2006/06/23 投資先社長インタビュー カルナバイオサイエンス株式会社 吉野 公一郎社長 会社が2度変わっても、研究所仲間の絆は変わらなかった 吉野社長はカネボウの新薬事業の研究所長をしてい たが、カネボウから日本オルガノンへの事業譲渡の 後、オルガノンの事業領域特化に伴い、スピンオフ ベンチャーとしてカルナバイオサイエンスを立ち上 げた。会社経営という、薬の研究とは全く異なる仕 事に苦労したが、社員の絆に助けられて乗り越えて きた。その経験談を語ってもらった。 スタートはカネボウの研究所 IGC:社長が薬の研究というお仕事に関わって来られたのは、昔からこの分野に関心があったと いうことでしょうか? 吉野:そうですね、昔から薬に大変興味がありました。もともとは有機合成化学をやっていたの ですが、その頃のカネボウという会社は医薬品もやっていたので、たまたま大学院の研究室 の先輩が就職の誘いに来たのです。一緒にやらないかと。 IGC:大学院の先輩ですか? 吉野:そうです。その誘いに乗りました。 IGC:その頃から、今のような分野、タンパクの研究をされていたのですか? 吉野:その頃は、まだ分子生物学とかはなくて、昔ながらの方法で薬を作っていました。昔は合 成化学者が化合物を作って、それを動物にいきなり投与して、効くかどうかということを やっていました。今は、殆どそういうことはやらないで、先ず、病気と関係のある遺伝子 を見つけて、その遺伝子が病気と関係があると判ったら、それをタンパクにして、そのタ ンパクを阻害する薬を試験管の中で見つけて行く。そうして、いいものが出来たら、次の ステップとして動物で試験するという流れでやっています。ゲノム創薬というものです。 ゲノムによる大きな変化、画期的な薬の登場 IGC:クリントン大統領の時にゲノム解析の完了が発表されたかと思いますが、やはりあれから 大きく変わりましたか? 吉野:医薬品を作る流れが、大きく変わりました。昔は、病気の原因となる遺伝子とかタンパク が何かが良く判らないまま、この動物のモデルが人の病気に似ている、この動物の病気を 起こしている原因は良く判らないのですが、たまたまこれが人の病気に似ているからとい うことで、いきなり投与して、効いたら人にも効くのではないかというやり方でした。依 1/8 然としてその薬が何を抑えているかは判っていないのですが、人に効いたから薬にしよう という流れでしたね。 今は逆に、先ず、病気の原因は何なのか、ということです。その病気の原因となる遺伝子 を探して、それを抑える薬を見つけるのです。だから、癌なんかでは特に分子標的薬と言 っています。 IGC:標的ですか。 吉野:はい。病気の原因になる遺伝子、分子を見つけて、それに合う、それを阻害する薬を作っ て行くのです。 IGC:癌は、ある程度、抑えられるということになって来ているのですか? 吉野:癌は、そういう流れで、最近、画期的な薬が出来ています。特に、我々が目指しているの は、キナーゼという酵素ですが、体の中に約 600 種類くらいあって、体の中の色々な信号の やり取りに、非常に重要な働きをしている分子なのですが、癌なんかだと、その信号が行き 過ぎてしまって、例えば細胞が殖える時に、細胞が殖えなさいという信号がずっと入りっ放 しになってしまうと、細胞は無限に増殖を続けてしまうのですね。その信号を伝えるキナー ゼというタンパクが、少し構造が変わってしまって、信号が入りっ放しになってしまう。 IGC:それが癌細胞ですか? 吉野:はい。そういうことから、そのキナーゼを抑える薬を投与すると、細胞の増殖が止まって、 癌の治療が出来るのではないか、という考え方に基づいて作られた薬が、今から 5 年ほど 前から、段々と出て来る様になりました。それらが、非常に画期的な効果を出しています。 一番最初に出来たのは、白血病、慢性骨髄性白血病という病気に対してです。従来の薬と いうものは、この病気に対して 1 年以内に効かなくなって患者さんは死んでしまっていた のです。 IGC:体が薬に慣れてしまって効かなくなるということですか? 吉野:そうですね。癌がその薬に耐性を獲得してしまって、効かなくなってしまう。で、骨髄移 植が唯一の治療手段だったのですが、ドナーのいない場合には、1 年以内で亡くなってし まいます。