比喩法・反復法に着目した詩の読解指導に関する実践的研究 ―詩の多義性を生かし発見的に読み味わう― 国語教育専修 熊谷 修教08-017 尚 序章 詩を教材として国語の授業をするとき、「読解指導」と言わずに「鑑賞指導」と言う場 合がある。「鑑賞」という言葉は、小学校では音楽や図画工作の指導で用いられる用語で ある。詩は、音楽や絵画などに並ぶ芸術作品であり、鑑賞するものであるという立場の研 究者や実践者が多いからであろう。しかし、詩の鑑賞指導は往々にして、詩のイメージの 世界を体験し、作者の心情に共感するといった情緒主義的な内容に陥りやすい。鑑賞とい う言葉を用いることにより、その詩を通して子どもにどういう国語の力、言葉の力をつけ るのかということが不明確なものになってしまっている。 このような現状を打開し、子どもたちに確かな国語の力が身に付く詩の授業はどうあれ ばよいかを追究していくことが本研究の目的である。授業実践を通して明らかにしていき たいのは、大きく次の2点である。 1 詩の授業における教科内容の明確化 国語科の授業で、詩を教材として扱い、子どもにどんな力を身に付けさせるのか。 学習指導要領との関連も踏まえながら、詩の授業に関する小学校6年間の教科内容の 系統表私案を提案する。 2 「詩の技法」に着目し、子ども同士が互いにかかわり合いながら発見的に詩を読み 取っていくことができるようにするための教師の支援のあり方 「詩の技法」にこだわり、それを深く追究していく読み取りの過程を重視し、詩の 中でどんな表現の工夫が見られるか、そして、その表現が作品全体の中でどのような 効果をあげているかを考えさせる。互いの考えを交流させる中で、子ども一人一人が 自分なりに詩のイメージの世界を意味づけ、創造していくことができるような授業を 目指したい。 第一章 詩の授業の現状と展望 現在小学校で使用されている国語教科書および教師用指導書を主な資料として、詩の授 業の現状について考察した。その結果、「曖昧な目標とパターン化した学習活動」が問題 点として浮き彫りとなったである。1年生から6年生まで同じような目標が設定され、似 たような学習活動が繰り返されているのである。具体的には、詩に描かれた心情や情景を 想像しながら、音読する、暗唱するといったものである。 . ..... 「詩を教える」ことから「詩で学ばせる」ことへ指導観の転換を図ることが必要である。 本研究では、詩でどんな言葉の力を育てることができるのを考察し、3つの視点から「教 材としての詩の有用性」を明らかにすることができた。第1に、詩を読み、詩人の豊かな 感受性や想像力に触れることで、子どもがものの見方や感じ方、考え方を変えたり、深め たり、広げたりすることができるということである。第2に、日常的な散文的表現の規制 -1−1− から基本的に自由である「詩的表現」に触れ、多様な表現形態・表形式・表現技能を身に 付けることができるということである。第3に、日常的な散文的表現では顕在化されない 「言葉」の潜在的な機能を発見することができるということである。 第二章 先行実践の批判的検討 民間の国語教育研究団体による二つの詩の授業の実践を検討した。 大森修らの分析批評の授業は、「発問の定石化」に執着するあまり、結果的に子どもの 読みが一面的で広がりや深まりのないものに陥ってしまっていた。 「揺るぎない発問研究」 には限界がある。それを越えるにはどうすればよいか。一つの発問についてそれに伴う多 くの補助的な発問・助言等をあらゆる状況を予測してできるだけたくさん用意しておき、 授業に臨むことが大事である。まったく予測もしていなかった子どもの反応にも臨機応変 に対応し、軌道修正を図ってねらいの達成に向けて授業を進めていくことができる教師の 技量を高めたい。 西郷竹彦の「実験授業」は、指導者の卓抜な教材解釈に支えられた中身の濃い授業であ ったが、一歩間違うといわゆる「解釈の押し付け」の授業に陥ってしまう危険性を孕んで いた。その原因は、特に授業の山場で、テキストを置き去りにした話合いが展開されてい たことによる。テキストの表現に根拠を求めながら読み取りを深めるのでなければ、国語 の授業としては弱いと言わざるを得ない。 2つの実践の弱さは、現在多くの国語教室で行われている詩の授業にも当てはまること である。これらの先行実践は、詩の授業が乗り越えるべき問題点の典型を示したものであ ると言えよう。 第三章 小学校における詩の授業への提案 詩は、散文の文章表現の規制を受けない非日常的な詩的表現の結晶であり、その「曖昧 性」や「多義性」が魅力である。