キッシンジャーの思想と対中政策 ―1990 年代共和党

キッシンジャーの思想と対中政策
―1990 年代共和党の保守化と中国脅威論台頭の中で―
東京大学法学部 4 年
大隈
護
目次
はじめに―1990 年代アメリカ政党政治の変容と対中政策
1.キッシンジャーとアメリカ外交政策
⑴ヴェトナム戦争と権力の中枢
⑵現実主義者としての外交
⑶普遍的価値を求めるアメリカ
⑷冷戦後の世界とアメリカ外交
2.キッシンジャーの対中政策総論―協調が創り出す平和と安定
⑴アジア―均衡が支配する世界
⑵「保守派の中国論」批判
⑶人権と中国
⑷台湾と中国
3.キッシンジャーの対中政策各論―天安門事件から軍用機接触事故まで
⑴天安門事件と冷戦後のはじまり
⑵最恵国待遇と人権
⑶李登輝訪米と台湾問題
⑷中国大使館誤爆と反米ナショナリズムの高まり
⑸G・W・ブッシュ政権の登場と軍用機接触事故
4.9・11 の衝撃とテロリズムの脅威、中国の脅威
⑴テロリズムという新たな挑戦
⑵テロリズムと中国
おわりに―「中国」と出会うとき
はじめに―1990 年代アメリカ政党政治の変容と対中政策
アメリカの政党政治は決定的選挙(critical election)によって特徴付けられることが多
い。しかし、第二次大戦後はこれに当たるような選挙が見当たらない。では、政党政治は
変化していないのか。そうではない。1990 年代のアメリカ政党政治は、1970 年代からの長
期間にわたる政党政治の変動のクライマックスであり、それは共和党保守派の勝利として
結論づけることができる。そして彼らの影響力は、国内政策のみならず、外交政策にも色
濃く反映されることとなった1。政党政治に構造的変化をもたらした 1990 年代は、その意
味で興味深いし、それはまたこの時代の外交政策に焦点を当てた動機でもある。
1972 年のニクソン訪中以来、米中関係は時々の不和はありながらも基本的に党派を超え
て対中協調であった。しかし、冷戦の終焉、また天安門事件の衝撃によって中国問題が表
舞台に表れ、さらに中国の実際の行動に影響されながら、中国を「敵」とみなす中国脅威
論が共和党保守派の中で台頭した。コックスが中心となってまとめた対中政策はその象徴
である。このように対中政策は、政党政治が外交政策に影響を与えた、1 つの代表的な例で
あったといえる。
米中和解以後、共和党における対中政策については、穏健派が強い影響力を持っていた。
1990 年代の共和党保守派の台頭は、様々な面で穏健派の衰退をもたらしたのだが、対中政
策においても彼らは衰退してしまったのであろうか。歴史的とも言える米中関係の正常化
実現に尽力したのはニクソン大統領の国家安全保障問題担当補佐官を務めたヘンリー・A・
キッシンジャーであった。本稿では共和党穏健派の長老で対中政策の大御所といえるキッ
シンジャーの政策提言に注目していきたい。彼についてのこれまでの研究は、当然といえ
るかもしれないが政権の中枢にいた 1970 年代が中心である。しかし、彼の議論は、その実
績から特に対中関係では強い影響力があると考えられ、政権を去った後にどのような議論
を展開しているかについて取り上げる価値は十分にある。1990 年代後半に支配的になった
保守派の対中強硬論に直面し、中国脅威論が注目を浴び、穏健派の主張が隅に追いやられ
る中で、常に対中協調の先頭に立ってきたキッシンジャーはどのような立場をとっていた
のだろうか。保守的に変ってしまったのか。変わったとすればどうしてか。また変わらず
に協調姿勢を貫いたとすればなぜなのか。1990 年代から現在までに焦点を当ててキッシン
ジャーの対中政策を包括的に解明しながら、これら疑問に答えること、それが本稿の目的
である。
1.
キッシンジャーとアメリカ外交政策
キッシンジャーの具体的な対中政策を論じる前に、彼が持つ外交観、アメリカ外交にお
ける位置づけについて考えてみたい。その上で、それがどのように対中政策に反映されて
いるのか、あるいは反映されていないのかを以下の章で明らかにしていくことにする。
⑴ヴェトナム戦争と権力の中枢
ヴェトナム戦争がアメリカに与えた影響やそこから得られた教訓は数多い。その中でも
外交政策における教訓はアメリカ的価値観を広げるためのウィルソン的な理想主義外交に
対する反省である。アメリカ外交から宣教師的十字軍的なレトリックが後退し、多極化す
る世界の中で、現実的な判断に基づく国益重視の外交という考えが優位になっていく。そ
れを象徴したのがニクソン政権であり、キッシンジャーはここで国家安全保障問題担当の
大統領補佐官として権力の中枢に登場するのである。
1
国内政治的要因、とりわけ共和党の変化という観点からの共和党の外交政策およびクリントン政権の外
交政策への攻勢について、久保文明「国内政治の変容と外交政策―とくに東アジアとの関連で」久保文明・
赤木完爾編『アメリカと東アジア』慶応義塾出版会、2004 年;久保文明「共和党多数議会の『外交政策』
―1995-2000 年―」五十嵐武士編『太平洋世界の国際関係』彩流社、2005 年。
⑵現実主義者としての外交
マイケル・J・スミスが言うように、キッシンジャーは現実主義の理論と実践を比較する
ことのできるほとんどほかに例のない機会である2。キッシンジャー外交の特徴は何点か挙
げられる。それはアメリカがそのイメージどおりに世界を作り上げることはできないとい
う限界の承認、歴史に対する深い造詣を基にした外交政策、外交は基本的に超党派で行わ
れるべきであるという政党政治と外交に対する考え方、大国を中心とした勢力均衡すなわ
ち平和の安定的構造という観念、そして政治における道徳的問題に対するアプローチでな
どである。ここでは後の議論との関係で重要と思われる 3 つの点について少し詳しく述べ
ていきたい。
まず限界の承認であるが、これは簡単に言えばアメリカにとって「できること」と「で
きないこと」をきちんと峻別するということである。彼が最もそれを感じたのはヴェトナ
ム戦争であろう。キッシンジャーは言う、「ヴェトナムはカタルシスであった。それはアメ
リカの力には限界があるということ、優先順位と我々の住む世界を理解したときのみアメ
リカの影響力は有効であるということを教えてくれた」3キッシンジャーは冷戦終焉後の世
界において、アメリカの影響力が減少することを予測した。その中では、理想ばかり追い
求めるのではなく、アメリカの国益に関わる政策とそうでないものを選択していくことを
求めている。これもある意味ではアメリカの限界を認めているからこそである。さらに最
近のインタビューの中でも、アメリカのみで世界を作り上げられるわけではないことを強
調している。
アメリカでは、アメリカが歴史を書くことができるとか、ある国が強大であるか、それ
ほど強くないか、あるいはアメリカにとって助けになるかどうかということを決めるの
は完全にアメリカであると信じてしまう誘惑が常にある。しかしアメリカが学ぶべき基
本的教訓は、我々が、自分たちだけではコントロールできない多くのことが起こってい
る世界に足を踏み入れているということだ4。
次にキッシンジャー外交で最も特徴的な勢力均衡政策である。彼が、国際関係において
これほどまでに安定を求める理由のひとつは、彼が少年期に見たホロコーストに求められ
る5。勢力均衡政策は様々なところで述べられているのであまり立ち入る必要はないが、平
和は絶えず均衡を保つことによってのみもたらされるという考えは、これまでのアメリカ
外交においては忌避されてきた方法でもあったことに注意をしておこう。
最後に政治における道徳に対する考えであるが、特にこれは人権問題と同義になる。キ
2
マイケル・J・スミス『現実主義の国際政治思想―M・ウェーバーから H・キッシンジャーまで―』垣内
出版株式会社、1997 年。
3 Kissinger, Henry A., “Continuity and Changes in American Foreign Policy,” Society, Vol.35, No.2,
January/February 1998.
