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人文社会論叢
社会科学篇 第27号
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弘前大学人文学部
2012
目 次
【論文】
知的財産権をベースにしたりんごの生産販売体制の再構築
……………… 黄 孝 春・山 野 豊・王 建 軍
1
東日本大震災と地域交流支援について
The Great East Japan Earthquake and Regional Tie-UP… …………………… 李 永 俊
21
PFI方式における付帯事業について…………………………… 大 島 誠・金 目 哲 郎
31
台湾における介護者としての大陸籍配偶者…………………………………… 城 本 る み
51
オリンパスの粉飾は何故、発見されなかったか …………………………… 柴 田 英 樹
85
準市場の優劣論と日本の学校選択(1)――実証的調査・研究の整理 … 児 山 正 史 103
【翻訳】
ドイツ連邦政府首相メルケルによる連邦議会での2012年度連邦予算案説明
……………………………………………………………… 齋 藤 義 彦 125
【研究ノート】
地域医療の質的向上と患者満足に関する基礎的小論 ………………………… 保 田 宗 良 141
【論文】
「右翼的ポピュリズム」概念をめぐって …………………………………… 村 松 惠 二
1
知的財産権をベースにしたりんごの
生産販売体制の再構築
黄 孝 春
山 野 豊
王 建 軍
はじめに
世界貿易組織(WTO)の基本原則の一つに知的財産権保護のミニマムスタンダードを定めた
「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」(Tripps)がある。特許権や商標権、著作権などの
知財の保護を加盟国に義務付けている。
植物新品種も知的財産権保護の対象となっている。すなわち、交配等の育種技術を用いて作り出
される新品種の育成者権は種苗法などの植物品種保護法制(PVP、plant variety protection)、ま
た遺伝子組み替え等の高度なバイオテクノロジーを利用して作り出された形質転換植物の特許権は
特許法によって保護されている。
そして植物新品種の保護制度の確立に伴い、その育成者権を活用して新しいビジネスモデルが模
索されるようになった。その先陣を切ったのはりんご産業で、ピンクレディー・システム(クラブ
制)が最初の事例として注目されている。
本稿は日本のりんご産業における知的財産権応用の必要性とその課題を検討するものである。ま
ず最大産地の青森県を対象に既存のりんご生産販売体制の特徴とその問題点を明らかにする。次に
新品種の育成者権と商標権を活用した海外の先進事例(ピンクレディーとジャズのクラブ制)を紹
介する。続いて種苗法の改正など日本における育成者権の強化の流れと、その活用の現状を考察し
たうえで、最後にクラブ制の日本導入に際して予想される諸課題を検討したい。
一 既存のりんご生産販売体制
1.高度に専門化した分業体制
日本のりんご産業は県を単位とする研究開発・生産・販売体制となっている。最大産地の青森で
は、地方独立行政法人青森県産業技術センターりんご研究所がりんご生産にかかわる研究開発の中
心的存在で、県費によって賄われるため、そこで育成した新品種はその栽培権を県内農家に優先的
に与えることになっている。
県内りんご苗木の供給は3大苗木業者を中心に行われている。苗木業者は規模が小さいだけでな
く、苗木の生産販売にとどまり、諸外国の同業者のようにりんごの生産流通まで手を広げていな
1
い。また17,000戸の零細農家が合計22,000haのりんご園地で栽培に従事し、1戸当たりの平均栽培
面積は小さい。
他方、りんごの集荷・貯蔵と消費地への出荷などの産地流通は商系と呼ばれる地元のりんご商人
と、系統と呼ばれる農協という二大流通チャネルによって主導されている。
歴史的にみると、青森産りんごの産地集出荷の主役は地元りんご商人であった。りんご商人はも
ともと直接、個別農家からりんごを買入れたが、1970年代初頭、りんごの競売と決済機能をもつ地
方卸売市場(弘前中央青果)の設立に伴い、仲卸として市場から仕入れるようになった。農家に
とって、競売方式なので、価格の公平性が期待されるのに加え、販売後数日以内に売上代金をもら
えるというメリットがあり、市場の利用率が次第に高まった。りんご商人にとって、仕入価格と販
売価格の差(鞘)が収益の源泉であるが、販売期間が比較的長いため、買値は商人の相場見通しに
負うところが大きく、投機的色彩が強いといわれる1。
一方、戦後、生産者の利益を守るという見地から農協育成政策がとられたこともあって、農協経
由のりんご販売比率が徐々に高まった。農協経路では、農協組合員がそのりんごの販売を農協に委
託し、商品納入の段階で見込まれる売上代金の一部を前払いされるが、その精算はあくまでもりん
ごが実際に販売され、売値が確定した段階で行われる仕組みになっている。平成に入ってから農協
の合併が相次ぎ、県内のりんご主産地である津軽地方に地区ごとに農協があったが、現在、JAつ
がる弘前、JAつがるみらいなどのように巨大化している。
上述二つの産地流通チャンネルは現在拮抗している状態にある。農協が農産物の生産販売を主導
している現代日本においてはそれが極めて異例のことといえる。事実、果物の流通においては伝統
的商人がなお大きな役割を担っているのは青森産りんごだけといわれている2。
そのほかに生産者の集団としての出荷組合という流通チャネルも見られる。栽培を独立に行って
いる農家がその果実を共同で出荷するためにつくったものである。
以上のように、青森県のりんご産業は育種、育苗、栽培、産地流通(集荷、貯蔵、出荷)という
一連のプロセスにおいてそれぞれの専門業者(または機関)が特定の事業を営まれる高度専門的分
業体制になっている3。それは複数のプロセスにまたがって大規模経営を行う欧米の垂直統合方式
とは対照的である。
2.培われた品種開発力と栽培技術力
日本のりんご産業はこのような高度専門的分業体制の下で国内消費者の好みに合わせた商品づく
1
これらのりんご商人は青森県りんご商業協同組合連合会という協同組合組織に加盟している。最盛期の会員数は1000
名を超えていたが、現在100名未満という。
2
全国二番目の産地長野県ではかつて隆盛であったりんご商人の勢力が衰退し、いまは農協主導の産地流通になってい
る。
3
産地で集荷したりんごが都会の卸売市場などを経由して量販店や専門店を通じて消費者に販売されるのが一般的であ
る。
2
りによって国内市場を独占してきた。甘味、美観、大玉のりんごの供給こそ外国産との差別化戦略
であった。その背景には日本における高い品種開発力と、多様な技術指導体制をベースにした農家
の高い栽培技術力が挙げられる。
現在、日本には約2000のりんご品種があるといわれるが、実際に栽培されているのが50品種、市
場に出回るのが40品種程度である。第1表に示されるように、現在青森県は早生種、中生種、晩生
第1表 青森県の主要りんご品種の構成とその位置づけ
区分
基本品種
補助品種
さんさ、きおう、未希ライフ
試作品種
早生種
つがる
中生種
ジョナゴールド、
陸奥、紅玉、世界一、北斗
早生ふじ
北紅、トキ、あおり 27
晩生種
王林、ふじ
星の金貨、シナノゴールド、
あおり 21
金星
彩香
出所)青森県「りんご生産指導要綱2008-2009」70ページより。
種という区分のもと、主要品種を基本品種、補助品種と試作品種のように位置づけている。ここに
ある主要品種はジョナゴールドと紅玉を除いてすべて日本で育成したものである。
日本のりんご産業の歴史は明治初期までさかのぼることができる。最初、200に上る品種をアメ
リカなどから導入したが、やがて日本の気候条件、生産者側と消費者側のニーズに合わせた品種選
択が進められ、国光と紅玉が主力品種として定着していった。
しかし、1960年代後半の供給過剰と価格暴落をきっかけに品種更新が進められ、それが結果と
して国内で育成した品種への移行であった。これら国内発主要品種の登録時期をみると、陸奥
(1949)、王林(1951)、ふじ(1962)、金星(1972)、世界一(1974)、つがる(1975)のよう
になっている。新品種の開発周期が20年以上といわれるので、上記6品種の育成は第二次世界大戦
前か戦争直後に着手されたものと考えられる。いずれも外来品種の交配によって出来たものだが、
サイズ、外観、味などの面において外来品種との間に明白な差異が認められる。ふじはいま超優良
品種として世界的に栽培されている。
ところで、優良品種が高品質のりんごを結実するには確かな栽培技術が不可欠である。青森の農
家は整枝・剪定、肥料・農薬散布、受粉・摘果、袋かけ・袋はぎ、着色手入れなどの作業におい
て独自の技術を開発、蓄積してきた。たとえば開心形と呼ばれる栽培方法が青森の自然環境に合
わせ、独自の剪定技術によって作り出したものである 4。また袋かけは最初虫防止のためであった
が、いまは着色の手段として利用されるほか、袋かけりんごの優れた貯蔵性に着目して4月以降販
売用りんごの生産に行われている。工芸品に例えられる高品質りんごの産出は高い栽培技術によっ
4
菊池卓郎・塩崎雄之輔『リンゴ栽培の進む道』北方新社、2009年。
3
て支えられているのである。
3.袋小路に入り込んだりんご産業
優良品種と栽培技術が結合して産出された高品質のりんごが基本的に購買力の高い1億人以上の
消費者を有する国内市場向けに供給してきた。戦後保護的農政は国内市場への供給を軸とするりん
ごの生産販売体制の形成を促進した。産地間競争はあったが、販売時期をずらして棲み分けを図る
ことが目指された。むしろ競合する国内産果物(特にミカン)、輸入果物(とくにバナナ)の代替
効果が大きかった。りんごの生産量は1960年代中頃にピークを迎えて以降、栽培面積が減りつつあ
る中、年産80-90万トン前後と堅調に推移し、青森産はその約半分を占める。
経営の圧迫要因は労働コストの増加とりんご価格の低迷であった。その解決策として取り組んだ
のは品種更新とその高級化であった。具体的には国光、紅玉からスターキング、そしてふじ、王
林、むつへと、糖度が高く、大玉で外観が美しい品種にシフトしていった。そのために栽培上にお
いて高い技術が要求されると同時に、労働力の大量投入が不可欠であった。その結果、りんごの小
売価格が上昇し、高品質と高価格がセットとなった。
ところが、高価格は国内りんご消費の低迷(りんご離れ)をもたらし、そしてバブル経済崩壊以
降の消費不振がりんご価格の低迷に拍車をかけた。
他方、高価格は海外産地にとって魅力に映り、日本市場の開放要求につながった。1990年代中頃
海外産地(アメリカ、ニュージーランドなど)が日本にりんごの輸出を試みたが、味、サイズ、外
観のいずれも日本産と大きく異なり、消費者に受け入れられなかった。その意味では日本産りんご
の高品質そのものは外国産りんごの輸入に対して非関税障壁的役割を果たしてきたといえる。ただ
生食用りんごの輸入は確かに少なかったが、濃縮果汁の輸入増加が日本国内産果汁加工用りんごの
価格を引き下げ、その結果、国内生食用りんごの価格下落を引き起こしたことが指摘されている。
一方、高品質のりんごは海外の消費者、とくに味覚と美観などで日本と似ている東アジアにおいて
贈答用に根強い需要がある。台湾市場においてさらに一般家庭消費用まで浸透し、日本産りんごの
輸出が一定の成功を収めることができた。
今後、日本のりんご産業にとってコスト削減と消費拡大が避けられない課題である。消費縮小に
よるりんごの価格低迷が続けば、それが農家の収入に直撃し、後継者不足、そして廃園増加、産業
の縮小を招きかねない。
4.地域ブランドのジレンマ
りんごは店先で通常、ふじ、王林のように品種名で販売され、○○産ふじのように産地が表記さ
れる場合もある。
日本ではりんごの生産が広く分布し、たとえ同じ品種でも外観や味などは産地によって微妙に違
う。地方自治体は地域ブランドの認知度を高めるよう、さまざまな宣伝活動を展開して地元産りん
4
ごのブランド化を目指している。スーパーなどの小売で「青森産」と強調して販売されるのはその
ためである。
他方、商系のりんご商人と系統の単位農協は各自の選果基準と商標名を持っている。それが消費
地の卸売市場の専門家集団である仲卸の段階で通用しているといわれる。産地の異なる銘柄に関す
る知識と情報を持つ仲卸は個別の商標マークなどを購入の参考にしているが、小売の段階になる
と、このような個別ブランドの情報は全く反映されないのが一般的である。
海外になると、同一の品種は産地によってその商品のサイズ、着色などの外形だけでなく、味が
まるで違う場合もある。輸出先の台湾、香港の店頭で青森産と表記して販売されるのが多いことか
ら、青森ブランドが現地の消費者に浸透しているようにみえる。消費者は青森産ふじの商品価値を
体感しているので、高価でもそれを購入するのである。
この青森ブランドの価値が今後中国大陸にも認知されるであろうことを予想して2002年7月に広
州市のある会社が中国で「青森」という名称を第29類(肉、乳製品・水産物など)、第30類(米・
茶・加工食品など)、第31類(果実・野菜・林業製品など)など5つの商品分類において商標登録
出願したことが判明され、問題となった5。
ところが、地域ブランドの特徴と言えば、その所有者が公的機関か、業界団体の場合が多いのに
対して、その使用者が個々の農家や中小企業で多数にのぼることで使用者はブランドの恩恵を受け
るが、その保護に関心が低いといわれる。使用者の中に投機的な行為が起きると、ブランド全体に
ダメージを与え、使用者全員がその被害を受けることになる。しかもこうした投機的行動をチェッ
クする仕組みはない。それが地域ブランドの経営にとって頭痛の種である。
農産物はもともと工業生産品のように品質の均一化が難しく、しかも多数の生産者・販売業者が
かかわるので、企業ブランドのように品質基準の統一、ニセ商品の摘発、ブランドの防衛とマーケ
ティングの推進などを行う強力な運営主体が不在である。
すでに述べたように、日本のりんご産業は高度専門的分業体制をとっているので、複数の過程に
関与する経営主体が存在しない。自治体や業界組織が地域ブランドの管理母体である場合が多く、
商品供給の調整、品質基準の統一、プロモーションの実施に実行能力と責任能力に欠けている。そ
のため、商品のブランド化に限界があり、販売や価格決定の主導権はますます量販店に握られてゆ
くのが現状である。せっかく優良品種が開発されたのに、そのブランディング化が成功せず、結
局、優良新品種の導入→高価格→供給拡大→下位等級品の混入→価格低下という従来の製品サイク
ルから脱却できないのである。
5
それが認められると、青森産農産物の現地販売は「青森」という名称を使用できなくなる恐れがあった。そこで青森
県関連9団体が中国商標局に対して上述の商標登録出願に異議申し立てを行った。2008年に下した中国商標局の裁定に
よると、中国企業の「青森」商標登録出願は「公衆に知られた外国の地理的名称は商標にしてはならない」という商標
法の条項に抵触するため、却下された。
5
二 りんご産業におけるクラブ制の実践
1.UPOV条約の締結と改正
いうまでもなく、品種経営の欠如は日本だけにみられるものではない。それぞれ直面する環境が
異なるものの、上述のサイクルは先進諸国に共通にみられる現象である。それを打開すべく様々な
取組が模索されるなか、もっとも注目されるのはクラブ制の実践(The managed variety or club
model)である。すなわち新品種の育成者権と商標権を活用してりんご生産販売体制の再構築を目
指すことである。このような新しい実践に育成者権の保護と強化が前提条件とされるが、その嚆矢
をつくったのはUPOV条約の締結と改正であった。
近代的育種が本格化する20世紀の前半には植物新品種の保護に関する国際的取り決めが必要と
なったが、その保護の仕方をめぐって特許の枠組みによるか、それともその他特別な制度を設ける
か、ヨーロッパ諸国とアメリカの間に考え方の違いがあった。アメリカは特許制度を導入したのに
対して、ヨーロッパ諸国では植物の特性は特許法上要求される進歩性の概念には必ずしも馴染まな
いこと、反復可能性に問題があること、植物の新品種の育成は枝変わり、突然変異等の発見による
ものがありうることなどから、植物品種保護制度による保護が主流であった。これらの国を中心
に育成者権の保護ルールの標準化をはかる目的で、いわゆるUPOV条約(「植物の新品種の保護に
関する国際条約」)が1961年に締結され、品種登録された種苗は育成者の承諾なしに業として利用
(増殖、譲渡、輸出入)してはならないとした。
その後同条約は1978年と1991年の2度にわたり、大幅な改正を経て今日に至っている 6。たとえ
ば、1978年条約では育成者の権利は原則として種苗の商業的販売等に限られていたが、1991年改正
ではその商業的販売の要件が外され、保護品種の生産または再生産、増殖のための調整、販売、輸
出入等にまで大幅に拡大された。また種苗段階で権利を行使する合理的な機会がなかった場合に
は、収穫物に権利行使できるものとした。さらに特定の加工品に関して収穫物の段階で育成者権を
行使する合理的な機会がなかった場合に各国の裁量により、収穫物から直接生産された加工品に対
しても育成者の許可を必要とすることとした。また保護品種に本質的に由来する品種、すなわち登
録品種とは区別性はあるものの、登録品種のわずかな形質を変更した品種について当該保護品種の
育成者権が及ぶものとした。また育成者権の保護期間は20年以上(永年性植物は25年以上)に延長
され、すべての植物種(以前は24種だけ)がカバーされることになった。
なお、1961年UPOV条約では同一の種類の植物の保護は特別の保護制度又は特許制度のいずれか
の方式により行わなければならないこととされていたが、1978年改正では一定の条件のもとに保護
制度と特許制度の併用による保護の特例が認められた。
6
UPOV条約に関する記述は下記の文献に負うところが多い。小林正「種苗法の沿革と知的財産保護」『レファレン
ス』2005年8月。
6
そして1970年代以降のバイオテクノロジー関係技術の目覚ましい進展に伴い、組織培養による種
苗の大量増殖、従来の交配では不可能であった雑種の創造によるこれまでの植物分類には存在しな
い植物種の出現などの状況が生まれてきた。こうした事態に対応して一定の要件を満たす包括的植
物の保護は特許制度により保護する体制が必要とされ、アメリカ方式が一般性をもつようになって
きた7。
2.クラブ制-品種経営の試み
育成者権の拡大と保護強化はこれまで基本的に自由であった苗木の流通に終わりをつけ、育成者
の栽培許諾を必要とする流れをつくった。それをさらに一歩進んで苗木の栽培許諾の範囲に意図的
に制限を設け、そしてその果実の販売を商標権を用いて統一的に行う試みが1990年代初頭に始まっ
たのである。
具体的には、育成者は新品種の栽培許諾(ライセンス)を会員だけに与えると同時に、生産され
た商品が販売ライセンスを与えられた業者によって特定の商標名で販売される、言い換えれば、育
成者権と商標権をリンクさせ、流通末端まで介入するライセンシング・ビジネス方式である。新品
種の生産販売が管理されるという意味では、品種経営、その生産販売の権利を会員だけにライセン
スするという意味では、クラブ制と呼ばれている。
これは工業製品における知財経営を農産物に応用する革新的な発想である。いまりんご産業にお
いて、ピンクレディー、Jazz、Kikuなど数十品種のりんごにこのようなビジネス方式が適用され
ている8。
ピンクレディーの事例9
Cripps PinkがStoneville Research Station(西オーストラリア州農業省、DAWA)10 に所属する研
究員John Cripps がGolden Delicious とLady William の交配により開発したりんご品種である。そ
の特異性(糖度と酸度のバランス、ピンク色、高い貯蔵性)に着目したDAWAは、1990年から世
界各国で品種登録を出願し、その育成者権を取得した。
と同時にDAWAは、Cripps Pinkをかつての宗主国であるイギリスへの輸出を決め、ハイエンド
消費者向けのブランド化を図るため、ピンクレディー(Pink Lady)という商標名をつけ、同国に
登録出願した。
7
アメリカではいま植物特許法、植物品種保護法、一般特許法の3種類の制度によって植物の新品種を保護している。
植物特許法は無性繁殖植物(塊茎植物を除く)、植物品種保護法は有性繁殖植物、一般特許法は全植物を対象とする。
8
梨、キュウイなどの果物や花卉にも同様な動きがみられる。
9
ピンクレディーに関する記述は次の文献を参考している。平成20年度農林水産省農林水産貿易円滑推進事業「輸出戦
略調査報告書(ピンクレディー)」、平成21年度農林水産補助事業「ピンクレディー-輸出戦略に学ぶ調査報告書」、
社団法人青森県農業経営研究協会「知的所有権に基づく農産物のブランド戦略に関する研究」(研究代表者:黄孝
春)、2009年4月。
10
2006年西オーストラリア州農業食品省(DAFWA)に改称されている。
7
予想を超えるイギリス市場の反応を見てDAWAは1994年にピンクレディーの知財管理に関する
法的戦略を立て、多くの国にピンクレディーの商標登録を出願した。
このようにDAWAはまずCripps Pinkという品種名とピンクレディーという商標名(TM)を分
け、その両方の所有者として各国・地域に登録出願した。そして契約によって各国・地域の関係者
にそれぞれ栽培許諾(plant breeder right、PBRライセンス)と商標使用許可(trade mark、TM
ライセンス)を与えた。第1図が示されるようにPBR免許保持者は増殖した苗木を許諾料付きで契
約農家に販売し、徴収した許諾料をDAWAに納めるが、他方、TMの免許保持者は管轄区域(テ
リトリー)で徴収した商標使用料をDAWAとの間で配分することが基本的な流れであった。
第1図 DAWAの知財戦略
ところで、政府機関でありながらこのように商行為に関与するようになったDAWAは、日々変
動するビジネス環境に機敏に対応できないこと、とくに商標の管理においてはより専門的な知識と
運営能力のある組織に肩変わりすることの必要性を痛感した。そこで、品種所有権と商標所有権を
分離させ、商標所有者を公募によって選出することにした。
白羽の矢が立ったのはオーストラリアりんごおよび梨協会(AAPGA)である。同協会は文字通
り、オーストラリアりんごと梨生産者の全国組織で2002年に同国の法改正に従ってオーストラリア
りんごおよび梨有限会社(APAL)に改組している。
その結果、DAWAは引き続きCripps Pinkの品種所有者として各国の種苗業者とのライセンス契
約を締結し、苗木の生産販売免許を与える立場にあるが、1998年にピンクレディーの商標権を任さ
れたAPALは各国・地域の業者に商標使用免許を与える主体として、その管理にあたるようになっ
た。
ただしAPALがオーストラリアのりんごと梨の生産者の協会組織でピンクレディープログラムは
そのビジネスの一部にすぎず、Coregeo Australiaという事業部がその実際の担当部署になってい
る。ピンクレディーシステムを世界的に展開するために国(地域)ごとにライセンス契約を通じ
て商標免許保持者に商標使用権を与えるのはAPALであるが、商標の日常的使用管理は各商標免許
8
保持者に任せるしかないのが実情である。現在、30カ国で品種登録、70以上の国で商標登録が行わ
れている。実際栽培しているのは15か国、販売しているのは30カ国以上で、2008年の世界生産量は
350,000トンを超えたという11。
問題は気象条件、地理環境、経済水準、商習慣など異なる国と地域でいかにピンクレディーのブ
ランド化を図るかということである。このような違いを放置すると、商標免許保持者間の衝突が生
じ、やがてブランドイメージにダメージをあたえかねない。そこで各国の免許保持者は国際連携組
織として1999年に国際ピンクレディー連盟(IPLA、International Pink Lady Alliance)を設立した
のである。
第2図が示されるようにIPLAの会員数は14名で、オーストラリア、アメリカ、南アフリカ、
ヨーロッパからはそれぞれ2名、それ以外の国からはそれぞれ1名という構成で、APALはその事
第2図 PBR 免許保持者、商標免許保持者と IPLA 会員の関係
出所) APAL の資料より作成。○執行役員を選出された会員。
11
2011年10月15日行われた「国際りんごフォーラムin弘前」に提出されたJon Durham氏(Coregeo Australiaの責任
者)の講演原稿による。
9
務局を務めている12。なお、その会員はそれぞれの国(地域)におけるCripps Pinkの品種免許保持
者かピンクレディー商標免許保持者である。
IPLAの最大の目的はピンクレディーというブランド価値の向上にある。共通の課題として統一
した品質基準・包装の設定、各地域の違い・特殊性を反映した公共的要素の開発とそれによるコス
トの削減、商標の保護と管理、世界的供給体制の調整などが挙げられる。
ところで、ピンクレディーシステムを財政的に支えているのは品種許諾料と商標使用料である。
品種許諾料の支払いは苗木が販売される際に一回切りであるのに対して、商標使用料は繰り返し発
生する。商標使用料の徴収は各国の商標免許保持者が担当しているが、具体的には輸入の場合、ピ
ンクレディーが輸入される時点、国内販売の場合、りんごがパッカーから卸売業者へ出荷される
時点で徴収されることになっているので、ピンクレディーの販売が多いEUに使用料が集中して
いる。実際、徴収された使用料はAPALとヨーロッパ・ピンクレディー協会との交渉によってその
使途と比率が決められている。現在、商標使用料の大半はヨーロッパ・ピンクレディー協会のプロ
モーションと管理コストに充てられているほか、ブランド防衛用の準備金として積み立てられてい
る。
JAZZの事例13
クラブ制でピンクレディーと並べて有名なのはジャズである。ニュージーランドのENZA International社(以下はENZAと略称)は同国で育成したりんご品種Scifreshにジャズ(Jazz)とい
う商標名をつけてクラブ制を適用している14。
ENZAはもともとニュージーランドのりんご輸出を独占的に行う国営企業であったが、規制緩和
の波を受け、民営化された。いまはニュージーランド最大の園芸企業であるTurners & Growersの
傘下企業の一つになっている。Turners & Growersは世界的規模でりんごをはじめとする果物の生
産、貯蔵、物流とマーケディングなどの諸過程をカバーする垂直的統合体制を目指しているが、そ
の世界戦略のコアを担っているのはENZAである。
ENZAは地域と国別にWorld Wide Fruit(イギリス、Turners & Growersが50%出資)、
Oppenheimer Group(北米、Turners & Growersが15%出資)、Enza Fruit Continent (ヨーロッ
パ大陸、Turners & Growers が100%出資)とDelica(アジア、豪州、北米、南米、Turners &
Growersが70%出資)という4つのマーケティングパートナーを有し、15カ国の生産者、67カ国
の流通業者とパートナー関係を締結している。現在、ニュージーランドではりんごと梨の輸出に
90社余りが関わっているが、同社の輸出シェアは約30%である。2010年産を例に取ってみると、
12
日本ピンクレディー協会は2006年に成立している。
前掲「輸出戦略調査報告書(ピンクレディー)」、筆者が2011年3月ENZAを訪ねたときに同社のプレゼン資料
「Innovating for the future by creating partnerships today」を参照している。
14
同社はジャズのほか、Scilate を用いたエンビ(Envy )、Sciros を用いたパシフィックローズ(Pacific Rose)など
のクラブ制経営を行っている。
13
10
Braeburn、 Jazz とRoyal Gelaがそれぞれ全輸出の28.31%、25.44%と22.78%を占め、主力銘柄と
なっている。
ところで、Scifreshの育成者権がニュージーランド果樹研究所(Hort Research15 )、ジャズの商
標権が、ENZAに属しているが、育成者権や商標権の管理を含めてジャズ のクラブ制経営は一元
的にENZAに委ねている。
ジャズはニュージーランド国内では1996年に試験的栽培、1999年から商業的栽培を開始し、2002
年までに20万本、2009年末に225万本まで増植した。それとほぼ同じ時期にアメリカ、チリ、フラ
ンス、オーストリア、スイス、イタリア、南アフリカとオーストラリアなど海外の国で国内と同程
度の増植が行われた。ただし2010年からは南アフリカを除いて、国内外で新植が止まった。
ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド 国 内 で は 2001 年 に 最 初 の 収 穫 を 迎 え 、 2004 年 に 6 万 ケ ー ス ( 1 ケ ー ス
18kg)、2008年76万ケース、2009年120万ケースと増え続けた。2010年世界の生産量は約300万ケー
ス(約5.4万トン)で、国内と海外の生産量がほぼ均等している。今後の予測では世界生産量は
2015年までに670万ケースに達し、それ以降この水準で安定的に推移するという。
ENZAは欧米市場への周年供給を目的に北半球と南半球ともに栽培許諾を与えているが、南半球
への生産許可を慎重に行っている。たとえばオーストラリアで生産されたジャズは同国内でしか販
売されない等の制約を課している。北半球への輸出はあくまでもニュージーランド産を中心とする
方針である。
ジャズの生産販売に関しては、ENZAは関係する業者に育成者権と商標権の使用ライセンスを与
え、栽培地と生産量をコントロールしている。また市場で販売されるジャズはENZAが定めた品質
規格に合格しなければならない。不合格品のすべては加工などに回され、生果として小売店で販売
されることはない。
このようにENZAはジャズの生産販売に直接関与する集権的手法をとっているので、ジャズの商
標使用料を支配できる反面、システムの構築に高い初期費用を要し、それがENZAと生産者の負担
となっている。
以上のようにオーストラリア、ニュージーランドが育成者権を盾に有望品種の生産販売を新しい
クラブ制というやり方を先行的に模索している。両事例とも世界的規模で展開しており、主要消費
地の欧米市場に力を入れている。一方、ヨーロッパとアメリカ発の品種経営が数多くみられ、その
一部がオーストラリアとニュージーランドにも進出している。クラブ制は世界のりんご産地に入り
混じる形で浸透し、日本にも及びつつある。
15
現在はThe Plant &Food Researchに改称されている。
11
三 日本の農産物における知的財産権導入の現状
1.種苗法の公布と改正
日本では植物新品種の保護を規定するのは種苗法である。種苗法の前身である農産種苗法(1947
年公布)は優秀な新品種の名称登録制度について規定があるものの、その主たる目的は不良種苗の
取締りであった。敗戦直後の食糧増産が至上命令とされ、育成者の権利としてこの法律に規定され
た名称登録制度が権利保護というよりも、むしろ優良種苗の育成の助長という表彰的色彩が強く、
今日的意味での知的財産権保護の観点はほとんどないといえる16。
その後、この法律における大幅な改正が1978年と1998年に行われた。1978年の改正では、新たに
品種登録制度が設けられ、名称も「種苗法」と改めた。ただしこの種苗法は育成者の権利が積極的
に規定されることはなく、品種登録者以外のものがしてはならない行為の規制として消極的に規定
されていたため、特許権その他の知的財産権同様の権利が発生しているかどうかについて必ずしも
明確ではなかった。
それに対して、1998年改正の種苗法は品種登録制度を中心に据えて構成しなおされた。育成者権
が明記され、育成者の権利の拡大がはかられるなど初めて知的財産法として相当程度整備されたと
いえる。
なお、上述二回の改正ともUPOV条約の改正に対応して行われたものである。1978年改正を経て
日本もUPOV条約の加盟国となった。
2.育成者権の実態
ところで、日本の品種開発は公的研究所が主導的な役割を果たしてきた。国レベルでは国立の果
樹研究所、県レベルでは県立の試験所が設置され、数多くの優良品種を育成してきた。りんご品種
の例でいうと、ふじは果樹研究所、むつや、つがるは青森県りんご試験所、シナノゴールドは長野
りんご試験所によって開発されたものである17。
これら公的機関は有望とみられる品種を日本国内で登録してその権利を保護することになってい
る。青森県ではりんご試験所(現在、りんご研究所と改称)が有望系統を選抜すると、あおり○○
号のように番号を付け、詳しい特性調査が行われる。その番号が品種登録名にもなっている。一
方、それが商業栽培し、販売されるときに、あおり2号はつがる、あおり9号は彩香、あおり13号
は北紅、あおり15号は星の金貨のように商標名(愛称)が付けられる。愛称の名称は公募し、知事
16
ここでの記述は前掲「種苗法の沿革と知的財産保護」を参照している。
日本では、民間の育種業者によって育成した優良りんご品種、たとえばトキや大紅栄がある。
17
12
が最終的にそれを決めることになっている。原則として県が育成者権と商標権を所有している。
最近、県費によって育成した品種が「群馬の名月」のように県の名前を付け、県内の生産者を優
先的に栽培させる傾向がみられる。また青森県りんご研究所は、県内の苗木業者と契約して新品
種の栽培許諾料を、一定期間、例えば5年に100-300万円の定額か、苗木の販売価格に1本につき
5%の定率かに設定している18。
一方、独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構果樹研究所は社団法人日本果樹種苗協会と
の間に登録品種通常利用権許諾契約を締結している。日本果樹種苗協会は果樹研究所で育成した品
種の許諾業を引き受け、会員の苗木業者に穂木と苗木を供給することになっている19。
ともあれ、公費によって育成された品種の所有者は公的機関である。そのため、県内農家の優先
使用などの制限はあるものの、農家に自由に栽培させるのが基本原則である。また国内での品種登
録、商標登録は行われているが、海外での登録はほとんどなかった。高接ぎという果樹種苗の特性
から新品種はいとも簡単に海外へ流出し、その果実の一部が日本に逆輸入することもあるという。
知財戦略のレベルからグローバル市場における日本の農産物の競争力強化の課題が提起されたのは
やっと最近のことである。
3.「農林水産省知的財産戦略」
2006年に発表された「農林水産省知的財産戦略」によると、農林水産分野の知的財産とは知的財
産権(権利として保護されるもの)と知的財産権以外の知的財産(権利として保護されないもの)
に分けられるが、前者が育成者権、特許権、商標権、意匠権などを指しているのに対して、後者が
古くからある農業技術と植物品種、和牛等の動物の遺伝資源、地域ブランド、食文化など、人々の
長年の努力や営みにより価値の認められるようになったものを含んでいるという。
農林水産省はこのような知的財産戦略を推進するに当たって主として第1に研究・技術開発分野
での知的財産の創出、生産現場における技術・ノウハウを生かした生産、地域ブランド形成の促
進、輸出拡大に向けた日本ブランドの醸成、第2に品種、商標等知財保護の強化、第3に知財の普
及啓発と知財関係支援・相談に対応できる指導的人材の育成などの施策を打ち出している。
上記の戦略は知的財産を継続的に生みだし、それを経済的価値につなげていくことによって競争
力の強化と地域活性化が図られることを目的にしている。それが従来の農政にみられなかった画期
的な視点である。
たしかにせっかく開発した新品種を財産として認識し、そしてそれを登録することによってその
権利を保護することが大事である。しかし、知財戦略の視点からみれば、登録出願は単なる始まり
にすぎない。その権利をいかにビジネスに生かすかこそ、真価問われるのである。
18
りんご研究所育種部今智之部長への聞き取り調査による。
社団法人日本果樹種苗協会『果種協30年の歩み』2011年1月参照。
19
13
4.長野県の取組
県レベルでいち早く農産物の知的財産戦略を策定したのは長野県であった。同県は2008年に新た
な知的財産の管理・活用スキームの開発を模索するために「信州農産物知的財産活性化戦略につい
て」を発表し、知的財産の創造→適正な権利化による保護→戦略的活用(利益創造)という基本方
針を提示した。具体的には
・海外から県開発の品種の栽培を希望されることが想定されるが、UPOV条約で国内で登録出願
した品種が他国で登録出願するまでの期限が定められており、許諾の希望があってから登録出願し
ていては間に合わないことがある。期限内に海外で品種登録ができるよう事前に海外試験研究機関
での品種評価を推進する。
また県で育成した品種が海外に流出し、日本に逆輸入されるなど、海外からの侵害も想定され
る。これに対してDNA等による品種識別技術の開発や国、他県との情報交換を密にし、早期に侵
害事実を発見するとともに関税法に基づき、輸入を差し止める。
・2002年以降に育成された県の新品種は県の普及を優先するため種苗の配布を県内に限定してい
る。一方、消費者に新品種を広く認知してもらい、活用を促進するには県外の栽培も認め、栽培面
積の拡大を図る必要がある。この点を考慮し、今後育成した品種は必要があれば、一定期間を県内
限定とする。
新品種は広く普及するよう許諾料を低くしてきたが、今後農業者や農業関係者が知的財産権を守
る意識が働く適切な許諾料をし、あわせて活用が活性化する許諾料になるよう適宜見直す。
・果樹など販売戦略上有利な商品名に対し、ブランド化を図る必要がある作物は種苗法で品種
を、商標法でその商品名を合わせて権利化し、ブランドを確実に保護する。
このように長野県は県内で育成した新品種の育成者権の保護強化とその活用について新たな姿勢
を示している。その背景には1997年長野で開催された世界りんご大会で「長野三兄弟」と呼ばれる
シナノゴールド・シナノスイート・秋映という県内で育成された品種が世界の同業者に強いインパ
クトを与え、海外からその生産販売許諾の申し込みが相次いだことが挙げられる。同県は2006年に
プロジェクトチームにより申し入れ会社の経営状況等の調査を開始し、続いて2007年4月にシナノ
ゴールド海外許諾選定委員会を設置して選定の結果、同年12月にイタリアのりんご技術指導機関で
あるSKズードチロル社にシナノゴールドの生産販売許諾を与えることに決まった20。
長野県は海外への使用許諾で契約一時金、苗木販売許諾料と果実販売許諾料の獲得をはかると同
時に、逆輸入の阻止などの方針でSKズードチロル社とシナノゴールドの海外生産に関する交渉に
あたっている。
20
長野県「りんごシナノゴールドの海外許諾について」参照。
14
5.弘果の専用利用権制度
主産地の青森県では長野県のような県知的財産活用戦略はみられず、逆に品種登録ミス問題で
知財意識の低さが露呈することになった21。しかし、民間レベルでは、知財活用の実践がすでに始
まっている。つがりあん6品種の専用利用権制度がその一例である。
つがりあん6品種とは、品種育成者の工藤精一によって育成されたりんご品種である。りんごを
中心とする地方卸売市場である弘前中央青果は2002年に育成者の工藤精一と契約してこれら6品種
に専用利用権を設定した。種苗法によると、専用利用権制度とは育成権者が他の人に登録品種を独
占的に利用させるものという。弘果は設定行為で定められた範囲内において業としてその登録品種
等を利用する権利を専有することになった22。
具体的には弘果は生産農家と契約を結び、子会社の弘果物流を通じて契約農家のみに苗木を販売
する。契約農家は6品種をどの品種でも栽培することが可能で、また契約農家間で苗木及び穂木の
無償での譲渡は可能だが、有償での販売は禁止される。この6品種の生産は契約農家に限られる
が、契約条件として契約農家は、その生産物の良品ものから加工品まで全量、弘果が経営する産地
市場を通して販売しなければならない。その際に市場手数料7%、育成者へのロイヤリテイ2%、
販売促進費及び研究開発費1%、合計販売金額の10%の諸費用が徴収される。
このように6品種の専用利用権をもつ弘果は契約農家だけに栽培を与えるかわりに、結実したり
んごの市場販売を強制している。これは明らかに農協との競争を意識してりんご農家を囲い込んで
自らの取引チャンスを固定・拡大させるための戦略といえる。
しかし、市場で競売されたりんごはその後どのような経路で消費者まで届くか、弘果は全く関与
していない。その後の消費地販売や輸出については既存の品種と同じ、制限なくまったく自由であ
る。つまり品種育成者権は活用しているが、商標権まで視野にいれ、経営を行っていないのであ
る。その意味では弘果の専用利用権制度は生産段階に限ったクラブ制である。
四 クラブ制の日本導入におけるいくつかの課題
1.クラブ制の長所と短所
工業製品の世界では特許、商標など知的財産のライセンシング・ビジネスはかなり前から企業の
21
あおり21とあおり27の品種出願は決められた期間内に手数料を納めなければならないが、担当の県庁職員がそれを
うっかり忘れたため、その登録出願が無効になった。2008年にこの登録ミス問題が大きく報道され、関心を呼んだ。
22
この場合の利用とは種苗と収穫物及びその加工物を生産し、譲渡もしくは貸渡しの申し出をし、譲渡し、貸渡し、輸
出し、輸入し、またはこれらの行為をする目的をもって保管する行為という。
23
高橋伸夫・中野剛治編著『ライセンシング戦略』有斐閣、2007年。
15
競争戦略として実践されている23。それに対して、農産物の世界では育成者権の保護と農産物のブ
ランド化にさまざまな不安要素が存在している。たとえば、農家による自家増殖が容易なこと、商
品品質の均一化が難しいことが挙げられる。しかし育成者権の保護・拡大に関する法整備に伴い、
知的財産の意識が高まり、その育成者権の活用事例が模索されるようになった。すでに述べたよう
にりんご産業が先行してピンクレディーやジャズのクラブ制がそれである。
地域単位をベースにそこで産出されたりんごを地域ブランドで販売されるのが現行の方式であ
る。不特定多数の農家が数多くの品種を自由に栽培しているため、単純な価格競争に陥りやすい。
それに対して、クラブ制は特定の品種を対象にしていることが従来の農産物の生産販売方式とは異
なっている。
つまり、クラブ制の最大の利点は特定の品種に経営責任をもつ主体が設立されること、苗木業
者、農家、流通業者が連携して数量と品質を厳格に管理できること、またそれを通じてプレミアム
価格を維持することである。一方、その利点とは裏腹にクラブ制は宣伝、商標、認可、保護などに
多くの労力と高い投資を必要とする、つまりコストが高いことが最大の欠点とされる。これらの費
用を賄うためにロイヤルテイが徴収されるのである。
2.クラブ制導入のロードマップ
工業製品の世界ですでに確立しているライセンシング・ビジネスが農産物の世界でどのような道
なりを辿るのであろうか。ふじなど超優良品種を輩出し、品種開発に競争力があるとされる日本を
事例に今後、クラブ制が導入されるまでの道筋を考えてみよう。
まず、試験場等で開発された新品種は試験的栽培を通じてその品種の持つ諸特徴、たとえば、味
(糖度と酸度)、硬度、形、表面(色と模様など)、貯蔵性、栽培難易度、収穫時期などが明らか
になってくるので、特色のあるものを選び出して知的財産権の利用対象候補にしておく。
次にこれらの新品種はまず国内での品種登録を行い、育成者権を獲得すると同時に、海外登録出
願も早く行うべきである。UPOV条約によると、国内で登録出願した品種が他国で登録出願するま
での期限が定められているので、早めに海外試験研究機関で試験的栽培による品種評価を行う必要
がある。海外での品種登録は育成者権を明確にし、同国での不法栽培に対処するための法的措置で
ある。日本にとって北半球の中国、アメリカ、ヨーロッパ、また南半球のチリ、オーストラリア、
ニュージーランドなどが品種登録先として優先すべき国と地域である。
同様に商標権の登録も必要である。日本国内はもちろんのこと、輸出見込みのある国と地域にも
商標登録すべきである。日本にとって台湾、香港、中国大陸、東南アジア諸国、ロシア、EU、ア
メリカが主要な輸出市場になりうる国と地域である。なお商標の設計には芸術性と普遍性が要求さ
れるため、世界に通用するようなロゴや標識、名称を考案しなければならない。
第3に商業生産を迎える段階では、その品種栽培を誰に、どこまで許諾するか、の選択が迫られ
る。二つのパターンが考えられる。
一つは国内の生産者のみに許諾するパターンである。つまり、海外市場においてその品種のりん
16
ごに対する需要があるが、海外の生産者に一切栽培を許諾しないので、日本からの輸出に依存せざ
るを得ない構造が形成される。この方法は海外の生産ライバルの排除によって国内農家の独占的生
産、そして輸出の振興、価格の安定に寄与するなどのメリットがある。一方、海外から品種許諾料
が入らないというデメリットが考えられる。
いま一つは海外の生産者にも栽培を許諾するパターンである。この場合も、いくつかの選択肢が
考えられる。
・限定された国と地域に栽培許諾権と商標使用権を認める選択である。量販店中心の小売販売体
制の下では周年供給体制が強く要求されるため、それを実現するために、季節反対の南半球の国の
生産者とライセンス契約を結ぶことによって、日本への輸入、またはヨーロッパやアメリカ市場へ
の周年輸出を実現することができる。あるいは逆に日本への輸入をできるだけ回避するために、北
半球の国の生産者にしか栽培許諾権を供与しない。
・北半球南半球を問わず、世界的に展開する選択である。主要な生産国に栽培許諾と主要な消費
国に商標使用を認めることで、生産販売規模の拡大に伴い、栽培許諾料と商標使用料収入が増える
というメリットがある。
3.予想される諸課題
青森県でクラブ制の導入に踏み切った場合、いくつかの課題に遭遇することが予想される。
第1に、初期段階における品種栽培の普及と育成者権の厳格な適用における二律背反である。初
期段階では新品種の知名度が低く、栽培方法や消費者の反応などの不確実性が多く、栽培リスクが
高いため、農家は慎重な姿勢をとらざるをえない。そこで育成者権の厳格な適用を行うと、新品種
の普及に歯止めをかけることになる。逆にその適用基準を緩めると、より多くの農家の関心と参加
を惹きつけることになるが、ピンクレディーがオーストラリアやアメリカで経験したような品種登
録と商標登録のトラブルを引き起こす恐れがある。
第2に公費で開発した品種のクラブ制導入の是非である。日本の現在の研究開発体制では、各県
が主力品種の育成者権を持っていることが多い。県の税金で開発された品種を一部の農家だけに栽
培権利を与えることが妥当かどうか、また、互いに競争相手といった理由から、他県への栽培許諾
を認めるべきかどうか、仮に認めたとしても差別的な利用条件を設けるかどうかの問題がある。
第3に、新品種の商業的栽培は普通、国内の農家が先行し、その生産物の一部を海外へ輸出する
というパターンで始まるが、周年販売の実現という海外のスーパーマーケットの要求に対応するた
め、季節が反対の国と地域に栽培許諾を迫られることになる。それは国内農家による独占的生産の
放棄につながるので、国内農家からの反発を招くと同時に、複数の国で生産販売されるため、異な
る法律や商習慣、流通機構などの外部環境がブランド経営を一層困難にさせる。特に農産物の場
合、土壌、気候などの自然条件によって品質のばらつきが大きい。生産量のコントロール、品質基
準や包装基準の設定、ロゴの共通化、商標の保護、非合法的生産販売の排除など、つまり統一した
商品イメージでブランド価値の向上をはかることが課題となる。
17
第4に、世界的に展開される生産販売活動はいかなる組織によって担われ、またどのような管理
方式が採用されるのか。集権的組織では生産販売の調整やブランドの統一化などが行いやすい反
面、管理的負担が重い。逆に分権的組織では、各国・地域の免許保持者の自発的取組に委ねるた
め、相互間の利害の調整に不安が残る。
自ら海外での販売プロモーションまで一手に引き受けて強力な組織をつくるのか、それとももっ
ぱらライセンス契約を通じて法的にブランドの管理を行うが、実際の生産販売は各国(地域)の
ローカル組織に任せるのか、いずれにしても管理運営主体の選定が先決条件である。
現在国内のりんご産業は高度専門化した分業体制で、複数のプロセスにまたがって事業を行う強
力な組織はない。また県を単位に生産地市場、商系、農協、消費地市場という横割の構造で、実質
的に機能している全国業界組織もなければ、県を跨ぐ全国商業組織もない。また輸出は貿易会社の
仲介を通じての間接販売が主流である。
また海外まで拡張したクラブ制では、免許保持者を選定しなければならない。ピンクレディーの
例では、各国の種苗業者が品種許諾免許保持者だけでなく、商標使用免許保持者を兼ねている。こ
れらの業者が同じ国際組織に所属していることもあって情報交換と意思疎通に有利である。しか
し、日本の種苗業者は総じて規模が小さく、そのような国際組織に加入していない。
第5にグローバル経営人材の育成である。クラブ制の経営目標はブランド価値の向上とプレミア
ムりんごの実現にある。ブランド経営は高度専門的な人材を必要とする。与えられた現在の条件の
下で、どのように運営主体を創出するのか、どのように必要な人材を育成・確保するか、青森県に
とって避けて通れない課題である。
第6に、クラブ制は既存の農産物の生産流通システムと競合関係にある。現在、りんごの販売
(販売数量と販売価格の設定)はますます量販店に依存してきている。棚スペースが限られる量販
店にクラブ制りんごの参入が非クラブ制りんごの棚からの撤去を意味するし、また異なるクラブ制
の間にも競合関係が生じる可能性がある。他方、量販店は店舗内における他企業による生鮮食品の
ブランド化に対してますます厳しくなり、自社ブランド化の意識を強めつつある。
第7に、従来の農政は国単位で成立している。先進国の場合、農業に対する支援政策や補助金の
支給は国や自治体を単位としている。これに対して会員制は国や地域を超えて一つのブランドの下
で経営されている。したがって従来の農政のあり方との間に不整合性が生じる可能性がある。
おわりに
本稿はりんご最大産地の青森県を対象にりんご生産販売方式の現状及びその問題点と、育成者権
の強化に伴うライセンシング・ビジネスの先行事例を踏まえて、クラブ制導入の必要性を示唆し、
また予想される諸課題を検討した。
品種の選択・栽培と果実の販売が自由を基本とする従来の農産物の生産販売方式が開放式と呼ぶ
なら、会員だけに栽培と販売のライセンスを与えることを基本とするクラブ制は閉鎖式というべき
である。育成者権と商標権を盾に他者を排除する論理で新しいビジネスモデルを構築する手法に異
18
論はないわけではない。また新しいシステムの構築に高い費用がかかり、それを賄うために一定数
量のりんごをプレミアム価格で販売しなければならない。
クラブ制経営の成功はけっして容易なことではない。優良品種であること(great variety)と、
革新的なマーケティングを行うこと(good marketing)がその必要不可欠な条件といわれている。
今後、新しい品種を囲い込む傾向がますます強まろう。ただ、囲い込んだ新品種をどのように経営
していけばよいのか、まだ成熟したモデルはない。おそらくさまざまなバリエーションがありうる
と思われる。
りんご主産地の青森県はこれまで数々の困難を克服して今日のような地位を築くことができた。
到来すべく品種経営の時代にどのような行動を起こしてくれるか、これから正念場である。
19
東日本大震災と地域交流支援について
The Great East Japan Earthquake and Regional Tie-UP
李 永 俊
この論文の目的は、大規模災害に対する効率的な救援体制を提案することである。東日本大
震災は、巨大・広域災害でなおかつ前代未聞の原子力発電所の事故が重なり、複合的な災害であっ
た。このような現行の災害対策基本法では想定しなかった広域災害に対して、当該の都道府県、
あるいは地方公共団体だけが主体となるのではなく、被害のなかった近隣地域をハブとして利
用することによって、当該地域の負担を減らし、効率的な支援体制を構築することを提案する。
また、そのような支援体制からは災害によって引き起こされる近隣地域の二次災害を防ぐこと
ができ、災害地域のみならず、近隣地域の経済の立て直しにも大いに役に立つ。また、被災近
隣地域の経済の活性化は、被災地の復興・復旧の下支えとなる。このため、早期の災害からの
復興が可能となるのである。
1.はじめに
本論文は、二つの目的で書いたものである。主たる目的は、この度の東日本大震災のような大規
模災害に対する早期の支援体制について、経済モデルを用いて労働力としてのボランティアや支援
物資などの復興支援財源の最適配分を行うための支援体制を提案することにある。そしてもう一つ
の目的は、かなり私的な理由かもしれないが、震災直後から被災地とかかわった身としては、経済
学の分野でもより積極的に被災地と向き合う議論が必要ではないかという思いから、議論の出発点
を提案したいからである。そういう点から、本稿のモデルの完成度よりは話題提供の意義を吟味し
ていただきたい。
本稿で議論するのは、発災直後から被災地が自立的に始動しはじめる概ね発災1年後までの支援
体制についてである。なぜ、早期の支援体制が大事なのかを述べよう。第一は人命救助である。東
日本大震災では、死者・行方不明者が21,000人以上に上る甚大な被害を受けた。今回のような大規
模津波の場合は、津波に巻き込まれると人命が助かる確率が非常に少ない。そのため、負傷者数が
非常に少なく、死者・行方不明者の割合が高いのが特徴である。
今回の震災の被災地域は、特に岩手県の北部の沿岸部では、全人口に占める65歳以上の人口の割
合である高齢者率が3割近い地域で、超高齢社会といえる。免疫力の弱い高齢者が、体育館や公民
館等の避難所で集団生活を行う場合は、やはり感染症などによる二次被害が予想される。そのよう
な、二次被害を防ぐためにも迅速な支援体制を整えることが求められる。
第二は、人口流出の問題である。被災地の多くがもともと過疎化、少子化、高齢化が進行した地
域であり、被災によって条件はさらに厳しさを増し、存亡の危機に立たされる地域が出てくること
21
も考えられる。地域の経済再生のためには、消費の主体であり、生産活動の主体である人の確保が
何より重要である。
津波被害が大きかった岩手、宮城、福島3県の沿岸市町村で震災後に人口が約5万人減少したこ
とが住民基本台帳の集計で明らかになった。原発事故の影響が大きい福島県では7月1日現在の推
計人口が33年ぶりに200万人を割り込んだ。このような人口流出を食い止めなければ、被災地
の復旧・復興は厳しい。
震災の影響だとはいえ、なぜ人々は住み慣れた地域を離れて移住をすることを選択するのだろう
か。移住は様々な混乱を伴う。まず、移住に伴う直接的な費用である。交通費や住まいを準備する
ために様々な直接的な費用が発生する。その他にも職場の問題や子供養育環境の問題など経済的
な問題と社会間接資源としての人間関係資本にも大きな影響を与えるはずである 1。今回の震災で
は、やむを得ず住み慣れた地域を離れなければならない場合も数多くあった。それだけでなく、そ
の地域に対して夢や希望をもてないという理由で移動を選択する被災者も少なくないようだ。
被災地の夢や希望はどのように形成されるのであろうか。玄田(2006、2010)では、
「Social Hope is a Wish for Something to Come True by Action with Others」、社会的な希望と
は、他の誰かと希望を共有しようとすることで、他者と共有する何かを一緒に行動して実現しよう
とすることだと社会思想研究者のリチャード・スウェッドバーグ氏の提案をもとに述べている 2。
甚大な被害を目のあたりにして、そこで一人で夢や希望を描くことは難しい。そこに他の地域から
誠意ある支援を受け、復旧作業の進行を目にし、励まされ、勇気づけられることによって、もう一
度、夢を描けるようになるかもしれない。そのような夢や希望が、その土地に住み留まるという選
択となり、地域の復旧・復興につながるのである。その意味で、1日も早い支援体制の確立は地域
の再生につながるのである。
そこで、本稿ではより効率的な早期支援体制を経済学のモデルを用いて検討する。本論文は、筆
者が教員有志と共にボランティアセンターを設立し 3、実際に支援活動を行いながら感じた諸問題
をベースとしている。
本稿の構成は次のようになる。第二章で東日本大震災の特徴を述べた後、第三章では現行の災害
対策基本法の問題点を指摘する。そして、第四章では事例として弘前大学人文学部ボランティアセ
ンターが実際に行った野田村支援活動を紹介し、効率的な早期支援体制について述べる。第五章は
結語である。
1
地方から都市への移動に伴う社会間接資本の損失に関しては、石黒・李・山口(2009)を参照されたい。
2007年12月に東京で行われた希望学の国際会議に於いて。2005年、希望学は東京大学社会科学研究所の研究者によっ
て始まったもので、法学、政治学、経済学、社会学などの社会科学と呼ばれる学問を総動員し、個人の内面の問題と
みなされてきた希望を、社会にかかわる問題として考える研究プロジェクトである。詳細はhttp://project.iss.u-tokyo.
