I-16 - 日本大学理工学部

I-16
ドイツの文書のなかの「日本建築」 −各時代における記載内容の特徴とその変化について−
ユリア・カーレルト(日大院・研究生)、大川三雄(日大理工・教員)、田所辰之助(日大短大・教員)
1.はじめに-ドイツの視覚から眺めた日本の建築とその記述内容の変化
日本の建築を描写したドイツ人の言説は、いくつかの段階に分けることができる。時間の流れと共に日本の建
築が変化したことはもちろんだが、日本に対するドイツ人のイマジネーション(想像力)もまた変化している。通常、
異文化を分析することは自己批評を伴う。つまり、自国についてのイマジネーションを反映し、両者の関係は時が
たつにつれて大きく変転するのである。
発見のために、あるいは研究旅行の際、発見者は自国とは異質のものを、まず自分の立場から、自己の視角
から検討する。そして、発見者が自国の文化に長い間囚われていればいるほど、他国に対して強く魅力を感じる
ことが多い。 そのような魅惑が、紀行文のなかには多く見受けられる。各時代において他国の文化がひろく流行
するとき、そのそれぞれには独自の言説の枠組みが見出されるのである。
2.国家を象徴する19世紀のヨーロッパ芸術
19世紀はナショナリズム 「国家主義」 という新しい思考や政治的な神話づくりが各地で続々と生じた時代だっ
た。すなわち、「国家」というラベルを付けた新しい国が相次ぎ発生した世紀だった。「国家」の考えは当時の美
術書にも影響を与え、ヨーロッパ外の異国に関する知識の増加と共に、自国と他の国家を識別する美術理論が
広がった。
そこでは、芸術は国家の象徴と見なされた。従って、建築も国家を代表するものと考えられた。ある国の芸術
だけを見れば、その国家の本質が理解できるという考え方がしだいに生じるようになった。このような考え方の
進化とともに、他国に対する知識もまた増えてきた。このような考え方が美術史のなかでときには強く主張され、
ときには意識されないままに美術に関する記述のなかに侵入してきたのである。
1850 年代になってドイツの大学に美術史学科が創設された。その結果、美術書や美術関連の出版物の数
が急増した。それらの中ではヨーロッパ外の美術作品も記述され、それぞれの国家の特徴を明らかにする為、国
家ごとに分別された。このときから、芸術作品を見る際に、製作年代等を考えるだけでなく、製作者の国籍も大切
にされるようになった。
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1840-1860 年代になって美術史家エルンスト・グール(Ernst Guhl, 1819-1862) , フランツ・クーグラー
2)
3)
(Franz Kugler, 1808-1858) , ヴィルヘルム・リュプケ(Wilhelm Lübke, 1826-1893) , カール・シュナーゼ
4)
5)
(Carl Schnaase, 1798-1875) , ゴットフリート・ゼンパー(Gottfried Semper, 1803-1879) がヨーロッパ外
の美術をより詳細に論じるようになった。しかし、それぞれの著作はエジプト、オセアニア、南米とアジアの各地に
焦点を当てたもので、日本はまだ取り扱われていない。
3.政治・文化・社会の反映としての芸術
19世紀にはまた、芸術作品がその製作された時代を象徴するものと解釈されて、各時代の政治、文化、経済
など社会の鏡像として見られるようになった。日本の建築を受容してきた過程を対象として、ある作品に対する
記述と、当時支配的だった思潮との相関的な関係を明確にすることが可能である。例えば、19世紀のドイツには
古代ギリシアの建築が完成され、もっとも優れた建築だと考える美術史家が多かった。その為、建築について記
述する時、古代ギリシアの建築との関連を指摘するのが常であった。ハンブルク美術及び工芸博物館の創設者
で初代館長のユストゥス・ブリンクマン(Justus Brinckmann, 1843-1915)は 1883 年、講義のなかで日本の
芸術を褒めたたえ、日本の美術は日本の国体を象徴し、また美の程度において古代ギリシアに比肩すべきもの
6)
だと述べた 。
4.20世紀における日本の建築の受容
20世紀になると日本の建築を対象とする美術書が次々と出版された。1898 年-1903 年まで滞日したフラ
ンツ・バルツァー(Franz Baltzer, 1857-1927)は日本の建築について、1903 年と 1907 年に 2 冊の大部の著
7)
作を上梓している 。バルツァーのこの著作を、ブルーノ・タウト(Bruno Taut, 1880-1938)が追随することにな
るのである。タウトが 1933 年-1936 年の間日本に滞在した際、日本の建築を徹底的に研究して、その主題の
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8)
もとに数々の著作を刊行した 。
日本の建築についての出版物の数も質も上がるにしたがって、20 世紀前半になると、ヨーロッパで日本の建
築の賛美者が相次ぐようになった。ヴァルター・グロピウス(Walter Gropius, 1883-1969)が感激していること
