HS レポート No.83 平成 25 年度 創薬技術調査報告書 創薬基盤技術の最新動向を探る -ナノテクノロジーの創薬・医療への応用、 DDS技術を中心に- 平成26年 3月 公益財団法人 ヒューマンサイエンス振興財団 公益財団法人ヒューマンサイエンス振興財団の承諾なしに引用、転載、複製することを禁ずる。 ii 目 次 はしがき ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 第 1 章 医薬品開発の最新動向 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1-1.はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 1-1-1.生命科学の進歩 -過去・現在・未来- 1-1-2.2013 年の生命科学領域でのトピックス 1-2.医薬品開発関連技術に関するトピックス ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 32 1-2-2.コホート研究の動向 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 32 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 42 1-3-1.米国における新薬開発と承認の状況 1-3-2.バイオ医薬品 11 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-2-1.標的遺伝子改変技術としてのゲノム編集技術 1-3.医薬品開発のトレンド 1 1-3-3.高速シークエンサーと遺伝子検査 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-3-3-1.高速シークエンサーとゲノム解析 1-3-3-2.1細胞シークエンス解析 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-3-3-3.遺伝子検査と遺伝子特許 1-3-4.がん免疫治療の現状 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-3-5.システムバイオロジーの進展-合成バイオロジーへ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 56 56 60 68 78 83 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用-DDS 技術を中心に- ・・・・・・ 94 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 94 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 94 2-1.医薬品開発における DDS 技術の状況について 2-1-1.はじめに 2-1-2.製剤技術を活用した医薬品開発の現状 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 96 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 97 2-1-3.医薬品の投与方法(治療の最適化のために) 2-1-4.放出制御製剤について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 100 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 107 2-1-5.放出制御製剤の設計 2-1-6.薬物ターゲティング 2-1-7.難水溶性薬物の製剤化 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-2.DDS 医薬品の開発状況と将来展望 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-3.バイオインスパイアードナノ材料の設計と医療応用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-4.多機能性エンベロープ型ナノ構造体の開発とナノ医療への応用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-5.ナノキャリア(株)の技術紹介、今後のナノテクノロジーの創薬、医療への展開につ いて 95 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 129 139 152 164 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 172 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 183 2-7.環境応答性ナノ粒子による新しい治療戦略 i 114 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-6.超音波セラノスティクス研究の最新動向と将来展望 2-8.ナノ診断デバイス開発研究の進展と今後 109 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 189 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 189 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 205 3-1.独立行政法人日本医療研究開発機構の創設に向けた取組み 3-2.我が国のがん対策 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 205 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 206 3-2-1.第 3 次対がん 10 カ年総合戦略 3-2-2.日本対がん協会 3-2-3.我が国のがん対策事業 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 217 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 217 3-3.個別化医療・コンパニオン診断薬をめぐる規制動向 3-3-1.個別化医療 209 3-3-2.コンパニオン診断薬 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 220 第 4 章 考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 225 あとがき ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 230 ii はしがき 公益財団法人ヒューマンサイエンス振興財団(以下、HS 財団) 開発振興委員会では長年にわ たって医薬品の開発からライフサイエンスに関する国内外の動向と今後の展望について、調査活 動を行ってきました。 2013 年の開発振興委員会創薬技術調査ワーキンググループでは、最新の医学、薬学と工学が 融合し、技術的進歩が著しい「ナノ DDS 技術」に焦点を当てて医薬品開発および医療応用に新 たな可能性を展開している現状と、それらの成果について幅広く調査を行いました。 さて、「ナノ=10 -9 :10 億分の 1m」という大きさはタンパク質や DNA の二重らせん構造の直径相 当になります。サッカーボールの形をした新炭素系素材として有名になった「フラーレン」の直径もこ の大きさです。 同じナノサイズの大きさ同士の相互作用を利用した技術応用として、抗がん剤を閉じ込めた高 分子ナノミセルを腫瘍細胞表面に送り届け、これを取り込ませるナノ DDS 技術が有名ですが、これ は正常細胞の傷害を防いで副作用の発現を抑制しかつ適切な量の薬剤投与を可能にします。こ の他にも、カーボンナノチューブを用い、光による細胞機能の制御を可能にする新たな技術・価値 が生まれています。また、がん細胞が放つ直径数十 nm の小胞に含まれる miRNA を捉えることで 的確にがんを判定する技術とそのデバイスの開発が進められており、薬効判定にも役立つナノ診 断技術につながっております。 ところで、この「ナノ」という大きさは原子や分子が数十個集まって機能を生じさせる最小単位で す。上記の例のように「ナノ」同士間の相互作用に着目した研究開発がある一方、「ナノ」同士が集 まって現れる新たな特性も研究されています。現在、ナノ医薬品は世界でおよそ 300 種の薬物が 臨床開発中であり、これらの「ナノ」を組合せることによって今後、何万ものナノ薬物とナノ DDS 技 術が生まれてくることが期待されます。 本報告書では、ナノテクノロジーの創薬、医療への応用、特に DDS 技術に焦点を当てた調査を 行うとともに、創薬に関連する幅広い技術を俯瞰し、その最新の動向についても併せて調査致しま した。更に、医薬品開発に欠くことのできない規制・政策についても調査し、報告書にまとめました。 本報告書が、HS 財団の賛助会員の皆様をはじめ、医療・医薬分野の研究開発に携わる方はもと より、この研究分野に興味を持たれる方、これから研究を始めたい方、また研究を支援する立場の 方々にもご活用いただければ幸いです。 最後に、ご多用にも拘わらず本調査にご協力頂いた各位に深く御礼申し上げます。 平成 26 年 3 月 公益財団法人ヒューマンサイエンス振興財団 一般事業委員会 開発振興委員会委員長 成瀬 寛俊 iii 本調査にご協力いただいた学識経験者及び機関 (敬称略、所属機関五十音順、所属等はヒアリング実施時点) 菊 池 寛 エーザイ(株)・プロダクトクリエーション・システムズ ファーマシューティカル・ サイエンス&テクノロジー機能ユニット 理事/製剤戦略担当 部長 東京大学薬学部非常勤講師 九州大学大学院薬学研究院 客員教授 秋 吉 水 島 一 成 京都大学大学院工学研究科高分子化学専攻 教授 徹 慶応義塾大学薬学部分析学講座 教授 一 木 隆 範 東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 准教授 片 岡 一 則 東京大学大学院工学系研究科マテリアル工学専攻 教授 長 崎 幸 夫 筑波大学数理物質系物質工学域 教授 丸 山 一 雄 帝京大学薬学部薬物送達学研究室 教授 加 藤 泰 己 ナノキャリア(株) 取締役 CSO 一 圓 剛 ヒュービットジェノミクス(株) 代表取締役社長 山 本 卓 広島大学大学院理学研究科数理分子生命理学専攻分子遺伝学研究室 教授 原 島 八 尾 秀 吉 北海道大学薬学研究院医療薬学部門医療薬学分野 教授 徹 (独)理化学研究所 (和光,横浜) アドバイザー 慶応義塾大学SFC研究所 上席所員 iv 調査・執筆者リスト (所属機関五十音順、所属は平成 26 年 3 月末時点) 河合 隆 利 (リーダー) エーザイ(株) エーザイ・プロダクトクリエーション・システムズ サイトサービス部 平野 弘 之 (サブリーダー) ゼリア新薬工業(株) 研究開発企画部 佐藤 和 明 (サブリーダー) 第一三共(株) バイオ統括部 山本 啓 一 朗 (サブリーダー) 成瀬 寛 俊 (開発振興委員会 日本化薬(株) 医薬研究所 旭化成ファーマ(株) 薬事部 委員長) 田中 弘一郎 藍野大学 医療保健学部 森本 晃史 具嶋 弘 (株)久留米リサーチパーク 田中 弘 エーザイ(株) エーザイ・グローバルレギュラトリー機能ユニット 旭化成ファーマ(株) 診断薬製品部 非臨床部 エーザイフード・ケミカルズ(株) CMC 部 芦澤 一英 杉崎 肇 (株)エスアールエル 技術開発部 杉原 英光 SBI ファーマ(株) 医薬開発本部 吉川 直樹 塩野義製薬(株) 東京支店業務部 佐々木 康夫 (公財)静岡県産業振興財団 ファルマバレーセンター 瀬戸 孝一 ゼリア新薬工業(株) 中央研究所 薬理研究部 井浦 陽介 東レ(株) バイオツール事業推進室 冨田 久夫 冨田バイオテクノロジー コンサルタント 園家 曉 濱里 史明 (株)日立製作所 中央研究所 野津 克忠 ユイメディック株式会社 五十嵐 タ 子 (事務局) (株)シード・プランニング リサーチ&コンサルティング部 野田 恵 一 郎 (事務局) (株)シード・プランニング リサーチ&コンサルティング部 清末 芳 生 (事務局) (株)シード・プランニング 井口 富 夫 (事務局) (公財)ヒューマンサイエンス振興財団 日本新薬(株) 東部創薬研究所 v vi 第 1 章 医薬品開発の最新動向 第1章 医薬品開発の最新動向 1-1.はじめに 2013 年においても医薬品開発およびライフサイエンスの領域において様々な進展があった。 Nature の 365 days: Nature's 10 と Science の“Breakthrough of the Year”でゲノム編集技 術 CRISPR(Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeats)とその研究者 Feng Zhang が選ばれている。 この技術によって 2013 年 1 月以降マウス、ラットをはじめ、細菌、 昆虫、植物、ヒト細胞株などのゲノム操作が多くの研究チームで実施されている。 Science の 10 大ニュースは、広く自然科学領域を俯瞰しているが、2013 年の第 1 には、がんの免疫抑制作用を 操作する「がん免疫治療」がとりあげられた。この選択にあたって逡巡や議論があったものの、2013 年に報告された様々な臨床試験の結果によって懐疑的な意見が払拭された経緯が述べられてお り、他のニュースと対比して興味深い。昨年に引き続き人工的な多能性(幹)細胞の作製(リプログラ ミング)には様々な取り組みがなされ、ES 細胞・iPS 細胞は再生医療への利用だけでなく、病態の 発生機序の解明や薬物の効果・安全性評価に実用的な利用がすすめられている。 国内では日 本学術会議による「100 万人ゲノムコホート研究の実施に向けて」の提言がなされ、バイオバンクの 構築、中核研究拠点の確立がロードマップにそって進行されている。ゲノムデータの解析にはシー クエンシング技術のさらなる高速化と解析コストの低減が寄与すると考えられている。 基盤技術の進展や研究体制の構築によって医薬品開発が推進される一方、新規なターゲットに 焦点をあてた創薬の成功確率は期待される程には増加していない。低分子医薬品に比べ、抗体 医薬をはじめとするバイオ医薬品の市場における比率は高まっているが、現在バイオ医薬品またバ イオ後続品(バイオシミラー)の価格は、低分子医薬品に比較して非常に高く医療経済的な側面か ら適応される範囲は限られている。 生命のシステムは複雑であり、まだ未解明な機構が多く残されているのも事実である。単一のタ ーゲットに焦点を当てるあまり創薬の成功確率が低いという指摘もなされているが、未解明な部分 に地道な取り組みを行い新たなページを開いていくことが必要である。第 1 章では、医薬品開発関 連技術の動向を広くとらえ、新薬の承認状況、ゲノム編集技術、コホート研究、高速シークエンシン グ技術、バイオ医薬品、システムバイオロジーを取り上げた。 1 第 1 章 医薬品開発の最新動向 1-1-1.生命科学の進歩 - 過去・現在・未来 – 近年の生命科学は、ゲノム科学を中心に進歩してきたと言っても過言ではない。生命の設計図 とも言えるゲノムの解析研究は、DNA シークエンス技術の進歩によって 1990 年代から本格化し、 2003 年にはヒトゲノムの全塩基配列(約 30 億 bp)がほぼ明らかにされるに至った(ヒトゲノム計画)。 その後も DNA シークエンサーの急速な進歩によってヒト以外の非常に多くの生物のゲノム解読も 行われ、その情報量は膨大なものとなってきている。 ヒトを始めとした各種生物のゲノム解読後の課題は解読されたゲノムの塩基配列に関する意味 づけであり、遺伝子の同定やその制御等に関する研究(ENCODE 計画等)が進められた。その結 果、ヒトのタンパク質をコードする遺伝子数は約 22,000 と予想外に少なく、ヒトよりも若干ゲノムサイ ズが小さいマウスの遺伝子数もほぼ同数であり、更に小さいゲノムサイズのショウジョウバエや線虫 の遺伝子数とも大差ないことが判明した。ヒトのこれらの遺伝子から転写される mRNA 前駆体から 選択的スプライシング(alternative splicing)が行われているとしても、産生されるタンパク質の数 は 20~30 万種類であり、他の生物においても同様のことが大なり小なり生じていることを考慮する と、タンパク質をコードする遺伝子数の違いだけでヒト等の高等生物と線虫等の下等生物の違いを 説明するには無理があると考えられた。一方、ヒトとマウスにおけるトランスクリプトーム解析や DNA シークエンサーによる網羅的解析から、タンパク質をコードしていないゲノム領域(全体の約 98%) からも非常に多くの種類の RNA(non-coding RNA;ncRNA)が作られ、細胞内で何らかの機能 を発揮していることが明らかにされた。この発見は、遺伝子という概念を大きく書き換え、これまでの 常識であったセントラルドグマ(DNA→mRNA→タンパク質→機能発現)に大きなパラダイムシフト をもたらした。これらの ncRNA の中で 20~30 塩基の小さな ncRNA である siRNA や microRNA の同定とその機能解析に関する検討は比較的進んでいるものの、これら以外に未だ機能不明の 多くの ncRNA があり、機能解明に向けた研究が活発に行われている。高等生物ほど ncRNA の種 類や数は増加する傾向にあることから、この点がヒト等の高等生物と線虫等の下等生物の違いに 関係していると考えられている。 ヒトゲノム上には種々の遺伝子多型(一塩基多型;SNP、ハプロタイプ、コピー数多型)が存在し ているが、これらの遺 伝 子 多 型 に関 する大 規 模 解 析 も各 国あるいは国 際 プロジェクト(国際 HAPMAP 計画等)で行われ、多くの情報が蓄積された。SNPs 解析では、各種疾患関連(感受性) 遺伝子に関する連鎖解析(Genome Wide Association Study;GWAS)も実施されたが、見出さ れた各種疾患関連遺伝子の多くは単独での疾患発症への寄与度が低いことが次第に明らかとな った。また、患者間における疾患関連遺伝子の多様性(各種疾患関連遺伝子の数と種類)も指摘 されるようになった。このようなことから、集団における頻度は低いが疾患発症への寄与度が高い疾 患関連遺伝子を見出すために、より大きな集団を用いたより精度の高い GWAS が進められてい る。 ゲノムの本体である DNA はヒストンタンパク質に巻きついた繊維状構造(ヌクレオソーム)を作り、 これがさらに螺旋状に折りたたまれて凝縮したクロマチンとなり染色体を形成している。染色体上の 遺伝子の発現制御は DNA のシトシンのメチル化やヒストンの修飾によって行われており、このよう な修飾を受けたゲノムをエピゲノムと呼ぶ。生体内の各組織を構成している細胞は全て同じゲノム (DNA)を持っているが、発現している遺伝子は各組織の細胞によって異なっている。また、有性生 殖では両親由来の 2 対の遺伝子が受け継がれるが、一方の対立遺伝子のみが発現するようにあら 2 第 1 章 医薬品開発の最新動向 がじめ刷り込まれている(genomic imprinting)。このような発生や細胞の分化は、上述したエピゲ ノムの違いによって引き起こされている(エピジェネティックス)。近年、エピジェネティックな変化が、 がん等の各種疾患の発症・進展に関係していることが示された。また、iPS 細胞(人工多能性幹細 胞)でのリプログラミング(初期化)との関係も注目 されている。更に、エピジェネティック制御には 種々のタンパク質と共に ncRNA も関与することが明らかにさている。このようなことから、DNA メチ ル化の網羅的解析やメカニズム(DNA メチル化やヒストンの修飾機構)解明に向けた検討が精力 的に進められている。 ある環境下に大量に存在する微生物のゲノム全体のことを microbiome と言うが、DNA シーク エンサーとバイオインフォマティクス技術の進歩は microbiome 解析(メタゲノム解析)にも大きな進 歩をもたらした。従来の培養技術では検出困難であった微生物の同定も可能となり、ヒト体内(特に 消化管)の細菌叢解析が活発に行われ、各種疾患との関係も明らかにされつつある。(本稿 1-1 -2 参照) 以上がこれまでのゲノム科学の進歩に関する概略であるが、その総合的な研究成果としては、ゲ ノムに含まれている情報及び機能は、ヒトゲノムが解読された時点での予測をはるかに超えた複雑 で多様なものであることを示し、今後のゲノム科学研究の基盤を構築した点があげられると考える。 尚、これらの研究推進には DNA シークエンス及びそれに関連する技術の急速な進歩が大きく貢 献したことは言うまでもない。特に DNA シークエンサーの進歩は著しく、第 2、第 3 世代の DNA シ ークエンサーが開発され、より微量の試料を用いて、より高速に精度高く、かつ低コストに解析でき る状況に至っている。また、DNA シークエンス技術もさらに向上し、1 個のヒト細胞を用いた全ゲノ ム解析も可能となりつつある。 ゲノム科学の進展と並行して、プロテオームやメタボローム解析等の網羅的解析も各種解析技 術の進歩と共に精力的に実施され、膨大な量の情報が蓄積されてきた。これらの生命を構成する 基本的な各要素(ゲノム、RNA、タンパク質及び種々の代謝産物等)に関する様々な情報を基に して、生命現象を包括的あるいは体系的に解明しようとする試みが始められ、バイオインフォマティ クス等の情報処理技術を駆使したネットワーク解析やシステムバイオロジー等の新しいアプローチ 法が注目されている。これらのアプローチ法から、これまでに生命現象に関する新たな知見が種々 得られたが、それらの多くはシグナル伝達系等のある特定の生命現象の理解に限定されたもので あった。その後、DNA シークエンス技術、蛍光タンパク質を用いたイメージング技術、RNAi 等によ る遺伝子機能解析技術及びナノテクノロジー等の進歩によって、さらに多くの新たな情報や知見が 蓄積されている。その結果、生命現象は非常に多様性に富んでおり、同一の細胞あるいは個体集 団においても、それぞれの細胞あるいは個体レベルで生じている生命現象(ゲノムの変異や遺伝 子発現~個体としての生体反応)の変化は必ずしも同一ではないことが認識されるようになった。 今後、生命の仕組みをさらに理解するためには、個のレベルから集合体レベルにおいて、種々の 生命現象をより高い測定精度及び定量性のある技術でリアルタイムに解析し、得られた情報を基 に段階的な生体システムのモデル化が行える理論を構築することが必要になると考えられる。この アプローチにおいて重要になると考えられるのがロバストネス(頑健性)という概念であり、既にシス テムバイオロジーにおいて具体的に用いられてきている。この比較的新しい概念に基づく研究の成 果は、生命の基本原理の理解に留まらず、がん等の各種疾患の原因解明とそれに基づく医療へ の応用の可能性にもつながるものと期待される。 以上に述べたように、現在の生命科学はゲノム科学を中心として発展してきたが、同時に多くの 3 第 1 章 医薬品開発の最新動向 新技術も生み出してきた。その中では、DNA シークエンサーの進歩が最も注目されるが、今後の 発展が期待される新技術としては、本調査報告書で取り上げているナノバイオテクノロジーや新規 遺伝子改変技術等があげられる。これらの新技術が加わることで、生命科学が更に進歩すると共 に医療分野等への応用も活発化すると考えられる。 1-1-2.2013 年の生命科学領域でのトピックス 最近の生命科学領域でのトピックスについては、主に 2013 年のノーベル賞及び Science 誌が 発表している“Breakthrough of the Year”の内容を中心に以下に紹介する。 2013 年のノーベル生理学・医学賞は、細胞内の物質輸送メカニズムの解明に貢献した James E. Rothman(米国、エール大学)、Randy W. Schekman(米国、カリフォルニア大学バークレー 校)及び Thomas C. Südhof(米国、スタンフォード大学)の 3 氏に贈られた。 小胞体で合成されたタンパク質は、小胞内(輸送小胞)に取り込まれてゴルジ体に輸送されて糖 鎖修飾などを受けた後、再び分泌小胞やエンドソーム等に取り込まれて細胞膜等の目的地へと運 ばれる(小胞輸送)。このような細胞内におけるタンパク質等の輸送機構については、1970 年代初 頭まではよくわかっていなかった。この分野に最初の突破口を開いたのは Gunter Blobel(米国、 ロックフェラー大学)であり、合成されたタンパク質末端には膜透過に必要なシグナル配列が存在し、 これによって小胞体の膜を透過して各オルガネラへと輸送されることを解明した。(Blobel 氏は、こ の研究成果によって 1999 年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。) その後、Schekman は出芽酵母の分泌変異株(温度感受性変異株)を用いた研究からタンパク 質の細胞内輸送に関与する二十数個の遺伝子を同定し、他の高等生物にも同様の遺伝子が存 在することを示した。また、Rothman はチャイニーズハムスターの卵巣細胞を用いて小胞の細胞内 輸送に関わるタンパク質とその受容体を同定し、これらが特異的に結合して膜融合を引き起こすこ とで、小胞内に含まれる種々のタンパク質等がそれぞれの目的の場所(細胞膜等)へと移動するメ カニズムを明らかにした(SNARE 説)。Südhof は神経伝達物質の細胞内輸送も上述したタンパク 質輸送同様に神経伝達物質を取り込んだ小胞(シナプス小胞)によって行われ、シナプス小胞が 細胞膜と結合した後に、カルシウムイオンの存在下に細胞膜と融合して神経伝達物質を細胞外に 放出することを解明した。Südhof によって解明された神経伝達物質の放出メカニズムは、その後 創 薬 に応 用 され、神 経 細 胞 のカルシウムチャンネル阻 害 による鎮 痛 薬 (Pregabalin、商 標 名 : Lirica; Pfizer)の開発へと繋がっていくことになる。 また、2013 年のノーベル化学賞は、タンパク質等の巨大分子の化学反応をコンピュータ上でシ ミュレーションする手法を開発した Martin Karplus(米国、ハーバード大学)、Michael Levitt (米国、スタンフォード大学)及び Arieh Warshel(米国、南カリフォルニア大学)の 3 氏に贈られた。 タンパク質等の巨大分子の化学反応全体を量子力学だけで計算することは、現在のスーパーコン ピュータを用いても困難と考えられる。古典分子動力学(MD)法のパイオニアである Karplus を中 心として、3 氏は化学反応を起こす空間領域については詳細な解析のために量子力学(QM)法を 用 い 、その 他 は量 子 力 学 に 近 似 させ た 古 典 力 学 ( 分 子 力 学 ; MM ) 法 を 用 いる ハ イブリ ッ ド 法 (QM/MM 法)を開発した。この画期的な手法はその後さらに発展し、生体内のタンパク質等で生 じている化学反応をシミュレーションする方法として広く使用されており、医薬品の研究開発(ドラッ グデザイン等)にも活用されている。 4 第 1 章 医薬品開発の最新動向 Science 誌が毎年発表している“Breakthrough of the Year”では、2013 年に報告された研究 成果の中で、がん免疫療法を用いた臨床試験の成果が第 1 位に選ばれた 1) 。 一般的に、がん患者ではがん細胞に対する免疫能が低下している。そこで、生体が本来有して いる自己免疫能を活性化することでがんを治療しようとする試みがかなり以前から行われてきた。 2011 年に B.A. Beutler、J.A. Hoffmann と共に自然免疫と獲得免疫(適応免疫)の研究でノー ベル生理学・医学賞を受賞した故 R.M. Steinman は、樹状細胞を用いてキラーT 細胞を活性化 するがん免疫細胞療法を開発し、2010 年 4 月に樹状細胞を用いた前立腺がんに対する免疫細 胞療法が医薬品として初めて米食品医薬品局(FDA)から承認されている(Provenge;Dendreon 社)。また、種々のがんワクチンの開発も進められているが、全体としては画期的な効果を得るに至 っていない状況が続いていると思われる。しかしながら、最近になって、がん免疫療法に関する有 望な臨床試験結果が報告されるようになってきた。細胞傷害性 T 細胞の活性化抑制に関与する CTLA-4 ( cytotoxic T-lymphocyte-associated antigen 4 ) に 対 す る モ ノ ク ロ ー ナ ル 抗 体 (Ipilimumab; Bristol-Myers Squibb)が、2011 年に進行性(転移性)メラノーマに対する治療 薬として FDA に承認された。Ipilimumab は末期の転移性メラノーマ患者の寿命を平均で 4 ヶ月 延ばし、その約 25%が 2 年以上生存していることが報告された。末期のメラノーマ患者に対する明 確な延命効果が示されたのは、Ipilimumab が初めてであった。また、2013 年には、Ipilimumab を投与した 1800 名のメラノーマ患者の 22%が 3 年以上生存していることも報告された 2) 。 抗 CTLA-4 抗体と同様の作用を有する他の抗体医薬の開発も進められている。CD28/CTLA-4 ファミリーに属する PD-1(Programmed cell death 1)に対するモノクローナル抗体(Nivolumab; Bristol-Myers Squibb/小野薬品)である。PD-1 は京大の石田らによって 1992 年に同定された 膜タンパク質であり、CTLA-4 と同様に T 細胞の活性化抑制に関与する3) 。Nivolumab の最初の 臨床試験は 39 名のがん患者(5 種類のがん)が参加して 2006 年から 2 年間実施され、5 例の腫 瘍縮小と数名の延命効果が認められた。その後、2012 年から 296 名のがん患者(5 種類のがん) によるフェーズ 1 臨床試験が実施され、非小細胞肺癌、転移性メラノーマ及び腎細胞癌に対する 有効性が示された 4) 。この結果から、さらに転移性メラノーマを対象としたフェーズ 3 臨床試験が 2013 年に開始されている。また、Ipilimumab との併用試験(37 例)では、約 3 分の 1 の転移性メ ラノーマ患者において、単剤投与と比較してより早くかつより強い抗腫瘍効果が示されたことも報告 された 5) 。(小野薬品は、日本において 2013 年 6 月にメラノーマに対する希少疾病用医薬品の指 定を受け、同年 12 月に Nivolumab の承認申請を行っている。) これらの抗体医薬以外にも T 細胞そのものを用いた免疫療法の開発も進められている。2010 年 に米国 NCI(National Cancer Institute)の S.A. Rosenberg らは、がん患者の T 細胞を取り出 し、遺伝子導入技術を用いてがん細胞を認識する受容体である T 細胞受容体(TCR)の代わりに、 キメラ型抗原受容体(Chimeric Antigen Receptor:CAR)を組込んだがん細胞特異的な T 細胞 による免疫細胞治療(CAR 療法)を開発した 6) 。Rosenberg の作製した T 細胞の CAR は、抗体 のリガンド結合領域(細胞外領域)と TCR のシグナル伝達領域を融合させたものであったが、明確 な抗腫瘍効果を見出すには至らなかった。その後、Pennsylvania 大の C. June らは非ホジキンリ ンパ腫やリンパ性白血病などで高発現している抗原である CD19 と TCR のシグナル伝達領域を融 合させたものを導入した T 細胞を作製し、75 名の白血病患者に投与した結果、45 名において有 効性(完全寛解)が示されたことを報告している 7) 。 こ の よ う に 2013 年 は 、 が ん 免 疫 療 法 に 関 す る 有 望 な 結 果 が 多 く 報 告 さ れ た こ と か ら 、 5 第 1 章 医薬品開発の最新動向 “Breakthrough of the Year”に選ばれたが、以下のような課題も残されていると考える。 1) がん免疫療法を受けたがん患者の全てにおいて有効性が示されたわけではないことから、有 効性を示すがん患者の選別ができるバイオマーカー等に関する検討が必要である。 2) 現時点では Ipilimumab の副作用としては、自己免疫疾患等で見られる炎症反応(腸炎や皮 膚炎等)が報告されている。自己免疫活性を亢進させることによる他の副作用についても留意 する必要があると考えられる。(Bristol-Myers Squibb は Ipilimumab と同様に CTLA-4 に 着目した別の医薬品として Belatacept を同時に開発し、2011 年に腎移植時の免疫抑制剤と して FDA に承認されている。Belatacept は IgG の Fc 部分と CTLA-4 の細胞外ドメインの融 合タンパク質であり、いわゆる CTLA-4 デコイとして作用し、抗原提示細胞と T 細胞の接触を 抑制して T 細胞の活性化を抑制する。Belatacept は Ipilimumab とは全く逆の作用を示す 薬剤であり、CTLA-4 ががん特異的な標的ではない点に注意する必要があると考えられる。) 3) Ipilimumab による治療費は 12 万ドル(約 1,200 万円)と非常に高額である。この点は他の抗 体医薬についてもほぼ同様であり、いかに効果が優れる医薬品であっても、高薬価を維持する ことに問題はないのか?経済面での医療格差を更に拡大させないのか?これらの観点からの 妥当性について、製薬企業に求められる社会的責任も含めて見直す必要があると感じる。 いずれにしても、医療ニーズが非常に高いがん領域において、がん免疫療法に新たな進歩が得 られたことは高く評価される点であり、今後の更なる進展が期待される。その他に“Breakthrough of the Year”に選ばれた生命科学関連の研究成果は以下の通りである。 CRISPR/Cas システムを用いたゲノム編集技術 近年、新たな遺伝子組換え技術として、目的とする DNA 配列に特異的に結合し切断する人工 制限酵素の開発が注目されている。人工制限酵素については、既に 1990 年代後半にジンクフィ ンガーヌクレアーゼ(Zinc Finger Nucleases, ZFNs)の開発が行われている8) 。更に 2009 年には 植 物 病 原 菌 Xanthomonas が 産 生 す る タ ン パ ク 質 で あ る TALEs ( Transcription Activator-Like Effectors)の DNA 結合ドメインと Fok I nuclease の DNA 切断ドメインを融合さ せたタンパク質である TALEN(TALE Nucleases)が作成され 9)10) 、2012 年には TALEN の DNA 結合ドメインのアミノ酸配列をより簡単に安く作成できる技術が開発された 11) 。TALEN の技 術開発は遺伝子工学に大きな進歩をもたらしたとして、2012 年の“Breakthrough of the Year” に選 ばれているが 1 2 ) 、さらに簡 便 な技 術 として原 核 生 物 の免 疫 機 構 に関 与 している CRISPR (Clustered Regulatory Interspaced Short Palindromic Repeats)/Cas(Cas9 nuclease)シ ステムを応用した新技術(ゲノム編集技術)が開発され、種々の細胞や動物の遺伝子改変等に広 く使用されている 13) 。例えば、ノックアウトマウスが従来よりも短期間で、かつ効率良く作製できるよ うに なっ てい る 。 人 工 制 限 酵 素 を 用 い た 遺 伝 子 改 変 技 術 に 関 す る 研 究 成 果 が 2 年 連 続 で “Breakthrough of the Year”に選ばれたことからも明らかなように、これらの新技術は遺伝子の機 能解析等、今後のゲノム科学の進歩に大きく貢献することが期待される。新規ゲノム編集技術につ いては、本報告書の第 1 章(1-2-1)に紹介されていることから、詳細についてはそちらを参照さ れ た い 。 尚 、 CRISPR/Cas シ ス テ ム の 真 核 細 胞 へ の 応 用 に 関 す る 研 究 を 行 っ て い る MIT (Massachusetts Institute of Technology)の F. Zhange は、マウスの胚を用いて複数の遺伝子 に正確に変異を導入できることを報告し、Nature 誌が選んだ 2013 年に注目された研究者の一人 に選ばれている 14) 。 6 第 1 章 医薬品開発の最新動向 ウイルスタンパク質の構造解析とワクチン開発への応用 ウイルス性疾患の予防にはワクチンが用いられるが、ワクチン接種による抗体が産生されにくいウ イルスも存在する。免疫力が低下した小児や高齢者等に重篤な呼吸器疾患を引き起こす RSV (Respiratory Syncytial Virus)もそのようなウイルスであり、長年に渡ってワクチン開発が試みら れてきたが有望なワクチンを得るには至っていなかった。予防薬としては、RSV に対するモノクロー ナル抗体である Palivizumab が開発されているが、1 回の投与に要する費用は約 1,000 ドルであ り、かつ投与を継続する必要がある。したがって、より安価な予防薬の開発が望まれている。 米国国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)の McLellan らは、Palivizumab よりも高力価 (10~100 倍)の抗体を作製した。この抗体は RSV が細胞に感染するのに必要な膜タンパク質で ある F タンパク質に結合し、X 線構造解析の結果から、この抗体の F タンパク質に対する結合部位 の構造が解明された 15) 。さらに詳細な検討から、F タンパク質は細胞に融合する前後で構造が変 化するこが示され、この抗体は融合前の F タンパク質に結合することも判明した。これらの結果から、 McLellan らは、融合前の構造を維持した F タンパク質を作製し、マウスとサルに投与したところ、 Palivizumab よりも高力価の自己抗体を産生させることに成功した 16) 。今後、RSV に対するワクチ ンとしての有効性を検討する臨床試験の実施が予定されている。また、同様の手法を用いた HIV (Human Immunodeficiency Virus)に対するワクチン開発の研究も進められている17) 。 このようなウイルスと抗体の構造解析結果を基にした新しいワクチン作製技術は、これまでに有 効な予防法がなかったウイルス性疾患(C 型肝炎、デング熱、西ナイル脳炎等)に対するワクチン 開発にも応用されることが期待されている。 ヒトのクローン胚を用いた胚性幹細胞の作製 17 年 前 にク ロー ン 羊 “ Dolly” を誕 生 させた 体 細 胞 核 移 植 ( SCNT ;somatic cell nuclear transfer)技術を用いた胚性幹細胞(ES 細胞)の作製は、マウス、ブタ、イヌ等の動物で成功して いたが、ヒトを含む霊長類では難航していた。 2007 年にオレゴン健康科学大学を中心とした研究チームが、SCNT 技術に種々の改良を加え ることで、アカゲザルのクローン胚から ES 細胞を得ることに成功した 18) 。そして、2013 年に同研究 チーム(日本人研究者:立花博士も含まれている)が遂にヒトのクローン胚から高効率に ES 細胞を 作製することに成功したことを報告し、再生医療等への応用に向けた期待も出てきた 19) 。 一方、SCNT によるヒト ES 細胞の作製にはヒトの卵子(未受精卵)を用いることから、「クローン人 間」の可能性も指摘されている。しかしながら、サルのクローン胚を用いた研究ではクローンサルを 誕生させることはできなかったことから、ヒトを含む霊長類では、本技術からクローン個体を得ること はできないと考えられている。いずれにしても、本技術によるヒト ES 細胞作製技術の確立は、倫理 面からの検討も十分に行われるべきであろう。 2006 年に山中らによって新たな多能性幹細胞である iPS 細胞が作製され、多くの研究者が ES 細胞から iPS 細胞を用いた研究に移っている。倫理的な問題を回避できる iPS 細胞を用いた研究 は急速に発展しているが、細胞のリプログラミング(初期化)の状態は ES 細胞と iPS 細胞では異な ることも明らかになっている。この点に関して、オレゴン健康科学大学の研究チームは同じドナーか ら得られた ES 細胞と iPS 細胞の比較に関する研究を進めており、その成果が待たれる。 現在、iPS 細胞を中心にして再生医療等への応用研究が精力的に行われているが、どの様な 多能性幹細胞が再生医療に最も適しているかを見極めるためには、細胞の中でどの様なメカニズ 7 第 1 章 医薬品開発の最新動向 ムがリプログラミングに働いおり、どのレベルまでリプログラミングされることが必要かを解明することも 重要な研究課題になってきていると思われる。 iPS 細胞を用いたミニ臓器の作製 iPS 細胞を心筋細胞や神経細胞等の種々の細胞に分化させても、そのまま培養しただけでは細 胞は増えるが目的とする組織や臓器を形成させるのは困難であった。しかしながら、2013 年には、 幾つかの研究チームがある程度の機能的構造を有する肝臓、腎臓及び脳のミニ臓器(organoid) を作製することに成功したことを報告している。 IMBA(Institute of Molecular Biotechnology of the Austrian Academy of Science;オー ストリア)の Lancaster らのグループは、ヒト iPS 細胞から神経幹細胞を作製してマトリゲル存在下 に培養したところ、リンゴの種ほどの大きさの 3 次元構造体まで成長したことを報告した。この“ミニ 脳”とも呼べるものは実際の脳とは異なった構造を有していたが、幾つかの類似性も示した。その成 長過程においては、眼になると思われる組織や区別可能な脳組織の層(前脳、中脳及び後脳)が 観察される等、初期の胎児の脳の状態に近いものであった。今後、更に検討を加えることで、様々 な脳疾患の解明に用いることが考えられている20) 。 また、横浜市立大の武部らは、ヒト iPS 細胞から肝細胞の前駆細胞(内胚葉細胞)を作製し、血 管内皮細 胞及び間葉系 細胞と共培養することで、血管網を有する機能的な肝臓の原基(Liver buds;ミニ肝臓)を作製したことを報告している 21) 。 ヒト iPS 細胞を用いた再生医療の中で、移植可能な各種臓器を作製することは大きな目標の 1 つであり、Breakthrough of the year では触れられていないが、上記以外にも種々の検討が進め られている。例えば、富山大の中村らは 3D プリンターを用いて、細胞や各種成分を打ち出して積 層していくことで 3 次元構造体を作製する研究を進めている。このように、機械を用いて組織や臓 器を作製する技術は biofabrication と呼ばれ、新しい技術分野として注目されている22) 。 腸内細菌がヒトの健康に及ぼす影響 ヒトの体内には約 100 兆個の微生物が存在し、これらの微生物には約 300 万種の遺伝子(ヒト の遺伝子数の 100 倍以上)が含まれているとされている。近年、特に腸内細菌と各種疾患の関係 に興味が持たれ研究が進められてきたが、2013 年には次々と注目すべき結果が報告された。 1) 2008 年、中国において、メラミン(melamine)が混入した人工ミルクによって、約 30 万人の乳 児が腎臓結石を発症した。この腎臓結石はメラミンと尿酸あるいはメラミンとその誘導体であるシ アヌル酸によって形成されると考えられたが、そのメカニズムは不明であった。2013 年になって、 上海大の Zheng らはシアヌル酸が腸内細菌の Klebsiella によって産生された可能性が高い ことを in vitro 及びラットを用いた実験で示した 23) 。( Klebsiella を持つ乳児は全体の約 1%で あり、中国で腎臓結石を発症した乳児の割合とも一致する。) 2) Washington 大の Smith らは、マラウイ共和国において、317 組の双子について栄養失調症 候群の一種であるクワシオルコルに関する研究を行った。3 年間の追跡調査の結果、43%の双 子において、一方は正常であるのに対してもう一方はクワシオルコルを発症した。これらの双子 の便を用いて microbiome 解析を行ったところ、クワシオルコルを発症した子供では腸内細菌 叢が正常とは異なることが示された。また、クワシオルコルを発症した子供の排泄物を腸内細菌 を持たないマウスの腸に入れたところ、クワシオルコルに類似の症状が出現した。更に詳細な検 8 第 1 章 医薬品開発の最新動向 討結果から、クワシオルコルを発症した子供の腸内細菌叢は、硫黄を含むアミノ酸を正常に消 化吸収できない状態になっていることが示唆された 24) 。 3) がん領域においても興味深い報告が相次いだ。Institut Gustave-Roussy (仏)の Viaud ら は、抗がん剤の cyclophosphamide(アルキル化剤)が低用量で示す免疫能の活性化(細胞 傷害性 T 細胞の活性化等)による抗腫瘍作用と腸内細菌の関係について検討を行った。その 結果、cyclophosphamide が小腸内の細菌叢を変化させ、ある種のグラム陽性菌が免疫能の 活性化に関与することを明らかにした25) 。また、米国 NCI の飯田らは、マウスを用いた試験に おいて、抗生剤投与によって腸内細菌叢のバランスを崩壊させたり、無菌状態とした場合に、 CpG-oligonucleotide(免疫能活性化剤)やプラチナ製剤(化学療法剤)の作用が減弱するこ とを報告した。これらの報告は、腸内細菌がある種の抗がん剤の作用発現に重要な役割を果 たしていることを示している 26) 。一方、腸内細菌と発がんに関する報告もなされた。Harvard 大 の Kostic らや Case Western Reserve 大の Rubinstein らは、腸内のメタゲノム解析から、 Fusobacterium nucleotum が大腸がん患者で増加しており、がんの発生と増殖に重要な役 割を果たしていることを報告している 27 )28 ) 。更に、公益財団法人がん研究会がん研究所の吉 本らは、肥満マウスを用いた試験から、肥満による腸内細菌叢の変化によって腸内でのデオキ シコール酸(DNA 傷害物質)の産生が増加し、これが腸肝循環して肝臓の間質に存在する肝 星細胞のがん化を促進させることを明らかにした29) 。 4) New York 大の Scher らは、関節リウマチ患者と健常人の便を用いたメタゲノム解析を行い、 Provotella copri が関節リウマチの発症に関係する可能性が高いことを報告し、更に詳細な検 討から関節リウマチの発症に関係すると思われる Provotella copri の遺伝子も同定している 3 0) 。 近 年 、DNA シーク エ ン サー と バ イオ イン フォマ ティク ス 技 術 の 進 歩 に よ っ てメタ ゲノ ム 解 析 (microbiome 解析)が可能となった。上述した腸内細菌と各種疾患の関係に関する研究において もメタゲノム解析技術が大きく貢献していると思われる。今後も腸内細菌と各種疾患の関係につい て多くの知見が得られ、新たな治療法や予防法の確立へと発展することが期待される。 上述した研究以外にも、細胞膜の脂質を取り除くことで脳組織を透明化する技術(CLARITY) や脳機能における睡眠の役割に関する研究も“Breakthrough of the Year”に選ばれているが、 詳細については省略する。2013 年の“Breakthrough of the Year”では、Top 10 の中の 8 項目 までがライフサイエンスに関するものであった。いずれも興味深い研究成果であり、今後の更なる研 究の進展に期待したい。 9 第 1 章 医薬品開発の最新動向 【参考資料】 1) Breakthrough of the Year. Science 342:1432 (2013) 2) Couzin-Frankel J., Science 340:6140 (2013) 3) Ishida Y et al., EMBO J. 11:3887 (1992) 4) Topalian SL et al., N Engl J Med. 366:26 (2012) 5) Wolchok JD et al., N Engl J Med. 369:122 (2013) 6) Chinnasamy D et al., J Clin Invest. 120:3953 (2010) 7) Grupp SA et al., N Engl J Med. 368:1509 (2013) 8) Kim YG et al., Proc Natl Acad Sci USA. 93:1156 (1996) 9) Boch J., Science 326:1509 (2009) 10) Boch J., Nature Biotechnology 29:135 (2011) 11) Reyon D et al., Nature Biotechnology 30:460 (2012) 12) Breakthrough of the Year. Science 338:1524 (2012) 13) Yang MP et al., Science 339:823 (2013) 14) http://www.nature.com/news/365-days-nature-s-10-1.14367 15) McLellan JS et al., Science 340:6136 (2013) 16) McLellan JS et al., Science 342:6158 (2013) 17) Julien JP et al., Science 342:1477 (2013) 18) Byrne JA et al., Nature 450:497 (2007) 19) Tachibana M et al., Cell 153:1228 (2013) 20) Lancaster MA et al., Nature 501:373 (2013) 21) Takebe T et al., Nature 499:481 (2013) 22) 化学 2013 年 11 月号、p30-37 23) Zheng X et al., Sci Transl Med. 5:172 (2013) 24) Smith MI et al., Science 339:548 (2013) 25) Viaud S et al., Science 342:971 (2013) 26) Iida N et al., Science 342:967 (2013) 27) Kostic AD et al., Cell Host Microbe. 14:207 (2013) 28) Rubinstein MR et al., Cell Host Microbe. 14:195 (2013) 29) Yoshimoto S et al., Nature 499:97 (2013) 30) Scher JU et al., Elife 2:e01202 (2013) 10 第 1 章 医薬品開発の最新動向 1-2. 医薬品開発関連技術に関するトピックス 1-2-1. 標的遺伝子改変技術としてのゲノム編集技術 1) 1) ゲノム編集技術の概要 現在までに、創薬研究だけでなく、動植物、微生物、海洋生物などに対する多くの遺伝子改変 生物を用いた研究が盛んに行われている。しかし、モデル生物であっても狙って遺伝子改変できる 生物は意外と少ない。従来の遺伝子改変方法は、化学的な変異導入等によるランダム変異もしく は ES 細胞を使った相同組換えによる遺伝子置換であった。しかしながら、時間を要する上に、非 常に良い ES 細胞を使わなければならず、効率よくゲノム中の目的遺伝子ならびに部位のみを選 択的に破壊するジーンターゲッティング技術は数年前まで確立されていなかった。そこで、5~6 年 前に人工制限酵素が使えるようになったのを機会に、次世代の遺伝子改変技術として注目されて いるのが、ゲノム編集技術である。 ゲノム編集技術とは、人工的に設計された DNA 結合ドメインと切断部位を有する人工制限酵素 (人工ヌクレアーゼ)を用いた Zinc Finger Nuclease(ZFN)や Transcription Activator-Like Effector Nuclease(TALEN)が代表的であるが、今年最も注目されたゲノム編集技術として、バ ク テ リ ア の 有 す る 防 御 機 構 を 応 用 し た The Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeats(CRISPR)/Cas システムを用いてゲノム上の標的遺伝子の破壊やレポー ター遺伝子のノックインなどを可能にする技術がある 2)3) 。 それでは、どのように欠損(切断・修復)されるのか?いずれも、切断後の修復経路が重要となっ てくる。一般に、細胞内では、末端を様々な酵素で修復する Non-homologous End Joining(非 相同末端連結:NHEJ)と、相同染色体を手本にして修復する Homology directed Repair(相同 組換え修復:HDR)といった大きく二つの修復経路がある(図 1-2-1-1)。 HDR は細胞周期が回っていないと動かないため、それ以外の細胞では NHEJ の方が修復とし て良く動いており、積極的に人工ヌクレアーゼを細胞で発現させ、切断と修復を起こすことになる。 一方、HDR が起こる細胞であれば、ドナーベクターを用いて相同組換え活性により非常に低い 効率ではあるが相同組換えが起こる。これに人工酵素を入れて切断するとともに、鋳型を同時に入 れることで、非常に効率を上げることが出来る。このように人工ヌクレアーゼで改変したい部位や周 辺を切断することで、修復の過程や修復のエラーを使ってゲノムを改変することを、ゲノム編集と呼 んでいる(図 1-2-1-2)。 ゲノム編集は動植物、培養細胞(ES 細胞や iPS 細胞を含む)において利用可能であり、受精卵 への直接導入で破壊可能のため、ノックアウト生物が、今までより短期間(マウスやラットで、約 1 ヶ 月で誕生)で作製できるところも注目されている。以下に、ゲノム編集技術における国内の第一人 者である広島大学大学院理学研究科の山本卓教授による HS 財団で実施した勉強会(2013 年 9 月 11 日) 1)の内容を中心に、代表的なゲノム編集技術ならびにその最新動向について紹介する。 11 第 1 章 医薬品開発の最新動向 図 1-2-1-1.切断後の修復の基本経路 (広島大学 山本卓氏 提供) 図 1-2-1-2.人工ヌクレアーゼを基盤とするゲノム編集 (広島大学 山本卓氏 提供) ① Zinc Finger Nucleases(ZFN) ZFN は、ゲノム編 集 技 術 の第 一 世 代 とも言 われる初 期 システムである(図 1-2-1-3)。 Zinc-Finger と呼ばれる DNA 結合ドメインと、II 型制限酵素 FokI 由来の配列非依存的 DNA 切断ドメインで構成された人工ヌクレアーゼで、Zinc-Finger 部分がゲノム上の特異的な遺伝子配 列を認識し、FokI が切断することにより、任意の部位の Double Strand Break (DSB)を起こす。 この切断ドメインは DNA を切断するためにダイマー形成が必要であり、各々の ZFN が切断部位の 12 第 1 章 医薬品開発の最新動向 各相補鎖の 5’側を認識させるため、Zinc-Finger ドメインと切断ドメインを繋ぐリンカー配列では、 各結合配列の 5’端が 5 から 7 塩基対程度離れている必要がある。実際には、9 塩基に結合する ような 3 finger を自分で作り、C 末端側に DNA の切断ドメインである Fok I との融合酵素を作成 する。作製方法は、OPEN 法、CoDA 法、Modular assembly 法などがある。FokI は DNA 認識 ドメインと切断ドメインのモジュール性が高く、非常にきれいに分離することができるため、多く使わ れている。3 個の Zinc-finger を用いた場合、1 finger は 3 塩基を認識するため、9 塩基×2=18 塩基を認識することになる。課題としては、認識塩基が少ないため、認識部位前後の DNA の一時 配列に影響を受けることになり、切断部位の自由度が小さくなる。現在、後述する次世代型がでて きていることから、利用されなくなってきている。 図 1-2-1-3. Zinc Finger Nucleases(ZFN) (HS 財団創薬技術調査 WG 作成) ② Transcription Activator-Like Effector Nucleases(TALEN) TALEN は、Xanthamonas 由来の TALE (Transcription Activator-Like Effector)が持 つ DNA に特異的に結合するドメインと FokⅠ由来の配列非依存的 DNA 切断ドメインで構成され た人工ヌクレアーゼで、第一世代の ZFN 対して第二世代の人工ヌクレアーゼである(図 1-2-1 -4)。Nature Methods の Method of the year 2011 や、2012 年の Science の Breakthrough of the year の 1 つに選ばれている非常に注目度の高い技術である。Zinc-finger 同様、TALE も 使い方は同じであり、ペアで遺伝子配列を認識させることになる。異なる点は、TALE タンパク質は 中央付近に 34 アミノ酸からなる繰り返しのりピートを持ち(1 モジュールが 34 アミノ酸)、そのうち 12 番目、13 番目のアミノ酸が Repeat Variable Diresidue (RVD)と呼ばれる多様性を示し、どの 塩 基 を認 識 するかが決 まる。34 アミノ酸 で 1 塩 基 を認 識 するため、3 塩 基 を認 識 させるには Zinc-finger の 3 倍以上の大きさとなるが、モジュールの繰り返しにより片側で 18 塩基を認識でき るため、後述する CRISPR/Cas と同様、様々な生物種の配列に対して自由に設計することが可 能であり、第一世代 ZFN に比べ標的遺伝子に対する特異性は高いとされている。作製方法は、 REAL 法、FLASH 法、GoldenGate 法などがある。さらに、改良型も開発されており、広島大学大 学院理学研究科の山本卓教授らは、TALEN に改良を加え、哺乳類で高効率に変異導入できる Platinum TALEN(プラチナ TALEN)を開発し、2013 年 11 月 29 日 Nature Publishing 13 第 1 章 医薬品開発の最新動向 Group のオープンアクセス誌である Scientific Reports 誌で発表した4) 。 その他、TALEN に関して、以下のような代表的な論文が報告されている。 ・ TALEN 技術に関する論文; Sakuma et.al.,Genes Cells. 18(4):315-326(2013) ・ ミトコンドリア DNA のゲノム編集;Bacman et al., Nature Medicine, 19(9):1111-1113 (2013) ・ 光誘導型 TALE-activator とエピジェネティック調節; Konermann et al., Nature, 500 (7463):472-476(2013) 図 1-2-1-4. Transcription Activator-Like Effector Nucleases(TALEN) (HS 財団創薬技術調査 WG 作成) ③ Clustered Regularly Interspaced Short Plidromic Repeats(CRISPR)/Cas CRISPR は、ウイルス等からの DNA 侵入に対して防御的に働く細菌が持つ防御システムを利 用した、新しいゲノム編集技術である(図 1-2-1-5)。CRISPR/Cas9 システムでは、標的配列と 相補的な 20 塩基の guideRNA と、Cas9 ヌクレアーゼが標的配列を特異的に認識し、切断する。 前述した ZFN や TALEN とは異なり、標的部位の認識がヌクレアーゼの DNA 結合ドメインではな く、guideRNA を用いるため、様々な生物や配列に対して設計することが可能で、ZFN や TALEN に 比 べ 標 的 配 列 設 計 の 制 限 が 少 な い の が 特 長 で あ る 。 20 塩 基 あ る guideRNA は 、 PAM (Protospacer Adjacent Motif)という Cas を引き込んでくる GG 配列に隣接する 5’側の配列に 特異性がある。20 塩基の全てが特異的な結合に必要ではなく、PAM に近い方の 12~13 塩基が 重要だろうと考えられている。一方、課題も指摘されている。海外から相次いで、off-target に関す る論文が報告されている5)~7) 。そのため、Cas9 の変異体も注目されている。Cas9 の変異体 D10A は、Nickase として機能することが報告されており8) 、野生型 Cas9 のように DNA 二本鎖を切断せ ず、一本鎖のみを切断しニックを入れる酵素である。特長は、DNA 修復機構 NHEJ(非相同末端 連結)が起こらないため、非特異的領域での遺伝子欠失・挿入やオフターゲット効果を抑制するこ とができる 3)9) 。一方で、CRISPR/Cas9 を mRNA として細胞へ導入した場合、予想より off-target effect は少ないとの学会発表もあるようで、多くの off-target effect の報告を方法も含め整理して 議論する必要がある。プラスミドで導入すると反応が持続するため、off-target effect が起こり易い 14 第 1 章 医薬品開発の最新動向 が、mRNA として導入することで、一過的な反応となり、off-target effect が起こりにくくなると推測 されている。いずれにしても、研究の目的によって、off-target effect による影響度が変ってくると 思われる。そのため、研究の目的に応じて、各技術の選択、細胞への導入方法などを考慮して行う ことが望ましいと考えられる。 その他、CRISPR に関しては、以下のような論文が報告されている。 ・ マウス ES 細 胞 およびマウス個 体 での同 時 複 数 遺 伝 子 破 壊 ; Wang et al., Cell, 153 (4):910-918(2013) ・ iPS 細胞での高効率なゲノム編集; Ding et al., Cell Stem Cell, 12(4):393-394(2013) 図 1-2-1-5.Clustered Regularly Interspaced Short Plidromic Repeats (CRISPR)/Cas (HS 財団創薬技術調査 WG 作成) 以上、ゲノム編集技術の特徴を比較し、表 1-2-1-1 にまとめた。 15 第 1 章 医薬品開発の最新動向 表1-2-1-1.ゲノム編集技術比較表 (HS 財団創薬技術調査 WG 作成) ZFN TALEN CRISPR/Cas9 蛋白質/DNA 蛋白質/DNA RNA/DNA 転写因子:Zinc-finger 転写因子:TALE (9-18 塩基×2 (15-20 塩基×2) 特異性 中 高 中 切断部位の自由度 小 大 中 クロマチン構造 感受性大 感受性大 感受性小 DNA 結合蛋白質による DNA 結合蛋白質による 1 次配列に依存するため、 認識のため、感受性大 認識のため、感受性大 非感受性 小 中 (種や細胞によって異なる) (細胞種によって異なる) 認識 メチル化部位 約 20 塩基の guideRNA off-target effect 大 多遺伝子対応 1 遺伝子ごと 1 遺伝子ごと 同時に複数遺伝子可能 コスト 高 中 低 ベクター構築に多大な 初期導入では、 guideRNA のデザインのみの 時間 ベクター構築に多大な時間 時間 時間 SIGMA aldrich Addgene (住商) ZFN Ready-to-made kit Cas9-gudeRNA single / 受託作製 plasmid (GFP)/ 受託作製 Wolfe-Lawson ZFN modular assembly kit Golden Gate assembly kit, 各種バリデーション済み Cas9 Joung Lab REAL Assembly nucleases、Cas9 nickases、 TALEN Kit, CRISPR interference Musunuru/Cowan Lab (CRISPRi)、dCas9-activator TALEN Kit 他 fusion Life 受託作製 Technologies 取扱い SBI ;System assembly kit Biosciences / Cas9 Nickase(D10A) / (フナコシ) 受託作製 Cas9-gudeRNA single plasmid/ 受託作製 Linearized cas9-guide RNA vector (all in one) Cellectis Bioresearch 受託作製 (和光純薬) ToolGen gudeRNA plasmid/ Cas9 (タカラバイオ) plasmid/ 受託作製 gudeRNA plasmid/ Cas9 Transposagen pre-made TALEN/ (アプロ 受託作製 サイエンス) plasmid/ 受託作製 piggyBack トランスポゾン vector(編集用)/ 受託作製 16 第 1 章 医薬品開発の最新動向 2) ゲノム編集に関する最近の動向 ① ゲノム編集コンソーシアム ゲノム編集技術が広く使われるためには、単なるユーザーを広めるだけでなく、次世代の技術開 発に加え、共通したプラットフォームを作っていく必要がある。ゲノム編集コンソーシアムは、人工ヌ クレアーゼ(TALEN)の作製および様々な生物でのゲノム編集技術の利用を支援および情報提供 を行うことによって、日本のゲノム編集のレベルアップを図り、ゲノム編集の基盤技術の開発、この 技術の発展及び社会還元、人材養成などに貢献することを目的として、広島大学大学院 理学研 究科の山本卓教授を中心に設立された。ゲノム編集技術は、歴史的にまだ浅い技術であり、特許 に関しても海外が中心である。よって、このようなコンソーシアムを中心に国産の技術を早期に開発 していかなければならず、そのために多くの情報・課題を収集し、次世代の技術へと繋げていく必 要がある10) 。 ② ゲノムワイドライブラリー 米国 Whitehead Institute と同じく、米国 MIT(Massachusetts Institute of Technology) Broad Institute の 2 つのグループから、それぞれ CRISPR/Cas9 を用いたヒト細胞のゲノムワイ ドの遺伝学的スクリーニング、guideRNA のライブラリーについて発表された。MIT のグループから は、18,080 の標的遺伝子に対し 64,751 種の guideRNA について、Whitehead Institute のグ ループからもほぼ同様に 73,000 種の guideRNA について、それぞれライブラリー化の報告とヒト 細胞での実施例の報告があった。技術が発表されてから、1 年で網羅的なノックアウトツールを確 立している11)12) 。また、韓国のグループからはヒト microRNA のノックアウトのための TALEN ライ ブラリーを作製した報告がなされている。274microRNA に対し、570 ペアの TALEN を作製して いる13) 。 ③ 新規モチーフ: PPR(pentatricopeptide repeat)蛋白質 植 物 で 大 き な フ ァ ミ リ ー を 形 成 す る 蛋 白 質 群 で 、 植 物 オ ル ガ ネ ラ 遺 伝 子 発 現 に 働 く PPR (pentatricopeptide repeat)蛋白質はそれぞれが異なる配列に作用する DNA または RNA 結合 蛋白質として働くことが知られている。九州大学大学院 農学研究院 中村崇裕准教授らは、この PPR の RNA および DNA 認識コードの解明に成功し、新しいゲノム編集ツールを見出した 14 ) 。ま ず、RNA 結合に働く数十個の PPR 蛋白質とその結合配列のデータをコンピュータ解析し、PPR モチーフと RNA 塩基が一対一の対応関係で結合すること、特定の 3 箇所のアミノ酸の組み合わせ で結合塩基が決定すること、結合塩基がプログラム化可能であること、を明らかにしている。また、 解読した RNA 結合コードが DNA 結合に働く PPR 蛋白質にも適用できることを見いだした。現在 の TALEN 以上に精度、実用性、または TALEN の欠点を補えるかなど、まだまだ課題は多いも のの、このようなモチーフを早く見つけ、特許化していかないと、すべて技術が海外中心になりかね ない。そのような観点からも、国産のゲノム編集技術の開発が期待されている。 ④ ナショナルバイオリソースプロジェクト(ラット) 文部科学省のナショナルバイオリソースプロジェクトでは、ラットに関して中核拠点として京都大 学が運営管理しているが、その中でゲノム編集技術を用いたゲノム編集ラットの作製支援を行って いる15) 。 17 第 1 章 医薬品開発の最新動向 3)今後 “ゲノム編集”は、単に切断するだけのものではなく、その名の通り“編集技術”である。すなわち、 従来のノックアウト技術とは異なり、任意の部位で切断・欠損、変異などの編集さらに欠損と同時に 挿入する、といった編集技術である。この技術がもたらす可能性は、変異をもつ患者に対して iPS や幹細胞での変異部分の特異的な編集を加え細胞治療に応用できると期待されている。基礎研 究への活用においても、転写調節の研究などでは、ゲノム編集技術で任意の遺伝子のプロモータ ー領域を欠損させることができるため、単に遺伝子ノックアウトではなく、調節領域を欠損させ、特 定の転写反応だけを低下させることが理屈上は可能となり、個体レベルでの転写調節研究が可能 となる。さらに、エピジェネティックな修飾を受ける領域でも編集できること、標的がコーディング領域 ではなく、microRNA や non-codingRNA などのノンコーディング領域とまだまだ幅広い応用が期 待されている。ごく最近、中国の研究グループが、CRISPR を用い単変異のサルを作製したと Cell 誌に報告しており、まだまだ多くの課題が残されているものの、次世代へ向けた重要な情報の一つ として期待される 16) 。また、臨床研究においては、少数ではあるが、HIV 感染患者 12 人を対象に、 ZFN により CCR5 遺伝子をノックアウトした患者自身の CD4 陽性 T 細胞を再注入する治療法の 安全性試験結果(非盲検非無作為化非比較試験)が報告され、重篤な有害事象が 1 件、HIV RNA の検出不能が 1 名、その他の患者では血中 HIV DNA 濃度が低下した、と報告がなされた 17) 。今後、多くの臨床研究報告が報告されると思われるが、一方で同時に課題も生じてくると予想 され、これらにどう対処していくか、新規技術、改良技術も含めて、期待していきたい。 【参考資料】 1) (公財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成 25 年度創薬技術調査ワーキンググループ、ヒア リング記録 広島大学大学院理学研究科 数理分子生命理学専攻 分子遺伝学研究室 山 本卓氏 2013 年 9 月 11 日 非公開 2) Mali et al., Science, 339(6121) 823-826(2013) 3) Cong et al., Science, 339(6121) 819-823(2013) 4) Sakuma et al., Sci Rep. Nov 29;3:3379. doi: 10.1038/srep03379(2013) 5) Cradick et al., Nucleic Acids Res. 41(20) 9584-9592(2013) 6) Hsu et al., Nat Biotechnol.,31(9) 827-832(2013) 7) Fu et al., Nat Biotechnol., 31(9) 822-826(2013) 8) Jinek et al., Science, 17(337) 816-821(2012) 9) Ran et al., Cell, 12(154) 1380-1389(2013) 10) http://www.mls.sci.hiroshima-u.ac.jp/smg/genome_editing/index.html 11) Wang et al., Science, 343(6166) 80-84(2014) 12) Shalem et al., Science, 343(6166) 84-87(2014) 13) Kim et al., Nat Struct Mol Biol., 20(12) 1458-1464(2013) 14) Yagi et al., PLoS One. 8(3):e57286. doi: 10.1371/journal.pone.0057286(2013) 15) http://www.anim.med.kyoto-u.ac.jp/nbr/Default_jp.aspx 16) Niu et al., Cell 30 Jan doi: 10.1016/j.cell.2014.01.027.(2014) 17) Tebas P, et al., N. Engl. J. Med., 370(10) 901-910(2014) 18 第 1 章 医薬品開発の最新動向 1-2-2.コホート研究の動向 1 ) 1) コホート研究 ① コホート研究とは 「コホート研究」とは、特定の集団を長期間追跡する研究である。コホート研究/コホート調査を 行う地域を「フィールド」という。期間は最低でも 10 年であり、ヒュービットジェノミクスで協力をしたり、 関わりを持ってきた研究で言うと福岡県久山町では 50 年、山形県の分子疫学コホートの場合は 30 年に及んでいる。 ② 科学的信頼性 疫学研究から見いだされるいわゆる科学的エビデンスは一般的に高いとされており、承認医薬 品に関連する科学的信頼性に関しては、ランダム化比較試験が最も信頼性が高いとされているが、 コホート研究はそれに次ぐものとされている(図 1-2-2-1)。 図 1-2-2-1.科学的信頼性 (ヒュービットジェノミクス㈱ 一圓剛氏 提供資料;東洋経済より抜粋改変) ③ 日本で最初のコホート研究 日本で最初のコホート研究は高木兼寛によって侍史された研究である。高木兼寛は、明治時代 (明治 15 年頃)、筑波号での疫学調査に基づき、海軍内で流行っていた脚気の原因が食事内容 にあると推定し、兵糧食の改良を行い、洋食+麦飯に変更した。 その結果、脚気の新規発症数は明治 16 年 23.1%、明治 17 年 12.7%、明治 18 年 0.6%と激 19 第 1 章 医薬品開発の最新動向 減した。後に鈴木梅太郎らがビタミン B を発見し、脚気がビタミン B 群欠乏症である事が解った。こ の研究は、日本で最初の LANCET 論文であり、世界で初めての大規模検証であった。 ④ 観察の重要性 ナイチンゲール(Florence Nightingale:1820~1910)は白衣の天使と言われているが、実際 は統計学者、疫学研究者である。ナイチンゲールは、最も戦闘的な疫学研究者・統計学者だとさ れている。ナイチンゲールは「観察をしない女性が、50 年あるいは 60 年病人のそばで過ごしたとし ても、決して賢い人間にはならないであろう」と言ったとされており、調査研究による詳細な調査(疾 患の発症の有無の把握が重要であると言っており、クリミア戦争における野戦病院での死亡統計か ら、衛生管理の重要性を指摘しており、現代の病院のシステムの基本である手術時の消毒、滅菌 などの標準作業に結実している。 ⑤ カバー率(受診率)、追跡率の重要性 コホート研究においては、カバー率、追跡率が重要であり、カバー率、追跡率が低いと信頼性が 担保できない。 久山町のコホート研究の場合、人口 9,000 人、40 歳以上 4,400 人、健診受診者 3,700 人であ り、追跡率は 99.9%で剖検率 80%と相まって世界に類を見ない精度を実現している。 日本の現状は健診受診率が 30%をきっており、これだけをみれば信頼性を高めるための工夫が 必要だと言える。 ⑥ 未病/健常者を対象とした健康市場の今後 OECD Health Data 2012 年版、及び Euromonitor International 社の調査によれば、日 本・米国・英国なおける各国の薬剤市場、健康食品市場の規模は図 1-2-2-2 に示した通りで あり、日本でも米国・英国と同様の比率で健康食品市場が拡大すると仮定した場合、現在の 4.3 兆 円市場に対して、あと約 2.0~5.4 兆円ほどの潜在的市場の可能性が期待できる。薬剤市場と健 康食品市場の比率、米国 1:0.68、英国 1:1.08 である。 20 第 1 章 医薬品開発の最新動向 図 1-2-2-2.健康市場の今後 (ヒュービットジェノミクス㈱ 一圓剛氏 提供資料) 2) コホート研究と創薬 ① 日本の創薬能力 日 本 製 薬 工 業 協 会 、医 薬 品 産 業 政 策 研 究 所 の調 べによると、特 許 の優 先 権 主 張 別 に見た New Class 医薬品の品目数とその割合から、日本の創薬能力は大幅に低下していることが知られ る2) 。 ② 創薬ターゲットの道程 GWAS(genome-wide association study) これまでに、メバロチン(高脂血症)、アリセプト(認知症)、アクテムラ(慢性関節リウマチ)、ゾレア (IgE 抗体=重症喘息)、エリスロポエチンなどの日本発の新薬が知られているが、新薬創出企業 も変 化 しており、GWAS 研 究 により多 くの病 気 や薬 に関 連 する遺 伝 子 が明 らかになっており、 GWAS 研究で得られたターゲットに対する小分子の創薬が可能になってきている。現在、GWAS 論文は、日本でも 200 を超えており、GWAS 研究による創薬ターゲットはおよそ 300 だとされてい る(図 1-2-2-3)。 21 第 1 章 医薬品開発の最新動向 図 1-2-2-3.GWAS 研究 (ヒュービットジェノミクス㈱ 一圓剛氏 提供資料;㈱スタージェン鎌谷直之先生より資料提供) ③ 臨床情報から薬を開発する時代 現在は、臨床情報から薬を開発する時代になりつつある。臨床情報としての薬剤の使用成績を 分析して、新しい用途を見出す流れであり、心臓病の薬剤として開発していた薬が ED の治療薬 (バイアグラ)として開発されたのが 1 つの代表例である(図 1-2-2-4)。 図 1-2-2-4.臨床情報から薬を開発する時代 (ヒュービットジェノミクス㈱ 一圓剛氏 提供資料) 22 第 1 章 医薬品開発の最新動向 ④ ファーマコゲノミクスの診断マーカー 大規模な臨床研究や治験では正確な臨床情報を収集することが可能である。そこで、単純に有 効例や無効例を鑑別するだけでなく、薬剤で想定される薬効と期待されなかったのに観察された 変化をもとに、化合物のもつ分子との相互作用を観察する。 例えば、ある特定の ARB(アンジオテンシン受容体拮抗薬)だけが尿酸値を下げるとしたら、この 化合物は腎臓のトランスポーターチャネルに作用すると考えられるので、尿酸値がさがった被験者 の生体試料からマーカーを見いだし、尿酸値の下がった被験者トランスポーターの構造と薬物作 用点を解析する。実際にある ARB は尿酸トランスポーターURAT1に作用し血清尿酸値を低下さ せることがわかっている。 ⑤ 衝撃のナノポアシークエンサーOxford Nanopore GWAS 研究、ファーマコゲノミクスの臨床応用の普及拡大に向けて、大きな期待を集めているの が、ナノポアシークエンサーである。 Oxford Nanopore の Strand Sequencing の原理は、以前は、脂質 2 重膜にタンパク質ナノポ アを埋め込んだチップでシークエンシングする予定であったが、市販版はポリマー膜にタンパク質 ナノポアを埋め込んだチップとなった。DNA がナノポアを通過するときのイオン電流の変化を検出 することにより塩基を同定する。DNA がナノポアを通過する速度が速すぎるというナノポアシーケン シングの欠点は、酵素を利用して DNA の通過速度を制御することにより解決されているようである が、その詳細は発表されていない。 Oxford Nanopore の優れた点は、試料調製 にあり、PCR などにより DNA 増幅やリンカー結 合などのライブラリー調製作業も不要である。DNA が溶液状態であれば使えるだけでなく、血液中 の DNA や環境中の水溶液中の DNA 試料などのある程度汚い試料でもそのまま配列決定可能で ある。