4 Kissinger, Henry A., “CFR Interview: Don’t Exclude Military Action Against Iran if Negotiations
Fail,” Council on Foreign Relations, July 14, 2005.
5 この点についての鮮やかな分析は、ウォルター・アイザックソン(別宮貞徳監訳)
『キッシンジャー 世
界をデザインした男(上・下)』日本放送出版協会、1994 年。
ッシンジャーもアメリカ国民の一員として、アメリカ的価値に十分な理解と敬意を払って
いることは確かである。また各所で、アメリカの外交政策において人権が重要な働きをし
ていて、その追求が外交政策に対する国民の支持を調達する上で不可欠であるとも述べて
いる。ただ、人権はアメリカ外交政策の重要な構成要素であるが、そればかりを追求する
ことには警鐘を鳴らしているのが特徴である。
世界は、アメリカという国が支持するものは何かを理解する必要がある。しかし我々は
....
それに頼ることはできない。我々はほかの国家的目的とともに、我々の信念を実現する
方法や人権を擁護する方法を知らなければいけない。
我々は、成功する外交政策にとっての鍵はバランス感覚であることを忘れてはいけな
い。
・・・我々は、国際の安全を強化することやたとえその国内構造が我々のそれとは異
なっていても、外部からの侵略に抵抗して独立を守ろうとしたり貧困を克服しようとも
がいたりしている他国との関係を維持すること、これらによっても自由という大義を推
進しているということを認識しなければいけない6。
10 人以上の親戚がホロコーストで殺されたから、ジェノサイドがどんなものであるか多
少は知っている。人権運動や平和活動家がこの世で完全性を主張するのはたやすい。け
れども現実とかかわらなければならない政策立案者は想像上のベストよりも、達成でき
るベストを求めなければならないことを学ぶのだ。世界の紛争から軍事力の役割を追放
することができればすばらしい。けれどもこの世は完全ではない。それは子供のときに
学んでしまった。平和のために真の責任を持つ人は、サイドラインに立っている人たち
とはちがって、純粋な理想主義をもってはいられない。曖昧さや妥協もあえて取り入れ
る勇気をもたなければならない。偉大なゴールは不完全な一歩一歩を積み重ねて初めて
到達できることを知らねばならない。道徳はどちら側の専売でもない7。
キッシンジャーは名著『外交』でも述べているが、ここでもアメリカの守るべき国益とア
メリカの追及する理想のバランスをとることの重要性を説いている。前者で注目するべき
は、「たとえその国内構造が我々のそれとは異なっていても」という部分であり、アメリカ
の国益のために維持しなければいけない関係であれば、国内構造を無視することがありう
るということである。実際にどのように両者をバランスさせるか、その選択基準のような
ものをキッシンジャーは示してはいない。それはアメリカの国益、当該対象国との関係、
国際情勢などその時々の多くの要素の総合的な判断に任せられることになるからである。
⑶普遍的価値を求めるアメリカ
19 世紀のヨーロッパで機能した勢力均衡によって 20 世紀の後半に秩序と安定をもたら
6
Kissinger, Henry A., “Continuity and Changes in American Foreign Policy,” Society, Vol.35, No.2,
January/February 1998. これは 1977 年に行われた大学での講演であり、冷戦期の事情が多く反映され
ているが、キッシンジャーの道徳問題に関する立場を知るには今でも有用である。
7前掲ウォルター・アイザックソン(別宮貞徳監訳)
、p.489。
そうとしたキッシンジャーの試みは、その後のアメリカ外交政策の中で根を張ることはつ
いになかった。再びスミスの言葉を借りれば、
「政策の最終試験が国内で支持を獲得する能
力であるとするならば、キッシンジャーの政策がこの試験に落ちたことははっきりして」
おり、それはキッシンジャーがその後政権の中枢に登用されることがなかったことからも
分かる。キッシンジャーの構想を離れ、「ヴェトナム」を乗り越えたアメリカは再びその理
想を求めて歩き出したのである。
⑷冷戦後の世界とアメリカ外交
冷戦はアメリカの勝利に終わった。冷戦終了直後、キッシンジャーはアメリカの力の衰
退を予測した8が、その後は「アメリカの圧倒的な地位がそれを国際秩序の安定にとって必
要不可欠な構成要素とした」9と言うように、アメリカの圧倒的な優位という状況での政策
を考えるようになった。ただ、あまりにも力を持ったがために世界のあらゆる問題に介入
することになってしまった冷戦後のアメリカ外交政策に好意的な評価は下していない。
1990 年代の遺産はパラドックスを生み出した。一方で、アメリカは自分の見方を主張し、
アメリカの覇権に対する非難を引き起こすほどの時代をもたらすことができるくらい十
分に力強くなった。と同時に、世界各地に対するアメリカの処方箋はしばしば国内の圧
力あるいは冷戦の経験から引き出された原則の反復を反映している。
1990 年代において特に、アメリカの優位は戦略的計画よりも国内の有権者を満足させる
ような一連のアドホックな決定から展開した。
・・・これらすべてがまるでアメリカには
もう長期にわたる外交政策は必要なく、問題が起こってくればその時々に反応すればよ
いと限定するような行動に対する誘惑を生み出した10。
冷戦期も同様であったが、キッシンジャーはアメリカの影響力が少しでも残るような国
際秩序を目指している。そのために圧倒的な力を持った国が自分勝手で傲慢な態度をとれ
ば、それは各国のアメリカからの離反を招き、結果的にアメリカに敵対する勢力を作り出
し、アメリカの影響力がなくなってしまうことを危惧しているのである。
冷戦は、米ソを 2 つの頂点とする二極構造であった。冷戦後の世界として、キッシンジ
ャーは国際政治の権力の核について、それが過去 3 世紀にわたり存在した大西洋から太平
洋へ動いていると認識している。これを踏まえ、冷戦後重要になりつつあるアジアについ
て考えることからキッシンジャーの対中政策の解明を始めることにしたい。
2.
キッシンジャーの対中政策総論―協調が創り出す平和と安定
⑴アジア―均衡が支配する世界
対中関係は、アジアをどのように見るか、アジアに対してどのような政策を築くかとい
8
特にこの点が表れているのが、ヘンリー・キッシンジャー『外交』日本経済新聞社、1996 年。
Kissinger, Henry A., Does America Need a Foreign Policy: Toward a Diplomacy for the 21st Century
(Simon&Schuster, New York, 2001), p.17.
