欧州憲法条約案否決と欧州統合の行方 ~機能主義と連邦主義の統合イデオロギーを超克できるか~ ジェトロ リオン事務所長/リヨン第 3 大学客員教授 瀬籐澄彦 まえがき ■瀬藤澄彦氏の圧倒的な大作「フランスの欧州憲法条約否決と欧州連合の展望」のご寄稿を頂きました。 瀬パリクラブウェブサイトは瀬藤氏に負うところが大きく、開設早々スタートし、リニューアル後「日仏論叢」に統合した「日 仏経済情報」シリーズには、第 2 回以来連続ご寄稿頂いています。今回も同氏のこの論文によって、まさに新サイトの画竜点睛 を果たせたと云う感があります。また、日仏参加者がフランス語のみで論議を闘わせる日仏エコノミストフォーラムを始められ たのも瀬藤氏でした。 その後 JETRO リヨン事務所長に転じられ、DREE (フランス経済・財政・産業省対外経済関係局)のエコノミストと云う前 歴を遺憾なく発揮して、欧州の視点から掘り下げた論文を次々と発表され、眼を洗われる鮮烈な印象を受けていました。 昨年 9 月から、JETRO の業務の傍ら、リヨン第3大学(Universite' Jean Moulin)の国際関係学部修士コース 2 の教授に任 ぜられ、 「経済グローバリゼーションのなかの日本多国籍企業の動向」と云う講座をご担当、又パリの「欧州アジア経営大学院」 でも教鞭をとっておられると云う、八面六臂のご活躍ぶりとのことです。 今回の大作は、フランスの “Non !” に至る複雑で奥行きの深い背景を、横断的に余すところ無く解明されています。読者諸氏 の快い興奮を期待します。 2005 年 12 月 6 日 ウェブサイト委員会 高田方一郎 [email protected] 日仏経済交流会「論文」 1 欧州憲法条約の否決は複合した要因を背景とする。フランスのパリ対地方構図の逆転、イラク戦争を巡る英独仏西などの外交姿 勢の違いが内政に与えた波紋、2007 年大統領選挙にからむフランス社会党内の確執、最高の成文法としての欧州憲法条約案の 本質にからむ疑義、フランス第 5 共和制の機能の欠陥、などの諸事情が相互に影響した結果である。欧州統合の今後を展望する にはこれらの状況を分析することが必須である。否決後の欧州は、新たな代替案の憲法を作成し直して、経済機能主義と連邦主 義をベースにしたこれまでの統合イデオロギーを超えられるのか、欧州は今、ひとつの岐路にさしかかっていると言ってもいい すぎではない。 2005 年 5 月 29 日の午後 10 時 00 分、欧州に衝撃が走った。フランスの国民投票で 70%という 高い投票率で、予想を上回る 55%という反対票で欧州連合憲法条約案が否決された。EU 創設国の 一つで欧州の盟主を任ずるフランスで何故、欧州憲法条約案が否決されたのか。5・29 ショックと も呼ばれる今回の国民投票否決の背景を探り今後の欧州統合はどうなるのかを次の3つの視点で展 望する。第 1 に選挙結果、第 2 に国民選挙を選択させた内外の政治情勢、第 3 に否決の波紋と欧州 統合への影響である。 1.欧州統合賛成派の中間階層も反対 選挙人口の 54.87%にあたる 1442 万のフランス人が「ノン」、45.13%にあたる 1268 万のフランス人が「ウィ」を投じた。 圧倒的な否決であった。IPSOS 社の世論調査によると年齢別には 18~24 才の青年層と 45~59 才の中高年層にそれぞれ 72%、 63%と反対が多く、60 才以上では賛成が多くなっている。所得階層別には月収が 2000 ユーロ、1000 ユーロ以下の世帯で 73%、68%の反対になっているが、2000~3000 ユーロの高給世帯でも 63%が反対に回ったことが注目される。職業階層別 にみると工場労働者や農業従事者に加えて、92 年のマーストリヒト条約では賛成に投じた中間管理職が今回は 66%が反対した。 地理的にはアルザス、イル・ド・フランス、ペイ・ド・ラロワールの3州とローヌ県、オート・サボワの 2 県が賛成であったが他 のすべての州・県では反対となった。政党支持者選挙人ベースでは極左、極右、共産党、国家主権派などで約 9 割が反対したが、 12 月の党大会で賛成であった社会党支持者の 56%が反対となった。これに環境保護派も 60%が反対に加わった。 68 年 5 月危機の逆流現象~地方が反乱・パリが賛成 このような選挙結果の評価は識者によってニュアンスがある。