また、DNA の末端構造によらずシークエンシングでき、DNA 試料は 2 本鎖のままでよい。 ⑥ マーカーとしての画像診断 コホート研究と関連して期待されている診断技術としては、画像診断も挙げることができる。例え ば、光トポロジーによる画像解析と脳の疾患、心臓の疾患の病態解析などである。 ⑦ 少子化時代の切り札としてのロボット コホート研究と直接的には関係ないが、少子化時代の切り札としてのロボットによる医療・介護分 野での応用も期待されている。特に、質の高い以下に示すような介護等を人が行う国産のロボット (番竜)が世界的にも評価され、注目されている。 [介護ロボット番竜による質の高い介護等] 1) 老人の見守りロボット 2) PHS による遠隔制御ロボット 3) 犯罪防止用 4) 救助ロボット 5) 介護ロボット 23 第 1 章 医薬品開発の最新動向 3) ゲノム・環境情報統合を基盤とした Human Biological Science の世界への発信 ① 日本学術会議からの提案 ゲノム・環境情報統合を基盤とした Human Biological Science の世界への発信を目的とした 日本学術会議からの提案では、産学民連携モデルを図 1-2-2-5 に示したように考えており、分 析・測定・診断機器産業と製薬・医療機器産業が情報科学の活用により、大学、研究機関との連 携のもとに取り組む方向性が示されている。 図 1-2-2-5.産学民連携モデル (ヒュービットジェノミクス㈱ 一圓剛氏 提供資料;日本学術会議、本庶佑先生資料より) また、地域研究拠点の連携によるゲノム・環境情報統合基盤の構築と、世界へ向けた情報の発 信については、図 1-2-2-6 に示したように考えている。 24 第 1 章 医薬品開発の最新動向 図 1-2-2-6.地域研究拠点の連携によるゲノム・環境情報統合基盤の構築と、 世界へ向けた情報の発信 (ヒュービットジェノミクス㈱ 一圓剛氏 提供資料;日本学術会議、本庶佑先生資料より) ② ゲノム・環境情報統合研究事業 ゲノム・環境情報統合研究事業の組織図を図 1-2-2-7 に示す。 情報統合研究中核拠点は、事業全体の司令塔として、事業の統括運営を行う。計測項目や基 準の統一と倫理規約の統一は最も重要な役割である。主な業務として、事業組織の構築、制度設 計と事業計画の立案を行う。 事業組織の構築においては、事業の全体計画に基づき、本事業の意思決定機関である事業運 営委員会を組織し、事業計画の立案、標準プロトコール策定および地域拠点の選定と事業実施 規模の確定を行う。運営委員会の定期的開催で各地域拠点での事業の進捗の把握につとめ、情 報の集約と方針決定を行う。 事業の倫理委員会を立ち上げ、事業及び付随する研究の倫理審査を実施する。また、実施組 織外に外部評価委員会を設置し、事業の第三者による評価を行う。 事業の円滑な実施には、研究参加者の個人情報の厳格な保護に加え、研究活動の透明性、 説明責任等の倫理的妥当性を担保した包括同意が必須である。そこで新ゲノム指針を踏まえつつ、 本事業により適合するかたちの倫理規定を策定し、事業実施主体と研究参加者個人の間の契約 に基づく登録制度を設計する。また、データ取得に関して必須となるプロトコールの標準化を行う。 データや研究成果は、公開条件・安全対策等を検討した上で、JST バイオサイエンスデータベ ースセンターを通して公開する。また、事業の長期間の安定的運営のための産学民コンソーシアム を構築し、産業界からの積極的な研究協力を促し、成果を知的財産として共有する制度を確立す る。 事業の運営においては、生体試料バンクの運営と試料の管理、データ解析センターとの連携に よる、データ分析・解析と情報統合データベースの構築、国内外の関連研究機関(海外のバイオ バンク事業、JST バイオサイエンスデータベースセンターなど)との間の連携を統括する。研究者 25 第 1 章 医薬品開発の最新動向 コミュニティが、データを広く利用できるように情報統合データベースを構築し,情報の公開・共有 を進める。また、事業で生じた知財の管理や事業の広報活動を行う。 各地域における事業の円滑な実施・推進のために、まずは地域住民、自治体などとの密接な関 係の構築につとめ、健康づくりの土壌を育てる。そして、定期的な健診を実施し、地域住民の健康 管理を通した予防医学研究を行う。具体的実施項目として、統一プロトコールに則った生体試料 (血液、尿ほか)の収集と登録、バイオマーカー測定、生理学・身体機能検査などの健診データの 登録があげられる。また、大規模研究への参画に加えて、各拠点での独自の研究を実施し、成果 を公表するとともに、健診データを利用した住民の健康づくり啓発につとめる。10 万人規模のコホ ートを、10 か所程度の地域研究拠点で分担して進めることにより、100 万人規模のコホートを実施 する。 得られた生体試料の分析・解析を実施するとともに、情報統合データベースの構築により、臨床 情報や、疾患罹患情報の蓄積を行う。また、それらの多様な情報と疾患との関連を解析する。それ らを実行するため、以下の活動を行う。 図 1-2-2-7.ゲノム・環境情報統合研究事業の組織図 (ヒュービットジェノミクス㈱ 一圓剛氏 提供資料;日本学術会議、本庶佑先生資料より) ゲノム・環境情報統合研究事業における企業参加のしくみを図 1-2-2-8 に示す。 長期間の追跡をともなうにわたるヒト生命情報統合研究では、事業期間中に新たなバイオマーカ ーや先端技術を用いた分析・解析法が創出される可能性が高い。また、疾患発症追跡のための医 療情報ネットワーク構築には必ず匿名化のステップが含まれるため、安全性の高い情報集約シス テムの導入が必要である。こういった研究開発の実施はアカデミアの力のみでは困難であり、製薬・ 26 第 1 章 医薬品開発の最新動向 医薬機器、分析・測定・診断機器、情報・通信など様々な産業分野で強い開発能力を有する企業 との連携が必須である。加えて、我が国の国際競争力の回復には、新規産業の創成と育成が不可 欠である。 産学連携の推進にあたっては、企業が参画しやすい体制を備える必要がある。また、研究の体 制は、集積された情報へのアクセス、アカデミアとの共同研究、生体試料や情報を利用した企業単 独の研究など、多様な形態が存在する。そのために、以下のような条件のもとでの連携体制を構築 する。 ア.企業が研究開発に必要な情報の提供 イ.生体試料を用いた分析・解析の受託 ウ.研究開発段階でのマイルストーンは不要 エ.資金を提供した研究には優先開発権を付与 オ.知的財産使用料は製品・サービス開発後に回収 カ.技術供与等も投資として認める 図 1-2-2-8.ゲノム・環境情報統合研究事業における企業参加のしくみ (ヒュービットジェノミクス㈱ 一圓剛氏 提供資料;日本学術会議、本庶佑先生資料より) 27 第 1 章 医薬品開発の最新動向 ③ 医療情報 コホート研究の倫理に関わる健常人の History と疾患への道の概念を図 1-2-2-9 に示す。 図 1-2-2-9.健常人の History と疾患への道 (ヒュービットジェノミクス㈱ 一圓剛氏 提供資料) 表に見える構図としてのクラウド環境での医療情報の概念を図 1-2-2-10 に示す。 クラウド環境においては、医療情報、医療情報統合システム、クラウド基盤が一体となって医療 情報が提供される。統合システムには、以下の機能が必要である。 ・ スピーディなサービス提供 ・ 高いコストパフォーマンス ・ 強固なセキュリティ ・ 災害時等の医療情報の確保 28 第 1 章 医薬品開発の最新動向 図 1-2-2-10.クラウド環境での医療情報 (ヒュービットジェノミクス㈱ 一圓剛氏 提供資料) ④ ゲノム・環境情報統合研究の医療情報管理 ゲノム・環境情報統合研究における医療情報管理に関して、X 線検査を例にして図 1-2-2- 11 に示す。医療情報の管理は、県庁(市町村)と診療情報の追跡が可能な地域研究拠点の連携 が基本となる。 県庁(市町村)においては、以下の管理が行われる。 ・ ID 管理(発行、検索) ・ 個人情報管理 ・ 進捗管理(案内発行、結果発送) ・ 受診管理 一連の医療情報の管理のもと、町民への広報、タイムリーな情報提供、健診・検査結果閲覧(行 政お知らせ、写真健康相談)、検査結果の参照(健康増進プログラム)が進められる。 29 第 1 章 医薬品開発の最新動向 図 1-2-2-11.ゲノム・環境情報統合研究の医療情報管理(X 線) (ヒュービットジェノミクス㈱ 一圓剛氏 提供資料) ⑤ 食・健康・医療の情報・社会インフラ構築と活用 北海道大学と日立情報・通信システム社ヘルスケア事業推進センターによる「食・健康・医療を つなぐ情報・社会インフラ構築とそれを活用した健康社会イノベーションの実現」を目指した取り組 みの事例の概念を図 1-2-2-12 に示す。 このプロジェクトは COI(Center Of Inovation)のトライアルとして採択されており、ヒトの日常生 活における様々な情報を統合的に利活用しようと言う試みに多くのアウトプットが期待できる。ここに 企業が前向きに関わることでアウトプットからアウトカムの創出が期待できる。 30 第 1 章 医薬品開発の最新動向 図 1-2-2-12.食・健康・医療の情報・社会インフラ構築と活用 (北海道大学 筒井裕之教授提供資料) 4) 現状からの発展系としてのゲノム医療と再生医療 現状からの発展系としてのゲノム医療と再生医療については、定期健診等を活用した健康な時 からの健診による早期診断が基本であり、疾患等が疑わしい時は、ゲノム医療ベースの遺伝子情 報の診断に基づいて、先進医療制度等も活用して、個々人に適した診断・治療と、各種ヘルスケ アを行うことが重要となる。 将来的には、自分の遺伝子情報を自分が持っていることで、医療は激変することになる。 【参考資料】 1) (公財)ヒューマンサイエンス振興財団、平成 25 年度創薬技術調査ワーキンググループ、勉 強会講演「コホート(研究)の動向(現在の課題と将来像)」記録 ヒュービットジェノミクス株式 会社 一圓 剛氏 2013 年 12 月 10 日 非公開 2) 政策研ニュース No.29, 2010 年 1 月 31 第 1 章 医薬品開発の最新動向 1-3.医薬品開発のトレンド 1-3-1.米国における新薬開発と承認の状況 1)~3) 医薬品開発のトレンドの 1 つとして、米国における新薬開発に対する当局の施策および新薬の承 認の状況について、規制当局の公開資料等を参考にまとめた。 1)米国 FDA による新薬開発の迅速化策 2013 年、米国の医薬品開発および許認可の規制当局である食品医薬品局(Food and Drug Administration;FDA)は、処方箋薬ユーザーフィー法(The Prescription Drug User Fee Act) をⅣ(2007 年 ~2012 年 )から V(2013 年 ~2017 年 )に移 行 し、2012 年 7 月に導 入 した 「Breakthrouogh Therapy(画期的治療薬または治療法)」の指定制度で初の新薬 3 品目を承 認した。Breakthrouogh Therapy の指定基準は、重篤な疾患の治療を目指した開発中の品目 を対象にして、フェーズ 1 臨床試験など臨床試験初期から既存の治療法よりも大幅に効果の向上 が予想されることが必要である。この Breakthrouogh Therapy の指定により革新的新薬や治療 法の臨床開発と承認審査を迅速化して、それらを早期に患者に届けることを目的に導入された制 度である。 FDA には新薬の開発迅速化プログラムとして既に Fast Track、Accelerated Approval および Priority Review 制度がある。Breakthrouogh Therapy 制度では、初期臨床試験を出来るだけ 早期に開始させ、効率的な開発に向けた強力なガイダンスである「FDA DRAFT GUIDANCE “Expedited Programs for Serious Conditions–Drugs and Biologics”」4)が用意され、FDA はシニアマネージャーレベルの組織として企業に積極的に助言や指導を行い、また、Fast Track 制度のすべての支援活動を実施しながら開発・審査の迅速化を目指す制度である。 FDA の 医 薬 品 評 価 研 究 セン ター (The Center for Drug Evaluation and Research; CDER)は 2013 年 12 月までに Breakthrouogh Therapy の申請を 113 件受付けて、30%を Breakthrouogh Therapy に指定している。49%は却下され、12%は保留、9%が申請取り下げと なっている(図 1-3-1-1)。 32 第 1 章 医薬品開発の最新動向 図 1-3-1-1. Breakthrouogh Therapy 申請後の指定状況(2013 年 12 月現在) (参考資料 2) をもとに(公財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査 WG で作成) Breakthrouogh Therapy に 申 請 さ れ た も の で は 、 が ん 領 域 が 最 も 多 く 27 % 、 次 い で Hematology が 19%、Antiviral が 13%であった(図 1-3-1-2)。指定基準には主観的な面も あるので、指定の基準やそれへのアプローチの一 貫性を保つために医療政 策審議会(Medical Policy Council)ですべての申請が審議された。一部の指定された薬剤は開発後期に指定され、 幾つかのケースでは承認申請後に指定された例もあった。Breakthrouogh Therapy 制度の主旨 は開発早期からの支援であり、今後より早期に指定をしていくことが求められている。例えば、臨床 開発は律速とはならず、製造工程の開発やスケールアップが開発の律速となる場合がしばしばあり、 これらの加速化に規制当局の支援が必要となる場合もある。また、申請と指定の数が当初の予想 を超えていることから、他のプログラムへの悪影響を及ぼすことなく、FDA のリソースを集中するべき である。Breakthrouogh Therapy への指定が却下された理由には、臨床データが含まれていな い、含まれていたとしてもあまりに少ない暫定的なデータである、既存治療を実質的に改善すると は言えない、患者のベネフィットをサポートするのに十分な証拠があるとは言えない新規のバイオマ ーカーや代替エンドポイントに依存している、ベネフィットを受けるかもしれない患者群を特定しない まま事後解析を行っている、などがあった。 33 第 1 章 医薬品開発の最新動向 図 1-3-1-2. Breakthrouogh Therapy に申請された薬剤の疾患分野 (参考資料 2) をもとに HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) Breakthrouogh Therapy に 指 定 され たも ので は Antiviral が 26 % で 最 も 多 く 、次 い で Hematology が 24%、Oncology が 18%であった(図 1-3-1-3)。指 定 は一 般 に IND (Investigational New Drug)下で行われ、FDA は決定の詳細について議論することが禁止され てい る し 、 多 く の 企 業 は 公 表 しない こと か ら、 これ 以 上 詳 しい こと は 不 明 で あ る が 、これ ま で に Breakthrouogh Therapy に指定された中では、2013 年に 3 品目が承認されている(次項を参 照)。 図 1-3-1-3. Breakthrouogh Therapy に指定された薬剤の疾患分野 (参考資料 2) をもとに HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) 34 第 1 章 医薬品開発の最新動向 2)米国における 2013 年の新薬開発の動向 2013 年に CDER が新規化合物の新薬として 27 品目を承認した(表 1-3-1-1)。この承認 数は 2011 年の 30 品目、2012 年の 39 品目と比較して減少している。しかし、過去 10 年間ではこ の 2012 年の数値は異常に高い数と思われ、この間の平均承認数 26 品目並みの承認数となって いる。2013 年には 2 週間以上の政府機関の閉鎖があったことも考慮すると、米国の新薬開発力が 落ちているとは言えないだろう。この 10 年間、承認申請数も年間約 34 品目と一定しており、申請 数が増加しないと承認数の増加もしない。上記の Breakthrouogh Therapy 指定のような開発支 援策が有効に機能して申請数の増加を促し、承認数が増加していくことが期待される。 生物製品のうちワクチンや血液製剤を除く治療用のバイオ医薬品の承認は 2 品目であった。 2009 年から維持していた年間 6~7 品目の承認数(2009 年 7 品目、2010 年 6 品目、2011 年 6 品目、2012 年 6 品目)に比べて大きく減少したが、その要因について FDA は特にコメントはしてい ない。 2013 年に承認された 27 品目のうち、がん領域の薬剤が 9 品目、次いで代謝・内分泌領域、感 染症領域、循環器領域および中枢神経系領域が各 4 品目と 2012 年と同様に、抗がん剤領域の 薬剤開発が活発に行われている。承認された新薬の適応がん種は、メラノーマ、慢性リンパ性白血 病、マントル細胞リンパ腫、多発性骨髄腫、乳がん、前立腺がんの骨転移等であった。炎症・免疫、 眼科、骨格筋、消化器および泌尿器の領域では新薬の承認はなかったが、炎症・免疫領域では 5 品目で効能追加が行われた。2013 年の幾つかの新薬についてトピックスを以下に紹介する。 がん領域では、作用機序の異なる 2 つの抗メラノーマ治療薬が、コンパニオン診断薬と同時承 認された。変異型 BRAF キナーゼ阻害剤 Tafinlar(dabrafenib)と MEK1/MEK2 阻害薬 Mekinist(trametinib)である。Tafinlar は BRAF V600E 変異陽性メラノーマ、Mekinist は BRAF V600E または BRAF V600K 変異陽性メラノーマ治療薬で、これらは同時承認されたコン パ ニ オ ン 診 断 テ ス ト TH x ID-BRAF に よ っ て 患 者 の 選 別 を 行 う こ と と な っ て い る 。 Kadcyla (ado-trastuzumab emtansine)は抗 HER2 抗体 trastuzumab に低分子 microtuble 阻害薬 DM1(maytansine 誘導体)を安定な thioether リンカーで結合した複合体である AntibodyDrug Conjugate(ADC)薬である。適応は trastuzumab と taxane 化学療法の治療を受けた HER2 陽性転移性末期乳がん患者の単剤治療である。 Breakthrouogh Therapy に指定されて承認された 3 品目のうち 2 品目ががん領域であった。 1 つ目は Gazyva(obinutuzumab)で、化学療法剤 chlorambucil との併用で、治療歴のない慢 性リンパ性白血病(CLL)の 1 次治療薬として承認された。Gazyva は B 細胞に発現している CD20 タンパク質を標的とする糖鎖を修飾した TypeⅡモノクローナル抗体で、直接作用と抗体依 存性細胞障害作用を活性化し、それらの共同作用で標的細胞を攻撃するタイプの薬剤である。2 つ目は Imbruvica(ibrutinib)で、低分子 Bruton Tyrosine Kinase(BTK)阻害薬のマントル細 胞リンパ腫(MCL)治療薬である。BTK は B 細胞抗原受容体とサイトカイン受容体経路のシグナル 伝達分子で、B 細胞の輸送や走化性、および接着のパスウェイに関与しており、Imbruvica は BTK 活 性 中 心 の シ ス テ イ ン 残 基 に 共 有 結 合 し て 酵 素 活 性 を 阻 害 す る 。 Breakthrouogh Therapy に指定されて承認されたあと 1 つは、HCV 治療薬の Sovaldi(sofosbuvir)である。 Sovaldi は併用療法の 1 成分としての承認で、単独での療法は承認されていない。 他にがん領域ではα線の殺細胞効果を応用した放射性ラジウム製剤 Xofigo(radium Ra 223 dichloride)が承認された。Xofigo は、前立腺がんの骨代謝の亢進した骨転移病変部にカルシウ 35 第 1 章 医薬品開発の最新動向 ム類縁体として取り込まれて骨組織と複合体を形成し、その微小環境下で放出されるα線ががん 細胞を破壊する治療薬である。放射性核種 223 Ra のα線の組織中平均飛程は 100μm 以下、半 減期は 11.4 日で、数種類の嬢核種の崩壊を経て最終的に安定核種である 207 Pb に変換する。 Kynamro(mipomersen sodium)は初めて承認された全身性アンチセンス薬剤である。最大 の難点であったドラッグデリバリーについては皮下注射で解決に成功し、週 1 回の皮下注投与で、 ホモ家族性高コレステロール血症患者の脂質低下治療と食事療法の補助療法薬として承認され た。Kynamro は 20 年近くの開発期間を経て市場に到達した最初の全身性アンチセンス薬剤であ り、新たな創薬基盤技術として、今後多くの疾患領域でアンチセンス創薬の応用が期待される。 慢性閉塞性肺疾患(Chronic Obstructive Pulmonary Disease;COPD)の治療薬として未 承 認 薬 成 分 を 含 む 配 合 剤 2 品 目 が 承 認 された 。1 つ は Breo Ellipta で 、既 承 認 成 分 の fluticasone furoate と未承認成分の vilanterol の吸入配合剤で、新有効成分医薬品として承認 さ れ た 。 も う 1 つ の 配 合 剤 は 同 じ く 吸 入 剤 の Anoro Ellipta で 、 2 つ の 有 効 成 分 で あ る umeclidinium と vilanterol は両成分とも米国では未承認の成分である。既承認と未承認成分ま たは未承認成分同士の併用や配合剤の開発が活発に行われており、今後このような組合せの治 療薬が上市されてくることが考えられる。 2013 年に FDA は肺動脈高血圧症(PAH)の病勢進行を抑制する治療薬 2 品目、Adempas (riociguat)と Opsumit(macitentan)を承認 した。作用 メカニズムは、Adempas では可 溶性 guanylate cyclase 刺 激 作 用 、 Opsumit で は dual エ ン ド セ リ ン 受 容 体 阻 害 作 用 で あ る 。 Adempas は PAH の他に持続性/再発性、慢性血栓塞栓性肺高血圧症の効能も承認された。 病勢の進行とは、死 亡、プロスタノイドの投与開始 、6 分間歩行 距離の減 少や症状の悪化 等の PAH の悪化である。これら 2 剤はいずれも胎児への影響から妊婦への使用は禁忌で、女性患者 はリスク評価・緩和対策(REMS)の流通制限プログラムに参加登録して、投与を受けることができ る。このプログラムの使用開始の要件は、妊娠の有無の検査と避妊の遵守である。 36 第 1 章 医薬品開発の最新動向 表 1-3-1-1.2013 年に CDER が承認した新薬(その 1) (参考資料 No 1 3) をもとに HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) 薬剤名 Nesina (NDA) Kynamro (NDA) 一般名 alogliptin 承認日 1/25/13 mipomersen sodium 1/29/13 Pomalyst (NDA) Kadcyla (BLA) Osphena (NDA) pomalidomide 2/8/13 ado-trastuzumab emtansine ospemifene 2/22/13 6 Lymphoseek (NDA) technetium Tc 99m tilmanocept 3/13/13 7 Dotarem (NDA) gadoterate meglumine 3/20/13 8 Tecfidera (NDA) Invokana (NDA) dimethyl fumarate 3/27/13 canagliflozin 3/29/13 10 Breo Ellipta (NDA) fluticasone furoate and vilanterol inhalation powder 5/10/13 11 Xofigo (NDA) radium Ra dichloride 5/15/13 12 Tafinlar (NDA) dabrafenib 5/29/13 13 Mekinist (NDA) trametinib 5/29/13 2 3 4 5 9 2/26/13 223 NDA:新薬承認申請、BLA:生物製品承認申請 37 効能・効果 To improve blood sugar control in adults with type 2 diabetes. To treat patients with a rare type of high cholesterol called homozygous familial hypercholesterolemia (HoFH). For patients with HER2-positive, late-stage (metastatic) breast cancer. For patients with HER2-positive, late-stage (metastatic) breast cancer. To treat women experiencing moderate to severe dyspareunia (pain during sexual intercourse), a symptom of vulvar and vaginal atrophy due to menopause A radioactive diagnostic imaging agent that helps doctors locate lymph nodes in patients with breast cancer or melanoma who are undergoing surgery to remove tumor-draining lymph nodes. For use in magnetic resonance imaging (MRI) of the brain, spine and associated tissues of patients ages 2 years and older. To treat adults with relapsing forms of multiple sclerosis (MS). Used with diet and exercise, to improve glycemic control in adults with type 2 diabetes. For the long-term, once-daily, maintenance treatment of airflow obstruction in patients with chronic obstructive pulmonary disease (COPD), including chronic bronchitis and/or emphysema. To treat men with symptomatic late-stage (metastatic) castration-resistant prostate cancer that has spread to bones but not to other organs. To treat patients with melanoma whose tumors express the BRAF V600E gene mutation. To treat patients whose tumors express the BRAF V600E or V600K gene mutations. 第 1 章 医薬品開発の最新動向 表 1-3-1-1.2013 年に CDER が承認した新薬(その 2) (参考資料 3) をもとに HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) No 14 薬剤名 Gilotrif (NDA) 一般名 afatinib 承認日 7/12/13 15 16 Tivicay(NDA) Brintellix (NDA) Duavee (NDA) dolutegravir vortioxetine 8/12/13 9/30/13 conjugated estrogens/ bazedoxifene 10/3/13 Adempas (NDA) Opsumit (NDA) riociguat 10/8/13 macitentan 10/18/13 20 Vizamyl (NDA) flutemetamol 18 injection 21 Gazyva (BLA) obinutuzumab 11/1/2013 22 Aptiom (NDA) Imbruvica (NDA) eslicarbazepine acetate ibrutinib 11/8/2013 24 Luzu (NDA) luliconozole 11/14/2013 25 Olysio (NDA) Sovaldi (NDA) Anoro Ellipta (NDA) simeprevir 11/22/2013 sofosbuvir 12/6/2013 umeclidinium and vilanterol inhalation powder 12/18/2013 17 18 19 23 26 27 F 10/25/13 11/13/2013 NDA:新薬承認申請、BLA:生物製品承認申請 38 効能・効果 For patients with late stage (metastatic) non-small cell lung cancer (NSCLC) whose tumors express specific types of epidermal growth factor receptor (EGFR) gene mutations, as detected by an FDA-approved test. To treat HIV-1 infection. To treat adults with major depressive disorder. To treat moderate-to-severe hot flashes (vasomotor symptoms) associated with menopause and to prevent osteoporosis after menopause. To treat adults with two forms of pulmonary hypertension. To treat adults with pulmonary arterial hypertension (PAH), a chronic, progressive and debilitating disease that can lead to death or the need for lung transplantation. A radioactive diagnostic drug for use with positron emission tomography (PET) imaging of the brain in adults being evaluated for Alzheimer's disease (AD) and dementia. For use in combination with chlorambucil to treat patients with previously untreated chronic lymphocytic leukemia (CLL). As an add-on medication to treat seizures associated with epilepsy. To treat patients with mantle cell lymphoma (MCL), a rare and aggressive type of blood cancer. For the topical treatment of interdigital tinea pedis, tinea cruris, and tinea corporis caused by the organisms Trichophyton rubrum and Epidermophyton floccosum, in patients 18 years of age and older. To treat chronic hepatitis C virus infection. To treat chronic hepatitis C virus (HCV) infection. For the once-daily, long-term maintenance treatment of airflow obstruction in patients with chronic obstructive pulmonary disease (COPD). 第 1 章 医薬品開発の最新動向 3)2013 年に承認された新薬に対する開発迅速化プログラム等の状況 FDA が持つ、新薬の画期性や医療上の有用性に関しての First in Class の指定と、Ophan Drug の指 定 、および 4 つの開 発 迅 速 化 プログラムである Fast Track、Priority Review、 Accelerated Approval、および上記の Breakthrouogh Therapy への対応状況は以下のとおり である (表 1-3-1-2)。 表 1-3-1-2.2013 年に CDER が承認した新薬の開発迅速化プログラム等への指定状況 ○ ○ ○ ○ ○ First Approved in US Accelerated Approval Priority Review ○ ○ Breakthrouogh Therapy ○ Fast Track Nesina Kynamro Pomalyst Kadcyla Osphena Lymphoseek Dotarem Tecfidera Invokana Breo Ellipta Xofigo Tafinlar Mekinist Gilotrif Tivicay Brintellix Duavee Adempas Opsumit Vizamyl Gazyva Aptiom Imbruvica Luzu Olysio Sovaldi Anoro Ellipta をもとに HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) Ophan Drug Drug Name 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 3) First in Class No. (参考資料 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ First in Class とは新しくてユニークな作用メカニズムの薬剤で、2013 年には 9 品目(33%)の 新薬が First in Class として承認された。Ophan Drug とは患者数が 20 万人以下で医療ニーズ の高い疾患の治療薬で、承認された新薬のうち 9 品目(33%)が指定を受けている。2012 年に承 認された First in Class 指定率は 45%、Ophan Drug の指定率は 23%であり、画期的新薬、 unmet medical needs の高い新薬の開発が続いていると考えられる。 2013 年に承認された 27 品目中 9 品目(33%)は Fast Track に指定された。2012 年は 32% 39 第 1 章 医薬品開発の最新動向 であった。Fast Track とは非臨床または臨床で unmet medical needs に対応しうるデータが示さ れており重篤な病態の治療を目的とした薬剤である。Fast Track に指定されると FDA とのコミュニ ケーションレベルが上げられ、フル申請の前に一部の申請資料のレビュー(rolling review)を受 けられるなど、新薬開発のスピードアップの支援が受けることができる。 27 品目中 3 品目(11%)が、画期的な治療薬として Breakthrouogh Therapy に指定された。 前項に述べたように、Breakthrouogh Therapy は少なくとも 1 つの臨床的に重要なエンドポイント で現 状の治 療 法 以 上 の実 質 的 な改 善 作 用 示 す予 備 的 なエビデンスを持 っている薬 剤 である。 Breakthrouogh Therapy に指定されると Fast Track プログラムのすべての機能だけでなく、効 率的な医薬品開発プログラムに関するより集中的な FDA ガイダンスに繋がり支援を受けられる。 Breakthrouogh Therapy 指定制度は、有望な新しい治療法の開発時間を短縮するために設計 されており、2012 年 7 月 9 日後に施行された新たな指定であり、2013 年は、新しいこの制度支援 を受けた薬剤が承認された最初の年となった。 2013 年に承認された新薬のうち 10 品目(37%)は、Priority Review に指定さた。2012 年は 35%であった。これは CDER が、潜在的に医療の重要な進歩を提供すると認め、標準 10 か月の レビュー期間を 6 カ月以内と設定している制度である。 2013 年に承認された 27 品目中 2 品目(7%)は、Accelerated Approval プログラムの下で承 認された。これは重大または生命にかかわる病気に対して、現在の治療上の効果を超えるベネフィ ットを提供するために薬の早期承認を可能にものである。この承認は、代替エンドポイント(例えば、 臨床検査値の測定)や FDA が臨床的利益を予測することに合理性が高いと考えている他の臨床 指標に基づいている。この承認後、薬物はそのベネフィットを確認するために、追加の臨床試験を 行わなければならないが、この制度によって、より迅速に患者に対して新薬を利用可能とすることが できる。 これらの開発迅速化プログラムへの指定は、1 つのプログラムに限定されるものではない。多くの 場合、開発と承認の加速のために、これらのプログラムの複数が使用されている。2013 年に承認さ れ た 27 品 目 の 新 薬 の ほ ぼ 半 分 で あ る 13 品 目 ( 48 % ) が 、 Fast Track 、 Breakthrouogh Therapy、Priority Review、および Accelerated Approval の 1 つ以上のカテゴリに指定され、 9 品目は 2 つ以上の指定を受けている。Imbruvica は 4 つすべての指定を受け、4.5 ヶ月の審査 期間で承認された。このことは、それぞれの指定は、開発や承認プロセスのスピードを早めることに 役立ち、可能な限り迅速に患者に重要な薬剤を届けることができるように設計されていると考えられ る。 4)開発および承認審査の迅速化施策の効果 米国では、1992 年に処方せん薬ユーザーフィー法(The Prescription Drug User Fee Act ; PDUFA)が制定され、承認審査の迅速化を図るため、FDA の新薬承認審査に限定期間を設け、 FDA はその期間内に審査を済ませるよう努力することが定められた。PDUFA では、新薬審査に 必要な財源を申請する製薬企業に求めており、製薬企業には、FDA が提供しているパフォーマン スの目標を達成するために必要なリソースに対する費用負担が割り振られている。CDER は、申請 のレビューのために製薬業界および議会で合意した PDUFA の目標期限を、2012 年に引き続い て 2013 年も満たす、または超えることが出来たとしている。特に注目すべき例は、Gazyva が 6.3 か月で、Imbruvica が 4.5 ヶ月で、Xofigo が 5.0 ヶ月で承認され、すべての薬剤が目標期限日よ 40 第 1 章 医薬品開発の最新動向 り前に承認されている。 また、医薬品の開発や承認などに関する規制プロセスは、FDA およびその他の国の規制機関と の間では大きく異なるが、2013 年に承認された新薬のうち 20 品目(74%)は、米国で最初に承認 されていた。 医薬品の開発や承認審査では、承認される新薬の数よりも重要なことは、製薬業界が開発した 新薬の質であり、これらの新薬が医療を進めるためにより重要な役割を果たせるかどうかである。ま た、審査のためのレビューが効率的であったかどうかである。CDER は、このような薬剤を医療現場 に迅速に提供するための様々な規制プログラムを使用しているが、どのようなケースでも、また、ど のようなプロセスでも有効性と安全性を実証するための基準には妥協していない、と FDA は述べて いる。 【参考資料】 1) 国際医薬品情報 2014 年 1 月 13 日<1001 号> 2) CDER NEW DRUG REVIEW: 2013 Update ( http://www.fda.gov/downloads/AboutFDA/CentersOffices/OfficeofMedicalProduct sandTobacco/CDER/UCM378227.pdf) 3) Novel New Drugs 2013 Summary. ( http://www.fda.gov/downloads/Drugs/DevelopmentApprovalProcess/DrugInnovat ion/UCM381803.pdf) 4) FDA DRAFT GUIDANCE 「Expedited Programs for Serious Conditions––Drugs and Biologics」 ( http://www.fda.gov/downloads/Drugs/GuidanceComplianceRegulatoryInformatio n/Guidances/UCM358301.pdf) 41 第 1 章 医薬品開発の最新動向 1-3-2.バイオ医薬品 1)はじめに 世界の医薬品市場は年平均 3~6%の成長を続け、2016 年には 1.2 兆ドルに達すると予測され ている 1 ) 。この中で、新薬市場の主流は、従来の「低分子医薬品」から「バイオ医薬品」へと変わり つつある。世界の医薬品売上トップ 10 の推移を見ると、2000 年の時点ではバイオ医薬品はエリス ロポエチン製剤である Procrit1 品目のみであったが、2005 年には抗体医薬である Rituxan が加 わって 2 品目になり、2010 年には 5 品目、更に 2012 年には 7 品目へと大幅に増加している 2~5) 。 これに伴いトップ 10 中のバイオ医薬品売上の割合は、2000 年の 7.3%から 2012 年の 71.1%へと 飛躍的に延びた(表 1-3-2-1)。また、世界の医薬品売上上位 50 品目に占めるバイオ医薬品 と低分子医薬品の売上推移を見ても、2010 年のバイオ医薬品の売上比率が 31.6%であったのに 対し、2012 年には 39.3%にまで増加した 5) 。 2012 年度の世界の医薬品売上トップ 10(最終確定。以下昨年度報告書を修正)を見ると(表 1 -3-2-1)、バイオ医薬品が初めてトップを占め、更に 7 品目ものバイオ医薬品がリストアップされ る記念すべき年となった5) 。売上トップは Humira(AbbVie/Abbott、関節リウマチ、9,603 百万米 ドル)で、初めて抗体医薬品がトップになった。バイオ医薬品以外でランクインした低分子医薬品は、 4 位 Advair(GlaxoSmithKline、喘息、8,126 百万米ドル)、5 位 Crestor(AstraZeneca、高脂 血症、7,430 百万米ドル)、10 位 Januvia/Janumet(Merck & Co.、2 型糖尿病、6,208 百万米 ドル)であった5) 。2011 年の世界の医薬品売上トップ 10 のうち、2001 年から 11 年間にわたってト ップの座 を守 っ てきた Lipitor (Pfizer 、高 脂 血 症 )、2 位 Plavix(Bristol-Myers Squibb / Sanofi-Aventis 、 抗 血 小 板 薬 ) 、 9 位 Diovan ( Novartis 、 高 血 圧 ) 、 10 位 Seroquel (AstraZeneca、統合失調症)がランク外になった。これは、これらブロックバスターの特許切れ問 題(パテントクリフ)が現実化した結果である。 本稿では、バイオ医薬品の中心となっている抗体医薬及び核酸医薬に加えて、最近開発が加 速しているバイオ医薬品の後発品(バイオ後続品)について最新動向を概説する。なお、バイオ医 薬品についてはこの 1 年間の動向のみにとどめ、昨年度の報告書 6) を更新する形で報告する。 42 第 1 章 医薬品開発の最新動向 表 1-3-2-1.医薬品売上高トップ10品目の推移 (参考資料 2)~5) をもとに HS 財団 創薬技術調査 WG で作成 2005年 2000年 順位 1 2 製品名 Omepral/ Losec Zocor/ Lipovas 薬効 適応症等 売上高 (百万米ドル) 順位 薬効 適応症等 売上高 (百万米ドル) 抗潰瘍 6,260 1 Lipitor 高脂血症 12,963 高脂血症 5,280 2 Plavix 抗血小板 6,223 腎性貧血 6,145 製品名 3 Lipitor 高脂血症 5,031 3 Epogen/Procr it/Espor 4 Norvasc 高血圧 3,362 4 Norvasc 高血圧 5,245 5 Pravachol/ Mevalotin 高脂血症 3,348 5 Advair/Sereti de 抗喘息 5,168 6 Claritin 抗アレルギー 3,011 6 Nexium 抗潰瘍 4,633 7 Prevacid/ Takepron 抗潰瘍 2,956 7 抗潰瘍 4,394 8 Procrit 腎性貧血 2,709 8 高脂血症 4,382 9 Celebrex 抗炎症 2,641 9 Zyprexa 統合失調症 4,202 Prozac 抗うつ 2,574 10 Rituxan 抗癌剤/ リンパ腫 3,867 7.3% T op10中のバ イオ医薬品の割合 10 T op10中のバ イオ医薬品の割合 Prevacid/ Takepron Zocor/ Lipovas 2010年 順位 製品名 17.5% 2012年 薬効 適応症等 売上高 (百万米ドル) 順位 製品名 薬効 適応症等 売上高 (百万米ドル) 1 Lipitor 高脂血症 12,023 1 Humira 関節リウマチ 9,603 2 Plavix 抗血小板 9,426 2 Remicade 関節リウマチ 9,071 3 Remicade 関節リウマチ 8,065 3 Enbrel 関節リウマチ 8,476 4 Advair/ Seretide 抗喘息 8,029 4 Advair Seretide 抗喘息 8,216 5 Rituxan 抗癌剤/ リンパ腫 7,833 5 Crestor 高脂血症 7,430 6 Enbrel 関節リウマチ 7,279 6 Rituxan 抗癌剤/ リンパ腫 7,227 7 Diovan/ Nisis 高血圧 7,074 7 Lantus 糖尿病 6,555 8 Avastin 抗癌剤/ 大腸癌 6,867 8 Herceptin 6,444 9 Crestor 高脂血症 6,834 9 Avastin 抗癌剤/ 乳癌 抗癌剤/ 大腸癌 10 Humira 関節リウマチ 6,752 10 Januvia/ Janumet 糖尿病 6,208 45.9% T op10中のバ イオ医薬品の割合 T op10中のバ イオ医薬品の割合 *ハイライトはバイオ医薬品を示す 43 6,307 71.1% 第 1 章 医薬品開発の最新動向 2)バイオ医薬品開発の現状 2012 年の世界の医薬品売上トップ 30 に 12 品目のバイオ医薬品がランクされた(表 1-3-2 -2)。前述のように全医薬品売上トップ 10 の 1 位をバイオ医薬品が占め、7 品目のバイオ医薬品 がランクインしている。その内訳は、抗体 5 品目(1 位 Humira、 2 位 Remicade、6 位 Rituxan、 8 位 Herceptin、9 位 Avastin)、IgG 融合タンパク質 1 品目(3 位 Enbrel)、インスリン1品目(7 位 Lantus)であった。 バイオ医薬品の 2012 年最終確定後の売上トップ 12 には、抗体 6 品目(Humira、Remicade、 Rituxan、Herceptin、Avastin、Lucentis)、インスリン 2 品目(Lantus、Novo Rapid/Mix)、エ リスロポエチン(EPO)1 品目(Epogen)、抗体 IgG 融合タンパク質 1 品目(Enbrel)、顆粒球コロ ニー刺激因子(G-CSF)1 品目(Neulasta)、ワクチン 1 品目(Prevnar)がリストアップされている。 表 1-3-2-2.2012 年バイオ医薬品売上トップ 12 (参考資料 5) をもとに HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) 順位 製品名 一般名 成分 起源・ 開発企業 適応症 売上高 バイオ医薬 全医薬 1 1 Humira adalimumab Anti-TNFα Ab AbbV ie(Abbott)/ エーザイ 関節リウマチ 9,603 2 2 Remicade infliximab Anti-TNFα Ab J&J/Merck/ 田辺三菱 関節リウマチ 9,071 3 3 Enbrel etanercept TNFαR-Fc Amgen/Pfizer/ 武田 関節リウマチ 8,476 4 6 Rituxan rituximab Anti-CD20 Ab Genentech/Roche/ Biogen-IDEC 非ホジキンリンパ腫 7,227 5 7 Lantus insulin glargine Insulin Sanofi-Aventis 糖尿病 6,555 6 8 Herceptin trastuzumab Anti-HER2 Ab Genentech/Roche/ 中外 乳癌 6,444 7 9 Avastin bevacizumab Anti-V EGF Ab Genentech/Roche/ 中外 大腸癌 6,307 8 18 Novo Rapid/Mix insulin aspart Insulin Novo Nordisk 糖尿病 4,436 9 22 Prevnar V accine Wyeth/Pfizer 肺炎 4,117 10 23 Neulasta pegfilgrastim G-CSF Amgen 好中球減少症 4,092 11 24 Lucentis ranibizumab Anti-V EGF-A Ab Genentech/Roche/ Novartis 加齢性黄斑変性症 4,019 12 29 Epogen/Espo epoetin α EPO Amgen/J&J/協和発 貧血 酵キリン ― EPO:erythropoietin、G-CSF:granulocyte colony stimulating factor 44 (百万米ドル) 3,448 第 1 章 医薬品開発の最新動向 3)抗体医薬 6) (1)抗体医薬品開発の現状 2014 年 3 月現在、日米欧いずれかで承認されて販売されている抗体医薬は 34 品目である(表 1-3-2-3)。2012 年度のリストに新開発の 1 品目(obinutuzumab)とこれまで抗体薬物複合体 製剤に分類していた 2 品目(brentuximab vedotin、 trastuzumab emtansine)を加えた。主 要な領域は癌と免疫領域で、34 品目のうち癌領域が 17 品目、免疫領域が 12 品目、その他が 5 品目になっている。抗体の種類は、マウス抗体が 2 品目、キメラ抗体が 6 品目、マウス・ラットハイブ リッド抗体が 1 品目、ヒト化抗体が 15 品目、そして完全ヒト抗体が 10 品目である。尚、リスト上の乾 癬治療薬 Raptiva(2009 年、副作用)、腎移植後急性拒絶反応治療薬 Zenapax(2009 年、商業 上の理由)及び腎移植後急性拒絶反応治療薬 Orthoclone OKT3(2011 年、商業上の理由)は、 販売を中止あるいは終了 し、流通していない。また、急性骨髄性白血病治 療薬 Mylotarg は、 2010 年に米国の市販後臨床試験で有用性が認められなかったため、米国で承認の自主取り下 げが行われた7) 。 2013 年 4 月以降に世界で新たに承認された抗体医薬は、米国で承認された obinutuzumab (Gazyva)の 1 品目のみである。 Gazyva は、CD20 に対するヒト化抗体で、2013 年 11 月に米国で慢性リンパ性白血病を適応 症として承認された 8) 。本剤は、抗体ヒンジ部のアミノ酸配列及び Fc 領域の糖鎖が改変されており、 未改変の抗体と比較して約 50~100 倍強力な抗体依存性細胞障害活性(ADCC)を有する。慢 性リンパ性白血病以外にも非ホジキンリンパ腫、B 細胞リンパ腫などの血液腫瘍を適応症として開 発されている。Gazyva は糖鎖改変技術を有する GlycArt Biotechnology によって開発され、欧 米では Genentech、Roche 及び Biogen Idec によって共同開発が行われている。日本では非ホ ジキンリンパ腫を適応症として、中外製薬と日本新薬がフェーズⅢを実施中である。 2013 年 4 月 以 降 に 国 内 で 新 た に 承 認 さ れ た 抗 体 医 薬 は 、 trastuzumab emtansine (Kadcyla)と brentuximab vedotin(Adcetris)の 2 品目であるが、これらはすでに欧米で承認さ れている抗体薬物複合体製剤である。 Kadcyla は、trastuzumab(Herceptin)に微小管重合阻害剤 emtansine(DM1)を結合させ た抗癌剤で、2013 年 2 月に米国で転移性乳癌を適応症として承認された。ImmunoGen 社の TAP 技術が用いられており、細胞内に DM1 を放出することにより癌細胞を殺傷する。Genentech は、2000 年 5 月に ImmunoGen の TAP 技術を Herceptin などの抗 体 に応 用 する独 占 的 権 利 を獲 得 して開 発 してきたが、日本では 2013 年 9 月に、欧州では 11 月に乳癌を適応症として 承認された9) 。 Adcetris は、CD30 に対するキメラモノクローナル抗体に殺細胞作用を有する微小管重合阻害 剤 vedotin を結合させた抗癌剤で、2011 年 8 月に米国、2012 年 10 月に EU でホジキンリンパ 腫及び非ホジキンリンパ腫を適応症として承認された。Adcetris は、細胞表面の CD30 に結合し た後、速やかに細胞内に入り、細胞内で活性本体を放出して癌細胞を殺傷する。日本では 2009 年 12 月に武田薬品工業の子会社の Millennium Pharmaceuticals と Seattle Genetics が共 同 事 業 化 契 約 を締 結 して開 発 を進 めていたが、2014 年 1 月 に非 ホジキンリンパ腫 を 適 応 症 として承 認 された 1 0 ) 。 45 第 1 章 医薬品開発の最新動向 表 1-3-2-3.日米欧における既承認・申請中抗体医薬品 (参考資料 7) をもとに HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) 製品名 一般名 起源企業・ 開発企業 種類 適応症 ( 第一適応) 標的分子 承認時期 / 最高ステ ージ * 日本 米国 欧州 癌領域 Rituxan rituximab Biogen-IDEC / Genentech / Roche キメラ CD20 非ホジキンリンパ腫 2001 1997 1998 Herceptin trastuzumab Genentech / Roche / 中外 ヒト化 HER2 乳癌 2001 1998 2000 Mylotarg gemtuzumab ozogamicin Cellutech /AHP / Wyeth / Pfizer ヒト化 CD33 急性骨髄性白血病 2005 Campath alemtuzumab Millennium / ILEX / Schering ヒト化 CD52 慢性リンパ性白血病 申請中 2001 Zevalin ibritumomab tiuxetan Biogen-IDEC / Schering マウス CD20 非ホジキンリンパ腫 2008 2002 2004 Corixa / GSK マウス CD20 非ホジキンリンパ腫 ― 2003 GB 中断 2000 2010 販売中止 申請後中断 2001 2012 販売中止 Bexxar tositumomab- Erbitux cetuximab ImClone System / BMS / Merck キメラ EGFR 大腸癌 2008 2004 2004 Avastin bevacizumab Genentech / Roche / 中外 ヒト化 V EGF 大腸癌 2007 2004 2005 V ectibix panitumumab Amgen / Abgenix 完全ヒト EGFR 大腸癌 2010 2006 2007 Arzerra ofatumumab GSK / Genmab 完全ヒト CD20 慢性リンパ性白血病 2013 2009 2010 マウス-ラット ハイブリッド EpCAM & CD3 癌性腹水 ― 131 I Removab catumaxomab TRION Pharma / Fresenius P II 2009 メラノーマ 1) Yervoy ipilimumab Gilead Sciences / BMS / Medarex 完全ヒト CTLA-4 Adcetris/ SGN-35 brentuximab vedotin P III 2011 2011 Seattle Genetics/武田/Millennium キメラ Perjeta pertuzumab Genentech / Roche ヒト化 CD30 ホジキンリンパ腫 2014 2011 2012 HER2 乳癌 2013 2012 2013 Poteligeo mogamulizumab 協和発酵キリン Kadcyla trastuzumab emtansine ヒト化 CCR4 成人T細胞白血病リンパ腫 2012 P II P II Roche / Genentech / 中外 / Immunogen ヒト化 HER2 HER2陽性進行性乳癌 2013 2013 2013 Gazyva obinutuzumab Roche / 中外 / 日本新薬 ヒト化 CD20 慢性リンパ性白血病 P III 2013 申請中 Orthoclone OKT3 muromonab-CD3 Johnson & Johnson マウス CD3 腎移植後急性拒絶反応 1991 2011 販売中止 Zenapax daclizumab Protein Design Labs. / Roche ヒト化 CD25 腎移植後急性拒絶反応 ― 1986 2011 販売中止 1997 2009 販売中止 1986 2011 販売中止 1999 2009 販売中止 Simulect basiliximab Novartis キメラ CD25 腎移植後急性拒絶反応 2002 1998 1998 Remicade infliximab Centocor / Johnson & Johnson / Merck / 田 キメラ 辺三菱 TNF-α 慢性関節リウマチ 2002 1998 1999 Humira adalimumab AbbV ie(Abbott) / CAT / エーザイ 完全ヒト TNF-α 慢性関節リウマチ 2008 2002 2003 Xolair omalizumab Genentech / Novartis / Tanox ヒト化 IgE 喘息 2009 2003 2005 ― 2003 2009 販売中止 2004 2009 販売中止 2) 免疫領域 Raptiva efalizumab Genentech / Xoma ヒト化 CD11 尋常性乾癬 Tysabri natalizumab Biogen-IDEC / Elan ヒト化 integrin α4β1 多発性硬化症 申請中 2004 2006 2005 2010 2009 2007 2007 Actemra tocilizumab 中外 / Roche ヒト化 IL-6R キャッスルマン病 関節リウマチ Soliris eculizumab Alexion ヒト化 C5a 発作性夜間血色素尿症 2010 Cimzia certolizumab pegol UCB ヒト化 TNF-α クローン病 2012 2008 2009 Stelara ustekinumab Centocor / Janssen-Cilag 完全ヒト IL-12 / IL-23 尋常性乾癬 2011 2009 2009 Simponi golimumab Centocor Ortho Biotech/ J & J 完全ヒト TNF-α 慢性関節リウマチ、乾癬性関節 炎、強直性脊椎炎 2011 2009 2009 Prolia denosumab Amgen 完全ヒト RANKL 骨粗鬆症 / 骨病変 2012 2010 2010 Benlysta belimumab Human Genome Sciences / GSK 完全ヒト BLyS 全身性エリテマトーデス P III 2011 2011 ReoPro abciximab Centocor / Lilly キメラ GPⅡb / Ⅲa PTCA 後の再狭窄 P II(続報なし) 1994 1995 Synagis palivizumab MedImmune / AbbV ie(Abott) ヒト化 RSV FProtein RSウイルス感染症 2002 1998 1999 Lucentis ranibizumab Genentech / Roche / Novartis ヒト化 V EGF-A 滲出型加齢黄斑変性症 2009 2006 2007 Ilaris canakinumab Novartis 完全ヒト IL-1β クリオピリン関連周期性症候群 2011 2009 2009 Abthrax raxibacumab Human Genome Sciences 完全ヒト 炭疽菌 炭疽症 ― 2012 ― その他 3) *2014/3/10現在.ハイライト:2013年度追加・更新分. CCR4:chemokine (C-C motif) receptor 4、BLyS:B細胞活性化因子、EpCAM:epithelial cell adhesion molecule CTLA-4:cytotoxic T lymphocyte antigen-4. 1)非小細胞肺癌/小細胞肺癌、2)非ホジキンリンパ腫、3)PTCA: 経皮経管的冠動脈形成術 46 第 1 章 医薬品開発の最新動向 抗体 IgG の Fc 領域に可溶性の受容体などを融合した抗体 IgG 融合タンパク質が現在 7 品目 承認されている(表 1-3-2-4)11) 。この融合タンパク質は、標的タンパク質の受容体の可溶性細 胞外ドメインとヒト抗体 IgG の Fc 領域を融合したヒト型キメラタンパク質である。抗体 IgG の Fc 領 域が用いられている理由の一つは、この領域が IgG 胎児性 Fc 受容体(FcRn)と相互作用すること により融合タンパク質の血中半減期が延長されることを利用するためである 12) 。 2013 年 4 月以降に新たに承認された抗体 IgG 融合タンパク質はなかったが、aflibercept (Eylea / Zaltrap)の適応拡大が日本において承認された。 Eylea / Zaltrap は、血管内皮細胞増殖因子(VEGF)の受容体 VEGFR-1 と VEGFR-2 の可 溶性細胞外ドメインを直列につなぎ、更にヒト IgG1 Fc を融合した完全ヒト型融合タンパク質であ る。Eylea の製品名ですでに欧米及び日本において加齢性黄斑変性症を適応症として承認され ている。また、Zaltrap の製品名で欧米において転移性結腸直腸癌を適応症として承認されてい る。今回、更に Eylea の製品名で、日本においてのみ 2013 年 11 月に黄斑浮腫を適応症として 承認された13) 。 表 1-3-2-4.日米欧における抗体 IgG 融合タンパク質医薬の開発状況 (参考資料 11) をもとに HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) 製品名 一般名 起源・ 開発企業 標的分子 種類 適応症 承認時期/ 最高ステ ージ * 日本 米国 欧州 Enbrel etanercept Immunex/ Amgen / 可溶性TNFαR2 + IgG1 Fc 融合タンパク質 Pfizer / 武田 TNF-α, -β 関節リウマチ 2005 1998 2000 Amevive alefacept Biogen IDEC / アステラス LFA3 + IgG1 Fc 融合タンパク質 CD2 乾癬 P I 1) 2003 2003(中止) Orencia abatacept BMS CTLA-4 + IgG1 Fc 融合タンパク質 CD80/86 慢性関節リウマチ 2010 2005 2007 Arcalyst rilonacept Regeneron IL-1R + IgG1 Fc 融合タンパク質 IL-1 クリオピリン関連周期性症候 群 ― 2008 2009 Nplate romiplostim Amgen / 協和発酵キ TPOR agonist peptide + IgG1Fc融合タンパク質 リン TPOR 血小板減少性紫斑病 2011 2008 2009 Nulojix belatacept BMS CD80/86 腎移植における拒絶反応 ― 2011 2011 2012 2011 2012 aflibercept Regeneron / Bayer / V EGFR-1+V EGFR-2+IgG1 Fc 融合タンパク質 Sanofi 加齢性黄斑変性症 Eylea / Zaltrap 転移性結腸直腸癌 PIII 2012 2013 2013 ― ― CTLA-4 peptide + IgG1 Fc 融合タンパク質 V EGF 黄斑浮腫 *2014/3/10 現在. ハイライト:2013年度追加・更新分.1)心移植における拒絶反応(尋常性乾癬 PII 開発中止, 2006) CTLA-4:cytotoxic T lymphocyte antigen-4, LFA-3:leukocyte function-associated antigen-3, TPOR:thrombopoietin receptor 47 第 1 章 医薬品開発の最新動向 (2)次世代抗体医薬 6) ①抗体薬物複合体 抗体薬物複合体は、抗体あるいは sc-Fv(single-chain variable fragment)などの抗体フラグメ ントに細胞毒性を有する薬物を結合した複合体で、イムノコンジュゲート(immunoconjugate)やイ ムノトキシン(immunotoxin)と呼ばれる薬剤の一つである。2013 年 4 月以降に国内で新たに承 認された抗体医薬は、trastuzumab emtansine(Kadcyla)と brentuximab vedotin(Adcetris) の 2 品目であるが(表 1-3-2-5) 14) 、詳しくは前述した。これまで開発されてきた抗体薬物複合 体は主に癌を対象にしており、癌細胞特異的な抗原に対する抗体に細胞毒性を有する微小管重 合阻害剤(vedotin や emtansine など)を化学的に架橋して作製されている。これに対し、最近で は DNA トポイソメラーゼ 1 阻害作用を有する抗癌剤 irinotecan(SN-38)を薬物として用いる抗体 薬物複合体が開発されている。Immunomedics が開発している IMMU-130 は、 癌胎児性抗原 (CEA) に 対 す る モ ノ ク ロ ー ナ ル 抗 体 に SN-38 誘導体を結合させた抗体薬物複合体である。 IMMU-130 は、 癌胎児性抗原(CEA) に結合後、 SN-38 を腫瘍へ選択的に送達し、他の組織や 臓器へのダメージを最小限に抑えるようにデザインされている 15) 。 表 1-3-2-5.抗体薬物複合体製剤の開発状況 (参考資料 14) をもとに HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) 開発名 抗体・薬物 起源・開発企業 標的分子 Mylotarg gemtuzumab ozogamicin Cellutech /AHP / Wyeth CD33 Adcetris / SGN-35 brentuximab vedotin Seattle Genetics / 武田 / Millennium CD30 T-DM1/ Kadcyla trastuzumab emtansine Roche / Genentech / 中外 / ImmunoGen HER2 GPNMB 開発ステ ー ジ 適応症 * 日本 米国 欧州 急性骨髄性白血病 2005 2000 承認 2010 中止 申請後中断 ホジキンリンパ腫 2014 2011 2012 ― 2011 2012 2013 2013 2013 進行性性乳癌 ― PⅢ ― B細胞リンパ種 / 非ホジキンリンパ腫 ― PⅡ PⅡ(EP) 非ホジキンリンパ腫 HER2陽性進行性乳癌 CDX-011 glembatumumab vedotin Seattle Genetics / CuraGen / Celldex SAR-3419 coltuximab・ravatansine ImmunoGen / Sanofi DNIB-0600A lifastuzumab vedotin Seattle Genetics / Genentech / Roche NaPi2b 卵巣癌 ― PⅡ PⅡ(EP) BT-062 indatuximab ravtansine ImmunoGen / Biotest Pharmaceuticals CD138 多発性骨髄種 ― PⅡ ― PSMA ADC anti-PMSA vedotin Progenics Pharmaceuticals PSMA 前立腺癌 ― PⅡ ― DCDT-2980S pinatuzumab vedotin Genentech / Roche / Seattle Genetics CD22 慢性リンパ性白血病 / 非ホジキンリンパ腫 ― PⅡ ― DCDS-4501A polatuzumab vedotin Roche / Genentech / Seattle Genetics CD79b B細胞リンパ種 / 非ホジキンリンパ腫 ― PⅡ ― milatuzumab-Dox milatuzumab doxorubicin Immunomedics CD74 前立腺癌 ― PⅡ ― ABT-414 anti-EGFR vedotin AbbV ie (Abbott) EGFR 非小細胞肺癌 ― PⅡ ― IMMU-130 labetuzumab irinotecan Immunomedics CEA 結腸直腸癌 ― PⅡ ― IMMU-132 anti-EGP-1 irinotecan Immunomedics EGP-1 固形癌 ― PⅡ ― ― PⅡ 2014 中止 PⅡ 2014 中止 IMGN901 lorvotuzumab mertansine CD19 ImmunoGen CD56 小細胞肺癌 * 2014/3/10現在. ハイライト:2013年度追加・更新分. GPNMB :glycoprotein NMB、PSMA :prostate-specific membrane antigen、CEA :癌 胎児性抗原、EGP-1:epithelial glycoprotein-1、 NaPi2b:ナトリウム依存性リン輸送タンパク、vedotin: monomethylauristatinE、DM4: maytansinoid、emtansine、mertansine、ravtansine すべて微小管重合阻害剤 48 第 1 章 医薬品開発の最新動向 ②Bispecific 抗体医薬 癌細胞と免疫系細胞を効率的に接近させることで抗腫瘍効果を狙った bispecific 抗体が開発 されている(表 1-3-2-6) 16)17) 。代表的な技術は、米 Micromet(現 Amgen)が開発している BiTE(Bispecific T Cell Engagers)抗体及び独 TRION Pharma が開発している Triomab で ある。BiTE(Bispecific T Cell Engagers)抗体は、癌細胞の表面抗原に対する抗体の可変領域 と細胞障害性 T 細胞の表面抗原(CD3)に対する抗体の可変領域を連結した一本鎖の bispecific 抗体である。この抗体は、細胞障害性 T 細胞と癌細胞を結合することにより、T 細胞からパーフォリ ンやグランザイムを放出させ、癌細胞のアポトーシスを促進する 18)19) 。Triomab は、癌関連抗原及 び T 細胞抗原(CD3)を標的とする bispecific 抗体であるが、更に各結合部位が癌細胞、T 細胞 及びマクロファージなどの免疫細胞に結合して tri-cell-complex を形成する 3 機能抗体である。 癌細胞と免疫系細胞を効率的に接近させる上に、2 種類の免疫系が活性化されることにより効率 良く抗腫瘍効果を発揮する16) 。現在のところ欧州で catumaxomab が承認されているだけだが、 いくつかの bispecific 抗体が臨床開発段階に入っている。 表 1-3-2-6.Bispecific 抗体医薬の開発状況 (参考資料 16) をもとに HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) 開発名 開発企業 標的分子 米国 欧州 PⅡ 2009 卵巣癌 ― PⅡ 胃癌 ― PⅡ(DE) 癌性腹水 catumaxomab TRION Pharma / Fresenius EpCAM / CD3 開発ステ ー ジ * 適応症 blinatumomab Micromet / Amgen CD19 /CD3 急性リンパ性白血病 PⅡ PⅡ MM-111 Merrimack Pharmaceuticals ErbB2 / ErbB3 固形癌/、乳癌、胃癌 PⅡ PⅡ(EP,胃癌) FBTA-05 TRION Pharma / Fresenius CD20 / CD3 B細胞リンパ腫 ― PⅡ(DE) ACE-910 中外 / Roche FIXa / FX 血友病A PⅡ(日本) ― AFM-13 Affimed Therapeutics CD30 / CD16A ホジキンリンパ腫 PⅠ PⅡ(DE) ertumaxomab TRION Pharma / Fresenius Her2 / CD3 乳癌 ― PⅡ(2013中止) *2014/3/10現在. ハイライト:2013年度追加・更新分. EpCAM: epithelial cell adhesion molecule 49 第 1 章 医薬品開発の最新動向 4)核酸医薬 6) 核酸医薬は、アンチセンス(antisense)、RNAi(siRNA)、microRNA(miRNA)、RNA アプタ マー(RNA aptamer)、RNA デコイ(decoy)、リボザイム(ribozyme)、CpG DNA 等のオリゴ核酸 を 用 い た も の が 主 流 で あ る 。 こ れ ま で に 承 認 さ れ た 核 酸 医 薬 は 、 ISIS Pharmaceuticals / Novartis が開発し、1998 年に米国で承認されたアンチセンス医薬、foemivirsen(Vitravene、 サイトメガロウイルス性網膜炎治療薬)、ISIS Pharmaceuticals / Genzyme が開発し、2013 年 1 月に米国で承認されたアンチセンス医薬、mipomersen(Kynamro、家族性高脂血症治療薬)及 び Eyetech Pharmaceuticals が開 発 し、2004 年 に米 国 で承 認 された RNA アプタマー、 pegaptanib(Macugen、加齢性黄斑変性症治療薬)の 3 品目のみである。核酸医薬が未だ多く 開発されていない原因は、核酸医薬特有の性質に由来している。特に drug delivery system ( DDS ) の 開 発 な ど 多 く の 課 題 点 が 指 摘 さ れ て い る が 、 最 近 で は 効 率 的 な DDS の 開 発 、 off-target effect の回避、化学的安定性と酵素的安定性及び作用の持続化に関する課題解決な どの多くのチャレンジが行われ、バイオ医薬としての可能性への挑戦が続いている。 本稿では、核酸医薬の中で比較的開発が盛んなアンチセンス医薬と RNA アプタマー医薬の開 発状況のみを紹介する。各核酸医薬の詳細については HS レポート No.74(2011 年)20) 、HS レ ポート No.77(2012 年) 21) 及び HS レポート No.80(2013 年)6) を参考にされたい。 (1)アンチセンス医薬 アンチセンスは標的遺伝子の mRNA に結合することで mRNA からタンパク質への翻訳過程を 阻害する一本鎖の DNA/RNA(18~30 ヌクレオチド)である。Vitravene 以来 15 年ぶりのアンチ センス医薬として、ISIS 社が開発していた mipomersen(Kynamro)が 2013 年 1 月に家族性高 脂血症を適応症として米国で承認された 22) 。Kynamro は、ApoB-100 タンパク質を標的としたア ンチセンス医薬で、コレステロール低下作用を有している。しかしながら、欧州では承認申請後開 発が中断している。その他にもいくつかのアンチセンス医薬がフェーズ 3 以上にあるが、Genta / NIH が開発していた Bcl-2 を標的としたアンチセンス医薬、oblimersen (Genasense)のように開 発が中断しているものも少なくない。最近のアンチセンス医薬の開発状況を示す(表 1-3-2-7) 22) 。 50 第 1 章 医薬品開発の最新動向 表 1-3-2-7.アンチセンス医薬の開発状況 (参考資料 22) をもとに HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) 開発名 起源・ 開発企業 標的分子 適応症 承認時期・ 最高ステ ージ * 日本 米国 欧州 ― 1998 19991) fomivirsen (V itravene) ISIS / Novartis IE2 CMV 性網膜症 mipomersen (Kynamro) ISIS / Genzyme ApoB-100 家族性高コレステロール血症 P I2) 2013 申請後中断 drisapersen (2402968) Prosensa / GSK Dystrophin デュシェンヌ型筋ジストロフィー PⅢ PⅢ PⅢ(EP) belagenpumatucel-L (Lucanix) Immune Response / NovaRx TGF-β 非小細胞肺癌 ― PⅢ PⅢ custirsen ISIS / Teva / OncoGenex Clusterin 前立腺がん ― PⅢ PⅢ(EP) ISIS-TTRRx ISIS / GSK transthyretin 家族性アミロイドポリニューロパシー ― PⅢ PⅢ(EP) aganirsen (GS-101) Gene Signal IRS-1 移植片拒絶反応 ― ― PⅢ antisense NF-κB p65 InDex / Merck Serono NF-κB p65 潰瘍性大腸炎 ― ― PⅢ alicaforsen ISIS / Atlantic Healthcare ICAM-1 回腸嚢炎 ― ― PⅢ(GB) AP-1431 ISIS / Atlantic Healthcare ICAM-1 潰瘍性大腸炎 ― ― PⅢ(GB)2) AP-1451 ISIS / Atlantic Healthcare ICAM-1 クローン病 ― ― PⅢ(GB) 慢性リンパ性白血病 ― 申請中 多発性骨髄腫 ― PⅢ2) ― 2) PⅢ(GB) 2) oblimersen (Genasense) Genta / NIH Bcl-2 非小細胞肺癌 2) 2) PⅢ 2) PⅢ(GB) PⅢ(GB)2) 2) 急性骨髄性白血病 ― PⅢ PⅢ(GB)2) 非ホジキンリンパ腫 ― PⅢ2) PⅢ(GB)2) * 2014/3/10現在. ハイライト:2013年度追加・更新分. 1)2002年 商業上の理由から販売中止、2)続報なし CMV : cytomegalovirus、 IE2: CMV の増殖に必要な遺伝子、 ICAM-1: intracellular adhesionmolecule-1、 IRS-1: insulin receptor substrate-1 (2)RNA アプタマー医薬 RNA アプタマーは、30 以下のヌクレオチドにより構成される一本鎖の RNA である。