〈ボイスリライト〉 吉増剛造×赤坂憲雄 CINE上映 +トークイベント

「会津・漆の芸術祭2011-東北へのエール-」主催イベント
吉増剛造×赤坂憲雄
CINE上映 +トークイベント
REQUIEM
〈ボイスリライト〉
現代詩人・吉増剛造が昨年会津地方を取材し制作した映像作品CINE
「The Voice of 漆(しつ)」上映と制作にかかわるトーク。
鎮魂「REQUIEM」をテーマにした、福島県立博物館長/会津・漆の芸術祭
ディレクター赤坂憲雄との対談。
2011年10月15日(土)13:30 16:00 末廣酒造「嘉永蔵」
司会進行:川延安直(福島県立博物館専門学芸員)
「会津・漆の芸術祭 2011- 東北へのエール -」主催
CINE 上映 +トークイベント
吉増剛造 × 赤坂憲雄「REQUIEM」
<ボイスリライト>
2011年10月15日(土)
13:30 16:00
末廣酒造「嘉永蔵」
司会進行:川延安直
(福島県立博物館専門学芸員)
吉増剛造 ×
赤坂憲雄
上映 + トークイベント
CINE
REQUIEM
︿ボイスリライト﹀
川延:
こんにちは。今日はありがとうございます。今年二度目となりま
した会津・漆の芸術祭の関連イベントとして、今日は吉増剛造先生
にお越しいただいております。昨年はですね、近くのアルテマイス
ターさんで、吉増先生と和合亮一さんにトークをしていただいたん
ですけれども、今年はですね、赤坂ディレクターに対談の相手役を
お願いしています。昨年からずっと吉増先生に漆の事を追っていた
だいて、その過程ですごく会津にも深く思いを馳せていただいてお
ります。
震災以降、また先生の活動にも変化が見られていると思うんです
が、今日はその辺のお話しも含めまして、昨年一度、初公開と言う形
でご覧いただきました「The Voice of 漆(しつ)」という映像作品をま
ずご覧いただきまして、それから赤坂館長との対談という流れで、
進めていきたいと思っております。一時間半ほどを予定しておりま
すが、ぜひ最後までお付き合いいただけたらと思います。どうぞよ
ろしくお願いいたします。
まず先生一言。
吉増:
えー、
「帰って来れて」って感じが少ししてまして、朝方、東京は少
し小雨模様だったんですけれども、朝、ちょっと散歩してましたら、
今ちょうど僕、西行法師を書いているせいもあるんですけども、あ
の、
「 ここをまた我住み憂くて浮かれなば松はひとりにならむとす
らむ」、おれがここを出て行っちゃったら、一年間そばにいたあの松
はさみしくて独りぼっちになったなあという歌ですけどねえ。それ
から、自分の心に入れ替えられるような、たいへんな西行さんの心
ですけども、それと一緒に、
「待てよ。おれ、会津に移住しようかな。」
と自分の頭が考えているんじゃないのに、ふっとそんな思いが湧い
てきまして。あっ、不思議だなあ。西行さん、東北に来てますからね
え。それを追っかけて芭蕉さんも来てますし、そういう、こう何重も
の符号があるんでしょうかねえ。会津に来て、それから桧枝岐行っ
てみたいとか、なんかこう普通に行って見てっていうのと違って、
なんかこう離れていって、何かを、何かを残しながら離れていくよ
うな、そういう違った心が憧れ出ずる浮遊するような感じが浮かん
できてるなあと思って。まあ歳が歳だから、移住しても職も無いし、
どうしようかなと別の頭で考えていましたけども、皆さんの中にも
そうしたこれまで旅心というようなこと、あるいは赤坂憲雄さんの
書かれている漂泊異人とかそういうのではないような、どこへ行っ
たらいいのかわかんないような、憧れ出ずるような心が生じている
んじゃないかとそんなことを今朝方、考えていました。まあ、ちょう
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どその作業に惹かれてそういう事を考えるのもその、川延さんが
おっしゃったように、この時代の光なのかもしれませんけどね。
館長に何か言わせる?
赤坂:
こんにちは。吉増さんとお会いするのは久しぶりなんですけれど
も。
吉増:
ほんとね。
赤坂:
雑な会い方をしたくなかったんで、知らん顔して、控室にも行か
ず、ここで先ほど初めてお目に、再会をいたしました。とっても不思
議な対談というか対話というかになると思います。どうぞ楽しんで
目撃してください、というふうに予告編を出しておきます。よろし
くお願いします。
川延:
(吉増氏に向かい)それではまず映像でお願いします。
吉増:
はい。
<『The Voice of 漆』上映>
吉増剛造
よします ごうぞう
1939年東京都杉並区出身。日本を代表する現代詩人で
あり朗読パフォーマンスの先駆者。文章表現の他に、多
重露光による写真表現、映像作品の制作など幅広い独
自の創作活動を展開している。
『黄金詩篇』により高見
順賞、
『オシリス、石の神』で第2回現代詩花椿賞、
『「雪の
島」あるいは「エミリーの幽霊」』により第49回芸術選奨
文部大臣賞受賞、
『 表紙』で毎日芸術賞を受賞。1992年
から1994年にサンパウロ大学客員教授。2002年紫綬褒
章受章。2010年『盲いた黄金の庭』出版。2011年7月、
PUNCTUM TIMESより「REQUIEM」を発刊。2011年9月、
詩集「裸のメモ」発刊。
吉増剛造×赤坂憲雄
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〈ボイスリライト〉
川延:
いまご覧いただきましたのが「The Voice of 漆」。昨年の夏にかけ
て、先生に会津に足を運んでいただいて、その時に制作された映像
作品でした。
「 The Voice of 漆」にはいたわりっていう、ほんとにい
ま、私たちの心に沁みるフレーズが入っていて、去年初公開してい
ただいて以来、ちょうど一年ぶりくらいに拝見しましたけれども、
折に触れ、昨年見た映像の記憶を私は何回か蘇らせてみた事がござ
いました。館長は多分初めてご覧になるんだと思うんですよね。
ここからはですね、館長の感想からまずお話しいただいて、吉増
先生からもコメントをいただきたいと思います。まず館長お願いし
ます。
赤坂:
あの、去年見ていたら、全く違う感想を持っていたと思いますけ
ども、僕は実は、とっても唐突なんですけども、いま、凄く優しい映
像を見せていただきながら、
「The Voice of 原発」、原発の声ってどう
いう声なのか、って実は考えていました。
「原発には、歌も物語も無
い、原発は歌も物語も生まなかった」というふうに僕は語ったこと
があるんですけれども、いま、きっと瀕死の状態でのたうち苦しん
でいるはずのあの原発の声というものに、多分僕は一度も思いを馳
せた事が無かったような気がしました。漆の木は、人間が傷付ける
事によって涙のような透明な雫が流れて、それを人間は敬虔な思い
でいただいて、器に塗る。その器は大抵はハレの日の聖なる器だっ
たんですね。でも我々は原発の声といった、言葉そのものを思い浮
かべる事が出来ない。吉増さんは、撮影が終わると必ず「ありがとう
ございました。」と言われているんですけれども、我々は原発のあの
映像に向かって「ありがとうございました。」と言えるんだろうか。
本当に言わなきゃ終わらないのかもしれない、っていうそんな不思
議な、感想にもならないんですけれども、不思議な事を思っていま
した。
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赤坂憲雄
あかさか のりお
1953年東京都出身。学習院大学教授・福島県立博物館
館長。日本思想史・東北文化論を中心に近年は岡本太郎
研究にも取り組んでいる。
『 異人論序説』
『 東西/南北
考』
『東北学へ』他著書多数。2007年『岡本太郎の見た日
本』でドウマゴ文学賞、2008年同書で芸術選奨文部科
学大臣賞(評論等部門)受賞。東日本大震災復興構想会
議議員。福島県復興ビジョン検討委員会委員。
吉増剛造×赤坂憲雄
