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Contents
目次
Ⅰ
Symposium Pictures
Ⅱ
Symposium Summary シンポジウムまとめ
青木
Ⅲ
Full Texts
久美子
シンポジウム風景……………………………………………….
(和文)………………………………………………………….
2
6
フルテキスト
1. 招待講演1:Dr. Jon Dron
英文)Analogue Literacies
………………………………………………………
11
和文)アナログリテラシー………………………………………………………
22
2. 招待講演2:Dr. Chris Jones
英文)Literacies and the Digital University: A Critical View ……………………...
36
和文)リテラシーとデジタル大学 -批判的論考-…………………….…….
46
3. 招待講演3:Dr. Carmel McNaught
英文)Digital Literacies: Hong Kong Teachers' and Students' Perspectives on
Learning in the 21st Century………………………………………………….
57
和文)デジタルリテラシー -香港の教員と学生の21 世紀における学習の展望- ……….
62
4. 招待講演4:Dr. Gillian Hallam
英文)Digital Literacy in Australia: The Role of Libraries to Build Skills and
Capacity
……………………………………………………………………
68
和文)オーストラリアのデジタルリテラシー-スキルと能力形成における図書館
の役割-………………………………………………………………………
5. 招待講演5:小柳
Ⅳ
Ⅴ
83
和喜雄
和文)機能的デジタルリテラシーか批判的デジタルリテラシーか?……………………..
99
英文)Functional Digital Literacies or Critical Digital Literacies? ….. …..…... ... ...
109
Panel Discussion
パネル・ディスカッション
英文)What is digital literacy for?…………………………………………………….... ..
119
和文)何故デジタルリテラシーが今問われているのか?…. ……………………….
128
講演者プロフィール………………………………………….…
140
Profiles of Speakers
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国際シンポジウム 2011
放送大学長 石弘光
Dr. Chris Jones
Dr. Gillian Hallam
ICT 活用・遠隔教育センター長 加藤浩
Dr.Jon Dron
Dr. Carmel McNaught
小柳和喜雄先生
国際シンポジウム実行委員長 青木久美子
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国際シンポジウム 2011
パネルディスカッション
3 / 144
会場風景(午前)
4 / 144
会場風景(午後)
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国際シンポジウム「高等教育・生涯教育におけるデジタルリテラシー」
まとめ
放送大学 ICT 活用・遠隔教育センター 教授
青木久美子
2011 年 2 月 23 日(水)、千葉の幕張メッセ国際会議場にて国際シンポジウムを開催した。
今回のテーマは「高等教育・生涯教育におけるデジタルリテラシー」で、カナダのアサバス
カ大学のジョン・ドロン氏、英国オープン・ユニバーシティのクリス・ジョーンズ氏、香港
中文大学のカーメル・マクノート氏、オーストラリアのクィーンズランド工科大学のジリア
ン・ハラム氏、そして奈良教育大学の小柳和喜雄氏が、それぞれ質疑応答を交えて一時間の
講演を行った。
デジタルリテラシーという概念自体がそもそも必要なのかどうか、といった抽象的な議論
から、デジタルリテラシー教育の実践事例といった具体的な議論まで、幅広い内容で講演と
質疑応答、そしてパネルディスカッションが行われた。デジタルリテラシーは、コンピュー
タ等の情報コミュニケーション技術(ICT)を使いこなす能力、と単純に考えられがちであ
るが、そこには目的・文脈・時間といった要素が複雑に関連し、単純に捉えられるべきでは
ないことが議論された。
ここでは、以下にそれぞれの講演の概要を報告するとともに、パネルディスカッションに
おいて議論された内容についても簡単にまとめる。
1. アナログリテラシー
カナダ アサバスカ大学 コンピュータ・情報システム学科 准教授
ジョン・ドロン氏
ドロン氏は、「アナログリテラシー」という題目で、デジタルリテラシーという言葉自体
の使用が問題であり、デジタルのテクノロジーに焦点を置いて我々がそれを学ぼうとするの
ではなく、テクノロジーが我々の行動や思考を学び、それに応じて変化対応していくべきで
あることを説いた。また、デジタルリテラシーというものに囚われて、日々変化していくテ
クノロジーを一つとってそれの使い方を学ぼうとすること自体、無意味であると論じた。テ
クノロジーの使い方を学ぼうとするのではなく、日々移り変わる変化に迅速に対応できる能
力を身につける方がもっと有意義である、というのである。
「デジタルリテラシー」の概念は大変抽象的であり、実際の有効性はない。その代わりに
「近接領域の可能性(adjacent possible)」を考えていくべきである。「近接領域の可能性」
とは、ある新しいテクノロジーが創造されると、今まで可能でなかった事柄が可能になって
くる、ということである。「デジタル」であることに意味があるのではなく、変化の速度が
増していることに注目すべきである。このように激しい変化の中では、エキスパート(専門
家)というものは存在せず、変化に順応していける人とそうでない人の違いが出てくるだけ
である。
人がテクノロジーを創造し、テクノロジーが人間の生活を変える、というように相互作用
で環境が変化していく。テクノロジーとは、人間が何かの目的に道具を使うときにその道具
がテクノロジーとなる。道具自体が重要なのではなく、それをどのように何の目的に使うの
か、ということが重要なのである。そういった意味で、どのような道具であってもテクノロ
ジーになり得る。ペダゴジー、プロセスなど、全ての概念がテクノロジーとなり得るのであ
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る。ドロン氏にとっては、言語もテクノロジーであり、規則や規範もテクノロジーであると
いう。
テクノロジーには、ソフトテクノロジーとハードテクノロジーがある。ソフトテクノロジ
ーとは、使う人や目的によって使い方が違ってくるという柔軟性があるが、ハードテクノロ
ジーは、そういった柔軟性がない代わりに、使い方が限られているため簡単に使い方を習得
することができる。コンピュータは大変ソフトなテクノロジーであるが、プログラマーがコ
ンピュータを使う場合と、レジ係がコンピュータを単一の目的のみで使う場合とで、その柔
軟性は全く違ってくる。
ドロン氏にとってソフトテクノロジーはアナログであり、ハードテクノロジーはデジタル
である。ハードテクノロジーは単純であり、あまりリテラシーを要しないが、ソフトテクノ
ロジーは柔軟性があるがために、それを使いこなそうとするには高度な能力を要する。こう
いった意味で、ドロン氏は、これからの社会にはアナログリテラシーが必要になってくる、
と言っているのである。今あるデジタル技術を使いこなそうとするのではなく、デジタル技
術に我々を学ばせるようにすることが必要であり、そうなると技術を使いこなすという面で
はなく、プライバシー保護、セキュリティー、マナーという社会的側面を考えなければいけ
なくなり、それがドロン氏のいうアナログリテラシーなのである。
2. リテラシーとデジタル大学
−批判的論考−
英国オープンユニバーシティ
教育技術研究所 講師
クリス・ジョーンズ氏
ジョーンズ氏は、「デジタル大学のリテラシー」というトピックで新しいリテラシー研究
を行っている研究者を集めてセミナーシリーズを開催しており、そこでなされたいろいろな
議論と、彼が行ったネットジェネレーションについての調査の結果を踏まえて、彼の考える
デジタルリテラシー、というものを語った。
新しいリテラシー研究の研究者が「リテラシー」という時は、理論的な意味ではなく実践
的な意味で使い、日常生活での協働やコミュニケーションをするにあたってのスキルを指す
ことが多い。このセミナーシリーズにおいてはツィッターにより講演中にテキストで意見交
換がなされることが多いが、ツィッターを使う人たちと使わない人たちとの二つのグループ
に分かれ、こういった社会文化的グループ内で「リテラシー」というものは定義されるべき
である、という。
デジタル技術は、教育に新しいコンテクストをもたらした。どのように我々は物事を知る
ようになるのかを考えると、今の時代では、このように講演を聞いている中で、自ら情報を
探し、その講演で話されている情報について自らさらに知ることを可能にする。これを考え
ると従来の講義中心の情報伝達型の教育が如何に不適切であるかということがわかる。デジ
タル技術が教育に与える影響を考えるとき、一つ一つの技術を考えるのではなく、どのよう
な傾向があるのかを全体的にみて考えなければいけない。
デジタル技術により、時間と場所に縛られることがなくなり、学習活動の記録を残すこと
が可能となり、公的な場と私的な場の区別がなくなり、リテラシーの概念が変わり、コンテ
ンツとプロセスの区別がなくなってきている。今までの教育は文字中心であったが、デジタ
ル技術によりビジュアルなコミュニケーションも大切になってきている。
多くの政策的な文献では、リテラシーは単純にあるかないかのものであり、リテラシーが
不足している生徒や学生にはそれを教えなければいけない、という考え方が一般にみられる
が、これは誤った考え方である。リテラシーは社会的なものであり、フォーマルな教育にお
いて教えるものというよりも、社会的な実践の中で習得されるものであるとジョーンズ氏は
考えている。リテラシーは文脈と独立して存在するものではなく、リテラシーは社会的コミ
ュニティで形成されるものなのである。したがって、デジタルリテラシーは絶対的な単一の
ものではなく、様々な形がある複数形で考えられるべきなのである。
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3. デジタルリテラシー
−香港の教員と学生の 21 世紀における学習の展望−
香港中文大学学習能力向上研究センター(CLEAR) 教授兼所長
カーメル・マクノート氏
デジタルネイティブが、デジタル学習者であるとは限らない。また、情報に簡単にアクセ
スできるということと、
そういった情報で効果的に学習できる、ということとは別物である。
「ホライズンレポート 2011 年版」では、デジタルメディアリテラシーというものの近未来の
重要性を説いている。21 世紀リテラシーと呼ばれているものの中には、文字リテラシー、メ
ディアリテラシー、図書館リテラシー、言語リテラシー、グローバルリテラシー、ビジュア
ルリテラシー、文化リテラシー、など、様々なものが含まれている。
また、テクノロジーの分野では、ウェブ 1.0 からウェブ 2.0 へと進化し、ユーザのコンテ
ンツが重要になってきている。また、ウェブ 3.0 と進化するにあたって、個人に最適化され
た環境が可能となってくる。また、ウェブ上のサービスの種類は加速的に増えてきており、
教育現場においてもそれを無視するわけにはいかなくなってきている。
香港では、現在大規模な教育改革が進行中であり、以前大学は 3 年であったのが、今後は
4 年となることにより、新入生の質も変わってくる。この改革で重要視されているのが教育
アウトカムで、学生には批判的思考やコミュニケーション能力が要求されるようになってき
ている。また、カリキュラムの国際化も謳われており、その中で自国の文化のアイデンティ
ティ確立も目標となっている。
マクノート氏は、過去数年間香港におけるいくつかの調査にかかわり、デジタルネイティ
ブ説を否定した。デジタル技術の活用に長けているか否かは、年齢の問題ではなく、ただ技
術の活用の仕方が違う、ということである。香港では携帯所持率が 200%であるが、だから
といって学生がモバイルラーニングに積極的であるわけではない、という。教員が、授業の
中で課題を与えない限り、学生は自主的に行うことはないのである。
香港中文大学の 21 のコースを受講する 200 名からの回答を得たアンケート調査では、教員
がウェブ上に情報をたくさん掲載したからといって、学生が積極的に学習をしているわけで
はないことがわかった。一方で、教員がフォーラムを活用して学生と積極的にコミュニケー
ションを図ったクラスは、学生の学習に対するモチベーションが高く、満足度も高かったこ
とがわかった。また、他のアンケート調査においても、e ラーニングにおいて、コミュニケ
ーションを促進する方向で活用すれば学習の効果が増す、と考えている学生が過半数を占め
ることがわかった。しかしながら、コースにおける実際の活用状況を見てみると、ほとんど
の場合、LMS は情報提供のみに使われており、教員と学生とのコミュニケ―ション、あるい
は学生間のコミュニケーションに使われている例は非常に少なく、またこの傾向は年々強化
されていることがわかった。
4. オーストラリアのデジタルリテラシー−スキルと能力形成における図書館の役割−
クィーンズランド工科大学(QUT)科学技術学部情報科学科 非常勤講師
ジリアン・ハラム氏
オーストラリアがデジタル経済を考えるにあたって、参加ギャップ、又は、デジタルデバ
イドがある。オーストラリア政府はデジタルリテラシーについての直接的な方針はないが、
デジタルリテラシーは、全ての市民がデジタル経済の恩恵を受けられるように、個々人がサ
イバー市民となることを可能にするものだとみなしている。そこでオーストラリア政府は、
「全国ブロードバンドネットワーク(NBN)」と「デジタル教育革命(DER)」という政策を
打ち出し、NBN においては情報インフラに関しての様々な議論が、また DER においては、初
等・中等教育における教育の在り方が議論されている。
従来、図書館は地域社会の中で重要な位置を占めており、オーストラリアでは特に図書館
において生涯教育の推進がなされている。また、図書館は地域社会の中で、インターネット
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接続を無料で提供するといった、社会サービスを行っており、これがデジタル経済における
参加ギャップを減少することに貢献している。特に、オーストラリアでは先住民の集落は遠
隔地にあり、デジタルデバイドを形成しており、貧困地域や過疎地域における図書館の役割
が見直されている。図書館においてはインターネットへの接続を提供するのみならず、地域
住民に対してインターネットやデジタル技術の使い方の研修を行い、インターネットやデジ
タル技術に対する自信やモチベーションを高めることに役立っている。
ハラム氏は、クィーンズランド州立図書館のデジタル文化センターと先住民知識センター、
ノーザンテリトリー図書館におけるデジタルリテラシー教育の実例を紹介し、図書館が、従
来の書籍中心のものから、情報の自由流れや情報へのアクセスの個々人の権利を推進する役
割を担う電子世界のリーダーへと変貌しつつあることを説いた。
5. 機能的デジタルリテラシーか批判的デジタルリテラシーか?
奈良教育大学 教職大学院 教授
小柳 和喜雄氏
最後の小柳氏の講演では、様々なリテラシーの考えをマッピングし、機能的デジタルリテ
ラシーと批判的デジタルリテラシーの両方が必要であることを説いた。この両方をどのよう
に組み合わせて教育できるか、という学習デザインが重要になってくる、というのである。
ネットジェネレーションと言われる世代の人々のコミュニケーションの形態や学習の形態が
最近話題になり、それに関した研究結果がいくつか出ている中、教育実践はどのように変わ
ってきたのであろうか。
リテラシーには、視覚リテラシー、メディアリテラシー、コンピュータリテラシー、ネッ
トワークリテラシー、情報リテラシー、電子リテラシー、批判的リテラシー、と様々であり、
それらは道具的リテラシーと表象的リテラシーの二つに分類される。また、対象が限定され
るリテラシーと汎用性のあるリテラシーという分類の考え方もある。小柳氏は、道具的リテ
ラシーと表象的リテラシーを一つの軸に、そして、個人が獲得するリテラシーとリテラシー
の社会文化的側面をもう一つの軸にして、上記それぞれのリテラシーをマッピングした。
その中で、デジタルリテラシーは、道具的リテラシーと表象的リテラシーの両面を持ち、
どちらかというと個人的に獲得するリテラシーというよりは社会文化的な側面が強いものと
して位置づけた。また、デジタルリテラシーは、実践的で道具的リテラシーな側面が最初は
強かったが、時を経るとともに、操作のみではなく、その内容というものに注意が払われる
ようになり、表象的リテラシーの側面にも着眼されるようになってきた。学校教育のなかで
も、道具的リテラシーとしてデジタルリテラシーを教えたほうが教えやすい、という面があ
るが、ただの道具としてその操作を教えるだけでは意味がなく、ある文脈の中で何かの目的
を達成するための手段として教えたほうが意義があるとする考え方もある。道具ありきで、
それをどう使うかを一つ一つ細かく教えていくというよりは、まずしたいことがあって、そ
れを成し遂げるにはどういう道具をどのようにして使った方がよいか、という考え方である。
この考え方を教育実践にあてはめて考えると、How/What を問う教育と、why を問う教育
が一つの軸にあり、また、フォーマルのカリキュラムに沿って進めていく教育と日常生活の
学びとの橋渡しをする教育というものがもう一つの軸にあり、また、学習者の教育と教育者
の教育というのが三つ目の軸にある。こういった中で、現在の教育実践では、How/What の
ほうに着眼されている部分が多く、Why を問う教育はあまりなされていないように考える。
また、教育実践の中で社会文化的な側面でのデジタルリテラシーはまだまだ弱く、個人的に
獲得できるリテラシーばかりに目が向けられている傾向もある。
小柳氏は、デジタルリテラシーを向上させるためには、1)ディスコース、2)アクティ
ビティ、3)コミュニティ、の 3 つのレベルで考えることが大切であり、教育実践の中でも、
どのようにデジタルリテラシーと関わっていったらよいかを考えていくのがよい、と提唱し
た。
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6. パネルディスカッション
パネルディスカッションにおいては、まず、このシンポジウムのテーマであるデジタルリ
テラシーを一言で説明すると何か、という質問を講演者一人一人に投げかけた。デジタルリ
テラシーというものの定義について講演者の間で何らかの合意が得られることを期待して投
げた質問であったが、回答は二つに大きく分かれるものであった。一つには、デジタルリテ
ラシーという言葉自体が無意味で有用性のないものであり、デジタルやテクノロジーという
ものに目を向けること自体が間違っているという考え方で、もうひとつには、デジタルリテ
ラシーという概念は有用であり、21 世紀の社会に生きていくために必要な技能や知識を総合
して指すものである、という考え方である。
刻一刻と進化していくテクノロジーを受け入れていかなければならない、それに対応して
社会自体も変わっていかなければいけない、という事実は否めないが、それをリテラシーと
呼ぶことは疑問視する、という意見と、テクノロジーが移り変わっても普遍的な何かはある
のではないか、という意見があった。また、コンピュータはツールではなく、世界そのもの
であり、コンピュータを介して誰かと交流しているのではなく、コンピュータを通じてデジ
タル世界と交流している、という言及もあった。
リテラシーという用語自体が大き過ぎて、それに全てを詰め込もうとすることが間違って
いるという指摘や、道具の使い方の議論よりも、テクノロジーが提供する可能性に目を向け
てそれで何を行うべきかを議論したほうが有用である、という意見もあった。デジタルリテ
ラシーという用語は、暗に方針指導的な意味合いを含んでおり、それにより、個人が身につ
けなければいけない能力や知識のチェックリスト的な考え方がなされることを危惧するので
ある。デジタルリテラシーとコンピュータ技能とは別物であり、一緒に考えてはいけない、
という面ではパネリスト全体の合意を得られたようであった。
フロアーからの質問で、日本人は、日本語という特殊言語の中で生きており、日本から世
界に情報発信されることが少なく、また、デジタル世界の恩恵を受けることも少なく、不平
等な状況にあるのではないか、というものがあったが、それに対して、それには長短があり、
ある意味では独自の文化が守られているという長所がある反面、入ってくる情報量が限られ
てしまう、という短所もあることが論じられた。英語もグローバル化することにより、簡略
化された英語が横行しており、英語独自のよい文化が溶解している、という意見もあった。
それに対して、言語は流動的なものであり、一定の形に留めておくことができないことが常
であり、そういった変化に対応できるようにしなければいけないことを説く声もあった。
最後のフロアーからの質問で、ICT 活用に積極的でない教員をどのようにして説得したら
よいか、というものがあり、この質問に対して、教育機関の組織としての仲立ちやリーダー
シップが大切であり、組織の中間層を説得することも大切である、という意見が出された。
7. 最後に
今回のシンポジウムでは、「高等教育と生涯教育におけるデジタルリテラシー」というタ
イトルで様々な議論がなされたが、これをまとめると、デジタルリテラシーは、単純に、デ
ジタルツールを使いこなす技能や知識と考えてはいけない、ということである。リテラシー
とは、もともとが文字を読解する能力、という意味であったが、ただ文字を読めるというだ
けでは、本当のリテラシーには繋がらない。デジタルリテラシーにおいても、単にデジタル
技術を使うスキルと考えるのではなく、その目的や社会的意義といった文脈を考えて、目標
を達成するにはどのような技術やツールをどのように活用したらよいかという大枠で考える
ことが大切である、ということがこのシンポジウムでの結論であるように考える。そういう
意味では、汎用性のあるデジタルリテラシーというものは存在せず、それぞれの状況に応じ
て柔軟に手段を使い分けるという能力が問われ、そういった能力を育成する教育が必要なの
であろう。
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Analogue Literacies
Jon Dron
Technology Enhanced Knowledge Research Institute (TEKRI)
Athabasca University
Canada
Introduction
In this paper I will be exploring the notion of ‘digital literacies’ in the light of theories of technology
and technological evolution. My main starting points shall be familiar ones: that the rapid evolution of
technologies renders skills obsolete and unnecessary so fast that the kind of competencies that we
need to focus on are of a different kind than those we develop for traditional skillsets and that the
evolution of digital technologies increasingly renders specialist skillsets unnecessary in the first place.
Furthermore, digital literacies are so diverse that it is meaningless to use the term at all: the computer
is a universal machine, a universal environment, a universal medium and digital literacies encompass
everything from cellphone, TV and photo frame use through to web browsing, word processing,
picture and media editing, database manipulation, to programming, hardware hacking and network
management, to social norms in social networking sites and synchronous/asynchronous
communication in virtual worlds, chat and discussion forums, to skills in information science, to
turning on a light switch or wearing a shirt. I will examine the field as a coevolving ecology in which
we push the boundaries of the adjacent possible through soft, human technological processes that may
or may not later become embedded in software and/or hardware, and that the expertise needed is not
in digital technologies, but in an emerging approach to design and use that embeds the means to
soften hard systems and harden soft ones, to apply analogue skills, not digital competencies. In this
sense it is not just important that we should learn about the machines: the machines should also learn
about us and that we, all of us, should be able to teach them about ourselves and or changing needs. I
will suggest that this is the emerging paradigm that distinguishes new technologies from those that
originally defined the need for digital literacies and that, increasingly, will render the concept
redundant, enabling us to concentrate efforts on the more pressing issue of access.
Differences that matter
There are at least three closely related things that make digital skills quite unlike other core
competencies such as reading, writing, arithmetic, social skills, music, presentation skills and so on.
1) Digital technologies evolve very fast so that digital competencies lack longevity
2) Digital technologies can and do learn about us faster than we learn about them
3) Digital literacies are extremely diverse and are diversifying at an accelerating rate
In the following sections I will explore these three points, observing how they interrelate and how
they arise as a necessary adjunct of the nature of all technologies but are especially magnified in the
case of digital systems. This will set the groundwork for looking at digital literacies in a slightly
different way, as a process of co-evolution involving an interplay between soft and hard technologies
in which technical systems are as much active players as the people and communities that use them.
Lack of longevity
The things that I learnt when I first encountered digital technologies in the 1970s are of extremely
limited value now. The fact that I once knew how to punch holes in a piece of card to perform
computation has almost no relevance to my ability to use an oven or read a book on my iPad and, in
setting a particular set of expectations, may actually inhibit my ability to learn some new digital
technologies. Although, at least in early years, there were clear incremental gains in my learning that
built on what I had learned before, the distance between my first faltering steps with a single punchcard, memory-less machine and the rich depths of social and technical knowledge I need now is
enormous and widening. But it is not just about different skills but the lack of need for them. There
are increasing discontinuities: although my ability to hack out code or configure a network or
troubleshoot a networking problem remains somewhat useful in the era of the iPad, each new release
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of the iOS operating system further reduces the need for such skills. Perhaps the most useful digital
literacy that remains is knowing how and when to reboot a system that has broken.
It has long been known that digital literacies are, with a few exceptions, transient in a way that
reading or arithmetic are not: while basic knowledge such as keyboard skills remains somewhat
consistent (though even that is rapidly becoming sidelined) digital technologies change so fast that
expertise from as little as a year or two ago is not always transferable or useful. (Walker, Huddlestone,
& Pullen, 2010). However, as long as we continue to update our technologies incrementally, the skills
may mostly act as foundations for others and the process of change is not too painful. This has led
some to see digital literacies as being fundamentally about the ability to adapt and learn anew (Crane,
et al., 2002) although, since this is a prerequisite for most things in life, it is hard to see this as a
peculiarly digital literacy apart from the contextualization of doing so in a context of information and
communication technologies.
Exponential diversification and the adjacent possible
The number, range and breadth of literacies encompassed in things to which digital technologies
apply has increased many-fold. It makes no sense to think of digital literacy as relating to a single
kind of thing but, even from a birds-eye view, consists of many aspects that include social,
information, motor, computer, political, organizational and many other literacies (Ng, 2010; Sharkey
& Brandt, 2008). The skills needed to operate a digital drumset are light years away from those
needed to program a computer. The skills needed to effectively deal with a Facebook profile are
almost entirely different from those needed to operate a smartphone, except where the smartphone is
simply being used to run a web browser. Even foundational skills like being operate a keyboard,
navigate with a web browser or fill out a form are diverging. I can still apply these skills through my
Android phone if I wish, but I can bypass them almost completely using a dedicated app and an
alternative input device. The ability to manipulate files in a filesystem is still handy on a digital
camera or a Windows computer, but almost totally useless on an iPad. Knowing netiquette in a
discussion forum is of limited value on a Facebook wall or Twitter. Playing a MMORPG involves
totally different skills than programming a Tivo. Digital technologies are incredibly diverse, probably
more so already than older analogue technologies and they are diversifying at a greater than
exponential rate. Before attempting to provide the skills to deal with this, it is important to come to
a clear understanding of how it comes about and the implications that arise.
Kaufman (Kauffman, 2000) has made the simple but profound and well researched observation that
complex systems grow in complexity in a predictable and efflorescent manner. As new adaptations or
changes occur they mutate the entire ecosystem, opening up new possibilities that were not there
before and closing down others: this is the nature of any system with a history. Each new
development increases the number of further developments that are adjacently possible (most of
which will never occur). We therefore see a world of increasing complexity that, barring large
extinction events (some of which Kaufman suggests arise naturally from such a system) accelerates
towards still greater complexity. It is a notable trend in natural Darwinian evolution but, in a system
like technological growth that is more Lamarckian, where changes to not just the genotype but also to
the phenotype are perpetuated and replicated, the trend is huge. Change begets greater change, in an
ever increasing cycle of complexity building on complexity. Each generation looks back to a simpler
age not just out of nostalgia but because it really was simpler.
As Franklin observes, not all technologies are equally liberating and some prescriptive technologies
close adjacent possibilities rather than opening them up (Franklin, 1999). However, as Kelly notes,
technologies almost never actually die so, though we may no longer have much use for writing slates
or horse-drawn threshing machines, they are still manufactured and maintained somewhere in the
world (Kelly, 2010). This means that the new adjacent possibles are nearly always additive, even
though the defunct possibilities become less likely to be taken and more remote.
In no area apart from, arguably, genetics does the adjacent possible expand faster and more richly
than in the design of computer software. The immense malleability of the digital space means that a
designer requires nothing more than a computer connected to the Internet to create any computable
machine or digital object and, with vast amounts of existing code and content to draw upon, the
adjacent possibilities are never-ending and exponentially expanding. As new kinds of device and
platform appear, the possibilities expand even further, reaching into every crevice of real as well as
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virtual life. As the tools for creation become simpler the forms and models of the things we can
create become more complex.
There are kinds of digital literacy that remain closely linked in a chain back to the earliest designs of
Charles Babbage and the computer software created by Countess Ada Lovelace. While the field of
programming has changed enormously and the tools at a programmer’s disposal have reached great
heights of sophistication, the basic principles are the same now as they were in the 19th Century.
However, unless it is our goal to become a programmer (a fraction of 1% of the ways we are likely to
be computer users) this is a next-to-useless literacy.
The implication of the adjacent possible and what it leads to is that the target of digital literacy is
moving away from us faster than we can provide the skills to catch up, and that this acceleration will
inevitably and inexorably increase so that any short term solutions we may discover for now will be
of almost no use in the very near future and, eventually, will be entirely pointless. Worse, the fact that
our attempts to provide skills lead to a particular world-view of digital technologies may actually
leave learners in a worse mess than had we offered no intervention at all. It is often harder to unlearn
habits than it is to learn them. I have been reminded of this of late in the discussion that has gone on
regarding the limitations of the iPad and various social systems, such as Elgg, that have largely
dispensed with a visible file system. The notion of the file system, with its hierarchical folders and
sub directories is, it should be remembered, a fairly modern invention that emerged some time in the
1960s. It was designed as a means to help people keep a track of files in days when it was the best
alternative: free text search was slow, faceted tagging had not been invented, semantic filesystems
were unheard of and it was a couple of decades before relational and object-oriented systems became
adjacently possible. By the time they had become available and usable, generations of users had
become used to this artificial and awkward means of organization, requiring a great deal of the user in
terms of inventing taxonomies, vocabularies and conventions (Faubel & Kuschel, 2008). It was
determined more by hardware and software constraints, than common sense or human needs.
However, for all of their manifest faults, we have learned to use them, become used to them, we
expect them and now, when faced with an alternative approach, many have complained (eg. (Hussey,
2010; Nelson, 2010)).
Computers learning more about us than we learn about them
The vast majority of all the increase in power of the past fifty years in computing is dedicated to a
single principle: making it friendlier. Making the bits and bytes invisible, making it easy to use,
making the machine more accessible, usable, human. This has been an accelerating trend since the
earliest days of commercial computing. At another end of the spectrum, the machine has been
disappearing: we are largely unaware of the myriad microprocessors and chips that proliferate in our
cars, our credit cards, our cooking appliances, our televisions, greetings cards, telephones, door
alarms, elevators, pets, wastebins, toilets, gravestones, credit cards and clothing. Many of these have
computing power that would put a top-end device of a few decades ago to shame.
While increasing diversification is a huge trend, one consistent result of increasing complexity at a
technological level is, perhaps paradoxically, reduced complexity for the majority of end-users. Apart
from occasional jumps and innovations that radically change what we can do, akin to Kuhnian
paradigm shifts (arguably, for example, the advent of the PC, the growth of the Web or the recent
shift to tablet computers) most of the increased complexity in digital technology, driven by market
demands as much as anything else, is focused on improving the end-user experience, thus making
more of the machine accessible to a greater number of people. From early innovations (mainly from
Douglas Engelbart) such as the VDU, the mouse and hypertext, through to Alan Kay’s graphical user
interfaces, through to the iPhones and iPads of today (interestingly reaching back to Kay’s 1970s
work on the Dynabook), the story of the computer has been one of relentlessly improving interfaces
and interaction designs.
Even were it possible to pin down a range of literacies that would be of consistent value to a person
no matter how technologies might change, the inexorable trend in computer devices is towards
making them so easy to use that they become, to all intents and purposes, invisible. One of the most
innovative things about the iPad and its forebears and cousins is that it requires a manual of
approximately one page in order to learn how to use it effectively. Beyond the visible general-purpose
computer-like machines we might purchase, we constantly use digital devices without even being
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aware that they are there, from cookers to door alarms to home audio systems. In essence, the literacy
about the machine is being replaced by the machine itself, that is slowly but surely learning how we
work, rather than vice versa. Machines are increasingly being designed so that we are barely aware of
using them and require very little, if any, skill to do so.
While the skills of using machines are disappearing, the new skills that arise out of what they are used
for are constantly multiplying. As new adjacent possibilities arise, they bring both benefits and risks.
The ubiquity of social networking, for example, has opened up a new scale of problem in privacy and
online identity that few of us are equipped to deal with, least of all the so-called ‘digital generation’
whose skills are no greater than older generations in recognizing the ways new technologies change
us. When Mark Zuckerberg claims that privacy is dead (O Brien, 2010) it is likely that relatively few
of his 500 million Facebook users have taken the message fully on board. Such issues are not to do
with whether or not the technologies are digital, but with what changes they bring and how fast they
evolve and multiply. Unfortunately, few, if any of us are fully equipped to deal with this and, as we
become so, the field changes.
Seeking solutions
If we are to rescue the notion of digital literacy and turn it into something that will remain useful and
applicable for a lifetime rather than the near future then it is clear that we need to go beyond
providing skills in the technologies that are currently popular. Rather than concentrate on the
contingent fact that current technologies of interest are digital, I propose that we should consider the
nature of technological literacy itself. However, this raises a range of interesting problems, most
notable of which is the confusion that lies deeply embedded in our understanding of what makes
something into a technology in the first place, whether digital or not.
What is a technology?
There is a naïve populist view of technology that considers it to be the shiny things, steaming things,
smoking things and things with flashing lights. Go to a technology store and that is what you will see.
However, a moment’s consideration reveals that there has to be more to it than that. Apart from the
things we don’t see, any definition of technology has to include some consideration of how it is used.
A stick found in a forest, for example, can be a technology if we do something with it for some
reason: to make fire, reach something down from a tree, hit someone, dig something from the ground,
for example. It is not the thing itself but the thing in conjunction with the processes and purposes that
apply to it that turn it from one of billions of sticks to a technology. Kaufman has coherently argued
that there is an infinite number of potential uses for a screwdriver: it is far from only limited to
screwing and unscrewing screws (Kauffman, 2008). Indeed, we do not even need the object to create
a technology: our legal systems, social systems, business systems, pedagogies, rituals of prayer and
much more besides are as much technologies as the most complex space capsule. W. Brian Arthur
defines a technology as a phenomenon put to use (Arthur, 2009), which is a good definition. However,
he goes further and observes that virtually all technologies are assemblies of other technologies. A car
consists of wheels, engines, seats, radios, panels and so on, each of which is composed of a myriad of
other technologies – bearings, bolts, ignition systems, tyres, transistors, microchips, etc and is itself a
part of a transport technology that includes roads, bridges, other vehicles, rules of the road and
regulations. Even the simplest stick, as we have seen, consists of the stick itself and a number of
softer (human) processes and techniques that are themselves technological in nature. Not only are
they assemblies of other technologies, in almost all cases there is a human component, often
predominantly so. The technologies of driving are no less important to the technology of the car than
the wheels on which it runs, especially on roads with other drivers on them.
To be human is to be technologically literate. As Taylor coherently argues, to be human is to be a user
of technology: it is what defines us and what made us what we are (Taylor, 2010). Language itself is a
technology, a toolset that continues to evolve and that we use to achieve various ends, notably
communication but perhaps even to enable complex thought itself.
Soft and hard technologies
The literature of technology often uses the terms ‘soft’ and ‘hard’ but it is important to note that there
are two distinct uses of these terms. For many in the business community, a soft technology is simply
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one that does not involve a large physical element: business rules, scheduling, organizational
processes, production techniques and so on (e.g. (Burgess & Gules, 1998; Hlupic, Pouloudi, &
Rzevski, 2002)). An alternative use, and the one which I will adhere to here, following Norman &
Dunaeff (1993), is that soft technologies are filled with latent possibilities and potentials, enabling
many creative and flexible uses, whether they are human processes or embodied in machines, while
hard technologies are about efficiency and automation. Hardness does not imply physical machinery:
it can be entirely embodied in non-corporeal processes. For example, the edict to stop at a red light is
a fairly hard technology that generally demands adherence to the rules, while the principle of driving
on the left (or right) is softer and can be bent. Equally, the most physical of objects can be a very soft
technology: a screwdriver is a very soft technology because it has infinite uses (Kauffman, 2008). A
programmable computer, while filled with the hardest of machinery, is perhaps the softest technology
yet invented because it can become almost any other machine and embody almost any other
technology, if only in virtual form. However, the skills needed to do that have, until recently, been
hard to acquire. This is perhaps the origin of the perceived need for digital literacy. We know that the
machines can do whatever we want them to do but, for most of us (even those who are proficient
programmers) this is a difficult task. We see limitless possibilities but are aware that most are out of
the reach of most of us because the technologies are extremely soft and, consequently, they are
extremely hard to use.
To a greater or lesser extent, the vast majority of technologies are assemblies of both soft and hard
technologies. To harden is to automate, and automation reduces the need for thought and decisionmaking. This is often a good thing, because it means that hard is easy. It does not take a lot to train a
person to use a completely automated system: there is almost no need at all to provide digital
literacies if those digital technologies are so hard that they deny choice to their users. A light switch
that contains a processor which varies intensity and duration of lighting according to the time of day
is a digital technology that requires no significant training to use. It may be more complex to learn
how to use a cash register but, again, the concept of literacy is largely meaningless in most cases: it is
just a tool that does one thing and we just need to learn how to do that each time we encounter such a
system (of course, many of the surrounding processes and procedures that reflect its context of use are
another matter altogether). However, hard is inflexible, potentially dehumanizing and, especially in a
field such as learning, can greatly reduce the capacity for creativity and control. Franklin calls such
hard technologies prescriptive, because they take away the potential for humans to make choices
(Franklin, 1999). She contrasts these with holistic technologies, which increase our capacity for
creativity and self-determination: the knitting machine in a factory is prescriptive because it demands
little of its operators but restricts what they can do. Knitting needles, on the other hand, are holistic
because they can be used in an indefinitely large number of ways. However, they are inefficient,
prone to operator error and are difficult to learn. When we are talking about digital literacies we are,
almost exclusively, talking about those parts of the technology assembly that veer towards the softer
end of the technological spectrum. A word processor is moderately hard (at least until we learn its
macro language) and relatively simple to learn, on the whole: not trivial, but the biggest challenges
are in applying the tool rather than making it work. A web browser, even more, does what it does:
once we know how to press buttons and follow links, the tool itself is moderately hard (though web
sites we visit may not be at all). A spreadsheet, on the other hand, is very soft indeed. It is a deferred
technology (Patel, 2003) which can become many other technologies depending on how we create
and use formulae in its cells, and its contexts of use can make it even harder. This makes literacy in
spreadsheets of a different kind and complexity than literacy in word processing or web browsing. A
similar issue relates to a number of social technologies in which form emerges after the design: social
networks, wikis, tag clouds and so on. In such systems the soft technologies such as social norms,
privacy behaviours, rules of conduct and so on are at least as important to understand and manipulate
as the tools that enable such behaviours. A wiki can do anything that a learning management system
can do but, in order for it to work, all of its users have to understand and agree a great deal more about
the rules to use it and the teacher who designs it and accepts work presented on it has to do a great
deal more to achieve the same results. The benefit is far greater flexibility, but the cost is difficulty.
Soft is hard, and hard is easy.
Where technologies are hard, the concept of literacy is barely relevant: knowing what happens when a
button is pressed or where to find the tool you need on a menu of options. The softer technologies
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become, the more likely it is that degrees of competence will be needed and the greater the barriers to
achieving that competence. This implies two things:
1) the competencies we should be nurturing for digital literacies are not the tools themselves but
the processes, overlays and soft techniques that are assembled with those tools to create the
technology: soft technology literacies, not digital literacies.
2) where possible, as we should seek ways to make those soft processes, methods and techniques
harder, thus reducing barriers to competence, but (at least as importantly) be able to reverse
the process again when we need more flexibility
I will treat each of these approaches in turn.
Nurturing soft technology literacies
While some digital tools contain a lot of details that must be learned, achieving competence in
pressing buttons and so on is not a great challenge for most able people. This is even true when the
pressing of buttons has to follow a particular order and/or respond to specified stimuli. Where things
become difficult is the point at which we have to put that button-pressing to some novel use.
Notice that there are, at least superficially, some important differences between most digital
proficiencies and most analogue skills. Take proficiency in the playing of a musical instrument as an
example: to make the right noises at the right times in all but the simplest of instruments requires
dexterity, control, mastery of intonation, rhythm and many other things: these are the soft skills.
There are a few exceptions, but these are mostly digital, in the sense of being discrete: the organ,
harpsichord or autoharp, for example, while requiring great skill in timing and fingering, are less
demanding of other motor skills. This synergetic interplay between human and tool is similarly true of
most tool use: from a screwdriver to an electric drill, care and dexterity are needed in order to operate
the machinery, while the ways that we use our tools are highly influenced by small or large features of
the tools themselves. Any guitarist will tell you that a difference of a millimeter in the action of a
string might as well be a mile and even apparently identical instruments have to be played differently,
at least by experts, because of barely measurable variations between them. The same is true of
screwdrivers, pens, paintbrushes and many other tools we use. Even a complex and highly automated
piece of machinery like a car can be driven in myriad ways and an experienced driver will always
recognize differences between superficially identical cars from the same production line, or variations
in oil, fuel or suspension. In the case of computing equipment, this is rarely the case: generic
keyboard skills remain an issue in some cases and, of course, some interfaces are designed precisely
to emulate the kinds of nuanced interactions of traditional tools (notably in games, art and music
applications as well as in more recent touch/motion sensitive interfaces) but, especially when looking
at their use as tools in the workplace, the need to master digital technologies does generally not lie in
manual capacity to make the device itself work in the first place. Similarly, most software is not, of
itself, complex to use when viewed as a manual task. The complexity is in its application: knowing
which phenomena it is utilizing, and to what purposes it is being put. To understand this is, in part, to
understand the mind of its designer although that may not be enough. For example, a spreadsheet, an
extremely soft technology when it is opened to a blank sheet, contains only latent possibilities, the
vast majority of which could not be known by its designer (Patel, 2003). This is true even for tools of
fairly fixed functionality. As a teacher of network management, one of the main lessons I expect my
students to take away is that intervening by providing a faster or more reliable or more secure network
will change the expectations and behaviours of the people who will use it, which will mean that the
problems they were designed to solve will be replaced by new ones or maybe even exacerbated: if
you increase the range of the adjacent possible, a superficially similar technology becomes something
new.
Being literate in digital technologies is not being able to use tools, but beingable to apply those tools
in a context of use knowing both what they are capable of achieving and what is meant to be achieved.
Unfortunately, the infinitely deep spectrum of both sides of those possibilities means that we can only
hope to achieve literacy in a small subset of possible tools and, though these are familiar and easy to
describe in today’s business context, both ends of the adjacent possible are shifting fast as we use
them and our different uses of them make them into different technologies: as tools change, so the
phenomena they use change and so the possibilities of use change too, and so the technology changes
us and is changed by us on a continuous basis. The case is a magnified version of that of the simple
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stick or screwdriver: what makes these technologies is not the tools but the ways they are used, each
distinct use making them into a new technology.
Making soft technologies harder and vice versa
Removing the need for complex digital literacies is an alternative to enabling greater soft technology
skills. To do this involves creating tools that are hard, restrictive in their possibilities. The problem
with making soft processes harder is a) that it is typically difficult to do so for non-technologists and
b) that (as we have noted) hard technologies are effective because they reduce choices and severely
constrain creativity and the things we value in human beings. The difficulties are not insuperable,
however, and much progress has been and is being made both commercially and in research labs. The
essence of the solution is in blurring the edges between soft and hard, in enabling movement in one
direction of the other so that we can choose how much choice we have, bearing in mind that choices
make things harder but constraints, though making things easier, reduce flexibility and creativity.
Making a soft technology harder is a relatively well known problem in the computer industry, that
decades of research in computer science, software engineering and information systems analysis and
design has conquered fairly successfully, at least in some contexts. Hardening a soft technology such
as a business process, a manual system or a shopping till offers many benefits in efficiency, cost and
freedom from error and that has been the main focus of computer science since the 1950s. However,
to do this effectively there is a need not just for literacy but for expertise. What is needed are means to
allow relatively unskilled people to do the same thing as the experts. One method for achieving this is
through assembly: taking small pieces of known hard functionality that are designed by experts and
adding them together, much as a prefabricated house can be built from reusable parts, thereby
reducing the need for skilled craftsmanship at the point of assembly. There are many examples of
Mashup tools available that, though still not sufficiently simple for an untrained user to employ, are
many times simpler than most programming languages and application building tools. For example,
Google Gears, Yahoo Pipes, Netvibes and many other web-based tools can package complex
functionality in small pieces that can be assembled with simple text commands or even drag and drop
interfaces, allowing one to build systems that pull in rich functionality from many sites, feeding one
site’s input with the output of another. Such applications can show dynamic information, enable social
interactions on formerly static sites, show geographical information about site visitors and much more.
Simpler tools are available to social site users: for example Facebook apps, or OpenSocial apps may
be used to customize and build highly individual, somewhat hardened sites from smaller pieces.
Making a hard technology softer is typically more difficult and can be achieved in only two ways:
either by modifying, removing or radically changing the technology itself or, and here is becomes
interesting, by assembling it with further technologies. It may at first appear that I am offering the
same solution for both hardening and softening and to an extent that is true. However, perspective is
important here: what is a soft technology for one person may be hard for another. For a programmer,
the computer is a very soft technology but to a person operating a cash register designed by that
programmer it is very hard. Similarly for assembly: the assembler of a hard tool will find the tools for
assembly soft whereas the end user may not. To allow assembly to be an effective means of softening
means to put the power of assembly in the hands of the person who wishes to soften the technology.
For example, a learning management system may act in some ways as a hard technology because it
automates some processes that were formerly soft and easily changed – assignment submission,
objective quizzes, allocation to classes and so on. As teachers, we can overcome such restrictions by
changing the system itself (perhaps through tools that enable customization) or, more simply, by
bypassing it and replacing the parts we find restrictive with other technologies. If we do not like the
ways that assignments must be submitted, for example, we can simply replace it with a softer
approach, such as emailing the work. However, in doing this we are placing a greater burden of
decision making and introducing greater opportunities for error. In this sense, softer is harder for the
creator of the system and, very likely, those who are using it as a source of learning. And, whichever
method we use, the system itself is becoming softer for the creator of it, not necessarily its end users.
The ideal technology would be hard when we need it, thereby making things easier for us, but soft
when we do not want or need the restrictions. This is not a simple task. Customizations provide one
route: most programs, be they on client computers or servers, allow a fair degree of customization:
preferences panels, editable profiles and so on are all ways that some flexibility can be introduced to a
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hard system. However, the more options we provide, the less likely they are to be used and the more
complex the task becomes: before long, the skills and competences needed to make those
modifications override the benefits of customization they bring. For instance, while macros are great
time-savers and can help to deskill complex activities in word processors, making effective use of
them requires similar programming skills to those needed to build the word processor in the first place.
To be digitally literate as a user of a word processor’s macros is a very different competence than to
simply use it to type.
A more promising approach than radical modification is to employ modularity: building technologies
out of small, self-contained pieces that can be removed and replaced at will. The computing
community has long known this principle and makes good use of it in object oriented, object based,
service based and aspect oriented systems. Many server-based systems such as Drupal, Moodle or
Elgg use a plugin-based architecture that allows administrators to add functionality and tools to a
system and customize it to suit most needs. However, few of these systems are aimed at those who are
not experts and, while softening the servers for those people, they remain as hard (or soft) as ever to
end users.
If modularity is to be used by the general populace of those who do not wish to become experts, a
different approach is needed. The most promising of these is the use of widgets. Widgets are small
applications that can be added and manipulated by end-users. Their use is widespread in mobile
phones (Nokia, WebOs, iPhone, Android), desktops (MacOs widgets, Windows Gadgets) and web
sites (Google Gadgets, NetVibes, Yahoo, Elgg). The W3Consortium has specified a set of standards
for widget creation that allow them to be created or adapted for use on many platforms, and systems
such as Wookie (http://incubator.apache.org/wookie/ ) have been designed to enable their use on
many different systems. For example, the same Wookie widgets can blend fairly seamlessly with an
Elgg, a Blackboard, a Sakai or a Moodle system.
A similar modular philosophy, albeit with less innate integration, underlies the simple use of apps on
systems such as Android or iOS (used on iPad, iPod and iPhone machines). In the past we used to buy
large applications that did many things in the hope that they would fulfill most of our needs. Now, if
we do not already possess the functionality we need in existing apps, we simply download and install
an app that does what we want, a typically painless process that often takes seconds or, at most, a few
minutes to accomplish. They may not be well integrated but, as long as there is some means to
exchange data such as Boxnet, Dropbox, MobileMe or even email, the integration is often enough to
make complex tasks not only possible but easy, using each succeeding app to process content as
needed. This is one of the ways that iPads and similar tablets represent a radical departure from
traditional personal computers: a collection of apps is a customized technology assembly of tools,
with each app acting as a component in a toolset rather than a complete solution to every need in a
given context. For example, I might download a PDF file into an app that allows written annotations,
annotate it, open it in a further app to attach sounds, and pass it to an email client to send it to a
recipient. The complex process is broken into simple, easily learned chunks using tools that require
almost no learning curve in order to become a proficient user. Compare this with the learning curve
needed to manage the same process in Adobe Acrobat on a personal computer such as a PC or Mac,
and the difference becomes clear. Instead of learning to use a large and complex application which is
capable of many things that we do not necessarily need (right now), we choose simple tools that do
what we want.
