行動を取りますか?
知り合いから紹介されるという方法が一番楽です。なぜなら、自分という存在を相手は
全く知りませんから、何かお願いするようなことであれば、なおさら相手に自分を理解し
ていただく必要があり、お願いを受け入れていただけるためにも誠心誠意努めますね。し
かし、「紹介される」という方法は、相手は紹介者との関係で初めての人を見るわけで、
すでに紹介者の意向を受け止めているという前提があり、依頼するにも用件を話すことで、
事が進むのです。これが、ヒューマンネットワークの強みです。
そのような「多彩な人」ネットワークをどれだけ持っているのかが、「わたし」自身の
資質の向上に直接影響するものであり、地域で活動するための大きな財産となります。
しかし、人との関係で言うと、「持つ」ものではなく「育てる」ものでなければなりま
せん。それは、相手との信頼関係を築くことに他なりません。ボランティアコーディネー
ターは、常に「我と汝」の関係づくりから始まることを念頭において、一人の人間として
どのように相手と関係を築くのか、常に試されていることを肝に銘じておかなければなり
ません。
「人のつながり」として地域社会のもつ意義は、一つに、人格形成の場、二つに人間性
回復の場、三つに情緒安定の場、四つに安住の場、消費の場、五つに相互の支え合いの場
です。これらは、そこに住む人々の連帯感や共同性といった「きずな」の上に築かれるも
のですが、現代の地域社会はその根底の「きずな」が揺らぎ喪失しようとしています。そ
の危機に立ち向かっておられるのが、皆さんです。そのためにも、我も汝も生きる地域を
「知る」ために、自分の足で地域を歩き、地域の人と出会い語らい、地域を拓くための行
動を自ら起こすことが、地域のネットワークを強めることになるでしょう。
さらに、ネットワーキングを考えたときに、「キーパーソン」としての資質や能力を問
われることにもなります。
「キーパーソン」とは何か。その機能からイメージしてみてください。
①それぞれの持ち味を理解し、人や組織をネットワークする「つなぐ」機能。②提案を
多様な方法で発信し、異分野の人にも分かりやすく伝える「発信する」機能。③多様な意
見や立場を受けとめる社会への普遍性や開放性を持った「受容する」機能。④支持し、楽
しさを引き出す「盛り上げる」機能。⑤参加のためのあらゆる場を生み出す「創造する」
機能。⑥長期的な視野で見守り継続的に育てる「育成する」機能。⑦時代や社会変化に対
して活動を検証し、次のプログラムを企画する「検証する」機能の7つです。
では、この機能を発揮するために、キーパーソンとしての資質や能力がどうあらねばな
らないのかが問われます。
一つに「柔軟な発想」。キーパーソンは、先入観にとらわれない柔軟な心で発想するこ
とが大切で、その柔らかな発想によって驚かせたり遊び心をくすぐることで新しい展開を
生むことができる。
二つに「情報収集・分析・発信力」。様々な情報に対する好奇心と収集力、読みこなす
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力、わかりやすく加工して伝える能力であり、情報を発信するところには、いい情報が集
まってくるのである。
三つに「夢や課題やビジョンを具現化する企画力」。人間の誇りに訴えたり、人を引き
つけその気にさせる能力、戦略と戦術を複数持つことで企画を具体化し推進できる。
四つに「柔軟なフットワークと行動力」。キーパーソンは、自ら選択して決定し、自発
的に動く行動力が必要であり、そのための気力と体力と金力も必要となる。
五つに「社交性」。のりのよさやのせやすさ、褒め上手、もてなし上手でなければ人が
まわりに集まらない。
六つに「マネージメント力」。状況を的確に見極めて対応する力であり、バランス感覚
や柔軟性、そして応用力や忍耐力が求められる。
七つに最も大切な「人権感覚」。相手に対する思いやりや豊かな人間性と相互の人権の
尊重が求められる。
皆さんも、きっとご自分のキーパーソンとしての豊かな資質に気づかれたのではないで
しょうか。しかし、これらの能力や資質を全て満足させることは不可能です。ただ、「持
っている、いない」ではなく、「育てていく」ところに、皆さんの発展途上人としての「伸
びしろ」があるのではないでしょうか。ボランティアコーディネーターの人間的魅力は、
明るさが唯一です。暗いご時世を笑顔で吹っ飛ばす皆さんの明るさと元気が、地域を照ら
してくれるのです。
7 幸せを運ぶ器になりなさい
20年も昔、阿部志郎さんを札幌に招聘した時にお聞きした、心に残ったお話を紹介し
ましょう。
『ある特別養護老人ホームに世話になっている親戚の老人の話には、三つの特色がある。
第一は、人の悪口。第二は、昔話。それも、自分の長い人生の中で、一番華やかだった
時代を語る。けれども、自分が人に迷惑をかけたとか、失敗をしたという経験談は、一切
しない。第三は、いつ行っても同じ話をくどくどと繰り返すだけ。
その同じ老人ホームに妻の小学校の時の先生が入っていた。この人は、私の親戚の老人
が悪口を言ったそこで働いている若い職員を褒める。「私があの年には、老人のことを考
