17世紀都市リマにおける民衆的宗教実践の一断面

1/3
17 世紀都市リマにおける民衆的宗教実践の一断面
〜フアナ・デ・マヨの場合
網野 徹哉
(東京大学大学院・総合文化研究科地域文化研究)
報告要旨
17 世紀初頭、リマ大司教座管内において、先住民インディオが秘かに持続させている非正統的な宗教的
実践を取り締まり、弾圧するために、偶像崇拝根絶巡察が創始された。16 世紀の後半にペルーに異端審問
が導入されたが、インディオは宗教的未成熟者と規定されていたため、異端審問の管轄からは原理的に除外
されていた。ある意味では、宗教的な統制の外に置かれていたインディオに対する、「先住民版異端審問」
として機能したのが、この偶像崇拝根絶巡察であった。
巡察でおこなわれた訴追・審問の記録の一部は、リマ大司教座文書館に遺されており、これらは植民地時
代盛期のインディオの宗教的実践や心性を解明するために高い価値を有している。本報告は、この記録のう
ち、インディオ女性フアナ・デ・マヨにたいする審問の記録を用いて、17 世紀の都市リマの下層社会に生
きた女性たちの、異教的宗教実践を通じて「生の諸関係」の構築のありさまを明らかにすることを目的とす
る。
偶像崇拝根絶巡察は、17 世紀を通じてまんべんなく実施されたわけではなく、間歇的にインディオ社会
を襲ったのだが、同世紀の中ごろ、非常に積極的・抑圧的にインディオの宗教実践に対峙した巡察使フア
ン・サルミエント・デ・ビベーロが現れ、多くの先住民がその弾圧の犠牲になった。フアナ・デ・マヨもそ
の一人である。
彼女はペルーの南海岸部イカに生まれた先住民女性で、未亡人であった。当時リマに住んでおり、非正統
キリスト教的な邪術を行使しつつ、顧客からのお礼・施しを主な生活の糧とする貧困女性であったと考えら
れる。植民地社会は、その統治の理念として、二つのレプブリカという概念を有しており、都市をスペイン
人の生きる空間、その後背地のアンデスの山間部などをインディオの生きる空間、として規定し、差別化し
ていたのだが、現実はこうした理想を裏切り、とりわけリマの都市空間は、スペイン人や混血のほか、黒人
そしてインディオが日常的に混淆する世界となっており、そのような多様な出自に属する人間集団や文化的
要素が混在し、接触するなかで(コンタクト・ゾーン)、フアナ・デ・マヨの様な邪術的実践者の生は営ま
れていた。
マヨの邪術の中心にあったのは、いわゆる「恋愛魔術」であり、彼女は、顧客のこの方面における幸運を
2/3
導き出す術を施し、あるいは女たちの性的欲望の完遂を補助するさまざまな呪物を提供していた。特筆すべ
きは、叙上の、リマの多文化混成空間としての特徴が、その顧客層の実態からクリアに抽出されることであ
り、インディオ女性のフアナの栖には、白人系、黒人系、インディオ系、そしてそれらの混血者たちが、頻
繁に足を運んでいたのであった。
偶像崇拝根絶巡察は、いわば対抗宗教改革時代の産物であり、民衆の生活・宗教実践の規律化・社会化を
第一義的な目的とする運動であったが、フアナ・デ・マヨのケースにおいて指摘すべきは、こうした上から
の抑圧的姿勢に対し、マヨはインディオとしての彼女に与えられている法的な権限や、あるいは教会の布教
の非徹底性を逆手にとりながら巧妙に、その生存戦略を展開していた点である。彼女たちは「カリェホン」
と呼ばれる、リマ特有の貧民居住区に生活していたが、そういう空間で営まれた複雑な生の諸様相を解明す
ることにより、ラテンアメリカ植民地社会の歴史を、従来とは異なった視点からとらえるが可能になるであ
ろう、という予感を述べつつ、報告を終えた。
BIBLIOGRAFÍA
1.未刊行手稿史料
Archivo Arzobispal de Lima(AAL): Sección Idolatría, Legajo 7, Expediente 6
2.偶像崇拝根絶巡察記録刊行史料
Duviols, Pierre. Cultura andina y represión: proceso y visitas de idolatrías y hechicerías.
Cajatambo, siglo XVII. Archivos de Historia Andina, Lima: Centro de Estudios Rurales
Andinos "Bartolome de las Casas", 1986.
