ベネツィアン・グラスの造形からカッティング までの工程技術の

ベネツィアン・グラスの造形からカッティング
までの工程技術の習得
太 田
潤
目
次
1
研修概要
・・・・・
1
2
研修日程
・・・・・
1
3
主な視察先
・・・・・
2
4
はじめに
・・・・・
3
5
研修内容報告
(1)デボン州の陶工達
・・・・・
3
(2)セントアイブス
・・・・・
8
(3)美術館・博物館等の視察
・・・・・
9
イギリス
フランス
(1)美術館・博物館等の視察
・・・・・ 11
イタリア
(1)美術館・博物館等の視察
・・・・・ 13
(2)ガラス工房研修15
6
研修を終えて
・・・・・ 19
1.研修概要
(1) 研修期間
平成 17 年 10 月 17 日 〜 平成 18 年1月 27 日
(2) 研修先
イタリア,ベネト州ベネチア(ムラーノ島)
イギリス,フランス
(3) 研修目的
現地陶芸及びベネチアングラスの文化を学び,お互いの接点を研究したい。また,現
地工芸の現場を視察して,日本の工芸文化との相違点についての情報交換をしたい。
そして最後に,ヨーロッパ圏下の工芸文化における美的センスを学ぶ事で,小石原焼
の伝統に新たな一面を加味したい。
2.研修日程
年月日
第1週目
05 10/17
第2週目
10/24
第3週目
10/31
第4週目
11/ 7
第5週目
11/16
第6週目
11/21
第7週目
11/30
第8週目
12/ 5
第9週目
12/12
滞在先
視
察 先
イギリス リーチポタリー
マチェルニーポタリー
ペニーシンプソン氏の工房
研修内容及び視察目的
日本発 → ロンドン
・現地工芸の現場視察
・美術館,博物館等の視察
クライブ・ボウエン氏の工房
フランス
パリ
・美術館,博物館等の視察
イタリア
ローマ
ムラーノ・アルテガラス工房
ベネチア
・ガラス工芸に関する技術研究
・美術館,博物館等の視察
第 15 週目
06
1 /27
帰国
1
備
考
3.主な視察先(美術館,博物館,モニマメント等)
oイギリス
・リーチポタリー(バーナードリーチ記念館)
・マチェルニーポタリー
・ペニーシンプソン氏の工房
・TAJA(田島康晴)氏の工房
・ニック・コリンズ氏の工房
・スヴェン・ベアー氏の工房
・デビッドリーチ氏の工房
・クライブボウエン氏の工房
・テートギャラリー
・セントアイブス博物館
・バーバラ・ヘップワース記念館
・テートブリテン
・ナショナルギャラリー
・ヴィクトリア&アルバート博物館
・自然史博物館
・大英博物館
・ロイヤルパヴィリオン
・カンタベリー王立博物館&美術館
・テートモダン
・サーペンタインギャラリー
・ナショナルポートレイト博物館
oフランス
・ルーブル美術館
・オルセー美術館
・ピカソ美術館/サレ館
・サントシャペル教会
・ルーアン陶磁器美術館
・トゥール美術館
・トゥール職人師弟制度博物館
・ディジョン美術館
・ノートルダム寺院
・ヴェルサイユ宮殿
・ノートルダム大聖堂
・ナンシー派美術館
・トー宮殿
oイタリア
・ヴィッラ・ジュリア・エトルリア博物館
・ローマ国立博物館本館(マッシモ宮)
・カーレッツォーニコ博物館
・考古学博物館
・ウフィッツィ美術館
・アカデミア美術館
・ファエンツァ国際陶磁器博物館
・ドゥオーモ美術館
・ガラス工芸博物館
・マッフェイアーノ博物館
・パドバ市立博物館
・パドバ市立美術館
・考古学博物館
・スクロベンニ教会
・ボッタチン博物館
・加工装飾美術博物館
・アントニアーニ博物館
・ドゥカーレ宮殿
・コッレール博物館
・カ・ペーザロ(東洋博物館,近代美術館)
・ラジョーネ宮殿
・CAMガラス工房
・セレネッラガラス工房
・マルコポーロガラス工房
・ジーノマッカートガラス工房
・ムラーノ・コッレッツィオーニ
2
4.はじめに