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吉増:
皆さんと一緒に、赤坂さんの思いがけない、たった今赤坂さんの
心の大事なところから湧いてくる思いを、聞いたような感じがしま
す。私たちは頭でその時々には必ず、全く違うものだという事を口
では言いますし、言葉では読むんですけども、実際にそれをやって
みるという事は、実に大変な事で、あの、普通はこうやってテレビ画
面で見るっていうのはテレビを見ているような感じになるから、出
来るだけ避けた方がいいんですけれども。なんでしょうか。この、末
廣さんのこの土間のせいでしょうか。なんかオーラがそうさせて大
丈夫なような感じになって、僕は初めて客席に行かないで、この席
からこの詩の作品を見ていて、たった今、幾つか気が付きましたけ
ど、なんでこんなにこの撮ってる人は、もちろん作品意識なんかな
いですからね、作品を作ろう、何かを残そう、なんて気持ちは無いけ
れども、なんであんなに近づいて行くんだろうと思って。それを最
後のあれ、繭玉はどうしているのか知らないけど、先に立てて、桧枝
岐の歌舞伎の所へ最後に行きましたけれども、
「あ」と一つ、この場
で、赤坂さんがあの原発の声を聞いたような感じで、あれは撮った
やつがマイクロフォンを近づけて行っている。光のマイクロフォン
をああいうところへ持っていっている。だから、あの、マイクロフォ
ンっていうのは、だからカメラもそうですよね、子供の時にしたよ
うにして、天眼鏡でもって近づいて行くような、そういうふうにし
て、声の無いところにも声を聞こうとする。姿の無いところにも姿
を求めていこうとする。そういうことらしいなあって事に、こない
だ映画館で映画もやってて、弁士もやって、新しい言語の湧き出し
も経験しましたけども、今日はここで末廣さんの、こう、少し冷えた
ような土間の中で、この我々の身近な生活の原子炉みたいなこのテ
レビセットの前で、ああ、そうかあ。光のマイクロフォンをあんな所
へ近づけてってんだ。それに沿って俺も唇をあんな所へ近づけて
いってるんだって、そういう事に気が付きましたね。今ね。
赤坂:
あの、実はこの吉増さんの新しい『裸のメモ』という詩集、……日
付が9月30日ですよね。僕は吉増さんからお送りいただいたのに、も
うずっと読まずにいて、昨日の夜遅く、初めて、ちょうど日付が変わ
る頃に、ですから今日ですね、読み始めたんですね。ちょっとその話
をさせていただいてよろしいですかね。多分どなたも読まれていな
いと思います。
不思議な体験を、実はいたしました。この詩集に収められた前半
は昨年の日付なんですね。そして僕は最初から読んでいって、日本
語の、日本語の表記って言うんでしょうか。日本語ですね、表記とい
う日本語という、その言葉のテクスト、が持っているその無意識み
たいなものを本当に最大限に形にしているその姿に感動を覚えた
んですね。でも冷静でした。そんな事を批評的にこねくり回しなが
ら読んでいたんですね。ところが実はこの詩集を、後で皆さん、手に
取ったら確認して下さい。
「八戸から」というように始まるのは、これは昨年の、多分12月
だったと思います。この辺りから、予兆のように始まるんですね。吉
増さんご自身が震災の訪れを予感していたとは思えないんですけ
ども、この「八戸から 琥珀色ノ、… たよりが、…」、この詩篇から不意
に何かが、ゆっくりと裂け目から顔を覗かせて来るような、そして
気が付くと、その次からは「『折口信夫会』講話―人も馬も道ゆきつ
かれ死にけり。」……この詩を読み始めた時に、僕は自分の中の、こ
の何カ月間を被災地の様々な情景の中歩いてきた、その自分の体験
がすごい勢いで共振をし始めたんですね。あの、そういう体験って
僕はほとんどした事が無くて、とても戸惑いながら後半をずうっ
と、今日の午前中読んでいました。その事を、少しだけ長くなっちゃ
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いますけれども、お話しさせていただくのがいいのかなと思いま
す。
実はこの辺りから出てくる言葉が吉増さんご自身も被災地を歩
きながら感じられている事が下敷きになっているわけですから、当
然なのかもしれないんですけれども、僕はその共振の仕方があまり
にも激しかったので、ほんとに自分でどういうふうにこれを受け止
めたらいいのか、正直言うと分からないまま読み方をしていまし
た。例えば、折口翁、折口信夫という詩人にして民俗学者がこの詩の
中に当然のように招かれているんですけども、実は僕自身も震災の
後、最初に思い出した人というか、読みたいと思った著作の一つが
折口でした。そして僕は折口の「民俗史観における他界観念」とい
う、最晩年の著書と言うか論文を読んでいたんですね。で、吉増さん
は違う折口の詩集とか本を読まれているんですけれども、例えば51
ページ、
「詩人、根の底からの海の子でもあった折口さんの、…心身
の底の常世浪の波音に耳を澄まし、…と考えながら、次の刹那に、…
ええッ、…よりも おお、… とか、驚くような光景が浮かび上がって
きていました、…。」この一文を読んだ時、僕が思い浮かべていた光
景を少しお話ししたいんですけれども、僕は4月の21日に南相馬市
に入り、20キロのラインを越えて、15キロまで行ってます。その時、
島尾敏雄の故郷である小高にどうしても行きたかったんですね。そ
して行きました。道が切れて、もうアスファルトが津波にえぐられ
て、それ以上行けないところまで行って。夕方でした。そして何の音
もしない。人間がいませんから無音の世界が広がっていますね。そ
して、アスファルトの崩れたその下には泥の海が一面に広がってい
ます。おそらく地震と津波と原発ですぐにみなさん避難されていま
すから、遺体の捜索もきちんと行われず、おそらくそこには犠牲に
なられた方達がたくさん、まだ眠っているんだろうという風に思い
ながら立ち尽くしていました。
その時、ふと気が付くと、無音であったはずの世界の、端っこの方
から音が聞こえてくるんです。えっと思って耳を澄ましていると潮
騒なんですね。泥の海の遥か彼方に、立ち枯れたような松が見えて、
その間に小さな白い波しぶきが立ってるのが見えたんですね。1キ
ロもないと思います。その海岸は村上海岸といって、島尾敏雄さん
が学生の頃よく遊びに来て、従兄弟の子どもたちと一緒に遊んだ海
岸なんですね。その海岸から泥の海を伝わるようにして聞いた音
は、潮騒か常世浪の音だったような気がして、それをずーっと思い
出していました。
実はその村上海岸の辺りは、両墓制といって、埋葬する墓とお参
りする墓を二つ持つ独特のお墓があるんですけども、それが浜辺の
ちょっと丘の上にあるんですね。でも今回うちの佐々木長生(福島
県立博物館専門員)さんに教えてもらいましたけれども、あの辺り
は全部壊滅している。ですからお骨が納まっている所と、お参りす
るお墓、二つお墓を持っていたその独特のお墓のあるあの砂の丘の
辺りが完全に舐め尽くされて、姿を消しているんだろうなあと思い
ながら、本当にこの一節に出会った時、自分が聞いたのは常世浪の
波音だったのかもしれないっていうふうに思いました。
もう少し続けますね。56ページにこんな言葉がありました。
「昨
夕、大槌か釜石の空中で一葉の戸のように浮かんだ畳に近づいて
いった……」と省略しますけれど、読み方は違うと思いますが、折口
の引用なんでしょうか。
「畳の上に深い波を感じている……」。この
一節に出会った時に僕が思い浮かべたのは、東松島市の野蒜小学校
の体育館の床に敷かれた畳でした。その体育館の中では、避難した
人たちが、かなりの人数が犠牲になっています。ですから、波が引い
た後にその畳を乱雑に敷いた上に犠牲者たちが、皆さん、寝かされ
ていて、そこに花を捧げていたりとか、もちろん僕らが訪ねた4月4
日にはもう遺体は無いんですけども、でもまるで遺体はそこにある
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吉増剛造×赤坂憲雄