から明らかなように、20 世紀の中葉には日本の建築に対する積極的な意見が複数見られるようになった。彼は
世界旅行の折に日本に立ち寄り、こう述べた。「強く印象付けられた日本の経験を越えるものは今までない。ア
ジアの中で、日本の建築のように優れたものはどこにおいても見たことがない。アテネのアクロポリスに比べられ
る雄大さを
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見つけた」 。
グロピウスは数多くの講義や論文のなかで日本の建築を論じ、ドイツに「日本風」という概念を印象づけたこ
とは重要である。グロピウスはタウトと同じように日本の建築を二つの流れに大きく分けた。日光東照宮のような
飾りたてられた装飾主義と、桂離宮の簡素な美しさに分類したのである。このような分類が現代までドイツで残っ
10)
ているのは、先年開催された「日本と西洋:満ちる空虚」と題したヴォルフスブルクの展覧会で立証されている
。 同展覧会では再びこの区別が導入され、空虚という概念、つまり装飾がない美しさを代表する作品ばかりが
展示された。
19 世紀と 20 世紀前半、日本の建築に橋を渡したヨーロッパ人はほとんどが建築家だった。20 世紀前半、
日本の建築の美術史学的な受容は容易には進まなかった。日本の建築が基本的な文献のなかに入ったのは、
建築の国際化が進み、そして日本人の建築家が世界と肩を並べる存在になってからである。
広島平和記念資料館(1955 年)と東京オリンピック国立屋内総合競技場(1964 年)によって、丹下健三は
建築家としてはじめて国際的な地位を占めるようになった。それに伴って、日本の現代建築全般に関心が集まり、
ドイツの美術史学にも影響を与えるようになった。日本の建築が『プロピレーン』のような国際的な事典に入った
11)
のは、20世紀後半になってからである。
5.まとめ
世紀を経て、ヨーロッパには以前から日本の建築の特性が強調されたが、それぞれの受容の方法や何が美しい
か、美しくないかという判断等がそれぞれの時の特異な世界像を反映している。
注.
1)
2)
3)
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7)
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10)
11 )
Ernst Guhl, Wilhelm Lübke (Ed.): Denkmäler der Kunst (Bd. 1): Denkmäler der alten Kunst, Stuttgart 1851.
Franz Kugler: Handbuch der Kunstgeschichte, Stuttgart 1842.
Wilhelm Lübke: Grundriss der Kunstgeschichte, Stuttgart 1864.
Carl Schnaase: Geschichte der bildenden Künste, 8 Bde., Düsseldorf 1843.
Gottfried Semper: Der Stil in den technischen und tektonischen Künsten oder praktische Ästhetik (Bd. 1):
Die textile Kunst für sich betrachtet und in Beziehung zur Baukunst, München 1860.
Justus Brinckmann: Kunst und Kunstgewerbe in Japan, Vortrag, Hamburg 1883, p. 30.
Franz Baltzer: Das Japanische Haus. Eine bautechnische Studie, Berlin 1903. Franz Baltzer: Die
Architektur der Kultbauten Japans, Berlin 1907.
例: Bruno Taut: Houses and people of Japan, Tokyo 1937. Bruno Taut: Architecture Nouvelle au Japon ;
IN: L'Architecture d'Aujourd'hui 6, 1935, H. 4. Bruno Taut: Fundamentals of Japanese Architecture,
Tokyo 1936.
書簡: Walter Gropius, Shinzo Hirano 宛, 22 日 09 月 1954 年, Bauhaus Archiv Berlin.
Stephen Addiss: Japan und der Westen: die erfüllte Leere, Ausst.-Kat., Ausstellung 2007-2008 in
Wolfsburg, Köln 2007.
Jan Fontein, Rose Hempel: China, Korea, Japan, Berlin 1968.
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