Context switching
We have been working on the problem of making hard technologies softer and vice versa, in a manner
that is accessible and usable by people with little or no training. The system I will describe here is far
from a cure-all for every technological skill deficit and is only a step in an evolutionary process, but it
illustrates an approach to thinking about the problems that may be more broadly applicable, taking the
concept of softening and hardening through assembly and applying it to a particular sociotechnological system.
We have built an installation of social software using the Elgg (http://elgg.org) framework, known as
Athabasca Landing, a site to support the community of Athabasca University, both in formal and
informal learning. The Elgg framework is a very small core of code, with the vast bulk of a site’s
functionality being added as plugins – small pieces of code that extend or modify the site to do other
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things. At the time of writing there are around 1000 of these available and nearly 80 of them installed
on our server. For a technically oriented programmer, they are fairly easy to modify and extend and
trivially easy to install. However, assembly of such plugins is very much a task for system
administrators so, although it greatly simplifies the creation of a complex site in the first place, it
offers little to end users apart from faster turnaround on requests for changes. For the end-user, Elgg
provides widgets, small chunks of functionality that can be dragged onto their profiles (public/semipublic web pages) or dashboards (personal private spaces). This means that a user can present a
customized façade to the world showing things that they find interesting (group activities, bookmarks,
blog posts, pictures, videos, wiki pages, discussions, external blog feeds, Google Gadgets and more)
and create a customized space of their own to assemble a personal learning environment. A very
powerful access control system allows individuals to specify precisely who can see every item they
post, giving a great deal of control over what is seen by whom. A similar functionality exists for
groups, that anyone may create.
For those familiar with Facebook, Orkut, Myspace and other social sites, though Elgg’s access and
privacy control is far better than most, this is fairly familiar territory. However, much as with most
social sites, unless one creates a special separate group for the purpose, what is presented through
one’s profile is a filtered view of one thing: some visitors see more, some see less, but it is simply a
filtered version of the same content. In real life, people shift between multiple networks, have
multiple needs and present multiple personas, depending on the context they are in, and this often
changes many times in the course of a day, as well as shifting over time.
Our first innovation is to make widgets more configurable to allow them to show a more controllable
range of items – specified pages, posts, bookmarks, images etc. The next is to provide the user with a
tabbed interface intended to be presented to different subsets of people, each with the usual finegrained access controls. For example, people can create private tabs for different aspects of their own
interests (e.g. research, teaching, friends), personalized tabs for their friends, shared tabs for their
public personas and portfolio tabs to show off specific aspects of their work and interactions. Each tab
has its own look and feel, its own specified widgets with customized content, and its own access
controls, all managed through a friendly, simple drag and drop interface within a user or group’s own
profile. A teacher wishing to build a course site can do the same thing as a learner, customizing the
content and interaction of the group to suit teaching needs, pulling in widgets to suit different needs
and different purposes from a large pallet of available tools. Additionally, although Elgg already has a
rich set of tools for grouping individuals for access control and to follow their activities, we are
extending this capability to enable richer differentiation than the typical ‘friends’ connections of most
social networks, making it simpler to create tabs that are accessed by only the people that they have
been made for.
In effect, we are allowing people to create a wide variety of social sites for themselves, as soft or as
hard as is needed, without significant skills or training needed beyond those most already have as a
result of using the Web. In some ways this resembles systems like Ning (http://ning.com) a social
website creation system. However, while Ning and similar sites allow you to build customized
individual whole social sites, our system allows people to shift in and out of multiple contexts
smoothly and at will within the same social space, between hard tabs with specified purposes to softer
ones with open-ended rules, from presenting professional personas in one context to friendly personas
in another, from one working context to another, all the time having access to the same rich and
powerful social network that underpins it all. The Context Switcher tools, combined with Elgg’s
already powerful simple toolset, make it possible to harden soft technologies and soften harder ones
through a process of assembly and customization. As needs become more highly specified, tabs can
be created that automate, guide and constrain, reducing the need for steep learning curves. Where
needs are vaguer and soft, tabs can be made to support a richer range of options so that individuals
and communities can evolve soft processes without constraint, hardening them only if and when it is
appropriate to do so. While we have a long way to go before we can allow people to configure their
tabbed interfaces to be as hard as they can be, embedding different processes as well as structuring
and organizing the environment, we have already made it possible to shift the locus of control one
way or the other from softer to harder systems, with almost no need for complex skills to do so.
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Conclusions
We are fast approaching a point where new digital technologies are changing and developing so fast
that, at least in the important soft technological processes that surround them, it will be impossible
and undesirable to gain fixed competencies in their use: our best hope will be to learn and re-learn
each technology as it changes. The situation is far from hopeless, however. On the one hand, old
technologies seldom die and the process of replacement is slow enough for hard-won skills to remain
useful for a while. Equally, digital technologies are becoming far simpler to use and the learning
curves shallower, so the most important problem is not in gaining skills but in gaining familiarity,
knowledge of what is available and access to it. Again, in the longer term, this problem is being
slowly solved, as more and more (still not enough) people gain access to the tools and the means of
discovery become easier and more reliable – Apple’s App Store, Google’s MarketPlace or the Elgg
Community plugin site, for example.
In the longer term, to preserve the strengths of the best technologies, they need to be more easily
adapted to our needs than the last generation and, again, great progress is being made. Tools such as
our context switcher, the apps on an iPhone or widgets on a website can help to manage the complex
soft processes that make digital technologies so difficult to use, allowing us to harden the difficult-soft
and to soften the rigid-easy, bringing our tools into line with our needs rather than being forced to
adapt ourselves to our tools. In doing so, they are enabling a process of co-evolution, adapting
themselves and adapting us as they change. As McLuhan put it, “we shape our tools and
thereafter our tools shape us” (McLuhan, 1964).
In order to take our analogue literacies and make them digital, we need to get away from the notion of
ourselves as mere users of tools but, taking advantage of the power such technologies bring, to
become their creators too. In this way, we can regain control of the inherently uncontrollable and, in
return, become analogue again. By freeing up time and resources spent fruitlessly imbuing learners
with digital literacies we may better deal with the far more pressing concern of enabling greater
access to those digital tools.
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アナログリテラシー
ジョン・ドロン(Jon Dron)
技術拡張知識研究所 (TEKRI)
アサバスカ大学、カナダ
はじめに
本論文では、技術理論と技術の発展を踏まえて「デジタルリテラシー」という概念を探る。
私の主な出発点は、技術の急速な展開によってあまりにも急激にスキルが陳腐化し、不必要
なものになってしまうために、我々が重視すべき能力は、伝統的なスキルのセットを得るた
めに育てる能力とは種類が異なること、また、デジタル技術の進化により、先ず何よりも専
門的なスキルのセットがますます不必要になっている、という馴染みのものとする。さらに、
デジタルリテラシーはあまりにも多様であるために、そもそもこの言葉を使うことには意味
がない。コンピューターは普遍的な機械であり、普遍的環境であり、普遍的媒体である。そ
してデジタルリテラシーには、携帯電話、テレビやフォトフレームの使用からウェブ閲覧、
文書作成、画像・メディア編集、データベース操作、プログラミング、ハードウェアのハッ
キングやネットワーク管理、ソーシャルネットワーキングサイトの社会規範、仮想世界での
同期/非同期コミュニケーション、チャット・ディスカッションフォーラム、情報科学スキ
ルまで、もっと言えば照明のスイッチを押すことやシャツを着ることまで、あらゆることが
包含されるからである。本稿では、この分野を共進化する生態系として検証する。この生態
系の中で我々は、後になってソフトウェアおよび/またはハードウェアに組み込まれるかも
しれない、あるいは組み込まれないかもしれない、ソフトで人間的な技術プロセスを通じて、
隣接可能領域を押し広げて行くのである。また、必要とされる専門知識はデジタル技術にお
けるものではなく、ハードなシステムをソフトにし、ソフトなシステムをハードにする手段
を組み込む技術を設計し利用し、デジタル能力ではなくアナログなスキルを応用するための
新たなアプローチについてのものであることも検証する。この意味においては、我々が機械
について学ぶことだけが重要なのではない。機械も我々について学ぶべきであり、我々すべ
てが、自分自身とニーズの変化について機械に教えることができなければならないのである。
このことが、新たな技術と、当初にデジタルリテラシーが必要であることを明らかにした技
術とを区別する新たなパラダイムであり、デジタルリテラシーという概念をますます不必要
なものにし、我々がアクセスという、もっと差し迫った問題に努力を集中することを可能に
する新たなパラダイムであることを示したい。
重要な相違
互いに密接な関係性を持つ一方、かつ読み書き、算数、社会的スキル、音楽、発表スキル
などの他の中核的能力とデジタル・スキルとを非常に異なるものにしている点として、少な
くとも以下の 3 つを挙げることができる。
1) デジタル技術の展開があまりにも急速なので、デジタル・スキルは寿命が短い
2) デジタル技術は、我々がこの技術について学ぶよりも速く我々について学ぶことが可
能であり、実際に学んでいる
3) デジタルリテラシーはきわめて多様で、その多様化のスピードは加速している
以下のセクションで、この 3 つの点について探り、それらが互いにどのように関係してい
るか、また、それらはあらゆる技術の性質についてもあてはまるが、デジタル・システムの
場合にはそれが特に強調されることを観察する。これにより、これまでとはわずかながら違
ったやり方でデジタルリテラシーを検討するための土台ができる。技術システムがそれを利
用する人や社会と同様に積極的な役割を果たす、ソフト技術とハード技術の相互作用を伴う
共進化のプロセスとして、デジタルリテラシーを考えるのである。
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寿命の短さ
1970 年代に初めてデジタル技術に出会った時に私が学んだことは、現在ではきわめて限
られた価値しかもたない。演算を行うために紙片にパンチ穴を開ける方法を私がかつて知っ
ていたことは、私がオーブンを使えたり iPad で本を読んだりできることにとってほぼ何の
関連性もないし、細々とした一連の期待を設定するに際して、私が新たなデジタル技術を学
習する能力を実際には阻害するかもしれない。少なくとも最初の頃には、以前に学んだこと
を土台とする私の学習には明らかに漸増的な進歩があったが、1 枚のパンチカードやメモリ
のないコンピューターを初めて前にした時の私のおぼつかない足取りと、現在私が必要とし
ている社会的、技術的な知識の豊かな厚みとの間にある隔たりは途方もないものであり、こ
の隔たりは広がりつつある。だが、問題なのはスキルの違いだけではなく、スキルの必要が
ないことなのである。断絶は増しつつある。コードを作り上げたり、ネットワークを構成し
たり、ネットワーキング上のトラブルを解決したりする能力は、iPad の時代においてもある
程度の有用さを維持しているかもしれないが、iOS のオペレーティング・システムの新バー
ジョンが発表される度に、こうしたスキルの必要性はさらに減少している。おそらく現在残
っている最も有用なデジタルリテラシーは、故障したシステムを再起動させるべき方法と時
期を知っていることである。少数の例外を除けば、デジタルリテラシーが読むことや算数の
リテラシーとは違って一時的なものであることは、随分前から知られていた。キーボードを
打つスキルなどの基本的知識はある程度一貫して残るが(それさえも、急速に脇に追いやら
れつつあるが)、デジタル技術はあまりにも変化が速いために、わずか 1 年か 2 年前の専門
知識が常に伝えるに足るものであったり有用であったりするわけではないのである(Walker,
Huddlestone, & Pullen, 2010)。ただし、我々が漸増的に技術の更新を続ける限りにおいては、
スキルが概ね他のスキルの土台としての役割を果たし、変化のプロセスがそれほど辛いもの
ではなくなる可能性がある。このことから一部の人々は、デジタルリテラシーの本質は根本
的に、適応し、新たに学ぶ能力であると考えるに至っている(Crane et al., 2002)が、この
能力は人生のほとんどの事柄についての前提条件であるため、こうした行動を情報・通信技
術の文脈に当てはめて説明することを別にすれば、特にデジタルリテラシーに特有のものと
は考えにくい。
急速な多様化とそれに関連した可能性
デジタル技術が適用されるものごとに包含されるリテラシーの数、範囲と幅は何層倍にも
増えている。デジタルリテラシーを 1 種類のものごとに関係するものと考えることは意味を
なさず、俯瞰的に見た場合でさえ、デジタルリテラシーは社会、情報、自動車、コンピュー
ター、政治、組織やその他数多くに関するリテラシーを含めた数多くの側面から成り立って
いる(Ng, 2010;Sharkey & Brandt, 2008)。デジタル式のドラムセットを操作するのに必要
なスキルとコンピューターのプログラミングを行うのに必要なスキルの間には、光年単位で
測るほどもの隔たりがある。Facebook のプロフィールを効果的に処理するのに必要なスキ
ルは、ウェブのブラウザを動作させるためだけにスマートフォンを使う場合は別として、ス
マートフォンの操作に必要なスキルとはほぼ全面的に異なっている。キーボードを操作する、
ブラウザでウェブを見て回る、またはフォームに入力するといった基本的なスキルでさえ枝
分かれしている。私はいまでも、そうしたければ携帯電話の Android を通じてこうしたスキ
ルを用いるが、専用のアプリや別の入力デバイスを使えば、こういったことをほぼ完全に回
避することは可能である。ファイル・システムに入っているファイルを操作する能力は、デ
ジタルカメラや Windows コンピューターではまだ便利に使えるが、iPad を使う場合にはほ
ぼ全く役に立たない。ディスカッションのフォーラムでのネチケットを知っていることは、
Facebook のウォールやツイッターではごくわずかな価値しかない。ネットゲームをプレイ
するのに必要なのは、TiVo(訳注:デジタルビデオレコーダーの製品名)をプログラミン
グするスキルとは全く別のものである。デジタル技術は信じられないほど多様で、その程度
はおそらくすでに古いアナログ技術を上回っており、急激なスピードで多様化が進んでいる。
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これに対処するためのスキルを提供しようと試みる前に、多様性がどのように実現している
の か と 、 生 じ る 影 響 に つ い て の 明 確 な 理 解 に 達 す る こ と が 重 要 で あ る 。 Kauffman
(Kauffman, 2000)は、複雑なシステムの複雑性は、予測可能で急速に高まるという、単純
だが奥深く、十分な調査の裏づけによる見解を示した。新たな適応または変化が生じると、
それらは生態系全体を変異させ、以前は存在しなかった新たな可能性を導き、その他の可能
性を失くすというのが、歴史をもつあらゆるシステムの性質である。新たな展開のそれぞれ
が、隣接して可能な(そのほとんどは決して発生しない)さらなる展開の数を増す。従って
我々は、複雑さが増し、大規模に消滅していく事象(その内のいくつかは、当然ながらこう
したシステムから発生することを Kauffman は示唆している)を阻止しながらさらに大きな
複雑性を目指して加速する世界を目にしているのである。これはダーウィン論的な自然進化
において顕著な傾向であるが、ラマルク進化論的な性質がより強く、遺伝型だけでなく表現
型への変化も永続化して複製される技術的成長のようなシステムにおいては、この傾向が非
常に大きい。複雑性の上に複雑さが築かれてとめどなく続くサイクルにおいては、変化がさ
らに大きな変化を生む。各世代がもっと単純だった時代を顧みるのは、郷愁からだけではな
く、本当にその時代が単純だったためである。
Franklin が観察しているように、すべての技術が等しく解放的なわけではなく、一部の規
範的技術は関連する領域での可能性を導くのではなく、むしろ消失させるものである
(Franklin, 1999)。ただし Kelly が述べているように、技術が実際に死に絶えることはほと
んどなく、我々は今や学習用石板や馬に引かせる脱穀機などには大して用がないにもかかわ
らず、こういったものは世界のどこかでいまなお製造され、維持されている(Kelly, 2010)。
このことは、廃れた可能性が取り上げられる公算が低くなり、ますます遠いものになっても、
新たに関連する可能性がほぼ常に付け加えられていることを意味する。
おそらく遺伝学を別にすれば、コンピュータ・ソフトウェアの設計ほど急速かつ豊かに関
連領域での可能性が拡大している分野はないと言えよう。デジタル・スペースが途方もない
発展性をもっているということは、演算可能なマシンまたはデジタル・オブジェクトを創り
出すためにデザイナーに必要なのはインターネットに接続したコンピューターだけであり、
利用すべき既存のコードやコンテンツが大量にあるために、関連領域での可能性が果てしな
く続いて急速に拡大していることを意味している。新種のデバイスやプラットフォームが現
れるにつれてその可能性はさらに拡大し、仮想生活のみならず現実生活のすべての隙間へと
入り込む。創作のためのツールが単純になるにつれて、我々が創作し得るものごとの形式や
モデルはさらに複雑になる。
Charles Babbage の初期の計算機の設計や、Ada Lovelace 伯爵夫人の作り出したコンピュー
タ・ソフトウェアにさかのぼる一連の発明に、いまでも密接に結びついているデジタルリテ
ラシーもある。プログラミングの分野はとてつもなく変化して、プログラマーが自由に使え
るツールは精緻化のきわみに達しているが、基本原理はいまでも 19 世紀当時のものと同じ
である。ただし、プログラマーになること(我々がコンピューターのユーザーになる可能性
のわずか 1%にすぎない)が我々の目標でない限り、これはほとんど役に立たないリテラシ
ーである。
関連領域の可能性とその行きつく先が暗示しているのは、デジタルリテラシーは我々がそ
れに追いつくためのスキルを提供できるよりも速いペースで我々から遠ざかりつつあり、そ
の加速化は不可避的に否応なく高まるため、我々が差し当たってどのような短期的な解決策
を発見しても、それはきわめて近い将来にほぼ無用のものとなり、最終的には全く無意味な
ものになるということである。さらに悪いのは、スキルを提供しようとする我々の試みがデ
ジタル技術についての特定の世界観につながることによって、我々が何の介入も提供しなか
ったとした場合よりも、本当を言えば学習者がさらに困った混乱に陥る可能性があることで
ある。習慣を捨て去ることの方が、習慣を身につけるよりも難しいことは多い。私は最近、
iPad や、目に見えるファイル・システムをほぼ使わないで済む Elgg などの様々なソーシャ
ル・システムの限界に関して続いてきた議論をしていて、このことに気付いた。階層的フォ
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ルダーとサブディレクトリをもつファイル・システムという考え方は、1960 年代に現れた
かなり近代的な発明だったことを覚えておくべきである。ファイル・システムは、自由なテ
キスト検索に時間がかかり、多面タグは発明されておらず、意味論的ファイル・システムと
いう言葉など聞いたこともなく、リレーショナル・システムやオブジェクト指向システムが
隣接可能領域になる数十年前に、人々がファイルの跡をたどるのに役立てるための手段とし
て設計された。これが最善の選択肢だった時代である。これが提供されて利用可能になる頃
には、分類法、語彙や慣習の発明という点で大量のユーザーを必要としたこの人工的でぎこ
ちない組織化手段に、何世代にもわたるユーザーが慣れるようになっていた(Faubel &
Kuschel, 2008)。このシステムは常識や人間的ニーズというよりは、ハードとソフトの制約
によって決定されていた部分の方が大きかった。しかしその明らかな欠点のすべてにもかか
わらず、我々はその使い方を学び、それになじむようになり、期待するようになり、今では
別のアプローチに直面して多くが不満をもらすようになっているのである(eg. (Hussey, 2010;
Nelson, 2010))。
我々がコンピューターについて学ぶよりも、コンピューターの方が我々について学んでい
る
過去 50 年間における演算力の増加の大部分は、ただ 1 つの原則、すなわち演算をもっと扱
いやすいものにすることに捧げられている。ビットやバイトを目立たなくし、使いやすくし、
マシンをもっととっつきやすく、使いやすく、人間的なものにするのである。このことは、
商用計算の最初期から加速してきたトレンドである。この領域のもう一端では、機械が姿を
消してきている。我々は自動車やクレジットカード、調理家電、テレビ、グリーティングカ
ードや電話、ドアの警報装置、エレベーター、ペット、屑カゴ、トイレ、墓石、や衣類など
に急増している無数のマイクロプロセッサやチップをほとんど意識していない。これらの多
くには、数十年前の最上級機器も真っ青の演算力がある。多様性の高まりが巨大なトレンド
である一方で、技術レベルで複雑性が高まったことの一貫した結果は、おそらく逆説的では
あるが、大多数のエンドユーザーにとっての複雑さの低下である。Kuhn の言うパラダイム
シフトのように、我々にできることを根本から変える飛躍的進歩やイノベーション(例えば、
PC の出現、ウェブの成長や最近のタブレット型コンピューターへの移行がそうだと言えよ
う)を別にすれば、他の何よりも市場の要求によって推進されているデジタル技術の複雑性
の高まりのほとんどは、エンドユーザーの体験を向上させる、つまりより多くの人々にとっ
て機械をもっととっつきやすいものにすることに主眼を置いている。ディスプレイ機器、マ
ウスやハイパーテキストなどの初期のイノベーション(主に Douglas Engelbart によるもの)
から Alan Kay のグラフィカル・ユーザインタフェースまで、また今日の iPhone や iPad(興
味深いことに、1970 年代の Kay の Dynabook に関する研究へとさかのぼっている)まで、コ
ンピューターの物語はインタフェースと相互作用デザインの容赦ないまでの改良の物語であ
った。
技術がどのように変化しようと人にとって一貫した価値をもつようなリテラシーの幅を突
き止めることがたとえ可能であったとしても、コンピューター装置の変えようもないトレン
ドは、あまりにも使うのが簡単であるために、あらゆる点から見て目立たなくなる方向を向
いている。iPad とその先駆者やいとこにあたる装置の最も画期的なことがらの 1 つは、効果
的な使い方を学ぶために必要なマニュアルがほぼ 1 ページで済むということである。我々が
購入するかもしれない、いかにも目立つ汎用のコンピューターのような機械以外に、我々は
調理器具からドア用警報装置、家庭用オーディオシステムまで、それがあることにさえ気付
かずに、デジタル装置を常に使用している。要するに、機械についてのリテラシーが機械そ
のものによって置き換えられており、機械はゆっくりではあるが確実に我々の働き方を学び
つつあり、その逆ではないのである。機械はますます、それを使用していることを我々がほ
とんど意識せず、使用するためのスキルがあったとしてもそれをごくわずかしか要求しない
ようなやり方で設計されるようになっているのである。
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機械を使用するスキルが姿を消しつつある一方で、その使用目的から生じる新たなスキル
は常に増大しつつある。新たな関連する領域の可能性が発生するにつれて、便益とリスクの
双方をもたらす。たとえばソーシャル・ネットワーキングの遍在性はプライバシーとオンラ
イン・アイデンティティという、それに対処する備えのある者がほとんどいないような大き
な規模をもつ新たな難問の蓋を開けたが、その最たるものが、新技術が我々をどのように変
えるかを認識するという点でのスキルが古い世代と同程度でしかない、いわゆる「デジタル
世代」である Mark Zuckerberg がプライバシーは死んだと主張する(O Brien, 2010)時に、5
億人いる彼の Facebook のユーザーの内で、このメッセージを完全に理解した者の数は比較
的少数だろう。こうした問題が関係しているのは、技術がデジタルであるか否かではなく、
デジタル技術がどのような変化をもたらし、それがどれだけ早く展開し、増幅するかである。
不運なことに、このことに対処できる態勢が完全に整っている者が我々の内にいるとしても、
それはごく少数であり、我々がその態勢を整えるようになるにつれて、戦う場は変化するの
である。
解決策を求めて
我々がデジタルリテラシーという概念を、近い将来ではなく生涯にわたって有用で適用可
能であり続けるものに変えようとするなら、現在人気のある技術のスキルを提供する以上の
ことをしなければならないことは明白である。そこで、興味深い最新の技術がデジタル技術
であるという偶発的な事実に集中するのではなく、技術的なリテラシーそのものの性質を考
えることを提案する。ただしこのことは興味深い一連の問題を提起し、その中で最も注目に
値するのは、デジタルであろうとなかろうと、先ず何かを技術に変えるものについての我々
の理解の奥底に深く埋もれている混乱である。
技術とは何か?
技術を光るもの、湯気を立てるもの、煙をあげるもの、閃光を放つものと見なす、一般受
けする素朴な見方がある。テクノロジーを売る店へ行くと目に入るのが、こういったもので
ある。しかしほんの一瞬でも考えれば、技術はこれにとどまらないはずであることが明らか
になる。目に見えないものごとは別にしても、技術の定義にはその用途についての何らかの
検討を含めなければならない。例えば森の中に棒が 1 本あれば、火をおこす、樹上にある物
に届くようにする、誰かを殴る、地面を掘って何かを得るなど、何らかの理由があってそれ
を使って何かをすれば、その棒は技術になり得る。その棒を何億本もある棒の中の 1 本から
技術に変えるのは、そのもの自体ではなく、それに当てはめられるプロセスおよび目的と連
動するものなのである。Kauffman は、ネジ回しには、ネジを締めたり外したりすることに
限定されるどころか、潜在的用途が無限数あると一貫して主張してきた(Kauffman, 2008)。
実際、我々が技術を創り出すためには物体さえ必要ではない。我々のもつ法制度、社会シス
テム、ビジネス・システム、教育法、祈祷の儀式その他多くが、最も複雑なスペース・カプ
セルと同様に技術なのである。W. Brian Arthur は、技術とは利用された現象であると定義し
ているが(Arthur, 2009)、これは優れた定義である。ただし Arthur はもう一歩踏み込んで、
技術の事実上すべてが他の技術のアセンブリ(集合、寄せ集め、組み立てたもの)であると
述べている。自動車は車輪、エンジン、座席、ラジオ、パネルなどから成り立っているがそ
のそれぞれが何百万もの他の技術—ベアリング、ボルト、点火装置、タイヤ、トランジスタ、
マイクロチップ等—で構成されている。そして自動車そのものが、道路、橋梁、その他の車
両、道路規則や規制を含む輸送技術の一部なのである。上で見たようにごく単純な棒でさえ、
棒そのものと、それ自体が技術的な性質をもついくつもの、よりソフトな(人間的)プロセ
スと手法で成り立っている。他の技術のアセンブリであるにとどまらず、ほぼすべての事例
において人間的な構成要素をもち、それが主体であることも多い。運転技術は自動車の技術
にとって、それを走らせる車輪と同様に重要であり、他のドライバーのいる路上ではなおさ
らである。
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人間的であるということは、技術的なリテラシーをもつことである。Taylor が一貫して主
張しているように、人間であるということは、技術を利用することである。このことこそが
我々を定義するものであり、我々を今あるものにしている(Taylor, 2010)。言語そのもの
が技術であり、発展し続け、様々な目的(顕著なのはコミュニケーションであるが、おそら
くは複雑な思考そのものさえを可能にすることも目的に当たる)を達成するために我々が使
用するツールセットである。
ソフトな技術とハードな技術
技術文書では「ソフト」と「ハード」という言葉を用いることが多いが、これらの言葉に
ははっきりと異なる 2 つの使い方があることに留意することが重要である。実業界に属する
多くの人にとって、ソフトな技術とは、業務ルール、スケジューリング、組織的プロセス、
生産手法など、大量の物理的要素を伴わない技術に過ぎない(e.g. (Burgess & Gules, 1998;
Hlupic, Pouloudi, & Rzevski, 2002))。Norman と Dunaeff(Norman & Dunaeff, 1993)に倣って
私がここでこだわる言葉の別の使い方とは、ハード技術の眼目が効率と自動化であるのに対
して、ソフト技術はまだ現れていない可能性や潜在力にあふれ、人間的なプロセスであれ機
械に体現されるものであれ、数多くの創造的で柔軟な用途を可能にするものだということで
ある。ハードであるということは、物理的な機械類を意味するわけではなく、物質的ではな
いプロセスに完全に体現することが可能である。例えば、赤信号で停止するという指示は、
おしなべて規則厳守を要求するかなりハードな技術であるが、左側(または右側)走行の原
則はもっとソフトで曲げることができる。同様に、きわめて物理的な物体がきわめてソフト
な技術になり得る。ネジ回しがとてもソフトな技術であるのは、無限の用途があるからであ
る(Kauffman, 2008)。プログラム可能なコンピューターはハードな機械の最たるものだが、
おそらくこれまでに発明された中で最もソフトな技術であるのは、仮想形式においてだけに
せよ、ほぼどのような機械にもなることができて、他のほとんどの技術を体現することがで
きるからである。ただし、これを行うために必要なスキルは最近まで、習得することが難し
かった。このことがおそらく、デジタルリテラシーが必要だという認識を生み出したおおも
とであろう。機械は、我々が機械に望むことを何でもできることを我々は知っているが、
我々のほとんどにとって(熟達のプログラマーにとってさえ)、これは困難な課題である。
我々は無限の可能性を目にしているが、技術がきわめてソフトで、その結果としてきわめて
使いにくいものであるために、その可能性のほとんどは我々の大部分の手の届かない所にあ
るものと認識しているのである。
多かれ少なかれ、技術の大多数はソフトな技術とハードな技術の混合である。技術をハー
ドにすることは自動化を行うことであり、自動化すれば思考と意思決定の必要は軽減される。
これが良いことである場合が多いのは、ハードとは簡単であることを意味するからである。
完全に自動化されたシステムの使い方を人に訓練するのに、多くは要らない。デジタル技術
があまりにハードでユーザーに選択肢を認めないほどであれば、デジタルリテラシーを提供
する必要はほとんどないからである。時刻によって照明の強度と持続時間を変えるプロセッ
サーを備えた照明スイッチは、使用するのに大した訓練を必要としないデジタル技術である。
店舗のレジの使い方を学ぶことはこれより複雑かもしれないが、この場合にも、リテラシー
の概念が概ね意味をもたない事例がほとんどである。1 つのことだけを行うツールに過ぎず、
こうしたシステムに遭遇する度ごとに、そのやり方を覚えるだけで良いからである(もちろ
んそれを取り巻くプロセスと、その置かれている状況を反映する手順の多くは全く別の問題
であるが)。ただし、ハードには柔軟性がなく、人間性を奪う潜在性をもち、特に学習のよ
うな分野においては創造性と制御の能力を大いに低下させる可能性がある。Franklin がこう
したハード技術を規範的と呼ぶのは、人間が選択を行う可能性を奪うためである(Franklin,
1999)。同氏はこれら技術を、我々の想像力や自己決定能力を高める全体論的技術と対比す
る。工場の編機は機械の操作者に対してほとんど要求を行わず、操作者にできることを制限
するために規範的なのである。これに対して編み針が全体論的であるのは、無限に多くのや
り方で使用することができるからである。ただし編み針は非効率的で操作者はミスをしやす
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く、学ぶのが難しい。我々がデジタルリテラシーについて語る時、我々はほぼ専らと言って
よいほど、混合する技術の中で技術範囲のよりソフトな一端へと向かう部分だけについて語
っているのである。ワープロはそこそこにハードであり(少なくとも我々がそのマクロ言語
を学ぶまでは)、全般的に見れば、学ぶことは比較的簡単である。だが些細なことと言えな
い最大の課題は、このツールを動かすことではなく、応用することにある。ウェブ・ブラウ
ザになると、そのすることは決まり切っている。我々がボタンの押し方とリンクのたどり方
さえ知れば、ツールそのものはそこそこにハードである(ただし、我々が行きつくウェブサ
イトは全くハードではないかもしれないが)。これに対して表計算ソフトは、実にソフトで
ある。表計算ソフトは、そのセルの中で我々が公式をどうやって創り出し、使うかによって
他の数多くの技術になる可能性のある、柔軟性のある技術(Patel, 2003)であり、その使用
の状況によってはさらに難しくなり得る。このことによって、表計算ソフトのリテラシーは、
ワープロやウェブ閲覧のリテラシーとは種類と複雑さの異なるものになる。ソーシャル・ネ
ットワーク、Wiki、タグクラウドなど、設計後に形式が現れる数多くのソーシャル技術にも
同様の問題が関係している。こうしたシステムにおいては、社会的規範、プライバシー行動、
行動規範などのソフト技術を理解し、操作することが、こうした行動を可能にするツールと
同様に重要である。Wiki は、学習管理システムにできることなら何でもできるが、それが
機能するためには、ユーザー全員がその使用ルールについてもっと多くを理解し、同意しな
ければならず、Wiki を設計してそこに提示される課題を受け入れる教師は、同じ結果を達
成するためにもっとずっと多くのことを行わなければならない。もたらされる恩恵は柔軟性
の向上であるが、難しさがその代償である。ソフトは難しく、ハードは容易である。技術が
ハードである場合には、リテラシーの概念はほとんど意味をもたない。ボタンを押すと何が
起きるか、あるいは選択肢のメニューで必要なツールを見つける場所を知っていれば事足り
るからである。技術がソフトになればなるほど、様々な程度の能力が必要とされ、その能力
を達成するための障壁は高くなる。このことは、以下の 2 つのことを意味している。
1) 我々がデジタルリテラシーのために育てるべき能力は、ツールそのものではなく、そ
の技術を創り出すツールを使って生成されるプロセス、オーバーレイやソフトな手法、
つまりデジタルリテラシーではなくソフトな技術のリテラシーである。
2) 可能であれば、こうしたソフトなプロセスや方法、手法をよりハードにして、能力に
とっての障壁を低くする方法を求めるべきであるが、(少なくとも同様に重要なこと
は)より多くの柔軟性を必要とする時にこのプロセスを逆転させることができるよう
にすべきだということである。
こうしたアプローチを順番に見て行こう。
ソフトな技術のリテラシーを育てる
一部のデジタル・ツールには、学習しなければならない多くの細目が含まれているが、ボ
タンを押すなどの能力を獲得することは、有能な人たちのほとんどにとって大したハードル
ではない。このことは、ボタンを押すのに特定の順序に従ったり、指定の刺激に反応したり
しなければならないなどの場合においてさえ言えることである。ものごとが難しくなるとこ
ろでこそ、我々はそのボタン押しに何らかの新しい用途をもたせなければならない。デジタ
ル的な熟達のほとんどと、アナログ的スキルのほとんどの間に、少なくとも表面的には何ら
かの重要な相違があることに着目しよう。楽器演奏の熟達を例にとろう。最も単純なものを
除けばすべての楽器において、しかるべき時にしかるべき音を出すには、器用さ、制御力、
調音、リズムその他、数多くのことがらの習得が必要である。これらはソフトなスキルであ
る。少数の例外はあるが、こういったことは、別個のものであるという意味において概ねデ
ジタルである。例えばオルガン、ハープシコード、オートハープなどはタイミングと指使い
には立派なスキルが必要だが、他の運動スキルほど大変な努力が必要なわけではない。人間
とツールの間のこうした相互作用は、ほとんどのツールの使用についても同様に言えること
である。ネジ回しから電気ドリルに至るまで、機械を操作するためには注意と器用さが必要
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だが、我々のツールの使い方は、ツールそのものの大小の特徴に大いに影響される。ギタリ
ストなら、弦の動きが 1 ミリ違えば結果の違いは膨大になり、たとえ見たところは同じでも、
楽器ごとにほとんど計測できないほどの違いがあるために、少なくとも専門家なら楽器に合
わせて違う弾き方をする必要があると言うだろう。我々が使うネジ回し、ペン、絵筆、その
他数多くのツールについても事情は同じである。自動車のように複雑で高度に自動化された
機械でさえ、無数の方法で運転することが可能であり、経験豊富なドライバーなら、同じ生
産ラインで作られた見た目は同じ自動車の間に必ずや相違を認め、オイルやガソリン、サス
ペンションなどの違いを認識するものである。演算装置の場合には、これが当てはまること
はほとんどない。場合によっては一般的なキーボードのスキルが問題として残ることはあり、
当然のことだが、一部のインタフェースは伝統的なツールの微妙な種類の相互作用をまさに
真似るように設計されている(ゲーム、アートや音楽のアプリケーション、ならびに最近の
タッチや動きに敏感なインタフェースの場合は特に顕著である)が、特に職場でのツールと
してのその用途を考える場合には、デジタル技術の習得で必要なのが、先ず装置そのものを
動作させるための手作業能力であることは、一般的にはない。同様に手作業的課題として見
た場合に、ほとんどのソフトは必然的に、使い方が複雑ではない。複雑さはその適用、すな
わちどの現象を活用しているのか、何の目的に使われているのかを知ることにある。これを
理解することは、一部分においてはデザイナーの心を理解することであるが、これで十分で
はないかもしれない。例えば、白紙のシートが開かれた時にはきわめてソフトな技術である
表計算ソフトには潜在的な可能性しか含まれておらず、その可能性の大多数は、デザイナー
によっては知られ得ない(Patel, 2003)。このことは、機能がかなり固定されたツールにつ
いてさえ言える。ネットワーク管理の教師として、私が学生に持ち帰って欲しい主な教訓の
1 つは、より速い、またはより信頼性の高い、またはより安全なネットワークを提供するこ
とによる介入は、それを使う人々の期待と行動を変えるということであり、そのことは、ネ
ットワークを設計して解決しようとしていた問題が新たな問題に取って代わられる、または
ひょっとしたらさらに悪化することを意味するだろうということである。関連領域における
可能性を増やせば、表面的には類似した技術が新しいものになるのである。
デジタル技術のリテラシーがあるということは、ツールを使えることではなく、ツールを
使うことによって達成できることと達成の目的の双方を知り、利用の文脈の中でそのツール
を適用できることである。残念なことに、こうした可能性の両側にある領域の奥行きが無限
であることは、我々が可能なツールの小さな部分集合におけるリテラシーを獲得することし
か期待できないこと、また、これらの可能性は今日のビジネス環境においてはかなりなじみ
深くて記述しやすいものではあるが、関連領域における可能性の両端は我々が可能性を利用
するにつれて急速に推移しつつあって、我々が様々に利用することによってそれらは異なる
技術になることを意味している。ツールが変化すればその利用する現象も変化し、利用の可
能性も変化するわけで、技術は絶えず我々を変化させ、我々によって変化させられるのであ
る。この事例は、簡単な棒やネジ回しの拡大版で、こうした技術を作るものはツールではな
くツールの使われ方であり、別の使い方をするたびに、それが新たな技術になるのである。
ソフトな技術をハードにすることとその逆
複雑なデジタルリテラシーの必要をなくすことは、ソフトな技術のスキルの向上を可能に
することの代替策である。これを行うためには、ハードで可能性を制限したツールを創り出
すことが必要である。ソフトなプロセスをよりハードにすることの問題とは、a)科学技術
者以外にとっては通常難しいこと、そして b)(すでに述べたように)ハードな技術に効果
があるのは、選択肢を減らして、創造性や我々が人間の価値とするものごとを厳しく制限す
るからだということである。ただし、こういった困難は克服できないものではなく、商業的
にも研究機関においても、これまでに多くの進歩があり、現在も前進が行われている。解決
策の核心は、選択肢はものごとを難しくするが、制限は物事を容易にするものの柔軟性と創
造性は低下させることを念頭に置いて、自分にどれだけの選択肢があるかを我々が決めるこ
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とができるように、ソフトとハードの境界線をぼやけさせて、どちらか一方の方向へ動ける
ようにすることにある。
ソフトな技術をよりハードにすることは、コンピューター産業で比較的よく知られた問題
であり、数十年間にわたるコンピュータ・サイエンスやソフトウェア工学、情報システムの
分析や設計の研究が、少なくともいくつかの状況においてはかなり克服に成功してきたもの
である。ビジネス・プロセス、手作業システムや買い物用現金箱などといったソフトな技術
をハード化することは効率、コストやミスの解消など数多くの利点を提供し、それが 1950
年代以来のコンピュータ・サイエンスの主眼であった。ただしこれを効果的に行うためには、
リテラシーだけではなく専門的知識も必要である。必要とされるのは、比較的熟練していな
い人々が専門家と同じことをできるようにするための手段である。これを達成するための 1
つの方法は、アセンブリによることである。アセンブリとは、専門家が設計した既知のハー
ドな機能性の小さな 1 ピースを取ってそれを足し合わせていくことで、再利用可能な部品か
らプレハブの家を建てることができるために、組み立て地点で熟練の職人芸の必要性を減ら
すことができるのと大いに似ている。マッシュアップ(提供源の異なる複数の技術やコンテ
ンツを複合させて新しいものを作る)を行うためのツールは利用可能で、訓練を受けていな
いユーザーが採用するほど簡単ではないにせよ、ほとんどのプログラミング言語やアプリケ
ーションの構築ツールよりは何倍も簡単である。例えば Google Gears、Yahoo Pipes、
Netvibes やその他数多くのウェブベースのツールは、簡単なテキスト・コマンド、あるいは
ドラッグ・アンド・ドロップのインタフェースさえをも用いて組み立てることのできる小さ
なピースに複雑な機能性をまとめて、多くのサイトから豊かな機能性を引っ張って来て、あ
るサイトに別のサイトのアウトプットをインプットしてシステムを構築できるようにしてい
る。このようなアプリケーションは、ダイナミックな情報を示すこと、かつては動きのなか
ったサイト上での社会的交流を可能にすること、サイトを訪問する者の地理的情報を示すこ
とにとどまらず、もっと多くのことができる。ソーシャル・サイトのユーザーにはより簡単
なツールが提供されている。Facebook アプリや OpenSocial アプリを利用して、小さなピー
スからきわめて個人的で、ある程度ハード化されたサイトをカスタマイズして構築すること
ができるのが、その例である。
ハードな技術をよりソフトにすることの方が通常は難しく、技術そのものを修正、除去、
または根本的に変更するか、あるいは、ここが面白くなるところなのだが、さらなる技術で
技術を組み立てるかの 2 つの方法のいずれかでしか達成できない。一見すると、私がハード
化とソフト化の双方に同じソリューションを提案しているように思えるかもしれないし、そ
れはある程度まで本当である。しかし、この場合には視点が重要である。ある人にとっては
ソフトな技術が、別の人にとってはハードな技術かもしれない。プログラマーにとっては、
コンピューターはきわめてソフトな技術だが、店舗でそのプログラマーの設計したレジを操
作する人にとっては、コンピューターはとても難しい技術である。アセンブリについても同
様である。ハードなツールをアセンブルする(組み立てる)人は、アセンブルするためのツ
ールはソフトだと考えるだろうが、エンドユーザーはそうは考えないかもしれない。アセン
ブリが有効なソフト化手段になれるようにするということは、その技術のソフト化を望む人
の手にアセンブリの権限をゆだねることを意味する。
例えば、学習管理システムがある意味ではハードな技術として作用する可能性があるのは、
かつてはソフトで簡単に変更されていたいくつかのプロセス―宿題の提出、客観的な小テス
ト、クラスへの割当など―をこのシステムが自動化するためである。教師である我々は、シ
ステムそのものを変える(おそらくはカスタマイズを可能にするツールを利用して)ことに
よって、またはもっと簡単に、それを迂回して制限的だと考える部分に他の技術を代替する
ことによって、こうした制約を克服することができる。たとえば、宿題を提出しなければな
らないその方法が気に入らなければ、我々は課題を電子メールで送るなど、よりソフトなア
プローチをその代わりにすることが簡単にできる。ただしそうする際に、我々は意思決定と
いうより大きな負担をかけ、ミスをするチャンスの増大を導入しているのである。この意味
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において、システムの作り手にとって、そして多分学習の提供源としてそのシステムを利用
している者にとっては、よりソフトであることの方が難しい。そして我々がそのどちらの方
法を利用するにせよ、システムそのものはその作り手にとってよりソフトになっているが、
そのエンドユーザーにとっては必ずしもそうではない。
理想的な技術は、我々が必要とする場合にはハードになって物事をやりやすくするが、
我々が制限を望まない、または必要としない時にはソフトになるものであろう。これは簡単
な仕事ではない。カスタマイズがそのための 1 つの道になる。ほとんどのプログラムは、ク
ライアントのコンピューターにあってもサーバにあっても、かなりのカスタマイズを可能に
する。プレファレンス・パネル、編集可能なプロフィール等はいずれも、ハードなシステム
にある程度の柔軟性を導入できる方法である。ただし、我々が提供する選択肢が多くなれば
なるほど、それが使われる公算は低くなり、タスクはより複雑になる。こうした変更を行う
には大きなスキルと能力が必要になり、じきにそれらがもたらすカスタマイズの利点を圧倒
するに至るのである。例えば、マクロはワープロソフトにおいては大いに時間を節約できて、
複雑な作業を簡単にするのに役立てることができるが、効果的に利用するには、最初にワー
プロソフトを構築するのに必要なのと同じほどのプログラミングのスキルを必要とする。ワ
ープロソフトのマクロを使えるデジタルリテラシーをもつことは、ワープロソフトを使って
タイプをするだけの能力とは大いに異なっているのである。
根本的な修正を行うことよりも有望なアプローチは、思いのままに削除や取り換えのでき
る自己完結型の小さなピースから技術を構築する、モジュール方式を利用することである。
コンピューティング・コミュニティは昔からこの原理を知っていて、オブジェクト指向、オ
ブジェクト・ベース、サービス・ベースやアスペクト指向のシステムにこの原理を多用して
いる。Drupal、Moodle や Elgg といったサーバ・ベースのシステムの多くは、管理者がシス
テムに機能やツールを付け加えてほとんどのニーズに適するようにカスタマイズすることの
できるプラグイン・ベースのアーキテクチャを利用している。ただしこれらのシステムの中
で、専門家でない者を対象としているものはほとんどなく、こういう人々にとってはサーバ
をソフト化するものの、エンドユーザーにとっては、これらシステムは相変わらず難しい
(すなわちソフトである)。
専門家になることを望まない一般大衆がモジュール方式を利用するようにしようとするの
であれば、別のアプローチが必要である。中で最も有望なのが、ウィジェットの利用である。
ウィジェットとは、エンドユーザーが付け加えて操作することのできる小さなアプリケーシ
ョンである。携帯電話(Nokia、WebO、iPhone、Android)、デスクトップ(MacOSのウィ
ジェット、WindowsのGadget)とウェブサイト(Google Gadgets、NetVibes、Yahoo、Elgg)
では、この利用が大いに広まっている。W3 コンソーシアムは数多くのプラットフォーム上
でウィジェットを作成したり手を加えて利用することができるように、ウィジェット作成の
ための一連の基準を指定しており、Wookie(http://incubator.apache.org/wookie/)などのシス
テムは、異なる数多くのシステム上で利用できるように設計されている。Wookieの同じウ
ィジェットがElgg、Blackboard、SakaiやMoodleのシステムにかなりシームレスに溶け込める
のがその例である。
これほどの本来的な統合性はないが、Android や iOS(iPad、iPod や iPhone の機械に使わ
れている)などのシステムでアプリが簡単に利用できることの根底にも、これと同様のモジ
ュール方式の基本理念がある。かつて我々は、我々のニーズのほとんどを満たしてくれるこ
とを期待して、多くのことができる大型のアプリケーションを買ったものである。現在では、
必要とする機能が既存のアプリにすでに入っていないのであれば、我々の欲しいことをして
くれるアプリをダウンロードしてインストールしさえすれば良くなっており、これは通常で
あれば数秒、またはどんなにかかっても数分で完了する、苦労のないプロセスである。統合
がうまくいかないことはあるかもしれないが、Boxnet、Dropbox、MobileMe など、あるいは
たとえ電子メールであっても、データ交換を行う何らかの手段がある限り、必要に応じて内
容を処理する後続のアプリを 1 つずつ使っていけば、アプリを取り込むことで複雑なタスク
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が可能になるばかりでなく容易にもなる場合は十分に多い。これが、iPad や類似のタブレッ
ト型コンピューターが伝統的なパソコンから根本的に離脱していく 1 つの形である。アプリ
のコレクションは、ツールの技術のアセンブリがカスタマイズされたもので、各アプリは所
与の状況におけるすべてのニーズのための完璧なソリューションではなく、ツールセットの
1 つの構成要素の役割を果たすのである。例えば、PDF ファイルをダウンロードして、文字
で注釈をつけることのできるアプリに組み込み、注釈をつけ、それをまた別のアプリで開い
てサウンドをつけ、それを電子メールソフトに回せば受け取り手に送ることができる。熟達
したユーザーになるために学習能力などほとんど必要とはしないツールを使えば、複雑なプ
ロセスが単純ですぐに学べる塊に分かれる。PC やマックなどのパソコンで、Adobe Acrobat
を使って同じプロセスを何とか乗り切るのに必要な学習能力とこれを比べてみれば、その違
いは明らかになる。必ずしも(今すぐ)必要ではない数多くのことができる大型で複雑なア
プリケーションの使い方を学ぶ代わりに、我々は望むことを行える簡単なツールを選ぶので
ある。
文脈の切り替え
我々は、ほとんどまたはまったく訓練を受けたことのない人々にとって、とっつきやすく
利用できるやり方でハードな技術をソフトにすることと、その逆の問題を検討してきた。こ
れから私が説明する方法は、技術的なスキルの不足のすべてに対応できる万能薬からは程遠
く、進化のプロセスの 1 歩に過ぎないが、アセンブリを通してソフト化とハード化の概念を
取り上げ、それを特定の社会技術システムに適用して、この問題についてもっと幅広く応用
が可能かもしれない考え方へのアプローチをわかりやすく示すものである。
我々は Elgg(http://elgg.org)の枠組を利用して、ソーシャル・ソフトウェアのサイトを構
築した。Athabasca Landing と呼ばれ、アサバスカ大学の公式・非公式学習の双方のコミュニ
ティをサポートするためのサイトである。Elgg の枠組はきわめて小型のコードのコアで、
サイトの機能の大半はプラグイン - サイトを拡大または修正して他のことを行うように
するための小さなコードのピース - として付け加えられている。作成時点では、こうい
ったプラグインがおよそ 1,000 利用できて、その中の 80 近くが我々のサーバにインストー
ルされた。技術指向のプログラマーにとっては、これらを修正、拡大することはかなり容易
で、インストールすることは取るに足りないほど簡単である。ただし、こうしたプラグイン
をアセンブルすることは、システム管理者にとってはとてもつらい仕事で、先ず複雑なサイ
トの作成を大いに簡素化しはするが、エンドユーザーにとっては、変更請求の処理時間が短
くなることを別にすればほとんど得るものがない。Elgg はエンドユーザーに対して、ドラ
ッグしてプロフィール(公開/半公開のウェブページ)やダッシュボード(個人的なプライ
ベート・スペース)に取り込める機能の小さな塊であるウィジェットを提供する。このこと
は、ユーザーが世間に対して自分の面白いと思うものごと(グループ活動、ブックマーク、
ブログ投稿、ピクチャー、ビデオ、ウィキページ、ディスカッション、外部ブログへのフィ
ード、Google Gadgets その他)を見せる、カスタマイズされた外観を提示できること、また、
独自にカスタマイズされたスペースを創り出して個人的な学習環境をアセンブルできること
を意味している。きわめて強力なアクセス管理システムにより、個人は自分が掲載するすべ
ての項目を見ることができる人を厳密に指定して、誰が何を見るかを大いに制御できる。グ
ループにとっても同様の機能は存在しており、誰でもこの機能を創り出すことができる。
Facebook、Orkut、Myspace その他のソーシャル・サイトになじんでいる人にとっては、
(Elgg のアクセスとプライバシー制御の方が他のほとんどよりずっと優れてはいるが)こ
れはかなり見なれた領域である。ただし、ほとんどのソーシャル・サイトとほとんど同じく、
目的のために特別の個別のグループを作らない限り、自分のプロフィールを通じて提示され
るのは、あるものにフィルタをかけたビューで、より多くを見る訪問者もいれば少しか見な
い訪問者もがいるが、見ているのは同じコンテンツにフィルタをかけたバージョンにすぎな
い。人は実生活においては、自らの置かれている文脈によって複数のネットワークの間を移
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動し、複数のニーズをもち、複数のペルソナを示すものであり、この変化は 1 日の経過の内
で何度も起きることがあると共に、長期的に見ても生じるものである。
我々が行う最初のイノベーションは、指定のページ、投稿、ブックマーク、画像等、もっ
と幅広く制御可能な項目を示せるように、ウィジェットをもっと設定可能なものにすること
である。次は、人々の異なる部分集合に提示するためのタブ付きインタフェースをユーザー
に提供し、そのそれぞれがいつも通りのきめ細かなアクセス制御機能をもっているようにす
ることである。例えば、自身の関心事の様々な側面(研究、授業、友人など)用のプライベ
ートなタブ、友人それぞれの専用タブ、公のペルソナ用の共用のタブ、そして自分の仕事や
交流の特定の側面を誇示するためのポートフォリオ・タブなどを作ることができる。それぞ
れのタブには独自の外観や感触、カスタマイズされた独自のコンテンツをもつ特定のウィジ
ェット、独自のアクセス制御があり、そのすべてが、ユーザーまたはグループ独自のプロフ
ィールの中にある使いやすく単純なドラッグ・アンド・ドロップ式のインタフェースを利用
して管理される。講座のサイトを構築したいと考える教師なら、学習者と同じことをして、
授業のニーズに合わせてコンテンツやグループの交流をカスタマイズし、利用可能なツール
を満載した大きなパレットから様々なニーズや目的に適したウィジェットを引っ張ってくれ
ばよいのである。加えて、Elgg にはすでに個人をグループ化してアクセスを制御したり活
動をたどったりするためのツールが豊富にあるが、我々はこの能力を拡大して、ほとんどの
ソーシャル・ネットワークの典型的な「友達」のコネクションよりも豊かな差別化を可能に
し、ネットワークを作った時に想定されていた人たちだけがアクセスできるタブを作ること
を簡単にしている。
実際には我々は、ウェブを利用した結果としてすでに習得したスキル以上のスキルや訓練
の必要なしに、人々が必要なだけのソフトさまたはハードさをもつ多種多様なソーシャル・
サイトを自力で作れるようにしている。これはある意味では、ソーシャル・サイトを作成す
る Ning(http://ning.com)などのシステムに似ている。ただし、Ning や類似のサイトがカス
タマイズされた個々のソーシャル・サイト全体を構築することを可能にするのに対して、
我々のシステムは人々が同じソーシャルなスペースの中で、円滑に思い通りに複数の文脈に
出たり入ったりすること、目的が指定されているハードなタブと規則が変更可能でもっとソ
フトなタブの間を移動することや、ある文脈では専門的なペルソナを見せることから別の文
脈では付き合いやすいペルソナを見せることまで、ある作業の文脈から別の文脈へと移行し、
その間ずっと、そのすべてを基本で支えている同じ 1 つの豊かで強力なソーシャル・ネット
ワークにアクセスすることを可能にする。この Context Switcher というツールをすでに強力
で簡単な Elgg のツールセットと合体させれば、アセンブルとカスタマイズのプロセスを通
じてソフトな技術をハードにし、ハードな技術をソフトにすることが可能になる。ニーズの
指定度が高まれば、自動化やガイド、制限を行うタブを作って、急勾配の学習能力の必要性
を軽減することができる。ニーズがもっと曖昧でソフトであれば、より幅広い選択肢をサポ
ートして個人やコミュニティが制限なしにソフトなプロセスを展開できるようなタブを作っ
て、もしそうすることが適切であれば、その場合にのみそれをハードにすることができる。
人々がタブ付きインタフェースをできる限りハードに構成して、様々なプロセスを組み込む
と共に環境を構成、組織できるようにするまでに我々がたどるべき道のりはまだ長いが、
我々はすでに、そうするための複雑なスキルはほとんど必要なしに、制御の中心をソフトな
システムからハードなシステムへと何らかの方法でシフトさせることを可能にしている。
結論
新たなデジタル技術の変化と展開があまりにも速いために、少なくともそれらを取り巻い
ている重要でソフトな技術的プロセスにおいては、用途が固定されている能力を得ることが
不可能かつ望ましいことでもなくなり、せいぜい新しい技術を一つずつ学び、その変化に応
じてそれをまた学び直すことしか望めない―我々は、そうした段階に急速に近づきつつある。
しかし、この状況は絶望とは程遠いものである。一方においては、古い技術が死に絶えるこ
とはめったになく、交代のプロセスは十分ゆっくりしているので、苦労して手に入れたスキ
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ルは、しばらくは引き続いて役に立つ。同様に、デジタル技術は使い方がこれまでよりずっ
と簡単になり、学習能力は以前より必要でなくなっているため、最も重要な問題の所在はス
キルを身につけることではなく、現在利用可能なものへの慣れと知識を身につけて、それに
アクセスすることにある。この場合にも、(まだ十分に多くはないが)ますます多くの人々
がこうしたツールにアクセスするようになり、発見の手段—Apple の App Store、Google の
MarketPlace や Elgg Community のプラグインサイトなど—がより簡単で信頼性の高いものに
なっているため、長い目で見ればこの問題はゆっくりと解消されつつある。
もっと長期的に考えれば、最高の技術のもつ強みを維持しようとするのであれば、それら
技術が 1 つ前の世代よりも我々のニーズに容易に適応できることが必要である。我々の
Context Switcher、iPhone のアプリやウェブサイトのウィジェットなどのツールは、デジタル
技術をとても使いにくいものにしている複雑でソフトなプロセスを乗り切るのに役立つ。そ
して、我々が難しいソフトなものをハードにし、硬直しているやさしいものをソフトにして、
我々自身がソフトに合わせることを強いられるのではなく、使うツールを我々のニーズに合
わせることを可能にできる。これらツールは、変化につれてツールそのものを適応させ、
我々を適応させるという共進化のプロセスを可能にしようとしている。McLuhan が述べた
ように、「我々はツールを形作り、その後は我々のツールが我々を形作る」(McLuhan,
1964)のである。
我々のアナログなリテラシーをデジタルにするためには、ツールの単なるユーザーとして
の自己認識と手を切ること、ただしこうした技術のもたらす力を利用して、その創造者にな
ることが必要である。こうすることによって、我々は本来的に制御不能なものに対する制御
力を取り戻し、それと引き換えにもう一度アナログになることができる。我々はデジタルな
リテラシーを学習者に吹き込むことに無益にも費やされる時間と資源を解き放つことによっ
て、こういったデジタル・ツールへのアクセス拡大を可能にするという、これまでよりはる
かに喫緊度を高めている関心事により良く対処することができるようになるだろう。
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Literacies and the Digital University: A critical view
Chris Jones
Reader in the Institute of Educational Technology
The Open University
UK
Introduction – The Digital University
The term Digital University suggests a binary distinction between new information and
communication technologies based on computing and analogue technologies up to and including
television and telecommunications. The analogue world covers many epochs and a variety of
technologies but the use of the term digital marks the shift from the electronic world of TV and early
international telecommunications based on analogue systems to the world that emerges from the
pervasive application of digital technologies and computing. In this regard it is perhaps worth
remembering that the idea of the global village and the information society largely preceded the
spread of personal computing and widespread digital networks. Whilst mainframe computing was
beginning to have an influence by the 1960s most of the ubiquitous technology prior to the late 1970s
was analogue in form.