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かのように泥だらけの畳が敷き詰められていて、それをたくさんの
子どもたちが見下ろしている姿まで目に浮かんで、
「 畳の上に深い
波を感じている」、こんな言葉まで僕の中では共振していました。
それから次の作品、
「静かな虚空(あおそら)」。この中には「枕木、
枕木」と枕木が繰り返し登場するんですね。八戸のあのシーンも実
は予兆のようにこの枕木が姿を現していました。気づかずに「枕木
だ」と思って、付箋をしながらずーっと見ていくと、
65ページに今度
は「貝塚」という言葉が出てきて、僕はこの辺りでゾクゾクし始めた
んですね。そしてさらに次のページには「井戸」という言葉が出てき
て、実はさらに読んでいきますと、
「常世浪」とか「枕木」とか「貝塚」
とか「井戸」とか。全て偶然ではなく、吉増さんの次の詩の一節があ
り、サイモン・ロディアという人が一人で貝殻を七万個以上集めて
作ったという貝の塔、貝塚、その辺りに真っ直ぐにつながっていく。
そして例えば77ページに、
「深い深い内在する井戸をあわせて生き
ている、姿なき、枕木なのだ、…という言葉を綴る手の精霊は語り出
していた、……。この枕木は……、」云々というふうに僕が全く予期
せぬ形で出会って、激しく心揺さぶられた言葉の裏が、全てそこに
流れ込んでいく、そういう体験をしたんですね。
実は「枕木」と言うのも、先週仙台港の辺りからもう海辺をずうっ
と南相馬市、そして周り込んでいわきの海岸までずうっと歩いてい
ました。その時に新地の駅の辺りまで辿り着いたんですね。車を走
らせていたんですけれども、地盤沈下が激しくて、道が海によって
どんどん洗われていく、消えて行くような、そういうところを走っ
ていた時に、同行者が突然、携帯の地図を見ながら、
「あ!ここが常
磐線。常磐線です!」って叫んだんですね。常磐線なんて無いんです
よ。眺めてももう草原があるだけで、そして我々も降りていってみ
たんですけども、
「もしかしたらこの地図で言うと、この草の、少し
丈の低い草がずっと続いているここが線路だったの?」
「 え!まさ
か」と言いながら、その辺りを随分走り回っているうちにやっと見
つけました。草むらの中に消えていく枕木とレールを見たんです
ね。衝撃でした。つまりたった7ヶ月なのに、あの常磐線の線路がそ
んな風に姿を消していく事ができる、という事が信じられなかった
んですね。もう草の中にどんどん埋もれていく。そして枕木を踏み
ながら草の中を歩いて、かつての常磐線の姿を思い浮かべようとし
て、
「枕木」、この「枕木」という言葉がここに出てきていた。
そして「貝塚」と言うのも実は僕が歩き始めてから、地図を眺めて
この数ヵ月歩いていましたけれども、気が付いていたのは、津波が
洗い流していくその少し先に貝塚が生き残っているんですね。つま
り津波にやられていないんですね。どうしてなのかって聞いたら、
「縄文海進」って言って、縄文時代は海が高かったんで、ずーっと陸
の方まで海が入っているんですね。その海ぎわに貝塚を作り、人が
住んでいた。ずうっと海が、海岸線が後退していますから、少し内陸
部なんですよね。あの津波は4000年も5000年も前の、縄文人たち
が暮らしていた渚に行ってる。もしかしたらその津波は4000年前
の海の姿だったのかもしれないじゃないですか。そんな事を考えな
がら、
「貝塚」というのが凄く僕は気になっていました。
この辺でやめておきますけれども、僕は一冊の詩集を読みなが
ら、そういう自分の体験とこんなに共振して揺さぶられるという体
験を初めていたしました。ですから今日は本当に雑談をしたくな
かったんで、この会場のこの場でお会いするまで、吉増さんの前に
姿を現さずに、あの、僕のこの不思議な体験をお話ししてみたいな
と思いました。少し長くなってしまいました。
吉増:
惜しいなあ。撮影を中断しなきゃいけない。傑作が出来ています
よ。あの、
「赤坂フィルム」って名前付けるけれども、今のここにいる
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位置だから赤坂さんの姿がここに鏡みたいに写っているんですよ。
二重に写っているんでね、手をこういう風に振られる時にね、白鳥
がこう、飛んでるみたいに写ってんの。多分これ傑作になりますよ。
明日、あの糸玉を映して、エンディングにしよっかなぁ。もう、今の
赤坂さんのこう、聞こえない世界に象(かたど)りながらお話し下さ
るような、これでもって、もうこれでもって、今日の話はいいや、い
いかなって思うけども、皆さんになるべく障りのないように小さな
贖罪みたいな、器みたいなものを、差し出しておきますと、今赤坂さ
んが言って下さったように、まあ、すでに私達の中には予感のレー
ルみたいなものがいっぱいあって、それが科学や概念的な思考や論
理的な思考によって見えなくなっているんでしょうけども、3月11
日より前に赤坂さんから……じゃない、八戸から琥珀色のたよりが
あったのは土の色であり、かつインカから前の人たちのようなイ
メージもあって、もしかしたらそこに漆につながるような色を見て
いたのかもしれない。で、そういう色を見ようとする目っていうの
は、私達、絵描きでなくてもそれはいっぱいあるんで、最後ちょっと
その例を皆さんに見ていただきますけれどもね。
で、10月頃フランスを8都市ぐらい連続して訪ねて行ってた時に、
フランス全土で鉄道のストがありましてね。フランス人は落ち着い
ているんだけれども、立って、みんな満員で立っている状態。それで
詩を書きながら各都市を回っていた時に、いろんな理由もあるんで
すけども、ふっと枕木とか電線とか、読んでた詩が「絵馬」っていう
詩で、それが通訳されたために動いてたんですけども、それは空へ
の、
「空にこの絵馬をどっかに吊るす所はないかしら」っていうそう
いうフレーズ、ビジョンを繰り返すところがあって、それをフラン
スの哲学者や詩人たちの前で話してましたら、あそこはいまだに原
子力爆弾の空の下にあるという、そういう発言も出てきて、
「広島の
時にサルトルは何も言わなかった。バタイユだけが何かを言っ
た」っていう激論にまでなったりして、そういう状態の中で、ふうっ
と、そうだなあ、原民喜という、広島で原爆に出会った人がもう覚悟
の死を遂げた時が、吉祥寺と西荻窪の間の中央線の枕木に体を横た
えて、それで亡くなってるんですよね。あれ、素晴らしい文学者だっ
たけど、その枕木に原民喜が飛び出してきて、まさかその時に、それ
は去年の10月ですからね。
だから今赤坂さんが言われたように、その枕木が、今の赤坂さん
の常磐線の話しも素晴らしいお話しで、二度と話してくださいって
言っても不可能なくらいのお話しですけども、そうした枕……。考
えても見てくださいよ。国文学者はいろんなこと言うけども、歌
枕って言ったって、誰だって解いてないかもしれないじゃない。恐
るべきことですよね。で、そういうこう、かすかな歌枕がすでに先行
しちゃってて、もしかしたら考えてみたら太古から来てんのかもし
れない。それで3.11が来ちゃうわけでしょ。で、全くその言語の、赤
坂さんが言われたように、全く違う次元で国語からも遥かに逸脱し
たところへ持って行こうとするようなやりかたは全く変わる必要
はなくて、さらにそれが歌枕が歌枕に絡みついて気利かしていくよ
うな状態になって、そういう私たちは目の中で光がこれで変わっ
ちゃいましたけども、それで読んでいきますと、赤坂さんと同じよ
うに私も、折口信夫が生涯の読書で、あの人は海のひとで、太古の人
たちが海坂(うなさか)っていって、向こうへこう降りていく、ビ
ジョンを持ってたようなことを体で知ってるし、それから浦島太郎
だけが聞くことが出来た常世浪、まあこれは太古からの津波の記憶
ですよねえ。そういう事を聞こうと思ったり、あるいは暴風雨の後
に海の底から飛び出してくるもの、あるいはその海の底へ逆に入っ