10 Ibid., pp.18-19.
9
う問題と表裏一体になっている。キッシンジャーはアジアの国際秩序を、21 世紀の北大西
洋より 19 世紀のヨーロッパの秩序に似ていると考えている。
アジアの国々は、経済的問題では協調しながらも、お互いを戦略的ライバルと見ており、
戦争は起こりそうもないが、全く起こらないともいえない。従って、アジアの国際秩序
は 21 世紀の北大西洋より 19 世紀のヨーロッパのそれに類似している。
・・・平和は、す
でに主要国間で存在している注意深く慎重な勢力均衡を必要としている11。
キッシンジャーは、アジアにおけるアメリカに対して、4 世紀にわたってイギリスが果た
したようなバランサーの役割を与えると同時に、
「アメリカはアジア各国の相互関係より緊
密な関係を各国と築いているので、我々の国益を増進させ、柔軟な立場からパワーバラン
スを保てるという好位置にいる」と言うのである。
キッシンジャーはアジアの秩序について勢力均衡が最も当てはまる地域だと考えている。
アジアにおいて、何らかの勢力が覇権を取らないようにすることがアメリカの最も重要な
国益であり、そのためにはアメリカは外交の柔軟性を最大限に確保するために、中国を敵
対視して孤立させるより、中国を含むアジアのすべての国と協調関係にあることのほうが
賢明であるという判断を下している。これこそがキッシンジャーのアジア政策そして中国
政策を貫く核心であり、戦略的地政学的観点からの協調であることが分かる。彼は言う、
「基
本的な関係は経済によるのではない。重要なことは、アジアにおける平和にとって必要な
ものは何かということについての政治的理解なのである」と12。
⑵「保守派の中国論」批判
ここからは保守派の中国論に対して、キッシンジャーがどのような反論をしているかに
ついて概観することでキッシンジャーの対中政策にアプローチする。具体的には保守派の
中国論に見られる 4 つの特徴を挙げながら、それに対してキッシンジャーの考えがどのよ
うに異なるのかということを明らかにしていきたい。
①ドイツ帝国の脅威との類推
第一に、中国を第一次大戦前のドイツ帝国と類推するという保守派の中国論がある。こ
の考えはクラウトハマーやウォルドロンのような論者に見出せる13。キッシンジャーに言わ
せれば、「この主張が示唆していることは、中国との戦略的対決は不可避であり、アメリカ
はそれに備えるべきだ」14ということである。これに対してキッシンジャーは、第一次世界
大戦前は戦争が政策実現の 1 つの手段であったのに対し、現代では核兵器が登場したこと
11
Ibid., pp.110-118.
Kissinger, Henry A., Interview, in Oxley, Chris 2001 'Dangerous Straits: Exploring the Future of
US-China Relations and the Long-Simmering Issue of Taiwan', Frontline (Documentary), PBS,
October 18, 2001.
13 Krauthammer, Charles, “WHY WE MUST CONTAIN CHINA,” TIME, July 31 1995; Waldron,
Arthur, “Deterring China,” Commentary, Vol.100, No.4, October 1995.
14 Kissinger, Henry A., “China: Containment Won't Work,” The Washington Post, June 13, 2005,
Monday.
12
で、大国間の戦争はそこに加わるすべての主体にとって悲劇であり、勝者は存在しないこ
とになるだろうと指摘する。すなわちここから彼は、現代は戦争を簡単に起こせる時代で
はなく、ドイツ帝国が存在した時のように戦争を捉えることはできないので、中国に対す
る武力行使は最後の選択肢としてはあり得ても、はじめから中国との対立を前提として対
中政策を構想することはできないと考えていることが分かる。
また、キッシンジャーは両者の外交姿勢に着目することによってもこの類推に反論して
いる。つまりドイツ帝国の挑発的だった外交と比較して、中国の外交は軍事的帝国主義で
はなく、注意深く、慎重であり、ニュアンスによって利益を重ねていくという違いがある
と彼は言うのである。キッシンジャーの文章ではしばしば中国の政治指導者の外交姿勢に
ついての高い評価あるいは親近感が綴られている。
「今後数十年にわたる中国の影響力拡大
は、経済的結びつきとともに中国外交の並々ならぬ繊細さと巧妙さによる」と指摘してい
るし15、あるインタビューではキッシンジャーは次のように語っている。
私は中国を 30 年以上も観察してきた。そして中国が自身の問題に取り組む時にいかに論
理的で、いかに賢明であるかということに感銘を受けている16。
イデオロギーや十字軍的行動を避けながら、国益を重視し、内政干渉を嫌い、勢力均衡を
指針とする中国の外交は、まさにキッシンジャーの外交観と類似している。理念や政策の
親近性は中国との協調を支持する 1 つの大きな理由であると考えられる。
②ソ連の脅威との類推
第二に、中国の脅威をソ連の脅威と同じように考える保守派の中国論がある。つまり対
ソ連の戦略と同じように中国を封じ込めることが必要だという主張である17。一方、中国は
冷戦期のソ連とは同じではない、したがって同じ戦略は当てはまらないと考えるのがキッ
シンジャーである。彼によれば、「ソ連はイデオロギーの普遍的適用可能性を主張し、共産
主義の世界規模での勝利を目指していた一方、中国はそのような主張はしていないし、共
産党のネットワークを使って欧米に対抗しているわけでもない。ソ連は帝国主義的伝統を
受け継ぎながら、弱小な周辺国に囲まれていたため拡大を続けやすかった一方、中国は周
辺を強大国に囲まれているため、アメリカよりも周辺国をより警戒している。さらに冷戦
を再現すれば、中国の周辺各国に選択を迫らせることになるが、どの国も中国との、特に
経済的な関係を壊すような敵対姿勢はとりたくないので、アメリカはアジアで孤立するこ
とになる」18このようにイデオロギー、歴史や伝統、地政学、経済関係など様々な観点から
15
Kissinger, Henry A., “CFR Interview: Don’t Exclude Military Action Against Iran if Negotiations
Fail,” Council on Foreign Relations, July 14, 2005.
16 インタビュアーがキッシンジャーに対して、
「あなたが中国について語る時、中国に対する多くの尊敬
の念があるということが明らかですね」と言ったことに対する返答の中での発言。Kissinger, Henry A.,
“Spiegel Interview: Henry Kissinger on Europe’s Falling Out With Washington,” Der Spiegel, October
10, 2005 参照。
17 中国を封じ込めるべきだという主張は多くの保守派の論者に見られる。
18 ソ連と中国の比較について、キッシンジャーは様々なところで述べていて、このかぎ括弧内は彼の議論
を筆者がまとめたものである。
両者の差異を述べ、ソ連が誰から見ても明白な「敵」であったのに対し、中国は秩序をか
く乱させる「敵」ではないし、敵対することも現実的ではないと結論する。
③中国の軍事力、経済力
第三に、中国の軍事力や経済力の増大に対する強い懸念を示すという保守派の中国論が
ある19。ここでの主張は、経済成長に伴う中国の軍事力の増強は不可避的にアジアにおける
アメリカの地位に挑戦するものであるから、コントロールできなくなる前に抑えておくべ
きであるということだ。キッシンジャーの反論は次のようなものである。「ソ連のアメリカ
に対する攻撃は技術的に可能であり、戦略的に想像できないわけではなかったが、中国の
軍事力は今後 20 年のうちでは戦略的脅威にはならない。たとえ中国の軍事力が増強された
としても中期的にはアメリカのミサイル防衛システムによって戦略的均衡は保たれる。ま
た現在の経済成長率を未来永劫にわたって続けられるわけがなく、経済成長は労働力の成
長をかろうじて支えている状態であり、ほかの分野にまわす余裕はない。経済成長に伴っ
て社会が多元化してくると、共産党一党支配による中国の政治体制が変化する可能性があ
る」20そして彼は、「おそらく中期的将来にわたり中国がもたらす挑戦は、政治的経済的な
ものであり、軍事的なものではない」21として中国の軍事力に対する過大評価を批判する。
軍事力の評価については、アメリカ全体を見ればキッシンジャーのような考え方が多い
であろう22。一方中国の経済的発展がアメリカにどのような影響を与えるのかということに
関してはあまり自身の考えを述べていない。これは、中国ビジネスとの関係が深い彼が、
経済について発言すればすべてそのこととの関連で捉えられてしまうことを避けるため、
またクリントン政権が経済ばかりを重視し、戦略面から中国政策を立てられなかったこと
を批判するため、そして最も重要なのは、国際秩序や安定は経済からは生まれないという
彼自身の考え23のためと考えられる。
④共産主義というイデオロギー
最後に、中国指導部が固持する共産主義というイデオロギーがアメリカの価値観に反す
るという保守派の中国論がある。例えば中国の民主化を強調するのがアメリカン・エンタ
ープライズ研究所であり、2003 年の途中までこの研究所にいたウォルドロンは、共産主義
体制批判を行っている24。脱イデオロギー外交と言われたキッシンジャーは共産主義をどの
ように考えているのだろうか。彼は、中国はもはや古典的な意味での共産主義国家ではな
19
この観点からの中国論について、中国の軍事力、特に核戦力に対する懸念が新アメリカの世紀プロジェ
クト(以下、PNAC)によって示され、ヘリテージ財団のタシックは、対中貿易が中国経済だけでなく軍
事力強化を支援したと指摘する。新田紀子「保守系シンクタンクの対中姿勢―2000 年選挙に向けた提言か
ら 9・11 後まで」久保文明・赤木完爾編『アメリカと東アジア』慶応義塾出版会、2004 年参照。
20このかぎ括弧部分も注 18 のような趣旨で筆者がまとめたものである。
21 Kissinger, Henry A., “China: Containment Won't Work,” The Washington Post, June 13, 2005,
Monday.