ヨーロッパ(イタリア,フランス,イギリス)圏下の美的センス及び,表現方法,つい
ては「ものの形」を時間が許す限り見ようと思った。生活雑器としての使い易さと,形の
美しさがひとつの線でつながっている小石原焼を例に上げるならば,朝鮮から続く陶磁器
圏の中での用足美であるだろう。それなら,全く生活習慣の異なるヨーロッパにはどんな
形の美が,個人的にはやはり実用性を有する美が存在するのだろうかと考えた。ウェッジ
ウッド,ロイヤルドルトン,セーブル焼,マイセン焼,ローゼンタール焼,フッチェンロ
イター焼,マヨリカ焼,スペイン焼,等々,思い付く限りの陶磁器を頭に浮かべたが,小
石原焼とはかけはなれた印象を受ける。次にガラス工芸で考えてみる。ボヘミアグラス,
江戸,薩摩切子などには近いが小石原ではない。アール・ヌーヴォー期のフランスのガラ
ス,全く違う。ビザンチン文化下のガラス,まぁ形的には参考になる,とそこまで溯った
時,ササン朝期以降のローマングラスの形に小石原焼と相通ずる美を発見した。自分の中
でヨーロッパはガラス圏なのだから,ガラスの形を勉強した方が,ヨーロッパの美的セン
スを吸収,咀嚼しやすいのではないかと考えた。
しかしながら,ローマングラスは 1500 年以上も前のガラスであり,現在製造されてい
るイタリアのガラスとは全く別のものである。それならば,ローマングラスの後継として
続くガラスは何だろうか?文献によると,古代ローマ時代に,すでに高い水準に達してい
た吹きガラス技術を持つベネティ族が,ラグーナ諸島へ移住して以降の,ベネチア都市形
成と時を同じくしてもたらされたベネチアングラスはどうだろうか。少なくともローマン
グラスの吹き手達がベネチアに移り住んで以後,現在迄ベネチアングラスの本拠地ムラー
ノ島では伝統的技法が連綿と受け継がれ,器形デザインの奇抜さを競い合うよりも,親密
な落ち着きを持った流麗な形と,ガラス自体の色彩を追求しているという。私は工芸文芸
分野は異なっていても小石原焼と同じ様な運命をたどっているなと感じ,この研修を通じ
て,ムラーノ島を訪れてみたいと思った。もちろん日本の民芸がもたらしたヨーロッパ工
芸への影響も見届けたかったし,ヨーロッパの伝統工芸の向かう方向を探求する作業の中
で,日本の伝統工芸である小石原焼の将来的展望も垣間見る事が出来るのではないかと思
った。
イギリス
(1) デボン州の陶工達
研修は,イギリスからスタートした。イタリアにまず行きたかったのだが,今の季節は
ベネチアは高潮が発生してサンマルコ広場周辺は膝丈迄浸水して大変だと,ベネチアング
ラスショップ「CLASSY」の江頭知恵オーナーから聞かされていて,それならばとイ
ギリスからのスタートだった。ここでは自分の仕事の根幹を成す民芸の影響というものに
ついて考察したいと思った。いつ何時でも雨の降りそうなロンドンから途中バースに宿を
取りながら向かったのは芸術都市エクセター。陶芸の個人工房が多く点在するデボン州に
宿を取ればアクセスは比較的楽だろうと思ったのだが甘かった。バスも通っていない様な
所も有り,途方にくれた。なんとか滞在していたゲストハウスのオーナーが視察先の1つ
であったペニーシンプソン氏と知り合いだったので現在迄の詳細を教えてくれてバスを
3
乗り継ぎ片道2時間余り,なんとか氏の
工房を訪ねたのは良いが,彼女は丁度
自分と入れ違いに展示会の為東京へ行っ
ていて不在だった。非常に残念だったが,
工房のスタッフの方々は快く作業場も見
学させてくれて本当にあったかい工房だ
と思った。ペニーシンプソン氏の温かい
人柄が表われている様な工房だった。
帰りに日本人の陶芸家TAJA(田島
康晴)氏を紹介して頂きそちらに向かう。
TAJAさんは平成8年の第1回当研修
生の小石原焼の先輩である太田剛速さん
とも交流の深い方で,自分も今年度の研
修生であるという旨を伝えると,これま