詩を読むことは、日常生活では気付くことのなかった「言 葉のおもしろさ」を「発見する」ことにつながる。詩の「曖昧性」や「多義性」を重視し つつ発見的に詩を読み味わうには、「詩の技法」に着目することが有効である。詩の技法 =詩の“仕掛け”を見つけ、その謎解きをする授業は、子どもにとって楽しいものとなる。 そのような授業をつくり上げるためには、比喩や反復といった様々な詩の技法について、 指導者自身が理解を深めておかなければならない。しかし、国語教育に携わる者の間でも それらについて綿密な分析・検討はあまりされてこなかった。本研究では、このたび小学 校の学習指導要領に明記された「比喩」と「反復」について、その定義や分類、基本的な 表現上の効果等を明らかにした。そして、詩における「比喩」や「反復」をどう読んだら よいか、現在使用されている小学校国語教科書に掲載されている詩教材を中心に例示しな がら考察した。 ..... そして、「教材で学ばせる」という指導観に立ち、ある詩の授業で学んだ内容を、ほか の詩を読むときにも、あるいはほかのジャンルの文章を読むときにも活用できる国語の力 として、さらには日常生活をしていく上で必要な言語能力として確実に定着させていくこ とを目指し、学年の発達段階や学習指導要領との関連性も考慮に入れながら教科内容系統 表の私案を提案した。実際の授業づくりに活用できるものにするために、詩の授業の指導 過程に沿うように教科内容を7つのカテゴリーに分けて示した。いわゆる自由詩だけでな く、和歌や短歌・俳句などに関わる内容も含めた。「構成」や「人物・視点」に関わる内 -2−2− 容も入れ、詩の授業のみならず、他の文学的な文章の学習にも応用的に活用できるものに した。さらに、2008年3月告示の新しい学習指導要領国語において「評価」「批評」 を重視する方向性が示されたことを受け、「批評」に関する内容も盛り込んだ。 第四章 詩の授業づくりと実践記録 第三章で提案したことを実証するために行った3つの詩の授業実践(教材研究、学習指 導案、授業記録)をまとめた。 小学校4年生の「春のうた」(草野心平)の授業で主に取り上げたのは、「声喩」(擬声 語・擬態語)である。「ほっ」や「ケルルン クック」の擬声語、「みずは つるつる」 の擬態語など、草野心平ならではの表現に着目させ、「普通の表現とちょっと違う」、「何 となく変わっている」といった問題意識を高めた。子どもたちは、声喩のもつ音楽性を糸 口にして、話者であるかえるの喜びがそれらによって表現されていることを読み取ってい った。そして、着目した言葉のすべてが1連2行目の「うれしいな」という話者の心情に 収斂されていることに気付き、主題に迫ることができた。また、声喩の音楽性を取り上げ たことで、子どもたちの音読の仕方が、授業のはじめと終わりで大きく変化した。授業の 終わりの音読は、春の喜びを謳うかえるの心情を表現しようという子どもたちの意欲が伝 わってくるものであった。 小学校5年生の「海雀」(北原白秋)の授業で主に取り上げたのは、「反復」である。 5音と7音のリズムの反復、同じ言葉の反復、1・2行目と5・6行目のリフレインなど に着目した子どもたちは、読みやすさ、リズム感のよさといった単純な気付きからスター トし、海雀の数の多さ、一羽一羽の存在感、時間の経過、話者の位置など、こちらの予想 をはるかに越える豊かな想像力を働かせながら、詩の情景を読み取っていった。反復とい う詩の技法の音楽的効果と絵画的効果の両面からアプローチしたことが、読みの深まりを もたらした。「詩は音楽」、「詩は絵」という言葉で学習をまとめたが、子どもたちが詩と いう表現形式の新たな魅力を感じ取ったことが、学習のふり返りから見取ることができた。 小学校6年生の「イナゴ」(まど・みちお)の授業で主に取り上げたのは、「比喩」で ある。直喩や隠喩は類似性に基づく比喩である。ある対象を具体的な別のものごとにたと えて表現している。そこで、まずは「たとえらている形象」と「たとえている形象」を明 確する。そして、両者を類比することでイメージの共通性・類似性をとらえる。次に、両 者を対比することでイメージの非共通性、非類似性をとらえる。その上で、たとえている 形象をたとえられている形象に重ね合わせ、たとえられている形象の新たなイメージを想 像する。このような4つのステップを踏んだ「比喩を読み解く方法」を考案し、 「イナゴ」 の授業で実際にその方法を使ってみた。子どもたちは、「川のように流れる」(=たとえ ている形象)と「イネのにおい!」(=たとえられている形象)の2項の間に生まれる新 たなイメージを発見的に読み取ることができた。