ac.jp/hope/を参照されたい。
3
筆者は東日本大震災の後、同僚の教員5名と一緒に、弘前大学人文学部ボランティアセンターを設立した。現在、学
生と市民を合わせて、500名近くの方が登録しており、4月かつ1000名近くの方が被災地支援活動を行っている。詳細
は第四章を参照されたい。
2
22
2.東日本大震災の特徴
2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、15時20分過ぎ
頃から、巨大津波が東日本太平洋岸600Km以上にわたって繰り返し襲った。津波による被災は甚
大で、標高10メートル以下の沿岸市街地のほとんどにおいて、住宅のみならず公共施設、公益施
設、産業施設、サービス施設など、地域の都市機能がすべて喪失してしまった自治体も発生した。
加えて災害の特徴としては、津波が福島第一原子力発電所に致命的な損傷を与え、大量の放射能
漏れによって広域にわたる放射能汚染が発生した、史上初の広域・巨大・複合災害となった。
東日本大震災の被害概要は、未だ確定していないが、被災地域の範囲は東北地方太平洋沖地震に
誘発された長野県北部の地震や静岡県東部の地震を加えて、12都県369市区町村に及んでいる。流
失・全壊・全焼した建物は約11万棟で、半壊程度の被災をした建物も12万棟である。一部損壊した
建物は47万棟に達し、全体で70万棟に及ぶ大規模な災害となった。
表1 東日本大震災の概要
23
津波は、建築物のみならず、防波堤・水門をはじめとする海岸保安施設、鉄道・道路の交通施
設、特に盛土や高架部門などに壊滅的被害を加え、ライフラインも破壊した。また、地盤沈下した
農地では用排水施設も壊滅し、雨水や海水の排除が困難で、農地の運びこまれた瓦礫とともに、塩
水汚染は農業の再開を拒んでいる。加えて、福島県では放射能汚染のために10万人以上もが域外避
難を余儀なくされ、役場の避難を含め、全く復旧のめどが立っていない自治体がある。
日本は歴史上、さまざまな自然災害を経験してきた。20世紀でもっとも大きな災害は、1923年の
関東大震災である。死者と負傷者を合わせた人的被害は10万人と推計されており、当時の国民人口
1万人に対する人的損失は、16.67人で、自然災害の中で最も大きな被害だった 4。近年では、記憶
に新しい1995年の阪神淡路大震災の被害である。
表1は内閣府の緊急災害対策本部の発表資料に基づいて作成した阪神淡路大震災と東日本大震災
の被害概要の比較でます。人的損失をみると、死者・行方不明者数で東日本大震災が阪神淡路大震
災の2倍を超えており、いかに被害が大きかったかがうかがえる。また、経済的損失では東日本大
震災が約16兆9千億円、阪神淡路大震災が9兆9千億円で、両震災ともに経済損失がいかに巨額で
あるかがよく分かる。
3.災害救助法・災害対策基本法の問題点と課題
日本の災害救援法は、1947年に災害直後の応急的な生活の救済などを定めた法律で、災害時の諸
活動は国の責任で行うことが定められている。一方、災害対策基本法は1959年9月26日に死者・行
方不明者5,098名を出した伊勢湾台風災害をきっかけに制定された法律である。災害対策基本法で
は、地方公共団体の権限を重視し、地方公共団体の長(災害対策本部長)の名のもとに応急救助を
行うことが定められている。
つまり、地方公共団体は、救助費に関しては国の制限を受けながら、現実の発災時には、迅速な
応急対策を実施しなければならない立場にあるのである。
災害時の応急対策は、人間の生死に関わる問題が多いため、一秒を争う活動がほとんどとなる。
このため被害情報をいち早く把握でき、地域の実態を良く知っている市町村長が、その都度応急対
策を決定することが最も望ましく、その意味では現行の災害対策基本法に基づく体制、つまり地方
公共団体の長を中心に全ての応急対策活動が実施されるべきである。その観点から市町村レベルの
活動の効率性を最優先に考え、災害救助の権限の全てが地方公共団体の長に一元化されている。
しかし、東日本大震災のように災害が複数の県にまたがった場合には、各都道府県が各自治体の
活動の統制をとることは混乱になると思われる。また、地方公共団体が行政的な機能を果たすこと
も難しいほど大規模な災害の場合は、それぞれの自治体で独自の災害対策救援活動を行うことは不
可能になる。
4
詳細に関して中村(2011)を参照されたい。
24
図1 震災直後の被災地の労働需給の変化
今回の大震災直後に、筆者が甚大な被害を受けた岩手県野田村 に先遣隊で入ったとき、災害救
援活動を行わなければならない役場の職員の皆さんは、村長をはじめ、ほとんどの職員が被害に見
舞われていながら災害救助活動にあたっていた。だれもが何日も不眠不休で働いており、疲れきっ
ていた。
図1は、震災直後の被災地における労働需給の変化を図示したものである。左の図は、震災によ
る労働市場の変化を表している。震災による人的損失で労働供給は急激に減少する。また、被災に
よる住民たちの移住も減少の大きな原因である。一方、労働需要は事業所の多くが流されるなどの
被害を受けているため、一時的には労働需要も同時に減少している。労働需給の激減によってもた
らされる社会的余剰の損失が被災地の経済損失の大きさを示している。
しかし、被災直後から避難所の設置や被災者への支援活動、そして復興復旧に向けた瓦礫撤去な
どの作業は激増していく。災害直後に発生する労働需要は通常の労働とは性質が異なる。つまり、
賃金によって労働価値が評価される報酬の伴う労働ではないのである。そこで、図1の右の図では
0L0の無償労働の人手不足が発生することを表している。
このように激増する労働需要に合わせてどのように無償労働、ボランティアを供給するかが大き
な課題となる。先ほど述べた現行の災害対策基本法では、地方公共団体が応急対策を実施すると
なっていた。しかし、村全体が壊滅的な被害を受けている場合は、そのような機能はほぼ不可能で
ある。また、各地からボランティアが集まっても、被災地で十分な受け入れ体制が整っていなけれ
25
図2 現行の災害対策基本法のボランティア受け入れい体制
ば、ボランティアが活動することは不可能となる。そのため、今回の東日本大震災の場合、多くの
ボランティアが活動を見合わせるという事態が各所で発生していた。
つまり、現行の災害対策基本法では、この度の東日本大震災のような巨大で広域にわたる広域災
害を想定していなかったために、近隣地域や広域地域間の役割分担や委託の仕組み作りが不十分で
あった。特に、同じ県の中で複数の地域が同時に被災した場合の想定においては、全くと言えるほ
ど備えがなされていなかったといえよう。
4.新しい早期支援体制の事例
筆者が所属している弘前大学では、東日本大震災発生まもなくの、3月24日に被災支援を目的
に、筆者を含む教員有志が発起人となって、「弘前大学人文学部ボランティアセンター」を設立し
た。また、当センターでは弘前市と市民団体が協働で、一つのチームとして支援活動を行うことを
定め、市は財政的負担を、市民団体は市民の募集と保険などの管理を、そして大学はボランティア
のオリエンテーションとコーディネーターを担当することにした。
そして、東京等の大都市圏からの支援活動が届きにくいと思われる岩手県の北部の沿岸地域に照
準を定めた。青森県八戸市から久慈市、野田村、宮古市田老町地区まで南下し、被害状況を把握し
た結果、野田村で救援活動を展開することにした。今回のような超広域災害の場合は、一つのルー
トではなく多角的なルートからの支援が必要である。その意味で、南からのみではなく北からの支
援は、支援からもれる地域をなくすために、重要な展開である(渥美2011)。
また、個人が現地のボランティアセンターでボランティア申請を行う場合、手続きに時間を要
し、ボランティアセンターの業務を増やすことになる。また、一人一人が現地まで移動するとその
移動費用などが無駄に重なり、不要な燃料を使うことになる。そして、ボランティアの担当配置な
ども、個別より組織として対応した方が、現地のボランティアセンターの業務軽減と効率化につな
がるだろう。
26
図3 ハブとして近隣地域の機能
このように考えると、災害発生直後の対応として、迅速かつ効率的に支援活動を行うためには、
動きのとれる近隣地域で独自に体制を整えた上で、被災地支援人員としてボランティアを組織的に
現地に派遣することが求められるだろう。
図3のような被災地の近隣地域が被災地に代わってボランティアの募集から派遣までの業務を一
貫して行えば、被災地における業務負担の軽減につながるのみならず、受け入れ体制の不備のため
に、せっかく無償労働を申し出た支援者、つまり復興資源としての労働力までを無駄にするという
ことがなくなるのである。
また、被災地域と経済的な依存関係にある近隣地域の場合は、災害による経済的な二次被害が心
配される。つまり、経済的な依存関係にある被災地の経済活動が休止することは、近隣地域の経済
活動が停滞することを意味する。
図4は、近隣地域の労働市場の変化を図示したものである。被災者の移住などで労働供給は一時
的に上昇するが、労働需要は逆に被災地の生産活動の休止によって、左の方にシフトする。その結
果、震災前の均衡賃金水準で、過剰な労働供給が発生してしまう。このような労働力の余裕が被災
支援の資源として機能する。
そのため、被災地支援のハブとしての機能が、一時的に近隣地域で労働需要を増加させ、過剰人
員を吸収することになる。例えば、ボランティアの受け入れ体制を強化するために、臨時職員を雇
用することや、観光客の激減などで打撃を受けているバス会社などを一時的に公的な資金で支える
ことも可能となる。そのような活動を通して近隣地域の経済的な二次被害を最小限に食い止めるこ
とが可能となる。
他方、被災地では地域の生活習慣や地域の事情を理解している近隣地域からの支援であるため
に、安心してボランティアを受け入れることが可能である。また、ボランティアのオリエンテー
ションやチーム編成などに必要な手続きなどが不要となるので、被災者への対応のみに専念するこ
27
図4 近隣地域の二次災害による労働市場の変化
とが可能となる。また、復興資源としての労働力の有効利用という面で考えても、より効率的な支
援体制であるといえる。
この事例に類似している取り組みとして「対口支援」というのがある。対口支援とは、中国四川
大地震で行われた被災地支援の手法で、広大な被災地を地域分けし、それを被害のなかった地域で
割り振り、分担して復興を担当するものである(山下 2011)。広域に拡がる被災地から支援の届
かない地域をなくし、効率よく資源を投入する手法として用いられたものである。支援を担当する
側も、他との競争になるので力が入る。しかし、この方法では効率的な復旧支援が実現する反面、
支援する側とされる側の立場の差が強く現れ、格差が明確化する恐れがある。
また、先述したように対口支援では地域の文化や生活習慣を無視した支援になる可能性が高い。
そして、災害の近隣地域で発生する経済的な二次災害を防ぐことは難しくなる。その意味では、近
隣地域での支援拠点作りは、両面において優れているといえよう。
5.結語
この論文の主目的は、大規模災害に対する効率的な救援体制を提案することである。前述したよ
うに今回の東日本大震災は、巨大・広域災害でなおかつ前代未聞の原子力発電所の事故が重なり、
不幸にも複合的な災害であった。また、日本の多くの地震学者のうち、誰一人予測ができなかった
不幸でもあった。このような震災が二度と起きてはほしくないが、残念ながら誰一人それを保証す
ることはできない。
つまり、今回のような自然災害のリスクは明示的に減らすことはできない。リスクを減らすこと
ができないとするならば、どんな災害であっても克服する地域作りが必要不可欠であろう。本論文
で提案するのは、まさにその一つの考え方である。
現行の災害対策基本法では想定しなかった広域災害に対して、当該の都道府県、あるいは地方公
28
共団体だけが主体となるのではなく、被害のなかった近隣地域をハブとして利用することによっ
て、当該地域の負担を減らし、効率的な支援体制を構築しようとする試みである。また、そのよう
な支援体制からは災害によって引き起こされる近隣地域の二次災害を防ぐことができ、災害地域の
みならず、近隣地域の経済の立て直しにも大いに役に立つ。また、被災近隣地域の経済の活性化
は、被災地の復興・復旧の下支えとなる。このため、早期の災害からの復興が可能となるのであ
る。
本論文ではいくつかの課題も残されている。まず、ボランティアをどのように集めるかに関する
議論は省略されている。災害に対して必要となる労働力は復旧・復興に欠かせない財源にも関わら
ず、人々の善意のみに頼っているのは地域住民の安心安全を保つ行政の役割からすると怠慢にしか
見えない。必要な時にいかに確実に労働力を確保するかも当然議論する必要がある。この点は今後
の課題としたい。また、本稿で提案している経済モデルは厳密性に欠けている部分もある。しか
し、経済モデルの厳密性よりもまず災害復興に向けての体制作りについて議論を進めることが先決
だと筆者は考えている。経済モデルに関しては、今後信頼性を高めていきたい。
謝辞
本論文は、筆者が弘前大学人文学部ボランティアセンターと一緒に発災直後から行っている支援
交流活動に基づいて書きあげたものである。支援活動に関わった全ての人に心より感謝を申し上げ
たい。また、一日も早い被災地の皆さまの復旧・復興を願う。
参考文献
渥美公秀(2011)「災害復興過程へと接続する災害ボランティア活動-東日本大震災における
(特)日本災害救援ボランティアネットワークの事例から-」『日本災害復興学会2011東京大会
後援論文集8-11。
石黒格・李永俊・山口恵子(2009)『都市に暮らす地方出身の若者の就業状況と地元意識に関する
調査研究』弘前大学雇用政策研究センター。
中村一樹(2011)「東日本大震災からの復興をどう進めるのか」『日本災害復興学会2011東京大会
後援論文集134-137。
山下祐介(2011)「東北発の震災論へ―コミュニティ交流支援現場から-」『季刊 東北学』第28
号、101-111。
玄田有史(2006)『希望学』中公新書。 玄田有史(2010)『希望のつくり方』岩波新書。
村松敏弘(2009)「経済学からみた希望学―新たな地平を開くために―」『希望学[1]希望を語る―
社会科学の新たな地平へ―』東大社研・玄田有史・宇野重規編、東大出版会、217-234。
29
PFI方式における付帯事業について
大 島 誠
金 目 哲 郎
1.はじめに
本稿の課題は、公共財(サービスも含む)供給手法の1つである「PFI(Private Finance
Initiative)方式」の契約業務に付随する「付帯事業」の効果や実施条件の認否を分析することであ
る。
1999年度のPFI法 1施行以来、数次にわたり法改正がおこなわれている。一連の法改正のなかで
も2005年度は民間事業者による付帯事業が認められた。付帯事業とは国土交通省(2007)に従うと
「本来公共主体が必要とする事業ではないものの、PFI本体事業と相関し、PFI事業者が民間事業
者として自らの営利を目的として行う事業」 2と定義されている。政府による行政財産の貸し付け
3
を通じて付帯事業を実施することで政府は民間事業者の収益拡大、利用者の利便性の拡充そして
付帯事業とPFI事業による相乗効果を期待している。特に、政府は民間事業者であるSPC(Special
Purpose Company:特別目的会社)にPFI事業だけではなく自らの創意工夫を凝らしながら収益増
加につながる可能性がある付帯事業を通じて経営基盤の安定化を意図している。
また、2011年度の法改正では政府の「新成長戦略」を踏まえて2010年から2020年までの11年間で
日本のPFI事業規模を倍増するという目標を掲げ賃貸住宅・船舶・航空機等が対象施設に追加され
ると同時に民間事業者による実施方針策定の提案制度、公共施設等の運営権に関する制度が創設 4
されるなど民間事業者の事業範囲の拡充や収益拡大の環境整備が整えられている。
度重なる法改正の動向を背景に本稿では政府はSPCにPFI事業契約書に順じた「PFI事業」のみ
に専念させるべきか、あるいはPFI事業と並行して付帯事業も認めるべきかそしていかなる条件下
で付帯事業が社会厚生最大化の観点からみて望ましいのかを検討する。本稿ではこれらの問題に対
して社会厚生最大化を図る政府はどのような制度設計をしなければならないのかを定性的に分析す
る。
1
PFI法とは「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」の略称である。同法施行以来2001
年、2002年、2003年、2005年、2006年、2007年そして2011年と相次ぎ法改正がおこなわれている。
2
国土交通省(2007)pp.1.
3
PFI事業と並行して民間事業者が付帯事業を実施するのに必要な土地および施設等の行政財産の貸し付けはPFI法第
11条第2項および同条第3項に明記されている。
4
内閣府民間資金等活用事業推進室(www8.cao.go.jp/pfi)を参照。
31
先行研究を概観するとこの方式は契約期間が長期間にわたり事業契約の段階では不確実性が存
在し契約の重要な箇所が締結できない「不完備契約理論」を用いた応用研究が進展している。た
とえばBennett and Iossa(2006)および大島(2001)では不確実性を伴う将来の投資水準に対して
公共事業方式とPFI方式の理論モデルを構築して2つの方式によるコスト削減効果を比較分析して
いる。三井(2003)では政府からSPCへの中途解約の提示はSPCに追加的な負担を生じさせその結
果入札参加者が減少することによる生産性の非効率性を指摘している。そこで三浦(2008)では事
業破綻した場合に金融機関による再建スキームを遂行可能であると仮定しPFI事業が投資の効率性
の観点から社会厚生に与える効果を分析している。また、石・大西・小林(2006)は事業の中途解
約はSPCに追加的な負担を生じさせその結果市場規模の縮小による生産性の非効率性をもたらすと
指摘している。大島(2012)では破綻したPFI事業に対して政府が金融機関に支払う施設買い取り
価格とサービス移転料の支払いスキームを用いて事業の早期終了または延命させるかそして施設買
い取り価格の経済効果を分析している。事業資金の不足による事業破綻に対しては大西・石・小林
(2005)で外部性を考慮しながら契約保証金と補助金による事業の効率的な再生あるいは清算する
かを議論している。
しかしながら、事業破綻の回避策の1つとしてSPCの付帯事業に着目した議論はほとんどない。
そこで、本稿では政府はPFI事業と並行してSPCの収益拡大、経営基盤の安定化ならびに利用者の
拡充につながる付帯事業をいかなる条件で認めるべきかあるいは社会厚生最大化の観点からどのよ
うな支払いスキームが望ましいかを完備契約理論を応用して定性的に取り上げた研究として位置付
けられる。
本稿の特徴の1つとしてPFIという不確実性が伴う分野に対して完備契約理論の立場から分析し
ている点が挙げられる。先行研究では事業の継続性およびコストに対してリスクが生じるため契約
当初に重要な箇所の事業契約書を明示的に作成することは困難であると考えられていた。一方、現
実の運用面では政府とSPCは契約時にすべての事象を取り決める、つまり運用段階では契約締結時
に将来予想されることをすべて契約書の条項に明文化することとされている。そのため、完備契約
モデルを用いる根拠はPFIという長期にわたる事業期間を考慮するならば確かに不完備契約理論を
用いる方が適切かもしれないが、現実の運用面では契約時にすべてを記述可能である完備契約理論
から具体的な支払いスキームの提示が要請されている点は強調しておきたい。そのため、完備契約
モデルを用いた付帯事業についての考察は実際の政策論におけるPFI事業のあり方についても一定
の意義をもつと思われる。
第2節はモデルを説明する。第3節はPFI事業と付帯事業について分析する。第4節は政策的含
意を述べる。第5節は結果をまとめる。
5
本稿のモデルはIda and Anbashi(2008)およびLaffont(2000)に基づいている。
32
2.モデル5
2.1 モデル
プレーヤーは、政府、SPC16、SPC2そして金融機関の4者が存在しこれらはすべてリスク中立
的である。このうち、SPC2とはSPC1に資本金を出資し実際に生産活動をおこなう「構成企業」で
あり、出資者であると同時に事業の一部を担う民間事業者である。また、割引率および時間選好率
はゼロ、各プレーヤーはそれぞれただ1者のみ存在し、契約はこれら単一のプレーヤー間で締結さ
れる。タイムラインは図1に示してある多期間モデルを考える。
ステージ0
ステージ1
ステージ2
ステージ3
自然がタイプ
事業契約
融資
PFI事業
を決定
または付帯事業
ステージ4
結果
期間
図1 タイムライン
ステージ1は政府とSPC1の契約である。政府は慈悲深くSPC1、SPC2および金融機関も含めた
純利得を集計した社会厚生の最大化を目的とする。SPC1、SPC2そして金融機関はそれぞれの効用
最大化を目的とする。政府は社会厚生を最大化するために公共財の生産量xおよびそれに伴うサー
ビス移転料tの組み合わせである支払いスキーム{x,t}を内生的に決定する。資本を所有しないSPC1
(SPC2も含む)が金融機関からの資本の借入金をすべてPFI事業に用いる場合、1者のSPC(=
SPC1)のみで生産可能とする。他方、金融機関から融資された資金の一部を用いてSPC1が裁量
的に収益性の高い付帯事業を選択する場合、SPC1は監督者そしてSPC2のみが生産するとする。付
帯事業とはPFI事業を実施する施設内においてSPCが自由に提供可能な追加的サービスである 7。
また、PFI事業と並行してSPC1が裁量的に収益性の高い事業を実施し創意工夫次第で高い収益が
得られる可能性がある。そしてSPC2は付帯事業を実施する場合、費用削減努力をする。金融機関
が融資した資金をPFI事業または付帯事業に用いるかのコントロール権はSPC1が有するとする。
SPC1は政府の契約を受諾するか拒否するかを決定する。
ステージ2はSPC1と金融機関の融資契約である。ステージ2で参加する金融機関はそれぞれの
事業から一定の収益Rを得て残りの利得をSPC1が得るとする。また、SPC1の自己資本金は簡単化
のためにゼロとし、事業を遂行するためには金融機関の参加が必要である。
ステージ3においてSPC1が付帯事業を選択する場合を考える。付帯事業により生産される公共
6
多数のSPCが存在するが政府はPFI事業契約書を締結した1者のSPCのみを対象としている。
付帯事業とPFI事業との関係は、国土交通省(2007)pp.1.に従うと1.PFI本体事業の範疇外であること、2.PFI事業者
が自らの責任および費用負担でおこなう独立採算であること、3.PFI本体事業と一体的に実施することにより相乗効果
を発揮すること、4.それぞれの事業に対してリスクが関連し、一方PFI本体事業によるサービス提供の要求水準を保て
るように事前にリスク回避をすることが挙げられている。
7
33
財の生産量はx∈X=[ 0, x ]とする。政府とSPC1はSPC2による公共財生産量を観察かつ立証可能で
ありSPC1はSPC2が生産した公共財をすべて買い取るとする。SPC1の収入関数は生産量のみに依
存しV(x)とあらわす。V(x)は二階連続微分可能でありV(0)=0、任意のx < xに対してV(x)
'
>0、V(0)=+∞、
'
V(x)=0、x
'
≥ 0およびV ''(x)<0を仮定する。
SPC2は生産技術(限界費用)に関する私的情報を保有している。それは2種類のタイプのいず
れかでありそのタイプの集合はϑ={θL,θH }および0<θL<θHと仮定する。また、これらの差はΔ
θ=θH -θLとあらわし真のタイプがθLかθHのいずれかであるかはSPC2のみが知っている。つま
りSPC1とSPC2および政府とSPC2の間にはSPC2のタイプに関する情報の非対称性が存在する。こ
のとき、政府とSPC1はSPC2のタイプがθLである確率をp、θHである確率を1-pと評価し確率pはp
∈[0,1]そして共有知識とする。
付帯事業としてxを生産するために要する費用は(1+a)c(x)=(1+a)θ
i
i x i とする。付帯事業
はPFI事業よりもリスクおよび生産費用が高くなると仮定しa ≥1そしてθiは生産の限界費用であ
る。θL<θHのためタイプθLの方がタイプθHよりも効率的である。
また、付帯事業によるSPC2の効用は生産対価として政府からのサービス移転料1/2 tおよびSPC1
からの付帯事業の対価wの合計値とする。そのため、タイプθiのSPC2の効用は、
U( x , t )=
1/2t + w -(1+a)c(x)、 i = L
i
となる。他方、ステージ3のSPC1の効用は、
V3( x , t )=V(x)- w とする。
, H
⑴
1/2t
SPC1はSPC2のタイプを観察可能であるとする。SPC1がSPC2のタイプを発見できる確率はq∈
[0,1]で与えられqは共有知識である。また、SPC1が活動するためには費用がk(η,e)だけ生じ、
k(η,e)=ηi - e, i = L , H
とする。そして、N={ηL,ηH }および0<ηL<ηHとしηはSPC1の費用タイプ、eはSPC1の費用削減
努力をあらわす。NおよびeはSPC1の私的情報でありSPC1のみ観察可能である。活動費用は政府
からSPC1に支払われる。また、政府がSPC1のタイプを識別できないときSPC1のタイプをηLであ
ると評価する確率r∈[0,1]は共有知識である。そして、SPC1がSPC2のタイプを外生的に発見でき
る確率はq、発見できない確率は1-qで与えられる。SPC1にも私的情報が存在し政府とSPC1および
SPC1とSPC2の二重の逆選択問題が発生することになる。これらの確率r、p、qをまとめると表1
となる。
SPC1がSPC2の真の
タイプを発見できる
確率
q
1-q
r
p
観察可能
SPC1:ηL
SPC2:θL
観察不可能
SPC1:ηL
SPC2:θL
SPC1のタイプの確率
SPC2のタイプの確率
1-p
p
観察可能
観察可能
SPC1:ηL
SPC1:ηH
SPC2:θH
SPC2:θL
観察不可能
観察不可能
SPC1:ηL
SPC1:ηH
SPC2:θH
SPC2:θL
表1 r、p、qの確率
34
1-r
1-p
観察可能
SPC1:ηH
SPC2:θH
観察不可能
SPC1:ηH
SPC2:θH
結果的にステージ1におけるSPC1のすべての効用はステージ3のSPC1の効用を所与とすると、
V1=[V3( x , t )- k(η, e)- d(e) ]+ k(η, e)+
=V3(x , t )+
1/2t -
1/2t -
w
w - d(e)
⑵
と与えられる。ただし、d(e)は費用削減の努力の不効用としてd(0)=d(0)=0、任意のe
'
> 0に
対してd(e)>0および任意のe
'
≥ 0に対してd (e)>
''
0、d '''(e)≥ 0、lime↑ηL d(e)>M
'
(M > 1を
満たす正の定数)を仮定する。
社会厚生はウェイト付きのSPC1ならびにSPC2の効用の和から政府からSPC1へのサービス移転
料を控除した、
SWIB=λ(V1+U)
1/2t - k(η, e)
=V3 - w - d(e)-η+ e +λU -(1 -λ)V1
⑶
とおくことができる。λはSPC1とSPC2に対する社会厚生の分配をあらわすウェイトでありλ∈
[0,1]を満たす定数である8。また、⑶式における右辺第7項(1 -λ)V1からもわかるように政府は
SPC1に効用を与えることを望ましくないと考えている。
SPC1がPFI事業を選択する場合を考える。政府はSPC1とPFI事業契約書を締結した場合、その
生産量とサービス移転料の支払いスキームをSPC1に提案する。SPC1の収入関数および費用関数、
政府とSPC1間の情報の非対称性は付帯事業のケースとほぼ同様である。付帯事業の場合と比較し
てPFI事業ではSPC1が1者で公共財を生産する点が大きく異なる9。また、明示的な努力コストは
生じないとする。
ステージ3におけるタイプθiの効用は、
V3( x , t )=V(x)- 2c(x)、 i
= L , H
i
⑷
とする。タイプθi(i = L , H )のSPC1はPFI事業契約書に定められた公共財xのみを2ci(x)=2θi
xi で生産しその対価として政府からtを受け取る。
結果的にステージ1からみたSPC1のすべての効用はステージ3におけるSPC1の効用を所与とする
と、
V1=V3(x,t )+ t
⑸
と与えられる。社会厚生は政府からSPC1へのウェイト付きの公共財のサービス移転料とその生産
コストを差し引いた全体の効用の和として定義される。つまり、
SWPFI =λ(V1 )- t
=V(x)- 2c(x)-(1-λ)
V1
i
⑹
とおくことができる。
図1に従い各ステージを概観するとSPC1はステージ2で金融機関から資金を融資された場合、
8
社会厚生のウェイト付けの方法はBaron and Myerson(1982)に依拠している。
付帯事業のケースでは、金融機関の存在を捨象すると政府とSPC1そしてSPC2の三層モデルである。一方、PFI事業
のケースでは政府とSPC1の二層モデルの構造となる。
9
35
ステージ3において事業のコントロール権を有するSPC1はPFI事業あるいは付帯事業のいずれか
に投資するかの意思決定をおこなう。仮にSPC1が付帯事業を選択した場合、SPC1は監督者となり
生産はSPC2がおこなう。この場合、SPC1が政府から受け取るサービス移転料は半減されてしまう
が付帯事業からの利得を得られる。他方、PFI事業を選択した場合、SPC1が生産し公共財の生産
量に応じて政府からサービス移転料を受け取る。ステージ4にはすべて結実して終了する。
このモデルの意思決定のタイミングは以下のようになる。
[ステージ0]
1.自然がSPC1とSPC2のタイプを決定する。
[ステージ1]
1.SPC1は自分のタイプを観察する。
2.政府は潜在的な多数のSPCの中から選ばれた1者のSPC1に契約を提示する10。
3.SPC1に契約を拒否されたら、ここでゲームは終了し各プレーヤーは留保効用を得る。
SPC1が契約を受諾した場合、次のステージに進む。
[ステージ2]
1.金融機関はSPC1に資金を融資するか否かを決定し、必要な資金は1者の金融機関ですべ
て保有されるとする。融資されなければゲームはここで終了しSPC1は留保効用を得る。
他方、必要な資金を融資されればゲームは次のステージに進む。
[ステージ3]
1.事業はすべての資金をPFI事業に投資するかあるいは一部の資金を付帯事業に投資する
かの2つの選択肢がある。
2.SPC2は自分のタイプを観察する。
3.SPC1はSPC2のタイプを観察しようとする。
4.事業選択のコントロール権を有するSPC1がPFI事業を選択した場合、確率αで成功し
SPC1は政府からサービス移転料を受け取る。一方、確率1-αで失敗した場合、SPC1は
成功した場合より少ないサービス移転料を政府から受け取る。
5.SPC1が付帯事業を選択した場合、確率βで成功しSPC1はサービス移転料を受け取る。
他方、確率1-βで失敗した場合、SPC1は成功した場合より少ないサービス移転料を受け
取る。付帯事業をおこなうSPC2は費用削減努力を選択する。
6.SPC2はSPC1の提示する契約に対して拒否できないとする。そのため、SPC2はSPC1の契
約を受け入れ次のステージに進む。
[ステージ4]
1.政府、金融機関、SPC1そしてSPC2はそれぞれ契約を履行し利得が実現する。
10
入札時におけるSPCの前身である多数のコンソーシアムから1者のSPCが落札されるという入札の問題は捨象する。
公共部門における入札問題は三浦(2003)を参照せよ。
36
このゲームは逆向き推論法で解くことができる。解き方はステージ2からステージ4までのそれ
ぞれのSPC1とSPC2そして金融機関の均衡を求め、その後これらを所与としてステージ1の均衡を
求めることになる。すなわち、このゲームは実質的に二段階ゲーム構造である。また、各プレー
ヤーの最終的な期待利得は図2のようにまとめられる。
終了
政府 事業契約 拒否
SPC
タイプ決定
政府
0
SPC1 0
SPC2 0
終了
受託
融資しない
政府
0
SPC1 0
SPC2 0
金融機関
融資する
PFI 事業
SPC1
政府
終了
SPC1
SPC2
成功:α
失敗:1-α 政府
終了
付帯事業
SPC1
SPC2
終了
成功:β
SPC2
( )−2θ −(1−λ) 1
( , )+
3
0
( )−2θ −(1−λ) 1
(
, )+
3
0
(
, )− − ( )−η+ +λ −(1−λ) 1
政府
3
1
SPC1
( , )+ ― − − ( )
3
2
1
― + −(1+α)θ
SPC2
2
失敗:1-β
政府
終了
図2 期待利得のゲームの木
( , )−
2
− ( )−η+
+λ −(1−λ) 1
1
( , )+ ― − − ( )
2
1
−(1+α)θ
SPC2 ― +
2
SPC1
2
3.事業分析
3.1 事業選択
付帯事業またはPFI事業の期待利得は市場が完全競争的であるならば⑵式および⑷式からV(x)-
1/2t -
w -d(e)=V(x)- 2c(x)とそれぞれ同じ期待利得を得ることになる。また、この式から
i
両者の事業の均衡条件はt = 4c(x)
-2[w + d(e)]と展開される。そのため、仮にSPC1へのサービス
i
移転料が、
-2[w + d(e)]、 i = L、H
t ≤ 4c(x)
i
⑺
ならば、SPC1はPFI事業よりも付帯事業を選択する。一方、SPC1へのサービス移転料が、
-2[w + d(e)]、 i = L、H
t > 4c(x)
i
⑻
ならば、SPC1は付帯事業よりもPFI事業を選択する。
[命題1]
政府からのサービス移転料の増加(低下)は、SPC1にPFI事業(付帯事業)を選択させるインセ
ンティブを生じさせる。
このゲームは、図2のとおり⑺式および⑻式を用いてそれぞれ場合分けしながらタイミングを踏
まえ逆向き推論法で後ろから均衡経路が求められる。⑺式が成立するならば付帯事業が均衡経路と
なり、一方、⑻式が成立するならばPFI事業が均衡経路となる。
37
3.2 ステージ3における付帯事業
■SPC1とSPC2が対称情報のケース:ベンチマーク
ステージ3で⑺式が成立しSPC1が付帯事業を選択するケースを分析する。SPC1の効用関数は、
社会的ウェイトを加味した公共財の期待利得からSPC2へのサービス移転料およびSPC1自身の活動
コストの合計としてλ[V(x )-1/2 t - w - d(e)]とあらわされる。一方、SPC2の効用関数は社会的
ウェイトを加味したSPC1からのサービス移転料と公共財の生産コストの合計としてλ[1/2 t + w -
)]、i = L、Hとあらわされる。
(1+a)c(x
i
付帯事業に関する対称情報のケースではSPC2の費用タイプは私的情報ではない。それゆえ、
SPC1が解くべき問題は両者の効用関数を用いて、
問題1
max V(x i)- d(e)-(1+a)ci(x)、 i = L , H
{ xi }
の最大化問題として定式化することができる。
問題1の一階の条件は、
V(x
' iFB)=(1+a)θi 、 i = L , H
となる。x iFBはタイプθi のファーストベストの生産量でありV (x
'' )<0の仮定からxLFB > xHFBが成立
する。対称情報におけるSPC2とSPC1の期待効用はそれぞれ、
1/2 t
UiFB(x , t)=
FB
V3FB(x , t)=p[V(x LFB)-(1+a)θL x LFB ]+(1-p)[V(x HFB)-(1+a)θH x HFB ]
i
FB
+ w -(1+a)c(x
i
i )、 i = L , H となる。
■SPC1とSPC2が非対称情報のケース
SPC2の費用タイプが私的情報であるケースを考える。この場合、表明原理の結果からSPC1が解
くべきサブゲームの問題は直接表明メカニズムを{( xL , t L ),( xH , tH ) }とすると、
問題2 max p [V(x L)- w -1/2 tL ]+(1-p)[V(x H)- w -1/2 tH ]
{ x L , x H , tL , tH }
s.t. 1/2 t
1/2 t
1/2 t
1/2 t
L
+ w -(1+a)θL xL ≥ 0
(PC-SPC2L)
H
+ w -(1+a)θH x H ≥ 0
(PC-SPC2H)
L
+ w -(1+a)θL x L ≥
H
+ w -(1+a)θH x H
1/2 t + w -(1+a)θ x ≥ 1/2 t + w -(1+a)θ x H
L
L
H
H
L
(IC-SPC2L)
(IC-SPC2H)
の制約条件付き最大化問題となる。ここで、(PC-SPC2L)および (PC-SPC2H)はそれぞれタイ
プθLとθHの参加制約である。また、(IC-SPC2L)および(IC-SPC2H)はそれぞれタイプθLとθH
の誘因両立性制約である。制約式(PC-SPC2H)および(IC-SPC2L)は1/2 tH=(1+a)θH x H - w
および1/2 tL =(1+a)θH x H - w -(1+a)θL x H +(1+a)θL x Lと有効になる11。2つの式を問題2
11
4つの不等号制約条件式のうち(PC-SPC2H)と(IC-SPC2L)の2つの式が有効になる。この方法および導出過程は
一般的に定式化されているので本稿では捨象する。詳細な証明は伊藤(2003)を参照せよ。
38
の目的関数にそれぞれ代入し整理すると問題2は、
問題2’
p[V(x L )-(1+a)
(θH x H -θL x H +θL x L )] +(1-p)[V(x H)-(1+a)θH x H ]
と書き換えられる。
補題1:問題2’が満たすべき一階の条件はそれぞれ、
V(x
' L*)=(1+a)θL
V(x
' H*)=(1+a)θH +
p
1-p
⑼
(1+a)∆θ
⑽
となる。
公共財の生産量はV (x)
''
< 0なので対称情報のケースと比較してx L* = x LFBおよびx H* < x HFBが成り立
つ。SPC2であるタイプθLがSPC1に正直に自分のタイプを申告させるためには(1+a)∆θx Hだけの
情報レントが必要である。この情報レントはタイプθHのSPC1の生産量を1単位減少させたとき、
SPC2は期待効用を(1-p)[V(x
' H)-(1+a)θH ]だけ失うがSPC2に与えなければならない期待値は
p(1+a)∆θだけ減少させることができる。SPC1はこれらの損失と利得の期待値が等しくなる生産
量x H*を指示する。また、非対称情報におけるSPC2のタイプθLとθHの期待効用はそれぞれ、
1/2 t
= 1/2 t
ULSB =
SB
H
U
L
+ w -(1+a)θL x L =(1+a)∆θx H*
H
+ w -(1+a)θH x H = 0
SB
3
(θL x LFB -∆θx H* )]+(1-p)
となる。また、SPC1の期待効用はV (x,t)= p [V(x LFB)-(1+a)
[V(x H* )-(1+ a)θH x H* ]と展開される。ただし、UiSBはタイプθiに関するSPC2のセカンドベスト
の効用水準である。SPC2の効用に関してタイプθH は留保効用がゼロそしてタイプθL は(1+a)
∆θx H* の情報レントを得ることになる。非対称情報下におけるSPC1の期待効用は対称情報におけ
る期待効用と比較するとV3SB < V3FBが成り立つことがわかる。
3.3 ステージ1における付帯事業
ステージ2では金融機関とSPC1の契約であり競争的な資本市場ではすべてレントが得られない
ように調整されてしまう。そのため、ステージ1における政府とSPC1の契約を考える。
■政府とSPC1が対称情報のケース:ベンチマーク
SPC1がSPC2のタイプを発見できる確率は外生的にqで与えられている。ステージ1における
SPC1の効用関数である⑵式を変形して社会厚生関数である⑶式に代入すると期待社会厚生は、
Eq(SWIBj)=q[V3FB - d(ej)- w -ηj + ej +λU FB ]
+(1-q)[V3SB - d(ej)- w -ηj + ej +λU SB ] -(1-λ)Eq(V1j )、 j = L , H とおくことができる。ただし、U FB = pULFB +(1-p)UHFB = 0、U SB = pULSB +(1-p) UHSB = pULSB =
(1+a)pΔθx H* およびEq(V1j )= qV3FB +(1-q)V3SB +1/2 tj - w - d(ηj - k j )、j = L , Hである。
政府の直面する問題はηLおよびηHに関するSPC1のタイプについての制約条件付き最大化問題と
して、
39
問題3
max Eq(SWIBj )
{e}
s. t. Eq(V1j )≥ 0、 j = L , H
を解くことになる。Eq(V1j )≥ 0は参加制約である。また、政府はSPC1に情報レントを残したくな
いと考えているのでサービス移転料をコントロールすることによりSPC1の情報レントをゼロにす
る。したがって、タイプηL およびηH についての努力水準に関する一階の条件は、
d(e
' FB )=1
となる。eFBはファーストベストの努力水準である。
政府とSPC1が対称情報のケースではそれぞれのタイプに対してファーストベストの努力水準を
達成させることが可能であり最適な努力水準はeFBで等しくなる。このときの期待社会厚生は、
FB
FB
FB
= rEq(SWIB
+(1-r)Eq(SWIB
SWIB
L )
L )
= rq[V3FB - d(eFB )-ηL - w + eFB+λU FB ]
+ r(1-q)[V3SB - d(eFB )-ηL - w + eFB+λU SB ]
+(1-r)q[V3FB - d(eFB )-ηH - w + eFB +λU FB ]
+(1-r)
(1- q)[V3SB - d( eFB )-ηH - w + eFB+λU SB ]
⑾
となる。
FB
ただし、Eq(SWIB
= q[V3FB - d(eFB )-ηj - w + eFB+λU FB ] +(1-q)[V3FB - d(eFB )-ηj - w +
L )
eFB +λU SB ]、j = L , Hである。表1のように⑾式の2番目の等式の第1項はSPC1がタイプη Lお
よびSPC2のタイプを発見可能、第2項はSPC1がタイプηL およびSPC2のタイプを発見不可能、第
3項はSPC1がタイプηH およびSPC2のタイプを発見可能そして第4項はSPC1がタイプηH および
SPC2のタイプを発見不可能なケースのそれぞれの期待社会厚生を示している。SWIBFBはこれら4つ
の項の和となる。
■政府とSPC1が非対称情報のケース
ステージ1におけるSPC1の効用は⑵式から V1=V3(x , t)+1/2 t - w - d(η- k )となる。タイプ
ηjのSPC1によるSPC2のタイプの発見確率qに関して期待値をとるとステージ1におけるSPC1の効
用は、
1/2 t - w - d(η - k )
+(1-q)V +1/2 t - w - d(η - k )、 j = L , H
Eq(V1j )= Eq(V3)+
=qV
FB
3
j
SB
3
j
j
j
j
j
となる。表明原理の結果から直接表明メカニズムに問題を限定できるので政府の最大化問題の制約
条件は、
Eq(V1L )=qV3FB +(1-q)V3SB +1/2 tL - w - d(ηL - k L )≥ 0
Eq(V1H )=qV
Eq(V1L )=qV
40
FB
3
FB
3
+(1-q)V
+(1-q)V
SB
3
SB
3
+1/2 tH - w - d(ηH - k H )≥ 0
+1/2 tL - w - d(ηL - k L )
(PC-SPC1L)
(PC-SPC1H)
≥ qV3FB +(1-q)V3SB +1/2 tH - w - d(ηL - k H )
Eq(V1H )=qV
FB
3
≥ qV
+(1-q)V
FB
3
SB
3
+(1-q)V
SB
3
(IC-SPC1L) +1/2 tH - w - d(ηH - k H )
+1/2 tL - w - d(ηH - k L )
(IC-SPC1H)
と書くことができる。(PC-SPC1L)(PC-SPC1H)はそれぞれタイプηLおよびηHのSPC1の参加
制約、(IC-SPC1L) (IC-SPC1H)はそれぞれタイプηL およびηH のSPC1の誘因両立性制約であ
る。制約式(PC-SPC1L)(PC-SPC1H) (IC-SPC1L) (IC-SPC1H)は、
Eq(V1H )= 0
Eq(V1L )=qV
=qV
FB
3
FB
3
+(1-q)V
+(1-q)V
k H ≥ k L
SB
3
SB
3
+1/2 tL - w - d(ηL - k L )
(PC-SPC1H’)
+1/2 tH - w - d(ηL - k H )
(IC-SPC1L’) (m)
と3本の制約式に書き直すことができる。ここで、(m)はSPC1の費用に関する単調性である。
また、ηはηH -ηL =∆ηとおきφ(e)= d(e)- d(e-Δη)とする。d''(e)> 0よりφ'(e)> 0および
d '''(e)≥ 0からφ(e)は凸関数となる。よって、(IC-SPC1L’)は、
Eq(V1L )=φ(ηH - k H )
(IC-SPC1L’’)
と書き直すことができる。また、政府の選択変数として{ tL ,tH }の代わりに{Eq(V1L ), Eq(V1H )}を
用いることができる。この問題は一時的に単調性(m)を考慮しないで制約条件の(PC-SPC1H)
および(IC-SPC1L)を代入し政府の最大化問題を定式化すると、
問題3’
max rq[V3FB - w - d(eL)- k L +λU FB ]
{ k L , k H , Eq(V1L ), Eq(V1H )}
+ r(1-q)[V3SB - w - d(eL)- k L +λU SB ]
+(1-r)q[V3FB - w - d(eH )- k H +λU FB ]
+(1-r)
(1-q)[V3SB - w - d(eH )- k H +λU SB ]
- r(1-λ)Eq(V1L )-(1-r)
(1-λ)Eq(V1H )
= max rq[V3FB - w - d(eL)- k L +λU FB ] + r(1-q)[V3SB - w - d(eL)- k L +λU SB ]
{ k , k }
L
H
+(1-r)q[V3FB- w - d(eH)- k H +λU FB ]+(1-r)
(1-q)[V3SB- w - d(eH)- k H +λU SB ]
- r(1-λ)φ(ηH - k H)
と設定できる。これより以下の補題2が成り立つ。
補題2:問題3’が満たすべき一階の条件は、
d(e
' L* )= 1
d(e
' H* )= 1 -(1-λ)
r
1-r
⑿
φ'(eH* )
⒀
FB
と特徴付けられる。⑿式および⒀式から政府とSPC1が非対称情報のケースの努力水準はeL* =e お
よびeH* <eFBを満たしそしてタイプηLのSPC1はφ(eH* )だけの情報レントを得ることがわかる。タ
イプηH のSPC1が効率的な水準以下の努力水準を選択するのは、非対称情報の下では効率的なタ
41
イプηLのSPC1が非効率的なタイプηH を装うのを防止するためにφ(eH* )だけの情報レントを支払
う必要があるからである。この情報レントはeH の増加関数なので情報レントを抑制するためにタ
イプηH のSPC1に低い努力水準を選択させる。
非対称情報のケースにおける政府とSPC1の期待社会厚生をSWIB* とすると社会厚生は、
SWIB* = rEq(SWIBL
* )+(1-r)Eq(SWIBH
* )
= rq [V3FB- w - d(eFB )-ηL + eFB+λU FB ]+ r(1-q)[V3SB- w - d(eFB )-ηL + eFB +λU SB ]
+(1-r)q [V3FB- w - d(eH* )-ηH +eH* +λU FB ]+(1-r)
(1-q)[V3SB- w - d(eH* )-ηH +eH*+λU SB ]
- r(1-λ)φ(eH* )
⒁
とおくことができる。ただし、
* )= q[V3FB- w - d(ej* )-ηj+ ej* +λU FB ]+(1-q )[V3SB-w-d(ej* )-ηj+ ej* +λU SB ]
E(SW
q
IBj
-(1-λ)Eq(V1j )、 j = L , H である。
政府とSPC1が対称情報の下でタイプηHのSPC1が任意の努力水準eを選択する場合の期待社会厚
生をSWIBFB(e)とおくと、
SWIBFB(e)= rq[V3FB- w - d(eFB )-ηL + eFB +λU FB ]+ r(1-q)[V3SB-w-d(eFB )-ηL +eFB +λUSB ]
+(1-r)q[V3FB- w - d(e)-ηH + e +λU FB ]+(1-r )
(1-q )[V3SB-w-d(e)-ηH +e+λU SB ]
となる。そのため、
FB
FB
FB
IB
IB
{e}
SW
= SW (e )= max SWIBFB(e)
⒂
が成り立つ。また、同様にして政府とSPC1が非対称情報の下でSPC1のタイプηH の任意の努力水
準eを選択する場合の期待社会厚生をSWIB*(e)とおくと、
SWIB*(e)= SWIBFB(e)- r(1-λ)φ(e)
⒃
となる。よって、
SW * = max SWIB*(e)= SWIB*(eH* )
IB
{ e }
⒄
となる。
[命題2]
SWIB* < SWIBFBが必ず成り立つ。つまり、政府とSPC1に情報の非対称性があるケースの期待社会厚
生は情報が対称的なケースの期待社会厚生よりも小さくなる。
[証明] ⒂、⒃、⒄式より、
SWIB* = SWIB*(eH* )= SWIBFB(eH* )- r(1-λ)φ(eH* )< SWIBFB(eFB )=SWIBFB
となる。
[証了]
政府とSPC1に情報の非対称性が存在するケースでは、政府は効率的なタイプηLのSPC1にφ(eH* )
42
だけの情報レントを与えると同時に情報レントを削減するために非効率なタイプηH の努力水準を
eH* < eFBまで減少させなければならないため、ベンチマークである対称情報のケースと比較して社
会厚生は減少してしまう。
3.4 PFI事業
ステージ3において⑻式が成立しSPC1がPFI事業を選択するケースを分析する。契約は政府と
SPC1の2者により締結されSPC1の効用関数は社会的ウェイトを加味した公共財からの期待利得お
よびその生産コストの合計としてλ[V(x)- 2c(x)+
t ]、i = L , Hとあらわされる。
i
政府はSPC1と事業契約を締結しそしてSPC1に公共財生産を委託する。政府は生産対価として
サービス移転料をSPC1に支払う。ただし、政府は生産量を観察かつ立証可能とする。ステージ3
におけるタイプθiのSPC1の効用はV3(x , t)=V(x)-2c(x)
、i = L , Hとなる。また、ステージ1で
i
は政府からのサービス移転料を受け取りV1=V3+tとなる。社会厚生は、
SWPFI =λV1 - t
=V3 -(1-λ) V1
となる。また、ηのタイプは政府にも費用タイプが存在しSPC1と同じくタイプがηL である確率
をrそしてηH である確率を1-rとする。政府のタイプ別の効用をV(x
, t)とするとSPC1の効用関数
j
は、
V(x
, t)= V(x)- t 、 j = L , H
j
とあらわすことができる。
さらに、SPC2が存在しないケースにおいて政府のタイプがηj のときの社会厚生は、
N
SW PFIj
=(1+λ)V(x)- t 、 j = L , H
と定義される。
また、政府はSPC1のタイプを識別することができないとする。SPC1の生産量はファーストベス
トではなくセカンドベストの水準になり、政府の問題は(1+λ)V(x )- tを最大化することに等し
い。表明原理によって政府の問題は直接表明メカニズムに限定できるので、
問題4
{x
max p[(1+λ)V(x L )- tL ] +(1-p)[(1+λ)V(x H)- tH ]
L
, x H , tL , tH }
s.t. tL -2θL x L ≥ 0
(PC-SPC14L)
tH-2θH x H ≥ 0 (PC-SPC14H)
tL -2θL x L ≥ tH -2θL x H (IC-SPC14L)
tH -2θH x H ≥ tL -2θH x L (IC-SPC14H)
の制約条件付き最大化問題として定式化することができる。
制約条件(PC-SPC14H)および (IC-SPC14L)は有効なので、
tH =2θH x H
43
tL =2θL x L +2Δθx H
となる。これらを目的関数に代入すると問題4は、
max p [(1+λ)V(x L )-2θL x L -2Δθx H ] +(1-p)[(1+λ)V(x H )-2θH x H ]
{x L , x H }
と書き直すことができる。
最適化の一階の条件はそれぞれ、
V(x
' L**)=
V(x
' H** )=
r
1-r
p2 Δθ
(1-p)
(1+λ)
⒅
+
2θH
(1+λ)
と求められる。⑼式と⒅式そして⑽式と⒆式をそれぞれ比較するとx L** =x
⒆
FB
L
およびx H** >x H*とな
りタイプθL はファーストベストの生産量、タイプθH はセカンドベストそして社会全体としては
SPC1のPFI事業の方がSPC2の付帯事業よりも多くの公共財を生産することがわかる。
ここで便宜的にSPC1およびSPC2の効用関数を、
V3SB' = p[(1+λ)V(x LFB )-2θL x L -2Δθx H** ] +(1-p)[(1+λ)V(x H** -2θH x H** )]
U SB' = p2Δθx H**
とおく。ただし、V3SB > V3SB'となる。
SPC1がPFI事業を選択しSPC2が存在しないケースの期待社会厚生は、
N
N
N
SW PFI
= rSW PFIL
+(1- r)SW PFIH
= p [(1+λ)V(x LFB )-2θL x LFB -2∆θx H**]
+(1- p)[(1+λ)V(x H**)-2θH x H**]+λp2Δθx H**
=V3SB'+λU SB'
となる。SWIB* とSW
N
PFI
⒇
を比較すると命題3が得られる。
[命題3]
N
社会厚生最大化の観点からPFI事業よりも付帯事業の方が望ましくなる条件つまりSWIB* >SW PFI
と
なるための必要十分条件は、SPC1のSPC2に対する「モニタリング効果」q [(V3FB +λU FB )-(V3SB
+λU SB )]がSPC1の「社会厚生最大化からの乖離効果」[(V3SB'+λU SB' )-(V3SB +λU SB )]、「過
少努力効果」(1-r)[eH* - d(eH* )]および「情報レント」r(1-λ)φ(eH* )の和を上回ることであ
る。すなわち、
q [(V3FB +λU FB )-(V3SB +λU SB )] > [(V3SB'+λU SB' )-(V3SB +λU SB )]
+(1-r)[eH* - d(eH* )] + r(1-λ)φ(eH* ) が成り立つことである。
N
[証明] ⒁式および ⒇式よりSWIB* - SW PFI
> 0と式が同値であることを示すことができる。
[証了]
付帯事業においてSPC1の存在が望ましくなるための条件式の意味を解釈すると、左辺はSPC1
が機能することによるプラス効果、右辺はそのマイナス効果である。具体的には、左辺はSPC1に
44
よるSPC2の費用タイプ発見効果すなわち「モニタリング効果」をあらわし確率qでSPC1はSPC2の
費用タイプを発見可能そして(V3FB +λU FB )および(V3SB +λU SB )はそれぞれSPC1がSPC2の費
用タイプを発見できた場合あるいは発見できなかった場合のステージ3におけるSPC1とSPC2の効
用の和である。(V3FB+λU FB )-(V3SB +λU SB )> 0なのでSPC1によるモニタリング効果は正であ
る。
また、式の右辺第1項はSPC1がSPC2に指示する公共財生産量の「社会厚生最大化からの乖離
効果」である。SPC2が存在しないPFI事業のケースでは政府がSPC1を含めた社会厚生を最大化そ
してタイプθH のSPC1はx H** の生産量を生産している。一方、SPC2が存在する付帯事業のケースで
はSPC1はSPC2に情報レントを残すことを望まず自身の利益だけを最大化そしてタイプx H**のSPC2
に対してx H* の生産量を達成している。問題4の目的関数p [(1+λ)V(x L )- tL ] +(1-p)[(1+
λ)V(x H )- tH ]を最大にするx Hがx H**であるために(V3SB '+λU SB ' )-(V3SB +λU SB )> 0が成り立
つ。これは、SPC1が社会厚生最大化から乖離して過少生産(x H* < x H** )をおこなっていることが
原因である。
式の右辺第2項の「過少努力効果」はタイプηH のSPC1が投入する努力水準のネットの効果を
示し、eH* - d(eH* )は付帯事業におけるSPC2が存在するときの費用削減努力効果でありSPC1は確
率1-rで過少な努力水準eH*しか投入しない。一方、PFI事業の場合、SPC1にコスト削減が働くイン
センティブはないので費用削減努力効果は生じない。
式の右辺第3項はSPC1の「情報レント」である。この項は、SPC1の費用タイプについて私的
情報が存在し付帯事業のケースでは逆選択問題を解決するのに政府は確率rでタイプηL のSPC1に
情報レントを与えなければならないことを意味している。これらの効果は表2のようにまとめられ
る。
正の効果
・モニタリング効果
負の効果
・社会厚生最大化か
らの乖離効果
・過少努力効果
・情報レント
表2 SPC1が社会厚生に与える効果
左辺>右辺すなわち付帯事業を選択しSPC1のSPC2に対する支払いスキームのコントロールを通
じたプラス効果の方がマイナス効果よりも大きければ、社会厚生の観点からPFI事業よりも付帯事
業の方が望ましくなる。
[系]
付帯事業においてSPC1がSPC2のタイプを発見できる確率qが大きいほど、社会厚生の観点から付
帯事業の方がPFI事業よりも望ましくなる。
45
N
[証明] SW = SWIB* - SW PFI
とおく。そしてqで微分すると、
dSW
=V3FB -(V3SB +λU SB )
dq =(1-p){[V(xHFB )-(1+a)θH x HFB ] - [V(xH* )-(1+a)θH x H* ] } + p(1-λ)Δθx H*
となる。ここで、
[V(x HFB )-(1+a)θH x HFB ] - [V(x H* )-(1+a)θH x H* ]
x HFB
∫
=
0
x H*
∫
[V(x
' H)-(1+a)θH ] dx H -
0
[V(x
' H)-(1+a)θH ] dx H
であるがx HFB > x H*より[V( x HFB )-(1+a)θH x HFB ] - [V(x H* )-(1+a)θH x H* ] > 0となる。ゆえに
dSW
dSW
> 0となる。同様に < 0となる。
dq
da
[証了]
qは付帯事業においてSPC1がSPC2のタイプを発見できる確率であるが、これはSPC2に付帯事業
を委託する場合、モニタリングを通じてSPC1の能力をあらわしていると解釈することも可能であ
る。SPC1の能力が高ければ高いほど社会厚生の観点からSPC1とSPC2を用いて付帯事業を選択す
るのが望ましくなるという当然の系である。また、その生産に伴うリスクaが小さいほど社会厚生
を増加させる。一方、リスクが大きければ大きいほど付帯事業を選択するのは望ましくないことが
わかる。
4.政策的含意
4.1 付帯事業と収益性
命題1から政府はSPC1にPFI事業のみに専念させたければサービス移転料を増加させるべきであ
る。そのような支払いスキームはSPCにPFI事業を選択するインセンティブを生じさせる。一方、
SPC1に付帯事業を選択させたければ、政府はサービス移転料を低下させればよい。政府はサービ
ス移転料の増減を通してSPC1の事業選択を間接的にコントロール可能である。
また、相次ぐPFI促進法改正により付帯事業が認められてからおよそ10年間経過しているが、
PFI事業のみに専念するPFI方式では利益が少なくそしてサービスの質の向上も期待できない事例
も一部ある。日本の制度は、英国で実施されているサービス水準の質の向上に対するサービス移転
料の増加がほとんど認められていない事案が多い12。また、一部の事業ではサービス移転料の増加
を認められているが、満額のサービス移転料のわずか10%程度である。しかしながら、仮にSPC1
が付帯事業を採用すれば、付帯事業を認めたPFI方式は利用者に対して質の向上ならびにSPCの収
12
英国では発注者の要求する基準以上のサービス供給に対してその質の向上分を金銭的対価に評価しその半分の対価を
政府からSPCにサービス移転料の増額分として支払われる。そのため、英国の支払いスキームはSPCに質の向上を促す
インセンティブが生じると考えられる。
46
益力増加が考えられ、それが財務基盤の向上そして事業の継続性をより堅固にすると考えられる。
4.2 制度設計
命題2を踏まえると政府とSPC1に情報の非対称性があるケースの期待社会厚生は情報が対称的
なケースの期待社会厚生よりも低下してしまう。政府とSPC間の情報の非対称性下では社会厚生は
ファーストベストではなくセカンドベストに陥る。具体的には、政府は効率的なタイプηL のSPC1
にφ(eH* )だけの情報レントを与えると同時に情報レントを削減するために非効率なタイプηH の
努力水準をeH*(<eFB )まで減少させなければならない。それゆえ、情報の非対称性があるケースの
期待社会厚生はベンチマークである対称情報のケースと比較して社会厚生が減少してしまう。
また、命題3より社会厚生の観点からPFI事業よりも付帯事業の方が望ましくなる条件はSPC1
のSPC2に対するモニタリング効果がSPC1の社会厚生最大化からの乖離効果そしてSPC1の過少努
力効果ならびにSPC1の情報レントの和を上回ることである。つまり、付帯事業を選択しSPC1の
SPC2に対するプラス効果の方がマイナス効果を上回れば、政府はSPC1のSPC2に対するコント
ロール機能を期待できる。他方、監督者であるSPC1の機能が生産者であるSPC2に与えるプラス効
果がマイナス効果を下回れば政府は付帯事業ではなくPFI事業をSPC1に選択させる支払いスキー
ムを締結すべきである。
全体を総括すると系として付帯事業を選択したSPC1がSPC2のタイプを発見できる確率qが大き
いほどあるいはリスクaが小さいほど社会厚生の観点から付帯事業の方がPFI事業よりも望ましく
なることが導かれる。
4.3 PFI法改正
民間収益事業である付帯事業は、2001年度に改正されたPFI法においてPFI事業として整備する
公共施設と付帯事業として整備する民間収益施設を合築することが認められた。ただし、行政財産
を貸与される者はPFI事業者に限定され、PFI事業に専念するSPCは収益事業の営業権を第三者へ
譲渡するといった付帯事業に関するリスク移転ができなかった。
しかしながら、2005年度の法改正では、PFI事業のみに従事するSPCに限定して認めていた行政
財産である土地の貸し付けを公共施設管理者が適切と認めた第三者にも認め、SPCが行政財産であ
る土地を第三者へと譲渡可能になった。この結果、PFI事業のみに従事していたSPCが負担してい
た収益事業に伴うリスク軽減が図れるようになった13。
たとえば、「中央合同庁舎第7号館整備等事業」ではPFI事業として合同庁舎の設計・建設・維
持管理・運営そして付帯事業として民間収益施設の店舗・オフィス・ナレッジセンター・飲食店
を設置・運営14している。これらの付帯事業は、①産学民官の連携ならびに共同事業に寄与するこ
と、②行政サービスの補完、③商業施設の提供による地域活性化が期待されている15。あるいは、
13
国土交通省(2007)pp.2.を参照。
PFI法第11条の2第2項および第3項により公共施設をSPCに使用させることを可能としている。
14
47
「水と緑の健康都市第1期整備等事業」ではPFI事業として都市基盤施設・地区センター・里山施
設の建設・整備運営ならびに保留地処分支援業務そして付帯事業として居住者サービスの向上およ
びまちづくりへの貢献が期待されている。付帯事業の具体的な事業内容は、①駐車場整備、タウン
マネジメント事業として②情報サービスや電動自転車の貸出サービスなどの住民生活の支援事業、
③地区センターの多目的スペースを活用したカルチャースクールの開催を通じた利用者の効用増加
に寄与することが期待されている 16。事業を運営する事業スキームは、2つの事業とも監督役の1
者のSPCと付帯事業の設置・運営を担うSPCの合計2者のSPCからビジネス・モデルが構築されて
いる。
2つの事業は本稿で取り上げたSPCにPFI事業だけではなく付帯事業も認めた事例である。定性
的には監視役のSPCと生産に従事するSPCの2者に分離した場合、付帯事業は表2で示した効果を
期待できる。生産能力を加味してSPCを2者に分離すると監視役であるSPC1のSPC2に対するモニ
タリング効果を期待できるが、一方自らの効用最大化を目的とするSPC2に付帯事業(PFI事業も
含む)を委託すると社会厚生最大化からの乖離効果、過少努力効果そして情報レントといったマイ
ナス効果も生じてしまう。そのため、必ずしも付帯事業が望ましいとはいえない。政府は一連の法
改正による付帯事業の事業者選定の緩和およびSPCの収益増加を図るために付帯事業導入を促して
いるが、2者のSPCによる付帯事業実施のプラス効果とマイナス効果の2つの側面から考慮する必
要がある。
4.4 残された課題
むろん、付帯事業の導入にあたっては正負の効果の考慮に加えて、現実には事業内容の特性や採
算可能性を精査する必要性は付言しておく。元来、租税を原資とするサービス移転料を投入して維
持管理される公共施設を生産要素として用いる付帯事業については、SPCが民間事業者として自ら
の営利を目的としておこなう事業であっても「公共性」とは不可分という特性を帯びる。また、付
帯事業は、政府から対価が支払われずSPCによる独立採算によって実施される場合が多いため、仮
に過大な需要見込みによりリスクが顕在化した場合、契約業務の実施に支障をきたす恐れがある。
さらに、従来型の民間委託における単年度契約では競争入札や随意契約の都度、政府が契約内容を
見直しつつ事業者の再評価をおこなうことが可能であるが、PFI方式での長期継続の原契約は当初
段階で交わされるため長期間にわたり1民間事業者が競争入札というかたちでの再審査を経ること
はない。こうした付帯事業の特性や潜在的な問題を踏まえると、SPCによる付帯事業の実施状況を
継続的に監視する仕組みを整えていく必要がある。
PFI事業の実施状況を確認するために、PFI制度では政府によってSPCが提供する公共サービス
の水準を測定・評価するモニタリングがおこなわれる。これにより付帯事業についても監視するこ
15
国土交通省(2007)pp.5.を参照。
国土交通省(2007)pp.18.およびpp.19.を参照。
16
48
とは可能であろう。しかしながら、付帯事業はSPC側の自由度を広く認めており企画内容や経営方
針までもが裁量に委ねられることが多いために、政府が形式的には監視できたとしても、民間的手
法のノウハウが十分培われてこなかった政府に実質的なモニタリングがどの程度まで可能なのかと
いう問題が残る。万が一にも付帯事業が行き詰まった場合、当該事業の再建は困難であると思われ
る。こうしてみると、PFI事業者の募集・審査・選定の段階から応募者による付帯事業の提案内容
の採算可能性を十分に検証する必要がある。その際、付帯事業のための市場調査や、付帯事業が破
綻した場合の当該事業の継続可能性および代替事業者の存在に関する検証も視野に入れておくこと
が必要である。
5.むすびに
本稿では、公共財供給に対してPFI方式を採用する場合、政府は民間事業者にPFI事業のみを実
施させるべきかあるいはPFI事業と同時にSPCの自主的な事業である付帯事業も認めるべきか、ま
た政府はどのような条件下で付帯事業を実施する方が社会厚生最大化の観点から望ましいのかを定
性的に分析した。
主要な結論として、1つめは、政府はSPCにPFI事業のみに専念させたければサービス移転料を
増加させるべきである。2つめは、政府とSPC1に情報の非対称性があるケースの期待社会厚生で
は情報が対称的なケースの期待社会厚生よりも公共財生産量が過少になってしまう。3つめは、
付帯事業を選択しSPC1のSPC2に対するモニタリング効果がSPC1の社会厚生最大化からの乖離効
果、過少努力効果そして情報レントの和を上回る場合、政府はSPC1に付帯事業を選択するインセ
ンティブを生じさせる支払いスキームを決定すべきである。4つめは、付帯事業においてSPC1が
SPC2のタイプを発見できる確率が大きいほどまたは生産に関するリスクが小さいほど社会厚生の
観点から付帯事業の方がPFI事業よりも望ましくなることがわかった。
4.3で取り上げた2つの事業では、政府は2者のSPCにPFI事業だけではなく付帯事業も実施さ
せ利用者の利便性向上を期待している。しかしながら、付帯事業の導入は表2に示したプラス効果
とマイナス効果をも考慮しその実施を検討すべきである。あるいは事業内容の特性に応じて政府
はPFI方式ではなく直営方式または指定管理者制度等多数の供給方法と比較する必要がある。その
うえで、公共サービスの質を継続的に向上させるべくPFI方式を選択し付帯事業を実施する場合に
は、事業全体の実現可能性、採算可能性、事業主体となるSPC本体の財務体質などを政府が評価で
きる仕組みを構築していくことが期待される。
(付記)
本稿は著者2名による共同研究の成果である。課題の設定のため議論を重ねるなかで問題意識を
共有するに至り、大島が理論モデルの構築と政策的含意の導出をおこない、金目は制度・政策面の
課題を抽出整理した。
49
【参考文献】
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大島考介(2001),「不完備契約とPFI」,『日本経済研究』第43号.pp.87-100.