社会消費トレンド研究所長ロベール・ロシュフォールは「68 年 5 月危機の逆流現象」が生じたと指摘する。確かに 1968 年 5 月危機はパリが震源地であったが、今回はパリ市では 66%が賛 成、なかでも 6 区、7 区、16 区では約 80%もの高率の賛成となった。反乱はフランス本土 22 州の内、地方 19 州に拡がった。 ベストセラー『帝国後』の著者で人類学者のエマヌエル・トッドは上と下の 2 極化社会の対峙という構図は性急で、今回は 1992 年には賛成だった中間階層が反対に回ったことが全く新しい現象であるとしている。トッドによれば欧州統合が公共サービス部 門の縮小と雇用喪失につながる脅威と考えた公務員、マルクスが「プチブルジョワジー」と名付けた中間階層が、「グローバリ ズムからの唯一の防衛策が欧州主義であること忘れた」ことが決定的であったと分析する。フランス経済研究所(OFCE)所長 でフランスきってのケインズ理論経済学者のジャン・ポール・.フィトシ所長はむしろ選挙結果を前向きに評価する。反対を投 じた市民の大部分も実は欧州統合賛成派であり、完全雇用を目指す民主主義的な新たな改革された憲法条約を望んでいる。今回 の国民投票でフランス国民は今や欧州統合を単なる外交問題ではなく国内の身近な問題と認識し始めたことを証明した。憲法条 約案の解読の難しさや説明不足に気づかずに、代替案はゼロという不遜な姿勢が選挙民の反感を買ってしまった。市民はかえっ て憲法解説書を競って読み、問題の多い第 3 部を中心として新たな成文法編纂に向けて再協議があり得るべきであると考えるよ うになっていった。 日仏経済交流会「論文」 2 2.シラク大統領のシナリオを狂わせたブレアとファビウスの政治戦略 ベルギー・ラーケン欧州理事会のあった 2001 年 12 月以降、膨大な時間を費やして作成した憲法条約案が否決されたのは、内 容そのものより政治的不手際によるものであると考える有識者もいる。シラク大統領の選択した政治判断とフランス社会党の内 部事情の 2 点が投票結果に大きく影響した。 まず国民投票をめぐるフランスの国内政治面、とくにシラク大統領の決断の動きが思惑通りに作用しなかったと考えられる。 2003 年 6 月 19~20 日のイタリア・テッサロニキ欧州理事会で「欧州のために憲法を制定させる条約案」(Projet de traite' e'tablissant une constitution pour l'Europe)が正式受理された後、2006 年 10 月発効までの加盟各国の批准手続に至る移 行期間、シラク大統領のシナリオに想定されなかった2つ事情が発生した。ひとつは英国 T・ブレア首相の国民投票による批准 の選択、もうひとつはフランス社会党の重鎮で元首相 L.ファビウスの欧州憲法反対意思声明である。 イラク戦争が欧州政治の流れを変えた 第 1 にブレアの英国では 1975 年のウィルソン首相による英国の EEC 加盟継続のテーマ以来30年ぶりの国民投票実施の決定 である。1689 年の「権利の章典」により成文法の憲法を有さない英国では野党の保守党、大衆に強い影響力をもつタイム紙や サン紙などの欧州憲法制定への強い懐疑的姿勢を考慮すると国民投票否決の公算は大きい。英国の否決は EU 全体の否決につな がる。そんな自問がブレア首相の頭に浮かんだ。2004 年春先はイラク戦争への英国軍隊派遣とイラク兵への虐待行為問題でブ レア首相は政治的に苦境にあった。英国寄りであったスペインではアズナールからザパテロに首相の交代があり、フランス寄り になったスペインの政治環境変化で急速に憲法批准が現実味を帯びた。2004 年 4 月 20 日の英国上院での 2006 年 6 月に国民 投票を実施するというブレア首相の発表は、国民の関心をイラク戦争から欧州憲法論議に振り向ける狙いがあったとフィガロ紙 の S.マルシャン論説委員は指摘する( " L'Europe est mal partie " Fayard p.120)。欧州憲法否決を意図的に予期したこの ブレア首相の決定に独仏は困惑した。「ブレアは欧州を破壊するのか」と。ドイツではヒトラー台頭を招いた国民投票は、この 欧州憲法については国民の 7 割が望んでいるとされたが、ドイツ基本法は州「ランダー」(Lander)のみに実施を限定してい るため連邦議会での批准となった。 