比喩の原理に基づいたこの方法は、比喩 表現のおもしろさを子どもたちに発見させることのできる有効な読みの方法であることが 確かめられた。「各グループがとらえた作品の主題」は、どれも核心を突いたものであっ た。比喩表現から豊かにイメージを想像させたことが、主題を深く考えることにつながっ たのである。詩の技法に着目して読み取りを深めることは、作品の主題に迫るために有効 であることを実証することができた。また、全3時間の授業後に書かせた感想文は、6年 生なりの「詩の批評」に十分値する内容であった。小学校段階でも「詩の批評」に挑戦さ せてみることは、決して無理なことではないと感じた。 -3−3− 終章 詩の授業において、その詩をどう解釈し、どのような感想を抱くかは、本来自由である べきである。詩は、その曖昧性・多義性にこそ魅力がある。子ども一人ひとりの感性や生 活経験などの違いから、その詩をどう受け止めるかは違って当然なのである。「この詩を 読んでどう思いましたか。」といった類の問いに終始する授業が見られる。どう思うかは 個々の自由であるから、互いの感想を交流したとしても、新たな発見や気付きがあり、質 の高い学びが展開されることはあまり期待できない。子どもに自由に感想を発表させたが、 結局その授業で子どもに何を学ばせたのかが分からない、ねらいが不明確な授業に陥って しまう。子どもが感想を述べているのはまだよい方で、極端な場合は教師が詩の解釈を丁 寧に説明し、それを作品の主題として子どもに教え込むような授業もないとは言えない。 「どう思ったか」で終わらせず、なぜそう思ったのか、テキストの言葉を根拠にして考 えさせる。国語の授業として当たり前のことが詩の授業では意外とおろそかにされてきて いた。詩は、詩人の感性が創り出すイメージの世界であり、難解なものといった印象から か、指導者が教材研究を避け、あたりさわりのないところで授業をしてきたからではない だろうか。本研究では、詩とは何か、詩の表現と何かを追究した。その結果、詩の言葉の 「音楽性」、「絵画性」、「意味性」、あるいは詩の「曖昧性」、「多義性」などといった、日 常の散文表現を越えたことろにある詩の表現、言い換えれば「詩の技法」にこそ、教材と しての詩の有用性があることが見えてきた。詩人は様々な詩の技法を駆使して私たち読者 にイメージの世界を伝えようとしている。つまり、詩の技法にこそ読むべき形象があるの である。そこで、「詩の技法」に着目させ、それが何を表そうとしているのか、また、そ の技法を使うことがどんな表現上の効果を上げているのか等を考えさせる授業を構想した のである。 「詩の技法」に着目した読みの学習は、個々の自由な感想の言い合いではなく、 テキストの中に根拠を求めながらお互いの考えを述べ合う中で、新たな発見や気付きが生 まれ、読み取りが深まるものとなった。3つの実践授業により、「詩の技法」に着目する ことは、詩が創り出しているイメージの世界を豊かに読み味わい、作品の主題に迫ること につながるものであることが確かに実証された。 最後に、今後の課題を述べる。小学校段階で指導したい「詩の技法」のうち、「比喩」 と「反復」ついては詳細な考察ができたが、そのほかの技法については、十分な考察がで きなかった。詩の本質に迫るために、詩の言葉や表現、詩の技法について今後もさらに追 究を続けていきたい。教科内容系統表の私案については、実際の小学校現場で活用できる ものにしていくために、さらに検討を加え、加除訂正を重ねていかなければならない。7 つのカテゴリーの設定は妥当であるか、各内容が適切で具体性のあるものとなっているか、 定着を図る学年の設定が妥当であるかなどについて、今後も授業実践を通して検証してい きたい。さらに、詩の授業は「読解」に限られるものではない。理解から表現につなげる 指導の必要性はかねてから指摘されているところである。例えば、詩を読んで深まった自 分の考えを作文にまとめるなど、読み取りを生かして書くことにつなげるといった単元が もっとなされるべきである。ほかに、朗読や群読など音声表現につなげる指導もある。理 解から表現へ発展的に学びが展開する詩の授業づくりを目指したい。また、本研究では「詩 の創作」については触れることができなかった。学習指導要領では、詩を作ること、ある いは俳句や短歌を作ることが言語活動例として挙げられている。詩の創作指導にまで視野 を広げ、詩教育のさらなる可能性を追究していくことを今後の大きな課題としたい。 -4−4−
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