ヨットにかけた情熱と神のお導きでGPSと出会った

2005/8/9
投資先社長インタビュー
マゼランシステムズジャパン株式会社
岸本 信弘社長
ヨットにかけた情熱と神のお導きでGPSと出会った
岸本社長は理科系の大学を3年で中退し、神学部
で勉強をし直したという異例の経歴の持ち主であり、
ヨットでは三度の全日本チャンピオンに輝いたスポ
ーツマンでもある。ヨットにかけた熱い情熱を、G
PSという最先端技術にそのまま引き継ぎ、新たな
飛躍に挑む心中を熱く語ってもらった。
クリスチャンファミリーが原点
IGC:社長は東京理科大学の理工学部を3年で中退されて、再度、関西学院大学の神学部に入学
し直したそうですが、何故、神学部だったのでしょうか?
岸本:理科系の大学で勉強していて、科学は日進月歩で進化していきますが、技術が先行してし
まい、何が世の中の役に立つのか、これから先はどうなるのか、何ができるのかというあた
りが、判らなくなってきました。そんな時、自分はクリスチャンファミリーが出発点でした
ので、もう一度原点に戻ってみようと思ったのです。
IGC:牧師様のご家庭ということですか?
岸本:父が昔、カソリック教会の伝道師をやっていたのです。そんな家庭でしたので、高校も東
京の全寮制のミッションスクールで厳しい
しつけの中で生活していました。毎朝午前
5時に起床し、7時から授業が始まり午前
中で終わります。それで昼ご飯の後は学校
の近くの山林を開墾しに行くのですよ。今
でも、開墾や草刈りは、IT業界では一番
上手いと思いますよ。近くの農家の方々に
はとてもかないませんけれど。
IGC:もともと、そういう生活をして来られた、宗教的な素地をお持ちだった訳ですね?
岸本:そうですね。宗教というものは人間にとって大切なものです。ラテン語で「メタフィジカ」
という言葉がありますが、「人文科学の前に来るもの」という深層的な意味合いの言葉なの
ですが、ここに科学と宗教の位置付けが現れていると思います。
大海原の中の自分
IGC:ヨットとの出会いはどんなことだったのでしょうか?
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岸本:小さい頃は、琵琶湖の近くに住んでいまして、父や伯母がヨットをやっていました。3歳
くらいから乗せてもらっていましたが、本当に自分からやりたいと思ったのは、中学生に
なってからのことですね。学生の頃は真っ黒になっていました。
IGC:かなり入れ込んでおられたようですが、ここにも宗教的な意味合いはあったのでしょうか?
岸本:はい。海の上というのは、8キロから10キロくらいの沖合いになりますと、陸が全く見
えません。そこには、有史以前の世界がまさしく存在しています。そして、嵐に揉まれたり
して、ギリギリの体験をしますと、その結果として自分はどういう風に生かされているのか、
と思います。自分が必要なら、神様は生かしておいて下さる、生還できるのだと。まさしく、
神の御胸に委ねられている気持ちになります。
IGC:普通の生活では体験できないことですね。ヨットを続けておられたことも神学部に進まれ
る要因であったのでしょうね。
岸本:結果としてはそう言えるかも知れませんね。
ヨットを通じて社会勉強
IGC:神学部を出て会社勤めをされたということですが、その時お幾つでしたか?
岸本:26歳ですね。
IGC:一般的な社会人としてはスタートが遅いと思いますけれども、その辺りはどうでしたか?
岸本:実は、神学部の学生の時には、ヤマハでヨットスクールのコーチをしていまして、学費も
稼がなければならなかったものですから、社会人ではないにしても、組織人としての感覚
は養えましたね。ですから、26歳の新卒社会人といっても、遅いとかは気になりません
でした。
IGC:ヤマハではどんな部署に所属していた
のですか?
岸本:本部の組織として海洋普及室という
名前の部署でした。ヤマハのヨット
レーシングチームもその組織の傘下
にありました。西宮のマリーナや琵
琶湖で、主として子供達にヨットを
教えていましたし、レースにも出て
いて、ヤマハのお世話になりたかったのですが、ちょうどヤマハの業績のしんどい時で、
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採用がまったくない時期でした。それで、小池産業に入社しました。ヨットは続けました
けどね。
IGC:新しい会社には、すぐに馴染めましたか?
岸本:そうですね、本当の新卒とは違いますから、スムーズに入れましたね。最初の一年間は半
導体プロセス機器の営業を必死になってやりました。それで、翌年にヘッドハントされて
兼松セミコンダクター(現、兼松)に移り、そこでも半導体プロセス機器に関わりました。
一週間のうち、何日も会社の机の上で寝たことがあるくらいハードな毎日でしたけれど、
営業成績は常にトップでした。
IGC:ヨットでの体験に比べれば、まだ楽だったのでしょうか?
