“花の都”パリの変遷

古代ローマ時代
ルテティア
12 〜17 世紀
現在の市境
紀元前 1世紀
パリ
18 〜19 世紀
20 世紀〜現在
採石場
石灰岩
ジプサム
(石こう)
メトロ
12 世紀
16 世紀
1163 〜 1345 年 | ノートルダム大聖堂
18 世紀
19 世紀
1672 年 | パリ天文台
1836 年 | 凱旋門
1900 年
1889 年 |
エッフェル塔
1934 年
2010 年
1900 年 | グラン・パレ
1989 年 | グランダルシュ(新凱旋門)
–0m
ガス管、電話線、電線
採掘された
丘陵斜面
駐車場
教会の地下納骨所
陥没
パリの地下の様子を知
るきっか け に なった の
は、多数の死者を出した
導水管
1774 年の陥没事故だ。
露天掘りの採石場
紀元前 1 世紀
テティア(のちのパリ)を建設
したローマ人は、丘の斜面を
シュで、採石場は地下に拡
掘って石灰岩を切り出した。
大した。坑道を支えるため
に、石灰岩を柱状に残す工
夫が施された。
地域急行鉄道網( RER )
市内のメトロ網と郊外を
結ぶ路線として 1970 年
水道本管
–9
代に開通した。
IGC 専用
マンホール
– 13.5
– 22.5
15 世紀
地下で切り出した石は、巨大
な巻き上げ機で地上に引き揚
げられた。当時、地上部分は
農地などに活用されていた。
16 世紀
技術発達で掘削の効率が
上 がった。 切り出した 後
の空間は石材にならない
廃石で満たしたり、石積み
の壁や柱で支えられた。
“花の都 ” パリの変遷
陥没と
カタコンブ
18 〜 19 世紀
採石場の天井が浸食によっ
第二次世界大戦時の
掩蔽壕(えんぺいごう)
採石場跡に関しては長い間、詳細が知られていなかったが、1774 年の大規模な陥没事故を
きっかけに、ルイ 16 世が地図の作成を命じた。地図作りは採石場跡総合調査局( IGC )に
引き継がれて現在も行われており、地図をもとに採石場跡の発見や補強に当たっている。
石灰岩が最後に採掘されたのは 1860 年、ジプサムの採掘は 1873 年まで続いた。
– 27
IGC 専用トンネル
調査官によって、採石場跡
て崩れると、鐘状の穴が開
の地図が作られ始める。そ
く。それが地表にまで達す
のために新たなトンネルが掘
ると、陥没が起こる。
人骨が採石場跡に初めて運
られたり、坑道の補強などが
び 込まれたのは 1786 年。
進められた。
1800 年代初頭には、整然
進化するメトロ
20 世紀
1900 年の万国博覧会をきっ
と並べられるようになった。
かけに開通したパリのメトロ。
– 31.5
地下水面
– 36
現在は世界有数の過密さを
誇る交通網となっている。
パリの地下は歳月とともに独自の姿を形成してきた。石灰岩などが採掘されたからだ。
86
メトロ
最初に建設された
メトロは地表の近
くを走っている。
– 18
採石場の拡大
12 世紀
1100 年代後半の建設ラッ
セーヌ川のシテ島を中心にル
下水道
1800 年 代 初 頭 に 2 度
のコレラ禍に見舞われ
たのを機に、下水道網
が整備・拡大された。
– 4.5
パリ
フランス
ALEJANDRO TUMAS; AMANDA HOBBS, NGM STAFF ART: HERNAN CANELLAS
MAPS: SAM PEPPLE, NGM STAFF CITY SKYLINE: JORGE PORTAZ
SOURCES: GILLES THOMAS; INSPECTION GENERAL DES CARRIERES
東西高速メトロ
( 14 号線)
運転手がいない、
自動運転のメトロ
路線が 1998 年に
開通した。