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大西正光・石磊・小林潔司(2005),「独立採算型PFI事業における契約保証金と補助金」,『建
設マネジメント研究論文集』第12巻.pp.149-158.
国土交通省(2007),『国土交通省所管PFI事業における民間収益事業の活用に向けた参考書』.
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Bennett,J.and Iossa,E.(2006),“Building and Managing Facilities for Public Services.” Journal of
Public Economics,90,pp.2143-2160.
Ida,T. and Anbashi,M.(2008),“Analysis of Vertical Separation of Regulators under Adverse
Selection.”Journal of Economics,93,pp.1-29.
Laffont,J.J.(2000), Incentives and Political Economy,Oxford University Press,
50
台湾における介護者としての中国大陸籍配偶者
城 本 る み
1.はじめに
2.台湾における国際結婚の諸相
3.外国籍・大陸籍配偶者の特徴
4.榮民の婚姻状況
5.介護者役割を担う大陸籍配偶者
6.おわりに
1.はじめに
台湾で国際結婚が増加しはじめたのは1990年代初頭からであり、社会的に注目され始めたのは
1990年代後半、研究テーマとしてもとりあげられるようになったのは2000年以降のことである。国
際結婚とはいうものの、内実は東南アジア国籍と中国大陸籍の配偶者が96.2%を占め、しかも台湾
人男性と外国籍女性 1との組み合わせが94.3%を占めているのが、台湾における国際結婚の大きな
特徴である2。外国籍および中国大陸籍配偶者との国際結婚が、台湾の婚姻数全体(10万6,066組)
に占める割合は2011年9月末時点で15.0%、15,897組である 3。同時期の外国籍および大陸籍配偶者
との離婚件数が台湾における離婚件数全体(43,002件)に占める割合は24.9%にのぼり、10,708件と
なっている4。すなわち台湾における夫婦のおよそ7組のうち1組、離婚する夫婦の4組に1組は配偶
者のいずれかが外国籍であることを意味していることになる。
1987年から2011年10月末にかけて登録されている外国籍配偶者 5 総数はすでに45万6,814人にの
1
中国籍女性を含むため、本稿では中国大陸(香港・マカオを含む)出身者をあわせて「外国籍」という言葉を使う。
内政部入出國及移民署全球資訊網(2011)統計資料による。外国籍配偶者数にはすでに台湾籍を取得した配偶者数も
含まれている。この割合は筆者が資料から計算し、小数点第二位以下を四捨五入したもの。
http://www.immigration.gov.tw/public/Attachment/11123949506.xls(2011/12/30)
3
2000年代初頭には、婚姻数全体の25%近くを外国籍配偶者との国際結婚が占めており、この急激な増加によって陳水
扁政権は外国籍配偶者の管理・取締りを強化する方向へ進んだといわれている。
4
内政部入出國及移民署(2011)統計資料 http://www.immigration.gov.tw/public/Attachment/110219463357.xls
(2011/12/01)
5
本稿で「外国籍配偶者」という場合は、大陸籍と東南アジア籍その他をすべて包括して使用する。外国籍・大陸籍と
併記している場合は、大陸籍とそれ以外の意味で使用している。台湾における<外籍配偶>は大陸籍配偶者と区別して
主に東南アジア配偶者を指す言葉として使われることが多いため、本稿で<外籍配偶><大陸配偶>を使用している場
合、厳密には<外籍配偶>に東南アジア地域以外の出身者(外国籍配偶者全体の4%未満)も含まれていることに留意
し言語のままにしてある。留意が不要な箇所では東南アジア籍、大陸籍と翻訳して使用している。
2
51
ぼっている。このうち中国大陸出身者(香港・マカオを含む)は30万6,549人(67.1%)、東南ア
ジア出身者は13万2,858人(29.1%)で、およそ7:3の比率となっており、大陸や東南アジア地域以
外の出身者は4%に満たない 6。外国籍配偶者の主な出身地域はベトナム、インドネシア、タイ、
フィリピン、カンボジアであり、台湾に出稼ぎに来ているブルーカラー層外国人労働者の出身地と
重なっている。資料によれば、経済後進地域から経済格差を主因として嫁いできた配偶者のうち合
法的な就労資格保持者の半数以上(13万4,991人)がブルーカラー層の仕事に従事7している。定住
資格をもたない東南アジア出身のブルーカラー労働者総数(42万3,338人)8とあわせると、台湾に
おける2011年の中国や東南アジア出身のブルーカラー労働従事者は少なくとも55万人を超えている
ことになる。
台湾のエスニシティ研究では1945年以前に台湾に移住した漢民族を中心とする<本省人>、1945
年以降に大陸からわたった<外省人>、それ以前から台湾に住んでいる<原住民>に分けられる9。
2010年末の台湾の総人口は2,316万2,123人であり、46万人近い外国籍配偶者数はその約2.0%を占
めている10。2011年10月末時点における台湾の<原住民>11(少数民族)は51万8,829人(総人口の
2.2%)であり12、原住民と外国籍配偶者はほぼ互角の人口勢力となっている。
出身国への帰国が義務づけられている外国人労働者とは異なり、外国籍配偶者は永住を前提とす
る「婚姻移民」である。少子高齢化に直面する台湾政府は、人口政策の一環(少子化対策)として
適切な規模の移民受け入れを前向きにとらえ、「多元文化主義」の採用によって「新移民の社会的
統合」を目指している13。外国籍配偶者の大部分が帰化を目指し、少子化が急速に進行している台
湾の現状下では、その子女もまた新たな人口勢力となる。台湾ではすでに「婚姻移民」や「新移
民」という言葉が定着しており、将来的にこれら外国籍配偶者の帰化が進み参政権まで得ることに
なれば、政治に大きな影響を与える勢力ともなりうる。
台湾では現在のところ大陸籍中国人が就労目的で渡航することは認められておらず、特殊な資格
や技能がない者が合法的に台湾で働くには、台湾人と結婚し一定の条件を満たして居留権を得たう
えで就労するのがいちばんの近道である。2003年の「就業服務法」の改正によって、居留資格をも
つ外国籍配偶者は就労が可能になったからである14。台湾と中国は特殊な関係にあるが、経済格差
6
内政部入出國及移民署(2011)前掲資料
内政部入出國及移民署(2009a)『外籍與大陸配偶生活需求調査報告』pp.60-64 によれば、2008年9月末時点での外
国籍配偶者女性のうち就労資格保持者は24万8,359人、うち労働力人口は13万4,991人(54.4%)である。
8
行政院勞工委員會職業訓練局(2011)統計資料
http://www.evta.gov.tw/content/list.asp?mfunc_id=14&func_id=57(2011/12/30)
9
本省人は閩南語を使う福佬系(74%)と客家語を使う客家系(12%)に分けられる。2009年内政部戸政司によれば人
数比率は本省人86%、外省人12%、原住民2%となっており、福佬・客家・外省人・原住民をエスニック・グループと
して<四大族群>とする分け方もよく使われる。
10
内政統計年報(2011)http://sowf.moi.gov.tw/stat/year/list.htm(2011/11/23)
11
本稿では中国語原文をそのまま使う場合は< >で括るものとする。
12
内政部統計處(2011)http://www.moi.gov.tw/stat/news_content.aspx?sn=5734(2011/11/23)
13
行政院(2006)「中華民國人口政策綱領」
14
2003年5月以降、配偶者が台湾人であることを証明する<依親居留證>を取得すれば就労ビザを入手できることにな
り、<工作許可證>も不要となった。また<外國人居留證>を取得していれば、ビザなしの再入国も可能である。<外
國人居留證>取得後満4ヶ月で<全民健康保険>への加入も可能となった。
7
52
を利用した海を跨いでの結婚は実質的な「婚姻移民」の範疇に含まれ、台湾の法的な規制や婚姻統
計においても大陸籍中国人は特別枠扱いとなっている。
2008年に国民党馬英九政権が発足してから、台湾の移民政策は台湾独立派であった民進党陳水扁
政権の方針を転換し、急速に大陸籍中国人の訪台制限を緩和する方向へと舵を切っている。そうし
た政治的要因による政策転換との関連も注視しながら、本稿では内政部や行政院の行った調査報告
に基づき、台湾における国際結婚のなかでも中国大陸籍配偶者に焦点をあてていく。筆者は外国人
介護労働者に関する論稿のなかで、台湾では外国籍配偶者が婚姻条件に恵まれない台湾人男性と結婚
し、彼女たちが婚姻という名を借りた家庭内介護労働者の役割を担う状況があることに言及した15。
本稿では台湾の国際結婚においてとくに際立った特徴をもつ大陸出身の国民党退役軍人<榮民> 16
たちとの婚姻を通して、榮民との婚姻における大陸籍配偶者の特徴を抽出し、東南アジア出身配偶
者たちとの比較も加えながら、彼女たちが高齢者の介護要員としての役割を期待されている状況を
台湾における高齢者問題の特殊な一側面としてとらえ、台湾における大陸籍配偶者の全体像を明ら
かにしていきたい。
2.台湾における国際結婚の諸相
2-1.国際結婚の変遷
台湾における国際結婚の発展について夏曉鵑(2000)、蕭昭娟(2000)、鐘重發(2004)、徐
易男(2006)らは萌芽期、形成期、発展期の三段階に分けて分析している17。以下その分析にした
がってまとめると、おおよそ次のようになる。
(1)萌芽期(1960~1970年代)
この時期は、台湾女性が欧米や日本へ嫁ぎ、台湾に比べ経済後進国である東南アジアのタイ女性
やインドネシア女性が台湾の農漁村に嫁いでくる現象が見られ始めた萌芽期である。この時期の国
際結婚は風俗習慣の違いや配偶者との意思の疎通に問題が多いにもかかわらず、外国籍女性の来台
数も少なかったため政府もこれといった政策をとらず、来台後の逃亡率も高かった。結婚斡旋業者
は利益をあげたものの、一般には国際結婚そのものが受け入れられたとは言えず、早期台湾の国際
結婚はその後あまり発展する方向には向かわなかった。
(2)形成期(1980年代)
台湾経済が政府の<南向政策>18 によって急速に発展し、台湾の工場の多くが東南アジア各国に
進出して建設を進め、台湾から東南アジア諸国の工場に派遣された男性労働者たちが現地の女性と
15
城本るみ(2010)「台湾における外国人介護労働者の雇用」(弘前大学人文学部『人文社会論叢』(社会科学篇)第
24号)p.38
16
榮民とは栄誉国民の略称であり、退役職業軍人の尊称。行政院國軍退除役官兵輔導委員會(以下、退輔會と略)では
榮民資格を細かく定義しているが、台湾では一般に国民党とともに大陸から台湾に移住してきた外省人の退役軍人を指
す呼称として使われている。以下、固有名詞として< >をはずして記述する。
17
李明堂・黄玉幸(2008)「台灣十年來東南亞外籍配偶研究趨勢分析-以全國碩博士論文為例」2008年(第十屆)台灣
的東南亞區域研究年度研討會論文 pp.4-5
18
李登輝政権が1994年から台湾企業の中国への過度な投資の一極集中を避け、対東南アジアへの投資分散をはかり、東
南アジアでの政治・経済分野における影響力強化をはかった政策。
53
結婚する現象が見られ始めたのが、この時期の国際結婚の主流である。80年代は<台商>(台湾人
商人)や海外派遣された男性労働者たちが東南アジア各国に婚姻市場を拡大し、新たな斡旋業者た
ちが活躍した時代でもある。この時期が東南アジア女性と台湾人男性との国際結婚現象の形成期と
される。また1987年に両岸関係が緩和され、政府が大陸への親戚訪問を解禁し、両岸経済や文化交
流の形成が社会現象になったことも中国籍女性と台湾人男性の結婚増加につながった。
(3)発展期(1990年代)
台湾の政治や経済をとりまく周辺状況が変わり、大量の外国人労働者が台湾に入るようになる
と、大量の台湾籍ブルーカラー層が失業あるいは就業困難となった。またこうした専門技術を持た
ないブルーカラー層は婚姻市場においても配偶者を探すことが困難になっていく。女性の高学歴化
と社会進出が進むことによって、伝統的価値観を重視する台湾男性の配偶者選択にも翳りが見え始
める。そうして台湾人女性との結婚が難しい男性たちが外国籍配偶者を娶る現象がみられるように
なり、その外国籍配偶者との間にもうけた子どもたちが<新台灣之子>と呼ばれるようになるのが
90年代以降のことである。
1992年からは条件付きながら中国大陸からの訪台も可能となり、在台大陸籍中国人が増える要因
にもなった。東南アジア出身配偶者の増加は1990年以降のグローバル化が大きく影響し、台湾との
二国間関係が活発化したことが深く関係している。また外国籍配偶者が増加した時期は、外国人労
働者が増加した時期とも重なっている。
2-2.外国籍配偶者に関する先行研究
台湾の外国籍配偶者に関しては、日本でも2000年代半ば以降になってから論稿が発表されるよう
になった19 が、論文数自体はそれほど多くない。日本人研究者による論稿は外国籍配偶者全体を台
湾における「新移民」として全体像をとらえ、その特徴や課題あるいは台湾社会への影響などをマ
クロ的にまとめたものが多くみられ、社会学的・人類学的なアプローチが中心となっている。内容
を大別すると、婚姻移民を外国人労働者のように台湾における新たなグループとして「労働移民」
という枠組みの中で論じているもの、また婚姻移民の国籍別の特徴や婚姻移民特有の特殊な課題を
つかもうとしているものとに区分できる20。
外国籍配偶者に関しては、受入れ当事国である台湾における調査・研究数が多い。台湾の婚姻移
民に関する先行研究や研究動向については安里(2008)論文や横田(2008)論文において言及され
ているので、ここでは重複を避け、外国籍配偶者に関する台湾の学位論文における研究対象やその
テーマについて触れておきたい。
19
例えば横田(2005・2008)、小島(2007)、施ほか(2007a ・2007b)、安里(2008)、奥寺(2008a・2008b)、塩
川(2009)、金戸(2010)、田上(2010)などがあげられる。
20
前者には金戸(2010)や塩川(2009)、田上(2010)、安里(2008)、後者には横田(2008)、奥寺(2008)、施ほ
か(2007)が区分される。留学生が日本語で書いたものに謝(2006)、ウ(2011)があるが両者とも後者に属し、小島
(2007)は人口学的な分析手法による日台の国際結婚比較である。また台湾人男性と日本人女性のカップルを扱った竹
下(2001)などもある。
54
台湾における外国籍配偶者の研究趨勢に関しては李明堂・黄玉幸が2008年に過去10年に遡った分
析を発表している21。台湾国家図書館でキーワード検索をかけると<外籍配偶>(外国籍配偶者)
で221篇、<跨國婚姻>(国際結婚)で61篇、<新移民>で113篇、<外籍新娘>(外国籍花嫁)で
66篇の学位論文がヒットし、キーワードの重複を除くと台湾における外国籍配偶者に関する修士・
博士論文は2007年6月期で369篇に及んだという。
李・黄によれば、台湾では1997年頃から東南アジア籍配偶者の研究が始まり、夏曉鵑(1997)が
最も早く着手した研究者である22。外国籍配偶者が社会的に注目されるようになると、研究論文数
もそれに比例するように増加し、2000年以降さまざまな領域で学位論文のテーマとして取りあげら
れるようになった。
表1は2000年以降2007年までの台湾における外国籍配偶者を扱った学位論文の篇数をまとめたも
のである。論文数は2001年に6篇、2002年に11篇、2003年から徐々に増加し、2005~2006年の2年間
にはそれぞれ70篇近く書かれている。外国籍子女に関する研究は2003年に4篇(劉秀燕、林璣萍、
李怡慧、車達)書かれてから徐々に増加し、2006年には39篇に達した23。
表1 2000-2007年台湾全土の外国籍配偶者に関する学位論文数
単位:篇
類別/年度
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
合計
外国籍配偶者
2
6
11
13
46
68
66
24
237
外籍配偶子女
0
0
0
4
25
36
39
29
132
合計
2
6
11
17
71
104
105
53
369
出所:李明堂・黄玉幸(2009)p.10
369篇の外国籍配偶者に関する研究分析で明らかになったのは、東南アジア出身の配偶者を対象
とするものが158篇あったことである。対象国はベトナムがもっとも多く、ベトナム籍配偶者に関
する論文が41篇、その子女に関する論文が7篇であった。次点はインドネシア配偶者で17篇、その
子女が2篇である。国別にみるとミャンマーがもっとも少ない。扱う外国籍配偶者の人数変化をみ
ると、早期はインドネシア人が多かったが、現在ベトナム人がほかの東南アジア出身者を抜いてお
り、学齢児童についてもベトナム籍子女がもっとも多い。この趨勢は内政部や教育部による外国籍
配偶者数その小中学生児童数の変遷とも合致している(表2)。
また外国籍子女の研究対象は小学生児童が中心である。132篇の外国籍子女を扱った論文では小
学生を対象としているものが94篇と最も多く、乳幼児が13篇、中学生は6篇、高校生は1篇のみで
21
李明堂・黄玉幸(2008)「台灣十年來東南亞外籍配偶研究趨勢分析-以全國碩博士論文為例」2008年(第十屆)台灣
的東南亞區域研究年度研討會論文
22
台湾における婚姻移民の研究では社会学者夏曉鵑(世新大學社會發展研究所)や王宏仁(國立暨南國際大學東南亞研
究所)の研究が引用されることが多い。
23
2007年には本数が若干減少しているが、李・黄は2007年度の途中での検索が原因だと推測している。
55
あった。
また李・黄の他にも王燦槐・林艾蓉は論文の中で、2003~2009年の学位論文で<新移民女性>
(外国籍配偶者女性)を扱ったものは108篇で、半数以上が子女教育に関する論文、就業問題は9%
であったと述べている。GRB24 では新移民を扱った研究論文は118篇、その58%はその子女教育を
対象とした論文で、就業に関しては2%しかなかったという25。
表2 2000-2007年台湾全土の学位論文中で対象とされた外国籍配偶者の国籍
単位:篇
合計
合計
外国籍配偶者
類別/国籍
東南アジア ベトナム インドネシア
45
41
17
タイ
4
フィリピン ミャンマー カンボジア
5
2
4
118
237
外籍配偶子女
27
7
2
1
2
0
1
40
132
合計
72
48
19
5
7
2
5
158
369
出所:李明堂・黄玉幸(2009)p.11
季刊雑誌論文においても、研究対象はおおまかに外国籍配偶者自身を対象とするもの、外国籍配
偶者の子女を対象とするもの、そして彼女たちの周辺、の3つに分類することができる26。
(1)外国籍・大陸籍配偶者を対象とするもの
外国籍配偶者に関する研究の早期段階では、<大陸配偶>と<外籍配偶>個人の職業や文化適応
問題、彼女たちに対する識字教育や生活適応、子女の教育問題などに研究の主流がみられた。さら
に婚家との関係(親子関係や親密度、嫁姑関係、婚姻満足度等を含む)を主体とする研究(丘方晞
2003、翁慧雯2004、王明輝2006)などが続き、近年では女性配偶者を主題として医療受診問題、社
会的支持ネットワーク、ボランティアサービス、社会及び政治への参加、国家アイデンティティや
基本権益などにテーマがうつっている。社会変遷とともにこれら女性の生活上の問題や婚姻におけ
るDV、介護圧力、貧困、片親、生活ストレスや就業問題へと焦点がうつっている(陳淑芬2003、
江亮演・陳燕禎・黄稚純2004、李瑞金・張美智2004、朱玉玲2004、劉海平2004)。またマクロ的視
点から移民政策や家庭からの要求に対するサービス体制の構築等、台湾における研究の多様性や向
上もみられる(韓嘉玲2003、邱汝娜・林維言2004、潘淑滿2004、戴鎮州2004、翁毓秀2004、許雅惠
2004、呉學燕2004、王永慈2005)。
(2)外国籍・大陸籍配偶者の子女を対象とするもの
外国籍配偶者の子女に関する研究は多岐にわたっており、特に早期療育、学習適応、学業成績、
自己アイデンティティ問題や文化認識等、成長や教育に関するテーマが多い(劉秀燕2003、陳湘琪
24
國科會網站政府研究資訊系統(Government Research Bulletin)の略語
王燦槐・林艾蓉(2009)「台灣女性勞動力運用之比較:以東南亞配偶、大陸配偶、本國有偶婦女為例」『台灣東南亞
學刊』6巻2期 pp.99-100、この数字は2009年1月17日時点のもの
26
内政部入出國及移民署委託研究報告(2009)「大陸及外籍配偶生活處遇及権益之研究」pp.13-14、pp.189-192
25
56
2004、車達2004、黄琬玲2005、陳美容2005、張秋慧2005、施奈良2005)。また子どもたちの言語能
力についてはプラス評価からの研究もみられる(鐘重發2005)。
(3)外国籍配偶者に関係する周辺人材を対象とするもの
この分野の研究は少ないが、特に関係する人材の能力、たとえば家庭内暴力に応対するケアワー
カーの能力(孫智辰・郭俊嚴2008)や教育関係者の多元文化主義、また多元文化に関連する教材の
製作などを扱うもの(郭添財2006、李麗英2007)などがみられる。
2-3.国際結婚に関する法規
台湾における外国籍配偶者に対する管理・指導機関は、それまで僑務委員会、内政部戸政司、警
政署などにわかれていたものが一本化され、2007年に出入国管理や移民業務を専門に扱う部署とし
て<内政部入出國及移民署>(以下、移民署と略)がたちあげられた。
1990年代になって婚姻による移民が増加するまで、台湾は基本的に移民の送出し国であった。そ
のため移民を受け入れる側としての法整備は遅れ、外国人の定住を前提に整えられた法律として
は1999年の<入出國及移民法>を待つこととなった。2000年には<國籍法>が全面的に改正され、
10年以上の居留によって外国人も台湾に帰化することが可能となった27。この国籍法にはその後も
数回の改正が加えられ現在に至っている。<外籍配偶>に対しては1999年の<入出國及移民法>が
適用される28 が、大陸籍配偶者の場合は1992年に制定された<台湾地区與大陸地区人民関係条例>
(通称「両岸関係条例」)が適用され、香港マカオ居民には1997年に制定された<香港澳門関係条
例>が適用される。つまり同じ外国籍配偶者であっても、その出身地によって中国大陸籍配偶者と
それ以外の国籍を有する配偶者では適用される法律が異なっている。
台湾では1987年に中国大陸への親族訪問が解禁され交流が始まったことにより1992年には両岸関
係条例が整備され、本格的に中国からの移民を受け入れることになるが、法律上でも台湾は中国に
対して他国とは別の表現を採用している。すなわち外国人に対しては<入出國>という言葉を使用
するが、大陸籍中国人に対しては<入出境>が使われ、外国人の「帰化」に相当するものを<定居
>という表現を使っている。大陸から台湾への移動は「地域内移動」であり、台湾への実質的な帰
化は台湾への「定住」とみなす表現を使い、大陸籍配偶者は<大陸配偶(陸配)>、それ以外の外
国籍配偶者を<外籍配偶(外配)>と呼び区別している29。
外国籍配偶者に関わる法律は、<大陸配偶>と<外籍配偶>で適用される法律が異なるだけでは
なく内容が異なることもこれまで問題視されてきた。大陸籍配偶者に適用される1992年の両岸関係
条例第17条では「台湾地区人民の配偶者で、結婚して満2年またはすでに子女を出産している者は
27
帰化するためには居留条件以外にも一定の財力証明やそれまでに罪を犯していないという証明などが必要である。
この法律は外国人の居留に関するもので、合法的に外国人が継続して7年間、また外国籍配偶者やその子女が5年間継
続して居留した居留した場合に永久居留の申請を認める内容となっている。永久居留は帰化とは区別され、国籍は元の
ままである。
29
塩川太郎(2009)「移民が急増する台湾―中国大陸重視へ傾斜した移民政策―」拓殖大学海外事情研究所『海外事
情』57巻(11)pp.95-96
28
57
居留申請ができる」のであるが、この居留申請には人数制限がついていたのである。これは「適切
な数の移民を受け入れるという人口政策と安全保障上の必要性による」措置とされている30。また
大陸籍配偶者の身分証取得までに必要な期間がほかの外国籍配偶者より長いこと、また台湾での就
労許可をめぐる制限の厳しさなども大陸籍配偶者には不満が強かった。
2003年の両岸関係条例の改正により、大陸籍配偶者の身分に関する制度も2004年3月から変更さ
れた。それまで<停留><居留><定居> 31 という3段階の身分変更だったものが、<停留><依
親居留><長期居留><定居>の4段階に変更され、<定居>資格を得るまでに最短でも8年かかる
ことになってしまった。それまでの制度では停留段階では1年のうち最長6ヶ月の滞在しか許可され
ず、残りの期間は中国大陸へ戻ることが義務化されていたが、新制度ではそれがなくなり、6ヶ月
ごとの延長で連続した居住が認められるようになった32。しかし大陸籍配偶者の身分取得までのプ
ロセスは長期化・厳格化する方向に変更され、陳水扁政権下では大陸籍配偶者の管理はより一層厳
しい内容となった。
またこの両岸関係条例の修正では、偽装結婚や売買婚の防止を目的として、入国審査時に厳しい
面接制度もとりいれられることとなった。そのため陳水扁政権下では2004年度からは大陸籍配偶者
との結婚登録数が前年度の3分の1まで一気に減少している 33。2006年1月以降は国籍法の改正によ
り、大陸籍以外の外国籍配偶者が帰化申請するときには中国語の筆記や面接が義務付けられた。ま
た同年から新規の結婚仲介業者参入を認可せず、2007年の移民法の改正では企業による仲介業務は
全面禁止措置がとられ、外国籍配偶者に対する差別には罰金刑も加えられるようになった。陳水扁
政権下では外国籍配偶者にはどちらかというと保護的な政策が、大陸籍配偶者に対しては法改正や
行政の見直しとともに厳しい対応がとられ、外国籍・大陸籍ともに配偶者登録数はピーク時を下回
るようになった34。
行政院は2008年11月14日より外国籍配偶者の永住権、帰化申請および大陸籍配偶者の定住申請の
際に一定金額の財力証明が義務付けられていた規定を撤廃する35 ことを正式に発表した。行政院長
は、これにより国内に居留する外国籍・大陸籍配偶者の約16万6,000人が永住、帰化、定住を申請
する際に恩恵がうけられることになると説明し、外国籍および大陸籍配偶者は収入、納税、動産・
不動産等証明、雇用主からの雇用証明、書面による就業証明、所得等の必要書類を提出すれば政府
30
田上智宜(2010)「第4章 新移民政策の形成と展開」佐藤幸人編『台湾総合研究Ⅲ 社会の求心力と遠心力』調査研
究報告書 アジア経済研究所 pp.59-61
31
台湾は「停留」(6ヶ月以下の台湾滞在)→「居留」資格の取得(6ヶ月以上の台湾滞在)→「定居」(外国籍の場合
は「帰化」)という段階制を採用している。
32
田上(2010)前掲論文 p.61
33
背景には2002~2003年にかけて違法行為によって強制収容された大陸籍中国人数が増加したことがあるといわれてい
る。大陸籍の場合は言葉の壁が少ないため違法労働にも就きやすく、偽装結婚で入国したのちの不法就労が多いため、
中国大陸からの移民が台湾の治安を悪化させているという世論が形成された。
34
塩川(2009)前掲論文 pp.97-100
35
国籍法施行細則第7条、出入国及び移民法施行細則第16条、大陸地区住民の台湾地区における親戚訪問長期居留ある
いは定住許可弁法第32条などの3項目を改正し、一定金額をもって生活保障の必要がない基準とする規定を撤廃したも
の。
58
からの認定を受けられることになった。また国内に戸籍があり、かつ配偶者、祖父母或いは父母が
生活補助を受けていないものは上述の文書を提出することにより国籍法に規定された「生活保障の
恐れがない」という要件を満たすものと認定されることとなった36。
また同じく行政院では2008年12月に閣議で行政院大陸委員會37(以下、陸委會と略)が提出した
両岸関係条例の一部条文改正草案を通過させた。それにより大陸籍配偶者は台湾の国民身分証(国
籍)が取得できる期間はそれまでの8年から来台後6年に短縮され、台湾での就労も可能となった。
遺産相続についても200万台湾ドル(日本円で約516万円38 )までという上限が撤廃され、大陸籍配
偶者の労働権、身分権、財産権がさらに保障されることとなった。この改正について行政院長は
「合法的なものを保障し、違法なものを取り締まる」という原則を貫き、今後も就労目的の偽装結
婚には厳しく対処すると述べている39。
2009年からは中国大陸からの留学が認められるようになり、日本のように少子化にあえぐ台湾で
は学生数確保のため歓迎する大学が多いと言われるが、台湾に留学中の中国大陸籍留学生が台湾人
と結婚するケースも想定されることから、2010年5月には教育部が台湾人と大陸籍留学生の結婚に
ついて見解説明を行っている。それによると「就学目的で訪台している留学生が台湾人の配偶者と
なる場合は留学生身分が認められなくなる。また留学生身分のまま就学を継続した場合は配偶者身
分ではないので留学生期間は居留期間に加算はされず、身分証の取得はできない。また大陸からの
配偶者は技能検定試験を受験できるが、留学生は在留身分が異なるため関連専門資格や技能検定試
験を受験することも認められない」という内容になっている40。
2011年8月、今後の大陸籍配偶者の処遇について、馬英九は総統府において「もともと大陸籍配
偶者が身分証申請をするには来台後8年が必要だったが、<外籍配偶>とは4年間の差があった。そ
のためこれを6年まで引き下げたものの、まだ<外籍配偶>と2年のひらきがある。大陸籍配偶者が
台湾の配偶者ビザがある場合は規制を緩和し、就労する際に就労許可の申請をする必要がなくな
り、ただちに就労が可能となった。2009年5月~2011年5月末に就業(労働)保険に加入した外国籍
配偶者(大陸籍配偶者を含む)は29,000人余りに達した。今後大陸籍配偶者の身分証取得期間を<
外籍配偶>と同じように4年に短縮するかどうか、政府は段階的に検討していく」と述べてい
る 41。
このように馬政権は発足直後から「外国籍および大陸籍配偶者の人権を非常に重視」し、「台湾
36
台北駐日経済文化代表処:台湾週報2008年11月18日付「新移民の永住申請等の財力証明規定を撤廃」
http://www.taiwanembassy.org/content.asp?mp=202&CuItem=73139(2011/10/31)
37
行政院大陸委員会は中国大陸に関する業務全般を扱う行政院直轄機関。1990年の諮問会議を経て、1991年に正式に設
立され、香港や澳門も含めて扱っている。
38
2011年12月1日の為替レート(1台湾ドル:2.58日本円)で計算したもの。
39
台北駐日経済文化代表処:台湾週報2008年12月18日付「行政院:大陸籍配偶者の労働権、身分権、財産権の保障を強
化」http://www.taiwanembassy.org/content.asp?mp=202&CuItem=75458(2011/10/31)
40
台北駐日経済文化代表処:台湾週報2010年5月12日付「教育部:来台就学目的の中国大陸学生の結婚、専門資格取得
について」http://www.taiwanembassy.org/content.asp?mp=202&CuItem=140941(2011/10/31)
41
台北駐日経済文化代表処:台湾週報2011年8月12日付「馬英九総統が政府による男女格差是正などの成果を説明」
http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=214605&ctNode=3591&mp=202(2011/10/31)
59
も移民社会であり、外国籍または異なる時代の移民同士が、いかにして調和と包容力のある社会を
構築し、われわれの大家族のなかに素早く溶け込めるかを政府は政策の重点として考慮している」
と語り、緩和政策を次々に打ち出している42。陳水扁政権がとくに大陸からの婚姻移民に対して厳
しい対策を打ち出していたのとは反対の路線を進んでいる。
陸委會は2009年、委託調査により20歳以上の1,091人に対して電話調査を行っている。それによ
ると被調査者の77.1%は合法的な中国大陸からの配偶者が就労権を持つことに対して「賛成」と
答え、大陸籍配偶者が台湾の身分証取得期間を8年から6年に短縮することについても66.3%の「賛
成」回答があったと発表した。しかしこの期間をさらに短縮することについては50.2%の者が「反
対」と答えている。全体的な両岸交流の速度に関しては、「ちょうどよい」が44.7%、「速すぎ
る」が33.1%、「遅すぎる」が12.4%であった43。陸委會のこの発表についての見出しは「87%の国
民が台湾の現状維持を希望」とするもので、一見すると大陸への門戸開放が支持されているように
見えるが、一定数の反対があることや台湾政府内にもこうした緩和政策に対する異論(帰化の推進
により彼女たちの参政権問題が生じることへの懸念)があることには気をつけておくべきであろ
う。
3.外国籍・大陸籍配偶者の特徴
3-1.行政による調査報告書の内容
台湾では内政部や行政院國軍退除役官兵輔導委員會(以下、退輔會と略)44 がこれまで複数回に
わたり外国籍配偶者に関する大規模な調査を実施している。内政部による調査は大陸籍配偶者のみ
に焦点をあてたものではないが、外国籍配偶者全体を対象とし調査規模が大きいため東南アジア
配偶者と大陸籍配偶者の比較もしやすい。2003年調査については先行研究で触れられることはある
が、その具体的内容や2008年調査の内容に触れた日本人研究者の論文は未見である。ここでは3-2.
