証し(2012年12月1-2日) 宝田あづみ 私が幼稚園生の時、先生がクラスで「神様を見たことがあるお友達はいま すか?」と質問しました。私は、元気よく手を挙げて、 「見たことある!絵はが きで見た!」と答えました。私が見たのは、マリアとヨセフに見守られて飼い 葉桶に眠る小さなイエス様が描かれた絵はがきでした。先生は、 「それは絵はが きで、本物の神様ではないわね。」と言いました。私はがっかりしたのと恥ずか しかっただけでなく、イエス様との出会いでもあったので、今でもそのことを 覚えています。 私は、18歳の時にイエス様を救い主として受け入れました。神様を信じて 間もない頃の私にとって、神様は、天から私を温かく見守ってくださるお方で、 私が努力したことには、いつもご褒美を下さると信じていました。しかし、あ る時から、努力しても神様は私の願いを聞き入れて下さらなくなり、私は絶望 のどん底に突き落とされ、何年もの間、暗闇を彷徨いました。 「私はこんなに努 力しているのになぜ?神様は私を見放されたの?私は価値のない人間なの?」 と苦しみ続けました。 私は神様の言葉である聖書を読み、祈りました。次第に神様の愛に満たされ ていき、イエス様が私の人生を変えてくださいました。そして、私は、自分中 心の生活から、神様を心の中心に置くようになりました。自分の力で何かを得 ようとするのではなく、神様に委ねることを学び、神様に従うことが希望と喜 びであることを理解しました。 ヨハネによる福音書3章16節に「神は、その独り子をお与えになったほど に、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るた めである。」(新共同訳)とあるとおり、神様は私たちのことを愛してくださっ ています。イエス様は単なる絵はがきに描かれた赤ちゃんではなく、私たちを 救うためにこの世に来られました。私たちは、神様をこの目で見ることはでき ませんが、神様は日々の生活の中で働いてくださっています。私は、神様を信 頼し、神様がこの先の私の人生にどのようなことをなさるのか大いに期待して います。
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