岸本:飛行機だったら3、4時間のところを何日も、場合によっては不眠不休で行くのですから、
それに比べればね。この時期に半導体についての勉強が出来たことで、ヨットで培ったナ
ビゲーションとシリコンが合体して自分のバックボーンになりました。そして、それがG
PSなのです。
GPSとの出会い
IGC:何がキッカケだったのでしょうか?
岸本:1987年にオーストラリアのメルボルンから大阪までの二人乗りのヨットレースがあり
まして、どうしても参加したくて会社を辞めるつもりでした。
IGC:会社から何も言われなかったのですか?
岸本:会社からは慰留されまして、給料は払わないが休職扱いでどうか、と言われましてね。そ
れならいいかと思って参加したのですが、運悪くマストが折れてしまい、リタイアしてし
まいました。
IGC:それは残念でしたね。
岸本:まあ、仕方のないことなのですが、艇長
がいて私がクルーでして、色々と意見を
具申したのですが、結果としてはリタイ
アだった訳です。次の91年のレースは
絶対に艇長で出てやると決めました。会
社の好意も断って辞めました。
IGC:その時、結婚はしておられたのですか?
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岸本:レースのために日本を12月に出帆しなければならない状況で、その2ヶ月前の10月に
結婚していました。家内は理解していましたが、双方の家族には知らせていなかったので、
結婚式の時にヨット仲間がたくさん来て、レースのことを暴露されてしまいまして、互い
の両親を怒らせてしまい、ひと騒動ありましたが、結果としては参加したということです。
そして、決断した以上は自分で稼がなければいけません。その時に手を差し伸べてくれた
のが、ヨット仲間だったのです。
IGC:山あり谷ありの中での救い主の登場ですか。素晴らしいお話ですね。
岸本:アメリカ人のヨット仲間がアメリカのマゼラン社を紹介すると言って来ましてね。日本で
代理店を出来る男がいると言って、先方のエンジェルをしている方と親しかったようです
が、紹介のFAXを送ってくれたのです。初めの間は、英語圏の会社で、そんな30歳そ
こそこの若造にできるかと、全然信用されなかったのですが、ニュージーランドからも、
オーストラリアからも、アメリカからも応援してくれる様々なFAXがアメリカのマゼラ
ン社の届きました。
IGC:本当にありがたいことですね。
岸本:当時、日本の大手商社も関心を持っていて、そこと比較されて信用されなかった訳ですが、
友人たちのサポートのお陰で、ようやく総代理店になり、携帯型GPSの国内販売権を取
得することが出来たのです。
IGC:それが、いつのことですか?
岸本:89年ですね。そして、ヨットの方でも、91年に新艇をニュージー
ランドで建造しまして、世界の三大クラシックヨットレースの一つで
あるシドニー・ホバートレースに参加しました。日本人として初めて、
表彰台に上がることが出来ました。
IGC:それは、凄いですね。社長のヨットの戦歴をお聞きしていませんでし
たが、どのような成果を残しておられるのですか?
岸本:全日本では3回優勝しました。
explorist600-2
湾岸戦争の影響
IGC:そうして、GPSの販売に関わって行かれる訳ですが、これまでに大きな影響を受けたよ
うなことはありますか?
岸本:湾岸戦争ですね。ここで、携帯型GPSの有用性が広く認識されることになりました。
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IGC:砂漠の中の戦車同士の戦いでしたね。
岸本:そうです。アメリカ軍はGPSを持っていました。このことは、その後にGPSを大きく
アピールすることになりました。地雷原を走る時に、地雷の位置は予測できても、自分の
位置が判らないと意味がない訳ですね。それをカバーできたということです。
IGC:アメリカの映画でそういうのがありましたね。
岸本:それと、弊社から提供したGPS受信機は、イギリス軍では救急車に搭載されたのですが、
大変感謝されまして、感謝状まで頂きました。この頃に、GPSの有用性が大きくクロー
ズアップすることができたと思います。
日本企業のコンソーシアム組成
岸本:そして、日本のメーカーが動き出した訳ですが、初めのうちは
ボードレベルで買いたいという話からスタートしました。更に
カーナビが登場して来ましたので、一挙に多くの企業が参入し
て来ました。そこで、私からアメリカのマゼラン社に一つの提
案をしたのです。
IGC:どのようなご提案をされたのですか?
Mobilemapper-s
岸本:日本のカーナビメーカーでコンソーシアムを組もう、ということでした。
IGC:その狙いは、どんなところにあったのでしょうか?
岸本:日本側としては大量に共同購入ができる訳です。そうすることで、当然一社あたりが購入
する単価は安くなるというメリットがあります。アメリカ側では大量に安定して購入する
先ができたのですから、経営的にもプラスですよね。
IGC:両者にとってメリットがあったということですね?
岸本:ええ、本当に上手く行きました。それで、アメリカで調印式をやろうということになりま
してね。
IGC:社長も参加された訳ですね?
岸本:はい。その時に、アメリカは当時クリントン政権だったのですが、商務長官のロン・ブラ
ウン氏が来てくれました。
IGC:何か良い話が出たのですか?