ところが、その白血病の原因になっている ABL というキナーゼがあるのですが、 そのキナーゼを阻害するクリベックという薬が、ノバルティスという会社によって作られ たのですけれど、その薬を投与された患者さんの 80~90%は、5 年間生存しているのです。 薬だけで生存できるようになったという画期的な薬なのです。 2/8 薬の開発にはロマンがある IGC:動物実験から始めて色々なステップを踏んで、時間をかけて開発される訳ですが、薬とい うものは、ものすごく時間とお金のかかる「ものづくり」のひとつだと思います。そうまで してやるというのは、そこに皆さんのロマンのようなものがあるということでしょうか? 吉野:そうですね。まだ、良い薬がない病気が山ほどあって、苦しんでいる患者さんがたくさん いらっしゃるのです。癌のように生きるか死ぬかという病気もあれば、リュウマチのよう に進んでしまうと関節がくっ付いてしまって自分ひとりで生活出来なくなるような病気も あります。そういう病気を食い止めるような薬が、まだないのですね。我々がターゲット にしているキナーゼというものは、そういう病気とも深く関わっていて、それをターゲッ トに薬を作ると、今まで治療できなかったそういう病気が治療できそうである、という風 に、今考えられています。 IGC:例えば、今、若年性のアルツハイマーが映画になったりして、社会的にも取り上げられて いますが、ああいうものも、原因が特定できれば治療はできるということですか? 吉野:そうです。人間の神経、精神というものは動物で再現できないもので、人間の脳があまり にも高度なので、非常に動物実験は難しいので、なかなか良い薬が出ないのですが、大分 アルツハイマー病の原因も判って来るようになりました。 IGC:それは、大きな発見になりますね? 吉野:自分がそういう病気になった時のことを考えると、そう思いますね。 オルガノンへの売却 IGC:ところで、会社を起こそうというのは、何がキッカケ だったのでしょうか? 吉野:もともとは、カネボウだったのですが、カネボウは化 粧品部門の売却、或いは解体ということで世間を騒が していましたが、1999 年 3 月には既に部門の切り売り を始めていました。世間には注目されませんでしたが、 新薬部門をオルガノンに売却しました。650 名が移り、 研究、開発、製造、営業の全部という大きな売却でした。当時のオルガノンの成長率は製 薬業界でトップクラスだったのですね。しかし、2002 年にうつ病の薬がアメリカで特許切 3/8 れになり、ジェネリック医薬品に置き換わったことから、急激に売上が落ちて、後続の医 薬品開発が間に合わなかったこともあって、欧米の会社は会社がだめになってから手を打 つのではなくて、少し陰りが見えて来たところで手を打つのですが、全世界的にリストラ が始まりました。日本では、本社、研究所の売却ということが決まりました。 IGC:カネボウに続いて、オルガノンでもということで、2 回目だった訳ですね。 吉野:そういうことです。カネボウから買い取った大阪都島の広大な敷地とビルディングがあり ましたね。オフィスビルは転用が利きますが、遺伝子組み換えなどの実験をしている研究 所というのは、代替施設を見つけることが難しくて、我々は移転先がなくて、閉鎖されて しまうということを一番心配して色々と対策を考えました。当時、日本ではバイオベンチ ャーの勃興期で、上場する会社が出て来まして、我々もバイオベンチャーという仕組みを 知るに至ったのです。研究所が 30 名くらいの規模でしたので、部門ごと独立してバイオベ ンチャーになれるのではないかと思いまして、オルガノンに話を持ち掛けました。それで、 2003 年の 4 月に会社を設立しました。 IGC:カネボウから分離して、苦節 4 年ということですね。2 度に亘って、自分たちの組織が売ら れることを経験し、たまたま時流としてバイオベンチャーが注目され、上場するところも 出て来たという中で、思い切ってやろうということになった。その中心に社長がいらっし ゃったということですね。 吉野:そういうことです。たまたま、その時、研究所長をしていたので。ただ、オルガノンに移 って良かったことがあります。色々な勉強が出来ました。欧米流の合理的なマネジメント は、非常に勉強になりました。 IGC:研究所という知財の集合体のようなところであったことが強みであったようですね。 吉野:30 名のうちの 19 名で会社を起こしましたが、優秀な人材ばかり揃っていたのは非常な強 みであったと思います。