There are few academic references for the idea of the Digital University. The most prominent is the
edited book of that name published as part of the Computer Supported Cooperative Work series in
1998 (Hazemi, Hailes and Wilbur). The book is very much a creation of its time and focuses on the
use of the World Wide Web (WWW) and collaborative methods in all the areas of work involved in a
contemporary university. These areas are identified as research, teaching, support and management.
The book contains little theoretical development concerning the term digital university, indeed the
term itself, although the main title of the book, only appears three times in the book’s index. Digital
University is therefore a term that needs some further development, and the elaboration of an
adequate working definition, for it to be useful for our purposes. The digital university is undoubtedly
a recent phenomenon, related to the widespread deployment of computing and digital communications
technologies and their integration into day to day university procedures.
Early terms used to discuss the changes taking place often focused on the computing aspect of the
new technologies, making use of terms that are still current such as Computer Assisted Learning,
Computer Supported Collaborative learning etc. These were supplemented by new terms when the
balance of technologies shifted towards the new communication technologies associated with the
Internet. The idea of Asynchronous Learning Networks, Networked Learning and the ubiquitous term
Information and Communication Technologies belong to this period. In turn they were followed by
the deployment of the WWW and the widespread use of e-learning to cover all aspects of the
introduction of digital and networked technologies. More recently the focus has moved to Web 2.0
(Sclater 2008) and the use of new networked communication technologies such as Social Networking
Sites (SNS), blogs and wikis. Without labouring the point the argument being made here is that the
idea of the Digital University encompasses some significant developments in terms of the available
technologies and the ways in which we have thought about the technologies themselves and the kinds
of educational affordances that they enable.
The digital age has been described in relation to the need for changes in pedagogy in university
(Beetham and Sharpe 2007). They argue that digital technologies constitute a new context for learning
and teaching for several interrelated reasons:
• The technologies themselves and their availability in advanced industrial countries;
• the social and cultural changes related to these new technologies (e.g. Castells 1996);
• the consequent epistemological changes affecting what counts as useful knowledge and how
knowledge is produced, circulated and consumed;
• the nature of work and the growth in demand for qualifications from universities;
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•
the way the changing nature of work affects universities in relation to faculty and their work
and the relationship between universities and their students;
• the changing nature of the students entering university.
The term Digital University is one that although poorly defined can be taken to apply to all university
functions as they are revised to make use of digital technologies and accommodate their impacts.
This suggests a two way process in which universities, and various bodies within and beyond them,
actively seek to develop new modes of working that make use of the new possibilities that digital
technologies make available and at the same time accommodate to changes deriving from the
deployment of digital technologies, which are outside of their control, but which have direct
consequences for university operations. The main areas of change involving digital technologies
include all main university functions:
• Teaching
• Learning
• Research
• Library services
• Management, administration and working practices
The term also offers an alternative to other attempts to grasp the nature of change in tertiary education
such as the Virtual University (Ryan et al) or the Global Virtual University (Tiffin and Rajasingham
2003) and it avoids the presumption that digital technologies are somehow less real than other forms
of mediated contact.
Digital Literacies
The term digital literacy is used in a variety of mundane ways. For example the Higher Education
Academy (UK) funds a National Teaching Fellowship Scheme project hosted by the University of
Central Lancashire which is exploring “literacies for learning” one of which is “digital and
information literacies” which they define in terms of accessing and using information. This common
sense use of digital literacy focuses on the capacity to access and use information mediated through
digital channels. Literacy used in this manner is limited to notions of individual skill and competence
and digital literacy might from this point of view involve the training of staff and students in the ways
to use newer kinds of digital tools and communication systems. Despite the use of literacy in
combination with the prefix digital, the term literacy is still most often taken to mean the ability to
read and write and lacking literacy is taken to indicate a deep form of social exclusion. Positively the
use of the term literacy in the context of the Digital University points towards the historic centrality of
the written word in education and in higher forms of education in particular. Negatively the use of the
term literacy implies a hard to learn set of practices, the absence of which may have profound social
consequences. However in terms of digital competence there is good evidence that such skills can be
learned naturally, even by those who are socially excluded (Mitra 2003).
New Literacy Studies
For academics working in the field of New Literacy Studies (NLS) literacy is thought of in terms of a
set of changing communication practices. Literacy practices are viewed as the constructions of
specified social groups and knowledge is viewed as a social accomplishment rather than being
attributed to individual cognition. The growth of NLS corresponded with a broader interest in the
work of the Soviet socio-cultural tradition (Vygotsky 1978) and social and situated views of learning
(Brown, Collins and Duguid 1989). In education a growing interest in cultural historical activity
theory (Engeström 2001) and Communities of Practice (Lave and Wenger 1991, Wenger 1998) ran in
parallel with the development of NLS (see Mills 2010 and Goodfellow 2010 for extensive references).
While NLS focused on the contextual nature of communication practices more recent developments
have applied this approach to new practices related to digital technologies. Mills for example
comments in her review that:
37 / 144
“The most recent, significant shift in this field has been what could be called the “digital turn”—that
is, the increased attention to new literacy practices in digital environments across a variety of social
contexts, such as workplaces and educational, economic, and recreational sites.” (Mills 2010 pp246-7)
NLS have developed with a regard to the progress of digital technologies and the kinds of changes in
communication practices that might be related to them. Perhaps a key distinction, though one that is
becoming less useful over time, is that between literacy, singular and the term literacies, plural. By
associating the digital with the plural form, literacies, the intention was to embed the idea that literacy
practices were primarily socially situated and related to their own particular context.
Beetham et al. (2009) introduce their report on learning literacies with this distinction:
“The phrase digital literacies or literacies for a digital age expresses a tension between two points of
view:
• education needs to carry on doing much what it has always done (literacy as a generic
capacity for thinking, communicating ideas, and intellectual work
• education needs to change fundamentally (digital technologies and networks as transforming
what it means to work, think, communicate and learn)” (ibid p8)
In posing the distinction in this way Beetham et al. situate the debate about digital literacies within an
extended debate concerning causality and the consequences of new technologies (Bockowski and
Lievrouw 2007). Bockowski and Lievrouw argue that causality and consequences are two of three
bridging themes they have identified as linking science and technology studies (STS) with
communication research. In terms of the consequences theme they suggest that on the one hand new
technologies are either portrayed as revolutionary, providing a challenge to and a departure from
existing conditions, or on the other hand as being gradual and incremental in their effects. Bockowski
and Lievrouw characterise these two approaches as the discontinuity and continuity perspectives,
respectively, and suggest that a balance between the two perspectives might be achieved by
identifying the specifically new features of digital artefacts whilst understanding the historical links
that new digital artefacts have to previously developed practices and processes (ibid, pp 962 -965)
Recently an attempt has been made to bring together researchers from the NLS perspective, with the
researchers situated in the explicitly technology oriented field currently captured by the term
Technology Enhanced Learning (TEL) in a UK research council funded seminar series. The aim of
the series was to promote new research into digital and networked literacy practices in universities.
The series adopted the title ‘Literacy in the Digital University’ (http://lidu.open.ac.uk ). Papers from
the contributors to these seminars and reports from the seminar discussions can be accessed at the
series website and its accompanying blog http://literacyinthedigitaluniversity.blogspot.com/). The
next section outlines the perspectives brought to this exchange by researchers in the field of learning
technology.
Technology enhanced learning
Research in the broad area of learning technologies has been described using a variety of terms and
the current term in use, in Europe at least, is Technology Enhanced Learning (TEL). The area is
vibrant and links to an emergent professional group, learning technologists, and it also has a
relationship to a key area of educational policy through the widespread introduction of networked and
digital technologies in education. As noted earlier there is a common strand of research in the TEL
area that references a mutual source of research with NLS. Social and situated views of learning have
had a particularly strong resonance with researchers dealing with the introduction of new digital
technologies in universities and socio-cultural approaches to research have found favour in areas such
as CSCL (Koschmann 2002, Stahl 2003) and networked learning (Goodyear et al. 2004, DirckinckHolmfeld et al 2009). Whilst these research areas have dealt with electronic media there has been a
consistent recognition that text remains a primary place in educational practice, for example:
“The interactions in networked learning environments can, in principle, be through text, voice,
graphics, video, shared workspaces or combinations of these forms. However, in mainstream higher
38 / 144
education practice, text is still the dominant medium and much of the time students and tutors spend
in networked learning consists of composing, reading and reflecting on electronic texts, such as email
messages or entries in text-based computer conferences” (Goodyear et al. 2004 p 2)
The area of research in learning technology is one that changes rapidly and the quote was written prior
to the spread of many of the newer technologies such as social networking sites (SNS), YouTube and
a variety of Web 2.0 technologies. However educational practices are highly resistant to change and
the main point made by Goodyear et al. remains as true in 2011 as it did in 2004.
A further link between NLS and TEL has been the extension of the idea of text from simply written
forms to communication practices making use of a variety of media. Used in this way 'text' has
become something of a slippery term because it has been used in its original sense to mean written or
printed communications, and at the same time to mean the artefacts associated with communication of
many kinds as viewed through a particular analytical lens. In STS the idea of text has even been
extended to understanding technology (Grint and Woolgar 1997). They argue that while machines
cannot be understood as actually being texts it can be instructive to consider technologies using the
techniques associated with the analysis of discourse. For example they suggest considering the user as
the reader of a technology deemed to be text. In an example, drawn from an ethnographic study, Grint
and Woolgar argue that:
“In configuring the user, the architects of DND [project name], its hardware engineers, product
engineers, project managers, sales, technical support, purchasing, finance and control and legal
personnel and the rest, are both contributing to a definition of the reader of their text and establishing
parameters for the readers actions.” (ibid p73)
In such conditions of interpretive flexibility in which users read the technology they are presented
with an attempt has been made to stabilise views about the possible uses of technology by making use
of the idea of affordance (Jones and Dirckinck-Holmfeld 2009 and Dirckinck-Holmfeld and Jones
2009).
A recent application of the use of the idea of affordance has been in relation to SNS and the
development of networked publics (boyd 2010). Boyd argues that four properties arise out of the
digital nature (bits) of new technologies in this context:
1.
2.
3.
4.
Persistence: Online expressions are automatically recorded and archived.
Replicability: Content made out of bits can be duplicated.
Scalability: The potential visibility of content in networked publics is great
Searchability: Content in networked publics can be accessed through searching.
The interesting feature of the use of the idea of affordance by boyd is the way she directs attention to
relatively stable features of digital technologies and elaborates how these features shape peoples
participation in a relatively new Web service and the way this structures networked publics.
Jones and Dirkinck-Holmfeld (2009) have separately tried to capture the changes connected to digital
technologies in relation to education in the following list:
•
•
•
Time shifts – Computer networks used in education affect the usual time patterns of
education. Many courses delivered across networks are asynchronous.
Place – The introduction of mobile and ubiquitous computing devices have begun to
make the idea of education occurring at anytime, anyplace, and anywhere seem more
feasible.
Digital preservation – The outputs of synchronous and asynchronous activity are
easily preserved in transcripts, logs and a variety of other forms including the
archiving of web casts and audio interviews/podcasts.
39 / 144
•
•
•
Public/Private boundaries – The preservation of what would otherwise be
ephemeral materials alters the boundaries between what is public and what is private.
Tutors can now view and preserve the details of student’s interactions during group
activities, making these available as tools for assessment.
Forms of literacy – The still largely text based world of networked learning has
generated new forms of writing that are neither simple text replications of informal
conversation nor are they formal written texts. The integration of images and audio
into digital environments has suggested new forms of multimedia literacy.
Content – The boundary between content and process is shifting. Blogs and wikis
can provide elements of content and cut and paste re-use is common practice. The
idea that there is a clear distinction between activity/process and artefact/ content is
becoming strained. (Jones and Dirckinck-Holmfeld 2009 p10)
Once again the feature I would draw your attention to is the relative stability of this list in relation to
the constant change in technologies, tools, digital devices and networked services. Many of these
features were applicable in the early years of educational use of the Internet (see for example Harasim
et al. 1995). Acknowledging the contextual nature of users’ interpretations of technology does not
mean succumbing to the idea that technology once fixed in place has no role in shaping the nature of
use. Hutchby argues that:
“The concept of affordance has been applied to technology in the sense that: technologies possess
different affordances, and these affordances constrain the ways that they can possibly be ‘written’ or
‘read’ (Hutchby, 2001, p. 447).
It is this sense of constraint that I wish to convey here. Technologies are indeed read by their users,
but the reading is constrained by the features of the technology and the technological infrastructures
that have been put in place.
Artefacts and learning
In 2003 Kaptelinin wrote explicitly about education as a discussant in a collection of articles
presenting a post-cognitivist version of HCI based on activity theory, which emphasized the
importance of social, cultural, and developmental aspects of the use of technology (Kaptelinin 2003).
The instrumental approach he discussed focused on the integration of artefacts into the structure of
human activities and it maintains that appropriation of artefacts by human beings is an outcome of
developmental transformations of artefacts, individuals, and social interactions. Kaptelinin argued that
the papers he reviewed in the special edition indicated that artefacts served a representational function
but that the artefacts also served other additional functions. For example they could be used to
establish and maintain relationships and the introduction of an artefact could transform the roles of the
participants and change the conventional spatial configurations of the classroom. Furthermore
Kaptelinin argued that the transformation of artefacts into instruments was associated with changes to
the individuals using the artefacts/instruments. The position outlined by Kaptelinin suggested that
artefacts:
• are determined by social contexts and also
• actively change such contexts,
• artefacts undergo transformations in development and,
• become integrated into individual and group activities.
More recently Säljö (2010) has written about the way digital tools challenge institutional traditions of
learning. He argues that the activities of learning practised within institutionalized schooling, are
coming under increasing pressure from the developments of digital technologies and the capacities
they have to store, access and manipulate information. He argues that the technologies do not merely
support learning; they transform how learning is done and how learning is interpreted. The argument
he makes suggests that what we know and master is increasingly a function of the mediating tools we
are familiar with. Säljö goes on to suggest that at both a theoretical and practical level, the
40 / 144
interdependences between human agency, minds, bodies and technologies provides the foundation for
an understanding of learning and that any attempt to account for what people know without
integrating their mastery of technologies into the account will lack ecological validity.
Säljö argues that rather than considering computers and digital technologies primarily as instructional
aids, they should be considered in relation to the ways they affect the manner in which society builds
up and provides access to social memory. Säljö identifies three significant pressures on formal
education in this context:
(1) the role of the technology as a tool for storing information and building up a social memory;
(2) the consequences of the recent developments in our abilities to have access to social memory;
and
(3) the increasing capacity of technologies to perform analytical, cognitive-like operations that
were previously made by people. (Säljö 2010 p56)
One of the ways this change impacts on the fundamental role of education is that the classical
reproductive approach becomes increasingly irrelevant because most of the information transmitted in
this way is now within easy reach using digital networks.
Säljö’s second point was that technology does not facilitate or improve learning in any linear sense.
He argues like Kaptelinin in relation to artefacts, that technology changes the interpretation of what
learning is and that it also changes expectations about what it means to know something. He argues
that the introduction of digital technologies changes what we mean by learning, from reproduction of
what is already known, towards being able to transform what is already known into something new,
interesting and potentially able to have impact in the world. Säljö balances this revolutionary view of
the potential impacts of digital technology with a long historical view and a caution about the
relevance and persistence of traditional processes and practices in education. He also goes on to argue
that changes in education do not follow from the mere introduction of new technologies. This
exemplary understanding of the role of digital technologies in education can be contrasted with the
more hyperbolic rhetoric employed by popular writers with significant influence over policy. Tapscott
and Williams (2010), for example, write that:
“Change is required in two vast and interwoven domains that permeate the deep structures and
operating model of the university: (1) the value created for the main customers of the university (the
students); and (2) the model of production for how that value is created. First we need to toss out the
old industrial model of pedagogy (how learning is accomplished) and replace it with a new model
called collaborative learning. Second we need an entirely new modus operandi for how the subject
matter, course materials, texts, written and spoken word, and other media (the content of higher
education) are created.” (Tapscott and Williams 2010 p10)
This revolutionary approach to change in the university is based on an understanding of the new
cohorts of learners now entering university and how this new generation of students will bring about a
generational clash (Jones forthcoming 2011).
Tapscott and Williams adopt a determinist line of argument in which change is to be forced on the
university by students who form a new Net Generation. The Net Generation is itself determined by its
exposure to networked and digital technology. Net Generation arguments suggest that an entire
generation and their orientation to learning and technology can be defined by their exposure to the
technological environment in which they grew up:
“Each generation is exposed to a unique set of events that defines their place in history and shapes
their outlook… If you look back over the last 20 years, clearly the most significant change affecting
youth is the rise of the computer, the Internet, and other digital technologies. This is why I call the
people who have grown up during this time the Net Generation, the first generation to be bathed in
bits” (Tapscott 2009 p16/17).
41 / 144
The idea that there is a Net Generation of digital native students entering university has been
discredited by numerous empirical studies (see for example Jones et al 2010, Kennedy et al. 2008 and
Hargittai 2010). The new cohorts of learners entering university are predictably diverse, differentiated
by a variety of standard demographic features, such as gender, as well as age. The empirical evidence
shows that new students are often not great users of some of the more discussed new technological
tools, for example blogs, wikis and virtual worlds (Jones et al. 2010). However changes are taking
place and age related changes are evident in relation to the newer technologies and services, for
example SNS and advanced use of the Internet and email using mobile phones (Jones et al. 2010). I
have argued elsewhere that one way of understanding these age related changes, without falling into
Net Generation or digital native determinism, is to distinguish between two alternative readings of the
changes taking place.
“The first argument, and the one that is most associated with the idea of the Net Generation and
digital natives, is that:
• the ubiquitous nature of certain technologies, specifically gaming and the Web, has
affected the outlook of an entire age cohort in advanced economies.
A second related but distinct argument is that:
• The new technologies emerging with this generation have particular characteristics
that afford certain types of social engagement.” (Jones forthcoming 2011 p43)
I have concluded that the first argument, that technologies determine the outlook of an entire
generation, should be discarded. However, the idea that the area of choice in education has been
expanded by digital technologies opening up the potential and possibilities for new kinds of social and
educational engagement is strong. Perhaps the most important element in this distinction is the way in
which the second argument draws attention towards choice in relation to digital technologies and our
engagements with them.
There is a second point of interest in the arguments about a new generation of students entering
university. Many of the arguments suggest that students will be naturally adept with digital
technologies and that they will act as a force for change in the adoption of new media. Two recent
projects hosted at the Open University cast some light on this question. The first was informed by a
TEL approach and investigated Net Generation age students as they encountered e-learning at
university (Jones et al 2010). The second had an NLS approach and explored digital literacies in
higher education (Lea and Jones 2011). Both sets of researchers independently came to the conclusion
that institutional factors had a strong bearing on the ways that digital technologies were absorbed into
students’ practices. Students at university were influenced by the requirements set for them on
individual courses and in general they made use of the kinds of technologies deployed as part of the
universities’ institutional infrastructure. Lea and Jones found that students’ use of the Web to blur the
boundaries around the curriculum predominantly occurred when they were mandated by the
institution. The importance of these findings is that students were responsive to institutional contexts,
a feature brought to the foreground in NLS, and not simply responsive to the general technological
environment in the way determinist arguments from a Net Generation and digital native perspective
would suggest.
Conclusions
A strength of NLS lies in its rejection of the idea that literacy is an individual capacity or skill and that
literacy can be imparted by a de-contextualised transfer. A further strength lies in the repeated
insistence on context, and institutional context in particular, when exploring literacy practices. A
weakness of NLS lies in its amendment and use of the common sense term literacy. Literacy is
repeatedly used in ways that run counter to the line of argument made by researchers in NLS. It
remains the case that digital literacy remains a little used term and a brief search by Goodfellow
showed that:
42 / 144
“…despite a large literature on various pedagogical issues to do with the use of new media in teaching
and learning in Higher Education, there are only two titles to be found which specifically address
digital literacy, and both of these turn out to focus more on technologies than on literacy. A search for
books specifically aimed at higher education with ‘Digital Literacies’ in the title doesn’t find any.
(Goodfellow 2010 p 5).
Digital literacies may then be a term that has exhausted its potential and its continued use may only
lead to further confusion with individual skill based notions of literacy. NLS, however, still has an
interesting synergy with social and situated approaches to learning found in TEL.
The two research approaches reference common sources in Soviet socio-cultural research based on
Vygotsky and modern approaches such as (cultural historical) activity theory, legitimate peripheral
participation and Communities of Practice. TEL has a particular strength in research approaches
related to STS and the conceptual approaches this offers in terms of artefacts and affordances. There
are relationships in theorising STS with NLS and whilst the term text has similar problems to the use
of the term literacy (because of the way the term is used with a strongly theorised inflection by
researchers) it has potential for use, at least metaphorically, in the understanding of technology. A key
aspect of TEL is the need to move beyond the constant re-cycling of ideas that follow the production
cycle of new devices and services. Thinking in terms of affordance can temporarily stabilise an
otherwise constant flow by fixing patterns rooted in the characteristics of the underlying digital
technological system. In this sense a focus on the digital is helpful because it draws attention to those
features that are inherent in all digital technologies and not just their most recent incarnations.
The current wave of new mobile devices, tablets, iPads and Internet enabled smartphones reinforces
some of the changes in the digital technology landscape that emerged with ubiquitous broadband
networks. The portability of network connected devices and the processing power of handheld
equipment come together to enable a step change in the kinds of digital texts that can be circulated.
Books can now be downloaded in seconds to tablet computers and dedicated e-readers such as the
Kindle. It is only a small step to integrate multiple media formats into an e-book form that can be
downloaded in the same way but including video clips and moving images as part of the text in the
same way that traditional print media might include a still picture. It is also possible for the e-book to
include links to simulations and cloud based processing power so that the reader can access, whilst
still reading, real time features that they would have previously have accessed separately to the text.
Perhaps literacies in the digital world are only just at their starting point as people navigate the
consolidation and convergence of technologies into single multi-media texts presented through
networked and portable devices. Whatever technological changes may be awaiting us a key message I
take from NLS and TEL is the role of choice and variation. Technologies may pattern our responses
and constrain our uses but they never face us with pre-determined outcomes. There is always a choice
and these choices are not simply individual. Universities choose how to invest in new infrastructures,
course designers and departmental heads choose what courses to teach and how to deliver them. In
education it is only at the end of a chain of design choices to make or purchase, and then whether and
how to deploy a technology, that the end user has their chance to decide whether to make use of a
particular technology and how it might be useful to them. Academic literacies in the digital world
remain highly social and always negotiable.
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リテラシーとデジタル大学
-批判的論考-
クリス・ジョーンズ (Chris Jones)
英国オープン・ユニバーシティ
はじめに-デジタル大学
「デジタル大学」という用語は、コンピューターに基づく新たな情報コミュニケーション
技術と、テレビや通信技術までを含むアナログ技術という二元的な区別を示唆するものであ
る。アナログの世界において、多くの画期的な出来事があり、多様なテクノロジーが生まれ
たが、「デジタル」という言葉が使われるようになって、時代はアナログシステムに基づく
テレビや初期の国際通信といった電子社会から、デジタル技術やコンピューターを活用する
アプリケーションを前提とする世界へと移行した。そうした意味でも、グローバルビレッジ
や情報社会といった概念が、パーソナルコンピューターの普及やデジタルネットワークの拡
大におおむね先行していたことを思い出してみるといいかもしれない。大型汎用コンピュー
ターが 1960 年代には影響力を持ち始めた一方で、ユビキタス技術のほとんどは、1970 年代
後半になるまでアナログ形式であった。
デジタル大学という考え方についての学術文献は数が少なく、その中でもっとも有名なも
のは、1998 年に「コンピューター支援協調ワーキング(CSCW)」シリーズの一環として
出版された『Digital University』というタイトルの編著である(Hazemi, Hailes and Wilbur)。
同書はまさしく時代の産物で、当時の大学が関わっていたあらゆる領域でのウェブ
(WWW)やコラボレーション方式を中心テーマとしている。その領域として特定されてい
るのは、研究、教育活動、支援および経営である。同書では、デジタル大学という言葉に関
する理論展開がほとんど行われていない。実際、タイトルに使われているにもかかわらず
「デジタル大学」は索引でも 3 カ所しか見当たらない。したがって、本論文の目的に即すよ
う、この言葉をさらに発展させ、適切で実用的な定義づけをおこなう必要がある。デジタル
大学というのは、広く普及したコンピューターやデジタル通信技術の活用、そして大学での
日常的な手続きへそれらを組み込んでいくことに関連したものであり、最近の現象であるこ
とは疑いの余地がない。
その当時起きていた変化を議論する際に使われていた初期の用語は往々にして、現在も通
用する「コンピューター支援学習(Computer Associated Learning)」や「コンピューター支援
協調学習(Computer Supported Collaborative learning)」等の用語を活用しつつ、新しいテクノ
ロジーのコンピューティングの側面に焦点を当てていた。次に、インターネットに伴う新た
な通信技術が優勢になると、さらに新しい言葉が加わった。「非同期学習ネットワーク
(Asynchronous Learning Networks)」や「ネットワーク学習(Networked Learning)」、そしてお
なじみの「情報通信技術(Information and Communication Technologies、ICT)」といった言葉
が生まれたのもこの頃である。さらに、ウェブの展開や e ラーニングの普及があり、これに
よって全面的なデジタルネットワーク技術の時代が始まった。最近では、Web 2.0 (Sclater
2008)や、ソーシャルネットワーキングシステム(SNS)やブログ、ウィキ等の新たなネッ
トワーク通信技術の利用が注目を集めるようになっている。ここでの論点を簡単に説明する
と、デジタル大学という概念は、利用可能なテクノロジーやテクノロジーそのものに対する
我々の考え方、そしてテクノロジーが可能にする類の教育上のアフォーダンスにおけるいく
つかの重大な発展を含むものである、ということである。
これまで、デジタル時代は大学教育を変えていく必要性との関連の中で語られてきた
(Beetham and Sharpe 2007)。つまり、下に挙げた相互に関連する理由から、デジタル技術は
学習および教育活動に対して新たな文脈を構成する、という主張である。
46 / 144
•
•
•
先進国におけるテクノロジー自体およびその利用可能性
これらの新たなテクノロジーに関連した社会的・文化的変化(Castells 1996)
結果として生じる、「有用な知識」の定義および知識の生産・伝播・消費方法に影
響する認識論的変化
• 業務の性質、ならびに大学からの資質に対する要求の高まり
• 教授およびその業務、ならびに大学と学生との関係に関連して、変化を遂げつつあ
る業務の性質が大学に及ぼす影響の在り方
• 大学に入学する学生の変わりつつある性質
デジタル大学という用語は、その定義は不十分であるものの、すべての大学の機能に応用
できるものととらえることができる。デジタル技術を活用し、そこから受ける影響に対応す
るよう大学の機能の見直しがおこなわれるためである。
このことは、大学(およびその内外のさまざまな機関)が、デジタル技術が提供する新た
な可能性を利用した新しい業務の進め方を積極的に探ると同時に、そのコントロールが及ば
ないものの大学運営に直接影響するデジタル技術の展開から派生する変化に対応するという、
双方向プロセスであることを示唆している。デジタル技術が関係する主な変化領域には、大
学のすべての主要機能が含まれる。
• 指導
• 学習
• 研究
• 図書館サービス
• 経営、管理、業務慣例
また、この用語は、「バーチャル大学」(Ryan et al) や「グローバルバーチャル大学」
(Tiffin and Rajasingham 2003) 等、高等教育における変化の性質を把握しようというその他の
表現の代替にもなり、デジタル技術は他の形式による間接的接触と比べていささか現実感に
欠ける、という臆測が回避される。
デジタルリテラシー
デジタルリテラシーという用語は日常的にさまざまな場面で使われている。例えば、高等
教育アカデミー(イギリス)は、セントラル・ランカシャー大学が主催し、「学ぶためのリ
テラシー(literacies for learning)」を調査する「全英教育フェローシップスキーム(National
Teaching Fellowship Scheme)」プロジェクトに出資しているが、そのリテラシーのひとつが、
同大学が情報へのアクセスおよび利用という観点から定義する「デジタル・情報リテラシ
ー」である。こうように、デジタルリテラシーという語を一般的に使用する場合には、デジ
タルチャネルを介して得た情報にアクセスし、これを利用する能力に重点を当てている。こ
こでいう「リテラシー」とは、個人のスキルや能力という概念に限定されるものであり、そ
の観点からいくと、デジタルリテラシーには、より新しい種類のデジタルツールやコミュニ
ケーションシステムを使って教職員や学生を訓練することが必要なのかもしれない。「デジ
タル」が頭についても、ほとんどの場合、「リテラシー」という言葉は今も読み書きの能力
を意味すると理解され、リテラシーの欠如は深刻な社会的疎外を示すものと受け止められる。
当然、デジタル大学という文脈におけるリテラシーという言葉の使用は、教育、特に高等教
育における書き言葉の歴史的な重要性を示している。反対に、リテラシーという言葉の使用
は、一連の慣習を習得することの難しさを暗に示すものでもあり、そうした慣習を身につけ
られない場合には、深刻な社会的結果を被る可能性がある。しかし、デジタル能力に関して
は、社会的に疎外されている人たちであっても自然と身につけることができる能力であるこ
とが十分に証明されている(Mitra 2003)。
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新しいリテラシー研究
新しいリテラシー研究(NLS)に取り組む研究者たちは、リテラシーを変わりつつある一
連のコミュニケーション実践という観点からとらえる。そこでは、リテラシー実践は特定の
社会グループの構築であると考えられ、また知識は個々人の認識力に帰するものではなく、
社会的達成と考えられる。NLSは、ソビエトの社会文化的慣習の研究(Vygotsky 1978) や学習
に対する社会的・状況的認知 (Brown, Collins and Duguid 1989) への関心が広がるとともに発
展した。また、教育においては、NLSの発展(詳細な文献については、Mills 2010および
Goodfellow 2010を参照) と並行して、文化的歴史的活動理論 (Engeström 2001) および実践の
コミュニティ(Lave and Wenger 1991, Wenger 1998) への関心が高まった。
NLSはコミュニケーション実践の文脈的性質に重点を置いていたが、最近、このアプロー
チはデジタル技術に関連する新たな実践にも適用されるようになってきた。例えば、Mills
はそのレビューの中で以下のような見解を示している。
「この分野における最近の大きな変化は、『デジタル転換 (digital turn)』と呼べるもので
あろう。つまり、職場や、教育、経済、娯楽の現場等、さまざまな社会的文脈にわたるデジ
タル環境において、新たなリテラシー実践への注目度が高まっているのである」(Mills 2010,
pp246-7)
NLSは、デジタル技術の進展やそれらに関連づけられるコミュニケーション実践の変化を
意識しつつ発展してきた。現在はそれほど意味をなさなくなってきているが、ひとつの重要
な違いはおそらく、単数形のリテラシー(literacy)と複数形のリテラシーズ(literacies)で
あろう。「デジタル」を複数形の「リテラシーズ」と結びつけた意図は、リテラシー実践は
まず社会的に位置づけられ、個々の特定の文脈に関連するものであるという考え方を定着さ
せることにあった。
Beetham et al. (2009) は、学習リテラシーに関する論文の序文において下記の区別を設けてい
る。
「『デジタルリテラシー』あるいは『デジタル時代のためのリテラシー』は、下記の 2 つの
視点の間の緊張感を表現している。
• 教育は、これまでも常におこなってきたことを今後も続けていく必要がある(思考、
概念の伝達、および知的業務の総合能力としてのリテラシー)
• 教育は、根本から変わる必要がある(働き、考え、伝え、学ぶということの意味を
一変させるデジタル技術・ネットワーク)」(ibid p8)
このような形で区分を提起することで、Beetham 他は、デジタルリテラシーに関する議論
を、新しいテクノロジーの因果関係や影響 (consequences) に関する広範囲の議論の中に位置
づけた(Bockowski and Lievrouw 2007)。Bockowski and Lievrouw は、因果関係と影響は、科学
技術研究(STS)とコミュニケーション研究をつなぐものとして彼らが特定する、3つの橋
渡しとなるテーマのうちの2つであると主張する。影響というテーマについて、著者らは、
新しいテクノロジーは、既存の状態への挑戦およびそこからの脱却であるため革命的である
とされるか、あるいはその効果については少しずつ広がっていくものとされると示唆してい
る。また、これらの2つのアプローチをそれぞれ不連続性と継続性の観点から特徴づけ、新
たなデジタルアーティファクトと過去に開発された実践やプロセスとの間の歴史的つながり
を踏まえつつ、とりわけデジタルアーティファクトの新たな特性について特定することによ
って、上記2つの見方の間にはバランスが保たれる可能性があると示唆している(ibid, pp 962
-965)。
最近、NLSの観点から研究者たちを集結させようとする試みがおこなわれた。その際、研
究者たちは、イギリスの研究会議が出資するセミナーシリーズにおいて「技術活用学習
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(Technology Enhanced Learning)」という用語で現在とらえられている、明らかにテクノロ
ジー志向の分野に位置づけられた。同シリーズの目的は、大学でのデジタル・ネットワーク
リテラシー実践に関する新たな研究を促進させることにあった。シリーズには「デジタル大
学でのリテラシー」(http://lidu.open.ac.uk)というタイトルがつけられ、寄稿論文やセミナ
ーでのディスカッションの報告書は、ホームページや関連のブログ
(http://literacyinthedigitaluniversity.blogspot.com/)で閲覧できる。次節では、学習技術という
分野における研究者たちのこうした交流にもたらされた展望について概説する。
技術活用学習
学習技術の幅広い分野における研究についてこれまであらゆる表現がなされてきたが、
( 少な くとも ヨー ロッパ で) 現在使 われ ている 言葉 は、「 技術 活用学 習( Technology
Enhanced Learning: TEL)」である。同分野は現在活気を見せており、学習技術者(learning
technologist)という新しい専門家集団とリンクし、また、教育へのネットワーク・デジタル
技術導入の広がりを通じて、教育方針の主要領域とも関連性を有している。前述の通り、
TEL の分野には、NLS との間で相互に研究ソースを参照する共通した研究がある。学習の
社会的・状況的認知は、大学で新しいデジタル技術の導入に取り組む研究者たちと特に強く
共鳴してきており、研究に対する社会文化的アプローチは CSCL(Koschmann 2002, Stahl
2003) やネットワーク学習 (Goodyear et al. 2004, Dirckinck-Holmfeld et al 2009) 等の分野で支持
されている。こうした研究分野が電子メディアを取り扱ってきた一方、例えば、教育実践に
おいては、テキストが依然として主要な位置を占めるという一貫した認識がある。
「ネットワーク学習の環境における相互作用は、原則として、テキストや音声、グラフィッ
ク、ビデオ、共有ワークスペース、あるいはこれらの組み合わせを介したものが考えられる。
しかし、主流の高等教育実践ではテキストが依然として最も有力なメディアであり、学生や
チューターは、ネットワーク学習に費やすほとんどの時間を、E メールやテキストベースの
コンピューター会議への入力といった電子テキストを作成したり、読んだり、検討したりす
ることに使っている」(Goodyear et al. 2004, p 2)
学習技術における研究分野は変化が早く、ソーシャルネットワーキングサイト(SNS)や
YouTube、さまざまな Web 2.0 技術等のより新しいテクノロジーの多くが広まる前から引用
がおこなわれていた。しかし、教育実践は変化を嫌う傾向が強く、2004 年に Goodyear 他が
唱えた要点は 2011 年の今も有効である。
NLS と TEL 間の更なるリンクは、テキストという考え方を単純な書面形式からさまざま
なメディアを活用したコミュニケーション実践へと拡大させたものである。このような使わ
れ方がされるようになったことで、「テキスト」という用語は意味が曖昧になってきている。
手書き文字または活字によるコミュニケーションという元来の意味で使われると同時に、特
定の分析的視点を介したさまざまな種類のコミュニケーションと関連づけられるアーティフ
ァクトを意味することもある。STS では、テキストという概念はテクノロジーの理解にまで
拡大している(Grint and Woolgar 1997)。Grint と Woolgar は、機械が実際にテキストであると
は理解されないが、ディスコースの分析と関連づけられるテクニックを利用したテクノロジ
ーと考えると有益であると主張する。例えば、ユーザーを、テキストと見なされるテクノロ
ジーの読者としてとらえることを提案する。また、彼らは民族誌学研究に基づくある例を挙
げて、以下の様に述べている。
「ユーザーを設定する際、DND[プロジェクト名]のアーキテクトやそのハードウェアエンジ
ニア、プロダクトエンジニア、プロジェクトマネージャー、さらに営業やテクニカルサポー
ト、購買、財務、管理、法務の各担当者等がそのテキストの読者の定義づけに寄与し、読者
アクションのパラメーターも設定する」(ibid p73)
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ユーザーが与えられたテクノロジーを読む解釈的な柔軟性が存在する状況において、アフ
ォーダンスという考え方を利用してテクノロジーの活用可能性に対する見方を安定したもの
に し よ う と い う 試 み が 行 わ れ て き た 。 (Jones and Dirckinck-Holmfeld 2009 、 DirckinckHolmfeld and Jones 2009)。
アフォーダンスという考え方は、近年、SNS および公衆のネットワーク化の進展との関連
で利用されてきた (boyd 2010)。boyd は、この文脈では新しいテクノロジーのデジタル性質
(ビット)から 4 つの特性が生まれると主張する。
1. 持続性:オンラインでの表現は自動的に記録・アーカイブされる
2. 再製可能性:ビットで作成されたコンテンツは複製できる
3. 拡 張 性 : ネ ッ ト ワ ー ク 化 さ れ た 公 衆 に お け る コ ン テ ン ツ の 可 視 性 ( potential
visibility)は優れている
4. 検索性:ネットワーク化された公衆におけるコンテンツは、検索してアクセスでき
る
boyd によるアフォーダンスという概念の利用について興味深い特徴がある。それは、
boyd がデジタル技術の比較的安定した特徴に注意を向け、これらの特徴が比較的新しいウ
ェブサービスにおいて人々をいかに参加させていくのか、そしてこのことがネットワーク化
された公衆をいかに形成していくかについて、詳述していく点にある。
これとは別に、Jones と Dirkinck-Holmfeld (2009) は、デジタル技術に関する変化を下記リ
ストにおける教育との関連でとらえようと試みた。
•
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•
•
•
•
時間的推移-教育で利用されるコンピューターネットワークは、教育の通常
の時間パターンに影響を与える。ネットワーク上で提供される多くのコース
は非同期である。
場所-携帯可能でユビキタスなコンピューターデバイスの導入によって、時
間や場所を問わない教育、という概念がより現実的に思われるようになって
きた。
デジタル保存-同期・非同期アクティビティのアウトプットは、トランスク
リプトやログ、また、ウェブキャストやオーディオインタビュー/ポッドキ
ャスト等のその他のさまざまな形で簡単に保存できる。
公私の境界-デジタル技術がなければその場限りで消えていた素材を保存で
きるようになったことで、公私の境界は変わる。現在、チューターはグルー
プ活動の間に学生たちの交流の詳細を閲覧・保存でき、その情報を評価のた
めのツールとして使うことができる。
リテラシーの形式-依然としてほとんどがテキストベースのネットワーク学
習の世界から、インフォーマルな会話のシンプルテキストによる複製でもフ
ォーマルな書面でもない、新たな書面形式が生まれている。画像および音声
のデジタル環境への組み込みは、新たな形式のマルチメディアリテラシーを
予感させる。
コンテンツ-コンテンツとプロセスの間の境界線が変わりつつある。ブログ
やウィキはコンテンツ要素を提供することができ、カット&ペーストによる
再利用はよくおこなわれていることである。アクティビティ/プロセスとア
ーティファクト/コンテンツとは明確に区別されるという考え方は揺らぎ始
めている。(Jones and Dirckinck-Holmfeld 2009, p10)
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ここで再び、テクノロジーやツール、デジタル装置、ネットワークサービスにおける絶え
間ない変化に対する本リストの相対的安定性に注目していただきたい。これらの特徴の多く
は、インターネットの教育的活用の初期に当てはまったことである(Harasim et al. 1995 等参
照 ) 。 ユ ー ザ ー に よ る テ ク ノ ロ ジ ー の 解 釈 は 文 脈 に よ り 決 ま る と い う 性 質 ( contextual
nature)を認めるということは、テクノロジーは一度固定されると、それをどのように使用
するかという性質を形作る上でもはや何の役割を果たさないという考え方に屈するというこ
とではない。Hutchby はこう主張する。
「テクノロジーは様々なアフォーダンスを有する、という意味で、アフォーダンスというコ
ンセプトはテクノロジーに適用されてきたのであり、これらのアフォーダンスが、どのよう
にテクノロジーが『書かれるか』または『読まれるか』を制約する」(Hutchby, 2001, p. 447)
ここで伝えたいことは、このような制約感である。テクノロジーはユーザーによって読ま
れるものであることは確かだが、その読むという行為はテクノロジーの特徴や、導入された
技術インフラにより制約される。
アーティファクトと学習
2003年、Kaptelininは、活動理論に基づくHCIのポスト認知主義バージョンを紹介する様々
な記事の討論者として、教育に関する明確な文章を記した。そこでは、テクノロジーの利用
における社会的・文化的・発達的側面の重要性を強調している(Kaptelinin 2003)。彼が論じ
る道具的アプローチは、人的活動の構造にアーティファクトを組み入れていくことに重点を
置き、人間によるアーティファクトの割り当ては、あくまでも、アーティファクトや個人、
社会的相互作用の発展的変換の産物であるとする。Kaptelininは、特別号で自身がレビュー
をおこなった論文において、アーティファクトは表示機能を果たすが、その他の機能も果た
すことを示していると主張する。例えば、アーティファクトは関係の確立・維持に利用可能
であり、アーティファクトの導入によって参加者の役割や教室の従来の空間構成が変わる。
さらに、Kaptelininは、アーティファクトの道具への変換は、アーティファクト/道具を使
う個人の変化と関連するとも主張している。アーティファクトについてKaptelininが示唆す
るところは以下の通りである。
•
•
•
•
アーティファクトは社会的文脈で決定されるものであり、
そうした文脈を積極的に変えていくものでもあり、
発達の過程で変遷を遂げ、
個人やグループの活動に組み入れられる。
より最近では Säljö (2010) が、デジタルツールが学習という画一的な伝統に挑戦している
様子を書いている。その主張によると、制度化された学校教育の範疇において実践される学
習活動に対して、デジタル技術の発展やそうした技術の情報の保管・アクセス・操作容量か
らの圧力がますます強まっているという。また、テクノロジーはただ単に学習をサポートす
るのでなく、学習方法や学習の解釈方法を変えるとも主張している。Säljö の主張は、我々
が知識として有し、マスターしていることが、次第に我々に馴染みのある仲介ツールの機能
になってきていることを示す。さらに、理論レベルでも実用レベルでも、人間の営みや心、
身体とテクノロジーの間の相互依存は学習の理解の基礎をなすものであり、人々が知ってい
ることについて、彼らのテクノロジーの精通度に触れることなく説明しようとする試みは、
生態学的妥当性に欠けると述べている。
Säljöは、コンピューターやデジタル技術を主として教育上の補助教材と考えるよりも、
むしろ社会の形成方法や社会的記憶へのアクセス方法への影響との関連でとらえられるべき
だと主張する。その上で、学校教育への3つの大きな圧力を以下の通りに特定している。
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(1) 情報の保存および社会的記憶の構築のためのツールとしてのテクノロジーの役割
(2) 社会的記憶にアクセスするための能力における最近の進展の結果
(3) 以前は人がおこなっていた分析的認知的業務をおこなうための、テクノロジー能力
の向上
教育の基本的役割に対するこうした変化の影響のひとつは、今やデジタルネットワークを
活用することでこの方法で伝達される情報のほとんどを簡単に入手できるため、伝統的な再
現アプローチがますます時代遅れになってきている点である。
続いてSäljöは、テクノロジーは本来学習を促進させるものでも向上させるものでもない、
としている。Kaptelinin同様、アーティファクトとの関連において主張するところによると、
テクノロジーは学習の解釈を変えるものであり、また知ることの意味に対する期待感を変え
るものであるという。デジタル技術の導入によって、学習の意味がすでに知られていること
の再現から、すでに知られていることを新しくかつ興味深く、さらに世界に影響を与える潜
在性を秘めたものへと転換させる能力へと変わると主張する。Säljöは、デジタル技術の潜
在的影響に対するこの革命的な見解と、歴史的見解および教育における伝統的プロセスや実
践の関連性および持続性に関する警告とのバランスを取っている。また、教育における変化
は、単に新しいテクノロジーを導入すれば必ず起こるというものではないと主張する。教育
におけるデジタル技術の役割に対するこのような模範的理解は、政策に大きな影響力を及ぼ
すような、一般受けする文筆家が用いる誇張的な議論と対照を成すものである。例えば、
Tapscott and Williams (2010) はこう書いている。
「2 つの広大かつ相互に絡み合った領域において、大学の深い構造や経営モデルに行き渡る
変化が求められる。ひとつは大学の主な顧客(学生)のために創造される価値であり、もう
ひとつは価値創造のための生産モデルである。まず、我々は教育学(学習がいかにして達成
されるか)の古い産業モデルを捨て、協調的学習と呼ばれる新たなモデルと置き換える必要
がある。次に、主題、コース教材、テキスト(書き言葉および話し言葉)を始めとするメデ
ィア(高等教育のコンテンツ)を作成する方法について、まったく新しい手法が求められ
る」(Tapscott and Williams 2010, p10)
大学における変化に対するこのような革命的アプローチは、大学に入ろうとしている新た
な学習者集団についての理解や、この新世代の学生たちがいかにして世代間衝突をもたらす
かについての理解に基づくものである (Jones forthcoming 2011)。
Tapscott と Williams は、新たなネット世代を構成する学生たちが大学変革の原動力となる
べきであるという決定論者の主張を採用している。ネット世代そのものが、ネットワーク・
デジタル技術にどれだけさらされてきたかにより決定される。ネット世代に関する主張にお
いて、同世代および彼らの学習やテクノロジーに対する姿勢は、これまで育ってきた技術環
境にどれだけさらされてきたかによって定義され得ることが示されている。
「各世代は、歴史における自分たちの位置を定め、また将来への展望を形成するような出来
事にさらされる。(中略)ここ 20 年間を振り返ると、若者に影響を与えたもっとも重大な
変化は、明らかにコンピューターやインターネット等のデジタル技術の出現である。私がこ
の時代に育った人たちをネット世代と呼ぶ理由はここにある。彼らは、ビットに浸った最初
の世代なのである」(Tapscott 2009, p16/17)
大学にはデジタルネイティブの学生たちによるネット世代という集団が存在する、という
概念は、数多くの経験的研究によって疑問視されてきた(Jones et al 2010、Kennedy et al.
