第1回 建学の精神・理念及び生活信条に関する検討委員

平 成 20 年 12 月 6 日
建学理念信条 検討委庶務作成
第1回 建学の精神・理念及び生活信条に関する検討委員会議事録
1.日 時:平成 20 年 10 月 25 日(土) 10:00~12:15
2.場 所:百周年記念館 大会議室
3.出席者:清水座長・木元副座長・風間副座長・湯山・岩井・矢田・平澤・佐野・林・大森・
山本・高栁・神内・齋藤・高岸・有田・新井・大多和・関根・中村精・大澤・武政・
原裕・伊澤・須藤・金井・永岡(庶務)
欠席者:小林
4.配布資料
(1)建学の理念、建学の精神、生活信条等本学の教育思想と
教育理念に関する検討委員会の設置について
(2)委員の構成について
(3)配布資料の説明
(4)今後の予定について
(5)ワーキンググループの設置について
・・・P1
・・・P2
・・・P3~P7
・・・P8
5.会議の概要
(1) 建学の
建学の理念、
理念、建学の
建学の精神、
精神、生活信条等本学の
生活信条等本学の教育思想と
教育思想と教育理念に
教育理念に関する検討委員会
する検討委員会の
検討委員会の
設置について
設置について
はじめに、清水理事長から、この検討委員会発足について、教学側から人間教育という面
で新しい共通教育カリキュラムを検討するため、本学の建学の精神、生活信条の「愛情・勤
勉・聡明」に関する検討委員会を設置する提案があり賛同した経緯と、認証評価を受ける際
においても、建学の精神は何であるのか、それを具現化するためにどういう事をやっている
のかを明確にしておく必要があり、それらも含め、検討委員会で検討し、整理し、学園全体
の総意としてまとめていく旨説明があった。
(2)委員の
委員の構成について
構成について(P2)
について
清水理事長を座長とし、理事会・卒業生・教職員を含むメンバーとする。
はじめに簡単に自己紹介がおこなわれた。
(3)配布資料の
配布資料の説明
① 木元学長から、資料に基づき詳細説明があった。
(P1)
学園をとりまく団体で後援会からの委員がいないが、後援会には違った形でお知らせし、
最終的には後援会を含めた広い形での確認をしていきたい。
② 学園の特色・目的(P3)の資料のうち、以下の訂正を含め説明があった。
訂正 21 行目 100 年史 付属高校 → 附属高校
28 行目 生誕 160 周年 → 150 周年
③ 国立国会図書館の電子展示会の資料(図書館資料)
(P6)
「近代日本人の肖像」の教育家の展示資料のうち、嘉納治五郎、津田梅子、新島襄、福沢諭
吉、吉田松蔭等 12 人に続き、本学校祖渡辺辰五郎先生の写真が掲載され紹介されている。
(以下資料紹介)
。和洋裁縫伝習所のところに「
(現東京家政大学)
」と入れてもらうことを
依頼したところ、依頼の方向で検討してもらえる返事をもらったと報告された。
④ ファイル資料(資料1~資料11)
資料に基づき説明があった。
⑤ 当日別紙資料
清水理事長から当日別紙(TOKYO KASEI PRESS 1994 年(平成 6 年)11 月 1 日)の
資料説明があった。
(4)今後の
今後の予定について
予定について
卒業生の感想・思い出を集めたり、渡辺辰五郎先生の手紙等の資料を取り入れながら、検討
を進めていくことの確認があり承認された。齋藤委員から、卒業生に対してはアンケート形式
ではなく、自由参加・自由記述とし、内容を確認したうえで、取材等を進めていく方法が提案
された。
(5)ワーキンググループについて
ワーキンググループについて
渡辺辰五郎先生の建学の精神、青木誠四郎先生の生活信条でグループ分けを行い、討議をす
すめていく。資料の傾向として、渡辺辰五郎先生は博物館を、青木誠四郎先生は図書館を中心
とする。委員はそれぞれのグループに分かれる。委員会の進め方については、次回(第2回)
はグループで討議を行い、以降、全体討議・グループ討議を交互に行うという形式で了承され
た。
(6)資料説明の
資料説明の後、委員から
委員から以下
から以下の
以下の意見があった
意見があった
① 学生便覧に「自主自立」の記載がない年代(1970~1979)については、
「生活のしおり」