で<外籍配偶>と<大陸配偶>の特徴を比較するための資料として、内政部による調査報告書2篇
の概要をまとめていく45。
(1)『外籍與大陸配偶生活状況調査摘要報告』(内政部,2003)
内政部は外国籍配偶者の台湾における生活状況、子女の生育状況、就業状況に関する基礎的資料
を得るため、1987年1月~2003年8月末日までの有効外僑居留証、永久居留証を持つ者、あるいは帰
化し台湾国籍をもつ<外籍配偶>および入境停留、居留、定居46 を申請している<大陸配偶>を対
42
台北駐日経済文化代表処:台湾週報2008年11月18日付前掲記事
台北駐日経済文化代表処:台湾週報2011年8月12日付「陸委会:87%の国民が台湾の現状維持を希望」
http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=110703&ctNode=1453&mp=202(2011/10/31)
44
行政院國軍退除役官兵輔導委員會は退役軍人の労行政を所轄する行政院所管機関である。「退輔會」と省略されるこ
とが多い。
45
(1)は退輔會(2009)pp.20-21、(2)は内政部移民署(2009)pp.192-199を中心に筆者が要約したものである。
46
脚注27と同じ
43
60
象とする調査を実施した。調査対象者の24万0,837人のうち17万5,909人を訪問調査し、調査成功率
は73.0%であった(うち外籍46.8%、大陸53.2%)。
<外籍配偶>の教育程度は中卒が34.6%、小卒が31.9%、<大陸配偶>は中卒40.6%、高卒27.5%
である。台湾人夫の学歴は高校、専門学校が35.9%で最も多く、中卒が34.6%である。<外籍配偶
>の平均年齢は27歳、台湾人夫の平均年齢は39歳である。それに比べ、<大陸配偶>の平均年齢は
33歳、その夫は45歳平均である。<外籍配偶><大陸配偶>を娶った台湾人男性の身分は榮民、心
身障碍者、原住民、低収入者が多く(34,583人)、19.7%を占めている。
台湾の居留期間は2年未満が最も多く(外籍31.9%、大陸39.0%)、次が「2~4年」(外籍
30.8%、大陸22.5%)、「10年以上」は男性1,654人、女性7,105人である。台湾人配偶者との結婚が
初婚である<外籍配偶>は97.0%、再婚は2.7%、<大陸配偶>の初婚者はそれより少なく79.3%、
再婚者は19.6%、半数近くが親戚友人の紹介(46.5%)で知り合い、仲介業者の斡旋(35.9%)がそ
れに続く。
7割の<外籍配偶>には子女がおり、<大陸配偶>は5割、台湾人配偶者との間にもうけた子女の
平均数は1.5人である。日常生活の主な経済収入負担者は「配偶者」がもっとも多い(外籍73.6%、
大陸75.3%)。収入の内訳は「本人もしくは配偶者の仕事や営業収入」(外籍95.7%、大陸84.8%)
であり、榮民と大陸籍配偶者の組み合わせ家庭は「年金、撫恤金(弔慰金)、あるいは保険給付」
を日常生活における主な収入源としている(50.8%)。
<外籍配偶>の有職者は34.6%おり、工場労働が主である。<大陸配偶>の有職者は24.9%でサー
ビス業を主としている。生活指導講習を受けたことがある<外籍配偶>は2割、<大陸配偶>は1割で
ある。これから受けたい訓練は両者で大きく異なり、<外籍配偶>は語学・識字教育(64.9%)、
<大陸配偶>は職業訓練(48.3%)で、両者とも「就業保障権」が最も重要だと考えている(外籍
44.5%、大陸52.7%)が、<外籍配偶>は「生活適応指導」とそれに関連する訓練の増加を望み、
<大陸配偶>は彼女たちに対する「専門相談機関の設立」を求めている。就業に対する意欲は両者
とも変わらないが、言葉や文化の壁、政策の関係により<外籍配偶>と<大陸配偶>では台湾政府
に対する要望にも違いがみられる。
(2)『97年外籍與大陸配偶生活需求調査報告』(内政部移民署,2009)
2003年の生活状況調査後、外国籍配偶者数の増加や社会状況の変化などへの対応を目指し、2008
年10月から2009年1月にかけて、内政部は再び大規模調査47 を行った。その結果をまとめたものが
移民署による『97年外籍與大陸配偶生活需求調査報告』である。
47
この調査は2008年9月30日時点を基準として、1987年以降2008年7月末時点で有効な外僑居留証、永久居留証をもつ外
国籍配偶者、すでに台湾に帰化し台湾籍を取得している元外国籍配偶者、および停留・居留・定居申請をしている(香
港マカオ籍を含む)大陸籍配偶者を調査対象としたものである。調査対象者母数は40万7,810人、国籍と居住地に基づ
くサンプリング抽出により、各国母語に翻訳したアンケート紙持参の訪問面接調査方式で13,345人分の有効標本を得た
大規模調査である。
61
この調査で明らかになった台湾における外国籍配偶者の基本状況は以下の通りである。本人自
身の健康状態が良好と回答した者が98.0%、女性が96.5%を占めており、外国籍配偶者の教育程度
は中卒が37.1%、高校・専門学校が28.0%である。また現在の居住地は北部地区が他地域よりも
若干高い。年齢層は25~34歳が52.0%、35~44歳が25.4%である。彼女たちが台湾人夫と知り合っ
たきっかけは親戚や友人の紹介によるものが多く(52.8%)、紹介ではなく自ら知り合った者も
33.8%にのぼる。彼女たちの婚姻回数は初婚者が多く(84.9%)、再婚者は14.0%である。結婚年数
は7~10年が23.8%で最も多い。
<外籍配偶>で外僑居留証を持つ者は42.0%、身分証取得者は27.7%である。東南アジア出身
者・他国出身者にかかわらず、教育レベルが比較的高い者は元の国籍を放棄せず、台湾への帰化を
望むのは教育程度が中等以下の者が多い傾向にある。<大陸配偶>で<團聚>資格取得者は44.2%、
<依親居留>資格者は23.3%、<長期居留>資格は12.7%、身分証取得者は19.7%であった48。香港マ
カオ地区の配偶者で居留資格を持つ者は52.6%、身分証取得者は47.7%にのぼった。
外国籍配偶者と結婚した台湾人配偶者の特徴は以下のとおりである。年齢は35~44歳が41.0%で
最も多く、台湾人夫35~44歳、外国籍妻が25~34歳の組み合わせが全体の27.5%を占め最も多い。
出身国別にみた場合、東南アジア出身者と大陸出身者の台湾人夫は年齢層が高く、その他の国籍や
香港マカオ出身者の台湾人夫は年齢相応の組み合わせという特徴がみられる。夫の教育レベルは高
校・専門学校程度が40.1%で最も多く、次が中卒で24.8%、92%の者が健康状態は良好で初婚者は
76%であった。外国籍配偶者の6割以上の者が子どもをもっており、人数は1~2人が多い。子供た
ちの年齢は学齢前、小学校期の児童が多く、健康状態は良好である。
台湾人夫の8割は有職者であり、彼らが従事している業種は製造業(30.7%)、建設業
(13.8%)、小売販売業(11.8%)、サービス業(10.0%)の順となっており、仕事内容は熟練工が
もっとも多く、次に営業・販売担当、非熟練工と続いている。これも外国籍配偶者の出身国別に比
較した場合、東南アジアや大陸籍配偶者の夫はブルーカラー層が多く、その他の国や香港マカオ出
身者の配偶者になると専門職や企業、行政関連の仕事に従事している比率が高い傾向がみられた。
また東南アジア配偶者が労働に従事していない主な理由としては過重な家事負担があげられてお
り、仕事に従事している者の多くが製造業関連の非熟練工もしくは単純肉体労働者として働いてい
る。東南アジア出身者や大陸出身者はブルーカラー層であるのに対し、それ以外の外国籍配偶者は
専門職やホワイトカラー層が多いのも特徴的で、香港やマカオ出身者は事務員や技術補助者などが
多い。
外国籍配偶者が受講を希望する講座・講習は「職業教育」「語学教育」「育児教育」である。医
療衛生方面では「医療補助」「幼児健康調査」「育児知識や産前産後指導」などに対する要望が多
い。生活面では「就業権の保障」「生活保護(支援金)」「子女の教育支援」への需要が高い。
48
大陸籍配偶者は段階的に<團聚><依親居留><長期居留><定居(=身分證取得)>へと段階的に身分が変わり、
<身分證>は台湾国籍の取得、すなわち帰化したことを証明するものとなる。大陸籍以外の外国籍配偶者には<外僑居
留><居留><定居>となり、申請段階も期間も異なる。
62
3-2.大陸籍配偶者と東南アジア配偶者
2008年の調査結果でも明らかなように、東南アジアや大陸以外の出身者で比較的高学歴を有する
場合は、本人もその配偶者もホワイトカラー層が多く、男女比率もほぼ変わらない。それに対し東
南アジアや大陸籍配偶者は9割以上が女性で占められ、学歴も低く言葉や在留資格の問題もあり、
就職している者の多くがブルーカラー層である。そしてその台湾人配偶者もやはりブルーカラー層
が多い。東南アジア出身者や大陸出身者は台湾社会においても低階層者として位置づけられ、その
婚姻は必ずしも「上昇婚」ではないことがこれまでの研究によっても明らかにされており49、それ
を裏付ける調査結果となっている。
大陸籍配偶者と東南アジア配偶者は人数自体も異なっているが、問題の所在や解決すべき課題も
異なっている。大陸籍配偶者は東南アジア配偶者よりも学歴、年齢層ともに若干高いことが特徴で
ある。生活適応状況も大陸籍配偶者のほうが言葉の壁が少ないため生活適応が早い状況はみられる
が、2-3.でみたように適用される法制度が異なるため、就労の壁は大陸籍配偶者のほうが高く、結
果的に就労できているのは東南アジア配偶者が多い状況にある。
2008年報告書では、外国籍配偶者間の格差、すなわち東南アジアや大陸籍配偶者とそれ以外の国
の配偶者の多様な階層差に注目したまとめ方をしており、行政報告書の内容の変化からも<外籍配
偶>と<大陸配偶>の相違点への注目から、さらに詳細な階層差に踏み込んでいっていることがわ
かる。
王燦槐・林艾蓉(2009)の研究では、東南アジア配偶者や大陸籍配偶者と台湾人有配偶者の労働
力について比較を行い、これらの女性の「非労働力」比率は台湾女性が最も高く、大陸籍、東南ア
ジア籍と続いていることが明らかにされている。大陸籍配偶者は職業訓練を受けていても、さまざ
まな就労制限によって労働力市場に参入しにくく、東南アジア配偶者は夫やその家族の反対により
外で働きにくい状況にある。そうした制約があっても東南アジア配偶者の労働力率が高いのは、す
でに彼女たちが台湾社会で欠くことのできない労働力となっており、なにより彼女たち自身の就労
意欲が高いことが背景にあるという。
大陸籍配偶者はこれら女性たちの中で最も就労意欲が高いが、法的な規制50 により就業が阻まれ
てきた。そのため東南アジア配偶者と大陸籍配偶者では労働力市場参入率に大きな差があるが、
いったん労働力市場に参入すると、大陸籍配偶者は失業や労働時間の短さ、低所得などの問題に直
面することが東南アジア配偶者よりも低く、比較的安定した就業状態に落ち着いていく。また就
業状況は東南アジア女性がもっとも低所得で、労働時間ももっとも短く、それに大陸籍女性、台湾人
女性と続いている。この論文では東南アジア女性の場合は言葉の問題が大きいと分析されている51。
ただし就労率については2-3.でみたように2008年12月から大陸籍配偶者の就労条件が緩和されたた
49
たとえば横田(2008)、奥島(2008)、安里(2008)らの研究など。
<外籍配偶>は<外僑居留證>が取得できた段階で就労申請が可能であり、入国後4ヶ月で国民保険の加入も可能と
なる。<大陸配偶>は短期滞在→長期滞在(居留證の取得)により就労申請が可能となるため、両者の就労条件は異
なっている。
51
王燦槐・林艾蓉(2009)前掲論文 pp.122-129
50
63
め、今後の調査では大陸籍配偶者の就労率が上昇する可能性が考えられる。
藍佩嘉(2006)の研究によれば、婚姻移民たちは国籍が異なると関心を示す権利意識も異なると
いう。たとえばアメリカ国籍の配偶者は仕事の関係で台湾に来ることが多く、その後自由恋愛で結
婚するケースが多いため経済的に自立しており、夫や夫家族への経済的依存度は低く、台湾に帰化
したいという希望はほかの国の配偶者に比べて少ない。日本国籍の配偶者は生活適応や言語文化の
習得に意欲が強く、総体的にベトナム人は帰化と平等な権利をもとめ、労働市場への参加権利、子
女の監護権、永住権や差別偏見に反対する権利を最も重視している52。
これまでの外国籍配偶者に関する研究では、東南アジア出身の配偶者たちは夫やその家族に<傳
宗接代>(跡継ぎの出産)を求められており、結婚後2年以内に出産する者が多いという指摘がみ
られた。外国籍配偶者を妻とする台湾人男性は一般に社会的地位が低く、台湾での配偶者探しが困
難であるため、経済後進国から花嫁を娶ることを主因とする指摘である。対して大陸からの配偶者
は本人たちの渡台目的が「就労」であるといわれ、実際に彼女たちの台湾政府に対する要望も就労
権に対する要求がいちばん強いとの指摘が多かった。小島(2007)によれば、台湾の国際結婚にお
いては第1子出産年齢に夫と妻双方の年齢が影響を与えているが、これは外国人妻の結婚年齢が低
く、夫婦間の年齢差が大きいことが反映されているという。また東南アジア出身者よりも大陸出身
者のほうが晩産、晩婚傾向が強いことが明らかにされている53。
経済格差のある後進国からの花嫁たちとの国際結婚は台湾の研究者によっても<商品化的跨國婚
姻>と称され、直截的に「売買婚」あるいは「貿易婚」と呼ばれることもある。外国籍配偶者たち
が<外籍新娘>と呼ばれ、大陸籍配偶者が<大陸新娘><大陸妹>などと呼ばれることが差別的だ
として、2003年7月には大陸からの配偶者を<大陸配偶(陸配)>、それ以外の国の配偶者を<外
籍配偶(外配)>と呼ぶように<行政院婦女権益促進委員會>が変更を決定、翌月には内政部から
各政府機関へ統一呼称の使用が要請された。しかしこれは公的機関における統一呼称であり、一般
市民がすべてこの呼称を使っているわけではない。一般市民の間で広く使われる言葉にある種の貶
義が含まれ、そのような使われ方をしてきたことにも外国籍配偶者たちの置かれている立場の一端
が垣間見られる。
前述したように内政部戸政司の統計によると、2011年9月末時点で台湾における離婚件数全体に
占める台湾人夫婦の割合は75.1%、外国籍配偶者の場合は24.9%で全体の4分の1を占めている。こ
れをさらに詳しくみていくと大陸出身者は全体の15.1%、東南アジア出身者は8.4%で、大陸出身者
が東南アジア出身者の倍となっている54。先述したように両地域の在台配偶者数そのものに倍以上
の差があるため、大陸出身者の離婚者数全体に占める割合が東南アジア出身者よりも高いのは当然
の帰結であるはずだが、こうした数字の独り歩きがメディアや斡旋業者などが唱える「ベトナム人
女性はおとなしくて台湾人にあう」「大陸女性は気が強く扱いにくい」というステレオタイプなイ
52
内政部入出國及移民署(2009)『大陸及外籍配偶生活處遇及權益之研究』p.12
小島宏(2007)「国際結婚夫婦の家族形成行動―日本と台湾の比較分析」中央大学『経済学論纂』第47巻第3・4合併
号 p.187
54
内政部入出國及移民署全球資訊網(2011)前掲資料
53
64
メージ戦略に影響を与えている可能性は否定できない55。また大陸籍配偶者が東南アジア出身者よ
りも就業に強い意欲を持ち、大陸の実家への送金にはげむ傾向が強いという調査結果なども、「金
儲け主義」「偽装結婚による不法就労や風俗就労をしてまで金が欲しい」といったイメージ形成の
背後に潜んでいるように思われる56。
3-3.社会的弱者としての外国籍配偶者
游美貴(2008)によれば、台湾の女性保護シェルターには4~6割程度の大陸籍及び東南アジア
籍配偶者が収容されているという。もとは台湾人女性の保護を目的として設置されたシェルターだっ
たものが、現在はそうした外国籍配偶者の保護を主体とする施設に変化しているのだという57。こう
した社会的弱者58 の外国籍配偶者たちは、言葉の問題や文化の違い、また滞在身分の制限などがあ
り、生活を夫やその家族に依存せざるを得ない状況に置かれている。家庭によっては彼女たちの行
動を制限し、パスポートをとりあげるなどによって女性が逃亡し、結婚生活の破たんを免れようと
する場合もある。また言葉や文化の壁は彼女たちの生活や行動圏も狭め、家族以外との接点が非常
に少ない状況に置かれることになる。さらに彼女たち自身が台湾に来る前に想像していた生活との
落差の大きさ、とくに宗教や飲食習慣、親族関係などにカルチャーショックを受けることも少な
くない。また1人の独立した人格として扱われるのではなく、家庭生活を維持し家事や育児に追わ
れ、跡継ぎを産むための役割期待を過剰に担わされることへの落胆も大きい。
そうした弱い立場の外国籍配偶者は、たとえ不快なことがあっても、身分証を取得するまではと
にかく我慢するしか選択肢はない。その結婚生活から逃れることを考えると、子供の親権を含め合
法的に台湾に居住する権利も失ってしまうからである。そのことを危惧し、不幸な婚姻であっても
耐えようとするのだと游は述べている。たとえ身分証を取得し離婚できたとしても、彼女たちが台
湾で経済的に独立して生計を維持していくためには長い時間を必要とする。経済的な依存は加害者
が威嚇的に女性を拘束することを助長し、彼女たちが外部に助けを求めることさえためらわせてし
まう力学を働かせてしまうのだという。
このような背景から進められた内政部移民署の委託研究『大陸及外籍配偶生活處遇及權益之研
究』(2009)59 では次のようなことが明らかになっている。すなわちこうした弱者外国籍配偶家庭
では、「彼女たち自身が家計を支える主体となっており、収入など経済的問題が最も大きな生活上
55
こうした個人の性格や個性をみるのではなく、婚姻移民が出身国別のステレオタイプな位置付けがされていることに
ついては奥島(2008)pp.29-37が詳しい。
56
近年大陸籍配偶者は性格が強いという印象をもたれ、配偶者としても労働者としてもあまり好まれない傾向にあると
いう。特に職業を探す場合、雇用者側が不法就労と思われ罰せられることをおそれ雇用が進みにくい。舅姑との関係は
東南アジア花嫁の場合は経済問題、大陸籍花嫁の場合は家事が問題となるケースが多く、アンケートなどの量的調査で
は2割くらいが舅姑と問題ありと回答している。舅姑との関係では、そもそも年配者側に外国籍配偶者に対する偏見が
強いことが多いといわれている。
57
内政部入出國及移民署(2009)『大陸及外籍配偶生活處遇及權益之研究』pp.6-8
58
游の定義によれば「低収入(生活保護)世帯、台湾人配偶者が心身障害者、現在片親家庭である、現在家庭内暴力問
題を抱えている」という4項目に該当する者をさす。
59
本調査報告書の内容については紙幅の関係により別稿で詳細に扱う。
65
の困難であること、婚家との人間関係のなかでもとくに嫁姑関係などが重要であること」である。
4.榮民の婚姻状況
前述したように台湾における「婚姻移民」の研究では、近年増加し「新移民」となった外国籍配
偶者たちのおかれている現状と課題、あるいは東南アジア出身の配偶者と大陸籍配偶者を比較し
て、その日常生活適応度や政府に対する要望の相違などについて言及されたものが多くみられる。
しかし大陸籍配偶者たちの台湾人配偶者が榮民であるか否か、また夫が榮民であることが日常生活
での家庭内役割や彼女たちの要望(たとえば強い就労要求)に影響を与えているのではないかとい
う点について検討されているものはみあたらない。ここではさまざまな統計や調査報告をもとに榮
民と大陸籍配偶者の婚姻の特徴を抽出していく。
4-1.2010年の榮民の東南アジア・大陸籍配偶者との婚姻統計
【現状】
退輔會資料によれば、台湾政府が1993年に受入れを認可し、2010年9月末までに榮民の配偶者と
して台湾にやってきた大陸籍配偶者数は32,304人、同時期の台湾における大陸籍配偶者数29万人の
約11.0%にあたる60。離婚や死去などを除く現存数は28,580人(榮民は20,633人、死去7,947人)であ
る(表3)。それに対して同時期の東南アジア配偶者数は2,410人で、台湾全体の大陸籍配偶者以外
の東南アジア配偶者数15万人の1.7%にすぎない(表4)。榮民と結婚している台湾人以外の配偶者
数30,990人のうち、大陸籍配偶者と東南アジア配偶者の比率はおよそ9:1(92.2%:7.8%)で大陸
籍配偶者が圧倒的に多いことがわかる。身分証については取得しているものがおよそ35%、未取得
者が65%と大陸籍配偶者、東南アジア配偶者のいずれもほぼ同程度の割合となっている。
表3 榮民の大陸籍配偶者統計(2010年9月末)
(単位:人)
大陸籍配偶者
身分証取得者
身分証未取得者
榮民との間の子女
無
有
子女数合計
7歳未満
7-12歳
13-15歳
16-19歳
20歳以上
総計
28,580
9,939
18,641
(%)
24,958
3,622
5,128
1,623
2,198
724
427
156
87.3
12.7
34.8
65.2
31.6
42.9
14.1
8.3
3.0
榮民数
20,633
7,622
13,011
17,477
3,186
4,578
1,576
1,979
580
323
120
死去榮民数
7,947
2,317
5,630
7,511
436
550
47
219
144
104
36
出所:退輔會HP業務統計より筆者作成
60
行政院國軍退除役官兵輔導委員會HP性別統計資料 本節の統計資料はすべてこのHPを参照している。
http://www.vac.gov.tw/content/index.asp?pno=677(2011/11/27)
66
表4 榮民の東南アジア配偶者統計(2010年9月末)
(単位:人)
総計
(%)
榮民数
死去榮民数
東南アジア配偶者
2,410
身分証取得者
827
34.3
766
61
1,537
65.7
1,512
71
身分証未取得者
2,278
132
榮民との間の子女
無
1,190
49.4
1,088
102
有
1,220
50.6
1,190
30
1,766
42
子女数合計
1,808
7歳未満
988
54.6
973
15
7-12歳
753
41.6
729
24
13-15歳
40
2.2
40
0
16-19歳
27
1.5
24
3
出所:退輔會HP業務統計より筆者作成
また表5と表6を比較するとあきらかなように、大陸籍配偶者と東南アジア配偶者と結婚している
榮民自身にも大きな差異があり、大陸籍配偶者と結婚している榮民の7割以上が65歳以上の高齢者
であるのに対し、東南アジア配偶者と結婚している榮民の半数以上が49歳以下である。そのため大
陸籍配偶者との間には子どもがいない榮民が9割近くにのぼり、東南アジア配偶者との間には半数
の者が子女をもうけている。榮民自身の平均年齢が大陸籍配偶者と結婚している榮民より若いた
め、子女の半数以上が7歳未満であり、12歳以下の子どもが96%にのぼる。それに対し大陸籍配偶
者の場合は13歳以上の子女が25.5%で、うち3%は20歳以上である。
表5 大陸籍配偶者と結婚している榮民統計(2010年9月)
(単位:人)
総計
総計
(%)
20,633
(%)
49歳以下
50-64歳
65歳以上
(青壮年)
(中高年)
(老年)
2,994
2,517
15,122
(14.5)
(12.2)
(73.3)
大陸籍配偶者年齢
39歳以下
40-59歳
60歳以上
3,996
(19.4)
2,305
1,048
643
12,785
(62.0)
689
1,454
10,642
3,852
(18.7)
0
15
3,837
平均年齢(歳)
榮民
73.4
44.3
55.5
82.2
大陸籍配偶者
49.9
35.7
41.2
54.2
年齢差
23.5
8.6
14.3
28
出所:退輔會HP業務統計より筆者作成
67
表6 東南アジア配偶者と結婚している榮民統計(2010年9月)
(単位:人)
総計
総計
(%)
2,278
49歳以下
50-64歳
65歳以上
(青壮年)
(中高年)
(老年)
1,267
(%)
(55.6)
666
(29.2)
345
(15.1)
東南アジア配偶者年齢
39歳以下
40-59歳
60歳以上
1,960
(86.0)
1,254
577
129
254
(11.2)
12
88
154
64
(2.8)
1
1
62
78.9
平均年齢(歳)
榮民
52.2
43.5
54.9
東南アジア配偶者
37.2
32.1
38.3
53.6
年齢差
15.0
11.4
16.6
25.3
出所:退輔會HP業務統計より筆者作成
4-2.榮民の大陸籍配偶者に関する行政の調査研究
ここでは行政院國軍退除役官兵輔導委員會(以下、退輔會と略)61 が実施してきた榮民の大陸籍
配偶者に関する3篇の調査報告書の概要をまとめ62、榮民と大陸籍配偶者の婚姻に関する特徴を抽
出したい。
(1)『中華民國91年台閩地區榮民有大陸配偶者家庭状況調査報告』(退輔會,2002)
19,491名の大陸籍配偶者と結婚した榮民のうち、31.9%は就養(扶養を受けている)、68.1%が
非就養である。非就養榮民のうち毎月年金をもらっている者は43.1%、退職金として一括受取りを
した者が22.4%、年金を受給していない、もしくはその他が2.6%であり、半数以上の大陸籍配偶
者を娶った榮民は経済的にゆとりがないだけでなく逼迫している者もいる。榮民の平均年齢は69.9
歳、65歳以上の<老年>が約8割(81.4%)を占め24~50歳の<青壮年>が14.8%、50~64歳の<中
高年>は3.8%に過ぎなかった。すなわち大陸籍配偶者と結婚している榮民は高齢者が大部分を占
めることがわかる。それに対して榮民と結婚している大陸籍配偶者の平均年齢は43.7歳、青壮年は
69.2%、中高年は24.9%、65歳以上の老年は5.9%にすぎない。
大陸籍配偶者と結婚している榮民の平均年齢は70歳前後ではあるが、64.9%は健康状態が良好で
あり、持病もしくは心身障害があるが日常生活は自立している者が30.8%、持病もしくは心身障害
により自立生活ができない者は4.3%である。83.7%の榮民が高齢期の結婚の主な目的は自分の身の
61
行政院國軍退除役官兵輔導委員會は退役軍人の労行政を所轄する行政院所管機関である。「退輔會」と省略されるこ
とが多い。
62
退輔會(2009)pp. 17-19、pp.205-214、中文摘要Ⅰ~Ⅱ から筆者がまとめたもので、ここでは政府報告書の調査結果
のみをとりあげる。
68
回りの世話もしくは日常生活の伴侶探しと回答している。全体的に榮民と大陸籍配偶者の婚姻関係
は<老少配>63 で年齢差が30歳ほどあるが、榮民の健康状態はまずまずの状態であり、日常生活の
必要に迫られて、というよりも将来的に健康状態が衰えたときに世話をしてもらうため、という理
由による。
多くの大陸籍配偶者の教育程度は低く、中卒以下が66%程度を占める。高卒は26%、専門学校以
上は8.2%にすぎない。大陸籍配偶者の71.5%が再婚で、初婚者は26.8%、2回以上が1.7%である。
その多くが親戚友人の紹介(79.0%)で榮民と結婚し、<探親>(親戚訪問)や観光などで知り
合ったのは16.5%、1.0%が仲介業者の斡旋によるとしている。大陸籍配偶者の就業状況はフルタ
イム労働が3.7%、パートタイムが3.7%、無職が88.0%である。すでに身分証を取得している者は
4.3%、居留証は14.2%、居留身分を申請している者が52.8%であった。
(2)『榮民娶大陸配偶情形及服務協助之研究』(退輔會,2004)
内政部統計資料によれば大陸籍配偶者を娶った台湾男性の平均月収は2~4万台湾ドル(59%)
で、その多くが老榮民、心身障害者、農村困窮者もしくは都市郊外のブルーカラー層などであり、
経済状況は共働きでようやく日常生活を維持できる程度である。しかし関連法規により大陸籍配偶
者は定期的に大陸に戻らねばならず、身分証の取得には何年もかかり、こうした往復の交通費など
の負担が経済弱者たちには重くのしかかっている。大陸籍配偶者の権益については居留権、就業権
と健康保険が求められている。榮民と大陸籍配偶者の間に生まれた子女も3,000人程度いるが、<
老夫少妻>の家庭環境のなかで成長するだけでなく、日常生活においても両岸の対立した意識(大
陸vs台湾)が交錯する中で育っている。子女の教育やそのアイデンティティについては関連機関の
重要な検討課題となりうる事象である。
本研究によれば3.9%の榮民(21,287人)が大陸籍配偶者と結婚しており、大陸籍配偶者と結婚し
ている榮民は榮民全体のなかでも低階層者であるという特徴をもっている。総体的に老年榮民の教
育程度は低く、健康状況もあまりよいとは言えない。大陸籍配偶者を娶る主な目的は自分の身の回
りの世話であり、青壮年榮民の教育程度は中等レベル以上、健康状態も比較的よく、多くが職業に
就いている。結婚の目的は家庭をつくること、すなわち<傳宗接代>である。42%の老年榮民は毎
月の主な収入が軍人恩給であり、32%が毎月養老年金をもらう経済弱者である。台閩地区の一般家
庭では84%が持ち家に住んでいるが、大陸籍配偶者を娶った榮民の持ち家率は58%と少ない。また
台湾地区の一般男性79.8%が結婚に満足しているのに対し、大陸籍配偶者と結婚した榮民の満足度
は63.7%、不満と答えた者が13.5%にのぼる。
榮民と結婚した大陸籍配偶者の結婚時の年齢は高く、教育レベルは中学程度、75%が再婚であ
り、68%は前夫との間に子女がいる。8割以上の大陸籍配偶者が親戚友人の紹介で知り合ったと
述べ、17%は榮民が親戚訪問や観光で大陸に渡った際に知り合い、仲介業者の斡旋は3.5%であっ
63
夫婦の年齢が離れており、夫は高齢、妻が若いことを指す。<老夫少妻>と同じ。
69
た。8割程度の大陸籍配偶者が日常生活では主に榮民の年金収入に頼っていると答え、自らの仕事
の収入と答えた者は17%であった。
被調査者のうち2,170世帯に子女があり、その人数は2,983人である。各世帯の平均子女数は1.4
人、2,511人の子女が台湾で生活している。それ以外は大陸の実家に預けてあるという。800名の大
陸籍配偶者が職業訓練を受けたと答え、受講した訓練の内容の多くが在宅看護と在宅ケアサービス
に集中している。2,000人の大陸籍配偶者がこれから職業訓練を受けたいと言っているが、大陸籍
配偶者の夫である榮民の多くが老年期にさしかかっており、今後10年で大陸籍配偶者が榮民遺族と
して退役給与の半額を受け取ることが大きな課題となる。
(3)『榮民之大陸及外籍配偶就業、就學與福利服務規劃之研究』期末報告書(退輔會,2009)
本研究は退輔會が國立臺灣師範大學に委託し2007年から2008年にかけて調査を実施したものであ
る。この調査ではとくに榮民とその配偶者の家庭状況について詳細に調べ、労働市場への参加経験
や需要について提言を行う目的で実施され、アンケート調査に加え訪問個別面談、グループ面談が
行われている64。
【研究結果】65
①榮民の大陸籍配偶者の特性:被調査者の9割が大陸籍配偶者であり、<老夫少妻>である。<大
陸配偶>の平均年齢は50歳、榮民の平均年齢は73歳で、平均年齢差は23歳である。大多数の大陸籍
配偶者が高卒学歴で、台湾に来る前は大陸で仕事をしていた者がほとんどである。70歳前後の榮民
が40~50歳の東南アジア籍もしくは大陸籍配偶者と結婚するケースが多くみられ、こうした榮民の
7割はすでに退職しているが、15%程度の榮民はまだフルタイムでの仕事をしている。大陸籍配偶
者と結婚している榮民の66%は初婚、反対に大陸籍配偶者は65%が再婚である。
②生活適応と婚姻関係:日常生活における言語上の困難は少ないが、社会的支持の面が欠けてい
る。榮民の大部分が年金受給者であるため贅沢はできないまでも生活できないほどの困窮状態では
ない。また榮民と大陸籍配偶者は結婚後、話しあって年金の中から一定金額を小遣いとして大陸籍
配偶者に渡している場合が多い。ただその婚姻関係は夫妻というより父娘のような関係性である。
③就業とケア:榮民と結婚した半数以上の東南アジア配偶者と大陸籍配偶者が日常生活において家
庭成員の世話をしていると回答している。うち65%は主に榮民の世話をしており、3割は主に子女
の世話をしていると答えている。2割の配偶者がそのケア負担が重いと答えている。6割の配偶者が
仕事をしておらず、その理由は主に家族の世話で外に働きに出られないというものである。24%程
度は適当な仕事がみつからないことを理由にあげている。受けた教育、年齢、職業上の身分および
64
面談は8縣市32名の榮民の大陸籍配偶者及び労委會、退輔會、移民署の担当者に対して行われた。集団面接では政策
立案者である陸委會、退輔會、移民署、内政部、教育部、勞委會及び外交部などの機関、サービス提供者としては北
部、中部、南部の移民署服務處、勞委會就業服務站、退輔會榮民服務處及び内政部新移民家庭服務センターを主として
いる。アンケートは15,046部を回収し、うち大陸籍配偶者は13,822名であった。
65
退輔會(2009)前掲書 pp.185-193
70
家族の世話などの制限を受け、大陸籍配偶者の多くが看護、清掃、飲食サービス業などに就いてお
り、資格制限などによって職業訓練に参加する意識はあまり高くない。
4-3.榮民と結婚している大陸籍配偶者の特徴
【統計小括】
2010年9月末までに榮民の配偶者として台湾にやってきた大陸籍配偶者は32,304人で、同時期の
台湾における大陸籍配偶者総数29万人の約11.0%にあたる数であることがわかった。大陸籍配偶者
と東南アジア配偶者の比率はおよそ9:1(92.2%:7.8%)で大陸籍配偶者が圧倒的に多い。
大陸籍配偶者と結婚している榮民の7割以上が65歳以上の高齢者であるのに対し、東南アジア配
偶者を娶っている榮民の半数以上が49歳以下である。そのため大陸籍配偶者との間には子どもがい
ない榮民が9割近くにのぼるのに対して、東南アジア配偶者との間には半数の者が子女をもうけて
いる。すなわち結婚の目的が老後の介護のためならば大陸籍配偶者、比較的若い配偶者を娶り跡継
ぎの出産に重きを置く場合は東南アジア配偶者が選ばれている可能性が高い。
【調査報告(1)の小括】
榮民と結婚している大陸籍配偶者の多くが中年の再婚女性であり、教育レベルは中等学歴、9割
近くが無職者であることがわかった。また夫である榮民はおよそ70歳が平均年齢で、配偶者との年
齢差は平均30歳ひらいている。65%程度の榮民が健康状態は比較的良好であるが、大陸籍配偶者と
の結婚は現在必要に迫られてというよりも、将来的に介護を担ってもらう人を確保しておきたいと
いう「保険をかける」動機であると回答した者が8割を超えている。
【調査報告(2)の小括】
この調査では、榮民のなかでも低階層者が大陸籍配偶者と結婚しているという現実が明らかに
なった。大陸籍配偶者たちの75%は再婚者であり、7割近くの者に前夫との間の子女がいる。また
その大部分の者が前夫との間の子女を大陸において渡台している。このことからも榮民と大陸籍配
偶者の結婚がお互いの感情を基礎として成立したものではなく、いずれも双方の利害関係(介護者
がほしい榮民と将来的な就業のため台湾での生活基盤がほしい大陸籍配偶者)が一致した婚姻だと
考えたほうが理解しやすい。
【調査報告(3)の小括】
この調査では、榮民と大陸籍配偶者の年齢差は23歳で、婚姻関係が夫婦というよりも父娘の関係
性に近いと分析している。ほかの調査同様に榮民は老後の世話、大陸籍配偶者は実家の経済状況か
らほかに選択肢はない、という双方の利害関係の一致状況が浮き彫りになっている。また分析者は
このような榮民と大陸籍配偶者の組みあわせが「ケア労働の人材不足を補うもの」として機能する
と明言している。
71
5.介護者役割を担う大陸籍配偶者
5-1.調査報告に見る大陸籍配偶者の全体像
ここでは中華救助總會 66 が2007年と2009年に出版した大陸籍配偶者への支援活動報告書の中か
ら、「在台大陸配偶生活状況問巻調査統計分析」67 をとりあげる。支援団体による大陸籍配偶者の
みを対象とした調査68 であるため、大陸籍配偶者固有の特徴を抽出してみたい。
2006年~2007年と2008~2009年の調査内容や尋ね方は必ずしも一致しておらず、2008~2009年の
調査項目のほうが多く、質問内容も多岐にわたっている。大陸籍配偶者の基本状況については両
調査であまり変化はみられない(表7)。変わったのは出身地の第4位が広東省から浙江省になった
点、年齢層は30代が最も多いことに変化はないが、2位が20代から40代になったこと、配偶者と知
り合うきっかけに仕事関連がはいったことくらいである。
表7 救助總會調査<大陸配偶>基本状況
調査年
調査総数
2006~2007
2008~2009
2,489人
1,846人
出身地
①福建(20.3%)
②湖南(14.7%)
③広西(10.6)
①福建(19.3%)
②湖南(15.2%)
③広西(10.6%)
年齢層
①30~39歳(38.4%)
②20~29歳(23.9%)
③40~49歳(20.5%)
①30~39歳(37.6%)
②40~49歳(22.9%)
③20~29歳(17.4%)
①中卒(36.4%)
②高卒(38.6%)
③専門学校以上(13.6%)
①中卒(40.2%)
②高卒(30.1%)
③小学以下(12.2%)
出会い
①親戚友人(69.3%)
②旅行中(9.0%)
③仲介業者(8.4%)
①親戚友人(66.8%)
②仕事で(12.7%)
③仲介業者(8.3%)
婚姻年数
①6~10年(24.4%)
②5年以内(19.3%)
③16~20年(19.0%)
①6~10年(49.1%)
②5年以内(44.2%)
③11~15年(4.6%)
学歴
①10歳差(39.0%)
配偶者との年齢
②20歳差(28.5%)
差あるいは年齢
③5歳差(19.7%)
①60歳以上(28.9%)
②40~49歳(27.4%)
③30~39歳(26.9%)
出所:中華救助總會(2007)
・
(2009)より筆者作成
66
1950年に中国大陸災胞救済総会として設立され、当初は民間団体として中国大陸から台湾や香港などに逃れた中国人
の援助活動を行っていた。現在は国内外の災害救助を中心に活動しており、その一環として大陸からの配偶者支援活動
を行っている。
67
中華救助總會(2007)『服務在台大陸配偶工作專輯3』pp.36-71、(2009)『服務在台大陸配偶工作專輯4』pp.31-70
68
この調査は、台湾全土で中華救助總會主催が実施した<大陸配偶>及びその家族に対する法令説明会に集まった参加
者に対して行ったものである。そのため被調査者はこうした説明会や救助總會の活動に対して比較的関心が高い者が多
いという特徴があり、また<大陸配偶>の台湾人配偶者が必ずしも榮民ではないことに注意する必要がある。しかし直
接的な支援活動を行っている団体による調査であるため、被調査者が協力的に回答しているという側面もみられる。
72
この調査で注目すべき点は以下の配偶者状況である。2006~2007年調査では配偶者との年齢差
が10歳差、20歳差、5歳差という順位ではあったが、30歳差と回答した者が291人(12.8%)あっ
たこと、また配偶者の年齢が65歳以上と答えた者が681人(28.1%)、すなわち台湾人配偶者のお
よそ3人に1人は高齢者であったということである。また配偶者の健康状態や収入については277人
(11.5%)が心身に障害を持っていると回答し、208人(8.6%)が低収入戸つまり生活保護対象世
帯であると回答している(表8)。
表8 台湾人配偶者状況
65歳以上か
人数
心身障害はあるか
(%)
人数
(%)
低収入戸であるか
人数
(%)
Yes
681
28.1
277
11.5
208
8.6
No
1,739
71.9
2,143
88.5
2,212
91.4
合計
2,420
100
2,420
100
2,420
100
出所:中華救助總會(2007)pp.43-44より筆者作成
また2008~2009年調査では台湾人配偶者の健康状態についてさらに詳細に尋ねており、「持病
や障碍はあるが自立生活ができる」と回答した者が226人(13.9%)、「自立生活が困難で介護が
必要」と回答した者が112人(6.9%)、「長年にわたり寝たきり生活」が18人(1.1%)となってい
る。すなわち大陸籍配偶者と結婚した台湾人夫の21.9%、5人に1人は身体に何らかの病気か障碍を
有する者であることがわかる(表9)。また夫の経済状況については、安定した仕事に就いている
者は49.8%、退職者が408人(27.0%)、レイオフ中が335人(22.1%)であり、配偶者の2人に1人は
現在無職状態にあることがわかる。大陸籍配偶者の婚歴は674人(39.4%)が再婚者で3回以上とい
う者も53人(3.1%)にのぼり、大陸籍配偶者自身の平均年齢も高いが、その4割以上が初婚ではな
いという特徴をもっている(表10)。
表9 台湾人配偶者の健康状態 表10 台湾人配偶者の就業状況
健康状態
人数
%
1,271
78.1
持病、障碍(自立可)
226
要介護
112
寝たきり
良好
合計
就業状況
人数
%
就業中
754
49.8
13.9
退職
408
27.0
6.9
レイオフ中
335
22.1
18
1.1
その他
16
1.1
1,627
100.0
1,513
100.0
合計
出所:中華救助總會(2009)p.39 出所:中華救助總會(2009)p.40
いずれの調査においても、結婚相手の台湾人配偶者の条件がよくないことが明らかになってい
る。親戚友人の紹介や仲介業者の斡旋によって結婚したと回答した者がどちらの調査でも8割近く
にのぼり、仕事や旅行等をきっかけとして自ら配偶者と知り合った者は2割を切っている。中国大
73
陸でも家格については<門当戸対>すなわち同レベルであることを重視する傾向はいまだにみられ
るが、一般に<男高女低>69 の婚姻観をもつ中国人同士であれば、条件の悪い台湾人男性と大陸籍
配偶者との婚姻に介在するのは、やはり両地域の経済格差を念頭におくのが妥当な考え方であろ
う。また台湾人夫の3人に1人が65歳以上という現実を考えると、台湾人夫が結婚に求める条件と大
陸籍配偶者が求めるものの利害が一致しないとこうした婚姻は成立しない70。
2009年の調査では、アンケートの集計結果をさまざまな因子でクロス分析にかけている。それに
よって明らかになったのは以下のようなことである。
・台湾人配偶者との出会いが旅行、仕事、インターネットなど、自ら直接知り合った場合は比較的
夫婦関係が円満であるが、親戚友人の紹介や婚姻紹介所による場合は夫婦間の親密度が低い傾向に
ある。
・夫婦間の円満度は大陸籍配偶者が初婚ではなく再婚である場合がもっとも高い。
・身分証取得資格に関わるため、来台年数が大陸籍配偶者の生活適応に影響を与えている。
・離島に居住している大陸籍配偶者をのぞき、多くの者が行政への問題解決を求めず、台湾人夫の
義家族への支援要請や場合によっては自ら処理し、外部へ助けを求めない傾向が強い。
・大陸籍配偶者に対するさまざまなサービスの利用頻度には居住地が影響している。
・大陸籍配偶者はすでに欠かすことのできない存在になっているにもかかわらず、彼女たちに関す
るマイナス報道が多いため、台湾社会全体が彼女たちに対してステレオタイプの印象をもってい
る。
大陸籍配偶者の社会適応状況について尋ねた項目については「身分証を得るのが困難
(90.9%)」「就業が困難(84.0%)」「他の台湾人との交流が難しい(100%)」「経済圧力有
り(52.6%)」「就業問題有り(59.1%)」となっている。先にみたように大陸籍配偶者の台湾人
夫の2人に1人は無職であり、大陸籍配偶者自身の無職率も75.6%と8割近くを占めている。そのた
め経済状況については50.9%が「収入が足りない」と答え、「なんとか維持している」が42.6%で
あった。
大陸籍配偶者が最も欲しい情報は就業機会に関するものである。「いちばん受けたい職業訓練」
は ①PC操作(31.0%)、②料理(15.2%)、③専門技術(14.7%)となっており、「就きたい職
業」は ①看護(医院、個人宅)(18.8%)②サービス業(商品販売)(19.5%)である。
大陸籍配偶者の半数以上(56.3%)は現在の台湾人配偶者との間に子どもはいないと回答してい
るが、居住形態をみると配偶者の親(37.8%)、配偶者の兄弟姉妹(20.1%)との同居も少なくな
く、家族成員数が4人以上の者が半数を占めているのも特徴である。
2008年1月から2009年8月までに救助會に対する相談件数は550件(うち電話相談486件)あり、
69
学歴・収入・身長など、すべての点において男性が女性より優位であることを望む価値観のこと
この点については横田(2008)pp.81-83の結婚移民の定義や台湾の婚姻慣例も参考になる。
70
74
「居留・身分・仕事」に関するものが23%、「法律・家庭」に関するもの46%、「各種講習会等に
関する問い合わせ」が31%である。具体的な相談内容は身分に関するものは「各段階での身分延期
や変更手続きに関する内容」「台湾における生活に関する問い合わせ(保険加入や口座開設など全
般)」「離婚や死別による台湾での居留身分に関するもの」「夫が保証人になりたがらない場合」
などであり、法律や家庭に関する内容では(1)大陸籍配偶者の親戚に関する問題(連れ子がいつ
台湾に来られるか、居留権を得られるか、大陸の父母がいつ会いに来られるか、その手続きや制
限)、(2)夫婦の感情問題(離婚をどのように進めればいいか、自身の権益保障、子女の監護権、
身分証に関する問題、大陸に戻って再来台するにあたって夫が非協力的)、(3)経済問題に関する
もの(社会福祉を理解したい、経済援助をしてもらいたい)などとなっている。
一般に大陸籍配偶者は言語や文化の壁が東南アジア配偶者よりも少ないという解釈がよくされ
るが、筆者がこの調査報告の中でもっとも注目したのは、生活適応の質問に対し、大陸籍配偶者
の2割が生活に適応していないと回答し、その理由が「言語(36.7%)、観念(23.7%)、生活習慣
(21.1%)、家庭成員(10.7%)」の順になっていることである。大陸と台湾は同じ中華圏ではあ
るが、政治体制や経済発展の状況が異なり、何よりも国土面積が異なる。中国大陸ではその国土の
広さゆえ、テレビでは標準語字幕がつけられることが一般的であり、北方と南方では飲食や金銭を
含む相対的価値観も異文化と表現しても過言ではないほどの違いがある。大陸内でもそのような状
況であることを考えると南方文化圏で国土の狭い台湾との生活習慣の違いや言語の問題は一般に考
えられているよりも深刻であることが明らかであり、台湾人夫が本省人であれば、言語問題は日常
生活においてもかなり大きな障害となることが想像できる。
5-2. 退輔會(2009)の分析
71
退輔會の報告書では榮民の大陸籍配偶者との面談調査の結果、次のような分析をしている。少し
長いが、重要な部分であるので訳出して掲載しておく。
榮民の多くは大陸への里帰りの際に親戚友人の紹介により大陸籍配偶者と知り合っており、仲介業者の紹介
での結婚は少ない。榮民の多くにとっては初婚であり,大陸籍配偶者の多くが再婚である。榮民が再婚であっ
ても前の婚姻の子女はすでに成人し独立しているため、榮民と大陸籍配偶者ではその多くが<老少配>の婚姻
形式である。榮民が高齢になってから結婚する要因は長年の孤独な生活から老後は「つれあい」ができ、今後
健康状態が悪化しても身近に世話をしてくれる人がいることが安心感につながるという。大陸籍配偶者の再婚
理由は主に実家の経済状況を改善するためである。前の結婚でもうけた未成年子女の養育負担が大きいことが
榮民との再婚の動機となっている場合が多い。すなわち「世話」と「仕事」の交換利益を基礎とする結婚であ
る。しかしこの婚前協議は往々にして現実生活の中で落差を思い知らされることとなる。
多くの高齢榮民は「低階層榮民」であり、毎月2万元に満たない軍人恩給もしくは1万3千元程度の養老金を
71
退輔會(2009)pp.186-188
75
受けている。わずかな「高階層榮民」(将校級)は毎月5万元の年金給付を受取ることができ、もしくは退役
後も公務員として籍を置き二重に年金をもらえる場合もあるが、これはごく少数者である。しかしほとんどの
榮民は住む場所があり、薄給ながらも年金収入があり、倹約すれば生活は可能である。したがって経済問題は
榮民と大陸籍配偶者の間での争いの主因とはならない。老年榮民の多くは単身生活に慣れているので衣食につ
いてはほとんど自分で行えるし、日常生活も非常に単純で倹約生活を送り、1人暮らしに問題はない。しかし
家族をもち成員が増え、さらに子どもができると負担は一気に重くなる。また大陸籍配偶者自身も中高年であ
るため何らかの持病を抱えていることも少なくない。そのため大陸籍配偶者の医療費や子女の教育費用は結婚
後の榮民に重く負担となってのしかかってくる。
榮民の大陸籍配偶者の教育程度は中高卒程度で、多くが死別もしくは離別のため子どもの養育費や生活費負
担が大きい。「榮民との結婚」は大陸籍配偶者にとって経済上の困難を解決する近道なのである。来台後彼女
たちは日常生活では榮民の世話役割があり、大陸の家族に対しては子女の経済負担という二重役割のバランス
をとりながら背負っている。これは榮民の健康状態が良好であれば大きな問題は少ないが、いったん赤信号が
ともると榮民のケアと仕事を24時間態勢でこなさなければならなくなり、衝突がおきやすくなる。
世間では榮民と大陸籍配偶者の<老少配>の婚姻形式をマイナスに捉えることが多い。しかし面談を受けた
大陸籍配偶者の多くが台湾の若い人と結婚するよりも榮民との結婚のほうがずっと恵まれていると答えてい
る。なぜなら榮民は生活面では恩給があり、生活のゆとりはなくとも飢え死にするほどではないし、生活のた
めに身を粉にして働く必要もないからである。通常大陸籍配偶者と榮民は婚前協議を行い、恩給の中から一部
を大陸籍配偶者の小遣い或いは固定給として支払い、このお金については大陸籍配偶者が自由に使えることに
なっている。これ以外にも大陸籍配偶者が外に働きに出かけて得た収入は結婚後に出来た子どもなど必要な生
活費以外は大陸籍配偶者が自由に使ってよいことになっているという。多くの大陸籍配偶者が、「榮民はほと
んどが単身者で、前の結婚での子どもたちはすでに家庭を持って独立しているため家庭関係は比較的簡単で、
家族成員がお金の分け方で干渉するなどの面倒な関係はない」と述べている。
榮民の多くは軍隊での単身生活が長いため、生活様式がかなり固定化され硬直したものだという。日常生活
においても行動が「号令1つ、動作1つ」式の単方向コミュニケーションの傾向が強い。しかし共産社会の中で
辛酸をなめている大陸籍配偶者にとっては、榮民のこうした個性や生活習慣はたいしたことではないと受け流
せる。つまり関係性は「夫婦」ではなく「父娘」と表現すべきものである。大陸籍配偶者にとって「少なくと
も大陸よりはマシ」と思えるならば、彼女たちの環境適応能力は高く、逆境を生き抜く力も強い。
健康で家事や家族の世話ができるのであれば、榮民はそれなりに責任を分担してくれるので、大陸籍配偶者
は後顧の憂いなく外に働きに出かけられる。こうした交換形式の婚姻はいったん榮民の健康状態が悪化し自立
生活が送れなくなると暗黙の了解で職を辞し榮民の世話をするしかなくなる。大陸籍配偶者は「榮民の世話を
きちんとすることでようやく身分証が手に入る」ということをしっかり意識しており、身分証を手にするこ
とで台湾にとどまって仕事を継続することができ、榮民が死亡した時に半額の遺族年金を手にすることができ
るのである。大陸籍配偶者がいったん身分証を取得すれば榮民の世話を続けるのかというのは潜在的に存在し
ている問題であるが、これについては多くの大陸籍配偶者が「人は感情のある生き物だから、日頃よくしても
らっていれば、相手が自分を必要としている時にそんなに無碍なことはできない」という。
しかし来台後、榮民との間に子どもをもうけた場合は家庭の世話と教育などの負担が重くなり、また高齢の
76
榮民であれば経済的負担も配偶者にのしかかることになる。中卒程度の学歴しかない中年大陸女性が台湾で仕
事を探すのは楽ではない。みつかったとしてもほとんどが低階層の仕事である。長い目で見れば、各家庭の生
活条件やその質が将来的には大陸籍配偶者の福祉を左右し、社会福祉への依存人口を増やすことになりかねな
い。関連機関は一刻も早くこの問題を解決せねばならない。
このようにこの調査報告書では榮民と大陸籍配偶者の婚姻については比較的ポジティヴに解釈さ
れており、馬政権の政策緩和路線の影響が見受けられる。懸念は大陸籍配偶者が将来的な台湾にお
ける「社会保障の依存者となること」であることが明確に述べられている。
5-3. 榮民はなぜ大陸籍中国人を伴侶に選ぶのか
退輔會2007年報告書72 によれば、台湾全土のおよそ5%の榮民が大陸籍配偶者を娶っているとい
う。すなわち榮民20人に1人が大陸籍配偶者と結婚していることになる。そしてその榮民と大陸籍
配偶者の夫婦は平均24.1歳の年齢差がある。日常生活において大陸籍配偶者は高齢榮民の身の回り
の世話をする役割を担っており、9割以上の榮民が大陸籍配偶者と結婚する目的を「自分の世話」
あるいは「伴侶を探す」ためだと述べている。
榮民が高齢で経済的弱者であるほど大陸籍配偶者を選ぶ傾向が強いことは前述した調査結果からも
明らかである。前述したように2011年10月末の統計では、外国籍配偶者家庭における<大陸配偶>と
<外籍配偶>の比率はおよそ7:3である73。4-1.でみたように、榮民と外国籍配偶者の組み合わせ
では大陸籍配偶者と東南アジア配偶者との比率がいずれも9:1で、大陸籍配偶者比率が高い。また
榮民の大陸籍配偶者の平均年齢は他の外国籍配偶者調査(台湾人配偶者が榮民以外を含む)に比べ
ても高く、彼女たちはすでに前夫との間に子供のいる再婚者が多いという顕著な特徴をもってい
る。これらの点に関する説得力のある説明は、いまのところ「介護者役割」をキーワードにして考
えるのが筆者にはいちばん理解しやすい。
ではなぜ介護役割を担う者として大陸籍配偶者が選ばれるのであろうか。
ここでは退輔會(2009)からさらに「大陸籍配偶者の増加が台湾の政治・経済や社会文化にどの
ような影響を与えるか」に関するSWOT分析74 をとりあげたい75。
①優勢部分: 榮民と大陸籍配偶者は言語も文化的背景も似た環境で育っており、日常生活での家族とのコ
ミュニケーションや新聞やテレビの視聴に問題が少ない76。また多くの大陸籍配偶者が中卒程度の教育を受け
ているので、榮民との生活上の適応や人間関係上の適応には有利に働いている。また彼女たちは小さい頃から
働き、経済的に自立することが当たり前という環境で育っているため、来台前はほとんどの者が就業経験を
もっている。そのため台湾で社会福祉関係機関に依存せずに就業し経済的に自立する気持ちが強い。また自身
の年齢や学歴などがネックとなり台湾での就職が難しいこともよく理解して来台しているので、仕事を選ばず
72
行政院國軍退除役官兵輔導委員會(2007)『96年榮民娶大陸或外籍配偶人数統計』
資料出所は脚注2に同じ。
73
77
つらい仕事にも耐性が強いという特徴がある。また高齢榮民はこれまで単身だった者が多く、社会的にも老後
の問題を抱えている。彼女たちとの結婚は高齢者ケア労働の人材不足を補い、老年榮民の老後の孤独を解消す
るという婚姻要求や経済問題を抱える大陸籍配偶者自身双方に利点をもたらす。
②劣勢部分: 台湾と大陸は文化的背景が似ており、グローバル化時代の多元文化社会を目指すことはできな
い。また学歴や年齢の関係で大陸籍配偶者は単純労働に就くことが多い。しかしこれは台湾の中年女性や片親
家庭などブルーカラー層女性の職業機会に影響を与えることになる。雇用主は安く雇える方を優先するため、
台湾の中年女性にとっては大陸籍配偶者の就業は脅威となりうる。また「両岸関係条例」により大陸籍配偶者
は<外籍配偶>よりも厳しい身分制限下におかれている。居留身分が家庭生活や仕事や介護に影響を与え矛
盾を発生させ、就業機会の選択に影響を与える。大陸籍配偶者と結婚している榮民は軍階級の低い高齢榮民が
多く、大陸籍配偶者も経済問題を抱えている場合が多いため、彼女たちの労働市場への参入は結婚時の重要な
協議事項となる。榮民の健康状態に問題がなく榮民自身も自立生活が送れている場合は大きな問題にならない
が、榮民の健康状態が悪化あるいは日常生活でもケアが必要となった場合は、ケアと仕事の板挟みとなり婚姻
関係に悪影響をもたらす。また榮民の世話だけでなく未成年の子女を抱えている場合はその世話負担が大き
く、仕事の選択も「残業なし」や「家の近く」など、さまざまな制約を受けることになる。
③機会: 大陸籍配偶者は来台後も大陸への里帰りをするため、彼女たちが台湾の政治や経済発展、社会や文
化の理解を通して民主化への理解を深めることによって、大陸へプラス影響をもたらすことになる。また経済
問題を抱える大陸籍配偶者に就業機会を提供し、台湾の単純労働者不足という問題の解決にもつながる。また
パオズ
特に北方出身の大陸籍配偶者は小麦を主とする食文化があるため、手作りの餃子や包 子などの小さな店を起
業しやすい。また大陸籍配偶者を人手不足の夜間看護に従事させることで、台湾の夜間看護人材不足が解消さ
れ、それなりに手当てが給付されるので昼間の仕事よりも収入は得られるし、昼間は家庭で家事もできるため
交代制の夜間看護に彼女たちを積極的に雇用すべきである。
④脅威 : 両岸関係の特殊性から国家アイデンティティ問題はどうしても避けられない。また榮民との年齢差
が大きいため、榮民が死亡した場合、その遺族年金の問題で将来的に大陸籍配偶者が社会保障の負担を増やす
可能性がある。また偽装結婚は減っておらず、来台後は家庭を顧みず稼ぐことのみに専心する大陸籍配偶者や
来台後すぐに失踪してしまう大陸籍配偶者が後を絶たない。また「両岸関係条例」の制約により大陸籍配偶者
は<團聚><依親居留>段階では就労権が得られない。また労委會が大陸籍労働者の受入れを認めていないた
め、雇用主の理解が足りないと不法就労者の雇用で処罰されることをおそれ、特に工場などでは雇用が拒まれ
ることが多い。
この分析で言われている「優勢部分」は榮民が大陸籍配偶者を選択する動機としては大きく働い
ていることが考えられる。劣勢部分にあるような就業の難しさについては、そもそも榮民が配偶者
74
Sは優勢(strength)、 Wは劣勢(weakness)、Oは機会(opportunity)、Tは脅威(threat)を指す。
退輔會(2009)pp.190-193 76
ただし多くの<大陸配偶>が繁体字を読むことはできても書くことができないと答えている。
75
78
の稼ぎを当てにしなくても最低限の生活維持が可能であることは大きい。前述したように馬政権の
緩和政策の方向性では、大陸籍配偶者が今後さらに低階層の有力な労働力となりうる可能性は高
い。言葉や飲食習慣、文化の壁が高い東南アジア配偶者よりも大陸籍配偶者のほうが起業しやすい
というのもそのとおりであろう。「夜間看護人材としての期待」や「社会保障費負担増についての
懸念」部分を読むと、台湾政府が大陸籍配偶者に対して「高齢者ケア労働の人材不足を補うことが
できる」ことを期待しながらも、彼女たちが「社会保障の依存者となっては社会的負担が増えて困
る」という本音が表出されており、同時に失踪などによる社会治安上の脅威も懸念されている。
こうした分析結果を待つまでもなく、高齢榮民の介護役割を担う者として大陸籍配偶者の期待値
が高い理由については、やはり介護を提供される側と提供する側のコミュニケーション問題は大き
いと考えるべきであり、出身地にもよるがその点大陸籍配偶者の場合は基本的に榮民との会話等に
ついては東南アジア配偶者のような問題を抱えることは少ない。また大陸籍配偶者の場合は再婚者
比率が高く、彼女たち自身の年齢も高いため、同じ中華文化圏の者同士という点からも相対的に比
較した場合は、若い東南アジア配偶者よりも価値観の共有がしやすいと期待されることもあるだ
ろう。しかし実際には大陸と台湾では政治的風土も経済状況も異なり、その価値観には大きな相
違がみられることが多いため、双方ともが事前に想像していたほど現実は甘くない。そのため4-2.