岸本:今回のこの取引には、二つの大きな意義がある、と言いましてね。一つは、軍事技術の平
和利用である。もう一つは日米の貿易摩擦の緩和である。と、大変な賞賛をしてくれたの
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ですよ。
IGC:なるほど、当時の技術や、経済的・社会的背景からすると、大きな出来事であったという
ことですね。
岸本:そうですね。本当にうれしかったですよ。
GPSと通信手段の組み合わせ
IGC:これからの課題としては、どんなことがあると考えておられますか?
岸本:通信手段というのは、まだまだ進歩すると思っています。そういう過程の中では、GPS
と通信手段を上手く組み合わせてこそ、初めてGPSの機能をフルに発揮できると思いま
す。例えば、既に携帯電話には搭載されていますけれども、それがIP携帯電話であって
もOKであるとか、これから出てくると考えられる様々な新しい通信手段に対しても、充
分に対応して組み合わせられるようにして行きたいと思っています。
IGC:カーナビシステムからどんどん発展して行っているということですね。社会的な要求とし
ては、徘徊老人の問題ですとか、或いは子供の誘拐なども大きな問題としてある訳ですか
ら、携帯電話搭載型GPSがもたらす効果は大きいですね。
岸本:そうですね。自分の位置の特定だけではなく、相手と双方向で位置が確認しあえるという
ことは、コミュニケーションの手段としても大きいと思います。
IGC:その上で映像も送れるということだと、災害の時にも大きな威力を発揮しそうですね。
岸本:そういうニーズも出て来るでしょうね。そのような技術との組み合わせをやって行こうと
いうことです。
IGC:例えば、消防士のヘルメットにCCDカメラを付けてGPSがセットになっていて、しか
も双方向通信ですとか、数箇所に同時配信できるようになれば、消防の現場などでは役に
立つでしょうね。
岸本:ヘルメットの頂点にアンテナを付けれ
ば、感度は上がるでしょうから、面白
いかも知れませんね。
海外との連携
岸本:今、測位衛星が各国の自前で打ち上げ
られているのですが、これをハイブリ
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ッドに活用する技術をものにしたいと思います。現在使用している測位衛星の何倍ものネ
ットワークになるので、従来だと電波の届かなかったところに別の衛星を介して電波が届
くようになれば、死角がなくなるようになります。中国の「北斗」やヨーロッパの「ガリ
レオ」などと包括的な協業契約を結ぶことが出来れば、大きなステップアップになると思
います。
IGC:死角が無くなるということは大きいですね。
岸本:GPSの市場というものは2025年まで拡大が持続すると予測されています。世界中の
測位衛星が活用できるようになること、新しい通信技術と融合することなどによって、ま
だまだ伸びると思っています。
会社は利益率の高いビジネス
岸本:世の中では「キリスト教は儲けはダメだ、と教えている」と思われているところがあるよ
うですが、キリスト教の教えでは、儲けてはいけない、とは言っていないのですね。旧約
聖書の「ヤベツの祈り」では、そのままに「私の領土を広げて下さい」と表現されており
ます。関西学院大学でも設立母体となったメソジスト会の創始者である、ウェスレー師の
教えで「大きく求めなさい、大きく守りなさい、そして大きく与えなさい」という理念が
あり、それが「奉仕の精神」につながっています。企業の理想は、社会に貢献することで
す。同じことをキリスト教も言っていると思います。利益率の高いビジネスを追求するこ
とで社会に役立つ会社になるということは、私にとっては大きな使命であると思っていま
す。
IGC:神学部で学ばれたことが、会社の経営に生きているということですね。
岸本:会社の規模ばかりをむやみに拡大しようとか、まったく思いません。少人数でも確かな組
織を築いて、しっかりと利益をあげていくことで世の中への貢献は出来ると思っています。
能勢発世界ベンチャーへ
IGC:今回は、ご自宅兼本社ということで、
能勢の方まで伺いましたが、ここにも
社長の思いがあるのでしょうね。
岸本:もともと、大阪市近郊に事務所を持っ
ていましたが、本社として登記をする
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に際して、移転するたびに変更するのもその都度手間がかかります。せっかくこのような
自然環境の良いところに本拠を見つけましたので、いっそのこと本店所在地にしてもいい
だろうということで、新たに登記した次第です。当地は確かに過疎の村ですが、地理的な
ハンディを克服し世界に誇る最先端技術を発信し続ける企業として、これからも頑張って
行きたいと思っています。
IGC:今日は、どうも、ありがとうございました。
【語り手:岸本 信弘(きしもと・のぶひろ)=マゼランシステムズジャパン社長、
訊き手:IGC 濵田 愼豪(はまだ・しんごう)=池銀キャピタル投資管理部
2005 年 7 月 29 日】
池銀キャピタルの投資先社長インタビュー・シリーズ
はこちらからhttp://www.ikegin-c.jp/ikegin-c/
HTU
UTH
自宅兼本社の窓から見える能勢の風景
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