タンパク質が 固有の立体構造を形成するのと同様に、RNA アプタマーもそのヌクレオチド配列依存的に固有の 立体構造を形成し、抗体等と同様に特定のタンパク質に特異的に結合する。RNA アプタマーは、 抗体と同様に高い特異性と親和性を示す一方、抗体に見られる細胞傷害性を示さず、免疫原性 もほとんどない。また、化学合成が可能で、コスト面で有利であることなどから、「核酸抗体」として医 薬への応用が期待されている。 最近の RNA アプタマー医薬の開発状況を示す(表 1-3-2-8)23) 。現在承認されているのは、 2004 年に米国で加齢性黄斑変性症を適応症として承認された Macugen のみである。欧州で適 応 拡 大 として黄 斑 浮 腫 を適 応 症 として承 認 申 請 されていたが、その後 開 発 は中 断 されている。 RNA アプタマー医薬のリーディングカンパニーである Archemix が開発している PDGF-B を標的 とし、加齢性黄斑変性症を適応症とする E-10030 及び Factor IXa を標的とし、手術時の血液凝 固を対象とする pegnivacogin sodium の開発がフェーズ 3 に入った。 51 第 1 章 医薬品開発の最新動向 表 1-3-2-8.RNA アプタマー医薬の開発状況 (参考資料 23) をもとに HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) 開発名 起源・開発企業 標的分子 承認時期・最高ステ ー ジ * 適応症 日本 米国 欧州 2008 2004 2006 Macugen (pegaptanib) Gilead Sciences / Pfizer / Eyetech V EGF 滲出型加齢性黄斑変性症 PⅢ PⅢ 2011 申請後中止 E-10030 Archemix / Ophthotech PDGF-B 滲出型加齢性黄斑変性症 ― PⅢ PⅢ(EP) REG1 (pegnivacogin sodium) Archemix / Regado Biosciences Factor IXa 手術時の血液凝固 ― PⅢ ― ARC-1905 Archemix / Ophthotech C5 complement factor 加齢性黄斑変性症 ― PⅡ ― ACT-GRO-777 / AS1411 Antisoma Nucleolin 癌 ― PⅡ ― NOX-E36 Noxxon MCP-1 糖尿病性腎症 ― ― PⅡ NOX-A12 Noxxon SDF-1 慢性リンパ性白血病 ― ― PⅡ(BE/IT) 多発性骨髄腫 ― ― PⅡ(AT/IT) NOX-H94 Noxxon Hepcidin 貧血 ― ― PⅡ(EP) von Willebrand Factor 血栓性血小板減少性紫斑病 ― PⅡ PⅡ(AT) 急性冠症候群 ― PⅠ PⅡ(RU) ARC1779 (egaptivon pegol) Archemix 糖尿病黄斑浮腫 *2014/3/10 現在.ハイライト:2013年度追加・更新分.MCP-1: Monocyte Chemotactic Protein-1、 TFPI: Tissue factor pathway inhibitor、 SDF-1: Stromal cell derived factor 1 5)バイオ後続品 (1)はじめに 欧州で 2006 年に初めてバイオ医薬品の後発品(日本ではバイオ後続品、欧州ではバイオシミラ ー。本稿ではバイオ後続品で統一する。)が承認されて以来、バイオ後続品の開発はここ数年間 EU を中心として進められてきた。わが国でも 2009 年 9 月に国内初めてのヒト成長ホルモン(ソマト ロピン)のバイオ後続品が上市され、その後 2010 年 1 月にはエリスロポエチン、2012 年 11 月には G-CSF のバイオ後続品が承認されるなど、ますます世界レベルで開発が加速されている 24~26) 。 バイオ後続品開発の活発化の大きな要因は、バイオ医薬品の特許失効にある(表 1-3-2-9) 25)26) 。somatropin(ヒト成 長 ホルモン)、epoetin α(エリスロポエチン)、filgrastim(G-CSF: granulocyte colony stimulating factor)の特許はすでに失効しており、これに伴って日米欧で そ れ ぞ れ の バ イ オ 後 続 品 が 承 認 さ れ た 。 そ の 他 、 human insulin 、 interferon α-2b 、 interferon β-1a の特許もすでに失効しており、バイオ後続品の対象となっている。更に、前述のよ うに現 在の世 界 の医 薬 品 売 上の上 位 を占 め、ブロックバスターとなっている抗 体 医 薬 品 や抗 体 IgG 融 合 タ ン パ ク 質 の 特 許 が 2013 年 以 降 次 々 と 満 了 を 迎 え る 。 Rituxan 、 Herceptin 、 Remicade、Humira 及び Enbrel がその中に含まれており、2012 年のこれらの売上合計は、約 408 億米ドルに達し(表 1-3-2-2)、大きな市場としてバイオ後続品の次の対象になっている。 (2)バイオ後続品の開発状況 現在日米欧で承認あるいは申請中のバイオ後続品を示す(表 1-3-2-10)24)27) 。 somatropin はヒト成長 ホルモンと同一のアミノ酸配列を有するタンパク質 である。欧州では、 Genotropin を先行品とするドイツ Sandoz の「Omnitrope」が世界に先駆けて初めてのバイオ後 続品として 2006 年 4 月に承認された。日本では、2009 年 9 月に日本初のバイオ後続品として、 ジェノトロピンを先行品とする Sandoz の日本法人サンドの「ソマトロピン BS 皮下注『サンド』」が発 売された。ソマトロピン BS 皮下注は、欧米では Omnitrope の製品名で承認されているが、欧州で は別に Humatrope を先行品とするバイオ後続品、Valtropin も承認されている25) 。 52 第 1 章 医薬品開発の最新動向 表 1-3-2-9.主なバイオ医薬品の特許満了時期 (参考資料 25)26) をもとに HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) 製品名 Genotropin Humatrope Epogen NeoRecormon Aranesp Neupogen Neulasta Humalog Lantus Intron A Avonx Betaseron Rebif Enbrel Remicade Humira Rituxan Herceptin Avastin Synagis Erbitux 一般名 somatropin somatropin epoetin α epoetin β darbepoetin α filgrastim pegfilgrastim human insulin insulin glargine interferon α-2b interferon β-1a interferon β-1a interferon β-1a etanercept infliximab adalimumab rituximab trastuzumab bevacizumab palivizumab cetuximab 成分 hGH hGH EPO EPO EPO G-CSF G-CSF human insulin human insulin interferon α−2β interferon β-1a interferon β-1a interferon β-1a TNFαR-Fc Anti-TNFα Ab Anti-TNFα Ab Anti-CD20 Ab Anti-HER2 Ab Anti-VEGF Ab Anti-RSVFP Ab Anti-EGFR Ab 特許失効 米国 Exp Exp Exp NA 2024 Exp 2015 Exp 2015 Exp Exp Exp Exp 2028 2018 2016 2016 2019 2019 2015 2016 欧州 Exp Exp Exp Exp 2016 Exp 2017 Exp 2014 Exp Exp Exp Exp 2015 2014 2018 Exp 2014 2022 2015 2014 Exp:失効、NA:未承認、GH:growth hormone、EPO:erythropoietin、G-CSF:granulocyte colony stimulating factor、RSVFP: RS virus F protein epoetin αは、ヒトエリスロポエチンと同一のアミノ酸配列を有する糖タンパク質である。欧州では、 2007 年に Eporex/Erypo を先行品とするバイオ後続品 5 製品が承認された。日本では、2010 年 1 月に日本ケミカルリサーチ(JCR)とキッセイ薬品が共同開発した「エポエチンアルファ BS 注 JCR」が承認された 25) 。 filgrastim は、ヒト顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF)のアナログで糖鎖は結合していない。欧 州では、Neupogen を先行品として、2008 年から 2010 年にかけて 7 製品のバイオ後続品が承認 された。日本では、グランを先行品として 2012 年に持田製薬と富士製薬が共同で、2013 年に日 本化薬とテバが共同で、2014 年に日本法人サンドが単独で、それぞれバイオ後続品「フィルグラス チム BS 注」を申請し、承認された。 抗体医 薬のバイオ後続品 としては、infliximab(Remicade)を先行品として 2013 年に韓国 Celltrion と Hospira が 共 同 開 発 し た 「 Remsima 」 が 先 進 国 で 初 め て 欧 州 で 承 認 さ れ た 。 Celltrion は、2012 年に自国韓国において単独で「Remsima」の承認を受けていた。 日本では、日本化薬が Celltrion と共同で infliximab のバイオ後続品を開発しており、2013 年 9 月 に 国 内 で 初 め て 承 認 申 請 を 行 った 。 Celltrion は、 この 他 に も 2013 年 に trastuzumab (Herceptin)のバイオ後続品の承認を韓国で受けており、現在欧州においてフェーズ 3 を実施中 である。 53 第 1 章 医薬品開発の最新動向 表 1-3-2-10.日米欧におけるバイオ後続品の開発状況 (参考資料 24)27) をもとに HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) 先行品 後続品 承認時期・ 最高ステ ージ * 物質名 開発企業 製品名 Genotropin Growth Hormone (hGH) Humatrope ジェノトロピン Eprex / Erypo Erythropoietin (EPO) 一般名 somatropin ソマトロピン epoetin alfa 製品名 Omnitrope somatropin Valtropin ソマトロピンBS皮下注「サンド」 グラン Anti-TNFα Ab Remicade フィルグラスチム infliximab 2006 ― BioPartners 2006 2007 ― ― ― 2009 Sandoz ソマトロピン Sandoz 2007 ― ― Hexal 2007 ― ― Abseamed ― epoetin zeta Medice Arzneimittel 2007 ― ― Stada 2007 ― ― Hospira 2007 ― ― ― ― 2010 エポエチン カッパ キッセイ / 日本ケミカルリサーチ (エポエチンアルファ[後続1]) TevaGrastim Teva 2008 ― ― Ratiograstim Ratiopharm 2008 ― ― Filgrastim Ratiopharm filgrastim CT 2008 ― ― Ratiopharm 2008 ― ― Zarzio Sandoz 2009 ― ― Filgrastim Hexal Hexal 2009 ― ― Nivestim Hospira 2010 ― ― フィルグラスチム BS注 「モチダ」/「F」 フィルグラスチム後続1 持田製薬 / 富士製薬 / GTS ― ― 2012 フィルグラスチム BS注 「NK」/「テバ」 フィルグラスチム後続2 日本化薬 / テバ ― ― 2013 フィルグラスチム BS注 「サンド」 フィルグラスチム後続3 Sandoz ― ― 2014 Remsima [Celltrion] / Inflectra [Hospira] infliximab Celltrion / Hospira 2013 ― ― Remsima [Celltrion] infliximab Celltrion ― ― 2012(KR) ― ― Celltrion / 日本化薬 ― ― EPIRUS Biopharmaceuticals Anti-HER2 Ab Herceptin trastuzumab ― ― Celltrion Insulin Luntas insulin glargine ― ― Eli Lilly / Boehringer Ingelheim ― ― 申請中 PⅠ(GB) PⅢ 申請中(IN) PⅢ ― 2013(KR) 申請中 申請中 PⅢ * 2014/3/10現在. GTS: ジーンテクノサイエンス 【参考資料】 1) IMS Institute, http://www.imshealth.com/ims/Global/Content/Insights/IMS%20Institute%20for%2 0Healthcare%20Informatics/Global%20Use%20of%20Meds%202011/Medicines_Out look_Through_2016_Report.pdf 2) Cegedim Strategic Data, http://www.utobrain.co.jp/news-release/2001/070600 3) Cegedim Strategic Data, http://www.utobrain.co.jp/news-release/2006/070300 /UBRelease0607.pdf 4) Cegedim Strategic Data, http://www.utobrain.co.jp/news/20110801.pdf 5) Cegedim Strategic Data, http://www.utobrain.co.jp/news/20130724.shtml 6) HS レポート No.80 平成 24 年度創薬技術調査報告書 「創薬基盤技術の最新動向を探る -イメージング技術・高速シークエンサー・新規モデル動物試験系-」 pp42-59(2013) 7) 日本 ― Biograstim Granulocyte Colony Stimulating Factor (G-CSF) 2006 ― エポエチンアルファ エポエチンアルファBS 注JCR filgrastim 米国 Sandoz Binocrit Retacrit Neupogen 欧州 Epoetin alfa Hexal Silapo エスポー 一般名 抗体医薬 各社開示資料 54 第 1 章 医薬品開発の最新動向 8) Roche Media Release http://www.roche.com/media/media_releases/med-cor-2013-11-01.htm 9) Roche Media Release http://www.roche.com/media/media_releases/med-cor-2013-02-22.htm 10) 武田薬品工業プレスリリース http://www.takeda.co.jp/news/2014/20140117_6152.html 11) 抗体IgG融合タンパク質医薬 各社開示資料 12) Roopenian D.C. Nat Rev Immunol. 7, 715-725 (2007) 13) バイエル薬品 aflibercept http://www.jpma.or.jp/medicine/shinyaku/development/com0540.html 14) 抗体薬物複合体 各社開示資料 15) Immunomedics IMMU-130, http://www.immunomedics.com/pdfs/news/2013/pr09302013.pdf 16) bispecific抗体 各社開示資料 17) Holmes, D. Nat Rev Drug Discov. 10, 798-800 (2011) 18) Baeuerle P. et al. Drugs of the Future 33, 137-147 (2008) 19) Micromet, http://www.micromet-inc.com 20) HSレポート No.74 調査報告書 「ポストゲノムの医薬品開発とエピジェネティクスの新展開」 (2011年) 21) HSレポート No.77 調査報告書 「RNA研究と創薬技術開発の新展開」(2012年) 22) アンチセンス 各社開示資料 23) RNAアプタマー 各社開示資料 24) 国立医薬品食品衛生研究所生物薬品部 http://www.nihs.go.jp/dbcb/biosimilar.html 25) 石井明子、原園景、川崎ナナ PHARM TECH JAPAN 29, 23-42 (2013) 26) HSレポート No.71 調 査 報 告 書 「ポストゲノムの医 薬 品 開 発 とオミックス医 療 の新 展 開 」 (2010年) 27) バイオ後続品・バイオシミラー各社開示資料 55 第 1 章 医薬品開発の最新動向 1-3-3. 高速シークエンサーと遺伝子検査 1-3-3-1. 高速シークエンサーとゲノム解析 1) 高速シークエンサー 2013 年 11 月 19 日、DNA 塩基配列決定法の発明者である Frederick Sanger 博士が死去 した(享年 95 歳)。Sanger 博士はノーベル化学賞を 2 度受賞している。まず、タンパク質のアミノ 酸配列決定法を開発し、この手法を用いてインスリンの 1 次構造を決定した。この業績によって 1958 年に 1 度目の受賞となった。次に、DNA の塩基配列決定法を開発し、その業績によって 1980 年に 2 度目の受賞となった。ノーベル賞を 2 度受賞した人は 4 人いるが、化学賞を 2 度受 賞したのは Sanger 博士 1 人だけである。ちなみに、2 度目の受賞は、Sanger 博士とは別の DNA 塩基配列決定法を開発した Walter Gilbert 博士との共同受賞であった。Sanger 博士が 1977 年に開発した DNA の塩基配列決定法は、ジデオキシ法、あるいはサンガー法と呼ばれており、現 在でも広く使われている。特に、1990 年に始まったヒトゲノム計画で中心的な役割を果たしたのが、 サンガー法を自動化したキャピラリー式の DNA シークエンサーであった。蛍光色素標識とキャピラ リー電気泳動によって解析効率が著しく向上し、ヒトゲノム計画の完遂に大きく貢献したのである。 ヒトゲノム計画は、2003 年 4 月にヒトゲノムの完成版配列を発表して終了した。その中でサンガ ー法に代わる、より効率的な DNA 塩基配列決定法の研究開発が進められていた。それを受けて、 ヒトゲノム計画終了直後の 2003 年 5 月、米国 National Human Genome Research Institute が新しいシークエンシング技術の開発計画を発表した1) 。ヒト全ゲノムを 1,000 ドル以下のコストで 解読するという「1,000 ドルゲノム」という目標コンセプトが示され、ヒトゲノム計画で行われていた新 しいシークエンス技術の開発はこの計画で継続された。これを契機に、米国を中心にして数多くの 研究チームやベンチャー企業が 1,000 ドルゲノムの実現に向けてシークエンスのコストダウンとスピ ードアップにしのぎを削ることになったのである。その結果、2005 年には最初のシークエンサーとし て Roche/454 Life Sciences の Genome Sequencer System が製品として市場に出た。さらに、 それに続いて他のシークエンサーも発売され、現在の隆盛へと至っている。この新たなシークエン サーの登場によって生命科学や医学のアプローチは大きく変わりつつある。ゲノムのシークエンスコ ストが大幅に低下すると共に、解読スピードが飛躍的に向上し、様々な生物種やその個体のゲノム 解析が精力的に進められている。また、シークエンサーをプラットフォームとした新たな解析技術が 開発され、発現解析やエピゲノム解析、メタゲノム解析などに応用されるなど、単なる塩基配列解 読に留まらない一種の革命的技術となっている。 これら新型の DNA シークエンサーは、サンガー法による DNA シークエンサーを「第 1 世代シー ク エ ン サ ー 」 と し た 場 合 に 、 そ れ と の 対 比 で 「 次 世 代 シ ー ク エ ン サ ー ( Next-Generation Sequencer:NGS)」と呼 ばれてきた。しかし、最 近 では、その圧 倒 的 に高 い配 列 解 読 能 力 から 「High-throughput Sequencer(高速シークエンサー)」と呼ばれている 2) 。また、新型のシークエ ンサーに共通した特徴は、非常に多数のシークエンス反応を同時に行う点であるが、その特徴より 「massively parallel sequencing(超並列シークエンシング)」という言葉が使われている 3) 。本稿 では、「高速シークエンサー」という言葉を使わせていただく。本ワーキンググループの調査報告書 では、2007 年度より毎年 1 つの項を高速シークエンサーの解説に当ててきた4)~9) 。特に、昨年度 は創薬における重要技術の 1 つとして高速シークエンサーを取り上げ、メイントピックとして関係者 56 第 1 章 医薬品開発の最新動向 へのヒアリングなどの調査を行った 9) 。そちらも併せて参照願いたい。 2) 高速シークエンサー関連の動向 2013 年度は、高速シークエンサーに関しては、全般的に製品にも技術にも大きな動きのない 1 年 だ ったが、2014 年 に 入 って 2 月 開 催 の Annual Advances in Genome Biology and Technology Conference(AGBT)に向けて幾つかの動きが出てきた 1 0 ) 。以下に簡単にまとめて みる。 最 初に製 品 化された高 速 シークエンサーは、2005 年に発 売された 454 Life Sciences の Genome Sequencer System であり、Roche Diagnostics から販売された 11)12) 。しかし、発売から 8 年経った 2013 年 10 月、Roche は 2016 年を目処に 454 シークエンサーから撤退することを表 明した13)。同社のシークエンサーGS System は、1 回のランで得られるデータ量が少なく、ランニ ングコストが他社製品に比べて高いので、市場で苦戦が続いていたことが理由と思われる。一方で、 リード長が長いという特徴があり、de novo のシークエスなどに用いられて高い評価を得ていた。そ のようなユーザーからは撤退を惜しむ声も上がっている。この発表に先立つ 2013 年 9 月、Roche と Pacific Biosciences との提携が発表された 14) 。Pacific Biosciences は、SMRT ® テクノロジーを 用いた 1 分子シークエンサーの開発を行なっている。今回の提携により、Pacific Biosciences がシ ークエンシングシステムの医療診断向けの開発を Roche のために行なうことになる。その開発資金 として、Pacific Biosciences は Roche から 3,500 万ドルを受け取り、さらにマイルストーンとして 4,000 万ドルを受けとる予定である。Roche は 2012 年 1 月に Illumina の買収を試みて、失敗に 終っている15)~17) 。Roche にとってシークエンシングシステムの入手は戦略的に必須だったようで、 454 シークエンサーの開発および販売を終了するとともに、Pacific Biosciences の 1 分子シーク エンサーにシフトすることになった。なお、Pacific Biosciences の 1 分子シークエンサーRSⅡに関 しては、AGBT において、54 倍のカバレッジでヒトの全ゲノムの解読に成功したことが報告された。 Illumina は 2014 年 1 月に新しいシークエンサー「HiSeq X Ten」のリリースを発表した16)18) 。 これは HiSeq X というハイエンドマシーン 10 台で構成されているシステムである。HiSeq X 1 台の 性能としては、1 回のランに 3 日を要し、1.6~1.8 Tb の塩基配列データを産出する。ヒトゲノム全長 3 Gb を 30 倍のカバレッジで解読する場合、90 Gb のデータが必要となる。したがって、HiSeq X 1 台では、1 回のランで 16~20 人のゲノム配列の解読が可能である。これを 1 年 365 日稼働させた 場合、最大で 120 回のランが可能であり、2,400 人のゲノム配列を解読することができる。実際には フル稼働は困難なので、カタログスペックとしては 1 年で 1,800 人のゲノム解読とされている。したが って、HiSeq X Ten システム全体では、その 10 倍の 18,000 人のゲノム配列の解読が可能となる。 この HiSeq X Ten システムは、すでに Macrogen および Broad Institute、Garvan Institute of Medical Research の 3 カ所の施設に導入されことが発表されている。 HiSeq X Ten では大規模なシークエンシングシステムによりコストも大幅に低減した。ヒトゲノム 1 人あたりを 1,000 ドル以下のコストで解読できるとされ、初めて 1,000 ドルゲノムを達成したと発表し ている。1,000 ドルのコストには、システムの原価償却費、消耗品、DNA 抽出およびサンプル調製、 標準的なラボにおける人件費などを含んでいる。ヒトゲノムの解読コストは急速に低減して来たが、 この 2~3 年はほとんど変わらず、約 7,000 ドルに留まっていた。このうち半分以上をウェット実験作 業および情報処理に要する人件費が占めており、さらなるコスト低減は困難と考えられていた。今 回の HiSeq X Ten によってヒトゲノム解読コストは一気に 1,000 ドルになったが、実際に人件費な 57 第 1 章 医薬品開発の最新動向 どがどこまで考慮されているか、注意を要する。 Life Technologies からは 2011 年 後 半 に半 導 体 シークエンサーIon Personal Genome Machine(Ion PGM TM)が発売され、さらに 2012 年には Ion Proton TM が発売された19)20)。し かし、その後は大きな動きはなく、予定されている後継機 ProtonⅡのリリースも遅れているようであ る。 2012 年 2 月の AGBT で発表されて大きな話題となった Oxford Nanopore Technologies の ナノポアシークエンサーGridION TM および MinION TM であるが、2013 年にアーリーアクセスユー ザーの募集があったものの、その後、大きな動きは見られなかった21)。しかし、最初の発表から 2 年経った 2014 年 2 月の AGBT で MIT・Broad Institute の David Jaffe 博士によって、E. coli と Scardovia の 2 種類の細菌ゲノムの配列決定の結果が発表された。性能などの詳細は不明であ るが、ナノポアシークエンサーが実用レベルに達しつつあることが明らかとなった。 ナノポアシークエンサーに関しては、大阪大学発のベンチャー企業クオンタムバイオシステムズ が開 発を進めており、22 塩 基の配 列を正 確に読 み取れることを示 した 2 2 ) 。Oxford Nanopore Technologies のナノポアシークエンサーは、ナノポアの構成にタンパク質を用いており、ポアを通し て流れる電流を計測している。ポアを DNA 分子が通過する際に塩基の種類に応じてポアを塞ぐ体 積が変わり、電流値が変化する。その変化によって塩基配列を認識するのである。これに対して、 クオンタムバイオシステムズのナノポアシークエンサーは、半導体加工によるナノポアで、ポアの部 分を流れるトンネル電流を計測している。塩基の種類に応じてトンネル電流の値が変わるので、こ れを測定することによって塩基配列を認識する。なお、分子の配向などによって電流値が変動する ので、1 塩基について多数回の計測を行い、その電流値の分布から塩基を決定し、精度を向上さ せている。Oxford Nanopore Technologies から移籍してきた研究者もおり、今後の成果が期待さ れる。 3) 医療におけるゲノム解析 高速シークエンサーの技術的進歩によって様々な生物種においてゲノム配列の解読が進み、生 命科学が急速に進展している。また、ゲノム配列と疾患との関係について多くが明らかとなった。こ のような状況を背景として、遺伝子やゲノムの情報を医療現場で利用することが始まっている。 現在、遺伝性疾患として約 7,000 種類の疾患が知られているが、病因遺伝子が明らかになって いるものは、その約半数に過ぎない。遺伝子疾患に関するデータベース GENETest 23)によれば、 2013 年 4 月時点で遺伝子検査の対象となる疾患は 2,976 で、医療レベルでの検査対象となって いるのは 2,743 である。ちなみに、1993 年に遺伝子検査の対象となる疾患は約 100 であったが、 その後コンスタントに増加を続けて現在に至っており、この間に遺伝子およびゲノムの解析が急速 に進んだことを示している。さらに、疾患の診断ができても治療法や対処法がある疾患はわずかで、 数 10~数 100 遺伝子といわれており、これらが真の意味での遺伝子検査の対象となる。 このように、現時点ではゲノムの塩基配列と疾患などの表現型との関係が明確になっていないも のが多く、ゲノム配列から疾患(あるいはその可能性)を診断することは容易ではない。しかし、高速 シークエンサーを用いた患者ゲノムの解析により原因遺伝子の解明が進んでいる。この場合、単に 患者のゲノムやエクソームを解読しただけでは多数の変異があり、どれが疾患の原因かは分からな い。これに家系内の連鎖解析などを組み合わせることによって、原因遺伝子/変異を突き止めること が可能となった。病因候補遺伝子が同定された後は、モデル動物や培養細胞を用いた機能解析 58 第 1 章 医薬品開発の最新動向 や病態発症機構の解析によって、それが真の病因遺伝子であることを確定する。ただし、疾患の発 症に関しては、浸透率を考慮する必要がある。浸透率とは、遺伝子の異常を持っている場合に実 際に発症する率のことである。すなわち、疾患の発症は遺伝的要因だけでなく環境要因の影響も 受けるので、ある特定の遺伝子配列を有していても発症しないことがあり、解析に注意を要する。ま た、現在行われている全ゲノム解析は、治療法の無い疾患関連遺伝子を見つけるだけという批判 的な意見もある。 医療目的のためにゲノム解読が必要かという点に関しても、議論の余地がある。すなわち、診断 目的のためには、限られた数の遺伝子/変異を解析すればよく、ゲノムの解読は不必要という考え である。ただし、近年のゲノム解析の進展により、疾病の発症は世代ごとにランダムに発生するゲノ ム上の変異が関与していることが分かってきた。したがって、疾病の原因となるゲノムの変異は個人 ごとに異なっており、ゲノム全体の配列解析を行う必要があると考えられる。今後、ゲノム解読のコス トがさらに低減すれば、個人ゲノム情報の医療応用が急速に進むことが予想される。ある臨界点を 超えた先にあるのは、ヒトゲノム計画の代表を務め、現在米国 NIH 所長であるコリンズ博士の著書 のタイトルにある「遺伝子医療革命(The Revolution in Personalized Medicine)」と呼ぶべきも のなのかもしれない24) 。このような背景を踏まえて、本調査報告書では、本稿 1-3-3-2 におい て高速シークエンサーを用いた新しい実験手法である 1 細胞シークエンス解析について解説する。 また、1-3-3-3 では、遺伝子検査における高速シークエンサーの利用とそれに関連する動向な どについて解説する。 【参考資料】 1) http://www.genome.gov/11008124 2) Mrdis, E.R., Nature 470, 198-203 (2011) 3) Nature 467, 1026-1027 (2010) 4) HS レポート No.63、調査報告書「ポストゲノムの医薬品開発と DDS 技術の新展開」、(財)ヒ ューマンサイエンス振興財団、2008 年 3 月 5) HS レポート No.67、調査報告書「ポストゲノムの医薬品開発とシステムバイオロジーの新展 開」、(財)ヒューマンサイエンス振興財団、2009 年 3 月 6) HS レポート No.71、調査報告書「ポストゲノムの医薬品開発とオミックス医療の新展開」、 (財)ヒューマンサイエンス振興財団、2010 年 3 月 7) HS レポート No.74、調査報告書「ポストゲノムの医薬品開発とエピジェネティクスの新展開」、 (財)ヒューマンサイエンス振興財団、2011 年 3 月 8) HS レポート No.77、調査報告書「RNA 研究と創薬技術開発の新展開」、(財)ヒューマンサ イエンス振興財団、2012 年 3 月 9) HS レポート No.80、創薬技術調査報告書「創薬基盤技術の最新動向を探る -イメージン グ技術・高速シークエンサー・新規モデル動物試験系-」、(財)ヒューマンサイエンス振興財 団、2013 年 3 月 10) http://genaport.genaris.com/GOC_topics.php 59 第 1 章 医薬品開発の最新動向 11) http://www.454.com/ 12) http://roche-biochem.jp/products/454sequence/ 13) http://www.genomeweb.com/sequencing/roche-shutting-down-454-sequencingbusiness 14) http://www.pacificbiosciences.com/ 15) http://www.roche.com/media/media_releases/med-cor-2012-01-25.htm 16) http://www.illumina.com/ 17) http://www.illuminakk.co.jp/company/news_release/pr20120207_1658034_j.ilmn 18) http://www.illuminakk.co.jp/ 19) http://www.appliedbiosystems.jp/ 20) http://www.iontorrent.com/ 21) http://www.nanoporetech.com/ 22) http://www.quantumbiosystems.com/ 23) http://www.genetests.org/ 24) フランシス・S・コリンズ「遺伝子医療革命 ゲノム科学がわたしたちを変える」NHK 出版 (原著 2010) 1-3-3-2. 1 細胞シークエンス解析 1) 1 細胞シークエンス解析とは 2014 年 1 月、Nature Methods 誌に 2013 年の Method of the year が発表された。今回の Method of the year に選ばれたのは、single cell sequencing(1 細胞シークエンス解析)であっ た1)~5) 。これは、高速シークエンサーを用いて細胞 1 個でゲノム配列解析やトランスクリプトーム解 析などを行う実験手法である。Method of the year は、全生物学分野において最も影響を与えた 実験技術として、Nature publishing group によって毎年末に選出されるものである。過去には 2007 年に next-generation sequencing が、2009 年に induced pluripotency が選ばれており、 本調査報告書でも取り上げている genome editing with engineered nucleases も 2011 年の Method of the year に選ばれている。これらの技術を見渡すと、それぞれの Method of the year が生命科学の発展に大きく貢献していることが分かる。したがって、2013 年の Method of the year に選ばれた single cell sequencing も、今後、大きく伸びることが予想される。 2003 年 4 月にヒトゲノムの完全版配列が発表されてから、早くも 10 年が経った。その間にも遺 伝子・ゲノム解析技術は進歩を続け、ゲノム配列と生命現象との関係について多くが明らかとなっ た。その中で、個々の細胞が有する個性や細胞間の違いが注目されている。これまでの生命科学 においては、多種多様な細胞を、ある程度まとまった集団として解析してきた。これは、従来は個々 の細胞を 1 細胞レベルで解析できる技術がなく、生化学的な手法では数万~数百万個の集団とし て細胞を解析するようなアプローチしか取れなかったためである。多数の細胞からゲノム DNA や RNA、タンパク質を抽出し、それを用いて解析を行っており、そこに含まれる個々の細胞の違いは 見えなかった。見えないものは、注目されなかった。しかし、技術の進歩に伴って、1 個の細胞を操 60 第 1 章 医薬品開発の最新動向 作し、様々な解析を行うことが可能になってきた。これによって細胞の個性が明らかになり、生命現 象の理解のためには個々の細胞に着目して解析を行う必要が理解されてきた。このような状況下 で、1 細胞解析の重要性が認識されつつある。これが Method of the year に選ばれた理由であ る。 例えば、同じゲノムを有する細胞であっても、増殖や分化の過程や老化の過程においてゲノム 配列に変異が生じる。生殖細胞を作る過程での減数分裂では、染色体の相同組換えが生じる。さ らに、がん化の過程ではゲノムの変異が生じ、がんの進行に伴って変異が蓄積していく。がん化し た細胞は増殖や転移を繰り返すが、クローナルな細胞集団においてゲノム配列が異なっていること が見出されている。このように、各細胞におけるゲノムの配列は動的で、変化が生じている。遺伝子 発現に関しても、ゲノム情報が同じでも細胞間で RNA やタンパク質の発現プロファイルが異なって いる。これはエピゲノムや転写制御因子によるもので、同じように見える細胞であっても、空間や時 間に応じて遺伝子発現が異なっている。さらに、同じ条件下で培養している培養細胞や細菌は、 同一環境下にあるクローンであっても細胞間で RNA やタンパク質の発現のゆらぎが観察され、機 能との関連性が示唆される。これらゲノムや遺伝子発現の不均一性を捉えることは、細胞の状態を 知る上で不可欠であり、生命科学の研究において重要である。 1 細胞解析では、遺伝子やゲノム、その転写産物としての RNA、さらにはタンパク質や代謝産物 の解析が行われる。また、イメージングなどによる細胞レベルでのシグナル伝達やオルガネラの動き、 細胞の運動などの観察や解析も 1 細胞解析に含まれる。その中で遺伝子・ゲノム関連の解析に注 目した場合、1 細胞からのゲノム解析やエピゲノム解析、トランスクリプトーム解析などを挙げること ができる。このような細胞における個性を解析する場合、細胞 1 個に含まれる極微量のゲノム DNA や RNA などのサンプルを用いた実験操作が必要とされる。従来はこのような解析は困難であった が、近年の技術的進歩に支えられて可能になってきた。すなわち、①セルソーターやセルピッカー などの装置による細胞の単離、②極微量サンプルからの高効率でバイアスのかからない遺伝子増 幅、③高速シークエンサーによる大規模なシークエンス解析、である。特に、高速シークエンサーの 発達による大規模なシークエンス解析が貢献する部分が大きい。また、増幅によるバイアスを避け るために、蛍光標識による 1 分子観察などを用いた解析技術も開発されている。 生命科学の歴史を振り返ると、常に新しい技術の開発によって研究が進展してきた。同じ分野で あっても、新しい技術の出現によって新たな知見が得られ、さらなる進歩を遂げている。1 細胞シー クエンス解析に関しても、これまで多数の細胞の集団で解析によって得られた知見に対して、1 細 胞レベルでの知見によって大きく変化する可能性がある。現在は限られた研究施設でしか実施で きない 1 細胞シークエンス解析であるが、今後、試薬キットや装置の普及によって大きく広まること が予想される。本ワーキンググループでは一昨年 2011 年度の調査報告書において、1 細胞シーク エンス解析を取り上げているが 6) 、今回の Method of the year への選出を機に改めて解説を行 う。 2) 1 細胞シークエンス解析に関する最近の動向 1 細胞シークエンス解析が注目されていることを示す事例として、米国 NIH が行っている Single Cell Analysis Program(1 細胞解析プログラム)や、世界各地に開設されている Single Cell Genomics Centre(1 細胞ゲノム解析センター) などが挙げられる。 米国 NIH では 37 の common fund program(共通基金プログラム)が行われているが、その中 61 第 1 章 医薬品開発の最新動向 の 1 つに1細胞解析プログラムがある 7)8) 。2011 年より意見募集などの予備調査を開始し、2012 年から実際のプログラムが開始した。2016 年までの 5 年間に渡って計 9,000 万ドルの投資を行う 予定である。プログラムの目的は、①細胞の不均一性を解析し、特定の細胞タイプや状態を定義 することと、②そのために必要な技術やツールの開発すること、の 2 つである。最終的な目標は、 個々の細胞の性質を形作っているメカニズムを解明し、細胞レベルでの疾患メカニズムに基づいた 医療につなげることである。2014 年 2 月時点では 3 つのグラントで合計 27 件のプロジェクトが行わ れている。具体な開発技術は、1 細胞におけるゲノムシークエンス、転写プロファイルやタンパク質 発現の解析などである。また、タンパク質の活性や分泌などの細胞レベルでのイメージングなども含 まれている。対象分野は、脳神経系、免疫系、がんなど多岐に及び、医療分野への応用を意識し ていることがうかがえる。 ま た 、 1 細 胞 シ ー ク エ ン ス 解 析 の 重 要 性 を 受 け て 、 EMBL-European Bioinformatics Institute and the Wellcome Trust Sanger Institute など、世界各地で 1 細胞ゲノム解析セン ターが開設されている 9)~13) 。これらの解析センターでは、1 細胞レベルでのゲノム解析、エピゲノム 解析、トランスクリプトーム解析などに関する技術開発と実際の解析とを進めている。今後、このよう な解析拠点が増えていくことが予想される。 上記以外にも、1 細胞シークエンス解析に関連する装置や試薬キットなども販売され、売上高が 伸びており、今後、装置や試薬キットの普及によって広まることが予想される。 3) 1 細胞ゲノム解析 1 細胞のゲノム解析では、細胞 1 個から抽出したゲノム DNA を用いて高速シークエンサーで配 列を解読する。これによって細胞ごとのゲノム配列の違いを解析することが可能となった。ただし、 現在のシークエンス技術では細胞 1 個から抽出した DNA そのままでは量が少なく配列解析が行 なえないので、増幅してシークエンス反応に用いる必要がある。例えば、全長 3 Gb のヒトゲノムの 場合、二倍体細胞 1 個あたりの DNA 量は約 7 pg である。シークエンス作業に必要な μg オーダ ーの DNA を得ようとすると、10 6 倍の増幅が必要になる。この全ゲノム DNA の増幅プロセスを whole genome amplification(WGA)という。WGA で重要なのは、増幅にバイアスがかからず、 ゲノムの全領域が均等に増幅されることである。WGA のためのプロトコールとして用いられるのが、 multiple displacement amplification(MDA)法と multiple annealing and looping-based amplification cycle(MALBAC)法である 14) 。 MDA 法は 2001 年に考 案され、従来の Phi 29 DNA ポリメラーゼによる rolling circle amplification 法を WGA に発展させたものである 15) 。MDA 法では、複数のランダムプライマーが 結合することにより、伸長反応が指数関数的に開始され、数時間で 10 4 倍程度まで DNA が増幅さ れる。ただし、一般的に MDA 法は増幅バイアスが大きく、増幅された DNA 断片が他の DNA 合 成のプライマーとして働いてキメラが生じ易いなどの欠点があり、解析に注意を要する。 このような MDA 法の欠点を克服した WGA として、2012 年に Harvard 大学の Sunney Xie ら によって MALBAC 法が開発された16) 。MALBAC 法では、最初に線形増幅を行ない、その後に 指数関数的な増幅を行なう。これによって均等な増幅を実現し、1 細胞から 90%以上のゲノム配列 を検出することが可能となった。これによって、1 細胞ゲノム解析が大きく進展することになった。 62 第 1 章 医薬品開発の最新動向 4) 1 細胞トランスクリプトーム解析 遺伝子の発現は、各細胞の状態を如実に反映しており、細胞を解析する上で非常に重要なデ ータとなる。しかし、従来の遺伝子発現解析では、多数の細胞から抽出した mRNA を用いて解析 を行うため、得られたデータは多くの細胞の平均値としての発現データになってしまう。細胞 1 個に 含まれる total RNA は約 10 pg、mRNA としての poly(A) + RNA はその約 1/100 の約 0.1 pg、 分子数で約 10 万分子である。これに対して、通常の遺伝子発現解析では 100 ng 以上の total RNA を使用する17) 。これは 10 4 個の細胞に相当する量であり、得られる遺伝子発現データは 104 個の細胞の平均値となる。個々の細胞において発現している遺伝子の違いやその発現量の違い などは、この中に埋もれてしまって見ることはできない。そこで、個々の細胞の個性を見るためには、 細胞 1 個から RNA を抽出し、それを用いた発現解析が必要となる。現在、1 個の細胞から抽出し た極微量の RNA を用いて遺伝子発現解析を行うプロトコールが開発され、1 細胞レベルでのトラン スクリプトーム解析が実現している。これによって、それぞれ細胞の個性が明らかになり、細胞集団 が有する不均一性が解明されている。 遺伝子発現解析の手法としては、高速シークエンサーを用いた RNA-Seq と呼ばれるトランスクリ プトーム解析が普及している。RNA-Seq とは、mRNA から合成した cDNA 断片の塩基配列を高 速シークエンサーで網羅的に解読し、各遺伝子転写産物の数をカウントすることによって発現量を 定量する方法である。高速シークエンサーの特徴は、長さ数 10~100 塩基程度の比較的短い配 列について、同時に数億~十数億個を解読できることである。すなわち、単に塩基配列を解読する だけでなく、多数の DNA 断片を同時にシークエンスできるという機能を有しており、デジタルカウン ターとして使うことができる。しかも、十数億個のカウントが可能なので、10 9 というダイナミックレンジ を有したカウンターであり、極めて幅広い定量が可能となる。また、配列決定が可能なので、カウン トする配列に関する事前の配列情報は不要で、未知の配列を含めてカウント可能である。この機能 を用いて mRNA の部分的な塩基配列を cDNA として解読し、その数をカウントして定量することが できる。この mRNA の部分的な塩基配列を RNA-Seq タグという。1 細胞あたりの mRNA コピー数 は数 10 万程度とされているが、RNA-Seq タグの配列決定によってもとの RNA の分子数を数える ことが可能であり、デジタルカウントによる発現解析が可能である。 1 細胞レベルで RNA-Seq を行う場合、mRNA から合成した cDNA を増幅する必要があり、こ れを whole transcript amplification(WTA)と呼ぶ18) 。1 細胞におけるトランスクリプトーム解析 で重要なのは、データの再現性である。すなわち、異なる細胞を用いて発現解析を行った場合に、 得られたデータの差異が実際の転写産物の種類や量を反映したものなのか、実験操作の振れに よるものなのか、データから判別することはできない。したがって、得られた差異が転写産物の違い によるもので、データが細胞の状態を反映していることを確実にするためには、実験結果の再現性 が高いことが前提となる。そのために、1 細胞からの RNA-Seq プロトコールでは、極微量の RNA サンプルから高い再現性でデータが得られるような性能が必要となる。高い再現性を実現するため には、極微量の mRNA の取り扱いと高効率の cDNA 合成、バイアスの低い cDNA 増幅などが必 要とされ、この部分がプロトコールの要となる。特に、定量性を確保するためには、WTA のバイアス が少ないことが重要である。データ再現性を確認するためには、同じサンプルで複数回の実験を行 い、データを比較する必要があるが、1 細胞解析の場合には、同じ細胞は 2 つとして存在しないた め原 理 的 に不 可 能 というジレンマに陥 る。それを解 決 するためには、複 数 の細 胞 から抽 出 した RNA サンプルを希釈したものを 1 細胞相当量使用して 2 度の実験を行い、その間でデータの再現 63 第 1 章 医薬品開発の最新動向 性を評価することになる。 代表的な 1 細胞トランスクリプトーム解析の WTA プロトコールとして、Switching Mechanism At 5’end of RNA Transcript(SMART)法がある 1 9 ) 。これは、Molony Murine Leukemia Virus(MMLV)由来の逆転写酵素を用いた cDNA 合成による RNA-Seq である。MMLV 由来の 逆転写酵素が持つターミナルトランスフェラーゼ活性によって新たに合成した cDNA の両末端に特 定の配列を効率よく取り込ませることが可能で、この配列を用いて PCR によって cDNA を増幅する ことができる。これは通常用いられるアダプターライゲーションよりも効率の高い反応であり、極微量 の RNA サンプルから合成した cDNA を増幅し、高感度で解析を行うことが可能となる。本手法を 用いることによって、1 細胞からのトランスクリプトーム解析をシングルチューブで行うことができる。な お、本手法はキット化され、BD Clontech より販売されている20)21) 。 理化学研究所 生命システム研究センターの上田らが Quartz-Seq 法と呼ばれる RNA-Seq 法 を開発し、1 細胞のトランスクリプトーム解析を行っている 18)22) 。Quartz-Seq 法の特徴は、poly(A) tailing を用いていることである。mRNA から逆転写によって合成された cDNA の 3'末端に poly(A) が付加され、この部分にプライマーが結合することによって 2 本鎖 cDNA が合成され、さらにプライ マーに付加した配列が cDNA の PCR 増幅に用いられる。実際に 1 細胞のトランスクリプトーム解 析を行ったところ、データの再現性の相関係数は 0.93 と高く、約 8,000 種類の遺伝子転写産物を 捕らえることが可能であった。これは 1 μg の total RNA を用いて検出される転写産物の約 9 割を 占めている。Quartz-Seq のプロトコールなどはラボのホームページで公開されおり、誰でもアクセス 可能である 23) 。 5) 1 細胞シークエンス解析関連装置 細胞の単離と同時に 1 細胞レベルでのゲノム解析やトランスクリプトーム解析を行うような装置も 市販されている。代表的なものとして、Fluidigm の C1 TM Single-Cell Auto Prep System や NanoString Technologies の nCounter ® Analysis System がある24)25) 。 Fluidigm は 1999 年に Stephen Quake によって創業され、2011 年に C 1 TM Single-Cell Auto Prep System を発売して 1 細胞解析分野に参入してきた。C 1 TM Single-Cell Auto Prep System では、マイクロ流路を用いて 1 細胞レベルでのゲノム解析や遺伝子発現解析を行う24)。 マイクロ流路がセルソーターとしての機能を有しており、細胞を流すと各チャンバーに細胞 1 個ずつ がトラップされる。1 度に解析可能な細胞数は 96 個である。ゲノム解析の場合、細胞から抽出した ゲノム DNA を増幅し、90%以上のゲノム領域のシークエンスを行うことができるとされている。遺伝 子発現解析の場合では、トラップした細胞を融解し、逆転写反応によって cDNA を合成し、高速シ ークエンサーを用いて配列解析を行う。反応には SMART 法を用いるが、使用する試薬は BD Clontech により「SMARTer ® Ultra Low RNA Kit for the Fluidigm C 1 System」としてキット 化されて販売されている 21) 。このように装置と試薬とが販売されているので、1 細胞レベルでのゲノ ム解析やトランスクリプトーム解析を行うことが可能である。 NanoString Technologies の nCounter ® Analysis System は、1 分子計測により mRNA 分 子を直接カウントすることによって遺伝子発現解析を行う 25 ) 。このシステムでは、様々なアプリケー ションが可能であるが、その中の 1 つとして 1 細胞における遺伝子発現解析がある。まず、細胞から 抽出・精製した mRNA に、配列特異的なプローブをハイブリダイゼーションさせる。このプローブは 各 mRNA に特異的な配列を有しており、異なった蛍光色素バーコード配列がついている。この蛍 64 第 1 章 医薬品開発の最新動向 光色素バーコード配列を識別することにより、各 mRNA 分子を区別してカウントすることが可能で ある。プローブは 800 種類が用意されているので、800 種類の mRNA をデジタルカウントし、発現 量を定量することが可能である。本システムは、mRNA を蛍光色素標識して直接カウントするので、 逆転写や増幅などのプロセスが不要であり、正確な定量が可能とされている。 1 細胞シークエンス解析で必要となる DNA 増幅の問題は、将来的にはナノポアシークエンサー などの 1 分子シークエンサーの実用化によって解決されるかもしれない。すなわち、これらの 1 分子 シークエンサーでは、サンプル DNA の増幅やシークエンス反応などは不必要で、サンプルから抽 出した DNA をそのままシークエンサーにアプライすればよい。ただし、ゲノム DNA は 1 分子しか ないので、同じ部位の配列を繰り返して読みことができず、高い解読精度が要求される。どこまでの 性能が要求されるかは用途や目的によるが、1 細胞シークエンス解析の有力な手段になると期待 できる。 6) 1 細胞シークエンス解析の実際 (1)細菌・古細菌の 1 細胞ゲノム解析 26) 1 細胞ゲノム解析が精力的に行われているのが、細菌や古細菌などの微生物を対象とした研究 分野である。細菌や古細菌のほとんどは、培養ができないか、培養が極めて困難である。培養が可 能な菌では、分離培養によって菌を単離し、それを純培養して増殖させ、ゲノム配列解析に必要な 量の DNA を得ている。これに対して、難培養性菌ではこのような手法が取れず、解析が行えなか った。そこで、培養を経ずに微生物のゲノム解析を行うようなアプローチが開発された。 難培養性菌の解析では、微生物の集団でゲノム配列解析を行うメタゲノムという解析手法が普 及している。これは、ヒトの常在細菌叢や環境中から収集した微生物サンプルから DNA をまとめて 抽出し、高速シークエンサーにより網羅的な配列決定を行うものである。この手法は微生物集団を 分析する目的には適しているが、多数の微生物種に由来する DNA が混在したサンプルから膨大 な数の短い配列が得られるので、ゲノムアセンブリ、すなわちそれぞれの微生物のゲノム配列を復 元することは困難である。また、存在比率の大きい微生物群のゲノム配列は解明できるが、稀な微 生物のゲノムを解析することはむずかしい。これはショットガンでシークエンスした配列データ中に存 在比率の低い微生物ゲノムに由来する配列が含まれないためである。 このように微生物を集団で解析するメタゲノム解析に対して、微生物 1 細胞でゲノムを解析しよう というアプローチが 1 細胞ゲノム配列解析である。1 細胞ゲノム解析を行うと、難培養性菌に関して も、(完全な形でないにしても)ゲノム配列を解読することができる。また、存在比率が小さい微生物 でも、その細胞を採取することによりゲノム構造を解明することができる。複数個の細胞で 1 細胞ゲ ノム解析を行い、それらのデータを基にして精度の高いゲノムデータを作ることも可能である。マイク ロ流路などを用いた微生物細胞の単離と WGA によるゲノム DNA の増幅、そして高速シークエン サーを用いたゲノム解析といった技術革新によって微生物の 1 細胞ゲノム解析が実現しており、培 養を行わずに細菌や古細菌のゲノムを解読できるようになってきた。得られた難培養性菌のゲノム 配列をリファレンスデータとして利用することによりメタゲノム解析の精度も上昇すると期待される。こ のように、メタゲノム、さらに 1 細胞ゲノム解読と、シークエンス技術の進歩に伴って難培養性菌につ いても情報が得られるようになり、微生物の解析が大きく進展している。 65 第 1 章 医薬品開発の最新動向 (2)ヒトの 1 細胞ゲノム解析 1 細胞ゲノム配列解析は、ヒト細胞においても行われている。基本的には、細菌と同様の方法が 取られており、1 細胞の単離、ゲノム DNA の抽出と増幅、高速シークエンサーによる配列解読とい う作業を行う。ただし、ヒトゲノムの全長は 3 Gb で、細菌のゲノムサイズの数百~1,000 倍の大きさ であり、細菌の場合よりも大規模なゲノム DNA の増幅が必要となる。Stanford 大学の Quake ら のチームは、マイクロ流路系を用いてヒト 1 細胞のゲノムシークエンスも試みている27) 。この際に、48 個のチャンバーを有するマイクロ流路系を用いて、染色体を各チャンバーにランダムに振り分け、そ れぞれの染色体を別々に増幅している。これによって、2 本の相同染色体を区別して解析するはハ プロタイプ解析が可能となる。 1 細胞ゲノム配列解析の応用に関しては、がん細胞の解析を挙げることができる。がん細胞では ゲノムの変化が生じているが、がん組織では正常細胞とがん細胞が混在しており、がん細胞に関し ても様々な段階のものが含まれている。これらを一緒に解析した場合には、がん細胞における変異 が希釈化されてしまい、検出できない可能性がある。そこで、1 細胞を単離して個々の細胞でゲノム 解析を行うことにより、ゲノムの変異の詳細が解析できるとされている。Cold Spring Harbor 研究 所の Navin らは、がん組織由来の細胞 100 個に関して、それぞれ 1 細胞ゲノム解析を行い、それ らが 3 つのクローンから成るサブポピュレーションで構成されていることを解明した 28) 。これによって、 がんの発生や悪性などのプロセスにおけるゲノムの変異が解明できるであろう。また、血流中のが ん細胞(Circulating Tumor Cell:CTC)の解析とそれに基づく診断などにも応用が期待できる。 がんの診断以外にも、1 細胞ゲノム解析はゲノムにおける異常の検出などに用いられるだろう。 例えば、iPS 細胞の樹立過程などにおけるゲノムの変異の検証などである。また、近年行われるよう になってきた出生前の遺伝子検査であるが、受精卵の着床前にその中の 1 細胞を分取してゲノム 解析を行うなどの検査も行われ始めている。 (3)ヒトの 1 細胞トランスクリプトーム解析 iPS 細胞を用いた再生医療でも 1 細胞解析の重要性が指摘されている。iPS 細胞を用いた再生 医療では、各患者などから iPS 細胞を樹立し、それを分化させて医療に用いる。そこで重要になる のは、iPS 細胞の品質管理と品質保証である。そこでは、従来の表面抗原などの定性的な指標で は不十分であり、定量的な評価基準が必要となる。例えば、iPS 細胞を神経細胞に分化させた場 合に、一 部の細 胞は未 分 化 状 態で残 ってしまう。このようの未 分 化 細 胞のポピュレーションは各 iPS 細胞株によって一定であり、再現性がある。したがって、分化抵抗性株とでも言うべき iPS 細胞 株が存在し、このような細胞株は定性的な指標では識別できない。しかし、遺伝子発現解析を行う と、分化抵抗性株で発現の高い遺伝子(differentiation resistance genes)が存在する。このよ うな知見に基づいて、1 細胞レベルでの遺伝子発現解析を行い、不適切な細胞株を除外すること によって iPS 細胞の再生医療への利用が可能となる。 すでに、iPS 細胞において 1 細胞レベルでの遺伝子発現解析が行われている。京都大学 iPS 細胞研究所 ゲノム・エピゲノム解析コアファシリティの渡辺らは、Fluidigm の C 1 Auto Prep システムを用いた 1 細胞 RNA-Seq を行った結果を発表している 29) TM Single-Cell 。通常の未分化の iPS 細胞 48 個について RNA-Seq による発現解析を行い、クラスター分析を行った。その結果、4 つのクラスターに別れ、そのうちの 2 つは細胞周期を反映した S 期および M 期に相当するクラスタ ー で あ っ た 。 さ ら に 、 NANOG 遺 伝 子 発 現 量 と の 相 関 を 取 る と 、 細 胞 周 期 の 進 行 に 伴 っ て 66 第 1 章 医薬品開発の最新動向 NANOG 遺伝子の発現量が変動し、その中で NANOG 発現量が低下する部分から分化へと向か う様子が明らかとなった。したがって、NANOG 発現量の変動は細胞の未分化/分化状態の維持と 関係している可能性が示唆される。現在、iPS 細胞作製時の初期化のメカニズムや iPS 細胞のが ん化メカニズムの解明を目指して 1 細胞 RNA-Seq を行っており、今後、これらに関する成果も発 表されるであろう。 7) 1 細胞シークエンス解析の課題 1 細胞解析は、新しい研究分野であり、黎明期にある。将来的な医療応用に関しては、がん細 胞や CTC の診断、再生医療における細胞の品質管理、受精卵の着床前診断などが考えられる。 今後、データが蓄積される中でその有用性が示されるだろう。実際の解析に関しては、様々な課題 があり、その実用化は簡単ではない。まず、どのように 1 細胞を単離するかという点が課題となる。 すなわち、試料に含まれる多数の細胞から、解析対象となる細胞の濃縮、さらに個々の細胞の分 離などの工程である。次に、単離した細胞からのライブラリーの作製とその増幅が課題となる。特に、 増幅時に生じるバイアスが問題となり、なるべくバイアスの生じない増幅方法か、生じたバイアスを 補正する方法が必要である。また、1 細胞解析では、個々の細胞については 1 回の解析しか行え ないので、データの再現性が保証されていることが重要である。さらに、1 細胞シークエンス解析、 特にトランスクリプトーム解析では、統計的に意味のある数の細胞を解析する必要があり、ある程度 まとまった数の細胞を同時に処理できるシステムや装置が必要とされる 18) 。必要な細胞数としては、 数%のポピュレーションを統計的に意味のある数値として捉えることを考えると、1,000 個以上となる だろう。現在、1 細胞解析のための様々なプロトコールが開発されているが、今後は多数の細胞の 同時処理とコストの低減へと向かうと考えられる。 【参考資料】 1) Nature Methods 11, 1 (2014) 2) Nature Methods 11, 13-18 (2014) 3) Quake, S.R and Blainey, P.C., Nature Methods 11, 19-21 (2014) 4) Sandberg, R., Nature Methods 11, 22-24 (2014) 5) Eberwine, J., et al., Nature Methods 11, 25-27 (2014) 6) HS レポート No.77、調査報告書「RNA 研究と創薬技術開発の新展開」、(財)ヒューマンサ イエンス振興財団、2012 年 3 月 7) http://www.nih.gov/news/health/oct2012/nibib-15.htm 8) http://commonfund.nih.gov/Singlecell/index 9) https://www.sanger.ac.uk/research/projects/singlecellcentre/ 10) http://www.broadinstitute.org/news/5023 11) 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遺伝子・ゲノム解析技術の普及により、それを用いた臨床検査、すなわち遺伝子検査が延びて いる。すでに新型出生前診断などの検査では高速シークエンサーが使われているが、今後、その 利用が広まると予想される。 遺伝子検査とは、特定の遺伝子の有無および塩基配列の解析を行う行為である。感染症検査 の場合には、病原微生物の有無をそのゲノム DNA や RNA の存在で検出する。遺伝子診断とは、 遺伝子検査の結果に基づいて行う診断行為である。遺伝子検査の定義や分類については、確定 していない部分もあり、国際的にも用語が統一されていない。その中で、NPO 法人日本臨床検査 標準協議会に設置された「遺伝子関連検査標準化専門委員会」の提言に基づき、「遺伝子検査」 の用語を次のように分類・定義する 1) 。i)~iii)を総称して「遺伝子関連検査」とする。 i) 病原体遺伝子検査(病原体核酸検査) ヒトに感染症を引き起こす外来性の病原微生物(ウイルスや細菌、真菌など)の核酸(DNA あ るいは RNA)を検出・解析する検査。 ii) ヒト体細胞遺伝子検査 がん細胞特有の遺伝子の構造異常等を検出する遺伝子検査および遺伝子発現解析など、疾 患病変部・組織に限局し、病状とともに変化し得る一時的な遺伝子情報を明らかにする検査。 iii) ヒト遺伝学的検査 単一遺伝子疾患、多因子疾患、薬物等の効果・副作用・代謝、個人識別に関わる遺伝学的 検査など、ゲノムおよびミトコンドリア内の原則的に生涯変化しない、その個体が生来的に保有 68 第 1 章 医薬品開発の最新動向 する遺伝学的情報(生殖細胞系列の遺伝子解析 より明らかにされる情報)を明らかにする検 査。 遺伝子検査において検査対象となる科学的指標が必要であり、これを遺伝子マーカーと呼ぶ。 これは一般的な検査におけるバイオマーカーに相当するものであり、どの遺伝子のどの塩基配列 によってどの病気を診断するのかということである。厚生労働省の 2008 年のゲノムバイオマーカー に関する定義によれば、「正常な生物学的過程、発病過程、及び/または治療的介入等への反応 を示す指標となる、DNA もしくは RNA の測定可能な特性」とされている。 社団法人日本衛生検査所協会・遺伝子検査受託倫理審査委員会の調査によれば、ヒトを対象 とした遺伝子関連検査は年々増加しており、2011 年の総数は 485 万件であった 2) 。そのうちの 94%の 455 万件を感染症の病原体遺伝子検査が占めている。次いで、白血病・リンパ腫関係の遺 伝子検査が年間 15 万件で 3.1%となっており、年々割合が増加している。3 番目の固形腫瘍関係 の遺伝子検査は年間 8 万 3,000 件で 1.7%と少ないが、保険適用された EGFR 遺伝子と K-ras 遺伝子の検査が増加しており、今後の伸びが予想される。4 番目は、臓器移植などに関わる個人 識別などの遺伝子検査で、年間 4 万 3 千件で 0.9%であり、ほとんど変化していない。5 番目は、ヒ ト遺伝学的検査に関するもので、年間 2 万 7 千件で 0.6%であり、年々増加している。これは薬物 応答性に関する遺伝子検査の増加によるものである。6 番目は、親子鑑定で、これは年間 300~ 500 件で推移しており、ほとんど変化していない。このように、遺伝子関連検査のほとんどが感染症 に関するものであり、すでに多くの企業が参入している。一方で、固形腫瘍や白血病・リンパ腫など のがん関連遺伝子検査の件数が 2008 年ごろより急激に増加しており、今後の伸びが予想される。 今後はがんのコンパニオン診断やファーマコゲノミクス関連など、個別化医療に関する遺伝子検査 が増加すると考えられる。 2) 遺伝子検査に関する社会の動向 2013 年度は、遺伝子検査が社会的な話題となり、一般の人々の広く知るところとなった年であっ た。これは、遺伝子検査の実用化が進むと同時に、普及に伴って様々な課題が生じていることを示 している。特に、遺伝子検査の結果の解釈やそれに基づく判断などについては、個人的にも社会 的にも様々な影響があり、遺伝カウンセリングなどを含めてサポート体制の整備が必要となっている。 以下に 1 年間の動きをまとめてみた。 (1)新型出生前診断の日本における検査開始 2013 年 4 月、胎児の染色体異常を検査するための新型出生前診断が、日本でも始まった。こ れは母体からの採血を行い、その中に存在する胎児 DNA の解析を行い、染色体のトリソミーを検 出するものである。従来の羊水検査などの方法に比べると母体への負担がなく、安全な検査である。 名目上は臨床研究としての実施ということになっているが、実質的には商業ベースでの検査である。 開始当初から毎月約 500 人の受診者があったが、その数は増加している。また、受診可能な病院 数も増えている。この新型出生前診断に関しては、障害者団体からは障害者の社会的排除につな がるものとして懸念の声も出ており、倫理的および社会的な影響も大きい。なお、新型出生前診断 に関しては、次項で詳細を解説する。 69 第 1 章 医薬品開発の最新動向 (2)Angelina Jolie の乳腺除去手術 2013 年 5 月、女優 Angelina Jolie(当時 37 歳)が 5 月 14 日付の The New York Times に 自らの体験を「My Medical Choice(私の医学的選択)」として寄稿した3) 。これは、遺伝性乳がん の遺伝子検査を受診し、その結果に基づいて予防のために乳腺除去手術に踏み切ったという内 容であり、大きな反響を引き起こした。Angelina Jolie は、母親が 40 歳代で乳がんを患い、10 年 間の闘病の後に 56 歳で亡くなっている。自分も遺伝による乳がんのリスクが高いのではないかと考 え、遺伝子検査を受診した。これは、米国 Myriad Genetics が提供するがん抑制遺伝子 BRCA1 および BRCA2 に関する遺伝子検査であり、家族性(遺伝性)の乳がんおよび卵巣がんのリスクを 予測することができるとされている 4) 。検査結果は陽性で、将来乳がんになるリスクは 87%であった。 そのために、予防のために乳がんが生じる乳腺の除去を行い、乳房の形を保つための再建手術を 受けたのである。確かに乳腺を除去すれば乳がんは生じない。しかし、まだ生じていない乳がんを 予防するために健全な乳腺を除去するという選択に関しては、抵抗感もあり、多くの議論を呼んで いる。ハリウッドを代表するセレブということもあり、Angelina Jolie の寄稿によって乳がんの遺伝子 検査の知名度は大幅にアップした。同時に、これまで遺伝子検査に興味のなかった人々の関心も 引き起こすことになった。 なお、Myriad Genetics が有している BRCA1 および BRCA2 の遺伝子特許に関しては、その 有効性が裁判で争われてきた。その判決が 2013 年 6 月 13 日に米国最高裁判所によって下され、 「自然界に存在する遺伝子自体には特許は認められない」とされた。ただし、「遺伝子であっても人 工的に作出されたものならば特許が認められうる」とし、BRCA1・BRCA2 遺伝子の cDNA に対し ては特許が認められた。これらの判決は、今後の遺伝子検査に関して大きな影響を及ぼすものと 考えられる。このように、わずか 1 ヶ月ほどの間に乳がんの遺伝子検査が社会の注目を浴びること になった。 Myriad Genetics の遺伝性乳がん・卵巣がんの遺伝子検査は、日本においては臨床検査会社 のファルコバイオシステムズが独占的に行なっている5) 。この遺伝子検査を啓発する CM が 2014 年 2 月にテレビ放映された。この CM では、遺伝子検査の直接の宣伝は行なっていないが、「正し い診断による個別化医療が早期発見・診断・予防を可能にします。」とあり、検索によってファルコ バイオシステムズのホームページに誘導されるようになっている 6) 。これに対して、一部の専門家か ら懸念の声が上がっている 7) 。すなわち、専門性の高い遺伝子検査に関しては、一般の人が判断 を行なうのは困難であり、医師やカウンセラーなどの専門家の直接的な説明を要する。そのために テレビ CM には適さないということである。ファルコバイオシステムズは、臨床検査業界団体である日 本衛生検査所協会の事前の了承を得ており、テレビ CM に問題はないとしている。具体的な商品 名なければ広告に該当しないが、結果的には自社の検査紹介のホームページに誘導して検査を 勧める形になっており、判断が分かれるところである。一方で、このような啓蒙は重要であるという意 見もある。すなわち、将来の発がんというリスクに対して、遺伝子検査によって正しく対応することが できるのであれば、それはがんの予防という点で大きなメリットがあるからである。遺伝子検査という 一般市民には判断が困難な専門性の高い医療行為に関しては、どこまで広告や宣伝が許される か、今後に向けた課題となるであろう。 (3)映画「そして父になる」と DNA 親子鑑定 同じく 2013 年 5 月、是枝裕和監督の映画「そして父になる」が第 66 回カンヌ国際映画祭にお 70 第 1 章 医薬品開発の最新動向 いて審査員賞を受賞した 8) 。これは出産直後に産院で子供を取り違えられた 2 組の夫婦を巡る話 である。映画の中では、福山雅治・尾野真千子演ずる夫婦が、これまで育ててきた息子が他の夫 婦の子供であることを知らされ苦悩する。親子鑑定のために遺伝子検査を受診するのだが、幼い 息子(二宮慶多)が綿棒で口腔内粘膜を採取されるシーンがある。興行収入 31 億円というヒット映 画の中で実際の遺伝子検査シーンがリアルに描かれるのは珍しいといえよう。映画の撮影には、 DNA 鑑定を行っている法科学鑑定研究所が協力している 9) 。 この映画は実話に基づいた話であるが、2013 年 11 月には新生児取り違えに関する裁判の判 決がニュースとなった。出生直後に別の新生児と取り違えられて人生を狂わされたとして、東京都 の 60 歳の男性と実の弟 3 人が産院を経営する社会福祉法人に約 2 億 5,000 万円の損害賠償を 求めた訴訟が行われた。この訴訟に対して 2013 年 11 月 26 日に東京地裁が下した判決は、取り 違えがあったことを認めて、社会福祉法人に計 3,800 万円の支払いを命じるものであった。男性は 裕福な家庭に生まれたものの、取り違いによって貧しい家庭で育てられることになり、高等教育を受 ける機会を失うなど、人生が大きく変わることとなった。実際に取り違えがあったことは、遺伝子検査 による親子鑑定によって証明された。 親子鑑定に関する他の事件としては、遺伝子検査で血縁関係がないと証明された場合に父子 関係を取り消すことができるかを争った裁判が行われ、2012 年 4 月に大阪家庭裁判所で、2012 年 11 月に大阪高裁で鑑定結果に基づいて父子関係を取り消す判決が下された10) 。すでに成立 している親子関係を遺伝子検査の結果によって取り消す判決は極めて異例であるが、遺伝子とい う動かぬ証拠が提出された場合に、それを無視することは難しい。さらに、年末になってからは、芸 能人の親子鑑定結果に関するスキャンダルが週刊誌やテレビのワイドショーを賑わせている。遺伝 子検査による親子鑑定は、日本では年間 300~500 件程度行われており、その数はほとんど変化 していない。遺伝子検査では科学的な真実が得られるが、それを知ることによる影響も大きい。この ような状況を踏まえて、親子鑑定の実施に関して何らかの制限を設けることも検討されている。 (4)23andMe に対する FDA の中止命令 医療機関を介さずに、受診者が直接検査会社にサンプルを送って行うような遺伝子検査、すな わち Direct To Consumer(DTC)遺伝子検査が普及し始めている。これに関して、2013 年 11 月、 米国 23andMe が提供する家庭用 DNA テストキットの販売に関して、米国 FDA が中止命令を出 した 11)12) 。詳細については後述するが、これまでは DTC 遺伝子検査は野放しの状態にあったもの の、その利用者の増加に伴って影響を懸念する声が出ている。今回の中止命令により、DTC 検査 の将来に対する不透明さも現れ始めている。なお、DTC 遺伝子検査に関しては、次項で詳細を解 説する。 3) 高速シークエンサーを用いた遺伝子検査 上記の動向などを踏まえて、高速シークエンサーを用いた(あるいは、用いる可能性のある)遺伝 子検査として、①コンパニオン診断、②新型出生前診断、③DTC 遺伝子検査の 3 つについて、以 下で詳細を解説する。 (1)コンパニオン診断 遺伝子検査としては、医薬品に対する患者個人の反応性を治療前に調べるコンパニオン診断 71 第 1 章 医薬品開発の最新動向 に注目が集まっている 13) 。コンパニオン診断とは、薬剤標的となるタンパク質や薬剤代謝酵素をコ ードする遺伝子の変異や発現量を調べることによって、医薬品の効果や副作用を投薬前に予測す るために行なわれる臨床検査である。医薬品の安全かつ有効な使用に必須の情報を取得し、医 師による投薬妥当性や投薬量の決定を補助する目的で行われる。疾患の診断を目的に行われる 通常の臨床検査とは区別され、個別化医療を推進するうえで重要な課題となっている。現在、分 子標的薬は抗がん剤がメインとなっているが、将来的には中枢神経疾患など他の疾患領域の治療 薬にも適用されると考えられている。したがって、分子標的薬の増加が予想され、それに伴ってコン パニオン診断も成長が予想される。 コンパニオン診断の検査技術に関しては、様々なプラットフォームが乱立する状態にある。その 弊害として、複数項目の検査を行おうとする場合、一括して検査を行うことができず、それぞれの検 査を個別に行うために、コストが高くなってしまう。また、保険制度としては、受診可能な検査数に上 限が生じる。したがって、コンパニオン診断全体としては、プラットフォームの統一が望ましい。コン パニオン診断の対象となる遺伝子マーカーに関しても、現在はコンパニオン診断の対象となる抗が ん剤の種類が少ないので、検査対象の遺伝子マーカーも少なくて済んでいる。例えば、代表的な 抗がん剤に関してコンパニオン診断を行い、その結果に基づいて投与を行う。検査結果により最初 の抗がん剤候補が使用できない場合には、次の抗がん剤についてコンパニオン診断を行い、その 結果に基づいて投与を行う。後は、適切な抗がん剤に当たるまで、この作業を繰り返すことになる。 しかし、コンパニオン診断を必要とする抗がん剤の種類が増え、検査対象となる遺伝子が増えれば、 このようなアプローチは成り立たなくなる。複数の抗がん剤に対するコンパニオン診断を一括して同 時に行い、その結果に基づいて最も適切な抗がん剤を選択し、患者に投与するようになる。 複数の抗がん剤に対するコンパニオン診断を一括して行うプラットフォームとして期待されている のが、高速シークエンサーである。検査対象とする複数の遺伝子領域をそれぞれ増幅し、各領域 について塩基配列を決定するマルチプレックスな検査を行う。