こういう状況のなかでシラク大統領は、2004 年 7 月 14 日のフランス革命記念日恒例のエリゼー宮での記者会見で国民投票の 実施を発表した。英国民にさえ与えられた意思表示の権利をフランス国民に与えない訳にはいかなかった。この政治的リスクの 大きい国民投票の道を選んだものの、シラク大統領は勝利をこの時点ではほぼ確信していた。野党の社会党等左翼政党がこの欧 州憲法を巡って深刻な内部対立を抱えているので、国民投票実施によって左翼の分裂が進むとの計算も働いた。自分の 2007 年 以降の大統領選挙3選目立候補への可能性の目途もつく。欧州議会レベルでは欧州派の旗手 D.C.バンデイ議員などを中心に国 別国民投票ではなく、例えば第 2 次世界大戦終戦 60 周年記念日の 2005 年 5 月8日に欧州連合加盟国一斉に国民投票を実施 するという考えもあったが、技術的に同時選挙は不可能とされた。シラク大統領に近く EU 地域開発担当委員で欧州憲法諮問委 員でもあった M.バルニエ前外務大臣は国民議会での批准を大統領に進言したが、シラク大統領は国民の審判に仰ぐ道を選んだ。 欧州憲法・トルコ加盟問題で錯綜・混乱した与野党の政界地図 第 2 は 2004 年 9 月上旬、元首相・元国民議会長・元財務相 L.ファビウスが予想に反して欧州憲法案に反対すると表明して、 国民投票を巡る情勢は一気に流動的となった。欧州単一市場議定書の調印やスペイン、ポルトガルの EU 加盟を推進した政治家 が欧州連合に憲法を付与することに反対することは欧州全体に強い衝撃を与えた。ファビウスはその著書『私の欧州憲法の見方』 ( " Une certaine ide'e de l'Europe" Plon)のなかで何回か「自分は欧州主義者であり、反対は政治的な駆け引きからではな い」と述べている。欧州憲法にまつわる社会党の立場が党首 F.オランドを中心に大勢が賛成で動いているなかで、ファビウスに とって自分の政治生命は反対の立場でしかないと判断した。ファビウスの反対論拠は提案されている憲法案は憲法というより市 場自由主義を取り入れた条文の法令集であって、多くの法律専門家も言う通り詳細な政策プログラムの列挙は憲法の原則に逸脱 する。憲法はゲームのルールを決めるためにあるのにゲームそのものを明記してしまっている。法制度の原則と政治的政策の選 択を致命的に混同していると批判している。これについて憲法諮問委員会議長ジスカール・デスタンは欧州連合の特殊事情で過 日仏経済交流会「論文」 3 去のローマ条約、単一議定書、マーストリヒト条約、アムステルダム条約、ニース条約のすべての条約を取り入れざるを得なか ったとしている。 フランスの国民議会では共産党 22 名、社会党 50 名、与党 UMP10 人だけの反対で全体の約 5 分 の4の議員が賛成であった。しかし世論は全く違う様相を呈し、与野党とも党内で分裂状態であり、 さらにトルコ EU 加盟問題でも意見が混乱していた。欧州憲法とトルコ加盟の 2 点を巡って与野党 有力指導者の意見も複雑な様相を呈していた。憲法もトルコも賛成組にシラク大統領、オランド社 会党委員長、ブワネ緑の党首、憲法賛成・トルコ反対組にサルコジー、ベイルー、バダンテール、憲 法反対・トルコ賛成組にビュッフェ共産党首、クリビーヌ、ラギエ党首、憲法・トルコ反対組にル ペン、ドビリエ、ファビウスという怪奇きわまる構図となった。ここにきてトルコの EU 加入問題 が欧州憲法の帰趨にかかわりをもつようになってきた。EU 統合を深化させればさせるほどアキ・ コミュノテールは増えていきトルコはそれだけこれを突破するのは難しくなる。シアンスポ教授で トルコ専門家のシルビ・グラール女史は著書『大トルコとベネチア共和国』( " Le Grand Turc et la Re'publique de Venise ")のなかで、EU 理事会は 2004 年 12 月にトルコとの加盟交渉を 2005 年 10 月からスタートすることを決議し、余りにも性 急に決定しようとしていると批判している。ファビウスも彼女同様で、憲法もトルコも深化を無視した提案であるとしている。 ブレアが国民投票を選択せずシラクも議会批准を選択していたら多分、容?'に賛成は得られたであろうし、また国民投票を決め た後でもファビウスの意表をついた反対表明がなければ反対が国民の多数を占めることはなかであろうと推測される。 