課題名 ポンペイの「悲劇詩人の家」の復元と模型製作 指導教員 中西 章、村田 幸久 目的 紀元79年、ヴェスヴィオ火山の噴火により、イタリア南部に位置する古代都市ポンペ イは滅んだ。そこには今も多くの住宅遺跡が残されている。古代ローマの住宅で当時のま ま の 姿 で 現 存 す る も の は な い の で 、こ の ポ ン ペ イ の 住 宅 を 残 さ れ た 遺 跡 や 資 料 か ら 復 元 し 、 古代ローマの住宅形式を研究する。対象として、ポンペイの都市の中でもっとも一般的な 住宅の形式とされている「悲劇詩人の家」を取り上げる。 悲劇詩人の家 ここには商人が住んでいたとされ、玄関の通りにある「猛犬注意」と記された精巧な犬 のモザイクが有名になっている。建築面積841㎡、延べ床面積1100㎡で、平面がL 字形となった邸宅建築である。 大通りに面した玄関口の両脇に2軒の貸し店舗が並び、住宅はその奥にある。入口を入 ってすぐ家の中心にアトリウムと呼ばれる泉水があり、生活に使う雨水を溜めることに役 立てている。そのため、上部の屋根には吹き抜けが設けてあり、通風や採光などの役目も 果たしている。アトリウムの先にはタブリヌムと呼ばれる客間がある。さらに奥へ進むと ペ リ ス テ ィ リ ウ ム と 呼 ば れ る 中 庭 が あ り 、屋 根 は ア ト リ ウ ム と 同 様 吹 き 抜 け に な っ て い て 、 そ の 採 光 を 取 り 入 れ 中 庭 に 面 し て 台 所 や 食 堂 が あ る 。居 室 は 全 体 の 両 脇 に 配 置 さ れ て い る 。 悲劇詩人の家の復元 遺跡の平面図には縮尺がなかったため、遺跡に残るアトリウムの寸法から住宅全体の大 きさを割り出した。この遺跡の平面図から1階の平面がわかり、1階部分の模型を製作し た。平面図から読み取れない高低差などは現在残っている遺跡の写真を元に計算した。 また、1階に階段があることからこの住宅は2階建てであることがわかる。2階平面は この階段の位置と、古代ローマの住宅形式を参考に復元した。階段は玄関脇の寝室と並ん だ階段部屋とされる部屋に設置されており、2階にはそこを中心に街路に面してL字形に 部屋があったと考えられる。この2階の各部屋へ行くための廊下がアトリウムの上にL字 形に設置されていたと推測した。2階の平面は、石造建築では柱や壁の重みに耐えるため 上下の壁の配置を揃えなければならないので、1階の居室と同じ位置に部屋を設けた。 屋根の形は、遺跡の写真に見られる屋根の痕跡と、1階2階の平面、アトリウムとペリ スティリウムに向かって雨 水が落ちることを考えて復 元した。勾配は、資料の中 にあった「ファウヌス将軍 の家」の復元立面図になら った。 出入り口と窓は、平面図 や遺跡の写真からは詳細が 不明である。この家の壁は 写真1 「悲劇詩人の家」復元模型外観 石を積んで造られているため、開口部は縦長とし て頑丈な枠を用い上の部材を支えていたと考えた。 し か し 、通 り に 面 し た 貸 店 舗 の 入 口 と な る 部 分 は 、 遺跡平面で開口部が一段と大きく、横幅も広くな っ て い る 。そ こ で 、枠 の 上 部 に 木 を 組 み 補 強 し た 。 模型:縮尺1/50、 材料はスチレンボード5㎜・3㎜・1㎜、丸棒 まとめ 遺跡の平面図と遺跡の写真などをもとに「悲劇 詩人の家」を復元し模型を製作した。その結果、 この住宅が一般的な古代ローマの住宅の形をして いることが明らかになり、一部を2階建てとして アトリウムを中心に、複雑な屋根で構成されてい るということがわかった。 参考資料 アルベルト・カルロ・カルピチェーチ 『ポンペイ-二千年前-』ボネキ・観光出版社 写真2 「悲劇詩人の家」内部 角 田 文 衛 監 修 『 死 都 ポ ン ペ イ - 1955 - 』 岩 波 写 真 文 庫 、 1 9 9 0 年 日本テレビ放送網編『埋没都市ポンペイ-その日何が起こったのか-』1983年 青柳正規『ポンペイの遺産-2000年前のローマ人の暮らし-』小学館、1999年 朝日新聞社編『世界遺産ポンペイ展』朝日新聞社、2001年 写真3 「悲劇詩人の家」復元模型の全景
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