2008、Hargittai 2010 等を参照)。新たに入学してくる学習者集団には、予想通り多様性があ
り、性別や年齢等のさまざまな標準的な人口統計学的特徴によって区別される。経験的証拠
によれば、新たな入学生の多くが、ブログやウィキ、仮想世界など、現在盛んに議論されて
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いる新たな技術ツールのヘビーユーザーではないことを示している(Jones et al. 2010)。しか
し、変化は起きており、より新しいテクノロジーやサービス(例えば、SNS や、携帯電話
を使ったより先進的なインターネットや E メールの活用)に関連した世代別の変化は明ら
かである(Jones et al. 2010)。筆者は、ネット世代やデジタルネイティブといった決定論に陥
ることなく、こうした世代別の変化を理解するひとつの方法は、現在起きている変化に対す
る 2 つの選択的な解釈を区別することである、と以前強調したことがある。
「第一の論点は、ネット世代とデジタルネイティブという考え方に深く関連するものである
が、それは下記の通りである。
• 特にゲームやウェブといったある種のテクノロジーのユビキタスな性質は、
先進諸国におけるひとつの年齢層全体の展望に影響を与えてきた。
関連性はあるものの上記とは区別される第二の論点は以下の通りである:
• この世代と共に登場してきている新しいテクノロジーには、ある種の社会的
関与をもたらす独自の特徴がある」(Jones forthcoming 2011、 p43)
筆者は、テクノロジーがひとつの世代の展望を決定するという第一の論点は破棄すべきだ
と結論づけた。しかし、デジタル技術が新しい種類の社会的教育的関与の可能性を開いてお
り、それによって教育における選択肢も広がっているという考え方は根強い。おそらく、こ
の区別におけるもっとも重要な要素は、第二の論点において、いかにしてデジタル技術やそ
れに対する我々の関与に関連した選択肢に注目するかということであろう。
大学に入学する新しい世代の学生に関する議論には、第二の肝心な点がある。多くの議論
において、学生が自然とデジタル技術に長けるようになり、彼らが原動力となって新たなメ
ディアの採用に変化がもたされることが示唆されている。英国オープン大学が主催した最近
の 2 つのプロジェクトがこの問題に対していくらかの光を当てている。まず、TEL アプロー
チを採用し、大学で e ラーニングに出合ったネット世代に該当する学生たちを調査した
(Jones et al 2010)。また、もうひとつの調査として、NLS アプローチを使って高等教育にお
けるデジタルリテラシーについて探った(Lea and Jones 2011)。いずれのプロジェクトでも、
研究者たちは、デジタル技術が学生の習慣に吸収される過程で、制度的要素が強く関連して
いるという結論に至った。学生は、個々の講座で課せられた一連の必須条件の影響を受け、
概ね大学の制度的インフラの一環として設置されたテクノロジーを活用していた。Lea と
Jones は、学生によるカリキュラムの境界を曖昧にするウェブの使用は、大学から義務づけ
られたときに起きることが圧倒的に多いことを発見した。こうした調査結果で重要なことは、
学生たちは制度的文脈に反応していたのであり(NLS において前景化されてきた特長)、ネッ
ト世代やデジタルネイティブの観点から決定論者が主張するような方法で、単に一般的な技
術環境に反応していたのではない、という点である。
結論
NLS の強みは、リテラシーというのは個人の能力あるいはスキルであって、脱文脈化さ
れた教育によって授与可能である、という考え方を否定することにある。また、リテラシー
実践を探る際に文脈(特に制度的文脈)へのこだわりを繰り返している点も強みである。一
方、その弱みは、普通の意味を持つ用語である「リテラシー」の修正や使用にある。リテラ
シーは、NLS の研究者たちの主張に反する形で繰り返し使われている。現時点でも、デジ
タルリテラシーの使用頻度はかなり低く、Goodfellow がおこなった簡単な調査では以下のよ
うな結果となっている。
「(中略)高等教育での教育指導や学習における新しいメディアの使用を扱った、さまざま
な教育問題に関する文献が多々ある中で、具体的に『デジタル』リテラシーに目を向けた文
献は 2 タイトルしか見つけられなかった上、双方とも実際にはリテラシーよりもテクノロジ
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ーに重点的扱っていた。タイトルに『デジタルリテラシー』を含む高等教育関連の書籍を検
索した結果は 0 件であった」(Goodfellow 2010, p 5)
つまり、デジタルリテラシーはその可能性をすでに失った言葉なのかもしれず、その継続
的な使用は、個人のスキルに基づくリテラシーという概念についてさらなる混乱を引き起こ
すだけなのかもしれない。しかし、NLS は依然として、TEL に見られる学習への社会的状
況的アプローチと興味深い相乗効果を有している。
この 2 つの研究手法は、Vygotsky に基づくソビエトの社会文化的研究における共通ソー
スおよび、(文化的歴史的)活動理論、正統的周辺参加、実践のコミュニティ等の近代的ア
プローチを参照している。TEL は、STS に関連した研究アプローチおよび、アーティファク
トとアフォーダンスに関して同アプローチが提供する概念的アプローチについて、特に強み
を有する。STS の理論立てと NLS には関連性があり、「テキスト」という用語には、「リ
テラシー」という用語の使用と同様の問題がある(研究者たちによる強硬な理論で屈曲した
使われ方をしているため)一方で、テクノロジーを理解する上で、少なくとも比喩的には使
用できる可能性がある。TEL の重要な側面は、新しい装置やサービスの生産サイクルのよ
うな、概念の絶え間のないリサイクルを越えて、その先に進んでいく必要性である。アフォ
ーダンスの観点から考えることは、根底にあるデジタル技術システムの特徴に根ざしたパタ
ーンを固定することによって、絶え間ないフローを一時的に安定化させることができる。そ
うした意味で、デジタルに焦点を当てることは有益である。なぜなら、最新のデジタル技術
だけでなく、すべてのデジタル技術に内在する特徴に注意が向けられるためである。
新しいモバイル機器やタブレット、iPad、インターネット対応スマートフォンといった現
在の一連の流れは、ユビキタスブロードバンドネットワークとともに登場したデジタル技術
の状況における変化に勢いをつけるものである。ネットワーク機器の可搬性および携帯用機
器の処理能力が一体となって、配信可能なデジタルテキストへの大胆な変更を可能にしてい
る。書籍は今や数秒で、タブレット型コンピューターやキンドル等の専用 E リーダーへダ
ウンロードできる。簡単なステップを踏めば、同じ様にマルチメディアフォーマットを電子
書籍形式に組み込むことができ、その上、従来の活字メディアに含まれるスチール写真と同
様、テキストの一環としてビデオクリップや動画を入れることができる。また、以前であれ
ば別のテキストにアクセスしなければならなかったところを、読者は、文章を読んでいる最
中にリアルタイムの特徴にアクセスできるよう、電子書籍にシミュレーションへのリンクや
クラウドベースの処理能力をつけさせることも可能である。人々はネットワーク対応の携帯
機器を介して提供される単一のマルチメディアテキストへのテクノロジーの組み込みや収束
をナビゲートしているように、デジタルの世界でのリテラシーもまだ緒に就いたばかりなの
だろう。いかなる技術的変化がこの先待ち受けていようとも、筆者が NLS および TEL から
得る鍵となるメッセージは、選択と多様性の役割である。テクノロジーは我々の反応をパタ
ーン化し、その使用を抑制するかもしれないが、あらかじめ決められた結果を強制すること
はない。いつでも選択肢があり、これらの選択肢は単に個別に存在するわけではない。大学
は新しいインフラへの投資方法を選び、講座設計者や学部長は講座の内容とその編成を決め
る。教育においては、設計の過程において一連の作成か購入かの選択をおこない、テクノロ
ジーの展開の可否およびその方法を決めて初めて、エンドユーザーは特定のテクノロジーを
活用するかどうか、そしてそれを役に立てる方法を決めることができる。デジタルの世界に
おけるアカデミックリテラシーは高度に社会的で在り続け、常に交渉が可能である。
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参考文献
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Digital literacies: Hong Kong teachers’ and students’ perspectives
on learning in the 21st century
Carmel McNaught, Paul Lam and Jack Lee
Centre for Learning Enhancement And Research (CLEAR)
The Chinese University of Hong Kong
[email protected], [email protected], [email protected]
Introduction
The Hong Kong government has embarked on a comprehensive and ambitious programme of
educational reform across schools, a range of post-secondary education options and universities.
Undergraduate university education will be lengthened by one year and, at The Chinese University of
Hong Kong (CUHK), our new curriculum design places increased emphasis on the development of a
range of skills and values appropriate to the 21st century, including a capacity for lifelong learning.
Bilingual proficiency, an understanding of Chinese culture and an appreciation of other cultures are
core components of the curriculum and designed to prepare our students globally as citizens and
leaders. The world of the 21st century is an exciting one for our university graduates. There are many
opportunities but there are also many unknowns. In order to plan for this significant change, a number
of studies have been carried out to explore Hong Kong teachers’ and students’ perspectives on
learning in the 21st century.
The Centre for Learning Enhancement And Research (CLEAR) at CUHK has four main strategic
functions which are illustrated on the home page of our website at http://www.cuhk.edu.hk/clear/. The
one that is the focus of this paper is ‘research for scholarship’ – the ‘R’ in CLEAR. This paper
summarizes the major findings from a number of investigations into: 1) students’ and teachers’ use of
technology in everyday life; 2) how eLearning strategies are being used at present; and 3) students’
expectations and perceptions of the usefulness of eLearning.
The results of five research studies will form the basis for the discussion in this paper.
1. ‘Digital native’ study at CUHK: We investigated the access to and the use of various digital
devices and strategies by students and teachers. The study used a similar survey to that used in an
Australian study (Kennedy, Krause et al., 2008; Kennedy, Dalgarno et al., 2008). One department
in each of the eight faculties at CUHK was invited to take part in this study. We asked all the
year-1 students in these departments to complete a student version of the digital-native survey,
and we invited all teachers who taught year-1 courses in these departments to fill in a teacher
version of the survey as well. The overall response rate of students in these eight departments
was 83% with 689 responses being received. Apart from Law, the response rates were all >74%;
in five departments the response rates were >90%. The response rate of teachers was 39% with
56 responses being received. The variation in teacher response rate was high but in five of the
eight departments the response rates were >50% and in two departments were 100%. Teacher
and student responses were contrasted in McNaught, Lam, and Ho (2009).
2. Relationship between eLearning designs and learning outcomes: Twenty-one courses with
significant use of the internet, but with face-to-face teaching as the predominant instructional
mode, were investigated. Five hundred and ninety-five students taking these 21 courses
completed a questionnaire which gave feedback on the extent of use of, and quality of
implementation of, internet features, as well as their perception of the attainment of outcomes
relating to approaches to learning, communication skills and understanding of content.
Confirmatory factor analysis and structural equation modelling were used to test the relationships
between two main eLearning designs (namely, information-based and dialogue-based) and
learning outcomes. Findings were reported in Kember, McNaught, Chong, Lam, and Cheng
(2010).
3. ELearning needs of students in Business: We conducted a survey in a Business department at
CUHK as a preliminary investigation of students’ perspectives of using technology to assist
teaching and learning. Two simple evaluation strategies were used in this pilot study. Firstly, a
57 / 144
4.
5.
focus-group meeting was organized. Seven undergraduate students (four year-2 students and
three year-3 students; four females and three males) were randomly selected and invited to attend
a focus-group meeting. Based on the collected opinions, questions were designed and added to
the regular programme-review questionnaire which was then distributed online to all the students
who had taken courses from this department. As several service courses are involved, this was a
large number – over 1300 students; 131 questionnaires were collected, representing a low
response rate but sufficient for an indicative study. Findings were reported in Ho, Lam, and
McNaught (2009).
Survey on CUHK students’ eLearning use and needs: After the pilot noted in study 3, the
instrument – Questionnaire on eLearning experience and expectation (QEEE) – was designed to
investigate students’ perceptions of eLearning and their experiences of using eLearning
strategies. Although the response rate was not high (13.4%), there were 1438 valid replies with
the respondent profile being a good match to a number of demographics for CUHK (gender, year
level and faculty of study). The overall findings are described in Lam, Lee, Chan, and McNaught
(2010), while Lam, Lee, Chan, and McNaught (in press) further studied the relationship between
previous experiences of eLearning and current perceptions using regression analysis.
Study of eLearning activities through LMS logs: Data on the usage of online learningmanagement systems (LMSs) was used to investigate how students and teachers use an LMS to
facilitate eLearning. The data for analysis came from the weblog records of over 2000
undergraduate and postgraduate courses that used our two LMSs (WebCT and Moodle) in two
academic years (2007–2008 and 2008–2009). Details of the log system can be found in Lam, Lo,
Lee, and McNaught (in press), and the main study is reported in Lam, Lo, Yeung, and McNaught
(2010).
Overall findings in three themes
Students’ and teachers’ use of technology in everyday life
In the digital-native survey, McNaught et al. (2009) reported that our students use technology as an
integral part of their everyday lives. Students reported that they used advanced web or mobile features,
social features, simple web functions, and entertainment-related functions. Of most interest is the fact
that they use technology extensively for social networking and communication. The use of socialnetworking software such as Facebook, Skype and MySpace was prominent with more than 85% of
the students reported using social networking several times a week. (Note that this data was collected
over two years ago and current usage may well be higher.) The use of instant-messaging tools for
communication was even more intense with more than 90% of the students using the tools several
times a week or more. Although our students are not a homogeneous group, they can be still regarded
as ‘digitally ready’ and are very familiar with information and communication technologies.
There were some clear differences between teachers and students in terms of their use and skills of
using the technology-based strategies; for example, the score of students’ self-reported skills for using
the web for social features was 3.12 while that of the teachers was only 2.64 on a 5-point Likert scale.
Teachers, however, had more access to digital devices that seemed to be work-related. It was also
obvious that teachers vary a great deal in their backgrounds and preferences for technology. However,
there was no evidence of a huge gap between teachers and students in their digital literacies. The often
cited ‘digital immigrant–digital native’ divide (Prensky, 2001) seems to have disappeared in Hong
Kong, if indeed it ever existed.
How eLearning strategies are being used at present
The intention of the study by Kember et al. (2010) was to test models of how the use of learning
features on websites impacted on learning outcomes related to the features in question. Data for
testing the models was gathered through a questionnaire which measured students’ perception of the
quality and their extent of use of course-specific web functions. The web functions included
presenting knowledge and information, facilitating discussion, and engaging in learning activities.
The learning outcomes included were ones likely to be developed through the use of these web
features. These included understanding content, information-searching skills, problem solving and
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communication skills. The study focused on two main models for eLearning designs: informationbased (using the web for content delivery) and dialogue-based (for interaction and communication). A
confirmatory factor analysis of scales pertinent to information-presentation and constructive-dialogue
features showed a very poor fit to the data, indicating that the two types of function did not act in
concert. Structural equation modelling was used to test instructional models in presage/ process/
product format for information and dialogue features. We found that the information model showed a
marginal fit to the data, but the dialogue one a very good fit. This shows that using the internet for
presenting information in a blended environment does not seem to effectively help students achieve
learning outcomes. Students considered that using features which promote constructive dialogue and
interactive learning activities encourages a deep approach to learning, the development of
communication skills and enhanced understanding of content.
Evidence from the LMS logs (Lam, Lo et al., 2010), however, showed that the majority of the
eLearning activities used at CUHK are information-based. The study focused on ‘horizontal’ and
‘vertical’ adoption of eLearning strategies as revealed through computer log records in the centrally
supported CUHK LMSs. Horizontal diffusion refers to whether eLearning has spread to influence the
practice of more teachers and students. In vertical diffusion we examined whether or not our teachers
tend to have richer learning activities conducted online in subsequent years. The overall findings are
that, while adoption of simple strategies (information-based) is increasing, there is little evidence of
horizontal and vertical diffusion of the more complex strategies that engage students in interaction.
We drilled down into data on four eLearning functions (i.e. provision of content, online discussion,
assignment submission and online quiz) in each of the course websites recorded in the LMS logs.
Unlike the rising trend in the number of websites over the two years, there was a slight decline in the
use of diverse online strategies on the sites from 2007–2008 to 2008–2009.
To study vertical diffusion, we identified courses that were run in two consecutive years (i.e. 2007–08
Term 1 and then again in 2008–2009 Term 1; and/or 2007–2008 Term 2 and then again in 2008–09
Term 2). If a course used a course website in the first year, we then checked to see whether the
website was still available and used in the second year. On the whole, while we found more course
websites using simple strategies over the two years, the use of some of the more complex strategies
(which are thought to relate to greater potential learning benefits) actually decreased.
Similar findings about the lack of use of many of the interactive eLearning strategies were also
collected from students’ feedback in the eLearning needs survey (Lam, Lee et al., 2010; Lam, Lee et
al., in press). Among different eLearning strategies, using the web for content storage and delivery is
the most common approach, and both teachers and students do use the web as a convenient storage
place and way of distribution of learning materials. However, students also commented that eLearning
approaches were not used extensively, even though they believe that computers can function as study
tools. The use of technology for teaching and learning is basically limited to content delivery if it
involves teachers. Self-learning and peer online discussion are common but are often not teacherinitiated and are informal, for example, by personal web surfing and instant messaging. Regarding
communication and discussion strategies, it seems that the most common use of forums is for course
announcements rather than for genuine discussion; on average, a forum is active and facilitated in
only 20% of course websites. Moreover, from the weblog system data, we know that students on
average post only one to three messages in each forum topic thread.
Students’ expectations and perceptions towards the usefulness of eLearning
The survey on CUHK students’ eLearning use and needs (Lam, Lee et al., 2010) found that, on the
whole, students’ attitudes towards eLearning were moderately positive. Although students have
limited experience of eLearning strategies they have relatively high expectations of eLearning
strategies and their benefits, and the expected usefulness of using these strategies was high as well.
ELearning was considered by nearly 90% of the students as being useful. Many students favoured
more use of technology in the classroom context: about 80% of the students considered that
multimedia would be useful and nearly 60% of the students regarded the showing of webpages as
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helpful in explaining concepts in a class. Most of the students also believe computers can be an
efficient learning tool and help them to search for learning resources. In addition, students saw huge
potential in using eCommunication for teaching and learning. Students on the whole favoured the use
of eCommunication for teaching and learning (77% found eCommunication to teachers useful, 52%
favoured teacher–student communications in forums, and 68% regarded student–student interactions
useful).
However, overall, we also found that students were not overly enthusiastic in terms of formal online
interactive activities; they were particularly cautious about strategies such as online quizzes and
learning communities of which they had very limited experience. For instances, data collected from
our weblog system (Lam, Lo et al., 2010) illustrated that only ~7% of course websites employed
online quizzes over the two years of the study.
Although students found the acquisition/ understanding of knowledge, and access to information as
the most obvious benefits, but they were less certain about other potential benefits such as deeper
understanding of knowledge and learning-skill acquisition. Lack of experience seemed to be one of
the reasons for students to be less eager about more complex or less-known strategies. The relation
between experience and expectations was confirmed by the multiple regression analyses. We found
that students who more readily used technology in their everyday lives tended to have more positive
perceptions of eLearning. More interestingly, however, even stronger relationships were found
between experiences in eLearning and perceptions of eLearning. Those who used a certain eLearning
strategy more tended to want more of the same strategy. They were also more positive about the
various learning benefits associated with eLearning.
The study in the Business department (Ho et al., 2009) also revealed similar conservative but yet
mildly positive opinions of students towards eLearning. There was evidence that our students, though
heavy users of digital devices in their everyday lives (for communication and for entertainment), do
not seem to see the use of technology as automatically transferrable to education. Their views about
the use of eLearning strategies seem to be very practical: if the strategies are not required and do not
contribute to marks in their courses, they will stay with the minimal and traditional strategies. They
are digital natives but not digital learners.
Concluding comments
The three aspects discussed above can be summarized as follows:
1.
2.
3.
The concept of a huge gap in digital literacies between teachers and students is not substantiated
in our context. Teachers may well be ‘digital immigrants’ but there is variation in both teacher
and student groups in the level of ownership of digital devices and of acquisition of appropriate
digital skills.
Students are often termed ‘digital natives’; however, there is little evidence that they are natural
‘digital learners’. Students appreciate the diversity of functionality of technology but are cautious
about changing old habits, especially if this might impact on their grades. However, interestingly,
the more experience students have with eLearning, the more positive they appear to be towards
the use of technology for learning.
Students often ask for notes and PowerPoints slides to be uploaded on course websites (see for
example a meta-analysis across 70 eLearning projects in Hong Kong; Lam, McNaught, & Cheng,
2008). Students’ requests for more digital information is partly due to the heavy informationoriented examination system they have grown accustomed to and partly to a shrewd assessment
that, even in a university system that seeks to support deeper learning, the ‘quick fix’ still works.
However, our evidence in Hong Kong universities is that students understand that interactions
that lead to constructive dialogue are more beneficial to learning than being provided with access
to information alone. They are aware of what digital experiences are most conducive to effective
learning.
60 / 144
This situation can create inner tensions in students and this in turn creates interesting challenges
for us as teachers to engage with. More attention to the art and science of learning design may
well assist university teachers design learning environments that assist students to recognize
ambiguities in their own perceptions, interrogate their own perceptions and seek to adopt and
adapt learning strategies in a blended mode that enable them to develop the capabilities they need
in the 21st century.
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pdf
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デジタルリテラシー
-香港の教員と学生の 21 世紀における学習の展望-
カーメル・マクノート(Carmel McNaught)、
ポール・ラム(Paul Lam)、ジャック・リー(Jack Lee)
香港中文大学学習能力向上研究センター
[email protected], [email protected], [email protected]
はじめに
香港政府は、高等教育や大学など広い範囲にわたる、包括的かつ意欲的な学校教育改革プ
ログラムに乗り出している。大学学部教育は 1 年間延長されることになる。また、香港中文
大学(CUHK)の新たなカリキュラムデザインにおいても、生涯学習能力など、21 世紀に
適した様々なスキルやバリューの開発に一層の重点を置いている。バイリンガル能力、中国
文化の理解、そして他文化の評価がカリキュラムのコア・コンポーネントであり、将来、学
生たちが世界の市民として、またリーダーとして歩んでいけるようデザインされている。本
学卒業生にとって、21 世紀は刺激に満ちた世界である。数多くの機会に恵まれるだろうし、
同時に不測の事態も多々起こるだろう。こうした大きな変化に対する計画を立てるために、
香港の教員と学生の 21 世紀における学習の展望を探る研究が数多く行われてきた。
CUHK の 学 習 能 力 向 上 研 究 セ ン タ ー ( CLEAR ) は 、 ウ ェ ブ サ イ ト
(http://www.cuhk.edu.hk/clear/)に示す 4 つの戦略的機能を有している。そのうち、本論に
おいて焦点を当てるのが「学力(scholarship)研究」―CLEARの「R」にあたる部分である。
本論文では、以下の項目に関する数々の研究から得られた主な成果をまとめたい。1)日常生
活における、学生と教員のテクノロジーの利用度、2)現在のeラーニング戦略活用法、およ
び 3)eラーニングの有用性に対する学生の期待と認識。
5 つの研究結果が本論の議論の土台となっている。
1.
CUHK における「デジタルネイティブ」研究
学生および教員による、様々なデジタル機器・戦略のアクセス、利用度合いを調査し
た 。 本 研 究 で は 、 オ ー ス ト ラ リ ア で の 研 究 ( Kennedy, Krause et al., 2008; Kennedy,
Dalgarno et al., 2008)で用いられたのと同様の調査方法を採った。CUHK の各 8 学部から
1 学科を選び、本調査への参加を求めた。対象学科の全 1 年生に対し、学生用デジタルネ
イティブ調査項目に全て回答するよう依頼。学生に授業を行なう同学科の全教員にも、
教員用バージョンを提供し、回答を求めた。これら 8 学部の学生による回答数は 689、
回答率は全体で 83%だった。法学部を除き、回答率は全て 74%を超えた。また、5 学科
で回答率が 90%を超えた。教員の回答数は 56、回答率は 39%だった。教員の回答率に
はバラつきが大きいが、8 学科中 5 学科において、回答率が 50%を超え、うち 2 学科で
は 100%であった。McNaught、Lam および Ho (2009)において、回収した教員と学生の回
答を比較した。
2. e ラーニングデザインと学習成果の関係
インターネットの利用頻度は高いもののメインの指導スタイルは対面式、という 21 の
講座について調査を行った。この 21 講座を受講中の 595 名の学生に対して質問票を配布
し、インターネット機能の利用度や実行の質、また学習やコミュニケーションスキル、
内容理解に関する成果の達成度についてどう認識しているか回答してもらった。確証的
因子分析法および共分散構造分析法を用いて、2 つの主要なeラーニングデザイン(情
報ベースおよび対話ベース)と学習成果の関係性を測定し、Kember、McNaught、Chong、
Lam および Cheng(2010)にて調査結果を報告した。
62 / 144
3.
ビジネス学科生における e ラーニングの必要性
指導と学習を支援するテクノロジーの利用を学生がどう見ているかについて、予備調
査として CUHK ビジネス学科を対象に調査を実施した。この予備調査では、2 つのシン
プルな評価戦略が用いられた。まず、フォーカスグループミーティングを行った。学部
生 7 名(2 年生 4 名、3 年生 3 名。女子学生 4 名、男子学生 3 名)を無作為に選出し、フ
ォーカスグループミーティングに参加してもらった。そこで集められた意見を元に質問
を作成し、通常のプログラムレビューの質問項目に加えたものを、当該学科の講座を受
講していた全学生にオンラインで配布した。複数の一般講座が含まれていたため、配布
対象学生数は 1,300 名を超えた。回収数は 131 と、回答率は低かったものの、示唆的な調
査としては十分な数であった。Ho、Lam および McNaught (2009)にて調査結果を報告し
た。
4. CUHKの学生によるeラーニングの利用とニーズに関する調査
調査3で述べた予備調査後、『eラーニング経験と期待(QEEE)』調査を策定し、学
生がeラーニングをどう認識しているか、またeラーニング戦略を利用した経験について
調査した。回答率は低かったものの(13.4%)、CUHKの学生統計データ(性別、学年お
よび学部)ともよく適合した回答者プロフィール付きの有効回答数1438件が得られた。
全体的な調査結果はLam、Lee、ChanおよびMcNaught(2010)にて発表した。また、
Lam、Lee、ChanおよびMcNaught(近刊)では更に、回帰分析を用いて過去のeラーニン
グ経験と現在の認識の関係を調査した。
5. LMS ログによる e ラーニング活動の研究
オンライン学習管理システム(LMS)の利用に関するデータを用いて、e ラーニング
を上手く進めていくために学生と教員が LMS をいかに利用しているか調査した。分析に
用いたデータは、2007 年度、2008 年度の 2 年間における、本学 2 つの LMS(WebCT およ
び Moodle)を利用した 2,000 以上の学部・大学院講座のウェブログ記録によるもの。ログ
システムの詳細は Lam、Lo、Lee および McNaught (近刊)にて参照可能。また、主要な調
査結果は Lam、Lo、Yeung および McNaught (2010)にて報告している。
3 つのテーマにおける総合的研究結果
日常生活における、学生と教員のテクノロジーの利用度
デジタルネイティブ調査において、McNaught 他(2009)は、学生が日常生活に不可欠な
ものとしてテクノロジーを利用していることを報告した。また、学生は最先端のウェブまた
はモバイル機能、ソーシャル機能、シンプルなウェブ機能、そしてエンターテインメント関
連機能を利用していることが報告された。このうち最も興味深いのは、ソーシャルネットワ
ークおよびコミュニケーションにテクノロジーを広く用いている、という事実である。
Facebook や Skype、MySpace といったソーシャルネットワークソフトの利用が著しく目立っ
ており、学生の 85%以上が 1 週間に複数回ソーシャルネットワークを利用していることが
報告された(このデータは 2 年前に集めたものであり、現在の利用率は更に上がっていると
推測される)。コミュニケーション用インスタントメッセージツールの利用率は更に高く、
1 週間に 2~3 回以上利用している学生の割合は 90%を超えた。本学の学生は均一な集団と
いうわけではないが、それでも総じて「デジタルに強い(digital-ready)」とみなしてよい
だろう。学生は ICT に大変慣れ親しんでいる。
テクノロジーベースの戦略の利用度およびスキルに関しては、教員と学生の間で明確な相
違がみられた。例えば、ウェブでソーシャル機能を利用するスキルに関する自己申告値は、
リッカート尺度(5 段階)で学生が 3.12 だったのに対し、教員は 2.64 だった。しかし、教
員の方が、作業に関連すると思われるデジタル機器の利用率は高かった。また、テクノロジ
ーに関するバックグラウンドや好みに関しては、教員の方が大きなバラつきがあることも明
らかだった。しかしながら、デジタルリテラシーの面で、教員と学生の間に大きな溝が存在
することを示す証拠はなかった。「デジタル移民/デジタルネイティブ」の格差 (Prensky,
63 / 144
2001)、という言葉がよく引かれるが、香港ではすでに消滅したようである―もちろん、そ
れが本当に存在していたのなら、という話であるが。
現在のeラーニング戦略活用法
Kember他 (2010)による本研究は、ウェブサイト上の学習機能の利用がいかにその機能に
関連した学習成果に影響を与えるかについて、モデルを検証することを目的としたものであ
る。モデルの検証に用いたデータは、講座に設けられたウェブ機能の利用度および質につい
てどう認識しているかを測る質問票により収集した。ここで言うウェブ機能には、知見や情
報の発表や議論の促進、学習活動への従事などが含まれる。また、ここで言う学習成果と
は、これらのウェブ機能を利用することにより向上すると思われる成果が含まれる。例え
ば、内容の理解、情報検索スキル、問題解決・コミュニケーションスキルなどがある。本研
究では、eラーニングデザインに向けた2つの主要モデルに焦点を当てた。情報ベースモデル
(ウェブをコンテンツの配布に用いるタイプ)および対話ベースモデル(ウェブをインタラ
クションやコミュニケーションに用いるタイプ)である。この、情報提示機能と建設的対話
機能に関する尺度の確証的因子分析によれば、これらが合致することはほとんどなく、これ
ら2つの機能は協調的に働いていないことが示された。共分散構造分析法を用いて、情報・
対話機能の前提/過程/産出フォーマットにおける指導モデルを検証した結果、情報モデル
の場合はわずかな適合が見られるのみであったが、対話モデルの適合性は非常に高かった。
これはつまり、ブレンデッド環境(blended environment)において、インターネットを情報
提示に利用することは、学生の効果的な学習成果の達成のサポートにあまり役立つものでは
ないことを示すものである。学生は、建設的な対話やインタラクティブな学習活動を促進す
る機能を用いる方が、より深い学習アプローチやコミュニケーションスキルの進歩、内容の
理解度向上を促すと考えていた。
しかしながら、LMS ログ(Lam, Lo et al., 2010)によれば、CUHK での e ラーニング活動の大
部分が情報ベースであった。この研究では、中央でサポートされている CUHK の LMS のコ
ンピュータログ記録を通じて明らかになる、e ラーニング戦略の「水平的」および「垂直
的」適用に注目した。水平的普及とは、e ラーニングが広がりを見せ、より多くの教員およ
び学生の実践に影響を及ぼしているかどうかに言及するものである。一方、垂直的普及では、
教員が後年、オンラインでより内容の濃い学習活動を提供する傾向が生まれたかどうかを検
証した。全体的な結果としては、単純な戦略(情報ベース)の適用は増加しているものの、
学生をインタラクティブな活動に携わらせる、より複雑な戦略については、水平的、垂直的
普及を示すものはほとんどない。
我々は、LMS ログに記録された各講座ウェブサイトにおける 4 つの e ラーニング機能
(すなわちコンテンツの提供、オンラインディスカッション、課題の提出およびオンライン
による小テスト)に関するデータを掘り下げた。2007 年度および 2008 年度の 2 年間で、ウ
ェブサイト数は増加傾向にあるのに対して、サイト上における様々なオンライン戦略の利用
はやや減少していた。
垂直的普及について調査するために、2 年連続で開講された講座を特定した(2007 年度前
期および 2008 年度前期、および/または 2007 年度後期および 2008 年度後期)。1 年目に
講座がウェブサイトを利用していた場合、2 年目にそのウェブサイトがまだ利用可能な状態
にあるかチェックした。全体として、2 年間でより単純な戦略を用いた講座ウェブサイト数
は増加しているのに対し、(学習により大きなメリットをもたらすのに関連すると想定され
る)より複雑な戦略の利用については、実際には減少していることが分かった。
eラーニングの必要性に関する調査における学生の回答から、インタラクティブなeラーニ
ング戦略の利用不足に関しても、上記と同様の結果が得られた(Lam, Lee et al., 2010; Lam,
Lee et al., 近刊)。様々なeラーニング戦略の中でも、コンテンツの保存・配信場所としてのウ
ェブの利用が最もよく見られるアプローチであった。実際、教員、学生ともに、学習教材の
便利な保存場所、配布方法としてウェブを利用している。しかし、学生は、コンピュータが
学習ツールとして機能し得ると考えているのにもかかわらず、eラーニングアプローチは広
64 / 144
く利用されていなかった、ともコメントしていた。指導および学習におけるテクノロジーの
利用は、基本的に教員が関わる場合にはコンテンツの配信に限定されている。自己学習およ
びオンラインでの生徒同士の議論はよく見られるものの、それらも教員主導である場合や、
個人的なネットサーフィンやインスタントメッセージなど正規ではない形によるものである
場合が多い。コミュニケーションおよびディスカッション戦略に関しては、フォーラムは、
純粋な議論のためというよりも、講座からのお知らせなどに使われる例が最も多いようであ
る。平均すると、フォーラムが機能しておりかつ利用しやすい状態になっているのは、講座
のウェブサイトのうちわずか20%である。更に、ウェブログシステムデータによると、学生
による各フォーラムのひとつのスレッドへの投稿は、平均わずか1~3回にとどまっている。
eラーニングの有用性に対する学生の期待と認識
CUHKの学生によるeラーニングの利用とニーズに関する調査 (Lam, Lee et al., 2010)による
と、eラーニングに対する学生の態度は概してややポジティブであった。eラーニングの経験
は限られたものであるのに関わらず、学生はeラーニング戦略およびそのメリットについて
比較的高い期待を抱いており、これらの戦略を利用する有用性に関する期待値も同様に高い
ものであった。学生の90%近くがeラーニングを有用であると考えていた。多くの学生が、
授業のコンテンツにテクノロジーをより利用することを好んでいた。学生の約80%が、マル
チメディアは有用と考えており、約60%が、授業で自分の考えを説明するのにウェブページ
を見せることが役に立つと考えている。また、大部分の学生が、コンピューターは効率的な
学習ツールとなり得るものであり、学習リソースの検索に役立つと考えている。加えて、学
生は指導と学習にeコミュニケーションを用いることに大きな可能性を感じていた。学生は
概ね指導と学習にeコミュニケーションを用いることを好んでいた(77%の学生が、教員に
とってeコミュニケーションが有用であると考えており、52%がフォーラムでの教員-学生
間のコミュニケーションを好んでいる。また、68%が学生同士のインタラクションを有用と
考えている)。
しかし、全体的に見ると、学生は、授業でのオンラインのインタラクティブ活動について
はそれほど熱心ではないことが分かった。特に、オンラインによる小テストや、殆ど経験の
ない学習コミュニティといった戦略については、特に慎重な姿勢を見せた。例えば、ウェブ
ログシステムのデータによると(Lam, Lo et al., 2010)、講座ウェブサイトのうち、2年間の調
査期間でオンラインによる小テストを採用したのは7%までにとどまった。
学生は、知識の取得/理解、情報へのアクセスが最も明確なメリットであると理解してい
るものの、より深い知識の理解や学習スキルの取得といったその他のメリットとなる可能性
のあるものについては、それほど確信をもっていなかった。より複雑な、あるいはそれほど
なじみのない戦略に対してそれほど乗り気ではない理由の一つは、経験不足が考えられる。
経験と期待との間には関係性があることが、重回帰分析により確認された。日常生活でテク
ノロジーをより積極的に利用する学生の方が、そうでない学生よりもeラーニングをより好
意的に受け止める傾向があることが分かった。しかしより興味深いのは、eラーニングの経
験とeラーニングへの認識との間に、より明確な関係性が見られた点である。何らかのeラー
ニング戦略を利用した学生は、同様の戦略をより多く求めようとする傾向があった。また、
eラーニングに付随する様々な学習メリットついてもよりポジティブな姿勢を見せた。
ビジネス学科における調査(Ho et al., 2009) においても、学生が e ラーニングに対して保守
的ではあるもののややポジティブな意見を持っていることが明らかになった。本学の学生は、
日常生活においてデジタル機器のヘビーユーザーであるにもかかわらず(コミュニケーショ
ンやエンターテインメントでの利用)、テクノロジーの利用に対し、直ちに教育に移行可能
なものとは見ていないようである。学生は、e ラーニング戦略の利用について非常に現実的
な見方をしている。戦略が必須ではなく、講座の評価にも関係しないものである場合、学生
は最小限かつ従来の戦略を続けるだろう。彼らは「デジタルネイティブ」ではあっても、
「デジタル学習者」ではないのである。
65 / 144
結論
上記で論じてきた 3 つの側面は、以下のようにまとめられる。
1.
2.
3.
教員と学生の間にはデジタルリテラシーの面で大きな溝が存在している、という見方が
あるが、我々の研究ではそうした点は立証されていない。教員は「デジタル移民」かも
しれないが、教員、学生どちらのグループにおいても、デジタル機器の所有率や適切な
デジタルスキルの習得度にはバラつきがある。
学生は「デジタルネイティブ」と呼ばれることが多いが、生まれつき「デジタル学習
者」であることを示す証拠はほとんど無い。学生はテクノロジーの機能の多様性を評価
しているものの、特に成績評価に影響が及ぶ可能性がある場合には、従来のやり方を変
更することに慎重な姿勢を見せる。しかし、興味深いことに、学生が e ラーニングの経
験を重ねるにつれ、学習にテクノロジーを用いることへの積極性が増していくようであ
る。
学生からは、講座のウェブサイトにノートやパワーポイントスライドをアップロードし
て欲しいというリクエストが来ることが多い(例えば、香港における 70 の e ラーニン
グプロジェクトにわたるメタ分析例を参照。Lam, McNaught, & Cheng, 2008)。このよう
に、学生がより多くのデジタル情報を求めるのは、一部にはこれまでの成長の過程で慣
れてきた情報偏重型の試験制度によるものであり、また、より深い学習のサポートを目
指す大学システムでさえも、「応急措置(quick fix)」的な対応がまかり通っているこ
とを鋭く見抜いているからでもある。
しかし、香港の大学における調査結果が示すところでは、学生は、単に情報へのアクセ
ス権を与えられるよりも、建設的な対話につながる交流の方が、学習により有益である
と理解している。効果的な学習に最も貢献するのはどのようなデジタル経験か、学生は
気づいているのである。
こうした状況が、学生に内面的な葛藤を生み、ひいては、我々教員が向き合うべき興味
深い課題を生み出すことになる。学生が自身の認識の曖昧さを確認し、そうした認識を
問い直した上で、21 世紀に必要な能力開発を可能にするブレンデッド形式(blended
mode)の学習戦略を選択し適用していくこと―これを支援する学習環境を大学教員がデ
ザインするためには、学習デザインの技法や理論に一層の注意を向けていくことが役立
つかもしれない。
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67 / 144
Digital Literacy in Australia: The Role of Libraries to Build Skills and Capacity
Gillian Hallam
Adjunct Professor, Information Science Discipline
Faculty of Science and Technology
Queensland University of Technology
Brisbane, Australia
Introduction
The International Symposium hosted each year by the Centre of ICT and Distance Education (CODE)
at The Open University of Japan is a valuable forum where educators come together to discuss
contemporary issues in learning and teaching in open and distance learning. The focus of the
International Symposium in February 2010 was student-centred learning, with the invited speakers
drawing on their experiences of the educational shift that anticipates increased student participation in
the learning activities. In schools, colleges and universities alike, educational technologies are being
introduced to influence and shape the practices of teaching and learning and to provide new
opportunities for knowledge creation. The increasing convergence of information and communication
technologies (ICT) and content can dramatically enhance the possibilities for conceptualising
educational activities that are supported by the seamless delivery of information resources at the point
of need.