ただ、設立当初は人が多すぎる、給料が払えるのか、という外部 からの批判もありました。 IGC:足許だけ見ていると、そういう心配はありますね。 吉野:でも、一方で人材の確保の苦労ということもありますからね。我々は、人材こそが命と思 っていました。 バイオベンチャーとしての取り組み IGC:その時点で、キナーゼ阻害薬というターゲットは決まっていたのですか? 4/8 吉野:いいえ、その時点では、キナーゼタンパクをたくさん作って、それを売って行こうと思っ ていました。当時、そういう商品がなかったのです。どうやって作るかという技術だけは オルガノンの中で磨いて来たので、後はその技術を基に 19 名がどんどん作って、今は 211 種類あります。これは、欧米の人たちからは、驚異的なスピードだと驚かれます。 IGC:お話を伺っていますと、巡り会わせということもあるかも知れませんが、30 名が 19 名にな る過程ではチームワークと言いますか、結束力が高まったのかな、という気がしますね。 吉野:もともと、良く見知っている 19 人でスタートできたというのは、バイオベンチャーとして は珍しいことでして、バイオベンチャーというのは少人数でスタートして後であちこちか ら寄せ集めて来るので、その会社のカルチャーというのが最初からはないのですが、我々 はある種、超真面目なと言いますか、そういうものが既にあったので、後から入って来た 人も、そのカルチャーに染まってそのカルチャーを維持できます。 IGC:なるほど、コアとなる方がいらっしゃるから会社としては、組織運営の面では順調に動い ているということが言えますね。 吉野:そうです。 IGC:1 回目から 4 年経って 2 回目の時、社員の方の動揺と いうのはありませんでしたか? 吉野:最初は、バイオベンチャーとして本当にやっていける のか、資金の手当てすら不透明な状況でしたから。 IGC:その辺りは、社長がご自身で奔走されたということで すか。 吉野:そうですね。最初は我々も、ビジネスプランを書いて、 ベンチャーキャピタリストのところへ行って出資を仰 ぐという、その仕組みすら知らなかったですね。ビジネスプランを書いて持って行っても、 はじめのうちは学問的過ぎて、全く判らんと言われましたよ。 IGC:ここに資料を持っていますが、確かに難しいと言えば難しいですね。 吉野:ホームページを見ても判らないとか言われますね。これからは、上場後に一般株主向けに もっともっと判り易いものを作らないといけないと思っています。 上場目指して IGC:現在の市況や上場バイオベンチャーの業績を見ると、バイオベンチャーに対する見方は厳 5/8 しくなっているようですが? 吉野:今上場されているバイオベンチャーも経営が苦しいというところが一番問題だと思います が、やはり会社ですから利益を出さないと社員も食べていけません。夢を追うことも大事 ですが、ちゃんと稼ぐということも非常に重要なことだと思っています。 IGC:実業家としての現実があるということですね。 吉野:会社を起こして最初に感じたのは、1 億円を稼ぐ売上を立てることの難しさですね。1 億円 と書くのは簡単ですけれど、売上を積み上げて 1 億円にすることの難しさというものを非 常に感じましたね。たんだん顧客基盤というものが固まって来ると、それが 3 億円、5 億 円と、それはそれなりに難しいのですけれど、頑張れば出来るなという感じになって来ま すね。 IGC:会社自体は今で 3 年経ったところですか? 吉野:そうです。 IGC:会社の年月だけ見ると若い会社で、そんなに簡単に上場できるの、と思うかも知れません が、過去の成り立ちや経緯を知ると、それなりのステップは踏んで来ておられるというこ とですね。 吉野:私たちが幸いだったのは、我々のコアとしているキナーゼというものに関しては、既にオ ルガノンで 3 年間はキナーゼに特化していたので、そこで基礎技術の全てを確立出来てい たということです。3 年の助走期間というのは、オルガノンのおかげです。大変温かい会 社で、独立する時に色々と話し合いました。非常に温情的に取り計らってくれまして、我々 がオルガノンの中で色々な遺伝子を取ったり、色々なタンパクを作る仕組みを作ったので すが、当然、カルナの商売に必要なものだから、オルガノンも使うけれど、我々にも使わ せてくれるということになりました。