お客様の喜びの声が聞きたい - 池田泉州キャピタル株式会社

2005/12/5
投資先社長インタビュー
株式会社ハウスフリーダム
小島 賢二社長
お客様の喜びの声が聞きたい
ハウスフリーダムは、不動産の仲介からスタート
し、徹底した地元密着型の多店舗展開を行い、分譲
事業へも進出して来た。その原点は小島社長が営業
社員時代に経験した、「お客様の心からの喜びの声」
を聞いたことにある。その時に不動産業を天職だと
思ったという小島社長に、その思いを聞いた。
スタートは学生時代のアルバイト
IGC:小島社長が不動産の仕事をやろうというのは、
いつ頃からお考えだったのでしょうか?
小島:不動産の仕事に携わったのは、今から 20 年
くらい前なのです。高校生の頃にアルバイト
をしまして、そのアルバイトが住んでいた町
の不動産会社のチラシ配りだったのです。
IGC:20 年前というと高校生ですか?
小島:そうです。その時に、社員の方の中に、いかにも不動産屋さんという感じではない、当時
まだ 25~26 歳の方がいらっしゃいまして、今でもお付き合いはしているのですが、すごく
一生懸命教えてくれるのです。一日 2 時間ほどのアルバイトのチラシ配りの者に、「このチ
ラシ配りの仕事が如何に重要な仕事か。」と、「一生懸命配ったチラシが、住んでおられる
人達の目にどういう風に留まるか。配り方一つで、目に留まり方が違う。ポストに入れる
のでも、投げ込むのでも、そのやり方一つで変わって来る。」ということを一生懸命教えて
下さったのです。
「そのチラシが、本当に家を欲しい方の目に留まって、人生に一回あるかないかの、家の購
入に発展して行くのだ。
」という訳です。「だから、気持ちを込めて、一生懸命やらなければ
ならない。」と。他の方は「配って来い。」と言って終わりなのですが、その方は一緒にチラ
シ配りをしてくれるのですね。自ら率先して教えて、やって見せて、ということをその方だ
けがやってくれました。たまに、中古住宅の掃除などもあったのですが、指示するだけでな
くて一緒にやってくれるのです。その方の言葉の中に「家というものは、一生に一回、多く
ても二回、三回くらいの、普通の人がする買物の中では、一番高額な買物だ。」というのが
あって、如何に夢のある仕事であるかということを教えてくれました。アルバイト期間は数
ヵ月でした。その後、学校を卒業して、趣味でオートバイに乗っていたこともあってバイク
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屋さんに勤めていたのですが、20 歳の時に、今のままでいいのか、と思うようになりまし
た。
IGC:趣味のバイクを仕事にしたのは、機械いじりが好きだったとか、そういうことですか?
小島:そうですね。機械いじりは好きでしたね。乗るのも好きでしたし。学生の頃から通ってい
たので。それで 2 年ほど勤めて、20 歳の時に将来のことを見つめた時に、自分のやりたい
ことが、このことなのか、どうなのか、と考えました。ずっと考えて行くうちに、その人の
言葉が甦って来ましてね。夢のある、将来のある仕事だ、というのを思い出しまして、思い
切って、決意したのが本当のキッカケです。
人との出会いから天職へ、そして独立へ
IGC:その人との出会いが一番大きいということですか?