これをキャンサーパネルと呼び、これ によって複数のコンパニオン診断を同時に行うことが可能である。ただし、このようなマルチプレック スな検査方法に関しては、現時点は保険適用の仕組みがない。 高速シークエンサーによる遺伝子検査により、がん組織中の細胞の不均一性にも対応可能であ る。すなわち、がん組織は、クローナルな細胞集団であるにもかかわらず、同じ患者の 1 つのがん組 織において、個々の細胞に違いがある。がん組織を摘出してゲノム配列を解析すると、通常は正常 細胞とがん細胞の混合物のデータが得られる。さらに、がん細胞自身も変化していくので、場合に よっては複数種の混合配列データが得られることになる。高速シークエンサーでは、並行して多数 のシークエンスを行い、リード数をデジタルに数値でカウントする。これによりダイナミックレンジが広 がり、非常に高感度の定量解析が可能となる。したがって、高速シークエンサーを用いて、がん組 織由来のゲノムの同一変異箇所を大量にシークエンスすることにより、変異頻度を確定することが 可能であり、がん組織中の細胞集団を解析できる。 がんのコンパニオン診 断 に関 しては、米 国 Foundation Medicine や英 国 Oxford Gene Technology など、がんの遺伝子検査に特化した専門性の高い検査会社も現れ、高速シークエン サーをプラットフォームとしたがんの遺伝子 検査を行っている 1 4 ) 1 5 ) 。Foundation Medicine の FoundationOne TM は、高速シークエンサーを用いた固形がんパネルシークエンスサービスで、最 新の知見に基づいて選択したがん関連遺伝子について解析を行っている。すなわち、がん関連遺 伝子 236 種類のコーディング領域全長(計 3,769 エクソン)およびがん細胞で変異や組換えが生じ 72 第 1 章 医薬品開発の最新動向 やすい 19 種類の 47 イントロンについて、高速シークエンサーを用いて×250 のカバレッジで塩基 配列を解読し、がんによる変異を検出している。必要ながん組織試料は、厚さ 40µm 以上、20%の 細胞が腫瘍由来であればよく、パラフィン標本でも解析可能である。検査の納期は 3 週間、費用 5,800 ドルである。Oxford Gene Technology の SureSeq TM Solid Tumor Panel Sequencing Service も、高速シークエンサーを用いた固形がんパネルシークエンスサービスである。同社は、 従来は遺伝子解析を専門としていたが、がん領域に進出した。がん関連遺伝子 58 種類のコーデ ィング領域全長について変異を検出している。 (2)新型出生前診断 母体血液を用いて胎児の染色体異常を検査する新型出生前診断が、世界的に急速に普及し 始めている。日本でも 2013 年 4 月に SEQUENOM の「MaterniT TM PLUS」の検査サービスの 受診が可能となった16) 。新型出生前診断とは、母体血液中にある胎児由来の DNA(circulating cell-free fetal nucleic acids)を用いた検査である。妊婦から採血し、その血液中の遺伝子を解 析することにより、胎児の染色体や遺伝子を調べる非侵襲的検査である。 出生前診断に関しては、より早期に、侵襲が少なく安全で、より精確な診断を得るべくさまざまな 検査法が開発されてきた。しかし、確定的な結果を得ようとすれば、診断時期も遅く、母子に対し侵 襲的にならざるをえないというジレンマを抱えてきた。これに対して、1997 年に、妊婦の血漿中に胎 児由来の DNA 断片が存在することが明らかになり、この胎児 DNA 断片を出生前診断に用いるこ とが試みられた 17) 。2008 年には、massively parallel genomic sequencing method(MPS 法) と呼ばれる方法が開発され、検査に使われている。これは、高速シークエンサーを用いて母体血液 中の DNA 断片(母体由来 DNA および胎児由来 DNA の混合物)約 1,000 万個を網羅的に解 読し、解読した配列断片を各染色体に貼り付けていくものである。その際に、胎児染色体にトリソミ ーがあれば張り付く配列断片数に変化が生じるので、これによって染色体数の異常が分かる。新 型検査は、血液採取だけで済むので、羊水穿刺や胎盤絨毛採取などの胎児細胞採取による方法 に比べて簡単で安全性が高い。妊娠 10 週という早期に、流産等の心配もなく、相当の精度で胎 児の染色体変異の有無が分かる。医学的には、無侵襲的出生前遺伝学的検査(non-invasive prenatal genetic testing :NIPT )、あるい は母 体 血 細 胞 フリー 胎 児 遺 伝 子 検 査 ( maternal blood cell-free fetal nucleic acid (cffNA) test)などと呼ばれる。 実際の検査としては、2011 年 10 月に、米国の検査会社 SEQUENOM が、ダウン症(21 トリソ ミー)を対象とした検査「MaterniT21 TM PLUS」を開始し、2012 年 3 月に 18 トリソミー、13 トリソミ ーの検査も開始した。すでに世界 20 か国以上で行われており、妊婦から採取された血液は米国 の検査ラボに送られ、遺伝子解析が行われている。母体血液中の DNA 配列解読には Illumina のシークエンサーが使用されている。MaterniT21 TM PLUS の実施に先立って、SEQUENOM は、2008 年 9 月、臨床検査室改善法(CLIA)認可を受けている臨床診断検査施設である米国 Center for Molecular Medicine(CMM)を約 400 万ドルで買収し、Sequenom Center for Molecular Medicine とした。また、買収に伴い、CMM を共同運営している Spectrum Health および Van Andel 研究所とも提携を行った。さらに、2013 年 6 月、Sequenom Center for Molecular Medicine はノースカロライナ州ローリー・ダーラムに検査ラボを新設し、出生前診断検 査用の試料の受け入れを開始した。これは、増加している検査受注に対応するためと考えられる。 米国では SEQUENOM 以外にも Verinata が 2012 年 3 月から、Ariosa が 2012 年 6 月から、 73 第 1 章 医薬品開発の最新動向 さらに Natera が 2013 年 4 月から検査受託を開始した 18)~20) 。ちなみに、Verinata は、2014 年 1 月に Illumina の関連会社となった。出生前診断に関しては、遺伝カウンセリングと合わせて実 施する必要があるが、このような急速な普及に伴って専門家としてのカウンセラーが不足するような 状況も生じている。詳細は不明であるが、中国では BGI が 2011 年から中国国内で検査を行って おり、他にも検査を行っている企業が存在する。 先に述べたように、日本では 2013 年 4 月に MaterniT TM PLUS の検査サービスが始まった。 この検査は日本産科婦人科学会の認可を受けた臨床研究施設のみで受診できる 21) 。これらの検 査は、国内の臨床検査会社 GeneTech が窓口となっており、試料は米国の SEQUENOM の検査 施設に送られて解析作業が行なわれている 22) 。費用は約 20 万円であるが、開始当初から毎月約 500 人の受診者がおり、その数は増えている。今回の導入は「臨床研究」と名付けられているが、 実質的には商業ベースでの実施であり、出生前診断の本格的な商業化へのスタートといえる。当 初は 20 の臨床研究施設で始まったが、1 年たった時点で 31 施設に増えている。 SEQUENOM 以外の検査に関しては、胎児生命科学研究センター主導の下、DNA 鑑定を行 っている検査会社ローカスが米国 Natera の検査サービス Panorama TM を提供している23)24)。こ ちらも解析作業は米国の施設で行っている。着床前診断も行っており、聖路加国際病院と慶応大 学病院の 2 施設で受診できる。さらに、中国 BGI が新型出生前診断について日本における営業 活動を開始し、1 件あたり約 10 万円で検査サービスを始めた。これに対して、遺伝カウンセリングが 不十分な施設が含まれており、日本産科婦人科学会の指針を守らずに実施しているとして、2013 年 12 月に同学会と日本医学会は緊急声明を出した。この声明によって医療施設などに指針を守 るよう呼びかけ、検査は遺伝カウンセリング体制が整った認定施設で行うよう求めた。さらに、BGI に対しても指針を遵守するように求めた。 なお、circulating cell-free DNA に関しては、出生前診断以外にも、がんの診断や移植臓器 の拒絶反応、感染症のモニターなど、様々な用途への応用可能性が示されている。血液サンプル からの非侵襲検査法として、今後の動向に注意する必要がある。 (3)DTC 遺伝子検査 受 診 者 が試 料 を業 者 に送 り、ゲノムおよび遺 伝 子 の解 析 結 果 を受 け取 る形 の遺 伝 子 検 査 を DTC 遺伝子検査という。ゲノム解析に関しては、現在は DNA マイクロアレイを用いた SNP 解析が メインとなっているが、将来的には高速シークエンサーによるゲノム/エクソーム解読が用いられる可 能性がある。海外では、23andMe・deCODE・Navigenics などの企業が DTC 遺伝子検査サービ スを提供している 11)25)26) 。すでに国内でも多くの事業者が参入し、ビジネスを行っているが、売上 高などの詳細は不明である。実際の遺伝子解析作業を行っているのは 10 社程度であり、他は窓 口として機能している27) 。 遺伝子検査サービス提供事業者:13 窓口事業者(非医療機関):約 130 窓口医療機関:約 600 物販や他のサービスと組み合わせたビジネスモデルも可能であるが、科学的根拠に乏しいものも あり、注意が必要である。将来的には、個人ゲノム解析(パーソナルゲノム)による疾患リスク予測が 医療現場で普及すれば、DTC 遺伝子検査は不要になると考えられる。あるいは、DTC 検査のうち、 科学的根拠の明確で精度の高いものが個人ゲノム解析として生き残るとも考えられる。 74 第 1 章 医薬品開発の最新動向 このような状況において、DTC 検査の将来に対する不透明さも現れ始めている。2013 年 11 月、 米国 FDA が 23andMe に対して遺伝子検査サービスの停止を求める勧告を下した 12) 。これは、 23andMe が遺伝子検査に基づいて病気の診断や健康状態などに関する情報を提供しているが、 FDA の認可を受けていないという理由によるものである。これまでに、FDA は 23andMe に対して 遺伝子検査としての申請を求めて助言などを行ってきたが、23andMe が適切な対応を取らなかっ たために今回の勧告に踏み切ったようである。DTC 遺伝子検査は、それを提供する側にとっても 監督する行政側にとってもまったく新しい分野であり、FDA が(特定の遺伝子疾患の検査ではなく) 全般的な遺伝子検査を行う技術製品を規制するのは、今回が初めてである。 人々が遺伝子検査の結果に基づいて医療行為を決断する場合、検査の信頼性が重要であり、 品質管理を求める必要が生じる。さらに、その結果に対する受診者側の正しい理解と対応も必要 である。例えば、偽陽性の場合に必要のない医療行為を受けるケースや、逆に偽陰性の場合に必 要な医療行為を受けずにリスクを放置する危険性などが懸念される。これまでは DTC 遺伝子検査 は野放しの状態にあったものの、普及による利用者の増加に伴って、その影響を懸念する声が出 ている。例えば、2007 年には米国人類遺伝学会が声明を出しており、適切な内容の理解やカウン セリングなしに検査を選んだ消費者が質的に劣悪な検査会社の検査を受けることになったり、効用 効果が証明されていない宣伝につられて誤った方向に誘導されたりすることを懸念している。なお、 今回の勧告を受けて、23andMe は健康関連の遺伝子検査サービスを停止しており、本原稿を執 筆している 2014 年 3 月時点では、先祖解析サービスのみを行っている。ただし、FDA の勧告前に キットを購入した人に関しては、従来どおりの健康関連の遺伝子検査サービスを受診することがで きる。 4) 遺伝子特許と遺伝子検査 遺伝子検査において、知的所有権は極めて重要である。遺伝子検査は、遺伝子マーカーと検 査技術という 2 つ要素から成り立っている。ビジネスを行っていく上では、少なくとも 1 つで特徴的な ものを有する必要があり、知的所有権による権利化が望ましい。これによって、他社に対して排他 的に振舞い、独占的にビジネスを行うことが可能となる。 2013 年 度 は 、 こ の 遺 伝 子 の 特 許 性 に 関 し て 大 き な 動 き が あ っ た 。 こ れ は 、 米 国 Myriad Genetics が有しているがん抑制遺伝子 BRCA1 および BRCA2 の特許性に関して争われてきた 裁判の判決によるものである28) 。2013 年 6 月 13 日、米国最高裁判所は「自然界に存在する遺伝 子自体には特許は認められない」という判決を下した。ただし、「遺伝子であっても人工的に作出さ れたものならば特許が認められうる」とし、BRCA1・BRCA2 遺伝子の cDNA に対しては特許を認 めた 。最 高 裁 は「BRCA 遺 伝 子 の 正 確 な位 置 と 遺 伝 子 配 列 を発 見 した ことは極 め て重 要 」と Myriad Genetics の功績を認めたうえで、「遺伝子情報それ自体では特許の基準を満たさない」と 判断したのである。一般に、自然の産物や挙動については、発見であって発明ではないとされ、特 許として認められない。したがって、遺伝子やその変異などの遺伝子マーカーについても、ヒト体内 にもともと存在する自然の産物とされ、特許性が認められなくなる可能性が指摘されている。 Myriad Genetics は、1994 年にがん抑制遺伝子 BRCA1 および BRCA2 を発見し、これらの 遺伝子に関する特許を取得している 29) 。この遺伝子上の変異に基づいて家族性の乳がんおよび 卵巣がんの診断を独占的に行っており、他者がこの診断を行うことを頑なに阻止してきた。これに 対して、研究者や患者らを代表する米国自由人権協会が、特許は無効であるという訴訟を 2009 75 第 1 章 医薬品開発の最新動向 年に起こし、裁判で争ってきた。これは、特許による遺伝子の独占は研究の進展や医療行為への 利用などを妨げ多くの人々の利益を損なうとして、遺伝子について特許で独占されるべきではない という考えによるものである。裁判は、ニューヨーク地裁、連邦巡回控訴裁判所と争われ、今回の最 高裁判決で遺伝子の特許については無効であるとの判断が下されたのである。 今回の判決に関しては、評価が 2 つに分かれている。第 1 の評価は、遺伝子の cDNA に対して 特許が認められるが、遺伝子および遺伝子マーカーに対しては特許が認められないというものであ る。したがって、家 族 性 の乳 が んお よび 卵 巣 が んの 遺 伝 子 マー カーと しての BRCA1 およ び BRCA2 の変異に関しては、今後、遺伝子検査に自由に用いることが可能になるという捉え方であ る。それに対して第 2 の評価は、cDNA という限定した形であるものの、遺伝子に対して明確な特 許性が認められたことを評価するものである。遺伝子が発現する際には、ゲノム DNA が mRNA に 転 写 されるが 、mRNA の成 熟 過 程 で イント ロン が切 り出 される 。cDNA は細 胞 内 に 存 在 する mRNA の配列を DNA で置き換えたもので、自然界には物質としては存在せず、人工的な物質と して特許の対象となりうる。工業的利用や診断を目的とする利用に際しては、遺伝子は cDNA とい う状態を経ることが多く、そこでは特許性が保証されており、cDNA を用いる方法に関しては遺伝子 検査に自由に用いることはできないという捉え方ができる。すなわち、「疾病の診断等に用いること ができる cDNA は特許対象になる」ということであり、日本の特許庁も同一の基準を示している。た だし、今回の判決では、遺伝子マーカーそのものは自然界に存在するものとして特許性が認めら れないこととなり、今後の遺伝子検査ビジネスに影響を及ぼすことは必至である。 日本もこの流れに追従すると予想され、新規のバイオマーカーを遺伝子検査ビジネスの軸に据 えることは難しくなるだろう。一方で、このような動きは診断のマルチプレックス化にとっては追い風と なる。すなわち、個々の遺伝子マーカーの特許が無効となれば、複数の遺伝子マーカーを同時に ハイスループットで検査するマルチプレックス診断が容易となり、コンパニオン診断におけるブレー クスルーとなりうる。DTC 遺伝子検査や個人ゲノム解析による疾患リスク予測行う際にも、各遺伝子 マーカーを自由に使うことが可能となる。一方で、遺伝子マーカーに関する特許が軽視される、あ るいは将来的には認められなくなることは、新たな遺伝子検査を開発するインセンティブを下げる 可能性もある。以上、遺伝子マーカーに関する特許権の解釈や運用は、今後の遺伝子検査ビジ ネスに大きな影響を与えるものであり、その動向に注意を要する。 【参考資料】 1) http://www.jccls.org/ 2) http://www.jrcla.or.jp/ 3) http://www.nytimes.com/2013/05/14/opinion/my-medical-choice.html?_r=0 4) https://www.myriad.com/ 5) http://www.falco.co.jp/ 6) http://www.familial-brca.jp/ 7) 朝日新聞、2014 年 2 月 25 日朝刊 8) http://soshitechichininaru.gaga.ne.jp/ 9) http://www.e-kantei.org/ 10) 朝日新聞、2014 年 1 月 19 日朝刊 76 第 1 章 医薬品開発の最新動向 11) https://www.23andme.com/ 12) http://www.fda.gov/iceci/enforcementactions/warningletters/2013/ucm376296.htm 13) (財)ヒューマンサイエンス振興財団 HS レポート No.79 平成 24 年度 規制動向調査報告 書「コンパニオン診断薬を用いた個別化医療 -その開発と規制の動向-」(2013 年 3 月) 14) http://www.foundationmedicine.com/ 15) http://www.ogt.co.uk/ 16) http://laboratories.sequenom.com/ 17) Lo, Y.M.D., et al., Lancet 350, 485-487 (1997) 18) http://www.verifitest.com/ 19) http://www.ariosadx.com/ 20) http://www.panoramatest.com/ 21) http://www.jsog.or.jp/ 22) http://www.genetech.co.jp/ 23) http://www.flsc.jp/ 24) http://www.rocus.co.jp/ 25) http://www.decode.com/ 26) http://www.navigenics.com/ 27) 経済産業省「平成 24 年度中小企業支援調査(個人遺伝情報保護の環境整備に関する 調査)報告書 (遺伝子検査ビジネスに関する調査)報告書」(2013) 28) 五十嵐享平「人体特許: 狙われる遺伝子情報」PHP 研究所(2013) 29) マイケル・ウォルドホルツ「がん遺伝子を追う 発見レースの最前線」朝日新聞社(2002) 77 第 1 章 医薬品開発の最新動向 1-3-4.がん免疫治療の現状 1) はじめに Science の break through of the year1) と Nature Outlook の 2013 年 12 月のテーマは、 がん免疫療法であった。免疫機構の理解とがんの免疫回避機構の研究の進展が、免疫作用の活 性化、不活性化を制御する免疫チェックポイントとそれに関連する分子 PD-1、PD-L1、CTL-4 の 存在を明らかにした 2) 。 これらに対する抗体分子が、がんに対する免疫を活性化し、患者の延命をもたらしたことにより、 がん免疫治療に対する期待が高まっている。本節では免疫のがんに対する作用機序をまとめた。 2) がんの免疫治療 3) 1880 年代後半、外科医の William Coley は、がんの術後、感染症にかかるとある種のがんの 予後が良くなることを見出し、術後に Coley toxin と呼ばれる細菌を感染させる治療法を実施し効 果を見出していた。しかし、その後の放射線療法、化学療法の発達でこの治療法は消えていった。 その後、免疫機構の詳細な研究が進展し、がんが免疫を回避する機構が明らかになり、がん免 疫治療の試験が実施され、その有効性が明らかになってきている。 現在、がんの免疫治療として研究、実施されているものは、(1)モノクローナル抗体、(2)がんワ クチン、(3)非特異的免疫賦活療法の 3 つの方法がある。 (1)モノクローナル抗体 がん特異的に発現しているタンパク質に対するモノクローナル抗体は、がん細胞を選択的に攻 撃できるので有効な手段となる。 ①モノクローナル抗体の種類 モノクローナル抗体として単独使用と修飾使用の 2 種類の使用法がある。 a) 無修飾モノクローナル抗体 モノクローナル抗体に何も付けず、抗体が結合することで、それ以降の免疫機構が作動し 効果を示すものと、抗体が抗原に結合することでそれ以降の反応を阻害して効果を示すもの がある。 b) 修飾モノクローナル抗体 モノクローナル抗体に化学療法剤、放射性物質を付加しがん細胞に薬剤を到達させるミ サイル療法である。 ②モノクローナル抗体の実際 a) 無修飾モノクローナル抗体 現在使用されているモノクローナル抗体は、がん細胞の表面タンパク質、非がん細胞のタ ンパク質、液性因子等を抗原とする。がん細胞の表面抗原と結合モノクローナル抗体は、免 疫の目印になり免疫攻撃を開始させる。このような抗体として、alemtuzumab(Campath®) が挙げられる。また、がん細胞と周辺細胞の増殖に関係するシグナル分子に結合するモノク ローナル抗体は、増殖因子受容体と結合することでがんの増殖を抑制する。このような抗体 として trastuzumab(Herceptin®)が挙げられ、HER2 高発現の乳がん細胞の治療に用い られている。 78 第 1 章 医薬品開発の最新動向 受容体周辺組織に対する成長因子に結合するモノクローナル抗体は結合することで間接 的にがんの増殖、転移を抑制する。このような抗体として、血管内皮細胞増殖因子に対する 抗体である bevacizumab(Avastin®)が挙げられ、血管の新生を阻害することでがんの増 殖を抑制する作用を持つ。 b) 修飾モノクローナル抗体 修飾モノクローナル抗体は、モノクローナル抗体に放射活性物質、薬物、毒素等を付加し たものである。放射活性物質を修飾したモノクローナル抗体として、Ibritumomab tiuxetan (Zevalin®)、tositumomab (Bexxar®)が挙げられる。これらの抗体の抗原は CD20 であ り、それぞれ放射活性イットリウム 90、ヨード 131 で修飾されており、がん化した B 細胞を標 的 と し て い る 。 薬 物 を 修 飾 し た モ ノ ク ロ ー ナ ル 抗 体 と し て 、 brentuximab vedotin (Adcetris®)、 ado-trastuzumab emtansine(Kadcyla™)が挙げられる。brentuximab vedotin の抗原は B 細胞・T 細胞にある CD30 であり、毒素として強力な微小管結合阻害 剤であるモノメチルアウリスタチン E (MMAE)を結合させている。治療対象はホジキンリンパ 腫、未分化大細胞リンパ腫、他の治療法で効果のないリンパ腫である。また、 ado-trastuzumab emtansine の抗原は HER2 であり、殺細胞薬である emtansine を付 加している。治療対象として、乳がんが悪化し、HER2 発現の高い患者に用いられる。 (2)がんワクチン ワクチンは健常人に免疫を付加し、麻疹などの感染症の予防に使用されているので予防にしか 使用できないと思われているが、子宮頚部がんに対する予防ワクチンばかりか、がんを治療するた めに免疫を活性化する治療ワクチンの開発も実施されている。 a) がんの予防ワクチン 子宮頚部がん、咽頭がんは、特定のヒトパピローマウイルスで惹起される。そのため、これ らのウイルスに対するワクチンを投与することで予防が可能になっている。また、感染を繰り返 す B 型肝炎ウイルスは肝臓がんを起こすため、このウイルスに対するワクチンも肝臓がん予防 に用いられている。 b) がんの治療ワクチン 治療するがんに特有な抗原を用いて免疫機構を活性化し、がんを治療するワクチンがあ る。多数のワクチンが研究されているが、Sipuleucel-T (Provenge®)が、現在承認されて いる唯一のワクチンである。Sipuleucel-T は、患者から取り出した樹状細胞を含む細胞群を、 前立腺がんの特異抗原である prostatic acid phosphatase (PAP)で活性化し患者に戻 してがん免疫を起こさせるものである。 c)研究中のワクチン 現在研究されているその他のワクチンとして、がん細胞をワクチンとして用いるもの、がん特 異的抗原を用いるもの、樹状細胞をがん特異抗原で活性化し用いるもの、がん抗原をコード した DNA を患者に投与し発現したがん抗原がワクチンとして働く DNA を用いるもの、ウイル ス、細菌をキャリアーベクターとして用いるもの等がある。 (3)非特異的免疫賦活療法 特定のがん抗原を用い免疫を活性化するのではなく、非特異的に免疫を活性化させることで、 79 第 1 章 医薬品開発の最新動向 がんに対する免疫も活性化させて治療する方法で、免疫を賦活化するサイトカインなどの液性因 子や薬物が臨床で試験、実施されている。 a) サイトカインを用いる方法 免疫を賦活化するサイトカインとして、インターロイキンが用いられ、特に IL-2 が、単独、他 剤との併用と免疫を賦活化する薬物として広く用いられている。その他のサイトカインとして IL-7、IL-12、IL-21 等も研究されている。 細菌の感染等で誘導されるインターフェロンの中で、インターフェロンαが、がんの免疫賦 活薬として有毛細胞白血病、慢性骨髄性白血病、濾胞性非ホジキンスリンパ腫、皮膚 T 細 胞リンパ腫、腎がん、メラノーマ、カポジ肉腫で使用されている。 顆粒球マクロファージ活性化因子(GM-CSF)は、免疫を賦活する因子として、多数免疫 療法に使用されている。 b) その他の免疫賦活剤 免疫を活性化して作動すると考えられている薬剤として、Thalidomide(Thalomid®)、 Lenalidomide(Revlimid®)が挙げられるが、詳細な免疫賦活化機構は不明である。また、 Bacille Calmette-Guérin(BCG)も免疫賦活剤として古くから研究されているが、認可され ているのは初期の膀胱がんのみである。Imiquimod(Aldara®)も局所免疫 を活性化する 薬剤として尖端コロンジオーマ、皮膚がんで用いられている。 3) 話題の免疫治療の作用機序 がん細胞の発現からがん組織形成までの間に、異物としてのがん細胞は免疫の攻撃を受けてい たと考えられるが、がんとして発症するまでに、免疫を回避する機構が発達したと考えられる。この がんが免疫を回避する機構として以下の 6 点の方法が考えられる 4) 。 a. がん抗原を発現低下あるいは消失させることで、免疫細胞から認識され難くし、免疫反応 が起きることを抑える。 b. 樹状細胞の抗原取り込み、プロセッシング、成熟の低下により、抗原提示能力を低下させ、 がん免疫の活性化を抑制する。 c. リンパ節における樹状細胞による cytotoxic T lymphocyte(CTL)活性化を低下させる。 d. CTL の増殖を抑制する機構が発達し CTL の数が少ない。 e. CTL のがん組織へのホーミングが上手くいかない。 f. 免疫抑制因子の分泌等の免疫抑制環境が構築されている。 これらの免疫回避機構を解除し、免疫でがんを治療しようとする試験が現在多数実施されている。 この中で、今回話題となった CTLA-4 と PD-1 に対する抗体は、T 細胞に発現して、T 免疫を抑制 する分子である CTLA-4、PD-1 の活性化を抑制し、がん免疫の抑制を解除しようとするものである。 その他に、現在話題になっている治療法としてキメラ型抗原受容体療法による免疫賦活療法があ る。以下、これら 2 つの療法について簡単に説明する。 (1)免疫チェックポイントに対する抗体治療 免 疫を賦活 化 し、がんを治 療するモノクローナル抗 体として現 在 唯一 承 認 されているものは、 ipilimumab(Yervoy®)である。これは活性化された T 細胞表面に発現し、T 細胞を不活化する 80 第 1 章 医薬品開発の最新動向 分子である CTLA-4 に対するモノクローナル抗体で、T 細胞の不活化を抑え、結果としてがん免疫 を活性化することを作用機作とする薬剤である。現在メラノーマで承認を受け、その機構から推察さ れるように、他のがん腫での臨床試験も多数実施されている。 もう一つの programmed death 1(PD-1)系に対するモノクローナル抗体は、PD-1 受容体に対 する抗体である。PD-1 受容体は CTLA-4 分子と同様、T 細胞表面に発現しており、そのリガンド である PD-L1、PD-L2 と結合することで T 細胞を不活化する。この PD-L1 は、がん細胞で発現さ れ近傍の T 細胞を不活化することが明らかにされている。そこで、CTLA-4 抗体と同様に、PD-1 と PD-L1 の結合を阻害すると免疫賦活化することが期待される。これらに対するモノクローナル抗体 を用いた第 2 相臨床試験の結果、有効であることが示された 5)6) 。 これらの抗体に対する作用機序の概念図を次に示す(図 1-3-4-1)。 図 1-3-4-1.CTLA-4、PD-1、PD-L1 モノクローナル抗体の作用機作 7 ) APC 細胞の B7 分子による T 細胞の CTL-4 結合を抗 CTLA-4 抗体が阻害し T 細胞の不活化を抑制している。 (上図)がん細胞の PD-L1 分子と T 細胞の PD-1 受容体の結合を、抗 PD-1 抗体、抗 PD-L1 抗体が阻害し、 がん細胞による T 細胞の不活化を抑制している。 (下図)APC:抗原提示細胞(樹状細胞) (2)キメラ型抗原受容体(chimeric antigen receptor)による免疫賦活化療法 8) キメラ型抗原受容体とは、抗体のリガンド結合領域と T 細胞受容体の膜貫通領域を含む細胞内 部位を結合したものである(図 1-3-4-2)。治療は、患者から取り出した T 細胞に、このキメラ型 抗原受容体の遺伝子を発現させ患者に戻す遺伝子治療である。 第一世代は効果が弱かったので、第二世代としてシグナル伝達部位 CD3ζ 部位に T 細胞の副 刺激因子 CD28 または 4-1BB を追加した第二世代を用いた臨床試験で効果が見いだされている。 この試験を簡単に説明する。Carl H. June ペンシルバニア大学教授は、非ホジキンリンパ腫、急 性リンパ性白血病、慢性リンパ性白血病で高発現している CD19 に注目し、これに対する抗体のリ ガンド結合部位と CD3ζ 部位と 4-1BB をシグナル伝達部位に持つキメラ抗原受容体を患者の T 81 第 1 章 医薬品開発の最新動向 細胞に発現させ、抗 CD3 抗体と抗 CD28 抗体を用い効率的に増殖させた後、再発難治性慢性リ ンパ性白血病患者 3 例を治療した結果、2 例で 10 か月以上の寛解、1 例で部分寛解であった。 今後の試験の拡大による効果の確認が期待される。 図 1-3-4-2.第一世代キメラ型抗原受容体 4) がん免疫治療の今後 免疫の研究の進展に従い、がん免疫治療の有効性が特にメラノーマで示されている。免疫賦活 化機構を考えると、他のがん腫でも有効性を示すことが期待される。今後明らかにされるフェーズ 3 臨床試験では有効性が確認されるため、注目する必要がある。有効性が確認されれば、がん治療 法は大きく変わることが期待される。 【参考資料】 1) http://www.sciencemag.org/content/342/6165/1432.full(2014 年 3 月 5 日確認) 2) http://www.nature.com/nature/journal/v504/n7480_supp/full/504S6a.html (2014 年 3 月 5 日確認) 3) http://www.cancer.org/treatment/treatmentsandsideeffects/treatmenttypes/ immunotherapy/immunotherapy-what-is-immunotherapy (2014 年 3 月 5 日確認) 4) http://immunoth.umin.jp/remedy/index_04.html(2014 年 3 月 5 日確認) 5) http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1200690(2014 年 3 月 5 日確認) 6) http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1200694(2014 年 3 月 5 日確認) 7) Datamonitor, Oncology Overview Marketed Drugs, DMKC0104570 | Published on 17/01/2014(2014 年 3 月 5 日確認) 8) http://www.medinet-inc.co.jp/dr/seminar/2011/111127.html(2014 年 3 月 5 日確認) 82 第 1 章 医薬品開発の最新動向 1-3-5. システムバイオロジーの進展-合成バイオロジーへ 1) (理化学研究所 八尾徹氏 寄稿) 【本節の目次】 1) はじめに 2) 概観 -ゲノム総合科学・システムバイオロジーから合成バイオロジーへ- 3) システムバイオロジー近況 (1)概況-対象の広範化、第 2 段階へ、Systems Medicine- (2)各国近況(米国、ドイツ、スイス、英国、EU) (3)細胞システムバイオロジー/細胞丸ごとコンピュータモデル 4) 合成バイオロジーの展開 (1)概況-遺伝子工学、蛋白工学、ゲノム工学、分子から細胞へ- (2)英国合成バイオロジーの展開 ロードマップと具体的施策 (3)米国ほかの合成バイオロジー (4)合成バイオロジーの最近の注目論文 (5)細胞リプログラミングのメカニズム解明とコンピュータモデル (6)日本の動き 1)はじめに 10 年以上になる世界的なシステムバイオロジーの展開を踏まえて((財)ヒューマンサイエンス振 興財団 創薬技術調査報告書 2)~7) 参照)、ここでは近年急速に重要性を増してきている「合成バイ オロジー」の動きを紹介する。特に英国の集中的な合成バイオロジー推進策や世界的ないくつか の進展を述べる。 ゲノム総合科学・システムバイオロジーから合成バイオロジーへの展開という観点からたどって行 く。そこでは異分野融合・人材育成・社会性(Ethical, Legal and Social Implications:ELSI) が大きな課題である。 2)概観 -ゲノム総合科学・システムバイオロジーから合成バイオロジーへ- 1990 年初頭から始まったヒトゲノム計画が 2000 年初頭に完了した時、それまで半世紀に亘って 隆々と発展してきた「分子生物学」は正に一つの踊り場に達したと言える。それまでの個別解析か らゲノムワイド解析の時代へ突入した。 微生物から植物・動物、そしてヒトに至るまで網羅的なゲノム・各種オームの解析(ゲノミックス・オ ミックス)が始まり、一挙に多数の遺伝子が同定されるようになってきた。このような大きな変化を踏ま えて、各国ではポストゲノム時代に備える、あるいはそれを加速するプロジェクトが次々と発足し、ま たそれに呼応した学科やセンターが相次いで設立されてきた。 その結果、最近の 10 年余りで目を見張るばかりの進展をして来た。「RNA 新大陸」「エピジェネ ティクス」「遺伝子制御メカニズム」「多人数ヒトゲノム」「個人ゲノム」「疾病ゲノム」「動植物多生物ゲ ノム」「微生物群メタゲノム」「各種オミックス」「GWAS」その他、15 年以上前にはほとんど表面に出 ていなかった非常に多くの研究分野が浮上し広がってきた。正に「ゲノム総合科学」の発展の時代 83 第 1 章 医薬品開発の最新動向 を迎えている。そこでは多様で大量な生命情報を扱うバイオインフォマティクスが必須な科学技術と して位置づけられてきた。この傾向は最近の次世代シーケンサーの発達や先端生命計測技術(イ メージング等)の進歩により益々加速されてきており、ビッグデータの扱いと複雑な情報解析技術の 向上が喫緊の課題となってきている。 このような流れの中で、生命現象をシステムとしてとらえようとする「システムバイオロジー」が 2000 年頃から提唱され、その後各国が強力な施策を続け、この 10 年あまりで急速な進展をしている。各 種オーム(ゲノム、トランスクリプトーム、プロテオーム、メタボローム、フェノーム等)データすなわち 生命部品群データが網羅的に測定される時代に入って、それらを組み合わせた生命システムの理 解は必然の方向であり、正に 21 世紀はシステムバイオロジーの時代と言われ始めている。その研 究対象は、基本生命システム(シグナル伝達系・代謝系・発生分化系ほか)だけでなく、疾病別(が ん・糖尿病ほか)や生物種別(微生物・植物・モデル生物ほか)など広範囲になってきた。 今や生命科学のあらゆる側面で(微生物、植物、動物、ヒトを問わず)、その基礎研究としてのメ カニズム解明に大きな貢献をしている。そこでは遺伝子・タンパク質・細胞など個々の生命部品を 対象とするのではなく、それらが組み合わさったネットワーク・パスウエイ・相互作用を基にした動的 な生命現象のシステム的理解が課題となっている。 このシステムバイオロジーの進展状況については、(公財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬 技術調査報告書で 2007 年以降 2012 年まで逐年紹介して来た 2)~7)ので、ここでは、最近のシス テムバイオロジーの進展状況を若干述べるに止める。 更に、システムバイオロジーの知識を基にした「合成バイオロジー」への展開が始まっており、「合 成バイオロジー」は新しい段階に突入している。以前のように試行錯誤で作ってみるのではなく、メ カニズムを理解した上で予測・設計していくようになってきた。そこでは、複雑な生命システムを扱う バ イ オ シ ミ ュ レ ー シ ョ ン が 必 須 の 技 術 と な り 、 Virtual Cell 、 Virtual Organ 、 Virtual Rat 、 Virtual Patient などのモデルが開発されてきている。ただ、生命システムの理解はまだまだ不十 分なことが多く、逆にメカニズムを理解するために細胞を創ってみるという合成バイオロジーも生命 科学の進歩に貢献し始めている。 これらゲノム科学とシステムバイオロジー、そして合成バイオロジーは、その応用面でも広く健康・ 医療分野から環境・エネルギー・材料分野まで、大きな期待を集めている。特に、医療面では個別 化医療・予防医療のような具体的な応用が始まっている。 ただ、生命科学研究成果の応用に当たっては、ELSI の議論が重要になっている。また、21 世 紀の生命科学・バイオテクノロジーの発展には、異分野融合体制の益々の推進と、総合的な視野 を持つ新しい人材の育成が今後の大きな課題である。 3) システムバイオロジー近況 (1)概観 -対象の広範化、第2段階へ、Systems Medicine- 21 世紀の最初の 10 年(The First Decade)が過ぎた今、システムバイオロジー・合成バイオロ ジーは、今後の半世紀(The Next Half Century)以上にわたって生命科学・バイオテクノロジー 全般に大きな影響をもたらすと予想されており、「分子生物学からシステムバイオロジーへ」と飛翔し て行くだろう8)9) 。 システムバイオロジーの研究には、正に異分野融合が不可欠である。生物学・医科学・数学・物 理学・化学・情報科学・工学などが共同して、重要な課題に向かって行く体制が必要である。これ 84 第 1 章 医薬品開発の最新動向 まで、米国・英国・ドイツをはじめ多くの国でシステムバイオロジー推進策がとられ、そのようなセンタ ーやプロジェクトが立てられて来た。最近は、研究成果の発表が相次ぎ、また研究対象も急速に広 がってきている。まさに第 2 ステージに突入した状況である。 Virtual Microbe、Virtual Cell、Virtual Organ (Heart, Liver etc.)、Virtual Physiology (Blood, Gas etc.)、Virtual Rat、Virtual Patient、Virtual Human などが、具体的な話として プロジェクト・ コンソーシアム等で語られるようになって来ている。 メカニズム解明を目指すシステムバイオロジーの進展を受けて、医薬・医療分野では、近年特に “Systems Medicine” という言葉で多くの議論がなされるようになってきた。各疾病のメカニズムの システム的理解の重要性が認識され、そのシステム的理解に基づいた診断・治療・創薬あるいは治 験が行われるようになり始めている。個別化医療を支える大切な根拠を与えることになっていくだろ う。更に長期的な視点に基づく Translational Systems Biology and Bioinformatics の戦略報 告書が EU から 2012 年発刊された。また、2012 年米国 NAS から Precision Medicine の方向 性が示された。(これらの概要については 2012 年度 HS 創薬技術調査報告書 7) を参照頂きたい) (2)各国近況 ①米国 -国立システムバイオロジーセンターが 17 ヶ所に、10 周年記念シンポジウム開催- NIH は、2013 年 6 月新たに 3 センターを認可し、これで 17 センターになった。 この 10 年間旧センターも含めて全米 20 数ヶ所にくまなくセンターが配置されてきた。そこではそれ ぞれ特徴あるテーマ研究を異分野融合体制で進めるだけでなく、技術開発・人材育成・普及活動 (アウトリーチ)が行われている。異分野相互理解と若手や教育者の育成が層厚く進行していると思 われる10) 。 研究成果は各センターHP 参照。尚、2013 年 8 月には、システムバイオロジーセンター設立 10 周年記念シンポジウムが開かれた。 米国には、これ以外に大学等にシステムバイオロジーの研究機関が数多くある。 ②ドイツ ドイツは Startseite des Bundesministeriums für Bildung und Forschung(ドイツ連邦教 育研究省:BMBF)が 10 年前からシステムバイオロジーを推進するため多くのセンターや研究所を 設立してきた(430M ユーロ;約 600 億円)。また EU 内部でも EuroSys などで中心的役割を演じ ている。これらの成果及び関連の動きは、毎年発行される国際版冊子 11) に詳しく載っている。最近 は、Systems Medicine という言葉で、疾病メカニズムのシステム的解明とそれに基づく創薬・治療 を推進している。当初からの重点プロジェクトであった HepatoSys(肝臓細胞システムバイオロジー) プロジェクトは、2 期 7 年間の研究成果を踏まえて 2011 年から Virtual Liver Network という体 制で臨床応用への展開を図っている。 ③スイス システムバイオロジー国家プロジェクト SystemsX.ch が第 3 期を迎え、新たな研究テーマ RTD 募集と、若手研究者支援及び萌芽的研究助成が並行して進められている 12) 。 ④英国 合成バイオロジーへ 英国は 2005 年から始めた国立システムバイオロジー6 センターを 2010 年以降にそれぞれ大学 へ移管した。そのあとに、新たに 2012 年から合成バイオロジーを国策として推進するというロ-ドマ ップを公表し、国立合成バイオロジーセンターの 6 ヶ所設立を含む総合的な施策を展開し始めて 85 第 1 章 医薬品開発の最新動向 いる。詳細は次項で紹介する。 ⑤EU EU は FP6 後期から FP7 全期(2007 年-2013 年)に亘ってシステムバイオロジーを総合的に 推 進 し てき た が 、2010 年 6 月 の ブ リ ュ ッ セ ル の 全 体 会 議 で 、 ”From Systems Biology to Systems Medicine”を宣言し、システムバイオロジーの医薬・医療応用に重点を移してきている。 それを受けた大きな変化は、欧州システムバイオロジーネットワーク ERASysBIO が ERASysAPP (Application)へと移行し、この下で 2013-2014 年に相次いでワークショップや教育コースのイベ ントが行われている。 また、Systems Medicine の欧州全域を推進する Coordinating Actions for the Systems Medicine across Europe(CASyM) が結成された。 (3) 細胞システムバイオロジー/細胞丸ごとコンピュータモデル 2012 年度の報告書で紹介した通り 2011 年 3 月の Cell のシステムバイオロジー特集号は、21 世紀の細胞研究の方向性にかなりの影響を与えるものと思われる。そこでは、16 編に及ぶ総説・ 個別論文によって細胞研究におけるシステムバイオロジーの有用性・課題・展望などが述べられて いる。 それと並行して細胞丸 ごとコンピュータモデルの進展があった。2012 年 7 月の Cell には、 Stanford 大学のグループが単細胞丸ごとコンピュータモデルの完成を報告したと報告した(①) 7)1 3) 。更に 2013 年になって、次の 2 報でそれらのモデルの有用性とモデルの公開を報告している(② 14) ,③15))。 ① J.Karr, M.Covert et al; “A Whole-Cell Computational Model predicts Phenotype from Genotype”, Cell 150, 389-401, July 20, 2012 13) このモデルは 525 遺伝子を持つ M. genitalium の細胞内分子プロセスを 16 種変数、28 サ ブモデル(DNA 複製・転写制御・修復、RNA 処理・修飾・翻訳、タンパク質処理・修飾・フォー ルディング、染色体形成・分解、代謝パスウエイ等) に分けて、それぞれに適切なモデル型を作 り上げ、それらを全体としてまとめるという手法を取っている。そのモデル作成には 900 文献と 1,900 の測定パラメータが使われ、更に独自の実験でモデルの検証をしている。 ② O.Purcell, M.Covert, T.Lu et al; “Towards a Whole Cell Modeling Approach for Synthetic Biology” Chaos 23, 025112-1-, June 13, 2013 14) 上記モデルを使い、ホストゲノムに遺伝子を挿入した影響やコドン利用度のチェックや細胞の 振動現象のチェックもすべて実験に合うことを確かめた。これらによってこのモデルが予測に使え ることを確認できた。このモデルは世界にフリーに公開される。 ③ J.Sanghvi, M.Covert et al; “Accelerated Discovery via A Whole Cell Model” Nature Methods,10, 1192- , December 201315) モデルの有効性を検証するために、すべての可能な遺伝子ノックアウトによる成長速度の実 測値と計算予測値とを比較した。特定の酵素反応速度パラメータを修正した結果、このモデル が予測に使えることがわかった。生物学的発見につながることを確認した。 86 第 1 章 医薬品開発の最新動向 また別に、2013 年 10 月の Nature Molecular Systems Biology には、California 大学 San Diego 校の B.Palsson のグループが大腸菌コンピュータモデルを紹介している 16) 。大腸菌の代謝 と発現のモデルを総合的に組み合わせて、成長フェノタイプを予測できるようになったと報告してい る。マクロ予測(成長速度、栄養取得、副産物生成)と、ミクロ予測(代謝フラックス、発現レベルの 変化)の両方がまとめて予測できていることが特長である。 今後、同様な Virtual Microbe, Virtual Cell, 更には Virtual Liver, Virtual Heart 等、 Virtual Physiology (Blood, Gas) などの開発・発表が続くでしょう。正に生命統合体シミュレー タの開発が加速されつつある。日本でも慶應義塾大学 冨田勝氏、理化学研究所 上田泰己氏、 東京大学 久田俊明氏、東京大学 大島まり氏、慶應義塾大学 末松誠氏ほかのグループでそれ ぞれ開発が進んでいる。 これらの動きは、後述の合成バイオロジーとつながっている。 4) 合成バイオロジーの展開 (1)概観 -遺伝子工学、蛋白工学、ゲノム工学、 分子から細胞へ- 合成バイオロジーは、ここ数年新たな段階に突入した。ゲノムレベルの設計によって、新たな微 生物や細胞を創ることが可能になり始めた。 これまでも、遺伝子工学によって、一部の遺伝子の改変によって新規な機能を持つ微生物や植 物を作ることや、蛋白工学によって、新規の機能を持つタンパク質を、天然部品のみならず人工ア ミノ酸や人工塩基対も利用して作り出すことが可能になってきているが、更に、最近はゲノム工学と いう段階になった。分子レベルから細胞レベルへ移っている。 2010 年 5 月に John Craig Venter のグループ J. Craig Venter Institute (JCVI)が、人工 合成ゲノムを導入した微生物を生きて増殖させることに成功したと発表した。オバマ大統領が即日、 委員会にその社会への影響の検討を諮問したことは皆様記憶に新しい。 その後もこの流れは急速に進んでおり、日本でも 2013 年 6 月に慶応義塾大学先端生命科学研 究所(鶴岡市)からスピンアウトしたベンチャー会社 スパイバー株式会社(関山和秀代表取締役 社長)が、微生物で人工クモ糸を量産することに成功したと発表した。これはクモの懸垂糸が強度 及び柔軟性で抜群に優れていることに注目し、それを微生物に量産させようとしたものである。ゲノ ム-遺伝子-タンパク質-代謝パスウエイの解析・設計を一貫した研究成果である。 更に 2014 年 1 月には、理化学研究所がらん藻を利用してバイオプラスチックを製造することに 成功した17) 。 この段階に至るまでに、合成バイオロジーに関する多くの動きがあった。 若干遡るが、下記の特集は大きな影響を与えたと思われる。 ① Nature Biotechnology が 2009 年 12 月号 18)に Synthetic Biology の特集号を出した。こ の分野に関係ある科学者・技術者・ビジネスマン・社会学者など広範囲の人に関心あるテーマ を特集した。全部で 15 報あり、20 人の専門家による Synthetic Biology の定義から始まって、 基礎技術としての DNA 合成・ゲノム工学、応用としての微生物・植物などによる物質・エネルギ ー生産・緑化のこと、更には、特許やビジネス、悪用や社会的問題など広範囲に議論されてい る。この内容については、私が「実験医学」2010 年 4 月号に「合成バイオロジーの新たな展開と 課題-ゲノムデザイン、システムバイオロジー、そして社会―」という題で解説を掲載しているた め、そちらをご参照頂きたい。 87 第 1 章 医薬品開発の最新動向 ② 更に、Nature が 2010 年 1 月 21 日号 19) で、”Synthetic Systems Biology” の特集をした。 これには、最新研究論文 6 件と過去 10 年の主要論文 13 件が載っている以外に、合成バイオ ロジーの難しさ 5 項目を指摘しているのが注目されている。 ③ これらを追いかけるように、Nucleic Acids Research が、2010 年 5 月号 20) で、Synthetic Biology の特集をし、24 報の論文を載せている。 ④ Cell は 、 シ ス テ ム バ イ オ ロ ジ ー の 特 集 号 ( March 18, 2011 ) 2 1 ) を 出 し 、 そ の 主 論 文 C.Macilwain; “Systems Biology: Evolving into the Mainstream.” 22)に続く 16 論文の中 に次の 2 つのエッセイを載せている。 P.Nurse and J.Hayles; “The Cell in an Era of Systems Biology” 23) C.Smolke and P.Silver; “Informing Biological Design by Integration of Systems and Synthetic Biology” 24) 前者は、細胞研究にシステムバイオロジーが大きく貢献して行くだろうことを述べており、後者は 更にシステムバイオロジーと合成バイオロジーを併用することによって、細胞の理解と応用が加 速されるだろうと述べている。このような特集記事は今後の細胞研究に対して大きなインパクトを 与えるだろう。研究者だけでなく、研究施策や企業の行動にまで影響を及ぼすと考えられるから である。 以上のように、いよいよ合成バイオロジーは新しい段階に入ったと言えそうだ。ただ合成バイオロ ジーは、単に有用な生物を作るだけが目的ではなく、生命現象のメカニズムを解明する目的で研 究しているグループ(理研 QBiC ほか)もあり、その点ではシステムバイオロジーと相補うものでもあ る。 上記以外にこれまでに注目すべき動きのいくつかを以下に列挙した。 ① ゲノム工学は日本の板谷光泰氏(現慶應義塾大学先端生命科学研究所、前三菱化成生命科 学研究所)が 1990 年台に提唱し、二つの生物ゲノムの入れ替えによる二つの機能を持つキメ ラ生物を成功させた(2005 年)。 ②ボストングループが、2002 年にゲノム設計のための生物回路群(スイッチ、振動、複製機能など) を数多く集め(BioBricks)、これらを組み合わせた新機能生物を創るためのコンテスト iGEM を 開始した。これは毎年行われ国際的に大きな会に発展している。 ③ 米国で 2005 年に Jay Keasling 等が酵母を使った抗マラリヤ薬 Artemisinin の製造に成功 し有名になっている。 ④ スイス Evolva Holding SA が合成バイオロジーで酵母に作らせた食品添加物を市場に出し始 めた。ファインケミカルス製造法の転換と報じている。(Nature 505, 598, Jan.30, 2014) ⑤ 2010 年に理化学研究所豊田グループがゲノム設計コンテスト GenoCon を開始し、第1回目は 植物機能改変を目的とする課題を提示し、高校生の応募もあった。2012 年に第 2 回目の募集 をし、現在審査・実証の段階に入っている。 ⑥ 2012 年 新学術領域研究「合成生物学の基盤構築」が、九州大学岡本正宏教授をリーダーに 4 チーム構成で発足した。 ⑦ 2012 年 7 月にイギリスが、「合成バイオロジーのロードマップ」を発表し、それ以降 2013 年 7 月 までに次々と具体的施策を展開している。このことについて以下で少し詳しく紹介する。 88 第 1 章 医薬品開発の最新動向 (2)英国合成バイオロジーの展開 ロードマップと具体的施策 英国は 2012 年 7 月に「合成バイオロジーロードマップ」策定し、その後、次々と施策を発表して おり、2013 年 6 月までに具体策が出揃った。その中でも特に「合成バイオロジーセンター」を 6 つ 立てる予定と発表している 25) 。 英 国 システムバイオロジーのリーダーの一 人 、Douglas Kell(前 Manchester Centre for Integrative Systems Biology セ ン タ ー 長 ) が Biotechnology and Biological Sciences Research Council (BBSRC)長官として着任して以来、私はその方針策定を注視していたが、 何とこの「合成バイオロジー」展開策である。英国のバイオテクノロジーの強さをベースにしたこの施 策の背景に、2006 年以降注力してきた国内 6 センターによるシステムバイオロジー強化策の成功 があることは確かであろう。生命システム理解に基づく新しい「合成バイオロジー」を展開しようとして いる。今後数年間の進展に注目したいと思う。 その進め方の基本は次のようなもので、Kell 長官の来日時に紹介された。 A.広範な対象(医療・健康、物質、エネルギー、環境、センサー、農業・食糧) B.Engineering and Physical Sciences Research Council(EPSRC)とのタイアップ (異分野融合、科学研究と技術開発のタイアップ) C.欧州グループとのタイアップ D.研究プロジェクト募集と基盤センター設立 E.研究への企業参加呼びかけ F.技術開発ベンチャーの支援 G.新分野の人材育成 H.新技術の社会受容 ELSI これまでの英国の動きは下記の通りで、急ピッチの立ち上げを目指している。 1) 2012 年 5 月 合成バイオロジーベンチャーの促進策発表 ($10M 拠出) 2) 2012 年 7 月 合成バイオロジーロードマップ発表 3) 2012 年 7 月 EU の合成バイオロジーネットワーク"ERASynBio"に加入表明 (欧州 16 か国参加) 4) 2012 年 9 月 合成バイオロジーのための「知識・イノベーションセンター (IKC)設立計画を発表 ($11M 拠出) 5) 2012 年11 月 合成バイオロジーの新規研究プロジェクトを支援 ($32M 拠出) 6) 2013 年 3 月 合成バイオロジーベンチャーの技術開発支援 ($8M 拠出) 7) 2013 年 6 月 合成バイオロジーセンター設立募集開始(総額$124M) (初年度 3 センター、次年度 3 センター設立予定) 英国 BBSRC と Engineering and Physical Sciences Research Council (EPSRC)は共同 で、合成バイオロジーセンターを設立するために$124M(約 130 億円)を拠出することにし、2013 年 6 月からその第一次募集を開始した。正に上記ロードマップ推進具体化の中核となるものである。 いずれにしても、英国が「合成バイオロジー」にこのように集中的に施策を展開し始めたことには、 注目すべきである (2014 年 1 月 30 日 3 センター決定 25))。 (3)米国ほかの合成バイオロジー 米国の合成バイオロジーで注目する二つの動きを紹介する。 89 第 1 章 医薬品開発の最新動向 一つは、米国エネルギー省(Department of Energy:DOE)が合成バイオロジーを使ったバイ オエネルギー開発を進めていることである。DOE が建てた 4 つのバイオエネルギー研究所の一つ バークレイバイオエネルギー研究所の所長に合成バイオロジーで実績のある Jay Keasling 博士 を据え研究開発を推進中である。 もう一つは、San Francisco に立てられた国立システムバイオロジーセンターは Center for Systems Biology and Synthetic Biology と銘打ってシステムバイオロジーと合成バイオロジー を一体運営しようとしている。 それ以外に、San Diego に拠点を持つ JCVI は合成バイオロジーの先駆的研究機関として上記 の成果をはじめ、世界をリードしている。 ドイツでは、2012 年 9 月に Helmholtz 財団が Synthetic Biology Initiative を発足させ、 2013 年 12 月に第 1 回国際会議開いた。2014 年からファンディングが始まる 26) 。 (4)合成バイオロジーの最近の注目論文 最 後 に 、合 成 バ イオ ロ ジーに 関 する 最 近 の 注 目 論 文 3 件 ( Nature Molecular Systems Biology 2013 年)を紹介する。 ① Genome-scale Engineering for Systems and Synthetic Biology 27) ゲノム工学のレビューであり、長年の経過の中で最近 10 年ほどの発展が書かれている。ここに は、慶應義塾大学先端生命科学研究所の、板谷光泰氏・柘植謙爾氏の論文 28 ) や、馬場知哉 氏・森浩禎氏の大腸菌 KO ライブラリー 29)のことも引用されている。 ② Genome-scale Models of Metabolism and Gene Expression extend and refine Growth Phenotype Prediction 16) 大腸菌の代謝と発現のモデルを総合的に組み合わせて、成長フェノタイプを予測できるように なったと報告している。マクロ予測(成長速度、栄養取得、副産物生成)と、ミクロ予測(代謝フラ ックス、発現レベルの変化)の両方がまとめて予測できていることが特長である。 ③ Biomedically relevant Circuit-Design Strategies in Mammalian Synthetic Biology30) スイスのグループが、医療応用を目指す哺乳細胞の合成バイオロジーの研究戦略を述べて いる。そのためには回路設計が重要であり、これまでの回路部品群(遺伝子制御スイッチ、振動 など)の進歩と最近の Optogenetics の手法の活用が有効であると述べている。 (5)細胞リプログラミングのメカニズム解明とコンピュータモデル 更に、iPS 細胞を契機として、その初期化(リプログラミング)のメカニズム解明に迫る論文が多く 出るようになった31)~38) 。 (6)日本の動き 昨年までの報告書 2)~7) には、理研による転写制御因子(TF)ネットワークの解析 39) と、TF 相互 作用マップ40 ) 、及びダイレクトリプログラミングの成功例 41 ) が載っている。 また、真核生物の転写因子群ライブラリーのこと(Cell Aug.2013) 及び PLoS One の 6 年間 の合成バイロジ-論文掲載リスト 52 件が紹介されている。尚、新学術領域研究「合成生物学の基 盤構築」の全体会議が 2013 年 10 月東京で開催された。また「細胞を創る」研究会が 2013 年 11 月に鶴岡市で第 6 回シンポジウムを開催した 42) 。 90 第 1 章 医薬品開発の最新動向 これらを通して日本でも全体の層の厚さが増しつつあるのを感じる。 以上、ゲノム科学からシステムバイオロジー、そして合成バイオロジーへと 21 世紀の大きな展開 が始まっている。 5)おわりに 生命現象の解明とその応用におけるコンピュータ利用の重要性は、年々急速に高まってきてい る。バイオインフォマティクス・計算生命科学・システムバイオロジー・合成バイオロジーなどにおいて、 ビッグデータの解析や複雑システムのシミュレーション等が大きな課題となり、スーパーコンピュータ の利用も進んでいる。 今回は、ゲノム総合科学・システムバイオロジーから合成バイオロジーという流れで合成バイオロ ジーについて重点をおいて報告した。まだまだメカニズム解明を基礎としたモデル化による予測・設 計への道は遠い。その中で、実験のみをベースにしたとはいえ iPS 細胞の創製は、日本の誇るべ き成果である。それらの分子メカニズムの解明は始まったばかりだが、今後は基礎現象の解明と応 用が車の両輪で進展することを願う。 最後に、本報告をまとめるに当たり、(公財)ヒューマンサイエンス振興財団 創薬技術調査ワー キンググループの皆様、理化学研究所、産業技術研究所および慶応義塾大学の関係者の皆様、 更にはゲノム総合科学・システムバイオロジー・合成バイオロジー・バイオインフォマティクスに関す る内外の関係者の皆様に、お世話になりました。心から感謝し、厚くお礼申し上げます。 【参考資料】 1) (公財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成 25 年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリン グ記録 理化学研究所(兼)慶応大 SFC 研究所 八尾徹氏 2013 年 12 月 10 日 非公開 2) HS レポート No.63 2007 年度(平成 19 年度)調査報告書 (財)ヒューマンサイエンス振興 財団 (平成 20 年 4 月刊) 3) HS レポート No.67 2008 年度(平成 20 年度)調査報告書 (財)ヒューマンサイエンス振興 財団 (平成 21 年 4 月刊) 4) HS レポート No.71 2009 年度(平成 21 年度)調査報告書 (財)ヒューマンサイエンス振興 財団 (平成 22 年 4 月刊) 5) HS レポート No.74 2010 年度(平成 22 年度)調査報告書 (財)ヒューマンサイエンス振興 財団 (平成 23 年 3 月刊) 6) HS レポート No.77 2011 年度(平成 23 年度)調査報告書 (財)ヒューマンサイエンス振興 財団 (平成 24 年 3 月刊) 7) HS レポート No.80 2012 年度(平成 24 年度)調査報告書 (財)ヒューマンサイエンス振興 財団 (平成 25 年 3 月刊) 8) Systems Biology: Evolving into the Mainstream” Cell 144, p.839, 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Molecular Systems Biology 1;9:693 (2013) 17) Nyok-Sean, Minami Matsui et al; "RNA-seq analysis provides insights for understanding photoautotrophic polyhydroxyalkanoate production in recombinant Synechocystis sp", PLOSONE, (2013), 18) Nature Biotechnology 27, 1059 (2009) 19) Nature 463, 269 (21 January 2010) 20) Nucl. Acids Res. Volume 38 Issue 8 (May 2010) 21) Cell, Volume 144, Issue 6, 18 March 2011 22) Cell, Volume 144, Issue 6, 839-841, 18 March (2011) 23) Cell, Volume 144, Issue 6, 850-854, 18 March (2011) 24) Cell, Volume 144, Issue 6, 855-859, 18 March (2011) 25) http://www.bbsrc.ac.uk/home/home.aspx 26) http://www.helmholtz.de/index.php?id=3759 27) Mol Syst Biol.;9:641(2013). 28) Itaya M, Tsuge K, Koizumi M, Fujita K. Combining two genomes in one cell: stable cloning of the Synechocystis PCC6803 genome in the Bacillus subtilis 168 genome. 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Suzuki, H.Suzuki et.al “Reconstruction of Monocyte Transcriptional Regulatory Network Accompanies Monocytic Functions in Human Fibroblasts.” e33474(2012) 42) http://jscsr.org/ 93 PloS One 7(3) 第 1 章 医薬品開発の最新動向 第 2 章ナノテクノロジーの創薬・医療への応用-DDS 技術を中心に- 2-1.医薬品開発における DDS 技術の状況について 2-1-1.はじめに 製薬企業は、一品の新薬を創出するための研究開発として、十数年の歳月と年間数千億円の 研究開発費とも言われる極めて大きな投資負担を必要とする企業活動を行っている。新薬を創出 する研究開発活動を継続していくためには、新薬を中心とした製品に対する投資を回収して、次の 研 究 開 発 を行 うのに必 要 十 分 な収 益 を得 るための方 策が必 要 である。新 薬 を生み出 す確 率が 年々低下の一途をたどり、新薬開発が困難な状況下においては、長い年月と莫大な研究開発費 を投じて上市した既存医薬品の製品価値を、可能な限り長く維持し、使用者である患者にとって必 要な改善やニーズに応えることにより、苦難の末に創出された新薬を有効に活用していくことが重 要である。 製薬産業のグローバルな流れの中で、医薬品の価値を最大化する様々な方策は極めて重要で あり、医薬品開発における薬物送達技術(DDT:Drug Delivery Technology)の活用が注目され ている。 薬物送達技術は、個々の薬物において、その有効性と安全性を最大化するために適切な投与 ルートを選び、放出速度等を精度良く制御することによって治療の最適化を図る製剤学的手段で ある。このような高度な技術とコンセプトを導入した製剤をドラッグデリバリーシステム(DDS:Drug Delivery System)と称している。DDS の定義と分類の概要を表 2-1-1 に示す1) 。 表 2-1-1.DDS の定義と分類 1) Drug Delivery System:薬物送達システム。薬物投与経路の最適化を目的 定義 とする。医薬品の効果をよりよく発揮させるために設計された投与形態(投与 法・投与剤形など)の総称 対象となる薬物 抗がん剤、循環器用薬、抗炎症薬など様々な薬物。ホルモン、サイトカイン、オ ータコイドなどの生理活性物質(これらを生体医薬と呼ぶ) 吸収過程の制御:吸収促進 制御の対象 放出過程の制御:持続化 分布過程の制御:標的指向化 様々な試みがあり、一般的には分類できないが、主たるものを以下にあげる。 分類 吸収制御型 DDS 放出制御型 DDS 標的指向型 DDS 94 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 DDS の概念が医薬品産業に導入されたのは数十年前のことであるが、今再び脚光を浴びてい るのには大きく 3 つの理由がある。第一に、新薬開発のリスクが増大する中で、創薬の成功確率を 高めるための手段として製剤技術の活用が重視されてきたことが挙げられる。第二の理由は、新し いタイプの薬物の登場である。バイオテクノロジーのめざましい発展に伴い、タンパク質、ペプチド、 核酸関連物質など新しいタイプの薬物が臨床の場に登場してきているが、本質的に安定性や膜透 過性に問題があることから、その解決の手段として薬物送達技術の開発が試みられている。そして、 第三の理由は、次々と特許切れを迎える大型医薬品に対する製品ライフサイクルマネージメント (PLCM:Product Life Cycle Management)の有力な手段として重視されていることである。製 剤技術は今や医薬品産業の事業戦略にとって不可欠なツールとなってきており、様々な投与ルー トについてドラッグデリバリー技術の開発が試みられている。 2-1-2.製剤技術を活用した医薬品開発の現状 2)3) ドラッグデリバリー技術を用いた医薬品の世界市場は 100Billion 米ドル(邦貨換算で約 8 兆円) と試算され、全医薬品市場の 15%に相当する。国内の医薬品市場が同程度(約 8 兆円)であるこ とから、この分野は今後の発展が見込まれる有望な成長分野であると考えられる。DDS 製品の市 場は 2 桁成長が続いており、今後も拡大して行くと予想されている。一方で、国内の医薬品市場は 一定の規模で推移してきており、今後の成長も見込めないことを考慮すると、この分野は大きな期 待が寄せられる成長領域であると考えられる。また、最近では、開発初期段階から積極的にドラッ グデリバリー技術を導入しようとする機運が高まっている。全医薬品開発プロジェクトの 20%近くが DDS を利用しており、その 40%が新薬開発段階のものである2)3) 。 探索研究により薬力学的に有望なリード化合物が見出されても、物性や吸収後の体内動態など の問題でそのままでは開発に進まないことが多いが、最適化合物の探索に時間を費やすよりも、製 剤技術の導入によって問題を克服し、少しでも早く市場に出すことが開発戦略上得策であるという 考え方である。すなわち、消失半減期の短い薬物に対しては、最初から徐放性製剤として開発す ることや難溶解性薬物に対しては特殊な可溶化システムを導入して開発することである。その端的 な例が Merck の開発した制吐剤 Emed 3)である。本剤の主薬である Aprepitant は難溶性薬物で あるが、Elan の微細化技術である NanoCrystal を用いることによって製品化に成功している。世 界で上市されている DDS を基盤とした主な医薬品を表 2-1-2 に示す。 95 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 表 2-1-2.世界で上市されている主な DDS を基盤とした医薬品 Product name (company) API (Drawback) System (Advantage) Year Route Remark Limethason (Mitsubishi) Dexamethasone (Systemic distribution) Lipid microspheres (Selective distribution to target) 1988 i.v. Chronic rheumatoid arthritis Palux (Taisho) PGE 1 (Rapid elimination) Lipid microspheres (Selective distribution/ stabilization) 1988 i.v. Chronic arterial occlusion AmBisome (Vestar/NeXstar/Gilead) Amphotericin B (Renal damage) Liposomes (Passive targeting/ long-circulat.) 1990 i.v. Fungal infection Adagen (ENZON) ADA (Systemic distribution) Pegylation (Selective distribution/ long-circulat.) 1990 i.m. Severe combined immunodeficiency Ropion (Kaken) Flurbiprofen axetil (Alteration of plasm.conc.) Lipid microspheres (Sustained release) 1992 i.v. Cancer pain Leuplin (Takeda) Leuprorelin (Frequent administration) Polylactic acid- glycolic acid (Controlled-release) 1992 s.c. Prostate cancer SMANCS (Yamanouchi/Kuraray/Kayaku) Neocarzinostatin (Systemic distribution) Copolymer (Passive targeting by EPR effect) 1993 Intraarterial Hepatocarcinoma Amphocil (LTI/Sequus/ALZA/J&J) Amphotericin B (Renal damage) Lipid complex (Selective distribution to target) 1993 i.v. Fungal infection Doxil/Caelyx (LTI/Sequus/ALZA) Doxorubicin (Systemic adverse effect) Pegylated liposomes (Passive targeting/ long-circulat.) 1995 i.v. Brest, ovarian cancer DaunoXome (Vestar/NeXstar/Gilead) Daunorubicin (Systemic adverse effect) Liposomes (Passive targeting by EPR effect) 1995 i.v. Kaposi sarcoma Abelcet (TLC/Elan) Amphotericin B (Renal damage) Lipid complex (Selective distribution to target) 1995 i.v. Fungal infection DepoCyt/Savedar (SkyePharma/ENZON) AraC (Short half-life) Liposomes (Sustained-release) 1999 IntraCSF lymphomatous meningitis Myocet (TLC/Elan) Doxorubicin (Systemic adverse effect) Liposomes (Passive targeting by EPR effect) 2001 i.v. Metastatic breast cancer Visudyne (Novartis) Verteporfin (Systemic distribution) Liposomes (Selective distribution to target) 2001 i.v. Age-related macular deg. Pegasys/PegIntron (Hoffman La Roche/Schering) IFNα-2a/IFNα-2b (Short half-life) Pegylation (Long-circulating) 2003 i.v. Chronic hepatitis C DepoDur/DepoMorphine (SkyePharma) Morphine (Alteration of plasm.conc.) Liposomes (Sustained release) 2004 epidural Pain following major surgery Macugen (Eyetech/Pfizer) Anti-VEGF aptamer (Short half-life) Pegylation (Long-circulating) 2006 Intravitreal Age-related macular deg. 2-1-3. 医薬品の投与方法(治療の最適化のために) 一般に、薬物の治療効果は、生体の一部に存在する作用部位に薬物が分布することによって 発現される。望ましい治療効果を得るためには、薬物を吸収させ、作用発現部位に選択的かつ望 ましい「時間―薬物濃度」パターンのもとに送り込むことが必要である。作用部位の「薬物濃度―時 間 パ ターン 」を 最 適 化 し て、体 内 動 態 プロセ スにおける 投 与 速 度 を制 御 する 方 法 を放 出 制 御 (Controled Release)と呼んでいる。また、皮膚や粘膜などの生体膜を通過するのが難しい薬物 については、生体膜の透過性を改善するための「薬物吸収改善」技術が研究されている。この他、 生体に入ってからの薬物の動きを制御することにより、薬物を特定の部位に送り込もうとする試みが 活発に行われており、「薬物ターゲティング(標的化)」とよばれている。 96 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 現在、DDS 研究の中心課題は、ⅰ)放出制御、ⅱ)薬物吸収改善、ⅲ)薬物ターゲティングであ り、これらはさらに目的や方法によって分類されている。DDS の設計は、対象とする医薬品の治療 目的と作用機序、物理化学的特性、体内挙動特性など多くの情報に基づいて行われている。 2-1-4. 放出制御製剤について 4)~14) 一般に、薬物の治療効果は血中濃度によって決定されることが多い。