The International Symposium 2011 builds on some of the themes discussed last year about the learner
engagement. Gráinne Conole (2010) specifically highlighted some of the challenges of the eLearning
environment:
It is evident that today’s learners are immersed in a technologically rich learning environment.
They see technologies as an essential part of their tools for learning. They appropriate
technologies to suit their own learning styles and use them to support all aspects of their
learning. However despite having grown up in a technological environment, not all students
are able to use technologies effectively in an academic context.
(Conole, 2010, p.4)
The role of digital literacies in student-centred pedagogies was acknowledged to be critical, since in
the eLearning environment there is clearly a significant gap between those teachers and students who
are ‘tech savvy’ and those who lack the skills and/or confidence required to successfully navigate the
constantly evolving electronic environment. The theme of this year’s International Symposium
invites delegates to explore the diverse perspectives of digital literacy and to consider the implications
for learning and teaching in higher education and in lifelong learning.
The annual Horizon Report published by the New Media Consortium (NMC) presents predictions
about the emerging landscape of educational technology. It is interesting to follow the developing
notions of the literacy skills needed by students as presented in the Horizon Reports over the past five
years (Table 1).
68 / 144
Table 1: Information literacy as a challenge for educational technology:
Horizon Reports 2007-2011
Report
Challenges in the application of educational technology
2007 Horizon Report Information literacy increasingly should not be considered a
given
2008 Horizon Report The academy is faced with a need to provide formal
instruction in information, visual and technological literacy
as well as how to create meaningful content with today’s
tools
2009 Horizon Report There is a growing need for formal instruction in key new
skills, including information literacy, visual literacy and
technological literacy
2010 Horizon Report Digital media literacy continues its rise in importance as a
key skill in every discipline and profession
2011 Horizon Report Digital media literacy continues its rise in importance as a
(Preview)
key skill in every discipline and profession
The notion of ‘information literacy’ has progressively changed to multiple literacies (‘information
literacy’, ‘visual literacy’ and ‘technological literacy’) to subsequently be referred to as ‘digital media
literacy’. Significantly, there is no diminution of this challenge in recent times, as digital media
literacy continues to rise in importance in all educational contexts. It is noted in the Horizon Report
that the support for students in the classroom is limited by the fact that scant attention is given to
digital literacy skills and techniques in teacher education programs. This challenge is further
intensified as “digital literacy is less about tools and more about thinking, and thus skills and
standards based on tools and platforms have proven to be somewhat ephemeral” (NMC, 2010, p.6).
This evolving picture is widely discussed in the literature, as clearly illustrated in the texts edited by
Martin and Madigan (2006) and Lankshear and Knobel (2008). As noted in the earlier Horizon
Reports, the foundations of digital literacy sit in the domains of information literacy and ICT literacy
(Bawden, 2006; Pilerot, 2006; Martin, 2006; Fieldhouse & Nicholas, 2008).
The changing learning landscape in all educational institutions inevitably anticipates a range of
literacies that enable students and teachers to access and use digital technologies and to understand,
interpret, create and transform digital content not only in learning, but also in all dimensions of their
lives. In Australia, national, state and local governments have focused on the need for all citizens to
be able to participate effectively in the wide spectrum of socio-cultural and economic activities that
characterise life in the 21st century. Learning, technology and community represent three critical
dimensions that can build the foundation of a digitally literate society (Kearns & Grant, 2002).
One of the major challenges facing modern society, however, is to ensure that all members of the
community not only have the digital literacy skills to interact with the online environment, but also
the confidence and capacity to adapt to the ongoing changes. Most schools, colleges and universities
are well positioned to provide targeted support for their immediate clients, but it is considerably more
complex in the broader context of open learning and vocational training. Widened participation in
education and the attainment of qualifications is encouraged, but many people will not undertake
training at a large institution, relying instead on opportunities in their local area, undertaking skills
development in small groups of similar people and in locations where they feel at ease.
In the 21st century, libraries play an important role to establish the linkages between the Internet as
communications tool, online content, and the development of digital skills. This paper discusses the
current government policy context in Australia as it seeks to find its place in an increasingly digital
world and explores some of the ways in which libraries can make a major contribution to lifelong
learning by supporting the development of digital proficiencies in the wider community. A number
of exciting initiatives that aim to build the capabilities of individuals and the capacity of their
communities are presented in a series of case studies.
69 / 144
Libraries and literacies
The library world, especially the academic library world, has laid claim to the field of information
literacy by extending the role of activities such as ‘bibliographic instruction’ and ‘user education’.
Lead agencies in several countries adopted information literacy frameworks for students, including
the ‘Seven Pillars’ model developed by the Society of College, National and University Libraries
(SCONUL) in the United Kingdom (1999); the five standards promoted by the Association of College
and Research Libraries (ACRL) in the United States (2000); and the Australia and New Zealand
Institute for Information Literacy (ANZIIL) Framework in Australasia (Bundy, 2004). Many
universities have included the general domain of information literacy in their statements on graduate
attributes. One example, drawn from Queensland University of Technology (QUT), links
contemporary information literacy to lifelong learning (2009):
Every QUT course aims to develop graduates who are able to demonstrate:
• the capacity for life-long learning
including:
o searching and critically evaluating information from a variety
of sources using effective strategies and appropriate technologies
The development of instructional technologies has not only resulted in a more coordinated approach
to the management of course materials, but has also made it possible to integrate information literacy
tuition into the learning environment. In recognising the need for student-centred learning, QUT has
established a self-paced tutorial, PILOT, that allows students to develop the skills to navigate and
manage the information they need for their studies (Figure1).
Figure 1: QUT PILOT program
Wherever possible, librarians work with academic staff to ensure that information literacy activities
are embedded in the curriculum itself, rather than being an independent add-on that is not directly
related to the students’ specific learning activities. PILOT is used as a learning support. While the
PILOT program has been adopted and adapted by many other academic institutions and has been
reviewed and revised to remain relevant in a multi-modal learning environment, the main focus
remains textual (books, journals, text-based websites). It can be argued that it does not yet address the
issues associated with new ways of authoring, publishing, communicating and corroborating which
characterise digital literacies, as opposed to information literacy.
In Australia it is common for academic libraries to have ‘Information Literacy Librarian’ positions,
who are typically responsible for the development, coordination, delivery and evaluation of
information literacy programs and resources for the staff and students across the university. One of
the problems associated with this role is where and how it sits within a team of staff who represent
academic support (eg the library, ICT support and learning support). With the convergence of form
and content, ‘information’ is no longer a discrete commodity. The ‘Information Literacy Coordinator’
70 / 144
position at QUT has been recently changed to the ‘Integrated Literacies Coordinator’, who manages a
combined team of librarians and academic skills advisers. This approach to integrated literacies has
allowed the coalescence of information searching and knowledge-generation with the rhetorical
dimensions of reading and writing, so that students are provided with more timely personal help to
resolve their difficulties quickly and effectively and to connect them with a range of learning
resources appropriate to their study needs (Peacock, 2008). While universities have been moving to
combine the three functional areas of academic support for learning, it is imperative that the job roles
also reflect the increasing convergence that demands “a much broader reconceptualization of what we
mean by literacy in a world that is increasingly dominated by electronic media” (Buckingham, 2008,
p.88).
Beyond the academic learning environment, in the public library sphere, there is also a growing recognition
of the need to embrace not only information literacy, but also digital literacies in the wider sense. In its
policy on libraries and literacies, the Australian Library and Information Association (ALIA) stresses the
fact that the scope for access to information resources, in all media, will increase enormously as ICT
becomes more sophisticated: “ Rapid social change, the emphasis on lifelong learning, the increasing rate
of technological development and the movement towards an information-based society are factors which
suggest, as never before, that literacies are an essential instrument for effective participation in society”
(2006). Public libraries have ceased to be simply repositories of [textual] information and have become
places for “sharing information and opening opportunities for learning, community engagement and social
capital building” (Goodman, 2009, p.104). In the UK, the Chief Executive of the British Library, Dame
Lynn Brindley, has identified six issues that will impact on library services in the immediate future:
•
•
•
•
•
•
The electronic data ‘deluge’, which impacts of the organisation, storage and curation of data
Collaborative and participative approaches to information creation, management and distribution
through Web 2.0
Digitisation of unique materials
The need for a deeper understanding of critical information analysis skills in a digital world
Digital preservation and long term access to resources, particularly in the context of government
information
Inspiring spaces: to support creative networking and interaction.
(Brindley, 2009)
In this ever-evolving virtual environment of e-resources, library clients will require strong digital
literacy comptetences. Brindley predicts, that in the future, knowledge will never have been so freely
available, yet coherent understanding will never have been so tantalisingly elusive. She also suggests
that there are opportunities to shape “interactions with knowledge creation, knowledge ordering and
dissemination, and knowledge interaction” (2009, p.11). Digital literacies lie at the core of these
developments, in terms of managing and accessing information resources in diverse media formats, as
well as responding too – and indeed anticipating – client expectations in a participative and
collaborative digital information environment that is not limited to academic study.
Government policy in Australia in relation to digital literacies
Across the world, governments have begun to link economic prosperity in today’s knowledge-based
society with digital literacy (Rantala & Suoranta, 2008). Digital literacy is viewed as the foundation
for skills development and lifelong learning, enabling the individual to be an engaged citizen, or
‘cybercitizen’, in the online world:
The world of the 21st century citizen is more multi-layered with online existences
and real world life connecting for everyday tasks such as bill paying, booking tickets
or an online persona communicating with others, for example on customer service
questions. Through […] connected digital technologies, people will be engaged in
new ways in areas of life that include online health, education, government services
71 / 144
(for example tax, car registrations), commerce (for example banking and retail
services) and interactive communications and services for remote communities.
(Innovation & Business Skills Australia, 2010, p.5)
The Organisation for Economic Cooperation and Development (OECD) has highlighted the
importance of ICT policies in its member countries, but looks beyond the technology to consider the
influence on “growth and jobs, increasing productivity, enhancing the delivery of public and private
services, and achieving broad socio-economic objectives in the areas of health care and education,
climate change, energy efficiency, employment and social development” (2010, p.10). This
international discourse has permeated, of course, to Australia at the Federal and State levels.
Current Australian government policy has a strong focus on the value and impact of a digital economy
which is viewed as essential to the nation’s productivity, global competiveness and social well-being
(Department of Broadband, Communications and the Digital Economy, 2009). The key elements of a
successful digital economy include the government, industry and the community (Table 2).
Table 2: Elements of a successful digital economy
The Australian Government has accepted the general concept of social inclusion in its policy
framework, but to date there are no clearly articulated policies that specifically relate to digital
inclusion. The Government is, however, cognisant of the growing value of digital media literacy
skills: “The ability to confidently use, participate in and understand digital media and services is
becoming an important prerequisite to effective participation in the digital economy and Australian
society more generally” (Australian Communications and Media Authority, 2009a). It is argued that
without at least basic digital literacy, individuals will be excluded from the benefits that are expected
to flow from digital media as they are integrated into all aspects of life, including business,
government services, culture and entertainment. This will mean that if citizens are not digitally
literate, the aspirational goals for a digital economy cannot be achieved.
A distinction is made between ‘digital natives’ who have been raised in an Internet world and ‘digital
immigrants’ who learn and adopt digital technology later in life. The Australian government is
concerned that all Australians should have the confidence and skills to engage with the new digital
economy in a safe and productive manner. Specific areas of concern include privacy protection,
online security and cyber-safety. Digital media literacy is noted as a critical dimension of the
Government’s aspirations, with the expectation that technology will be seamlessly woven into
business and community activities. Three core skill sets have been identified as the critical building
blocks of a digitally literate society:
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•
•
•
The technical ability to engage at a basic level with a computer and the internet, such as to
create documents and emails
The ability to understand and critically evaluate digital media and digital media content
The ability to create content and communications.
(Department of Broadband, Communications and the Digital Economy, 2009, p.44)
These skill sets resonate with multi-level model of digital literacy proposed by Martin (2008): the
foundation level is digital competence which encompasses the skills, concepts, approaches and
attitudes that underpin digital usage. This level relates to the application of digital competence within
specific contexts (Martin refers to ‘professional contexts’ or ‘domain contexts’ ). Digital
transformation represents the level at which innovation and creativity is achieved. There are
variations of scale at all levels of Martin’s model, ranging from ‘basic’ competence (as noted by the
Government) to “more demanding or analytical competence” (Martin, 2008, p.171) such as the
knowledge interaction referred to by Brindley above. Digital usage is inevitably fashioned by the
requirements of any given situation, which will depend on the individual’s life context, whether the
activity be associated with study, work or leisure. These life situations will involve the use of digital
tools to complete a task or solve a problem by seeking, finding, evaluating and processing information
resources. Engagement with the digital environment to create new content and to communicate with
others can occur independently or collaboratively. It is acknowledged that digital literacies are
flexible and dynamic: skill requirements will not only depend on the individual’s immediate
circumstances, but will also shift and change in different contexts and over time (Martin, 2008).
Australian Federal Government programs
The Australian government has two major initiatives that are central to the execution of its policy for
a digital economy: The National Broadband Network, which represents the critical infrastructure for
the future, and the Digital Education Revolution, which aims “to prepare Australian school students
for further education, training and employment and to equip them with the skills they need to live,
work and succeed in an increasingly digital world’ (Department of Broadband, Communications and
the Digital Economy, 2009, p.44f).
National Broadband Network
The telecommunications system in Australia currently relies on an ageing copper wire network that
does not have the capacity to handle the level and speed of data services required today and into the
future. The nation’s digital future depends on new infrastructure that promises to deliver faster and
more reliable Internet services to homes, schools and workplaces via fibre optic cabling (93%),
wireless (4%) and satellite technologies (3%). The installation involves laying almost 250,000km of
cables by 2021. There is a high level of interest in the National Broadband Network (NBN) that has
been proposed, with considerable public debate about the logistics and costs of the project which
represents the largest single infrastructure investment ever made in Australia. The first stage has
involved the roll-out of high speed broadband in areas of Tasmania, to be followed by five trial sites
in metropolitan, regional and rural communities. While the potential transformative impact of the
NBN has been compared with the introduction of electricity to homes a century ago, consumers will
arguably need to have a more sophisticated skill set than just knowing how to flick the switch!
Digital Education Revolution
If the Government’s goals for a productive digital economy are to be realised, primary and secondary
education must prepare students for the future. The Digital Education Revolution (DER) is a major
initiative to achieve significant change in learning and teaching in Australian schools (Department of
Education, Employment and Workplace Relations, 2010). As responsibility for education and
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training is shared by the Federal Government and the State and Territory Governments, a bilateral
agreement has been put in place to ensure effective implementation of the DER. The goals are to:
•
•
•
•
Provide computer equipment to secondary schools (Years 9-12)
Support the deployment of high speed broadband connections to schools
Increase access to online content
Develop web portals for parental interaction.
It is important that teachers increase their own levels of ICT skills so that they can productively use a
digital environment for teaching and learning and can create relevant online content for students.
Some concerns have been expressed that decision makers, ie politicians, bureaucrats and teachers,
have distinctly different perspectives from the Net Gen students: “schools run the risk of basing their
teaching on presentation, communication and assessment methods that are about to become obsolete
in both form and content” (Søby, 2008, p.145). The DER therefore comprises three strand of change:
ICT infrastructure, learning resources and teacher capability, with educational leadership serving as
an overarching strand to ensure that there is a well coordinated plan for individual schools
(Department of Education, Employment and Workplace Relations, 2008). In terms of teacher
capability, it is noted that teachers and educators (such as those responsible for training new teachers)
will require “the pedagogical knowledge, confidence, skills, resources and support to creatively and
effectively use online tools and systems to engage students” (Australian Information and
Communications Technology in Education Committee, 2009).
A recent research study has investigated the views and expectations of school students, student
teachers and early career teachers about the role of ICT in education and training and the ways in
which ICT could be used to improve learning outcomes (Moyle & Owen, 2009). It was found that the
vast majority of the university students (74%) and early career teachers (82%) surveyed believed that
their lecturers’ skills in teaching and learning with using ICT could be improved. Secondary school
students indicated that they were often the ones who taught the teachers about IT. The study revealed
that there was a high level of concern that in-school supervisory teachers had only very basic ICT
skills and were not able to effectively include technologies in their teaching and learning. The
research indicated that “students not only want technology-savvy teachers and lecturers, they also
want high quality teachers who are able to […] structure relevant learning experiences and ensure that
different learning styles are accommodated, with technology being appropriately incorporated into
classroom activities” (Moyle & Owen, 2009, p.49). The roll-out of computers to schools as part of
the DER program means that much work still needs to be done to improve the digital literacies of
teachers in schools and in university programs.
Queensland State Government programs
At the State level, the Queensland Government has released its Digital Content Strategy that sees a
partnership between key agencies which aims for the effective management of business and cultural
resources that are created, used and re-used by Queenslanders (State Library of Queensland and
Queensland State Archives, 2010). Queensland is preparing for the rollout of the NBN in order to
enhance access to government services: “Service delivery expectations are changing with each
generation, and government must keep pace with an increasingly digital aware population that is techsavvy and expects the capability to transact and interact on a secure anytime, anywhere basis”
(Queensland Government Chief Information Officer, 2009, p.5). The Government needs to be
reminded, however, that not the whole population is currently tech-savvy.
In recent times, the Queensland Government has funded a range of initiatives that have sought to
build community participation, provide access to services and address community ICT needs. In the
area of education, State and Territory governments are committed to delivering and supporting the
ICT infrastructure in schools, establishing the learning support systems (including learning
management systems, ePortfolios, collaboration and communication spaces) and creating digital
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education resources. In Queensland, particular initiatives supporting student digital literacy
development include the Smart Classrooms program (Department of Education and Training, 2010),
which has comprised initiatives designed to support the integration of ICT into teaching, such as
eLearning Communities at School, the eLearning Principal Program and the eLearning Model Schools
Project. However, research has revealed that even amongst young Queenslanders’, ICT access, online
competency and the availability of support and training is very uneven (Notley, 2009).
Bridging the participation gap
There is a widespread awareness of the ‘digital divide’, alternatively referred to as the ‘participation
gap’, whereby not all community groups participate equally in the online environment. Indeed, there
is the potential for digital exclusion to overlap with social exclusion.
The issue of lack of access to digital technology is most strongly felt in communities
of concentrated socioeconomic disadvantage, like public housing estates, where
there is a high proportion of:
•
•
•
•
•
•
•
•
New settlers and people from non-English speaking backgrounds
People with physical or sensory disabilities
People with drug and/or alcohol dependency
Sole parent families
People from an Aboriginal or Torres Strait Islander background
People with mental illness
Vulnerable older people and the aged
Unemployed and/or underemployed people.
(Digital Inclusion Initiative, 2010)
The Australian Communications and Media Authority (ACMA)(2009b) has stressed that “basic
access to digital technologies” is an essential aspect of digital literacies. Australian research is
focusing on identifying gaps in participation that can be mapped to low levels of competency or trust
in the use of digital communications. A range of demographic factors come into play, including
income, age, work status, presence of children in the household and education level. Age and income
are the key determinants in terms of Australians’ self-reported levels of competency: 44% of younger
people (aged under 35 years) reported that their Internet competency was above average, compared to
only 10% of those over 65 years; over 40% of individuals with an income in excess of AUD 60,000
per annum declared that they had above average skills, contrasting with 12% of those with an income
less than AUD 30,000 (Australian Communications and Media Authority, 2009b, p.15f).
Indigenous Australians are the original inhabitants of Australia. The Indigenous population stands at
around 517,000 (2.5% of the total population of Australia), with the majority living in urban centres.
About one quarter live in remote settlements across the north of Australia in Queensland, Western
Australia and the Northern Territory. In the Northern Territory, about 30% of the population is
Indigenous; in the Cape York area of Queensland the figure is 50% and in the Torres Strait Islands it
is 76%. In these remote areas, Aboriginal people face immense socio-political challenges, especially
in the areas of health and education. One of the critical issues is to reduce the level of disadvantage,
for example by improving school enrolments, student retention and attendance levels, and by
achieving better standards of literacy and numeracy. In remote areas of Australia, the gap between
educational practice experienced by children and the reality of life in the 21st century is exceptionally
wide; new technologies, however, can offer innovative opportunities to develop learning spaces and
resources for these geographically isolated communities.
A recent study into non-use or limited use of technologies such as the Internet and mobile phones was
conducted by the Australian Communications and Media Authority (2009c). While there was a
growing awareness that use of the Internet was an important part of being able to participate more
effectively in society, it was found that the research subjects did not have a clear understanding of the
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full spectrum of benefits that might be available to them online. This meant that there was little
motivation to become more digitally literate: they were happy to continue to practice ‘old habits’ and
believed it would be very difficult to change their lifestyle. Most non-users or limited users of
digital media had never been required to use the technology on a day-to-day basis and had therefore
not been able to understand how digital media work or to establish the transferable skills needed to be
competent in a range of situations. They also did not have a grasp of the language associated with the
technology and they were anxious about their ability to keep up with changes in technology. The
lack of opportunity to experiment with the Internet inevitably resulted in low levels of confidence.
A multi-pronged approach to skill development is required to extend the reach beyond primary and
secondary school students who will benefit from the DER programs. Universities and colleges can
provide formal learning activities and digital literacy skills have been incorporated of into the
vocational training packages by the national skills councils (Innovation and Business Skills Australia,
2010). In the wider community, libraries have been identified as playing a key role as they are
increasingly called upon to provide a venue for Interet access and to deliver training.
Public libraries provide the main means by which people who do not have online access at home or
work can use the Internet at no cost, with skilled staff on hand to build confidence and help
individuals and groups develop their digital literacy skills, in a trusted, friendly, socially-inclusive and
non-threatening space. The Australian Library and Information Association (ALIA) has a particular
interest in the policy and legislative issues associated with Australia's goals for long-term economic
development. The provision of public access Internet services in public libraries is closely connected
to the ability of all of citizens to participate in the digital economy and use information in their lives:
"Access to the internet is an extremely important enabler for the delivery of better health, education,
information and community services, particularly as many government services are increasing online
service delivery to clients" (Australian Library and Information Association, 2009).
The State Library of Queensland (SLQ) also plays a leading role in the three levels of digital literacy
noted by Martin (2008): digital competency, digital use and digital transformation. Although the
State Library has traditionally served as the custodian of Queensland’s documentary heritage and has
a physical location in Brisbane, it is an institution with a number of State-wide responsibilities. It
partners with local governments throughout Queensland to support around 340 public libraries.
Through a realignment of its services SLQ has become more forward looking, to progressively realise
“the potential of digital technologies and collaborative approaches for empowering people to discover,
use, share and transform content in library collections and available globally, to create new content,
and to connect with each other” (State Library of Queensland, 2010a). One of the main funding
streams is Online Public Access in Libraries (OPAL) which supports projects that contribute to
Queensland content on the web and that foster information rich communities (Australian
Communications and Media Authority, 2009d). SLQ has established 20 Indigenous Knowledge
Centres (IKC) to provide services to the Aboriginal and Torres Strait Islander communities in remote
areas of the State. The Northern Territory provides outreach services to Indigenous communities
through its Library and Knowledge Centres (LKC). The mission of the Northern Territory Library
(NTL) focuses on preserving the cultural heritage, helping people to learn, and connecting people to
information, allowing services to be delivered both physically and virtually (Northern Territory
Library, 2010).
A number of case studies follow which illustrate some of the exciting initiatives coordinated by
libraries in Queensland and the Northern Territory designed to bridge the participation gap and
stimulate an interest in lifelong learning. These projects help develop individual digital capabilities
and to inspire collaborative capacity across all age groups and in diverse communities, including
urban, regional and Indigenous communities.
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Case studies
Concise outlines of the individual case studies are provided here. The presentation to be given at the
International Symposium 2011 will offer a detailed visual journey through the various projects and
activities.
State Library of Queensland
1. Looking @ 2.0
http://www.slq.qld.gov.au/services/learning/looking
'A user's guide to online technologies'
Looking @2.0 is a free, online course presented by the SLQ, supported by Online OPAL funding.
Looking @2.0 is designed to help people navigate through the world of online technologies. The
course is broken down into eight modules, covering podcasting, online video, social networking sites,
online publishing, RSS feeds, photo sharing etc). Each module provides some background
information, learning activities, short quizzes and links to explore. The course can be accessed
independently by individuals, or coordinated by public library services for community groups. The
second iteration of [email protected] in 2011 covers Hack and Mash, a focus on mashups, to be run at the
local level or as part of a nationwide activity, Library Hack, run during Australian Library and
Information Week.
2. The Edge
http://edgeqld.org.au/
The Edge is the SLQ’s digital culture and creative technology centre. It is a place for experimentation
and creativity, giving contemporary digital tools to creative people in all fields to allow them to
explore critical ideas, new creative practices and media making. As a facility for young people, The
Edge will take a leading role in teaching young Queenslanders about how they can access and harness
digital culture for learning, business and fun
3. Indigenous Knowledge Centres
http://www.slq.qld.gov.au/about/who/orgchart/ils/ikc
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"Indigenous Knowledge Centres are breathing places ...they keep our culture strong for our children ...
look after our traditions, songs, language, stories and artwork ... bring back the things that guide us
today for the future ... combining a meeting place for traditional business with modern library
services ..."
SLQ supports 20 Indigenous Knowledge Centre (IKC) in remote areas of Queensland. In addition to
the traditional library services, the IKCs are working with the community to offer Internet access and
offer digital skills training, so that they can use the tools to capture their culture and their stories
which can then be shared with the world through SLQ’s website and through webstreaming on the
Welcome Wall in the ‘kuril dhagun’ IKC in Brisbane.
Northern Territory Library
4. Our Story
http://www.gatesfoundation.org/atla/Pages/2007-northern-territory-library-our-story-indigenousaustralia.aspx
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“Our Story" has attracted indigenous Australians in remote Northern Territory community libraries to
build digital archives of their culture. Infrastructure in many communities is limited: a store, a school,
and a health clinic for the most fortunate. But many communities also have a small public library
serviced by the Northern Territory Library (NTL). At these Libraries and Knowledge Centres, NTL
has trained and equipped local library staff to help indigenous people capture their culture digitally.
Armed with cameras and computers, voice and video recorders, and scanners and printers, community
members capture old and contemporary art, maps, songs, photos, and lessons in their local language.
They film events and record interviews and traditional practices. Then they store the digital content
with user-friendly software called "Our Story." Communities have embraced Our Story, collecting
more than 40,000 items since 2004. In 2007, the NTL was the recipient of the Bill & Melinda Gates
Foundation Access to Learning Award (ALTA) to take Our Story into more communities and to train
more community library staff.
Conclusion
In Australia, people on low incomes and people with lower levels of educational attainment are most
at risk of being left behind in the rapid transformation to a digital economy. Government policy
currently seeks to address the nation’s infrastructure and educational requirements through programs
such as the National Broadband Network and the Digital Education Revolution, as opposed to
considering the broader spectrum of digital inclusion. There is a strong push for widened
participation in education, which will see more people building digital media literacy skills through
their learning in school, at college or at university. In the wider community, however, individuals will
be expected to demonstrate digital competence in everyday situations: government services are
becoming increasingly paperless with the expectation that citizens, regardless of age or income, will
interact with the online environment to access welfare and health benefits. The challenge facing
politicians and bureaucrats therefore extends beyond the details of the actual wiring and the speed of
the Internet to encompass the need to understand how ICTs and online services can benefit society as
a whole and how individuals and community groups can develop the functional digital skills and
literacies that will ensure that Australia is truly a fair and equitable society. As they move away from
their own traditional focus on books, librarians can position themselves as leaders in the electronic
world by promoting their core values the free flow of information and the universal rights of access to
information, regardless of the formats. The case studies presented illustrate how libraries actively