(2)でみたように、大陸籍配偶者と家庭をもった榮民の満足度が6割程度にとどまるのではないだ
ろうか。
見方をかえると、榮民自身もまたその多くが国民党とともに大陸から移住してきた外省人であ
り、いわゆる「ひと世代前の移民」である。その榮民たちが年を重ね、それまで自由にならなかっ
た婚姻や大陸への移動を考えると、善し悪しは抜きにして彼らが老後のことを考慮して大陸からの
配偶者を伴侶として迎えることも理解できないことはない。ただそれが夫婦として対等な関係性で
あるかどうか、婚姻形態としてそもそも自然であるかどうかはまた別の問題である。
5-4.外国籍配偶者と外国籍労働者
ここまでみてきたように、大陸籍配偶者は東南アジア配偶者よりも帰化申請に時間がかかり、就
労制約も多かったが、国民党馬英九政権の誕生により大陸との関係を重視する方向、すなわち規制
を緩和する方向へ変化している。両者を比較して、就労に関しては言語面で大陸籍配偶者が東南ア
ジア配偶者よりも優勢だと一般に言われるが、実際には大陸籍配偶者に対する「言葉ができるこ
と」への過度な期待部分もあり、方言や価値観の差異はそれほど小さくはない。再婚者が多い大陸
籍配偶者は元夫との子供の養育問題を抱え、本国への仕送りも東南アジア配偶者と同じように抱え
ている。居留資格による就労制限が加えられることによって、大陸籍・東南アジア籍配偶者とそれ
以外の国の配偶者という図式だけでなく、台湾での滞在期間をめぐる実質的な大陸籍内部、東南ア
ジア籍内部の移民間格差も拡大している。
また婚姻移民に対する就労制限の緩和は、一方で一般外国人との間に摩擦を生んでいる。2003年
の「就業服務法」の改正によって、台湾人配偶者と結婚して台湾に居留している婚姻移民は配偶者
ビザによって自動的に就労が可能となっている。一般の外国人就労者に求められる厳格な学歴要件
79
や職歴要件も不要とされ、一般外国人の就労審査とは逆の方向に進んでいることが居留身分による
外国籍の人々の間の格差を生じさせているという77。金戸(2010)は配偶者が優遇され、一般居留
外国人との格差が広がると、政府の目論見とは逆に不自然な形の婚姻が増えるおそれもあると指摘
している。
外国人労働者問題をみていくと、ブルーカラー層の外国籍労働者が滞在期間中に台湾人と結婚す
るケースも少なくない。大陸籍を含む外国籍配偶者がブルーカラー層として台湾人よりも安い賃金
で雇用されている現状をみると、台湾における外国籍労働者と外国籍配偶者間における境界は非常
に曖昧であり、いずれも社会の底辺層におかれた周縁の位置づけとなっている。
5-3.でとりあげた退輔會のSWOT分析では、大陸籍配偶者が「高齢者のケア人材不足を補うこと
ができる」者として期待されながらも、一方で彼女たちが将来的に「社会保障依存者として台湾社
会の負担を増やす」ことや「社会治安上の脅威になること」に対しては懸念が示されている。政府
が企画している外国籍配偶者への講習会についても、大陸籍配偶者たちの介護や看護技術への職業
訓練に対する意欲は高い。こうした「介護要員としての期待」が行政報告書に明記されていること
をみても、台湾政府が大陸籍配偶者を社会的に不足しているケア労働者を補うための「手段」とし
てとらえていることが透けてみえる。
6.おわりに
本稿では台湾における国際結婚や外国籍配偶者の特徴を明らかにし、とくに榮民と大陸籍配偶者
の婚姻に焦点をあて、調査報告書の分析をベースにその特徴をみてきた。配偶者が榮民と限定され
ていない大陸籍配偶者に対するアンケート調査報告とも比較しながら、大陸籍配偶者がとくに低階
層の台湾人高齢者の介護要員としての役割を期待されていることに着目してきた。
現状では榮民が外国籍配偶者と結婚する場合 78 は、その9割が大陸籍配偶者である。配偶者に対
して<傳宗接代>を求める場合は若い東南アジア出身者が選択され、老後の介護者役割を求める場
合は中年の大陸籍配偶者が選ばれる傾向が顕著にみられた。組み合わせとしては高齢榮民と中年の
大陸籍配偶者が多く、榮民と結婚している大陸籍配偶者は7割以上が再婚者であった。こうした特
徴は、これまでの研究でも言われているように「無給の介護要員としての外国籍配偶者」という言
葉と結び付き、現在すでに大陸籍配偶者の多くが高齢榮民の介護に携わっているかのような印象を
受ける。しかし詳細に調査報告書を読んでいくと、大陸籍配偶者と結婚している榮民は健康状態が
比較的良好な者が7割近く、また持病や心身障碍があっても自立生活を送ることができている者が3
割と比較的多く、榮民が現状からの必然に迫られて大陸籍配偶者を求めたというよりも、将来自分
の健康状態がいまよりも悪化した場合を想定して配偶者を選択していること、またその場合、高齢
77
金戸幸子(2010)「台湾における多文化社会の展開と「新移民」問題」日中社会学叢書第2巻 永野武編著『チャイ
ニーズネスとトランスナショナルアイデンティティ』明石書店 pp.279-281
78
本稿では男性榮民と大陸女性の婚姻のみを扱ったが、榮民には男性ばかりでなく2010年末統計で15,016人(榮民全体
の3.3%)の女性榮民がいる。彼女たちの婚姻状況についても今後調べていきたい。
80
であるほど東南アジア出身者ではなく大陸籍配偶者を選んでいる傾向が強いことがわかった。
榮民と大陸籍配偶者の婚姻においては事前協議が行われるケースが多く、榮民が大陸籍配偶者に
対して一定の小遣いや固定給を支払っていることも明らかになった。この点についてはさらに裏付
け調査が必要であるが、こうした事前協議は一種の労働契約とも考えられるため、一般に言われる
「無給の介護要員」と同列には考えにくい。また調査報告書の榮民配偶者に対するインタビュー分
析からはステレオタイプ的な「不幸で立場の弱い大陸籍配偶者」の姿とは異なる姿もうかがえた。
救助會による大陸籍配偶者調査では、大陸籍配偶者と結婚している台湾人配偶者の3人に1人が高
齢者であり、20%の者がいわゆる社会的弱者(心身障碍者、低所得者)で、2人に1人は無職であっ
た。榮民配偶者調査との大きな相違点は同居している家族数が配偶者の親兄弟を含め4人以上であ
ると答えた者が半数以上を占めていることである。また台湾人配偶者との間に子女をもうけている
者も半数以上にのぼり、これも榮民の大陸籍配偶者は中高年層が多く、9割近く来台後に子女をも
うけていないことと大きな差がある。
榮民はほとんど外省人であり、大陸籍配偶者との婚姻においては内省人と本省人というエスニシ
ティの差による言語や文化の違いは事前に相手の出身地を確認しておくことで回避しやすいという
大きな特徴をもっている。大陸籍配偶者が介護者としての役割期待を担っていることは調査結果か
ら読み取ることができたが、その台湾人配偶者が榮民であるか否かは大陸籍配偶者にとって、婚姻
移民としての台湾における生活に大きな影響をもたらしていることが明らかになった。
台湾政府の婚姻移民に対する政策は台湾への「同化」傾向が強くみられ、外国籍配偶者を「いか
に早く台湾の生活に順応させる」か、また言語や風俗習慣にいたるまで「外国籍配偶者の側」が台
湾の風土に慣れることに重点が置かれており、台湾人に対して彼女たちを理解する講習会や勉強会
が開かれているわけではない。筆者が台湾で接した台湾人たちもメディアなどを通して偽装結婚や
非合法の就労問題、虐待や逃亡など負の側面を強調した報道に接する機会が多く、ブルーカラー層
の外国人労働者と同じように「自分たちよりはひとつ下の階層」という認識をもっている者が多い
印象を受ける。
なにより行政の報告書の中に大陸籍配偶者に対しては「介護労働現場における人材不足を補う
者」としての期待がはっきりと書かれており、一方で彼女たちの帰化による「将来的な社会保障の
負担増」は懸念材料とされている。台湾政府の外国籍配偶者に対する認識は、「外国籍配偶者と外
国籍労働者との区別が曖昧」なのではなく、外国人ケア労働者と同じように「介護を外部化するた
めに必要な人材」だと考えていることが行政の調査報告書のなかから見出せたことは大きな収穫で
ある。少子化対策の一環として狭い国土ながら「適切規模」の移民受け入れを前向きにとらえ、多
元文化主義を提唱する政府姿勢は、台湾におけるグローバル化への積極的な対応策としてとらえら
れがちであるが、内実は外国籍配偶者の「同化」を目指し、その背景に台湾人自身が敬遠する3K
職場としての介護労働の安価な担い手としての期待があることを見落としてはならないと思う。
外国籍配偶者に対するこれまでの研究では、彼女たちに対する意識改革と同時に受入れ家族が他
国の文化を受入れる方向での意識改革も必要であり、専門家の育成、サポート体制の充実、法的権
益拡充の必要性などが提起されてきている。しかしメディアの報道や斡旋業者によってつくられて
81
いく「経済後進国からやってきたかわいそうな人々」という「上から目線」を変えていくのは容易
なことではない。彼女たちと直接の接点をもたない台湾人にとって、ある意味そのイメージは意図
的に「つくられたもの」であり、政府の施策そのものも彼女たちのもつ自国の文化や伝統を尊重
し、その子女に対して伝統的文化継承を目指す方向性のものとはいえない。
筆者がこれまで接してきた台湾人たちの間でも大陸からの移民が一気に増えることへの懸念の声
は少なくない。これまでに実施したインタビュー調査においても婚姻移民や外国籍労働者の増大に
対する懸念は、とくに高齢者介護施設や関係行政部門などの行政担当者に根強い印象がある。現場
で多くの外国人労働者を雇用している施設関係者たちからは、彼女たちの方が却って台湾人ヘル
パーよりも真面目に働くという評価の声もあったが、直接彼女たちと接する機会の少ない政府関係
者には厳しい意見が多かった79。すでに台湾では外国人労働者の存在なしには経済が成り立たって
いかない現状がある。これからさらに外国籍・大陸籍配偶者たちが台湾社会で就労する機会が増大
すれば、台湾のブルーカラー層や就労に関しては底辺におかれている原住民や中年婦女の就労を一
層難しいものにするのではないかという懸念も行政担当者にはある。中台関係が焦点となった2012
年1月の総統選挙で馬英九は再選され、2期目の政権運営を担うこととなった。今後、馬英九政権が
どのように大陸からの婚姻移民を受け入れていくのか引き続き注目していきたい。
79
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―(2009)
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84
オリンパスの粉飾は何故、発見されなかったか
柴 田 英 樹
目次
一.はじめに
二.オリンパスの粉飾の概要
三.取締役会の無機能化
四.監査法人の不適切な対応
五.第二のオリンパスがでないために
六.オリンパスの粉飾が発見されなかったのは、日本の社会的風土に起因
本稿は、最近起こったオリンパスの粉飾に関して、バブル崩壊から20年以上もの間に発覚しな
かった事実を重く受け止め、何故、このような事態が起こったのかについてコーポレート・ガバナ
ンスと監査法人の会計監査のあり方を中心に検討したものである。オリンパスの投資家は同社の企
業風土が日本的で物言えぬ土壌があったことに驚かされた。また、グローバル企業としての側面が
ありながら、このように透明性のない不正を温存する企業体質があることについても、日本だけで
なく世界中から巨額の損失隠し事件の批判を受け、今後の事態の推移に対して注目を浴びている。
しかし、日本の証券取引等監視委員会や金融庁などはことを穏便に済ませることに躍起になってお
り、事件の解明をしっかり行うという姿勢が見られない。旧経営陣の個人的な犯罪としてしまうの
か、それとも企業ぐるみの粉飾事件として実態を解明していくのかが問われている。
キーワード:企業風土、飛ばし、企業買収、のれん、社外取締役
一.はじめに
大手光学機器メーカーのオリンパスi が約1,000億円以上もの巨額粉飾を行っていたことが明らか
になった。しかも、粉飾開始時の経営陣が2000年当初から海外への含み損を、英領ケイマン諸島ii の
ファンドなどに「飛ばし」iii を始めていたことが判明しており、約20年の長きにわたりコーポレー
ト・ガバナンス上でも、あるいは外部監査上でも粉飾が判明しなかったことになる。
オリンパスはこのような巨額の粉飾が発見されないように、監査の厳格化が叫ばれる中で監査法
人による外部監査を長年にわたりやすやすとかいくぐり続けることができたことに社会は衝撃を受
けた。オリンパスが証券投資の損失を隠していた問題で、東京地検特捜部は2011年(平成23年)11
85
月18日、当該事件の首謀者の一人である同社の森久志前副社長(54歳)から任意で事情聴取してい
る。森前副社長は聴取に、長年の損失隠しの関与を認めたと報道されているiv。そして特捜部は前
副社長に続き、菊川剛前社長(70歳)や山田秀雄前常勤監査役(66歳)(山田監査役は粉飾事件発
覚後、辞意を表明していたが、2011年11月24日付で辞任した)からも順次説明を求める方針と伝え
られているv。菊川前社長は2011年11月19日までの第三者委員会の調査に対し、損失隠しへの関与
を認めているというvi。一方、一連の問題を巡り、証券取引等監視委員会は、既に3人から聞き取
りを終えているvii。オリンパスによる損失隠しを巡っては、東京地検特捜部、警視庁、証券取引等
監視委員会が協力して、不正な経理操作の全容解明にあたるもようであるviii。ここで注目すべきこ
とは、警視庁が乗り出してきていることである。オリンパスの森久志前副社長は反社会的な勢力と
の関連はないと強調しているがix、海外ではオリンパスと反社会的な勢力との関係が取りざたされ
ており、警視庁が乗り出したことを考えると、海外報道の方が正しいようにも思えるx。
オリンパスの衝撃を受けたのは日本社会に留まらなかった。英国人がオリンパスの元社長であっ
たことから英国でも大々的にニュースとして当該粉飾事件がマスコミに取り上げられた。SFO(英
国重大不正取締局)が捜査に乗り出す事態になっている。読売新聞によれば、SFOはウッドフォー
ド元社長から事情聴取を行った模様であるxi。さらに米国でも買収に絡んで多くの報酬を得ていた
投資助言会社xii が米国で設立されていることから、FBI(米国連邦捜査局)が捜査を開始する事態
に発展している。実際にマイケル・ウッドフォード元社長はFBI、ニューヨーク連邦地検、SEC
(証券取引委員会)のフルメンバーから事情聴取されている。
また、企業の業務に関する方針や戦略を決める意思決定機関である取締役会が十分に機能してい
れば、数年前に行われた問題の巨額買収が買収案件として取締役会の議題になった際に今回問題に
なっている粉飾が明らかになっていたはずである。ところがこうした巨額買収に際して、取締役会
によって何らチェックがされていなかった。もちろん取締役の中にはこの買収案件に疑義を感じた
人もあったと考えられる。しかし、そのことを取締役会で口を出して言う者はいなかった。
この巨額買収を取締役会が問題とせずに放置していたことは、今後のコーポレート・ガバナンス
のあり方を問うことになる重要な試金石となろう。本稿では、オリンパスの起こした粉飾事件が何
故、長い間発見されることがなかったのかについて検討してみたい。
二.オリンパスの粉飾の概要
オリンパスの損失隠しを調査していた第三者委員会の調べによると、オリンパスは1990年代のバ
ブル崩壊によって有価証券取引に失敗し、金融資産に969億円の含み損が生じた。当該損失を隠す
ために金融資産の受け皿ファンドを利用し、このファンドに960億円の損失を飛ばした。そしてそ
の金融資産と見返りとして受け皿ファンドから金融資産を簿価で購入した。これにより表面上は、
オリンパスの帳簿から含み損はなくなり、受け皿ファンドに含み損は移転した。しかし、実質的に
は当該損失はオリンパスの損失であり、オリンパスが負担する責任がある。
オリンパスは債券や預金を担保に外国銀行などから融資を受け、オリンパスに譲渡する資金を受
け皿ファンドに提供した。このほかにオリンパスは海外ファンドに出資を行い、この資金を受け皿
86
ファンドに提供した。このように提供された資金により受け皿ファンドは、オリンパスに提供する
金融資産(簿価)の実質を整え、オリンパスに金融資産を譲渡した。
受け皿ファンドでは、オリンパスから960億円の含み損のある金融資産を手に入れたが、含み
損はますます拡大し、1,177億円まで増えてしまった。このままで受け皿ファンドは大きな損失を
持ったままになってしまうので、オリンパスは損失を補てんする必要性に迫られることになった。
そこでオリンパスは1,348億円を使い、英国医療機器メーカーのジャイラス買収や国内3社の買収を
行い、この資金により受け皿ファンドの損失を解消した。以上のオリンパスの損失隠しの構図をま
とめたものが図表2-1である。
図表2-1 オリンパスの損失隠しの構図
(出典:読売新聞朝刊平成23年12月7日付の記事を一部、筆者が修正・加筆)
2011年(平成23年)12月1日現在で判明しているオリンパスの損失隠しの粉飾の内容は次の2点
である。
① 英国医療機器メーカーの買収に関わる粉飾
オリンパスは2008年、英国医療機器メーカー「ジャイラス」 xiii を2,150億円で買収した。この
際、投資助言会社「アクシーズ・アメリカ(AXES AMERICA)」xiv(米国ニューヨーク州)と、
英領ケイマン諸島の資金管理会社「AXAM」xv に支払った報酬は買収資金の3割に当たる約660億
円にも上り、通常の報酬が買収資金の数%であることから比べてあまりに高額で、常識を逸脱した
高率の報酬金額となっている。
オリンパスが証券投資損失の穴埋め原資として使った英国子会社(「ジャイラス」のこと)の優
先株について、発行(177億円)からわずか2ヵ月後に発行価格の3倍超の価値(620億円)がある
と算定し、取締役会で買い取りを決議しているxvi。英国子会社が優先株を投資助言会社「アクシー
ズ・アメリカ」に発行し、それを高値でオリンパスを買い取ることで穴埋め資金を捻出し、還流さ
せる。発行後間もない時期に価値を急激に膨らませるという不自然な方法を当時の取締役会が承認
87
したことになるxvii。
投資助言会社への高額な支払いの主因は優先株の値上がりとしているが疑問視する声が多い
xviii
。ジャイラスはもともと英国で上場していたが、オリンパスは再上場を断念し、100%子会社化
する方針に転換したのに伴い、オリンパスは2008年に優先株を発行し、2010年に3.5倍の620億円で
買い取ったxix。
図表2-2 投資助言会社AXES・AXAMが受領した巨額報酬の明細
(百万ドル)
日 付
内 容
受領者
金額
2006年6月16日
基本報酬
AXES
2007年6月18日
基本報酬
AXES
2
2007年11月26日
成功報酬現金部分
AXES
12
2008年9月30日
成功報酬ワラント部分
AXAM
50
2010年3月31日
成功報酬優先株買戻分
AXAM
620
合 計
3
687
(出典:細野祐二「オリンパス「巨額粉飾決算」を見逃したあずさ監査法人
の大罪」『ZAITEN 1月号』財界展望新社、2012年1月、46頁。)
2006年6月5日にオリンパスと投資助言会社AXESの間に締結された助言・仲介報酬は、基本報
酬が500万ドル、成功報酬が買収総額の1%で、この時点では通常の報酬といえるものだった。と
ころがその契約は何度も修正され、基本報酬自体が何度も修正され、基本報酬事態が理由なく引き
上げられるとともに、ストック・オプションで支払われることになっていた成功報酬の一部が、
いったんワラントや優先株に転嫁された後、さらにオリンパスにより買い戻されているxx。報酬総
額は最終的には図表2-2に示したように6億8,700万ドル(687億円)になっている。
図表2-3 オリンパスのジャイラス買収を巡る構図
(出典:産経新聞朝刊平成23年11月21日付、日本経済新聞朝刊平成23年10月28
日及びサンデー毎日(2011.12.4)の記事を一部、筆者が修正・加筆)
88
月刊経済雑誌FACTAによれば、ジャイラスの買収価格は株価に40%ものプレミアムを上乗せし
て割高な買収であったにかかわらず、2010年(平成22年)3月期にさらに620億円出して優先株を
買い取ったと指摘しているxxi。
FACTAの見解によれば、ジャイラスxxii は利益率については確かに高かったが、売り上げ規模は
500億円前後、総資産も1千億円ほどしかなく、2700億円も出して買う会社ではないとしているxxiii。
② 国内3社の買収に関わる粉飾
オリンパスは2006年~2008年にかけて国内3社を総額734億円で買収したが、2009年3月期に企
業価値が目減りしたとして買収額の4分の3である557億円の減損処理を実施した(2009年3月
期)。ここにいう国内3社とは、資源リサイクル会社「アルティス」(東京都港区)、調理容器製
造会社「NEWS CHEF」(東京都港区)、健康食品販売会社「ヒューマラボ」(東京都港区)で
ある。これら3社とも零細企業(買収時の年間売上はそれぞれ2億円にも満たなかった)であり、
誰が見ようが約700億円もの法外な買収資金のかかるはずはなかった。決算公告などによると、2011
年3月期の3社合計の売上高は17億円程度、営業赤字は20億円以上と業績は低迷しているxxiv。
図表2-4 オリンパスが買収した国内3社の概要と減損処理
(単位:百万円)
資本金
主 な 事 業
買収額
減損額
アルティス xxv
(東京都港区麻布台 1 の 11 の 9)
488
油化プラントを核とした資源リサイクル
など
28,812
19,614
NEWS CHEF
(同上)
499
調理品の製造・販売、食品容器の製造・
販売など
21,408
17,699
ヒューマラボ
(同上)
439
健康食品や化粧品の販売など
23,199
18,370
会 社 名(住所)
合計
73,419
55,683
(出典:日本経済新聞朝刊平成23年10月20日付の記事を一部、筆者が加筆)
オリンパスはバブル崩壊でこうむった含み損の計上を先送りしていたが、①の投資助言会社への
報酬(687億円)と②の国内3社の減損金額(557億円)の計1千数百億円による会計操作で捻出し
た資金が先送りしていた含み損を穴埋めするために使われていたことをオリンパス自身が認めてい
る。
しかし、当該資金は含み損の解消だけではなく、マネーロンダリング(資金洗浄)や反社会的な
団体への還流にも使用されたのではないかと指摘する向きがある。
ここで問題になるのは次の点である。まず英国医療機器メーカーについては、何故、これほど巨
額の報酬(約687億円)をオリンパスが支払ったかである。また、常識から逸脱した報酬金額を取
締役会や当時、監査を担当していたあずさ監査法人xxvi(旧朝日監査法人)は何故、承認(取締役
89
会)ないしは容認(監査法人)したのかが問われている。
さらにオリンパスは国内3社の買収に絡んで約734億円もの買収資金を支払っているが、3社合計
で20億円未満の売上に過ぎない会社を高額すぎるといわざるを得ない。何故、オリンパスの取締役
会は当該国内3社の買収に疑義を唱えなかったのかということである。
さらにあずさ監査法人は買収に関して問題視はしたが、買収額の4分の3である557億円を減損
させただけで最終的には適正意見を表明している。あずさ監査法人の指摘もあり、2009年3月期に
おいて弁護士などで第三者委員会が設置されたが、何ら買収の問題点が解明されることはなかっ
た。これでは投資家に対する問題の顕在化を見送ったといわれても仕方があるまい。
本来は全額減損させてもおかしくない。なぜなら、国内3社の企業価値を算定する前提となった
事業計画が破綻していることが明らかであり、買収額そのものが適正な金額とは呼べない状況であ
るからであるxxvii。
図表2-5 オリンパスの損失隠しを巡る構図
(出典:読売新聞朝刊平成23年11月9日付、陸奥新報平成23年11月21日の記事を一部、筆
者が修正、加筆)
オリンパスののれん残高はどのように推移しているかを示したものが、図表2-6である。この
図表で注目すべきところは、ジャイラスののれん代の金額である。2011年3月期をみると、全体の
のれんの金額が1,755億円であるのに対して、その8割がジャイラスののれんが占めている。オリ
90
ンパスは財テクによる損失処理は終了したといっているが、もしジャイラスののれんを減損処理す
るとオリンパスは大赤字になってしまうことになる。さらにITX、アルティスやその他xxviii などに
あるのれんの資産性も問題があるものが多いことからさらに損失は拡大する恐れがある。
図表2-6 オリンパス・のれん残高の推移
(単位:億円)
買収先
2008/3
2009/3
2010/3
2011/3
2011/9
ジャイラス
1,683
1,320
1,600
1,353
1,204
ITX
472
226
208
232
229
アルティス
216
48
30
26
15
NEWS CHEF
158
ユーマラボ
169
その他
300
211
103
144
151
2,998
1,805
1,941
1,755
1,599
合 計
(注)⑴第三者委員会の調査で見直す可能性もある。
⑵ITXは2004年に子会社化した旧日商岩井系の情報通信会社である。当該会社の買収もシナ
ジー効果があるとは思えず、また実際に経営がうまくいっていないといわれている。
(出典:日本経済新聞朝刊平成23年11月17日付の記事を一部、筆者が修正、加筆)
三.取締役会の無機能化
コーポレート・ガバナンスの観点から取締役会は正しく機能していたかについて検討する必要が
ある。取締役会は業務に関する最高意思決定機関であるが、これはあくまで法律上のことであり、
オリンパスでは事実上こうした権限を持っていなかったといえよう。
日本の会社法では社外取締役xxix が制度化されておらず、このことが今回のような取締役会の無
機能化を助長したとの指摘がある。しかし、オリンパスは社外取締役制度を2005年(平成17年)に導
入しており、現在は取締役15人中3人、監査役は4人中2人をそれぞれ社外から起用しているxxx。し
たがって、形式的には企業統治体制は整っていたことになる。
しかし、次の6点はコーポレート・ガバナンス上、大きな問題点であると指摘できよう。
⑴ 投資助言会社への巨額の支払いに取締役会のチェックがかからなかったこと
⑵ 国内3社に対する多額の買収を取締役会が承認したこと
⑶ 国内3社買収の翌期に多額の減損処理を取締役会が容認したこと
⑷ 買収疑惑を追及しようとした英国人社長だったマイケル・ウッドワード氏の解任を取締役会が
全会一致で決定したこと
⑸ 常勤監査役が粉飾を行っている経営陣と行動を共にし、粉飾に加担していたこと
⑹ 英国医療機器メーカー「ジャイラス」の買収に巨額の資金を使用したが、当該買収に取締役の
91
うち誰もクレームをいうことなく取締役会が全会一致で承認したこと
これらの個々の問題点は大別すると、次の2つに集約できようxxxi。
① 社外取締役が十分に責任を果たせなかったこと
② 取締役会が代表取締役を牽制できなかったこと
西村あさひ法律事務所の西村洋弁護士は、監査役設置会社の統治の限界を主張する。そしてそれ
が経営の透明性を欠く一因であるといっている。西村弁護士の主張は代表取締役の権限が強すぎる
ことと監査役の経営トップに対する影響が小さすぎることを問題視する xxxii。そして社外取締役の
設置を義務付けることが有効であると説く。そしてオリンパスに社外取締役がいたのに機能しな
かった理由を記者に訊ねられ、代表取締役が社外取締役の選任に関わっていたのではないかと答え
ている。社外取締役には独立性が必要なため、代表取締役によって選任されていたのでは独立性が
確保できないとの主張である。西村弁護士の考え方は、監査役設置会社では監査役が十分に機能し
ないので、監査委員会設置会社にして社外取締役が十分に機能する仕組みを推進していくことが望
ましいということであるxxxiii。これは監査法人にとって言い訳の聞かない重大な発言である。とい
うのは、会計監査が機能しなかったといっているからである。厳格監査を標榜しながらも、一流会
社には甘く対応する監査を続けている監査法人の体質が露呈した格好である。
四.監査法人の不適切な対応
2つの監査法人がオリンパスの監査に絡んでいる。つまり監査法人としては、あずさ監査法人と
新日本監査法人が時期は異なるが会計監査を行ってきた。オリンパスは長年監査を担当していたあ
ずさ監査法人xxxiv から新日本監査法人xxxv に監査法人を変更している。
監査法人が変更となったのは、2009年(平成21年)3月期決算が承認された2009年6月の定時株
主総会のことだった。
両監査法人の監査上の対応はそれぞれ適切だったのかどうかを検討していくことにしたい。これ
はオリンパスの企業統治体制だけでなく、会計監査を担当している監査法人に対しても責任論が出
ており、オリンパスの監査で同社の決算内容をどのような監査手続により検証していたのかが問わ
れる事態になっているからである。
⑴ あずさ監査法人の対応
オリンパスの粉飾は、企業買収を通じて損失隠しした金額を穴埋めすることであった。多額の買
収資金が価値のない企業に投資され、泡と消えてしまったことは投資家への裏切り行為であること
は間違いのない事実である。
では、あずさ監査法人はこうした粉飾が本当にわからないままに、会計監査を実施し、適正意見
を表明してきたのだろうか。2つの監査法人がオリンパスの監査に関わっていたが、どちらの監査
法人により責任があるかといえばあずさ監査法人である。なぜなら、あずさ監査法人が会計監査を
実施していた時に、粉飾が行われていたからである。
粉飾が始まったのは、2000年3月期のことである。この年は会計ビッグバンにより時価会計が導
92
入されるちょうど1年前に当たる。オリンパスは過去の投資信託などによる含み損を一括処理した
として、1000億円前後あった含み損の一部の170億円だけを特別損失として計上した。そして残り
の損失は外部のファンドなどに移す「飛ばし」によって隠されたのであるxxxvi。
あずさ監査法人は買収金額が多額すぎることの問題点は指摘していたようであるが、当該指摘事
項をオリンパスに実行させないままxxxvii、適正意見を表明してしまっている。これでは適正といえ
ない決算内容を容認してしまったことになり、大きな問題である。
しかも問題となっている買収は数年にわたっており、何故、買収の最初の年度に問題にしなかっ
たのかが問われることになろう。また、買収の最終年度(2009年3月期)に多額の買収を問題視し
たようであるが、会計監査で問題になった多額の買収が数年にわたりやすやすと監査実施の段階や
監査法人内での審査の段階をやすやすとすり抜けてしまっていることは大きな問題であるといわざ
るを得ない。
企業買収については、買収監査が必要であるが、それが行われたか形跡はないxxxviii。ただオリン
パスは個人の会計士に株主価値算定報告書の作成を依頼し、入手している。この株主価値算定報告
書でDCF法(ディスカウント・キャッシュ・フロー法)を採用していることに疑問がある。なぜ
なら、国内3社は赤字であり、DCF法に適さないからであるxxxix。このことはあずさ監査法人も認
識していたはずであるが、何故、これを認めたかが問われることになろう。
さらに株価評価鑑定書を作成した個人の会計士は、あずさ監査法人の出身者であり、公認会計士
試験合格後、独立した人である。仲間内の人間が作成した株主価値算定報告書をあずさ監査法人が
公平にチェックできたかに疑問が残る。
日本経済新聞の社説xl でも「損失隠しを見抜けなかった監査法人の責任」として取り上げられて
おり、「どんな説明を会社側から受け、財務諸表が適正だと判断したのか」と同監査法人の監査に
対する姿勢を疑問視されている。
あずさ監査法人は1969年から2009年3月期までの実に41年の長期間にわたり監査を行ってきたxli。
当該粉飾が一部の経営陣や監査役が行っていたことは問題の発覚を難しくした側面は存在する。
つまり、複数の経営陣が関与した共謀による粉飾だからである。まして経営者の行為を正す役割の
監査役が粉飾に加担していたのでは、粉飾を発見することは容易ではない。
オリンパスの監査報告書において、あずさ監査法人の業務執行社員の名前が頻繁に変わっている
ことに目が行く。監査責任者が目まぐるしく変わると、被監査会社の状況を十分に知らない状況で
監査に臨むことになる。これでは正しい判断を行うことは困難となる。会計士の細野はこの監査責
任者交代を過去のしがらみを断ち切るための交代であると指摘しているxlii。確かに過去に認めた会
計処理を同一の監査責任者が問題視することは困難であるので、監査責任者を交代させて過去の処
理から決別することはありうることである。ではそもそもなにゆえにこれまでの過去の処理と決別
する道を突然に2009年3月期にあずさ監査法人は選択したのであろうか。細野はこれを粉飾の規模
が拡大するとともに悪質化し、あずさ監査法人が「空恐ろしくなった」ためとしているがxliii、そう
ではないように考える。この理由は英国の子会社ジャイラスを監査していたKPMGxliv がジャイラ
スののれん代を一時償却するように指摘したためであるxlv。これによりジャイラスとKPMGは会計
93
処理を巡って対立し、ジャイラスの監査人を降りてしまった。あずさ監査法人はこのままでは大き
な問題になると考え、オリンパスの会計処理に対して厳格な監査を行い、国内3社の減損までは認
めさせたが、ジャイラスののれん代までは会計処理しなかった。これはのれん代に関して日本の会
計処理は均等償却であるためである。一方、IFRSの会計処理では、のれん代の資産性が認められ
ない場合には一時償却が適用される。果たしてこの会計処理で良かったかが今後、問い直されるこ
とになるであろう。なぜなら、通常は日本では一時償却されないが、ジャイラスののれん代の資産
性に疑問がある場合には一時償却が妥当であるからだ。
捜査当局がオリンパスの会計処理が粉飾であると断定すると、あずさ監査法人の責任は免れず、
最悪の場合には解散になってしまう。捜査当局はそこまで行うと、カネボウ事件等で解散したみす
ず監査法人の時のように社会的な影響があまりに大きくなるので粉飾事件にまではしない方針と伝
えられているxlvi。
しかし、本当にそれでよいのだろうか。企業が実際に損失を抱えているのに、損失がないように
装うこと自体が有価証券報告書の虚偽記載に該当し、金融商品取引法違反である。
また、監査法人には違法行為を関係当局に報告する義務があるが、あずさ監査法人はそれを行っ
ていない。
オリンパスの第2四半期報告書は提出期限だった決算日から45日後の平成23年11月14日に提出す
ることができず、監理銘柄入りした。もし同年12月14日までに同報告書を提出できなければ、上場
廃止となってしまう。新日本監査法人は当該第2四半期報告書にレビユー報告書を添付できるので
あろうか。もし添付して後で問題が発覚したならば、監査法人の責任は免れないことになる。
⑵ 新日本監査法人の対応
新日本監査法人は2010年(平成22年)3月期から現在まで会計監査を担当している。
新日本監査法人はあずさ監査法人のように粉飾が行われた時に監査を実施していたわけではな
い。また、国内3社の買収に関しては減損処理を行っていることから、適切な財務諸表にしている
点では評価できる。
しかし、2009年3月期に買収した投資額の4分の3を翌年の2010年3月期に減損処理しなければ
ならないことに何の疑問も持たなかったのであろうか。さらにいうならば、2009年6月の株主総会
で新日本監査法人は新たな監査法人として選任されたが、選任される前に新日本監査法人はオリン
パスの財務内容を検討・吟味していたはずである。これを監査契約締結前の予備調査の監査という
が、この際に英国医療機器メーカーや国内3社の買収に関しても検討されたはずである。もしそれ
が適正に実施されていたならば、新日本監査法人はオリンパスとの監査契約を締結しなかったと思
われる。
日本経済新聞の社説xlvii でも「損失隠しを見抜けなかった監査法人の責任」として取り上げられ
ており、多額の買収の行われた「翌期から監査を担当した新日本は、一連の買収を不自然とは考え
なかったのだろうか」と同監査法人の監査に対する姿勢に疑問を投げかけられている。
新日本監査法人はあずさ監査法人がオリンパスに厳格監査を持ち出し、会計監査人を交代し、オ
94
リンパスの粉飾の柵から抜け出したのに対して、逆に事情を十分に認識しておらず、粉飾の真った
だ中に入っていってしまったという指摘もあるxlviii。
また、監査法人には違法行為を関係当局に報告する義務があるが、新日本監査法人もあずさ監査
法人同様それを行っていない。
それどころか新日本監査法人が粉飾に関わっているというような次のような記事が出ているxlix。
「ジャイラス買収に伴ってオリンパスが抱えるのれん代は1千億円ほど残っているうえに、ジャイ
ラス自身が過去に行ったM&A(企業合併・買収)で、のれん代や商標権は600億円前後に上ると
みられ、それがオリンパスの連結貸借対照表上、無形固定資産の「のれん代」でなく、「その他」
に隠されているとの情報もある。
のれん代を一括償却すれば、連結自己資本がほとんど吹っ飛んで屋台骨は大きく傾く。今のとこ
ろ、オリンパス本体の面倒を見ている新日本監査法人が「一括償却の必要はない」として押しとど
めている状態だというが、どうなるかは予断を許さない。これは均等償却のほうが経営の恣意が働
かないという反IFRS派への反証でもある。」
(()及び括弧内は筆者が加筆)
この記事を読むと、まさに新日本監査法人が必死になって、すでに無価値ののれん代を一括償却
させず、恣意性のある会計処理(価値がないのに一括償却せずに均等償却することに恣意性があ
る)を恣意性のない会計処理であるとオリンパスに指導しているとしており、監査法人が粉飾を助
長しているという指摘になっている。もちろんこの真偽は明確ではないが、のれん代が一括償却さ
れないままになっていれば均等償却を監査法人が認めていることになり、FACTAの記事は正しい
ことになる。
オリンバスの損失隠しの解明を行ってきた第三者委員会は、監査法人については「十分な機能を
果たせなかった」と指摘したl。これは監査法人にとって言い訳のきかない重大な発言である。と
いうのは、監査法人による外部監査は監査した効果がなかったという意味だからである。厳格監査
を標榜しながらも、一流会社には対応に甘さがある監査法人の体質が露呈したことになる。
五.第二のオリンパスがでないために
オリンパスの粉飾事件は「飛ばし」という粉飾の古典的な手口を使ったものだった。ただし、企
業買収に絡ませて飛ばした損失の補てんをしていた点は目新しいといえよう。
オリンパスは、同時期に問題になっている大王製紙のように同族企業ではなかったが、ワンマン
経営者liが経営のかじ取りを行う会社であった。つまり、コーポレート・ガバナンスが有効に機能
しない危険性を持った体制であったことは間違いがないと考えられる。
今回、問題になっている粉飾も菊川前社長、森前副社長及び山田前常勤監査役の3人の小サーク
ルで重大案件に関する決定がされていたことが判明している。
ここで日本の経営と粉飾の相違をしっかりと認識しておくことが必要と思われる。下の図表5―1
95
は両者の相違点を比較した表である。
図表5-1 日本の経営と粉飾の相違点
経営
粉飾
経営意思決定
ボトムアップ
トップダウン
経営者の動機
従業員の雇用の維持・拡大
経営者の責任回避
経営ないし粉飾期間
各経営者の任期期間
歴代経営者から引き継がれ
長期間にわたる
誰が実行するのか(実行者) 経営陣を含め全社一丸
監査法人
一部の経営陣(小サークル)
ノータッチ(改善・指導は
問題点を指摘
行われず)
通常、粉飾決算を行う会社は業績不振な場合が多く、粉飾を行うことで架空増資や銀行借入によ
る資金調達を図ることになる。ところが、オリンパスの場合には業績が好調であり、本来は粉飾決
算を行う必要がなかったlii。ただ1つ問題なのは新事業の大半が赤字であり、内視鏡とデジタルカ
メラに続く新事業の柱を求めており、これが企業買収を加速させた側面があるということである。
また、携帯電話にカメラ機能が搭載されたことにより、これまで急速に売り上げを伸ばしていたデ
ジタルカメラの伸びも頭打ちになり、内視鏡だけが収益の柱になっていた。
しかも、1990年代のバブル崩壊時にきちっとしたけじめをつけて財テクの損失に片を付けておか
なかったばかりに、他の企業がとっくに損失処理を終えているのに、バブル崩壊から20年以上もの
長期間にわたり、損失を引きずってしまっていたのである。オリンパスは少なくとも2回、財テク
の損失を早期に処理する機会が存在した。1つ目はバブル崩壊後の数年間で損失を処理していれ
ばよかったのである。しかし、そのような会計処理をせずに損失の先送りをしてしまっていた。
2回目の機会は、2000年の会計ビッグバンで時価会計が導入された時である(2001年3月期から導
入)。それまで企業は株式等の金融商品の含み損益があっても、その含み損益を計上しなくともよ
かったのである。これは日本の会計基準が取得原価基準を採用していたからである。
ところが、会計ビッグバンで新しい会計基準が導入され、これまでのように含み損益の未計上を
認めない会計処理が採用されることになったのである。そこで多くの企業は時価会計で含み損益を
計上する適正な会計処理を実施したが、オリンパスはそうしなかった。時価会計の導入にオリンパ
スが非常にあわてたのは想像に難くない。しかし、オリンパスは時価会計により含み損失を計上す
るのではなく、またしても損失の先送りに手を染めてしまったのである。そのために海外の会社を
利用し、損失の「飛ばし」処理を行った。
こうした会計操作ともいえる粉飾処理をオリンパスの経営陣や経理担当者が思いついたわけでは
なかった。これには指導した外部関係者が存在した。それは大手証券会社にこうした海外を使った
不正処理が得意なアドバイザーが存在しており、オリンパスの弱みに付け込んで甘い汁を吸い続け
たのである。
96
こうした粉飾事件が起こるたびに筆者は監査制度の抜本的な改革が必要であると考える。わが国
はいつも海外でできたシステムを自国に合うように作り変えることに汲々としてきた。しかし、発
想を転換して、わが国でよいシステムを創設し、海外各国がマネをするようなグローバル・スタン
ダードを世界に輸出する時期に来ているのではないかと思う。
具体的には強制的な調査権限を監査法人に付与することである。監査法人は監査手続が十分でな
かったと、責任を取らされるケースが増加しているが、監査人に武器を与えずに成果だけを要求し
ているように思える。今回の多額の買収案件でも買収先を監査できていたら、このような事態に至
らなかったと考えられるからである。監査法人に責任を押し付けるだけでなく、十分な調査権限が
与えられることにより、オリンパスのような粉飾はでないようになる。
また、日本的な企業風土にメスを入れることが必要になるだろう。オリンパスは、事なかれ主
義、懸案先送りの日本企業の古い体質を引きずっていたと指摘されているliii。今回のオリンパスの
粉飾に関しては大きく海外のメディアliv でも取り上げられており、日本企業全体の信頼性も失いか
ねない状況となっている。読売新聞の「日本企業は経営体制や情報開示のあり方を総点検する必要
がある」lv との指摘は納得させられる。
さらにオリンパスの監査をしていた2監査法人に対して、金融庁や日本公認会計士協会は厳格な
姿勢で調査すべきであると考える。これは日本企業全体が国際的な会計不信、監査不信に広がらな
いためにも非常に重要であるlvi。
六.オリンパスの粉飾が発見されなかったのは、日本の社会的風土に起因
オリンパスの企業風土と粉飾決算に大いに関係があるといわざるをえない。英国ファイナンシャ
ルタイムス紙の社説は、オリンパスは「質問しなければ、裏切られることもない」という社風であ
るというlvii。
オリンパスの社員は、「菊川が絶対君主だから発覚しなかった、というわけではないと思う。少
なくとも財務部の人はおかしいと分かっていたはずなんですが、言わない空気がある。無駄な正義
感は発揮しないカルチャー。上司に意見しないし、出る杭は打たれますから。魂を抜かれてた、と
いう感じ」というlviii。
確かにオリンパスの企業風土は、日本的と言えば、あまりに日本的な企業風土であるが、グロー
バル企業としてこれまでこのような日本的な企業風土を維持し続けることができたことが不思議で
ある。
しかし、2011年10月に英国人マイケル・ウッドフォードが社長(現在は元社長)に就任したこと
で歯車が狂いだす。ウッドワードは社長就任からすぐに新しい経営体制へ舵を取ろうとした。つま
り、菊川ら旧経営陣の実権を剥奪しようと動き出したのだ。そのため院政を敷こうとしていた菊川
会長(ウッドフォード社長当時CEOだった。ウッドフォード社長解任後、菊川は社長に返り咲い
たが、粉飾決算が表ざたになり、現在は前社長)と対立した。しかも、ウッドフォード社長解任の
決定に口を挟む取締役はおらず、取締役会において全会一致で承認されたのである。オリンパスの
損失隠しを調査してきた第三者委員会は、「経営中心部分が腐っており、その周辺も汚染されてい
97
た」と菊川のワンマン経営を指摘したlix。
ウッドフォードは証券取引等監視委員会に内部告発し、オリンパスの旧経営陣の粉飾事件を明ら
かにした。こうしてオリンパスは長年の粉飾が発覚することになってしまったのである。しかし、
ウッドフォードの内部告発の前にオリンパスの粉飾疑惑を記事にした雑誌があった。この雑誌は
FACTAといい、ウッドフォードはこの記事lx を読んで、高額な企業買収を問題視したが、菊川会
長を辞任させるつもりが逆に解任されてしまった。
もし英国人が社長でなかったならば、オリンパスの粉飾はいまだに表面化しなかっただろう。こ
れはオリンパスが、「見ざる、言わざる、聞かざる」という考え方の日本の企業風土のどっぷりと
浸かった会社であり、そうした企業体質を疑問視せずに唯々諾々と守り続けているからである。こ
うした日本企業は多数存在しており、今後も企業体質を改善しないやり方は問題を発生させること
になろう。
第三者委員会の損失隠しの解明した調査報告書に対して、ウッドフォード前社長は「何も言えな
いイエスマンは経営陣にいるべきではない」と述べたことは傾聴に値する言葉であるlxi。
【参考文献】
柴田英樹『会計士の監査風土 -会計士は不正のトライアングルを断ち切れるか-』プログレス、
2011年6月。
柴田英樹『粉飾の監査風土 -なぜ、粉飾決算はなくならないのか-』プログレス、2007年7月。
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柴田英樹『監査風土の変革』清文社、1998年3月。
高橋篤史『粉飾の論理』東洋経済新報社、2006年10月。
浜田康『会計不正 -会社の「常識」・監査人の「論理」』日経BP社、2008年4月。
浜田康『「不正」を許さない監査』日本経済新聞社、2002年10月。
藤井保紀『会計ビッグバンとコーポレート・ガバナンス』シグマバイキャピタル株式会社、
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町田祥弘『会計プロフェッションと内部統制』税務経理協会、2004年3月。
細野祐二「オリンパス「巨額粉飾決算」を見逃したあずさ監査法人の大罪」『ZAITEN 1月号』
財界展望新社、2012年1月。
末松義章『不正経理処理の実態分析 -粉飾決算のメカニズムと発生の抑制方法』中央経済社、
2010年4月。
「オリンパス「無謀M&A」巨額損失の怪」、『FACTA 8月号』、2011年8月。
i 内視鏡やデジタルカメラを製造・販売する光学機器大手である。特に医療用の内視鏡は世界で7割のシェアを持っ
ている。顕微鏡の国産化を目指して1919年(大正8年)に「高千穂製作所」の名称で創業された。1949年(昭和24
年)にギリシャのオリンポス山にちなむオリンパス光学工業に社名変更した。その後、カメラ市場に参入し、1950年
(昭和25年)に世界で始めて胃カメラの実用化にも成功した。2011年(平成23年)3月期の連結売上高は約8,471億円
98
である。先にも述べたが、消化器用内視鏡は世界シェアの7割を占めるなど、医療機器が利益の大部分を稼ぎ出して
いる。デジタルカメラなどの映像事業は苦戦を強いられている(業界第7位)。平成23年3月末のグループ従業員は
3万4,391人だった。東証1部上場の老舗企業であり、よく問題となる同族企業ではなかった。(当該脚注部分は『日
本経済新聞朝刊』2011年(平成23年)11月9日付の記事等を参考にして作成)。
ii ケイマン諸島は租税回避地であり、金融当局の監視が届きにくい。そこで租税回避地を多用したオリンパスの買収
は、粉飾請負人であるブローカーが考案した海外ファンドを使った複雑なスキームと考えられる。
iii 飛ばしとは、含み損を抱えた金融商品を外部に売却し、損失の表面化を免れることをいう。決算期が異なる企業や
関係会社に、時価よりも高い値段で売却して損失を隠す。バブル崩壊後、財テク損失の計上を先送りするために使わ
れた(『日本経済新聞朝刊』2011年(平成23年)11月9日付の記事)。
iv 『日本経済新聞朝刊』2011年(平成23年)11月19日付の記事。オリンパスは1980年第半ばに財テクに乗り出したが
バブルが崩壊し、損失を取り返すため、リスクの高い金融商品に手をだし含み損を拡大させた。損失隠しは、80年代
から財テクを担当してきた山田、森ら財務部門の一部だけで実行されてきたと読売新聞は報道している(『読売新聞
朝刊』平成23年12月7日付の記事)。
v 『同』平成23年11月19日付の記事。平成23年11月24日に菊川及び森取締役と山田監査役は役員を辞任している。
vi 『同』平成23年11月19日付の記事。しかし、その後、これらの損失隠しは森と山田がやったことと菊川は関知して
いなかったような発言に変わった。こうした責任逃れの発言は見苦しく感じる。
vii 『同』平成23年11月19日付の記事。
viii 『同』平成23年11月12日付の記事。
ix 『産経新聞朝刊』平成23年11月21日付の記事。森氏は「買収資金は含み損の解消に利用されており、マネーロンダ
リングや反社会的な団体への還流はない」と説明していた。
x 『読売新聞朝刊』平成23年12月7日付の記事。ただ第三者委員会は反社会的勢力の関与はなかったという調査結果を
発表している。しかし、この結果は「任意調査なので一定の限界がある」という認識を示している。
xi 『読売新聞朝刊』平成23年12月7日付の記事。
xii 旧知の証券関係者が設立した会社であり、当該助言会社の選定は菊川前社長、森前副社長、山田常勤監査役のみで
決済し、報酬額を引き上げる契約修正も3人で決めていたという(『日本経済新聞社朝刊』平成23年11月16日付の記
事)。
xiii ジャイラスは医療機器メーカーとマスコミに報道されているが、「ジャイラスは医療テクノロジー会社で英国の上
場会社だった。買収直前の2006年12月期のジャイラスの財務内容は、売上高2億1,300万ポンド(489億円)、当期純
利益1,900万ポンド(43億円)、純資産2億8700万ポンド(660億円)であり、株価は1株4ポンド弱だった。オリンパ
スはこの会社を1株6ポンド30ペンス総額9億3,500万ポンド(2,150億円)の巨費で買収した。純資産2億8,700万ポン
ド(660億円)と言っても、ジャイラスの総資産には営業権が2億5,300万ポンド(581億円)も計上されており、営業
権を除いた純資産は3,400万ポンド(780億円)に過ぎない。しかもオリンパスは市場価格の58%のプレミアムをつけて
この会社を買収した。」(細野祐二「オリンパス「巨額粉飾決算」を見逃したあずさ監査法人の大罪」『ZAITEN 1
月号』財界展望新社、2012年1月、46頁。)
xiv 日本の大手証券会社OBが1997年(平成9年)に設立した。同名の国内会社の「アクシーズ・ジャパン」(東京都
中央区)と事実上、一体とみられ、国内会社も同じ大手証券会社の別のOBが代表を務めている(『産経新聞朝刊』平
成23年11月9日付の記事)。ニュ-ヨークに本拠を置く投資助言会社「アクシーズ・アメリカ」は、現在は解散して
いる(『陸奥新報』平成23年11月18日付の記事)。AXESは米国デラウェア州において1997年に設立登記され、その
後ジャイラスの買収の始まった1996年にニューヨーク州で登記されている(細野「前掲稿」、46頁)。
xv AXAMはアクシーズがジャイラス買収のために2007年(平成19年)に英領ケイマン諸島に設立した会社である
(『産経新聞朝刊』平成23年11月9日付の記事)。報酬受領の直後2010年に免許料不払いにつき登録抹消になってい
る(細野「前掲稿」、46頁)。
xvi 『日本経済新聞朝刊』平成23年10月28日付の記事。発行したのは2008年であり、実際に買い戻したのは2010年のこ
とである。
xvii 『同』平成23年11月15日付の記事。
xviii 『同』平成23年10月28日付の記事。
xix 『同』平成23年10月28日付の記事。
xx 細野「前掲稿」、46-47頁
xxi 「オリンパス「無謀M&A」巨額損失の怪」、『FACTA 8月号』、2011年8月。FACTAでは、599億円となって
いるが、620億円が他の新聞記事等によると正しいようなので、数字は620億円に修正している。
xxii 『FACTA 8月号』によれば、「ジャイラスは製造業でありながら、総資産の半分以上をのれん代(劑執された
企業の時価評価純資産と買収価額との差額)が占める。市場関係者でさえ「そんな(資産構成の)会社は見たことが
99
ない」という声を漏らすほど異常な存在だ。言い換えれば、「のれん代の塊」のような会社を、分厚いのれん代でさ
らに十重二重にくるんで買い取ったことになる。その後、ジャイラスの業績動向について、オリンパスは大雑把な売
上高を示すだけで詳細は一切開示していない」としている。
xxiii 「オリンパス「無謀M&A」巨額損失の怪」、『FACTA 8月号』、2011年8月。
xxiv 『同』平成23年10月20日付の記事。
xxv アルティスは、もとは(有)高柳植物栽培研究所という名前で、野菜栽培会社だった。高柳植物栽培研究所の
社長だった高柳栄夫(たかやなぎえいふ)社長は2002年にケイマン諸島のペーパーカンパニーに300万円で売却して
いた。これを当該ペーパーカンパニーからオリンパスは200億円で買収したのである。また、ペーパーカンパニーへ
出資したのは、リヒテンシュタイン公国の運用依頼を受けた会社であると高柳元社長は述べていた(TBSテレビの
NEWS23クロス平成23年11月8日放映)。放映を見ていると、高柳植物栽培研究所の残骸が残っており、まさに個人
の家の一部を改装した零細企業だった。
xxvi オリンパスは2009年(平成21年)3月期まで会計監査をあずさ監査法人に依頼していたが、2010年3月期から突
然、新日本監査法人に監査法人を変更している。この理由は、表面上は契約満了に伴い、監査法人を変更したとして
いる。しかし、2009年3月期の決算であずさが買収金額を巡って問題提起したことが気に入らなかったためという向
きがある(オリンパス関係者の証言:『産経新聞朝刊』平成23年11月9日の記事)。しかし、これとまったく異なる
意見もある。海外監査法人であるKPMGが2008年当時は海外におけるオリンパスの会計監査を行っていたが、この年
に買収した英国医療機器メーカー「ジャイラス」の会計上の問題を受け、KPMGが撤退したというのである。この撤
退に伴い、KPMGの日本での提携先であるあずさ監査法人がオリンパスの会計監査を辞退したというのである。その
後、海外ではKPMGの撤退を受けて、E&Yが監査を行うようになった。そこでE&Yの日本での提携先である新日本監
査法人がオリンパスの会計監査を行うようになったとも伝えられている。もちろんどちらが正しいのかはわからない
が、KPMGがジャイラスの買収を問題視したことは当然であると考えられる。
xxvii 『日本経済新聞朝刊』平成23年10月28日付の記事。