しかし、経口固形製剤を 投与した場合、薬物が一様に消化管内に存在することになるため、薬物の吸収・代謝が一様に起 こり、薬物によっては薬物血中濃度が急激に推移することになり、治療域内にある時間が限定され 短くなることになる。また、治療域内から上方への逸脱が大きくなれば、副作用発現の機会も増える ことになる。 以上のような経口固形製剤の問題点を解決する方法として、放出制御製剤が検討され、実用化 されてきた。例えば、薬物の放出をコントロールできる製剤を投与することで、薬物血中濃度がより 長く治療領域に留まるようにすることが可能になり、治療効果の向上、副作用発現の軽減、投与回 数の減少によるコンプライアンスの向上等が達成された。近年においては、単なる徐放化のみでな く、生体リズムとの関係を重視し、サーカディアンリズム(Circadian Rhythm)にあった薬物血中濃 度を維持するというように、クロノセラピー(Chronotherapy:時間薬理学)を考慮した製剤設計や 適切に作用発現部位へ送達することに注目した製剤設計など、高度な製剤技術を用いることで、 薬物を最低の量で最大の効果が発揮できるように考えられている。もちろん、全ての薬物に製剤技 術が付与されることで、優れた製剤になるわけではない。また、ニーズはあっても技術的に道が開か れないケースもあり、製剤技術の進展が待たれている薬物も存在する。薬物の効果を見極め、薬物 動態・物性を充分に解析したうえで、薬物放出制御の有効性を判断し、最終的に完成された放出 制御製剤は極めて価値の高いものである。 1)放出制御製剤管理の重要性 放出制御製剤は、通常、経口固形製剤の開発に遅れて時間差をもって開発されることになるた め、経口固形製剤の使用実績、研究実績の蓄積があるという有利な状況にある。しかしながら、前 段で述べたように、放出制御製剤は極めて高度な技術の上に成り立っているものである。製剤にお いては、薬物としての物性よりも製剤としての物性が管理されるのは即放性、修飾型放出のいずれ の製剤でも同様であるが、経口固形製剤に比べて、緻密な設計がなされている放出制御製剤は、 より製剤としての評価のウエイトを高めていく必要がある。また、放出の制御が高度になるほど、許 容される幅は狭くなっていくであろうことから、製造においても充分な管理が要求される。ここで重要 なことは、原薬の性質にかなりの部分で依存する経口固形製剤とは違って、放出制御製剤では投 与した後の製剤の挙動を反映できる適切な評価方法を使って管理していく必要がある。また、放出 の制御が高度になるほど、許容される幅は狭くなっていくと考えられ、製造においても充分な管理 が要求される。ここで重要なことは、原薬の性質の依存度が高い経口固形製剤とは違って、放出 制御製剤では投与した後の製剤の挙動を反映できる適切な評価方法を使って管理していく必要 がある。 放出制御製剤を管理する上での即放性固形製剤との大きな違いは、何らかの理由で生体内バ ーストが起こり、瞬時に放出された場合の安全性、或いは設計どおりに特定部位での放出が起こら 97 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 ずに排出されてしまった場合の有効性の低下や副作用の発現など極めて重篤な問題を引き起こ す可能性があるという点である。 2)放出制御製剤とは 放出制御製剤は所望される機能を発揮するように製造設計されているので、製造プロセスと規 格試験項目について適切に管理することが求められる。そのため、放出制御製剤の管理を考える 場合には、放出制御製剤とはいかなるものなのかについても明らかにしておくことが必要である。 (1)放出制御製剤のメカニズムの基本的事項 放出制御製剤の製剤設計の概念は、初期の血中濃度の立ち上がりを抑制して副作用を抑え、 投与回数を減らしてコンプライアンスを確保し、所望する薬物を必要な場所に必要な量を必要な時 間送達する薬物放出制御である。放出制御製剤は、様々な製剤素材や製剤技術を駆使して薬物 の分子状態を制御することで様々な放出機能を付与した経口製剤である。すなわち放出機能に着 目した製剤設計が放出制御製剤の重要事項であり、薬物の物性を最大に生かすべく、最も有効 で副作用が低減されるように薬物を患者に投与するための合理的な剤形選択と処方・製法が設定 されている。そして、難水溶性の薬物においては、製剤技術を駆使して溶解性を改善して放出機 能を向上させた後に放出を制御するような工夫が加えられる場合もある。経口投与される放出制御 製剤の放出制御の方式は、薬物の量的放出に軸足をおいたコントロールドリリース型薬物放出制 御 (Controlled Drug Release)と薬 物 の時 間 的 放 出 に軸 足 をおいたパルス型 薬 物 放 出 制 御 (Pulsatile Drug Release)の 2 つのタイプに分けられる。コントロールドリリース型薬物放出におい ては、マトリックスや高分子皮膜による方法が広く普及しており、パルス型薬物放出では、生体の必 要に応じてパルス型に薬物を放出する製剤である。また、これらの 2 つのタイプが組み合わされて 放出制御を行う方式も考えられる。放出制御製剤の放出制御機能は、複合型を含めると次の 3 つ のタイプに分けられる。 ① コントロールドリリース型薬物放出制御:拡散又は溶解律速で制御 a) マトリックス型:拡散または溶解による制御。構成する素材が侵食/非崩壊、或いは薬物がマト リックスに溶解/分散、などで放出速度をコントロールする。 b) 膜制御型: 溶解性/不溶性で放出速度を変化させる。不溶性の膜の場合、一定速度で薬物 放出する。 ② パルス型薬物放出制御:生体リズム/外部刺激に応答してパルス放出する。 ③ 複合型:コントロールドリリース型薬物放出制御+パルス型薬物放出制御 (2)放出制御製剤の設計と管理の基本的事項 経口徐放性製剤の設計に際しては、放出制御技術を用い、消化管内での製剤自体の挙動を 考慮し、吸収の安定した徐放性製剤を設計することになる。その品質評価は、溶出だけでなく放出 機能のメカニズムに基づく機能性を含めた製剤性能試験が必要であり、製剤設計時にこの点を十 分に吟味しておくことが必要である。放出制御製剤の場合には特に、所望する機能を適切に評価 できる機能試験の設定が重要となる。生体内(消化管内)での挙動(特性)を in vitro で把握できる 試験法を採用することが期待される。 そのため、<機能試験=溶出試験+他の個別的な試験>が必要と考えられる。例えば、消化 98 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 管運動の影響を受け難いような強度のある徐放性顆粒を製剤設計した場合には、溶出試験に加 えて顆粒強度試験が必要になると思われる。また、製剤の粘性が in vivo の吸収挙動に影響を与 えるような場合には、粘度を評価項目に入れる必要がある。 また、放出制御製剤は必ずしも意図して前述した放出制御機能の 3 分類に明確に帰属しないこ とも考えられる。すなわち、設計者はタイプ①を考えて試験法・評価法を設定し製剤開発するが実 際の製剤は③だったという場合も考えられる。このような場合の製剤についての製造変更に際して は、意識していない変更の有無の評価に併せて、変更によって生じる製剤機能の違いを十分に検 出できる評価方法を開発しておくことも必要である。よって、多くの製剤加工技術が 1 つの製剤に 濃縮され、さらにその機能を如何に規格に反映するかが管理を行ううえで鍵となる。下記ガイドライ ンには設計及び評価を行ううえで重要とされる項目が記載されている。 ① 徐放性製剤(経口投与製剤)の設計及び評価に関するガイドライン(薬審 1 第 5 号) 5) 製剤設計時に調査、検討すべき事項として、対象薬物面から、また、生体側に起因する面 から検討すべき項目が述べられている。製剤の選択についても個人内、個人間の変動が小さ くなるように放出特性、速度論的評価の充分な評価が必要とされている。 a)対象薬物 ・固有の性質(消失半減期、初回通過効果、吸収部位、副作用)の評価 ・薬力学的特性 ・生物薬剤学的特性 ・化学的、物理化学的特性 b)生体側に起因する問題点 ・製剤の消化管内移動特性 ・消化管内の生理学的特性 c)最終製剤からの放出特性(攪拌力、機械的崩壊力、消化された内容物の量、構成成分、pH、 表面張力、粘度などの影響の調査) d)薬物速度論的特性 ・速放性製剤との比較 ・投与条件、生理学的要因の影響 ・臨床的評価 ② 製剤機能の管理方法 機能を規格に反映するためには表 2-1-3 に示すような項目に留意する必要がある。 99 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 表 2-1-3.製剤機能の管理方法 (3)放出制御製剤の試験法・評価項目 放出制御製剤の評価は、第一に溶出試験等、放出性を評価することである。これは必ずしも直 接的な方法だけではなく、間接的な機能性試験で評価するとことも可能である。たとえば、膜制御 型の放出コントロール製剤について膜の厚みは製剤を評価する上で重要な情報となる。 管理を目的とした品質規格としては、有効性・安全性に関わる薬物放出機能性試験、溶出試験 (薬物吸収)、含量、含量均一性、安全性に関わる分解物、有効性・安全性には直接関わらないが 間接的に前記の規格項目に影響を与える可能性のある水分などがある。試験法開発において重 要なことは、有効性・安全性の評価に耐えるような妥当性(Validity)を持たすことである。溶出試 験、含量、分解物、水分などの化学的試験法は、製品評価を直接的に表すので妥当性を与える のは比較的容易である。直接的であれば「規格にあてはまらない」などの問題はすぐ顕在化し、プ ロセス管理にただちにフィードバックできる。放出機能性の試験法としては、溶出試験測定そのもの にはリスクは少ないが、製造プロセスの管理が難しいものは開発時あるいは変更時に重要な単位 操作ごとに製造プロセスを評価すべきである。溶出試験だけでは、試験の妥当性を持つ範囲が限 られるなど試験結果と製品品質評価が連動しにくい場合も考えられるので注意する必要がある。製 造プロセスが薬物の放出機能性に影響を与える場合は、製造プロセスの管理が重要であり、通常 の生産管理における変更管理においてもリスクが高く、慎重に評価方法を選択しなければならない。 規格の項目及び許容範囲は製造プロセス開発とともに設定されるので、プロセス変更においては 開発段階での規格の設定根拠について立ち返って検討する必要がある。 2-1-5. 放出制御製剤の設計 8)9)10) 放出制御製剤をその存在意義の通りに実現化するための手段としては、薬効成分の理想的な 体内挙動を想定し、これに応じた製剤からの放出挙動を作り出すことである。このために、薬物の 特性に応じて適切な放出メカニズムを選択し、製剤を作り上げていくことが重要であるとともに、食 事の影響や体内挙動の個人差を考慮する必要があること、さらに生産時の製剤品質が恒常的に 保たれることや投与されるまでの保存安定性についても配慮する必要がある。すなわち、安全で有 100 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 効な製剤を設計することであり、少なくとも即放性製剤よりもこれらの点で劣ってはいけないという制 約がある。さらに多くの場合は、コンプライアンスの向上という点も付け加えられており、様々なことに 気を配って設計する必要がある。 1)設計時の留意点 製剤を設計する際には、選択可能な手段のうちでどれを選択するかについては、以下の点を考 慮しなければならない。 ①対象となる疾患 理想的な血中濃度推移、放出のリズム 対象となる患者数(バッチサイズ、製造設備規模が変わる) ②患者の群(年齢層・性別) 製剤の大きさ、咀嚼力 どの時間帯なら服用しやすいか ③同時に服用される可能性のある製剤 1 日に複数服用する製剤が多いと混乱 ④原薬の物性 溶解性、吸収性(吸収部位・輸送メカニズム、体内動態)、 物理的化学的安定性 ⑤想定される投与量 高含量、低含量など ⑥即放性製剤における実績で蓄積されたデータ 毒性試験も含めて充分な情報がすでに得られていることが必要 (放出制御型の例) 薬物血中濃度を長時間維持させるとともに、薬物濃度の急激な変化を避けることで副作用を軽 減させる目的の放出制御製剤 (1)放出挙動の選択 ① 0 次型放出 有効な薬物治療のためには、薬物を作用部位に適切な濃度-時間パターンで送り込む 必要がある。コントロールされた速度で薬物を供給できる放出制御型製剤の開発が、活発 に進められている。一般には、一定速度での放出(0 次放出)が目標。 ② 1 次型放出 ③ Higuchi タイプ ④ パルス型(シグモイド) 101 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 図 2-1-1.Release Patterns of Controlled Release Dosage Form 1) (2)放出メカニズムの選択 ① 非崩壊性マトリックスによる放出制御 ② 侵食性マトリックスによる放出制御 ③ 不溶性膜による放出制御 ④ その他(胃内浮遊、粘膜付着等) (3)剤形の選択 ① 錠剤 ② 単一顆粒剤(充填したカプセル) ③ 混合顆粒剤(充填したカプセル) (4)徐放化を付与する部分の製法 ① 高分子を用いたマトリックス顆粒の製法 ・高分子担体と薬物の湿式造粒物をつくり乾燥する ・芯物質に高分子結合剤を用いて薬物を固定する ・薬物と高分子担体を強力に圧縮した後、整粒する ・高分子担体と薬物を噴霧乾燥あるいは凍結乾燥する ② 不溶性担体を用いたマトリックス顆粒の製法 ・熔融したワックスと薬物を混合して固化 ・多孔性物質に薬物を吸着させる ③ 膜制御をメカニズムとする顆粒 ・不溶性の高分子皮膜をコーティングすることによる不溶性膜の形成 ・熔融したワックスをスプレーした不溶性膜の形成 ・不溶性物質の物理的手法による乾式コーティング ・不溶性膜に微細な孔を物理的に形成 102 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 (5)パルス型の例 薬物の放出を遅延させ、適切な消化管部位に到達した後に薬物の放出を開始する、或いは生 体リズムにあわせて適切な時間を経過した後に放出する製剤。 ① 放出挙動の選択 ・一定のラグ時間の後に急激に薬物を放出する ・一定のラグ時間の後に徐々(0 次、1 次、・・・)に薬物を放出する ・マルチパルス型放出 ② 放出メカニズム ・消化管の pH の変化にあわせて放出 ・消化管内の水分による膨潤崩壊 ・温度変化に応答して放出 ・消化管内の化学物質に応答して放出 ・担体が腸内細菌による分解を受けて薬物を放出 ③ 剤形の選択 ・錠剤 ・カプセル剤(カプセル自身がリザーバー) ・単一顆粒剤(充填したカプセル) ・混合顆粒剤(充填したカプセル) ④ 徐放化を付与する部分の製法 a)<消化管の特定部位で放出> ・pH 感受性物質(腸溶性高分子)と不溶性高分子混合物による皮膜形成 ・腸内細菌が分解することにより皮膜形成 b)<化学物質・温度応答顆粒> ・温度感受性物質、化学物質感受性物質による皮膜形成 ・不溶性皮膜に温度感受性物質や化学物質を混合したもので皮膜形成 c)<膨潤崩壊によるパルス放出> ・薬物と膨潤物質を添加した内核に半透膜による皮膜形成 ・薬物と膨潤物質を添加した不溶性カプセルにハイドロゲル性のふたをする d)<マルチパルス放出> ・皮膜量を調節して、崩壊速度の異なる顆粒を何種類か調整する 2)放出制御製剤の分類 かつては放出速度の制御(rate-controlled delivery)が中心であったが、最近は、放出開始 時 間 の 制 御 ( time-controlled delivery ) や 消 化 管 の 特 定 部 位 で の 放 出 を 設 計 し た も の (site-specific delivery)、或いは、これらの複合型、さらには、コンプライアンスを向上させるような 口腔内崩壊錠やゼリー製剤などとの組合せにより、易服用性と理想的な放出コントロールの双方 に配慮された製剤等が活発に研究されてきている。また、難水溶性薬物に対しては溶解性を改善 し、放出機能を向上させた後に放出を制御するなど、原薬物性から考えると放出コントロールが困 難な薬物に対しても製剤技術を駆使して修飾型放出製剤とした例も存在する。 放出制御製剤の分類は、放出メカニズムでの分類と剤形での分類がある。放出メカニズムとして 103 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 は、大きく分けて 2 つに分類される。 ひとつは薬物の拡散制御により放出をコントロールしたもの、もうひとつは放出開始時間を制御し たものである。後者については、広 義では腸 溶 性 皮膜 を施 した錠 剤のような放 出遅 延(delayed release)も含まれるが、ここでは述べない。また、これらとは別に粘膜に接着させたり、胃液に浮遊 させる等の手法で体内における製剤の移動を遅らせることによって放出を持続させるシステムがあ るが、現状ではカテゴリーのひとつを形成するには至っていない。 もう 1 つの分類である剤形的分類は、例えば、錠剤形であるか、顆粒型であるか、或いは製造工 程の違いなどから分類したものである。放出制御製剤の品質の恒常性を維持する上では、この視 点による分類は重要な意味を持ってくる。つまり、製造に関する重要な因子を絞り込んでいくため の基本情報となる。 以下に分類を示す。 (1) 薬物拡散制御の設計による分類 経 口 製 剤 の放 出 制 御 は、薬 効 の持 続 化 、放 出 速 度 の制 御 (rate-controlled delivery system)を目的とした製剤技術の開発が中心であり、マトリックス型あるいは膜透過型などさま ざまな方法論や技術が考案されて、これらの技術をもとにした徐放性製剤が薬物療法に使用 されている。 ① マトリックス型制御システム 薬物の放出制御のためには、ワックスや不溶性高分子のような不溶性基剤、ゲル形成高分 子基剤、腸溶性基剤が使用される。製剤中の放出制御系である高分子マトリックス中の薬物 濃度が飽和濃度以下の溶解型と飽和濃度以上の分散型との 2 つのタイプに分けられる。また、 マトリックスが崩壊するか否かによっても分けられる。 a) 浸食型システム:薬物がゲルマトリックスから放出するシステム (マトリックス自体が浸食するシステム) b) 非崩壊型システム:不溶性高分子のマトリックスから薬物が放出するシステム 薬物が分散型で、マトリックスが非崩壊型の場合、高分子マトリックスからの薬物放出は時 間の平方根に比例する。一方、薬物が溶解型の場合には薬物放出は時間経過に従って減 少し、一定の薬物放出速度を維持することはない。 ワックスを用いた非崩壊型のマルチプルユニット製剤では、胃排出や小腸内移動を遅らせ るために粘膜付着型製剤も検討されている。一般的に薬物は小腸上部から吸収されやすい が、長時間にわたって放出を続けるように設計されているだけでは、良好な吸収部位を通過し た後にも放出が続くことになる。このような現象が顕著になった場合には徐放性製剤のバイオ アベイラビリティは即放出型の通常製剤に比べて低下すると考えられる。そこで、ワックスマトリ ックスの中に付着性のある高分子を分散させ、消化管壁に強く付着させる製剤が検討されて いる(Adhesive Micromatrix System)。高分子が水分と接触することにより瞬時に膨潤し、 細粒の形状を維持したまま内部から表面に突き出し、消化管壁に付着する。このメカニズムに より、in vivo の検討でもバイオアベイラビリティの低下を防ぐことが可能であった。 ② 膜透過制御システムと事例 放出制御膜によって包み込まれた内部の薬物が膜を通過して外部に放出される。製剤内 部の薬物が飽和溶液と固体の共存するような系で、制御膜内外の薬物の濃度勾配が常に 104 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 一定となれば放出速度は時間によらず一定の零次放出となる。製剤からの薬物の 0 次放出 によって有効血中濃度を継続して維持することができる制御システムである。可溶性皮膜を 使用し、膜の厚さが異なる顆粒を混合して目的の放出プロファイルを得る製剤もある。また、 半透膜を利用した浸透圧ポンプシステムがある。 a) 浸透圧ポンプシステム(オロス):Products Incorporating ALZA's OROS® Technology b) 薬 物 を含 んだビ ーズまた は顆 粒 をコ ーティング し、膜 を介 して放 出 制 御 する システム : Meter-Release®(KV Pharmaceutical) (2) パルス型薬物放出製剤(時間的な放出制御)の分類と事例 合理的な経口薬物療法を可能とするために、放出開始時間を制御するシステム ( time-controlled delivelry system ) に 関 す る 研 究 が 行 わ れ て い る 。 時 間 薬 物 治 療 学 (chronopharmaco-therapeutics)に関連して放出開始時間を制御する製剤技術について述べ る。 理想的な薬物の放出制御は、生体内外の物理信号や化学信号に応答して薬物放出を時間的 に制御できることである。パルス型薬物放出製剤は、生体から薬物を必要としているという情報が入 った時に、パルス型に薬物を放出する製剤である。パルス型の薬物放出は、シングルパルス型とマ ルチパルス型の 2 つのタイプに分けられる。シングルパルス型の薬物放出製剤は、1 度だけ製剤が 崩壊して薬物を放出する。マルチパルス型の薬物放出製剤は、製剤が可逆的に変形して、繰り返 し、薬物を何度も放出する製剤である。薬物が生体に対して必要であるという情報には、2 つのタイ プがあり、1 つは投与後の製剤外部の温度や pH のような環境変化が情報になる場合であり、もう 1 つは、剤投与後の時間情報である。前者は、先の経口コントロールドリリース型の薬物放出製剤で ある。一方、後者は薬物の投与時間(時期・時刻)に関する時間薬理学(chronopharmacology) や時間治療学(chronotherapeutics)の概念に基づいて、薬理作用の時間的変動を明らかにし て、薬物の効果的な投与時間の設定や副作用軽減を目指した投与法の開発などの時間療法とし て重要な考え方である。放出制御製剤の薬物放出においては、マトリックスや高分子皮膜による方 法が広く普及されているが、パルス型薬物放出においては、生体の要求に応じてパルス型に薬物 を放出する。また、以下のように分類することができる。 ①パルス型薬物放出製剤(時間的な放出制御)の機作による分類 a) シングルパルス型薬物放出製剤 b) マルチパルス型薬物放出製剤 c) pH に応答した変形を利用した薬物放出制御 d) 温度に応答した変形を利用した薬物放出制御 e) 化学物質に応答した変形を利用した薬物放出制御 f) 酵素反応を利用した薬物放出制御 g) ゲルの収縮・膨潤・崩壊による薬物放出制御 h) その他(磁気、マイクロウエーブなどの外部からの刺激に応答するもの) ②パルス型薬物放出製剤の時限放出技術による分類と事例 パルス型薬物放出製剤の薬物放出の特徴は、服用後一定の時間は放出しない時間帯(ラグタ 105 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 イム)が存在し、その後にパルス型(又は所定の速度)で薬物を放出する点である。このような時 限放出技術の開発においては、薬物放出のラグタイムを作り出すことと、その後の速やかなパル ス型の薬物放出を達成する技術の開発である。これらの技術は、放出原理に従って以下の 4 つ に分類される。 a) 膜崩壊型: time-controlled explosion system(TES)(旧藤沢薬品工業で開発された 崩壊型時限放出システムであり、水不溶性高分子膜、水分を吸収する膨潤剤層、薬物 層、芯粒から成る) Pulsatile 放出錠(旧田辺製薬で検討された有核錠型の時限放出システム) time-controlled release capsule(京都薬科大学で検討) b) 膜離脱型: Pulsincap(イギリスの旧 RPSchererDDS が開発した時限放出システム)水 不溶性のボディーにハイドロゲル性プラグが付いており、さらにそれを水溶性キャップで覆 ったカプセル。キャップが胃液で溶解した後、プラグが膨張してボディーから弾き飛ばされ、 薬 物 の 放 出 が 開 始 さ れ る 。 本 シ ス テ ム の 時 限 放 出 機 能 は ヒ ト 消 化 管 内 に お い て in vitro-in vivo 相関が得られている。 Chronset system(米国 ALZA Corporation で開発された、浸透圧を利用したカプセル 型時限放出システム) c) 膜溶解型: TIME CLOCK System(イタリア ZambonGroup で考案された時限放出シ ステム) CHRONOTOPIC System(イタリア Pavia 大学で開発された表面浸食型の時限放出製 剤) HEC 有核錠(熊本大学で考案された有核錠型の時限放出システム) d) 膜透過型: sigmoidial release system(SRS、旧田辺製薬で開発された顆粒タイプの 時限放出システムであり、ユニークな機作により長いラグタイムとシグモイド状の放出パタ ーンを示す。) (3) 放出制御製剤の剤形的分類 剤形では、製造時に打錠のような圧縮工程のない顆粒状製剤(カプセルも含む)か、圧縮工程 のある錠剤状製剤に分類される。さらにそれぞれの場合に、構成成分として単一成分か放出速度 の異なる異質成分の組合せをしているか、により分類できる。 外観的なものでなく、投与した後の放出段階での形状に注目すると、多数の顆粒に分散するマ ルチプルか(胃からの排出時間等の影響を受けにくい)、錠剤等の形のまま放出が持続するシング ルユニット(マルチプルより小型にできる)により分類することができる。これらの定義を組み合わせて 分類された例を以下に示す。 ① スパンスル(Spansules):カプセル中に、数種類の速溶性と徐放性の顆粒が充填されている。 それぞれのタイプの顆粒からの薬物の放出速度が異なるため、比較的一定した血中濃度を維 持することができる。 ② グラデュメット(Gradumets):多孔性のプラスチックの格子間隙に薬物を満たしたもの。拡散 により薬物が放出される。 ③ ワックスマトリックス(Wax matrix):薬物を脂肪やロウに溶解または懸濁して錠剤化したもの。 ④ レペタブ(Repetabs):内核錠には腸溶性皮膜または徐放性皮膜を施してあり、外層は糖衣を 106 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 ほどこした錠剤である。内相の錠剤は小腸に移行した後に、徐々に薬物を放出する。 ⑤ スパスタブ(Spacetabs):速溶性と徐放性または腸溶性の顆粒の混合物を錠剤化したもの。 ⑥ スパンタブ(Spantab):速溶層と徐放層の 2 相または 3 相にわけて錠剤化したもの。 ⑦ ロンタブ(Lontab):内層を徐放性に、外層を速溶性で錠剤化したもの。 2-1-6.薬物ターゲティング 薬物に、生体内で標的部位に指向する性質を付与することをターゲティングと称し、ターゲティン グの対象となる生体内部位は、i) 臓器、ii) 癌や炎症部位など臓器の中の特定部位、iii) レセ プターや酵素など細胞の内外に存在する分子レベルの物質の3レベルに分類され、それぞれ一次、 二次、三次ターゲティングと定儀される。また、生体の機能を受け身に利用した試みは受動的(パッ シブ)ターゲティング、より積極的に薬物の標的指向化を図るアプローチはアクティブターゲティング と呼ばれる。ターゲティングの目的は以下のように考えられている。 <ターゲティングの目的> 病巣あるいは体内の特定部位への選択的送達 副作用発現や薬物失活の原因となる生体部位への送達、蓄積の防止(逆ターゲティング) 従来の方法では送達不可能であった部位への送達 計画された濃度―時間パターンに基づく作用部位への送達 作用部位への再現性の高い送達 送達効率の改善(投与総量の低減) 本項では、薬物ターゲティングの幾つかの方法とともに、ウイルスベクターの事例についてまとめ た。 1)ナノ微粒子製剤によるターゲティング 11)12) 親水性ポリマーと疎水性ポリマーのブロック共重合体を用いたミセル型キャリアについては数多く の研究がなされてきている。これらは、EPR(Enhanced Permeation and Retention)効果を介し たパッシブターゲティングとして検討されてきた。これに対し、微粒子表面に特定の標的部位への 認識素子を導入したアクティブターゲティング製剤については多くの研究がなされてきたにもかか わらず、実用化に至った例はない。山嵜・大黒らのグループは炎症性組織への標識分子としてレク チンに着目し、これをリポソーム表面に結合させたナノ微粒子が疾患部位に選択的に集積すること を実証した。また、ターゲティング型 DDS のために新たな素材開発も進んでいる。PLGA と PEG のブロックポリマーは疎水部と親水部を持ち、さまざまな形態の製剤化が可能であることから、比較 的 古 く か ら 研 究 され てい る 。 Goetz らの 研 究 グ ル ー プは 、PEG-PLA か ら なる 微 粒 子 表 面 に P-Selectin や ICAM-1 などの接着分子に対する抗体を固定化することにより、炎症部位の血管内 皮細胞へのターゲティングが可能であることを報告している 11)12) 。また、EPR 効果による腫瘍組織 への集積性に加えて、高効率免疫活性伝達剤としてインターフェロン-γ (INF-γ)の刺激を受 けた免疫細胞を活性化させながら、腫瘍壊死因子(TNF-α)を大量に放出させる。さらに細胞内 の転写因子である核因子(NF-κB)を活性化させて、一酸化窒素合成酵素 iNOSA の転写を増 加させると同時に、L-アルギニンによって生体内に効率的な量の一酸化窒素を産生させることが 107 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 証明されている。 <達成しなければならない重要なミッション> 全身投与を考えたときに、超えなくてはいけないハードルがある。これは薬物、遺伝子でほぼ共通 であり、以下のような条件を具備していなければならない。 ① 異物認識されない 自然にある粒子状のものはウイルスやバクテリアなどであるので、粒子状のものを血中に投与 すると、好中球に食べられてしまう。表面をステルス(生体適合)化するとそれを避けることができ る。 ② 血管から湧き出る 内皮細胞の間隙はがんや炎症部位では大きくなっている。この場合も 100nm 以下にしないと、 十分な組織浸透性が期待できない。また、BBB(血液脳関門)のような間隙の無い細胞は、ナノ キャリアの表面にペプチドをつけて、トランスサイトーシスを起こさせることが必要になる。 ③ 組織内細胞レベルのターゲティング 標的細胞にいかに効率よく目的のものを送達することが重要であり、細胞膜透過性が無いよ うな核酸や遺伝子、多剤療法剤の場合はキャリアごと細胞に入れることが必要である。 ④ 細胞内における核やミトコンドリアへのターゲティング 細胞内におけるターゲティングは、一般的には核を除いた細胞質へ目的物を送達させること が主要と思われるが、核内の遺伝子や多数の代謝酵素やアポトーシスの誘導シグナルが存在 するミトコンドリアをターゲティングするような場合も考えられる。 2)遺伝子デリバリー 外来遺伝子を用いて病気を治療する遺伝子治療(gene therapy)は、遺伝子異常疾患の異常 遺伝子を正常遺伝子に置き換える、あるいは欠損遺伝子を補完するといった狭義の遺伝子治療 だけでなく、がん、エイズといった難治性疾患や生活習慣病などの治療法としても期待されている。 特に 1990 年代後半より、がん治療などとの関連で、治療用遺伝子を生体内の疾患部位の組織・ 細胞へ送達する遺伝子ターゲティングに対する関心は急激な高まりを見せている。遺伝子治療に は遺伝子導入法の違いにより大きく分けて二つの方法があり、一つは患者の特定の組織から細胞 を取り出し遺伝子を導入してから体内に戻す方法であり(ex vivo 法)、もう一つは対象となる疾患 部位に直接遺伝子を導入する方法である(in vivo 法)。Ex vivo 法では治療用遺伝子の導入の 度合いや危険性の有無を確認してから体内に戻せるという利点はあるが、細胞の培養や分離とい った技術を必要とし時間がかかるのが難点である。また疾患によっては細胞を外部に取り出すこと が適切でない場合も多い。一方、in vivo 法では、治療用遺伝子は一般の医薬品のように患者に 投与され、操作性や投与法の簡便さや適用の広範さから今後の遺伝子治療の主流になっていくこ とが期待されている。どちらの方法においても治療用遺伝子を細胞に導入するためのベクターと呼 ばれる遺伝子の運び屋を必要とし、ウイルス、リボソーム、カチオン性高分子などをベクターとして 利用する送達システムの研究が活発に行われている。このようなベクターには、血流中での安定性、 標的組織・細胞への集積性、細胞内での核への移行性、核内での効果的な機能発現など様々な 機能が要求される、さらに重要なポイントは、治療用遺伝子を搭載したベクターを生体内で用いる ためには、サブミクロンから数 10nm という極微小なスケールで、これらの機能を発現させなければ ならない。その意味において、ウイルスの性能を凌駕するような臨床応用可能な人工遺伝子ベクタ 108 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 ー(gene vector)の開発は、究極の「バイオナノテクノロジー」と呼ぶにふさわしいものである。特に、 1999 年アメリカでのアデノウイルスを用いた遺伝子治療による死亡事故や 2002 年フランスでのレト ロウイルスを用いた遺伝子治療で患者が白血病を発症する事故が生じてからは、安全性の高い人 工遺伝子ベクターへの期待が一段と高まっている。しかしながら、これまでにも多数の遺伝子ベクタ ー開発の試みがなされているが、実用可能なシステムは未だに完成されていないのが現状である。 2-1-7.難水溶性薬物の製剤化 13)14) 創薬研究では、近年の High-Throughput Screening や Combinatorial Chemistry などの 新しい創薬ツールを導入した探索スクリーニングにより、多量の難水溶性化合物が創生される傾向 にある。したがって、開発を進める際には、開発候補化合物の難水溶性の課題を抱えてきている。 そのため、探索スクリーニング法の工夫や物性スクリーニングの導入により、水溶性の高い薬物候 補を選出する努力を続ける一方で、難水溶性薬物を溶解改善することにより製剤化するための製 剤研究が必要とされている。すなわち、難水溶性薬物を製剤化技術により医薬品にすることが可 能になれば、開発候補化合物とすることにより価値を創造することになるが、製剤開発技術が向上 しなければ創薬研究の生産性が落ちていくことになる。製薬企業での創薬ステージにおける大きな 役割の一つは、薬品候補化合物の溶解性改善である。 1)難溶性薬物の経口製剤化 経口製剤は市販薬の 70%近くを占めており、先述のように探索スクリーニングされる化合物は難 水溶性の傾向が強くなっている状況においては、溶解性改善は創薬の物性・製剤関連部門の重 要業務の一つである。溶解性を改善するための方法としては、粉砕による微細化、固体分散体化 技術を用いた薬物の非晶化、界面活性剤の添加による可溶化などが検討されている。粉砕による 溶解性改善については、表面積の増大に溶解度の上昇を期待することになるが、粉砕による微細 化は数 μm 程度までが限界であり、期待するような溶解度の上昇につながらないことが多い。また、 単に機械的な粉砕だけでは凝集性が高まることによってかえって溶解性が低下してしまうような結 果にもなりかねない。これを防ぐ目的で、水溶性高分子などの賦形剤や界面活性剤を添加した混 合粉砕も考慮されることもあるが、非臨床動物試験などの投与検体としては適さないこともあるので、 注意して実施することが必要となる。溶解性を改善し、経口吸収性を高めることにより、開発候補化 合物を GLPTox 試験や溶解性を改善した臨床試験用製剤の開発に反映うるように実施されてい る。 (1)微細化技術による難水溶性薬物の経口製剤化 難水溶性薬物の微細化は、粉砕装置の改良や溶液状態からの晶析法により数 100 nm レベ ルの粒子へサイズダウンすることが可能になっているが、この場合も分散媒に界面活性剤を添加し て凝集化を防ぎ、安定な分散体を調製することなどの工夫がなされている。 難水溶性薬物を微細化またはナノ粒子化する方法には、粒子を粉砕することによりナノレベルま でサイズダウンさせるトップダウン法と、溶液から晶析によりナノサイズの粒子を生成させるボトムアッ プ法がある。 粉砕には、混合粉末をそのまま粉砕する乾式方法と水溶液中で粉砕を行う湿式法がある。乾式 109 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 粉砕は、ボールミルや振動ロッドミルを用いるケースが多いが、粉砕により表面エネルギーが増加 することにより、粉末同士の凝集やボールミルとの結合などにより粉砕物を効率的に収集するのに は、界面活性剤水溶液を用いて回収するなどの工夫が必要とされる。また、粉砕により微粒子化に よるダウンサイズだけではなく、非晶質化が進行する場合もあり、ダウンサイズと非質化が同時進行 すると考えておくべきである。 湿式粉砕は、水などの媒体が存在するので乾式方法に比べて粉体の流動性が極めてよい。ま た、流動させる懸濁液中にボールミルなどの粉砕媒体を使用するか、粉砕媒体を用いずに非常に 狭いスリットやチャンバーを高圧で通過させることにより、高速度剪断力による破砕を行う方法(高 圧ホモジナイザーを用いた方法)に大別される。湿式粉砕した微粒子懸濁液は、スプレードライや 凍結乾燥などにより粉末化して使用する場合が多い。 ナノ粒子化技術を用いて米国で製品化されているものとしては、Elan 社の NanoCrystal®技術 (ビーズミル)を用いた Aprepitant 製剤や Sirolimus 製剤など 4 種と SkyePharma の IDDTM (Insoluble Drug Delivery)技術(高圧ホモジナイザー)により、安定なサブミクロン粒子サイズの サスペンションを調製したものがあげられる。これらは、いずれも難水溶性薬物を適当な界面活性 剤とともにスラリー状にして湿式法によりナノ粒子化したものである。 (2)自己乳化型マイクロエマルション製剤 自 己 乳 化 型 マ イ ク ロ エ マ ル シ ョ ン ド ラ ッ グ デ リ バ リ ー シ ス テ ム SMEDDSTM ( Self-Micro Emulsifying Drug Delivery System) は、油 (Oil)、界面 活 性 剤(Surfactant)、補 助溶 剤 (Cosolvnt)の 3 成分から構成される液状または半固形状で、体内では、10~100 nm の微細で 安定な O/W 型マイクロエマルションを形成している。3 成分は以下のような役割をする。 Oil:油脂成分には、脂溶性薬物を溶解し自己乳化に優れることが必要とされるとともに、リン パ系を介した薬物吸収も期待される。オリーブ油、大豆油、コーン油、トコフェロール、マイバセ ット、ミグリオールなど。 Surfactant:安定なエマルションを形成させるためには、HLB の高い界面活性剤が必要とさ れる。消化管内でマイクロエマルションを形成して分散性を高めることが必要となる。また、薬 物の結晶化などの危険性を抑えるためにも多量の添加が必要になる。経口剤実績を有する Teenn80、クレムフォア(EL、HR)など。 Cosolvent:経口投与可能な溶剤から選択する。PEG、エタノールなど。 脂溶性薬物の溶解度を高めた製剤としてこの自己乳化型可溶化システムは適用され、この技 術が使用されている Novartis 社の Neoral®(シクロスポリン)、やリトナビルなどがしられてい る。シクロスポリンは、臓器移植時の免疫抑制や既存治療で十分な効果が得られないアトピー 性皮膚炎の患者に用いられる医薬品であり自己乳化型マイクロエマルション製剤により、個人 差の少ない安定した経口吸収性能を示している。 (3)固体分散体 固体分散体の調製法としては、薬物と担体を有機溶媒に溶解した後、その溶媒を除去すること により得られる方法が従前は行われていたが、この手法は溶媒除去などに対する種々の対策が課 題であったが、高分子材料の加工技術である加熱熔融混練技術(Hot-melt extrusion)が製剤 分野に導入され、これを利用した製品化が進められている。 110 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 2 軸エクストルーダーを使用した加熱熔融混練技術は高分子樹脂分野、食品分野などで古くか ら使われている加工技術であるが、1990 年以降に医薬品分野で応用されてきている。この方法の 特徴は、連続処理が可能であり、加工工程では有機溶媒を使用しないことである。 (4)ナノエマルション技術 従前のエマルション技術は、油溶性の薬物を植物性油脂に溶解させた乳白色型製剤(外観)を 高圧蒸気滅菌により無菌製剤を調製している。高圧蒸気滅菌を使用するため、薬物が水溶性、難 溶性(水にも油にも溶解しない性質)のもの、熱に不安定なもの、外観に透明性が必要なものには 適用できなかった。また粒子径が 0.2 μm(200 nm)程度あるので、この製剤が体内に注入されると 網内系(肝臓や脾臓や腎臓)に捕捉される性質を持っている。リポソームは、エマルションよりも細 胞膜に類似しており、小規模試作が可能であるために活発な研究が行われてきているが、生産性 が低く、保存条件にも制限がある。 ナノエマルション技術は、従来のエマルション技術の欠点とリポソームの欠点を克服した技術で あるとのことである。無菌化については、高圧蒸気滅菌、ろ過滅菌の可能性もあり、熱安定性に乏 しい薬物や超高圧に弱い薬物においてもエマルション型注射剤として製剤化できるとのことである。 粒子径は、0.02~0.3μm(20~300 nm)程度の範囲で可変性がある。即ち、外観はこれまでの乳 白色から半透明、更には透明なものに出来るようになった。 ナノエマルション技術により注射剤の変質や汚染が判り易くなり、患者さんの安心感も得やすく、 更に注射剤のみならず点眼剤の分野にも機能性のある点眼剤として適用可能である。また製剤設 計により血管内循環やリンパ系循環、更には新生血管漏出など工夫することが可能となり、これに より副作用の軽減、ターゲッティング効果なども期待できる。 2)新規投与経路による吸収改善 新規投与経路 DDS は、全身(循環血中)へ薬物を移行させることを目的とする場合と局所に効 率的に薬物を送る手段に大別できる。初回通過効果が大きくて必要な吸収量が得られない化合 物に対する経口投与 DDS は確立されていない。しかし、理論的には経皮、点鼻、吸入などの新規 投与経路の利用によって初回通過効果を回避することができる。局所投与の場合でも、吸収後は 全身循環に移行する。しかし、作用部位への直接投与により必要な用量が大幅に下がるため、全 身循環への移行薬物量は少なく、副作用の発現には至らない可能性が高い。数多く開発上市さ れたステロイドの喘息吸入剤や鼻炎用点鼻剤はその例である。経皮製剤は、基本的に薬物の持 続的な吸収が容易なことから、経口剤に比べて投与間隔の大幅な延長が期待できる。ホルモン補 充療法用のエストラジオール製剤にて 1 回貼付で 1 週間持続する製剤が例としてあげられる。 (1)低分子医薬の剤形 多くの場合、化合物の設計・誘導化は経口剤を志向して行われる。実際、リード化合物が見い だされたあとは、経口吸収性の向上が誘導体展開の重要な目的の一つとなることが多い。しかし、 これらの新規投与経路 DDS を考える際には、投与経路によって適切な誘導体が異なる可能性が ある。 新規投与経路 DDS 化を経口用化合物の改良と並行して検討すれば、DDS に適した誘導体に よる別剤形化の可能性を早期に見極めることが可能である。経口剤で対応できない急性疾病に対 111 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 する医薬では低分子化合物であっても注射剤が選択される。難溶性の化合物を注射剤とするため の解決策としてはシクロデキストリンによる可溶化、エマルションやリポソームのような親油性微粒子 への封入、化合物白体の超微細化、水溶性高分子との結合などがあげられる。シクロデキストリン による可溶化の例としては、α-シクロデキストリンを用いてプロスタグランジン E1 を可溶化した小野 薬品の注射用プロスタンジンが挙げられる。また、CyDex はスルフォブチルエーテルにて修飾した β-シクロデキストリン誘導体(SBE-CD)を用いた DDS(Captisol)を報告している。SBE-CD は機 能性を大幅に向上させており、溶解性は 10~25,000 倍に向上し、バイオアベイラビリティ(生体内 利用率)の改善や毒性の軽減にも寄与することが知られている。微細エマルション粒子を用いた製 剤としては、プロスタグランジン E1 を封入したリプル注(三菱ウェルファーマ)/パルクス注(大正製 薬)がある。これらは可溶化だけでなく、動脈硬化巣への集積性向上により薬効の増強も実現して いる。 注射後の血中半減期が短い場合には点滴静注という方法がある。しかし、患者への負担が大き いため、長時間持続型の注射剤開発が望まれる。徐放性皮下注射剤では、黄体ホルモン放出ホ ルモン誘導体をポリ乳酸系マイクロスフェアヘ封入した武田薬品のリュープリンが有名である。リュ ープロレリンは、反復投与または持続投与を行うと性腺刺激ホルモンの産生と卵巣および精巣の 刺激ホルモン感受性が低下して、前立腺がんや子宮内膜症に対する効果があらわれる。そのため、 この徐放化は単に投与間隔を延長するだけではなく、薬理効果の発現にも役だった。 副作用発現臓器への分布を軽減するために DDS が活用される例もある。抗真菌薬アンフォテリ シン B のリポソーム製剤では、副作用発現臓器である腎臓への移行量をリポソーム化により軽減し ている。また、抗がん薬ドキソルビシンリポソーム化によって心臓への分布を減らし、心毒性を改善 した例が報告されている。これらは、新規化合物が同様の問題が存在する場合にも DDS 化により 克服できることを示唆する。 (2)バイオ医薬の剤形 バイオ医薬では疎水性のオリゴペプチドの場合を除くと経口化された例はなく、基本的に注射剤 での開発が前提である。また、バイオ医薬は低分子医薬と異なり、誘導体展開をする余地は非常 に少ないので、通常の経口製剤化に適した薬物を得ることは難しい。しかし、この注射剤にも投与 頻度を低減するための血中滞留化技術が活用されている。例としてインターフェロンが挙げられる。 インターフェロンに PEG 修飾を行った PEG-Intron と Pegasys が上市されている。これらは、皮下 注の投与間隔を週 3 回から週 1 回に低減したのみでなく、薬効の増強というメリットも同時に得てい る。また、PEG で修飾した G-CSF である Neulasta(Amgen)は血中滞留性を高め、皮下注の間 隔を伸ばすことに成功している。さらに、タンパク質・ペプチドを経口投与で吸収させることも試みら れている。 3)創薬研究における製剤化研究 15) 米国 FDA(Food and Drug Administration:米国食品医薬品局)で承認される医薬品の数 は、1997 年のピーク時は 234 件であったが、翌年以降から毎年減少を続け、2005 年には 15 件ま で数を減らしてきており、歯止めはかからない状況になってきている。このような状況については、 探索スクリーニング法を工夫し、例えば物性の良い開発候補化合物を進める努力だけでは、減少 が続いている承認される医薬品数を増やして、創薬研究の生産性を上げることにつなげることが出 112 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 来ていないのが現実となっている。 世界中の製剤研究者や DDS 研究者は、日々努力を重ねており、それらの中から実用化につな がる多くの技術が育成されてきている。製薬企業は、世界の競合の中で生き残りをかけて創薬研 究に挑戦を続けている。製剤研究者は、難水溶性薬物の溶解性改善・経口吸収性改善のような 開発ニーズに合致した確立された製剤技術を駆使した製品開発・製剤技術開発に軸足をおき、一 方においては夢のような DDS 技術を追い求めて行くことになる。 【参考資料】 1) 金尾義治,DDS 最前線,廣川書店 (2002) 2) 芦澤一英,DDS 製剤の開発・評価と実用化手法 技術情報協会 p3-13(2013) 3) 吉野廣祐,インターフェックスジャパン専門技術セミナー,東京,2003,吉野廣祐,医薬品開 発における製剤技術の重要性 製剤技術開発の現状と未来への挑戦,ファルマシア,(41), 8,(2005) 4) 芦澤一英,(財)ヒューマンサイエンス振興財団調査報告書 No63,(2008) 5) 徐放性製剤 (経口投与製剤) の設計及び評価に関するガイドライン(薬審 1 第 5 号) 6) 小林征雄 粒子設計と製剤技術 川島嘉明編 じほう P.28(1993) 7) Regulatory perspective on in vitro/in vivo (bioavailability) correlation, Venkata Ramana S et. al, J Controlled Release 72 (2001) 8) 芦澤一英,<連載> 医薬品の物理化学(第 25 回)DDS 製剤(放出制御)PHARM STAGE Vol.9, No.11 p77-82(2010) 9) 芦 澤 一 英 ,<連 載 > 医 薬 品 の物 理 化 学 (第 26 回 )放 出 制 御 製 剤 の設 計 (1)PHARM STAGE Vol.9, No.12 p79-84(2010) 10) 芦 澤 一 英 ,<連 載 > 医 薬 品 の物 理 化 学 (第 27 回 )放 出 制 御 製 剤 の設 計 (2)PHARM STAGE Vol.10, No.1 p77-81(2010) 11) 芦澤一英,<連載> 医薬品の物理化学(第 28 回)薬物ターゲティング(1)PHARM STAGE Vol.10, No.2 p101-109(2010) 12) 芦澤一英,<連載> 医薬品の物理化学(第 29 回)薬物ターゲティング(2)PHARM STAGE Vol.10, No.3 p69-77(2010) 13) 芦 澤 一 英 ,<連 載 > 医 薬 品 の物 理 化 学 ( 第 30 回 )難 水 溶 性 薬 物 の 製 剤 化 PHARM STAGE Vol.10, No.4 p75-81(2010) 14) 芦澤一英,<連載> 医薬品の物理化学(第 31 回)薬物送達技術の応用 PHARM STAGE Vol.10,No.5 p69-76(2010) 15) 芦澤一英,<連載> 医薬品の物理化学(第 33 回)医薬品の製品ライフサイクルと製造の変 更管理 PHARM STAGE Vol10, No.7 p74-79(2010) 113 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 2-2. DDS 医薬品の開発状況と将来展望 1) 1)はじめに 有効性と副作用を併せ持つ諸刃の剣である医薬品を『必要な場所』に、『必要な量』を、『必要な 時間』だけ作用させ、主薬理成分の効果を最大限に発揮させる薬物送達技術を Drug Deliverly System(DDS)という 2) 。1990 年代初頭より実用化が開始され、①ターゲッティング型(標的組織 への選択的輸送)、②コントロールリリース型(薬物の徐放制御)、③吸収促進型(投与経路の変更 含む)という大きな 3 つの技術を中心に、現在では多くの新規 DDS 技術が創出されている。①ター ゲッティング型は、がん病変の部位にのみ送達させるような抗癌剤が典型例である。②コントロール リリース型は、ゆっくりと長時間放出される剤形にし使用回数を減らし、利便性を向上させたような 高血圧薬、鎮痛薬(貼付剤)、およびホルモン剤が典型例である。③吸収促進型(投与経路の変 更含む)は、従来は静脈注射で投与されていた薬を飲み薬や貼付薬に変えて、効果を高めるとい った方法である。 昨今、医薬品開発の成功確率が著しく低下する中で、上市品や臨床開発段階で中断した既存 の 薬 剤 を 、 新 規 効 能 と し て 再 利 用 あ る い は 再 生 さ せ る ド ラ ッ グ ・ リ ポ ジ シ ョ ニ ン グ ( Drug Repositioning)する手段として、DDS 化はその有効な手段の一つとして注目されている。 本節では、主な DDS 医薬品の開発状況と将来展望について概説する。 なお、本節の1)から4)までは 2013 年 8 月 21 日に(公財)ヒューマンサイエンス振興財団にて行 われたエーザイ株式会社 理事 / 製剤戦略担当部長 菊池 寛 氏の講演会資料 1) 、ならびに医 薬品医療機器レギュラトリーサイエンス 2013 年 8 月号の同氏の執筆論文 2) を元に作成されたもの である。この場を借りて菊池 寛 氏に深く感謝の意を表したい。 2)DDS 製剤化の効用 DDS 製剤化は、医学的観点(有効性、安全性、および使用性の向上等)、および企業的観点 (ライフサイクルの延長、他社製品との差異化、および Drug Repositioning 等)の両側面の向上 が重要である。例えばプロスタグランジン E1 は生体成分で、一般に効果を発揮する時間が短く、 不安定な化合物で、そのままでは作用して欲しい部分に集まらないが、リポ製剤化することにより、 炎症部位に集まる性質を付加し、格段に有用性を増強させることに成功し、末梢動脈の虚血性疾 患治療に大きく貢献した。 当時、第一世代の注射用プロスタンジン:アルプロスタジル アルファデクス(小野薬品工業)の 売上は 50 億円前後であったが、1988 年に、PGE1 リピドマイクロスフェア製剤にした「パルクス注」 および「リプル注」が発売され、日本国内で 500 億円を売上げ、アルプロスタジル アルファデクス自 体も 100 億円となり、50 億円しかなかった市場が、実に約 12 倍の 600 億円に拡大した。 このように、DDS 製剤化は、患者への貢献(有用性の向上)はもとより、市場を大きく拡大させる ことが実証されている。 114 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 3)既存薬/新薬のDDS開発の特徴 DDS 製品の開発としては、表 2-2-1 に示すとおり、①特許の切れた自社・他社の既存薬を DDS 化する場合(AmBisome、DaunoXome、Doxil、DepoCyt、Marqibo、SMANCS 等)、② 自社の先行新薬や薬物自体に特許がない新薬(生体内活性ペプチド等)を開発しておき、後追い で DDS 化 す る 場 合 ( Leuplin 、 PegIntron 、 Pegasys 、 Neulasta ( PEG-G-CSF ) 、 Mircera (PEG-EPO)等)、③もともと既存剤形での開発が困難で、初めから DDS として開発しなければい けない場合(Visudyne、ADCETRIS(SGN-35)、Kadcyla(T-DM1)、核酸医薬等)がある。 表2-2-1.既存薬/新薬のDDS開発の特徴 2) 既存薬のDDS開発 (特許の切れた自社・他 社の既存薬をDDS化) 製品例 AmBisome,DaunoXome, Doxil,DepoCyt, Marqibo, SMANCS等 先行新薬のDDS開発 (既存剤形での新薬開発が先 行し、後追いでDDSを開発) Leuplin, PegIntron, Pegasys, Neulasta(PEG-G-CSF), Mircera(PEG-EPO)等 新薬のDDS開発 (既存剤形での新薬開発が困難 で、初めからDDSとして開発) Visudyne, ADCETRIS(SGN-35), Kadcyla(T-DM1), 核酸医薬等 動物実験 対照として既存薬・先行新薬自体も同時に評価する必要もあるが、 一方で、割愛できる実験が多数あり効率的な開発ができる 新薬単独との比較試験も必要であ り、新 薬 単 独 時 よ りも 余 分 な実 験 が必要となる 臨床開発 既存 薬の臨 床評 価が固まっている ので、DDSの有 用 性 を追 求 しやす い 新薬開発と同じリスクを背負う 開発スピ ード 薬価 ※ (日本の 場合) その他 事業機会 先 行 新 薬の評価が固まりつつあるの で、DDSの有用性を追求しやすい 速くはない (DDS技術の具現化が遅い) 速い (DDS技術の具現化が速い) 今までは、基準薬(既存薬)を 基準に薬価算定されると、 高薬価は期待できなかった → 今は改善方向 高い薬価は期待できる(DDSの薬価というより、新薬としての薬価) 新薬指向の強い日本の大手新薬 メーカーには受け入れられにくい 先行新薬自体がドロップした場合、 運命をともにする場合が多い DDS技術ベンチャー、ジェネリック メーカー、大手メーカー 新薬の欠点自体をDDSでも 克服できない場合もある 先発メーカー/DDS技術ベンチャー ※ 日本、フランスでは(DDSも含めて)薬価は国が算定。一方、米国、英国、ドイツでは開発企業が自分で自由に価格設定でき る自由価格制度。 2006年以後、日本でも既存薬DDSの薬価は市場での価値を元に算出する方向に改善されている(例:AmBisome, Doxil など)。 4)主な注射用 DDS 技術の用途と開発状況 ナノ DDS 医薬品の主なものとしては、(1)可溶化製剤(ナノクリスタル、シクロデキストリン、アル ブミン結合体、リポソーム、エマルションなど)、(2)コンジュゲート製剤(リガンド結合医薬、高分子 化医薬、ペプチド結合医薬、抗体結合医薬など)、(3)PEG 化製剤、(4)微粒子化製剤(高分子ミ セル、リピドマイクロスフェア、リポソーム、ナノパーティクルなど)の他、ゲル化製剤、デンドリマー、カ ーボンナノチューブ(フラーレン)などが存在する。 DDS 製剤には、ナノレベルの微細技術(ナノテクノロジー:一般に、10~100nm を指すことが多 い)が使用され、ナノ DDS 化に成功した医薬品では売上を大きく伸ばした例も認められており、メ ガ企業からベンチャー企業まで、幅広い企業で研究開発が進められている。 115 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 表 2-2-2.主な注射用 DDS 技術 2) 開 発 状 況 ( ◎: 上 市 品あり, ○: 臨 床 試 験 中, △: 前 臨 床 試 験 中 ) DDS 技 術 可溶化 放出制御 (局 所 作 用) 放出制御 (全 身 作 用) パッシブ ターゲティ ング アクティブ ターゲティ ング 核酸 デリバリー 上市医薬品 / 販売会社 下 線 は臨 床 開 発 品 / 開 発 会 社を示 す ナノクリスタル, 超臨界流体法等 ◎ [NanoCrystal]/Elan/Alkermes [Nanoedge]/Baxter シクロデキストリン ◎ Prostandin [α-CyD]/Ono,Itrizole [HP-β-CyD]/Janssen, Vfend/Pfizer アルブミン結 合 体 ◎ Abraxane/Abraxis BioScience,Celgene Albuferon,Zalbin/Human Genome Sciences, GSK ○ リガンド結 合 医 薬 高分子化医薬 ◎ ペプチド結 合 医 薬 (PDC) 抗体結合医薬 (ADC) ○ Vintafolide/Endocyte,Merck ○ SMANCS/Astellas, NKTR-102/Nektar XMT-1001/Mersana,HA-Irinotecan/Audeo ○ ADIPOTIDE,TP-01/Arrowhead GRN1005,ANG1005/Angiochem ◎ Zevalin/Byer, Mylotarg/Wyeth, Adcetris/Seattle Genetics, Millennium,Takeda, Kadcyla,T-DM1/Genentech PEG 化タンパク ◎ PegIntron/Schering-P, Pegasys/Roche, Macugen/Eyetech, Neulasuta/Amgen レシチン化 タンパク ○ PC-SOD/LTT Bio-Pharma 高 分 子ミセル ○ NK105/NanoCarrier, Nippon Kayaku, NC-6300,K-912/NanoCarrier, Kowa リピドマイクロスフェ ア ◎ Palux & 2Liple/ Taisho, Limethason/ Tanabe-Mitsubishi, Ropion/ 3Kaken リポソーム/ リピドナノパーティ クル ○ ◎ ◎ 非脂質系 ナノパーティクル ◎ ○ ○ ○ ○ DepoCyt/Pacira,Marqibo/Hana, Doxil/Alza,AmBisome/Gilead, Visudyne/ Novartis PEG-cAu-TNF/CytImmune Sci., BIND-014)/BIND Therapeutics Gliadel Implant/ Nobelpharma,Eisai, Lupron Depot/Takeda/, Sandostatin LAR/ Novartis 高分子 マイクロスフェア ◎ ◎ ゲル剤 ○ ○ デンドリマー ○ カー ボンナ ノチ ュー ブ,フラーレン △ 非生分解性微粒 子 ◎ 体内 留置 装 置,浸 透 圧 ポンプ ◎ ◎ Ascenda/Medtronic, Viadur/Alza 無 針 注 射 システム ◎ ◎ Biojector/Bioject, Dermo-jet/Robbins △ ○ IFN/Dainippon-Sumitomo, siRNA/Flamel △ VivaGel/StarPharma DC Bead with DOX/ Biocompatibles,Eisai 116 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 (1)可溶化製剤 難水溶性薬物を何らかの手段により、見かけ上可溶化させる手法であり、体内動態は基本的に 変化しない。 ①ナノクリスタル、超臨界流体法等 多数の上市品が存在し、通常の製剤技術手段になりつつある。 しかし、ナノ粒子のまま肝臓・脾臓等の細網内皮系細胞に取り込まれる場合もあるので注意が 必要である。 ②シクロデキストリン(Cyclodextrin:CyD) α-CyD、HP-β-CyD、Captisol 等で可溶化された医薬品が既に多く上市されている。 体内で速やかにリリースされて遊離の薬物になる。CyD 自体の大量投与も可能だが、CyD 由来の腎毒性に留意が必要である。 ③アルブミン結合体 Abraxis BioScience / Celgene の Abraxane (ヒト血清アルブミンに抗がん剤:Paclitaxel を結合したタンパク結合体)が、近年、実用化され、従来製品の可溶化剤由来の副作用が軽 減されて大量投与が可能となったが、EPR*効果はない。 他に、動態制御を意図した Human Genome Sciences / GlaxoSmithKline の Albuferon / Zalbin (IFN-α-2b とアルブミンの化学修飾結合体)が 2009 年にフェーズ 3 臨床試験が終 了したが、その後の対外発表はない。 *) 腫瘍新生血管は血管構造が不整で透過性が亢進し、腫瘍組織はリンパ管からの回収機構 が 不 完 全 な た め に 高 分 子 が 組 織 内 に 滞 留 す る と い う 効 果 を EPR 効 果 ( Enhanced Permeability and Retention)という。 ④その他可溶化技術 リポソーム(血中で不安定な膜組成を利用)などの疎水領域部分に脂溶性薬物を保持させて、 見かけ上の可溶化を行う方法も臨床試験中である。 (2)コンジュゲート製剤 低分子薬物にターゲティング用リガンドを結合させた Active targeting (腫瘍、脳)や血中滞留 性高分子を結合させた Passive/Active targeting が検討されている。 ①リガンド結合医薬(Ligand-Drug Conjugate) 葉 酸 受 容 体 へ の タ ー ゲ テ ィ ン グ を 指 向 し た Vintafolide (Endocyte / Merck; folate-vinblastine) がフェーズ 3 臨床試験中であるが、上市された製商品はまだない。 ②高分子化医薬(Polymer-Drug Conjugate) 血中滞留性水溶性高分子に抗がん剤を結合させて EPR 効果により腫瘍組織に Passive targeting する手法である。 アステラス製薬の SMANCS (抗癌剤のネオカルチノスタチンと高分子化合物のスチレン・無 水マレイン酸共重合物を組合わせた分子量約 15,000 の高分子抗癌剤:分子量が大きいため 一度組織に入ると組織内から血行へ再流出されにくく、主としてリンパ系により回収されるため、 リンパ管の欠如した癌組織に高い蓄積性を示し、選択的抗腫瘍効果を発揮する)が代表例で あるが、2012 年 3 月に経過措置品目に指定され、販売中止となった。 下記の Audeo 社の HyACT 技術は、HA(ヒアルロン酸:腫瘍細胞表面の CD44 はヒアルロン 117 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 酸受容体)を用いた Active targeting を指向している。 表2-2-3.コンジュゲート製剤 - 高分子化医薬 開発品名 開発・販売企業 薬剤 備考 NKTR102 Nektar irinotecan フェーズ3 XMT-1001 Mersana Topo1 阻害剤 フェーズ1 XMT-1107 Mersana/Teva Fumagillin 誘導体 フェーズ1 HA-irinotecan Audeo Oncology irinotecan フェーズ2/3 HA-doxorubicin Audeo Oncology doxorubicin フェーズ1 HA-5FU Audeo Oncology 5FU フェーズ1 ③ペプチド結合医薬(Peptide-Drug Conjugate; PDC) 腫瘍細胞、血液脳関門等に親和性の高いペプチド(Homing peptide) に薬物を結合させて、 これら標的細胞、組織に Active targeting させる手法である。 抗体結合医薬(Antibody‐Drug Conjugate; ADC) よりも安価に製造できることが大きな利 点であるが、上市された製商品はまだない。 ADC と同様に、研究が盛んな技術となっている。 表2-2-4.コンジュゲート製剤 - ペプチド結合医薬 開発品名 開発・販売企業 薬剤 備考 GRN1005 Angiochem Paclitaxel フェーズ2 Adipotide Arrowhead 肥満症治療薬 フェーズ1 脳腫瘍 ④抗体結合医薬(Antibody-Drug Conjugate; ADC) 抗体に薬物を結合させて抗原提示細胞に Active targeting し、細胞内で遊離した薬物が 殺細胞効果を示す。現在、4 つの上市品がある。 ADC は、抗体(ターゲッティング能の他に、細胞内に侵入する活性が必要)、リンカー(細胞 外では安定で、細胞内では切れやすいものが理想)、薬物(臨床試験中のものを含め、ほとん どが強力な殺細胞効果を有する薬物、毒素である)の選択が重要となる。 表 2-2-5.コンジュゲート製剤 - 抗体結合医薬 開発品名 Zevalin yttrium Mylotarg 販売中止 Adcetris SGN-35 Kadcyla T-DM1 開発・販売企業 Bayer /富士フィルムRIファーマ Wyeth /Pfizer Seatle Genetics /Millennium Genentech /Roche 薬剤 放射性医薬品 イットリウム Calcicheamicin Auristatin Emtansine 118 備考 CD20陽性 リンパ腫 CD33陽性 急性骨髄性白血病 CD30陽性 ホジキンリンパ腫 HER2陽性 転移性乳癌 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 (3)PEG 化製剤 体 内 で 不 安 定 で 消 失 の 早 い ペ プ チ ド タ ン パ ク 類 に 、 直 鎖 あ る い は 分 岐 型 の PEG (polyethyleneglycol)分子を 1~数分子結合させることにより、薬物の体内での安定性を向上さ せ、結果的に薬理効果の増強と効果持続時間の延長が期待できる。現在までに上市された PEG 化医薬品は、下記のとおり 11 品目ある。 表2-2-6. PEG化製剤 2) 商品名 Adagen Oncaspar 有効薬物 ※1 開発・販売企業 Enzon Adenosine /Sigma-Tau deaminase Enzon 対応疾患 上市年 重症複合免疫不全 1990 L-asparaginase 急性リンパ性白血病 1994 IFN-α2b C型肝炎 2001 IFN-α2a C型肝炎 2002 /Sigma-Tau PegIntron [Enzon] ※2 /Schering-Plough /Merck Pegasys [Enzon] ※2 /Roche(中外製薬) Neulasuta Amgen G-CSF 好中球減少症 2002 Somavert Pfizer hGH antagonist 先端肥大症 2003 Macugen [Enzon] ※2 Aptamer for anti 加齢黄斑変性症 2004 /Eyetech/Pfizer VGEF Roche(中外製薬) Erythropoietin 腎性貧血 2007 Anti-TNF-Fab クローン病/ 2007/2009 Mircera Cimzia [Enzon] ※2 /UCB/アステラス製薬 関節リウマチ Krystexxa Savient Uricase 慢性痛風 2010 Hematide Affymax Peptide dimer for 腎性貧血 2012 ※3 (Omontys) /Takeda EPO receptor ※1 :アプタマーである Macugen と 抗体である Cimzia 以外はペプチドタンパク質; いずれも薬物作用点は細胞表面 or 細胞外因子 ※2 :ロイヤリティ収入 ※3 :2012年春に米国で販売開始したが,2013年2月に副作用問題で自主回収 (4)微粒子製剤 主に、ナノサイズの微粒子内に薬物を封入させて体内動態を制御する製剤で、放出制御(局所 作用、全身作用)、ターゲティング(Passive, Active)、核酸デリバリー等で検討されている。 ①高分子ミセル(Polymer(ized) Micelles) 粒子径 30 - 80nm PEG などの親水性ポリマーとポリアミノ酸誘導体などの疎水性ポリマーのブロック共重合体の 自己会合で形成されるナノ粒子で、疎水部領域に薬物を封入する。 EPR 効果による腫瘍組織への Passive Targeting を指向している。 119 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 表2-2-7.微粒子製剤 - 高分子ミセル 開発品名 NK-105 開発・販売企業 ナノキャリア 薬剤 備考 Paclitaxel フェーズ3:乳癌 Cisplatin フェーズ3:膵癌 日本化薬 Nanoplatin NC-6004 ナノキャリア フェーズ1:非小細胞肺癌、 Orient Europharma 固形癌 ※ フェーズ1:固形癌 NC-4016 ナノキャリア DAHA-platin 誘導体 NC-6300/K-912 ナノキャリア Epirubicin フェーズ1:固形癌 Canptotecin の フェーズ2後、対外発表なし: 興和 NK-012 日本化薬 活性本体である SN-38 NK-911 ナノキャリア Doxorubicin フェーズ2後、対外発表なし: Topotecan 誘導体 フェーズ2:肝細胞癌、腎細 日本化薬 TLC-388 Taiwan Liposome 乳癌、結腸直腸癌、小細胞 肺癌、多発性骨髄腫 Company 膵臓癌 胞癌 フェーズ1:固形癌 ※:Oxaliplatinの活性本体 ②マイクロエマルション(リピドマイクロスフェア) 大豆油をレシチンで乳化した脂肪乳剤(W/O エマルション)を基剤として、そこに難水溶性薬 物を封入した製剤である。 EPR 効果により炎症組織に Passive targeting する。 代表的な製品は次の通り。いずれも、国内(一部中国、韓国、ドイツ)での販売のみ。 表2-2-8.微粒子製剤 - リピドマイクロスフェア 開発品名 開発・販売企業 Palux 大正 Liple 田辺三菱 Limethason 田辺三菱 薬剤 PGE1 備考 1988年上市 一時、500億円の年間売上 Dexamethazone palmitate Ropion 科研製薬 Flubiprofen axetil 他に、下記の超音波造影剤のように、剤形的には O/W エマルション製剤(Oil 層が空気、ある いは最終的に気体となる perfluorocarbon で、シェル材質として変性アルブミン、脂質、リン 脂質を用いている)のようなものが上市されている。 120 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 表2-2-9.微粒子製剤 -超音波造影剤 開発品名 Albunex 開発・販売企業 Maliinckrodt/塩野義 平均径(μm) 殻材質 気体 4.3 変性アルブミン 空気 (現在販売中止) Levovist Schering/Bayer 2~4 - 空気 Optison GE ヘルスケア 3~4.5 変性アルブミン フッ化炭素 Definity BMS 1.1~3.3 SonoVue Bracco 2.5 脂質+界面活性剤 フッ化硫黄(SF6) GE ヘルスケア/第一三共 3 脂質 フッ化炭素+空気 Sonazoid (Max32) (C3F8)+空気 脂質+界面活性剤 (Max20) フッ化炭素 (C3F8)+空気 ③リポソーム(Liposomes; Lipid Nanoparticles) 粒子径 50nm - 30μm、内水相を有する脂質二分子膜閉鎖小胞である。 核 酸 医 薬 と の 複 合 体 形 成 物 が 必 ず し も 内 水 相 を 有 さ な い こ と も あ り 、 こ ち ら は Lipid nanoparticles と呼ばれている。 放出制御(局所作用、全身作用)と Passive targeting で、現在 14 品目の医薬品が上市さ れている。主な上市品を表 2-2-10 に示す。 121 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 表 2-2-10.世界で上市されたリポソーム医薬品[2013 年 7 月現在]2) 商品名 1 2 AmBisome LTI/Sequus/ALZA,J&J /Amphocil /Zeneca /HAVpur /VIROHEP-A 4 Abelcet 5 DaunoXome 6 7 122 8 9 Crucell/Berna Biotech /Janssen-Cilag TLC/Elan/Enzon Vestar/NeXstar/ Gilead/Diatos Doxil LTI/Sequus/ALZA,J&J /Caelyx /Ortho,Schering-Plough Inflexal V (製剤の形態) 上市時期 上市時期 HSPC/cholesterol/DSPG Amphotericin B /α-tocopherol(凍結乾燥製剤) chelesteryl sulfate* Amphotericin B (凍結乾燥製剤) Inactivated DOPC/DOPE/HA & hepatitis A virus NA glycoproteins (strainRG-SB) (水分散プレフィルドシリンジ) Amphotericin B DMPC/DMPG*(水分散製剤) DSPC/cholesterol Daunorubicin (水分散製剤) HSPC/cholesterol/MPEG-DSPE Doxorubicin (水分散製剤) surface antigens (水分散プレフィルドシリンジ) TLC/Elan Taiwan Liposome Co. (TLC)/TTY Biopharm QLT/Novartis DepoDur SkyePharma/Endo /DepoMorphine /Pacira, EKR DOPC/cholesterol/DPPG/triolein AraC (水分散製剤) eggPC/cholesterol Doxorubicin (キット製品;用時調製) DSPC/cholesterol/MPEG-DSPE Doxorubicin (水分散製剤) Verteporfin eggPG/DMPC(凍結乾燥製剤) DOPC/cholesterol/DPPG/triolein Morphine (水分散製剤) INEX and Enzon /Tekmira SM/cholesterol Vincristine (キット製品;用時調製) /Talon Therapeutics 14 Exparel 日本での /Janssen-Cilag /Pacira Pharmaceuticals 13 Marqibo 世界での lecithin /Savedar 11 Visudyne 脂質組成 Influenza virus SkyePharma Myocet 薬剤 Crucell/Berna Biotech DepoCyt(e) 10 Lipo-Dox 12 Vestar/NeXstar /Gilead Amphotec Epaxal 3 開発・販売企業 Pacira Pharmaceuticals DPPG/Cholesterol/tricaprylin Bupivacaine /DEPC(水分散製剤) *当初リポソーム製剤として臨床開発していたが、AmBisome の特許との関係で、途中からコンプレックス製剤に切り替えた 122 1990 年 2006 年 (16 年遅れ) 1993 年 ― 1994 年 ― 1995 年 ― 1995 年 ― 1995 年 2007 年 (12 年遅れ) 1997 年 ― 1999 年 ― 備考 世界初のリポソーム製剤、世界45 カ国以上で上市. 日本では大日本住友製薬が開発. cholesteryl sulfate とのモル比1:1のコンプレックス製剤. 世界20 か国以上で上市. A型肝炎治療用ワクチンで粒子径150nmのSUV(いわゆるvirosome).筋注, 皮下 注, 皮内注が可.40 か国以上にライセンス. 脂質(DMPC/DMPG = 7:3)とのモル比1:1のコンプレックス製剤.世界26 か国以 上で上市. DSPC/cholesterol 処方リポソーム.世界34 か国以上で上市.カポジ肉腫での 1st-line treatment. ステルスリポソーム.世界80 か国以上で上市. 米国では Ortho(Tibotec)が DOXIL で, 欧州では Schering-Plough が CAELYX で販売. インフルエンザワクチン(virosome)で筋注もしくは皮下注. 粒子径は 200 nm 前後. 世界 43 か国で販売中. マルチベジクルリポソームで 2 週間に一度投与の徐放性製剤.CSF への直接注入によるリン パ腫性髄膜炎治療 欧米加で上市. 2001 年 ― 2001 年 ― eggPC/cholesterol リポソーム.欧州主要国で上市. 主薬ドキソルビシンの封入は pH 勾配法を使用し,ベッドサイドで調製する方法. DOXIL の HSPC を DSPC に置き換えて(脂質モル比は同じ),台湾でのみ承認されてい る. エイズ関連カポジ肉腫, 乳癌, 卵巣癌治療薬. 2001 年 2004 年 (3 年遅れ) 2004 年 ― 2008 年 ― 加齢黄斑変性治療薬で,世界70 か国以上で上市. 日本で初めて上市(2004 年)されたリポソーム医薬品. 粒子径17-23 μm のマルチベジクルタイプの徐放性リポソーム(DepoFoam). 手術時の硬膜外注射(麻酔剤).欧米で認可. 粒子径 100 nm のスフィンゴミエリン / コレステロールの PRG 無し血中滞留型リポソーム (Optisome). 急性リンパ性白血病を対象.欧米で認可. 2011 年 ― 粒子径 24-31 μm のマルチベジクルタイプの徐放性リポソーム(DepoFoam). 手術時の局所麻酔剤で 2011 年米国で認可. 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 可溶化、Active targeting、核酸デリバリーを目的とした臨床試験が実施されているリポソーム 製剤の主なものを表 2-2-11 に示す。 表2-2-11.