た快く付近の工房に連絡を取って頂き,
その後も何かとお世話になりっぱなしで
あった。
その日は,近所のニック・コリンズ氏
の工房を訪れた。丁度窯焚きの最中にも
関らず,お茶でもてなしを受けながらダ
イナミックな作品,剛速さんの思い出話
などを語ってくれた。
次の日は,TAJAさんにデボン工芸
協同会館に連れて行って頂いた。そこ
には,デボン州で作られている陶磁器,
染織物,籠類,フェルト,皮革細工,
金工,金細工,木工,手漉き紙,版画,
絵画,彫刻,ガラス等の作品が展示販
売されていた。モダンなアート作品か
ら,地元の名産品から作られる様々な
手仕事の製品迄所狭しと並べられてい
た。
4
その後,その年(05 )の 2 月 15 日に亡くなられたバーナードリーチの息子さんであ
るデビッド・リーチ氏の工房へ行った。そこには彼の遺作や息子達であるジョン,サイモ
ン,ジェレミーの作品も同時に置かれていた。今はジェレミーリーチ氏が工房を継いでお
り,サイモンリーチも現在作陶しているスペインから戻って来た所だと迎えてくれた。サ
イモン氏に色々と工房内を見せて頂いた後,家にもお邪魔させてもらい,バーナード,デ
ビッド両氏の過去の作品を拝見する。サイモン氏と小石原焼の事,自分の祖父の事等を話
しながら,バーナードリーチと太田熊雄の出会い,その孫であるサイモン氏と自分の出会
いに氏は「運命だろうね」と嬉しそうに言った。機会があったら是非小石原を訪れて,一
人の職人としてロクロを引きたいと語るサイモン氏との再会を約束して工房を後にした。
5
10 月 24 日月曜日。この日はバーナードリーチのもう一人の孫であり,現在イギリス国
内で最も精力的に作陶を続けるジョンリーチ氏の工房であるマチェルニーポタリーを訪
ねる日であるが,あいにくの雨模様で少々出鼻をくじかれる。曇りがちのイギリス,イメ
ージ上のイギリスがそこにあった。エクセターの宿から最寄りのセントデイビッズ駅から
約 30 分のトウントンという駅迄行き,そこのバスステーション迄また徒歩 30 分の道のり
の後,バスに30分揺られてラングポートで下車。そこ迄は予定通りだが,そこから先の
工房迄の交通手段が無い。仕方無くバス停付近のお店で工房の場所を訪ねると,タクシー
でも行けるが,徒歩で20〜30分で行けるという。少し小雨になっていたので歩き出し
たのは良いが,行けども行けども牧草地の広がる巨大迷路が続き,気が付くと雨も本降り
で歩き出してから1時間をとうに過ぎていた。途方に暮れてまた後日道順を確認して出直
そうかと思ったが,今から引き返すのも癪にさわる。思案しつつ,車の通りもまばらな水
溜りの多い道をトボトボと歩いて行くと写真で見たマチェルニーポタリーの看板が眼前
に迫って来た。すぐさま中に入ると昼食後らしいスタッフのニック・リーズ氏が入って来
た。「奥さんがすぐ来るから,ゆっくり見てて」とニコリ。高さが2m以上あり,規模で
は間違いなくヨーロッパ最大と言われる登り窯から 36 時間かけて生み出される無釉の作
品達は焼きたてのパンのような表情から「トースト・フィニッシュ」と呼ばれ世界中のフ
ァンに親しまれている。ティーポット,水指し,エッグトースト,マグカップ等どれも使
い勝手が良さそうで,且つ余分な装飾が無く美しい形を持っている。
たてこんでいた為,ジョン氏本人から話を伺う事が出来なかったのだが,奥さんのリズ
ィーさんに色々と話を聞かせてもらい,あの威風堂々としたジョン氏から生み出される何
とも素朴な作品達は,この大自然の環境と何ともマッチしていて,その心地良さの余韻を
楽しみながらの帰り道は比較的スムーズであった。
10 月 26 日は,TAJAさんにスヴェンベアー氏の工房とクライブ・ボウエン氏の工房
を案内して頂いた。スヴェン氏は自身の巨大な穴窯の修繕中だったのだが,作業の手を休