xxviii 『FACTA 8月号』によれば、「GCから買収したアイパワースポーツ(現オリンパスビジュアルコミュニケー
ションズ)も、債務超過に陥っていることが決算公告で確認済み」(筆者注:GCとは、グローバル・カンパニー(東
京都中央区)にあるオリンパスが出資したファンドを主宰する会社)と指摘している。
xxix 社外取締役とは、株式会社の取締役であって、現在及び過去において、当該株式会社またはその子会社の代表取
締役・業務執行取締役もしくは執行役または支配人その他の使用人ではないものをいう(会社法第2条第15号)。取
締役会設置会社において、特別取締役による議決の定めをするためには、取締役のうち1名以上が社外取締役でなけれ
ばならない(会社法第373条第1項第2号)。委員会設置会社における委員会では、その委員の過半数が社外取締役で
ある必要がある(会社法第400条第3項)。法的には上記のように取締役会設置会社の場合にも社外取締役を設置する
場合もあるが、委員会設置会社だけが必ず社会取締役の設置が義務付けられているに過ぎない。
xxx 『読売新聞朝刊』平成23年11月9日付の記事。
xxxi 太田洋弁護士「企業統治を聞く」『日本経済新聞朝刊』平成23年11月17日付。
xxxii 太田、前掲記事。
xxxiii 太田、前掲記事。
xxxiv 現在は、有限責任あずさ監査法人になっているが、オリンパスの会見監査を担当していた当時は無限責任監査法
人であり、あずさ監査法人の名称だった。
xxxv 新日本監査法人は、2009年6月の株主総会終了後に監査担当になった当時から、正式な名称は新日本有限責任監
査法人であったが、便宜的に新日本監査法人という名称で当該論文では記載している。
xxxvi 『陸奥新報』平成23年11月10日付の記事。
xxxvii 『日本経済新聞朝刊』平成23年11月11日付の記事。
xxxviii 「特捜部と全面対決した会計士が読み解く「オリンパスと監査法人はグル」の理由」、『週刊朝日
2011.12.2』、31頁。「3社買収決定の祭、オリンパスに提出されたのは、都内の会計事務所で作られた「株主価値
算定報告書」のみで、本来、M&Aを判断するときに必要な「会計デューデリジェンス(会計調査)」「リーガル・
デューデリジェンス」(法務調査)の報告書がなかったと指摘されている」
xxxix 細野、前掲稿、44頁。DCF法は、予測可能な事業計画に基づき、評価企業の将来のキャッシュ・フローを現在
価値に割り引くことにより企業評価を行う方法であるが、「誰がどう考えても実現することはありえない」事業計画
に基づき高評価を行っている。
xl 『同』平成23年11月21日付の社説。
xli 『同』平成23年11月17日付の記事。
xlii 細野「前掲稿」、47頁。
xliii 細野「前掲稿」、47頁。
100
xliv 4大会計事務所ビッグ・フォーの一つであり、あずさ監査法人と提携関係にある。
xlv 『FACTA 8月号』、2011年8月。
xlvi 証券取引等監視委員会金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載など)に当たるかどうかを精査するとして
いるが、粉飾に加担していたとされる菊川前社長、森前副社長、山田前監査役(平成23年11月24日に辞任)3人への
聞き取りは金融商品取引法違反の嫌疑を前提としたものではないとの報道がされている(『日本経済新聞朝刊』平成
23年11月12日付の記事)。この報道を好感してオリンパスの株価は1000円台に回復した。
xlvii 『日本経済新聞朝刊』平成23年11月21日付の社説。
xlviii 細野、前掲稿、47頁。
xlix 「オリンパス「無謀M&A」巨額損失の怪」、『FACTA 8月号』、2011年8月。
l 『日本経済新聞朝刊』平成23年12月7日付の記事。
li 日本経済新聞朝刊平成23年11月11日付の記事。「オリンパスでは社長が10年近く在任し、経営者として君臨する風土
があった。」菊川剛前社長は、「2001年から10年にわたり社長を務め、1990年代には高画像デジタルカメラをヒット
させるなどの功績がある。菊川氏の役員報酬は、開示が定められた09年度以降2年連続で1億5千万円以上。同業の
ニコンやリコーに1億円超えの役員がいないことを考えると際立っている。菊川氏の前任の岸本正寿氏と2代前の下山
敏郎氏も在任期間がそれぞれ8年、9年と長く、組織が硬直化するきらいがある長期政権が引き継がれた格好だ。」
第三者委員会の調べによると、下山、岸本、菊川ら歴代社長は損失隠しや粉飾処理を部下から報告され、認識してい
た模様である。
lii ただし、現時点では損失隠しの全容が判明しておらず、本来の財務体質を測定・判断することは困難である。オリ
ンパス側では、すでに1,000億円の損失の大半は処理が終了しているとしている。2011年6月末時点では、借入金と社
債の合計が7,000億円もあり、銀行等の金融機関が回収に走れば資金ショートを起こす危険性がある。
liii 『読売新聞朝刊』平成23年11月9日付の記事。
liv 『英ファイナンシャルタイムス』2011年11月9日社説。
lv 『読売新聞朝刊』平成23年11月9日付の記事。
lvi 『日本経済新聞朝刊』平成23年11月21日付の社説でもこうした指摘が見られるが当然の指摘であると考える。いい
加減なところでことを済まそうとしたら、結局、より大きな問題になってしまうことがよくあることである。厳正に
対処して、日本の関係当局がしっかりとした態度で臨んだということならば、世界も納得するだろう。
lvii 『英ファイナンシャルタイムス』2011年11月9日社説。
lviii 渡邉正裕「企業ミシュランvol.29 オリンパス 損失隠しで身売りにおびえる社員たち」『ZAITEN 1月号』財界
展望新社、2012年1月、101頁。
lix 『読売新聞朝刊』平成23年12月7日付の記事。
lx 「オリンパス「無謀M&A」巨額損失の怪」、『FACTA 8月号』、2011年8月。一連の子会社買収を巡る不透明な
取引を記事にしている。
lxi NHKテレビ週刊深読みニュース(平成23年12月10日)
101
準市場の優劣論と日本の学校選択(1)
――実証的調査・研究の整理
児 山 正 史
目次
1.はじめに
2.概観
3.供給者への誘因
4.利用者の行為主体性
5.条件の充足 (以上、本号)
6.良いサービスの提供
7.他のモデルとの比較
8.おわりに
1.はじめに
1980年代末以降、イギリスでは、学校選択制をはじめとして、公共サービスに市場の要素を取り入
れる改革(準市場(quasi-market)の導入)が行われた(児山 2004 )。2000年以降になると、準市場の代表
的な研究者であるルグラン(Julian Le Grand)が、公共サービスを供給する他の方式(供給者への「信
頼」、上からの「命令と統制」、利用者の「発言 」)と比較して、準市場(「(利用者の)選択と(供給者の)競
争」)が優れていると主張するようになった。ルグランによると、準市場は、供給者(学校など)に誘因
を与え、利用者(生徒・親など)を活動的な行為主体として扱うことなどにより、競争・情報・いいと
こ取りなどに関する条件が満たされるならば、質・効率性・応答性・公平性の点で良い公共サービ
スを提供する可能性が他の方式よりも高い。しかし、準市場の優位というルグランの主張は論証さ
れておらず(他の方式の優位も論証されておらず)、どのような状況下で準市場あるいは他の方式が
優れた結果をもたらすかを具体的に論じることが課題として残されている(児山 2011a )。
日本では、1980年代中頃の「教育の自由化論争」以来、公立小中学校の選択制(学校選択制)をめぐる
議論が続けられてきた。また、2000年以降、東京都を中心に学校選択制を導入する自治体が増加し、
これらに関する実証的な調査・研究も行われている。
前稿では、準市場の優位というルグランの主張に沿って、日本における学校選択制への批判やそれ
に対する応答を整理した。そして、実証的に明らかにすべき点として、以下のようなことを挙げた(詳
細は前稿を参照)。第1に、供給者に誘因を与えることについては、学校選択制によって学校のどの
ような努力がどのくらい促されるかである。第2に、利用者を行為主体として扱うことについては、
103
どのような属性の生徒・親がどのくらい学校選択を希望し、行使しているかである。第3に、準市場
が成功するための条件のうち、競争については、通学可能な学校がどのくらい存在するか、学校選択
制が小規模校の廃止を促進するか、それがどのような影響を与えるか、正当な手続として受け入れら
れるかである。また、情報については、どのような属性の生徒・親がどのような情報を入手・活用し
ているか、いいとこ取りに関しては、どのような方法で入学者を決定しているかである。第4に、準
市場が良いサービスを提供するかどうかについては、質が向上しているか、公平性や社会的包摂が損
なわれているか、序列化とそれに伴う弊害が生じているか、生徒・親・学校と地域の関係の切断によ
る悪影響が生じているかである。第5に、他のモデルとの比較については、学校選択制は生徒・親・
(児山 2011b )
住民の学校への参加にどのような影響を与えるかである。
本稿では、これらの点に関する実証的な調査・研究を整理した上で、日本の学校選択について暫
定的に考察し、今後の調査・研究の課題を挙げる。なお、日本の学校選択に関する実証的な調査・
研究は多いが、これらを整理した研究は見られない。以下、第2節で日本の学校選択を概観した上
で、第3~7節でルグランの主張に沿って実証的な調査・研究を整理する(1)。
2.概観
本節では、日本の学校選択の制度と導入状況を概観する。
(1)制度
文部科学省の定義では、学校選択制とは、
(市町村教育委員会が)
「就学校を指定する場合に、就学す
(2 )
。市町村教育
べき学校について、あらかじめ保護者の意見を聴取するもの」
である(文部科学省 2008 )
委員会は、設置する小中学校が2校以上ある場合、就学予定者の就学すべき小中学校を指定しなけれ
(学校教育法施行令5条2項 )。この指定をする場合には、あらかじめ、
ばならない(中高一貫校を除く)
その保護者の意見を聴取することができる(学校教育法施行規則 32条 )。
文部科学省によると、学校選択制には次のような形態がある。①自由選択制(当該市町村内のすべ
ての学校のうち、希望する学校に就学を認めるもの)、②ブロック選択制(当該市町村内をブロックに
分け、そのブロック内の希望する学校に就学を認めるもの)、③隣接区域選択制(従来の通学区域は残
したままで、隣接する区域内の希望する学校に就学を認めるもの)、④特認校制(従来の通学区域は残
したままで、特定の学校について、通学区域に関係なく、当該市町村内のどこからでも就学を認める
もの)、⑤特定地域選択制(従来の通学区域は残したままで、特定の地域に居住する者について、学校
(文部科学省 2008 )
選択を認めるもの)、⑥その他、である。
本稿では、①~⑥を広義の学校選択制、①~③を狭義の学校選択制と呼んで区別することがある。
④は主として中心街から離れた小規模な学校に用いられ、⑤は通学の距離や安全が理由であること
が多いとされる。そして、④⑤は、以前から行われており、一般にイメージされる学校選択制に当た
るかどうか疑問であるとされ、特定の学校・地区のみを対象としていることから、「学校選択制」か
(3 )
ら除外されることがある(嶺井・中川編著 2005:9 )
。
104
(2)導入状況
日本で(狭義の)学校選択制が導入された最初の例は、1998年度の三重県紀宝町の小学校の選択制
であると言われる。続いて、2000年度には東京都品川区が小学校(2001年度からは中学校 )の選択制、
岐阜県穂積町が小中学校の選択制を導入した。これらに先立ち、東京都足立区は、1995年に通学区域
制度の大幅な弾力化を行い、実質的にはこの頃から学校選択制を開始したとも言われている(正式
(嶺井・中川編著 2005:82 )。その後、学校選択制は東京都区部・多摩地区、埼玉県、
導入は2002年度 )
広島県をはじめとして全国へ拡大した(同上 9-10,22-6、嶺井・中川 2007:8-10,27-32、嶺井編著 2010:34-5,405 )。ただし、
近年は導入のテンポが鈍っており、学校選択制を廃止する自治体も現れた(同上 34,8-12 )。
文部科学省の自治体調査によると、2006年度に複数の小学校・中学校を置いていた自治体(小学
校は全自治体の90.6%、中学校は71.0%)のうち、広義の学校選択制を導入していたものは、小学校で
14.2%、中学校で13.9%、狭義の学校選択制を導入していたものは、それぞれ4.4%、7.0%だった(文部科
学省 2008 )。このように、2006年度には15%程度が広義の学校選択制を導入していたが、そのうち狭
義の学校選択制は小学校で3割程度、中学校で5割程度だった。
3.供給者への誘因
本節からは、準市場の優位というルグランの主張に沿って、日本の学校選択に関する実証的な調
査・研究を整理する。まず、本節では、供給者に誘因を与えることについて見ていく。
ルグランは、学校・教員などの供給者は利他的な「ナイト 」であるか利己的な「悪党 」であるかが分
からないので、両方に訴える誘因が必要であると主張していた。しかし、学校選択制によって学校・
教員に誘因を与えると、生徒集めに有効な側面(試験の成績など)を重視し、教育の総合性・包括性を
軽視するなどの悪影響が生じるという批判もある。以下、学校選択制によって学校・教員のどのよ
うな努力(例えば、教育の実質的な改善、生徒集めに有効な側面のみの改善 )がどのくらい促される
かに関わるアンケート調査と事例研究を整理する。
(1)アンケート調査
アンケート調査としては、内閣府、文部科学省による教育委員会への調査や、東京大学・品川区教
育委員会による教員への調査がある。
まず、内閣府の市区教育委員会アンケート(2006、07、08年度 )によると、学校選択制を導入して良
かったこと(11の選択肢から複数回答 )は、「保護者の学校教育への関心が高まった」
(小学校、中学
校に学校選択制を導入していた教育委員会のうち、それぞれ46.2 ~ 57.0%、50.5 ~ 54.9%、小中学校の
3回の平均は51.5%、以下同じ)、
「子どもが自分の個性に合った学校で学ぶことができるようになっ
た」(33.3 ~ 44.6%、55.9 ~ 59.4%、48.3%)、「選択や評価を通じて特色ある学校づくりが推進でき
た」
(39.6 ~ 45.2%、41.5 ~ 49.0%、45.7%)、「学校を選ぶに当たって保護者と子どもの十分な話し合
いが行われるようになった」
(29.0 ~ 36.6%、41.5 ~ 49.0%、39.1%)、「指定校変更申立よりも簡単な
手続で児童の希望に沿った学校へ就学させることができた」
(29.7 ~ 38.7%、34.9 ~ 45.9%、38.1%)、
「その他 」
(22.6 ~ 24.8%、12.7 ~ 19.8%、20.1%)、「教職員の意識が変わった」
(14.0 ~ 19.8%、20.2 ~
105
24.5%、20.0%)、「学校同士が競い合うことにより教育の質が向上した」
(5.4 ~ 13.9%、9.8 ~ 15.1%、
(内閣府 2009b:12 )
11.3%)などだった。
また、文部科学省の抽出教育委員会アンケートによると、学校選択制の導入による成果(5つの選
択肢から複数回答 )は、「その他 」
(学校選択制を導入していた教育委員会の39%、以下同じ)、「保護
者の学校教育への関心が高まった」
(34%)、「子どもが自分の個性にあった学校で学ぶことができる
ようになった」
(33%)、「選択を通じて特色ある学校づくりが推進できた」
(32%)、「学校同士が競い
(文部科学省 2010 )
合うことにより教育の質が向上した」
(4%)だった。
これらの良かったことや成果のうち、学校・教員の努力に関わることは、特色ある学校づくり、教
(4 )
職員の意識の変化、学校間の競争による質の向上であるといえる
。これらの効果があったと回答
した割合は、それぞれ、3~5割、2割前後、1割前後である。また、特色ある学校づくりは、保護者の
関心の高まりや個性に合った学校で学べることと並んで上位であるが、他の2つは中位または下位
である。
なお、上記の調査の母数には、特定の学校・地区のみを対象に選択制を導入していた教育委員会も
含まれていたと考えられる。そのため、狭義の学校選択制を導入していた教育委員会に限定すれば、
効果があったと回答する割合はより多くなった可能性もある。ただし、学校・教員の努力に関わる
効果の相対的な順位は変わらないとも考えられる。また、これらの調査は、学校選択制を導入してい
た教育委員会の認識を尋ねたものであるため、効果を過大に回答した可能性もある。
次に、東京大学・品川区教育委員会の品川区教員アンケートによると、教育改革の方法として学
校選択制が有効だと思うかという設問に肯定的に回答した割合は、管理職(校長・教頭 )は「とても
そう思う」が36.6%、「そう思う」が57.1%だったが、非管理職(主幹・教諭 )はそれぞれ1.4%、23.6%
だった(非管理職の回答は、「どちらとも言えない」が46.9%、「あまり思わない」が20.2%、「全く思
わない」が8.1%)。他方、教育改革のための他の方法に関する非管理職の回答は、外部評価について
は「とてもそう思う」が2.9%、
「そう思う」が44.1%(「どちらとも言えない」39.7%、
「あまり思わない」
11.1%、「全く思わない」2.3%)、学力定着度調査については「とてもそう思う」が1.9%、「そう思う」が
32.5%(「どちらとも」44.1%、「あまり」17.4%、「全く」4.2%)だった。なお、管理職の回答は学校選
(品川区教育政策研究会編 2009:17-8 )
択制についての回答と同様だった。
このように、学校選択制の有効性に関する肯定的な回答の割合は、管理職は9割以上だったが、非
管理職は4分の1程度であり、教育改革のための他の方法と比較しても少なかった。なお、学校選択
制や外部評価に反対していた教員は品川区外に異動したとも言われており (若月編著 2008:97,135 )、
この調査でも有効性が過大に回答された可能性もある。
(2)事例研究
事例研究では、学校選択制の導入に伴い、学校がPR を中心にさまざまな活動を強化・充実したこ
とが記述されている。例えば、学校案内のパンフレットの作成・配布、ホームページでの情報発信、
校長による就学予定児童の家庭訪問、地元小学生の部活動体験会などである。親からも、学校見学へ
(池添 2002:71-2、児玉
の対応が丁寧になったなど、学校が開かれてきたと感じられていると言われる。
106
2007:189、黒岩 2000:100 )
特に、学校選択制の下で入学者が減少した学校では、教員が危機感を持ってPR の強化や教育の充
実を行った例が紹介されている。例えば、教職員による入学予定者の家庭訪問、近隣幼稚園・保育園
への学校だよりの配布、幼稚園・保育園児への土曜教室、学校行事の公開、父母・地域に開かれた学
校運営、少人数であることを生かした複数学年合同の授業、在校生への土曜教室、部活動の活性化、放
(飯田 2004:49、久冨 2000:113、福島 2000:
課後に生徒が時間を過ごせる特別ルームの設置などである。
101-2、菊池他 2008:33、山本 2004:107-8、嶺井・中川 2007:35、菊池他 2006:21 )
しかし、学校の変化は表面的であるとも指摘されている。外見を重視して制服を変えたり、学校公
開の際に茶髪の生徒を隠し、管理的な態度を緩めたりした例が挙げられている(橋本 2008:86、廣田・
深見 2001:328 )。品川区のある校長は、学校選択制の導入直後には、付け焼き刃の学校の特色を打ち
出し、戸別訪問を行ったが、直ちに学校の体質や個々の教員の日常の取り組みを変えることには結び
つかなかったと述べている(若月編著 2008:91-2 )。
さらに、足立区では、2007年に小学校の学力調査における不正が発覚した。特定の児童を調査対象
から外し、過去の問題を使って対策の練習を行い、学力調査中に教員が児童に誤答した問題文を指
さすという不正である(谷口 2008:69 )。この背景には、足立区教育委員会が2004年に各学校の平均
点を公表した結果、学校の平均点を見て学校を選ぶ傾向が強くなったことや、各校に学力向上の取
り組みを要求し、学力調査の結果で学校予算に差をつける方針を示したことがあったとされる(橋本
2009:56-7 )。
このように、学校選択制の導入に伴い、特に入学者が減少した学校が、PR を中心にさまざまな活動
を強化・充実した例が紹介されている。しかし、学校の変化が表面的であることや、学力調査におけ
る不正が行われたことも指摘されている。ただし、学力調査における不正は、学校選択制だけでなく、
学力調査の結果を予算に反映する方針(ルグランのいう命令と統制モデル )も背景としていた。
以上、学校選択制によって学校・教員のどのような努力がどのくらい促されるかに関わる調
査・研究を整理してきた。まず、内閣府や文部科学省の教育委員会に対するアンケート調査に
よると、学校選択制の効果のうち、特色ある学校づくりは、保護者の関心の高まりや個性に合っ
た学校で学べることと並んで上位だったが、教職員の意識の変化や学校間の競争による質の向
上は中位または下位だった。次に、品川区の教員に対するアンケート調査によると、管理職は学
校選択制の有効性を教育改革の他の方法と同様に高く評価していたが、非管理職の評価は低かった。
最後に、事例研究では、学校選択制の導入に伴い、PR の強化、教育の充実、表面的な変化、不正行為な
どが促された例が挙げられている。
4.利用者の行為主体性
ルグランは、サービスの長期的な改善や利用者への応答性の達成、自律性の原理の充足のために、
利用者を活動的な行為主体として扱うべきであると主張していた。しかし、特に選択の行使という
形で生徒・親を行為主体として扱うことに対しては、選択を強制することになるなどの批判があっ
107
た。日本の学校選択制は希望者だけが選択を行使する方式であるため、選択の強制という問題は生
じないが、この方式の下で少数の高い階層の生徒・親だけが選択を希望・行使するのであれば、学校
選択制は公平性を損うともいえる。以下、学校の選択を希望・行使する生徒・親がどのくらいいるか、
選択の希望・行使と階層との間に関係があるかどうかに関する実証的な調査・研究を整理する。
(1)学校選択の希望・行使
まず、学校選択制に賛成する親、選択の行使を希望する親、実際に選択を行使した親がどのくらい
いるか、また、選択を行使した親がそれをどのように評価しているかを見ていく。
①学校選択制への賛否
学校選択制に賛成する親がどのくらいいるかについては、内閣府とベネッセが全国的なアンケー
ト調査を行っている。まず、内閣府の保護者アンケート(2005、06、09年 )によると、学校選択制に「賛
成 」と回答した保護者の割合は28.8%、31.0%、21.8%、「どちらかといえば賛成 」は35.4%、36.9%、
33.6%、両者の合計は64.2%、67.9%、55.4%だった(内閣府 2005:65、2006a:21、2009a:25 )。また、ベネッ
セの抽出都県保護者アンケート(2004、08年 )によると、学校選択制に「賛成 」と回答した保護者の割
合は23.3%、18.2%、「どちらかといえば賛成 」は39.6%、36.7%、合計は62.9%、54.9%だった(ベネッセ
(5 )
2008b:144 )。
自治体・地域ごとに見ると、まず、ベネッセの東京都保護者アンケートでは、中学校選択という制
度に「とても賛成 」は24.5%、「やや賛成 」は55.8%、合計 80.3%だった(ベネッセ 2005:15 )。また、品
川区のアンケート調査では、2000年度から小学校の選択制を導入した後、中学校も学校を選べるよう
にしてほしいかという問いに「はい」と答えた児童(小学校5年生 )は72%、その保護者は75%だった
(教育ジャーナル 2001:13 )。他に、長崎市では小中学校選択制の導入後の保護者の支持は77.1%、那覇
市では小学校選択制の導入前の保護者の賛成は64%だった(嶺井編著 2010:102,111 )。他方、ベネッセ
の全国保護者アンケートによると、住んでいる地域の中学校に選択制が「導入されていない」または
「わからない」と回答した保護者のうち、学校選択制を導入してほしいと思うかという設問に対して
「とてもそう思う」
「まあそう思う」と回答した保護者の割合は合計 30.2%だった(ベネッセ 2008a:689 )。
このように、全国的な調査では学校選択制に肯定的に回答した親は6割前後であるが、自治体・地
域ごとに見ると3割から8割まで幅がある。
②選択の行使の希望
学校の選択が可能な場合、選択の行使を希望する親がどのくらいいるかについては、内閣府がアン
ケート調査を行っている。2005年の保護者アンケートによると、学校選択ができる場合、「自分の子
どもにふさわしい学校を選択する」と回答した保護者の割合は69.8%、「地方自治体が指定した学校
に自分の子どもは通学させる」は24.6%だった(内閣府 2005:72 )。2006、09年の保護者アンケートでは、
学校選択制を「活用したい」と回答した保護者の割合は23.2%、17.9%、「活用するかどうかはわから
108
ないが、制度があれば検討したい」は2回とも60.9%、「検討もしないし、活用しない」は14.1%、19.4%
だった(内閣府 2006a:24、2009a:26 )。このように、学校選択制を活用または検討したいと回答した親
が7~8割程度である。
③選択の行使
学校選択制が導入されている場合、実際に選択を行使した親がどのくらいいるかについても、内閣
府が全国的なアンケート調査を行っている。2006、09年の保護者アンケートによると、学校選択制が
導入されていると回答した保護者(全体の24.5%、19.6%)のうち、「学校選択制を活用して、住所地か
ら決められた学校以外の希望する学校に通学させた」と回答した保護者の割合は12.2%、18.3%、「学
校選択制を検討した上で、住所地から決められている学校に子どもを通学させた」は25.9%、27.5%、
「学校選択制は検討せず、そのまま住所地から決められている学校に子どもを通学させた」は38.3%、
(6 )
(内閣府 2006a:16-7、2009a:27-8 )
41.4%だった。
自治体ごとに見ると、例えば、品川区で選択を行使した割合は小学校が2000年度 13.4%、09年度
30.5%、中学校は同じく17.4%、31.8%、足立区の小学校は2002年度 18.9%、07年度 22.6%、中学校は
26.0%、39.2%、埼玉県川口市の小学校は2005年度 8.8%、09年度 5.7%、中学校は2003年度 11.9%、09年
(7 )
(嶺井・中川 2007:63,66、嶺井編著 2010:51,53,75,79 )
度 20.9%だった。
このように、全国的な調査では、地元以外の公立学校を選択した親の割合は15%前後であり、これ
に加えて、選択の行使を検討した上で地元の学校に通学させた割合は25%程度、両者の合計は4割程
度である。ただし、選択を行使した割合は自治体や時期によって大きく異なり、5%から40%程度ま
で幅がある。
④評価
学校の選択を行使または検討した親の評価についても、内閣府の調査がある。2006、09年の保護者
アンケートによると、学校選択制を活用または検討して子供のためによかったと思うかという設問
に対して、「非常に良かった」と回答した保護者は18.0%、12.1%、「良かった」は52.3%、41.0%、「ど
ちらともいえない」は26.6%、42.1%だった(内閣府 2006a:19、2009a:30 )。このように、肯定的な評価
が5~7割である。
(2)階層との関係
次に、学校選択制への賛否や選択の行使と階層との関係について見ていく。
①学校選択制への賛否と階層
学校選択制への賛否と階層との関係については、内閣府とベネッセが調査を行っている。
まず、内閣府の2005年の保護者アンケートによると、学校選択制に「賛成 」
「どちらかといえば賛
成 」と回答した割合の合計は、世帯年収が高いほど多かった。年収 300万円未満では合計 53.6%(賛
成 28.0%、どちらかといえば賛成 25.6%)、300 ~ 399万円では58.0%(同じく22.2%、35.8%)だったの
109
に対し、750 ~ 999万円では67.9%(27.8%、40.1%)、1000万円以上では73.9%(38.3%、35.6%)だった
(内閣府 2005:65 )。また、同じ調査によると、最終学歴による大きな違いは見られなかったが、
「賛
成 」と回答する割合は大学・大学院でやや多く、全体では28.8%だったのに対し、大学・大学院では
32.8%だった(同上 66 )。
次に、内閣府が2006年に実施したアンケート調査(8 )の結果を分析した研究によると、回答者が大
卒以上であれば学校選択制に肯定的になり、高所得層ほど学校選択制を支持する傾向が見られた。
(小塩他 2007:13,24 )
最後に、ベネッセの東京都保護者アンケートでも、中学校選択という制度に「とても賛成 」と回
答した保護者の割合は、最終学校を卒業した年齢が高いほど多く、18歳(高校卒業 )が18.2%、20歳
が25.6%、22歳が36.3%だった。ただし、「とても賛成 」
「やや賛成 」の合計は、18歳が73.3%、20歳が
(ベネッセ 2005:15 )
88.1%、22歳が81.4%だった。
このように、学校選択制に賛成する割合は所得や学歴が高いほど多いことを示す調査・研究があ
る。
②選択の行使と階層
次に、選択の行使と階層との関係を分析した調査・研究の結果は分かれている。
まず、足立区のデータを分析した研究によると、社会的地位の高い職業(専門的・技術的職業、管理
(Yoshida et al. 2009 :
的職業 )の比率が大きい学区の生徒ほど、地元以外の学校を選択しやすかった。
459 )
他方、ベネッセの東京都保護者アンケートによると、校区外の公立中学に進学する割合は、保護者
の最終学校卒業年齢が18歳の場合は9.7%、20歳では11.7%、22歳では9.9%だった(ベネッセ 2005:10 )。
また、首都圏のある自治体の生徒に対する調査(9 )によると、指定校変更をした生徒の方が家庭の養
育における質が高い(朝食をとる習慣がある、親との会話をする、余暇時間に読書をする)という結果
は見られなかった(加藤 2006:391,395,397 )。
このように、選択の行使と階層との関係については、親の職業との関係を示す研究がある一方で、
親の学歴や家庭教育との関係はないとする調査・研究もある。
以上、学校の選択を希望・行使する生徒・親がどのくらいいるか、選択の希望・行使と階層との間
に関係があるかどうかに関する調査・研究を整理してきた。まず、内閣府やベネッセの全国的な調
査によると、学校選択制に肯定的に回答した親は6割前後、学校選択制を活用・検討したいと回答し
た親は7~8割程度、実際に活用した親は15%前後、活用を検討した親は25%程度、活用・検討した
ことを肯定的に評価する親は5~7割だった。次に、学校選択制への賛否と階層との間に関係があ
ることを示す調査・研究があるが、選択の行使と階層との関係については結果は分かれている。
5.条件の充足
準市場が成功するためには、競争、情報、いいとこ取りなどに関する条件を満たす必要がある。し
110
かし、これらの条件は満たされないなどの批判がある。
(1)競争
ルグランによれば、競争とは、多数の供給者が存在し、それぞれが何らかの理由で利用者を引きつ
けるよう動機づけられていることである。また、競争が本当にあるためには、新たな供給者の参入と
失敗した供給者の退出の可能性などがなければならない。しかし、地方では学校の数が少ないとい
う批判や、選択されなかった学校を廃止することへの批判がある。以下、通学可能な学校の数と小規
模校の廃止に関する調査・研究を整理する。
①学校の数
日本の学校選択制をめぐる議論では、地方では学校の数が少ないという批判もある(市川 1985:
86 )。しかし、人口の約 70%は歩いて通える距離に複数の小中学校があるとも言われている(堤・橋
爪編 1999:27 )。
通学可能な学校がどのくらい存在するかは、自治体や地域によって異なる。例えば、東京都につ
いては、2004年度までに学校選択制を実施済みまたは実施予定だった自治体(小学校の選択制が19、
中学校が23 )のうち、1㎢当たりの小学校数が2以上の自治体は21%、1以上2未満は53%、0.5以上
1未満は21%、0.5未満は5%であり、同じく中学校数が0.75以上の自治体は30%、0.5以上 0.75未満は
39%、0.25以上 0.5未満は26%、0.25未満は4%だった(橋野 2003:356 )。また、品川区の小学生の保護
者に対するアンケート調査(10 )では、通学可能な学校数は、地元の学校のみが5.5%、2校が26.2%、3校
が38.1%、4校が17.0%、5校以上が12.6%だった(同上:364 )。
通学可能な学校数が選択の行使に影響を与えることも、いくつかの研究で示されている。まず、東
京都の自治体のデータを分析した研究によると、可住面積当たりの学校数が多い自治体ほど選択を
行使する割合が高かった(橋野 2006:21 )。また、足立区の中学校のデータを分析した研究でも、近く
の学校数が多く、学区の中心部付近に駅があれば、生徒は地元以外の学校を選択しやすいという結果
が示されている(Yoshida et al. 2009 : 459-61 )。狭義の学校選択制のうち自由選択制とブロック選択制・
隣接区域選択制との違いについては、東京都の自治体のデータを分析した研究によると、小学校では
制度の違いは大きな影響を与えなかったが、中学校では自由選択制の方が選択を行使する割合が高
くなり、特に学校間の距離が近いほど影響が大きかった(橋野 2006:24-6 )。
②小規模校の廃止
選択されなかった学校を廃止することについては、生徒・親が小規模校を回避し、生徒数の少ない
学校がさらに生徒数を減らして、それを理由に学校が廃止され、生徒に悪影響が生じると批判されて
いる(11 )。以下、これらの点に関する実証的な調査・研究を見ていく。
(a)小規模校の回避
生徒・親が小規模校を回避するかどうかについては、多様な結果が示されている。
111
まず、生徒・親が小規模校を回避することを示す調査・研究は多い。事例研究では、選択されな
かった学校の特徴の1つとして、小規模であることが挙げられることが多い(久冨 2000:107、高橋・
山本 2000:109-10、嶺井・中川 2007:45,51,70,129、菊池・各務 2004:34、石渡他 2006:37 )。また、品川区の
小学生の保護者に対するアンケート調査を分析した研究によると、通学可能な大規模校の数が多い
ほど地元以外の学校を選択しやすく、地元の学校の規模が大きいほど地元の学校を選択しやすかっ
た(橋野 2003:357 )。足立区のデータを分析した研究でも、地元の学校の規模が大きいほど生徒は別
の学校に移動しにくく、学校の規模が大きいほど学校は選択されやすいという結果が示されている
(Yoshida et al. 2009 : 459,464 )。
生徒・親が小規模校を回避する理由は、人間関係が固定的で社会性が育たない、いじめにあうと
逃げられない、学級内の男女比のアンバランス、クラブ活動が減るなどであると言われる(廣田 2004:
56、福島 2000:98、若月編著 2008:103、菊池・各務 2004:34、石渡他 2006:37、廣田・深見 2001:320、高橋・
山本 2000:110 )。さらに、小規模校が統廃合の対象になると判断した生徒・親がより大規模な学
校に移動することも多いとされ、そのような事例も紹介されている(廣田 2004:59、廣田・深見 2001:
320,322、福島 2000:97、高橋・山本 2000:110、橋本 2009:55、嶺井編著 2010:105 )。例えば、荒川区では、
2000年に策定された統廃合計画で他校への吸収が公表された小規模校な小学校は、廃校の噂もあっ
て2002、03年度に入学希望者がゼロになったと言われる。荒川区の2003年度のアンケート調査によ
ると、従来の学区域内の学校を選択しなかった理由は、小学校では「児童・クラス数が少ない」が最も
多く24.1%であり、中学校では、「学校の評判や印象が良くない」が21.7%、次いで「児童・クラス数が
少ない」が19.4%、さらに、
「希望する部活動がない」が14.4%、
「小学校の友人が行かない」が13.9%と、
小規模であることに関わる事項が上位を占めているとされる(山本 2004:93,100 )。
このように、生徒・親が学校生活や統廃合への不安から小規模校を回避し、より大規模な学校を選
択することを示す調査・研究は多い。
他方で、生徒・親が規模以外の理由でも学校を回避・選択することを示す調査・研究も多い。事
例研究では、選択されなかった学校の特徴として、自治体の端や人気校の近くに位置している、荒
れなどの良くない噂がある、校舎が古いことなども挙げられている(嶺井・中川 2007:51,70,129、久冨
2000:107、廣田・深見 2000:322、廣田 2004:56-8、高橋・山本 2000:109 )。足立区のデータを分析した
研究でも、学校の建物が新しいほど学校は選択されやすいという結果も示されている(Yoshida et al.
2009 : 464 )。また、内閣府の保護者アンケート
(2006、09年 )によると、学校選択制を活用・検討した
際に重視した点(複数回答 )は、自宅からの距離や通学の安全(69.8%、71.9%)、子どもや親の友人関
係(49.3%、39.9%)、本人の希望(45.8%、47.8%)、学校の教育内容や方法(20.0%、20.8%)、学校の施設・
設備の充実度やクラブ活動の内容(20.0%、17.4%)、児童生徒数など学校の規模(16.4%、16.3%)、学力
テストの結果や卒業後の進路(15.6%、11.2%)、いじめ・不登校・学級崩壊などの校内問題(15.1%、
12.4%)、兄姉の通学や親の出身校(12.9%、12.4%)、教員の指導力(6.2%、8.4%)となっている(内閣府
2006a:18、2009a:29 )。各自治体のアンケート調査でも同様の結果が出ている(嶺井・中川編著 2005:
39-41,54-5,60-1,81,100-1 )。
以上のように、生徒・親が小規模校を回避することを示す調査・研究は多いが、規模以外の理由で学
112
校を回避・選択することを示すものも多く、学校の規模は選択の際に重視する点として上位ではない
という調査結果もある(ただし、友人関係やクラブ活動も学校の規模に関わると見ることもできる)。
これらの結果は、学校の規模は学校を回避・選択する理由の1つであり、極端に小規模な学校や統廃
合の計画・噂のある小規模校は実際に回避されることが多いが、そのような学校の近くに住む生徒・
親は少ないため、全体的なアンケート調査では学校の規模は上位に挙がらないと解釈することもで
きる。
(b)小規模化の進行
生徒数の少ない学校がさらに生徒数を減らすかどうかについても、多様な事例やデータが紹介さ
れている。
まず、上述のとおり、小規模な学校が生徒・親から回避されて生徒数を減らした事例が挙げられて
いる。また、品川区では、選択制導入の前年度に全学級数が7以下だった小学校7校のうち5校は、
選択制導入の初年度に入学率(入学者数を入学予定者数で割った比率、入学予定者数はその学校の学
区から公立小学校に入学した人数 )が8割以下となり、その後も、2001年度は8校中4校、02年度は
同じく7校、03年度は同じく6校の入学率が8割以下となった(廣田・深見 2001:320、廣田 2004:56 )。
足立区でも、1998年度に、入学予定者数が40人以下の小学校7校のうち5校は、入学率が75%以下と
なった(福島 2000:98 )。
他方で、生徒数の少ない学校が選択制によって生徒数を増やした事例も紹介されている。広島県
尾道市では、選択制の導入前に1学年 20人前後だった小学校が、「百ます計算 」で有名な教諭を校長
に迎えたことや、保護者・地域住民の代表などからなる学校運営協議会を中心に学校運営を行うコ
ミュニティ・スクールに指定されたことなどにより、高い人気を集め、1学年 50 ~ 60人に増加した
(嶺井・中川 2007:78-80、嶺井編著 2010:96 )。また、文京区や港区などでは、子供の人口が少ない上に
半数以上が中学受験する地域もあり、学区外から5割を超える生徒を受け入れることによって成り
(12 )
立っている中学校もあると言われる(菊池他 2008:36 )
。
このように、生徒数の少ない学校が生徒数をさらに減らした事例と、逆に増やした事例が挙げられ
ているが、生徒数を減らした場合の方が多いというデータが示されている。
(c)小規模校の廃止
学校選択制によって生徒数を減らした学校がそれを理由に廃止されるかどうかについては、その
ような事例がいくつか紹介されている。板橋区では、小中学校の生徒数の最低基準(150人 )を2年
連続で下回れば廃校にするという方式をとっており、この基準を下回った小学校が、廃校の不安など
から翌年も基準を超える生徒を集められず、廃校とされた(山本 2009a:91-2、菊池・各務 2004:36 )。杉
並区では、学校選択制の導入以前から小規模(2001年度 179人 )だった小学校が、選択制導入後、小規
模であることが嫌われるなどしてさらに小規模化し(2006年度 111人 )、隣接校への統廃合が決定さ
れた。ただし、この小学校は以前から小規模だったため、選択制の有無に関わらず統廃合は避けられ
なかったかもしれないとも述べられている(嶺井・中川 2007:45 )。荒川区でも、2000年の統廃合計画
113
で他校への吸収が公表された小規模な小学校は、2002、03年度に入学者がゼロとなり、PTA の要請も
(13 )
あって2003年に廃校になった(山本 2004:93、2009a:90 )
。
このように、小規模校が学校選択制によってさらに生徒数を減らして廃止された事例が挙げられ
ているが、選択制の導入以前から小規模だった学校は、選択制が導入されていなくても廃止された可
能性もある。学校選択制によって小規模校の廃止が促進されるかどうかは、選択制を導入していな
い場合と比較して分析する余地がある。
(d)廃止の悪影響
選択されなかった学校を廃止することによる悪影響としては、次のような例が挙げられている。
東京都東久留米市の小学校では、保護者の選択行動を利用された強引な統廃合の後で、子どもに荒れ
や不登校・転校などの問題が出現したと言われる(山本 2009b:17 )。統合の1年後にPTA が3年生
以上に行ったアンケート調査では、クラスのまとまりがなくなった、争いが多くなった、意地悪・仲
間外れがある、学校に行くのがいやになった人もいる、などの記述があったとされる。ただし、廃止
された学校の人が来て明るくなった、やはり人数が多いとこんなことができるのだと思った、などの
肯定的な記述があったことも紹介されている(田中他編 2007:100 )。なお、足立区や豊島区では、統廃
合によって通学距離が遠くなった例も挙げられている(橋本 2009:55、嶺井・中川編著 2005:57 )。
このように、統廃合による悪影響が指摘される一方で、生徒数が増えたことへの肯定的な評価も紹
介されている。また、この点についても、学校選択制による統廃合の方が悪影響が生じやすいかどう
かを比較して分析する余地がある。
以上、通学可能な学校の数と小規模校の廃止に関する調査・研究を整理してきた。まず、人口の
70%は歩いて通える距離に複数の小中学校があると言われるが、通学可能な学校数は自治体や地域
によって異なり、それが選択の行使に影響を与えることが示されている。次に、生徒・親が小規模校
を回避することを示す調査・研究は多いが、規模以外の理由で学校を回避・選択することを示すも
のも多い。これらの結果は、極端に小規模な学校や統廃合の不安のある学校は回避されることが多
いと解釈することもできる。また、小規模校が学校選択制によってさらに生徒数を減らした事例と、
逆に増やした事例が紹介されているが、生徒数を減らした場合の方が多いというデータが示されて
いる。そして、小規模校が生徒数を減らして廃止された事例や、それによる悪影響が生じた事例も挙
げられているが、これらの点については、学校選択制が導入されていない場合とも比較して分析する
余地がある。
(2)情報
ルグランによると、利用者が供給者をうまく選択し、それが質の向上をもたらすためには、利用者
が質に関する情報を持ち、質を判断しなければならない。しかし、生徒・親は必ずしも情報を入手・
活用できない、その能力には階層差があるという批判もある。以下、生徒・親はどのような情報をど
のように入手・活用しているか、入手・活用する情報と階層との間に関係があるかどうかに関わる
114
実証的な調査・研究を整理する。
①情報源
親がどこから情報を入手し、どこから入手した情報を活用しているかについては、ベネッセや東京
大学・品川区教育委員会の調査がある。
まず、ベネッセの東京都保護者アンケートでは、校区外の公立中学校を選択した保護者に対してど
こからどのような情報を得たか尋ねたところ(複数回答 )、中学校主催の学校説明会が61.1%、中学校
で配布される資料が54.2%、卒業生やPTA 役員の話が27.5%、ホームページが22.9%、区・教育委員会
(ベネッセ 2005:6 )
の資料が16.0%などだった。
他方、同じ調査によると、中学校を選択するときに各種の情報源が「とても役立った」と回答した
保護者の割合は、親同士の情報交換・評判が25.4%、地域の評判や在校生の過ごし方が24.6%、学校や
教育委員会の学校説明会が18.1%、学校や教育委員会の配布資料が12.9%、小学校の先生のアドバイ
スが7.6%、塾のアドバイスが6.5%だった(同上:22 )。また、東京大学・品川区教育委員会の保護者ア
ンケートによると、学校選択の際に最も重視した情報は、友人・知人からの情報が27%、学校説明会
が22%、学校公開が20%、在学する兄・姉の情報が14%、学校行事の見学が4%、学校パンフレットが
(14 )
3%、教育委員会からの学校案内が2%だった(品川区教育政策研究会編 2009:54 )
。
このように、入手した情報は学校の公式なものが多いが、役立った情報や重視した情報は他の親や
友人・知人などからの非公式なものが多い。この点については、実態を伴っているかどうかも定か
でない風評で選択動向が決まりかねないと批判されることもあるが(嶺井・中川編著 2005:127 )、地域
の評判による選択と実態を伴わない風評による選択を同一視するのは偏見であるという指摘もあり
(黒崎 2006:287 )、地域の評判や風評が実態を伴っている場合とそうでない場合があるとも述べられ
ている(嶺井・中川 2007:134 )。
②情報の入手・活用の評価
入手した情報やその活用の仕方に対する評価についても、東京大学・品川区教育委員会やベネッ
セの調査がある。
まず、東京大学・品川区教育委員会の保護者アンケートでは、現在通学している学校が「選択を決
めたときに予想した通りの(良い)学校である」と思うかどうかを尋ねたところ(選択を行使しなかっ
た保護者も回答 )、「そう思う」と回答した保護者は34.5%、「ややそう思う」は48.4%、「あまりそう
思わない」は13.5%、「そう思わない」は3.6%だった(品川区教育政策研究会編 2009:51 )。また、ベネッ
セの東京都保護者アンケートによると、校区外の公立中学校を選択した保護者のうち、現在の中学校
選択に「とても自信がある」と回答した保護者は13.8%、「わりと自信がある」は59.7%、「あまり自信
がない」は21.4%、「ぜんぜん自信がない」は5.0%だった(ベネッセ 2005:基礎集計表 )。
しかし、同じ調査で、中学校選択にあたって親たちの判断をどう感じているかを尋ねたところ(選
択を行使しなかった保護者も回答 )、「親たちは学校のうわさに振り回されている」について「と
てもそう思う」と回答した保護者は18.2%、「わりとそう思う」は46.9%、「あまりそう思わない」は
115
31.1%、「ぜんぜんそう思わない」は3.8%だった。他方、「親たちは賢く学校を選択しているように
見える」については、
「とても」が4.2%、
「わりと」が48.9%、
「あまり」が40.5%、
「ぜんぜん」が6.4%だっ
(同上 6 )
た。
このように、入学前の予想と入学後の実態が一致しているという回答や、自分の選択に自信がある
という回答が7~8割だったが、他の親の行動については、うわさに振り回されているという見方が
6割以上あり、賢く選択しているという見方よりも1割程度多かった。
③重視する側面
生徒・親が学校のどのような側面を重視しているかについては、内閣府の全国的な調査や一部の
自治体についての調査がある。
まず、先述のように、内閣府の保護者アンケート(2006、09年 )によると、学校選択制を活用・検討
した保護者がその際に重視した点は、自宅からの距離や通学の安全が7割程度、友人関係、本人の希
望が4~5割、教育内容・方法、施設・設備やクラブ活動が2割程度、学校の規模、学力テストの結果
や卒業後の進路、いじめ・不登校・学級崩壊などの校内問題、兄姉の通学や親の出身校が15%前後、
(内閣府 2006a:17-8、2009a:28-9 )
教員の指導力が5~ 10%だった。
各自治体のアンケート調査でも同様の結果が出ている。例えば、品川区の中学生の全保護者に選
択理由を尋ねた調査では、学校の近さや通学のしやすさ(44.1%)、本人の希望(38.3%)、地元の学校
(26.4%)、子どもの友人関係(23.1%)、学校の特色ある教育活動(18.5%)、兄姉の通学(15.4%)、高校や
大学の進学(15.0%)、教職員の熱意やチームワーク(11.5%)、部活動(11.1%)、いじめや荒れがなく生
徒が落ち着いている(10.6%)などが挙がっている。また、品川区の小学校6年生全員に選択理由を
尋ねた調査でも、学校まで近く通学しやすい(49.7%)、友人関係(36.5%)、地元の学校(21.6%)、部活動
(20.0%)、兄姉の通学(16.4%)、施設・設備の充実(14.5%)、学校の特色ある教育活動(14.3%)などが
(嶺井・中川編著 2005:39-41,54-5,60-1,81,100-1 )
挙げられている。
他方で、ベネッセの東京都保護者アンケートによると、校区外の公立中学校を選択した保護者(全
体の11.5%)が中学校選択をするときに大事に考えたこと(「とても重視する」「わりと重視する」)
は、いじめや不登校の生徒が少ない(45.5%、42.1%)、生活指導やしつけがしっかりしている(44.8%、
39.3%)、学校がよい地域にある(31.9%、55.6%)、希望する部活動が熱心に活動している(28.3%、
42.8%)、服装・頭髪がきちんとしている(27.8%、52.8%)、小学校の仲のよい友だちが一緒である
(27.6%、23.4%)、自宅からの距離が最も近い(23.8%、47.6%)、よく掃除された清潔な施設(21.4%、
46.2%)、校舎がきれい(19.9%、38.4%)、国語・数学・英語などの学力が高い(15.3%、36.1%)、放課後
(ベネッセ 2005:19 )
や夏休みに補習や学習会がある(9.8%、39.2%)などだった。
このように、選択の行使・検討の際に重視した点や選択の理由は、選択を行使しなかった生徒・親
も含めた回答では、通学の距離・安全や友人関係が多く、次いで、教育内容・方法、施設・設備、部活
動などとなっており、学校・教員の努力によって直接改善できるものは上位ではなかった。しかし、
選択を行使した親に限定すると、いじめ・不登校や生活指導・しつけのように、学校・教員の努力に
よって直接改善できる可能性のあるものが上位を占めていたという調査結果もある。
116
④学力調査の点数の公表
いくつかの自治体では学力調査の学校別の点数が公表されており、それが学校の選択にどのよう
な影響を与えたかも分析されている。
まず、荒川区では、2003年に点数を公表した後、小学校では、成績上位の学校に児童が集まる現象は
見られなかったが、成績下位の学校で流入数が減少するなどの変化が見られたとされる。また、中
(嶺井・中川編著 2005:
学校では、成績の公表が影響を与えた例と与えなかった例が挙げられている。
71-8、嶺井・中川 2007:51-3 )
次に、足立区では、2004年に中学校の学力調査の点数を公表した後、上位5校のうち1、4、5位の
学校は流入数が増加したが、2、3位の学校に目立った変化はなかった。また、下位5校のうち3校
では流入数が減ったが、2校では増加した(嶺井・中川編著 2005:87-91 )。その後も、上位の中学校で
流入数が増加した例と変化しなかった例、下位の中学校で流入数が減少した例、変化しなかった例、
増加した例が挙げられている(嶺井・中川 2007:100-2 )。他方で、2006年に希望者が多く抽選が行われ
た中学校は全教科合計の点数が高かったことや(山本 2009a:26 )、2006年度の3教科の点数と07年度
の入学倍率、2007年度の国語の点数と08年度の入学倍率との間に正の相関関係があったことを示す
分析もある(小塩 2007:16、小針・鎌田 2010:21 )。なお、2005年には小学校の点数も公表されたが、そ
の影響を確認することはできなかったとされる(嶺井・中川 2007:99-100 )。
また、江戸川区では、学力調査の点数を各学校のホームページで公表しており、成績と流入・流出
(同
希望者数の差との相関関係は、小学校では弱いが、中学校では強いという結果が示されている。
上:102、嶺井編著 2010:63-6 )
最後に、杉並区では、点数を10点刻みの得点帯で公表しており、成績の高いグループの小中学校ほ
ど流入数が多く流出数が少ない傾向や、成績が低いグループの学校ほど流入数が少なく流出数が多
い傾向が見られるとされる。ただし、荒川区・足立区・江戸川区とは異なり、成績上位の中学校の流
(嶺井・中川 2007:103 )
入希望者が大幅に増加するという現象は確認できないとも述べられている。
このように、学力調査の学校別の点数を公表した影響は、自治体・学校や公表方法によって異なる
が、中学校では点数と入学希望者数との間に関係があることを示す研究もある。
⑤階層との関係
入手・活用する情報と階層との関係については、次のような研究がある。まず、品川区の小学生の保
護者に対するアンケート調査を分析した研究によると、保護者の自由時間
(児童の両親の同居の有無、学
童保育の利用の有無から作成した値 )や家庭内で教育について話す時間が長ければ、学校公開の訪問数
や家庭外での相談者数が多かった。しかし、その関係は極めて緩やかであり、家庭の社会経済的背景を
反映して情報格差が生じるという仮説をこのデータで強く支持することはできないと述べられている
(橋野 2005:45,49 )
。また、足立区のデータを分析した研究によると、
2004年には、学力調査の点数の高い中
学校は、一般的には生徒を引きつけなかったが、社会的地位の高い職業の比率が大きい学区の生徒を
引きつけた。しかし、2005年には、このような違いは消えていた(Yoshida et al. 2009 : 461-4 )。
117
このように、入手・活用する情報と階層との間には極めて緩やかまたは非継続的な関係があるこ
とを示す研究がある。
以上、生徒・親がどのような情報をどのように入手・活用しているか、入手・活用する情報と階層と
の間に関係があるかどうかに関わる調査・研究を整理してきた。まず、親は自分の選択には7~8割
が自信を持っているが、他人の判断には6割以上が否定的な評価をしているという調査結果がある。