22 例えば、
Gill, Bates, and O’Hanlon, Michael, “China’s Hollow Military,” The National Interest, No.57,
Fall 1999.
23 例えば Kissinger, Henry A., “The Long Shadow of Vietnam,” Newsweek, May 1, 2000, International
Edition.では、経済は国家戦略に代替しないと述べている。
24新田前掲論文、pp.211-212。
く、21 世紀の中国は固いイデオロギー的基礎のない一党制国家に過ぎないと考えている。
これは多くの論者が指摘していると思われるが、だからといって中国の政治システムに対
して外から干渉することで変化させようとは考えていない。キッシンジャーによれば、そ
れはアメリカができることではないからである。さらに彼は、中国を考える時は、中国が
歴史的にも文化的にも政治制度的にもアメリカとは違う国であり25、十数億の人口を持ち、
アメリカとは異なった歴史的時間的感覚を持った国であるという認識を持つことを重視し、
アメリカが中国の内政に口を挟むとき、中国が 14 の王朝を持ち、そのうち 10 のものが
それぞれアメリカの歴史より長い歴史をもつことを簡単に忘れてしまう。威張り散らす
口調は、中国において帝国主義者たちの傲慢な態度の記憶を思い出させるし、その 5000
年の歴史のうち 4800 年間にわたってアメリカの助言などなしに自国を不断に統治してき
た国との関係において不適切である。
と中国の長い歴史に対する理解を示す。そして「中国はその長い歴史を歩んできたゆえに、
アメリカが、中国の国内構造にとって何が最善であるのかを的確に知ることは必ずしもで
きない」と述べている26。中国は近代以前においては、華夷秩序の中心にあって圧倒的な力
を誇り、自らの文明も繁栄させてきた。近代から第二次大戦が終結するまでは列強の介入
を招いて、中国指導部に言わせれば「屈辱の近代史」であった。そこから抜け出し「中華
民族の偉大な復興」を目指すのが第二次大戦後の歴史であった。何千年も前のことを持ち
出すことにどれほどの意味があるのかと考える人もいるだろうが、やはり中国の歩んでき
た道を尊重し、その胎動のリズムを理解してこそ、うわべだけではない本当の中国認識が
できるとキッシンジャーは考えているのである。
⑶人権と中国
天安門の衝撃を受けて、中国の人権問題がアメリカ外交政策の前面にせり出してきた。
クリントン政権初期において最恵国待遇と人権をリンクさせたのはその好例であるし、ネ
オコンのような保守派にしても人権はアメリカ的価値にとって譲れない点である。
一方キッシンジャーは中国における人権問題をどのように考えているのだろうか。ここ
では、先述したキッシンジャーの道徳問題に対するアプローチが適用され、利益と価値の
間における均衡点の選択がなされることになる。
まずキッシンジャーは、人権がアメリカ人の価値観の重要な部分を占めているため、中
国を含め各国は、そのことを考慮したうえで行動すべきであることを確認する。その上で
彼は、人権ばかり追求することでほかの国益とのバランスが失われていけないことに注意
を払う。キッシンジャーが考えるアメリカの対中政策における国益は「アジアの平和と安
定」であり、長い間自己統治してきた中国に対して人権問題の改善を無理に要求すれば米
25外交政策アプローチに関して米中間に存在する文化的隔たりについて
Kissinger, Henry A., “Face to
Face With China,” Newsweek, April 16, 2001, US ed.参照。
26 Kissinger, Henry A., Interview, in Oxley, Chris 2001 'Dangerous Straits: Exploring the Future of
US-China Relations and the Long-Simmering Issue of Taiwan', Frontline (Documentary), PBS,
October 18, 2001.
中関係は悪化するし、中国側も人権問題は国内問題という姿勢を貫いている。中国がアメ
リカを敵視するような態度をとれば、アメリカのアジアにおける影響力は低下し、バラン
サーの役割など追求することもできない。したがって、中国に関しては人権を追求するこ
とでアメリカの国益や安全保障が脅威にさらされる危険が十分にあるため、中国の人権問
題についてアメリカは重視するべきではないという結論に至る。キッシンジャーはある記
事で「中国の人権問題に関しては歴史の流れに任せる」と述べている27。これはまさに人権
問題でアメリカ側から何らかの行動を積極的にとることを意味してはいない。中国との関
係では、完全に利益を重視した方向における均衡点を選択したことになる。
⑷台湾と中国
協調的な米中関係を主張するキッシンジャーにとっても台湾問題は最も頭を悩ますもの
である。中国を敵だとみなす中国脅威論者の主張の中心は、台湾を独立国家として、軍事
的前哨として扱い、1 つの中国政策は崩壊しているということである。例えば PNAC は台
湾が独立の主権を持つ民主主義国家であるという事実を考慮すべきであると述べている28。
これに対してキッシンジャーの台湾政策は米中和解以来続く政策を維持し、米中台関係
の曖昧さを強調するものといえる。彼の台湾政策は次の 3 つの原則に支えられている。つ
まり①アメリカが 1 つの中国政策を維持し続けること、②アメリカが台湾問題の平和的解
決を望んでいることを中国が理解すること、③台湾は現在の枠組みの中で大いに繁栄して
きたこと、挑発的行動をとるべきではないことを理解することである。これは米中台の三
者すべてに自制を求めるものであり、この米中台の曖昧な関係が台湾海峡における紛争を
抑えてきたと認識している。したがって、台湾問題に関しては今までの枠組みを維持する
ことが最善と考えている。彼は、この台湾政策を全く曖昧なものではないと主張する。た
だ裏から言えば、中台間の武力衝突を避けながら何より安定を求め、当面は今までの枠組
みの現状維持であり、将来の何らかの展望が示されているわけではないということに注意
する必要がある。
3.