めて話を伺う事が出来た。アフリカ中東部のウガンダ共和国生まれのスヴェン氏は,1973
年に日本を訪れた事が有り,その時に立ち寄った小石原で,黙々とロクロに向かう職人の
姿が印象的だったと話をしてくれた。貝模様の付いた氏の作品はどこか備前焼風でもあり,
アーティスティックな釉薬の表現と,反対にシンプルな造形との調和がしっとりと融合し
たものであった。
6
クライブ・ボウエン氏の工房は,これまた迷路のような網目状からなるシェビア村のは
ずれにあり,通り名,番地名も無く,似た様な牧場と畑に囲まれた道中は,終止落ち着か
ず,どこまでも追って来る雨雲をぼんやりと眺めていた。クライブ氏もスヴェン氏と同じ
く,バーナードリーチの一番弟子であったマイケル・カーデュー氏の元で技術を磨き,そ
の前にはバーナードリーチの次男であるマイケルリーチ氏にも師事している。氏は,ウェ
ンフォードブリッジのマイケル・カーデュー氏の
窯と同様に,縦型円筒形の薪窯を用いて 1,040〜
1,060 度の低火度で,鮮やかなイギリス伝統のス
リップウェアを製作している。窯場,仕事場,共
に資料や見本品が所狭しと置かれてあり,氏の熱
心な勉強家ぶりが窺えた。イギリス伝統のスリッ
プウェアとは,スリップ(液状の粘土,化粧土)
を用いて低火度で焼成したもので,17〜18 世紀,
イギリス中西部のスタッフォードシャーなどで無
名の職人達が作っていたものであり,バーナード
リーチ,マイケル・カーデュー両氏が再興させた
ものの,1950 年代以降は途絶えてしまう。それを
1970 年代になって再度復興させたのがクライブ・
ボウエン氏である。彼の自宅にもお邪魔させて頂
き,デビッドリーチ氏との共作のスリップの大皿
や日本の小鹿田の文献などを見せて頂いた。多弁
ではないが,大変に優しさを感じさせる人で,日
本にもファンが多いのも領ける。イギリスを発祥
として,日本を経由してイギリスで再興されたス
リップウェア。そのイギリスの正統派スリップ
ウェアを代表するクライブ氏が日本のスリップ
ウェアの発展に大きく貢献しているのは間違いな
い。
7
イギリス
(2) セントアイブス
10 月 27 日にエクセターを出発して一路
セントアイブスへと向かう。柳宗悦,浜田庄
司らと日本の民芸運動に参加した世界的陶芸
家,バーナードリーチの窯を訪ねる為である。
彼が柳先生に共に小石原の祖父熊雄を訪ねた
時の話を父からよく聞かされていたので,何
となく異国の祖父の感も生じていたのかも知
れない。
英国の西の果て,セントアイブスは,かの国有数の
保養地であり,世界中のアーティストに愛される町でも
ある。この町で生まれ育ったアガサクリスティーに,好
んでここを訪れたオスカーワイルド,コナンドイル,
バーバラ・ヘップワース等,人間の魂を揺さぶる風土は,
一年中花のあふれる温暖な気候である。町自体がゆっく
りとした時間を持っているといった感じだ。観光地から
少し離れた丘陵地を上って行くと,思わず見過ごしてし
まいそうな控え目なたたずまいの「リーチポタリー」と
書かれた建物とマークが。確かに「秩序と調和の造形」
ではあるが,いささか面喰った。何か一抹の寂しさを感
じたのも事実である。中には「バーナードリーチ記念館」として生前の彼の作品や,彼の製
作した蹴ロクロ,展示会のポスター等が展示してあり,それら全体から人物像が浮かび上が
るような,無駄な装飾を一切排除して,すっきりとした健康美を呈した空間であった。
このリーチ工房は奥さんのジャネットさんが 1997 年9月に亡くなって以降,存続が危ぶ
まれていたが,コーンウォール州政府が組織する「リーチ工房復元プロジェクト委員会」を
中心に「陶芸総合センター」として再開発する構想が上げられている。浜田庄司と築いたヨ
ーロッパで最初の登り窯の保存のほか,陶芸制作や展覧会が出来,リーチ関係者の作品を常