次に、生徒・親が一般的に重視したのは、通学の距離・安全や友人関係など、学校・教員の努力では
直接改善できない側面であるが、選択を行使した親は、いじめ・不登校や生活指導・しつけなど、学校・
教員の努力で直接改善できる可能性のある側面を重視したという調査結果もある。また、学力調査
の学校別の点数の公表が、特に中学校の選択に影響を与えたことを示す研究もある。最後に、入手・
活用する情報と階層との間には極めて緩やかまたは非継続的な関係があることを示す研究がある。
(3)いいとこ取り
ルグランによると、いいとこ取りとは、費用のかかる利用者に対する差別である。例えば、人気の
ある学校が能力のある子供や裕福な家庭の子供を選抜すれば、能力や社会集団による分裂が生じ、公
平性や社会的包摂が損なわれる。日本では、入学者選抜が行われ、生徒が選別・差別されたり、進学
競争が生じたりするという批判がある。
先述のように、日本の学校選択制は、市町村教育委員会が就学校を指定する場合に、就学すべき学
校について、あらかじめ保護者の意見を聴取するものである。入学希望者が定員を超えた学校があ
る場合、例えば東京都区部の学校選択制では、抽選が行われ、学区外からの入学希望者に順位がつけ
られて、定員内の順位の生徒の入学が決定する(安田編著 2010:21 )。
このように、日本では、学校が生徒のいいとこ取りを行うことはできず、学校による生徒の選別・
差別や高校・大学のような受験競争は生じていないと考えられる。また、これらの問題の発生を指
摘した実証的な調査・研究は見られなかった。
注
(1) 次節以降で参照する主な調査の概要は以下のとおり。
〔教育委員会・自治体・教員への調査〕
・内閣府の市区教育委員会アンケート(2006 年度)…対象・方法:全市区の教育委員会の義務教育課程担当者に
調査票を電子メール等で送付、回収。時期:2006 年 10 月 24 日~ 11 月7日。送付数:802、回収数:678。(内
閣府 2006b:4)
・内閣府の市区教育委員会アンケート(2007 年度)…対象・方法:全都道府県に対して市区教育委員会に調査票
を電子メール等で配布するよう依頼、回答は電子メールで内閣府が回収。時期:2007 年 10 月 22 日~ 11 月2日。
対象数:805、回収数:655。(内閣府 2008:3)
・内閣府の市区教育委員会アンケート(2008 年度)…対象・方法:内閣府から委託されたコーエイ総合研究所が
全都道府県に対して市区教育委員会に調査票を電子メール等で配布するよう依頼、回答は電子メールで同研
究所が回収。時期:2009 年1月 26 日~2月6日。対象数:806、回収数:720。(内閣府 2009b:3)
・文部科学省の自治体調査(2006 年)…対象:2006 年5月1日現在の全国の自治体(市区町村、学校組合)。方法:
118
記載なし。時期:調査時期は記載なし(2006 年5月1日現在の状況を調査)。対象数:記載なし、回答数:1,872
(うち2校以上の小学校を置く自治体 1,696、2校以上の中学校を置く自治体 1,329)。(文部科学省 2008)
・文部科学省の抽出教育委員会アンケート(2008 年)…対象:各都道府県が抽出した市区町村教育委員会(学校
選択制を導入している・導入していない市区町村から各3程度)とすべての政令指定都市教育委員会。方法:
記載なし。時期:調査時期は記載なし(2008 年4月1日現在の状況を調査)。対象数・回答数:市区町村 262(う
ち学校選択制を導入 119)、政令指定都市 17(同9)。(文部科学省 2010)
・東京大学・品川区教育委員会の品川区教員アンケート…対象:品川区の管理職(校長・教頭)と教員(主幹・教諭)。
方法:東京大学大学院教育学研究科学校開発政策コースと品川区教育委員会が共同で実施(配布・回収方法
は記載なし)。時期:2007 年度。対象数:管理職 116、教員 927、回答数:管理職 97、教員 824(品川区教育
政策研究会編 2009:27)。なお、以下では、主幹・教諭を「非管理職」と表記する。
〔保護者への調査〕
・内閣府の保護者アンケート(2005 年)…対象:小・中・高校に通っている子供を持つ保護者。方法:インターネッ
トによる Web アンケート(野村総合研究所のインターネット調査サービスに登録しているモニターにアン
ケート依頼を送付、Web 上で回答)。時期:2005 年9月6~7日。送付数:3,620(登録モニター約 35 万人
の中の小・中・高校生の子供を持つ男女 27,306 人の中から無作為抽出)、回答数:1,270。(内閣府 2005:4)
・内閣府の保護者アンケート(2006 年)…対象・方法:同上。時期:2006 年 11 月3日。送付数:13,500(登録モニター
約 47 万人、該当者 27,768 人から無作為抽出)、回答数:2,384。(内閣府 2006a:4)
・内閣府の保護者アンケート(2009 年)…対象:同上。方法:インターネットによる Web アンケート(詳細は
記載なし)。時期:2009 年1月末。送付数:記載なし、回答数:2,200。(内閣府 2009a:1-2)
・ベネッセの抽出都県保護者アンケート(2004 年)…対象:全国の小2・小5・中2の子供を持つ保護者(18 都
県の公立小学校 26 校、公立中学校 20 校)。方法:学校通しによる家庭での自記式質問紙調査(子供を経由
して配布・回収)。時期:2003 年 12 月~ 04 年1月。配布数:8,503、回収数:6,288。(ベネッセ 2008b:7-8)
・ベネッセの抽出都県保護者アンケート(2008 年)…対象:全国の小2・小5・中2の子供を持つ保護者(13 都
県の公立小学校 21 校、16 都県の公立中学校 19 校)。時期:2008 年3月。方法:同上。配布数:6,901、回収
数:5,399。(ベネッセ 2008b:6-7)
・ベネッセの東京都保護者アンケート(2004 年)…対象:中学校の学校選択制を実施している東京の2つの区の
公立小学校6年生の保護者。方法:学校通しの質問紙による自記式調査。時期:2004 年2~3月。対象数:
561(配布数・回収数の記載なし)。(ベネッセ 2005:24)
・ベネッセの全国保護者アンケート(2007 年)…対象:全国の公立小学校に通う6年生とその保護者。方法:郵
送法による自記式質問紙調査(小学生用の調査票と保護者用の調査票をあわせて郵送、回収)。時期:2007
年 12 月。配布数:それぞれ 3,596(全国の公立小学校6年生のリストに基づいて無作為に抽出)、回収数:
小学6年生 1,501、保護者 1,504(ベネッセ 2008a:6)。なお、本稿では保護者のアンケート結果のみを使用
するため、保護者アンケートと表記する。
・東京大学・品川区教育委員会の保護者アンケート…対象:品川区の児童・生徒の保護者。方法:東京大学大学
院教育学研究科学校開発政策コースと品川区教育委員会が共同で実施(配布・回収方法は記載なし)。時期:
2007 年度。対象数:5,639(各学級から児童・生徒の3分の1を抽出)、回答数:4,647。(品川区教育政策研
究会編 2009:27)
(2) 内閣府の教育委員会アンケートにおける定義も、「就学校指定の際、保護者からの事前の意見聴取を踏まえ
て就学すべき学校の指定をすること」(「就学校指定の際、保護者からの事前の意見聴取を踏まえた就学すべ
き学校の指定」)である(内閣府 2006b:25、2008:29、2009b:64)。
(3) 内閣府の 2005 年の保護者アンケートにおける学校選択制の定義は、「学区等に関わらず、児童・生徒がど
119
の学校でも自由に通学することができる制度」である(内閣府 2005:65)。ただし、2006 年の保護者アンケー
トの定義は、「入学すべき学校を指定する際、あらかじめ保護者の意見を聴いて、住所地から決められる学
校以外の学校に通うことも認めようとする制度」である(内閣府 2006a:16)。なお、2009 年の保護者アンケー
トでは学校選択制の定義は示されていない。
(4) 文部科学省の抽出教育委員会アンケートでは、特色ある学校づくりの例として、自主的な教育活動、校内
研修、学習指導法の研究、授業の工夫、マネジメントの意識、開かれた学校づくり、情報発信、生活習慣・
学びの習慣に関する保護者への啓発活動などが挙げられている。また、学校同士の競い合いによる教育の質
の向上の例としては、自分たちが頑張らなければ生徒が来なくなるという危機感、自校の特色の再認識、学
校情報の積極的な公表、きめ細かな学習指導、生徒指導の充実、基礎学力の着実な定着、学力向上などが挙
げられている。(文部科学省 2010)
(5) 内閣府の保護者アンケートはインターネットによるものであり、インターネットによる調査には回答に偏
りが生じる可能性も指摘されているが(小塩他 2007:7)、学校選択制への賛否に関してはベネッセの学校通
しによる調査の結果と大差は見られなかった。
(6) 2005 年の保護者アンケートでは、学校選択制が導入されていると回答した保護者(全体の 16.4%)のうち、
「学校選択制を利用し、地方自治体が指定した学校以外の学校に子どもを通学させている」が 25.5%、「学校
選択制の利用を希望したが、定員を超えた等の理由で、希望する学校に子どもを通学させることができなかっ
た」が 5.3%、
「学校選択制は利用せず、地方自治体が指定した学校に子どもを通学させている」が 69.2%だっ
た(内閣府 2005:70-1)。ただし、選択肢は以上の3つであり、国立・私立学校に通学させていた保護者の
回答が1番目の回答に混入した可能性もある。2006、09 年の保護者アンケートでは、「国立学校・私立学校
に子どもを通学させた」が 9.4%、6.4%だった(内閣府 2006a:17、2009a:28)。なお、学校選択制を検討
した上で地元の学校に通学させた保護者の回答は、3番目の回答に含まれていたと考えられる。
(7) 他に、東京都では、荒川区の小学校が 2003 年度 22.9%、07 年度 27.4%、中学校が 22.5%、36.0%、杉並区
の小学校は 2002 年度 14.5%、07 年度 20.1%、中学校は 15.2%、25.1%、豊島区の小学校は 2001 年度 12.4%、
05 年度 21.1%、中学校は 9.4%、17.7%だった。東京都以外では、埼玉県三郷市の小学校が 2005 年度 9.7%、
中学校が 17.5%、富山市の中学校は 2008 年度 6.2%、09 年度 5.8%、金沢市の中学校は 2006 年度 5.2%、09
年度 7.6%、長崎市の小中学校はともに 2008 年度 12.6%だった。(嶺井・中川編著 2005:59,103-4、嶺井・中
川 2007:47,49,55,57、嶺井編著 2010: 83,89,102)
(8) このアンケート調査は、これまでに参照してきた内閣府の保護者アンケート(2006 年)とは別である。調
査の概要は次のとおり。対象:末子が小学校入学前の者、小学生の者、中学生の者。方法:内閣府の保護者
アンケートと同じ。時期:2006 年 10 月3~ 10 日。送付数:記載なし、回答数:2,000(末子が小学校入学
前 500、小学生 1,000、中学生 500)。(小塩他 2007:6-7)
(9) 調査の概要は次のとおり。対象:ある自治体(選択制を導入していないが、中学校の指定校変更をした生
徒が 2005 年度に公立中学進学者の 11.9%)の公立小学校に 2004 年度に在籍していた小学6年生全員。方法:
学校通しの質問紙調査。時期:2005 年2、7、11 月。配布数:それぞれ 1,819、1,420、1,411、回収数:全回
通して追跡できたのは 1,171。(加藤 2006:391)
(10) 調査の概要は次のとおり。対象:品川区の公立小学校 40 校のうち 11 校の1~3学年の児童の全保護者。方法:
質問紙調査(配布・回収方法は記載なし)。時期:2002 年7月。配布数:1,655、回収数:994。(橋野 2003:
357)
(11) 他に、学校選択制によって生徒数を減らした学校が廃止されると地域住民に悪影響が生じるという批判も
あるが、この点に関する実証的な調査・研究は見られなかった。また、生徒数を減らした学校を廃止するこ
とは関係者の議論・合意を経ていないと批判されることもあるが、このような手続が関係者や住民一般に正
120
当なものとして受け入れられるかどうかに関する調査・研究も見られなかった。
(12) 学校選択制が各学校の生徒数を不確定にし、統廃合の妨げになるという理由で廃止された事例も紹介され
ている。前橋市は、2004 年に学校選択制を導入し、2008 年には、選択制の下で入学者数を減らし小規模化
した学校を対象に含む統廃合計画を公表したが、その直後、学校選択制を 2011 年度から廃止する方針を示
した。その理由は、選択制を続けると、統廃合の根拠となる将来的な生徒数の推計値を不確定にするためで
あると言われる。(山本 2009a:130-4、嶺井編著 2010:12)
(13) 学校選択制が別の形で学校の廃止に影響を与えた事例も紹介されている。品川区では、2000 年の学校選択
制導入時に教育長が統廃合をしないと言明していたため、小規模校が存続していたが、2006 年以降、既存の
小中学校を統合して施設一体型小中一貫校を建設するようになった。2008 年に小中一貫校になったある中学
校は、学校選択制の導入直前には 200 人以上の生徒がいたが、2006 年には 32 人にまで減少し、地元からも
小規模校解消のための統廃合の要望が出されていた。さらに、1学年単学級の小規模校が増加したことなど
を理由に、2007 ~ 08 年には区全体の統廃合計画が策定された(山本 2009a:92-3、嶺井・中川 2007:41-2、
嶺井編著 2010:46-7,54-6)。また、東京都東久留米市では、統廃合計画をいったん阻止した小学校が再び2
年後の統廃合計画を示され、その学区内の生徒は学区外の小学校を選択できることとされた結果、4年生以
下の保護者の多くが他校に移動し、統廃合反対運動が広がらず廃校にされたと言われている(山本 2009a:
98)。
(14) 数値なしの棒グラフ(5%ごとの目盛付き)が記載されているため、数値は概数である。
参照資料
飯田朗(2004)「学校選択・学力テストはだれのため?――荒川区の『教育改革』は何をもたらすか①」、『子ど
ものしあわせ』642 号、48-51 頁。
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123
ドイツ連邦政府首相メルケルによる連邦議会での
2012年度連邦予算案説明
齋 藤 義 彦 訳
連邦政府公報124-1号2011年11月23日
連邦首相アンゲラ・メルケル博士の演説
ドイツ連邦議会への2012年度予算法案説明、ベルリン、2011年11月23日1
議長、同僚議員の皆様、ご列席の皆様
本日の総括議論に入る前に、アイゼナハ市での銀行襲撃事件後の一見通例のものだと思われた警
察出動以降次第に明るみに出た、11月4日以降の出来事についてお話したいと思います。
この犯罪の広がりについての報道にはショックを受けました。この事件が、残虐な連続殺人と驚
くべき暴力行為の責任が問われている、ツヴィッカウ出身の右翼過激派に関係していることが分か
りました。2わたしたちはこの事件で表現された途方もない憎悪と外国人排斥に驚愕しています。
今日まず犠牲者の方々、エンヴァ・プムペク、アブドラヒム・エゼドジル、シュレイマン・タプケ
プリュ、ハビル・クラチ、ユヌス・トルグト、イスマイル・ヤパ、テオドロス・ブルガリデス、メ
メト・クバプク、ハリト・ヨズガト、ミシェル・キーゼヴェタァに追悼の意を表したいと思いま
す。私たちの思いはこれらの亡くなられた方々とこのグループの残虐な暴力行為の犠牲となられた
方々の傍にあります。
再度連邦政府を代表して言明します。犠牲者のご遺族に対する私たちの義務は、この恐るべき犯
罪と原因を解明するためにあらゆる措置をとることです。3受けられた苦痛をなくすことはできま
せん。しかし私たちはご遺族を支援する義務があります。ですから過激派襲撃犠牲者のための基金
から犠牲者とご家族に補償するというロイトホイザー=シュナレンベルガー法相の提案をわたしは
明確に歓迎します。また、連邦大統領が今日ご遺族と面会され、ドイツ国民全体の関心と連帯の意
を表することに感謝いたします。
このような右翼過激派の細胞が存在し、沈黙のうちにこのような残虐行為をなし、10年もの間発
125
見されることなく地下活動ができたという事実は、他に例がありません。捜査官が仕事を始めてい
ますが、思考と行為における倒錯、根深い右翼過激派の世界から発する人間への敵意や蔑視につい
て何を明らかにするかを考えると、ひどく不安になるのは私ばかりではないでしょう。私たちの国
と国民はショックを受けています。世界の人々のことを考えれば、これは私たちにとって危険なこ
とでもあります。4
司法当局と治安当局は数多くの失敗に直面して根底的な問いに晒されています。先週内閣はこの
犯罪を取り上げました。連邦と州の内相と法相が緊急会議を開き対応し、当面の決定をしました。
私たちは政党禁止という難しい問題も含めて、あらゆる法治国家の手段を検討しています。過去既
に多くの団体が禁止されました。捜索では扇動的、人間敵視の宣伝資料や拳銃類がくり返し押収さ
れてきました。わたしたちは右翼過激派の危険を深刻に受け止めてきました。どちらか片目が盲目
である云々の非難は控えるべきです。5それは民主主義者の共同性にくさびを打つことになるだけ
です。
あらゆる種類の過激派に対する戦い、民主主義の強化は、私たち一人一人に課された持続的課題
です。そのため連邦政府は2011年度に過激派予防のために過去最大の支出をしていますし、これか
らも継続します。こうした犯行は、私たちの民主的共同体への攻撃そのものです。昨日の決議は大
事なことを示しました。6私たちは、私たちの開かれた、寛容な、人間的共同生活を卑劣な犯罪者
や人間を蔑視するイデオロギーから防衛する決意を持っていることを示したのです。これが昨日の
シグナルです。大事なシグナルです。
この2012年度連邦予算に関する審議は、多くの困難な課題に直面している時に行われています。
最大の課題は疑いなくユーロ圏での危機の克服です。議会は過去数カ月の間に多くの採決で圧倒
的多数で未来を選択しました。共同の欧州の中での未来です。10月26日には、欧州金融安定化基金
EFSFに関する採決で超党派の連邦議会からの支援が示されました。7皆様の多くがこの支援を躊躇
なく行ったのではないこと、莫大な金額が問題となること、さらにこれから出来することに対する
少なからぬ疑念と不安があることを鑑みますと、皆様がドイツ連邦議会を通じて与えてくださった
支持に対して心からの感謝を今一度申し上げます。
皆様が明らかにしたことは、ドイツの未来は欧州の未来と分かちがたく結びついているというこ
とです。さらにドイツと欧州の未来は国際社会の状況とも、私たちが共同して初めて解決できるグ
ローバルな課題とも分かちがたく結びついています。同時に明らかなことは、各々の国は自国の貢
献を果たさなくてはならないということです。まさにこのことを私たちは現在欧州で体験している
のです。共同の行動と自己責任です。
ユーロ圏での財政危機と何カ月も取り組む中で次第に、過去何が間違っていたのかについて、私
126
が思うに、全く明瞭な分析に至りました。
第一に、過大な国家債務であり8、
第二に、いくつかのユーロ圏国家の国際競争力の欠如です。このことはより強力な国際競争力へ
向かってグローバルな展開がまさに他大陸で加速したということと関係します。さらに、
第三に、経済通貨同盟体制における根本的な欠陥です。9そのため危機の克服には、過去の総括
とともに、未来への準備が直接関係します。
私は再度10月26日の決議に戻りたいと思います。一つにはギリシア・プログラムがありました。
この問題ではギリシア国債の[銀行による]自発的な債務借り換えという合意に達したことを確認し
なければなりません。ガブリエルさん10 、欧州の国債に対してかつて投資したものを再び返しても
らえるのかどうか不安が生じているということを問題にされましたが、このことに関しては自発的
なリストラと大いに関係があるといわなければなりません。自発的なリストラが必要になったの
は、IMF, 欧州委員会また欧州中央銀行が、ギリシアの債務返済能力を否定したからです。
相当の債務カットを行う潮時だとあなたは大変声高に、繰り返し要求しました。私も繰り返し申
し上げました。この手法には十分な準備が必要であると。私はこの手法が正しいことは認めます
が、この手法の副作用にももちろん気付いています。
なぜなら、他の国はどうなるのかという問いが立てられるからです。いつもこの問題は伏在し
ていたと言っていいでしょう。だから、このことを2011年7月21日の欧州理事会で決定したのです
が、ギリシアは例外であると言うことが大事なのです。ギリシアは債務が法外に積み上がってい
て、それが原因でこの手段を取らざるを得ないのです。
私たちは国民投票という予期せぬ予告によって更なる信用喪失を経験しなければなりませんでし
た。11 国民投票は、否決されれば、明白な帰結が待っていました。これらのものごとが国際金融市
場が反応せざるをえなくする材料を提供したのです。国際金融市場は未知の勢力ではなく、一部は
生命保険の基金であり、またその他の機関なのです。
出発点は、ギリシアには債務返済能力がないということです。今検討しているのは、私たちの道
具立てによって、これは残念ながら10月26日の決議の後でも遅々として進んでいないのですが、債
12
務不履行に身構え、防衛できるようにすることです。
次期の救済融資のための前提がまだ満たされていないので、ギリシアの問題はまだ解決されてい
127
ません。13 必要なのは、私は今日ここの議会で再度申し上げなければなりません、皆様も同意くだ
さると思いますが、私たちはギリシアの首相の署名だけではなく、ギリシアの政府を担う全政党の
署名を必要としています。さもなければ第6次融資はありえません。
ご了解いただきたいのですが、問題になっているのが、欧州人民党14 に所属する政党であること
は、ことの重大さにかんがみて、取るに足らないことだということです。署名しないのが友党であ
ることは、それでも私にとっては残念なことであることには変わりありません。今後あなた方の友
党の誰かがいつか期待されていることをしないというような経験をされることがないよう祈るばか
りです。本心ですよ。
第二に、繰り返し言われてきたことですが、私たちは欧州の銀行の資本再注入をしなければなら
ないということです。この問題に対しては決議があります。欧州銀行監督庁が、11月30日に次回経
済・財務相理事会が開催される機会に、資本の再注入がどのように行われるのかについて正確な数
字を挙げることを期待しています。というのもこのことについて何週間にもわたって議論している
のに、事態が解明されないという事実は、信頼醸成には決して貢献していないのですから。私たち
15
は昨日ドイツ銀行の例で、銀行自体いかに不安を抱えているかを見たばかりです。
同じことがここでも言えます。国際社会は私たちに、理由は正当だと認めますが、国債のリスク
もストレステストにかけるように要求しました。16 これも、私たちが銀行に対して[救済のための]
十分な資本を持っているという肯定的な効果を持つだけではありません。これは否定的な効果も持
ちます。なぜなら国債でもストレステストを行えば、自分が投資した国債に対してどれだけ取り戻
せるのかといった議論が起こることは当然だからです。つまり私たちは過大な債務によって、リス
クのない理想の手段[と思われていた国債]を失ってしまうという状況にはまり込んだのです。だか
17
らこの理想の手段を十分な注意を払って再発見しなければならないのです。
第三に私たちはこの点に関しEFSFを創設し同時に信用創造18 の可能性を検討することを決議し
たのです。この点に関しても最終的に11月29日または30日に基本方針に関して当該の決議がなさ
れ、潜在的な投資家の開拓がうまく進むようにしなければなりません。なぜなら基本方針が示され
なければ、投資家を説得することができないからです。
通貨価値の安定にのみ責任を負う中央銀行を欧州通貨同盟が持つこと、唯一ただ、このことがこ
の通貨同盟の前提でした。これは正しいことですが、欧州通貨同盟がイギリスやアメリカ合衆国の
中央銀行の状況と異なるために、このことが今非難されています。しかしこれは欧州中央銀行が唯
一委任されていることであり、実際そのように実行しています。欧州中央銀行を絶え間なく批判す
ることには、慎重でなければならないと私は思います。私たちが高く掲げている独立性は両方向の
ものです。何かをすることにも何かをしないことにも独立性が尊重されなくてはなりません。これ
128
は連邦憲法裁判所の場合と同じです。欧州がこのような独立した機関に基礎づけられていること
は、大変重要なことだと私は信じます。だから、欧州中央銀行の委任について変更すること、ほん
の僅かでも変更することがあってはならないと私は確信しています。
しかしこの債務状況の中でこのことが結果しているのは、連邦憲法裁判所の判決や議会での決議
に従い私たちが防波堤を作るに際し、常に有限の資金しか持たないということから、このことは
EFSFなどの基金の定義でもあるのですが、このことによって市場に対しては、伝統的に必要に応
じて紙幣を印刷したり、中央銀行が国債を買い上げたりできる国々に比べて、もちろんいくらか攻
撃されやすくなっているわけです。
にもかかわらず、財政に対する国家の主権と共通の通貨があるという欧州連合とユーロ圏の政治
的構造にかかわって、現在本来の矛盾ないしは本来の難問が表面化しているのです。つまりある国
が安定成長協定に繰り返し抵触しても徹底して介入するための条約上の手段がないのです。19 本来
の問題は、過去10年間に少なくとも60件以上のそうした違反行為があったにもかかわらず、当該国
が同じ違反を繰り返すことを阻止できるようななんらの影響も与えることができなかったというこ
とです。そのため信用が失われたのです。行動能力への国際市場の信用が失われたのです。
ですから私は、欧州委員会が今日数種類の欧州共同債を提案したこと、つまり意図されていない
にしろメッセージとしては、債務の共同化によって欧州通貨同盟の構造の欠陥から逃れられるかも
しれないと主張していることは、誠に憂慮に堪えない、適切ではないと言ってもいいでしょう。ま
さにこれはうまくいかないでしょう。
ですから馬を馬車の後ろに付けるのではなく、やるべき一歩を踏み出し、こう言わなければなり
ません。再び信用を獲得したければ、自発的な誓約をもはや信じるのではなく、その代わりに、そ
のためには条約の変更を必要としますが、欧州安定成長協定の規則が遵守されるよう、条約に従
い、法的に拘束力を持って執行されることを要求しなければなりません。
これが財政同盟の方向への第一歩です。もちろん国家の権限の下にあるいくつかの領域での調和
を帰結するはずの政治的構成体の方向への第一歩です。これは私がユーロ・プラス協定を支持する
理由なのです。この協定では労働権、年金支給開始年齢、租税体系の調和について議論します。そ
してまたこれは私がフランス大統領と約束を交わした理由なのです。つまりドイツとフランスは
2013年のエリゼ条約記念年に、他の方法では機能しないでしょうから、ユーロ圏により多くの共同
性を実現するためのよい例を示すために、共通の法人税法を提示することを約束したのです。
しばしば生じているような、それがどんな新しい名称であらわれようが、簡単な解決を見せかけ
ようとすることには、意味がありません。私たちはその代わりに信用の喪失を一歩一歩克服し、信
129
用を再び獲得しなければなりません。このことはもちろん競争力の改善と欧州連合が入るべき成長
路線と結合されなければなりません。この点で私たちは域内市場を完全なものにするために多くの
ことができます。この点でドイツ国内でもいくつかのことができます。また私たちは、今倹約しな
ければならない国々がまだ十分利用していない、構造基金と結束基金をより効果的に利用すること
によって多くのことができます。そして構造基金と結束基金の構造が正しいかどうか、また将来の
財政見通しのために、その構造のせいで本来望んでいた通りには成長が促進されなかったかどうか
を熟慮することによってとりわけ多くのことができます。これが私たちが欧州に関してなすべきこ
とです。少なくともこれが私の信念です。
連邦政府は2011年12月8,9日の欧州理事会でまさにこの提案を提出する予定です。政治的信用が
失われたため、この信用は政治的措置によってのみ一歩一歩再獲得できるのです。これが私たちの
信念です。
もちろん世界は今欧州に注目しています。なぜなら皆が、グロ-バルなネットワークの中で私た
ちが全員共同して世界成長に対して責任を負っていることを知っているからです。このことはカン
ヌでのG20会議を通して表明されました。今後数年間で、私は国家・政府首脳級のG20グループは
その点で責任を果たしたと考えていますが、世界規模の構造で多くの変更がなされるでしょう。こ
のことを例えば国際通貨基金で既に見ることができます。例えば中国が自国の経済の基礎データに
対応した為替相場を許容する用意を整え、より大きな役割を演じるようになって、私たちは一歩一
歩多極的な通貨システムに至るでしょう。いずれにしろこの傾向は明らかに見てとれます。共同の
世界通貨システムについての作業は、フランスの議長のもとで明確に進捗しました。
私たちはとりわけ追加的な、このことをカンヌですべての欧州の参加者が強く支持したのです
が、金融市場の規制を必要としています。秩序を取り戻し、つまり金融経済が実体経済と人間に奉
仕し、そのさかさまではなくなるような規制です。まだこの目標には至っていません。このことは
はっきり言わなければいけません。
これは自然に起こるわけではなく、そのためにはすべての政府の共通の意志が必要です。ですか
ら私たちが今年も金融取引税が[金融危機に対する]正しい回答であること、そしてグローバルに導
入すれば最良の回答であるということについてグローバルな合意を得ることができなかったことは
喜ばしいことではありません。ですから欧州圏での金融取引税の課税という欧州委員会の提案につ
いて今集中的に議論を続けます。欧州では多くの変化があったので、希望を捨てるつもりはありま
せん。20 私たちは皆、金融市場は国民経済の回復のために自らの貢献をなすべきであるということ
を私たちは理解したということを示すためには、金融取引税が正しい印であるということで、意見
の一致をみているのです。
130
私たちはカンヌで重要な成功を収めました。私たちは金融市場規制に関しいくつかの成果を上げ
ました。つまり今や、これまで “too big to fail” すなわち倒産させるには大きすぎる、29のシステ
ム要素となっている、世界規模で取引をしている銀行に将来条件を課し、今後共同体、国民の負担
にならないようにするということが明白にされたのです。これは重要な一歩です。しかしこの一歩
に劣らず重要なのは、ノンバンクに対しても同様の規制をかけることです。ですから次回のG20会
議までにこのことについて提案をするよう金融安定化委員会に審議が付託されたことはいいことで
した。
金融危機に直面して一つのテーマが残念ながら背景に退いてしまいました。今年世界的に二酸化
炭素排出がかつてなかったほど高かったので、このテーマについても言及したいと思います。間も
なく気象保護のための会議がダーバンで開かれます。私たちはきわめて困難で不愉快な状況にあり
ます。私ははっきりと申し上げなければなりません。京都議定書は期限が切れます。しかし私たち
はまだ、ダーバンでは残念ながら期待出来ないのですが、京都議定書接続規約を合意できないでい
るのです。
これが意味しているのは、このことは欧州にとってもちろん困難な状況をもたらすわけですが、
中国やインド、ブラジルなどのまさに未来の、部分的には既に現在の大規模排出国が目下二酸化炭
素排出の削減あるいは許容に関して拘束力のある協定を締結する用意がないということです。つま
りこれが意味しているのは、新興経済勢力の意義が経済的に拡大するにもかかわらず、このことが
持続性と環境保護の問題への相応しい取り組みがなされないままで進展する世界がやってくるとい
うことです。
欧州はこの問題では明確な目標を持っています。私たちの削減目標は確定しています。この目標
を変更することはありません。私たちはこの目標を引き続き国際的に拘束力のあるものとします。
しかし世界生産における欧州の割合が減少する傾向にあるのを見る時、今日既に確実なことがあり
ます。新興経済勢力が拘束力のある義務を果たす用意がない限り、気象保護での[気温上昇]2度目
標を達成することはできません。
ですからダーバンではとりわけ最貧国で最も危険にさらされている国々を引き続き支援すること
が重要となります。私たちはコペンハーゲンで合意したやり方で、いわゆるコペンハーゲン合意で
決められたように、自発的な義務を果たすことによって対応して行かなければなりません。この義
務から明らかなのは、新たな義務が追加されない限り、2050年の2度目標を達成することはできな
いということです。
国際状況を見れば、気象保護と金融危機の克服と並んで安全保障の分野でも劇的な展開があるこ
とを観察できます。これは一方では高揚と失望を伴ういわゆるアラビアの春です。チュニジアでの
131
議会選挙が極めて喜ばしい出来事であったことをはっきりと申し上げたい。エジプトでの展開がど
うなるのか、私たちは心配しながら見守っています。シリアでの展開を見て恐怖にとらわれていま
す。シリアでの人権侵害を防止するための国連安全保障理事会決議が成立するように連邦政府は総
力を挙げて取り組んでいることを明確に述べたいと思います。そこで起こっていることを国連安全
保障理事会決議の形でも追及しないということにはもはや理解は得られないでしょう。
連邦外相はアフガニスタンの未来に関する会議の主催者になります。21 このボンでのアフガニス
タン会議はなかんずく、平和で安定したアフガニスタンを目指す政治プロセスを主眼とします。こ
の件ではドイツ側から多大の努力が払われました。私たちはそのため国際的な敬意を多く受けてい
ます。再度想起することが大事だと私が考えるのは、私たちはアフガニスタンのためにアフガニス
タンに駐留しているわけですが、私たち自身の安全保障も理由であることです。22 ですから安定を
欠き、国際テロの温床となるような国家を再び作らないためにも、2014年以降もアフガニスタンを
支援することが私たちの国益に資するのです。
私たちは私たちの女性兵士や男性兵士がアフガニスタンだけではないけれど、特にそこで任務に
就いていることを理解しています。ですからこの議論の中でも、私たちは2011年に既に7名の戦死
者があり、任務開始以来52名が死亡したこと、そのうち34名は戦闘によるものであることを想起し
ていただきたい。この機会を利用して、国益のために任務に就いている女性兵士と男性兵士の皆さ
んに心から感謝の意を表したいと思います。12月から1月にかけてアフガニスタン委任任務の次期
延長を審議した後で、兵士の数を縮小できることが、今日既に明らかになってきたことを喜んでい
ます。現在最大5,350名から4,900名に削減し、委任期間終了までに継続的に削減を続けることにな
ります。この計画を支持する考えを持っている方々に感謝申し上げます。この委任が議会でより多
くの支持をえられれば、それだけ女性兵士や男性兵士を支援することになるからです。
私たちは連邦軍改革をこの会期での重要な改革法案の一つと位置付けています。23 私たちはもち
ろん中期的に予算削減を行わなければなりません。変更を伴わない構造の再編はないことを明確に
申し上げなければなりません。選挙区や州で再編に際し理解をいただいた方々に感謝申し上げま
す。このことを、関連して生じる痛みが最小限にとどまり、改革への理解が得られるように、周到
な準備と根回しで制度化してくれたことに対して連邦防衛相に感謝いたします。
もちろん私たちはドイツで私たちの大陸と私たちの国土の未来を確実なものにするための貢献を
果たさなければなりません。
その際二つの課題が重要です。
第一は、私たちはドイツでは将来何を持って生計を立てるかという課題です。私たちは人口構成
132
が変化している国です。私たちはより多くの老人とより少ない児童を持つことになる国です。私た
ちは、移民の数が増加するのでより多様な人口を持つことになります。そして私たちの人口は減少
します。このことに向けて私たちはあらゆる側面で準備をしなければなりません。
何を持って生計を立てるかという問いを立てるなら、この議会で超党派的に決定した重要な変更
の一つが、エネルギー政策の変更であったことに言及しなければなりません。24 私たちは、今後再
生可能エネルギーの時代に向かってこの変化を制度化しなければなりません。これには否という答
えはなく、然りと言わざるをえません。ですから連邦政府は監視プロセスを開始しました。私たち
は毎年議会に報告することになります。この作業はまだ完了していません。連邦経済相と連邦環境
相は共同でこのプロセスを集中的に促進させることになっています。新しいインフラ構築の必要性
に伴う問題を回避することはありません。新しいインフラなしには再生可能エネルギーの時代に到
達することはできないでしょう。
私たちが最終処分場問題でも新しいアプローチを試みることで合意したこともよいことだと私は
考えます。この件に関しては夏までの州との協議で具体的な結果を期待出来ます。明確に述べます
が、再生可能エネルギーへの転換は世代間の課題です。当然これは一つの任期中に解決できるもの
ではありません。
何を持って生計を立てるかという問いに関して、言及しなければならない第二点は、現在私た
25
ちが多くの領域で過去の遺産で生計を立てているということに注目する必要があるということです。
ですから私たちが交通インフラにより多くの投資をするということは、この予算の非常に大事な重
点です。こうして初めて欧州の中央に位置する国として私たちは競争力を保つことができます。自
動車道から駅舎までそれほど重要性を認めない緑の党の皆さんは薄笑いをしておられますね。26 し
かし私たちは近代的なインフラがなければ豊かさを維持できる国はないと確信しています。ですか
ら交通インフラは、将来何を持って生計を立てるかという問いの本質的な要素なのです。
私たちの将来の機会が、人口の変化に直面していることもあり、なかんずく技術革新における成
功、私たちの国の人間の創造性、どこまでも最善の解決を求めていく生産的な活発さにあること
については、たぶん意見の一致をみることが出来るでしょう。この任期中に連邦政府が研究に60億
ユーロ、教育にも60億ユーロ追加的に支出することで、私たちはまさに正しい選択をしています。
これは連邦共和国の歴史にいまだなかったことです。教育研究支出は過去最大です。これは私たち
が緊急に必要としている未来への投資なのです。
人口の変化に直面して、移民の子弟が学校を優秀な成績で終了すること、ドイツ語を正しく学ぶ
こと、そして労働界に編入されることに留意しなければならないことを、私たちは理解していま
す。ドイツ統一以来最低の水準となる300万人以下の失業者がいること、また過去最高の4100万人
133
以上の就業者がいること、社会保険掛け金支払い義務のある雇用の数が著しく増加したことを、私
たちは理解しています。長期失業の領域での支出は部分的に減少しましたが、ハルツⅣ水準[=第
2段階失業給付金27 ]の増額で私たちが期待していたようには、全体額ではそれほど減少していま
せん。ですから重点項目は、長期失業の削減と、特別の取り組みが必要な、若年で余命の長い人々
の失業を削減することです。若年失業者には仕事が与えられるべきです。その問題では私たちは改
善を示すことができます。
シュレーダー時代28 のことを思い出すと、失業の問題でどんな状態だったかも思い出します。私
たちは若年失業者数を半減しました。あなた方も同じことをやるべきでした。この分野では失われ
た7年でした。
私たちは青年に機会を提供しています。ですからこの政策を継続します。同時に専門職での人材
不足があり、外国から優秀な頭脳を求めなければならないこともわかっています。
ですから私たちは二つのことをしました。
第一に私たちは外国で職業資格を得て私たちの国にやってきた人々の職業資格を認定しました。
あなた方がもしそんなにこの問題を重視していたら、解決には7年で十分だったでしょう。あなた
方は何もしませんでした。連邦教育相が今煩雑な作業を終えてこの問題を解決しました。私たち
は、州もこのことに賛成するように説得しました。今ただ実施するだけになりました。将来人々が
自分の資格にふさわしく仕事ができるようになるので、これは大きな成果です。この人々の権利を
実現したのです。
同時に私たちはブルーカード指針を実施します。29 本当に仕事についているか3年後の調査を受
け、居住許可を受ける人々の年収下限を6万6千ユーロから、4万8千ユーロに引き下げます。こ
れもまた必要に応じた対策です。
[移民]統合のテーマに関しても集中的に作業を進めます。1月末には次回の統合サミットが開催
される予定です。個別案件だけに注目するという状況から脱却して、統合に関し何を達成しようと
しているのかについて、将来は明確な基準値目標を立てる必要があります。これも継続課題です。
人口の変化に対処するということは、事実を直視することだということを私たちは理解していま
す。私たちは既に前の任期中に年金支給開始67歳制で対応しました。30 現在私たちは介護支出拡充
という対応をしています。初めて私たちはアルツハイマー患者にも、介護家族や介護施設の従業員
にも支出を増額します。それでも十分ではないと言う人がいるでしょう。しかし現在介護保険の対
象となっていない人々やその家族を支援するための正しいシグナルであることは間違いありませ
134
ん。
私たちは民間の介護保険を導入します。新しい介護概念を作る作業をこの任期中に終了させる予
定です。
クーンさん31 、あたかもこれが容易なことだと見せかけることができるかもしれません。しかし
現実はそうではありません。私もこの問題に集中的に取り組みました。新しい介護概念を導入した
後で、多くの人々には改善をもたらすかもしれないが、同時に多くの人が現在よりも不利益を受け
るようでは、そのような新しい介護概念を簡単に導入するわけにはいきません。そういった事態を
望んでいません。私たちは介護者がまったく幻滅するようなことがないよう改革を徹底して行いま
す。また家族介護休暇制度によって職業と家庭の両立のための重要なシグナルを送りました。
選択の自由と保護者手当について一言申し上げます。かつて私たちが育児手当を導入した時、誰
もがスウェーデンのモデルをほめそやし、北欧の国々からとてつもなく多くのことを学ぶことがで
きるし、実際うまく運営していると言ったものです。32 かれらは職業と家庭の両立に関してもうま
くやっていると言われたものです。まず規則をご覧になってください。そこには育児手当と保護者
手当があります。スウェーデン、フィンランド、ノルウェーにあります。あなた方は、これらの
国々はあなた方が望まない家族政策を行っている国々だとおっしゃるつもりですか。彼らは職業と
家族の両立と選択の自由に配慮しているのです。あなた方はこのことを認めるべきです。育児手当
はいいけれど、私たちがやろうとしている他のものは最悪だと言って、いいとこどりをしないでく
ださい。あなた方がやっていることは、公平ではありません。
もちろん、なお多くの課題があり、持続可能な政策へ相当踏み込んだものの、あらゆる持続可能
性の欠陥が是正されたわけではないけれど、誰も否定できないことですが、過去数年間の間にドイ
ツの状況は改善されました。経済・金融危機の制約にもかかわらず、あなた方も否定しないと思い
ますが、今年ドイツで実質賃金が上昇し、来年も上昇する見込みであることは、喜ばしいことで
す。
ここで注目されている問題点に移ります。第二段階失業保険の基準額を毎年適正化させるよう
に、連邦憲法裁判所が私たちに義務付けました。連邦憲法裁判所は何年も前から、生計費用に関し
て、長期失業者の基準額だけでなく、租税体系の中で [所得]基礎控除額を適正化するように私たち
に義務付けています。もしあなた方がドイツの有権者に向かって、「仕事についていない人々は支
援するけれど、最低課税対象となる所得の人々は支援しない。」と本当に言いたいのであれば、私
たちは公の場で喜んで議論し、結論を出します。「労働する者は、労働しない者よりも多くの報酬
を得るべきだ。」というモットーの下、私たちの方が多数の支持を得られることをあなた方に確言
できます。基礎控除を適正化することには、疑問の余地がありません。ハルツⅣの基準額が10ユー
135
ロ増額され、減税額が4ユーロでしかないことの説明に困るというのならわかります。あなた方の
立場に立てば、私なら声高に減税に反対しないで、4ユーロは私たちがやるべき最低のことだと言
うでしょう。
私たち同様あなた方も熟知していることですが、最低課税領域の累進課税の段階を見て、連邦憲
法裁判所が私たちに要請しているので、基礎控除額を引き上げます。そうしなければならないから
です。しかし、すぐに累進が始まらないよう課税段階を調整する必要はないとあなた方が言うので
あれば、このことについても私は公の場で喜んで議論します。
これは市町村と州に影響する負担に関することです。2011年に名目賃金が平均で3.4%上昇したこ
とを喜びますが、2.3%の物価上昇があったことも知っていますから、私たちは、将来的にインフレ
で失われた分を、税率の調整によって補償したいと考えています。市町村と州はたぶんその結果生
じる歳入欠陥を補うことができないので、その分はすべて連邦が負担することを、私たちは言明し
ます。これが、経済危機の中協力してくれているこの国の労働者の皆さんに対して私たちが行うこ
とです。私はこのことを合理的であると考えるだけでなく、絶対公正であると考えます。公平な課
税、それが大切なのです。
それでは債務率と歳出額についてあなた方が主張したことについてお答えしたいと思います。過
去連邦予算の増加率は1%でした。控え目に言って、これはあなた方の時代にはほとんど達成され
ませんでした。今年の経済成長が予想より大きかったという事実に基づき、増加分の歳入を年度末
に支出するのではなく財政赤字を減らすことを決定し、「想定以上の成長があったので財政赤字が
減った。しかし来年は成長が再び鈍化するので新規の財政赤字が見込まれる。」というのであれ
ば、正直だと言えます。そうであればそれは正しいことであり、あなた方の論証には間違いがあり
ません。
しかし欧州とドイツが問題となる時、あなた方の論証の二枚舌は完璧です。ギリシア、ポルトガ
ル、スペインその他の諸国のことになると、あなた方は毎回目に涙を浮かべて、財政赤字を削減す
るためにこれらの国はもう経済成長が期待できない、なんてひどいことだとおっしゃる。そして安
定成長協定の基準が再び遵守されることにドイツが固執するとはなんと非道な政策かとおっしゃ
る。しかし同時に私たちが安定成長協定を遵守するのを見て、欧州全体が私たちに、これは私たち
に可能なことだからですが、そのうえで成長に寄与することを求めると、あなた方は私たちにそう
しないよう非難するのです。33 これでは辻褄が合いません。このことを見過ごすわけにはいきませ
ん。
欧州の人々は皆、君たちは幸運なことにまだ成長している、景気回復に貢献し、僕たちの製品を
買うことができると言っているのです。なぜなら私たちの成長はもはや外需に依存していないから
136
です。34
ガブリエルさん、私にはどこでも同じ話をするという性格があります。あなたと話す時も、同じ
党派の友人と話す時も、連邦銀行や欧州の同僚と話す時も同じです。私はどこでも同じことを話
し、二枚舌を使わないので、私の人生はとてもシンプルです。これが私の長所です。
私たちの成長は今や内需に依存しています。これは良いことであり、正しいことです。私たちは私
たちができる範囲で、それに必要なことを果たしています。
私たちは、何を持って明日生計を立てるのか、という問いに答えなければなりません。何を持っ
て私たちは明日共同して生活できるのか。連邦政府はこの問題で一歩一歩前進していきます。親愛
なる同僚の皆さん、来年もまた私たちは、急速に変化している世界の途方もない課題の前に立って
いるでしょう。未来の世代がなお取り組むことになる課題があります。しかし私たちは、私たちの
国は良い出発条件を手にしているということができます。キリスト教・自由連立政権[メルケル政
権のこと]はまさにこの課題に取り組む決意があります。皆さんに宣言します、私たちの目標は人
間的な社会そして成功する社会です。これがこの国の人々へのメッセージです。そしてそのために
私たちは仕事を続けます。
訳注
1
連邦議会での次年度連邦予算説明を記録したこの文書は、EU首脳会議に先立ち、ドイツ政府がユーロ危機に対して
どのような姿勢をとっているのかを表明しており、重要なものである。ドイツの負担を求める内外の圧力に対し、EU
条約の改正により加盟国の財政規律を統制することが条件であることが明確に表明されている。また、伝統的に安全保
障問題が冒頭に言及されているが、今回は国内での極右テロ事件が言及されていることが注目される。また、後半では
環境政策、安全保障政策、エネルギー政策、移民政策その他の政策も言及されている。
2
国民社会主義地下組織NSUと名のる極右テロ組織が、2000年以降10年間に、現在分かっているだけでも、1名のギリ
シア人と1名の女性警官さらに8名のトルコ人を殺害した。この犠牲者の名前を列挙している。
3
内部通報者から情報を得ている諜報機関の失敗を含む事件の解明とドイツの2州議会で議席を持つ極右政党ドイツ国
民民主党NPDの禁止が当面の課題である。2003年には連邦憲法裁判所でNPD禁止措置が違憲判決を受けており、内部
通報者との協力中止など難題を抱えたままである。連邦制に起因する、連邦と州、州間の連携の欠陥に対しては、極右
犯罪データベースの共用が連邦内相から約束された。
4
過去の克服を国是とするドイツは、ナチ党の戦争犯罪の延長上にある極右勢力の活動が、外国との関係を悪化させる
ことに敏感である。
5
イスラム過激派、極左テロ対策に比べ、極右テロ対策を軽視しているのではないかという批判がある。
6
連邦議会での全党一致のテロ非難決議のこと
7
与党と最大野党のSPDおよび緑の党が賛成した。しかし与党の一部の造反があり(CDU幹部の内務委員会委員長を
含む)、左派党は反対した。
8
中道右派のメルケル政権はこの機会をとらえ、伝統的な小さい国家論を主張する好機であるとしている。ただし、国
家財政の健全性が、リーマンショック以降の金融・経済危機救済策によって急速に悪化したこと、国債発行に伴う手数
料収入や取引、関係デリバティブで金融機関が収益を上げたことにも留意しなければならない。また、リーマンショッ
クの原因となったサブプライムローンに関して不適切な格付けをした民間の格付け会社が、今回のEU圏諸国の国債の
格下げによって金融不安を起こしていることにも問題がある。
9
共通通貨に対し各国が独自の財政主権を行使していること。
137
10
野党第1党ドイツ社会民主党SPD党首で連邦議会議員
ギリシアのパパンドレウ首相がユーロ圏諸国首脳に事前連絡しないで突然ギリシア救済策について国民投票をするこ
とを表明したこと。その後パパンドレウ首相はユーロ圏諸国の圧力を受けて国民投票案を撤回し、辞職した。ユーロ危
機を民主主義の危機ととらえる観点からは、多くの問題をはらんでいる事件である。
12
EFSFの機能強化を中心とする救済機関のさらなる拡充案は、ドイツ政府自体が追加支出を否定しているため具体像
が描けていない。欧州中央銀行をはじめとする主要国中央銀行による国債買い上げにも限界がある。IMFを救済の受け
皿としようとする思惑もあるが、中国など新興国やアメリカの協力を得られるか不透明である。新興国はIMFの改革を
要求し、アメリカはEUのより柔軟な金融政策を要求してくることは明らかである。
13
その後80億ユーロの第6次融資は認められた。
14
欧州議会における各国中道右派政党の姉妹党議員団のこと。
15
ドイツ銀行(ドイツの最大の民間銀行)の株価急落のこと。リーマンショック後も頭取のアッカーマンは収益25%を
宣言して批判された。
16
2008年のリーマンショック後欧州連合では、銀行経営安定のためストレステストを導入したが、国債は対象外であっ
た。このストレステストに合格したベルギー・フランス銀行デクシアがユーロ危機の波を受け経営危機に陥り国有化さ
れた。
17
将来的なユーロ圏共同債導入を全面的に否定しているのではないが、欧州条約改正を条件とする慎重な姿勢を示して
いる。
18
新規の国債の20%をEFSFが元本保証することによって出資者を募ること。逆にいえば、出資者は80%のリスクを負
うことになるため金融市場は懐疑的である。
19
主たる基準は単年度予算でGDP比3%以下,累積でGDP比60%以下の赤字を許容
20
イギリスのキャメロン首相は、欧州での金融取引税導入に反対する姿勢を崩していない。
21
ISAFによる国境地帯でのパキスタン軍攻撃事件を受け、パキスタンは参加取りやめを表明した。地域の安定に欠か
せないパキスタンが不参加を表明したことで、会議の成否が危ぶまれた。
22
ドイツ連邦軍や警察のアフガニスタン駐留は、ドイツのイラク戦争反対後の独米関係修復の意味を持っている。派遣
を決定したのは当時の社民党・緑の党連立政権である。ちなみに、イラク戦争勃発時に野党であったキリスト教民主同
盟CDU党首メルケルは、ドイツ政府とは違い、アメリカ政府の戦争政策を支持した。ドイツは当初アフガニスタン復
興支援に重点を置いていた。しかし特に2008年以降ドイツ連邦軍は米軍やアフガニスタン軍との連携を強め、タリバー
ンを掃討する任務を遂行する戦闘部隊となっている。その間民間人誤爆事件もあり世論の反発は強い。タリバーンはく
り返しドイツに対しテロ攻撃の警告を発している。イギリスやスペインと違い、ドイツ国内ではイスラム過激派のテロ
事件がいずれも未遂で摘発されている。連邦大統領ケーラーは、アフガニスタン訪問に際しての発言に対し、ドイツの
経済的利益のための駐留を擁護したという批判があったことに抗議して辞任した。
23
ドイツは2011年から徴兵制を中止した。それに伴い国内駐屯地の再編縮小が進められている。
24
メルケル政権は、自由民主党FDPと連立を組んでから、既存原発の稼働期間の延長を模索していたが、福島原子力発
電所事故を機に、再び脱原発に大きく舵を切った。脱原発を最初に決定したのは第1次社民党・緑の党政権である。
25
ヒトラーのアウト―バーンも含まれる
26
バ-デン=ヴュルテンベルク州の州都シュトゥットガルトでの中央駅舎地下化工事では、大規模な市民による反対運
動がおこった。州政府首相を始めて出した緑の党も市民運動を支援している。しかし2011年11月の住民投票では建設賛
成派が多数となった。
27
社民党・緑の党政権が2003年に導入した労働市場改革案の中心政策。第2期の失業保険給付を大幅に削減し生活保護
費に統合した。野党のメルケルも支持した超党派的構造改革路線の象徴的な政策である。
28
1998年から2005年までの2次にわたる社民党・緑の党による中道左派政権のこと
29
ドイツ版グリーンカードのこと。この労働市場の必要性を基準とする制限的移民労働政策は、原則的な経済難民引き
受け拒否と一体のものである。
30
2005年から2009年までの大連立政権は、選挙後マニフェストにはない年金支給開始年齢引き上げを決定し、実行し
た。
31
緑の党幹部
32
保護者手当は、保育園に子供を預けないで家庭で子育てする保護者に手当を支給するもの。バイエルン州のキリスト
教社会同盟CSUが強く主張している。育児手当は、休職して育児をする親の所得を補償するもの。男親には特別の延長
措置がある。特に社民党や緑の党は、保護者手当は児童(特に移民の)の社会化を阻害するものだとして強く反対してい
る。
33