ていくもの、そういう太古の人たちが持っていたであろうビジョン
をもう一度見たいと思って、そして今日お願いして出してもらった
んですけどね。なんかへんな文章だなあ。なんか折口さん嫌な文章
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吉増剛造×赤坂憲雄
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REQUIEM
〈ボイスリライト〉
書きやがるなあっていうので覚えていた「山越しの阿弥陀像の画
因」という文章がありましてね。それをなんか知らないけど記憶の
ある遺伝子が覚えているんですね。これ歌枕だなぁ。記憶のある遺
伝子が覚えていてそれを読み直してみたの。
そしたらねえ、それ、意識の遺伝子の方へ浮かび上がってきたん
ですけどね。その、震災の時に、ある紳士が来て、あの絵が見たいか
ら、この山越阿弥陀の絵をね、見たいから出しておいてくれって
言って消えたっていう。そして暫くして、関東大震災が来た。そして
その人がまたやって来てそれで助かったのかな、この絵が。でつま
りそういう変なことからして書き始めて、で、折口さんが言いたい
のは、この奇妙な山の向こうに阿弥陀さんが来て止まってるってい
う。こんなものが大震災の経験によって皆の意識に立ちのぼる時が
来たと。あの、意識の源頭、あの、頭の源に上って来るなんて言い方
をしますけどねえ。この、この絵が、だからそういう大震災の時にこ
の絵がすうっと光を浴びるというのを、この絵そのものが持ってい
るビジョンの不思議さである。そこで、そこまでに帰ってきたんで
すね。そこで赤坂さんが言われるように、そこでね、おやっと思っ
て、で、潮騒の音じゃなくて、あの皆さん見えるかな。ここ、ちょうど
山の向こうに、こう、阿弥陀さんかなんかが、おそらくこうやって海
の向こうからずうっと歩いて来たわけじゃないですか。そしてこの
渚の所で立ち止まったわけですよ。それで、あ、そうするとこの下に
あるこの足元で渚の砂利を踏んでいる波音と、波音と潮騒がね、瞬
間、聞こえるような感じがしたの。海をずーっと歩いてきてここで
立ち止まっている裸足の、阿弥陀さんの……。
で、その事が聞けた瞬間っていうのは、私の耳に届いた瞬間って
いうのは、さっき赤坂さんがおっしゃったように、あれっ、と思うと
潮騒の音がしていた。何か風音が聞こえてきた。そういう瞬間に近
いね。で、でもね、こういう、だからこの時にこういうビジョンを
持った、これを見てた人たちの目に、こう、さっきの光のマイクロ
フォンじゃないけど、そういうものにすうっと目がいく。それから
さらに読み込んでいきましたらね、これはすごい文章です。是非読
んでくださいよ。こういう事を言うのは、こういうビジョンの事を
言うのは、実は私も夢ん中でこういう感じを見たことがある、それ
が「死者の書」の原因であると言うの。死者の書、死者の書、死者の
書。しかもこの文章が書かれたのがね、昭和19年なの。で、養子の春
洋さんが硫黄島で死んだ時なのよ。それをね、夢の中でそういうも
のがこぐらかった夢の中で、そういう、そういうビジョンを見てい
るの。さらに恐るべきことにそれに気が付いて、それじゃあちょっ
とまずいなあ、あの人の一番有名な「海やまのあひだ」ってなあ、よ
く言ったもんだね。
「海やまのあひだ」だからね。ねえ。海山太古から
の「海やまのあひだ」っていう歌集を読んでみて、この集の背を見
て、これをどうして書いたかって書いてある。これがね震災の後も
ね、その自分の中に生じた亀裂っていうか、断絶っていうか途方も
ない何かによって生じたって事を、はっきり書いてあるし、僕らの
目で見るとそれが読み取れる、そういう読み方をしたんですよ。
だからあの赤坂さんの体験と共振する、あるいは折口さん、折口
さんとそれに共振する。その、
「山越え阿弥陀図の画因」っていうの
をね、小林君も読んでて、なんか、奇妙だけどこれ、すげえ詩人だ
なって書いてある。これはもう偶像崇拝かなんかのどちらかだろう
ね。そういう、そういうこう、そういう所に光が当たるっていうか、
目で見るとそれが読み取れる、そういう読み方をしたんですよ。
だからあの赤坂さんの体験と共振する、あるいは折口さん、折口
さんとそれに共振する。その、
「山越え阿弥陀図の画因」っていうの
をね、小林君も読んでて、なんか、奇妙だけどこれ、すげえ詩人だ
なって書いてある。これはもう偶像崇拝かなんかのどちらかだろう
ね。そういう、そういうこう、そういう所に光が当たるっていうか、
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聞こえ出すっていうか、光が聞こえ出すっていうかな。そういう事
があるみたいですね。それを赤坂さんのさっきの非常に深いお話し
に繋げておきたいと思います。それから後半一つそこへ持っていき
たい事がありまして、そんな風にして芸術とか絵画音楽とか言われ
ているものの中にそういうものが眠っているんですよね。それをと
んと忘れちゃって擦り切れちゃって、だからそれに気が付く事を
やっぱりやらなきゃいけない。
それでごめんなさい、最後にキルト信仰にいくけど、その前に赤
坂さんが書かれたこの写真集、この、えー、田附勝さんという方か
ら、東北の写真集、ついこのあいだ出たばかりで、赤坂さんも良い文
章を書いてらっしゃるけども、これ送られて来て、これを見て、あ
の、東北を見る目が一新したな。ぼく、びっくりした。その目で見る
からかなんか知らないけどねえ、さっき電車の中で見ててねえ、
びっくりした、あれがあって。これは秋田の大湯の環状列石を撮っ
てる写真なのにね、あれっと思って。これねえ、
( 写真を探す)これ
だ。ライティングのせいもあってさ、瞬間これね、遠野の金精様だと
思った。男根だよな、は!っと思った。大湯の環状列石みたいな感じ
しないじゃない。この人の写真を見てさ、もっと深い生々しい血の
流れるようなものにぶち当たった。すごいね。
赤坂:
まだ三十代の若い写真家なんですけども、震災の後に僕の研究室
に不意に、あらわれて、こんな写真集を出そうと思っているんです
けども、っていうことで相談されたんですね。で僕は、ぱらぱらっと
見て、ああ、いい写真集だなと思いました。そのころ世の中では頑張
ろうとか、東北人は我慢強くてとか、そういう手垢まみれのイメー
ジが抑圧的に働いているのをみて僕が書いたエッセイは、
「 お前俺
の何が分かっているんだ、と呟く声がする」っていうふうにタイト
ルに書きました。ほんとに東北人は自ら俺はこういうものだみたい
に語らない。でも、ほんとにいつでもさりげなく転がっている東北
が見事に写し取られていて、僕なんかはとっても言葉ではこれを表
現できずにいたものが見事に映し出されているんで、感動してすぐ
に解説文書くよって言って、引き受けた。という経緯がありました。
吉増剛造×赤坂憲雄
CINE上映 +トークイベント
REQUIEM
〈ボイスリライト〉
吉増:
これも私たちの目の光、目の光、目の光なんて言うけども、僕も別
に死んでからなんか作品を残そうなんて気持ちは無いし、そんな作
品の意識が無くて。ほとんどの芸術家って死んでから何が残るかな
んて考えて作っているんだろうなあ。そんなことやっちゃいけない
んだって、ね。で、あの、そういう、こう、光の幕をいっぱい次々に
作っていくことによって出現してくる世界っていうのは、そういう
事が大事で、だからこの写真集を見ると赤坂さんが言われたように
今まで歌謡曲で言われてたり、なんか物語で言われてたようなのと
は全く違う、なんか鹿が血を流して踊っているような、ね。だからも
しかすると宮沢賢治でも駄目かもしれない。そういうこう、あの、血
の光が見えてきますね。
それで、ふと回心と共に、あるいは半ば直観が当たってたととも
に思い出したんですけども、去年、一昨年、あの、花巻土澤の萬鉄五
郎美術館に通いまして、十回くらい行ったかなあ。そこで例の裸体
美人っていう奇妙な作品があるでしょう。それを、奥さんを、日本橋