小島:その人との出会いがなかったら、不動産の仕事はしていませんね。
IGC:まだ、お付き合いがあると言っておられましたね。
小島:今は、独立されて、奈良で、お一人で不動産会社をやっておられます。
IGC:では、小島社長が業界の中で頑張っておられることもご存知ですね。
小島:はい、今でも、何かあったらすぐ、連絡を頂いています。応援して下さっています。
IGC:ありがたいことですね。
小島:本当にそうですね。この人との出会いなくして、今の私はありません。もちろん、業界に
入ってからも、たくさんの良い人にめぐり合えたからですが。
IGC:最初に、やはり、出会いありきですね。
小島:これは、非常に大事だと思いますね。
IGC:こういうお話は、皆さんがされるのですが、誰かアドバイスをしてくれた人があったとい
うことが、ものすごく大きいということですね。
小島:そういうことです。それで、私も地元松原の不動産会社に入りまして、その時の上司にも
恵まれました。営業をやり始めて 1 年後に、あるお客様と出会いましてね。当時は、今ほ
ど物件の数がなくて、価格も値下がり傾向でした。子供さんの関係で、家を探しておられ
たのですが、年齢は当時 33~34 歳くらいのご夫婦で、小学校と幼稚園のお子さんがいらっ
しゃって、学校の校区内で家を探して欲しいと言われました。今の家は中古で買ったので、
次は新築の家に住みたいということだったのです。その願いを叶えて欲しいと話をされま
してね。探しているけれど、なかなかないのですよ。本当になくて、6ヵ月くらい経ちま
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した。私に相談される前にも、他の業者の人にも随分相談しておられたのですが、物件が
ないものですから、業者の方からも段々と連絡がなくなって来るのですね。諦めかけてお
られた頃に、たまたま、近くの分譲現場を任されることになりまして、早速、そのお客様
に連絡させて頂いたのです。そうすると、場所も良し、価格も良し、大きさも良し、とい
うことで、すぐに購入の意思表示をされまして、こんなに長いこと探していたので諦めか
けていたということでご購入頂いて、ご自宅の売却の方もご依頼を受けまして、それもス
ムーズに行きました。
IGC:何戸くらいの開発だったのですか?
小島:12 戸くらいだったと思います。それで、
家も建ちまして、入居されました。まだ、
他のお客様もありましたので、その後も、
時々その現場に足を運んでいたのですが、
入居されて 2 週間後くらいに、「どうです
か。」と訪ねてみたのです。勿論、昼間で
すから、奥様しかいらっしゃらなくて、
引越し後の片付けもまだ終わっていないと
いう状況だったのですが、たわいのない話
開発物件の一例(本文とは関係ありません)
の中で、奥様が「小島さん、本当にありがとう。」と言って下さいました。「私の方こそ、
ありがとうございます。
」とお返ししましたら、奥様が「照れくさい話だけど、毎朝、主人
と顔を見合わせて、笑っているのよ。小島さんに頼んで良かったって。他の会社の人は連
絡もくれなくなったのに、小島さんは良い家を見つけてくれて。本当にありがとう。」とい
う言葉を頂きました。その時に、私は「これは、自分の天職だ。」と思いました。それまで
も、一生懸命やって来て、お礼を言われたことはありますが、ここまでしみじみと言われ
たのは初めてだったので。
IGC:それだけ、必死になって探しておられたのでしょうし、見つからなかった時間も長かった
ということでしょうし、社長からすると、抜群のタイミングで物件の話が来た訳ですね。
小島:はい、私としては、ものすごくついていたのでしょうね。お客様にとっても良い結果でし
たしね。でも、ここまで言って頂けたということが、初めてでしたから。
IGC:あけすけにね。
小島: ええ、これは、もう自分の天職だと。今までやって来た考え方で正解だったと、思いまし
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た。その時に、もっともっとこの仕事をやって、ありがとうという気持ちをお客様に言っ
てもらえるように、自己満足ですけれど、そういう気持ちにお客様になってもらいたいと。
そのためには、勿論商売ですから、儲けないといけないのでしょうけれど、それも必要で
すが、それ以外のところでのそういう気持ちがないと、それは出来ないな、そうすると、
自分でやるしかないな、と思いました。これが独立したいと思ったキッカケです。
IGC:天職と感じたところで、独立ということを決心した訳ですね?
小島:そういうのが見えたと言いますか、これはその方向に向かって進むしかないな、と思いま
した。自分一人では、限界がありますから、そういう考え方を共有できる者と一緒にやれ
ば、倍までとは言えないかも知れませんが、単純に、一人より二人、二人より四人の方が、
倍のお客様に喜んでもらえますし、必ず、そのやり方なら、商売として成功するだろうと
思いました。
もう一つの出会い
IGC:亡くなった会長との、パートナーとしての出会いもあった訳ですね。
小島:これも、面白いと思うのですが、私が不動産会社に転職した頃に、父親が家を売って田舎
に帰るということになりまして、不動産会社に勤めて間のない頃でしたので、自分ではど
うしていいのやら判らないような状態でした。
IGC:不動産屋のくせに判らんのか、という感じですか?