キッシンジャーの対中政策各論―天安門事件から軍用機接触事故まで
ここからは、米中関係を揺るがした象徴的な事件に着目しながら、総論で見てきた対中
政策が実際どのように反映されているのかということを考察する。ここでも基本的な視点
があくまでもアジアの平和と安定のための対中協調であることが確認されよう。
⑴天安門事件と冷戦後のはじまり
1989 年 6 月に起こった天安門事件は、中国における人権問題に対して世界の注目を集め
させるのに十分な事件だった。キッシンジャーもこの事件により、人権問題がアメリカ外
交政策の前面にせり出し、その結果「多くの人によって中国がイデオロギー的、地政学的
敵として認識されるようになる転換点」となり、そこで中国指導部が使った方法は残酷で
27
Kissinger, Henry A., Interview, in Oxley, Chris 2001 'Dangerous Straits: Exploring the Future of
US-China Relations and the Long-Simmering Issue of Taiwan', Frontline (Documentary), PBS,
October 18, 2001.
28 新田前掲論文、p.222。
間違ったものだったと指摘している29。
ただそれ以上踏み込んだ発言はしていない。つまり中国の人権問題の改善を要求すると
かもっと強硬な態度をとるべきだなどといった類のことにまで進んでいない。注目すべき
は、中国指導部の抑圧の仕方を批判しつつも、他方で改革者としての鄧小平の役割を高く
評価している点である。
鄧小平は、自分の人生の究極の目的は改革することであると考えた。改革のために彼は
勇気を持って熱心に取り組んだ。天安門事件に対する彼の態度を形作ったのは、逆説的
にも改革に対するその情熱であった。・・・彼の取り組んだ改革は多元的民主主義を目指
したものではなかった。しかし、彼は、自分が作り出した変化それ自身が自己展開して
いく可能性を持っていることを理解していなかったわけではない。明らかに鄧小平の改
革は不可逆的なものである。彼の経済改革とそれが生み出した社会主義市場経済は、た
とえ多元的民主主義は確立されていなくても、予測可能性を必要とし、従って立憲政治
を必要とする。・・・アメリカは、米中の協調関係が鄧小平による改革の展望の中でいか
に重要な役割を果たしていたかということを思い出す必要がある。そして何がなされて
いないかだけでなく、彼が意思の力と献身的な尽力によって中国人民をいかにより良い
暮らしに導いたかということを思いおこさせるのは、彼の努力のおかげなのである30。
ここから、人権問題という中国の内政に関わることには口を出さないというキッシンジ
ャーの態度と、経済発展が中国の政治システムや国内構造を変えていく可能性があるから、
弾圧する側面より経済改革の行方に関心がある彼の姿勢が読み取れるであろう。
⑵最恵国待遇と人権
1990 年代初期のアメリカの中国に対する強硬なアプローチはソ連という脅威のもとで
「隠されていた」中国批判が表に出てきた結果であった。その象徴がクリントン政権の初
期に行われた中国への最恵国待遇の付与と人権状況の改善のリンクであったことは前に述
べたとおりである。これは後に経済的関与の面から切り離され、キッシンジャーはこの方
針に関して、「大統領は、難しいが正しい決定をした」31とし、この方針がアメリカの国益
とアジアの平和と安定の双方に寄与するだろうと評価した。対中関係においては、人権を
重要視しない彼の考え方からすればこの評価は当然である。この切り離しが人権問題への
支持を放棄することを意味するのではないが、人権に拘泥することで中国の経済的重要性
をおろそかにすることがあってはいけないのである。
⑶李登輝訪米と台湾問題
1995 年、台湾総統李登輝に訪米のためのビザが交付された。キッシンジャーにとっては
29 Kissinger, Henry A., Does America Need a Foreign Policy: Toward a Diplomacy for the 21st Century,
Simon&Schuster, New York, 2001.
30 Kissinger, Henry A., “The Philosopher and the Pragmatist,” Newsweek, March 3, 1997, US ed.
31 Kissinger, Henry A., and Vance, Cyrus R., “The Right Decision on China,” World Tibet Network
News, June 8, 1994, Wednesday.
これによって米中台間の「暗黙の取引」が破綻し始め、続くミサイル危機は収まったが米
中関係は完全には回復しなかった。彼は、この時も前述したような曖昧な戦略を維持し続
けるように主張したが、それは三者が自制を守らなかったために危機が起こったのであり、
守っていれば回避できたのだと考えているからである。つまり、特に台湾に関しては、現
存の枠組みは台湾自身の利益にも大いにかなうし、中国がアメリカとの関係を重視するこ
とが中国の台湾政策を抑制していると指摘する。そこで台湾が独立に成功するなら軍事衝
突に発展し、キッシンジャーの求めるアジアの平和と安定は崩れることになる。従って、
彼の政策によれば(長期的将来はどうなるか分からないが)しばらくは現状維持が続くこ
とになる。
⑷中国大使館誤爆と反米ナショナリズムの高まり
1999 年 3 月に NATO によるユーゴ空爆が始まり、その中で 5 月にベオグラードの中国
大使館が米軍機によって誤爆された。これによって、米中関係は 1972 年の外交接触復活以
来、最も大きな緊張に包まれた。このときは、緊張の度合いが今までと比べはるかに高か
ったので、対立関係に発展する可能性も高かった。
アメリカの観点からは、中国は意図的に反アメリカ感情を掻き立てているように描かれ
ている。そして中国の軍拡や終わらない人権侵害は、アメリカとアメリカの価値に対す
る直接の脅威として見られている。一方、中国はアメリカによる大使館の爆撃を意図的
なものと考え、台湾の独立に対する姿勢も、アメリカの策略の一部分だと捉えている32。
両国の指導者は、対立することは世界の平和にとっても、両国にとっても大惨事になる
だろうということを認識しているようだ。しかし、どちらも国内でイデオロギー的反対
者からの圧力のもとにある33。
キッシンジャーはこの時の両国の状況を上記のように分析し、相互不信の環境を変え、
対決回避の道を探らない限り、状況をさらに悪化させることになると考えた。また国内政
治の圧力が、両者の協調を困難にしている理由として挙げられていることにも注目したい。
前述のキッシンジャーの外交観の部分で軽く触れたが、キッシンジャーは、基本的に外交
は超党派外交であるべきだと考え、国内の圧力による外交政策への影響を否定的に捉えて
いる。1990 年代のアメリカの対中政策は国内政治によって大きく左右されたため、キッシ
ンジャーはこの時代の外交政策や対中政策を批判する時、
「国内政治の人質にされた」とい
う表現を使っている。従って彼にとっては、誤爆に伴う対立の深まりも国内政治に振り回
された結果として捉えられている。
さらに彼は、誤爆に伴って生じた中国での怒りは中国の半植民地時代の記憶によって長
引いていると言う。つまり中国の領土的一体性が真剣に考慮されないという何らかの傲慢
さやサインがあればアメリカ人にとっては過剰だと思えるような強い反応が誘発されるの
32
33
Kissinger, Henry. A., “Chance to Heal the China Rift,” Sydney Morning Herald, September 6, 1999.
Kissinger, Henry A., “New World Disorder,” Newsweek, May 31, 1999, US ed.