からきれいな奥さんをもらってきて、それでアラーキーみたいに写
真撮ってたっていうのが根にあるんですけども。あの裸体美人の不
思議さを追っかけて萬鉄五郎の直観を捕まえようとして、映像作品
を三本も作っていたんですけれど。この写真集の感化を受けて、獅
子踊りの血の雨みたいな、ああいうものから見ていくと、あの裸体
美人の持っている裸体っていうのはそうですからねえ。もっともっ
08
と恐るべきもので僅かに私もそれに気が付いていたかなあ。そうい
う事って絵画史なんかでやったって全然だめですからねえ。
だからそうした、そうした、うーん、こう、ほんとに偏在している
はずの、偏在しているっていう言葉はいけないなあ。気が付くとす
ぐそこに現れてきている世界の光と目に気が付くっていう事は、ま
あ私たちはこういう災厄にあったから、もうものすごく敏感になっ
て、過敏になっていますから、そういう事が起きてきているんだろ
うと思います。そしてそれをもう、傷つく事を感じるような何かを
育てないと、海岸行って頭を下げる事ができないような、そういう、
そういう気持ちになってるんでしょうねえ。
で、赤坂さんの書かれたものを随分たくさん読んできましたけど
も、今日のお話しの方が遥かに深いもので、山折さんとの対話物も
あるけれども、普通世間的に言われている、対話だとかシンポジウ
ムだとかトークだとか、こんなもので私たちは済まして言っちゃっ
てる所があるんじゃないかなあ。で、やっぱりたった一人の感じた、
隠れていた常磐線の線路や枕木をご覧になって、そして潮騒の音を
聞く。そういう、必ずしもそれが歌とか詩じゃなくて、そういうもの
に耳を傾けるという事が必要な時が、明らかに来ているような気が
しますね。
吉増剛造×赤坂憲雄
CINE上映 +トークイベント
REQUIEM
〈ボイスリライト〉
赤坂:
あの、3.11に遭遇して、吉増さんがやはり思い出されたのが折口
信夫であり、この山越しの阿弥陀の像について論じた折口の論文で
あり、
「海やまのあひだ」という詩集であり、で僕自身もやはり折口
を思い浮かべた。僕はもしかしたらこれからもう一度折口の再評価
の時代が始まるのかもしれないというふうに、この1、2年感じてき
たんですけども、もう3.11と共に始まったのかもしれない。少なく
とも僕はこの地震と津波と原発の、この最悪の中で、柳田国男を思
い出す事は無かったような気がするんですね。
あのー、僕は実は、
「民族史観における他界観念」の中の「海彼(か
いひ)の猛獣」っていう一節を、
「ゴジラ」という映画に繋げて考えて
いたんですけども、海彼ってのは海の彼方。彼方から訪れてくる猛
獣っていう事です。日本人の信仰の中には、海の彼方から常に、そう
いう聖なる荒ぶる生き物のような、怪獣のような、神のような、もし
かしたら皆様もそのどっかに含まれるのかもしれない、海の彼方か
ら何か自分たちのスケールを遥かに超えたものが寄せてくるって
いうそういう感覚があって、これはやはり折口の「海やまのあひだ」
という言葉を瞬間的に思い出しましたね。
三陸はまさに「海やまのあひだ」なんですよ。山は迫っていてぐー
んと落ち込むともうそこは海で、ですから。陸前高田なんかもそう
なんですけども、大槌もそうなんですけども、地面無いんですよね。
で、そこに無理をして村をつくり、町をつくり暮らしていますから、
津波が来ると必ず全部洗い流されてしまう。それを何度も何度も繰
り返してきている。その、僕は「海やまのあひだ」という言葉ほど、あ
の辺りの風土とか歴史とか、そうしたものをぴたりと見事に表現し
ている言葉は無いっていうふうにも感じましたね。きっと折口は、
山をこうやって旅していますから、山を越えてその急峻な坂をず
うっと降りていくほんとにわずかな湾の埋まったところに、陸とか
地面があって、そこで漁師たちが海から採ってきた魚を分けていた
り加工したりしている姿を何度も見ているはずで、ほんとに「海や
ままのあひだ」という言葉ほど、三陸の今回の被災に遭った地域を
表現する適切な言葉は無いなというふうに感じてました。
ですから吉増さんの今回の詩集っていうのは、繰り返しますが、
ほんとに不思議な共振れを誘うような衝撃をいただきました。ほん
とに僕、感謝します。ありがとうございます。
09
吉増剛造×赤坂憲雄
CINE上映 +トークイベント
REQUIEM
〈ボイスリライト〉
吉増:
今の、あの、こちらこそですけれどね、今の赤坂さんのお話を、文
章読んでてもそういう波長伝わってきますけれども。折口さんの出
発点に近いか、むしろ。大阪浪速の人で、難波から二駅の大黒町あた
りの人です。それでところがあそこは島であったって言うんです
よ。でかなり、あの、海が近かった。材木商の人には、あの人ホモだか
ら惚れたりしたんですけども。その非常に身近なところから折口の
民俗学が始まっていってて、
「三郷巷談」っていう、身近なすぐそば
のお寺の話なんかから始まっていくんですけどね。その、それをも
う一回やっぱり読み直してましたらね、安政の大地震の時に津波が
来て、それで難波がやられて、だからそういう話が伝わっているわ
けですね。そっから始まっていって。それですぐそばのお寺ですけ
ども、そのお寺が倒壊したって。で、その倒壊したお寺を立て直すに
はどうしたらいいかってんで、算盤の名人を誰かが連れてきたっ
て。で、その算盤の名人だったら立て直せんるんだって。で、たった
一人で算盤の名人が壊れた本堂の中に入って、誰も見るなって言っ
て、門を閉じて、そしてしばらくすると、そっから先がさっきの赤坂
さんの聞いた潮騒と同じように、なんか音がしてきたっていうの。
パチパチパチ。なんかね、カチカチカチって音がしてきた。それにし
たがって、ギシギシ、ギシギシっていって本堂が段々と建ってきた。
ギシギシ、パチパチって、そういう話が言い伝えとしてあるってい
う事を短い文章ですけど書いているんですよね。そうするとその伝
えられてきた、聞き耳を立てている本堂の前の人たちの様子が分か
るわけですよ。
「何やってんだ」って。で、目の見えない人がいて、傍
で一人で聞いているんですよね。
「なに、どんなことが起こってんだ
い」って。そうすると「算盤の名人が本堂に入って、なんかやってん
だってよ」って言って、
「え?」って。そうするとパチパチ、ギシギシ。
耳の澄まし方、さらには、折口さんてのは芸能の大専門家で、あの人
の芸能論は全く信用できますけど、芝居小屋の中で拍子木を打った
り板を叩いたり、あるいは大工さんがカチカチトントンやってるよ
うな、芝居小屋から聞こえてくるじゃないですか。ああいう音も混
じって、ギシギシギシギシと建ってくる。そうした、まあ、ようやっ
とそこまで、3.11の後で拙い感受性でそこまで埋めましたけどね
え。とするとこれは別に知識やなんかじゃなくて、むしろ目の見え
ない人たち、人から話を聞くような人たちの感受性の中にこそ、そ
ういうものが生々しく残っている。そういう事を今、赤坂さんのな
んか、ほんとにこう、物を考える時の下の土に触るようなお話を聞
いていて思い出しましたね。
で、だからあの人は夢の中の事を書いたり、ハッキリとあの、起承
転結のあるような文章、立派な文章をたくさん残しているわけじゃ
無いけども、そういうあれで聞こえてくるようですね。
あの、時間がもったいないから僕がどうしても今日、赤坂さんの
お友達でもある、今日ちょうど再放送があるから皆さんに帰ったら
見ていただいて、その判断をしていただきたいと思って、えーっと、
このあいだの新日曜美術館で岸田劉生の特集をやったのね。有名な
あの、切通しの風景。あれを題材にして、絵描きさんと誰かと、それ
から、酒井忠康が出てきて。まあ、あれは岸田劉生の専門家だから
ね、解説してたの。だけどね、僕、今度岩手で対談した時にあいつに
問いただしたいけど、いまいちね、なんかピンと来なかったの。それ
で僕の解釈は違うなあと思って。それは個人的な理由もあって、あ
の切通しの風景ってのは。後で出していただけ……、あ、出るかな?