García Cabrera, Juan Carlos. Ofensas a Dios, pleitos e injurias: causas de idolatrías y
hechicerías, Cajatambo silos XVII-XIX. Cuzco: Centro de Estudios Bartolomé de las
Casas, 1994.
Sánchez, Ana. Amancebados, hechiceros y rebeldes; Chancay, siglo XVII. Cusco: CBC, 1991.
3.研究文献
Acosta Rodríguez, Antonio. "Los doctrineros y la extirpación de la religión indígena en el
arzobispado de Lima, 1600-1620." Jahrbuch für Geschichte von Staat, Wirtschaft, und
Gesselschaft Lateinamerikas (1982).
———. "La extirpación de las idolatrías en el Perú. Origen y desarrollo de las campañas; a
propósito de Cultura andina y represión, de Pierre Duviols." Revista Andina Año 5,
Nº1, Julio (1987).
Charney, Paul J. "El indio urbano: un analisis económico y social de la población india de Lima
en 1613." Histócia (1988).
Cook, Noble David. Demografic Collapse: Indian Peru, 1520-1620. Cambridge: Cambridge
University Press, 1981.
Durán Montero, María Antonia. "Lima en 1613: aspectos urbanos." Anuario de Estudios
Americanos 49, nº7 (1992): 177-188.
Duviols, Pierre. La destrucción de las religiones andinas: conquista y colonia. México:
3/3
Universidad Nacional Autónoma de México, 1977.
García, Juan Carlos. "¿Por qué mintieron los indios de Cajatambo?" Revista Andina año 14, nº
1 (1996).
Griffiths, Nicholas. The cross and the serpent: religious repression and resurgence in Colonial
Peru. Norman: University of Oklahoma Press, 1995.
Lavallé, Bernard. "Divorcio y nulidad de matrimonio en Lima, 1650-1700: la desavenencia
conyugal como indicador social." Revista Andina (1986): 427-464.
MacCormack, Sabine. "The Hart has its reasons: predicaments of missionary christinaity in
early colonial Peru." Hispanic American Historical Review 65-3 (1985): 443-466.
Mannarelli, María Emma. "Inquisición y mugeres: las hechiceras en el Perú durante el siglo
XVII." Revista Andina Año 3, Nº1 (1985).
———. Pecados públicos: la ilegiimidad en Lima, siglo XVII. Lima: Ediciones Flora Tristán, 1994.
Mills, Kenneth. "The limits of religious coercion in mid-colonial Peru." Past & Present (1994):
84-121.
———. Idolatry and its enemies: colonial Andean religion and extirpation, 1640-1750. New
Jersey: Princeton University Press, 1997.
Osorio, Alejandra B. "El callejón de la soledad: Vectors of cultural hybridity in seventeenthcentury Lima." In Spiritual encounters: interactions between Christianity and native
religion in colonial America, edited by Nicholas Griffiths and Fernando Cervantes, 198229. Lincoln: University of Nebraska Press, 1999.
Rostworowski de Diez Canseco, María. Doña Francisca Pizarro: una ilustre mestiza, 1534-1598.
Lima: Instituto de Estudios Peruanos, 1989.
Sánchez, Ana. "Mentalidad popular frente a ideología oficial: el santo oficio en Lima y los casos
de hechicería, siglo XVII." In Poder y volencia en los Andes, edited by Henrique Urbano.
Cusco: CBC, 1991.
網野 徹哉「異文化の統合と抵抗 — 17 世紀ペルーにおける異教根絶巡察を中心に」『世界史への問
い』第 5 巻、1990 年 6 月刊行、岩波書店。(191 頁〜217 頁)
———. 「エスニシティの自己再生 インディオ・スペイン人・「インカ」」歴史学研究会編『南北アメ
リカの 500 年』第 1 巻 1992 年 10 月刊行、青木書店。(248 頁〜279 頁)
———. 「女たちのインカ」義江彰夫ほか編『歴史の文法』東大出版会、1997 年 4 月刊行、33 頁〜50
頁
———. 『ラテンアメリカ文明の興亡』(世界の歴史第 18 巻,高橋均との共著)中央公論社,1997 年
———. "El 'inga' y las mujeres limeñas: un estudio sobre la formación del nuevo simbolismo del
inka a través de los procesos inquisitoriales del siglo XVII", Manuel Ramos Medina et
al. (cords.) Actas del 3er. Congreso Internacional Mediadores Culturales, 2001, Mexico,
D.F., pp.101-121.
齋藤晃『魂の征服-アンデスにおける改宗の政治学』東京:平凡社、1993 年