だと指摘している34。ここで言わんとしていることは、中国人民を形作っているものや中国
の外交政策アプローチを規定している歴史を理解しないと中国の反応を見誤ってしまうと
いうことである。
⑸G・W・ブッシュ政権の登場と軍用機接触事故
2001 年 4 月、海南島に近い南シナ海上空で、米国の偵察機と中国の戦闘機の接触事故が
発生した。中国機は墜落しパイロットは行方不明になり、米国機は破損したため海南島に
緊急着陸し、乗員 24 名は中国側に拘束された。この事故の処理は、米中両国の間で好戦的
な雰囲気の下に始まることになった。キッシンジャーはアメリカの側の対処について「す
べての新しい政権は危機によって最初の経験を積まなければいけない。最初の反応はしば
しば本能的になるものだ」と指摘しながら、「法的立場は分からないが、最初の反応は完全
に賢明ではなかった」と述べている35。また同じインタビューの中で、「ブッシュ大統領あ
るいは政権の誰かは心から遺憾の意を表明していないように思われ、それが中国の怒りを
引き起こしているのではないか」と問われ、
共和党政権では、中国を共産主義の最後の権化のように見る保守派がいて、それによっ
て私が思うよりも好戦的なレトリックにつながりがちだ。それは支配的要素ではないが、
時に彼らは公的声明に挑戦しようとする。
と答えている。さらに、「ブッシュ大統領が中国を訪問して36中国の変容振りを見れば、単
なる共産主義の枠や冷戦的態度が現在の中国には全く当てはまらないと分かるだろう」と
言ったことから分かるように、キッシンジャーは中国を脅威だと考える人達には、米中接
近後現在までの中国の劇的な変化(経済的にも政治的にも)を的確に認識することを求め
ている。
冷戦思考によって中国を認識することは簡単であり、政策を立てる際の大きな指針にも
なりやすい。またアメリカには封じ込めによってソ連という強大な敵も崩壊させることが
できたという過去がある。しかし指導部が共産主義を掲げているからといって、中国の実
態を見ないままただ闇雲に冷戦思考を反映させることは、中国を何十年に渡ってみてきた
キッシンジャーにとっては現実の複雑さを理解しようとしない者達としか映らないのであ
った。「アメリカは、長期的な観点よりも直近の経験のプリズムを通して歴史を見るという
誘惑を乗り越えなければいけない」37のであった。
4.
9・11 の衝撃とテロリズムの脅威、中国の脅威
⑴テロリズムという新たな挑戦
34
Kissinger, Henry A., “Face to Face With China,” Newsweek, April 16, 2001, US ed.
Kissinger, Henry A., Interview, in Oxley, Chris 2001 'Dangerous Straits: Exploring the Future of
US-China Relations and the Long-Simmering Issue of Taiwan', Frontline (Documentary), PBS,
October 18, 2001.
36 注 35 のインタビューが行われた時、ブッシュ大統領が中国をまもなく訪問するという予定になってお
り、それに関連してキッシンジャーは答えている。
37 Kissinger, Henry A., “America's Assignment,” Newsweek, November 8, 2004, US ed.
35
2001 年 9 月 11 日に発生した同時多発テロ事件は、アメリカのみならず世界中を恐怖に
陥れた。翌日の新聞紙上でキッシンジャーは「これはアメリカの領域に対する攻撃であり、
我々の社会生活と自由な社会としての我々の存在に対する脅威である」と述べ、この事件
を生み出したテロリスト組織のネットワークを破壊すべきであるとした38。そして「9・11
によって、世界は非国家的組織がステルス攻撃によって国家安全保障や国際安全保障に脅
威を与える能力があることを示すという新たな時期に突入した」39のである。ここではキッ
シンジャーのテロ対策を詳しく述べるつもりはないが、特に中国との関係に注目し、本稿
の目的に必要な限りにおいて彼の考えに耳を傾けてみたいと思う。
⑵テロリズムと中国
キッシンジャーは、テロという脅威の登場によって、大国はお互いが脅威ではなくなり、
逆に大国間での協調をもたらすことになったと考えている。
アメリカへの攻撃は大国間での特異なまでの利益の一致をもたらした。・・・中国はその
西の地域でテロリズムの懸念を持っているし、2008 年の北京五輪のかなり前にグローバ
ルテロリズムに終止符を打ちたいというインセンティヴがある。・・・テロとの戦いは単
にテロリストを追い詰めるだけではない。まさに国際秩序を作り直そうとしている大い
なる機会を守る事なのである40。
と述べ、さらに別のところでは、脅威の変化にも言及している。
中国も(ロシアと)同じような結論に達している。つまり中国の成長と改革のために圧
倒的に必要なものは、アメリカとの避けることのできる緊張とは両立しないということ
だ。・・・アメリカへの攻撃は、他の大国に対して、世界の平和と安定のためにはどれほ
どアメリカの役割が必要かということを思い知らせた。結果として、アメリカは半世紀
ぶりに、今後数十年の間では単独で、あるいは連合して一体となれるような戦略的な敵
や国にもはや直面しなくなった。どの他の大国もお互いを戦略的脅威だとは認識してい
ない。大国すべてにとっての脅威は国境を渡ってくるのではなく、それぞれの国の中に
埋め込まれたテロリスト細胞、あるいは第二級の軍事国家同士の紛争からもたらされる
のである41。
大国の中に中国が含まれることは明らかである。これまで考察してきたこととも合わせ
て分かるように、キッシンジャーは中国をアメリカにとっての脅威だとは考えていない。
38
Kissinger, Henry A., “Destroy The Network,” The Washington Post, September 12, 2001,
Wednesday.
39 Kissinger, Henry A., “The custodian of the world?” The San Diego Union-Tribune, September 8,
2002, Sunday.
40 Kissinger, Henry A., “Where Do We Go From Here?” The Washington Post, November 6, 2001,
Tuesday.
41 Kissinger, Henry A., “SHAPING A NEW WORLD ORDER,” The San Diego Union-Tribune,
December 2, 2001, Sunday.
キッシンジャーは 9・11 のテロ事件が、中国との利益の一致をもたらしテロ対策において
協力する必要がますます高まったので、中国を脅威とする見方は減るだろうと予測し42、中
国脅威論を牽制することも忘れなかった。9・11 は大惨事であったと同時に、21 世紀の国
際秩序を形作る分岐点として歴史に残ることになるだろうと彼は言う。「国際秩序」の中核
に米中関係があることは論を俟たない。キッシンジャーの対中協調姿勢は、テロという米
中双方にとって共同して対処すべき共通の脅威によってますます強められて今日に至り、
それはこれからも揺らぐことはないと思われる。
おわりに―「中国」と出会うとき
1990 年代は、冷戦期の「ソ連」というヴェールを取り払ったありのままの中国に、アメ
リカが出会った時期である。その中で、キッシンジャーは一貫して対中協調を主張してき
た。キッシンジャーが築いた冷戦期のアメリカ対中政策が対ソ戦略の従属変数であったこ
ととの対比で言えば、冷戦終焉後のキッシンジャーの対中政策は、アジアの平和と安定戦
略の従属変数であったと言える。キッシンジャーは「私が中国から欲しいものはアジアの
平和である」とまで主張するように43、人権も重要だがそればかりを追求することはほかの
追及すべき目標とのバランスを見失うことであるし、共産主義の最後の権化として捉えら
れる中国の実態はもはや共産主義などと言えるものではない。キッシンジャーが求めた対
中政策における国益は、人権状況を改善することでもなければ、共産主義イデオロギーを
消滅させることでもなかった。アメリカの国益は「アジアの平和と安定」であり、そのた
めには冷戦期とは違い目に見える対立もない中でむやみに対立を煽らずに、外交における
選択肢の幅をより大きく確保するため、中国も含めたアジアのすべての国と協調すること
がなによりも優先されなければならなかった。
一方、キッシンジャーの対中政策を貫けば当面はこれまでの政策に変更はなく、様々な
問題は歴史の流れや中国自身の改革に任されてしまう部分が多い。そのことがいまや世界
において強大な力と影響力を持つアメリカにとって必ずしも積極的に受け入れられる政策
提言ばかりではないことも確かである。平和の安定的構造といえば聞こえはいいが、裏を
返せば現状維持であり、それがもつアメリカ政治における脆弱性は指摘されなければなら
ないし、もっと視野を広げれば冷戦後のリアリズムのあり方を問うことにもつながる。さ
らに中国脅威論の指摘にあるように、彼の議論では中国が本当に脅威ではないのかという
疑念を払拭できるに至っていない。キッシンジャーが 2005 年においてもなお「中国に対す
る封じ込め政策はうまくいかない」という記事44を書いていることは、今なお中国脅威論が
アメリカの中で根強いことを示しているのであろう。そこには中国の脅威をどう捉えるか
という簡単には答えが出せない問題がある。脅威の認識はそれが外交政策にとって非常に
重要でありながら、必ずしも明確に捉えられるわけではなく、いつの時代にあっても外交
42
Kissinger, Henry A., “Foreign Policy in the Age of Terrorism,” Transcript of the Ruttenberg Lecture,
The Center for Policy Studies, 2001.