あの、あれね、あれはね、岸田劉生がそこに住んでたんですけれ
ど、代々木、代々木の風景なんですよ。これはね、あの、恐らく皆さん
すぐにおわかりになると思うけども、近代化の時にあそこに通るか
ら、小田急線を通さなきゃいけない。それから山手通りにぶつから
なきゃいけない。すなわち、機械力によってだけど、初めて土が血を
10
流すようにして盛り上がって来て現れた時なのよ。ね。間違いなく
それに驚いている岸田劉生の目がある。で、それを見ていて、その絵
画史上とか画家の孤独とかなんとかじゃなくて、これはやっぱり
ね、土地が初めて裸形の姿を現した瞬間なの。それが近代の時に、ま
あ道路が出来る時そうじゃないですか、初めて土地が、その姿や色
や裸形を表す時じゃないですか、ね。で、そういうふうにして見ない
と絵描きが孤独だとか絵画史上云々なんて言ってたって全然駄目
だもんね。
もう一つその時僕が思ったのは、今、3.11の後で、私はニーチェの
「ツァラトゥストゥラ」と小林秀雄の「ゴッホの手紙」を集中的に読
んでて。あの「赤坂フィルム」作っていた時にゴッホのこの絵をかけ
ていたんですけどね。ゴッホの自殺した時のあの麦畑の、カラスが
飛んでる麦畑のところがあるじゃないですか。あの真ん中にね、あ
のこんな道があるのよ。でしょ。でね、なぜそれを言うかって言うと
ね、小林秀雄さんってのはあれはね、ランボーやモーツァルトもあ
るけど、ゴッホにぶつかったのが一番あの人をつくったと思うんだ
けども。小林さんがそのゴッホの一番最後の絵に出会ったのは、展
覧会に行ったら、満員でもうぐちゃぐちゃ人がいて見れないから、
憤然として地下に行って、その時に複製で見たらしいの。ね。複製で
あの麦畑の、カラスのいる風景を。その時にね、僕の記憶でちゃんと
確かめてないんだけど、真ん中から肉のような道が現れたって言う
の。で、そういうふうに書いてある。それから音楽的な解釈もして
る。そのお肉のような道、まあユッケみたいな道が出てきたって。そ
れは間違いなく、ゴッホにもあるし、小林さんが感じた何かなのね。
その、宇宙か大地か、初めて裸形になってその姿を現す時。それは私
たちもそういう経験をしているからこんな話になってくるのかも
しれないけども、それは絵画史やなんかを超えている。それから小
林さんはその後ヨーロッパへ旅行して、本物と出会っているのね。
で、本物つまんないって言って。おそらくそれを見た瞬間に感じた
肉、土、道、土地が地を荒らしながら出てきたのを見たっていうの
も、それは小林さんの経験でね。だからこれも僕は、僕も代々木辺り
に住んでたからね、いっつもそう思ってた。これは岸田劉生、間違い
なくこの時に、東京の土のお肉が出てきた瞬間を捕まえたなあ、だ
からあの空が生きてるんだなあ。この、この、なんか影はどう判断す
ればいいのかわかんないけれども、この盛り上がってんのは、なん
か土が裸形で黙って叫んでいるように見えるね。そうしたことを
やっぱりそれは皆さん、科学の問題とか、歴史の問題とか、政治の問
題とか言うけれども、これもそうだけれども、皆が感じている途方
もない深い色とかビジョンとかね、そういうものも、ほんと小さく、
小さく、取り戻どさなきゃいけないっていうのを思いますよね。
赤坂:
あの、切通しが出てくるとは思いませんでした。
吉増:
へへへ。伏線があって、国分寺のハケ(崖)もでてくるわけよ!
吉増剛造×赤坂憲雄
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REQUIEM
〈ボイスリライト〉
赤坂:
鎌倉の切通しはずいぶん歩いていたんですけども、実は4月8日に
小林めぐみ(福島県立博物館主任学芸員)さんと二人でいわきに
行ったんですね。それで、塩屋岬の手前で車を停めて、切通しがあっ
て六地蔵があったんですね。もうその切通し自体は、坂自体はコン
クリートでもちろん固められているんですけども、めぐみさんも僕
もその先に何があるのか全く予期せずにここをちょっと登って降
りた途端に、もう、一面の瓦礫の海が広がっていたんです。まだ撤去
があんまり、ほとんど出来てない。道路を撤去したくらいの状況
11
だったので、まったく予期していませんでしたし、あそこでこの切
通しの上から、世界を見た時の衝撃ってやっぱり凄かったよね。ぼ
くの中での今回の大震災の原風景の一つに……、
吉増:
なるほどね。
赤坂:
……なりました。
その一面の瓦礫の中で、その、位牌とかきっと探している人たち
がまだいて、そのね、感触って言っても不思議でしたね。でま、それ
よりはね、実は、一面の瓦礫の海の中に、鳥居だけが生き残って建っ
ていたんですよ。
吉増:
へえ。
赤坂:
それからぼくは瓦礫の中の鳥居を随分見て歩きましたけれども、
神社は少し高台にあるんで生き残っているケースが多いんですね。
で、その時に、そこにたどり着けないぐらい瓦礫の中の一面にあっ
て、燃えた跡もあったりして、そこに鳥居があって。その上の神社を
お参りしてきましたけども。実は今回僕はそこもう一度を行きたく
て、一週間も前に訪ねたんですね。そしたら瓦礫はもう完全に撤去
されていて、むしろこのもう一度大地の、傷ついた大地が剥き出し
に現れてきている場所をたくさんそこで見ました。これもね、なん
でこれが出てくるんだっていうくらいね、共振れをしてますね。
吉増:
うん。そうだね。それ今、赤坂さんのおっしゃってくださいました
ので、私達もあの、むき出しでとんでもない姿で現れてきている、大
地の裸形のその先の、坂の一番向こうに立つことが出来そうです
ね。あそこへ立って何が見えるか、海坂(うなさか)なのか瓦礫なの
か何か。おそらく岸田劉生はそれを言いたかったのかもしれない
し、だってもう、とても深いです。それと同時に、僕は赤坂さんと
さっき言った酒井さんと山形のあそこで一緒にお話しした時にほ
んとにびっくりしたんですけど、虹色?だったかなあ。初期の作品
の中で、赤坂さんがある場所の写真を撮ってらっしゃる。それがね
え、この切通しに近いんですよ。でその時は少し説明が出きたんだ
けど、そういうところへ行く眼を持っていらっしゃる。で、それが私
の中でも別の直観の筋が別の道が話しかけてきているんです。と同
時に武蔵野で育って、武蔵野のハケ(国分寺崖線)を体験されてらっ
しゃるわけでしょ。その土地が物を言っている。田村坂が物を言っ
ている。自転車が物を言っている。そういうものが、だからお話の回
路によってはいくらでもその筋が出てくる。だけど今日この、なん
とも、なんか裸形の大地の彫刻の、血が流れる彫刻のようにして現
れてきているこの切通しで、そういうお話が聞けたのは、得しまし
たね。専門家の前で。
のべさん?そろそろ時間じゃないの?皆さんのお話しも聞きま
しょうよ。
吉増剛造×赤坂憲雄
CINE上映 +トークイベント
REQUIEM
〈ボイスリライト〉
川延:
どうもありがとうございます。あの、全然時間が長く感じられな
いので。ははは。
12
吉増:
ホントね。 川延:
皆さんも同じ気分じゃないかと思うんですが、えー、一応ですね、
今までのお話を聞いていただいて、若干これから会場の皆さんから
もお声をいただける余裕がございます。今までのお話を受けて何か
会場の方からお声があればぜひお聞かせいただきたいと思うので
すが、何かございますでしょうか。
会場からの声(一人目)
:
あの今回の3.11でですね、いろいろ津波の映像を見たりなんかし