設展示する博物館の役割も果たす予定であるという。マイケル・カーデュー,トレバーコー
サー,ジョン・ベディング等リーチ工房で技を磨いた者達,もちろんリーチー族にとっても,
我々健康美を追及する者には何としても後世
に残さねばならない世界的な遺産であろう。
8
イギリス
(3) 美術館・博物館等視察
セントアイブスで,バーバラヘップワース記念館,
テートギャラリー見学後,10 月 31 日にセントアイ
ブスを出発,ロンドンへ向けて鉄道で約5時間。
11 月1日のテートブリテンを皮切りに,目眩くロ
ンドンの美術館,博物館巡りが始まった。とは言え,
絵画等の美術方面への観賞素養も乏しい上に,かの
地の宗教面における倫理観すら付焼刃である。この
研修初期は,美術館と名の付く所よりも博物館の方
により多くの興味が傾いた事は言う迄も無い。その
中でも収蔵数,内容共に充実していたのが,やはり
大英博物館とビクトリア&アルバート博物館であ
る。大英博物館は8万点近い収蔵品を有し,何度足
を運んでも新たな発見がある所だった。
目玉である「サンベックの石棺」「ポート
ランドの壷」「アステカ・ミシュテカのモザ
イク細工の蛇」
「テーベのネバムン墓内壁画」
「王家の金杯」
「女神タラ像」
「人面有翼の巨
大なライオン」「モスク用ガラス製ランプ」
「タルハルコのスフィンクス」
「第 19 王朝フ
ァラオ,ラムセス2世の巨像の上部」「アメ
ン神に仕えた巫女,ヘヌトメヒトの金塗りの
内棺」
「水草と魚を描いた磁器皿(景徳鎮)」
「つつじ模様の彩色磁器大皿(有田)」
「アウグストゥス帝の青銅製頭部」
「鉄製の兜(サ
ットン・フー)」などは勿論の事,それら以外にも「ミケーネの壷」に代表される古代ギ
リシャ土器の数々と,2000 年以上もの時を経てそれに基づいて製作されたウェッジウッド
の「ペガサスの壷」など,表現の変遷を実物を前に考察出来た事が何よりの収穫だった。
その他「ポートランドの壷」他のカメオグラスの年代考証では,ローマングラス期の装飾
のバリエーションの豊富さに驚嘆した。
9
ヴィクトリア&アルバート博物館の方も世界中から集められた美術品を個別に網羅し
たギャラリーの他,絵画,彫刻,家具,陶磁器,ガラス,銀食器,鉄工芸,服飾等のカテ
ゴリー別に展示された 150 室以上のギャラリーで構成されている世界最大級のコレクショ
ンである。ここでは年代別に玉石混淆のごとく溢れんばかりに詰め込まれたガラスル
ームがとにかく圧巻だった。美術品である
のだが,日常生活の為の手工芸の趣を持つ
ガラス達も多く含まれていた。そこでは,
ローマングラスからフランクガラス,ビザ
ンチンガラス,ササンガラスへと引き継が
れた技法や器形,機能がイスラムガラスへ
と繋がってゆく一連の流れが手に取る様に
展開されており,実に興味深い博物館だっ
た。
10
フランス
美術館・博物館等の視察
そぼ降る雨の中で出会った,手仕事の温かさの中に多くの発見と驚きをもたらしてくれ
たイギリスに別れを告げ,11 月 16 日にフランスへと向かう。と気持ちも新たにフランス
入りしたのは良いが,とにかく寒い。イギリスで雨に打たれながらも実りの多い研修だっ
たので無理していたのかも知れない。到着したパリ北駅では,ニュースで聞いていた暴動
の余波も大して無く(ライフル銃を携行した軍人が巡回している事を除けば)安心はした
ものの付近を散索する余裕は無く,とにかく宿へ急いだ。
ここで今回の研修初のヨーロッパの雪を体験し,少し崩れ気味の体調も大事に至らず,
マイペースでの美術館,博物館等の視察が出来た。イギリスで面喰った。ヨーロッパ美術
における宗教的側面の大きさにも大分慣れてきた。とは言え,ルーブル,オルセーのフラ
ンスを代表する2大美術館は本当に気疲れする程のボリュームと威厳に満ち満ちた収蔵
品の数々にはやはり圧倒された。
ルーブル美術館では「ミロのヴィーナス」「ラム