43 Kissinger, Henry A., “Speech by Henry Kissinger,” Fourteenth Annual Ashbrook Memorial Dinner,
Ashbrook Center for Public Affairs, Ashland University, September 11,1997.
44 Kissinger, Henry A., “China: Containment Won't Work,” The Washington Post, June 13, 2005,
Monday.
政策担当者を悩ませてきた。軍事力を含む権力の行使は権力の資源とそれを行使する意思
との掛け算ではじき出される。前者は客観的に測定できることが多いが(それでも中国に
関しては分からない部分が多いので複雑さが増大する)、後者は目に見えるものではなく、
したがって政策立案者のそれぞれの判断によるところが大きい。そのため脅威はいかよう
にでも認識されると言え、1990 年代の対中政策をめぐる議論はその 1 つの表れであった。
キッシンジャーの認識が妥当か、それとも脅威論者の言うように中国は現状を変更しよう
とする脅威なのか。これが 21 世紀の世界を大きく左右する問題としてこれからも議論を呼
ぶということだけはいまここではっきりと言えることである。「新しい世紀が始まり、中国
とアメリカの関係は、我々の子孫が 20 世紀よりも一層悪化した混乱の中で暮らしていくの
か、あるいは平和と進歩に対する普遍的な切望を持った新たな世界秩序に出会うのかどう
かを決定することになるであろう」45
45
Ibid.
参考文献・記事等(邦語)
・ 高原明生「『中国脅威論』を生む中華世界の拡充と軋轢」『外交フォーラム』、1994 年 5 月
・ ウォルター・アイザックソン(別宮貞徳監訳)
『キッシンジャー
世界をデザインした男(上・下)
』日本
放送出版協会、1994 年
・ ヘンリー・キッシンジャー『外交』日本経済新聞社、1996 年
・ マイケル・スミス(押村高他訳)『現実主義の国際政治思想―M・ウェーバーから H・キッシンジャーま
で』垣内出版株式会社、1997 年
・ ヘンリー・キッシンジャー他「キッシンジャーが読み解く新世界―元大統領補佐官が語る新政権の課題」
『論座』朝日新聞社、2001 年 6 月
・ 荒井利明『変貌する中国外交』日中出版、2001 年
・ 高原明生「中国の多角外交―新安全保障観の唱道と周辺外交の新展開」『国際問題』、527 号、2004 年 2
月
・ 青山瑠妙「冷戦後中国の対米認識と米中関係」国分良成編『中国政治と東アジア』慶応義塾出版会、2004
年
・ 松田康博「台湾をめぐる国際関係」国分良成編『中国政治と東アジア』慶応義塾出版会、2004 年
・ 久保文明「国内政治の変容と外交政策―とくに東アジアとの関連で」久保文明・赤木完爾編『アメリカと
東アジア』慶応義塾出版会、2004 年
・ 湯浅成大「冷戦終結後の米中関係」久保文明・赤木完爾編『アメリカと東アジア』慶応義塾出版会、2004
年
・ 新田紀子「保守系シンクタンクの対中姿勢―2000 年選挙に向けた提言から 9・11 後まで」久保文明・赤
木完爾編『アメリカと東アジア』慶応義塾出版会、2004 年
・ 西崎文子『アメリカ外交とは何か』岩波新書、2004 年
・ 古矢旬『アメリカ
過去と現在の間』岩波新書、2004 年
・ 久保文明「共和党多数議会の『外交政策』―1995-2000 年―」五十嵐武士編『太平洋世界の国際関係』彩
流社、2005 年
・ 阿南友亮「冷戦期における中国の外交・国防戦略」家近亮子・唐亮・松田康博編著『5 分野から読み解く
現代中国』晃洋書房、2005 年
・ 青山瑠妙「冷戦終結後の中国外交」家近亮子・唐亮・松田康博編著『5 分野から読み解く現代中国』晃洋
書房、2005 年
・ 湯浅成大「米中関係の変容と台湾問題の新展開―ニクソン以後の 30 年―」五十嵐武士編『太平洋世界の
国際関係』彩流社、2005 年
・ ヘンリー・キッシンジャー「CFR インタビュー:キッシンジャーが分析するテロ、北朝鮮、中国の台頭」
『論座』朝日新聞社、2005 年 9 月(なおこの文章は、Kissinger, Henry A., “CFR Interview: Don’t Exclude
Military Action Against Iran if Negotiations Fail,” Council on Foreign Relations, July 14, 2005 の抜粋
日本語訳)
・ 久保文明他『国際情勢ベーシックシリーズ
北アメリカ』第 2 版、自由国民社、2005 年
・ 伊藤剛「米中関係―『理念』と『妥協』の二国間関係」五十嵐武士編『アメリカ外交と 21 世紀の世界』
昭和堂、2006 年
参考文献・記事(英語、キッシンジャーによるもの以外)
・ Tucker, Robert W., “Masterwork,” National Interest, Summer 1994.
・ Krauthammer, Charles, “WHY WE MUST CONTAIN CHINA,” TIME, July 31 1995.
・ Waldron, Arthur, “Deterring China,” Commentary, Vol.100, No.4, October 1995.
・ Unterberger, Betty M., “POWER POLITICS AND STATECRAFT: THE WORLD ACCORDING TO
KISSINGER,” Reviews in American History, Vol.23, No.4, December 1995.
・ Rachman, Gideon., “Containing China,” The Washington Quarterly, Vol.19, No.1(Winter 1996)
・ Segal, G., “East Asia and the ‘Constrainment’ of China,” International Security, Vol.20, No.4 (Spring
1996)
・ Beinart, P., “Domestic Partners,” The New Republic, Vol.216, No.10(March 10,1997)
・ Dreyfuss, R., “The New China Lobby,” The American Prospect, No.30 (January/ February 1997)
・ Gill, Bates, and O’Hanlon, Michael, “China’s Hollow Military,” The National Interest, No.57, Fall
1999.
・ Goldstein, A., “Great Expectations: Interpreting China’s Arrival,” International Security, Vol.22, No.3
(Winter 1997/1998)
・ Friedman, Thomas L., “How to Run the World in Seven Chapters,” New York Times Book Review,
June 17, 2001, Sunday.
・ Decter, M., “World Class,” National Review, Vol.53, No.12, June 25, 2001.
・ Mandelbaum, M., “The Conscience of a Conservative,” Foreign Affairs, July/August 2001.
・ Pryce-Jones, D., “Does America Need a Foreign Policy? Towards a Diplomacy for the 21st Century
(Review),” Commentary, Vol.112, No.2, September 2001.
・ Glynn, P., “The sleeping giants stirs,” Times Literary Supplement, No.5139, September 28, 2001.
・ Roman, D., “Advice from an Elder Statesman,” Partisan Review, Vol.69, No.2, Spring 2002.
・ Sharp, P., “Does America Need a Foreign Policy? Towards a Diplomacy for the 21st Century
(Review),” Perspectives on Political Science, Vol.31, No.1, Winter 2002.