微粒子製剤 - リポソーム(可溶化、Active targeting、核酸デリバリー) 開発品名 Elacytarabine 開発・販売企業 Clavis 薬剤 備考 AraC 脂質誘導体 フェーズ3: Pharma 失敗? MBP-426 メビオファーム Oxaliplatin フェーズ2: 2B3-101 To-BBB Doxorubicin フェーズ1 : siRNA Alnylam トランスフェリン修飾リポソーム グルタチオン修飾リポソーム フェーズ2 Tekmia ThermoDox Celsion Doxorubicin フェーズ2/3: 温度感受性リポソーム ④その他のナノ粒子製剤 非脂質系のナノパーティクルとして臨床試験中の医薬品を表 2-2-12 に示す。 表2-2-12.微粒子製剤 - その他のナノ粒子製剤 開発品名 開発・販売企業 薬剤 備考 Aurimune CytoImmne Sciences TNF-α フェーズ1実施中 BIND-014 BIND Docetaxel フェーズ2実施中 PEG化金コロイド粒子 高分子の先端にtargeting 用のリガンドが結合 (5)高分子マイクロスフェア製剤 マイクロスフェア医薬品には、以下のような特徴や事例がある。 一定速度で加水分解する高分子マトリックス内に薬物を分散させることにより、血中・組織中 薬物濃度を長期間(1 ヵ月、3 ヵ月、半年間等)一定に維持させることができる長期徐放性注射 剤(代表例:ポリ乳酸グリコール酸共重合体)である。 PLGA(ポリ乳酸グリコール酸共重合体)の放出速度は乳酸:グリコール酸のモル比で制御さ れ、モル比 3:1 が多い。 ペプチド/ステロイドホルモン剤、中枢・精神科領域の低分子薬物が多い。 製剤形態は懸濁剤あるいは埋め込み剤で、投与経路は皮下注あるいは筋注となる(2013 年 1 月に日本で発売になったノーベルファーマ/エーザイの Gliadel だけが手術後の脳内留置用 製剤)。 PLGA のマイクロスフェアの場合、投与後の初期バーストが大きな問題になっている。10 ~ 30 %のマイクロスフェアが投与部位で速やかにバーストすることが知られている。LH-RH ア ナログのようなペプチドホルモンの場合にはこの初期バーストは特に問題にならないが、インス リンのような(目標濃度よりも高すぎても低すぎても危険な)ある種の薬物では、大きな問題にな る。 123 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 表 2-2-13.世界で上市された長期徐放性マイクロスフェア医薬品 2) 商品名 Implanon 開発・販売企業 Shering-P /Merck Etonogestrel Lupron Depot/ Leuplin Takeda/ Leuprolide Lupron Depot/ Abbott acetate Leuplin SR Zoladex LA depot AstraZeneca Suprefact Depot Sanofi Decapeptyl SR Sandstatin LAR Risperdal Consta Vivitrol Bydureon Gliadel Implant Abilify Maintena Ipsen 高分子 薬剤 マトリックス 剤形 Ethylene Implant, vinylacetate 2 x 40 mm, rod Suspension PLA Implant, 1,2 acetate PLGA(95/5) & 1.5mmφ, rod Triptorelin acetate 経路 時間 皮下注 3Y (日 本) 1,3,4, 筋注 6M (欧 米) PLGA(1/1) acetate 徐放 皮下注 PLGA※ (3/1) Goserelin Buserelin 投与 PLGA (3/1) PLGA (3/1) Implant, 1.4mmφ, rod 皮下注 皮下注 備考 Non-biodegradable /Contraception(避 妊 ) LH-RH analogs: Endometriosis, Prostate cancer, etc. 1M LH-RH analogs: 3M Prostate cancer 2,3M LH-RH analogs: Prostate cancer 1,3,6 LH-RH analogs: Suspension 筋注 Suspension 筋注 1M M Prostate cancer Octreotide PLGA(11/9) acetate glucose ester Janssen Risperidon PLGA (3/1) Suspension 筋注 2W Psychotropic agent Alkermes Naltrexone PLGA (3/1) Suspension 筋注 1M Opioid antagonist Exenatide PLGA (1/1) Suspension 皮下注 1W Implant, 頭蓋内 単独 Biodegradable/ after 1.4mmφ, diac 移植 使用 brain tumor surgery Suspension 筋注 1M Novartis Alkermes /Amylin Nobelpharma Carmustine /Eisai (BCNU) H.Lundbeck /Otsuka Aripiprazole Polyfeprosan 20 Carboxymethyl cellulose Somatostatin analogs: Acromegaly, etc. Type 2 diabetes mellitus Non-biodegradable/ Schizophrenia ※:PLGA(ポリ乳 酸グリコール酸 共 重 合 体 )の放 出 速 度は乳 酸 :グリコール酸 のモル比 で制 御され、モル比3:1が多 い (6)その他の DDS 製剤 ①レシチン化 SOD 活性酸素分解酵素 SOD をレシチン修飾し、組織・細胞への結合能を増強して、病変部の活 性酸素を効率的に消去して炎症を軽減する。(LTT バイオファーマ) ②ゲル製剤 コラーゲンやペプチドのゲル製剤を局所投与し、薬物の徐放効果を狙ったものである。 Flamel 社が現在、ポリグルタメート+ビタミン E の高分子を主体としたゲル製剤( INF-α-2b を主体とが主薬の皮下注あるいは筋注)で、フェーズ 2 臨床試験を実施中である。 ③デンドリマー コアの中心分子とデンドロンの側鎖部分から構成される、規則的に分岐した樹状高分子であ る。 124 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 内部あるいは表面に薬物を保持させる方法がある。StarPharma 社が、膣内投与製剤(ゲル 化製剤)で臨床試験中。 表2-2-14.その他のDDS製剤 - デンドリマー 開発品名 astodrimer sodium 開発・販売企業 Starpharma (VivaGel®) dendrimer-docetaxel 薬剤 膣内殺ウイルス作用を有 する第四世代ポリリシンデ Starpharma 備考 細菌性膣症(フェーズ3) 性器ヘルペス(フェーズ2) ンドリマー HIV感染症(フェーズ2) docetaxel のデンドリマー 癌(前臨床) 製剤 SPL-2999 Starpharma DNA 合成 阻害活 性を有 HSV感染症(前臨床) するポリリジンデンドリマー Aβ vaccine Wyeth リ ジ ン と 16 の ア ミ ロ イ ド Perrigo Company β1-15 より成るデンドリマー アルツハイマー病(前臨床) のワクチン CH-4993553 中外製薬 金属を含まず、かつ高分子 高リン血症(前臨床) 構造を持たないデンドリマー のリン吸着剤 ④カーボンナノチューブ、フラーレン 炭素 6 員環ネットワークが単層あるいは多層の同軸管状になった構造物がカーボンナノチュ ーブである。 多数の炭素原子のみで構成された中空な球状クラスターがフラーレンで、生分解性は無い。 化粧品領域では、フラーレンがシミ取り用剤(外用剤)として利用されている。 125 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 5)ナノ DDS 医薬品の将来展望 DDS 医薬品の多くで、微細技術:ナノテクノロジー(通常、10 ~ 100 nm: 1 nm は 100 万分 の 1 mm)が用いられているが、この分野は特にがん治療薬での発展が目覚しい 3) 。 図 2-2-1.ナノDDS製剤技術のサイズ (参考資料 3)、4) を基に作成) 従来の固形癌への薬物送達を目的としたナノ DDS 製剤は、EPR 効果を期待して開発されてき たものが多いが、EPR 効果を利用できない組織を標的とするターゲッティング型のナノ DDS 製剤 では、標的癌細胞にナノ粒子が取り込まれ、薬効成分が分泌される必要がある。 近年、高い注目を集めている siRNA や miRNA 阻害剤などの核酸医薬でも、その実用化の鍵 を握っているのが、核酸分子を標的まで送達し、細胞内で効率的に機能発現させることができるナ ノ DDS 製剤の開発である。核酸医薬の場合、病変患部組織に送達するだけでなく、細胞にナノ粒 子が取り込まれなければならないことから、非常にハードルが高く、多くの製薬企業や研究機関が 研究開発に挑戦しているものの、未だ有用なシステムが開発されていない状況である。 一方、同じく近年、高い注目を集め実用化が大幅に進展していくと考えられるのが、上述でも紹 介した ADC である。2013 年に、HER2 陽性転移性乳癌を適応に実用化された Kadcyla(T-DM1) /Genentech/Roche の成功例のインパクトが大きく、欧米を中心に開発が積極化している 5) 。しか しながら、現在上市されている以下の 2 製品は、Immunogen と Seattle Genetics の ADC 技術 が使われている。また、現在開発中の ADC はフェーズ 1~3 にある 25~30 品目の約 9 割が Immunogen か Seattle Genetics の技術を使った ADC という状況である。 ・T-DM1:HER2+DM1、乳癌、 ・SGN-35:CD30+MMAE、ホジキンリンパ腫 126 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 表 2-2-15.現在臨床開発中の ADC 開発品名 Inotuzumab 開発企業 Pfizer ozogamicin 開発適応症 侵攻型非ホジキンリンパ腫 標的 フェーズ CD22 3 CD79b 2 CD22 2 急性リンパ芽球性白血病 (CMC-544) RG-7596 Genentech DLBCL・濾胞性 非ホジキンリンパ腫{ろほう} Pinatuzumab vedotin Genentech DLBCL・濾胞性 (RG-7593) 非ホジキンリンパ腫 Glembatumumab Celldex 乳癌 GPNMB 2 SAR-3419 Sanofi DLBCL・急性リンパ芽球性白血病 CD19 2 Lorvotuzumab ImmunoGen 小細胞肺癌 CD56 2 BT-062 BioTest 多発性骨髄腫 CD138 2 PSMA-ADC Progenics 前立腺癌 PSMA 2 ABT-414 AbbVie 膠芽細胞腫、 EGFR 1/2 慢 性 リンパ球 性 白 血 病 、多 発 性 骨 髄 CD74 1/2 vedotin mertansine (IMGN-901) 小細胞肺癌、固形癌 Milatuzumab Immunomedics doxorubicin IMMU-132 腫、非ホジキンリンパ腫 Immunomedics 固形癌 TACSTD2 1 (TROP2, EGP1) Labetuzumab-SN-38 Immunomedics 大腸癌 CEA 1 (CD66e) IMGN-853 ImmunoGen IMGN-529 ImmunoGen 卵巣癌、固形癌 Folate receptor 1 1 B 細胞リンパ腫、 CD37 1 慢性リンパ球性白血病、 非ホジキンリンパ腫 RG-7458 Genentech 卵巣癌 Mucin16 1 RG-7636 Genentech メラノーマ Endothelin receptor 1 RG-7450 Genentech 前立腺癌 STEAP1 1 RG-7600 Genentech 卵巣癌、膵癌 非公開 1 RG-7598 Genentech 多発性骨髄腫 非公開 1 RG-7599 Genentech 非小細胞肺癌、卵巣癌 非公開 1 SGN-CD19A Seattle Genetics 急性リンパ芽球性白血病 CD19 1 CD70 1 SLC44A4 1 ETB 非ホジキンリンパ腫 Vorsetuzumab Seattle Genetics mafodotin 非ホジキンリンパ腫 腎細胞癌 ASG-5ME Agensys 膵癌、胃癌 ASG-22ME Agensys 固形癌 Nectin 4 1 AGS-16M8F Agensys 腎細胞癌 AGS-16 1 MLN-0264 Millennium 消化管癌癌癌 Guanylyl cyclase C 1 SAR-566658 Sanofi 固形癌 Mucin1 1 AMG-172 Amgen 腎細胞癌 CD70 1 AMG-595 Amgen グリオーマ EGFRvⅢ 1 BAY-94-9343 Bayer 中皮腫 Mesothelin 1 (AGS-5) 127 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 ADC の作用メカニズムは図 2-2-2 のとおりシンプルで、抗体医薬の腫瘍細胞選択性を活用 して、強力な殺細胞効果をもつ薬剤をピンポイントで投下し、癌細胞だけを狙い撃ちし、有効性と 安全性を大幅に向上させることである。特に必要な 3 要素は、①強力な Drug、②優れた Linker、 ③ADC に適した標的を選定することである。今後、これらの最適な組み合わせにより、毒性が強く 使い難かった既存の化学療法剤を安全かつ少量で優れた効果を示す製剤として再利用し、現在 の化学療法の併用レジメン(標準治療)を全面的かつ大きく変えていく可能性を秘めている。 図 2-2-2. ADC の作用メカニズムと必要な 3 要素 【参考資料】 1) (公財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成 25 年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリン グ記録 エーザイ株式会社 菊池 寛 氏 2013 年 8 月 21 日 非公開 2) DDS 医薬品の開発状況と将来展望 菊池 寛.医薬品医療機器レギュラトリーサイエンス Vol. 44, No. 8, 602-611(2013) 3) JST「先進技術の社会影響評価(テクノロジーアセスメント)手法の開発と社会への定着」プロジ ェクト(2007 ~ 2011) ナノ DDS 医薬品の研究開発と社会への導入の現況 4) Yi Zhao et al. Advanced Drug Delivery Reviews 65, 1763–1783 (2013) 5) Asher Mullard, Nature Reviews Drug Discovery 12, 329–332 (2013) 128 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 2-3.バイオインスパイアードナノ材料の設計と医療応用 1)はじめに 生命システムを構築する分子は、生体内の状況に応じて自己組織化、機能制御、調整する高 度な能力をもっており、このような仕組みが近年分子レベルで明らかになってきた。生体システムに 啓発され、生体の機能システムを人工的に設計し応用する研究分野としてバイオインスパイアード サイエンスが発展している。生体分子を均質な溶液系だけではなくナノオーダーで構造化したナノ 材料を用いて取り扱うことで、様々な医療応用が進められている京都大学工学研究科高分子化学 専攻 秋吉一成らの研究を HS 財団で実施した勉強会の内容を中心に紹介する 1,2)。 2)ナノ材料としてのナノゲルとその構造 (1)ゲルの形成 ゲル(Gel:ジェルとも呼ぶ)とは、溶媒中の溶質が相互作用して 3 次元的ネットワーク(網目構造) を形成して固形化した溶媒・溶質を含む分散系である。身近なものとしては寒天(多糖類)やゼリー (変性コラーゲンのゼラチン)などがあり、ゲルは食品、医薬品をはじめ様々な産業で活用されてい る。従来ある通常のゲルは手に取れるようなマクロなゲルである。 (2)ナノゲル ナノゲルは、溶媒中の溶質が会合したナノサイズのゲル粒子を構成単位と形成している。ナノテ クノロジーが注目され始めた 2000 年以降から知られており、2007~2008 年頃に 100nm 以下の ものを「ナノゲル」とすると IUPAC(国際純正・応用化学連合)で定義された。日本国内では、秋吉 らが最初に「ナノゲル」を使い始めた。 ナノデバイスでは、ナノスケール領域で分子が自己組織化し、構成される構造や機能が自在に 制御できることが重要なアプローチとなる。ナノゲルは、高分子が 3 次元網目構造を形成するため、 高分子間の架橋が必要である。架橋には大きく表 2-3-1 のように化学架橋と物理架橋がある。 表 2-3-1.ナノゲルを形成する架橋 (京都大学 秋吉一成氏提供) 化学架橋 架橋点で炭素-炭素、炭素-酸素、炭素-窒素などの共有結合を形成 架橋の結合は強く解離しにくい。 物理架橋 架橋点の物理的な作用 疎水相互作用、水素結合など非共有結合 架橋点の相互作用を弱めることで、解離させることが可能。 秋吉らは高分子の多糖鎖に疎水性残基を導入して糖鎖間の物理架橋を形成し、疎水化多糖 ナノゲルというナノサイズのゲルを作る方法を見出した。高分子の種類、疎水基の選択によってナノ ゲル粒子のサイズ、密度、内部構造を制御することができる。特に多糖にプルランを用い疎水性残 基にコレステロールを導入したものはコレステロール置換プルラン(CHP)、また CHP ナノゲルと呼 ばれている。プルランは水に溶けやすく、それ自体では会合して構造を作らない直鎖状の糖鎖で ある。これに、疎水基としてコレステロールを導入する(分子量 5 万~10 万位(500 単糖~1,000 単糖)のプルランに 100 単糖当たり 1~2 個位のコレステロールを導入する)。 糖鎖の部分は親水性であり水を保持しており、導入したコレステロールの部分が疎水的に会合 して架橋点を形成し、ナノゲルができることが見いだされた 3 ) 。 129 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 自己組織化する粒子としてリポソーム、高分子ミセル、高分子ナノゲルが挙げられるが、それぞ れの表面荷電、内部の親水疎水領域の構造によって取り込む物質、機能、生体における輸送に は表 2-3-2 に示すように各キャリア粒子の特徴がある。 表 2-3-2. 自己組織化するキャリア粒子 (京都大学 秋吉一成氏提供) リポソーム サイズ 50nm~50μm 両親媒性脂質分子 脂質 2 重膜 高分子ミセル 高分子ナノゲル 数 10nm 親水性高分子と疎水性高分 子のブロック共重合ポリマー 水溶液中では外側に親水性 ポリマー、内側に疎水性高分 子が会合したミセル 20-50nm 疎水化された親水性ポリマー 粒子内部に水分子を含む領 域と疎水基(コレステロール) が会合した領域がある。 架橋領域の相互作用を解除 することでゲルと捕集した物 質を解離・放出できる (3)ナノゲルの特性 タンパク質の取り込み ナノゲルの会合体の大きさや密度等を調べると、直径 20~30nm の非常にサイズが整ったもの ができ、1つのナノゲル粒子には 80~90wt%の水が含まれ、多糖は 10~20wt%程度を占めてい る。ナノゲル粒子にはいろいろなものを取り込めるスペースがあり、種々のタンパク質を取り込むこと ができる。ナノゲルはタンパク質を凝集させずに捕捉し、包接によりタンパク質は安定化する。立体 構造が変性した非天然型タンパク質とより強く結合する。取り込みの駆動力は疎水的会合力(タン パク質の疎水的表面とナノゲルの疎水的架橋領域の相互作用)である。 3)ナノゲルの機能と応用 (1)分子シャペロン機能をもつナノゲル 分子シャペロンは細胞内においてタンパク質・ポリペプチド鎖のフォールディング(折りたたまれた 立体構造)の変性を抑制し、また可逆的に変性したタンパク質も正常なフォールディングに巻き戻 す機能を持っている。タンパク質・ポリペプチド鎖は、リジン・グルタミンなど親水性アミノ酸残基とア ラニン・バリンなど疎水性アミノ酸残基が含まれ、正常な状態では分子表面がほとんど親水性のアミ ノ酸残基であり、疎水性アミノ酸残基を内側にフォールディングすることで安定化されている。異常 なフォールディングをしたタンパク質では疎水性アミノ酸残基が表面に露出しており、変性したタン パク質は疎水性残基によって凝集する傾向がある。分子シャペロンは、タンパク質のフォールディン グ制御を実現するため、以下の巧妙なシステムを構築している(図 2-3-1)。 ①変性(非天然)状態のタンパク質の選択的捕捉 ⇒ 疎水性残基を認識した取り込み ②変性タンパク質の巻き戻りに適した独立した場の提供 ⇒ 他のタンパク質と会合せずに分子 130 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 内の疎水性残基間の相互作用、親水性残基の分子表面への露出によって立体構造を再構 築する場(ナノ空間)を提供する ③分子シャペロンは立体構造を変化させ(ATP を利用)、取り込んだ変性タンパク質を正常なフォ ールディングとした後に放出する可逆的会合を制御している この分子シャペロンの働きに啓発された人工分子シャペロンの機能ナノ材料が疎水化多糖ナノ ゲル(CHP ナノゲル)で実現されている3) 。 図 2-3-1.人工分子シャペロンシステム (京都大学 秋吉一成氏提供) i) 変性して凝集しやすいタンパク質(U)をナノゲルは捕捉する。 ii) ナノサイズのゲルネットワークがタンパク質(U)をナノ空 間に隔離する場を提 供する。タンパク質 (U)は疎水領域、親水領域のあるナノゲル中で安定化される。 iii) シクロデキストリン(CD)を加えることで、ナノゲルの架橋点の疎水基(コレステロール)が CD に包 接されナノゲルに捕捉されたタンパク質(U)はフォールディングされ(N)として乖離する。 (CD によって乖離した CHP は 1-アダマンタンカルボン酸を加えることで CD の包接が解かれる) (2)ナノゲル分子シャペロン機能によるタンパク質の凝集と毒性の抑制 アルツハイマー病(Alzheimer Disease:AD)の主要な病理変化には老人斑と神経原線維変 化があり、その主要構成成分がアミロイドβである。アミロイドβは in vitro でもランダムコイル状か らβシートへと変化する、疎水性が高く凝集しやすいタンパク質である。凝集したアミロイドβによる 神経原線維の形成は、アルツハイマー病の発症メカニズムの重要なステップであると考えられる。 アミロイドβの凝集を阻害することは、AD 治療のための有望なアプローチである。人工シャペロン 機能をもつ CHP ナノゲルを使用してアミロイドβの凝集と細胞毒性の阻害が研究された。 131 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 CHP ナノゲルは、1 粒子当たりアミロイドβ(42 ペプチド)を 6~8 分子まで含有し、アミロイドβの ランダムコイルからα-ヘリックスやβシートに富んだ構造へのコンフォメーション変化を誘導した。 37℃で 24 時間インキュベーション後でもこの構造は安定しており、アミロイドβの凝集は抑制され た。さらに、メチル- β-シクロデキストリンの添加によってナノゲルは解離し、単量体のアミロイドβ 分子を放出した。また、正電荷を帯びたアミノ基を導入した CHPNH2 ナノゲルは生理的条件下で CHP ナノゲルより大きな阻害効果を示した。この結果はアミロイドβとナノゲルの間の静電相互作 用の重要性を示唆し、CHPNH 2 ナノゲルは、アミロイドβの毒性から神経モデル細胞(PC12 細 胞)を保護した。蛍光標識したナノゲルを用いて荷電の違いによるアミロイドβ凝集と細胞毒性も評 価されている 5,6) 。 (PC12 細胞は、ラット副腎髄質由来の褐色細胞腫株。神経成長因子(NGF)を作用させると樹状 突起を伸ばす神経細胞分化のモデル細胞として用いられる。) (3)熱変性タンパク質の再生 熱変性した酵素を効果的にリフォールディングして酵素活性を再生させるという生体内の分子シ ャペロンと同様のメカニズムが、CHP ナノゲルとシクロデキストリンを用いて構築できている。炭酸脱 水酵素 B(CAB)は 55℃以上の温度から熱変性により酵素活性は低下する。 CAB 溶液を 70℃、10min で熱変性させると失活し、凝集体を形成し溶液は白濁する。CAB 溶 液に CHP ナノゲルを加えると、CAB とナノゲル粒子の間の複合体が形成し 70℃-10min で加熱し ても CAB の凝集は防止された。この複合体の酵素活性は失活しているが、β-シクロデキストリンを 添加すると、ナノゲルの自己集合体の解離によって CAB は放出された。放出された CAB は、天然 型にリフォールディングされ、酵素活性のほぼ 100%の回収が達成された。CAB はフォールディン グされていない形でナノゲルに捕獲される熱安定性が大幅に改善されており、ナノゲルから放出さ れる過程で、天然の活性をもつ構造にリフォールディングされている 7) 。 4)ナノ医療のためのナノゲル工学 生体システムは、細胞膜のようにタンパク質、脂質が自己組織化し、シグナル伝達、エネルギー 産生、細胞間伝達などの洗練された生物学的機能を示す。生体成分が形成する超分子集合体の 概念に従って、高度な生体機能材料を構成部分からボトムアップで設計することが主流となってい る。自己組織化したナノゲル粒子をビルディングブロックとすることで、カプセルやシートなどいろい ろな構造体(ナノゲルテクトニクス)を構築して DDS や再生医療材料へ応用することが考えられる。 CHP ナノゲルはコレステロール置換基の疎水的会合力で自己組織化するが、疎水的会合力の 他に、静電的相互作用、水素結合、配位結合など非共有結合性の種々の機能残基を導入するこ とができる。カチオン性の機能性残基を導入すれば、水溶液中では負の電荷を持ち細胞内への送 達が難しい siRNA のデリバリーをすることもできる。さらに多糖鎖、抗体、細胞接着性タンパク質の RGD モチーフ(Arg-Gly-Asp)を導入するなど、新たな機能を付加することも可能である。 CHP ナノゲルは物性的にも特徴を持っている。凍結乾燥すると安定な粉末になり、徐々に水を 加えて 30mg/ml 程度になると全体がゲルになる、これは高分子ミセルにはない性質で注射製剤と して利用できる。ナノゲルの 1 粒子は人工シャペロンのように蛋白質・ペプチドを安定的に保持し、 内包成分の放出が不安定な他のマクロゲルとは異なり、均質なナノゲル構造によって効果的な徐 放化がなされる。このような特徴を持ったナノゲルをビルディングブロックとするため、反応性のアク 132 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 ロイル置換やメタクロイル置換が用いられている。アクロイル置換ナノゲルとチオール基を持つポリ エチレングリコール(PEG)を共有結合させ、様々なハイブリッドゲルが形成されている(図 2-3- 2)。 図 2-3-2. ナノゲル工学 ナノゲルを用いた構造体と DDS・再生医療への応用 (京都大学 秋吉一成氏提供) ナノゲル工学、機能性ナノゲルの合成によってもたらされるがんワクチン・経鼻ワクチンの課題解決、 再生医療への応用を以下に説明する。 (1)がんワクチン がん細胞が特異的に発現しているがん抗原の発見は、がんワクチン・免疫細胞療法の開発を可 能にした。免疫細胞療法は、がん抗原と末梢血免疫細胞を培養し、体外で患者のがん細胞に対 するがん免疫を誘導してから患者に移入する療法である。がんワクチンはがん抗原、またはがん抗 原と免疫活性化物質を投与し、患者体内のがん細胞に対するがん免疫を惹起する治療的なワク チン療法である。腫瘍免疫を惹起するため効果的ながん抗原を選択し、安定的なワクチン製剤とし、 投与によって腫瘍免疫を誘導する場(リンパ節)への輸送などの機能が望まれる。 ① がん抗原 がん抗原ペプチド、タンパク質を用いたがんワクチンが開発されているが、従来の一般的なペプ チドワクチンは、エピトープペプチド(短鎖)ワクチンである。その問題点として、ペプチドに反応する 細胞傷害性 T 細胞(cytotoxic T lymphocyte; CTL)活性を誘導しても、がん細胞を認識できるク ローンを誘導する効率が低いこと、また、短鎖ペプチドに対する免疫寛容(トレランス)を誘導し、結 果的に腫瘍の増大につながることが報告されている。このような短鎖ペプチドワクチンの問題点から、 133 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 がん抗原にはヘルパーT 細胞(Th) への Th エピトープと CTL エピトープペプチドが必要とされて おり、さらに 2 つのエピトープペプチドを混合して投与するよりも、両者を結合させた長鎖ペプチドや 本来の抗原タンパク質として投与すると有用性が高いことが知られている。今後、長鎖ペプチドワク チンは優れた免疫学的な特性を持つことから、これからのワクチン開発の主流を担うと考えられてい る。 ② タンパク質がん抗原(NY-ESO-1) NY-ESO-1 抗原は、1997 年に、SEREX 法により食道癌から見出されたがんタンパク質抗原で ある。各種腫瘍で 5~40%程度発現し、強い免疫原性を持つことが知られており、がん免疫療法 の標的分子として期待されている。NY-ESO-1 には、CTL と Th に対する両エピトープ領域がオー バーラップして存在している。 ③ CHP ナノゲルを用いたタンパク質(NY-ESO-1)ワクチン タンパク質ワクチンの問題点は凝集して沈殿してしまうため、安定した製剤にならないことであっ た。秋吉らは CHP ナノゲルとの複合体とすることによってタンパク質を安定な製剤としている。岡山 大学と大阪大学において、CHP ナノゲルと NY-ESO-1 蛋白との複合体(CHP-NY-ESO-1)を用 いたがんワクチン療法第Ⅰ相臨床試験が、進行食道癌・前立腺癌・悪性黒色腫患者 13 症例を対 象として実施された 7) 。CHP-NY-ESO-1 臨床試験を実施している溶液状態でも 1 年程度の保存 期間が確保されている。 ④ CHP ナノゲルのイムノトランスポーター機能 CHP ナノゲルを用いたワクチンのもう一つの利点は、皮下注射で投与した抗原を含むナノ粒子 がリンパ節に輸送されることである。この機能は、ナノゲル粒子のサイズにもかなり依存している。 CHP ナノゲルは抗原の輸送担体であり、この働きをイムノトランスポーター機能といっている。リンパ 節は免疫成立の重要な場であり CHP ナノゲル-がん抗原の複合体は投与箇所の近傍のリンパ節 に輸送され、高い効率で樹状細胞に取り込まれ強力な腫瘍免疫を誘導する。 (2)経鼻ワクチンへのカチオン化 CHP ナノゲルの利用 注射によらない粘膜ワクチンは安全かつ簡便な次世代ワクチンとして注目されている。粘膜ワク チンを用いて抗原特異的免疫応答を誘導するためには、抗原と粘膜アジュバントを同時に投与す ることが必要であるが、粘膜アジュバントとして使用される毒素関連タンパク質(コレラ毒素 CT、無 毒化コレラ毒素 mCT)が脳・嗅球に移行するおそれがあり、安全性に課題があった。この課題を解 決するため、カチオン型 CHP(cCHP)からなるナノゲルを用い鼻腔内ワクチンデリバリーシステムが 開発された。ボツリヌス菌型神経毒 BoHc/A の非毒性サブユニットの断片と cCHP ナノゲルのワク チン製剤(cCHP-BoHc/A)を鼻腔内に投与すると、製剤は鼻上皮に付着し、効果的に cCHP ナノ ゲルから抗原は放出され粘膜樹状細胞に取り込まれた。また粘膜アジュバントの共投与なしに活 性型ボツリヌス神経毒-A に対する血清 IgG および分泌性 IgA の抗体産生の応答が誘導されてい た。ここで重要な点は、鼻腔内に投与したワクチン製剤(cCHP-BoHc/A)は嗅球や脳内に蓄積せ ず安全性の課題を解決しており、さらに粘膜アジュバントを必要としない cCHP ナノゲルは経鼻ワク チンのための普遍的なタンパク質抗原の送達担体として使用することができることを示している9) 。 ・細胞トラッキングの評価 抗体などタンパク質を結合させた量子ドット(QD)を用い、QD 単体、QD 担持リポソーム、QD 内包 ナノゲルを作成し細胞への導入効率を比較した。QD 内包ナノゲルは最も高い導入効率が認めら 134 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 れている10) 。 (3)再生医療 外傷、骨折などで欠損した組織の再生医療を実現する要素としては、細胞、細胞分化・増殖因 子、足場材料の 3 要素が必要とされる。組織再生には大量の細胞が必要であり、移植以外では 体内の細胞による再生には時間がかかる。そのため増殖因子と足場材料による組織再生が必要と されている。増殖因子は半減期が短く不安定であることから、活性に安定保持し組織が再生する 期間にわたって徐放する材料が求められる。一般的なマクロゲルは、構造が不均一であり放出を 制御することが困難であり、長期間では活性の低下や変性も問題として残されている。 i) アクリロイル基置換 CHP ナノゲルとチオール基末端を有する 4 本鎖分枝ポリエチレングリコ ール(PEG)で生分解性のナノゲル架橋ヒドロゲルを骨再生のマトリックスとする検討が行わ れた。マウス頭頂部の骨欠損モデルにおいて骨形成タンパク質(BMP)を封入したナノゲル 架橋ヒドロゲルは効率的に BMP を送達して骨芽細胞による骨再生を促し、汎用的な足場と して機能している11) 。 ii) ナノゲル架橋ヒドロゲルに 2 つの増殖因子、骨形成タンパク質(BMP2)および組換えヒト線 維芽細胞増殖因子(FGF18)を封入し、マウス頭蓋骨骨欠損モデルに適用した。このゲルの 周囲には骨前駆細胞の浸潤を誘導し、BMP2 依存的に骨修復を安定化した。正常に効果 的な骨修復を誘導するために、2 つの異なるタンパク質を提供できることを示した 12) 。 5)プロテオリポソーム 細胞は細胞膜を隔てて物質の取り込み、放出・情報の伝達、また細胞間の接着や分離といった 働きをしている。細胞膜は主にリン脂質による二重層と、膜タンパク質、糖鎖で構成されている。細 胞膜を構成しているリン脂質を用いて作られる人工の微粒子がリポソーム(表 2-3-2)である。リ ポソームは細胞膜と同様の脂質二分子膜を持ち、内部に水溶性・脂溶性の薬物を包含し、輸送担 体とすることが出来る。リポソームの脂質二分子膜に細胞の膜タンパク質を担持させたものがプロテ オリポソームである。 細胞の膜タンパク質の種類は全タンパク質の 30%程度であり、構造タンパク質、細胞接着因子、 膜酵素、受容体、トランスポーターなどの機能を有している。これら機能を有する膜タンパク質をリポ ソ ー ム へ 導 入 す る こ と で 薬 物 輸 送 担 体 ( DDS キ ャ リ ア ) に 求 め ら れ る 生 体 適 合 性 (biocompatibility)、標的送達性(目的の組織への薬物送達)、外部環境のモニタリング・センサ ー、特定物質の探索、運動性、薬剤の制御放出などの機能性を持たせることが期待できる。 (1)無細胞蛋白合成系を用いた直接膜組み込みプロテオリポソーム 細胞間情報伝達を行う分子に膜タンパク質のコネキシン(connexin)がある。コネキシンは、膜内 で輪状の 6 量体を形成し、さらに細胞間でコネキシン 6 量体同士が結合し、分子量約 1,200 以下 の分子が相互に通ることができる連絡通路を形成する(図 2-3-3)。コネキシンによる細胞間の結 合(ギャップ結合)は骨格筋を除くあらゆる組織細胞にみられる。 秋吉らは大腸菌から単離された最小のタンパク質合成因子を用いて膜タンパク質コネキシン 43 (Cx43)を発現させる系に、リポソームを添加することで、膜タンパク質を直接組み込む方法を報告 している 13) 。 135 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 図 2-3-3.プロテオリポソーム工学 無細胞蛋白合成系を用いた直接膜組み込み (京都大学 秋吉一成氏提供資料より HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) (2)人工分子シャペロン機能を持つシステム設計と膜タンパク質を構築したリポソーム バイオ医薬などタンパク質の高次構造を変性させずに保つことは、医薬品の品質に重要である ことはナノゲルの分子シャペロン機能(本節 3)の①)でも述べた。膜タンパク質もリン脂質の二分子 膜によって安定な高次構造を保っている。膜を構成するリン脂質は疎水性と親水性の両親媒性の 分子であるが、生体膜と同様に自己組織化する分子の両親媒性を操作することで、変性したタン パク質を正常なフォールディングとする人工的なシャペロン分子が設計されている。 アルキル化アミロースプライマー(ドデシルマルトペントース、C12-MP)は疎水基として炭素数 12 のアルキル鎖(ドデシル基)と親水基としてオリゴ糖鎖(マルトペントース αグルコース 5 単糖)をも つ両親媒性分子である(図 2-3-4)。界面活性剤と同じくこの両親媒性分子は、一定の濃度から 自己組織化しミセルを形成する。変性したタンパク質に C12-MP を加えると、タンパク質と C12-MP は複合体を形成する(図 2-3-5)。 図 2-3-4. アルキル化アミロースプライマー(ドデシルマルトペントース、C12-MP)と αグルコース 1 リン酸(G1P) (京都大学 秋吉一成氏提供資料より HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) 136 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 図 2-3-5. 酵素反応型人工分子シャペロンシステム (京都大学 秋吉一成氏提供資料より HS 財団 創薬技術調査 WG で作成) タンパク質 と 12C-MP の複 合 体 は、αグルコース 1 リン酸 (G1P)とホスホリラーゼによって 12C-MP の親水基である糖鎖が伸長される(図 2-3-5)。糖鎖の伸長によって両親媒性のバラン スが変化しタンパク質との複合体は乖離される。この過程で変性したタンパク質は、正常な立体構 造に再フォールディングされるように設計されたシステムである。この酵素反応型人工分子シャペロ ンシステムによって変性して失活した酵素(炭酸脱水酵素 B(CAB))の活性が回復されている 14) 。 また、膜タンパク質であるバクテリオロドプシンのリポソーム膜への機能的構築に成功している 15) 。 (3)遺伝子組み換えバキュロウイルス融合法によるプロテオリポソーム バキュロウイルスベクターは、昆虫細胞を宿主とする発現ベクターであり、遺伝子組み換えによる 膜タンパク質を発現させるとバキュロウイルス由来の出芽ウイルスエンベロープ上に機能を維持した まま発現されることが知られている。秋吉らは、細胞接着因子である N-カドヘリン(CDH2)タンパク 質を、バキュロウイルスベクターで発現させ、リポソームと融合させ、リポソーム上に CDH2 を再構成 した。CDH2 出芽ウイルスは dioleoylphophogycerol/dioleoylphosphatidylcholine (DOPG/DOPC)の巨大リポソームと融合し、リポソーム膜上の CDH2 の局在は共焦点レーザー蛍 光顕微鏡で観察された。 CDH2 はカルシウムイオン(Ca 2+ )依存的に働くため、複数の CDH2 リポソーム同士は、Ca 2+ 依 存的に会合した。また CDH2 を媒介するリポソーム間の結合と解離の反応は、カルシウムイオンに 固有で可逆的であった。CDH2 を発現する LN-229(神経膠芽腫由来細胞)に、CDH2 発現リポソ ームは取 り込 まれ(エンドサイトーシス)、一 部 はエンドソームからも脱 出 することが観 測 された。 CDH2 発現リポソームは細胞標的リポソームとして高い可能性がある 16) 。 137 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 【参考資料】 1) (公財)ヒューマンサイエンス振興財団平成 25 年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリング 記録 京都大学工学研究科(JST-ERATO 秋吉バイオナノトランスポータープロジェクト) 秋吉一成氏 2013 年 8 月 16 日 非公開 2) 佐々木 善浩、秋吉一成ら ナノゲルを基盤材料とするナノバイオエンジニアリング 人工臓器 39 巻 3 号(2010) 3) K. Akiyoshi et al., Self-Aggregates of Hydrophobized Polysaccharides in Water. Formation and Characteristics of Nanoparticles Macromolecules 26, 3062(1993) 4) http://www.jst.go.jp/kisoken/presto/complete/soshiki/theme/first_r/01akiyoshi/ link02.htm 5) Matsuzaki K., et al. inhibition of the formation of amyloid beta-protein fibrils using biocompatible nanogels as artificial chaperones. FEBS Lett. 580(28-29):6587-6595. (2006) 6) Boridy S., et al. The binding of pullulan modified cholesteryl nanogels to Aβ oligomers and their suppression of cytotoxicity Biomaterials 30, (29) :5583–5591 (2009) 7) Akiyoshi K., et al. Molecular Chaperone-Like Activity of Hydrogel Nanoparticles of Hydrophobized Anhydrase B Pullulan: Thermal Stabilizationwith Refolding of Carbonic Bioconjugate Chem.10 (3): 321–324 (1999) 8) http://immunoth.umin.jp/execution/ny_eso/index_04.html 9) Nochi T., et al. Nanogel antigenic protein-delivery system for adjuvant-free intranasal vaccines. 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J.Am.Chem.Soc.129:458-459 (2007) 16) Kamiya K., et al. Biomaterials.Cadherin-integrated liposomes with potential application in a drug delivery system. 32(36):9899-9907 (2011) 138 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 2-4.多機能性エンベロープ型ナノ構造体の開発とナノ医療への応用 1) 1)はじめに 1950 年代に幕を開けた分子生物学の劇的な変遷に伴い、抗体や Growth factor などのタンパ ク質、遺伝子などの多岐にわたる高分子もバイオ医薬品として用いられるようになってきた。さらに、 近年、効率的に特異的な遺伝子ノックダウンを引き起こす RNAi(RNA interference)現象が発 見されてから、二本鎖の siRNA(small interference RNA)の医薬への応用が期待されている。 特に、遺伝子治療や siRNA はバイオインフォマティクスの発展と相成って、がんなどの疾患の「個 性」にも対抗可能な有力な手段として大きな期待がかかっている。一方、実際にそれらを治療に応 用する上では最適な細胞内部位に到達させるためのデリバリー技術がないことがボトルネックにな っているのが現状である。高分子を体内の目的の場所に到達させ、機能させる技術は 21 世紀の 最大の技術革命になると考えられ、新たな医療を開く突破口となると考えられる。特に、遺伝子や siRNA などの核酸医薬品は高い負電荷を帯びた分子であり、細胞表面の負の膜電位との反発を 受けるために細胞への取り込み過程が大きなバリアとなる。さらに、送達させる高分子によって、細 胞内に送達させるべきオルガネラを考慮する必要がある。例えば、siRNA が機能するためには、細 胞質に存在する RISC 複合体に認識される必要がある。同様に、細胞性免疫を誘起するためには 抗原を細胞質に輸送し、プロテオソームによって積極的に分解を受ける必要がある。一方、プラスミ ド DNA を送達する遺伝子治療においては、転写を受ける部位である核まで送達させる必要がある。 コエンザイム Q10 などはミトコンドリアが標的となる。このように、次世代の医療を考える上で、よりミ クロな視点から作用メカニズムを考え、特定の細胞内小器官に輸送するための細胞内動態制御が 重要な課題となる。細胞内動態を制御するときに問題となることは、その動きを定量的に捉える技 術が困難な点である。そのため、どの過程が律速段階かという点がブラックボックスのまま開発が進 んでいることが多い状況である。 本節では、多機能性エンベロープ型ナノ構造体の開発と医療への応用について北海道大学薬 学研究院 原島秀吉教授が HS 財団で実施した勉強会の内容を中心に紹介する。 2)ナノキャリア細胞内動態の定量的イメージングによる律速段階同定とメカニズム解明 遺伝子デリバリーシステムを成功させるためには標的細胞への結合、標的細胞における細胞内 取り込み、エンドソームからの脱出、遺伝子の核内への移行、核内転写といった多様な細胞内動 態の各過程の最適化が必要となる(図 2-4-1) 2) 。 139 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 図 2-4-1.人工遺伝子デリバリーシステム開発 (北海道大学 原島秀吉氏 提供) 人工ベクターは安全性の高いベクターとして期待がかかるものの、ウイルスベクターと比較して発 現効率の低さがネックとなり臨床応用が著しく制限されている。人工ベクターの遺伝子発現効率を ウイルスと同等のレベルまで上げるためには細胞内動態のどの過程がどれだけ劣るのかを明らかに することが重要である。そこで、ウイルスベクターと人工ベクターの遺伝子発現の各過程を定量的に 比較することにより、人工ベクターの発現効率が低い原因について検討がなされている(図 2-4- 2)。 図 2-4-2.ウイルスベクターと非ウイルスベクター (北海道大学 原島秀吉氏 提供) 原島らは、ウイルスベクターと人工ベクターの違いを定量的に比較し律速段階を調べるために、 140 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 細 胞 内 動 態 を イ メ ー ジ ン グ に よ っ て 定 量 的 に 解 析 す る た め の 方 法 で あ る Confocal Image-assisted 3- Dimensionally Integrated Quantification ( CIDIQ ) 法 を 開 発 し 、 Real-Time PCR を組み合わせることで、ウイルスベクターと非ウイルスベクターの細胞内動態比較 を行った(図 2-4-3) 3 ) 。 図 2-4-3.CIDIQ 法による細胞内動態のイメージング (北海道大学 原島秀吉氏 提供) その結果、転写(transcription)で 16 倍、翻訳(translation)で 460 倍と、翻訳段階で大きな 差になっていることが分かリ、ウイルスベクターと非ウイルスベクターの細胞内動態の違いが詳細に 解明された(図 2-4-4)。 図 2-4-4.ウイルスベクターと非ウイルスベクターの定量的比較 (北海道大学 原島秀吉氏 提供) 141 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 3)多機能性エンベロープ型ナノ構造体(MEND)の開発 外来遺伝子を標的とする組織、さらには細胞の核まで到達するためには、体内動態と細胞内動 態の両者に関わる多くのバリアを突破する必要がある。これらのバリアを突破するための機能性素 子が開発されているが、核内まで遺伝子を送達するためには、全てのバリア突破に必要な素子が 効率よく機能できるような形で一つのパーティクルに備えなければならない。 そのための新しい設計理念として、原島らは「Programmed Packaging」を提唱している。この コンセプトは、①体 内 動 態 ・細 胞 内 動 態 メカニズムに立 脚 した各 バリア突 破 のための戦 略 立 案 (Programming)、 ②戦略を実現するための新規機能素子及びそれらを合理的に配置したキャ リアの設計(Design)、③高度機能性キャリアの構築(Assembly)、からなる。このコンセプトに基づ い た 遺 伝 子 デ リ バ リ ー シ ス テ ム と し て 多 機 能 性 エ ン ベ ロ ー プ 型 ナ ノ 構 造 体 ( multifunctional envelope-type nano device:MEND)を開発している(図 2-4-5) 4) 。 図 2-4-5.Programmed Packaging と多機能性エンベロープ型ナノ構造体(MEND) (北海道大学 原島秀吉氏 提供) ウイルスには構造的にエンベロープ型のウイルス(インフルエンザウイルス、エイズウイルスなど)と 非エンベロープ型のウイルス(アデノウイルスなど)の 2 種類がある。これらウイルスの細胞内動態制 御はエンドソームからの脱出が 1 つの鍵であり、膜融合によって通過する。アデノウイルスには膜が 無いため膜融合はできないが、detergent のように膜を破って出てくる。原島らは膜融合型の機能 を以下のコンセプトにてデザイン・分子設計している。 まず、受容体介在エンドサイトーシスで細胞に入り、エンドソームで脱出するために、トランスフェ リンレセプターをターゲットとするシステムを作った。 次に、細胞透過性ペプチドとして知られている Tat ペプチドを利用した。このペプチドは、エイズ ウイルスの中にある配列で非常に細胞透過性が良いことが知られている。二木らは、Tat ペプチド にアルギニン(R)が多く含まれていることに着目し、アルギニンの数を変化させることで細胞透過性 を向上させることを見出していた。その中でも 8 個のアルギニンが最もよく、この機能を MEND に取 り入れている。すなわち R8 に疎水性基を結合させたものをリポソームに取り込ませ、R8-MEND を 142 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 作製した(図 2-4-6) 5) 。 図 2-4-6.R8-MEND (北海道大学 原島秀吉氏 提供) この R8-MEND は、リポソーム中の密度を変化させることにより、細胞内への取り込み経路を変 える性質を持つ。低密度ではクラスリン介在性エンドサイトーシス、高密度ではマクロピノサイトーシ ス経由でマクロピノソームとなっており、どちらも酸性コンパートメントを経由して取り込まれる。低密 度では分解経路に入るが、高密度では脱出して核周囲まで移行するため、遺伝子デリバリーに使 える特性を持っていることになる。実際、トランスフェクションによる遺伝子発現レベルでは、アデノウ イルスと同等の活性を示しており、論理的な設計に基づきウイルスと同等のシステムを構築すること ができている(図 2-4-7) 6) 。 143 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 図 2-4-7.ウイルスベクターと R8-MEND のトランスフェクション活性 (北海道大学 原島秀吉氏 提供) R8-MEND は マ ウ ス 由 来 免 疫 担 当 細 胞 で あ る Bone marrow-derived dendritic cells (BMDC)に遺伝子導入した際に、核移行しないことが分かり、核移行を促進する機能を持たせる 必要があった。エンドソーム膜を膜融合で脱出し、核膜も膜融合で脱出するためには、外側はエン ドソーム膜と融合性の高い膜、内側は核膜と融合性の高い膜でパッケージされている必要がある。 そこで、単離してきた核を使用し、FRET(Fluorescence Resonance Energy Transfer)による膜 融合の定量的な評価を行ったところ、外側はエンドソーム膜との融合性の高いフォスファチジン酸、 内側は核膜融合性が高いカルジオリピンという異なる脂質組成でパッケージしたシステムが出来上 がった。これらは、Multi-layered MEND(T-MEND)と呼ばれており、従来の MEND に比べ、そ の遺伝子発現活性を 500 倍に押し上げている(図 2-4-8)。 144 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 図 2-4-8.T-MEND への展開 (北海道大学 原島秀吉氏 提供) た だ し、 T-MEND で は 抗 原 提 示 能 が 不 足 して お り 、 さら なる 改 良 が 必 要 で あ っ た 。 GALA (Glu-Ala-Leu-Ala の繰り返し構造を基本とした 30 個のアミノ酸ペプチド)は中性ではランダムコイ ルで、酸性ではαへリックスになる特性がある。その逆の特性を持つ KALA(Lys-Ala-Leu-Ala の 繰り返し構造を基本とした 30 個のアミノ酸ペプチド)を膜融合性の素材として使用し、さらに核内で の転写や翻訳を促進するため、あえて核膜孔を通過しにくい、N/P ratio の低いマイナスの粒子を 採用した(図 2-4-9)。 図 2-4-9.KALA-T-MEND への展開 (北海道大学 原島秀吉氏 提供) 145 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 その結果、KALA-T-MEND は遺伝子発現活性が飛躍的に向上し、今までのどの非ウイルスベ クターも成し得なかった抗原提示ができるようになった 7) 。実際に、MHC のクラス 1 で抗原提示し、 キラーT 細胞が誘導でき、がん細胞を殺せるようになった(図 2-4-10)。このシステムは DNA ワク チンの候補となりうる特性を有している。KALA のメカニズムについては全て分かっている訳ではな いが、細胞内の取り込みや核への移行に関しては R8 と KALA では大差がない。しかし、遺伝子発 現には 1,000 倍の差が出ているため核移行後の差と考えられ、当初ウイルスベクターと非ウイルス ベクターで見られた状況と同じである。本システムは静注ではないが、患者の血液から樹状細胞を 採取し、そこに遺伝子導入して患者に返すという ex vivo の方法で DNA ワクチンを治療に持って いくことが原理的にはできるところまで来ている。 図 2-4-10.KALA-T-MEND の抗原提示能 (北海道大学 原島秀吉氏 提供) 4)静脈内投与型 siRNA 搭載 MEND の創製 医薬品開発の大きな流れとして、従来の低分子医薬品から抗体医薬品、そして核酸医薬品へと シフトする動きがある。その中で、核酸医薬品に大きな期待が寄せられている。 遺 伝 子 ・ 核 酸 を 搭 載 し た キ ャ リ ア に つ い て は 、 PEG で 修 飾 し EPR 効 果 ( Enhanced Permeability and Retention effect)でがん組織へデリバリーすることは有用な戦略であると考え られる。一方で、遺伝子・核酸はがん細胞の中にまで送り届けなければ薬効を発揮しない。キャリア が PEG で覆われていると、がん細胞への取り込みやその後のエンドソーム脱出を阻害するため、 がん細胞内へ遺伝子・核酸を送達することは難しくなる。つまり、がん組織への送達は PEG が必要 であるが、がん細胞への取り込みにはかえって邪魔をしてしまうことになり、「PEG ジレンマ」と呼ば れている。 Peter Cullis(British Columbia 大)らは、SNALP(stabilized nucleic acid lipid particle) というシステムを作っている。このシステムでは、血液循環中では PEG は必要であり、血液から細胞 146 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 内に入ると PEG は不要となることから、pH 応答性の cationic lipid を使い細胞内動態を制御して いる。すなわち、エンドサイトーシスで細胞の中に入るとエンドソームが酸性となる。そうするとプロト ンが多くあるため cationic になりエンドソーム脱出能力が飛躍的に良くなり、脱出できるというコンセ プトである(図 2-4-11、図 2-4-12)。 図 2-4-11.pH 応答性リポソーム (北海道大学 原島秀吉氏 提供) 図 2-4-12.pH 応答性を利用した PEG ジレンマ回避法 (北海道大学 原島秀吉氏 提供) 原島らは、YSK05 と呼ばれる pH 応答性の cationic lipid を開発している(図 2-4-13)。 YSK05 は、pH が変化するとナノ粒子の表面の電荷が pH に呼応して変化する。pH プロファイル がエンドソームの 6~7 で変わること、エンドソーム膜の脱出能力が良いことが重要である。YSK05 147 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 は pKa が 6.6 と適切な範囲にあり、また赤血球を溶かす膜障害性試験により酸性での活性が大き く向上したことから、酸性領域でのエンドソーム脱出効率が良いことが期待された。 図 2-4-13.新規 pH 応答性カチオン性脂質 YSK05 の設計 (北海道大学 原島秀吉氏 提供) ここで得られた YSK05 をさらに最適化し、静注で肝臓に siRNA を送達し、hepatocyte の遺伝 子をノックダウンする実験を行ったところ、YSK05-MEND の IC 50 は 2nM を示し、従来のカチオン 性 MEND と比較して活性が 100 倍向上し、市販の導入試薬 Lipofectamine2000 と比較しても 約 10 倍高いことが明らかとなった(図 2-4-14)。この YSK05-MEND のシステムは肝臓の Hepatocyte に siRNA を送達させるシステムとして効果を発揮しており、ヒト肝臓キメラマウスでの siRNA 投与によりウイルスの血中濃度を下げるところまで確認されている。 図 2-4-14.YSK05-MEND の性能比較 (北海道大学 原島秀吉氏 提供) 148 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 5) R8-MEND の実用化に向けて これまで紹介したキャリアの中で最も実用化に近い技術が R8-MEND による結核予防ワクチン BCG である。BCG 株を用いた免疫療法は、1960 年代から世界中で行われ、一部のがんに有効 性を示している。この BCG 生菌の有用性を示す例として、膀胱がんが挙げられる。上皮内がんや 再発のリスクが高い high grade がんのみの適用ではあるが、高い成果を上げている。しかしながら、 BCG 生菌を投与するため、感染という重篤な副作用が問題となる。一方で、BCG の免疫活性化 部位である細胞壁骨格(Cell Wall Skeleton: CWS)は BCG 生菌の問題であった感染性はなく、 高い免疫活性を有していることから、抗がん治療への応用が期待されている。しかし、非常に強い 負電荷を有する水溶性アラビノガラクタン(多糖)-ペプチドグリカンユニットと、きわめて溶けにくい 脂質ユニットを一つの分子内に有した構造を持ち、水にも油にも溶け難く、製剤化が困難である。 原島らは BCG-CWS の製剤化に R8-MEND を利用し、BCG 社と共同でナノ粒子化により小さく する パ ッケ ー ジン グ 法 を 開 発 し、 搭 載 す る こと で 製 剤 化 を 可 能 に した ( 図 2 - 4 -15 ) 8) 。この BCG-CWS 搭載 MEND が、マウスモデルにおいて、BCG 生菌の 1/10 の投与量で同等の抗腫 瘍効果を有することが明らかになっている 9) 。現在 BCG 社と共同で前臨床試験に入るべく準備を 進めている段階である。 図 2-4-15.BCG-CWS 搭載 MEND (北海道大学 原島秀吉氏 提供) また、実用化に向けてネックとなる GMP 基準下での生産方法については、マイクロ流路を用い た連続的なナノ粒子の製造法を検討している。通常のマイクロ流路では衝突した 2 種類の流体は 混合しづらいため、Staggered Herringbone Mixer を用いて効率的な混合を実現し、粒径の整 った MEND を安定に構築可能となる(図 2-4-16)。北海道大学内に製造システムを構築し、非 臨床試験に提供できる生産設備の設置に向けて準備を進めている。 149 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 図 2-4-16.BCG 成分搭載リポソームの大量製造 (北海道大学 原島秀吉氏 提供) 平成 25 年 3 月に日本学術会議が公募したマスタープラン 2014 に、公益社団法人日本薬剤学 会より「ナノ医療に基づいた革新的医薬品の創出拠点の形成」を提案し、GLP/GMP レベルでの 製造拠点を形成し、標準的評価法の確立を行うことで、ナノ医療の実用化を促進するトップダウン の戦略を提案し(図 2-4-17)、平成 26 年 3 月に正式に採択となった<http://www.scj.go.jp/> とのことである。このような拠点形成が進み、日本発の革新的ナノ医療の実用化が促進することを 祈念している。 図 2-4-17.マスタープラン 2014 「ナノ医療に基づいた革新的医薬品の創出拠点の形成」 (北海道大学 原島秀吉氏 提供) 150 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 【参考資料】 1) (公財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成 25 年創薬技術調査ワーキンググループヒアリング 記録 北海道大学大学院薬学研究院薬剤分子設計学研究室 原島秀吉氏 2013 年 11 月 26 日 非公開 2) Nakamura et al., Acc. Chem. Res.45(7), 113-1121(2012) 3) Akita et al., Mol Ther. 2, 443 (2004) 4) Kogure et al. J. Control Release. 98(2), 317-323(2004) 5) Futaki et al., J. Biol. Chem. 276, 5836-5840 (2001) 6) Khalil et al., Gene Therapy.14(8), 682-689 (2007) 7) Shaheen et al., Biomaterials. 32(26), 6342-6450 (2011) 8) Homhuan et al., J. Control Release. 120, 60-69 (2007) 9) Joraku et al., BJU Int. 103, 686-693 (2008) 151 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 2-5.ナノキャリア(株)の技術紹介、今後のナノテクノロジーの創薬、医療への展開について 1) 1)既存技術の紹介 製薬メーカーの新薬の成功確率が低くなり、既存薬物の新規適用疾患の探索や剤型変更など が注目され、既存医薬品の中でも DDS(Drug Delivery System)に関する売り上げが、大きな割 合を占めるようになってきた。 これまで DDS には、例えば(1)マイクロカプセル、(2)脂肪乳剤、(3)リポソームなどの技術が研 究開発されてきた。このように DDS にはいくつかの種類があり、一時期「吸収改善」を目的に研究 が実施されていたが、基本は「放出制御」である。一方、注射剤、経口剤などの有効性を保持した 状態で安全性を更に高めるために、血中濃度が有効域をオーバーして毒性域に入らないように有 効濃度を一定のウインドウ幅に維持する製剤的な工夫が行われている。これは DDS の一番の基 本概念「放出制御」を基に「体内分布の制御」を目的にして行われている。 以下にこれまでの DDS 技術と既存医薬品の具体例を取り上げる。 (1)マイクロカプセル 有名な例が、リュープリンである。有効成分のリュープロレリン酢酸塩と添加物ポリ乳酸などを含 む凍結乾燥粉末を懸濁溶液と用時に懸濁調製するマイクロカプセル型徐放性製剤である。皮下 投与することにより 12 週間の長期間で放出制御が可能となっている。 (2)Lipid Emulsion(脂肪乳剤) リン脂質(レシチン)、大豆油などを可溶化剤として用い、脂質エマルジョンを作りこの中に薬物を 溶解させる。具体例が「リプル注」で、有効成分アルプロスタジル PGE1 をレシチンや大豆油の脂 肪乳剤の粒子中に溶解させたリポ化製剤である。その他にも、抗不安薬のジアゼパム、麻酔薬の プロポフォル、ステロイドのデキサメサゾンなどの脂肪乳剤が開発されている。当然のことであるが、 脂肪乳剤に可溶化している薬物濃度は血中タンパク質やリポタンパク質との間に平衡関係が成立 し、濃度が薄い場合にはこれらの血液成分に薬物が移動分布する。このように脂肪乳剤に大きな 影響を与えているのが、血液中のタンパク質や LDL(Low Density Lipoprotein)などのリポタンパ ク質であり、脂溶性の薬物を有機溶剤、あるいは界面活性剤に溶解させて静脈投与を行うと薬物 はこれらのタンパク質に乗って血液中を移動する。また、微細な脂肪粒子は、例えば、がんの周辺 に集まりやすいとされ、海外で上市されている難溶性の抗がん剤 temoporfin は、LDL に乗って腫 瘍部位に移行するというコンセプトで開発された。これらの生体成分を利用した DDS は、目的とす る部位に薬剤を送達する受身的な DDS である。 (3)パクリタキセルの製剤化 抗がん剤のパクリタキセルは難溶性のために溶剤を添加した製剤が開発され、例えばタキソール は溶解させるためにクレモフォール(ポリオキシエチレンヒマシ油)とエタノールを加え静脈内投与が 可能となっている。しかし、溶剤のクレモフォールはアナフィラキシーショックなど重篤な有害反応を 引き起こすために投与時の有害反応の防止が求められ、しばしばステロイドや抗ヒスタミン剤の前 投与が必要とされている。世界的に以下のようなパクリタキセル製剤が開発され、あるいは開発中 である。 152 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 ①アブラキサン(パクリタキセル注射液(アルブミン懸濁液)) これは、パクリタキセル 100mg とアルブミン 800mg の凍結乾燥粉末を生理食塩液に懸濁させる 用時調製タイプの注射液である。約 150nm の球形のアルブミンの殻の中にパクリタキセルが効率 良く 10%以上内包されている。本注射剤は、タキソールとの比較においてほぼ同等の血中濃度推 移を示し、しかも 3 時間持続静脈内点滴をするタキソールの DLT(Dose Limiting Toxicity:用量 制限毒性)が、溶剤クレモフォールによる過敏症であるのに対して溶剤を含まないアブラキサンで は、投与時間も 30 分に短縮でき投与用量も約 1.5 倍に増やすことができる。このために大腸がん 等に対して強い効果を示すことができる2) 。 ②NK105(パクリタキセルミセル) ナノキャリアが、東京大学、東京女子医科大の技術を導入して日本化薬に技術ライセンスした。 現在日本化薬が開発を担当してフェーズ 3 臨床試験まで進んでいる。 NK105 は、パクリタキセルが、アスパラギン酸を含む高分子に内包された製剤で、しかも高分子 ミセル(約 80nm の大きさ)の構造に良く適合している。ヒト PK 試験では、Cmax や AUC には用 量依存性が見られ血中滞留性に優れ持続性が良い。 ③XYOTAX パクリタキセルをポリグルタミン酸ポリマーに結合させた製剤である。 ④Genoxol-PM 韓 国 の メ ー カ ー が 創 製 し て 既 に 上 市 さ れ て い る 。 パ ク リ タ キ セ ル を 高 分 子 methoxy-poly (ethylene glycol)-poly(lactide)に内包させた製剤である。疎水性残基と疎水性パクリタキセル の相互作用を利用してポリ乳酸の中にパクリタキセルが封入されている。 (4)リポソーム ドキシルを例に取り上げる。 抗がん性抗生物質のドキソルビシンを N-(carbonyl-methoxy-polyethylene glycol 2000) -1,2-distearoyl-sn-glycero-3-phosphoethanolamine sodium salt で被覆したリポソームに封 入した注射製剤である。従来のリポソームはポリエチレングリコール(PEG)などで覆われていないた めに血中でオプソニン効果を受けやすく消失が早かった。また、リポソームに封入できる薬物量にも 限界があり最初のころは水溶性のある薬物などは内包率が数%程度であった。これらの点を改良 して高い封入効率を得るため、リポソーム形成後に pH 勾配やイオン勾配を利用して薬物を封入す るリモートローディング法など様々な方法が開発され、さらに粒子表面を PEG で覆うことより、血中 滞留性を上げて非常に良好な結果が得られ成功したのがドキシルである。 生体は、抗体や補体が細菌など外来異物の表面に結合して好中球やマクロファージなどの貪食 細胞に取り込み、分解する異物の排除機構(オプソニン効果)を持っている。この点は、リポソーム を PEG で修飾することにより、このオプソニン効果を回避することが可能となった。さらに、ドキソル ビシンは膜透過性が高く容易にリポソームから漏出するために硫酸アンモニウムなどを添加しドキソ ルビシンのスタッキングを促進して結晶に近い状態を保ち、血液中への漏出を防ぐという特殊な技 術も採用している。 ここで微粒子(ナノサイズ)DDS の利点を挙げると、主に次の 3 つがある。(1)塞栓を起こさず、 腎排泄を抑制する、(2)投与後の血中滞留性を上げる、(3)腫瘍・炎症部位への集積性を上げ る。 153 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 このような利点を妨げるリポソームの物理化学的な性状や生体の生理的反応を取り上げてみる。 例えば、リポソームのサイズも血中滞留性に大きく影響する。腎臓からの排泄を抑制しながら生体 のいろいろの部位に滞留させ、しかも末梢血管を塞がずに血中滞留性を上げ、主に腫瘍部位に集 積させることが必要である。そのリポソームの通過の妨げとなるのが、脾臓や肝臓の細網内皮系に よる捕捉である。サイズが大きくなり、脾臓では 300nm、肝臓では 100nm を超えると一気に臓器内 で詰まってしまう。肝臓の場合には肝細胞と類洞の間にあるディッセ腔の大きさが 100nm であり、こ こで捕捉されると近くに存在するマクロファージに貪食される。逆に、サイズを 50~60nm と小さくす るとむしろ肝臓の実質細胞に徐々に蓄積されるというデータもあり、従って、腫瘍集積性を上げるに は最適サイズにリポソームをコントロールする必要があると考えられる。 リポソームの血漿中のタンパク質への吸着も観察され、アルブミン、IgG、フィブロネクチン、フィブ リノーゲン、高分子キニノーゲンのように無秩序に結合が上積みされていく。この現象に関与するい くつかのタンパク質にはオプソニン効果を受けやすいものもあり、タンパク質に結合したリポソームが 異物認識され排除されることになる。 また、リポソームそれ自体のサイズが関係する現象、すなわち臓器による捕捉を回避するためサ イズを小さくすることと、小さくしすぎると血漿中のタンパク質がリポソーム表面に吸着しやすくなりオ プソニン効果による異物排除が起きること、この相反する現象を解決して血中滞留性を改良した技 術が従来のリポソームを PEG 修飾すること、であった。 (5)高分子ミセル このような研究の経緯をみるとリポソームの発明にはじまり、高分子ミセルやアブラキサン製剤、 PEG 修飾製剤などの技術開発により、現在の微粒子製剤で血液滞留性と腫瘍集積性を上昇させ ることに成功しているといえる。 現在では、高分子ミセルの担体(PEG-ポリアミノ酸ブロック共重合体:Me-PEG-Poly[Asp(OR)] -Ac など)の開発、ミセル形状の電子顕微鏡による解析、腫瘍の EPR(enhanced permeability and retention)効果を利用する体内動態の研究や、高分子ミセルの表面に腫瘍指向性を持つ化 合物分子(抗体を含むタンパク質、機能性ペプチド、糖鎖、低分子化合物など)を結合させるアク ティブターゲティング技術が注目され積極的に研究されている。この場合、薬物の封入方法も含め、 高分子ミセルのサイズと荷電を調節して血漿成分や血管壁への吸着、血中滞留性、腫瘍や各臓 器への集積性、などの検討から標的の腫瘍部位に選択的に薬物を送達する技術開発が期待され ている。 2)ナノキャリア株式会社のナノテクノロジー紹介 ナノキャリアは、1996 年大学発ベンチャーとして東大柏ベンチャープラザ内に設立され、東京大 学の片岡一則教授、東京女子医科大学の岡野光夫教授らが研究してきた高分子ミセル技術を基 盤に医薬を中心としたビジネスを展開している。2008 年にはマザーズに上場された。 主な研究開発プロジェクトは図 2-5-1 のように 4 品が臨床開発中で、フェーズ 3 臨床試験 2 本を含む合計 6 つの臨床試験が日本、アジア、米国で進行している。 154 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 図 2-5-1.ナノキャリア(株) 主要パイプライン (ナノキャリア(株) 加藤泰己氏提供) (1)基本技術 1980 年代の終わり頃から、東京大学の片岡一則教授、東京女子医科大学の岡野光夫教授に よって PEG とポリアミノ酸のブロック共重合体が作られ、この高分子ミセルの内部に薬物を封入し 周りは PEG100%のようなコアシェル型のナノパーティクルを作製することが基本技術となっている。 ポリアミノ酸の材料は、ポリアスパラギン酸やポリグルタミン酸などで、PEG は MW 約 10,000 を利 用している。特徴はアミノ酸のカルボン酸側鎖などのモディフィケーションで、アルキル鎖などの導 入や薬物を結合させることなどである。 調製した高分子ミセル製剤は、 iv (静脈内)投与すると十分にステルス性があり組織の補捉や血 液成分への吸着などから逃れて長時間血中に滞留することができる。この場合、正常組織の血管 は血管壁が非常にタイトになっているのに対して、腫瘍組織の新生血管は不完全で血管壁には約 200nm の隙間があり血液中の高分子ミセルが漏出する(EPR 効果)。これは、高分子タンパク質 やリポソームにも当てはまる現象であり、国立がん研究センター松村先生や崇城大学前田先生ら による文献でアルブミンの集積性について初めて提唱、報告された。加えて、腫瘍組織はリンパ組 織も未発達で高分子ミセルを異物として上手く排除できず、腫瘍組織に高分子ミセルが自然に集 積することになる。ナノキャリアは、このような生物の生理的な反応性を利用してがん治療をすること を目的に設立された。 155 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 (2)研究開発プロジェクト 以下にナノキャリアのビジネスを紹介する。 基礎研究や先端研究は東京大学などの大学、評価研究は国立がん研究センターなどの研究 機関、委託試験については治験薬製造を受託製造会社(CMO)に、GLP 試験、臨床試験は受託 試験会社(CRO)などの社外で、社内では応用研究、知的財産化、製造法などの研究を中心に実 施する。適切な製薬会社があれば開発化合物や技術のライセンスや提携を行い、各社が持ってい る化合物のミセル化に関する共同研究も実施している。 現在、実施中の臨床試験は 2004 年に初めて日本化薬が NK105 (パクリタキセルミセル)のフ ェーズ 1、その後、興和が 2013 年に NC-6300 (エピルビシンミセル)のフェーズ 1、台湾・シンガ ポールで 2013 年に NC-6004 (シスプラチンミセル)のフェーズ 3 が開始され、現在フェーズ 3 に 3 試験がある。 また、タンパク質や核酸などはそのままでは細胞に導入できないので細胞内デリバリー研究を行 い、抗体を用いるアクティブターゲティング技術の研究開発なども実施している。 先日臨床治験中の化合物 NK105 と NC-6004 が Nature に NANOMEDICINE の例として 紹介された3) 。 ① NC-6004 (シスプラチンミセル) 低分子薬物への応用例である。PEG とポリグルタミン酸の共重合体にシスプラチンを混合すると 徐々にアミノ酸のカルボン酸とシスプラチンの Cl が配位子交換して、30nm を中心にしたミセルを 形成する。ミセルは非常に小さいため水のように見え、シスプラチンは光分解性があるため遮光の 褐色バイアルに保存する。活性本体のシスプラチンは、ミセルから非常にゆっくり時間に依存して 直線的に遊離し 24 時間で約 10%、120 時間で 50%である4) 。このため、EPR 効果で腫瘍の周り にミセルが取り込まれた後、薬物がゆっくり遊離し抗腫瘍効果を発現する可能性が高くなる。国立 がん研究センターのデータでは血中滞留性の長さと腫瘍への移行率には正の比例関係が認めら れている。 シスプラチンは腎臓毒性を示すことで有名な薬物である。従来の iv 投与では初期の血中濃度 が非常に高くなるが早く消失するのに対して、ミセル化した製剤は初期の急激な立ち上がりが抑制 され有効域濃度が長く維持される。ラット、マウスを用い体内動態を検討すると血漿中や腫瘍内の それぞれの薬物濃度(Pt 濃度)が、ミセル製剤では高濃度でかつ持続性に優れており、さらにラット の腎臓中の薬物量も従来の iv 投与直後に観察される非常に高い薬物濃度が消失しており腎臓 障害が回避できると思われる。実際、ラット血漿中の BUN(Blood Urea Nitrogen:血液尿素窒素) やクレアチニンのレベルが著しく改善され正常動物の値にまで低下して腎臓毒性が軽減されてい ることが分かる(図 2-5-2) 5) 。 156 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 図 2-5-2.腎毒性の軽減効果 (ナノキャリア(株) 加藤泰己氏提供) これらの動物実験の結果を受け、ヒトで副作用の軽減が可能か否か、90mg/day 投与後 3 週間 観察して濃度測定を実施した。この結果、1 週間でフリーのシスプラチンは急激に濃度が低下する のに対してミセル製剤は長く高濃度を維持し、持続性のあるタイプの製剤に変化していることが分 かった6) 。やはり従来の iv 投与では、高濃度の薬物が腎臓毒性や嘔吐の引き金と思われる。 これらの結果を受けて、様々ながん腫の患者 17 名をエントリーするフェーズ 1 臨床試験をイギリ スで実施した。投与量 10~120mg/m 2 を 2~4 サイクル投与したところ、悪化しなかった患者が 7 例、SD(Stable Disease:安定)以上のカウントでは 40%以上の患者が有効であることが分かった。 しかも腎臓毒性や消化管毒性の副作用が消失していた。ただし、血中濃度が高く持続したことから Pt 由来の金属過敏症が観察されたが、次のステージではステロイドの経口前投与により本過敏症 は解 消 された。また、台 湾 とシンガポールで進 行 性 すい臓 がんの患 者 を対 象 に Gemcitabine (GEM)との併用でフェーズ 1 および 2 臨床試験を実施したところ、患者によっては1年以上投与で きる例があった。GEM との併用による臨床効果を評価判定すると従来のシスプラチン製剤との比 較で、PFS(無増悪生存期間)、OS(全生存期間)のそれぞれの Median(中央値)を表 2-5-1 に 示 し た 7 ) 。 こ れ ら の デ ー タ を 纏 め て 台 湾 当 局 に フ ェ ー ズ 3 臨 床 試 験 へ 移 行 す る IND (Investigational New Drug:新薬臨床試験開始届)申請を行った。 