セス2世像」「モナリザ」
「民衆を導く自由の女神」
等々美術の授業の記憶の片隅に残る有名作品から,
世界中の美術工芸に関する名品がズラリと並んで
いた。栄朝時代の白磁器と古代ローマ時代のガラ
ス作品がとりわけ目を引いた。
一方のオルセー美術館は 1848 年から 1914 年に始まった第一世界大戦迄のフランス美術
が集められており,これらはルーブル所蔵作品の時代を受け継ぐ形になっている。作品の
素晴らしさに加えて,ガラスと鉄骨からなるアーチ状の屋根や大時計など,美術館の前身
であったオルセー駅舎の面影を残した建物自体も美術空間と言えるものだった。ルノワー
ル,モネ,ゴッホ,ゴーギャン,ロートレックなど,日本でも馴染みの深い印象派の巨匠
達の手による作品は2万点にも及び,印象派の作品の宝庫としても知られている。中でも
11
アールヌーボー期におけるガラスと陶磁器が目を引いた。
人工的な造形の模倣に代えて自然界の動植物の形態を参考にして新しく生み出された
造形は,世界中で曲線を主体とする斬新な装飾美術を作り出した。このヨーロッパの美的
伝統の破壊は,それと引き替えに芸術の無国籍状態を生み,20 世紀工芸デザインの簡潔な
構成と幾何学的形態が示す抽象的な美に至る道筋を切り開いたと言えるだろう。
当時流行したジャポニズムの影響下にある作品も数多く展示されており,興を添えてい
た。
11 月 27 日には,オルセー美術館で見たアールヌーボーの作品達を更に深く考察する為,
ナンシーを訪れた。そこは,アールヌーボーが花開いた 19 世紀末に,ガラス工芸家エミ
ール・ガレを中心に発足した「ナンシー派」と呼ばれる芸術家達が拠点とした場所であり,
現在でも,優美なカーブを描いた「新建築」が町のあちこちにその姿を残していた。ナン
シー派美術館では,前述のガレ作のベッドやランプ,グリューベル作のステンドグラス,
マジョレル作の家具など,見事な作品が並び,ヴァランの食堂を再現した部屋は天井から
壁にかけてラインや作り付けの食器棚,椅子やテーブルまで,部屋全体が曲線で構成され
12
ており,さながら,アールヌーボーのある生活空間を体験する事が出来た。その他,ルー
アン陶磁器美術館では,リモージュ,ルーアン,セーブル等フランスを代表する陶磁器の
他,ヨーロッパや中国など世界中の陶磁器を一同に見る事が出来たし,ノートルダム寺院,
ヴェルサイユ宮殿等の寺院,宮殿,教会などのモニュメントも日本人の感覚では,想像も
つかない荘厳さに溢れていた。
イタリア
(1) 美術館・博物館等視察
11 月 30 日にパリを出発,寝台列車でイタリアへと向かう。本来 15 時間の道のりを4時
間遅れでローマに到着。のんびりと夜行で臨んだつもりだったのだが,現地の人は更にの
んびりしている様で,逆に疲れてしまった。こと電車の時間に関しては,現地の方に言わ
せると遅れなかった事は無いらしい。ストライキも,多い時では月に1回のペースで行わ
れるが,それでも根強く地元の人々の足として利用される所を見ると,やはり時感,文化
の違いというものを感じざるを得ない。建築物にしても,教会などになると自分の代で完
成を見る事はまず考えずに,二代,三代で完成させるという考えは,私達日本人には余り
無い様に思う。善し悪しでは無く,材料や生活習慣の違いとして非常に興味深かった。こ
こイタリアでもベネチアでのガラス工芸研修の合間を見て,様々な美術館,博物館等を視
察する事が出来た。印象的なものでは,ローマで見たフォロ・ロマーノとヴィッラ・ジュ
リア・エトルリア博物館と,フィレンツェで見たウフィッツィ美術館と考古学博物館であ
る。
フォロ・ロマーノは古代ローマの中枢だった場所であり,紀元前6世紀には既に建設が
開始されたという。カエサルの共和政時代から帝政ローマ時代に最も栄え,皇帝が凱旋し,