「憲法はゲームのルールであってゲームではない」~L.ファビウス 2004 年 12 月1日の社会党内の欧州憲法党員投票を控えて、反対派と賛成派の間で活発な討論が展開された。反対の論調を掲 げた書籍が本屋の店頭や駅のキオスクで氾濫した。L.ファビウスは著書『私の欧州憲法の見方』を、賛成派のドミニク・ストロ スカーンは『ウィ、欧州の子供たちへの公開書簡』( " Oui, lettre ouverte aux enfants de l'Europe " Grasset)を発表し論 陣を競い合った。社会党の次の大統領選挙候補を狙う2人の領袖の意見を比較する。 まずファビウスはその本のなかで、欧州憲法条約草案の哲学、全体の内容と構成、条文の欠陥、今 後の対応について次のように述べている。 まず第 1 にこの憲法草案は、 1. EU 加盟国拡大に伴って迫られている効率的運営の必要性 2. グローバル世界のなかでの欧州の国際政治的立場の強化 3. 社会的連帯、雇用重視や持続ある経済発展 このいずれにも答えていない。このままでは「小さな政府のなかで健保、輸送、電力、郵便等の完 全民営化が進行して欧州の社会民主主義が米国モデルに溶解してしまう」と懸念する。 25 カ国以上の拡大 EU の運営には新しい政治的枠組みが必要である。25 カ国を 3 段階のスピード のグループに分ける。創設国6カ国とユーロ経済圏を構成する独仏枢軸の統一欧州(l'Europe unie)、現在の EU と 2007 年 加盟予定国で構成する拡大欧州(l'Europe e'largie),トルコも入った東欧州と地中海諸国で構成する連合欧州(l'Europe associe') の3つである。欧州独自の外交政策と共通防衛が無視されて北大西洋条約機構(NATO)依存が強まる。マーストリヒト条約以 降、通貨政策が先行し欧州レベルの財政政策の調和を欠いて「ユーロ経済政府」は依然として存在せず市場が優先し国家間の競 争が激化するだけである。 憲法草案には制度・機構面では前進のみられることはファビウスも認めている。欧州理事会の議長の選出を加盟国の 55%と EU 人口の 65%をベースとする多数決方式にし、その任期を再選可能な 2 年半としたこと(第 1 部 20~24 条)、欧州議会が理事 会提案の EU 委員長を選出することによってその権限が強化されること(同 19 条)、EU 委員長権限強化と 2014 年からでは 日仏経済交流会「論文」 4 あるが EU 委員会コミッショナー数の削減によって委員会業務の効率化が期待できること(同 25 条)、欧州人民の請願権が 100 万以上の署名で可能となり人民参加の民主主義に配慮したこと(同 46 条)などである。 ファビウスがもっとも批判するのは憲法草案が憲法の原則と政策法規を一体渾然とまるで「がらくたの物置」(fourre-tout) ように併置して複雑にしてしまったことである。憲法は EU の政治構造とその価値目的の条文に限定すべきであった。第 1 部 (59 条)、第 2 部(54 条)、第 4 部(10 条)にとどめて、342 条という膨大な第 3 部は削除すべきであった。すべての過 去の条約に関わる域内市場、通貨経済政策、農業、輸送などの項目等を条文化してしまった。これらに 36 の議定書、2つの付 記、50 の声明が加わって稀に見る長文の憲法草案になっている。このような欠陥は民主主義の本質的原則にももとるものであ る。464 条もあるこの憲法草案で欧州市民がドイツの哲学者ハーバマスのいう「憲法主義者」になれるわけがない。 ファビウスは次の 10 点をとくに具体的に批判している。 1. 第 1 部 48 条で社会的連帯が「推進向上」(e'leve'でなく「適切水準」(ade'quate)として表現され EU 社会政策 の収斂に言及がない。 2. 「経済政策の原則は価格安定、公共財政、健全な通貨、安定した国際収支の均衡・・・」(第 1 部 3 条)と市場経 済や競争のみが重視され「社会的」という表現が3ヶ所しかなく、ユーロ圏の経済戦略が無視され欧州中銀の特権 的立場に修正が加えられていない。 3. 産業政策の発想が市場競争優先(第3部 279 条)でみられず、産業空洞化や企業倒産にどう対処するのか懸念され る。 4. EU 予算政策の柔軟性を認めておらず欧州規模の公共事業などへの予算の発動やそのための欧州国債発行に言及せ ず、しかも全会一致にとどまっている。 