157 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 表 2-5-1.GEM との併用によるシスプラチン製剤の効果 GEM との併用 MPFS (月) MOS(月) 単独 3.1 6.0 +シスプラチン 7) 5.3 7.5 +シスプラチンミセル 5.1 12.2 ②NC-6300 (エピルビシンミセル) これは興和株式会社に導出している。PEG とポリアスパラギン酸の共重合体中のカルボン酸残 基にヒドラジンをリンカーとして結合させ、これにエピルビシンのカルボニル基を反応させてヒドラゾ ン結合を作る。この結合は pH 感受性があり酸性で切れるため、細胞中のエンドゾームの酸性下で 切れて薬物が遊離してくる 8) 。その他にも種々のポリマーを修飾して製造効率や性能を向上させて 特許を取得している。 ミセルは元来腫瘍の EPR 効果で集積性があり、さらに徐々に薬剤が放出される。ところが、ミセ ルの外殻が PEG でしっかり覆われていると細胞との相互作用に劣る。そこで、NC-63009) は、ミセ ルを幾分崩壊しやすく加工して、モノマーあるいはダイマーのような小さなフラグメントを放出し易く し、さらに、膜透過性の良いアントラサイクリンを利用してがん細胞膜に感知させることで、ミセルをク ラスリン依存エンドサイトーシスにより取り込ませることを狙った。取り込まれた後に、エンドソームは 細胞内を移動して核の傍まで行く。この後期エンドソーム内は pH5.5 以下の酸性となるため薬物を 放出し核内の DNA に薬物を作用させる。P 糖タンパクによる細胞内からのくみ出し量を上回る細 胞内薬物濃度があれば耐性がんにも有効であると考えている。実際 in vitro 実験でミセルからエピ ルビシンは、pH に依存して遊離されることが分かっている。 ラットによる PK 試験では、NC-6300 は iv 投与で単体に比べてラット血漿中に非常に高濃度で かつ長時間持続しており、さらに MDA-MB-231(ヒト乳腺がん細胞) 担癌マウスの iv 投与後の血 漿中濃度推移をみるとエピルビシン共重合体と遊離したエピルビシンは両者ともに高濃度で長時 間維持しているのに対して単体のエピルビシンは iv 投与直後非常に短時間で消失することが分か った。エピルビシンミセルと単体のラット臓器分布を比較すると遊離のエピルビシンがミセルでは腫 瘍に 4.3 倍多く、毒性臓器の心臓に 0.28 倍少なく分布した。これより治療域は 15 倍広がることが 示された。 Hep3B(ヒト肝臓がん)担癌マウスに NC-6300 を 15、20mg/kg、エピルビシン単体を 7mg/kg、 4 日置きに 3 回 iv 投与し 28 日間観察する。その結果、NC-6300 は、2 用量とも腫瘍の増殖を完 全に抑制しかつ体重の増加も見られるが、単体では腫瘍の増殖の抑制はみられるが、ミセルに比 較して抑制効果がかなり弱く体重減少もおきる。 マウスを用い NC-6300 とエピルビシン単体の心毒性を国立がん研究センターと共同研究を行っ た。心エコーによる左室内径短縮率と駆出率とを薬物を投与しながら 11 週間経過観察したところ、 単体では経時的に心機能が低下するのに対して NC-6300 では全く異常が認められず、ミセル化 により心臓への分布が減少することにより心毒性の発現が抑制されていることが分かった。 同様に MES-SA/Dx5(ドキソルビシン耐性ヒト子宮肉腫細胞株)担癌マウスにドキソルビシンの 単体、リポソーム製剤、ミセルを各々投与するとミセルのみ非常に強い増殖抑制効果が認められる のに対してリポソームと単体は弱い効果しか示さなかった。 このようにがん細胞に取り込まれたミセルが細胞中で一気に薬物を放出できる技術は、耐性がん 158 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 治療の一つの方法と考えられる。 ③NC-6301(ドセタキセルミセル)10) PEG とポリアミノ酸の共重合体にドセタキセルをエステル結合させたミセル製剤である。 ドセタキセルの結合数によりフリーの薬物を放出制御することが可能であり、特許が成立している。 ヒト血漿中でのミセルからの薬物の放出に関するシミュレーションを行うと約 20%の放出量が毒性 域に到達せずに有効性を維持できると分かった。そこで製剤設計を工夫して薬剤の結合量を変え て放出制御を行い放出量の最適化を行った。これにより単体に比較してミセルの血中滞留性が維 持され薬効が増して副作用を減らすことが可能となった。 例えば、MDA-MB-231(ヒト乳腺がん細胞)担癌マウスを用いる抗腫瘍効果の実験では、ミセル は非常に強い増殖抑制作用を示すにもかかわらず体重減少は起きない。しかし単体のドセタキセ ルではかなり強い増殖抑制作用はあるが、著しい体重減少もみられる。同様に OCUN-2MLN(ヒト スキルス胃癌細胞)同所移植マウスモデルの実験で NC-6301 は強い増殖抑制効果を示している。 ④タンパク質のミセル11) 内部がカルボキシル基でマイナス荷電の空のミセルに pH を調整してプラス荷電のタンパク質を 封入する。タンパク質の分子量は数万が最適で重量で 5~10%が封入できる。タンパク質のミセル は、血液中ではリポタンパク質との相互作用により構成成分のポリマーがミセルから引き抜かれ同 時に封入されているタンパク質の遊離が起きる。例えば、G-CSF(分子量約 19,000)ミセルをラット に投与すると各時間帯で約 10%G-CSF がミセルから遊離されるが、これは単体の血漿中濃度を はるかに上回る量である。これに伴い好中球の量も 2 倍以上に増加し、ほぼ 2~3 日は効果が持続 する。本 G-CSF ミセルと国内で申請済みの PEG 化 G-CSF(Neulasta/ pegfilgrastim)製剤 12) との薬効の比較実験では、ラットの好中球数はほぼ同等の時間経過を示している。今後、このよう なタンパク質の徐放技術に加えて標的細胞にアクティブターゲティングできる技術開発も進行中で ある。 ⑤siRNA ミセル siRNA(small interfering RNA)は、多くは 21 塩基対の 2 本鎖 RNA で、単独では血中で酵 素による分解をうけ、更に腎臓からの排泄も非常に早いので血中に長時間存在することはできない。 そこで、ミセル化により血中滞留性を上げて標的細胞に取り込ませ、ミセルがエンドソームからエス ケープすると同時に siRNA が適切に遊離し RNA 干渉を起こして作用発現するように現在技術開 発にトライしている。 開発中の代表的な他社技術には以下の例が現在知られている。 ⅰ) Intradigm corporation(Silence Therapeutics に 2010 年吸収合併 13) )が開発している RGD-PEG-polyethyleneimine ポリマーを利用した siRNA デリバリーシステムである。2004 年に iv 投与による抗腫瘍活性が報告されているが、臨床試験は実施されていないと思われ る。 ⅱ) Calando pharmaceuticals(Arrowhead Research Corporation の子会社 14) )が開発中 の Transferrin-PEG+シクロデキストリン含有カチオン性ポリマーを利用した siRNA 製剤であ る。iv 投与による初の siRNA 全身投与製剤として、固形がんに対するフェーズ 1 臨床試験が 159 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 進行中である。 ⅲ) Alnylam pharmaceuticals(メルクの子会社 Sirna Therapeutics を 2014 年獲得 15) )が開 発中の siRNA を内包した PEG 化カチオン性リポソ-ム(SNALP:Stable Nucleic Acid Lipid Particles)製剤である。肝臓がんに対する IND 申請が許可され、高コレステロール血 症の治療薬としても臨床試験が計画されている。 このように世界的に開発中の技術はあるが、血中滞留性を増加させて強力な薬理効果を発現 する製剤は今のところ見当たらない。ナノキャリアでは、核酸のデリバリーとしてミセル化ナノ粒子を 研究しており、プロトタイプとして 3 つのシステム(システム A、B、C)がある。 システム A は細胞に 取り込まれた後エンドソームエスケープに優れた、大きさ 120~140nm のもの、システム B は細胞 内 ATP を利用して遊離する、大きさ 30~50nm のもの、システム C は血中滞留性に優れた、大き さ 10~20nm のものがある(図 2-5-3)。 図 2-5-3.核酸デリバリーとしてのミセル化ナノ粒子のプロトタイプ (ナノキャリア(株) 加藤泰己氏提供) 独自技 術の開発を目 指してシステム A に注力し、 in vitro で MDA-MB-231 細胞を用い Plk1-siRNA ミセル(NanoFect TM SystemA)の効果を検討したところ、Plk1-mRNA は濃度依存 的に knockdown され、これに伴いがん細胞の生存率が減少した。PC-3(ヒト前立腺がん細胞)細 胞を用いる in vitro 実験系で同様の効果が見られたので、PC-3 担癌マウスを用いる in vivo 実験 で Plk1-siRNA ミセル(NanoFect TM SystemA)1mg/kg を毎日投与することによりがんの増殖抑 制が観察されている。 160 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 ⑥アクティブターゲティング ナノキャリアの特許は、センサー分子(抗体など)を結合させるポリマーと、薬物を結合させたポリ マーまたは薬物を結合できるポリマーの 2 種類でミセルが構成され、このミセルにセンサー分子を 結合させることが出来る。本特許は、既に日本、カナダ、オーストラリア、欧州、中国、米国で成立し ている(図 2-5-4)。 図 2-5-4. Active Targeting Technology (ナノキャリア(株) 加藤泰己氏提供) その特徴は、ミセル表面に抗体などセンサー分子をつけ積極的かつ選択的に標的細胞にデリ バリーできることである。センサー分子には、抗体(例:抗 HER2 モノクローナル抗体)、タンパク質 (例:トランスフェリン)、ペプチド(例:RGD)、低分子化合物(例:葉酸)を用いる。薬物は、薬物側 に hydroxy、hydroxycarbonyl、carbonyl などの末端基を、ポリマー側に hydroxycarbonyl、 hydroxy、hydrazide などの残基をそれぞれ利用してエステル結合やヒドラゾン結合で結合させて いる。 ここで、ナノキャリアと他社の ADC(antibody-drug conjugate:抗体薬物複合体)技術と比較し て み る 。 例 え ば 、 先 行 す る ADC に は 、 Seattle Genetics: ADCETRIS Ⓡ ( Brentuximab vedotin)や Genentech: KadcylaTM (T-DM1)がある。ADCETRIS Ⓡ は悪性リンパ腫患者を対 象に既に欧米で、今年 2014 年に日本で製造承認を得 16) 、KadcylaTM は、2013 年に HER2 陽 性乳がん患者を対象に米国、欧州、日本での承認を得た 17) 。 T‐DM1 は、ヒト化抗 HER2 モノクローナル抗体(Trastuzumab)に微小管重合阻害薬 DM1 が リンカーを介して結合している。DM1 を多く結合させると抗体が変性して機能が維持できなくなるの 161 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 で、この場合の DM1 の結合数は、3~4 個と少なくなる。このように少ない薬物で薬理効果を発揮 させるためには結合させる化合物は全てトキシンが利用されている。 これに比べてナノキャリアの技術では、1 ミセル当たり 500~1,000 個の薬物が結合できるので、 普通の薬物(抗がん剤)が利用できる。この数は 1 抗体あたり 100~300 の薬物を結合させることと 同等で、ADC 技術に比較して約 2 オーダーも多い薬物が結合していることになる。このようにナノ キャリアの技術では、トキシンを使う必要が全くなく安全性に優れたアクティブターゲティングミセル ができる。現在、例えば、抗 HER2 モノクローナル抗体にエピルビシン結合ポリマーを加えたミセル の作成や、或いは、ある抗体 F(ab)2 ‐薬物‐ミセルを作成して、in vivo 胃癌マウスモデルの評価実 験を行っている。本実験では、薬物のみ、抗体を含ない薬物ミセル、抗体 F(ab) 2 ‐薬物‐ミセルの 3 薬剤を用い、1 週間おきに 3 回 iv 投与を行い 35 日間観察した結果、抗体 F(ab)2 ‐薬物‐ミセルは、 他の 2 薬剤に比較して非常に強い抗腫瘍効果を示している。このようにアクティブターゲティング用 のミセル製剤が良い効果を発揮している結果となっている。 ⑦BIND-014(類似技術) BIND Therapeutics が、nanomedicine platform 技 術 (Accurins™)を利 用 し開 発 した BIND-014 製剤は、ナノキャリアの類似技術として米国で臨床試験が実施されている18) 。 BIND-014 は、ドセタキセル、PEG-PLGA、グルタミン酸とリジンからなるペプチドの 3 化合物の ミセル製剤である。このペプチドが、PSMA(prostate specific membrane antigen)に親和性が あり、アクティブターゲティングができる。また、種々のヒト癌腫の検討から PMSA は前立腺がんと固 形がんの新生血管内皮とに特異的に発現していることも分かった。LNCaP(ヒト前立腺癌)移植担 癌マウスモデルで 4 日間隔の 4 回 5mg/kg の用量で iv 投与を行うと、マウス血漿中や腫瘍中に 高 濃 度のドセタキセルが存 在して、腫 瘍の増 殖 抑 制 効 果を示 した。更に、種々のがん患 者での BIND-014 のフェーズ 1 臨床試験の結果、28 例中 9 例で効果があり、CR が 1 例、PR が 3 例, SD が 5 例 に 観 察 され てい る 。ただ 、BIND-014 は ミセ ル化 製 剤 で はあ る が 、MTD( maximum tolerated dose:最大耐用量)は、点滴静注用タキソテール(ドセタキセル注射剤)と同等である。こ れはドセタキセルが疎水結合でミセル内に封入されており、放出が比較的 速いためと思われる。 BIND-014 は、現在、フェーズ 2 臨床試験段階で非小細胞肺がん(NSCLC)と転移性去勢抵抗 性前立腺がんの患者が対象である。 ⑧核酸医薬でのアクティブターゲティング 現在、核酸デリバリーのアクティブターゲティングの技術開発にも挑戦している。受動的パッシブ な送達だけではなく、能動的アクティブタイプに変えて標的部位に移行する化合物量がさらに増加 するような研究をしており、siRNA や miRNA でのフィージビリティスタディも実施している。 162 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 【参考資料】 1) (公財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成 25 年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリ ング記録 ナノキャリア株式会社 加藤泰己氏 2013 年 8 月 28 日 非公開 2) Alex Sparreboom, et al, Comparative preclinical and clinical pharmacokinetics of a cremophor-free, nanoparticle albumin-bound paclitaxel (ABI-007) and paclitaxel formulated in cremophor (Taxol), Clin. Cancer Res:11(11) (2005) 3) Katherine Bourzac, Physical scientists take on cancer, Nanotechnology: Carrying drugs, NATURE Vol491, S58-60, (2012) 4) N.Nishiyama, et al, Cancer Res. 63(24), 8977-8983 (2003) 5) H.Uchino et al, British J. Cancer, 93,678-687 (2005) 6) Kenichiro Ikeda et al, Jpn J Clin Oncol., 28, 168-175 (1998) 7) Volker Heinemann et al, J Clin Oncol., 24,3946-3952 (2006) 8) Y.Bae et al, Angew.Chem.Int. Ed. 42 (38), 4640-4643 (2003) 9) M.Harada et al, Cancer Science, 102(1), 192-199 (2011) 10) M.Harada et al, Int.J.Nanomedicine, 7, 2713-2727 (2012) 11) M.Harada et al, J.Cotrolled Release, 156(1), 101-108 (2011) 12) http://www.neulasta.com/ 13) http://silence-therapeutics.com/wp-content/uploads/2012/01/release_100105.pdf 14) http://www.arrowheadresearch.com/press-releases/arrowhead-increasesinvestment- rnai-subsidiary-calando-pharmaceuticals 15) http://investors.alnylam.com/releasedetail.cfm?ReleaseID=818732 16) http://www.takeda.co.jp/news/2014/20140117_6152.html 17) http://www.roche.com/media/media_releases/med-cor-2013-11-20.htm 18) http://www.bindtherapeutics.com/pipeline/BIND014.html 163 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 2-6. 超音波セラノスティクス研究の最新動向と将来展望 1) 1)はじめに 個別化(テーラーメイド)医療技術、医療機器技術が進歩するなか、診断と治療の関係は切り離 せなくなってきている。診療現場における将来像としては、治療方法を決定するための診断手法、 機器の開発、診断結果に基づく薬剤を投与する機能が一体化したシステムの開発などが期待され ており、近年、治療;Therapeutics と診断;Diagnostics を組み合わせた「Theranostics(セラノス ティクス)」という造語が作られ、診療現場、製薬企業でもこのセラノスティクスが注目を浴びてきてい る。 ここでは、ドラッグデリバリーシステム(DDS)と医療機器を組み合わせた診断と治療を同時に行う セラノスティクスシステムとして、リポソーム技術と超音波診断機器を組み合わせた超音波セラノステ ィクスシステムの開発研究を推進している帝京大学薬学部薬物送達研究室(DDS 研)の丸山一雄 教授らの研究について丸山教授が HS 財団で実施した勉強会での内容を中心に紹介する1)2) 。 2)セラノスティクスの一例 国立がん研究センター中央病院の田村研治医長と理化学研究所分子イメージング科学研究セ ンター(渡辺恭良センター長)らとの共同研究として、転移・再発率の高い HER2 陽性乳がんに高 い効果を示す抗体医薬「トラスツズマブ」を放射性同位体 64 Cu(半減期 12.7 時間)で成功した。こ れは、治療薬そのものを放射性同位体で標識して可視化することで、セラノスティクスの実現を示 唆する。今後、針生検に替わる非侵襲的な PET 検査の確立、実用化が期待される3) 。 また、CD20 陽性の再発または難治性の低悪性度 B 細胞性非ホジキンリンパ腫(NHL)、ならび にマントル細胞リンパ腫(MCL)の治療を目的とした「ゼヴァリン®による RI 標識抗体療法」も確立さ れている4) 。 3)DDS に利用されるナノテクノロジー ナノテクノロジーとの進歩により、すでにリポソーム技術の利用を通じて DDS に適用されている。 最近は、ナノ粒子とナノチューブが DDS の有望な代替として注目されている。さらには、今回取り 上げるマイクロバブル、ナノバブルと呼ばれるバブル製剤がある(図 2-6-1)。 164 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 図 2-6-1.DDS に応用されるナノテクノロジー (帝京大学 丸山一雄氏 提供資料) 4)DDS ナノテクノロジーと組み合わせるイメージング手法について DDS ナノテクノロジーと組み合わせられる可能性として考えられるイメージングの手法には、光、 CT ( Computed tomography ) 、 MRI ( Magnetic resonance imaging ) 、 PET ( Positron emission tomography)、および、超音波造影装置が挙げられる(表 2-6-1)。CT や MRI は分 解能が良いが、放射線照射が必要であり、また、高コストである。また、PET は、生化学的過程をイ メージング可能であるが、放射性物質を用いること、また高コストであるというデメリットがある。一方、 超音波造影装置は、管理区域が不要、小型でベッドサイドにも運搬可能、比較的安価、リアルタイ ムでのイメージングが可能など多くの利点があり、また、超音波は治療用装置(強力集束超音波や カテーテルなど)があることからセラノスティクスに応用しやすいと考えられ、注目されている。 表 2-6-1.各種イメージング手法の特徴(参考資料 イメージング手法 光 プローブ 蛍光物質 量子ドット 分解能 2-5 mm CT 重金属 50-200 μm MRI 常磁性 超磁性金属 25-100 μm PET 放射性物質 1-2 mm 超音波 マイクロバブル 50-500 μm 5) より一部改変) 利点 ・高感度 ・機能情報 ・放射線照射無 ・高分解能 ・組織の鑑別 ・低線量被曝 ・高分解能 ・電離放射線無 ・リアルタイムイメージング ・リアルタイムイメージング ・非侵襲 ・簡便 ・放射線無 ・低コスト ・リアルタイムイメージング 165 欠点 ・低分解能 ・低組織透過性 ・造影剤必要 ・放射線照射必要 ・組織特異性無 ・高コスト ・金属デバイスを用いている 人に不可 ・放射線被曝 ・低解像度 ・高コスト ・局所イメージングができない ・オペレーターに依存 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 5) マイクロバブルについて マイクロバブルは超音波検査に用いる赤血球より小さい微小気泡造影剤である。超音波検査で は、超音波を目的の臓器に当てて、その反響を映像化し、臓器の状態を調べる。痛みや放射線被 爆がなく、手軽に使える。ただし、通常は造影剤を使わないため、細部の診断には限界がある。こ れに対し、マイクロバブル(赤血球よりも小さい微小気泡)を造影剤として用いる超音波検査が、細 部の診断を可能にした。現在では、世界で複数のマイクロバブルが超音波検査の造影剤として使 われている(表 2-6-2) 6) 。 表 2-6-2.マイクロバブルについて 超音波診断 殻の材質 封入ガス 認可国 直径(μm) 用造影剤 Levovist パルミチン酸 Air EU, 日本 2-4 Optison Albumin Perfluoropropane 米国, EU 3-32 Definity Lipids Perfluoropropane 米国 1.1-20 Imagent Lipids Perfluoropropane 米国 5 Sonovue Lipids Sulforhexafluoride EU 2.5 Sonazoid Lipids(PS) Perfluorobutane 日本 2-3 参考資料 6 ) より一部改変 日本では、Levovist が、世界初の全身の超音波検査(心エコー図検査,ドップラー検査、子宮 卵管エコー図検査)に適応を有する超音波診断用造影剤として、1999 年 6 月に医薬品として承 認されている。Levovist は、超音波診断用造影剤としてシェリング(現バイエル)で開発されたガラ クトース・パルミチン酸混合物(999:1)を注射用水にて用時調製する懸濁性注射液である。本剤 は、ガラクトースの水への溶解に伴い発生する微小気泡のエコーシグナル反射作用により、超音波 検査におけるシグナル増強効果を発現する 7) 。 また、1990 年にノルウェーの Nycomed(現 GE Healthcare)において研究が開始された超音 波診断用造影剤である Sonazoid®は、日本では、第一製薬(現、第一三共)が開発し、「超音波 検査における肝腫瘤性病変の造影」を効能・効果として 2006 年 10 月に承認された。さらに、2012 年 8 月に「超音波検査における乳房腫瘤性病変の造影」を効能・効果として追加承認を取得した。 Sonazoid は殻(シェル)に水素添加卵黄フォスファチジルセリン(PS)ナトリウムを用い、内包するガ スに難溶性フッ化炭素ガス(perfluorobutane)を用いた直径 2-3μm のマイクロバブルである。この マイクロバブルは、照射超音波に対する安定性および生体内での安定性が高い。マイクロバブル を破壊せずに造影が可能であるため、リアルタイム性に優れ持続的な造影効果が得られる8) 。 6)バブルリポソームと超音波照射を用いた丸山らの研究 丸山らは、リポソームに関する研究を長年続けており、様々なリポソーム開発に携わってきている。 リポソームは脂質二重膜から成る閉鎖小胞であり、その内部に薬物を封入したり、表面にポリマー や抗体などを修飾できる性質を有していることから、薬物キャリアとして用いられている。丸山らは、 このリポソームの特徴に着目し、リポソームの中に超音波造影ガス(perfluoropropane, C 3 F 8 )を 封入した新たなタイプのリポソーム(バブルリポソーム)の開発を行っている。 166 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 以下、丸山らが行っているバブルリポソームと超音波照射の併用による研究の一部を紹介する。 (1)バブルリポソームと超音波照射の併用による細胞への遺伝子や薬物の導入 9) 遺伝子を導入する際に、超音波を利用することが知られている。超音波照射によって生じるキャ ビテーションという現象により、細胞膜に一過性の小孔が拓くことで、遺伝子を細胞内に導入できる と考えられている。しかし、このときに必要な超音波の周波数が低いことから細胞に対する傷害性が 問題となっていた。対策として、高周波数の超音波の照射が用いられたが、このときには、強い照 射強度および長い時間の照射が必要となり、細胞傷害の問題を完全に解決できなかった。この解 決に用いられたのが、超音波造影剤であるマイクロバブルである。すなわち、超音波遺伝子導入に おいてマイクロバブルを添加することで、低い超音波照射強度および短時間で遺伝子導入が可能 になったのである。これは、マイクロバブルがキャビテーションの気泡として存在することで、遺伝子 導入に必要なキャビテーションを誘導するための閾値を下げたと考えられる。 このマイクロバブルの応用として、遺伝子デリバリーシステムとして有効なリポソームにガスを封入 させたバブルリポソームをキャビテーションの気泡として利用し、超音波遺伝子導入が可能であるこ とも確かめた。さらに、このバブルリポソームと超音波照射の併用による遺伝子導入に使える細胞は その種類を問わないことも確かめられた。 (2)In vivo 遺伝子導入システムの確立 9) 上記方法は、超音波を照射した時のみ遺伝子導入が誘導されるため、超音波照射部位をコント ロールすることで超音波照射部位特異的な遺伝子導入が可能になると考えられた。そこで、バブル リポソームと超音波の併用による低侵襲かつ組織特異的な in vivo 遺伝子導入システムの確立を 試みた。バブルリポソームとルシフェラーゼ発現プラスミド DNA をマウスの尾静脈から投与後、肝臓 あるいは心臓に向けて経皮的に超音波を照射した。1 日後にマウスから各臓器を回収し、ルシフェ ラーゼ活性を測定した。その結果、超音波を照射した肝臓あるいは心臓において高いルシフェラー ゼ発現が認められた。すなわち、超音波照射部位の肝臓あるいは心臓でバブルリポソームがキャビ テーションを誘導し、そのときにプラスミド DNA が肝臓あるいは心臓に導入されたと考えられる。 (3)アルギニン-グリシン-アスパラギン酸(RGD)ペプチド修飾バブルリポソーム血液造影 10) 血 栓 に存 在 する活 性 化 血 小 板 に対 して親 和 性 を有 するアルギニン-グリシン-アスパラギン酸 (RGD)ペプチドを修飾したバブルリポソームを利用した研究がある。この RGD ペプチド修飾ナノ バブルを塩化鉄誘発血栓モデルラットの尾静脈から全身投与すると、このバブルリポソームが血栓 に集積するとともにマイクロバブルでは侵入できなかった血栓内部まで侵入し、血栓部分が超音波 造影で高エコーになった。これが臨床応用されるようになれば、放射線被ばくのない超音波造影に 置き換えられる可能性があり、侵襲性の低い血栓造影法の構築において重要な技術であると考え られる。 (4)バブルリポソームと超音波照射による腫瘍組織内の温熱 10) マイクロバブルと超音波の併用により超音波照射部位の温度が上昇する。このことをモデルマウ スでも、バブルリポソームと超音波照射によって腫瘍組織内の温度が上昇するか確認した。腫瘍組 織に超音波のみを照射した場合、腫瘍組織内温度は約 38.5℃ (約 5.5℃上昇) となった(図 2-6 167 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 -2)。バブルリポソーム存在下で超音波照射を行うと、がん組織内温度が約 44℃ (約 11℃上昇) に達した。このがん組織内の温度上昇は、バブルリポソームのキャビテーション誘導に伴うものであ ると考えられた。一般に温熱処理による細胞致死効果は 42.5℃を境目に 1℃の温度上昇によって、 数百倍に向上することが知られており、このような温熱療法はハイパーサーミアと呼ばれている。こ のことを考慮すると、バブルリポソームのキャビテーションが、腫瘍組織内温度上昇による温熱効果 とソノポレーション効果の相乗効果で効率よくがん細胞死を誘導できると考えられる。そこで、このバ ブルリポソームと超音波の併用によるがん治療効果を検討した。その結果、超音波単独で治療した 群では、ほとんど腫瘍細胞の増殖抑制が認められなかった(図 2-6-3)。このように、バブルリポソ ームと超音波の併用は、バブルリポソームが分布している領域の腫瘍細胞を傷害可能な方法とし て有用であると考えられる。 図 2-6-2.バブルリポソームと超音波照射による腫瘍組織内の温度上昇 (帝京大学 丸山一雄氏 提供資料) 168 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 図 2-6-3.抗腫瘍効果に対する超音波強度の影響 (帝京大学 丸山一雄氏 提供資料) (5)樹状細胞を用いたがん免疫療法への応用 11)12) 樹状細胞免疫療法は、樹状細胞が持つ優れた「がん抗原」提示能力を活用している。樹状細胞 は、体内でがん細胞を攻撃する「T 細胞」に、攻撃の標的となる「がん抗原」の情報を与える役割を 担う。「がん抗原」の情報を受け取った T 細胞は、この「がん抗原」を持つがん細胞だけを標的とし て、集中的に攻撃する。MHC クラスⅠには内在性抗原が提示されており、樹状細胞に対して外来 性抗原にあたるがん関連抗原などはエンドサイトーシス経路で樹状細胞に取り込まれ MHC クラス Ⅱに抗原提示されてしまう。樹状細胞を利用したがん免疫療法を構築する上で重要な課題は、樹 状細胞にがん関連抗原を効率よく送達し、その抗原を樹状細胞表面の MHC クラス I 上に提示さ せ、がん細胞特異的な細胞傷害性 T 細胞を活性化することにある。そこで丸山教授らは、強力な 抗腫瘍免疫誘導を目的に、外来性抗原であっても MHC クラス I 上に抗原提示誘導可能な抗原 送達法の開発として、バブルリポソームと超音波照射の併用法を樹状細胞への抗原送達に応用す ることを試みた。 モデル抗原としてニワトリ卵白アルブミン(ovalbumin :OVA)を利用し、OVA 特異的細胞傷 害性 T 細胞の誘導を検討した。その結果、バブルリポソームと超音波を併用し OVA を送達した 樹状細胞を免疫したマウスで OVA 特異的細胞傷害性 T 細胞の誘導が確認された(図 2-6- 4)。 次に、実際のがん関連抗原に対する本抗原送達法の有用性を評価した。がん関連抗原として マウス黒色腫 (B16BL6 細胞) から抽出した膜抗原を利用し、バブルリポソームと超音波の併用 により抗原送達した樹状細胞を免疫したときの B16BL6 細胞の実験的肺転移モデルにおける肺 転移抑制効果を検討した。その結果、抗原送達した樹状細胞を免疫したマウスにおいて肺転移抑 制効果が認められた(図 2-6-5)。このことから、本抗原送達法は実際のがん関連抗原にも適用 可能であることが示唆された。このことから、バブルリポソームと超音波を用いた抗原送達法が、樹 状細胞を利用したがん免疫療法における効果的な新規抗原送達法になると期待される。 169 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 図 2-6-4.バブルリポソームによる MHC クラスⅠ抗原提示誘導 (帝京大学 丸山一雄氏 提供資料) 図 2-6-5.バブルリポソームと超音波照射の併用法の樹状細胞への抗原送達効率 および肺転移抑制効果 (帝京大学 丸山一雄氏 提供資料) 7) まとめ もともと診断領域で利用されている超音波技術の DDS への応用は、セラノスティクスを構築して いくうえで有望なマッチングではないかと思われる。日本はナノテクノロジーや超音波技術に関して 世界の中でも長けており、これらを基盤とした異分野技術の融合を、製薬メーカー、機器メーカー、 医師、技師、研究および官が連携し、推進していくべきであり、今後の日本が主導権を持てる可能 性がある医療技術の一つと考えられる。 170 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 【参考資料】 1) (公財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成 25 年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリ ング記録 帝京大学薬学部薬物送達研究室 丸山一雄氏 2013 年 9 月 30 日 非公開 2) 鈴木 亮、丸山 一雄 バブルリポソームを利用した超音波セラノスティクス ファルマシア Vol49 No7 660-664(2013) 3) http://www.ncc.go.jp/jp/information/pdf/20120606.pdf 4) http://zevalin.jp/unmember/main.php 5) 狩野 Drug Delivery System.26.386-391(2011) 6) 医薬品インタビューフォーム レボビスト®注射用 7) 医薬品インタビューフォーム ソナゾイド®注射用 16μL 8) Hult P. et.al., Med Biol Eng Comput. Mar;43(2):212-217(2005) 9) Ryo Suzuki、Yusuke Oda、Naoki Utoguchi、and Kazuo Maruyama., Development of Ultrasonic Cancer Therapy Using Ultrasound Sensitive Liposome. YAKUGAKU ZASSHI. Vol130 No12 1665-1670(2010) 10) RYO SUZUKI、YUSUKE ODA、DAIKI OMATA、YOSHIKAZU SAWAGUCHI、 MUTSUMI SEKI、HITOSHI URUGA、TOMOYUKI NAOI、YOICHI NEGISHI、 KAZUO MARUYAMA., Novel Strategies for Ultrasound Diagnostics and Therapeutics by Micro/Nanobubbles. Thermal Med, vol29 No2 37-46(2013). 11) http://www.nibio.go.jp/shinko/kenkyuu/h20kenkyuyouko/h20_07_24.html 12) Prophylactic immunization with Bubble liposomes and ultrasound-treated dendritic cells provided a four-fold decrease in the frequency of melanoma lung metastasis. Yusuke Oda, Ryo Suzuki, Shota Otake, Norihito Nishiie, Keiichi Hirata, Risa Koshima, Tetsuya Nomura, Naoki Utoguchi, Nobuki Kudo, Katsuro Tachibana, Kazuo Maruyama. J. Controlled Release. 160. 362-366. 2012 171 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 2-7.環境応答性ナノ粒子による新しい治療戦略 1) 1)はじめに 近年、新薬の創出において低分子有機化合物を中心とした合成化合物から、分子標的を担う 天然物やタンパク質へと移行している。しかしながら薬剤開発には多大なコストがかかるため、既存 薬物をナノ粒子のようなキャリアに封じ込め副作用を軽減させるとともに、腫瘍や疾患部位に集積さ せて効果の向上を図る薬物送達システム(DDS)が、分子標的と並ぶ創薬技術として近年急速に 発展を続けている。 がんに対する DDS 治療では、腫瘍新生血管透過性の亢進と未熟なリンパ系による回収不全の ため腫瘍近傍へのナノ粒子の蓄積(Enhanced permeation and retention effect:EPR 効果) があり、効果が上がっている。しかしながら、その集積性は高くとも 10%程度にすぎず、実際には動 物実験で良い条件を選んだとしても投与量の 3~5%程度しか集積できずに、90%以上は標的部 位以外に拡散あるいは代謝されてしまう。粒子への標的指向性基の導入などを利用した薬物キャ リアが検討されているが、粒子の分散安定性や血中滞留性を犠牲とするため、EPR 効果との両立 を図ることは容易ではないのが現状である。 筑波大学長崎らは、酸化ストレスである活性酸素種(Reactive Oxygen Species:ROS)をター ゲットとする研究に焦点をあて、ROS が関与する様々な疾病(歯周病、がん、アルツハイマーや、 脳梗塞、心筋梗塞等の再灌流障害等)の治療を目的とした親水性ポリマーを中心に検討を行って いる。 本項では、筑波大学長崎幸夫教授が HS 財団で実施した勉強会での講演内容に基づき、以下 の ROS を除去する親水性ポリマー分子を中心に解説する。 ・ 虚血再潅流及び、がんに対する、pH 応答性ポリマー ・ 潰瘍性大腸炎に対する、経口投与型ブロックポリマー ・ 脳内移行性、アルツハイマー治療ナノ粒子 ・ 歯周病に対する、ゲル化ポリイオンコンプレックス 2)ROS の発生と除去 Superoxide 等 の 、 酸 素 が 還 元 さ れ て 生 成 す る 化 合 物 は 総 称 し て 活 性 酸 素 種 ( Reactive Oxygen Species:ROS)と呼ばれている。生体内では ROS は、ミトコンドリア内でグルコースが酸 化し電子伝達系でエネルギーを生産する際に大量に産出される。これらはウイルスからの防御や、 炎症、アポトーシス等、さまざまな疾患に対して機能するものの、過剰に発生し生体が処理できな い場合、組織障害性のダメージを生じることが知られており、動脈硬化や発がん、糖尿病、アルツ ハイマー、老化、脳梗塞、心筋梗塞等の再灌流障害等など様々な疾患に関与することが明らかに なってきている(図 2-7-1)。また、薬 剤 、紫 外 線 、放 射 線 など様 々な外 的 要 因で産 出 される ROS は、疾患の原因になると考えられている。そのため生体内で除去しきれない ROS を外的要因 により除去する必要があるが、ROS を除去する低分子の抗酸化剤は全身に広がり、細胞内の酸化 還元反応を阻害し、副作用に繋がる可能性がある。すなわち、過剰に産生された ROS を安全に除 去することが治療の基本的な原理である。 ニトロキシドラジカルの一種である 2, 2, 6, 6-テトラメチルピペリジン 1-オキシル(2, 2, 6, 6 172 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 -tetramethylpiperidine 1-oxyl:TEMPO)は ROS に対して触媒的に働き、ROS の除去が可能 であることが知られている。この TEMPO を高分子に共有結合で担持させると、分子量が大きいた め細胞膜やミトコンドリア膜を透過することがなく、細胞内の生体機能に必須の酸化還元反応に影 響を与えない。そのため細胞外の過剰に出ている ROS のみを除去することが可能であり、安全で ある。 図 2-7-1.過剰に産生する活性酸素(ROS)による障害 (筑波大学 長崎幸夫氏提供) 3)虚血再潅流及び、がんに対する、pH 応答性ポリマー 長崎らは、親水性セグメントと疎水性セグメントを有するブロックポリマー(2 種類の高分子を末端 で結合させたポリマー)の疎水性セグメント側鎖にニトロキシドラジカルを共有結合で導入した高分 子を合成した(図 2-7-2) 2) 。このブロックポリマーは水中で、疎水部を中心部に、親水部を外側 に持つように自己組織化し、高分子ミセルを形成する。これを Redox Nanoparticle (RNP)と呼 ぶ。側鎖結合部位にアミノ基を導入した場合、酸性条件下ではアミノ基がプロトン化して疎水性セ グメントが親水化するように設計した(RNP N ) 3 ) 。疎水部側鎖のニトロキシドラジカルは、粒子内部 に封入される。ブロックポリマーの分子量は 10,000~15,000 程度である。水中ではミセルを生じ、 分子量が大きいため疎水的なセグメントが絡み合う。これは、低分子とは異なり血中でも簡単には 壊れずに粒子の形状を保つことができる。そのため、毒性もほとんど出ない。 光散乱法による粒径の測定において、サイズは 40nm、ポリマー分子は 200~300 程度が会合 していることより 1 粒子に 3,000~5,000 個のニトロキシドラジカルがコアの中に閉じ込められている 計算となる。 粒子があると散乱し、粒子が無いと散乱しないことを指標とした光散乱法により、pH 変化による 粒子の状態変化を確認した。ニトロキシド残基がアミノ基ではなく、エーテル結合によりポリマーに 173 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 結合する(RPN O )。すなわち pH 応答性を持たない RNP O は pH4~8 の間で散乱強度はほぼ変 わらず、粒子の変化はなかった。一方、pH 応答性の RPN N は pH7 では散乱強度が高いものの、 pH7 を下回ると散乱強度が下がることが確認された。これより、アミノ基がプロトン化して疎水作用 が減弱し、1 本ずつの鎖となって溶解することが判った。 調製した RNP N は、常磁性のニトロキシドラジカルをナノスペースに封入しているため、電子スピ ン共鳴(Electron Paramagnetic Resonance:EPR、Electron Spin Resonance:ESR)スペクト ルによる解析が可能である。ESR による解析を実施すると、pH7~10 では、ラジカルのシグナルが ブロードになった。これはコアの中にニトロキシドラジカルが閉じ込められているためシグナルが潰れ てしまうことを意味する。一方、pH7 以下では 3 本のシグナルが検出され、粒子がバラバラに崩壊し、 ニトロキシドラジカルが外に露出していることが分かる。 ESR でのラジカル分子の緩和時間の測定が可能であり、RPN N の緩和時間は pH6 と pH7 の 間で運動性が低い方から高い方に変化した。すなわち、粒子状態から個々のポリマーにバラバラ になっている状態へと変化していることが確かめられた。ESR のファントムで至適な閾値を取ると、 pH が中性と酸性で on/off が制御出来る。そのためイメージングにも使える可能性があり、ESR の 評価システムの in vivo の実験への応用も検討されている。 図 2-7-2.pH 応答性 RNP (筑波大学 長崎幸夫氏提供) 174 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 ① マウス腎虚血再灌流モデル マウスの腎臓への血流を止めることで作製される虚血再灌流モデルを用い、生体内における pH 変化に対する RNP O と RNP N の応答性を確認した。血液と腎臓における ESR スペクトルを測定 すると、pH に応答しない RNP O は血中および腎臓中でブロードなシグナルを示した。これは、粒子 のまま存在していることを示唆する。一方、アミノ基で繋いだ RNP N は血中ではブロードであったが、 腎臓中では 3 本のシグナルが検出された。in vitro での ESR による測定と同様、この粒子は炎症 を起こした腎臓中でポリマー単位にバラバラになっていると考えられる。 次に、ニトロキシドラジカルが ROS を除去することを確認した。コントロールと比較し、虚血再灌 流後では superoxide のレベルは 4 倍程度に増加する。一方、粒子を投与すると superoxide の 量はコントロールと同じレベルまで減少した。RNP N と RNP O の比較において、RNP O は虚血再灌 流モデルに対してある程度下げるが、粒子のままであるためスピードが遅くなる。一方、RNP N は外 に露出し、効率的に除去効果を示すことが判った。 ROS は細胞膜の脂質酸化を引き起こすため、脂質酸化を測定した。コントロールの虚血モデル では脂質酸化量が増加するが、RNP N を投与した場合、減少した。ROS を除去することで、脂質 酸化を抑えることが示唆された。また、サイトカインである IL-6 も、非常に低いレベルに抑制されて いた。RNP は ROS を除去しているだけで、脂質の酸化や炎症性のサイトカインを抑える効果があ ることが確認された。この腎障害モデルマウスを用い、RNP 投与による腎機能改善効果をクレアチ ニン(Creatinine:Cr)値、尿素窒素(Blood urea nitrogen:BUN)値を指標として測定した。虚 血再灌流モデルにおいて、薬剤無処置では Cr 値、BUN 値ともに値上昇するが、ナノ粒子を用い ることで組織の損傷も正常に戻り、Cr 値、BUN 値も正常値に回復した(図 2-7-3) 図 2-7-3.マウス腎虚血再灌流モデルへの RNP の効果 (筑波大学 長崎幸夫氏提供) 175 4) 。 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 ② 抗がん作用 がん微小環境における過剰な ROS の産生は、炎症反応やアポトーシスなどの数多くの生理現 象に関与する転写因子である Nuclear factor for kappa B(NF-κB)の活性化、がん細胞の薬物 排泄機構である P 糖タンパク質(P-glycoprotein:P-gp)の発現の亢進、また、細胞膜流動性の向 上、がん転移に際する浸潤能の増加を引き起こす。ROS を消去する抗酸化剤の投与により、これ らの生理状態を制御できると考えられるものの、従来の抗酸化剤では期待されるような結果が得ら れていない。これは前述のように低分子は生体内で非特異的に細胞内に拡散し、ミトコンドリア内 の電子伝達系に影響を与え副作用を生じる可能性があるため、必要量が投与出来ないことが原 因である。RNP は腫瘍に蓄積し、腫瘍組織内の過剰な ROS を効果的に消去できるため、がん細 胞の耐性や浸潤能の抑制に期待される。 RNP N を抗がん剤投与前にアジュバントとして静脈内投与し、その効果を検討した。RNP N を 4 日前、3 日前、2 日前、1 日前の 4 回投与し、その後に抗がん剤 Doxorubicin を尾静脈内投与し た。その後、がんのサイズを測定したところ、コントロールの Doxorubicin のみの効果と比較して、 RNP N を Doxorubicin 投与前に注射した場合、腫瘍の成長を抑制する効果が高いことが分かっ た(図 2-7-4)。この結果から、最初に腫瘍の周りの炎症、ROS を除去し、その後 Doxorubicin を作用させると著効することが推察される。Doxorubicin のメカニズムは様々報告されているが、細 胞核の中に入り、ROS を産生して遺伝子を壊す機序が知られている。一方、この作用は、正常細 胞、正常組織においてはダメージを与えるため副作用が起こると考えられている。血中を巡回する RNP により ROS を除去した状態で Doxorubicin を投与し、その後血中のマーカーである CPK ( creatine phosphokinase ) 、 LDH ( lactate dehydrogenase ) 、 ROS 、 MDA (malondialdehyde)を測定した結果、Doxorubicin のみの投与と比較し、肝臓、心臓のダメージ を示 す 指 標 で ある CPK、LDH の 上 昇 が 顕 著 に 低 く 抑 え られ る ことが 分 かった 。この こと から Doxorubicin の心臓、肝臓などの正常組織に対する副作用を RNP により減弱させると判断できる。 この様に RNP は、抗がん剤の効果を増強するとともに副作用を低減する作用を持つ QOL の高い ナノメディシンである。 176 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 図 2-7-4.RNP のがん化学療法に対するアジュバンド作用 (筑波大学 長崎幸夫氏提供) 4)安全性 RNP は、マウスの静注では LD50 が 600mg/kg とかなり高く、安全性に優れている。また、低分 子 4-Hydroxy-TEMPO(TEMPOL)を静注すると血圧は 2 割程度大きく下がるが、RNP として粒 子に閉じ込めると下がらないことが判っている。 正常細胞内への移行の有無が毒性に影響するため、血液を採取して RNP を添加し、赤血球に 対する取り込みを評価した。TEMPOL は低分子であり経時的に取り込まれる一方、RNP は 40nm のサイズであり、取り込みが起こらないことが確認された(図 2-7-5)。がん細胞は様々な物質を 取り込むため RNP はがん細胞内に移行できるが、健康な細胞である血小板や血液細胞には移行 できないため、静注において血中での悪影響は少ない。RNP は細胞内の正常な反応を抑えずに、 細胞外に流出する ROS 等を抑えることを意図してデザインしており、予想通りの結果が得られた。 次に ROS での溶血を保護できるか検討した。Xanthine を使用して superoxide を発生させ、 ROS による溶血惹起の条件下で 5mM の低分子 TEMPOL を添加しても、2 時間頃から溶血が 始まり 6 時間後には全て溶血した。一方 RNP を添加した場合は溶血をほぼ 100%抑制することが できた。細胞内への移行性のデータと合わせて考察すると、RNP は細胞の外に存在し、細胞の外 で発生させた ROS を細胞外のナノ粒子が除去するため、溶血を抑えることが出来ると考えられる。 177 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 図 2-7-5.赤血球への RNP の作用(取り込み) (筑波大学 長崎幸夫氏提供) 5)潰瘍性大腸炎に対する経口投与型ブロックポリマー ナノ粒子の薬物送達システムは静脈内投与が主流であるが、慢性疾患などの毎日の薬剤投与 には QOL(Quality of Life)の観点から経口投与が適している。RNP O を経口投与すると胃・腸を 通過し大腸に集積する。一方、RNP N は腸で吸収されて血中に入る。この 2 つの性質の違いにより、 疾患に適した治療戦略を取ることが出来る。 対象疾患の 1 つは潰瘍性大腸炎である。潰瘍性大腸炎は現在、年間 10 万人程度が発症して いるが、毎年 8 千人ずつ急激に増加している。また、若年層で発症するケースが多いと言われ、大 きな社会的問題となっている。これに対し腸溶剤が適応され効果が上がっているが、低分子のため 6~7 割が腸で吸収されてしまい大腸には充分量が届かない。これと比較し全く吸収されない RNP は局所に効果的に集積するだけでなく、全身への副作用が少ない等のメリットがあり、RNP を大腸 に効果的に集積できれば、RNP の抗炎症効果による薬効が期待できる。 RNP の大腸への到達程度を ESR にて測定した。低分子 TEMPOL は小腸で吸収されてしまう ため全く到達しなかった。ポリスチレンのラテックス粒子はサイズ依存的に大腸の粘膜に集積するこ とが分かった。RNP は 40nm のポリスチレンと同じサイズであるが、集積量は 1~2 桁ほど高く、投 与量の実に 15~20%が大腸の粘膜に集積した。これは RNP が、高分子ミセルの設計で表層に PEG があるため、凝集しにくく、また、タンパク質との非特異的吸着を抑える特徴を持つためである。 もう 1 つの特徴として、低分子は血中に入るが、RNP は潰瘍性大腸炎モデルにおいても、全く入ら ないため、全身への副作用を考えなくて良い利点がある5) 。 Dextran Sodium Sulfate(DSS)の投与により潰瘍性大腸炎モデルを構築し、RNP の治療効 果 を検 討 した。炎 症の程 度 は腸の長 さで判 定 した。低 分 子だと回 復できない条 件 下 において、 DSS 投与と RNP の投与を同時に行った(プロテクションの確認)場合も、DSS で腸に炎症を起こさ せ 1 週間後に RNP の投与を行った(治療効果の確認)場合も、同様にほぼコントロールと同程度 178 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 の大腸長を保ち、保護作用や回復作用が確認された5) 。ROS の量と、IL-1β、Disease Activity Index(DAI)、Myeloperoxidase(MPO)Activity は DSS で上昇し、これらが、RNP により抑制さ れることが確認された。生存実験においても、2 週間でほとんど死亡してしまう非常に強い投与条件 (3%DSS)において、空のミセルは全く効果がなく、低分子 TEMPOL や mesalamine 低分子はあ る程度の効果しか認められなかったが、RNP は、これらに比較して 80%以上の高い延命効果を示 した 5) 。組織染色(H/E)においても、組織の正常性が維持されていることが確認された。この様に、 RNP は経口投与に対して、安全で高い効果を発揮することが確認された(図 2-7-6) 5) 。 図 2-7-6.DSS で誘導したマウス大腸炎に対する RNP の効果 (筑波大学 長崎幸夫氏提供) 6)脳内移行性、アルツハイマー治療ナノ粒子 アルツハイマーは様々なメカニズムが提唱されているが、脳にアミロイドが沈着し、その線維化か ら ROS が発生して脳へのダメージが生じることがメカニズムの 1 つと言われている。このため、ROS を除去することが疾患の治癒に効果があると考えられる。 In vitro の研究として、神経細胞を採取しアミロイドβのオリゴマーを添加したところ、10~20 μM で毒性が現れ細胞が死滅した。一方 RNP N を同時に添加して ROS を除去すると、生存活性 が戻 る。アポトーシスについても、アミロイドβを添 加 するとアポトーシスファクターは上 がるが、 RNP N を添加すると濃度依存的に下がることが判った。RNP N は経口投与すると、胃で分子レベル に分離され、小腸で吸収される。血中には 5~7%が吸収され、24 時間程度検出することが出来る。 RNP N は、小腸に蓄積し、崩壊後は小腸粘膜から徐々に吸収されるため、半減期が長いと示唆さ れる。血中を廻るレドックスポリマーの一部は、脳へ移行することが確認された。RI でラベルしたポリ マーでは全投与量の 1%到達することが分かった。さらに ESR での検証においては 0.5~1%が脳 で検出された。この移行のメカニズムについては、今のところ分かっていない。 17 週齢の加齢促進モデルマウス(SAMP8)と通常のマウス(SAMR1)に対し、水迷路試験を行 179 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 い、プールの中のテーブルをマウスが見つけ、休むまでの時間を測定したところ、SAMR1 は 25 秒 程度でテーブルを見つけるが、SAMP8 はなかなか見つけられず 1 分程度かかる。また、SAMP8 は 4 週間行っても学習効果が見られない。一方、SAMP8 に RNP N を 1 日 1 回投与すると、認識 能が通常のマウスと同程度まで向上した。ROS の除去のみでこれほど効果があるか否かは、これか らの検討課題ではあるが、通常 SAMP8 は SAMR1 と比較しニューロンの数は場所によっては 2 ~3 割程少ないが、RNP N の経口投与により、数が増加する傾向が確認された。IL-6、TNF-α、 IL-1β等、サイトカインの量も優位に下がっており、ROS の除去によるアルツハイマー病に対する 効果が期待される。 7)歯周病に対する、ゲル化ポリイオンコンプレックス 歯周病は歯周ポケットに炎症が起きる疾患であり、我が国で 8,000 万人が罹患していると言われ ている。この部位に抗酸化剤、抗炎症剤を導入しても保持性が低く、すぐに効力を無くしてしまう。 また、歯科医師が毎日使うようにと指導しても、患者は使わない。そこで、長期滞留型のゲル化ポリ イオンコンプレックスを新規材料として開発した。 作製した疎水性ポリアミン‐PEG‐疎水性ポリアミンの ABA 型ポリマーは、アニオンと混合すると カチオン-アニオンでポリイオンコンプレックスを形成する。低分子イオンは水に解けるが、高分子の イオンコンプレックスは疎水化し不溶性となる。その結果、ポリカチオンとポリアニオンが疎水性のコ アになり、間の鎖がループとなりフラワーミセルを形成する(図 2-7-7)。 図 2-7-7.フラワーミセルのゲル化 (筑波大学 長崎幸夫氏提供) フラワーミセルの PEG 鎖はループ状でエントロピー的に不利であり、コアの静電相互作用は温 度やイオン強度の影響を受ける。そのためイオン強度と温度が上がるとコアが緩み、エントロピー的 に不利なループのためコアが壊れてゲル化し、Redox Injectable Gel(RIG)となる。フラワーミセ ルはイオン強度が 150 mM において、37 度になると不可逆的にゲル化し、25 度に下げるとゲル状 180 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 態を長時間維持する。すなわち、生体内の環境(皮下)において、フラワーミセルはゲル状態となり、 その状態を長期的に維持する。 マウスの肉球の片側に RIG を、片側に低分子 4-Hydroxy-TEMPO (TEMPOL)を注射した。 ESR でイメージングをすると直後は両方で検出されるが、TEMPOL のシグナルは 40 分程度で消 失した。一方、RIG は 5 時間経過した後でも検出できた。また、ROS を除去しないゲル NonRedox Injectable Gel(nRIG)に低分子 TEMPOL を封入して注射した場合でも、滞留性の延長 はほとんど見られず、TEMPOL は 45 分程度で消失した(図 2-7-8)。RIG の形成後の減衰を 考慮すると 1 週間は保持が可能と予測される。これは 1 週間に 1 度での治療が可能になるため、 歯周病に効果的であると思われる。 図 2-7-8.フラワーミセルのマウス肉球への滞留性 (筑波大学 長崎幸夫氏提供) 8)まとめ ・ RNP をニトロキシドラジカル含有親‐疎水ブロックポリマーから作製した。 ・ RNP ナノ粒子は細胞に入らずに細胞外の ROS を除去する。 ・ 静脈内に投与すると脳、腎臓の再灌流モデルに効果がある。 ・ 経口投与で pH 非応答型レドックスナノ粒子(RNP O )は、大腸に高度に集積し、潰瘍性大腸 炎に効果的である。 ・ 経口投与で pH 応答型レドックスナノ粒子(RNP N )は、血中、さらには脳に到達し、アルツハ イマー病に効果的である。 ・ Redox Injectable Gel(RIG)は局所で 1 週間にわたり ROS を消去し、歯周病等に効果があ る。 181 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 【参考資料】 1) (公財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成 25 年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリン グ記録 筑波大学数理・フロンティア医科学・WPI-MANA 長崎 幸夫氏 2013 年 10 月 2 日 非公開 2) Yoshitomi, et al., Biomacromolecules: 10(3) 596-601(2009) 3) Yoshitomi, et al., Bioconjugate Chemistry: 20(9) 1792-1798(2009) 4) Yoshitomi, et al., Biomaterials, 32(31), 8021-8028 (2011) 5) Vong, et al., Gastroenterology, 143(4), 1027-1036(2012) 182 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 2-8.ナノ診断デバイス開発研究の進展と今後 1) 1) はじめに 東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻のナノデバイス研究室においては、 がんの早期診断に役だてることを目標として、血中の分泌型マイクロ RNA(miRNA)の検査を自 動化するナノデバイスの研究開発がすすめられている。分泌型 miRNA の多くは、エクソソームとい う直径 100nm 以下の小胞体に封入されて存在している。そのために、ナノデバイスの開発につい ては、ナノ粒子の計測及び miRNA の定量の二つの工程を自動化するデバイス開発が必要となる。 これらのデバイス開発は、総合科学技術会議の最先端研究開発支援(FIRST)プログラムのひと つである「ナノバイオテクノロジーが先導する診断・治療イノベーション(中心研究者 東京大学大 学院工学研究科 医科学研究科 片岡一則 教授、サブテーマリーダー 同研究科 バイオエンジ ニアリング専攻 一木隆範 准教授)」に含まれる課題として取り組まれている。 (公財)ヒューマンサイエンス振興財団の創薬技術調査ワーキンググループは、一木隆範 准教 授に FIRST プログラムにおけるナノデバイスの研究開発の進展と今後についてヒアリングを行った ので本項において、その内容を解説する。 2) バイオマーカーとしてのエクソソーム及び分泌型 miRNA とそれらの分析手法 miRNA とは、DNA の非コード領域から生成される小分子 RNA であり、mRNA に干渉し発現 をファインチューニングする。血液中には一部は蛋白に結合して存在するものの、多くはエクソソー ムに封入され安定に存在し、熱や酵素による分解作用にも抵抗性がある。もともとエクソソームは、 細胞の不要成分を封入した廃棄体と考えられていたため研究者の興味を集めことは少なかった。 しかし、2007 年にスウェーデンの研究者によりエクソソーム中に活性のある miRNA が発見されて からは、急速に医療・診断への応用が研究されることとなった 2) 。 細胞から放出される小胞体は多様である。粒子径及び密度をみると、エクソソーム、マイクロベシ クル、アポトーシス小体などの数種の小胞体はそれぞれ似た性質を持っている。しかし、放出される 機序は異なるため分離分析が望まれるが、通常に使用される分離法は超遠心分離に限られており、 物理的性質の似かよった小胞体を純度高く分離することは難しい。他の方法も試みられているが、 現状においては確立された分離法はない。 エクソソームは、細胞外小胞体に属する。小胞体の主なものはエクソソームとマイクロべシクルで ある。細胞から放出される機序は異なり、前者は後期エンドソームの膜から小粒子が生成し細胞外 に放出される。放出されるときに、もとの細胞の細胞膜の一部がエクソソーム膜と融合していると言 われている。後者は、細胞膜が小さく分離し放出される。エクソソームには細胞膜及びエンドソーム 膜が含まれること、表面には膜たんぱく質も含まれること、さらにその中には miRNA 他の核酸や蛋 白質が封入されていることから、エクソソームは、もとの細胞の性質に加えて細胞内の遺伝子発現 に関係する情報を反映するものとして魅力のある研究対象となる。 疾病診断のバイオマーカーとしてエクソソームの研究を進める場合、エクソソーム膜およびエクソ ソーム内に含まれる蛋白質をプロテオミクス解析する方法がある。エクソソームは、正常細胞からも がん細胞からも放出される。特定の蛋白質をマーカーとして、がん細胞から体液に放出されるエク ソソームを特異的に検出できれば、がんの診断に利用できる。一方、超遠心分離又はそれに代わ る方法により体液からエクソソームを分離し、その中に含まれる miRNA(分泌型 RNA)を解析する 183 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 ことも考えられる。しかし、一連の解析は、長時間のしかも熟練した解析手技が必要とされる。 一木らの研究開発においては、分泌型 miRNA の解析によるがんの早期診断が目標に掲げら れている。その実現のため開発課題は、①miRNA 及びエクソソーム研究用基盤技術の開発及び ②迅速 miRNA 診断用ナノデバイスの開発とされている(図 2-8-1)。 図 2-8-1.miRNA によるがんの新規診断法に向けて (東京大学大学院工学研究科 一木隆範氏 提供) 3) バイオナノデバイスによるエクソソーム計測 3)〜6) エクソソームの計測は細胞分析に似ているところがある。エクソソームには複合的な成分、つまり 脂質、蛋白質それに加えて核酸も含まれていることから、その計測・解析については、いわゆるオミ ックス解析技術が広く応用される。計測については、粒経と表面電位の差を原理としてフロー計測 することもある。すでにいくつかのナノ粒子計測装置が市販されているが、標準法に値する装置と は考えにくい。 例えばナノサイト社の粒経測定装置は、液体中でブラウン運動するナノ粒子にレーザー光を照 射しその散乱光をビデオカメラで検出し粒子数とその粒径分布を計測する。他方、フローサイトメー ター(FCM)は原理的にはエクソソームの計測が可能であるが、実際には、エクソソームの粒径が 100nm にも満たない大きさであること、そのために染色抗体の標的となる分子数が少なく速やかに 退色し計数は難しいものとなる。蛍光強度をあげるために、多数個のエクソソームを抗体ビーズに 結合させそれを FCM に供するなどの工夫が必要となる。 一木らが開発する分析装置は、エクソソームの免疫電気泳動法により計測する。この方法にお いては、エクソソーム膜表面の抗原(例えば CD63)と反応する特異抗体を用意する。エクソソーム に抗体が結合した状態で電気泳動を行うと、抗体のもつ陽性電荷の影響を受け、エクソソームのみ を電気泳動した場合に比較して泳動パターンが異なる。抗体の反応前のエクソソームの表面電位 (ゼータ電位)の差を利用してエクソソーム表面の抗原タンパク質の評価ができるわけである。電位 184 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 の測定は、測定対象の大きさには影響を受けないために、エクソソームのような微小粒子について の計測には適している(図 2-8-2)。 図 2-8-2.エクソソームの免疫電気泳動 (東京大学大学院工学研究科 一木隆範氏 提供) 開発中の実際の装置においては、ポリジメチルシロキサン基板に微細加工されたマイクロキャピ ラリーチップを用いる免疫電気泳動装置により、エクソソームの一粒子レベルのゼータ電位変化を 計測する。エクソソームは微小であるため、通常の顕微鏡では観察できない。そのため、この装置 の光学系では、レーザー暗視野顕微鏡による高感度イメージングにより散乱光が検出されている。 この装置を用いて乳がん細胞由来のエクソソームの免疫電気泳動が実施された。乳がん(Her2 蛋白を発現する SK-BR-3 セルライン)由来のエクソソームを、Her2 特異抗体と反応させたもの及 び他の非特異的抗体と反応させたもののそれぞれについて免疫電気泳動を行いゼータ電位が計 測された。抗体が結合しないもとのエクソソームは陰性に荷電しており、一方で抗体が結合したエク ソソームの電位は陽性側にシフトする。ゼータ電位の分布に離れ値があるのは、エクソソームの精 製時に他の粒子の混入があったものと考えられている。 マウスにヒトがん細胞(乳がん MM231LN セルライン、CD44 蛋白を発現)を移植し、移植後 30 日後に採取した血液からエクソソームを遠心分離した。分離画分には、がん細胞由来のエクソソー ムに加えて、正常細胞由来のエクソソームも含まれる。上記の実験と同様に、エクソソームを CD63 特異抗体と反応させたもの及び他の非特異的抗体と反応させたもののそれぞれについて免疫電 気泳動を行いゼータ電位が計測された。CD63 と結合したエクソソームは、対象に比較してピーク が陽性側にシフトした泳動像として観察される。同様に CD44 と結合するエクソソームの泳動像も観 察でき、不均一なエクソソームが存在する場合にも分別して泳動できることが確認されている。 185 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 4)分泌型 miRNA による迅速がん診断デバイスの開発 FIRST プログラムにおける最終のゴールは、病院の検査室や検査センターで使用されている現 在の大型の検査機器を、家庭でも使用できる小型化・ポータブル化した簡易検査機器を開発する ことにある。それは、分泌型 miRNA をマーカーとして、微量の体液さえ検査機器に供すれば、誰 にでも簡易に検査・診断結果が得られる“sample-to-answer(検体から直接結果がでる)”タイプ のがん診断デバイスを開発することである(図 2-8-3)。 図 2-8-3.分泌型 miRNA によるがん診断 (東京大学大学院工学研究科 一木隆範氏 提供) ナノデバイス上の各部分の機能は、血液から血漿の分離、血漿からエクソソームの抽出及び破 砕、miRNA の精製及び検出である。これらの工程をマイクロ流路でつながれたネットワークで行う こととなる。各工程(ユニット)への試料のフローは、マイクロバルブ及び外部ポンプにより制御されて いる。 エクソソーム抽出工程は、幅が約 2cm、高さが約 100μm のユニット内で行う。ユニット内の下面 及び上面は表面が化学修飾されており、エクソソームの脂質二重膜と疎水性の相互作用が起こり、 エクソソームを吸着する。実際に試料を流し、ユニット内部表面を電子感度顕微鏡で観察すると、 フローの上流部分に行くほど大量にエクソソームに相当する粒径の微粒子が吸着されているところ が見える。この方法により、1 分程度で 60~80%程度の収率でエクソソームを回収できると考えられ ている。エクソソームの脂質二重膜は、界面活性剤の処理により容易に破砕される。 miRNA の回収・精製は、通常のシリカメンブラン吸着法を流体デバイス中で行う。標的となる miRNA の検出は、マイクロアレイ法により検出ユニット内で行う。アレイユニットには、キャプチャー 用のプローブが結合しており、標的 miRNA がハイブリダイゼーション反応し、次いで(Alexa647 蛍光標識)検出用プローブが結合して複合体を形成する。その後、複合体に T4 DNA リガーゼを 反応させると、複合体は安定性が増し、低濃度領域でも検出できるようになる。さらに高感度化する 186 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 と、増幅反応(PCR)の必要のない検出系のデザインも可能となる(図 2-8-4)。 図 2-8-4.miRNA の検出法 (東京大学大学院工学研究科 一木隆範氏 提供) このように、ひとつのナノデバイス内で、エクソソームの精製、エクソソームの破砕と miRNA の精 製、そしてマイクロアレイ法による検出を、数十分という短時間で行い得るナノデバイスの研究開発 がすすめられている(図 2-8-5)。 図 2-8-5.ナノデバイスの機能及び処理時間 (東京大学大学院工学研究科 一木隆範氏 提供) 187 第 2 章 ナノテクノロジーの創薬・医療への応用 【参考資料】 1) (公財)ヒューマンサイエンス振興財団 平成 25 年度創薬技術調査ワーキンググループヒアリン グ記録 東京大学大学院工学研究科 医科学研究科 バイオエンジニアリング専攻 一木隆範 氏 2013 年 10 月 9 日 非公開 2) Valadi, H., et al, Exosome-mediated transfer of mRNAs and microRNAs is a novel mechanism of genetic exchange between cells, Nat. Cell Biol., 9, 654(2007). 3) 一木隆範, 体液エクソソームの診断プラットフォーム, 細胞工学, 32(1), 91(2013). 4) 一木隆範, miRNA によるがん診断プラットフォーム, 現代化学, 504, 42(2013). 5) Kato, K., et al., Statistical fluctuation in zeta potential distribution of nanoliposomes measured by on-chip microcapillary electrophoresis, Electrophoresis, 34 (8), 1212(2013). 6) 一木隆範, ナノ診断システムの創成, ナノバイオニュースレター, 第 6 号, 8(2014). 188 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 第3章 社会・行政・企業等の動向 3-1.独立行政法人日本医療研究開発機構の創設に向けた取組み 1)はじめに 独立行政法人日本医療研究開発機構の創設に向けた取組みは、当初、日本版 NIH 構想とも 呼ばれていたが、安倍総理大臣が 2013 年 4 月に発表した成長戦略の第一弾の柱となる施策であ り、政府の成長戦略にも盛り込まれている。 当初の日本版 NIH 構想では、米国の政府機関で医療分野における一大研究拠点として知ら れる国立衛生研究所(NIH)をモデルにした、先端医療研究の司令塔としての新独立行政法人の 構築によって、政府の重点分野や目標に沿い、国の研究開発予算をどの大学や研究機関に配分 するかを判断する。それにより、予算を一元化して無駄をなくし、研究開発を効果的に進めることを 狙いとしていた。 その後、健康・医療戦略推進法案の検討、独立行政法人日本医療研究開発機構法案の検討 を経て、米国 NIH とは規模・内容・機能の異なる「日本医療研究開発機構」の設立に向けた動き に移行し、日本医療研究開発機構は、2015 年(平成 27 年 4 月 1 日)の設立に向けて動きを本格 化している。 2)健康・医療戦略本部の設置 1)2)3) 日本が世界最先端の医療技術・サービスを実現し、健康寿命延伸を達成すると同時に、それに より医療、医薬品、医療機器を戦略産業として育成し、日本経済再生の柱とすることを目指すため、 平成 25 年 2 月 22 日、「健康・医療戦略室」が内閣官房に設置された。 そして、平成 25 年 6 月 14 日に閣議決定した「日本再興戦略」及び関係閣僚申合せによる「健 康・医療戦略」に基づき、平成 25 年 8 月 2 日付で、医療分野の研究開発の司令塔の本部となる 「健康・医療戦略推進本部」が内閣に設置された。 これに伴い厚生労働省でも、安倍政権の成長戦略の重要な柱の一つである健康・医療分野の 取組を強力に推進するため、内閣官房に「健康・医療戦略室」が設置されることに併せて、厚生労 働大臣を本部長とする「健康・医療戦略厚生労働省推進本部」を平成 25 年 8 月 2 日付で新たに 設置した。推進本部の下には、厚生労働大臣官房技術総括審議官を主査とする「推進チーム」を 設置するとともに、「医薬品」「医療機器等」「再生医療」「国際展開」の 4 つのタスクフォースを設置 し、国民の健康寿命の延伸、世界最先端の医療の実現、医薬品・医療機器等の開発の促進と関 連産業の発展などに総合的に取り組むことにしている。健康・医療戦略厚生労働省推進本部の設 置に伴い、厚生労働省医療イノベーション推進本部は廃止された。 3)医療分野の研究開発に関する総合戦略 4)5)6) 医療分野の研究開発に関する総合戦略は、平成 25 年 11 月 26 日に開催された第 5 回健康・ 医療戦略参与会合においてたたき台が示され、平成 25 年 12 月 16 日付で、「医療分野の研究開 発に関する総合戦略(基本的考え方)(案)」が公表された。 たたき台の段階で示された総合戦略のポイントを図 3-1-1、図 3-1-2 に示し、平成 25 年 12 189 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 月 16 日付示された。「医療分野の研究開発に関する総合戦略(基本的考え方)(案)」の目次を図 3-1-3 に示す。 図 3-1-1.医療分野の研究開発に関する総合戦略(たたき台)のポイント 図 3-1-2.医療分野の研究開発における新たな研究支援体制 190 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 目 次 Ⅰ.はじめに 1.医学研究の新しい展開について ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 2.医療分野を巡る現状認識と新たな医療分野の研究開発の取組の開始について ・・・・・・・・ 4 3.これまでの検討の経緯と進捗 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 4.総合戦略の位置づけ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 5.総合戦略の実現により期待される具体的将来像 ・・・・・・・・・・ 6 (1)国民に対し、世界をリードする医療提供を実現する国 ・・・・・・ 6 ① 国民の健康寿命の延伸 ② 国民・社会の期待に応える医療の実現 ③ 我が国の技術力を最大限生かした医療の実現 (2)医薬品・医療機器関連分野における産業力の向上 ・・・・・・・・ 7 (3)医療の国際連携、国際貢献を進める国 ・・・・・・・・・・・・・ 7 6.我が国の課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 (1)基礎研究の抱える課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 (2)臨床研究の抱える課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 (3)産業界の抱える課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 (4)研究支援体制の抱える課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10 Ⅱ.課題解決に向けて求められる取組 1.基礎研究成果を実用化に繋ぐ体制の構築 ・・・・・・・・・・・・・ 11 (1)臨床研究・治験実施環境の抜本的向上の必要性 ・・・・・・・・・ 11 ① 症例集積性の向上と治験に係るコストの適正化・スピード、質の向上 ② 研究者・専門家の育成・人材確保 ③ 臨床研究のための共通的な基盤の共用 ④ 研究不正・研究費不正使用等防止への対応 ⑤ 患者との連携及び国民への啓発活動等への取組 (2)「循環型研究開発」の推進とオープンイノベーションの実現 ・・・・ 13 2.