政治演説が開かれ,大勢の市民が集まったと言われる。ローマ帝国の栄光を物語る政治,
13
経済,宗教の中心地は,コロッセオと同様,ローマ帝国の衰退と共に忘れ去られ,ルネッ
サンス期には神殿の大理石が建築資材として持ち出されるなどし荒廃したが,19 世紀に入
り遺跡の発掘が開始され,現在の姿に至った。かつて栄華を誇った大帝国は,今や一大観
光スポットであったが,自分にはうら寂しい巨人の亡骸に写った。
ヴィッラ・ジュリア・エトルリア博物館には,紀元前 800 年頃に現在のトスカーナ地方
で花開いたエトルリア文明の貴金属類,彫刻,陶器,ガラス等が約7万点収蔵されている。
イタリアで初めて誕生した,エトルリア文明は当時盛んに貿易が行われていたギリシャ文
明と密接な関係を持ち,その美術的側面に於いては彩色塑像や青銅製の燭台を始めとする
装飾具に優れた水準を示し,金属製工芸品にはギリシャのそれを凌駕する作品も多く認め
られた。しかし,ギリシャの様に,社会制度,倫理,宗教観などが一致した,人間像中心
の美術ではなく,貴族達によって支えられた美術である為,洗練性と地方性を有し,内在
的様式展開の活力に欠けるものであると思う。このエトルリア博物館とフィレンツェの考
古学博物館で展開されるエトルリア美術は,地中海地域で開花した多くの古代美術と同じ
く,約5世紀間に渡ってギリシャ美術の影響下に栄えた美術であった。しかし,イタリア
中部という一定の閉鎖性を持つ地理的条件の為,この地方と民族固有の要素を持ち続けた
美術でもあったといえる。すなわち,東方化時代の優れた装飾文,ギリシャ文明アルカイ
ク時代の精妙な工芸品,それに神殿建築やアーチを用いた土木技術,紀元前4世紀以後の
写実主義,これらは後に形成されてゆく,ローマ美術に大きな影響を与え,その意味でギ
リシャ美術とローマ美術の仲介的な役割を果たしたと言えるだろう。陶器,ガラス以外の
自分の浅薄な美術史的興味から,エトルリア文化の遺産について考察してみた。
12 月 13 には,フィレンツェ迄足を延ばす。街自体が一つの巨大な芸術作品を思わせる,
中世イタリアに花開いたルネッサンスの中心地である。この地では,アルバイトをしなが
ら,金工をされている森下裕司さんに視察先を案内して頂いた。彼も異国での文化の違い
に一喜一憂しつつ,工芸の本質に迫ろうとしている。彼の出自を忘れずに活動を続ける姿
勢には,多くの勇気をいただいた。その森下さんと巡ったフィレンツェの中でも特に心に
残っているものは,やはりイタリア美術史に燦然と輝く名画が勢揃いしたウフィッツィ美
術館だろう。絵画的知識に於いて雀の涙程も明るくない自分でも,小学校の美術の教科書
14
を眺める楽しさを思い出させてくれる場所であった。ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」
「春」,ダ・ヴィンチ「受胎告知」,ミケランジェロ「聖家族」,レンブラント「若き頃の
自画像」などなど枚挙にいとまが無い。中でも不良修道僧画家のフィリッポリッピの「聖
母子と二天使」等には聖母の柔らかな表情と天使の名の付いた子供の溢れんばかりの愛ら
しさにこの国の懐の大きさを感じた。
イタリア
(2) ガラス工房研修
研修先が紆余曲折を経てようやく決定したのは 12 月に入っての事だった。ベネチアン
グラスの本拠地ムラーノ島の,ムラーノアルテガラス工房。オーナーのカルロさん,マエ
ストロのインペリオさんには本当に無理を言って工房に入り浸らせてもらい感謝しても
しきれない。しかし,ただ一つ残念だった
事は,現場の親方であるマエストロのイン
ペリオさん以外の人間が作品を製作する事
は完全にNGであるという事だった。材料,
道具を一揃い持参していた自分にとって,
イタリアのマエストロ制度は厳しい現実と
して立ちはだかっていた。工房の片腕であ
る助手にも製作は許可されないという。あ