5. 法人税等の間接税の調和への言及がなく租税ダンピング競争が懸念され続ける。 6. 公共サービスについて通信、郵便、エネルギー、輸送についてのみの最低限の保証にしかなっておらずフランスの 現行水準が維持されない危険がある。 7. 対外的軍事介入のみ言及されて欧州自身の共同組織的防衛の取り組みが欠落し NATO 従属が義務付けられている。 8. 環境保護については言及が皆無である。 9. 「EU 統合先行権」(coope'ration renforce')はニース条約の最低 8 カ国から 3 分の1の国数になりその実行が難 しくなった。 10. 憲法修正は全会一致を必要とするので条文の修正はほとんど不可能になる。 このように問題を抱えた憲法案を性急に実施に移すことは将来に深い禍根を残すことになる。代替案がないという主張は嘘であ る。欧州統合の理念と機構制度に限定した第 1 部、第 2 部、第 4 部を憲法とすることでゲームそのものではなくゲームのルー ルを定めることになり民主主義が回復される。憲法改正が可能であるとすること、統合先行実行権行使の条件緩和によって統合 に柔軟性をもたせて欧州を単なる財貨等の自由移動の空間という分散化の方向を食い止めなければならない。 日仏経済交流会「論文」 5 「民主的で簡潔、権限明記で改善著しい憲法」~DSK 元財務相ドミニク・ストロスカーン(DSK)の著書は、社会党の憲法草案推進支持派のオランド委 員長、ジョスパン元首相、J.ラング、M.オブリーなどの見解とも重なる解釈で次のように賛成理由 を説明している。 まず第 1 にこの憲法はこれまでの EU 統合の条約とは異なり「コンベンシオン」の手法を用いて欧 州議会、EU 委員会、 加盟国政府から 105 人の委員によって 28 ヶ月かけて策定されたものである。 40%は左翼からの委員であり、その都度、一般市民にもインターネットなどを通じて打診がなされ た。この点では歴史的に民主的な手続きを経て成立したものである。 第 2 に、ここがファビウスと見解が違ってくるが、これまでのすべての条約文を序文と 4 部のひと つの成分法に統一した点である。序文が EU の文化、宗教、人権、理念、第 1 部が統合の目的、EU と加盟国政府との権限分担、第 2 部が基本的人権、第 3 部が政策、第 4 部が批准と条文改正と整理した。 第 3 にこれまで加盟国の補完性(subsiduarite'に属する領域まで EU の介入のあることに不満があった。憲法案では3つの権 限領域を明記した。 EU 専属事項は通貨政策、対外通商政策、関税同盟、競争政策、海洋生物資源保護の 5 分野である。EU 加 盟国政府の権限共同分担事項は域内市場、社会政策、農業、漁業、環境、環境、消費者保護、輸送、エネルギー、治安・裁判、 保健の分野で、加盟国に立法権限があるが行政権は EU が行使しなかった場合に加盟国政府に許される。加盟国政府専属事項は 財政政策、雇用政策、外交政策、安全保障、人権保護、産業、文化、観光、教育、スポーツ、職業訓練等の分野で EU は支援、 調整が可能となっている。 第4はこれまで 11 もの違った名称の EU 法令を 4 つに簡素化したことである。規則、指令、決定、勧告、意見、決議、宣言、 通告、見解、プロセス、調整方法を欧州議会制定の欧州法、法律、EU 委員会と各国政府制定の勧告、意見と集約した。 第 5 に欧州議会は、理事会が欧州議会選挙の結果を考慮して提案する候補者から EU 委員長を選出することでその権限が強化さ れる。EU 委員会はより政府内閣に近くなる。ポーランドとスペインが渋った人口 65%、加盟国家 55%以上という基準の多数 決原理の改善があった。 以上の 5 点から欠陥はあるものの欧州各国の利害の妥協と調整の集約であるこの憲法案は、社会民主主義とキリスト教民主主義 の2つに価値観に基づくもので左翼の価値観も体現されている。DSK が中道左派の市場社会主義に近いこともあって憲法の内 容についての言及は皆無に近い。 12 月党大会での投票では 60%が賛成であった社会党は、ファビウス等の反対派と党中央部との決裂が決定的となり、欧州憲法 条約案反対に同調する党内の新社会党(Nouveau Parti Socialiste)、新世界(Nouveau Monde)、H.