demonstrate these core values by providing free access to computers and the Internet, offer
appropriate training to help people search for and evaluate online information, foster lifelong learning
and encourage participative and collaborative knowledge creation that creates the social fabric of the
community. In the information age, digital literacies are acquired and developed over a lifetime,
within and beyond formal education. Libraries therefore have a critical role to play ensuring that
people have the tools, skills and understanding to use information effectively in the 21st century.
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オーストラリアのデジタルリテラシー
-スキルと能力形成における図書館の役割-
ジリアン・ハラム(Gillian Hallam)
科学技術学部情報科学分野 クイーンズランド工科大学、オーストラリア
はじめに
毎年、日本の放送大学 ICT 活用・遠隔教育センター(CODE)主催の国際シンポジウムは、
教育者が集い、今日の公開・遠隔教育における学習と指導について議論する貴重な場である。
2010 年 2 月の国際シンポジウムでは学生中心主義教育に焦点があてられ、学習活動への学
生の参加強化を促す教育的転換に関する経験について、招待講演者が語った。教育テクノロ
ジーは学校・大学の区別なく導入されており、実際の指導・学習に影響を与え、これらを形
作り、知識の創造に新たな機会を与えている。情報通信技術(ICT)とコンテンツの集中化
が進むことにより、必要に応じてシームレスに提供される情報に支えられた教育活動が概念
化される可能性が劇的に高まるのである。
2011 年の国際シンポジウムは、学習者の関与について昨年議論されたテーマのいくつか
に基づいている。Gráinne Conole (2010)は、e ラーニングの環境におけるいくつかの課題
について、特に下記のように言及している。
今日の学習者が、技術的に恵まれた学習環境に置かれていることは明白である。彼
らにとってテクノロジーは不可欠な学習ツールであり、自らの学習スタイルに合っ
た形でこれを使用し、また学習のあらゆる面をサポートするために利用するのであ
る。しかしテクノロジーに囲まれた環境で成長してきたとはいえ、実際にはすべて
の学生が学問的な状況でこれを効果的に利用できるわけではない。
(Conole, 2010, p.4)
学生中心主義教育におけるデジタルリテラシーの役割が決定的なものであることが認識さ
れたが、これは e ラーニング環境において「ハイテクに精通した」教員および学生と、これ
らのスキル、または常時進化する電子環境を適切に使いこなすために必要なスキルと自信を
持たない教員や学生との間に、かなりの格差が存在しているためである。本年の国際シンポ
ジウムのテーマはデジタルリテラシーのさまざまな側面について探り、これが高等教育、生
涯教育に与える影響について考えていくよう求めている。
ニューメディア・コンソーシアム(NMC)が毎年刊行する『ホライズン・レポート』では、
教育テクノロジーの展望に関する予測を発表している。過去 5 年間の『ホライズン・レポー
ト』において、学生が必要とするリテラシースキルの概念がどのように発達してきたかを振
り返ると興味深い。
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表 1: 教育テクノロジーの課題としての情報リテラシー:
『ホライズン・レポート』 2007 年版-2011 年版
レポート
教育テクノロジーの適用における課題
情報リテラシーは、誰もが当然有する能力とは言えな
2007 年版
くなってきている
『ホライズン・レ
ポート』
学術機関は、情報、視覚およびテクノロジーにおける
2008 年版
リテラシー、そして今日のツールを利用した有意義な
『ホライズン・レ
コンテンツの作成手法を公式に指導する必要に直面し
ポート』
ている
情報リテラシー、視覚リテラシー、そして技術的リテ
2009 年版
ラシーを含む主要な新スキルを、公式に指導する必要
『ホライズン・レ
性が高まっている
ポート』
すべての学問・職業においてデジタルメディアリテラ
2010 年版
シーの主要スキルとしての重要性が増し続けている
『ホライズン・レ
ポート』
すべての学問・職業においてデジタルメディアリテラ
2011 年版
シーの主要スキルとしての重要性が増し続けている
『ホライズン・レ
ポート』(プレビ
ュー)
「情報リテラシー」という考え方は、多角的なリテラシー(「情報リテラシー」「視覚リ
テラシー」および「テクノロジーリテラシー」)に変化し、最終的には「デジタルメディア
リテラシー」と呼ばれるようになった。デジタルメディアリテラシーの重要性は教育のすべ
ての面において引き続き増し続けているため、近年においてもこの課題の重要性は減少して
いない。『ホライズン・レポート』では、教員の養成プログラムでデジタルリテラシーのス
キルや技術にあまり関心が払われていないため、授業での学生へのサポートが限定的なもの
に留まっている点が指摘されている。この問題は、「デジタルリテラシーはツールというよ
りは考え方の問題であり、ツールやプラットフォームに基づいたスキルや基準はどちらかと
いえば一時的なものにすぎないことが証明されている」(NMC, 2010, p.6)ため、一層深刻な
ものとなっている。出現しつつあるこの新たな状況について多くの文献が議論しており、
Martin と Madigan (2006) や Lankshear と Knobel (2008) は同テーマを非常に明確に論じている。
より以前の『ホライズン・レポート』で指摘されているように、デジタルリテラシーの基盤
は情報リテラシーおよび ICT リテラシーの分野に存在しているのである(Bawden, 2006;
Pilerot, 2006; Martin, 2006; Fieldhouse & Nicholas, 2008)。
学習についての展望はすべての教育機関において変化している。この変化は学生および教
員が、デジタルテクノロジーにアクセスしてこれを利用し、また学習だけではなく生活のす
べての場面においてデジタルコンテンツを理解、解釈、創造することができるよう様々なリ
テラシーを保有することにつながる。オーストラリアでは国・州政府、および地方自治体は、
21 世紀の生活の特徴である多様な社会文化活動・経済活動へのすべての市民の有効参加を
可能とする必要性に注目している。デジタルリテラシー社会の基礎を構築するには、学習、
テクノロジー、そして共同体が必要不可欠な 3 つの側面となる(Kearns & Grant, 2002)。
現代社会が直面する大きな課題のひとつは、共同体に属する全ての人に、オンライン環境
と付き合うためのデジタルリテラシーのスキルのみならず、継続的な変化に適応する自信と
能力を確実に持たせることである。学校や大学の多くは、直接の顧客に対しては的を絞った
サポートの提供が可能な立場にあるが、公開学習や職業訓練といったより幅広い文脈におけ
る状況はより複雑である。教育への幅広い参加と資格取得は奨励されているが、多くの人は
大規模な機関で訓練を受けるのではなく、居心地のいい環境で、似通った状況の人同士で形
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成される小グループにおいてスキルを開発していくような、地域が提供する機会に頼ってい
るのである。
21 世紀においてはコミュニケーション・ツール、オンラインコンテンツ、そしてデジタ
ルスキル開発といったインターネットの持つ様々な側面を互いに結びつけるうえで、図書館
が重要な役割を果たす。本文書では現在のオーストラリア政府の方針という観点から、デジ
タル化の進む世界における図書館の役割を探り、またより幅広い共同体でのデジタル能力開
発のサポートを通じた、図書館による生涯学習への大きな貢献を可能とするいくつかの手法
について探っていく。個人、および共同体の能力構築を目的とした数多くの興味深い取り組
みを、一連のケース・スタディを通じて紹介する。
図書館とリテラシー
図書館、特に学術的な図書館の世界は「書誌教育」や「ユーザー教育」といった活動に役
割を拡大し、情報リテラシーの分野における自らの権利を主張してきた。英国の英国国立大
学図書館協会(SCONUL)による「セブン・ピラーズ(Seven Pillars)」モデル(1999)、米国
の米国大学図書館協会(ACRL)の推奨する 5 つの基準 (2000)、そしてオーストラリア・ニ
ュージーランド情報リテラシー機関(ANZIIL)のオーストラリアにおける枠組み(Bundy,
2004) など、いくつかの国の主要な機関は学生のための情報リテラシー枠組みを採用してい
る。また多くの大学では、学士力に関する声明に情報リテラシーの一般的分野を含めている。
一つの例としてクイーンズランド工科大学(QUT)をみると、現代の情報リテラシーを生
涯学習と結び付けている (2009)。
QUT におけるすべてのコースは、以下の能力を証明できる卒業生を育てることを目
的としている。
• 生涯学習の能力
これには以下が含まれる。
o 効果的な手法と適切なテクノロジーを利用して、多様な情報源から情報
を探し出し、これを批評的に評価する能力
教育テクノロジーの発達は、教材管理におけるより統一的なアプローチだけでなく、情報
リテラシー教育を学習環境に統合させることをも可能とした。学生中心主義教育の必要性を
認識した QUT は、学生が勉強に必要な情報を探し、管理するのに必要なスキルを開発する
ため、自分のペースで進められるチュートリアル、PILOT を設立している(図 1)。
図 1: QUT PILOT プログラム
図書館員は大学職員と協力し、情報リテラシー活動が、学生の特定の学習活動に直接関係
しない独立・追加的な存在ではなく、カリキュラムそのものに組み込まれるようにする。
PILOT は学習サポートとして使用されている。PILOT プログラムは他の多くの学術機関で
も採用され、それぞれの状況に適応するようアレンジされており、複合的な学習環境との関
連性を保ち続けるよう見直しが行われているが、その主眼がテキスト文書(書籍、ジャーナ
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ル、テキストベースのホームページ)である点は変化していない。これは PILOT が情報リ
テラシーというよりデジタルリテラシーの特徴である執筆、出版、コミュニケーションや共
同制作の新たな手法に未だ対応していないため、と論ずることができる。
オーストラリアでは、学術図書館に「情報リテラシー図書館員」のポストがあることは珍
しくない。通常このポストは、大学全体の職員と学生を対象にした情報リテラシープログラ
ムおよびリソースの開発、調整、実施および評価を担当する。この役割における問題のひと
つは、このポストがアカデミック・サポートを行う職員のチーム(例:図書館、ICT サポー
トおよび学習サポート)のどこに位置づけられるか、ということである。フォームとコンテ
ンツが一点に集中する中、すでに「情報」は他と切り離された存在ではない。QUT の「情
報リテラシー・コーディネーター」は、最近「統合リテラシー・コーディネーター」と名称
を変更したが、このポストは図書館員と学習スキルアドバイザーの合同チームを管理するも
のである。統合リテラシーに対するこのアプローチは、情報検索や知識創造と読書や執筆の
修辞的な側面との融合を可能にし、学生は問題を迅速、かつ効果的に解決し、これを必要に
応じた幅広い学習リソースに結びつけるために、よりタイムリーかつ個人的な支援を受けら
れるようになったのである(Peacock, 2008)。大学は学習に対するアカデミック・サポートの
持つ 3 つの機能的分野を互いに組み合わせようとしてきたが、これに関連した職務もまた、
集中化が進むことにより求めらる「電子メディアによる支配が強まる世界における、リテラ
シーという言葉のより幅広い再概念化」を反映しなければならないのである(Buckingham,
2008, p.88)。
学術的な学習の場の外、すなわち公共図書館の分野でも、情報リテラシーのみではなく、
より広い意味でのデジタルリテラシーの受入れ必要性についての認識は進んでいる。オース
トラリア図書館協会(ALIA)は図書館およびリテラシーに関する方針のなかで、ICT の進
化に伴い、あらゆるメディアの情報リソースへのアクセス[可能]範囲が飛躍的に増大する事
実を強調している。「社会の急激な変化、生涯学習の強調、加速度的に進む技術開発、そし
て情報ベースの社会への移行は、社会に有効参加するにあたりリテラシーがかつてないほど
に必要不可欠なツールであると示唆する要素である」(2006)。公共図書館は、単にテキス
ト文書の情報を保存しておく場ではなく、「情報を共有し、学習、共同体への関与および社
会資本構築」のための場所となったのである(Goodman, 2009, p.104)。英国では、英国図書館
の最高責任者である Dame Lynn Brindley が、近い将来に図書館サービスに影響を与える 6 つ
の点を特定している。
• データの整理、収納およびキュレーションに影響を与える電子データの氾濫
• 情報の創造、管理、配布における、Web2.0 を通じた共同制作的かつ参加型アプロー
チ
• 固有の資料のデジタル化
• デジタル世界における重要情報の分析スキルについての、より深い理解の必要性
• 特に政府情報における、リソースの電子保存と長期間アクセス
• 創造的なネットワーキングや交流を促進する空間
(Brindley, 2009)
常に進化している e リソースの仮想環境では、図書館の利用者に発達したデジタルリテラ
シーが求められることになろう。Brindley は将来、知識がかつてなく自由に利用可能なもの
となり、しかし整合性をもってこれを理解することはかつてなく難しくなるだろうと予測し
ている。またそこには「知識の創造、整理、普及の相互作用、および知識の交流」を形成す
る機会があるだろうとも提案している (2009, p.11)。デジタルリテラシーは、多様なメディ
ア形式の情報リソースを管理しこれらにアクセスすると言う意味で、また学術的研究に限定
されない参加型、共同制作型のデジタル情報環境に対する利用者の期待に対応し、これを予
測するという意味で、この動きの中心となるものなのである。
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デジタルリテラシーに関するオーストラリア政府方針
世界各地で、政府は知識ベースの今日の社会における経済発展とデジタルリテラシーとを
結びつけて考えるようになっていきている(Rantala & Suoranta, 2008)。デジタルリテラシー
は、スキルの開発および生涯学習の根幹であり、オンラインの世界において個人が市民とし
て関与する、または「サイバー市民」となることを可能にするものだとみなされているので
ある。
21 世紀の世界における市民は、日々の作業―請求書の支払い、チケット予
約または顧客サービスの質問に答えるためにオンライン上で他人とコンタク
トするなど―において、オンラインの存在と現実世界での生活が接続してい
るため、より重層的な存在である。(中略)デジタルテクノロジーの接続を
通じて、人々は健康、教育、政府のオンラインサービス(税金や車両登録な
ど)、商業(銀行や流通サービスなど)、そして遠隔地にある共同体のため
の双方向通信やサービスなどを含む生活分野に新たな手法で関与していくこ
とになるであろう。
(Innovation & Business Skills Australia, 2010, p.5)
経済協力開発機構(OECD)は、ICT に関する方針の重要性を加盟国に対して強調してお
り、単にテクノロジーだけではなく、それが「成長と職業、生産性の増加、公的および民間
サービス実施の強化、そしてヘルスケアおよび教育、気候変化、エネルギー効率、雇用およ
び社会的発展の分野において幅広い社会経済的目標を達成する」ことに対する影響について
考慮している (2010, p.10)。この国際的文書は、当然ながら連邦レベルおよび州レベルにお
いて、オーストラリアに浸透している。
現在のオーストラリア政府方針は、デジタルエコノミーを国の生産性、国際競争力および
社会福祉に必要不可欠なものとみなしており、その価値と影響に焦点をあてている(ブロー
ドバンド・通信・デジタル経済省[Department of Broadband, Communications and the Digital
Economy], 2009)。デジタルエコノミーが成功するための要因には、政府、産業、そして共同
体が含まれる(表 2)。
主体
政府
表 2:デジタルエコノミーの成功要因
内容
デジタルについて知り、利用権
限を与える
産業
デジタルに対し自信を持ち、新
たなアイデアおよびスキルを保
有する
共同体
デジタルリテラシーを有し、能
力と権利を与えられている
手法
・国のデジタルインフラの基盤
を作る
・新たなアイデアの実現を容易
にする
・支援的な規制枠組みを設置す
る
・デジタルに対する自信を示
し、オーストラリアのデジタル
スキルを構築する
・スマートテクノロジーを採用
する
・維持可能なオンラインコンテ
ンツのモデルを開発する
・デジタルに対し自信を持ち、
デジタルメディアリテラシーを
有して、これらを享受する
・包摂的なデジタル参加を体験
する
・オンラインに関与することで
利益を享受する
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オーストラリア政府は方針枠組みにおいて社会包摂の一般的な概念を取り入れているが、
今日まで特にデジタル包摂に関連する方針を明確に述べたことはない。しかし政府はデジタ
ルメディアに対するリテラシースキルの価値が増大してきていることは認識している。「デ
ジタルメディアおよびサービスを自信を持って使いこなし、これに参加し理解する能力は、
デジタルエコノミー、またより幅広い意味でオーストラリア社会に参加する上で必要な重要
条件となりつつある」(オーストラリア連邦通信メディア庁[Australian Communications and
Media Authority]2009a)。ここでは、少なくとも基礎レベルのデジタルリテラシーを有して
いないと、個人はビジネス、政府サービス、文化や娯楽を含む生活のあらゆる面に統合され
ているデジタルメディアから受けられる恩恵から排除される、と論じられている。すなわち
市民がデジタルリテラシーを有さない限り、デジタルエコノミーの目指す目標は達成不可能
である、ということになる。
インターネットの世界で育った「デジタルネイティブ」と、より年齢を重ねてからデジタ
ルテクノロジーを学習し、これに適応した「デジタル移民 (digital immigrant)」とは区別され
る。オーストラリア政府は、すべてのオーストラリア人が新たなデジタルエコノミーに安全
かつ生産的な手法で自信とスキルを持って関与できるよう、関心を払っている。特に懸念さ
れている分野としては、プライバシー保護、オンラインの安全性とサイバー空間における安
全性があげられる。デジタルメディアのリテラシーは、政府目標の非常に重要な一面である
とされ、テクノロジーがビジネス活動や共同体の活動にシームレスな形で織り込まれること
が期待されているのである。デジタルリテラシーのある社会の基礎としては、必要不可欠な
三種のスキルが特定されている。
• 文書作成や e メールなどの基本的なレベルでコンピューターやインターネットに関
与するための技術的能力
• デジタルメディアおよびそのコンテンツを理解し、批評的に評価する能力
• コンテンツおよび通信を創造する能力
(ブロードバンド・通信・デジタル経済省 [Department of Broadband, Communications and the
Digital Economy], 2009, p.44)
これらのスキルは、Martin (2008) の提案するデジタルリテラシーの複数レベルモデルと共
鳴している。すなわち、基礎レベルはスキル、概念、アプローチや態度を含むデジタル能力
であり、これがデジタル利用を支える。このレベルは特定の状況(Martin は「専門領域」また
は「問題領域」としている)におけるデジタル能力適用に関連している。そしてデジタル・
トランスフォーメーションは、革新的、創造的なことを達成するレベルである。Martin のモ
デルでは、すべてのレベルにおいて(政府の指摘する)「基礎的な」能力から上記の
Brindley が触れたような知識の交流など「よりレベルが高い、分析的な能力」(Martin, 2008,
p.171)まで様々な基準が存在する。デジタル利用は、特定の状況下で必要となる要因に影響
されるものであり、これは個人の生活状況、またその活動が何に—学習、仕事、娯楽など—
関連したものかであるかによる。これらの生活状況では、情報リソースの検索、発見、評価、
そして加工などを通じた作業の完結や問題解決のため、デジタルツールが利用されることに
なる。新たなコンテンツの作成や、他人と通信するためのデジタル環境への関与は、個々に、
または協力して行うことができる。デジタルリテラシーが柔軟かつダイナミックである点は
すでに認識されており、スキルの必要性は個人に直接関わる状況に影響されるだけではなく、
他の状況や、時間の経過とともに変化していく(Martin, 2008)。
オーストラリア連邦政府プログラム
オーストラリア政府はデジタルエコノミーに関する方針の実施において中心となる二つの
取り組みを行っている。すなわち、将来必要不可欠となるインフラを代表する全国ブロード
バンドネットワーク(The National Broadband Network)および「オーストラリアの学生を更
なる教育、訓練と雇用に備え、彼らに生活および仕事において必要なスキルを与え、デジタ
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ル化が進む世界で成功できるようにする」ことを目標としたデジタル教育革命(Digital
Education Revolution ) で あ る ( ブ ロ ー ド バ ン ド ・ 通 信 ・ デ ジ タ ル 経 済 省 [Department of
Broadband, Communications and the Digital Economy], 2009, p.44f)。
全国ブロードバンドネットワーク
現在オーストラリアの電気通信システムは、今日、および将来のデータサービスが必要と
するレベルやスピードへの対応が不可能な、老朽化の進む銅線ネットワークに依存している。
デジタル面における国の将来は、より速く信頼のおけるインターネットサービスを光ファイ
バー・ケーブル(93%)、ワイヤレス(4%)、そして衛星技術(3%)を通じて家庭、学校
と職場に提供することができる新たなインフラにかかっているのである。このため、2021
年までにほぼ 25 万キロメートルものケーブルを設置することになる。この全国ブロードバ
ンドネットワーク(NBN)の提案は注目を集めており、オーストラリアにおける単一イン
フラへの投資としては過去最大となるプロジェクトのロジスティックと費用に関して、かな
りの国民的議論が行われている。第一段階ではタスマニア地域における高速ブロードバンド
開始、そしてこれに続いて 5 つの都市、地方および農村共同体における実験的利用が行われ
る。NBN が変化を起こす潜在的影響力は 100 年前の家庭への電気の導入に比較されている
が、消費者には、ただスイッチを押すことよりも複雑なスキルが求められることになる。
デジタル教育革命
生産的なデジタルエコノミーという政府の目標達成には、初等・中等教育は将来に備えた
教育を提供しなければならない。デジタル教育革命(DER)はオーストラリアの学校教育に
おきて重要な変化を実現させるための主要取り組みである(教育・雇用・職場関係省
[Department of Education, Employment and Workplace Relations], 2010)。教育および訓練義務
は、連邦政府と州・準州政府の共同管轄となっており、DER を効果的に実施するために双
方の間に協定が結ばれている。この目的とするところは、以下の通りである。
• 中学校(9 学年から 12 学年まで)にコンピューター機器を提供する
• 学校への高速ブロードバンドコネクションの配備支援
• オンラインコンテンツへのアクセス増加
• 親の交流を目的としたウェブポータルの開発
指導と学習のためのデジタル環境を生産的に使いこなし、関連性の高いコンテンツを学生
のために作成するには、教師自身の ICT スキルを高めることが重要である。意思決定者、
すなわち政治家や官僚、そして教師がネット世代の学生とかなり異なる視点を持つのではな
いか、という点について懸念を示す向きもある。「学校は、フォームとコンテンツの双方に
おいて時代遅れになる寸前のプレゼンテーションやコミュニケーション、そして評価手法に
教育基盤おくリスクを抱えている」(Søby, 2008, p.145)というのである。すなわち DER には
ICT インフラ、学習リソース、そして教師の能力という互いに連結した 3 つの変化が含まれ、
さらにこれらが適切に調整されたプランを各学校に確実に提供する教育的リーダーシップが
全 体 を 結 び つ け る の に 必 要 と な る の で あ る ( 教 育 ・ 雇 用 ・ 職 場 関 係 省 [Department of
Education, Employment and Workplace Relations], 2008)。教師の能力については、教師および
(教師の訓練にあたる)教育者は、「オンラインツールとシステムを創造的、かつ効果的に
利用し、生徒の関与を促すための教育知識、自信、スキル、リソースとサポート能力」を持
つことを求められると指摘されている (教育における情報通信技術委員会 [Australian
Information and Communications Technology in Education Committee], 2009)。
最近の研究では学生、教育実習生および新任教員が教育と訓練における ICT の役割と学
習効果を高めるための ICT の利用法についてどのように考え、何を期待しているかが調査
された(Moyle & Owen, 2009)。調査結果からは、対象となった大学生(74%)および新任教
員(82%)の圧倒的多数が、ICT を利用した教師の指導・学習スキルは改善できると考えて
いることが明らかになった。中学校の生徒は、IT に関しては彼らが教師に教えることも珍
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しくないと示唆している。同調査からは、学校内の実習指導教師が非常に基礎的な ICT ス
キルしか有しておらず、指導と学習にテクノロジーを効果的に組み込むことができない懸念
が大きいことが明らかになった。同調査は、「生徒はテクノロジーに詳しい教師や講師を求
めているだけではなく、(中略)学習内容に関連性の高い学習経験を与え、クラスにおける
活動にテクノロジーを適切に組み込むことで、さまざまな学習スタイルを使用することので
きる質の高い教師を求めている」(Moyle & Owen, 2009, p.49)ことを示唆している。DER プロ
グラムの一部としての学校におけるコンピューター利用の開始は、学校や大学プログラムの
教師のデジタルリテラシー向上にむけた課題が未だ多く残されていることを意味するのであ
る。
クイーンズランド州政府プログラム
州レベルではクイーンズランド州政府が州民により作成、利用、再利用されるビジネスお
よび文化的リソースの効果的な管理を目的とした、主要機関間のパートナーシップデジタル
コンテンツ戦略を発表している(クイーンズランド州立図書館およびクイーンズランド州公
文書保管所 [State Library of Queensland and Queensland State Archives], 2010)。クイーンズラ
ンドは、政府サービスへのアクセスを強化するための NBN 開始準備を進めている。「世代
ごとにサービス提供への期待は変化しており、政府は、いつでもどこでも安全に取引や交流
が行えることを期待するデジタル意識を持つ、よりテクノロジーに詳しい市民に適応してい
か な く て は な ら な い 」 ( ク イ ー ン ズ 州 政 府 主 席 情 報 官 [Queensland Government Chief
Information Officer], 2009, p.5)。しかし政府は、現状ではすべての市民がテクノロジーに詳し
いわけではない、という事実を忘れてはならない。
クイーンズランド政府は最近、共同体への参加を促し、サービスへのアクセス提供や、共
同体の ICT ニーズを満たすためのさまざまな取り組みを確立した。教育分野では州・準州
政府は学校への ICT インフラ提供およびそのサポート、そして学習サポートシステム(学
習管理システム、e ポートフォリオ、共同制作および通信のためのスペースを含む)の設立
と、デジタル教育リソースの作成に関与している。クイーンズランドでは、教育指導への
ICT の 統 合 支 援 ( eLearning Communities at School 、 eLearning Principal Program お よ び
eLearning Model Schools Project など)からなる「Smart Classroom」プログラム(教育訓練省
[Department of Education and Training], 2010) など、学生のデジタルリテラシー開発をサポー
トする特別取り組みが存在する。しかし調査からは、クイーンズランドの若年層の ICT ア
クセスのみを取り上げても、各人のオンライン能力、および利用可能なサポートや訓練には
大きな格差があることが明らかになっている (Notley, 2009)。
参加ギャップを埋める
「デジタル格差」または「参加ギャップ」については広く認識されている。これは共同体
のすべてのメンバーがオンライン環境に等しく参加するわけではない、ということである。
事実、デジタルからの排除は社会的排除と重なる可能性があるのである。
デジタルテクノロジーへのアクセスの欠如は、社会経済的なデメリットが集
中してみられる公営住宅などにおいて最も強く感じられる。そこには以下の
ような人々が数多くみられる。
• 英語を母語としない新移民
• 身体障害者、または知覚障害者
• 麻薬またはアルコール(もしくはその双方の)中毒者
• 一人親家庭
• アボリジニ、またはトレス諸島の出身者
• 精神病患者
• 脆弱な高齢者や老人
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•
失業者または不完全雇用者
(デジタル包摂取り組み [Digital Inclusion Initiative], 2010)
オーストラリア連邦通信メディア庁 (ACMA)(2009b) は、「デジタルテクノロジーへの
基本的アクセス」はデジタルリテラシーにおいて不可欠な側面だと強調している。オースト
ラリアの調査は、デジタル通信の利用能力や信頼度の低さが原因である参加ギャップを特定
することに焦点をあてている。ここには収入、年齢、職業的な地位、家庭における子供の有
無、教育レベルなど幅広い人口動態要因が含まれる。オーストラリア人が自己報告する能力
レベルの主要決定要因は、年齢と収入である。若年層(35 歳未満)の 44%が自分のインタ
ーネット利用能力は平均よりも上だとしているが、この数字は 65 歳超ではわずか 40%とな
る。また年間収入が 6 万豪ドルを超える個人の 40%超が自分は平均より高いスキルを有し
ていると答えているが、この数字は年間収入が 3 万豪ドル未満の個人では 12%となってい
る(オーストラリア連邦通信メディア庁 [Australian Communications and Media Authority],
2009b, p.15f)。
オーストラリアに当初から居住していた先住民出身者はほぼ 51 万 7000 人であり(オース
トラリアの人口全体の 2.5%にあたる)、そのほとんどが都市部に居住しているが、全体の
四分の一ほどはオーストラリア北部クイーンズランド、オーストラリア西部およびノーザン
テリトリーの遠隔地にある集落に暮らしている。ノーザンテリトリーでは、人口の 30%ほ
どが先住民であり、クイーンズランドのケイプ・ヨーク地方ではこの数字は 50%、またト
レス諸島では 76%となっている。これらの遠隔地では、先住民は特に健康および教育分野
において非常に深刻な社会的・政治的課題に直面している。最重要課題の一つは、学校への
入学率や学生の在学維持率、出席率を高め、読み書き・計算の基礎学力レベルを向上させる
ことによって、これらの人々の置かれている不利な立場を改善していくことである。オース
トラリアの遠隔地においては、子供の経験する教育慣行と現実の 21 世紀の生活の間に、非
常に大きなギャップがみられる。しかしニューテクノロジーは、これらの地理的に孤立した
共同体のための学習空間とリソース開発にあたって革新的な機会を提供することができるの
である。
テクノロジーの不使用、またはインターネットや携帯電話といった限られた使用に関する
調査が、オーストラリア連邦通信メディア庁 (2009c) によって最近実施された。社会に有効
参加するうえでのインターネットの重要性についての認識は高まっているものの、調査対象
者はオンラインで利用可能な恩恵の幅広さについて明確に理解していないことが明らかにな
った。そのため彼らはデジタルリテラシーを身につける動機を持たず、「旧い慣習」を守っ
ていくことに満足し、自らのライフスタイルを変えることは難しいと考えているのである。
インターネット不使用者、または限られた使用者のほとんどは、日常的なテクノロジー利用
を必要としたことがないため、デジタルメディアの機能を理解したり、幅広い状況で能力を
駆使したりするための応用可能なスキルを身につけることができなかったのである。また彼
らはテクノロジーに関連した言語を理解しておらず、テクノロジーの変化に対応する自らの
能力に不安を感じていた。インターネットを試す機会の不足は、必然的に自信の低さにつな
がったのである。
DER プログラムの恩恵を受ける小学校、および中学校の生徒以外の人々のスキル開発の
ためには、多面的アプローチが必要となる。大学や単科大学は正式な学習活動の提供が可能
であり、デジタルリテラシーのスキルは国家技能評議会(National Skills Council)によって
職業訓練パッケージに含まれている(オーストラリアのイノベーションおよびビジネススキ
ル [Innovation and Business Skills Australia], 2010)。より広範(な定義での)共同体において
は、インターネット利用および訓練を提供する場としての性質を強めている図書館が主要な
役割を果たすことが確認されている。
公共図書館は、家庭や職場からのオンラインアクセスが不可能な人々が無料でインターネ
ットを利用することを可能とし、また個人やグループのデジタルリテラシー開発や、自信構
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築を手助けする熟練スタッフと、友好的で参加しやすく、居心地のよい空間を提供する。オ
ーストラリア図書館情報協会(ALIA)は、オーストラリアの長期的な経済発展目標に関連
した政策や法的な問題に特に関心を示している。インターネットへのアクセスを公共図書館
で提供することはすべての市民がデジタルエコノミーに参加し、生活において情報を利用す
ることと密接な関係がある。「インターネットへのアクセスは、よりよい健康、教育、情報
および共同体サービスの提供を可能にする上で非常に重要な要因である。オンラインで顧客
に提供される政府サービスの増加は、この重要性を特に強めている」(オーストラリア図書
館情報協会 [Australian Library and Information Association], 2009)。
クイーンズランド州立図書館(SLQ)も Martin(2008)の指摘したデジタルリテラシーの
3 つのレベル、すなわちデジタル能力、デジタル利用およびデジタル・トランスフォーメー
ションにおいて主導的な役割を果たしている。州立図書館はブリスベンに置かれ、これまで
クイーンズランドの文書遺産の管理者として機能してきたが、全州において数多くの責任を
担っている機関でもある。この図書館はクイーンズランド中の地方自治体とパートナーシッ
プを組んで、ほぼ 340 ヶ所にのぼる公共図書館のサポートを行っている。またサービスの再
編成を通じ SLQ はより将来的な視点を持ち、「人々に図書館の蔵書および世界中から利用
可能なコンテンツを発見、共有、変化させ、また新たなコンテンツを創造し互いに結びつく
ための力を与えるうえで、デジタル技術および協力的アプローチの持つ可能性」を理解して
きているのである (State Library of Queensland, 2010a)。主要な資金の流れのひとつに、ウェ
ブ上のクイーンズランドのコンテンツ構築に貢献し、同州を情報豊富な共同体にするプロジ
ェクトを支援する「図書館でのオンライン公共アクセス[Online Public Access in Libraries]
(OPAL)が挙げられる (Australian Communications and Media Authority, 2009d)。SLQ は 20 ヶ
所の先住民知識センター(Indigenous Knowledge Centres, IKC)を設置し、州の遠隔地にある
アボリジニおよびトレス諸島の共同体に対するサービスを提供している。ノーザンテリトリ
ーでは、先住民共同体への支援サービスを、図書館知識センター (Library Knowledge Centres,
LKS)を通じて提供している。ノーザンテリトリー図書館(NTL)では自らの使命として、
文化遺産の保護、また住民の学習を支援し彼らを情報に結び付けて、物理的およびヴァーチ
ャルな形でのサービス提供を可能とすることに焦点をあてている (Northern Territory Library,
2010)。
以下に挙げる一連のケース・スタディは、クイーンズランドとノーザンテリトリーの図書
館による、参加ギャップ克服と生涯学習への興味喚起のための興味深い取り組みのいくつか
である。これらのプロジェクトは個人のデジタル能力開発を支援し、あらゆる年齢グループ
や異なる共同体―ここには都市部、地方、および先住民の共同体が含まれる―が協力するた
めの能力を引き出すことになるのである。
ケース・スタディ
以下、個々のケース・スタディについての簡単な概要を見ていく。2011 年の国際シンポ
ジウムのプレゼンテーションでは、各プロジェクトおよびその活動内容についての詳細な内
容をビジュアル的に紹介する予定である。
クイーンズランド州立図書館
1. Looking @ 2.0
http://www.slq.qld.gov.au/services/learning/looking
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オンラインテクノロジーの「ユーザーガイド」
Looking @2.0 は SLQ がオンラインで提供する無料のコースであり、Online OPAL 資金の
援助を受けている。Looking @2.0 は、オンラインテクノロジーの世界をナビゲートする手助
けとなるよう設計されたものである。コースは 8 つのモジュールから構成されており、ポッ
ドキャスティング、オンラインビデオ、ソーシャルネットワーキングサイト、オンライン出
版、RSS フィード、写真共有などが扱われている。各モジュールでは基礎的な情報、学習活
動、小テストおよびリンク集が提供される。コースへの個人で、または共同体グループを対
象とした公共図書館サービスを通じてアクセスすることができる。2011 年に実施される二
度目の Looking @2.0 では、地域レベルで、または「オーストラリア図書館情報週間
(Australian Library and Information Week)」中に行われる全国的活動「図書館ハック」の一
環として実施するためのマッシュアップに焦点をあて、ハックアンドマッシュ(Hack and
Mash)を取り入れている。
2. The Edge
http://edgeqld.org.au/
The Edge は、クイーンズランド州立図書館のデジタル文化センターである。これは実験
と創造性のための空間であり、あらゆる分野のクリエイティブな人材に今日のデジタルツー
ルを提供し、重要なアイデアの研究や、新しく創造的な[手法の]実施、メディア制作などを
可能としている。若者向けの施設としては、The Edge はクイーンズランドの若年層に、学
習やビジネス、および余暇においてデジタル文化にどうアクセスし、これを役立てることが
できるかを教える上で主導的な役割を担うことになる。
3. 先住民知識センター(Indigenous Knowledge Centres)
http://www.slq.qld.gov.au/about/who/orgchart/ils/ikc
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「先住民知識センターは息づいている場所である・・・私たちの文化を子供たちに伝える
ため力強く保ち、私たちの伝統、歌、言語、物語そして芸術作品を維持し・・・私たちを今
日から明日へと導く物を呼び戻し・・・伝統的な慣習(traditional business)と現代的な図書
館サービスが出会う場を提供する・・・」
SLQ はクイーンズランドの遠隔地に存在する、20 ヶ所の先住民知識センター(IKC)を支
援している。伝統的な図書館サービスに加え、共同体にインターネットへのアクセスやデジ
タルスキルの訓練を提供することで、IKC は[共同体の住民が]ツールを利用して自らの文化
や物語をとらえ、これを SLQ のウェブサイトやブリスベンの IKC である”kuril dhagun”のウ
ェルカム・ウォールで流されるウェッブストリーミングを通じて世界と共有することができ
るのである。
ノーザンテリトリー図書館
4. Our Story
http://www.gatesfoundation.org/atla/Pages/2007-northern-territory-library-our-storyindigenous-australia.aspx
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「私たちの物語(”Our Story”)」は、自らの文化のデジタルアーカイブ構築を通じて、先住
民出身者をノーザンテリトリーの遠隔地共同体の図書館にひきつけてきた。共同体の多くは、
限られたインフラしか有していない-店が一軒、学校が一つ、そしてうまくいけばヘルスク
リニックが一ヶ所。しかし多くの共同体には、ノーザンテリトリー図書館(NTL)により提
供される小規模な公共図書館サービスが存在する。NTL はこれらの図書館知識センター
(Library Knowledge Centres)で現地の図書館員に、先住民が自らの文化をデジタルな形で
とらえること支援する訓練を施し、またそのための機材を供与している。カメラやコンピュ
ーター、ボイスレコーダー、ビデオレコーダー、そしてスキャナーやプリンターを駆使し、
共同体のメンバーは昔から現在までの芸術、地図、歌、写真、現地語で行われるクラスなど
を記録するのである。イベントを撮影し、インタビューや伝統的な慣習を録画して、これら
のデジタルコンテンツをユーザーフレンドリーなソフトウェアである Our Story で保存する。
共同体では Our Story を採用し、2004 年以来 4 万件にも上るアイテムが集められている。
2007 年には、NTL は Our Story をさらに多くの共同体に紹介し、またより多数の共同体図書
館スタッフを訓練する資金として、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団の学びへのアクセ
ス賞[Access to Learning Award](ALTA)を受賞している。
結論
オーストラリアでは、低収入の人々および教育水準の低い人々が、急速に変化するデジタ
ルエコノミーから取り残される最も大きなリスクにさらされている。現在政府の方針は、デ
ジタル包摂をより幅広い領域でとらえるよりも、全国ブロードバンドネットワークやデジタ
ル教育革命などのプログラムを通じて国のインフラ上、および教育上のニーズに対応してい
くことに焦点をあてている。教育への参入拡大については非常に強い圧力がかかっており、
その結果としてより多くの人が学校および大学での学習を通じてデジタルメディアのリテラ
シースキルを構築していくことになろう。しかしより全体的に共同体に目を向ければ、日々
の生活の場面でデジタル能力を示すことが個人に求められてきているのである。政府サービ
スはペーパーレス化が進み、年齢や収入レベルとは無関係に、すべての市民が福祉や医療サ
ービスへのアクセスにおいて、オンラインでやりとりするデジタル能力を持つことが求めら
れている。したがって政治家および官僚の直面する課題は、実際の配線やインターネットの
速度といった問題だけでなく、ICT やオンラインサービスが社会全体にどのような利益をも
たらすか、またオーストラリアが真実に公平、平等な社会であるために、個人および共同体
グループは機能的なデジタルスキルとリテラシーをどう開発していけばいいのかを理解する、
ということをも含まれるのである。図書館員は、書籍に注目する伝統から離れ、フォーマッ
トに関係ない情報の自由な流れ、また情報へのアクセスに関する普遍的権利、という基本的
価値観を推し進めることで、自らを電子世界のリーダーと位置づけることができる。ここで
紹介されたケース・スタディは、コンピューターやインターネットへの無料アクセスやオン
ライン情報の検索・評価を支援する適切な訓練の提供、また生涯学習や共同体の社会機能を
作り上げる参加型・協力型知識の創造促進を通じて、図書館活動がこの基本的価値観を、ど
のように積極的に実践しているかを示している。情報時代においては、デジタルリテラシー
は正式な教育内、またその外で生涯を通じて取得・開発されるものである。21 世紀の社会
で情報を理解、有効利用するためのツールやスキルを人々が確実に有するうえで、図書館は
非常に重要な役割を果たすことになるのである。
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Functional Digital Literacies or Critical Digital Literacies?
小柳和喜雄(Wakio Oyanagi)
奈良教育大学 教職大学院 教授
はじめに
デジタル情報を扱う世代の調査を継続的に進めてきた Tapscott(2008)が、調査結果に基づ
き、その著“Grown Up Digital : How the Net Generation Is Changing Your World”の中
で、ネット世代とそれ以前の世代の違いを指摘し、すでに数年が経過した。
そこでは、ネット世代の行動基準の特質として「自由」
「カスタマイズ」
「調査力」
「情報の
公開」「協働と関連づけ」
「スピード」
「革新と生成」等が指摘されていた。
また、Web2.0 あるいは Web3.0 などといわれる技術利用と関わって、学習活動や教育活動
のベースとなる能力面への影響や変容に目を向け、学校で身につけるリテラシーと、学校外
で子どもたちが用いているリテラシーが複雑に絡み合い、学校のリテラシー教育へその影響
が現れてきていることの指摘もほぼ同じ時期に発表されてきている(Lankshear and Knobel
2008、Davies and Merchant 2009、 Carrington and Robinson 2009)
。
本シンポジウムでは、このようなデジタルネットワーク技術の利用が高まる中で、そこで
生成され浸透してきているリテラシー、そのような環境下で求められるリテラシーとして、
ある意味、総称のように用いられているデジタルリテラシーに関わって、1)関連諸概念の
整理、2)実践の経過・動向、3)デジタルリテラシーへの対応について、以下検討を加え
ていきたい。
1.拡張するリテラシーとその概念地図を考える
ここ10数年、本シンポジウムで取り上げている「デジタルリテラシー」と言う言葉と関
わる様々なリテラシーが現れてきた。
例えば Gilster(1997、p.1)は、本シンポのテーマともなっている Digital literacy をタイト
ルとした彼の著書の中で、それを次のように定義している。 「Digital literacy は、コンピ
ュータを通じて提供される、幅ひろい情報源から多様な形式の情報を理解し、用いることが
できる能力である」
。
Spitzer, Eizenberg,& Lowe(1998 、 pp.22-29) は 、 デ ジ タ ル リ テ ラ シ ー と 関 連 す る
Information literacy を述べていくために、Visual literacy、Media Literacy、 Computer
literacy、Network literacy を取り上げ、次のようにそれぞれの特徴をまとめている。「Visual
literacy は、イメージを理解して、使用できる能力と定義される。それは、イメージに関し
て考えて、学んで、言い表す能力を含んでいる」
。 「Media Literacy は、ある特別な結果に
向けて、情報にアクセスして、分析して、それを作り出す市民の能力として定義される」。
「Computer literacy は、一般にパーソナルコンピュータへ親しみ、ワープロ、表計算、デ
ータベースや他のソフトウエアを使って、文章やデータを作成し、操作する能力である」。
「Network literacy は、Computer literacy と密接に関連し、いまだ発展し続けている用語
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である。WWW などのネットワークでつながれた環境で、情報のありかを見つけ、アクセス
し、それを使用するために、
利用者は、Network literacy を獲得した人とならなければない」
。
「Information literacy を獲得するために、人は、いつ情報が必要とされるのか認知できな
ければならない。また必要とされる情報を効果的に探し、評価し、用いられる能力を持たね
ばならない」
。
また、デジタル時代のリテラシーを表現しようとする上述の試みと関連して、
Warschauer(1999、p.13)は、Electronic literacy という言葉を取り上げ、次のように定義し
ている。 「Electronic literacy は、本のページの代わりにコンピュータ・ディスプレーから
情報を読み取ることへ我々の目をただ適合させようというだけでない。リテラシーに対する
我々の見方、読み書きの目的までも、新時代に向けて我々を適合させようとするものである」。
一方、これまであげてきた諸リテラシーと少し距離はあるが、WWW 情報の読み取りと関
わって、分析的・批判的な読み取り方の重要性を指摘する論考もある。情報教育にも精通し
ている Knobel と Healy (1998、p.127)は、Critical literacy を取り上げ、その定義は次のよ
うに記している。 「言語、権力、社会集団、および社会的な習慣の中にある諸関係を分析し
客観的判断ができる能力を Critical literacy と定義する」
以上のように、この間、多くの関連諸リテラシーが登場し、その目指すところが語られ、
その教育方法や実践の結果などが語られてきた。ここには当然予想できることであるが、使
う言葉は違うが関係構造が存在する。
この点に関わって、Tyner(1998、p.92)は「情報時代のリテラシーを表現する」といった
話題の中で、このような様々な literacies の関係構造について言及している。「Computer、
Network、Technology literacy といった 3 つの multiliteracies は、社会における新しいテ
クノロジー・ツールが一般的に増殖していることを示す意味を持っている。そのため、
Computer、Network、Technology literacies は、道具リテラシーとして論ずることが出来
る。一方、他の Information、Visual、Media といった 3 つのリテラシーは、学校教育の文
脈で特にテクノロジーを用いることと関わっている。すなわち情報を分析したり、意味がど
のように作り出されるかを理解したりする点を強調する場面である。なぜなら、後者の3つ
のリテラシーは、情報の構成をとくに強調するからである。したがって、Information、Visual、
Media リテラシーは、表象(representation)のリテラシーとして特徴付けられる。これら
3つのリテラシーは、互いに似ていて交換可能なところがあり、しかも Alphabet literacy
と親和性のある Critical literacy と関わる能力も各々に含んでいるので、学校教育における
リテラシーの利用に関わって調査と実践を進める幾つかの基底を提供してくれる」。
Tyner によれば、情報時代のリテラシーとして考えられる上記6つのリテラシーは、その
共通特長として「道具リテラシー」として括れるものと、
「表象リテラシー」として括れるも
のがあるという。
ところで、共通のキーワードとなっている、このリテラシーという言葉はどこからきたの
か?リテラシーに関わる言葉がより注目を浴びたのは、とくに、the Third World で教育的
に不利益を被っている成人教育に関わって用いられ始めたことが影響していると説明されて
いる。そのように言葉の習得と関わって不利益をこうむっている人々を illiterate person と
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呼び、それが illiteracy という言葉を生み出した。それが、ユネスコの国際リテラシー年の
制定や、リテラシーキャンペーン、そして大きなラディカルな教育の動きの中で考えられる
ようになった。例えば、ブラジルの教育者 Freire の仕事などによって、批判的社会的実践の
発展を勇気付けられる成人教育への取り組みの中で、literate person が考えられるようにな
った。またポスト産業社会の到来によって、アメリカにおいても、リテラシーの危機が叫ば
れるようになり、literacy という言葉がよく使われるようになった。さらに、リテラシーを
人間の内的メカニズムからプライベート・マインドとして考えようとする立場から、次第に
相互作用や社会的実践へと目を向ける社会文化的なアプローチが出始めた。そしてこのよう
な視点から、もはや理想的なリテラシーがただひとつ存在するというよりも、多様なリテラ
シーが存在することを認め、それを表現するため、単数表現よりも、複数表現である literacies
という言葉がより適するという発想が出てきた。そのため社会文化的なアプローチを標榜す
る研究は、比較的、著書や論文のタイトルで複数形を用いることが生じてきたという
(Lankshear, & Knobel 2003)。
これらの指摘から考えると、リテラシーは、個人やプライベート・マインドに焦点化した
リテラシーのとらえ方がかなり比重を占める研究の立場から、相互作用や社会実践に埋め込
まれたリテラシーに目を向けようとするリテラシー研究の動きが活発化してきたと考えられ
る。
これらのリテラシー研究の歩みも踏まえて、デジタルリテラシーと関連する諸リテラシー
で主張されている内容をあらためて振り返ると、確かに、似た経過を経てきたことが読み取
れる。つまり目標像を基に総称としてデジタルリテラシーで括られる関連諸リテラシーの立
場を検討すると、
「プライベート・マインドの育成」と「学習者のリテラシーを社会文化的視
点から考える、またそれに基づいて学習者が社会的実践へ参加できることを目指す」といっ
た 2 つの立場が重なる点もあるが存在することが確認できる。
先に検討した、
「テクノロジーといった道具的な性質を操る側面を多分に持つ道具リテラシ
ー」と「言語や記号を使った情報処理
プライベートマ
インドの育成
など学校の学びと親和性のある表象
リテラシー」という分類と合わせて、
デジタルリテラシー関連の諸リテラ
シーの関係構造をマップ化すると、図
1のような軸が描ける。そして、これ
ら目標軸と特質軸をクロスして、それ
道具リテラシー
(技術操作の
ツール)
B
A
C
D
表象リテラシー
(思考のツール)
ぞれの力点の置き方の相違を検討す
ると、次のような地図が見えてくる。
まず A から D にかけて個々人の情報
社会文化的展
望の育成
処理の過程の洗練化に力点を置いて
いる Information literacy を先頭に、
図1 関連諸リテラシーの分類・配置枠
映像の記号表現の読み取り、そこに埋め込まれた文化性の読み取りへ向かう Visual literacy、
さらに社会・経済の構造と密接に結びついているメディアの表現を読みとく Media literacy、
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最後に、テキストを中心にあらゆる表現事象をクリティカルに読み解いていくことに力点を
おく Critical literacy が並ぶ。続いて、B から C にかけて、個々人のコンピュータの操作力
のへ力点がある Computer literacy を先頭に、ネットワークを駆使し、個々人の調査力やコ
ミュニケーション力を培おうとする Network literacy や Digital literacy が続く。最後に技
術に操作はもちろんのこと、その仕組みや自然環境や社会環境との関わりまでに言及する
Technological literacy が並ぶ。
このように地図を描き、その関係を考えてみると、デジタルリテラシーと関わる諸リテラ
シーは、どちらかというと、図1の象限 A と B に現在の力点が置かれているのがわかる。
この配置を考えるために、リテラシーへの言及ではあるが、Street(1984)の「自律モデ
ル」と「イデオロギーモデル」が参考になる。彼の視点で見たとき、先の配置に見られる現
在のデジタルリテラシーと関わるリテラシー論議は、自律モデル的発想に立っているのが読
み取れる。デジタルリテラシーは、テクノロジーを扱うことが多い。テクノロジーの操作力
の育成は、社会科学でとりわけ問題にされるイデオロギーの影響から距離をおいて、より中
立的イメージを保とうとする。そこで自律モデルに立とうとすることが多いのかもしれない。
しかし、テクノロジーは、明らかに社会・経済構造と密接に関連する。またテクノロジーに
よって媒介される情報やコミュニケーションにも、当事者間の文化的要因が必ず反映する。
従って、その教育も決して中立ではありえない。むしろ、あるイデオロギーが隠蔽されたま
ま、中立のように見せた教育が行われる可能性もある。例えば情報化社会を対象化すること
なく、ただそれへの同化教育が推進されるなどである。
機能的な力の育成に力点をおく理由としても、
「操作できなければ、情報化社会から取り残
される」といったデジタル・ディバイド論を根底に置いた姿勢がうかがえる。しかしここで
問題なのは、むしろ、
「取り残される」というのは何に対してかを問うことである。そのよう
な取り残す仕組みを作っていることに、むしろ批判の目を向け、それを分析し、問題へと挑
んでいくこともまた見落としてはならないことと考えられる。
この点、社会文化的アプローチは、リテラシー研究でもその動きが見られたように、研究
や教育のねらいが、上記の問題への切り込みにある。しかも社会構造の分析など構造主義的
発想をベースとした「イデオロギー批判」的アプローチから、ポスト構造主義やポストモダ
ン的発想をベースとする「ディスコース分析」的アプローチにより、権力構造の批判だけで
なく、権力構造を担っている支配・被支配の交渉過程の詳細な分析や、構造の編み直しへと
目を向けようとしている。
デジタルリテラシーのさらなる可能性を開いていくためには、リテラシー研究の動きにも
見られるように、視野を広げて、社会文化的展望の育成といった点からもその教育目標・内
容・方法の検討をしていくことが求められるのではないだろうか。
2.デジタルリテラシーの育成と係わる教育実践
コンピュータやインターネットなどが学校に入ってきたとき、その光と影の論議がなされ
てきたことは記憶に新しい。その際、学校という組織的な教育の場では、情報化が進む社会
で求められる一般的な能力の育成や、人材育成の観点からそれらを利用できる力の育成を目
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指した。そして、それに合わせて効果的な教育手段としてコンピュータやインターネットな
どの活用も試みられてきた(道具的なリテラシーの養成と、その道具を使って教育活動の効
果をあげる試み)
。 一方、このようなメディアが新たな行為・行動、そして思考を導き、学
習活動を変えることを考え、教育論というよりも学習論という立場から、その可能性、ひい
ては学校や教育活動も変えていく可能性などを検討する試みもなされてきた(表象的リテラ
シーの獲得が導く学習可能性への関心)。
そして、現在、資格取得や高等教育を中心に進められている e-Learning は、まさに、この
メディアやインフラが持つ機能を、学習活動に活かし、学び手が自ら学ぶことを支援し、場
所と時間の自由度を持って教育効果を
デジタル・リテラシーのフィールド
テクノロジー・
上げていくことを目指している(表象
(マルチプル・リテラシー)
テクノロジカル・
的リテラシー獲得のための道具リテラ
情報
リテラシー
リテラシー
シー、道具リテラシー獲得のための表
コンピュータ
リテラシー
メディア
ネットワーク・
リテラシー
リテラシー
ニュー
リテラシ
ー
象的リテラシー、道具リテラシーと表
象的リテラシーの獲得によって促進さ
れる学習活動)。
表象的リテラシー群
道具的リテラシー群
図2 デジタル・リテラシーの関係図(1)
このような動きの中で、文化遺産の
伝達、社会人として求められることの
育成など、ある目的を持った教育活動を遂行していく取組が行われてきた。つまり、ネット
ワーク環境を用いて教育活動を行う「効果的な学びを促す環境は何か」など、学習活動を実
際に効果的に支援していく方法、その際に指導者に求められる能力を考える教育論的アプロ
ーチが取られてきた。また、ネットワーク下での学習が語られる際、
「人はどのように学ぶの
か」「どのようなときに学びが生じるのか」「生じている学びの姿はどのような意味があるの
か」といった、人が学ぶという行動をする際の原理的な考察、および学びの意味やその質を
問うということに関心が向けられる学習論的アプローチも取られてきた。さらにそれらの関
心が互いに融合している場合などがあった。
また、このような e-Learning の研究は、組織的な教育と関わる研究も熱心に進め、システ
ム開発研究・インターフェース研究から、学習効果・評価研究も進めてきた。しかしながら、
どのように教育をするか(How,What)
協調学習、インストラクショナルデザイン
などの研究成果を活かし、何を使ってどの
①の下
に⑤
②
①
教師や学校独自の
目的に沿って進めら
れる教育
④
③
学習者の教育
⑥
が、e-Pedagogy のような用語を明確にし、
取り立ててその教育学を考えていこうとす
⑧
日常生活の
学びと学校の学
びを橋渡しする
教育
ように教えていくかは考えられてきている
指導者の教育
⑦
教育活動の意味を問う(Why)
図 3 教育実践研究の動向
る研究はそれほど多くはない。
上記の教育実践研究の動向を図3を使っ
て考えるならば、まず x 軸レベルで、何が
学習者に必要とされるかに関心が向けられ、
そのために教育者に何が求められるかとい
う形で研究が進められていることが多い。
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あえて言えば「学習者の教育」に関心が多く向けられ、指導者にどのような力量が求められ
るか、どのようにそれを導くかといった「指導者の教育」は、前者に従属する形で進められ
ている状況といえる。次に y 軸レベルでいえば、
「どのように教育をするか」に多くの関心が
向けられ、
「教育活動自体の意味を問う」ことはそれに比べて手薄な状況であるといえる。最
後にz軸で言えば、学習者に必要な知識・能力として、教育機関が求める教育活動の効果的
な伝達に関心が多く向けられ、日常生活の学びと学校の学びを橋渡し、互いの意味を結びつ
ける教育活動は手薄な状況であるといえる。
つまり、図3のボックス①の研究がまず多く、続いて④の研究が多いというのが、ネット
ワーク環境下の日本の教育実践の動向と考えられる。
3.デジタルリテラシーを磨いていくために
以上、これまで、デジタルリテラシーと関わる
諸リテラシーを関連構造マップとして位置づけ、
①ディスコース
それが何に関心を向けてきたか?そしてどのよう
な変化を見せてきたかを考えてきた。次に、日本
②アクティビティ
の研究を中心にネットワークを用いた教育実践の
動向を振り返り、デジタルリテラシーの育成と関
③コミュニティ
わる教育実践がどのような変化を経てきたかも合
わせて検討してきた。
図4
検討範囲
最後に、ここでは、デジタルリテラシーを各自が磨いていくために、どのような教育活動
が有効となるかを考えていきたい。
ここで着目するのは、デジタルワールドにおける「ディスコース」「アクティビティ」
「コ
ミュニティ」である(図4参照)。
1 つ目の「ディスコース」は、人とメディアの相互交渉過程それ自体,そこで交わされて
いる言葉・言語行為に着目するものである。2 つ目は、ディスコースを含みこみながら、さ
らに広く、
「アクティビティ」に着目し,活動対象であるメディアと人がどのような目的を持
ってどのように関わっているかを考えていくことに着目した。最後に3つ目は,ディスコー
ス,アクティビティも含みこみながら,人がメディアとの相互交渉を持つ中でどのようなコ
ミュニティを形成し,またどのようなコミュニティに属しているかに関心を向けていくこと
に着目した。
これら3つに着目する理由は、先の関係構造マップの検討、及び実践の動向から見えてき
たこととして、デジタルリテラシーの教育を社会的実践と関連づけてとらえていくことがま
だ萌芽的であると考えたからである。
まず 1 つ目のディスコースに関わっては、本論シンポのテーマと関わるメディア・ディス
コース分析の方法に目を向ける。
その中でも Fairclough(1995)によるディスコース実践に焦点化した批判的ディスコース分
析に着目する。
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彼は,図5に示したように,メディア・ディ
Social conditions of production
スコース分析を行う際,
「コミュニケーションと
関わる出来事」に焦点化し,それを「テキスト」,
Process of production
「テキスト生成過程」
,
「社会的実践」という 3
Text
層構造から分析する手法を用いている。この手
法へ目を向ける理由は、ディスコース実践に目
Interaction
を向けているため,結果として書かれ,話され
た言葉に加えて,それが生み出される過程(交
Context
渉過程)の分析,さらにはそのような交渉過程
Process of Interpretation
Social conditions of interpretation
図5
Fairclough の分析枠
の中で言葉が生成される文化的背景や社会的な関わりまで分析の目を向けているからである。
この手法は,ブログや電子掲示板への書き込みの分析や携帯電話のログ、Twitter のログ
分析などにも応用可能である。例えば、まず3層のうちの「テキスト分析」から,(1)「そこ
で何が起こっているのか?何が語られているのか?」といった問いの設定が可能となる 。次
に,
「テキスト生成過程の分析」から,(2)「誰がそこに参加し,関与しているのか?」(3)「そ
こにどのような関係があるのか?誰の語りが誰にかけられているか,誰を中心に話が作られ
ているか?何の話がつながっているのか,何を新たに生み出しているのか」を分析していく
問いの設定が可能となる。最後に,
「社会的実践」から,(4)「そこでの言葉の役割はどのよ
うになっているか?そのとき,どのような言葉が選ばれているか,相手によって書き分けら
れていることはあるか,なぜそのようなことは起こっているのか?なぜそのような語りがな
されているのか」などの問いの設定が可能となる。
このようにわかりやすい問いに置き換えディスコース実践の分析と出合うことで,自身に
身近なメディアの中で語られ作られていくディスコースの過程を視覚化させ,意識化させて
いくことが可能となる。
次にディスコースを分析の対象として含みこみながら,さらに広くアクティビティに着目
し,活動対象であるメディアと人がどのような目的を持ってどのように関わっているかを考
えていく自己研鑽の方法を考えてみたい。
Oliver と Pelletier(2006)は,Engeström の活動理論も参照しつつ,テレビゲームと子
どもの相互交渉過程に着目した分析方法論を提供している。彼らは,テレビゲームの種類や
コースデザインによって,また子どもがそれとどのような交渉過程をもつことがどのような
効果を導くかを,活動理論を用いて分析し,対象との行為・プロセス分析にまで目を向けて
いる。そして,ある時間内における活動を行為や操作へブレークダウンして,互いの操作の
関連性や矛盾・問題点を見ていく中で,どのような過程が学習活動に寄与する可能性がある
かに迫ろうとしている。
つまりこの方法論は,Engeström の活動理論の分析要素を参考にし(主体が対象に働きか
けていくときにどのような道具を用いているか,主体が共同体の中で活動していくときにそ
こにどのようなルールがあるか,共同体として対象にかかわっていくときにそこにどのよう
な分業が行われているか)
,ある目的に沿って各時間の経過の中で生じている活動を大きな分
析単位としてまずおさえる。さらにその活動を行為・操作レベルにまで落として,どの操作
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がターニング・ポイントになるか,気をつけなくてはならないキー場面・操作は何かを,ゲ
ームと子どもの相互作用の分析の中で用いて,そこにある学習活動に貢献する操作やルール,
道具の用い方などを考察しようとている。
この論文では,テレビゲームが取り上げられているが,携帯電話を用いたコミュニケーシ
ョン,ネットコミュニケーション(引きこもりなどと関わって話題なっている MMORPG な
ども含む)
,学外のWWWの活用の行為に対して,教師と教育関係者,研究者が協同で研究を
進め,そこで生じている出来事を行為・行動・操作レベルにまでブレークダウンして分析・
解釈することを,この方法は与えてくれている。また,この結果は,教師が携帯電話を用い
たコミュニケーション,ネットコミュニケーション,学外のWWWの活用の行為などを,学
習対象としてとらえ授業を計画する際に,有効な知見を与えてくれると考えられる。
最後に 3 つ目として,ディスコース,アクティビティも分析対象に含みこみながら,人が
メディアと相互交渉を持つ中でどのようなコミュニティを形成し,またどのようなコミュニ
ティに属しているかを分析していく上で参考になる方法論に目を向ける。
Mizuko Ito(2006a,2006b)は,ネットコミュニケーションを成長させている要因をコ
ミュニティのもつ独特の文化という視点から分析を進めている点に特徴がある。1)これまで
の若者が関心を持ち育ててきたコミュニティの中で代表的なものを時代史的に取り上げ,2)
それらがどのようにメディアやテクノロジーに影響を与えてきたか?3)またメディアと若者
の相互交渉過程の理解を,その職属するコミュニティへのインタビュー分析やメディアに書
き込まれているテキスト分析から進めていこうとしている。
例えば,
「1)これまでの若者が関心を持ち育ててきたコミュニティの中で代表的なものを時
代史的に取り上げる」ことを応用して,「交換日記と電子メール」「同人誌とブログ」といっ
たように,以前からあるものと,現在のメディア環境中で利用されているものを子どもに比
較させ,類似点と差異を見出させる。
「2)それらがどのようにメディアやテクノロジーに影響
を与えてきたか?」を応用して,
「今自分たちが大切にしている音楽文化や携帯でのコミュニ
ケーションが,もっとこうなったらといいと思うこと,またどういう技術が欲しいかなどを
考えて見ましょう」というように未来予測させる。さらに「3)メディアと若者の相互交渉過
程の理解を,その職属するコミュニティへのインタビュー分析やメディアに書き込まれてい
るテキスト分析から進める」を応用して,
「身近な,ある興味ある雑誌やブログなどの書き込
みを分析したり,クラブ活動をしている人にインタビュー調査をしてみよう」と子どもに働
きかけ,自分たちの身近な文化に関わっている人のコミュニティに接触させる,垣間見させ
るきっかけを作る,などがあげられる。
このような方法をとることによって,保護の視点だけでなく,文化理解という視点から子
どもに納得いく形でそれとの付き合い方を獲得させることへつなげることができる。
「子どもたちは,単に新しいメディア環境に接し,そこで創造的な活動や批判的な関与を
しているだけでなく,その枠組をも変えていくような起業家的参加をしているのではないか」
という発想から,子どもたちの文化コミュニティをとらえる Ito のアプローチは,子どもの
活動,参加しているコミュニティを別の視点でとらえていく機会を教師にも与え,教材発掘
に貢献できる。実際に,この研究の着眼点や方法を応用することで,生徒に,自分たちが大
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事にしていることや話題になっていることへ目を向けるチャンスを与えることになり,学校
外のメディア接触やメディア利用を自分に引き付けて考えていくことを可能にすると考えら
れる。
以上,これまで 3 つの点に絞って、自分のデジタルリテラシーを洗練させていく方法につ
いて検討を行ってきた。これは、まだ萌芽的段階の提案であり,今後,さらに関連研究から
抽出できる方法を明確,かつ洗練させていく必要がある。しかしながら,
「人とメディアの関
係」を読み解いていく上で取り上げた3つの方法論は,自分のデジタルリテラシーを磨いて
いくための具体的な手がかりへ一歩踏み出すきっかけを我々に与えてくれたと考えられる。
このような「自分とメディアの事実関係」の読み取りから出発する方法論は,
「デジタルリ
テラシーを各自が培うメディア環境,メディアコンテンツをどのように準備できるか?」等
に対しても,暗黙のルールを明確にし,改善の見通しを明らかにするなどの可能性を持って
いると考えられる。
さらに,メディア制作者および利用者がお互いに,それぞれ自分のディスコース,アクテ
ィビティ,コミュニティを振り返り,相互の成長・変容を意識していく取り組みへつながる
契機になると考えられる。
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Functional Digital Literacies or Critical Digital Literacies?
Wakio Oyanagi
Professor, Nara University of Education
[email protected]
Introduction
D. Tapscott has been conducting successive surveys of the generation that works with digital
information, and In Grown Up Digital: How the Net Generation Is Changing Your World
(2008) he used those results to point out differences between the Net Generation and the
preceding generation. Now a number of years have already passed since that work. The
behavioral norms of the Net Generation that Tapscott identified include freedom,
customization, scrutiny, integrity, collaboration, entertainment, speed, and innovation.
Attention was also turned to influences on aspects of competence that are a basis for learning
activities and educational activities, in connection with applications of technology that are
referred to by such terms as Web 2.0 and Web 3.0, as well as to changes in such aspects. It
was found that literacies that children acquired in school and literacies that they employed
outside school are intricately interrelated, and studies pointing out their emerging influence
on literacy education in schools appeared around the same time (Lankshear and Knobel 2008,
Davies and Merchant 2009, Carrington and Robinson 2009).
Literacies are being formed and becoming pervasive amid the increasing utilization of this
kind of digital networking technology, and digital literacy has come to be used in some senses
as a generic term that encompasses the kinds of literacy that are sought under those kinds of
circumstances. Here, at this symposium, the purpose of this presentation is to examine that
generic digital literacy by means of the following (1) inventory of related concepts, (2)
description of the course of literacy practice and its current trends, and (3) discussion of an
approach to dealing with digital literacy.
1. Considering the Expansion of Literacies and a Literacy Concept Map
Numerous varieties of literacy that are related to the term “digital literacy” being taken up at
this symposium have appeared over the past 10 years or so. For instance, a study by Gilster
that takes its title of digital literacy from the subject of this symposium defines this term as
follows (1997, p. 1): “Digital literacy is the ability to understand and use information in
multiple formats from a wide range of sources when it is presented via computers.”
In order to discuss information literacy as related to digital literacy, Spitzer, Eizenberg, and
Lowe (1998, pp. 22-29) examine visual literacy, media literacy, computer literacy, and
network literacy. They have summarized the distinctive characteristics of these literacies as
follows. Visual literacy is defined as “the ability to understand and use images, including the
ability to think, learn, and express oneself in terms of images.” Media literacy is defined as
“the ability of a citizen to access, analyze, and produce information for specific outcomes.”
Computer literacy is “generally thought of familiarity with the personal computer and the
ability to create and manipulate documents and data via word processing, spreadsheets,
databases, and other software tools.” Network literacy, which is closely related to computer
literacy, is “a term that is still evolving. In order to locate, access, and use information in a
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networked environment such as the World Wide Web, users must be network literate.” “To be
information literate, a person must be able to recognize when information is needed and have
the ability to locate, evaluate, and use effectively the needed information.”
In connection with the above attempts to express the nature of literacy in the digital era,
Warschauer (1999, p.13) also discussed the term electronic literacy, defining it as follows:
Electronic literacy involves not only adapting our eyes to read from the screen instead of the
page but also adapting our vision of the nature of literacy and the purposes of reading and
writing.
Although it is somewhat distant from the various literacies raised here so far, there is also a
view that points out the importance of analytical and critical reading in connection with
reading World Wide Web information. Critical literacy is discussed by Knobel and Healy
(1998, p. 127), who are also fully conversant regarding information education. They define
critical literacy as the analysis and critique of the relationships among language, power, social
groups, and social practices.
As indicated by the above, numerous interrelated literacies have emerged recently, their
various aims have been discussed, and their associated educational methods and results of
their practice have been described. With this it is naturally to be expected that even though
the terms used may differ, there is a structure to their relationships.