を発刊しており、校旗・校章・校地の謂れ・生活信条等を記載している。冊子が2冊に別れ
ている時期について、もう少し調べて欲しい。
② 初めて、
「愛情・勤勉・聡明」の言葉がでたのが、昭和 28 年 4 月 11 日+αの新入生オリ
エンテーションである。
『この学校は、三つの精神を持っている。
「愛情・勤勉・聡明」これ
が、いつとはなしに、みんなの合言葉になったことです。
』
「愛情・勤勉・聡明」ということ
を話しているのが、昭和 29 年 4 月である。ということは、昭和 27 年度に既に、青木先生
が話され、みんなが理解している段階がある。それを充分見ていかなくてはいけない。
③ 3・4 年前からの人間教育という発想と今回、清水理事長・木元学長のもとで、歴史の中の
建学の精神と生活信条を整理しようということで、この会が始まったと理解している。これ
まで、建学の精神・生活信条がまとまった形で残っていないという事は事実である。20 世
紀後半の高等教育を支えてこられ、70 年代 80 年代と高等教育に関する理念を日本の教育界
に注入してこられた清水理事長がいらっしゃること、木元学長の建学の精神・生活信条をま
とめておきたいということ、そして、風間理事は、青木誠四郎先生の授業を聞いておられ、
そういった卒業生の先輩方の話を直接聞く事ができること、そういった意味でも、今が、整
理しまとめるタイミングである。
④ 学生時代に、毎週、水曜講演というものがあった(1 時間目)
。その際、青木先生がお持
ちだった原稿を基に、青木誠四郎先生がお亡くなりになってからまとめられたものが「若い
女性」である。
「愛情・勤勉・聡明」はこういうものだというよりも、青木先生の学生を惹
きつけるお人柄とお話の内容、その教育の中にそのものが入っている。水曜講演が一番象徴
している。
⑤ 緑窓会の方で、青木先生の講演・講話・授業を受けられた方に感想・思い出についてのア
ンケートを送っていただけたら、それを是非見たい。
⑥ 卒業は、昭和 19 年(1944 年)敗戦の前年であった。教育も国家統制の戦中の真っ只中
であった。第 2 次世界大戦についても、滋先生は批判的な精神をお持ちであった。青木先
生の授業もうけている。滋先生(2 代目校長)はとても厳しい先生である(
「教育というも
のは、子女と寝食を共にして初めてできるものである。
」
)
。その当時は、青木先生からは「愛
情・勤勉・聡明」の言葉は一度も伺ったことがない。授業は、他の先生に比べ非常に説得力
があり、それまでの女学校では得られなかった多くのことを学んだ。手の技よりは倫理観・
人生観・ものの見方において、学ぶことが多く、その後の人生においてもその都度原点にか
えり、自分で物事を正しく理解する、そのための知識の収集、心の安定を心がけて今日に至
る。その中で、終始一貫、夢に見るほどに厳しい教育であった。砂上の楼閣ではだめである。
物事は全ては一から積み上げて初めて事がなる。物事の運び方、構成、人間としての哲学と
いう事を東京女子専門学校で教え込まれたことで、どんな事にぶつかっても必ず真正面から
正確に把握して、解決の方法を自ら考え出していくという姿勢で生きていく事につながった。
東京女子専門学校を誇りに思う。
⑦ 昭和 25 年卒業。青木先生には母校に帰る日などをセッティングしていただいたり、木曾
山先生が緑窓会報や学園広報を送ってくださった事で「愛情・勤勉・聡明」をいう言葉を拝
見する事ができた。特に、技術をしっかりと身に付けさせていただいた。
⑧ 今回の目的は、これからの学生に対して、建学の精神・理念、生活信条等をどう活かすか
という、教育的目的で考えるが、それ以外に、色々なエピソード等をまとめていく事も必要
である「〇〇外史」の形などが考えられる。
⑨ 当時、講堂に何千名と集めて、学長三木先生の学監講話という形で建学の精神・生活信条
が伝えられていた。学寮では、教育寮であったので、何故この学寮が設けられているのかと
いうことを生活信条に基づいた話が折に触れあった。先輩から、聞き語りのように聞かされ
ていた。どういう形で、学生に伝えていくかという事で、生活のしおりに分冊して、
「愛情・
勤勉・聡明」と教養講座で伝えようという時期があったはずである。学生へどのように伝承
していくかという部分が消えている。