エマヌエリ派などの反 対姿勢がさらに先鋭化していった。21 人の社会党出身州議会議長の内8人が反対に回った。有力なシンクタンクのコペルニク 財団が憲法案反対の意見を発表した。反グローバリゼーション運動の市民団体アタック(ATTAC)や農民連合(Confe'deration Paysanne)もこれに加わる。新聞、TV、集会ではこれに共産党。「ノン」組は社会党ナンバー2の元首相ファビウウス、共産 党書記長ジョルジュ・ビュッフェ、極左団体のブザンソノやラギリエ等の左翼系のみならず、中道右派のフランス運動党首のド ビリエや極右の国民戦線党首のルペンまで、憲法への異議申立ての中味は完全に異なるものの大きな広がりを持っている。 フランス共和国の政治システムの機能不全 憲法推進派は与野党問わず欧州憲法案の国民の賛成を楽観し、熱心な賛成のための選挙運動を展開していなかったことは否めな い。2005 年に入るとフランス経済の成長率は政府見通しを下回るようになり、失業率が 3 月には 10%の大台を超えた。2 月 にはゲマール財務相の公邸住宅問題が発覚して辞職、EU の公共サービス自由化をうたったボルケスタイン勧告、企業の海外移 転に伴う産業空洞化のニュース、5 月の昇天の労働日への変更などフランス国民には不安と怒りを掻き立てる材料が続出した。 5 月上旬、R.バール、S.ベーユ、L.ジョスパン、J.ドロールなど大物政治家の選挙運動への動員もあって賛成は一時的に 55%近 傍まで上昇して反対を上回ったが、そのほかは 2005 年はほぼ一貫して反対が賛成を上回った。 シラク大統領は 3 月4日、5 月 29 日に国民投票を実施すると発表した。この 85 日間、約 3 ヶ月という長丁場の選挙日程に大 統領側近にももっと短期間を進言する声もあったが、シラクは国民に考える時間を与えることが重要であると譲らなかった。第 日仏経済交流会「論文」 6 5 共和制に入ってから行われた過去 9 回の国民投票の平均の選挙期間は 26 日であった。マーストリヒト条約や大統領任期の 7 年から 5 年への短縮に関する国民投票でもいずれも 7 月発表で夏休みを挟んでの 9 月投票であった。 パリ政治学院教授で欧州憲法諮問委員会メンバーでもあった O.ジュアメルはその著書『「ノン」の 理由』(『Des raison du "'NON"』Seuil)のなかで、今回の否決の背景として社会党内部の混乱、 シラク大統領執政のフランス共和国の政治システムが機能不全に陥っていること、この 2 点を挙げ ている。第 1 に 68 年 5 月危機以来、はじめて政治が市民の場に降りたが、オピニオン・リーダー や知識人の議論参画が少なかった。このため左翼等の反対派は「欧州憲法が産業の空洞化を招き雇 用が失われる」というような飛躍した、根拠に乏しい政治的不安を市民に対して煽ることに成功し た。社会党賛成派の意見は 2004 年 12 月 1 日の党大会以降、保守政党の意見と同じ土俵なかに埋 没してしまった。第 2 に大統領直接選挙制度によって選挙人向けの政治家のイメージやプロフィー ルが真剣な政策論争より優先されるようになり、「王政」のように絶対権力を信じる元首は自ら選 んだ首相を支持率が史上最低でも交代させなかった。「シラクは君臨するが、統治せず」という権力の空白が生じている。2002 年 4 月 21 日の大統領選挙第 1 回目投票で 19%しか得票できなかったにもかかわらず、大統領の所属政党が上下両院をほぼ独 占する状況では、政権与党勢力と対峙する真の意味の反権力は育たない文化が根付いている。国民は自分たちの要請した社会的 で民主主義的な内容を盛り込んだ欧州憲法案に投票するのではなく、自分自身に逆らって投票してしまった。政治の責任は大き いと。 3. 欧州憲法否決の波紋と今後の欧州統合への影響 フランス社会党に内部分裂の危機 フランス政治学院(シアンスポ)研究所長のパスカル・ペリノーは、今回の国民投票の否決によって、シラク大統領の影響力は 低下して 2007 年の大統領選挙への3選目の出馬はかなり難しくなるであろうとしている。パリ大学の O.ジュアメル教授によ ると、国民投票後にラファラン内閣の更迭を受けて登場した D. ドビルパン首相の新内閣の舵取り加減と国民の新任次第ではシ ラクの対抗馬になるサルコジーがそのまま大統領候補になるかはまだ予断を許さない。