医薬品・医療機器開発の新たな仕組みの構築 ・・・・・・・・・・・ 14 (1)医薬品分野 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14 (2)医療機器分野 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 15 3.エビデンスに基づく医療の実現に向けて ・・・・・・・・・・・・・16 4.ICTに関する取組 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16 5.世界最先端の医療の実現に向けた取組 ・・・・・・・・・・・・・・ 17 (1)再生医療の実現等 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17 (2)ゲノム医療の実現 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18 (3)その他の先進的な研究開発への取組 ・・・・・・・・・・・・・・ 19 6.国際的視点に基づく取組 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20 (1)国際的視野でのテーマ設定 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20 (2)国際協力・展開及び国際貢献(欧米、アジア等) ・・・・・・・・ 20 (3)規制の国際整合等 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20 7.人材育成 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21 8.公正な研究を行う仕組み及び倫理・法令・指針遵守のための環境整備・ 21 9.研究基盤の整備 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22 10.知財のマネジメントへの取組 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22 Ⅲ.新たな医療分野の研究開発体制に期待される役割 1.新独法に期待される機能 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23 (1) 医療に関する研究開発のマネジメント ・・・・・・・・・・・・・ 23 (2) 臨床研究・治験データマネージメント ・・・・・・・・・・・・・ 24 (3) 実用化へ向けた支援 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 24 (4) 研究開発の基盤整備に対する支援 ・・・・・・・・・・・・・・・ 24 (5) 国際戦略の推進 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 24 2.基礎研究から実用化へ一貫して繋ぐプロジェクトの実施 ・・・・・・ 25 3.共通基盤の整備・利活用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 28 4.臨床研究中核病院(仮称)の医療法上の位置づけ ・・・・・・・・・ 29 図 3-1-3.医療分野の研究開発に関する総合戦略(基本的考え方)(案)の目次 191 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 4)日本医療研究開発機構 7)8) 内閣官房の健康・医療戦略室は、2014 年 12 月に「日本医療研究開発機構(仮称)について」を 公表した。日本医療研究開発機構(以下、新独法と称す)は、2015 年(平成 27 年)4 月 1 日に創 設される予定である。 内閣官房の公表では、図 3-1-4 に示したような、医療分野のファンディング機能を新独法に 一元化する効果が期待できるとしている。 また、新独法一元化対象経費を図 3-1-5 に示したように考えており、平成 26 年度の要求・要 望額を 1,382 億円としている。 新独法の職員数及びその移管元については、図 3-1-6 に示したように考えられている。 図 3-1-4.医療分野のフアンディング機能を新独法に一元化する効果 192 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 図 3-1-5.医療分野の研究開発関連予算のうち新独法一元化対象経費 図 3-1-6.新独法職員数及びその移管元 193 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 5)平成 26 年度医療分野の研究開発関連予算のポイント 9)10)11) 平成 26 年度医療分野の研究開発関連予算のポイントを図 3-1-7 に示す。 新独法一元化対象経費は 1,215 億円となり、主な取組としては、Ⅰ.医薬品・医療機器開発へ の取組として、①医薬品創出の基盤強化に向けて 254 億円、②オールジャパンでの医療機器開 発 112 億円、Ⅱ.臨床研究・治験への取組として、③革新的医療技術創出拠点プロジェクトに 121 億円、Ⅲ.世界最先端の医療の実現に向けた取組として、④再生医療の実現化ハイウェイ構想に 151 億円、⑤疾病克服に向けたゲノム医療実現化プロジェクトに 70 億円、Ⅳ.疾病領域ごとの取 組として、⑥ジャパン・キャンサーリサーチ・プロジェクトに 172 億円、⑦脳とこころの健康大国実現 プロジェクトに 71 億円、⑧新興・再興感染症制御プロジェクトに 53 億円、⑨難病克服プロジェクト に 93 億円、となっている。 図 3-1-7.平成 26 年度医療分野の研究開発関連予算のポイント 194 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 (1) 医薬品創出の基盤強化に向けて 図 3-1-8.医薬品創出の基盤強化に向けて 医薬品創出の基盤強化においては、達成目標を 2015 年度までに有望シーズへの創薬支援 40 件、企業への導出 1 件、2020 年までに有望シーズへの創薬支援 200 件、企業への導出 5 件とし ており、平成 26 年度新独法一元化対象経費は 198 億円としている。 取組の支援基盤は、文部科学省、厚生労働省、経済産業省の 3 つの関連研究機関であり、以 下の取組を行う。 ① 理化学研究所においては、SACLA、Spring8、京コンピュータ等の研究基盤を利用した探索 研究及び最適化研究の支援 ② 医薬基盤研究所においては、創薬支援戦略室を基本とする創薬支援ネットワークの本部機能 ③ 産業技術総合研究所においては、計測基盤技術・ツールを用いた探索研究及び最適化研究 の実施、である。 また、創薬等ライフサイエンス研究支援基盤事業として、我が国の大学等の優れた基礎研究の 成果を医薬品等としての実用化につなげるために、創薬等のライフサイエンス研究に資する高度な 技術や施設等を共用する創薬・医療技術支援基盤を構築して、大学・研究機関等による創薬等 の研究を支援するとしている。 195 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 (2)オールジャパンでの医療機器開発 図 3-1-9.オールジャパンでの医療機器開発 オールジャパンでの医療機器開発においては、2015 年度までに、医療機器開発・実用化促進 のためのガイドラインを新たに 10 本策定し、国内医療機器市場規模を 2.7 兆円に拡大するとして いる。 そして、2020 年度までの達成目標は、医療機器の輸出額を倍増し、平成 23 年約 5 千億円を 約 1 兆円に拡大させ、5 種類以上の革新的医療機器を実用化し、国内医療機器市場規模を 3.2 兆円に拡大するとしている。 そのための具体的な取組項目は以下に示す通りである。 最先端技術 シーズの開拓 大学シーズの適切な移転 日本発、国際競争力の高い機器開発 中小企業の ものづくり 技術の活用 臨床拠点を核とした機器創出 適切な審査と安全対策のための基盤整備 196 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 (3)革新的医療技術創出拠点プロジェクト 図 3-1-10.革新的医療技術創出拠点プロジェクト 革新的医療技術創出プロジェクトにおいては、文部科学省と厚生労働省の連携を基本とし、文 部科学省及び厚生労働省が一体となって新たな事業を創設することにより、両省の強みを生かし ながら、アカデミア等における画期的な基礎研究成果を一気通貫に実用化に繋ぐ体制を構築する とともに、各開発段階のシーズについて国際水準の質の高い臨床研究・治験を実施・支援する体 制の整備もおこなうこととし、拠点組織や研究費を大幅に拡充・強化し、革新的な医薬品・医療機 器が持続的にかつより多く創出される体制を構築するとしている。 2015 年度までの達成目標は、医師主導治験届出数 20 件(年間)、FIH(First in Human)試 験(企業治験含む)25 件(年間)であり、2020 年度までの達成目標は、医師主導治験届出数 40 件(年間)、FIH 試験(企業治験含む)40 件(年間)である。 革新的医療技術創出拠点においては、シーズを育成し、国際水準の臨床研究・治験を実施し、 革新的シーズのより太いパイプラインによって、切れ目ない支援を行うとしている。 197 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 (4)再生医療の実現化ハイウェイ構想 図 3-1-11.再生医療実現化ハイウェイ構想 再生医療の実現化ハイウェイ構想においては、文部科学省、厚生労働省、経済産業省の連携 による、いち早い再生医療・創薬の実現を目標としており、再生医療の迅速な実現に向けて、3 省 が連携して、基礎から臨床段階まで切れ目なく一貫した支援を行うとともに、再生医療関連産業の ための基盤整備ならびに、iPS 細胞の創薬支援ツールとしての活用に向けた支援を進め、新薬開 発の効率性の向上を図るとしている。 【2015 年度までの達成目標】 ヒト幹細胞等を用いた研究の臨床研究又は治験への移行数 約 10 件(ex.加齢黄斑変性、 角膜疾患、膝半月板損傷、骨・軟骨再建、血液疾患) iPS 細胞を用いた創薬技術の開発 【2020 年頃までの達成目標】 iPS 細胞技術を活用して作製した新規治療薬の臨床応用 再生医療等製品の薬事承認数の増加 臨床研究・治験に移行する対象疾患の拡大 再生医療関係の周辺機器・装置の実用化 198 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 (5)疾病克服に向けたゲノム医療実現化プロジェクト 図 3-1-12.疾病克服に向けたゲノム医療実現化プロジェクト 疾病克服に向けたゲノム医療実現化プロジェクトは、文部科学省、厚生労働省の連携による、が んや生活習慣病等の疾患克服に向けたオーダーメイド・ゲノム医療の実現を目標としている。急速 に進むゲノム解析技術の進展を踏まえ、疾患と遺伝的要因や環境要因等の関連性の解明の成果 を迅速に国民に還元するため、解析基盤の強化を図り、特定の疾患に対する臨床応用を推進す るとしている。 【2015 年度までの達成目標】 バーチャル・メガバイオバンクの構築 セントラル・ゲノムセンター、メディカル・ゲノムセンターの整備 疾患に関する全ゲノム・多様性データベースの構築、日本人の標準的なゲノム配列の特定、 疾患予後遺伝子の同定 抗てんかん薬の副作用の予測診断の確立 【2020~30 年度までの達成目標】 生活習慣病(糖尿病や脳卒中、心筋梗塞等)の劇的な改善 発がん予測診断、抗がん剤等の医薬品副作用の予測診断の確立 うつ、認知症の臨床研究の開始 神経難病等の発症原因の解明 199 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 (6)ジャパン・キャンサーリサーチ・プロジェクト 図 3-1-13.ジャパン・キャンサーリサーチ・プロジェクト ジャパン・キャンサーリサーチ・プロジェクトは、文部科学省、厚生労働省、経済産業省の有機的 連携体制による、がん研究の一体的推進のプロジェクトである。 平成 24 年 6 月に閣議決定された「がん対策推進基本計画」に基づき策定される「がん研究 10 か年戦略(仮称)」を踏まえ、関係省庁の所管する研究関連事業の有機的連携のもと、がんの本態 解明等に係る基礎研究から実用化に向けた研究まで一体的に推進するプロジェクトである。 【2015 年度までの達成目標】 新規抗がん剤の有望シーズを 10 種取得 早期診断バイオマーカー及び免疫治療予測マーカー5 種取得 がんによる死亡率を 20%減少させる(平成 17 年の 75 歳未満の年齢調整死亡率に比べて 平成 27 年に 20%減少させる) 【2020 年度までの達成目標】 5 年以内に日本発の革新的ながん治療薬の創出に 向けた 10 種類以上の治験への導出 小児がん、難治性がん、希少がん等に関して、未承認薬・適応外薬を含む治療薬の実用 化に向けた 5 種類以上の治験への導出 いわゆるドラッグ・ラグ、デバイス・ラグの解消 高齢者のがんに対する標準治療の確立(ガイドラインの作成) 200 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 (7)脳とこころの健康大国実現プロジェクト 図 3-1-14.脳とこころの健康大国実現プロジェクト 脳とこころの健康大国実現プロジェクトは、「健やかな脳を育て、守り、取り戻せる社会を目指して」 を目標としている。 文部科学省、厚生労働省、経済産業省の連携による認知症・精神疾患等の克服を目的として、 認知症やうつ病などの精神疾患等の発症に関わる脳神経回路・機能の解明に向けた研究開発及 び基盤整備を強力に進めることにより、革新的診断・予防・治療法を確立し、認知症・精神疾患等 を克服する。 【2015 年度までの達成目標】 分子イメージングによる超早期認知症診断方法を確立 精神疾患の診断に関連するバイオマーカー候補を発見 【2020 年頃までの達成目標】 日本発の認知症、うつ病等の精神疾患の根本治療薬候補の治験開始 精神疾患の客観的診断法の確立 脳全体の神経回路の構造と活動に関するマップの完成 201 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 (8)新興・再興感染症制御プロジェクト 図 3-1-15.新興・再興感染症制御プロジェクト 新興・再興感染症制御プロジェクトは、厚生労働省、文部科学省の連携による革新的医薬品等 の創出と感染症対策の強化であり、新型インフルエンザ等の感染症から国民及び世界の人々を守 るため、感染症に関する国内外での研究を厚生労働省と文部科学省が連携して推進するとともに、 その成果をより効率的・効果的に治療薬・診断薬・ワクチンの開発等につなげることで、感染症対 策を強化することとしている。 【2015 年度までの達成目標】 - グローバルな病原体・臨床情報の共有体制の確立を基にした 病原体及びその遺伝情報の収集 生理学的及び臨床的な病態の解明 【2020 年までの達成目標】 - 得られた病原体等を基にした新たな迅速診断法等の開発 - 網羅的病原体ゲノム解析法等の抜本的な検査手法の確立 【2030 年までの達成目標】 - 新たなワクチンの開発(例:インフルエンザに対する万能ワクチン、マラリアワクチン等) - 新たな抗生剤・抗ウイルス薬等の開発 - WHO、諸外国と連携したポリオ、麻疹等の感染症の根絶・排除の達成(結核については 2050 年までの達成目標) 202 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 (9)難病克服プロジェクト 図 3-1-16.難病克服プロジェクト 難病克服プロジェクトは、厚生労働省、文部科学省の連携体制による希少・難治性疾患(難病) 克服へ向けた治療法開発の実現により、希少・難治性疾患(難病)の克服を目指すため、患者数 が希少ゆえに研究が進まない分野において、各省連携して全ての研究プロセスで切れ目ない援助 を行い、新規治療薬の開発、既存薬剤の適応拡大等を一体的に推進するプロジェクトである。 【2015 年度までの達成目標】 薬事承認を目指した新たな治験導出件数 5 件以上(5 年生存率60%以下と予後不良であ る重症肺高血圧症、発症後進行を止める手立てがなく、数年で死亡するクロイツフェルト・ ヤコブ病等のプリオン病等) 【2020 年頃までの達成目標】 新規薬剤の薬事承認や既存薬剤の適応拡大が 10 件以上(進行性で人工呼吸器を使用し なければ数年のうちに命を落とす ALS、筋が萎縮し歩行困難や嚥下障害に至る遠位型ミ オパチー等) 欧米等のデータベースと連携した国際共同治験等の推進 203 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 【参考資料】 1) http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/suisinkaigi/dai1/siryou03.pdf 2) http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/#contents 3) http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002vr1p.html 4) http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/sanyokaigou/dai5/siryou4.pdf 5) http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/sanyokaigou/dai5/siryou3.pdf 6) http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/tyousakai/dai5/siryou2.pdf 7) http://nk.jiho.jp/servlet/nk/release/pdf/1226638751248 8) https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20131212/172846/ 9) http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/suisin/dai2/siryou1.pdf 10) http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/siryou/pdf/h26_yosanpoint.pdf 11) http://www.mof.go.jp/budget/budger_workflow/budget/fy2014/seifuan26/01.pdf 204 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 3-2.我が国のがん対策 3-2-1.第 3 次対がん 10 か年総合戦略 1) 「第 3 次対がん 10 か年総合戦略」について 1) ○ がん対策については「対がん 10 カ年総合戦略(昭和 59 年度~平成 5 年度)」及び「がん克 服新 10 か年戦略(平成 6 年度~15 年度)」により、「がんは遺伝子の異常によって起こる病気 である」という概念が確立し、遺伝子レベルで病態の理解が進む等、がんの本態解明の進展と ともに、各種がんの早期発見法の確立、標準的な治療法の確立等診断・治療技術も目覚まし い進歩を遂げた。 ○ この間、胃がん、子宮がん等による死亡率は減少し、胃がん等の生存率は向上したが、一方 で、大腸がん等の欧米型のがんは増加を続けており、がんは昭和 56 年以降、依然として日本 人の死亡原因の第一位を占め、現在では、その約 3 割を占めるに至っている。また、より有効 な対策がとられない限り、がん死亡者数は大幅に増加するとの試算もある。 ○ 文部科学大臣及び厚生労働大臣は、平成 15 年 3 月 31 日の「今後のがん研究のあり方に関 する有識者会議」報告書を踏まえ、平成 16 年度からの新たな 10 か年の戦略について、がん の罹患率と死亡率の激減を目指して、別紙の通り「第 3 次対がん 10 か年総合戦略」を定め、 がんについて、研究、予防及び医療の総合的な推進に全力で取り組んでいくことを確認した。 (第 3 次対がん 10 か年総合戦略の戦略目標) (1) 進展が目覚ましい生命科学の分野との連携を一層強力に進め、がんのより深い本態解明に迫 る。 (2) 基礎研究の成果を幅広く予防、診断、治療に応用する。 (3) 革新的ながんの予防、診断、治療法を開発する。 (4) がん予防の推進により、国民の生涯がん罹患率を低減させる。 (5) 全国どこでも、質の高いがん医療を受けることができるよう「均てん化」を図る。 205 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 「第 3 次対がん10か年総合戦略」における今後の方向 図 3-2-1.第 3 次対がん 10 か年総合戦略 3-2-2.日本対がん協会 2) 1) 日本対がん協会について2) 日本対がん協会は 1958 年(昭和 33 年)8 月、がんの早期発見や早期治療、生活習慣の改善 によって、「がん撲滅」を目指そうという趣旨で設立された。その前年の日本癌学会総会での提唱 がきっかけとなり、朝日新聞社が創立 80 周年記念事業として支援し、設立の運びになったもので ある。その後もさまざまな団体、企業、個人の草の根の支援が、協会の活動を全面的に支えてい る。 設立当時、がんによる死者は今の4分の 1 の年間 8 万 8,000 人ほどであった。国立がんセンタ ーができる 4 年前で、国が本格的ながん対策に乗り出す「夜明け前」の時代であった。 残念ながら、その後、がんによる死者は増え続け、1981(昭和 56)年、わが国の死因第1位となり、 2007 年まで 27 年連続で死因のトップになっている。2007 年のがん死者は推計で 33 万 6000 人 に達し、3 人に 1 人ががんで死ぬ時代に入ってきている。 日本対がん協会は、がんを早期発見、早期治療するため、2008 年までの累計では、全国の日 本対がん協会グループの検診団体で延べ 2 億 8,459 万人の方にがん検診を実施し、32 万 6232 人の方のがん(疑いを含む)を見つけ、早期発見・早期治療によるがん死の防止に努めている。 また、がん予防にはがん検診だけでなく生活習慣の改善がきわめて重要である。タバコは肺がん だけでなく多くのがんの誘因や原因とされている。協会は「禁煙の勧め」など、がん予防の啓発活 動にも力を入れ、「がん征圧」に向けて大きな成果を上げている。 206 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 2) 協会の組織と活動の概要 2) 日本対がん協会は、東京を除く 46 道府県に「日本対がん協会グループ」を構成する提携団体 を持ち、全国でがん征圧運動を展開している。 日本対がん協会グループを構成する提携団体の基本はがん検診事業です。中でも市町村の委 託を受けた集団検診(住民検診)が大きな柱になっている。全体では全国で約 1000 台の検診車を 持ち、近くに検診施設のない地域にも検診車が出かけ、広い地域でがん検診を支えている。 日本対がん協会では、検診は行っていないが、国立がん研究センターや財団法人・癌研究会、 癌研有明病院など、がん関係機関と緊密な連携を保ちながら活動をしている。その活動は、がん の知識普及・啓発と、がん患者・家族の支援事業が大きな柱になっている。専門医による「がん無 料面接相談」を開くほか、がん専門医による事前予約制の電話相談、専門看護師や社会福祉士 による無料電話相談「がんホットライン」を実施している。 また、9 月をがん征圧月間と決め、とくに活動を強めるほか、がん征圧全国大会を開き、がん征 圧活動の推進を誓っている。毎年、がん検診やがん予防に地道な活動や研究をした人や団体に 贈られる日本対がん協会賞、朝日がん大賞の授賞式も、全国大会で行われる。 さらに、厚生労働省の委託事業である、がん臨床研究推進事業では、協会が事務局となって、研 究者の研修会、発表会を開催するほか、一般市民向けの発表会や、がんに関する啓発冊子も発 行している。 米国で 1985 年にスタートしたがん患者支援イベント「リレー・フォー・ライフ」も 06 年の茨城県つく ば市での初回から、2007 年には兵庫県芦屋市と東京・お台場で、初の 24 時間継続イベントとして 実施された。2010 年には 20 ヶ所で開かれるなど、大きな広がりを見せている。 こうした幅広い「がん征圧」活動は、さまざまな企業、団体、個人からの寄付に支えられている。 3) がん征圧運動(総論) 2) (1)がんの現状と取り巻く環境 日本対がん協会が創立された 1958 年(昭和 33 年)、日本のがんによる死亡者は 87,895 人だ った。以来、がんによる死者は増え続け、1999 年(平成 11 年)には 290,000 人を超えた(注1)。 日本のがんによる年間の死者は、21 世紀早々に 300,000 人を超えるだろう。 事故なども含めた年間の全死亡者の死因別では、1981 年(昭和 56 年)にがんが 166,399 人で1 位となり、以来 19 年間、死因1位を続けている。20 世紀末、わが国は「死者の3人に1人はがん死」 の 時代を迎えた。 高齢化社会の進行などから、21 世紀もがんの罹患者は増え、死亡者数も増加して行くだろう。 2015 年には罹患数 890,000 人、死者 449,000 人を記録する、との予測もある。 21 世紀に入っても、人類はがんと闘わねばならない。 20 世紀後半、がんの本体解明は進み、画像診断、内視鏡、医用工学などを活用した診断・治 療法の開発は、治癒率の改善に成果をあげた。早期発見・早期治療を行なえば、もはや「死の病」 ではない。21 世紀は、これまでの成果をもとに、予測医学を駆使してのがん克服への一層の努力 が必要であり、遺伝子研究などによる治療への期待も大きい。 国のがん政策は、1962 年(昭和 37 年)に国立がんセンターを開設、1984 年(昭和 59 年)には 「対がん 10 ヵ年総合戦略」を展開、1994 年から「がん克服新 10 か年戦略」へと引き継がれた。が 207 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 んが国民死亡順位1位になった翌年の 1982 年(昭和 57 年)には老人保健法が施行され、胃が んなど5部位のがん検診が順次、国と自治体の負担制度のもとで受診できるようになった。 しかし、がん検診負担金(補助金)は 1998 年(平成 10 年)から地方交付税によって一般財源化さ れ、2000 年に発表された国の「21 世紀における国民健康づくり運動」(健康日本 21)では、がん検 診の受診率の目標値が示された。新しいがん政策も検討されてはいるが、「自らの健康は自分で 守る」ことを求められる時代が、到来しつつある。 国民のがんに対する意識も多様化している。インフォームドコンセントの普及などに伴い、「告知」 への対応が変化した。生存率の向上が絶望感を和らげ、「癒し」や「共生」という概念でがんと向き 合おうとする人が増えている。がんをめぐる環境は、激変している。 (2)日本対がん協会の使命 日本対がん協会は、1958 年(昭和 33 年)の創立以来、がん知識の普及とがん検診事業の推進 を活動の2本柱として、20 世紀後半の日本における民間のがん征圧運動をリードしてきた。組織全 体で実施したがん検診の受診者は、累計1億 8,000 万人を超える。この検診で、がんが発見された 受診者は約 18 万人に達し、 国民の健康と福祉の向上に大きく貢献してきた。 21 世紀のがん征圧の展望では、初頭の約 10 年間は生活習慣を改善する「一次予防」と、検診に よる早期発見・早期治療を中心とした「二次予防」の役割が大きいと見通している。 これは新薬開 発や治療法の日進月歩があったとしても劇的な状況の変化の可能性が少ないからであり、一方で、 予防知識の普及や研究が深まり「21 世紀は予防の時代」との見解にたっている。 日本対がん協会は、がんの撲滅を期しながら、「啓発」と「検診」を通じてがんの予防活動を展開 してきた。しかし、がんを取り巻く環境は激変している。その変化を敏感に感じ取り、柔軟に対応し なければ、時代の要請に応えることが求められている。 日本対がん協会は、国のがん対策を民間の立場から補完することを大きな目的として創立され た。そのため高い公益性が求められている。 基本的な役割に変更はないが、時代とともに具体 的な対応には変化が求められている。 国は 21 世紀初頭の健康づくり運動の指針として「健康日本 21」を策定した。今後、国および地 方自治体は「健康日本 21」を視野に入れつつ、がん征圧に関して必要な行政措置がとられるだろ う。 胃がんなど 5 部位のがん検診が、一時的にしろ、老人保健法で対応されることになったのは、20 世紀におけるがん征圧運動の大きな成果の一つだったが、「自らの健康は自ら守る」時代になると の展望も示している。 国立がん研究センター、がん研究会付属病院などの医療機関、日本医師会、大学や各種研究 機関など国内の関係組織との連携を保ちながら、がん征圧運動を推進されることだろう。 がんに対する国民の意識が多様化し、早期発見・早期治療でがんを克服した人も増えている。が ん克服者と手を携えた運動の構築も企図されている。 がんの征圧は、「人類共通の願いである。だから、がんにかかわるすべての分野、すべての関係者 が地球規模で連帯することが必要」とし。21 世紀、日本対がん協会は、「国際的ながん包囲網の一 員として機能すべきである」との方針を掲げている。 1961 年、日本対がん協会は UICC(国際対がん連合)に加盟、日本の民間対がん組織として 国際社会に加わり、活動資金の拠出などで貢献してきた。さらに活動面での協力や情報交流にお 208 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 いて交通機関の発達、インターネットなど通信手段の飛躍的進展を踏まえ、21 世紀には国際的連 帯を一層活発に行ない、がん対策先進国の関係機関・組織との交流、発展途上国に対する検診 設備の援助・支援、海外研修の実施、海外への広報などを展開するよう努めたいとしている。 3-2-3.我が国のがん対策事業 我が国としては、がん対策基本法やがん対策推進計画にもとづくがん治療研究の均てん化事 業、患者・家族の支援事業を進めている。 1)がん臨床研究推進事業 2) がん医療に携わる研究者が国の補助金で行った研究成果を、一般の人たちにわかりやすく伝え る一方、同じ分野の研究者や医療従事者に広め、がん医療水準の地域間格差をなくしていくこと (均てん化)を目指している。 厚生労働省が所管する「厚生労働科学研究(がん臨床研究)推進事業」の中には(1)研究成果 等普及啓発、(2)がん医療水準均てん化推進、の 2 つの事業がある。 (1) 研究成果等普及啓発の目的は、厚生労働科学研究に課題が採択されたがん医療に携わる研 究者が、国の補助金で行った研究成果を、医学的専門知識がない一般の人たちに分かりや すく伝え、この分野への関心を深めてもらうことです。「検診」や「相談」のすすめ、乳がんや大 腸がん、肺がんについての一般向け冊子(右の写真)を PDF で提供している。 (2) 課題が採択されたがん医療に携わる研究者が、同じ分野の研究者や医療従事者向けに開く 研修会や、日本対がん協会が年1回開催する「がん臨床研究成果発表会(研究者向け)」など を通して研究成果を広め、がん医療水準の地域間格差をなくしていくこと(均てん化)を目指し ている。 2) 2)ピアサポート研修プログラム(がん相談研修) 日本対がん協会は平成 23 年度、厚生労働省の委託事業として「がん総合相談に携わる者に対 する研修プログラム策定事業」(がん総合相談研修プログラム策定事業と呼ぶ)を開始した。 3)がん対策のための戦略研究 2) (1)課題 1 乳がん検診における超音波検査の有効性を検証するための比較試験 現在の乳がん検診には、マンモグラフィが用いられている。マンモグラフィ検査は、欧米の複数の ランダム化比較試験によって、50 歳以上の乳がん死亡率を低下させる効果があることが明らかにさ れている。一方で、マンモグラフィは、「高濃度乳房」と言われる乳腺密度が高い乳房では、検査精 度が低くなる。そして実は、この「高濃度乳房」は、50 歳以下の若年層や日本人に多くみられる。 そのため、日本人の乳がんを、さらに高い精度で発見する方法が求められている。 「高濃度乳房」の診断精度が高いものとしては、超音波検査が知られている。すでに、乳がん検 診として、超音波検査が導入されているところもある。しかし、超音波検査は今のところ、検査法や 読影の技術、機械の仕様が標準化されていない。また、超音波検査が、死亡率を下げるためにど れだけ有効なのかも、まだ科学的に検証されていない。 209 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 本研究では、40 歳代の乳がんに対して、超音波検査の有効性を調べるとともに、その標準化を めざしている。より効果的な乳がん検診法が確立すれば、早期発見により乳がんで亡くなる方の減 ることが期待される。また本研究を広く知っていただくことで、乳がん検診の受診率が高まることも期 待される。 (2)課題 2 緩和ケアプログラムによる地域介入研究 緩和ケアとは、病気や治療に伴う体と心の痛みや苦しみをやわらげる治療である。近年、徐々に その必要性が認識されてきているが、まだまだ普及していない。日本のどの地域でも、患者さんが 望む緩和ケアを受けられる、そんな環境が求められている。 そこで本研究では、どんなことをすれば地域で良い緩和ケアができるようになるのか、様々な問 題の解決法について試行する。 本研究は、緩和ケアサービスが多くの患者さんに、より早期から受けてもらえるようになること、患 者に「自分はよくみてもらった」と思ってもらえるよう緩和ケアがより良質になること、そして患者さん やご家族の望むような生活が可能になることをめざす。 4)がん対策推進基本計画 3)4)5) 第 3 次対がん 10 か年総合戦略が平成 25 年度で終了することを見据えて、平成 24 年 6 月に 厚生労働省はがん対策推進基本計画を公表した。 がん対策推進基本計画では、平成 24 年度から平成 28 年度までの 5 年間を対象として、がん 対策の総合的かつ計画的な推進を図るため、がん対策の基本的方向について定めるとともに、都 道府県がん対策推進計画の基本となるものであるとしている。 【がん対策推進基本計画の概要】 【趣旨】 がん対策推進基本計画(以下「基本計画」という)は、がん対策基本法(平成 18 年法律第 98 号)に基づき政府が策定するものであり、平成 19 年 6 月に策定され、基本計画に基づきがん対策 が進められてきた。今回、前基本計画の策定から 5 年が経過し、新たな課題も明らかになっている ことから、見直しを行い、新たに平成 24 年度から平成 28 年度までの 5 年間を対象として、がん対 策の総合的かつ計画的な推進を図るため、がん対策の推進に関する基本的な方向を明らかにす るものである。これにより「がん患者を含む国民が、がんを知り、がんと向き合い、がんに負けるこ とのない社会」を目指す。 【第 1 基本方針】 ○ がん患者を含めた国民の視点に立ったがん対策の実施 ○ 重点的に取り組むべき課題を定めた総合的かつ計画的ながん対策の実施 ○ 目標とその達成時期の考え方 【第 2 重点的に取り組むべき課題】 1.放射線療法、化学療法、手術療法の更なる充実とこれらを専門的に行う医療従事者の育成 がん医療を専門的に行う医療従事者を養成するとともに、チーム医療を推 進し、放射線療 法、化学療法、手術療法やこれらを組み合わせた集学的治療の質の向上を図る。 2.がんと診断された時からの緩和ケアの推進 がん医療に携わる医療従事者への研修や緩和ケアチームなどの機能強化等により、がんと 診断された時から患者とその家族が、精神心理的苦痛に対する心のケアを含めた全人的な緩 和ケアを受けられるよう、緩和ケアの提供体制をより充実させる。 3.がん登録の推進 210 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 がん登録はがんの種類毎の患者の数、治療内容、生存期間などのデータを収集、分析し、 がん対策の基礎となるデータを得る仕組みであるが、未だ、諸外国と比べてもその整備が遅れ ており、法的位置付けの検討も含めて、がん登録を円滑に推進するための体制整備を図る。 4.○働く世代や小児へのがん対策の充実 我が国で死亡率が上昇している女性のがんへの対策、就労に関する問題への対応、働く世 代の検診受診率の向上、小児がん対策等への取組を推進する。 【第 3 全体目標(平成 19 年度からの 10 年目標)】 1.がんによる死亡者の減少(75 歳未満の年齢調整死亡率の 20%減少) 2.全てのがん患者とその家族の苦痛の軽減と療養生活の質の維持向上 3.○がんになっても安心して暮らせる社会の構築 【第 4 分野別施策と個別目標】 1.がん医療 (1) 放射線療法、化学療法、手術療法の更なる充実とチーム医療の推進 3 年以内に全ての拠点病院にチーム医療の体制を整備する。 (2) がん医療に携わる専門的な医療従事者の育成 がん医療を担う専門の医療従事者を育成し、がん医療の質の向上を目指す。 (3) がんと診断された時からの緩和ケアの推進 5 年以内に、がん診療に携わるすべての医療従事者が基本的な緩和ケアを理解し、知識 と技術を習得する。3 年以内に拠点病院を中心に緩和ケアチームや緩和ケア外来の充実を 図る。 (4) 地域の医療・介護サービス提供体制の構築 3 年以内に拠点病院のあり方を検討し、5 年以内にその機能をさらに充実させる。また、在 宅医療・介護サービス提供体制の構築を目指す。 (5) ○新医薬品・医療機器の早期開発・承認等に向けた取組 有効で安全な医薬品を迅速に国民に提供するための取り組みを着実に実施する。 (6) その他(希少がん、病理診断、リハビリテーション) 2.がんに関する相談支援と情報提供 211 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 患者とその家族の悩みや不安を汲み上げ、患者とその家族にとってより活用しやすい相談 支援体制を実現する。 3.がん登録 法的位置付けの検討も含め、効率的な予後調査体制の構築や院内がん登録を実施する医 療機関数の増加を通じて、がん登録の精度を向上させる。 4.がんの予防 平成 34 年度までに、成人喫煙率を 12%、未成年者の喫煙率を 0%、受動喫煙については、行 政機関及び医療機関は 0%、家庭は 3%、飲食店は 15%、職場は平成 32 年までに受動喫煙の無 い職場を実現する。 5.がんの早期発見 がん検診(胃・肺・大腸・乳・子宮頸)の受診率を 5 年以内に 50%(胃、肺、大腸は当面 40%) を達成する。 ※健康増進法に基づくがん検診の対象年齢は、上限の年齢制限を設けず、ある一定年齢以 上の者としているが、受診率の算定に当たっては、海外諸国との比較等も勘案し、40~69 歳(子宮頸がんは 20~69 歳)を対象とする。 ※がん検診の項目や方法は別途検討する。※目標値については、中間評価を踏まえ必要な 見直しを行う。 6.がん研究 がん対策に資する研究をより一層推進する。2 年以内に、関係省庁が連携して、がん研究の 今後の方向性と、各分野の具体的な研究事項等を明示する新たな総合的がん研究戦略を策 定する。 7.○小児がん 5 年以内に、小児がん拠点病院を整備し、小児がんの中核的な機関の整備を開始する。 8.○新がんの教育・普及啓発 子どもに対するがん教育のあり方を検討し、健康教育の中でがん教育を推進する。 9.○がん患者の就労を含めた社会的な問題 就労に関するニーズや課題を明らかにした上で、職場における理解の促進、相談支援体制 の充実を通じて、がんになっても安心して働き暮らせる社会の構築を目指す。 【第 5 がん対策を総合的かつ計画的に推進するために必要な事項】 1. 関係者等の連携協力の更なる強化 2. 都道府県による都道府県計画の策定 3. 関係者等の意見の把握 4. がん患者を含めた国民等の努力 5. 必要な財政措置の実施と予算の効率化・重点化 6. 目標の達成状況の把握とがん対策を評価する指標の策定 7. 基本計画の見直し ※項目冒頭部分の○印は、新規項目 5) 新たながん研究戦略への取組の検討 6)7) 厚生労働、文部科学、経済産業の 3 省は 2013 年 4 月 15 日、新たながん研究戦略の策定に 向け、具体的な目標を検討する有識者会議の初会合を開いた。2013 年度で終了する「第 3 次対 がん 10 カ年総合戦略」を受け、14 年度から開始する新たながん研究戦略の方向性を打ち出して いく。座長には、国立がん研究センターの堀田知光理事長を選任した。有識者会議では、ヒアリン グや論点整理を行った上で、今夏をメドに議論の取りまとめを行う予定である。 わが国では、1984 年から総合的な癌対策が策定され、2004 年にスタートした「第 3 次対がん 10 カ年総合戦略」が 2013 年度で終了する(図 3-2-2)。2013 年 6 月には第 2 期「がん対策推進 212 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 基本計画」が閣議決定され、2014 年度からの新たながん研究戦略を策定することが求められてい た中、厚生労働省、文部科学省、経済産業省の 3 省が協力して有識者会議を設置し、第 4 次総 合戦略を視野に入れたがん研究戦略を検討することにした。 以下に、2013 年 10 月 21 日に開催された医療分野の研究開発に関する専門調査会における 有識者会議の座長である堀田国立がん研究センター理事長の講演の概要を示す。 図 3-2-2.日米のがん対策の歩み【堀田理事長 講演7)より】 米国におけるがん対策は、1937 年に国家がん研究所法が制定され、翌 1938 年に国立がん研 究所(NCI: National Cancer Institute)が設立された。以降、1971 年に国家がん法、1992 年 にがん登録法が制定され、2012 年時点での NCI の年間予算は、525 億米国ドルに及んでいる。 我が国でも、1934 年に癌研究会 研究所・附属病院、1958 年に日本対がん協会、1962 年に 国立がんセンター設立された。1981 年にがんが死因の第 1 位になったことを背景に、1984 年には 第 1 次の対がん 10 か年総合戦略がスタートしている。 がん多 死社 会の到 来に向けて、新たながん研 究 総 合戦 略が必 要となっている。以下 、死 亡 率・罹患率の推移を図 3-2-3 に、年齢階級別罹患率の推移を図 3-2-4 に示した。がんは 1981 年から死因の第 1 位で、総死亡の 3 割を占めている。年齢調整死亡率は、1990 年代後半 から減少傾向だが、罹患率は上昇を続け、死亡者数は増え続けている。がんによる年間労働力の 喪失は 1.8 兆円にも及ぶとの試算もある。 213 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 図 3-2-3.死亡率・罹患率の推移 図 3-2-4.年齢階級別罹患率の推移 214 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 有識者会議の報告書は、今後のがん研究のあり方について「根治・予防・共生~患者・社会と 協働するがん研究~」として、平成 25 年 8 月付で公表されている(図 3-2-5、図 3-2-6)8) 。 図 3-2-5.政府における研究の主な歩み 図 3-2-6.今後のがん研究のあり方について 215 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 6) 医療分野の研究開発に関する総合戦略 その後、前節 3-1 に示した日本医療研究開発機構構想への取組に基づいて、新たな対がん 戦略は「ジャパン・キャンサーリサーチ・プロジェクト」として、文部科学省、厚生労働省、経済産業 省の有機的連携体制による、がん研究の一体的推進のプロジェクトとして推進されることとなってい る。 図 3-2-7.ジャパン・キャンサーリサーチ・プロジェクト(再掲) 【参考資料】 1) 厚生労働省ホームページ http://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/07/h0725-3.html 2) 日本対がん協会ホームページ、http://www.jcancer.jp/about_cancer_and_protection/ 3) http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/gan_keikaku.html 4) http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/dl/gan_keikaku01.pdf 5) http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/dl/gan_keikaku02.pdf 6) 薬事日報、2013 年 4 月 17 日 7) 医療分野の研究開発に関する専門調査会、2013 年 10 月 21 日 8) 今後のがん研究のあり方について 「根治・予防・共生~患者・社会と協働するがん研究~」 平成25年8月、今後のがん研究のあり方に関する有識者会議 http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/000004 0162.pdf 216 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 3-3.個別化医療・コンパニオン診断薬をめぐる規制動向 3-3-1.個別化医療 1)2) 1) 個別化医療とは 個別化医療(personalized medicine)とは、「一人ひとりの個性にかなった医療を行うこと」であ り 、 一 般 的 に は 、 オ ー ダ ー メ イ ド 医 療 ( Order-made Medicine ) 、 テ ー ラ ー メ イ ド 医 療 (Tailor-made Medicine)、カスタムメード医療(Custom-made Medicine)等と同じ概念の医療 である。 国際個別化医療学会(International Society of Personalized Medicine)」の定義では、「パ ーソナライズド・メディシン(個別化医療)とは、バイオテクノロジーに基づいた患者の個別診断と、 治療に影響を及ぼす環境要因を考慮に入れた上で、多くの医療資源の中から個々人に対応した 治療法を抽出し提供することです。個別化医療の基幹となる要素は、薬理ゲノム学やバイオマーカ ーのみならず、ライフスタイルや生活歴、人生観、現在の身体的問題など、患者固有の情報を浮き 彫りにした個々人の医学的ポートレイトである」として定義している。 2) 個別化医療推進に向けた米国・欧州の取組 1)3) 米国では FDA Commissioner の Margaret A. Hamburg, M.D.と NIH の Director の Francis S.Collins, M.D., Ph.D.が、2010 年の New England Journal of Medicine における 「 The Path to Persinalized Medicine 」 と 題 し た 共 著 で 、 Basic Science 、Translational Science、Regulatory Science の具体的方策を示している(図 3-3-1)。 NIH Therapeutics for Rare and Neglected Diseases (TRND) programTissue bank 設立、臨床試験 結果との関連性の解析 Clinical and Translational Sciences Award program 最新製造設備(ES・iPS 細胞製品も対象)を Clinical Center に設置 FDA 未承認の Laboratory genetic test の登録 FDA Voluntary Genomic Data Submission program 医薬品と診断薬の効率的な審査体制の整備 コンパニオン診断薬の審査、承認に関するプロセスの明示→臨床現場への適切な情報提供 開発企業の開発促進重要な診断薬の品質確保 図 3-3-1.個別化医療推進に向けた NIH と FDA の見解 217 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 米国 FDA におけるおもな個別化医療関連ガイダンス等を図 3-3-2 に、欧州 EMA における おもな個別化医療関連ガイダンス等を図 3-3-3 に示す。 Guidance for Industry: Pharmacogenomic Data Submissions (2005.3) Draft preliminary concept paper: Drug-Diagnostic Co-Development Concept Paper (2005.4) Guidance for Industry: E15 Definitions for Genomic Biomarkers, Pharmacogenomics, Pharmacogenetics, Genomic Data and Sample Coding Categories (2008.4)【ICH-E15】 Draft Guidance for Industry: Clinical Pharmacogenomics: Premarketing Evaluation in Early Phase Clinical Studies (2011.1) Draft Guidance for Industry and Food and Drug Administration Staff: In Vitro Companion Diagnostic Devices (2011.7) Guidance for Industry: E16 Biomarkers Related to Drug or Biotechnology Product Development: Context, Structure, and Format of Qualification Submissions (2011.8) 【ICH-E16】 Draft Guidance for Industry: Enrichment Strategies for Clinical Trials to Support Approval of Human Drugs and Biological Products (2012.12) 図 3-3-2.FDA のおもな個別化医療関連ガイダンス等 Position Paper on Terminology in Pharmacogenomics (2002.11) Reflection Paper on the Use of Pharmacogenomics in the Pharmacokinetics Evaluation of Medicinal Products (2007.4) Reflection Paper on Pharmacogenomic Samples, Testing and Dota Handling (2007.11) ICH E15 Definitions for Genomic Biomarkers, Pharmacogenomics, Pharmacogenetics, Genomic Data and Sample Coding Categories (2007.11)【ICH-E15】 Draft; Reflection paper on pharmacogenomics in oncology (2008.4) Draft; Reflection paper on co-development of pharmacogenomic biomarkers and assays in the context of drug development (2010.7) Draft; Reflection paper on Methodological Issues with Pharmacogenomic Biomarkers in Relation to Clinical Development and Patient Selection (2010.7) ICH guideline E16 Genomic biomarkers related to drug response: context, structure and format of qualification submissions (2010.9)【ICH-E16】 Guideline on the Use of Pharmacogenetic Methodologies in the Pharmacokinetic Evaluation of Medicinal Products (2012.2) 図 3-3-3.EMA のおもな個別化医療関連ガイダンス等 218 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 3) 我が国のおもな個別化医療関連通知等 図 3-3-4 に我が国のおもな個別化医療関連通知等を示す。 図 3-3-4.我が国のおもな個別化医療関連通知等 219 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 3-3-2.コンパニオン診断薬 1)3) 4) 5) 1)コンパニオン診断薬とは 医薬品医療機器総合機構(PMDA)によるコンパニオン診断薬の概念は、以下に示す通りであ り、「特定の医薬品の有効性や安全性を一層高めるために、その使用対象患者に該当するかどう かをあらかじめ検査する目的で使用される診断薬のこと」とされている。 医薬品のベネフィットが最も期待される患者を特定するもの 医薬品の重篤な有害事象のリスクが大きい患者を特定するもの 治療法最適化(治療スケジュール、用量、投与中止等)のために反応性をモニターするもの 図 3-3-5.個別化医療とコンパニオン診断薬 3) 日本におけるコンパニオン診断薬の定義は、2013 年 7 月 1 日に厚生労働省より発出された通 知、Q&A において、図 3-3-6 に示したように定義されている。 図 3-3-6.コンパニオン診断薬の定義 4) 220 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 2011 年 7 月に米国 FDA が発出したドラフトガイダンス(Draft Guidance for Industry and Food and Drug Administration Staff In Vitro Companion Diagnostic Devices)に示されて いるコンパニオン診断薬の定義を図 3-3-7 に示す。 An IVD companion diagnostic device could be essential for the safe and effective use of a corresponding therapeutic product to: ・ Identify patients who are most likely to benefit from a particular therapeutic result of product ・ Identify patients likely to be at increased risk for serious adverse reactions as a result of treatment with a particular therapeutic product ・ Monitor response to treatment for the purpose of adjusting treatment (e.g., schedule, dose, discontinuation) to achieve improved safety or effectiveness 図 3-3-7.米国 FDA によるコンパニオン診断薬の定義 4) 2)コンパニオン診断薬の審査と承認 コンパニオン診断薬の審査と承認に関する PMDA の考え方を以下に示す。 FDA の医薬品と診断薬の担当部署は、コンパニオン診断薬が対応する医薬品の有効性・ 安全性を確保できることを協力して評価 医薬品の有効性・安全性がコンパニオン診断薬に依存する場合、医薬品承認時に診断薬 が available であるべき。→原則としてコンパニオン診断薬の承認は治療薬の前か同時 医薬品の添付文書で、コンパニオン診断薬の使用を規定 コンパニオン診断薬の添付文書では対象となる治療薬の範囲を特定 コンパニオン診断薬と対応する医薬品の開発計画について、早期の FDA との面談を強く 推奨 図 3-3-8.医薬品承認の際に必要であった診断薬の事例 3) 221 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 3)コンパニオン診断に関するガイダンス(案) 3) コンパニオン診断薬に関するガイダンスの策定は、①科学の発展に伴う個別化医療の進展(分 子標的薬等の開発)、②個別化医療の医薬品と対応する診断薬の開発の推進、③医薬品と診断 薬双方の開発者による開発留意点の共有と適切な連携などの背景を踏まえて、コンパニオン診断 薬等及び関連する医薬品の開発に当たり留意すべき点について、現時点の考え方を示すことを目 的としたものである。 図 3-3-9.コンパニオン診断薬等に関する通知の発出(1) 3) 図 3-3-10.コンパニオン診断薬等に関する通知の発出(2) 3) 222 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 4)コンパニオン診断薬及び関連する医薬品に関する技術的ガイダンス4) 5) 「コンパニオン診断薬及び関連する医薬品に関する技術的ガイダンス等について」は、平成 25 年 12 月 26 日付で、厚生労働省医薬食品局審査管理課によって通知された。 【目的】 本ガイダンスは、バイオマーカーに関連した医薬品及びコンパニオン診断薬の開発にあたり、 双方の開発者がそれぞれの開発に際して留意すべき点など、現時点における具体的な技術的 事項を整理することで、当該医薬品及びコンパニオン診断薬のより円滑な開発及び承認審査の 実施を目指すものである。具体的には、コンパニオン診断薬に関連する医薬品の臨床試験に関 する留意点及びコンパニオン診断薬のバリデーション実施時期などに関する考え方、並びにコン パニオン診断薬の臨床的意義及び同等性の評価に関する試験の考え方などについて示す。な お、承認審査にあたっては、必ずしも本ガイダンスに示す方法の固守を求めるものではなく、これ ら医薬品又はコンパニオン診断薬の開発者等は、必要に応じて個別に独立行政法人医薬品医 療機器総合機構(以下「PMDA」という。)と適時適切に相談することが望ましい。 【適用範囲】 本ガイダンスは、課長通知に示されるコンパニオン診断薬及び関連する医薬品を適用範囲と する。 なお、本ガイダンスの 2.1.(バイオマーカーによる患者特定に関する留意点)では、これまでに 得られている知見等を踏まえて主にコンパニオン診断薬を用いて医薬品の投与対象患者を特定 する場合を想定しており、また 2.1.1.(分子標的薬等における開発早期のバイオマーカー陰性例 の取扱い)及び 2.1.3.(前向きな検証的臨床試験実施に際しての留意点)では、その中でも分子 標的薬等の事例を想定している。しかし、これらの考え方は、記載された事例以外の場合、すな わち医薬品の用法・用量の最適化や投与中止の判断を目的としたコンパニオン診断薬等につい ても適用可能と考える。 【基本的考え方】 バイオマーカーを測定するコンパニオン診断薬の承認申請に際しては、当該コンパニオン診断 薬の性能を担保したデータが必要であり、またコンパニオン診断薬に関連する医薬品の承認申 請に際しては、性能が担保されたコンパニオン診断薬により投与対象患者を特定する際の臨床 的有用性を示すデータ等が必要である 【参考資料】 1) 平成 25 年 1 月 30 日医薬品・バイオ製品合同専門部会、医薬品医療機器総合機構規格基 準部 鹿野 真弓 http://www.pmda.go.jp/guide/kagakuiinkai/iyaku/h250130gijishidai/file/shiryo3.pdf 2) http://www.is-pm.org/profile/history.html 223 第 3 章 社会・行政・企業等の動向 3) 医薬品医療機器総合機構、コンパニオン診断薬プロジェクトチーム、平成 25 年 9 月 27 日 第 6 回科学委員会・医薬品・バイオ製品専門部会 http://www.pmda.go.jp/guide/kagakuiinkai/iyaku/h250927gijishidai/file/ shiryo1.pdf 4) コンパニオン診断薬に関する日本の技術的ガイダンス案について、医薬品医療機器総合機構 新薬審査第五部 コンパニオン診断薬プロジェクト、永井純正 http://www.pmda.go.jp/kijunsakusei/file/companion/companion20130829-nagai.pdf 5) コンパニオン診断薬及び関連する医薬品に関する技術的ガイダンス等について、平成 25 年 12 月 26 日、厚生労働省医薬食品局審査管理課 http://www.pmda.go.jp/kijunsakusei/file/companion/companion20131226.pdf 224 第 4 章 考察 第4章 考 察 平成 25 年度(公財)ヒューマンサイエンス振興財団 開発振興委員会 創薬技術調査ワーキン ググループは、「創薬基盤技術の最新動向を探る-ナノテクノロジーの創薬・医療への応用、DDS 技術を中心に-」に焦点を当てた調査を実施した。本章では、その調査で得られた情報をもとにワ ーキンググループ内で議論した結果を考察としてまとめた。 1)医薬品開発の最新動向 ① 基礎科学・基盤技術の進展 生物の全 DNA 塩基配列を解析するには DNA シークエンサーの開発が大きく寄与している。 ヒトをはじめとした各種生物ゲノム解読が進み、ゲノムの塩基配列に含まれる遺伝子の同定、機能、 発現制御に関する研究が進められた。遺伝子の機能を解析する主な手法であった遺伝子改変 動物は、狙った遺伝子のみを改変するのは容易ではなかったが、近年、特定の遺伝子を標的とし てゲノムを編集する技術が開発され、ノックアウト生物(細胞)作成の効率性が大幅に改善された。 ゲノム編集技術は、遺伝子改変技術の革新的なものと言える。多様な生物について集積される膨 大なゲノム情報が、このゲノム編集技術を利用することで生命現象解明に一段の進歩をもたらすこ とが期待される。 このようなゲノム編 集技 術の最 近の進 歩は目 覚ましく、ゲノム上の標 的部 位に先 導する guideRNA と 呼 ば れ る 核 酸 を 標 的 ご と に 変 え る だ け で 様 々 な 遺 伝 子 を 切 断 す る こ と が で き る CRISPER/Cas システムなどの衝撃的な技 術は海 外で開発されるものが多い。また、近年、中国 等の研究者の増加も目を見張るものがある。一方、人工ヌクレアーゼのオリジナルの技術やこの技 術を使った遺伝子改変については、我が国の研究者も先頭とはいかないまでも大変頑張っている 状況にあり、ゲノム編集技術に関しては、我が国でコンソーシアムが作られ、iPS 細胞、ラット・マウ ス・マーモセット・線虫・植物などのゲノム編集の取り組みが進められているが、海外との競争に打ち 勝つためにもさらにシステマティックに使える組織構築が今後必要と思われる。 また、これら技術の知的財産も大きな課題としてあり、産学官で知財戦略を構築していくことも今 後、早急に取り組むべきであろう。 ② 基盤技術の医療応用、疾病の解明 より解析コストが低減された高速シークエンサーの登場によって、ゲノム解析の対象を、研究室レ ベルから臨床疫学的な大規模な集団の試料の比較解析を可能なものにしている。高速シークエン サーの普及により、common variant では説明できない遺伝リスクになるような rare variant の解 析で成果を上げている。ゲノム情報をはじめ、遺伝子産物であるタンパ質の網羅的解析(プロテオ ーム)、代謝物の網羅的解析(メタボローム)を多くの試料で行うコホート研究の体制が整備されて いる。 コホート研究によって治療・健康維持に貢献する成果として、迅速な診断・治療効果のバイ オマーカー、罹患を予防する情報の提供、創薬ターゲットの発見などがもたらされることが期待され る。 225 第 4 章 考察 ③ 医薬品開発の状況 世界の医薬品市場は成長を続けており、今後も新薬の開発上市とともに成長の継続が見込まれ ている。大型新薬の大きな流れは「低分子医薬品」から「バイオ医薬品」へと変わりつつある。2012 年の医薬品売上トップ 10 の内バイオ医薬品が 7 品目を占めている。「バイオ医薬品」によって、従 来の「低分子医薬品」では充分な効果が得られていない疾患において、治療満足度の高い医療を 提供し、医薬 品の貢献度 を向上させている。一方、主なバイオ医薬品である抗体医薬は、非 常に 高価であり、処方には疾患の重症度、既存の治療に対して不応答であることなどを要件とした医療 経済的な評価、薬剤の適正使用が厳密化されるであろう。バイオ医薬品に匹敵する「低分子医薬 品」として JAK 阻害剤(トファシチニブ)が 2013 年上市された。関節リウマチに対して高い臨床効果 が報告されているが、有効性と安全性のリスクベネフィットを考慮し、適正使用のための「全例市販 後調査のためのトファシチニブ使用ガイドライン」が日本リウマチ学会から出されている。 また、慢性閉塞性肺疾患(COPD)の治療薬として未承認薬成分を含む配合剤 2 品目が承認さ れており、既承認と未承認成分、未承認薬成分同士の併用や配合剤の開発も今後活発に行われ ることが考えられる。 薬剤を適性に使用するため「個別化医療」、薬剤とコンパニオン診断薬の一体化開発が進み、 疾患の分子標的、バイオマーカーによる精密診断に基づき、厳密に定義された患者セグメントに対 して高い効果を示す治療(薬)を提供するプレシジョンメディシン(精密医薬品・医療)が提唱されて いる。 しかし極端な患者セグメントの細分化は市場を狭めるため、新薬の開発を困難にする場合 もある。2013 年、国際がんゲノムコンソーシアムのがんゲノム解析の結果によると、がん細胞におけ るゲノムの異常には多様性があり、同じドライバー変異をもつ患者の割合は低いことが報告された。 がんの特異代謝機構、がん細胞を供給するがん幹細胞、がんに対する免疫治療(抑制解除 、ワク チン、細胞治療)など、従来の個別化とは方向性の異なる普遍的な治療方法も開発されている。今 後、適切な医療を提供するため、多面的な診断と治療の体系化が必要である。 ④ ターゲット創薬の限界 生命現象の理解は、新発見や基盤的技術のめざましい進歩によって大きく進んだ。情報伝達や 機能制御に関して主要な働きをする酵素や受容体をターゲットとする創薬が成功したこともターゲッ トベースの創薬活動を促進してきた一因である。ゲノムの解析が進み、ゲノム情報を利用した評価 系の構築によって特定のターゲットを選択 した創薬 に重点が置かれたが、メカニズムの明解 さとは 裏腹に、十分な臨床効果が得られないなどの理由から開発中止となった事例は多い 1) 。 選択したターゲットが疾患に主要な働きをするという予測に反し、多様な分子が情報伝達や機能 制御に関与することが見出され、現在も生命現象のすべてが解明されるまでには至っていない。多 くの既存薬の作用機序は特定のターゲットに対する作用で説明されている。一方、新技術によって 既存薬を再プロファイルすることで、特異的でない作用、新たな作用点がみいだされ、既存薬の新 たな位置づけであるドラッグリポジショニングが注目されている。 2)ナノ DDS 技術 ① 高分子ミセル製剤への期待 現在、ナノテクノロジーの一つである高分子ミセル化技術の中から、ナノ DDS 医薬品として 5 種 類の抗がん剤内包高分子ミセル製剤の実用研究が進んでいる。特に、パクリタキセルミセル(開発 226 第 4 章 考察 コード:NK105)は、転移・再発乳がんを対象にフェーズ 3 臨床試験中であり、数年後の実用化が 期待されている。 この高分子ミセル製剤の実用化研究は、2003 年の内閣府主導「府省『連携プロジェクト』の推進 と分野横断的整備」において、ナノバイオニック産業として医療領域で「ナノ DDS」が採択されたこ とから始まっている。さらに「ナノ DDS」の一つであり、国産技術である抗がん剤内包高分子ミセル 製剤の臨床試験が進むにつれて、国立医薬品食品衛生研究所において、ナノ医薬品に関するレ ギュラトリーサイエンス研究(ナノ医薬品の評価法の開発とガイドライン作成に関わる研究など)が始 まり、2014 年 1 月 10 日には,『ブロック共重合体ミセル医薬品の開発に関する厚生労働省/欧州 医薬品庁の共同リフレクション・ペーパーの公表等について』 2) が、厚生労働省医薬食品局審査管 理課長通知として通達され、高分子ミセル製剤を開発する際の検討方法の手引きが公表された。 国内においてナノ医薬品である高分子ミセル製剤の実用化の環境が整いつつある。 このような環境の中、高分子ミセル化技術はナノデバイス、がん・アルツハイマー病などの難病治 療に革新をもたらすナノ医療技術の更なる応用に展開されている。高分子ミセル化技術が今後更 なる医療技術の進歩と発展に寄与し、人類の健康生活の充実に大きく寄与することが期待される。 ② ナノテクノロジーを利用した DDS 薬剤への応用に関しては、体内分布の改善による標的器官への集積、副作用の低減が目的と されるが、近年、デバイスの構成自体に大きな発想の飛躍は見受けられず、臨床での応用研究は 未だ従来から提唱されている Enhanced Permeation and Retention(EPR)効果が主に利用さ れている。上市品または開発中の DDS 製剤に使用されている薬剤は、肝臓、腎臓あるいは心臓な どへの薬物動態に伴う毒性はあるものの、非臨床データなどで優れた薬効データを示す薬剤(アム ホテリシンB、ドキソルビシン、タキソール、プラチナ製剤など)を改良 しているものが多い。これらは 毒性を軽減させて十分量を臨床使用することを目的に DDS 製剤化されたものであるが、薬剤を高 分子などの基材で覆うことから、毒性が軽減される一方で、薬剤によっては体内蓄積性が課題とな る場合もある。また、薬 剤 費が高くなる可 能 性が高 く、医 療 財源の観点 から、その普及の遅れや、 限定的な普及となる可能性がある。 ナノテクノロジーを用いた薬剤開発は、従来型の薬物動態の改善や安全性の向上といった既存 化合物(API)の改良に目を向けるだけでなく、今後は、ナノテクノロジーが必須な分野(利用しない と効果が出せない分野)に注力して行く必要がある。その対象のひとつが、核酸医薬(アンチセンス、 siRNA、あるいはデコイなど)である。これらは、in vitro 実験系レベルなどでは、標的とする分子に 容易に作用できる。しかし、これまでに医薬品として実用化に至っているものは、サイトメガロウイル ス性網膜炎治療薬「Vitravene」(Isis)と加齢黄斑変性症治療薬「Macugen」(Pfizer)の 2 品目 のみで、いずれも局所投与が可能な眼科領域の治療薬である。これは、核酸が生体内で極めて分 解され易く、その効果発現に必須となる細胞内(核)への十分量(濃度)の薬物送達が、現段階で は局所投与以外では困難であることに起因している。この障壁が DDS 技術によって乗り越えられ れば、核酸医薬の将来は大変明るいものになると考えられ、ナノテクノロジーを利用した DDS に期 待するところは大である。 今後のナノテクノロジーを利用した DDS には、薬剤自身が持つ生体内の一部組織への過剰集 積性などの課題を解決し、薬効成分(薬剤)を治療 標的に確実に送達するシステムが、より求めら れる時代に突入する。当該分野の研究においては、DDS 製剤の生体内への投与に伴う様々な影 227 第 4 章 考察 響(免疫系、ホルモン分泌系など)の基礎研究データに留意し、緊密な医工連携でブレイクスルー 開発を実現していくことが期待される。 ③ がんの診断に用いるナノデバイスの研究開発 がんの早期発見が重要であることは誰も否定しない。早期診断ができるようになれば国民生活や 経済にも大きなインパクトを与えるものとなる。昔からそのような考えのもとに、がん細胞が産生するも の、またはがんの進展により二次的に産生が変動する多くの生体物質が測定されてきた。その測定 法・解析法には多様な技術が応用され、イムノクロマト試験紙法や免疫沈降法は簡便さを追求した 典型 例である。しかし、多 くの先達 研 究者の努力にもかかわらず、体 液 診断 のみでがんの早期 診 断は実現していない。そもそも発症初期に自覚症状に乏しい膵がんや肺がんにおいては、患者が 病院外来を訪れる動機を感じることは多くはない。そのような早期診断検査が、家庭または家庭に 近い医療(関連)施設において、簡便にできるようになることは大いに歓迎すべきことである。 総合科学技術会議の最先端研究開発支援(FIRST)プログラムのひとつである”ナノバイオテク ノロジーが先導する診断・治療イノベーション(中心研究者 東京大学大学院工学研究科 医科学 研究科 片岡一則 教授、サブテーマリーダー 同研究科 バイオエンジニアリング専攻 一木隆範 准教授)”において、その実現に向けて精力的にナノ診断デバイスの開発が進められている。一木 准教 授 らの研 究開 発グループは、工 学 者と医学 者 の混成グループである。わが国の工 学者が得 意とする精密微細加工や高機能性材料のハード技術を、miRNA の解析というソフトな技術領域に 応用しようとするものであり、医学工学連携の先駆け例として、多くの成果が期待されている。経済 的にも優れたがんの臨床検査および検診用のナノデバイスが開発できれば、国内のみならず、高 齢化が進む欧州各国や中国における市場展開も可能となるであろう。 ナノ診断デバイスの開発の進展に伴い、家庭または開業医でも簡便に診断検査が可能となるこ とが想定されるが、偽陰性または偽陽性という避けられない技術的限界や品質管理・精度管理など 今後解決すべき課題も多く、適切な施設での使用が望ましいと考える。 ナノ診断デバイスが、従来からの検査薬になるのか医療機器になるのか、それとも境界領域にな るのかは悩ましい問題である。このようなデバイスにより miRNA 等を血液で検査するということが、 日本の医療社会に受けいれられるためには、行政の規制・基準である薬事法や保険の概念を考え 直さなければいけないかもしれない。さもなければ、技術的によいデバイスができても、市場展開は 容易ではないと思われる。 3)日本医療研究開発機構への期待 米国の政府機関で医療分野における一大研究拠点として知られる国立衛生研究所(NIH)をモ デルにした日本版 NIH 構想は、2015 年(平成 27 年)4 月 1 日に予定されている新独立行政法 人「日本医療研究開発機構」の創設に向けて動きを本格化している。新独法の設立により、従来か ら縦割り行政の弊害を多々指摘されていたわが国における医療分野のファンディング機能が一元 化され、基礎から実用化まで円滑に研究ができ、実用化の加速が期待され、国による研究開発の 投資の効率化が図られることになる。 日本版 NIH の必要性については、米国 NIH の調査も踏まえて、われわれヒューマンサイエンス 振興財団のワーキンググループが十数年来提言してきた。もちろん、設立が予定されている日本医 療研究開発機構は、本家の米国 NIH とは規模・内容・機能が大きく異なっており、いきなり日本版 228 第 4 章 考察 NIH と称するのには問題があるが、少なくとも米国 NIH の役割に一歩近づいた取り組みに着手し たわけであり、わが国における医療分野の研究開発に大きく貢献するであろうことは確実である。日 本医療研究開発機構が、従来から日本が陥りやすい「箱ものづくり」に終始してしまわないように願 い、日本に留まらず、世 界に貢献できる医療 分野 の研究開発の推 進に実 質的に大きな役割を発 揮することが期待される。 【参考資料】 1) Drug Discovery Today 18(5-6) 211-217 (2013) 2) http://www.pmda.go.jp/kijunsakusei/file/tsuchi/20140110-1.pdf 229 あとがき あ と が き (公財)ヒュ-マンサイエンス振興財団(HS 財団) 開発振興委員会では、一般事業として創薬 技術調査ワ-キンググル-プ(WG)を組織し、ゲノム科学の創薬への応用等を中心に、医療に係 る科学 技術の最 新動 向 の調査活 動を行い、その社会 的側 面や経 済的 側 面も含めた報 告書 を刊 行し、医療に携わる多くの方々から大きな反響をいただいてきました。 創薬技術調査 WG では、毎年アンケートを実施し、調査活動テーマを決定してきました。平成 25 年度は、提案されたテーマの中から近年の技術的進展が著しい「ナノテクノロジー」を選択し、創 薬・医療への応用、特に DDS を中心に、その最新動向について調査することとしました。 また、医薬品開発の現状と今後の動向、ゲノムコホート研究、バイオ医薬品、高速シークエンサ ーと遺伝子検査、がん免疫療法およびシステムバイオロジーなど、医薬品開発全体を取り巻く様々 な分野の最新動向も調査しました。 本報告書の構成は、第 1 章で医薬品開発の最新動向を取り上げ、第 2 章ではナノテクノロジー の創薬・医療応用、DDS 技術に関する最新動向について、第 3 章では、日本医療研究開発機構、 我が国のがん対策など社会・行政・企業の動向についてまとめました。また、第 4 章では、今回の調 査を通して浮かび上がった種々の課題について WG としての考察としてまとめました。 なお、創薬技術調査報告書については、広く一般の皆様方にも情報提供すべく、HS 財団のホ ームページにおいて web 公開をすることとし、冊子体の刊行は行わないことといたしましたので、皆 さまのご理解をお願い致します。 最後に、公開にあたりまして、本報告書作成にご協力いただきました皆様に心より感謝申し上げ ます。 (事務局 230 井口富夫) これまでに刊行したゲノム科学、創薬技術関連調査報告書 平成5年度 :HSレポート No.22 遺伝子治療ガイダンス資料 平成7年度 :HSレポート No.26 遺伝子治療に関する国内医療関連企業の認識 平成8年度 :HSレポート No.27 平成9年度 :HSレポート No.28 次世代遺伝子治療-DNAワクチンの展望と課題- 平成10年度 :HSレポート No.31 ゲノム創薬-現状と展望- 平成11年度 :HSレポート No.33 ファーマコゲノミクス-臨床応用への展開- 平成12年度 :HSレポート No.34 ゲノム医療への展望-ファーマコプロテオミクスに向けて- 平成13年度 :HSレポート No.36 ゲノム医療・創薬におけるインフォマティクスの動向 遺伝子治療臨床研究の現状と問題点並びに将来動向 -バイオインフォマティクス、ケモインフォマティクス、システム生物学- 平成14年度 :HSレポート No.41 ゲノム科学の臨床応用に向けて 平成15年度 :HSレポート No.46 創薬におけるターゲットバリデーション -その現状と動向を探る- 平成16年度 :HSレポート No.51 ゲノム科学と医療-そのフロンティアを探る- 平成17年度 :HSレポート No.53 ゲノム科学の変遷と今後の方向性 -最新の研究開発動向とビジネス展開- 平成18年度 :HSレポート No.59 ポストゲノムの医薬品開発と診断技術の新展開 平成19年度 :HSレポート No.63 ポストゲノムの医薬品開発とDDS技術の新展開 平成20年度 :HSレポート No.67 ポストゲノムの医薬品開発とシステムバイオロジーの新展開 平成21年度 :HSレポート No.71 ポストゲノムの医薬品開発とオミックス医療の新展開 平成22年度 :HSレポート No.74 ポストゲノムの医薬品開発とエピジェネティクスの新展開 平成23年度 :HSレポート No.77 RNA研究と創薬技術開発の新展開 平成24年度:HSレポート No.80 創薬基盤技術の最新動向を探る -イメージング技術・高速シークエンサー・新規モデル動物試験系- 231 HS レポート No.83 創薬技術調査報告書 創薬基盤技術の最新動向を探る -ナノテクノロジーの創薬・医療への応用、 DDS 技術を中心に- 発 行 日: 平成 26 年 3 月 28 日 発 行: 公益財団法人 ヒューマンサイエンス振興財団 〒101-0032 東京都千代田区岩本町 2-11-1 ハーブ神田ビル 電話 03(5823)0361/FAX 03(5823)0363 (財団事務局担当 井口 富夫) 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