This point is addressed in a discussion on the topic of “representing literacy in the age of
information,” where Tyner (1998, p. 92) refers to the structure of relationships of various
literacies of these kinds as follows:
“Three multiliteracies—computer, network, and technology—have implications for the
general proliferation of new technology tools in society. For that reason, computer, network,
and technology literacies can be discussed as tool literacies. Three others—information,
visual, and media—are particularly relevant to the uses of technologies within the context of
schooling. They stress the need to analyze information and to understand how meaning is
created. Because they address the construction of information, as well as tools, information,
visual, and media literacies can be characterized as literacies of representation.... Information
literacy, visual literacy, and media literacy are closely compatible and provide some
foundation for research and practice about the uses of literacy for contemporary schooling,
because they contain critical literacy competencies that are familiar in alphabetic literacy.
have the potential to build on already familiar alphabetic literacy foundations in schooling.”
According to Tyner, the above six literacies that are considered literacies for the information
age consist of those that can be placed, according to their common characteristics, as “tool
literacies” and those that can be placed as “literacies of representation.”
At this point it would be natural to inquire into the origins of the common keyword here,
literacy. It is said that terms relating to literacy began receiving particular attention due to the
influence of the word’s use in connection with adult education of people in the Third World
who are educationally disadvantaged. People who have suffered such disadvantages
involving the acquisition of language abilities are termed illiterate persons, and that usage
gave currency to the term illiteracy. Literacy then came to be seen in the context of
UNESCO’s proclamation of International Literacy Year, literacy campaigns, and other such
large-scale, radical educational movements. With the work of the Brazilian educator Freire,
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for example, the “literate person” began to be situated within adult education measures
intended to encourage the development of critical social practice. With the arrival of
post-industrial society, alarms about a crisis of literacy also started to be raised in the U.S.
and use of the term literacy became more common. There was also a shift away from
perspectives on literacy as an internal mechanism of the human being, and as a matter of the
private mind, and instead a socio-cultural approach by which literacy was viewed as a matter
of interactions and social practice gradually started to emerge. From this kind of perspective,
it was already no longer a matter of there being just a single variety of ideal literacy, but
rather of recognizing the existence of a diversity in literacy. Thus the notion emerged that the
plural word “literacies” was better suited than the singular to expressing the matter. The
plural form is therefore said to have come into use relatively more often in the titles of books
and articles that declared a socio-cultural approach (Lankshear and Knobel 2003).
Given these observations, it appears likely that where a greater proportion of studies had once
focused on literacy as a personal matter involving the private mind, the perspective of literacy
research shifted so that the active concern was instead with literacy as embedded in mutual
interactions and social practices.
Taking a retrospective view of the course taken by this literacy research, and looking back
again at the substance of claims made under various literacies related to digital literacy, it is
clear that the courses they followed were similar. In other words, examination of the
perspective of the multiple related literacies that, on the basis of their envisioned purpose, are
summarized under the collective designation of digital literacy, it becomes apparent that two
perspectives exist there, though overlapping at some points. These are the fostering of private
mind, on the one hand, and on the other, the consideration of learners’ literacy from a
socio-cultural viewpoint and the aim of enabling learners to participate in social practice on
that basis.
The two categories of tool literacies, which possesses a large element of manipulation of the
tool-like nature of technology, and
プライベートマ
literacies of representation, which has
Fostering
of private mind
an affinity with school learning,
インド育成
including information processing by the
use of language and signs, were
ツール・
Tool literacies
Literacies
of
B
A 表象リテラシ
discussed above. When these categories
(toolsリテラシー
of
Representation
are mapped in combination with the
technological
ー(思考のツ
(tools of thought)
manipulation)
(技術操作の
structure of relationships among the
C
D ール)
various literacies related to digital
ツール)
literacy, the map can be drawn with axes
like those in Figure 1. Then, when the
Fostering
of socio-cultural
社会文化的展
objectives axis and the characteristics
perspectives
望の育成
axis are made to intersect, and the
differences in how their respective
points of emphasis are located are
Figure 1. Framework of categorization and placement
examined, a map of the following kind
of related literacies
becomes visible. First of all, the
literacies that emphasize the process of increasing sophistication in information processing by
the individual person can be found in the span from A to D. The first of these is information
literacy, followed by visual literacy, which deals with reading images and symbolic
representations, and which is oriented to reading the culturality embedded therein, then media
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literacy, which reads expressions from media closely linked to social and economic structures,
and finally critical literacy, which emphasizes critical explication of all expressive
phenomena, with a particular focus on texts. Then, in the span from B to C, there are arrayed,
first, computer literacy, which places its emphasis on the ability of individual people to
operate computers, followed by network literacy and digital literacy, which make
advantageous use of networks in the effort to cultivate a capability for scrutiny and ability to
communicate in individual people. Finally, there is technological literacy, which engages in
the operation of technology, of course, but beyond that also refers to involvement with the
arrangements of those operations as well as with the natural environment and social
environment.
Drawing a map of this kind and thinking about the relationships it depicts, it becomes
apparent that the present focus of the literacies related to digital literacy is preponderantly
located in the A and B quadrants of Figure 1.
Although they do refer to literacy, the autonomous model and ideological model of Street
(1984) are useful reference points for thinking about this map arrangement. When seen from
Street’s perspective, the literacy questions relating to current digital literacy as seen in the
above arrangement can be understood to arise from autonomous model concepts. Digital
literacy is often involved in handling technology. In the social sciences, cultivation of the
ability to operate technology is distanced from the influence of problematic ideologies in
particular, and efforts are made to maintain an image of greater neutrality. It may be that the
autonomous model tends to seek to establish itself on the foundation of such efforts.
Technology, however, clearly exists in close connection with social and economic structure.
Furthermore, information and communications that are mediated by technology also
inevitably reflect the cultural parameters involved between the parties concerned.
Consequently, that education cannot possibly be neutral. It is, rather, possible instead that
education is carried on with certain ideologies concealed and deliberately made to appear
neutral. For example, this would include the promotion of education to simply assimilate the
informatization of society without making that informatization an object of attention.
There are indications that the stance of the digital divide argument, which claims that
inability to operate a computer will cause people to be left behind by the informatization
society, is also used as a rationale for placing the emphasis on fostering functional abilities.
The issue here, however, is rather to question what those people will be left behind by. A
critical gaze should instead be directed upon the fact that a mechanism that leaves people
behind in that way is being created. Perhaps the challenge of analyzing that situation and
problematizing it is also something that should not be overlooked.
On this point, the aim of research and education in the socio-cultural approach, as also seen
with that movement in literacy research, is to tackle the above issue. Moreover, there has
been a shift from the approach of critique of ideology based on structuralist notions such as
the analysis of social structure. They seek to turn their attention instead to the approach of
discourse analysis based on post-structuralist and post-modern notions, which not only
critiques power structures, but also enables detailed analysis of the process of negotiation
between controllers and controlled that supports the power structure, and beyond that to the
reconstruction of structures.
It appears likely that, in order to unfold the further possibilities in digital literacy, it will be
important to examine the educational objectives, content, and methods involved in terms of
112 / 144
the impetus to achieve a broader view and to foster a socio-cultural perspective, as also seen
in the movements of literacy research.
2. Educational Practices Concerned with Fostering Digital Literacy
The way that pros and cons were debated when computers, the internet, and other such
technologies entered the school is still a matter of recent memory. At that time, development
of the general capabilities sought in a society undergoing informatization, and development
of the ability to make use of those capabilities from a personnel development perspective
were being carried on in the school as the locus of organized education. Efforts to make use
of computers, the internet, and so on as effective means of education (efforts to develop tool
literacies and to use those tools to raise the effective yield of educational programs) were also
undertaken in coordination with that education. Meanwhile, the kinds of media involved
elicited new behavior, actions, and thinking, and the idea of changing learning activities came
up. This was done more from the perspective of learning than of education, and efforts were
also made to study the possibilities involved, and by extension, the possibilities also of
making changes in the school and in educational programs. (This represented concern with
the learning possibilities brought out by the acquisition of literacies of representation.)
The e-Learning that is presently being pursued primarily for acquiring qualifications and for
higher education is aimed at making
Field of Digital Literacy
Technology and
advantageous use of the functions
(multiple literacies)
technological
possessed by these media and this
Information
literacy
infrastructure for learning activities.
literacy
Computer literacy
It is intended to support self-learning
by the learner and to enhance
Media
New
Network literacy
educational
effectiveness
with
literacy
literacy
greater freedom in place and time.
(This constitutes a promotion of
Cluster of tool literacies
Cluster of literacies of representation
learning activities through the
Figure 2. Diagram of digital literacy relationships)
acquisition of tool literacies and
literacies of representation, with tool
literacies for the purpose of acquiring literacies of representation, and literacies of
representation for the purpose of acquiring tool literacies.)
The passing on of cultural heritages, the fostering of aspects required of adult participants in
society, and other such educational activities with a certain goal were undertaken in the
context of this movement. In other words, asking what environment would facilitate effective
learning when implementing educational activities using a network environment, and other
such methods for actually providing effective support to learning activities were implemented
as education-oriented approaches geared to those capabilities being sought by the leaders at
that time. Learning-oriented approaches that are interested in the meaning of learning, that
question the quality of learning, and that consider the principles involved when people
engage in the activity called learning were also undertaken. In discussion of networked
learning, such approaches consider how people learn, on what kinds of occasions learning
takes place, and what significance there is in the appearance of the learning that takes place.
There were also cases when those various concerns merged together.
This kind of research in e-Learning further involved an enthusiastic pursuit of studies related
to systematic education, as well, from systems development research and interface research to
113 / 144
learning effectiveness and evaluation research. Although the results of research in
collaborative learning, instructional design, and other such areas have been utilized in
considering how to teach and what to use in teaching, however, not very much research has
been carried out to clarify the meaning of e-Pedagogy and other such terms, and to examine
that pedagogy in particular.
If the trends in research on
educational practice noted
above are to be considered
in terms of Figure 3, the
first thing to note is how, at
the X-axis level, much of
②
③
the research is being
Education of
Education of
指導者の教育
学習者の教育
pursued with an interest in
instructors
learners
⑧
what things are necessary
⑦
Education
日常生活のthat ⑥
to learners and what is
bridges 学びと学校の学
learning in
being
sought
from
everydayびを橋渡しする
life and
educators for that purpose.
learning 教育
in school
It could be said that most
Questioning
the meaning
教育活動の意味を問う(Why)
interest is directed to the
of educational activities (why)
education of learners, and
Figure 3. Trends in research on educational practice
that education of leaders,
which is concerned with
what abilities are sought in leaders and how to bring out those abilities, is being conducted as
subordinate to the other research. Looking next at the Y-axis level, most interest is being
directed to the question of how education should be conducted, and questioning of the
meaning of educational activities themselves is meager by comparison. Finally, looking at the
Z-axis, it can be said that most interest is directed to the effective propagation of the
educational activities sought by educational institutions in terms of knowledge and
capabilities required by learners. There appears to be little in the way of educational activities
that are intended as a bridge between learning in everyday life and learning at school, and
that seek to link the meaning of each to that of the other.
The manner of conducting education
(how, what)
どのように教育をするか(How,What)
Education conducted
according to the
教師や学校独自の
⑤ is under
①
①の下
instructor's or school's
目的に沿って進めら
に⑤
own particular purpose
①
④
れる教育
In other words, research of the kind shown in Box ① of Figure 3 exists in greater quantity,
followed by that in Box ④. This can be considered a trend in educational practice in the
networked environment of Japan.
3. Toward the Refinement of Digital Literacy
The preceding has positioned the various
literacies related to digital literacy on a map
showing the structure of their relationships,
and has discussed the questions of what
interests they address and what changes they
have undergone. This was then followed by a
retrospective view of trends in educational
practice using networks, with a focus on
research in Japan, together with a review of the
changes undergone in educational practice
related to the fostering of digital literacy. Now,
① Discourse
② Activity
③ Community
Figure 4. Scope of examination
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the final question to be taken up is the kind of educational activity that is effective toward the
individual refinement of digital literacy.
The approach here will be through discourse, activity, and community in the digital world
(see Figure 4). The first of these, discourse, is the very process of mutual negotiation between
people and media. This involves attention to the words and speech acts exchanged in that
process. The second item to examine, activity, includes discourse while extending still farther.
Attention here will go to the purposes of the media and people that are the objects of activity,
and how they are involved with each other. Finally, with the third item, which includes both
discourse and activity, attention will focus on the kind of community that is formed in the
course of negotiation between people and media, and what kind of communities they belong
to.
These three elements are being taken up because they emerged in the above examination of
the relationship structure map and of the trends in practice, and because understanding that
places education for digital literacy in relation to social practice appeared not to have
advanced beyond a germinative state (Oyanagi 2008).
The first element, discourse, will be approached here in terms of the method of media
discourse analysis, which is related to the topic of the present symposium. This approach will
be further narrowed to the critical discourse analysis focused on discourse practice according
to Fairclough (1995).
When engaging in media discourse analysis, as
Social conditions of production
shown in Figure 5, Fairclough focuses on
matters relating to communication. His method
Process of production
is to begin with analysis of a three-layered
structure comprising text, the text production
Text
process, and social practice. This method is
taken up here because in addition to analysis of
Process of Interpretation
Interaction
the language that is written and spoken as a
result of the discourse practice that is its object,
it also engages in analysis of the process of Context Social conditions of interpretation
Figure 5. Fairclough's framework of analysis
production (the negotiation process) and further
extends the analysis to the cultural background
and social relationships from which language is generated during that process of negotiation.
This method could also be applied to the analysis of entries to blogs and electronic bulleting
boards as well as to analysis of mobile telephone logs and Twitter logs. Of the three layers,
for instance, the layer of text analysis first of all makes it possible to set up questions of (1)
what is happening there and what is being narrated. Next, the analysis of the process of text
production makes it possible to set up the questions that analyze (2) who is participating in
the process and who is involved in it, and (3) what kinds of relationship are involved in it,
whose speech is being addressed to whom, who is the central figure around whom the
narrative is constructed, what is the subject that links the narrative together, and what is
produced that is new. Finally, the layer of social practice makes it possible to set up questions
regarding (4) what the role of the language is in this situation, what words are chosen for it,
whether any of the words are written in a manner that differentiates their intended recipients,
what the reason is for occurrence of that situation, what the reason is for that kind of narrative
being employed, and other such matters.
115 / 144
The encounter with analysis of discourse practice in which the questions are made readily
understandable in this way can have the effect of rendering visible the process of discourse by
narratives produced in media found in one’s own familiar context, and thus of rendering them
conscious.
Attention is directed next more broadly to activity, while still including discourse as an object
of analysis. The goal is to derive a method of self-improvement that considers the kind of
purpose held by media and people who are the objects of activity as well as how they are
involved with one another.
Oliver and Pelletier (2006) took the activity theory of Engeström as one point of reference
while proposing an analytical methodology focused on the process of mutual negotiation
between video games and children. They used activity theory to analyze how the effect is
influenced by the type of video game and the course design, as well as the kind of negotiation
process by which the children are involved with those elements. Their examination extended
even to analysis of behavior with the object and analysis of the process. They broke down the
activity within a certain period of time into action and operation, and in the course of
examining the mutual interrelation of operation as well as the contradictions and problem
points involved, they pursued the question of what kind of process could contribute to
learning activity.
This methodology, in other words, takes the analytical elements of Engeström’s activity
theory as points of reference. (These elements include the kinds of tools used by the subject
to act upon the object, the kinds of rules that apply when the subject is acting within a
collective, and the kind of division of labor that takes place when a collective relates to the
object.) The first step, therefore, is to identify the activities that occur during the passage of
each period of time as large analytical units in accordance with the particular purpose. Those
activities are then further broken down to the levels of action and operation. The questions of
what operations serve as turning points, and what the key scenes and operations that must be
noticed with care are applied during analysis of the mutual interactions between the games
and the children with the aim of examining any operations, rules, or ways of using tools there
that may contribute to learning activity.
This paper takes up video games, but it also touches on communications by mobile telephone,
network communications (including also the massively multiplayer online role-playing
games (MMORPG) that have become a topic of interest in Japan in connection with the
phenomenon of pathological withdrawal from society), and extramural utilization of the
World Wide Web. The method adopted here enables teachers, researchers, and others
involved in education to collaborate on research on these matters and to break down the
events occurring there to the levels of behavior, actions, and operation for analysis and
explication. The results of such study can be expected to provide valid findings that teachers
can use when they take communications by means of mobile telephones, communications
over networks, extramural utilization of the World Wide Web, and other such actions as the
objects of learning and make use of them in planning courses.
Finally, the third element also incorporates discourse and activity as objects of analysis while
considering the kind of community that is formed in the course of mutual negotiation
between people and media as well as the kind of communities they belong to. In analyzing
these matters, methodologies that may serve as a useful reference will also be sought.
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Mizuko Ito (2006a, 2006b) takes a distinctive approach to working on analysis of factors that
cause growth in network communications from the perspective of the distinctive cultures of
the communities involved. Ito approaches the following points: (1) The typical things within
the community that young people to date had grown up taking interest in are examined in
terms of the history of the period; (2) how those things had an influence on media and
technology; and (3) furthering the understanding of mutual negotiation processes between
media and young people by means of interview analysis of the community concerned and
analysis of texts written onto the media.
For example, the item “(1) The typical things within the community that young people to date
had grown up taking interest in are examined in terms of the history of the period” is applied
in a comparison of objects that already existed in the past and objects used in the media
environments of the present, such as “exchange diaries and e-mail” and “self-published
literary fan magazines (dojinshi) and blogs.” These comparisons are made by children, who
are tasked with finding points of similarity and difference. The item “(2) how those things
had an influence on media and technology” is applied in tasking respondents with predictions
of the future with topics such as “discuss things that you think would be improvements to the
culture of music and the mobile phone communications that you find important, and the kinds
of technology that you would like to have.” The item “(3) furthering the understanding of
mutual negotiation processes between media and young people by means of interview
analysis of the community concerned and analysis of texts written onto the media” is applied
by appealing to the children with the suggestion that they “try analyzing magazines that are
familiar and that you find interesting or postings on blogs or other such material, or try doing
an interview survey of people who are involved in school club activities.” This approach is
used to create occasions and opportunities for the children to have contact with and to peek
into the communities of people who are involved in their own familiar culture.
Through the use of this kind of method, it becomes possible to contribute to the acquisition
by children of ways that are acceptable to them of associating with communities in terms of
cultural understanding rather than solely in terms of guardianship
Ito’s approach starts with the notion that “children are not simply coming into contact with
new media environments and engaging in creative activities and critical involvement, but
appear to be participating in an entrepreneurial manner that also alters that framework,” and
proceeds to grasp the cultural communities of children. This approach also gives teachers an
opportunity to grasp children’s activities and the communities they participate in from
another perspective, and it can contribute to the uncovering of teaching material. Actual
application of the insights and methods of this research will give students a chance to look at
the things they themselves treat as important and the things that are topics of their own
conversation. This appears likely to enable them to think about their use of media and contact
with media outside the school in more direct relation to themselves.
The above has narrowed the discussion down to three points and examined methods for
refining one’s own digital literacy. This proposal is still at a germinative stage, and it will be
necessary to further clarify and refine methods that can be extracted from related research.
However, the three methodologies that were examined in relation to reading and
understanding relationships between people and media appear likely to have provided
occasions to take a first step toward concrete methods for enhancing one’s own digital
literacy.
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The methodology of starting out with this kind of reading of the actual factual relationship
between self and media also gives a clearer picture of the implicit rules regarding such
questions as how to prepare media contents and media environments in which individuals
cultivate their own digital literacy. It also appears to present other possibilities, including that
of seeing the way through to improvement in this regard.
This further appears capable of serving as an occasion for media producers and users to take a
retrospective view of their own respective discourses, activities, and communities, and
contributing to their efforts to become consciously aware of their mutual growth and change.
References
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Panel Discussion
“What is digital literacy for?”
青木久美子:
用意ができましたので、そろそろパネルディスカッションを始めます。パネリストのマジョ
リティは日本語がわからない方なので、英語でいきます。
For six hours we discussed digital literacy. Before I started this symposium, I thought of digital
literacy as a much simpler concept than we discussed today. Now we know that digital literacy or
digital literacies are not that simple of a thing. To consider, we have to think of it in many different
aspects and different people might think of digital literacy in different ways. And maybe how we call
it may call it digital literacy or digital media literacy or new literacies. So there are many literacies,
and Oyanagi Sensei nicely mapped those literacies in the model. But I think I want the audience to
take home a clear message from you, thinking about: What actually is digital literacy? I know it's a
difficult task, and I know there is a simplistic notion that digital literacy is a kind of skill to use tools
like computer information, communication technology, or tools. Now, we know that it’s not that
simple. But in order to explain for the audience to take home to explain to their colleagues: “Well
after this symposium, I think digital literacy is that.” That simple term, if you can succinctly
summarize I think that would be wonderful for the audience. So, starting from the first speaker: Jon?
Jon Dron:
For me, this is easy. I don’t think digital literacy is a meaningful term. I don’t think it has any
meaning, relevance, or application in our modern world. I think it was a useful term when this was
our means of interacting with the world. Perhaps, it's a useful term this year. Perhaps it's a useful term
next year. But really we need literacies for change. We need to be able to understand an infinite
variety of complex ways in which technologies evolve, and by technologies, I mean all of the
processes, all of the things that we do with them. And that’s not one thing. It’s the same reason I got
into computing; I like computing, because it’s not a subject. As somebody who works in computing,
as long as people are using computers then that’s my subject, and that is every subject, and that’s why
it’s so much fun, but that’s the problem. There is no such thing as a digital literacy. Can you use a
computer to do X? Can you use a computer to do Y? It might be a useful question, but it’s not digital
literacy. There is an infinite variety of what we might call digital literacies, and I don’t think it’s
useful. I think we need to concentrate on what we need to learn, not on some abstract notion that
changes all of the time.
Chris Jones:
The first thing I guess I should say is that I am tempted just to agree. And say that I think my feeling
is, and it is just a feeling, is that digital literacy is a term that’s had its day. So one of my close
colleagues, Mary Lee, comes from new literacy studies, and I think she has come to the conclusion
that the convention that she used, which was to talk about digital literacies. Multiple context-related in
various different communities of practice; she doesn’t think that works any longer. The more that she
talks in terms of digital literacies, people here, digital literacy, as if there is something that can be
abstracted and taught to people, and she believes that's a mistake, and I think agree with her. I think
there is something that we need to take from the notion of digital literacy even though I think it’s time
has passed. And that is that we need to disentangle from the process of change some things that are
stable. So in my talk I tried to make a distinction between things that are associated with an analogue
world and a smaller number of distinct features that belong to a digital world. That digital world will
persist over a long period of time, and it will involve many different technologies. Around those
technologies and artifacts will have a range of different practices, so I think a very important thing we
can take from an attempt to deal with issues using the term digital literacy, I think we can take from
that and move forward is to look for those things that are stable at a time of radical change, and I think
that means looking for the specific affordances that digital technologies have, and what the
implications of them might be for our social practices.
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Carmel McNaught:
I will try to be succinct. I think the term digital literacy is useful. I think it refers to a wide range of
skills and understandings that people need to operate in the 21st century. Those skills and
understandings will change; they will evolve to use the term used earlier today, but they exist, and we
can actually help our learners operate better in this complex world.
Gillian Hallam:
I’ll put the library hat on and go back to the table from the horizon report that actually sees digital
media literacies evolving, to use the word from the original information literacy. And in the library
world the understanding is that people, in whatever context they are, are able to identify that they
have a need for information or a need to gain some further expertise in some way and can identify
where they might obtain this from, how they can then evaluate it, and I think that’s a term that hasn’t
come up much today, I think, the evaluation process of what is ever out there in that big wide digital
world and then, from there on, to be able to manipulate and use in any format that might be. So, it’s
more of not production line, that’s really the wrong thing, but it’s sort of a process, a digital literacy
process, rather than a skill in its own right.
小柳和喜雄:
非常に単純に考えますと、知識基盤社会のリテラシーを表現する上で、何か言葉がいるのだ
ろうと認識しています。その時に、アナログとデジタルという言葉が仮にあるとすれば、今
の所、アナログの後にデジタルが出てきたせいもあるのか、またはデジタルが持っている機
能が、再生可能性や融合性などたくさんあり、今の知識基盤社会とマッチングしているので、
デジタルリテラシーという言葉が今使われているのだと認識しています。ですので、今の青
木先生の問いに答えるとすると、デジタルリテラシーを簡単に言うとすれば、知識基盤社会
のリテラシーをデジタルリテラシーと呼びたいと思っています。ただ、デジタルリテラシー
という言葉が永久に不滅かと言われると、それはわからない。だから今日も、デジタルリテ
ラシーの関連フィールドとしてマッピングしていたわけです。それは、デジタルリテラシー
そのもので全部代表されるというよりは、群としてとらえるという形だったので、そのよう
に考えています。
Kumiko Aoki:
Thank you very much. I hope we are not having wars between the tables. Well, so Jon, even though
the term digital literacy may be not appropriate, do you agree that we need some kind of new literacy,
that it’s becoming required? Or do you not agree with that at all either?
Jon Dron:
I do agree that we need to come to terms with the ever-increasing number of technologies and
computer technologies; I won’t call them digital technologies. It’s not about being digital. It’s about
the fact that computers are the universal machine, the universal medium, the universal environment,
and they are infinitely malleable. They can be changed into anything. Now, that’s our problem that we
are facing. Whether we call it a literacy or not, I don’t know. But we need to solve that problem. But I
think maybe, and I like Chris’s point. I think it’s good to look for patterns; it’s good to look for things
that are consistent and that remain meaningful for more than six months, maybe even for more than
five years; that would be good. I don’t think we can do the meaningful thing for ten years and that
makes it very different from every other literacy that we have ever encountered. This is a different
kind of thing, and I think maybe it is mostly about specifics. It’s about how I want to use this to do
that, and that’s the help that we need. That’s the help that we need to give our students. How can this
solve this problem?
Carmel McNaught:
Can I react? We are having a little discussion over here to object. I am not trying to turn this into a
debate, but it is interesting. To me, a computer is a tool, and I guess I reacted to Jon’s comment that it
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would be nice if things could last for five years. I think they do last longer. I think good learning
design lasts longer. The multi-media that I helped design—in a team of course—in the early 1990s at
the University of Melbourne are still used. The platform has changed. Instead of being on stand-alone
computers, it’s now on the web. But it's the same chemistry tutorials, and the same microbiology case
studies as were developed in the early 1990s. So there are things, which, if we are looking at the
patterns, which evolve, I think it is about good learning and teaching principles, and then the tools we
use as we’ve got them around us.
Jon Dron:
We are just discussing which one of us is going to respond to that one.
You’re absolutely right, but that’s not anything to do with digital literacy.
Carmel McNaught:
Yes, it is.
Chris Jones:
The comment is that I am very reluctant to call a computer a tool. What I am very interested in is the
use by human being of artifacts, which are per say tools, and their interaction, their mediation, and
their relationship to the world. Why I am interested or not... there is something dramatically different
about computing technologies, whether you call them digital or not in that this has developed an
environment. It’s not a tool; it's a world. Our world is being digitized around us, so I don’t interact
anymore daily with a computer; I interact through a computer with a digital world which is at so many
points being modified and directed by a set of computers. When I interact now with any of these
devices, I go out into a computer, digitized world where all sorts of things happen, many of them
without any human intention. So that there are lots of agents and machines, which now interact with
human behaviors between the human beings, so that when the human believes they are interacting
with another human being, they are actually being mediated by computers. So there is something
dramatically different. If this is a tool, this is a tool like we have never seen before. It is an ecology.
It’s an environment. It is something that envelops us I loved Michael Wesch’s little video. “The
Machine is Us/ing Us.” If you like tension now between the machine and our relationship to this
machine, which is no longer a simple tool, but has actually become the environment through which
we interact and with which we interact.
Gillian Hallam:
But then you need the literacies to understand this, and your awareness of what that environment is, or
your awareness that you do not understand the totality of that environment comes from a longstanding
series of experiences you’ve had. You are not just the person who interacts with a computer, but you
are a person who has a long experience in terms of developing the skills that enable you to do that.
Jon Dron:
I agree, but it makes no sense to talk about that as a literacy, anymore than it makes sense to talk
about life literacy.
(Gillian Hallam:Ooo, I like life literacy!)
I think it’s nice. It’s poetic. But that’s it; it’s poetry, and its not good poetry.
小柳和喜雄:
リテラシーそのものも、実際は言葉としての意味が拡張してきたというのがあります。リテ
ラシーそのものが、文字の読み書き能力からスタートしたとすれば、いわゆるコンピテンシ
ーなどいろいろなものを含む形で使われる可能性もある、それくらい広がってきていると思
います。しかし、実際そう考えた時に、デジタルリテラシーという言葉そのものについても
考えた時に、包括概念としてある言葉を使うのか、全部の共通項というか、変わらない赤い
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ラインのような感じで、変わらないものとして概念を使うのかによって、考え方が変わって
くると思います。今は、デジタルリテラシーは包括概念として使っているのではないかと理
解をしていて、その包括概念としてデジタルリテラシーが使われた時に、変わっていく可能
性もあるけれど、リテラシーが変わってきたように、デジタルリテラシーという捉えも、ど
んどん意味的に拡張していくかもしれないので、その意味で考えなければいけないことが二
つあって、一つは包括概念で捉えるのか、変わらないアスペクト、1 点で、変わらないもの
として概念化するものを探すのか、自分達が伝えたいことに関わってきます。もう一つは、
言葉そのものが概念として決められたら、意味的には普遍なのかある意味では変えないのか、
その時によって拡張して変えていくのを許すのか、というところを考えていったらよいので
はないかと思います。デジタルリテラシーについて私が賛成しているのは、表現していく上
では、包括概念と捉えるのが妥当だろうと思っています。意味的にも、変わっていくことを
許していくことで、Jon さんや Chris さんが伝えたいこともその中に入ったら、それでいい
のではないかと思っています。いかがですか。
Chris Jones:
My feeling is that the bag bursts. There are too many things you force into the bag; the bag just bursts.
So, while you were talking, I had another thought, and that is that, if you remember Jon’s original
notion, it was, if we are going to use digital literacy, my view is that we make these digitally literate.
It’s not the human beings that we need to make digitally literate. It’s the devices through which we
interface with the digital. So rather than making us digitally literate, we should make our devices
digitally literate, able to interface properly with the human beings that need to use them, rather than
the human being needing to change to interface with the machine. And, of course, that’s what’s
happening.
Gillian Hallam:
Sounds like 1984 or something. So what do you actually term that sort of interaction with information
and knowledge and things that you are then going to apply in your life in this big ecological space?
Jon Dron:
May I answer that? I think we’ve seen some great models about different kinds of literacy here today.
There are many literacies. Just as my subject, computing, isn’t a real subject. That’s not true. That
much of it is real. The rest of it is everything else. It is about people more than anything else; it’s
about people wanting to do something, and this increases our ability to be able to work with people,
talk with people, share with people, communicate, do interesting things, and do it in a mediated way,
but the point is it is not one literacy. This is what we have all said. It is many, many literacies and to
put them all in one space makes no sense. If next year, we invented an analogue computer that could
do the same thing, then it is not about digital; it is about flexibility.
Carmel McKnaught:
Just one quick reply: If we are not going to put things into overarching terms, why do we have
disciplines? I’m a chemist. There is an awful lot in chemistry. The bag hasn’t burst yet.
Chris Jones:
I think there are interesting questions there, because Jon’s referred to computing as not really being a
discipline. We’re all in education, and education is not a discipline. Education is a field; it’s a topic
area. We can study it using a variety of disciplinary backgrounds. There is no canon, no body of
common knowledge that we can call “education.” So I feel that there is something different here.
Chemistry and physics are unusual examples in that they are clearly definable disciplinary areas.
That’s not the case in many other areas of study, fields of study, that don’t have defined canons.
Maybe they will get them, but they don’t have them now. Others will never get them, because they
are intrinsically interdisciplinary by nature.
122 / 144
Jon Dron:
Yes, I would just like to add to that one. Field is a nice term, but I don’t think it is even a field. The
average home in the western world, at least, in Japan, and most of the Pacific Rim, the average home
has more than fifty computers in it. We do not need to be literate in all of the computers in our home.
They are part of lives. This device, I have just checked, has 280 different machines, 280 different
machines. Now that is a lot of different technologies, not one of them is the same as another one. To
be literate in that makes no sense: It’s part of the stuff of life, and life is what we need to be literate in,
but really it's the fact that his opens up more and more and more opportunities. It’s the adjacent
possible. The adjacent possibilities open up more and more. That’s what has changed. It’s not that it’s
digital; it’s not being literate in that; it’s being able to cope with change.
Kumiko Aoki:
Well, I hope that we are not playing with words, because if that is what we are doing, I think it’s
fruitless. Well, yes, let’s say digital may not be an appropriate term, but it is going to be digital.
Everything is digital now, and of course, it is not one literacy, so literacies instead of literacy, and
maybe literacy may not be precisely the right term to describe everything, but we need some kind of
label when we discuss something. We cannot communicate if we have to address the tiny details
every time. That’s the label we might want to have. If you ought to name whatever you want to
discuss, well you said adjacent possible, but that doesn’t apply to human beings but it’s more to do
with the tools, affordances. But I think you admit that there is something we need, which was not
necessary before, and so what would that be and how do you want to term it?
Jon Dron:
I’ll go back to that. What has changed is the rate of change. It’s not that there is anything different or
new. My television is digital. I don’t have a car. If I had a car, it would have six, seven, eight
computers, maybe more in it. They are digital, but that’s not the point; it’s the car. It’s not the point
about the television that it’s digital; it’s the television. It’s not the point that I love angry birds. Does
anyone play Angry Birds? It’s great. It’s a wonderful game, but it’s the game that’s important, not the
fact that it’s digital. It’s the word processor; it’s what I can do with the word processor that is
important, not the fact that it happens to be on this device or that device or something that I wave my
hand around to use. It’s silly to lump all of this stuff together when the problem is the individual parts.
Those we need to learn. Those we need to help people to learn, and those, above all, we have to give
people access to these things. Once people have access, once they know what the possibilities are,
then these are pretty good teachers. But to limit it to such a large area, to imagine that it’s one thing is
a problem. It’s just simply an acceleration. It’s a massive, massive, expanding explosion of new
technologies. It’s 280.
Chris Jones:
I think this goes back to the question that you asked at the end of the talk we had about how some of
these things can happen and will happen naturally. If you place people in the context with the devices,
if you make the devices accessible, then people will make use of them. But I think there is more you
can do with them. You can also settle processes, which are managed in some senses. You ensure that
the engagement takes place; you ensure that there are resources around the engagement with the
technology where people are supported and will see the different affordances. All affordances are not
equally obviously, so a technology may have an affordance that people don’t necessarily see. They
can be encouraged and prompted to see hidden affordances within technologies that they otherwise
may not come across, that they otherwise may not come across for a considerable amount of time.
There are things we can do to encourage people’s productive engagement with new technologies, but
it is to do with purpose. What is it we want people to do? How can we enable them to do that? And
it’s setting up contexts in which people have the motivation and the need to do something where these
technologies are available. I was very struck at the examples at the end of Jill’s talk. So, it wasn’t just
the technologies that were made available, it was all the support mechanisms that go around that.
They don’t just happen. It’s those sorts of processes I think, but it is about one access to setting up
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processes, and my fear with the use of digital literacy is it becomes a policy directive. It becomes a
box you have to tick. Have you done the correct courses in digital literacy? I think that would be a
mistake. The processes are the important things. The engagement with technology with a motivation
and a productive reason for being involved with the technologies are the key.
Carmel McKnaught:
Yes and no. I agree with you that we don’t want digital literacies to become a box to tick, but the fact
that we are struggling here with talking about what I defined as skills and understandings doesn’t in
the least bit say that we want to run courses in order to tick a box that makes people digitally literate. I
mean I think there is overwhelming evidence that, and in fact several of us have said it today, people
learn when they have a motivation for learning, they learn when there is a context in which they learn.
So, all of that, like the international computer driver’s license, and things like that where you learn
various applications and bits and pieces. I think they are a waste of time, but it isn’t a waste of time,
and I quite like talking about tools, but it isn’t a waste of time for teachers to think about ways in
which they can design learning environments that actually assist students in gaining the sorts skills
and understandings that are useful. And when they come out of that if you want to call it that they
have digital literacies, then that’s a fair enough way. I mean I might also call it that they have an
appropriate set of learning outcomes. I think there’s some synergy between the two sets of
terminologies, but there is a sort of something, which is sort of fluid about the word literacies that I
quite like. That it is about it being ready, if you like, being able to read that you have the skills and
understandings. So, I think we don’t want to lose that sense, while agreeing that we need to be very
careful about what our government masters might want to do to us. I don’t think there is any
requirement at all in any of our discussion today that we should go back to these old ideas of
computer courses. I think they are a waste of time, and most people in this room would, I hope, agree.
So, I think there’s difference.
Kumiko Aoki:
Let’s stop this discussion here, because it’s become endless, and it seems to me to sometimes just be
play on words. In the fundamental part, we are all kind of agreeing, but it’s the play with words.
ここで、フロアの方に質問・コメントを伺います。
泉:
東京医大の泉と申します。デジタルリテラシーの定義がどうとしても、日本人として是非伺
いたいことがあります。これだけデジタルリテラシーが進んだとして、国際的な観点からす
ると、デジタルリテラシーというのは日本人にとっては、文字通りのリテラシー、言語なん
ですね。日本語という非常に特殊な言語で生きている私たちの考えや印刷物、研究内容の大
多数というものが、皆さんの目にすぐ触れるということはほとんどありません。今からどん
どんデジタルを使うことによって、デジタルリテラシーが解決されて普及されることによっ
て、非英語圏に生きている人間には著しい不平等が、おきるのではないか、ものすごく不利
な状態になるのではないかということについてどうお考えでしょうか。何か慰めがあるので
しょうか。
Kumiko Aoki:
Do we have any comments? I think that’s a little bit difficult if you don't have any experience with
that, but we live in a very peculiar environment. We operate in Japanese, which is not a global
language. So like you, you, and you operate in English, which is kind of a global language, so you can
go pretty much anywhere using your mother tongue. Information is abundant in English, and free
tools are abundant in English. If you are just limited to Japanese, it’s very limited. It creates maybe an
unfair situation in the long-term. What do you think about that?
Jon Dron:
I think it's a terrible, terrible risk. I am blessed to be able to speak English as my native tongue. It’s
certainly an advantage. I would certainly also like to speak Chinese, because Chinese sites are rapidly
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coming up to the same levels as at least English sites. There are both good things and bad things about
this. The ability to communicate, again, this is the increasingly adjacent possibilities. These
technologies make it possible for us to know what others are sharing, and, not what others don’t want
to share, but what others do want to share. And any obstacles to that are, I think, a major problem.
And automatic translation doesn’t help, really. Because, as you say, there’s culture and the language
itself, the categories you use are different. I see it as both good and bad. On the one hand, it makes
English more dominant as a language. On the other hand, it makes us far more aware of the diversity,
and the richness of the different cultures and the different languages around the world, so I think there
is some positive. It makes it worthwhile and interesting for me to learn Japanese, because there’s a lot
of stuff that I could find out if I did that, and maybe it’s both good and bad.
Chris Jones:
I don’t know whether this will help or not, but there’s an inverse problem for English, which is that
English dissolves so that the English speakers are worried that English becomes a language that’s
used at a common denominator level, at a simplified level, so there’s a simplified English that is
spoken in Europe for example. When Europeans speak to each other, they may well use English to
converse, but English people are very away that when they are speaking in a European language, the
language they use is a simplified English, and the responses they get are in a simplified English, so
English as a language is in a very strange position. It has this temporary dominance, through a number
of factors, through the dominance of particular economies, through the earlier dominance of the
British Empire and then the dominance of the U.S. economy. These things are transient and will pass,
and there’s an argument that being protected by a specific national language is useful. Again, in
Europe, if you can both speak English and have a home domain with its own language, such as
Danish or Dutch, then in some ways you are culturally much more protected than if you are on the
high seas of English where anything goes, where you can see your culture dissolve into something
amorphous that no longer is very specific. So there is a counter thing happening, which is the
dissolution, the dissolving of a particular culture, either U.S. or English culture, so that in some ways,
Japan may be pleased to know that it is also being protected by its distinct linguistic culture from what
may happen to English culture through the dominance or the temporary dominance of English as a
global language, because I think the point is well made about Chinese that Mandarin Chinese now, the
technologies, there’s a sort of parallel universe of social technologies developed in China with their
own characteristics. Jon spoke about assemblies, technology as being assemblies, and there are
different assemblies of technologies emerging within the Chinese context, and I think that will be
quite interesting. I think we are going to see a one language world move certainly into a two dominant
language world.
Carmel McKnaught:
In Hong Kong, where Cantonese is the language and where Cantonese and Mandarin are very
different, though they share the written form, I think two things have happened. One is that I regularly
get sent emails from various colleagues, which are in English, but they have used a translation tool, so
the English is okay; it’s very simplified, but it’s okay; I can understand, and I think having lived for a
decade in a situation where English is not good, I’ve actually come to a different understanding where,
instead of being a purist, that I’m interested in communicative English. There used to be a problem
about people wanting to preserve Cantonese, and I think that’s still there. But now, increasingly,
young parents are from a very, very, early age working to make their children tri-lingual, so that they
speak English, Cantonese, and Mandarin.
I think that’s the way forward, so that they have high levels of, dare I say it, literacy in all three
languages, so I mean I think there are exciting things that will happen. I think languages will merge. I
think I am personally much more interested in negotiating the diversity in a number of ways and using
tools that make that possible.
小柳和喜雄:
私も日本人なので。実際英語と中国語は数の論理として、言葉が残るというのは読む人がい
ると広がっていくのだろうと思うので、その点でいうと、圧倒的にその言葉を使う人数が違
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うので、デジタルリテラシーそのもの、仮にもしデジタル的な機能が様々な印刷物とか報告
書などいろいろなものにいくとすれば、それを目にする人が多ければ多いほど残るであろう
と思いますし、その文化がどんどん広がっていくというのは避けられないのではないかと思
います。ただ、デジタル化が進んでいくと、我々自身、今もお話がありましたけれども、融
合していったり、自分のものが見えるようになっていったりとか、新たに早発していくよう
な機能がもしそこにあるのだとしたら、広がるから嫌というよりは、そこにチャレンジして
いかないといけないのではないかと。そういう意味で、むしろ、避けるというよりは、チャ
レンジしていく時期により一層来たのではないか、そんな気がしています。
Gillian Hallam:
I suppose, just taking it from another perspective, I also speak German, and it’s quite interesting to
watch what’s happening with the German language at this time and, indeed, over different historical
periods as well. German has been very fluid depending on how much French comes in, because their
French neighbors had invaded and how much Italian has come in from Italian influences, and then it
was purified during World War II Every English word was stripped out and Germanized again, and
now it is becoming very English again, because of the cosmopolitan aspect of Europe. And yet then,
when you watch the young people do their SMS and things, there is a whole other language again in
terms of the abbreviations and things. So language is fluid; it’s going to change, so I don’t know; it’s
never going to remain the same. It’s exactly what you were saying earlier: It’s just constant change,
and they are living things, so there is absolutely no way you can put a break on it and say that’s not
the way, because it’s just part of humanity.
Jon Dron:
Yeah, it is worth observing that English of course has very little English. English is a strange
combination of French, Saxon, Anglo, Germanic languages, and it’s taken in, for example, everyone
in England understands, “sayonara.” You’ll find that in an English dictionary. English has stolen
words and meanings from every language
Gillian Hallam:
But then there are those languages that have sort of just not moved forward, so in communities where
they move into South America with Welsh for example, and they speak 16th century Welsh. It’s
terribly useful really, so...
青木久美子:
他にフロアの方から、最後にこれだけはというご質問があれば。
岡田:
株式会社アーネットの岡田と申します。大学の先生と一緒に、e-learning のシステムを開発
して、全国の大学で使っていただいています。私の仕事のかなりの部分は、大学を回って先
生方とお話することです。その大学の、ICT のプロモーション、あるいは、e-learning をプ
ロモートする立場の先生からときどき、アドバイスをしてくれという話があります。今日の
お話でいえば、ゲートが一つありまして、向こう側はデジタルリテラシーの世界、そのゲー
トをくぐると途端に負担がかかる。負担がかかると見えると、門前からアナログの世界に戻
ってしまう。そういう先生に対して、どういうアドバイス、どういった手を打てばいいのか、
ということを時々聞かれます。先ほどの香港の先生のように、オーソリティーに力をもらっ
て、上からガーっとやる。それも、私どもの機械で、学長とつるんで、インセンティブを与
えている小さな大学もあります。けれど、大きな大学では絶対に出来ない。そうすると、何
らかの、ゲートをくぐると素晴らしい世界があるというようなプロモートする先生に、何か
プレゼントできればと思っています。もしアドバイスを頂戴できれば、私は今日参加した意
味があると思います。よろしくお願いいたします。
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Jon Dron:
I just have one sentence. It’s a quote, and I can’t remember whom it is from, but I think it's from an
American general, which is “if you don’t like change, you’re going to like irrelevance even less.”
Chris Jones:
From my perspective, there are two things I would say. One is that change is mediated by the
institutions, so one of the key things is what choices institutions make, and I say this from the point of
reference coming from the Open University of the U.K. Five years ago, digital technologies were an
addition. The university was very much as it was set up and it was based on paper with the addition of
technologies, and in the last five years we have chosen, quite deliberately, to make the university a
digital institution. Now that involves all sorts of people having to change, including our students. So,
there is a second level. That’s at one level: it takes an institutional choice. The second level I would
identify is, when you make that change, there are lots of soft changes that have to take place at every
level of the organization, so it’s looking for people who have the interest and motivation and trying to
encourage around them an ecology where others will take on the changes that have to take place. So,
it’s finding champions and finding leaders within a specific field and building around those people; so
it’s very soft social process once the decisions have been made at an institutional level, but I don’t
think you can have those soft changes without those hard institutional decisions being made.
Carmel McKnaught:
I agree with Chris. I just said one other thing; I think there is a middle layer, because someone has to
persuade the institution that they might want to review where they are. Now, sometimes, external
factors do that. I often see my own role as managing up, as well as supporting down, so I think there
needs to be people who are passionate, who try and take the provost and the provost chancellors and
the vice chancellors and present them with alternative scenarios that will benefit the institution,
because I’m not sure that always, the institutional leaders see it by themselves. I mean I go home
many evenings, and I feel like I am a sales person. I have been selling educational ideas all day. You
have to persuade; you have to motivate; you have to give incentives, almost anything you can think of
in order to enthuse teachers that this is something worthwhile, so I manage up, and I support down,
and I get very tired sometimes.
青木久美子:
どうもありがとうございました。
パネリストの方に拍手で感謝したいと思います。
END
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パネルディスカッション
「何故デジタルリテラシーが今問われているのか?」
青木久美子:
用意ができましたので、そろそろパネルディスカッションを始めます。パネリストのマジョ
リティは日本語がわからない方なので、英語でいきます。
ここまで 6 時間にわたって、デジタルリテラシーについて論じてきました。今回のシンポジ
ウムの前まで、私はデジタルリテラシーというものを本日この場で論じてきたよりずっとシ
ンプルな概念として考えていました。しかし今日、デジタルリテラシー、あるいはデジタル
リテラシーズは、そう単純なものではないぞということが分かりました。このテーマについ
ては、様々に異なる角度から考えてみる必要があるでしょうし、デジタルリテラシーをどう
捉えるか、人によっても異なるでしょう。また、デジタルリテラシー、デジタルメディアリ
テラシー、ニューリテラシー、など、呼び方についてもいろいろです。つまり、多くのリテ
ラシーがあるということで、小柳先生がこれらのリテラシーをうまくマッピングしてモデル
にまとめてくださいました。ただ、聴衆の皆さんには、「実際のところ、デジタルリテラシ
ーとは何なのか?」という問いに対する明確なメッセージをパネリストの皆さんから受け取
ってもらった上で、会場を後にしていただきたいと思っています。それは、「デジタルリテ
ラシーとは一体何なのか?」ということです。 これは難しい課題であり、またデジタルリ
テラシーとは、コンピュータ情報、コミュニケーションテクノロジー等のツールを使用する
一種のスキルである、という単純な概念があることも承知しています。しかしながら今回、
デジタルリテラシーはそうした単純なものではないと学びました。ただ、聴衆の皆さんがこ
の会場を後にして、周囲に「シンポジウムに行ってみて、デジタルリテラシーというのはこ
う言うことだと思った」と意見を述べられるように、皆さんに説明する必要があるかと思い
ます。単純な用語ではありますが、もしパネリストのみなさんが簡潔に要約することができ
れば、聴衆の皆さんにとって大きなプラスになるのではないかと思います。では、最初の講
演者の方からお願いしましょうか。ジョンさん、いかがでしょう?