・ Hook, Steven W., “Enigmatic Reflections?” International Studies Review, Vol.4, No.1, 2002.
参考文献・記事(英語、キッシンジャーによるもの)
・ Kissinger, Henry A., and Vance, Cyrus R., “BIPARTISAN OBJECTIVES FOR AMERICAN FOREIGN
POLICY,” Foreign Affairs, 1988, Summer.
・ Kissinger, Henry A., “An Agenda for 1989,” Newsweek, June 6, 1988, US ed.
・ Kissinger, Henry A., “A Memo to the Next President,” Newsweek, September 19, 1988, US ed.
・ Kissinger, Henry A., “Seeking a New Balance in Asia,” Newsweek, May 22, 1989, US ed.
・ Kissinger, Henry A., “Clinton and the World,” Newsweek, February 1, 1993, US ed.
・ Kissinger, Henry A., “At Sea in a New World,” Newsweek, June 6, 1994, US ed.
・ Kissinger, Henry A., and Vance, Cyrus R., “The Right Decision on China,” World Tibet Network News,
June 8, 1994, Wednesday.
・ Kissinger, Henry A., “Reflections on U.S.-Asia Relations,” Heritage Foundation Reports, February 1,
1995.
・ Kissinger, Henry A., “We Live in an Age of Transition,” Daedalus, Vol.124, No.3, 1995.
・ Kissinger, Henry A., “The Stakes With China,” The Washington Post, March 31, 1996, Sunday.
・ Kissinger, Henry A., “United States Foreign Policy-The future of international relations depends
largely on ourselves,” Vital Speeches of the Day, Vol.62, No.16, 1996.
・ Kissinger, Henry A., “Moscow and Beijing: A Declaration of Independence,” The Washington Post,
May 14, 1996, Tuesday.
・ Kissinger, Henry A., “A World We Have Not Known,” Newsweek, January 27, 1997, US ed.
・ Kissinger, Henry A., “The Philosopher and the Pragmatist,” Newsweek, March 3,
1997, US ed. This
article is adapted from "Years of Renewal" by Henry A. Kissinger, to be published by Little, Brown
and Co. in 1998.
・ Kissinger, Henry A., “INSIGHTS INTO THE WORLD / Sino-U.S. relations at crossroads,” The Daily
Yomiuri, August 25, 1997, Monday.
・ Kissinger, Henry A., “Speech by Henry Kissinger,” Fourteenth Annual Ashbrook Memorial Dinner,
Ashbrook Center for Public Affairs, Ashland University, September 11,1997.
・ Kissinger, Henry A., “Outrage Is Not a Policy,” Newsweek, November 10, 1997, US ed.
・ Kissinger, Henry A., “Continuity and Changes in American Foreign Policy,” Society, Vol.35, No.2,
January/February 1998.
・ Kissinger, Henry A., “No Room for Nostalgia,” Newsweek, June 29, 1998, US ed.
・ Kissinger, Henry A., “Interview with Dr. Henry Kissinger,” Cold War Series, The National Security
Archive, Episode 15, January 24, 1999.
・ Kissinger, Henry A., “US Needs Steady Course in Chinese Relationship,” The Courier-Mail, April 27,
1999.
・ Kissinger, Henry A., “Between the Old Left and the New Right,” Foreign Affairs, May/June 1999.
・ Kissinger, Henry A., “Time we move into a strategic partnership with China,” The Houston Chronicle,
May 2, 1999, Sunday.
・ Kissinger, Henry A., “New World Disorder,” Newsweek, May 31, 1999, US ed.
・ Kissinger, Henry. A., “Chance to Heal the China Rift,” Sydney Morning Herald, September 6, 1999.
・ Kissinger, Henry A., “Storm Clouds Gathering; The unnecessary rush toward confrontation must be
reversed by both China and the United States.,” The Washington Post, September 7, 1999, Tuesday.
・ Kissinger, Henry A., “Cold War attitude to China unhelpful,” The Straits Times (Singapore),
September 25, 1999.
・ Kissinger, Henry A., “REALITY AND ILLUSION ABOUT THE CHINESE: PODIUM,” The
Independent (London), October 18, 1999, Monday.
・ Kissinger, Henry A.,” Let decision on missile defense go past election,” The San Diego Union-Tribune,
February 13, 2000, Sunday.
・ Kissinger, Henry A., “American Politics and American Foreign Policy,” Address to the Trilateral
Commission, Annual Meeting, Tokyo, April 2000.
・ Kissinger, Henry A., “The Long Shadow of Vietnam,” Newsweek, May 1, 2000, International Edition.
・ Kissinger, Henry A., Does America Need a Foreign Policy: Toward a Diplomacy for the 21st Century,
Simon&Schuster, New York, 2001.
・ Kissinger, Henry A., “Face to Face With China,” Newsweek, April 16, 2001, US ed.
・ Kissinger, Henry A., “Destroy The Network,” The Washington Post, September 12, 2001, Wednesday.
・ Kissinger, Henry A., “Attacks require new approach for decisive victory,” The San Diego
Union-Tribune, September 16, 2001, Sunday.
・ Kissinger, Henry A., “Foreign Policy in the Age of Terrorism,” Transcript of the Ruttenberg Lecture,
The Center for Policy Studies, 2001.
・ Kissinger, Henry A., Interview, in Oxley, Chris 2001 'Dangerous Straits: Exploring the Future of
US-China Relations and the Long-Simmering Issue of Taiwan', Frontline (Documentary), PBS,
October 18, 2001.
・ Kissinger, Henry A., “Where Do We Go From Here?” The Washington Post, November 6, 2001,
Tuesday.
・ Kissinger, Henry A., “SHAPING A NEW WORLD ORDER,” The San Diego Union-Tribune, December
2, 2001, Sunday.
・ Kissinger, Henry A., “The War Option; Saddam Hussein's regime poses formidable challenge to Bush
administration,” The San Diego Union-Tribune, August 11, 2002, Sunday.
・ Kissinger, Henry A., “The custodian of the world?” The San Diego Union-Tribune, September 8, 2002,
Sunday.
・ Kissinger, Henry A., “NORTH KOREA DILEMMA; International community should not bow to
nuclear blackmail,” The San Diego Union-Tribune, January 12, 2003, Sunday.
・ Kissinger, Henry A., “North Korea's nukes; Multilateral solution needed for a regional problem,” The
San Diego Union-Tribune, March 16, 2003, Sunday.
・ Kissinger, Henry A., “East and West confront the North Korean challenge,” The San Diego
Union-Tribune, August 17, 2003, Sunday.
・ Kissinger, Henry A., “America's Assignment,” Newsweek, November 8, 2004, US ed.
・ Kissinger, Henry A., “Implementing Bush's Vision; To Effectively Spread Democracy, We Must
Balance Values and Geopolitical Challenges,” The Washington Post, May 16, 2005, Monday.
・ Kissinger, Henry A., “China: Containment Won't Work,” The Washington Post, June 13, 2005,
Monday.
・ Kissinger, Henry A., “CFR Interview: Don’t Exclude Military Action Against Iran if Negotiations
Fail,” Council on Foreign Relations, July 14, 2005.
・ Kissinger, Henry A., “Spiegel Interview: Henry Kissinger on Europe’s Falling Out With Washington,”
Der Spiegel, October 10, 2005.
・ Kissinger, Henry A., “How to Exit Iraq,” The Washington Post, December 18, 2005, Sunday.
・ Kissinger, Henry A., “Universal Values, Specific Policies,” The National Interest, Summer 2006.