15
と,聞いた所に拠ると昔この工房で働いていた日本人の従業員が問題を起こしたという事
も,工房の人々が日本人に慎重になる所以の一つであったのかも知れない。
ともあれ,せっせと工房に通うのは良いが,ベネチア本島は水路での移動しか無く,真
冬に水上バス(ヴァポレット)の中で凍え上がっている自分と,水の都の観光地で割と薄
着で談笑する欧米人を比べると,やはり基礎体温が違うのだろうか?と思ったものだ。窓
の外では雪がちらついているが,ガラス工房の中へ入ると真夏である。マエストロ以下,
時々入れ替わる助手の方達は淡々と「軽業師の妙技・ア・マーノ・ヴォランテ」を披露す
る。ベネチアで使用されている材料は大体珪砂,ソーダ灰,石灰石から成るソーダガラス
である。「クリスタッロ」と呼ばれる透明度の一段と高い無色ガラスは従来のソーダ・ガ
ラスの原料に消色材の酸化マンガンを加えたもので,17 世紀にイギリスで開発された鉛ガ
ラスの「クリスタルガラス」程純度は高くないものの,ベネチアングラスの伝統として今
もその透明性を生かして,一切の絵付けを排除した無装飾のガラス器が作られている。ベ
ネチアングラスの製法は,古代以来の宙吹き
(吹きガラス)で,吹き竿の先に溶融した
ガラス種を取り,風船のように膨らませなが
ら,ピンサーで手早く形を与えてゆくやり方
は,現在でも変わりが無い。ソーダガラスは,
溶融したガラスの可塑状態が長く持続する為,
宙吹きの手法に適しており,ごく薄く吹いた
り,パートごとに吹いて接合したり,手の込
んだ細工を施すなど,自由自在に成形する事
が出来る。
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16 世紀には世界最大の産地であったベネチアのガラスのデザインは,名人芸を過度に強
調し過ぎて調和が崩れ,実用性は稀薄化してゆくといった過去の過ちを楔として,フォル
ムと色彩の調和を取り入れたシンプルで優雅な造形を展開している。
オブジェとしての土産品を量産し続ける工房も無いとは言えないが,生活の彩としての
志が有っての事だと思いたい。
紀元前1世紀中頃に,ローマ領シリアのガラス産地で発見された吹きガラスが 2000 年
余り後も連綿と,ほぼ当時のままに続けられているという事実が大きな驚きであったし,
嬉しくもあった。ムラーノ島のガラスに携わる人々は皆それぞれ,偉大な先人へ畏敬の念
と,愛情を伴う誇りを持って今日もそのまたたきに心奪われるのだと思った。
5.研修を終えて
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研修前は,自分の思い込みだけでどこ迄異文化を吸収出来るのか不安でもあった。しか
し真実を生み出し続ける工芸家というのは世界共通に存在しており,そんな方々が表現す
る美の形も,これまた世界共通に存在するという事を確認する事が出来た。
それは時代が欲する形でも,もちろんあるのだが,「ベーシックな所はこうだ」という
確証が持てた事が一番収穫であった。それは今後,自分が表現する製作する作品に於いて,
代々後世に伝えて行かなくてはならない物だろう。
最後に,今回の研修にあたり,大変大勢の方々の御尽力を頂いた事を深く感謝いたしま
す。九州電力株式会社の皆様,自分を推薦して頂いたのに研修終了を待たずに故人となら
れたしまった小石原焼陶器共同組合の鬼丸前理事長,小石原伝統産業会館事務局長の自見
さん,イギリスでお世話になりましたTAJAさん,井上さん,イタリアでお世話になり
ましたマッカート花田さん御家族,森下さん,マルコさん御家族,ムラーノ・アルテ・ガ
ラス工房の皆様を始めとする世界各国の工芸に携わる皆様,本当に有難う御座居ました。
以
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上