ジョン・ドロン :
私にとっては簡単ですね。デジタルリテラシーは意味のある用語とは思っていません。現代
の世界において、何らかの意味であるとか、妥当性とか、あるいは利用性があるとは思いま
せん。これが世界と交流する手段であった頃は、有用な用語だったと思います。おそらく、
現在もまだその有用性は失われていないでしょう。近未来もそうかも知れません。しかし実
際には、私たちは変革のためのリテラシーが必要です。テクノロジーが進化していく複雑な
方法や、テクノロジーによってあらゆるプロセスや、私たちが用いるあらゆるモノが進化し
ていく複雑な方法の無限の多様性を理解できるようにならなければなりません。そして、こ
れだけではありません。私はコンピュータに関心を持つようになったのも同じ理由でした。
私がコンピュータを好きなのは、それが研究対象ではないからです。コンピュータ分野で働
く人、あるいはコンピュータを利用している人であれば、それが私の研究対象です。だから
こそ非常に面白いのですが、しかしそれが問題でもあります。デジタルリテラシーというよ
うなものはありません。X をするためにコンピュータは使えますか?Y をするためにコンピ
ュータは使えますか? それは有益な問いであるかもしれません、しかし、これはデジタル
リテラシーではありません。私たちがデジタルリテラシーズと呼びうるものには、無限の多
様性があり、この用語が有用とは思いません。使う度に問題となるような抽象的な概念では
なく、私たちが何を学ばなければならないか、ということに集中すべきだと思っています。
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クリス・ジョーンズ :
まず、最初に、今の御意見には私も思わず同意したい気持ちになったことを申し上げておき
ましょう。また、私の印象としては、あくまで印象ですが、デジタルリテラシーはその全盛
期を過ぎた用語ではないかと思います。私の近しい同僚であるメアリー・リーさんは、ニュ
ーリテラシー研究をやってきたのですが、彼女は、デジタルリテラシーについて語ることが
慣習としてありますが、様々に異なる実践が行われているコミュニティにおいて複数のコン
テクストが関わってくる状況において、もはやこうした慣習は通用しないと考えています。
デジタルリテラシーズに関して論じれば論じるほど、ここにいらっしゃる方々にとって、デ
ジタルリテラシーには何か抽象化して他人に教えられるものがあるように思えますが、彼女
はそれが誤りであると考えています。私もそれに同感です。この語の全盛期は過ぎてしまっ
たかとは思いますが、デジタルリテラシーという概念から何か引き出すべきものがあると思
います。そしてそれは、何か安定したものを変化させる、そのプロセスを解きほぐしていく
必要があるということです。ですので、私の発表では、アナログ世界に関連したものと、デ
ジタル世界に属する少数の際立った特徴とを区別しようと試みました。デジタル世界は長き
にわたり続き、そこには多種多様なテクノロジーが含まれるでしょう。これらのテクノロジ
ーやアーティファクトをめぐっては、様々に異なる実践が考えられるでしょう。デジタルリ
テラシーという用語を用いて、課題に対処する試みから引き出すことのできる重要なポイン
ト、そこから何かを引き出し、前に進んでいくこととは、劇的な変化を遂げる時代において
安定したものを模索することであり、つまり、デジタルテクノロジーが持つ特定のアフォー
ダンスを模索することだと思います。そしてそこに含まれる意味とは、社会的慣行に関する
ものであるかもしれません。
カーメル・マクノート :
簡潔にいきたいと思います。私はデジタルリテラシーという用語は有用だと思っています。
この語は、21 世紀において身につける必要がある幅広いスキルや理解を指すものと考えて
います。これらのスキルと理解は変わっていくでしょう。進化を遂げ、本日使われた用語を
つかっていくようになるでしょう。しかし、それらは現に今も存在し、私たちは実際に、こ
の複雑な世界において学習者がよりうまく身につけられるよう支援することができるのです。
ジリアン・ハラム :
私は、再び図書館司書としての立場からホライズンレポートについて言及したいと思います。
同レポートでは、インフォメーションリテラシーという元々の語から、「デジタメディアリ
テラシーズ」という語を使っており、それが進化を遂げているという見解を示しています。
そして、図書館の世界において、理解とは、人がどの様な状況にある場合でも、情報の必要
性、あるいは何らかの方法でより専門的技能を手にする必要性があると確かめることができ
ること、そして、それをどこから入手できるか、いかに評価できるかを特定できることです。
この評価というのは、本日それほど出てこなかった用語であるとは思いますが、この巨大な
デジタル世界にあるものを評価するプロセスであり、そして、そこから何らかのフォーマッ
トで、操作し、利用できるようになることが、理解だと思っています。ということで、それ
は、生産ライン(production line)ではないということだけではなくて―これは本当に誤っ
ています―一種のプロセス、デジタルリテラシープロセスであり、スキル自体ではないので
す。
小柳和喜雄:
非常に単純に考えますと、知識基盤社会のリテラシーを表現する上で、何か言葉がいるのだ
ろうと認識しています。その時に、アナログとデジタルという言葉が仮にあるとすれば、今
の所、アナログの後にデジタルが出てきたせいもあるのか、またはデジタルが持っている機
能が、再生可能性や融合性などたくさんあり、今の知識基盤社会とマッチングしているので、
デジタルリテラシーという言葉が今使われているのだと認識しています。ですので、今の青
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木先生の問いに答えるとすると、デジタルリテラシーを簡単に言うとすれば、知識基盤社会
のリテラシーをデジタルリテラシーと呼びたいと思っています。ただ、デジタルリテラシー
という言葉が永久に不滅かと言われると、それはわからない。だから今日も、デジタルリテ
ラシーの関連フィールドとしてマッピングしていたわけです。それは、デジタルリテラシー
そのもので全部代表されるというよりは、群としてとらえるという形だったので、そのよう
に考えています。
青木久美子:
どうもありがとうございました。テーブルをはさんだ論争が起こっていないと良いですがよ
ろしいですよね。さて、ジョン先生、デジタルリテラシーという用語は適切ではないのでは、
ということですが、私たちはある種のニューリテラシーを必要としていること、ニューリテ
ラシーが求められるようになってきている、という点には同意されますか?あるいは、どち
らにも同意しかねますか?
ジョン・ドロン:
私たちは、増加の一途を辿るテクノロジー、コンピュータテクノロジーを受け入れていかな
ければならないという点には強く同意します。ただ私は、これらをデジタルテクノロジーと
呼ぶつもりはありません。デジタルである、ということがテーマなのではありません。コン
ピュータはユニバーサルな機械であり、ユニバーサルな媒体であり、又ユニバーサルな環境
であり、そして無限の適用性があるという事実について考えたいのです。コンピュータは何
にでも変化することが可能です。そこで、目の前にある問題についてですが。それをリテラ
シーと呼ぶか否か、それは分かりません。しかし、その問題は解決する必要があります。た
だ、思うに、私はクリスさんの指摘が良いのではないかと思います。パターンを模索する事
はよいと思います。一貫性があり、半年以上、もしかすると 5 年以上、その意義を失わない
ものを模索すること、それは良いことだと思います。10 年間意義を失わないようなことを
出来るとは思いません。そして、それが、これまで遭遇してきた他の一切のリテラシーとの
大きな違いになっているのです。種類が違うのです。多分、大部分は特定の場においての特
定の事柄だと思いますが、これを使ってどのようにしたいか、というが大切であり、それが、
私たちが必要とする支援なのです。そしてそれが、私たちが学生に与える必要がある支援で
す。これで、この問題をいかに解決できるでしょうか?
カーメル・マクノート:
一言よろしいですか?反論しようと、こちらで少し話し合っていました。この話題をディベ
ートに変えようというつもりはありませんが、面白いと思います。私にとってコンピュータ
はツールです。思うに、ジョンさんのコメントで反応したのは、もし物事が 5 年間続けば、
それはよいことだろうとおっしゃった部分ですね。私は、もっと長く続くと思っています。
優れたラーニングデザインはもっと長く続くと思っています。私が 1990 年代初頭、メルボ
ルン大学において、コースチームでデザインのサポートをした教材は、まだ使われています。
プラットフォームは変わりました。単独のコンピュータに入っていたものは、現在ウェブ上
にあります。しかし、それは 1990 年代初頭に開発したものと同じ化学チュートリアルであ
り、同じ微生物学に関するケーススタディです。つまり、私たちがパターンをみている場合、
進化するものがあり、それはすぐれた学習と指導の原則についてであり、そして身の回りに
現れて私たちが利用するツールについてということになるでしょう。
ジョン・ドロン :
こちらも、誰がその点について反論しようか話し合っていたところです。
おっしゃることは全く正しいですが、それはデジタルリテラシーと全く関係ないことでは。
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カーメル・マクノート:
そうですね。
クリス・ジョーンズ:
私は、コンピュータをツールと呼ぶ事に対してとても違和感があります。私にとっての大き
な関心は、人間によるアーティファクト、ツール自体の使用であり、その相互作用、媒介、
そして、世界との関係性です。なぜ関心を持つのかどうかというと…コンピュータテクノロ
ジーについては、何か他とは劇的に異なるものがあるからです。それをデジタルと呼ぼうと
呼ぶまいと、これが私たちの周囲の状況を発展させてきました。コンピュータはツールでは
ないのです、世界そのものなのです。私たちを囲む世界はデジタル化が進んでいます。よっ
て、私は日々、誰かとコンピュータで交流しているのではありません。コンピュータを通じ
て、デジタル世界と交流しているのであり、このデジタル世界は非常に多くの点で、コンピ
ュータによって改変され、方向づけられているのです。こうした何らかのデバイスに触れる
際、私はコンピュータ、デジタル化世界に出て行くのであり、そこではあらゆることが起こ
りえます。その多くには、人間の意図が無いのです。人と人との交流における行動に相互作
用する多くの代替物や機械があり、人が他人と交流していると考えている場合、実際にはコ
ンピュータがその仲介役となっているのです。よって、ここには何か劇的に異なるものがあ
るわけです。もしこれがツールであるならば、それは私たちがこれまでに見たことのないツ
ールです。これはエコロジーなのであり、環境なのです。それは何か、私たちを覆っている
ものなのです。私はマイケル・ウェッシュの短いビデオ映像、「Machine is Us/ing Us」(私
たちは機械に使われている/私たちは機械そのものである)という作品が好きでした。もし
皆さんが、機械と機械との関係性の間にある葛藤という捉え方を好むのであれば、機械はも
はや単純なツールではなく、実際、私たちがそれを通じて、またそれを用いて、交流を図る
「環境」になっているのです。
ジリアン・ハラム :
しかしそういうことであれば、これを理解するリテラシーが必要ですよね。また、そうした
環境が何なのか、あるいはその環境の全体性は理解していないという認識は、あなたが長き
にわたって重ねてきた経験に由来するものですよね。あなただけがコンピュータと交流する
人ではありませんし、あなたはそうした交流を可能にするスキル開発という点で長い経験を
持つわけですよね。
ジョン・ドロン:
そのとおりです。ただ、それをリテラシーとして論じるのは、人生のリテラシー(life
literacy)について論じることと同様に意味を成さないですよ。
(ジリアン・ハラム:いやいや、私は人生のリテラシーが好きですよ!)
いいと思いますよ。詩的な(poetic)言い方だと思います。しかしそれだけです。それは詩
であって、しかも良い詩ではありませんね。
小柳和喜雄:
リテラシーそのものも、実際は言葉としての意味が拡張してきたというのがあります。リテ
ラシーそのものが、文字の読み書き能力からスタートしたとすれば、いわゆるコンピテンシ
ーなどいろいろなものを含む形で使われる可能性もある、それくらい広がってきていると思
います。しかし、実際そう考えた時に、デジタルリテラシーという言葉そのものについても
考えた時に、包括概念としてある言葉を使うのか、全部の共通項というか、変わらない赤い
ラインのような感じで、変わらないものとして概念を使うのかによって、考え方が変わって
くると思います。今は、デジタルリテラシーは包括概念として使っているのではないかと理
131 / 144
解をしていて、その包括概念としてデジタルリテラシーが使われた時に、変わっていく可能
性もあるけれど、リテラシーが変わってきたように、デジタルリテラシーという捉えも、ど
んどん意味的に拡張していくかもしれないので、その意味で考えなければいけないことが二
つあって、一つは包括概念で捉えるのか、変わらないアスペクト、1 点で、変わらないもの
として概念化するものを探すのか、自分達が伝えたいことに関わってきます。もう一つは、
言葉そのものが概念として決められたら、意味的には普遍なのかある意味では変えないのか、
その時によって拡張して変えていくのを許すのか、というところを考えていったらよいので
はないかと思います。デジタルリテラシーについて私が賛成しているのは、表現していく上
では、包括概念と捉えるのが妥当だろうと思っています。意味的にも、変わっていくことを
許していくことで、ジョンさんやクリスさんが伝えたいこともその中に入ったら、それでい
いのではないかと思っています。いかがですか。
クリス・ジョーンズ:
私にとっては、袋が破裂したようなものだという印象です。あまりに多くのものを袋に詰め
込んで、袋がはじけてしまったと。ですから、あなたが話している間、私は別のことを考え
ていました。もしジョンさんのそもそもの概念を思い起こせば、そして、もし私たちがデジ
タルリテラシーを利用していこうというのであれば、私の見方は、これらをデジタル的に使
いこなせる(digitally literate)ようにしていくということだと思います。私たちがデジタル
的に理解できるようにする必要があるのは人間ではありません。そうする必要があるのは、
私たちがデジタルと相互交流する媒介となるデバイスです。よって、自分たちではなく、デ
バイスをデジタル的に理解できるようにして、デバイスを利用する必要がある人間と適切に
調和することができるようにすることであって、人間が機械と調和できるように変化してい
く必要があるということではないと思います。そして、もちろん、そうしたことは実際に起
こっています。
ジリアン・ハラム :
『1984 年』か何かの話のようですね。では、そうした情報や知識との交流、そしてこの巨
大なエコロジカル空間においてあなたの生活に適用しようとしているものを、実際何と呼ぶ
のですか?
ジョン・ドロン:
私が答えましょうか?今日ここで、様々に異なる種類のリテラシーに関する素晴らしいモデ
ルをいくつか見てきたと思います。たくさんのリテラシーがあります。私のテーマとしてい
るコンピュータは、本当のところはテーマというものではありません。そうではないのです。
その多くは現実です。残りはその他もろもろです。他の何よりも、人について、何かを行い
たい人がテーマなのです。コンピュータは、他の人と一緒に作業を行うこと、話すこと、共
有すること、コミュニケーションを図ること、興味のあることをすること、そしてそれをコ
ンピュータによる媒介により行うことを可能にする能力を高めますが、重要なのは、それは
ひとつのリテラシーではないということです。これが、私たちが皆語ってきたことです。多
くの、非常に多くのリテラシーであり、それをひとつのスペースに閉じ込めることには意味
がありません。仮に来年、私たちが同じことをできるアナログコンピュータを発明したとし
ましょう。それはデジタルについてではなく、柔軟性(flexibility)についての話になるでし
ょう。
カーメル・マクノート :
ひとつ急ぎ返答しましょう。私たちが行き過ぎた用語に物事を詰め込まないようにするとい
うことであれば、なぜ学術分野があるのでしょう。私は化学者です。化学には極めて多くの
ことがあります。しかし袋はまだ破裂していませんよ。
132 / 144
クリス・ジョーンズ:
そこには興味深い問いがあると思います。というのも、ジョンさんはコンピュータをあまり
学術分野としてみなしていないからです。私たちは皆教育界に属しており、教育事態は学術
分野ではありません。教育というのはフィールドであり、トピック領域です。私たちは、
様々な学問的背景を用いて教育について学習することができます。教育には、唯一の規範
(canon)などはなく、「教育」とよびうるものについて共通の知識をもっている人はいま
せん。ですから、ここでは、少し異なるものがあると感じています。化学と物理は、明確に
規定できる学問領域であるという点で、普通ではない例でしょう。定義された規範がないそ
の他多くの研究分野、フィールドにおいては当てはまらないと思います。もしかしたら、今
後規範を手に入れる研究領域もあるかもしれませんが、今のところはありません。また、決
して手に入れられない研究領域もあるでしょう。なぜなら、それらは本質的に異分野にまた
がる性質のものだからです。
ジョン・ドロン:
同感です。そのご意見に少し補足させてください。フィールドというのは良い用語ですが、
私はフィールドですらないと思います。西欧諸国、少なくとも日本、そして環太平洋地域の
多くの平均的家庭には、50 台以上のコンピュータがあります。家にあるすべてのコンピュ
ータについて知識をもっている必要はありません。それらは生活の一部です。このデバイス
の場合、今しがた確認しましたところ、280 個の異なる機械からできています。非常に多く
の様々なテクノロジーからなり、ひとつとして同じものではありません。それひとつひとつ
について知識を持つことは意味がありません。それは人生の本質の一部であり、人生とは私
たちが理解していかなければならないものです。しかし実際、これが多くの、非常に多くの
機会を広げてくれるというのが事実です。関連する様々なものを可能にします。隣接する可
能性がどんどん広がっていくのです。これが、変化の内容です。それがデジタルだ、という
ことではなく、またそれについて知識を持つということでもありません。変化に対処してい
くことが可能になってきているということなのです。
青木久美子 :
私たちは言葉遊びに陥っていなければよいと思います。もしそうだとしたら、全く実のない
話になってしまいますから。そうですね、デジタルというのは適切な用語ではないが、デジ
タル化は進んでいるのだ、と言いましょうか。現在、すべてがデジタル化しています。そし
てもちろん、それはひとつのリテラシーではありません。ですから、リテラシーではなくリ
テラシーズということですね。そして、リテラシーというのはそれで全ての説明がつくよう
な、適正な用語ではないのかもしれません。しかし、私たちは何かを論じる際には、ある種
のラベル付けが必要です。毎回、細かい点まで説明していかなければならないとすると、コ
ミュニケーションを図ることが出来ません。私たちが望んでいるのは、そうしたラベルなの
です。何か論じたいことに名前を付ける必要がある場合、先ほど隣接するものの可能性とい
う発言がありましたが、それは人間には当てはまらず、むしろツールやアフォーダンスに関
連してくるものだと思います。しかし、以前は必要なかった何かを今、必要としている点に
ついては同意されるかと思います。それは何でしょうか?また、それを如何に名づけたいと
思われますか?
ジョン・ドロン:
その点に戻りましょう。何が変化したのか、それは変化の度合いです。これは、何か異なる
もの、あるいは新しいものがあるということではありません。私のテレビはデジタルです。
車は持っていません。もし車を持っていれば、そこには 6 つ、7 つ、8 つ、あるいはそれ以
上のコンピュータが内蔵されているでしょう。それらはデジタルですが、それは重要ではあ
りません。それはあくまで「車」なのです。テレビについて、それがデジタルかどうかとい
うのは重要ではありません。それは「テレビ」なのです。私がアングリーバード(ゲーム)
133 / 144
を好きだというのは重要ではありません。誰かアングリーバードを遊んだことはあります
か? 素晴らしいですよ。とても面白いゲームです。しかし、それがデジタルだという事実
は重要ではありません。ゲームだという事が重要なのです。ワープロについても、私がワー
プロを使ってすることができることが重要なのです。たまたまこのデバイス(iPad) にワー
プロがあること、あるいは手を振って使用するデバイスか何かがあるという事実ではないの
です。(問題が個々のパーツである場合にこれらのことを全部ひとまとめにするのは馬鹿げ
ています。このことを学ばなければなりません。私たちは、人々の学習を支援する必要があ
り、そしてなにより、人々にこれらのものへのアクセスを与える必要があるのです。アクセ
スできるようになれば、そしてどんな可能性があるのか分かれば、これらはとてもよい教師
になるのです。しかし、それをひとつの大きなエリアに制限すること、それはひとつのこと
だと想像することは問題です。単に、変化の加速度なのです。新たなテクノロジーの極めて
巨大な爆発なのです。先程も申しましたように、このデバイスには 280 もの機械があるので
すから。
クリス・ジョーンズ:
これは、これらの物事がいかに起こりうるか、あるいは自然に起こるかについて話した議論
の最後に尋ねられた質問に戻ることになると思います。もしこれらのデバイスがある状況に
人を置いてみれば、もしデバイスにアクセス可能な状態にすれば、人々はそれらを使用する
ようになるでしょう。しかし、そこからできることがもっとたくさんあると思います。プロ
セスを処理することも可能であり、いくつかの点で管理されます。こうした関与を確実に起
こすことができます。また、このテクノロジーとの関与に関わるリソースを確保することが
できます。そこでは、人々が支援を受け、様々なアフォーダンスを目にすることになります。
すべてのアフォーダンスが等しく明確な訳ではありません。よって、テクノロジーは人々が
必ずしも目にすることのないアフォーダンスを有する場合もあります。テクノロジーに潜み、
そのままでいては出会うことが無いかもしれない、あるいは長期間出会うことがないかもし
れないアフォーダンスを見るように、人々を促すことも出来るでしょう。人々が新しいテク
ノロジーと生産的な関わり合いを促すために、私たちに出来ることもあります。しかし、そ
れは目的を持って行なう必要があります。私たちが、人々にしてほしいことは何なのか?
どのようにしたらやってもらえるようになるのか? そして、人々がモチベーションと、こ
れらのテクノロジーが利用可能な場面で何かを行なう必要性とを持つ状況を設定するという
こともあります。私は、ジルさんのスピーチの最後に出てきた例に強い印象を受けました。
利用可能になったのは、テクノロジーだけではなく、それを取り巻く支援メカニズム全てな
のです。これは偶然ではありません。様々なプロセスであると思いますが、それはプロセス
を整えるひとつのアクセスについてであり、デジタルリテラシーを使うことに関して私が恐
れるのは、それが方針指導的なものになることです。その場合、デジタルリテラシーは、チ
ェックマークをつけるリストになってしまいます。皆さんは、デジタルリテラシーにおける
正しい講座を実施してきましたでしょうか? それは間違っているかもしれないと思います。
プロセスこそが、重要なことなのです。モチベーションを持ってテクノロジーと関わること、
テクノロジーと関わる生産的な理由を持つことが重要なのです。
カーメル・マクノート:
イエスでもあり、ノーでもあるという感じです。デジタルリテラシーズがチェックマークを
つけるためのリストになってほしくないという点では同意します。しかし、私がスキルや理
解と定義したものについて、ここで懸命に話し合ってきたという事実は、決して人々をデジ
タルの知識を身につけさせる、というリストにチェックを入れるために講座を開設したいと
いうことを言いたいのではありません。つまり、本日何人かが実際に言っていましたが、
人々は、学ぼうというモチベーションがある時に学ぶのであり、学ぼうという状況がある時
に学ぶのだと思います。これについては、数えきれないほどの証拠があります。ですから、
例えば、国際コンピュータ技能ライセンスですとか、様々なアプリケーションその他細々し
134 / 144
たことを学ぶような機会がありますが、私は、それらは時間の無駄だと思います。実は、個
人的にはこういったことを議論するのは大好きなのですが・・・。しかし、役に立つスキル
や理解を学生が得る支えとなる学習環境をデザインする方法について、教員が試行錯誤する
ことは、時間の無駄ではありません。そして、その成果が生まれたときに、もし学生はデジ
タルリテラシーズがあると言いたいのであれば、それは十分に納得のいく方法でしょう。
私は、学生は適切な一連の学習成果を得ている、という言い方をするかもしれません。2 組
の専門用語の間には、何らかのシナジーがありますが、私が非常に好きなリテラシーズとい
う語には、一種の流動性があると思います。この語は、準備ができていること、言ってみれ
ば、スキルや理解があると解釈できることに関わるものです。(ですから、私たちはそうし
た感覚を失いたくないと思います。ただ一方で、政府の指導者が私たちにさせたがるような
ことに対して、しっかりと注意していく必要があるということには同意します。本日の議論
には、コンピュータ講座の古い思考に戻るべきというような要求事のようなものは一切無い
と思います。それらは時間の無駄だと思いますし、この部屋にいらっしゃる大半の方も、こ
れには同意してくれるのではないかと期待しています。私は、デジタルリテラシーの議論と
昔のコンピュータ技能の議論とでは、違いはあると思います。
青木久美子 :
際限がなくなってきましたし、言葉遊びでしかないように思えることがありますので、この
議論はここで止めておきましょう。基本的な部分では私たち全員が合意しているわけですが、
言葉に囚われているような気がします。
ここで、フロアの方に質問・コメントを伺います。
泉:
東京医大の泉と申します。デジタルリテラシーの定義がどうとしても、日本人として是非伺
いたいことがあります。これだけデジタルリテラシーが進んだとして、国際的な観点からす
ると、デジタルリテラシーというのは日本人にとっては、文字通りのリテラシー、言語なん
ですね。日本語という非常に特殊な言語で生きている私たちの考えや印刷物、研究内容の大
多数というものが、皆さんの目にすぐ触れるということはほとんどありません。今からどん
どんデジタルを使うことによって、デジタルリテラシーが解決されて普及されることによっ
て、非英語圏に生きている人間には著しい不平等が、おきるのではないか、ものすごく不利
な状態になるのではないかということについてどうお考えでしょうか。何か慰めがあるので
しょうか。
青木久美子 :
何かコメントがおありですか?経験のない方にはちょっと判りにくいかと思いますが、我々
はとても特異な環境に暮らしています。我々は、グローバル言語ではない日本語で物事を行
っています。それで、ここの講演者の全員も、一種のグローバル言語である英語で物事を行
っていますから、母語を使って、どこでもかなりのことができるのです。英語の情報は豊富
にあり、英語のフリーツールも豊富です。言語が日本語だけに限定されると、物事がとても
限られるのです。長期的に見れば、おそらく不公平な状況が生まれます。このことについて
どうお考えですか?
ジョン・ドロン:
かなりひどいリスクだと思います。母語として英語を使えることは恵まれていると思います
し、確かに利点です。もちろん中国語も喋りたいです。中国語のサイトが急速に、少なくと
も英語のサイトと同じくらいに増えていますからね。このことについては良い点と悪い点の
両方があります。この場合も、コミュニケーション能力がますます隣接可能領域になってい
ます。こういったテクノロジーにより、私たちは他の人たちが共有していること、他の人た
135 / 144
ちが共有したくないことではなく、実際に共有したいと望んでいることを知ることができる
のです。そして、それを阻むものが、大問題になると思います。自動翻訳は、実際には役に
立ちません。おっしゃるように、文化の問題があり、使用する言語そのものや範疇が異なる
からです。そのことには長短両方があると私は見ています。一方では、英語の言語としての
支配力を高めています。他方で、そのことにより私たちは、世界の様々な文化や言語の多様
性と豊かさをこれまでよりはるかに認識するようになっています。ですからポジティブな点
もある程度はあると思うのです。ですから私にとって日本語を学ぶことは、発見できるもの
がたくさんあるので価値があるし、興味深いものとなります。それがおそらく良い点と悪い
点でしょう。
クリス・ジョーンズ :
これから言うことが役に立つかどうかわかりませんが、英語には反対の問題があります。つ
まり、英語が融解していき、英語を話す人たちは、英語が最大公約数のレベル、すなわち大
変簡略化されたレベルで用いられる言語になることを心配しています。ヨーロッパなどでは、
簡略化された英語が話されているのです。欧州の人たちが互いに喋る時に、意見を交わすた
めに英語を用いるのはもっともですが、英国人は、欧州の言語となった英語を喋る時は普段
ととてもかけ離れた状態にいるのです。使用しているのは簡略化された英語で、得られる反
応は簡略化された英語ですから、言語としての英語はとても奇妙な立場に置かれています。
現在は数多くの要因、たとえば特定の経済の支配的立場、かつての大英帝国の支配力や米国
経済の優位によって英語が一時的な優勢にあります。こういったものごとは一過性で過ぎ去
るものですし、特定の国語によって守られることは有益だという議論があります。また欧州
の話ですが、英語が話せて、デンマーク語やオランダ語など、独自の言語をもつ本拠地をも
っていてその双方を話すことができれば、何でもありで文化が分解して形をもたず、もはや
あまり個別性のないものになってしまう英語の荒海にただ一人、というよりはある意味でず
っと文化的に保護されています。このように、日本語とは反対のことが起きているのです。
つまり、米国文化であれ英国文化であれ、特定の文化が融解しているわけですから、日本は
その際立った言語文化によって、優位性、またはグローバル言語としての英語の一次的支配
力によって英語文化に起きていることから守られてもいることを知って、ある意味では喜ん
でもいいでしょう。というのは、中国語、標準中国語とテクノロジーについて十分立証され
たことだと思いますが、独自の文字をもつ中国ではソーシャル・テクノロジーの一種のパラ
レル宇宙が発展しているからです。ジョンはアセンブリについて、テクノロジーはアセンブ
リであると語りましたが、中国という文脈の中では別のテクノロジーのアセンブリが姿を現
しつつあり、とても面白いものになると私は考えています。これからは、一言語世界が間違
いなく、二言語支配の世界へと移行していくと思います。
カーメル・マクノート:
香港では広東語が用いられています。広東語と標準中国語は、書き言葉は共通していますが
きわめて異なっていて、私は香港では 2 つのことが起こったと考えています。1 つは、私は
定期的に様々な中国人の同僚から電子メールを受信するのですが、電子メールは英語です。
彼らは翻訳ツールを使っていますから英語に問題はありません。非常に簡略化されています
が、問題はないのです。私はそれらのメールを理解することができますし、英語があまりま
ともでない状況に 10 年間も暮らしていると、純粋主義者であることをやめて、通じる英語
に関心をもつという、実はこれまでとは違う理解の段階に至ったと思います。かつては広東
語をそのままの状態に保つことを望む人々についての問題があり、その問題はまだあると思
いますが、現在では若い親たちは子供がきわめて低年齢の段階から、英語、広東語と標準中
国語の 3 ヵ国語を話すトライリンガルにしようとますます努力するようになっています。
それがこれからの道だと思います。つまり、3 つの言語すべてにおいて、まあ敢えて言わせ
てもらえば高度のリテラシーをもつようにするということです。ですから、これからはエキ
サイティングなことが起きると思います。言語が融合するようになると思います。私個人と
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しては、いろいろな方法で多様性を切り抜けることと、それを可能にするツールを使うこと
にずっと興味があります。
小柳和喜雄:
私も日本人なので。実際英語と中国語は数の論理として、言葉が残るというのは読む人がい
ると広がっていくのだろうと思うので、その点でいうと、圧倒的にその言葉を使う人数が違
うので、デジタルリテラシーそのもの、仮にもしデジタル的な機能が様々な印刷物とか報告
書などいろいろなものにいくとすれば、それを目にする人が多ければ多いほど残るであろう
と思いますし、その文化がどんどん広がっていくというのは避けられないのではないかと思
います。ただ、デジタル化が進んでいくと、我々自身、今もお話がありましたけれども、融
合していったり、自分のものが見えるようになっていったりとか、新たに早発していくよう
な機能がもしそこにあるのだとしたら、広がるから嫌というよりは、そこにチャレンジして
いかないといけないのではないかと。そういう意味で、むしろ、避けるというよりは、チャ
レンジしていく時期により一層来たのではないか、そんな気がしています。
ジリアン・ハラム:
別の観点から見ると、私はドイツ語も話すのですが、現在ドイツ語に起きていることを観察
するのはとても興味深いことですし、異なる歴史的時代から見るのも実に面白いです。ドイ
ツ語は、どれだけのフランス人がやってくるかによって、大いに流動してきました。隣国の
フランス人が侵入してきたわけで、イタリアからどれだけのイタリア人がやってきたかも影
響を及ぼしていますが、第二次世界大戦中にはすべての英語がドイツ語から剥ぎ取られて再
びゲルマン化され、現在はまた、とても英語的になりつつあります。これは、欧州のコスモ
ポリタン的な側面によるものです。それから、若い人たちが SMS などをしているのを見る
と、略語や何かの点で全く別の言語が生じています。このように、言語は流動するものです。
変化するでしょうし、良くはわかりませんが、同じままにとどまることは決してないでしょ
う。まさに、先ほど皆さんがおっしゃっていたことです。不断の変化ですし、言語は生き物
ですから、歯止めをかけたり、それは正しい行き方ではないと言うことは絶対にできません。
それこそが、人間であることの一部だからです。
ジョン・ドロン:
そうですね。英語には当たり前のことですが、英国的な部分がごく少ないと述べておくべき
でしょう。英語はフランス語、サクソン語、アングロ語、ゲルマン系言語が奇妙に結びつい
たもので、外から取り入れられているのです。例えばイングランドでは誰でも、「サヨナ
ラ」という言葉がわかります。英語の辞書にも入っています。英語はあらゆる言語から言葉
と意味を盗んできたのです。
ジリアン・ハラム:
でも、言ってみれば前に進まない言語もあります。ウェールズ語を話す人々が南米に移住し
たコミュニティがその例で、彼らは 16 世紀のウェールズ語を喋っています。本当に有益な
ことなのですが…
青木久美子:
他にフロアの方から、最後にこれだけはというご質問があれば。
岡田:
株式会社アーネットの岡田と申します。大学の先生と一緒に、e-learning のシステムを開発
して、全国の大学で使っていただいています。私の仕事のかなりの部分は、大学を回って先
生方とお話することです。その大学の、ICT のプロモーション、あるいは、e-learning をプ
ロモートする立場の先生からときどき、アドバイスをしてくれという話があります。今日の
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お話でいえば、ゲートが一つありまして、向こう側はデジタルリテラシーの世界、そのゲー
トをくぐると途端に負担がかかる。負担がかかると見えると、門前からアナログの世界に戻
ってしまう。そういう先生に対して、どういうアドバイス、どういった手を打てばいいのか、
ということを時々聞かれます。先ほどの香港の先生のように、オーソリティーに力をもらっ
て、上からガーっとやる。それも、私どもの機械で、学長とつるんで、インセンティブを与
えている小さな大学もあります。けれど、大きな大学では絶対に出来ない。そうすると、何
らかの、ゲートをくぐると素晴らしい世界があるというようなプロモートする先生に、何か
プレゼントできればと思っています。もしアドバイスを頂戴できれば、私は今日参加した意
味があると思います。よろしくお願いいたします。
ジョン・ドロン:
一言言わせてください。人の言葉の引用です。誰の言葉か思い出せないのですが、アメリカ
の将軍だったと思います。「変化が嫌いだとしても、的外れは更に嫌われるだろう」という
ものです。
クリス・ジョーンズ :
私の観点から 2 つのことを申し上げます。1 つは、変化は教育機関によって仲立ちされると
いうことで、重要なことの 1 つは、教育機関がどのような選択をするかということであり、
私はこれを英国オープン大学から得た評価基準をもとに申し上げています。5 年前には、デ
ジタル技術はおまけでした。大学は設立当初とたいして変わらず、書類が基本でそれにテク
ノロジーが付け加えられたのですが、この 5 年間で、私たちはかなりの時間と手間をかけて、
大学をデジタル機関にすることを選択してきました。そのことで、あらゆる種類の人々が、
学生を含めて変わらざるを得なくなっています。これには、2 つ目のレベルがあります。1
つ目のレベルでは、教育機関が選択をすることが必要です。これから説明する 2 つ目のレベ
ルでは、その変革をすると、組織のすべてのレベルで起きざるを得ないソフトな変化がたく
さんあります。ですから教育機関は興味とモチベーションをもち、自分の周りに、他の人た
ちが起きざるを得ない変化を引き受けるエコロジーの生成を後押ししようとする人々を探し
ています。そこで、特定の分野の中で熱心な推進派やリーダーを見つけ出し、こういった
人々を中心にしてエコロジーを築こうとしています。つまり、教育機関のレベルで一旦決定
がなされると、後はきわめてソフトな社会的プロセスなのですが、教育機関がこういったハ
ードな決定を行わない限り、こうしたソフトな変化は得られないと思います。
カーメル・マクノート:
クリスと同感です。もう 1 つ別のことしか申し上げていませんでしたが、私は中間層がある
と思っています。誰かが教育機関に対して、現状を見直した方が良いと説得しなければなら
ないからです。今や時として、外部要因がこの役割を果たします。私は、自分自身の役割は
上と良好な関係を築くことであると共に、下をもサポートすることであると考えることが多
いのです。つまり、情熱的で学部長、総長や副総長をつかまえて教育機関のためになる別の
シナリオを提示しようとする人々が必要だと思います。放っておいても、必ず教育機関の指
導者たちは別のシナリオを検討するとは確信できないからです。自宅に帰って、自分がセー
ルスマンのような気がする晩も多いのです。私は明けても暮れても、教育のアイデアを売り
込んできました。説得しなければなりません。動機づけをしなければなりません。インセン
ティブを与えなければなりませんし、価値のあることだと教員に熱意をもたせるためには、
考えつけることをほとんど何でもしなければなりません。そこで上との関係を良くし、下に
はサポートをするわけです。時には、本当に疲労困憊になりますよ。
青木久美子:
どうもありがとうございました。
パネリストの方に拍手で感謝したいと思います。
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終了
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Jon Dron (ジョン ドロン)
Technology Enhanced Knowledge Research Institute (TEKRI)
Athabasca University
Canada
アサバスカ大学
技術拡張知識研究所 (TEKRI)
Dr Jon Dron is currently an associate professor in the School of Computing and Information Systems
and member of the Technology Enhanced Knowledge Research Institute (TEKRI) at Athabasca
University, Canada, and a senior lecturer in the Centre for Learning and Teaching at the University of
Brighton, UK. Straddling the technology/education divide, his research interests broadly centre
around social aspects of learning technologies, with a particular emphasis on discovering, designing
and employing methods and technologies to enable learners to help each other to learn. He is the
author of the book Control & Constraint in E-Learning: Choosing When to Choose. He has been a
keynote speaker at many international workshops and conferences, is author of scores of papers in
journals, books and conference proceedings, several of which have received top paper awards at
international conferences, He is a National Teaching Fellow of the Higher Education Academy in the
UK.
カナダ・アサバスカ大学コンピュータ・情報システム学科准教授および、同大学技術拡張知
識研究所 (TEKRI)メンバー。また、英国ブライトン大学学習・指導センター上級講師も務め
る。研究テーマは、技術と教育にまたがっており、学習に関するテクノロジーの社会的側面
を軸として幅広く展開。特に学習者が学習のため互いに助け合うことを可能にする方法、お
よびテクノロジーの発見、デザインおよび活用に関心を寄せている。著書に Control &
Constraint in E-Learning: Choosing When to Choose がある。また、数々の国際ワークショップ
や会議で基調講演者として活躍し、多数の学術論文、著書、会議資料を執筆。国際会議で
「最優秀発表論文賞」を複数回受賞している。英国高等教育アカデミーのナショナル・ティ
ーチング・フェロー。
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Christopher R. Jones(クリス ジョーンズ)
Reader, Institute of Educational Technology (IET)
The Open University
UK
英国オープン・ユニバーシティ
教育技術研究所(IET)
Dr Christopher R. Jones is a Reader in the Institute of Educational Technology at the Open University
(UK). He teaches on the Masters programme in Online and Distance Education (ODE) and
coordinates the ODE strand of the Doctorate in Education (EdD). His research focuses on networked
learning and the utilization of the metaphor of networks to the understanding of learning in tertiary
education. Chris has a longstanding interest in collaborative and cooperative methods of teaching and
learning and in Communities and Networks of Practice. Chris was the principal investigator for a UK
Economic and Social Research Council funded project “The Net Generation encountering e-learning
at university” which concluded in May 2010. He was previously a co-leader of the European Union
funded Kaleidoscope Research Team “Conditions for productive networked learning environments”.
Chris has published two co-edited collections, Analysing Networked Learning Practices in Higher
Education and Continuing Professional Development, 2009, Sense Publishers and Networked
Learning: Perspectives and Issues, 2002, Springer. He has also edited a number of special issues and
sections in journals and published over 60 refereed journal articles, book chapters and conference
papers connected to his research.
英国オープン・ユニバーシティ教育技術研究所(Institute of Educational Technology)の講師。
オンライン・遠隔教育(OED)修士課程を担当し、教育学博士課程(EdD)ODE の指導を
行なう。研究テーマは、ネットワークラーニングおよび高等教育における学習理解に向けた
ネットワークのメタファー活用など。長年にわたり、教育および学習における協力・協調的
手法および、実践のコミュニティーおよびネットワーク(Communities and Networks of
Practice)に研究関心を持っている。英国経済社会研究委員会出資の「大学で e ラーニング
と出会うネット世代(The Net generation encountering e-learning at university)」プロジェクト
(2010 年 5 月終了)において主査を務める。それ以前には、EU 出資のカレイドスコープリ
サーチチーム「建設的なネットワーク学習環境の条件(Conditions for productive networked
learning environments)」プロジェクトの共同リーダーを務める。共同編集した著作集を 2 冊
出版。2009 年に Analysing Networked Learning Practices in Higher Education and Continuing
Professional Development (Sense Publishers)、2002 年に Networked Learning: Perspectives and
Issues(Springer)を出版。定期刊行物で多くの特集を編集し、研究に関連した 60 を超える
査読付き学術論文、書籍の部分執筆および会議論文を発表している。
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Carmel McNaught(カーメル マックノート)
Director and Professor of Learning Enhancement
Centre for Learning Enhancement And Research (CLEAR)
The Chinese University of Hong Kong
Hong Kong
香港中文大学
学習能力向上研究センター(CLEAR)
Professor Carmel McNaught is Director and Professor of Learning Enhancement in the Centre for
Learning Enhancement And Research (CLEAR) at The Chinese University of Hong Kong. Since the
early 1970s, Carmel has worked in higher education in Australasia and southern Africa in the fields of
chemistry, science education, second-language learning, eLearning, and higher-education curriculum
and policy matters. Current research interests include evaluation of innovation in higher education,
strategies for embedding learning support into the curriculum, and understanding the broader
implementation of the use of technology in higher education. She is actively involved in several
professional organizations and is a Fellow of the Association for the Advancement of Computers in
Education. She is on the editorial board of 11 international journals, and is a quality-assurance auditor
for Hong Kong and Australia. She is a well-known speaker – Keynote addresses at international
conferences in Australia, Canada, China, Malaysia, Netherlands, New Zealand, Oman, Portugal,
Singapore, South Africa, Taiwan, United Arab Emirates, UK and the US – and a prolific author with
over
300
academic
publications.
Further
details
can
be
found
at http://www.cuhk.edu.hk/clear/staff/Carmel.htm
香港中文大学学習能力向上研究センター(CLEAR)の教授兼理事(学習強化担当)。1970 年
代前半から、オーストラレーシアおよびアフリカ南部の高等教育において、化学、科学教育、
第二言語学習、eラーニング、高等教育のカリキュラムと方針に関する問題などの領域で研
究を重ねる。現在の研究テーマは、高等教育におけるイノベーションの評価、カリキュラム
に学習サポートを組み込む上での戦略、高等教育におけるテクノロジー利用の実施範囲の拡
大に関する理解など。複数の専門団体に積極的に関わっており、教育におけるコンピュータ
利用促進協会(AACE)フェローを務めている。国際的学会誌 11 誌の編集委員会に名を連
ねており、香港およびオーストラリアの品質保証監査官も務める。講演者としても有名であ
り、オーストラリア、カナダ、中国、マレーシア、オランダ、ニュージーランド、オマーン、
ポルトガル、シンガポール、南アフリカ、台湾、アラブ首長国連邦、英国および米国の国際
会議で基調講演を行った経験を持つ。著作活動も精力的に行なっており、300 冊を上回る学
術刊行物を著している。詳細は、http://www.cuhk.edu.hk/clear/staff/Carmel.htmをご参照。
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Gillian Hallam(ジリアン ハラム)
Adjunct Professor, Information Science Discipline,
Faculty of Science and Technology
Queensland University of Technology
Australia
クィーンズランド工科大学
科学技術学部情報科学分野
Gillian Hallam is Adjunct Professor in the Information Sciences Discipline, Faculty of Science and
Technology at the Queensland University of Technology (QUT).
After ten years of academic life,
Gillian now provides consultancy services to the library and information services sector. From 20072010 was project leader for a national research initiative to investigate ePortfolio practice in higher
education in Australia, funded by the Australian Learning and Teaching Council. She is currently
working with the International Federation of Library Associations and Institutions (IFLA) in the
development and delivery of an international training program.
Gillian serves on the Board of the
Australian Library and Information Association (ALIA) and is chair of ALIA’s Education and
Workforce Planning Standing Committee. She is also an executive member of the IFLA Education
and Training Standing Committee and is convenor of the eLearning Special Interest Group. Gillian is
a Fellow of both ALIA and the Higher Education Research & Development Society of Australasia
(HERDSA).
クィーンズランド工科大学(QUT)科学技術学部情報科学分野の非常勤教授。大学での 10
年間の研究生活を経て、現在は図書館・情報部門を対象にコンサルティング・サービスを提
供している。2007 年から 2010 年にかけては、オーストラリア学習・指導評議会(ALTC)
の基金によるオーストラリア高等教育における e ポートフォリオの実践に関する全国的調査
プロジェクトのリーダーを務めた。現在は国際図書館連盟(IFLA)に協力して、国際的研
修プログラムの開発と実施に当たっている。オーストラリア図書館情報協会(ALIA)の理
事職にあり、ALIA の教育・労働力計画常任委員会の委員長を務めている。IFLA の教育・訓
練常任委員会の執行メンバーでもあり、e ラーニング分科会では議長職にある。ALIA およ
びオーストラレーシア高等教育研究開発学会(Higher Education Research & Development
Society of Australasia)でフェローを務めている。
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Wakio Oyanagi(小柳 和喜雄)
Professor
Graduate School of Professional Development
Nara University of Education
Japan
奈良教育大学 教職大学院
Dr. Wakio Oyanagi is Professor at the Graduate School of Professional Development, Nara University
of Education, Japan. He co-directed a seminar in Nara “Literacy, Media and Popular Culture” with
Jackie Marsh, Victoria Carrington, and Muriel Robinson,by assistance from Daiwa Foundation and
UKLA in 2006 and 2008. He is an editor of JSET (the Japan Society for Educational Technology)
Educational Technology Research and the Japanese Journal of Educational Media Research. Also, Dr.
Oyanagi is one of the board members of the Japan Society for Educational Technology and the
National Association for the Study of Educational Methods. His research interest is “ICT Literacy for
Teachers”, ”Media Pedagogy” and “Classroom Research and Professional Development”.
His recent research work includes “A Report on Investigation of Digital Literacies among Child,
Teacher, University Student” (2010) in the Proceedings of the 18th International Conference on
Computers in Education held in Putrajaya, Malaysia: by Asia-Pacific Society for Computers in
Education and “The Changes to the Teaching Methods and the ICT Utilization Status observed in
Japan’s National Scholastic Ability Improvement Projects” (2010) in the Proceedings of Global
Learn: Asia Pacific 2010 held in Penang, Malaysia.
奈良教育大学教職大学院教授。2006 年と 2008 年、ジャッキー・マーシュ、ヴィクトリア・
キャリントン、ミュリエル・ロビンソンと共に、大和日英基金および UKLA(英国リテラシ
ー協会)からの支援により奈良で開催された「リテラシー、メディアと大衆文化」セミナー
を共同運営した。日本教育工学会(JSET)の Educational Technology Research(英文学会
誌)および日本教育メディア学会機関誌編集委員。また、日本教育工学会および日本教育方
法学会の理事も務めている。研究テーマは「教員のための ICT リテラシー」、「メディア
教授法」、「教室研究と教職開発」である。最近の研究成果は「児童、教師、大学生のデジ
タル・リテラシーに関する調査報告(2010)」(アジア太平洋コンピュータ教育利用学会
[Asia-Pacific Society for Computers in Education]がマレーシアのプトラジャヤで主催した「第
18 回コンピュータの教育利用に関する国際会議[18th International Conference on Computers in
Education]」論集に所収)および「日本の全国学力向上プロジェクトに見られる指導方法と
ICT 活用状況の変化(2010)」(マレーシアのペナンで開催された「学習とテクノロジーに
関する国際会議[Global Learn: Asia Pacific 2010]」論集に所収)。
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