て。さっきもちょっとトイレの近くで吉増さんとばったり会って、
ちらっと震災体験の、ホント短い間なんですが、真っ先にそのこと
話したんです。僕も東京に30年、美術雑誌の編集したりして吉増さ
んの詩の連載もですね、吉増さんの写真と詩と、見開き2ページで、
ずっと何年間か連載させて頂いたりして。で、そのまま郡山にいて
10年、11年ですか、達しますけども、あの震災を体験してから、僕郡
山ですから、それほどひどい被害ではなかったんですけども、やっ
ぱり見方がガラッとなんか変わっちゃたんですよね。なんか物の先
を見るたんびに目の前のものを通してなんかそのどっから生まれ
てくるんだろうとか、それがやっぱり津波とか波のように押し寄せ
てくる角度から見たり、闇の中から見たりなんかそういうのがやっ
ぱりちょっとある。今まで色んな本を読んだりしてても、そういう
ものを頭では分かってたんですけども、まさに自分の実感としてし
てね、なんかずっとそれが焼付いちゃって。
で驚いちゃったのが、さっきたまたまあそこにあった吉増さんの
出たばかりの詩集を見た時に、パッと見たら、あの、去年のね、
「漆
(しつ)」の時の言葉、文章と、あと折口信夫も出てて、僕ぜひ買いた
いなあと思って、でまあ話しかけたんですけども。で、僕も数年前に
折口信夫、まあなんて言うか、この山越阿弥陀像もね、ずっとやっぱ
り印象に残ってて、今日初めてね、繋がったっていうことで、これス
ゴイなと思いますよね。
で、結局ね、今回の震災は確かにマイナス面とか大変な面はいっ
ぱいありますけれども、かえって我々のそういう今までほんとにあ
のリアルに気付かせるためになんか、あの事が起こったんじゃない
かみたいな、逆の発想が出てきましたよね。特に今日のあの赤坂さ
んと吉増さんの話を聞いて、ああ、やっぱりそうなんだと思って、
やっぱそういう断片的に思ったり感じたりする事があったんです
けども、それがなんか、ああそうかこれがやっぱり僕なりの方法で
なんか、やってく一つの柱なんじゃないかなという風にほんと思い
ましたね。特にこの見方、津波でこの山越阿弥陀像を見るっていう
のは、津波とか向こうからやって来て。それをすごい、今日は僕は体
験をさせて頂きました。
吉増剛造×赤坂憲雄
CINE上映 +トークイベント
REQUIEM
〈ボイスリライト〉
吉増:
それね正確に言うとね、
「私の物語なども……」、これ、死者の書の
事よ。こんな見方したりしないからね、誰も。
「 ……要は一つの山越
しの弥陀を巡る小説と言っても良いのである」、すなわち、
「したし
たした」と、なんか大津皇子のあれがあるじゃない。あそこから始
まってるけど。実はこういう、こういうなんか皆がもしかしたら
持っているかもしれないような、こぐらかった夢。そこから始まっ
ているんだって自分で言ってんのよ。だからねえ、すごい。それか
ら、
「あの弥陀来迎図を巡って、日本人が持ってきたらしい神秘感と
いう源頭が、大震災の動揺に刺激せられて目立ってきたらしい」て
いう。すごいものね、こういうビジョンは。だからこういうごちゃご
13
ちゃ夢の中の事を書きますからね、こんなごちゃごちゃした事を書
くの。ところがね、我々はなんか変だな、て事を覚えているもんです
よ。そこが不思議なとこね。
会場からの声(一人目)
:
だからそれが今日は・・
吉増:
だから、ほんとに歩いてやってきたとか、インドからやってきた
とか、ずっと長い、こう、歩いてきた道筋まで見えるような感じがす
るもんね。
他にどなたかいらっしゃいませんか?
会場からの声(二人目)
:
この、山越のね、阿弥陀三尊像を見てね、私は白水のね阿弥陀像に
思いを馳せているんですよね。あの右の方、これ勢至菩薩、ね。救い
を与えようとしているんですよね。そして下の方の、この民衆の絵
ですか。この救いを求めてね。その、勢至菩薩にすがろうとしてい
る。それに対してこの左の方ね、これ観音様ですよね。この観音様が
あの世に行ってる人をつないでいるんですよね……。
吉増:
お話しの間に気が付くけどね、谷戸が重なってこうなってるじゃ
ない。あれ二上山なんかがそうなの。そのね、山がこういうふうに重
なって、だから何かが見える。あの、奈良の二上山ばかりじゃなく
て、いろんな所にあるの。そういう所からこういうビジョンが見え
てくるの。そう言われてみれば、それ自体が、山自体が、波みたいに
見えるじゃない。
会場からの声(二人目)
:
そしてさらにこの観音様がね、あの世に対してね……。
吉増:
そうそう、だから向こうの海とこっちの海の間にそういうものが
立ってきてるようにも見るじゃないですか。だから絵というもの
の、ビジョンというものの不思議ですよ。だから普通絵解きすると
ああいうところから糸引っ張ってね、極楽往生できるんだって言っ
てさ、商売やってるやつとかいるけど、とんでもない話でね。そうい
う、そういうビジョンを……持っていたいね。
藤井:
またさっきの写真の男根の石のように……。
吉増:
ねえ!もしかしたら、代わりに滝が流れててもいいし、あるいは
覗きこんだら瓦礫かもしれないし、ねえ。
足利美術館のキュレーターの篠原くんです。赤坂さんに何かお尋
ねいたします。
吉増剛造×赤坂憲雄
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〈ボイスリライト〉
会場からの声(三人目)
:
じゃあ、すこし、震災から少し離れて、今日、皆さんと見た「The
Voice of 漆」を入口にして、個人的な感覚を話したいと思います。あ
の、
「The voice of 漆」を拝見するのは、これで三回目なんですね。去
年の会津で見たのが最初で、先々月に東京で拝見して、今日三回目
なんですけれども、この中に去年一緒に見た人も何人もいらっ
しゃって、なにか帰ってきたような、ほんとに吉増さんが、冒頭であ
14
げてたような帰ってきたような気分を味わっています。
で、今日は小さなテレビで拝見していて、であの、吉増さんがほん
とにその戻って来られて、ささやいているような語り、実際に吉増
さんがいま、ささやいている感じを受けたんですね。で、最初に吉増
さんが言われた、浮遊という言葉、がどういうものかなと少し考え
ていました。
あの、私は今、漆の芸術祭の関係で頻繁に会津喜多方の方に来て
いまして、ほぼ毎週のように来ているんですけども、それでその、何
度も重ねてきているんですけども、どうしてもこの福島、震災の事
もありまして、どうしても振り切れない、振れ切れないというのが
感覚としてあります。それはその東京から見えてる方たちというの
は同じようなことを考えている方は随分いらっしゃると思うんで
すね。で、そのテンダー、いたわり、あるいは禊のような事がその、こ
の漆(しつ)っぽい、映像の中でも語られていますけれども、そうい
う気持ちはどういう風なあり方で、私たちはどう気持ちを持ったら
いいか、どうしてもその、自身を結びつけれないっていうのがあっ
て自分がこちら側から見ている、何度も見ている、重ねて見ている
んだけども。自分が見られているんだけれども、見られているとい
う感覚を持ちきれないっていうのがあって、それがその自分の浮遊
した気分になっているんじゃないかと思っています。もう一つは、
えー……、今そういう事をずっと考えながら拝見していたんですけ
ども……。
吉増:
赤坂先生何かお話しがございますか?
赤坂:
えーっと、他に何か発言されたいっていう方いらっしゃいません
か?