小島:そうです。私の会社と営業エリアが違うということもあったのですが、父にしてみたら、
バブル後で不動産が値下がりし出していたので、早く売りたいと思ったのですね。それで、
地元の不動産会社に頼むということになって、父は自分で動いた訳です。色々な不動産会
社に声をかけたようですが、その時にうごいてくれた人が、たまたま、後の会長だったの
です。自分のパートナーになる人と、自分の父の方が先に知り合いになっていたのです。
IGC:親の物件をさわってくれた人だったということですか。
小島:その当時は別々の会社にいましたし、会社同士の付き合いがあった訳でもありませんから、
父親から聞くには、サッパリとしていて気前の良い感じの人で、気持ち良く決めた、とい
うことを聞いていまして、どんな人かな、会いたいな、と思っていました。でも、なかな
か、お会いする機会がなかったのです。それから、1 年後くらいですか、たまたま、彼の
会社に行く用事を見つけて行ったのです。会えたらラッキー、くらいの気持ちで。丁度、
居ましたので会いますと、向こうも一度会いたいと思っていました、ということだったの
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です。それからですね。
IGC:先方は先方で、小島さんのボンボンが、不動産をやっていると知っていたのですね。
小島:そうです。父から聞いていたのですね。エリアも違うし、入ったばかりで判らないし、と
いうことでね。
IGC:そうすると、キッカケということでは、お父さんの存在も大きいですね。
小島:はい。すごい偶然の出会いでね。それで、自分としては、独立しようと思っていたので、
会社を辞めました。
IGC:それは、幾つの時ですか?
小島:3 年経っていましたから、23 歳でした。
IGC:パートナーは幾つだったのですか?
小島:29 歳ですね。6 つ違いですから。
IGC:29 歳と 23 歳で会社を興したということ
ですね。
小島:いえ、その間に別の不動産会社に一度入
って、そこで、彼と一緒に仕事をしたのです。
IGC:その方も、前の会社を辞めていたということですか。
小島:これも、偶然だったのです。示し合わせた訳ではないですから。
IGC:何か、色々な偶然が、いずれ必然になって行くのですね。
小島:本当ですね。それで、その会社に事情があって閉めなければならないということになって、
しばらくブラブラしていましたが、結局二人でやろうということになりました。
IGC:そのブラブラの期間はどれくらいでした?
小島:1 年くらいです。
IGC:その間は何をしていたのでしょうか?
小島:知り合いの不動産会社を手伝っていました。
IGC:ということは、バイクショップの 2 年間を除くと、ずっと不動産に関わって来られたとい
うことですね。
小島:そういうことですね。
ハウスフリーダムの誕生
IGC:会社をやろうというのは、どちらから持ちかけたのですか?
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小島:どちらから、ということではないですが、せっかく知り合ったので、このまま一緒にやり
たいなということもお互い話していたのですが、いざ、その局面になったら、かなり説得
されました。
IGC:しかし、例えば、前の会社から暖簾わけをしてもらうということではなくて、一から二人
で会社をやるというのは、大変だったでしょうね。組織としてやって行かなければいけな
い、個人商店ではない、という辺り、どうでしたか?
小島:会社自体の設立・登記などは、不動産の仕事柄、司法書士の先生を知っていましたから、
問題なかったのですが、決算は大変でした。申告も含めて、何も知りませんでしたから。
IGC:その辺りの弱点を、どうやって克服しましたか?
小島:先ずは、知り合いの人に頼んで、手伝ってもらいました。そのうちに会計事務所を紹介し
て貰って、自分達で帳簿をつけながら、覚えて行きました。
IGC:最初の頃の仕事はどんな風だったのでしょうか?