会社によっては、一切使うなとか、一からやり直せ とかいう会社が多いと思うのですが、全部使わせてくれました。 IGC:出身母体に恵まれるということは、大変大きいですね。 吉野:その通りですね。会社をスタートさせた段階で、そういった知的財産だけでなく、設備も 使わせてもらいました。 今後の方向性 IGC:将来的には、どのような構想をお持ちですか? 吉野:今は、色々なタンパクを売るサービス会社としての色彩が強いですが、将来的には製薬企 6/8 業になりたいですね。製薬企業といっても、自分たちで営業部隊を持って薬を売るという のではなくて、薬を生み出して、それを大手製薬企業に売るという会社になりたいですね。 IGC:今の創薬ベンチャーは大体そういう方向性ですね。 吉野:医薬品を作るプロセスで一番お金が掛かるのが臨床試験でして、臨床試験はフェーズ 1,2,3 とあるのですけれど、フェーズ 3 になるとたくさんの患者さんに薬を投与して、どれくら い効くかというのを調べるのですが、ここに物凄くお金がかかります。一方、フェーズ 2 というところで、その薬が人に効くかどうかということが判るのですが、ここまではお金 が掛かりますが、フェーズ 3 に比べると全然安いですから、今のバイオベンチャーが目指 しているモデルというのは、このフェーズ 2 まで自分でやって、人に効くということを証 明してから、大手製薬企業に売るというモデルです。 IGC:大量にお金が掛かる部分は大手製薬企業にやってもらうということですね。 吉野:それと、バイオベンチャーの方がリスクを取って薬を開発し易いですからね。非常に面白 いことに、今、アメリカでは、薬を作るのはバイオベンチャーで、臨床試験をするのは大 手製薬企業という、分業体制が仕組みとして出来上がっています。始めの方で、キナーゼ 阻害薬の中から画期的な白血病治療薬が出来たという話をしましたが、その他にも 3 つ、 画期的な癌の治療薬が、去年から今年にかけて販売されています。3 つとも、どこが画期 的かというと、今までの癌の治療薬というのは、効いたか効かなかったかの判断を、癌の 大きさが半分になったかどうかで判断していたのですね。でも、先ほども言いましたよう に、その薬を使い続けると耐性が生じて、癌のサイズがすぐ元に戻るのです。延命効果を 見ても、延命効果は認められないという薬ばかりでした。 IGC:投与した当初しか効かないのですね。 吉野:薬を飲む目的というのは、延命効果ですから。 キナーゼの 3 つの癌の薬は、3 つとも延命効果 を証明することが出来ました。それで、画期的 な薬として、アメリカのFDA,日本の厚生労 働省に相当するところですが、この 3 つの薬の 審査を特別に早い審査ルートで審査して、申請 後僅か 2 ヵ月で認可しました。面白いことに、こういう画期的な薬を作り出したのは、み んなアメリカのバイオベンチャーなのです。これを大手製薬企業が臨床試験をしたのです。 IGC:そのモデルに近いところで行くということですね。 7/8 経営者として感じること IGC:研究所長としてだったら経験していないようなことを、この 3 年間で経験された訳ですが、 経営者としてどのようなことを感じておられますか? 吉野:ベンチャーキャピタルに行って、出資を仰ぐなんていうことは考えもしなかったですから ね。しかし、経営者としての非常に重い責任を感じますね。今、41 人の社員がいますが、 その家族も含めた生活が掛かっていますからね。それと、人数が少ない分だけ、会社にぶ ら下がる人間がいないということですかね。過去の経験から、会社に貢献するのではなく、 ぶら下がる人間が多い会社というのは、必ずだめになっていますから。 IGC:そういう点では、結束力を高めて頂いて、頑張って頂きたいと思います。今日は、どうも、 ありがとうございました。 【語り手:吉野 公一郎(よしの・こういちろう)=カルナバイオサイエンス社長、 訊き手:IGC 濵田 愼豪(はまだ・しんごう)=池銀キャピタル投資管理部 2006 年 6 月 8 日】 池銀キャピタルの投資先社長インタビュー・シリーズ はこちらからhttp://www.ikegin-c.jp/ikegin-c/ 米国ボストンで開催された Drug Discovery Technology に出展(2005 年 8 月 9 日~11 日) 8/8
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