あの、
「 わかる」ってどういう事なのかなって僕は考えていまし
た。なんか、震災まで我々は「わかる」という事を限りなく薄っぺら
な行為に貶めてきた気がして、それがもう全部チャラになってし
まって、見てわかるのっていうのはほんの世界の一部であって、分
からない事だらけで、その分からないものの前に立ちすくんでそれ
と向かい合う事をもう一度じっくり立て直していくしかないのか
なというそんな思いがしていました。
吉増剛造×赤坂憲雄
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〈ボイスリライト〉
吉増:
今の篠原さんと、それから赤坂さんが伝えて下さった潮騒の事に
つなげて、最初に僕、最後の事を言ったから、とにかく西行さんの名
歌の一つに、東北に来るときに鎌倉の、差し掛かった掛川辺りで詠
んだ歌、
「 年たけて また越ゆべしと 思ひきや いのちなりけり
小夜の中山」て名歌があるじゃないですか。ね。まさかこんな歳を
取って、70ぐらいだったかな、東北に勧進になる時にね、もう一回最
後の中川っていう難所を越えるとは思っていなかったって言って、
まあ、大変な名歌になってるじゃない。だけどこれは歌っている最
中に本人も「おや?またかあ」と思ったわけですね。この「また」って
いうのがおそらくさっきの赤坂さんが聞いた潮騒の小声なのよ。歌
の中で……、歌の中で「また」っていうのを聞くか聞かないかが分か
れ目みたいなとこだよね。だから、憧れ出ずる時に、その「また」って
いった時に、違うほんとに違う物音が聞こえてくるかどうか、それ
を聞く耳を育てることでしょうね、と思います。
さあ今日はでも、赤坂さん。決して出来ないような、お話を皆さん
と一緒に聞かせて頂いて、この末廣の、この場所の力もあったし、会
津の力もあったろうけども、何かとっても大事な時を一緒に過ごす
事が出来て、皆さんに代わってお礼を申し上げます。ありがとうご
15
ざいました。
(拍手)
赤坂:
今日はホストなのに、そんな事を言われるとは思いませんでし
た。
会場からの声(四人目)
:
ちょっと一ついいですかね。ちょっと別な事で。あの、お二人に
ちょっと言うんですけども、うちの娘が結婚してですね、旦那が三
月にスペインに行ってたんですね。あの、技術屋で。で、向こうから
持 っ て き た 新 聞 が 、そ の 読 ん で み る と 日 本 て の は 極 東 で す ね 。
ファーイースト。一面津波の写真が出てるわけですよね。で、原発が
イっちゃったっていう。あの、日本はね、多分海外から見ると飲まれ
て無くなって、もう駄目な国になったという……。そのあと海外で
放映されたテレビ見たら、皆そうなんですね。まあ、あのそういうイ
メージ。
そん時一緒に流された言葉が、東北の人たちは、日本人は強い、す
ごい、辛抱強い、なんか立派だ、暴動も起きない云々。そんなのがや
けに何度も何度も流されていたんですね。あら、それでいいのかし
らと私は思ったんですけど。どんなもんでしょ、と聞くのもなんで
すが。あの、結局ね、もっと、まあそれは、何年も繰り返してきた日本
人の地層的な部分の中にあるから大人しくていいのかもしれませ
んけれども、しかし詩人、あるいは表現者なんかはもっと……、叫べ
とは言いませんが、ここで誰かが何かが違うという事をもっと悲鳴
みたいな、悔しいとか畜生!とかなんかこう、闘う言葉みたいなの
が出てきてもいい様な気がするんですが。このまま終わっちゃって
いいのかなって感じがするんですけど。
吉増:
それはあのお読みになるとわかるように赤坂さんがずい分、その
事をおっしゃって、何度も書いてらっしゃるから。ね、少しその辺を
かいつまんで。
吉増剛造×赤坂憲雄
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〈ボイスリライト〉
赤坂:
あの、僕最近「チェルノブイリの禱り」という岩波の現代文庫に
入っている本を読んで衝撃を受けたんですけども、チェルノブイリ
をくぐり抜けて生きた人たちが語っている言葉を聞き書きで、ルポ
ルタージュのように記録している本なんですけれども、その言葉っ
ていうのが本当に深いんですよ。普通の人たちが、のたうちながら
死んでいく時に残していく言葉であったり、自分の夫が放射能でぐ
しゃぐしゃになってやられて、それを抱きしめながら、最後まで看
取る女性の言葉とか、もう圧倒的に深い哲学の言葉なんですよ。生
きるって何なのか、その根源に横たわるものを言葉にしている。
僕は闘いの言葉よりも、今、福島が直面している体験しているそ
れを、福島の言葉として、福島の祈りとして、きちんと言葉にでき
る。時間はかかると思います。その本だって、10年15年かかってい
るんですね。でもその言葉をきちんと紡ぎ出す事なしには、この闘
いは終わらない。だからそんな簡単に出てくるとは僕は思いませ
ん。でも10年、20年、30年とかけて、そういう言葉を一つでも二つで
も残す事が出来れば、それは大変な事だなあと思います。
吉増:
それで尽きてると思いますけどれも、あの、皆さんご関心がおあ
りかもしれないから、去年ご一緒してトークした和合亮一さんの書
16
かれた本が三冊ぐらいあって売れてるらしくて。ツイッターかなん
かでね。それで僕は萩原朔太郎賞の選考委員で。それが候補に上
がってきたんですよ。候補に上がった事自体がジャーナリズムが、
こう持ち上げてね。だから選考会に行ったらマル付けたのは僕だけ
で、かなり厳しいのね。それで、もちろんそれ精読しましたけども、
問題はねえ、僕もそんな事良く知らないけども、ツイッターってい
う一つの形、形式を使うのもよくやるけれど、よくよく考えてみた
ら、ツイッターていうのは「さえずり」とか「つぶやき」みたいなもん
じゃない。ね。でそれがそういうコンピューター、こういう社会で力
を抜くのはいいけども、根源的にはほんとに人が最も大事にしてい
る心の中のささやきみたいな、呟きみたいなもの、そういうものを
ツイッターていう形でとられちゃあ、しょうがないのね。で、それと
は別なんだけれども、和合さん、僕はとても好きな人で、とっても頑
張っているなあって思うし、いいんだけども。あの、精読してみると
写真が小さくなってて、ほとんど見えないように印刷されていて、
天眼鏡でみるようなことをやりましたけれども、それは素晴らし
い 。見 え る よ う な 写 真 撮 る な ん て あ ん な も の は 駄 目 だ か ら ね 。
ジャーナリズムの写真には、そのメディアの写真はダメだと思いま
す。それはいいんです。しかし、それから「電信柱が傾いています」な
んてのはいい。しかしだんだんだんだん、おんなじ事のつぶやきの
繰り返しになってくる。でね、それはツイッターていうそういう形
で、その良く聞き慣れた言葉が出てくるから伝わるかもしれないけ
れども、もしツイッターだったら、本当に全然違う刃の輝きの短剣
がどんどん立ってくるようなね、そういうものが出てこないと駄目
ね。まあ、そういう選評だけを書いて。まあやっぱりお目こぼしは大
変な重鎮たちの目には駄目だったんだなという。お詫びもしました
けどね。やっぱりそういう面もあるんですよ。空っぽにもそうやっ
て自分で書いてみて、そういう所までたどり着きました。だから赤
坂さんがおっしゃるように本当にその心底出てくるような言葉に
達するにはそれこそ一生かけても自分の中のツイッターなんかに
出会えないかもしれないわけだからさあ。それに似た努力は必要か
もしれませんね。
赤坂:
さて、時間がもう過ぎてます。
吉増:
はい最後に川延。
赤坂:
いやいや、最後にホストがおだてられて止めるわけにはいかない
んで。ゲストの吉増さんに対してお礼を申し上げます。ほんとに今
回僕はこういう時期に吉増さんの『裸のメモ』という詩集に出会う
事が出来たし、その余韻の中で吉増さんと会話を交わすことが出来
たことを本当に幸せに思います。ありがとうございました。
吉増:
ありがとうございました。
皆さんありがとうございました。
吉増剛造×赤坂憲雄
CINE上映 +トークイベント
REQUIEM
赤坂:
皆さん、ありがとうございました。
(拍手)
〈ボイスリライト〉
17
川延:
どうもありがとうございました。あの、一冊ですが、あちらに『裸
のメモ』を見本で置いておきますので、手に取ってご覧になって下
さい。もちろん書店でもお求めいただけます。
『裸のメモ』の中にで
すね、
「レクイエム」と言う詩文、それが一番最初に出版された「プン
クトゥム・タイムズ(PUNCTUM TIMES)」を今日、10部なんですけど
も、そちらが販売も可能だということでお持ちいただいていますの
で、よろしければ、そちらでご覧になって下さい。
どうもありがとうございました。
(了)
吉増剛造×赤坂憲雄
CINE上映 +トークイベント
REQUIEM
〈ボイスリライト〉
18
吉増剛造 赤
×坂憲雄
上映 ト
+ ークイベント
CINE
REQUIEM
︿ボイスリライト﹀