えたり、世話をしたことはありません。恥ずかしいですね。あの若い人は、よくやります
よ。今の青年は、立派です」こう言って褒める。この人は、私に対しても、「来年は、ど
んな計画をもっておられるのですか?」いつも明日のことを私に問い、自分も明日を語っ
て、昨日を語ろうとはしない。この人は、最後まで音楽の先生でした。老人ホームの中で、
歌を教えるボランティア活動をしていた。
私はこの先生から、貴重な人生の教訓を学んだ。寝たきりになるということは、辛いこ
とである。何が寝たきりになって辛いかというと、人の世話になるばかりで、自分から何
も出来ない。家族に対しても、隣の人に対しても、友だちに対しても、自分は何も出来な
い。ただ世話になるだけ。いわば、役割がない。役割を喪失することほど、人間として苦
しいことはない。
私たちは、いつ寝たきりになり、いつどんな状態に陥るのか、誰も分からない。全ての
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人がその可能性を持っている。仮に、寝たきりになったとしても、人の幸せを願える人が、
どんなに素晴らしいかを、私は学んだのである。人の幸せを願うことが、自分の幸せにつ
ながるのである。人の幸せを、自分の祈りにすることは、許されるのある。
この自分の幸せをわかちあい、人の幸せを願うことによって、自分自身が豊かにされる。
こういう人間像をボランティアと言う。
ボランティアというのは、何物か自分の持っているものを、人にわかちあう人である。
自分の幸せを、自分の喜びを、なんとかして人と共有したい、この願いに基づいて行動す
る人がボランティアである。
マザー・テレサが、「喜びを運ぶ器になりなさい!」と言ったが、ボランティアとは、
まさに喜びを運ぶ器ではないか』
その器に、どんな中味をどのように入れたらよいのか、よくわからない人や悩んでいる
人がいるだろう。もしかして、知らず知らずのうちに間違った器や中味を使っているかも
しれない。本当にこれでいいのだろうかと、不安げな人もいるかもしれない。
そんな“心配顔の人”に「大丈夫だよ!」って、声をかけてあげられる人が身近にいる
とどんなにか勇気づけられることでしょう。それがあなた、街角のボランティアコーディ
ネーターです。地域で気軽に声をかけられる存在になってほしいと、熱くエールを贈りま
す。
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【資料
1】
あなたのボランティア度を測ってみると
あなたのボランティア度を以下のチェックポイントで測ってみよう。この25項目のいく
つに該当するのか試してみてください。
以下の点について、自分は該当すると思われる時は○印、どちらとも言えない時には△
印、該当しないと思われるときは×印を、(
)の中に自己判断でつけてください。
1 (
)私には、もともと人の困り事がよく見える素質がある。
2 (
)寝たきりになっても忙しくても、それなりに私のできることを探し出せる。
3 (
)どういうわけか、みんな私に頼み事を持ってくるが、見込まれるタチらしい。
4 (
)身近に困った人がいたら、つい手を差し出してしまう。
5 (
)人から頼まれたら、それが何であっても気軽に引き受けてしまう。
6 (
)活動課題を示唆されたら、すぐに取りかからなければ気持ちが落ち着かない。
7 (
)こちらがやりたいことよりも、相手が求めることをするのを鉄則としている。
8 (
)活動の相手から「お返し」があれば、素直にいただくようにしている。
9 (
)より効果的な活動をめざし、自分の最も得意な腕を生かすよう心掛けている。
10(
)活動が本当に役に立っているのか、時々チェックしている。
11(
)他の人たちを上手に活動に引き込み、地域の資源をうまく活用する腕もあ
る。
12(
)推されれば素直にリーダーも引き受け、仲間を引っ張っていく。
13(
)地域で問題を見つけたら、関係機関にも「やんなさいよ」と声をかける。
14(
)福祉施設などで、職員の処遇に気にかかる点があれば臆せずに忠告できる。
15(
)必要とあればいつでも、他の活動グループと連携していく用意がある。
16(
)活動中に新しい課題が出てきたら、それにも取り組めるよう、すぐに態勢を整
える。
17(
)無償にこだわらず、状況に応じて有償活動に発展させてもいいと思う。
18(
)たまたま接した新しいニーズにも、素早く対応していく
19(
)自分自身も豊かな人生づくりに、日々努力を怠らない。
20(
)活動を自身の人間的成長への糧とするように努める。
21(
)自分が困ったとき、「助けてくれる人」をしっかり確保するようにしている。
22(
)家族に理解を求めるなど、活動しやすい環境づくりにも、十分気を配っている。
23(
)活動にできるだけかかわれるよう、時間づくりにも努めている。
24(
)よりよき活動をめざして、相互に研修を欠かさない。
25(
)現状に満足せず、新しい活動技術を習得するよう努める。
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