ぺリノー所長は一番深刻な影響を受ける のは社会党であるとしている。2005 年 11 月下旬に予定されているルマン党大会にかけてすでに新社会党(NPS)の A.モント ブール党首などはファビウスを中心に憲法反対派が大結集してオランド党首の主流派に対抗するとしており、最悪の場合、社会 党の分裂が懸念されている。 プラン B・C・D・E という 4 つの代替案 代替案はあり得ないと言い続けてきた欧州憲法案賛成派、とくに国民投票を提起した大統領の側としては、否決の後、欧州憲法 を今後どのように対応していくかについては極めて寡黙である。こうしたなかで注目されるのは社会党の反主流派の一角、新社 会党(NPS)の理論家ジャック・ジェネリュの発言で、欧州統合の歴史では失敗はほとんど再協議されてきているので今回も再 検討すべきであるという。欧州防衛共同体創設のためのパリ条約は 1954 年フランスの国民議会で否決されたが、1957 年のロ ーマ条約締結で解決された。1992 年のデンマークのマーストリヒト条約否決や 2001 年のアイルランドのアムステルダム協定 否決はそれぞれ 2 回目の国民投票で賛成を得ている。欧州議会議員オリビエ・ジュアメルはまず「最小基準単位の欧州」という 共通分母の部分、即ち第1部(制度)と第 2 部(基本的人権)だけの憲法案、有名になった表現プランBで再投票することを提 案する。このプランBに代わる案は欧州社会民主主義的モデルに基づいた我々が理想と考える案プラン D である。もしこのプ ラン D が 25 カ国以上に拡大する EU には不都合であるなら、4 段階の憲法案を提案する。これは欧州地中海経済空間グループ、 現在のユーロ経済圏以外の経済同盟グループ、現在のユーロ経済圏グループ、ドロール等の提唱する欧州国民国家連邦参加国か らなる政治同盟グループの4つのグループに違った憲法内容を提案するプランである。これには時間がかかりすぎるという場合 には第1部と第2部のみに限定した憲法案をもう一度、欧州社会民主義モデルの立場から見直した内容にしたプラン E を提案し たいとしている。 日仏経済交流会「論文」 7 連邦主義を超える「欧州共和国」構想 ロンドン・ビジネス・スクール学長のダーレンドルフは「憲法を重視するのは危険で、欧州とは何かという高邁な同一性にこだ わるよりも経済統合の具体的事業プロジェクトで進めていくことが先決」として、欧州各国に憲法問題の判断を仰ぐことに反対 している。実際のところ欧州憲法という言葉はごく数年前まで欧州の政治家の間ではタブーに近いものであった。2000 年 5 月 に J.フィッシャー外相が R.シューマンの考えを引用して「ユーロの後は欧州憲法が必要」と発言したのが嚆矢となった。ドイ ツは 1948 年のマルク導入に続き 1949 年 1 月に連邦ドイツの憲法、基本法を導入した。ジスカール・デスタン主宰の憲法諮 問委員会でも直接の表現を避けて憲法「条約」という表現にした。実際、欧州という国家が存在しない以上、憲法を直接、標榜 することはできない。J.ドロールは欧州の現状から「国民国家連邦」という考えを述べているが、主権国家の連合である「国家 連合」(Confe'de'ration)と「連邦国家」(Fe'ee'ration)の中間にあって、その両者に併置するのが欧州の「国民国家連邦」 (Fe'de'ration d ユ Etats-Nations)である。1787 年のニュー・イングランド 13 州によって成立したアメリカ合衆国では連邦政 府に権限列記方式で、 1867 年の英領北アメリカ条約によってカナダ連邦では州政府に権限列記方式で国民国家が形成された。 200 年前、100 年前の国家独立に際し本国との間の緊張関係のなかで憲法が草案された米国やカナダと、21 世紀の欧州とは連 邦結成の契機とモメンタスが余りにも違う。古典的連邦観から距離を置くことが必要になってきたのかもしれない。 確かに長い間、国民国家(nation-state, e'tat-nation)が現代史における国際関係の基軸となってきた。欧米諸国の国家形成も 連邦主義を採用することによって実現した国が少なくない。構成国民国家の文化と伝統、あるいは中央集権に対する共同体と少 数者の権利を補完性(subsidiarite'の原則に基づいて形成されるような連邦国家制度は、基本的に民族文化の同一性を重視した コミュノタリズムでもある。