小島:当初は、仲介の仕事でしたので、うちで物件を買って、というのは、だいぶん後になりま
す。暖簾わけではないのですが、それまでの経験の中で、色々な事業主の方の物件も手掛
けて来ましたので、そういう方々から、うちの物件を取扱ってくれても良いよ、と言って
頂けたりしまして、仕入れということではないのですが、売る物件はあったのです。
IGC:売る物件をチョイスする訳にはいかないけれど、在庫となるような物件情報は既にあった
ということですか。
小島:言い方を変えればそういうことになりますかね。
IGC:適切な表現ではないかも知れませんが。
小島:在庫と言いますか、物件の仕入れではないのですが、物件を仕入れられた方が声を掛けて
くれるということだったのですね。
IGC:応援団のような方が、たくさんいらっしゃったということですね。お二人の歩んで来られ
た中で、悪い評判があったら、あり得ないことですね。
小島:それはあると思います。それと、バブルが弾けてからしか、私たちは見ていませんので、
バブルが一体どういったものであったのか、ということも想像の世界でしたから。
IGC:逆に言うと、ご存じなくて、幸せでしたね。
小島:そうかも知れませんね。不動産に入ったのが平成元年で、国土法が厳しくなって、それか
ら何か、おかしくなりましたから。結果として、色々な人を見させて頂きました。という
か、色々な勉強をさせて頂きましたね。その時に、分譲するなら土地を長いこと持ったら
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イカンな、と思いました。
IGC:今はどうですか?
小島:今も同じです。長く持ってはいけないと思います。これは、個人のお客様が、一生に一度
の買物として家を買われることとは、価値観が違いますので。
仲介の利点を活かし、建売へ
IGC:いつくらいからですか、自社で開発をしようと思ったのは?
小島:平成9年くらいですかね。
IGC:会社が出来て2年後ということですね。仲介を中心にやって行って、実績も出来て来て、
売れるという自信ができたということですね。
小島:はい。仲介がメインでしたので、地場の細か
いニーズが、良く判るのですね。建売業、分
譲の専業の方ですと、なかなか踏み込めない
ようなところ、例えば、その物件が売れたら
終わり、というところがあると思うのですが、
我々の場合は、常に地域の物件を扱っている
訳ですから、市場の動向も手に取るように判
るのです。一例を申しますと、ここの近く、同じ阿保でも、道のこちらと向こうでは、値
段が全然違います。人気が違うとか、学校が違うとか、そういうことまで、地域に入ると
判ります。同じ町名で、何丁目まで同じでも、坪単価がこことあちらでは何万円も違う、
ということがあります。
IGC:地域の細かな住民感情まで把握しているということですか?
小島:そうです。ですから、ここで分譲事業をやれば、十分販売できるはずなのに、何故、他の
業者さんはやらないのだろう、とか思っていましたからね、その頃は。
IGC:それで、開発までやろうということになったのですね?
小島:最初は、大きい開発は出来ませんから、ここの 50 坪くらいの土地を二つに切って販売しよ
うか、と。私どもは、相場を適確に把握していますから、この値段で売れるというところ
が、外から見ると、その値段では売れない、となるのですね。逆に、我々にしてみたら、
もっと高い値段でも売れる、とかね。そういう相場観の違いは出て来ますね。
IGC:仲介をやって来た強みというものが出ているということですね。
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小島:出て来ていますね。
IGC:地域情報というのは、大きいですね。
小島:地域のニーズというのは、入り込まないと判らないですから。
地域に根ざす=当たり前のことをやっているだけ
IGC:その入り込むために、何か特別なことをした、ということはありますか?
小島:いいえ、極々一般的な、当たり前のことですけれども、地域の物件を全て取り扱いしてい
るということです。広告を入れて、お客様からの買い情報ですとか、売りたいという情報
ですとか、そういうものを集めておけば、見えて来ますよね。
IGC:そうすると、特別に、地域の活動、例えば、小学校に協力してあげるとか、そういうこと
をしてあげるということではなくて。
小島:そこまでのことはしていません。取り敢えず、自分達が通常の営業活動の中で、つぶさに
見聞きして来たことを活かそうということです。
IGC:普通のことのようですが、それがまた、一番難しいということですね。
小島:逆に言えば、特殊な能力は要らないので。
IGC:それをずっと続けている、ということですか?