ドイツのフォンテーヌ財務大臣時代の国庫次長だった現ロンドン・ビジネス・スクール教授ステフ ァン・コリニョンは、連邦主義で統合された欧州では国民国家論の限界が露呈して欧州民主主義の発展に障害になると警告する。 そこではノーベル受賞者ジョン・ナッシュが指摘するように民族国家の個別利益の妥協が優先された結果均衡が成立して、「最 適解」が得られない。妥協の均衡が欧州市民の利益との間にすき間を形成していくのである。民族としての人民ではなく、個人 としての市民として近代の普遍主義によって共同体の欧州を乗り越えていく必要がある。ドイツ・フランクフルト学派の政治哲 学者ユルゲン・ハーバマスも「ヨーロッパを越えていくことこそヨーロッパの普遍主義である」と述べている(月刊誌「世界」 2005 年 9 月号 259 ページ)。コリニャンは市民に主権が属する「欧州共和国」の建設を提唱する。米国発「ワシントン・コ ンセンサス」に対抗する欧州発「ブラッセル・コンセンサス」によってこれまでとは異なる国際秩序をめざしたコスモポリタン 的な思考を実現させることが必要であると。ここからはトルコ排除の議論は生まれてこない。 死ななかったニース条約 EU 統合のパラドックスは東ヨーロッパを安定化させようとして、実は西ヨーロッパを逆に不安定にしてしまったことである。 ドロールが心配するように「バルカン諸国、スイス、トルコなども加盟した 36 ヶ国の EU は機能不全に陥る」可能性が高い。 悪名高くなってしまったニース条約がアムステルダム条約から引き継いだ課題は、次の 3 点であった。 1. 委員会の規模と構成 2. 理事会における多数決決定方式の拡大 3. 国数と人口をベースにした投票ルール これらの課題克服に失敗したニース条約を修正しようとした憲法条約が否定された今、欧州理事会ではあのニース条約の多数決 方式や EU 委員会では 1 カ国1委員というコミッショナー数のルールが適用され続ける。2003 年 2 月1日より発効したニース 条約が懐胎するこれらの矛盾がいつまで保てるだろうか。矛盾を抱え機能麻痺の統合プロセスという現実のなかでフランス戦略 研究所長クリスチャン・サンテチエンヌなどは、EU 創設時の独仏ベネルックスで構成される「ライン共和国」を結成しょうと する提案をしている。そうでなくてもシラク大統領とシュレーダー首相の間ではまことしやかに仏独枢軸が議論されるようにな った。 日仏経済交流会「論文」 8 機能主義の限界が露呈 欧州統合には大きく分けて4つの考え方がある。第 1 は連邦欧州構想。イタリアのスピネリ(1907~86 年)などが提唱する 米国合衆国型の連邦主義に基づく欧州統合である。第 2 は機能主義アプローチで、ジャン・モネやジャック・ドロールなどは高 邁な目標よりも統合作業の実務的で機能面の方法を重視する立場である。機能重視は国のエゴイズム克服につながる。共同市場、 単一市場、経済政府、憲法というように段階を追ってスピル・オーバー効果によって統合が深化するとする考えである。第 3 は政府間協議主義(intergouvernementaliste)で、モネに対抗してドゴールが主張した「祖国からなる欧州」論が典型である。 英国ブレア首相はこれに属する。第 4 は国家主権主義者で、国家主権の領域を委譲することには反対の立場である。保守中道右 派や極右のグループに多い。 欧州統合は 1954 年の欧州防衛共同体(EDC)構想が破綻したあと、関税、通貨、単一市場など経済面の機能主義で基本的に 進展してきた。90 年代以降は市場経済重視の新古典派の考えが全面に出ていた。ユーロ導入の理論的背景ともてはやされたロ バート・マンデルの最適通貨圏理論の成否は、EU の連邦制への移行が鍵を握っている。単一通貨ユーロが不均衡なく経済成長 と物価安定を達成していくには、失業やインフレなど EU 加盟国間の非対称的な実物ショックを克服することが必要である。こ のためには域内の労働力・資本・サービスの自由移動、税制調和、EU 財政の充実など連邦主義が前提となっていた。今回の欧 州憲法否決によって連邦型の欧州経済政府の発足は遠のき、ユーロの存在にはさらなる試練が加わったといえる。 ジェトロ・リヨン事務所 瀬藤澄彦 日仏経済交流会「論文」 9
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