小島:会社を作ってから、ずっと続けています。それを全国的に広げて行きたい、という風に思
っているのです。
IGC:会社案内やホームページを拝見しますと、今は尼崎の方まで進出されていますね。
小島:はい、ございます。
IGC:今、全国展開というお話が出たのですが、いずれ果たしたいということですね。
小島:仲介で、地域に根ざして、その上で分譲事業もやっているということで全国展開している
会社はないと思います。分譲事業に特化しているとか、分譲と仲介を別会社にしていると
か、ということは、あると思いますが。仲介で地域のニーズを汲み上げて、それを分譲事
業に活かすというのはないはずですので、これこそ、お客様に「ありがとう。」と言って頂
けるやり方ではないかと思います。
IGC:手応えはどうですか?
小島: 現時点では、十分にありますね。もっともっと、やりたいのですが、足許を固めて行かな
いといけないし。
IGC: そういう意味では、先ず、今のタイムスケジュールからしても、株式の上場というところ
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が、本当に重要ですね。
小島:本当にそうですね。会社の知名度にしても、人材の確保にしても、勿論、資金という面も
ありますけれども。
IGC: 今、会社の営業規模はどれくらいになっていますか?
小島: 11 店舗で 100 人弱ですね。それと新たに九州にも進出し営業を行なっています。
IGC:実際の販売とかではなくて、情報収集ということですか?
小島:新しいエリアですので、情報収集も含まれますが、既に宅建業免許も下りております。現
在は地域の業者様との関係構築等の地盤固めを行なっている最中です。
来期以降は、近畿圏と同様、九州地区にも力を入れて行きたいと思っています。
IGC:どういう風にやって行けば良いか、ということを探っているということですかね。
小島:ええ。
IGC:地域性という話が、全国エリアにまで展開が大きくなった時に、どのようにして、対応し
て行こうと考えておられますか。今までのような、狭い地域の中での、地域性のちょっと
した違いを知ることによる優位性というのは、全国展開という大きな渦の中で、発揮でき
ると思っていらっしゃるのでしょうか?
小島:結局は、人と人とのつながりですし、人と人とが出会って、その上で仕事なり、何なり、
発展して行くと思っていますので、その問題をそんなに大げさには考えていません。それ
があって初めて、どんなことでも、上手く行くのではないかな、と思っていますので。
IGC:つまり、社長のポリシーは、結局、最初のところに尽きるのですね、人との出会いという
ものに。
小島:はい、多少は、地域の違いというものはあるかも知れませんが、同じ「人」ですから、そ
んなに 180 度も違わないと思います。特に、我々のように、地域に根ざした店舗作りをや
って行き、入り込めば入り込むほど、逆に強みになって行くと思います。
IGC:株式を上場すると、今までのように特定の株主だけということではなくなり、誰もが売り
買い出来るということになりますが、そこで何か特別に、株主対策のようなことは考えて
おられますか?
小島:いえ、会社の安定した成長こそが、株主様への還元ではないかと思っていますので。
パートナーの死を乗り越えて
IGC:良きパートナーであった会長が亡くなったのは、昨年の夏でしたか?
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小島:8 月です。
IGC:急なことで、驚かれたでしょうね。役割分担は、どうなっていたのですか?
小島:業務全般は、私が見ていましたが、土地の仕入れなどについて、力になって貰っていまし
た。
IGC:会長という、ある意味で後ろ盾という立場の方が、急にいなくなるという、ショッキング
なことだったと思いますが。
小島:そうですね、最初から二人でやって来ましたから。
IGC:どんなところで感じましたか?
小島: 私の場合は、常に現場を見ています。現場に入って見ていますが、ちょっと離れたところ
から見てくれる、というところがありましたからね。
IGC:ものごとを俯瞰して見てくれるということですかね。
小島:それを今、一人で両方しないといけないので、大変です。
IGC:ものすごく大変なことですね。
小島:ただ、急逝された結果として、私一人では大変だということを、理解している者が回りに
出て来ました。
IGC:スタッフが育って来たということですね。
小島:そうですね。やはり、人です。
【語り手:小島 賢二(おじま・けんじ)=ハウスフリーダム社長、
訊き手:IGC 濵田 愼豪(はまだ・しんごう)=池銀キャピタル投資管理部
2005 年 11 月 18 日】
池銀キャピタルの投資先社長インタビュー・シリーズ
はこちらからhttp://www.ikegin-c.jp/ikegin-c/
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