減税により、成長を促進するという減税政策のこと。連立相手の自由民主党は現在支持率が低迷し、議会排除条項
(5%条項)に抵触する状態にある。減税を旗幟とする自民党をテコ入れする必要があり、またユーロ危機で国民負担
11
138
が生ずるためその不満を和らげる必要があるという事情がある。野党は減税を否定し、富裕税をはじめとする財政再建
優先を主張している。
34
この主張は、EUで必ずしも共有されているわけではない。リーマンショック後の大連立時代のメルケル政権は、フ
ランスの要求するEU共通救済策を退けた。これに対し当時のフランス財務相ラガルド(現IMF専務理事)は、ドイツ
の黒字に言及し、ドイツが欧州で上げた利益を共同の救済策で還元すべきだと非難した。ユーロ危機では、ドイツの指
導権の確立が顕著である。「欧州では再びドイツ語が話される。」つまり緊縮財政規律が、各国憲法に規定されたり、
条約化されるというCDU議員団長カウダーの発言はイギリスなどで反発を受けている。ドイツが構造改革路線を欧州
化し、引き続き指導権を発揮するのか、反発によって孤立するか今後の動向が注目される。今後数年間の欧米主要国の
総選挙の結果政権交代があれば、勢力関係も変化する可能性がある。
擱筆(平成23年12月5日)
139
地域医療の質的向上と患者満足に関する基礎的小論
保 田 宗 良
キーワード 三方良し、医薬品卸、医療従事者、医薬分業
Ⅰ はじめに
地域医療の質的向上を考察すると、医療機関における医療の質の向上と経営の質の向上の両立が
容易ではないという問題に直面する。医療に携わる者は勤務時間に任務が終わらないことが少なく
なく、使命感で職務を遂行する。その分、残業手当が支給されるという保証は不確かである。医療
の質の向上は、患者満足を高めるということであるが、患者の希望、期待はとめどもなく高くな
り、その希望、期待に応えるためにはかなりの過重負担が必要となる。
近江商人の三方良しの考え方は、医療サービスにも適用される。売り手良し、買い手良し、世間
良しの三方良しは、従業員良し、患者良し、地域医療良しと換言することが可能である。医療機関
の構成メンバーの満足度が高ければ、患者の満足度が高まり、そこの地域の医療サービスの質は高
いものになるはずである。
しかしながら、医療崩壊と言われている地域では基幹病院の医師の定着が芳しくなく、診療科が
閉鎖され、患者の転院が余儀なくされる実態がある。従業員良しという第一段階が崩壊すると、患
者満足という次のステップが崩壊する。
コスト意識が高いとはいえない臨床の専門家は、経営の質の向上まで考えが及ばないのが常であ
る。筆者は様々な形態の医療機関の事務方と討論を重ねたが、院長とのコスト意識のズレに苦心を
重ねていることが明確になった。赤字に苦しむ自治体病院は医師の確保もままならず、やっと確保
した医師に経営の質の向上まで要求するのは、無いものねだりのように見られている。
地域医療の崩壊が進んでいるという指摘がなされている。病院から医師が減り、後任が容易には
見つからない。残った医師の負担が多く、更に転出が続き、メインとなる診療科が閉鎖し、病院の
存続が困難になるという報道がなされているが、その事由については患者が容易に理解できない部
分がある。医師の育成は医学部や、医療機関のなすべきことと言われるが、地域住民の視点の提言
も欠かすことはできない。一般商品の場合は価値共創によってコラボレーションの製品計画が実在
している。医療においても、情報の非対称性を分かりやすい説明で少なくし、まちづくりの中に地
域医療を考えていくべきである。
医療の質の向上は、一部の使命感の高い医療者に頼っていては限界がある。経営から無駄を無く
し、総合的な見地で改善を意図しなければならない。空いているからと時間外に来る患者や、救急
車をタクシー代わりに使う患者など、一部の地域住民にも、反省すべき点が実在する。他のサービ
141
ス・マーケティングとは異なり、消費者は王様であるという意識は、医療においては必ずしも該当
しない。
NPO法人地域医療を育てる会では、千葉県東金病院に研修に来ている後期研修医に対してコ
ミュニケーションスキル研修を病院と共催している。これには住民ボランティアである「医師育成
サポーター」が参加し、彼らは若手医師のコミュニケーションスキルを評価する働きを担ってい
る。患者・住民は、コミュニケーションの上手な医師に診てもらいたいと願っている1)。
NPO法人地域医療を育てる会は、住民、医療者、行政の「対話の場」づくりを核に地域協働の
ユニークな取り組みを続け、地域医療の再生に貢献してきた好事例として注目を集めた。特筆すべ
きものに、レジデント医のコミュニケーション研修に住民が参加する「医師育成サポーター制度」
がある。市民サポーターに対して、若手講師が講話をし、質問に答え、ディスカッションをリード
し、それをサポーターたちが評価するというスタイルを取っている。医学教育において、実際の市
民を対象にコミュニケーションの実践力を鍛える場はほとんどない。患者とのやりとりにあまり慣
れていない若い医師にとって、この研修は、基本的な診療能力として重要なコミュニケーションの
訓練になる2)。いわば多くの大学で取り入れている学生による授業評価のアンケートのようなもの
であり、現場の医師は多少の抵抗を克服しなければならない。地域が医師を育てるという考えも重
要である。
コミュニケーションの訓練は重要なものである。情報の非対称性が大きい医療においては、分か
りやすい言葉で説明する事が基本であり、専門用語は初心者に分かる言葉で代替しなければならな
い。患者にとって医師の説明は絶対的なものであり、苦情カードには横柄な言い方が納得できない
というものが散見している。オーバーワークの医師の言葉遣いが、つい荒くなるのは理解できる
が、説明はソフトで丁寧に越したことはない。
ナラティブ・ベイスド・メディスン(NBM)の必要性が指摘されている。NBMとは物語、つま
り患者自らの語りと対話を重視した医療である。しかし患者の物語を聞く時間が非情に少ないのが
現状である。また医療者に患者の言うことを「聴く」努力が足りないことも事実であり、医療記録
の電算化によりこの傾向は強くなっている。患者が自ら語り出すnarrativeを重視し、対話を臨床
実践に生かすことが医療の重要な責務である3)。
現在、医療崩壊に対応するために、地域医療を考える会が多数存在している。そこで共通して見
られるのは、医師、薬剤師、看護師、住民がチームとなって地域医療を考えるというものである。
医療の質の向上は、医療機関の医師のみが孤軍奮闘して解決できるものではない。医師不足が注目
され、研修医制度への対応、医師の確保が注目されるが、地域全体で医療の在り方を再検討する姿
勢が不可欠なのである。そのために医師、看護師が対応できる範囲は限られるので、医療ソーシャ
ルワーカーが患者の精神面をフォローする形式が整いつつある。
医療機関の事務方は、客観的な数値により再建を考えている。そこで求められるのが、外部業者
による客観的な指標である。それは医療コンサルタントであったり、医薬品卸の業務支援システム
であったりする。厚生労働省受療行動調査の概況が、患者満足の研究に良く参照されているが、そ
こには待ち時間の長さが不満にあげられている。待ち時間の長さにどのように対応するかは、待合
142
いゾーン付近にカフェレストランを設置し、そこで待ち時間をゆったりと過ごすという対症療法の
やり方と4)、他の医療機関に患者を誘導するというやり方が考えられる。地域医療の質的向上は、
医療機関が連携し、調剤薬局、医薬品卸、ドラッグストアの協働があって成立する部分がある。3
時間待ちの3分診療と大病院の混雑ぶりが揶揄されるが、同じ診察を受けるのであれば、医療機器
が充実している大病院で診察を受けたいと考えるのが患者の常態である。同じ検査を受けるのであ
ればどこの病院で受けても点数は同じであり、大病院の前には複数の門前薬局があり、過去の症例
から在庫管理をしているので処方箋に記載された医薬品が欠如していることはまず無い。患者に
とって良いことずくめのようであるが、連休明け等の混雑はすさまじく、半日費やすことも少なく
ない。
筆者が、関心を高めていることに医療モールの活用がある。1つのフロアーに複数の診療科があ
り、調剤薬局があれば病院に行くのと同じ効果が期待できる。複数の診療科の医師が連絡を密にす
れば、1人の患者を複数の診療科で診察することが可能である。医師が定期的に集まり、臨床の勉
強会を進めているところも実在する。患者にとっては大病院で長時間費やすより効果的である。
しかしながら患者にとってのデメリットも存在する。カルテが共有化できるわけでは無く、モー
ル内連携は生かし切れない。それぞれ初診料を取られるし、会計も個別で1度に支払いができない
という課題が存在する。ワンストップサービスは魅力であるが、金銭、便宜の障害は見過ごすこと
ができない課題である5)。
軽医療の場合は、ドラッグストアのセルフメディケーションで事足りることがある。ドラッグス
トアの薬剤師の指導も地域医療においては重要となる。調剤薬局の薬剤師が、ジェネリック医薬品
への変更を提案し、薬剤費の負担を軽減することや、健康作りの指導が失念できない事柄である。
だが、軽医療が進展するためには、セルフメディケーションとは何かという概念の啓発と、薬剤
師の指導でどこまで対応できるかという予備知識が必要で、誰かがそうした教育を担わなければな
らない。
筆者が居住する青森県は、日本一の短命県である。「りんごは医者いらず」ではなく、「りんご
は医者を遠ざける」となっている。りんごを食しているから健康で医療機関に行く必要はないとい
うモノの例えで、予防医学が不十分で、中途半端な知識が災いして初診が遅くなり、手遅れになる
事例が少なくないと見られている。
長野県は、緊急医療体制を整備し、県民がいつでも、どこでも、等しく、保健医療サービスを受
けられる体制を整備してきた。医療機関を、医療従事者をはじめ、保健・医療関係団体、市町村、
そして県民1人ひとりの努力により向上させ、保健医療の水準は着実に向上した。1人当たりの老
人医療費は1990年から18年間、全国で最も低く、20年度も全国で3番目に低い健康長寿県となって
いる6)。
長野県から学べることは、保健・医療関係団体の協力関係が、医療の質的向上には不可欠であ
り、保健医療の水準を高めれば、老人医療費は低減するということである。予防医学は、医療従事
者の尽力だけでは浸透せず、医療マーケティングの効率化を上げるためには、地域全体のチームプ
レイが望まれるということである。
143
青森県の課題は、こうした医療体制の整備であり、そのためには医療従事者を中心に体制の強化
を図ることにあると考えられる。日本一の短命県という不幸な状態を改善するためには、ドラッグ
ストア、調剤薬局の薬剤師、配置販売薬の配置員の指導が不可欠と思われる。健康食品と医薬品を
混同している消費者が散見され、健康に良い食品と健康食品を混同している消費者も存在し7)、情
報の非対称性が狭まりつつある現代の医療においては、こうした基本的な知識の指導が不可欠であ
る。医療の消費者教育の方法論を、再度模索しなければならない。
地域医療の質的向上のためには、医療マーケティングの充実が基盤となる。医療の質と患者満足
度に関する先行研究は、蓄積されつつある。今後解明すべき課題は、医療機関と取引している業者
のバックアップはどうであったのか。そのために医薬品流通の構成メンバーが何をしてきたのか。
何が障害となってきたのか。現状改善のためには何をなすべきなのかといったことを整理すること
であり、本稿は、文献研究による歴史的考察と現状の聞き取り調査により、詳細な課題分析に進む
予備考察を目的として、論旨を展開している。
Ⅱ 医薬品卸の社史を含めた考察
地域医療は、医療機関の臨床レベルの質的向上、多くの職種にまたがる構成メンバーの成果を高
める組織の再構築、患者満足度を高めることが課題となり、そうした先行研究は充実しつつある。
先に述べたナラティヴ・アプローチ、参与観察による興味深い研究成果も実在する。医療機関の多
角的な視点による研究は、層が厚くなりつつある。しかしながら、地域医療と医薬品流通業との関
わりの考察は、必ずしも十分とはいえない。
医薬品卸は地域医療の質的向上の担い手であるが、医療機関と製薬会社の間にあって、縁の下の
力持ちの存在であった。国の医療政策による薬価引下げ、医薬分業の促進に合わせて、常に生き残
りの対策が求められてきた。医薬分業は00年以降主力になったが、それまでは形式的な門前薬局が
多く、特定の医療機関の処方箋を受け付ける形式となっていた。制度があっても実質が伴わないと
いうのが、医薬品流通の実態であった。現在は、調剤薬局対策が強く求められている。
複数の医薬品卸の社史を丹念に検討すると、地域医療に対する思いが伝わってくる。医療機関に
医薬品納入以外の様々な便宜を図っているのが医薬品卸であり、複数の社史から共通した経営姿勢
が把握できる。
北海道の医薬品卸を長期にわたってリードしてきた、秋山愛生舘の特筆すべき功績として、北海
道大学薬学科併置に協力したことがあげられる。昭和25年2月に札幌医科大学の設置が認可された
とき、医学部に続いて薬学部の設置が予定され、さまざまな構想があったが、薬学部設置に必要な
資金面の裏付けが無く、陽の目を見ることは叶わなかった。秋山愛生舘の秋山恆氏は北大医学部の薬
学科併置に尽力し、更には秋山奨学会を設け、薬学科の学生に返済無用の奨学金を支出している8)。
地域医療への貢献は、医療機関へのサポートに留まらず、こうした薬学生の支援も含まれる。秋
山愛生舘は北海道地域の医療に長年の実績を蓄積してきたと考えられる。薬剤師の顧客満足度を高
めるためには、まず薬剤師を養成する場を創造しなければならない。
三星堂八十年史には、医療従事者としての卸の役割が示されている。創業八十周年の経営方針の
144
発表会で、上林社長は以下のように述べている。(筆者が要点を整理して簡潔に記述した)
「三星堂が、これから予想される激しい時代の変化に対応し、この年を起点として、三星堂が将
来とともに永続する企業として発展していくために、どのような経営姿勢で進んでいくことが必要
であるかについて考えると、医療制度の一翼を担う医療従事者としての社会的使命の追及、これを
度外視して企業の永続的発展はありえない。引き続き地域密着型総合卸の展開を基本とする。地域密
着型卸とは、医療従事者としての卸の社会的使命を果たし、地域医療に貢献することである。」9)
三星堂の社史から学べることは、医薬品卸の従業員は単なる流通業者では無く、医療従事者であ
るという戒めである。医療従事者としての社会的使命の追及が、企業が発展するためには求められ
ており、地域医療にいかに貢献するかという戦略が常に必要とされる。
しかしながら、三星堂の上林社長の講話があった時代、医薬品卸の従業者は医療従事者としての
評価がなされていたかというと、いささか疑問が残る。御用聞き的な仕事があり、医療機関にとっ
ては便利屋的な位置付けが否めなく、外部からの評価は一様ではない。
中京地区で280年余り事業を営む、中北薬品の社史からも興味深い事実が学べる。
中北智久氏は、昭和47年の年頭に以下のような方針を語っている。
「薬業界の変化は急速に、しかも予測のできない事象のなかで、未来への方向づけを見いださな
ければならない。医薬品の流通を担う卸売業者は、より一歩前進し、幅広い未来社会を志向して進
む必要があろう。
今日社会福祉優先、生きることの重要性の認識、さらには公害問題等を考えあわせると、人が健
康を保つためのあらゆる分野をリサーチし、医薬品を中心とした、より広範な健康産業へのアタッ
クを目標として進むべきである。」10)
医薬品卸は、医薬品の流通業者のみではなく、広範な健康産業を目標とすべきであるということ
で、現在では周知の考え方であるが、昭和47年の時点では注目すべき未来志向である。
現社長の中北啓介氏は、「地域に根ざした医薬品流通業として、健康産業に携わるすべてのお客
様に、多くの品揃えをもって、品質・安全性を保った管理の下、安定的に医薬品を供給するトレー
サビリティが重要と考え、地域の皆様のお役に立ちたいと考えており、21世紀の日本社会を見渡し
たときに、健康・医療分野は最重要領域の1つであることは疑う余地はなく、健康産業の深化が中
北のキーワードになると判断している。」11)
健康産業は、常に生活者から求められている産業である。健康に関心のない生活者は皆無であ
り、誰しもが健康な生活を営みたいと願っている。高齢社会の進展で健康・医療分野はより充実し
たシステムが求められ、それに応えることが医薬品卸の使命となっている。社史から考察しても、
現在のホームページから考察しても地域の医療に貢献するのが、中北薬品の目指す方向ということ
が伺える。
昭和53年年頭、潮田薬品は以下のような、営業方針を告示している。
「潮田薬品は茨城県に生まれ育まれてきた医薬品卸業者である。230余万人県民の健康と福祉の
向上に企業努力を傾注することを旨とする。会社の発展は社員の幸福であり、社員の幸福は存在地
域の発展につながるものであることを深く理解する。このことをつねに念頭におき、日々の営業活
145
動を展開することを第一義とする。」12)
社史『潮田三国堂薬品100年のあゆみ』のなかにある文章から引用したが、県民の健康と福祉の
向上に企業努力を傾注するとあり、地域医療の向上のために寄与したいという意識が伺える。
上記で述べた社史からの引用で明確なように、医薬品卸は、地域医療に大きな貢献を続けてき
た。度重なる医療制度の変更に対応するために様々な工夫を重ねてきた。とかく医療機関の取り組
みが紹介されるが、取引先の流通業者の係わりを失念するわけにはいかない。例えば、患者満足度
の調査も自前でできる医療機関は問題ないが、筆者が聞き取り調査を進めた00年には医薬品卸に依
頼する医療機関が少なくなかった。
医薬品卸は、2つの顔を持っている。本社は、取引先の製薬会社に向いており、現場の営業所は
医薬品を納入している医療機関との協調的な関係に心血を注いでいる。その関係の行き着く先に地
域医療の質的な向上がある。現在のMSは価格決定権があり、医療機関の購買の担当者にとっては
良きパートナーとなりたい人たちである。かつての医薬品卸は、製薬会社の系列があり、価格決定
はメーカーの医薬情報担当者(MR)が行っていたので、御用聞き的な側面があった。マーケティ
ング戦略も不明確で、医療従事者という意識が高いとは言えない社員も存在した。
しかしながら、医薬品卸は減少を続け、規模の経済が求められるようになり、地域卸が存続する
のはかなり困難となった。全国卸の系列に入ることが生き残りの条件となり、そのためには地域の
医療機関の信頼という財産が不可欠となった。MSの資質を高めるために、研修を重ね、医療機関
の要求に対応できる情報武装が整備されるようになった。医療従事者という意識を高め、取引の割
合が高まりつつある調剤薬局のニーズに合うスタイルが模索されつつある。平成21年度の卸販売対
象別医薬品は、薬局・薬店が39,597億円、50.8%となっており、大病院、中小病院、診療所の合計
48.5%を上回っている。(その他が0.7%ある)薬局の中には言うまでも無く調剤薬局が含まれ、医
薬品卸の主要取引先であることが分かる13)。現在、医薬品卸は調剤薬局も傘下に収めている。利
益面で卸売事業が困難になりつつあり、調剤部門で取り返そうという動きである。
東日本大震災で、東北地方の医薬品卸、ドラッグストアの動向が注目を集めた。サプライチェー
ンのあり方が問われ、適正在庫とは何かが問題視された。バイタルネット取締役副社長・村井泰介
氏の講演から、医薬品卸の社会的使命が垣間見える。
村井氏は、「医療機関や調剤薬局の在庫水準が適切であったかは、今後検証しておく必要があ
る。得意先の在庫負担を軽くすることがサービスと考えてきたが、本当にそれが全体最適であった
かは、考えさせられた。調剤薬局の在庫を有効に活用できず、処方元の病院と門前薬局の連携は必
ずしもスムーズではなかった。(医療機関同士で災害時の医薬品の融通は薬事法違反ではないとい
う通知は、厚生労働省からあった)可能であれば、病院と調剤薬局で災害時協力協定を結んでお
き、薬局の在庫を病院に持ち込むことも必要である。大学や大病院のドクターが卸の機能を正しく
理解していなかった。緊急時に医薬品を持って現地に行くドクターと卸が、医薬品供給状況の情報
を交換し、情報共有する仕組みを作ることが非常に重要である。」14)
村井氏の談話から、多くの実態が把握でき、医薬品卸の貢献できる部分が明確に把握できる。災
害時に点在している調剤薬局の橋渡しは、そこに医薬品を納入している卸がするという考え方があ
146
る。全体最適は、個別のレベルでは不可能なので、不測の事態を想定して再度検討することが望ま
れる。
大学や大病院のドクターが、卸の機能を理解しておらず、使用したい医薬品と在庫が一致してい
なかったという実態も一考すべきものである。そうしたドクターの人たちは、製薬会社のMRとの
付き合いは深い。医薬品情報を提供するMRとは平素接しているが、卸のSマンは薬剤部や事務方
との付き合いが主なので、その役割については理解しがたい。地域医療の担い手は、患者の要求を
満たす医薬品卸も担っているという認識が必要である。
Ⅲ おわりに
日本における医薬分業は、外圧によるところがあった。先進国の中で韓国と日本が遅れていた
が、日本においては、薬価差益に依存する医療機関の思惑があり、病院の窓口で医薬品をもらうス
タイルが通常であった。医薬品の専門家は薬剤師であるが、患者もそうしたことを意識すること
は、多いとは言えなかった。
医薬分業が進むと、調剤薬局の使命が大きくなる。外圧による調剤薬局は形式的にもなりがちで
あり、特定病院と敷地を接する門前薬局が多数を占めている実態も存在した。そこには、機械的に
医薬品を袋詰めする薬剤師がおり、健康ステーションとは言い難い実態が散見された。現在、調剤
薬局の薬剤師は、かかりつけ薬剤師としての機能が求められている。お薬手帳というデータを整備
し、飲み合わせによる事故等にも対処している。処方箋に医師による制約が無ければ、ジェネリッ
ク医薬品を薦めることもでき、慢性疾患の場合は、年間数千円の薬剤費の節約が可能となる。ジェ
ネリック医薬品がどのようなものであるのか、一般の患者は十分理解しておらず、知識の啓蒙及び
薬剤費の節約は満足度向上に結びつく。
医薬品卸の生き残りは、医療機関の満足度を高めることはいうまでも無い。医療機関の満足度を
高めるということは、そこに通院する患者の満足度を高めるということである。OTC医薬品によ
るセルフメディケーションの向上も、専門家のサポートが不可欠である15)。
ここまでは、医療機関、ここからはドラッグストアで対応できるという的確な指導が求められて
いる。
先行研究
著書
島津望『医療の質と患者満足 -サービス・マーケティング・アプローチ-』千倉書房、2008
年。
藤村和宏『医療サービスと顧客満足』医療文化社、2009年。 論文
井上淳子 冨田健司「医療連携によるリレーション・マーケティング」『医療と社会 Vol.12
No.3』医療科学研究所、2002年、pp.61-83。
藤井達也「大学病院における新たな管理手法である『テナント管理会計』と『院内取引制度』の
147
構築と導入の評価-「医療の質と経営の質の両立によるコスト削減」-『日本医療マネジメント
学会雑誌 Volume12Number1』日本医療マネジメント学会、2011年、pp.35-45。
本藤貴康「チャネル構造変化と卸売業の存立基盤 -ドラッグストアの伸張とHBC流通に焦点
をあてて-」『東京経大学会誌 第254号』東京経済大学経営学会、2007年、pp.95-111。
三村優美子「医薬品流通の安全と安心への取り組み -医薬品流通研究会報告-」『医療と社会
Vol.17 No.2』医療科学研究所、2007年、pp.151-166。
保田宗良「医薬品業界の流通システム」『日本商業学会年報 1992年度』日本商業学会、1992
年、pp.75-84。
注
1) 藤本晴枝「地域医療再生計画を地域住民のために」『病院 第70巻、第7号』医学書院、2011年、p.509。
秋山美紀「対話の場を作る-地域医療を考える会の挑戦」『病院 第70巻、第9号』医学書院、2011年、pp.667669。
3) 吉田修「日本の医療を立て直すには」『病院 第70巻、第11号』医学書院、2011年、pp.864-865。
4) 久米設計 病院管理タスクチーム『病院再生の設計力』幻冬舎、2010年、p.19。
5) 『医療モール事業の現状と展望』(株)矢野経済研究所、2006年、p.21。
6) 長野県健康福祉部医療推進課「「医療計画」「二次医療圏」「救急医療体制整備」をどのように考えるか」『病院
第70巻、第11号』医学書院、2011年、p.859。
7) 丸大サクラヰ薬局 学術部部長・三上将氏との討論で話題になった。
8) 秋山愛生舘100年史編集委員会『北のいのちとともに-100年史』(株)秋山愛生舘、1993年、pp.61-62。
9) 『第三の創業・三星堂八十年史』(株)三星堂、1978年、pp.312-313.
10) 中北薬品株式会社社史編纂委員会『中北薬品二百五十年史』中北薬品株式会社、1977年、p.285。
11) 中北薬品ホームページ「ごあいさつ」2011年10月1日閲覧。
12) 『潮田三国堂薬品100年のあゆみ』(株)潮田三国堂薬品株式会社、1993年、p.106。
13) JPWAホームページ販売対象別医薬品年間販売額を2011年10月1日閲覧。
14) 『月刊卸売業 2011年10月』(社)日本卸業連合会、2011年、pp.15-16。
15) 大正製薬(株)仙台支店 管理・庶務グループ主任 鈴木恒男氏による談話。
2) 参考文献
Anthony D. Cox, Dena Cox,& Susan Powell Mantel, Consumer Response to Drug Risk
Information: The Role of Positive Affect, Journal of Marketing, Volume74. Number4, AMA, July
2010, pp.31-45。
Bruce Cooil, Timothy L. Keiningham, LerzanAksoy, & Michael Hsu, A Longitudinal A
Nalysis of Consumer Satisfaction and Share of Wallet: Invstigation the Moderating Effect of
Consumer Characteristics, Journal of Marketing, Volume71 Number1,AMA,January2007,pp.67-83.
Jonathan Cohn. Sick: The UntoldStory of American’s Heart Care Crisis -and the
People Who Pay the Price(HarperCollins,2007)
ジョナサン・コーン著 鈴木研一訳『ルポ アメリカの医療破綻』東洋経済新報社、2011年、解
148
題、pp.296-305。
NidhiAgawal, GeetaMenon, and Jennifer L. Aaker, Getting Emotional About Health,
Journal of Marketing Resarch, Vol. XLIV. AMA, February 2007, pp.100-113.
XuemingLuo& Christian Hombung, Neglected Outcomes of Customer Satisfaction, Journal of
Marketing, Volume71.Number2, AMA, April 2007, pp.133-149.
佐藤睦美『医薬品産業戦略マネジメント』東急エージェンシー、2011年、第6章。
野口裕二編『ナラティヴ・アプローチ』勁草書房、2010年、第3章、第4章。
医療法人芙蓉会総務部長 芳賀武一氏
東北医療福祉事業協同組合 総務部主任 横山貴則氏との談話も参考にしている。
149
執筆者紹介
黄 孝 春(経済システム講座/日本経済論)
山 野 豊(山野りんご株式会社/地域産業論)
王 建 軍(中国華南農業大学/農業経済学)
李 永 俊(経済システム講座/労働経済学)
大 島 誠(徳島県地球温暖化防止活動推進センター/公共経済学)
金 目 哲 郎(経済システム講座/財政学、地方財政論)
城 本 る み(国際社会講座/現代中国論)
柴 田 英 樹(ビジネスマネジメント講座/監査論)
児 山 正 史(公共政策講座/行政学)
齋 藤 義 彦(国際社会講座/現代ドイツ論)
保 田 宗 良(ビジネスマネジメント講座/マーケティング)
村 松 惠 二(公共政策講座/政治学)
編集委員(五十音順)
◎委員長
加 藤 惠 吉
北 島 誓 子
柑 本 英 雄
児 山 正 史
作 道 信 介
佐 藤 和 之
◎四 宮 俊 之
田 中 岩 男
田 中 一 隆
宮 坂 朋
山 本 秀 樹
人文社会論叢(社会科学篇)
第 27 号
2012 年2月 29 日
編 集 研究推進・評価委員会
発 行 弘前大学人文学部
036―8560 弘前市文京町1番地
http://human.cc.hirosaki-u.ac.jp/
印 刷 ワタナベサービス株式会社
030―0803 青森市安方2―17―3
要な構成要素とする、新しい理論体系なのである。
ラクラウとムフの主張を敷衍するなら、福祉国家に対応したヘゲ
モニー編成においては、「社会的連帯」「弱者の保護」「労働保護
法制」「所得再分配」などの言葉で社会的に肯定されていたもの
が、新保守主義的ヘゲモニーにおいては、「社会保障の寄生虫」
「労働組合の特権化」「非能率」などと、否定的現象として指弾さ
れることになるのである。
以上、ポピュリズムにおける新たな人民形成のメカニズムを考え
てきた。空虚なシニフィアンの論理を適用すると、どのように右翼
的ポピュリズムのイデオロギーを分析できるのか。これについて
は、稿をあらためて論ずることとしよう。
21
内 容 を も 盛 る こ と が で き る 、 と いう 。 大 衆 の 関 心 で あ れ ば 、 何 で も
あり、シニフィエをもたないシニフィアンである。ここにいかなる
人々が自分の要求をその中に自由によみこめるシンボル(記号)で
」は、こ
心概念の一つである「空虚なシニフィアン empty signifier
の上位のシンボルを意味している。ラクラウによれば、これは、
読み込み、他の集団の運動と共同するのである。ラクラウ理論の中
「市場」というシニフィアンに込められる。そこでは、市場概念
エ、たとえば、規制緩和や民営化、成功願望などの一連の要求が、
この切断なしにポピュリズムはありえない。さまざまなシニフィ
エから切断され、空虚なシニフィアンになる。ラクラウによれば、
ざまな要求群の結節点になる。そこでは、シニフィアンがシニフィ
ムには、空虚なシニフィアンが不可欠なのである。ポピュリズム的
(
(
的等価物」として、一連の新自由主義的要求を代表している、とい
要求としてまとめられるとき、ある要求が中心的価値をもち、さま
ここに代入できることになるであろう。争点ごとにポピュリズムが
が、新自由主義的ヘゲモニー・プロジェクト全体を表象する「一般
(
千変万化する姿は、ここから生じると考えられる。
うのである。
新たなヘゲモニーの具体例として、ラクラウとムフは、いわゆる
「新保守主義」の言説を取り上げる。彼らは、福祉国家の行き詰ま
(
ラクラウは、ポピュリズムにおいては、カリスマ的リーダーがか
ならずこの空虚なシニフィアンとしての役割をはたしているとい
役割を空虚なシニフィアンの典型と考えている。アルゼンチンの場
りに対抗して現われた新保守主義政権(典型は、サッチャー政権と
う。具体的には、アルゼンチンの政治において、ペロンがはたした
合、ペロンが大統領に就任することによって空虚なシニフィアンの
(
レーガン政権)を、いわゆる「戦後合意」によって形成され、福祉
(
内容が明らかになり、空虚でなくなることによって、「人民」側の
国家を支えた歴史ブロックに対抗する新しい歴史ブロックと考える
(
のである。ラクラウとムフによれば、新保守主義は、「保守主義
説明することができるだろう。
の出現である。そして、そのイデオロギーとして展開されるのが、
経済についての新自由主義的用語とを節合しようと努力する」。こ
Ernesto Laclau, On Populist Reason, 2007, p.171.
Ibid., pp.214-221.
Ibid., p.82.
((
(
((
Ibid., p.120.
エルネスト・ラクラウ/シャンタル・ムフ、前掲書、二六八頁。
同書、二七七頁。
(
れは、「新しい歴史的ブロックの創造」であり、新しいヘゲモニー
空虚なシニフィアンの周りに一連の要求が集められることによっ
て、既存システムの枠内での要求(ラクラウのいう民主的要求)か
(
新保守主義的言説、すなわち新自由主義的経済理論と保守主義を主
(
らポピュリズム的要求へと移行する。個別の要求が、支配的ヘゲモ
の、まったく反平等主義的な文化的・社会的伝統主義と、自由市場
((
((
よって支持者を失っていく姿を、この空虚なシニフィアンの論理で
(
急速に拡大を続けたポピュリズム運動が、政権に到達することに
統 一 が 崩 れ 、 政 権 が 崩 壊 し た 、 と い う の で ある 。 一 般 的 に い え ば 、
((
((
ニ ー に 挑 戦 す る ワ ン セ ッ ト の 要 求 群 の 構 成 要 素 に なる 。 ポ ピ ュ リ ズ
88
89
90
85
86
87
20
モダニズムの価値相対主義に対しては、現実に存在する権力関係を
〈神々の争い〉としてはならないことを指摘する。そして、ポスト
切り離して強調してはならないこと、価値合理性をめぐる争いを
げ、理性中心主義批判に対して、目的合理性だけを価値合理性から
の重要な主張として、理性中心主義批判と西欧中心主義批判をあ
雄のポストモダニズム批判を援用しよう。彼は、ポストモダニズム
つものたちの認識に有利に働く議論であることを指摘できる。石田
は、経済的支配とあいまってはじめて有効に作用する、ということ
理論(イデオロギー)を受け入れないのである。イデオロギー支配
求に対応していなければ、その意図の実現は不可能である。現実が
ば、意図がどれほど強固であっても、社会的現実において生じる要
ロギーには、現実に働きかけ現実を変化させる力はない。換言すれ
ほど精緻に構築されているとしても、社会的状況を無視するイデオ
的位置)が基盤になって発生するものである。イデオロギーがどれ
(
もできる。イーグルトンの述べるように、文化とイデオロギーの意
める防衛メカニズム(凝集性と攻撃性を高めるためのメカニズム)
(個人的不安)や不満が、恐怖と攻撃性とを強め、そこで機能し始
(
無視することになると批判する。すなわち、価値相対主義は、「政
味 を 過 大 評 価 す る と 経 済 的 支 配 を 否 定 す る よ う に な る の で ある 。
(
治的により力の強いものの価値判断の支配を容認することになる」
ポピュリズムが提供するイデオロギーが実効性をもつときには、
大衆の意識的無意識的欲求と対応しているはずである。この欲求
(
と。
たとえば、いわゆる右翼的ポピュリズムのイデオロギーについ
て、先取り的に述べるならば、現実のなかに発生する社会的不安
は、むろん、働きかける側が喚起する(すなわち構築する)側面が
七四頁。
テリー・イーグルトン、前掲書、七二 -
ある。この中に、諸集団(各セクターの運動主体)が自分の要求を
欠なものが、諸要求をまとめることのできる〈上位のシンボル〉で
空虚なシニフィアン ところで、新しいイデオロギーによって諸
要求を統一し、新しい人民のアイデンティティを形成する際に不可
い換えてもよいだろう。
シニフィアンの領域、シンボルの世界、シニフィアンの世界、と言
ポスト・マルクス主義の影響を受けた文献の用語を使って、意識と
するのである。ちなみに、この場合のイデオロギーという言葉は、
が、ナショナリズムを扇動するイデオロギーとプロパガンダに反応
((
あるとはいえ、彼らの置かれている社会的状況(社会的現実、経済
こさせる。それは、主観の側からの働きかけなしに、認識が成立しないことを
根拠に、素朴な反映論を批判するものであった。わが国では、つとに、「基底
還元主義」批判として展開されてきたが、そのもっとも精緻な論理は、ウェー
バーのいわゆる「理念型」の理論であった。イーグルトンのポスト・マルクス
主義批判は、ウェーバーにも当てはまるものであるが、ウェーバー自身は、
「社会科学者の常識」を議論のなかに組み込み、こうした批判をまえもって回
避できるようにしていた。
石田雄『社会科学再考:敗戦から半世紀の同時代史』(東大出版会、
一九九五年)一二九頁。ちなみに、ポストモダニズムの西欧中心主義批判につ
いては、石田は、その文化帝国主義批判は正当だが、「より普遍主義的なもの
を求めていく努力へと展開されないと、別の民族文化中心主義になる危険性が
ある」(一三〇頁)と指摘し、普遍を捨てることなく帝国主義を捨てるという
ピエール・ブルデューの言葉を肯定的に引用している。
19
((
83
84
との相互関係において、「構築」されるのであり、主観的な働きか
である。それゆえに、ヒンデスとハーストにとっては、政治的利害
て恣意的に構築するものにすぎないという、ニーチェの思想と同じ
(構成)されているのだ、という。イーグルトンによれば、これ
けだけに関心を集中させる方法は一面的になる。政治的行為の原因
が階級社会の社会関係においてその人が占める位置から生じる、と
なしに、〈自由気ままに〉言説によって構築(構成)されるわけで
をすべて経済状況(社会的基盤や客観的要因)に求める発想は支持
いう伝統的なマルクス主義は、ソシュール以前の前提を引きずって
は、現実はカオスであり、意味とは、私たちが意味づけ行為によっ
されないが、しかし、社会的基盤や経済状況が構築活動の必要条件
い る も の と し か 映 ら な い のだ、 と イ ー グ ル ト ン は 述 べ る の で あ る 。
はない。「構築」されるといっても、主観的な要因と客観的な要因
になる点を無視してはならない。その必要条件(枠組み)を超えた
(
構築活動は成功しない。政治の優位(政治の自由)という命題の射
そして、イーグルトンは、彼らの主張を次のように批判する。ヒ
ンデスとハーストの主張を敷衍すれば、社会の実相を根拠にした反
(
程 は 、 こ の 必 要 条 件 の 枠 内 に 限 定 さ れ る の で ある 。 経 済 が 政 治 を 規
論はそもそも成立しなくなる。なぜなら、社会のありよう(現実)
(
定するという命題、あるいは「最終審級としての経済」(アルチュ
は、あなたが構築したものにすぎないのだから、と。事物(現実)
(
(
(
(
がディスクールの中に包摂されるとすれば、そもそも、間違った認
(
セール)という命題も、この文脈で理解されるべきであろう。
識 や 判 断 と い う こ と が あ り 得 な く な る で は な い か 、と 。 つ ま り 、 社
(
この論点に関連して、テリー・イーグルトンは、ポスト・マルク
ス主義の代表的理論家バリー・ヒンデスとポール・ハーストの主張
会についての認識が正しいのかどうかを争うための根拠、すなわ
(
を 検 討 し な が ら 、 彼 ら の 偏 向 を 指 摘 する 。 彼 に よ れ ば 、 ヒ ン デ ス と
ち、論争を成立させるための根拠がなくなるということを指摘して
(
ハーストは、事物(現実)が言説(ディスクール)の外部にあると
いるのである。
(
考えるべきではないと主張し、事物(現実)は、言説によって構築
((
((
テリー・イーグルトン、前掲書、三五二頁。
同書、三五六頁。
同書、三五六、三五五頁。
この議論は、新カント派からのマルクス主義の認識論に対する批判を思い起
一九九六年) A・カトラー/B・ヒンデス/P・ハースト/A・フセイ
ン『資本論と現代資本主義Ⅰ、Ⅱ』(岡崎次郎ほか訳、法政大学出版会、
一九八六年、一九八八年)
さらに、この認識の相対性を強調する議論に対しては、それが、
結局、認識と認識との力ずくの対決を導き、支配的な認識、力をも
((
((
く、目で見える世界を受け取る、受け取り方の世界に住んでいる、つまり世界
のイメージのなかに自己を位置づけている、という現象学の議論があることは
明らかであり、さらに、認識における主観の役割を強調した新カント派の議論
までさかのぼることができるであろう。
ヨアヒム・ヒルシュやボブ・ジェソップなどは、ポスト・マルクス主義が政
治の優位を強調するのに対して、経済をそれなりに重視する立場をとる。ヨア
ヒム・ヒルシュ『資本主義にオルタナティブはないのか』(木原滋哉、中村健
吾訳、ミネルヴァ書房、一九九七年)、ボブ・ジェソップ『国家理論 資:本主義
国家を中心に』(中谷義和訳、御茶の水書房、一九九四年)
((
((
テリー・イーグルトン『イデオロギーとは何か』(大橋洋一訳、平凡社、
79
80
81
82
77
78
18
の新しい社会建設の中心的役割を担いうるということなのである。
はないということである。逆に言えば、それは、いかなる集団もこ
が運動を主導することを要求できる、できあいの根拠があるわけで
も、その内容は偶然に左右されるのである。つまり、何らかの集団
質主義批判」である。人民も、アイデンティティも、ヘゲモニー
る。これが、ラクラウのいう「構築」であり、ラクラウによる「本
団が形成されるかは、まったく偶然に左右されることになるのであ
ているものではないと考えられているからである。ラクラウは、こ
為は多様なものとなる。本質主義とは異なり、普遍の本質をとらえ
よ ぶ こ と の で き る も の と 結 び つ け ら れる 。 し た が っ て 、 こ の 節 合 行
目である。ラクラウによれば、政治的なものは、「偶然的節合」と
立てる)行為であるが、関係づけの必然性を否定することがその眼
いる。節合とは、諸要素を、主体の決断に沿って関係づける(組み
為、イデオロギー形成行為、ヘゲモニー形成行為のあり方を指して
まり、節合とは、上述の主体形成行為、アイデンティティ形成行
(
ラクラウによれば、それが、「ある全体の一部が全体性の名称にな
れ を 、 「 社 会 的 な も の の 開 放性」 と 呼 ん で い る 。
((
(
Ernesto Laclau, On Populist Reason, 2007, p.231.
エルネスト・ラクラウ、シャンタル・ムフ『ポストマルクス主義と政治――
根源的民主主義のために』(山崎カヲル・石澤武訳、大村書店、一九九二年)
一八二頁。
を翻訳する過程で定着した造語である。スチュ
ける重要概念である articulation
アート・ホールは、その意味について、トレーラーとトラクターを結ぶ連結器
を例にして卓抜な説明を行なっている。諸要素の結合(接合)を意味している
のだが、結合のあり方が必然的ではなく、車両の連結のように、さまざまな要
素がさまざまに結びつく可能性があることを示している概念である。結合の偶
然性を強調するための概念である。
(
たしかに、いわば「上からの」積極的な働きかけなしに、ある社
会集団が〈自動的に〉政治主体となり、政治的アイデンティティを
((
(
る可能性のこと」なのである。
もつようになることはない。本質主義批判はこの点では的を射てい
(
構 築 主 義 ( 構 成 主 義 ) と 節 合 こ の 点 を 政 治 的 ア イ デ ン テ ィ テ ィ
について考えてみよう。ラクラウは、政治的アイデンティティが本
る。政治的アイデンティティは、たしかに、「上から」「構築」な
(
質主義的な基礎をもたず、言説によって構成されたものであると主
い し 「 構 成 」 さ れ る 一 面 が あ る の で ある 。
(
張する。これが、いわゆる「構築主義」あるいは「構成主義」の論
しかし、政治的アイデンティティは、社会的な基盤と関わること
(
理である。この論理によって、ラクラウは、労働者階級こそ、その
存在からして政治変革の主体に成長し、それにふさわしいアイデン
ティティをもつようになるはずであるという議論を否定しようとす
る。主体がすでに存在しているのではなく、イデオロギーによる
「呼びかけ」(アルチュセール)をへて、はじめて主体になるので
(
」である。つ
articulation
(
ある。経済に対する政治の優位を強調するポスト・マルクス主義の
主張の核心の一つである。
言説による構成(構築)行為が「節合
((
((
((
Ibid., p.226.
「節合」という概念は、元来、いわゆるカルチュラル・スタディーズにお
こうした議論の背景には、人間が、目で見える世界に住んでいるのではな
17
74
75
76
72
73
政治的な多数派を形成しようとすることでもある。他方では、別の
定した社会システムが要請されている。それに向けて、新たなヘゲ
においては、全体性、つまり社会的統一が弱まっており、新たな安
ティ(たとえば労働者階級)があるのではなく、新しいイニシア
クラウが強調するのは、すでにできあいの政治主体とアイデンティ
いうべきであり、ほぼ同時に進行していくのである。この場合、ラ
形成、新しいアイデンティティの形成は、同一の事態の別の側面と
い。というよりむしろ、新たなヘゲモニーの形成と、新たな人民の
然、主体にふさわしいアイデンティティが形成されなければならな
ヘ ゲ モ ニ ー と 人 民 と ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 構 築 新 た な ヘ ゲ モ ニ ー
の樹立をめざして、新しい政治主体の形成が問題になるとき、当
めの論理が提供されているのである。
断)のもつ自由(つまり、経済に対する政治の優位)を確保するた
デンティティ形成の偶然性(流動性)と形成主体の決断(政治的決
この社会建設の偶然性の理論は、アルチュセールの「重層的決
定」概念によって支えられている。それによって、主体形成、アイ
これがラクラウの主張である。
的 政 治 的 要 求 」 が 諸 集 団 を ま と め て 「 人 民 」 を 形 成 す る の で ある 。
実行されるからである。集団が要求をまとめるのではなく、「社会
Ernesto Laclau, On Populist Reason, 2007, p.224.
Ibid., p.224.
(
(
16
線が形成される。それは、独自のアイデンティティをもつ多様な集
ヘゲモニー計画が、別の一連の等価な要求群をまとめ、多数派を形
モニー闘争が始まり、新しい政治主体の形成が模索される。その
ラクラウは、この新しい政治主体の形成の〈偶然性〉を強調す
る。ラクラウによれば、ポピュリズムが問題となっている社会状況
成しようとしている。ここで、二つのヘゲモニー計画(二つの陣
際、ヘゲモニーおよびその主体を形成する活動の内容は偶然によっ
団(主体)を統一して、新たな上位のアイデンティティのもとで、
営)が対峙することになる。
て決定される。というのも、ラクラウによれば、この活動は、何ら
ティヴにもとづき、新しい内容で人民を結集し、新たな人民集団の
かの既定の集団(たとえば労働者階級)ではなく、要求が先行して
価値と利害を自分のものとすること(アイデンティティの確立)で
だから、ラクラウによれば、「この要求はどの集団のものかとい
う問いが私の分析では意味がない」。なぜなら、彼にとっては、
(
ある。これが、「政治の優位」(経済ではなく政治から出発するこ
「 集 団 の 統 一 は 社 会 的 要 求 を 集 め た 結 果 に す ぎ な い か ら 」 と いう 。
(
と)の意味である。新しい政治主体の形成に成功すると、人民の具
(
したがって、「人民」の具体的姿がどうなるのか、いかなる人民集
(
体的姿が明らかになり、新しい政治の対立軸(つまり政治戦線)が
形 成 さ れ 、 新 た な ヘ ゲ モ ニ ー 樹 立 闘 争 が 開 始 さ れ る の で ある 。
((
((
利害の調停のプロセスととらえる行動論の政治の定義はまさしくこの事態を定
式化していたのである。
70
71
((
アイデンティティ政治(アイデンティティをめぐって展開される政治)の登
場は、「取引の政治」の崩壊を意味する。諸利害のあいだの取引こそ、行政化
された政治そのものであり、福祉国家における政治の特徴であった。政治を諸
69
とに新しい政治主体を構築することを求めているのである。以下で
わば、経済からではなく、政治から出発して、「政治の優位」のも
めに、新たな〈人民〉のアイデンティティを創造しようとする。い
依拠することなく、新しい形態での〈人民〉形成を求める。そのた
ネスト・ラクラウは、「労働者階級」や「階級闘争」などの概念に
ダニズムの影響を強く受けたポスト・マルクス主義者として、エル
環境保護運動、反核運動、フェミニズム運動、民族的少数者の保
護運動などの、いわゆる新しい社会運動の発展を受けて、ポストモ
る。
ている。ある要求が他の要求と統一して、その実現を求めて運動す
加する諸集団の立場が対等平等(等価)になっていることを意味し
他方、等価の論理とは、ポピュリズム運動において、諸集団(諸
勢力)が既存の支配層に対抗するための戦線に参加する場合に、参
要求のことである。
呼んでいるのは、この、既存システムに組み込まれたばらばらな諸
個 別 に そ の 実 現 を 求 め る こ と に な る 。 ラ ク ラ ウ が 「 民 主 的 要 求 」と
り、その場合、その集団の要求は、既存のシステムを前提にして、
ある。ある集団が差異の論理にしたがって行動しているということ
(
(
は、ある集団が、他の集団の要求との差異を意識していることであ
は、ラクラウの議論を検討しつつ、ポピュリズムにおける主体形成
(
る場合、ある要求と他の要求とは等価(対等)になる。ラクラウに
(
について論じていこう。
(
(
よれば、「どの要求も、反システム性をもつという意味で等価性の
を作り上げているのである」。そして、対等
鎖 equivalential chain
な諸要求を集めて(諸勢力を統合して)、共同戦線がくまれること
」と「等価 equivalence
」の二つの論理
クラウは、「差異 difference
( (
によって説明している。彼によれば、差異の論理とは、既存政治シ
によって、その戦線の中では、個別の集団の要求は「普遍化」さ
(
て要求が普遍化される」のである。
(
ほかの部分から切り離す戦線があること」によって「等価性を通じ
れ、全集団の要求となるという。すなわち「抑圧的な政体を社会の
差 異 の 論 理 と 等 価 の 論 理 こ う し た 人 民 形 成 の メ カ ニ ズ ム を 、 ラ
((
ステムが安定している場合の、諸集団(利益集団)の行動の原理で
((
((
Ernesto Laclau, On Populist Reason, 2007, p.74.
ジュディス・バトラー、エルネスト・ラクラウ、スラヴォイ・ジジェク、前
掲書、三九七頁。
同上。
諸集団の具体的な要求が、一つのヘゲモニー計画のもとで、等価
のものとしてまとめられることによって、陣営が形成され、共同戦
((
((
Ernesto Laclau, Politics and Ideology in Marxist Theory: Capitalism,
Fascism, Populism,1977
エルネスト・ラクラウ『資本主義・ファシズム・
ポピュリズム』(横越英一監訳、柘植書房、一九八五年) Ernesto Laclau/
Chantal Mouffe, Hegemony and Socialist Strategy: Towards a Radical
Democratic Politics,1985,
エルネスト・ラクラウ、シャンタル・ムフ『ポスト
マルクス主義と政治――根源的民主主義のために』(山崎カヲル・石澤武訳、
大村書店、一九九二年)、 Ernesto Laclau, On Populist Reason, 2007.
ジュディス・バトラー、エルネスト・ラクラウ、スラヴォイ・ジジェク『偶
発性・ヘゲモニー・普遍性――新しい対抗政治への対話』(竹村和子、村山敏
勝訳、青土社、二〇〇二年) 三九七 三-九九頁。
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68
64
65
ギーが支配的位置を占めることができなくなる。そこで一種のイデ
る。イデオロギーの多元化、相対化が進み、一つの統一的イデオロ
ナリズムの高揚など、諸要素がばらばらになり、統一性が失われ
たとえば、自由主義と民主主義の分裂、人権の思想の普及とナショ
ロギー要素の組み合わせが有効でなくなっている状態を意味する。
この点を政治イデオロギーについてみれば、ポピュリズム・イデ
オロギーの登場は、これまでの政治的言説、つまり、諸政治イデオ
衆運動と大衆動員のスタイルなのである。
のシステムに抗議し、既存支配層の政策に満足しない現状否定の大
るか否かは別として、いずれにせよ、ポピュリズムは、まず、既存
られることになる。ポピュリズムを肯定的な社会変革運動ととらえ
にある研究の場合、否定的形容句とともにポピュリズム概念が用い
合、(利益)集団は、他の集団との違いを意識しつつ、既存システ
さて、ポピュリズム運動が形成されるとき、その主体たる人民は
どのように形成されるのか。既存政治システムが安定している場
こ と を 示 し て い る の で ある。
と新たな政治的意味の世界、新しい社会的合意が形成されつつある
概念)のあいまいさは、新たな人民形成、すなわち新たな政治戦線
たに〈人民〉をどのように形成するのか。ポピュリズム概念(人民
る。高度経済成長の終焉と福祉国家の停滞、社会主義体制の崩壊と
クの形成を求めて、新たな政治戦線の構築が模索されているのであ
そこでは、新たなヘゲモニーの樹立をめざして、新たな権力ブロッ
で政治主体を形成することが求められていることをも示している。
すでに述べたように、「ポピュリズム」概念のあいまいさは、政
治戦線の動揺・混乱を意味しているが、同時に、それは、新たな形
Ⅳ 新たな政治主体(人民)の模索
オロギー危機に陥り、諸要素の新しい組み合わせ、接合・統合が求
ムの中で自己の利益を追求している。既存システムが不安定になる
(
(
14
て、まず直観的に、民衆運動・大衆運動としてとらえられ、中身は
められることになる。近代以降の政治的イデオロギーにおける正当
とき、ポピュリズム運動は、新たなヘゲモニー計画によって、これ
どうあれ、一種のポピュリズムとして受けとめられる。これを衆愚
化の最終的根拠は、〈人民の意志〉であることから、新たに求めら
らの集団を、対等平等な構成員として、共通の敵との闘争へと動員
政治と受けとめる場合、つまりポピュリズムに対する拒否感が底流
れるイデオロギーは、いずれにせよ、広い意味でポピュリズムの一
する。こうしてポピュリズム運動の主体としての人民が形成され
急速な再資本主義化、政治経済の急速なグローバル化のもとで、新
種になるのである。
以上の論述から、ここでは、ひとまず、ポピュリズムを、〈自由
民主政あるいは大衆民主政のもとで、左右を問わず、現状否定の大
衆運動(抗議政党)がほぼ例外なく採用する政治スタイル〉として
とらえて以下の論述を進めていこう。
((
類似の課題は、既存の支配層にとっても、政治システムを安定させるために
必要になる。むろん、この場合は、「人民」ではなく、支配被支配関係を意識
させない「国民」概念が重要になる。いずれにせよ、新たな社会的合意がどち
らのヘゲモニーのもとで形成されるのかが問題となる。
63
ト・ホールのように、サッチャリズムを念頭に置きながら、「権威
政治ジャーナリズムにしばしばみられる用法である。スチュアー
ど、要するに、人気取り政治をイメージさせながら用いる。これは
ポピュリズム概念を、原理や信条の欠落した大衆迎合、大衆扇動な
感を利用するのである。また、人民の意志による正当化は、いかな
るために、政治戦線を引き直すために、「人民」のもつ肯定的な語
変化する。政治的力関係を自陣営に有利に、多数の有権者を獲得す
的争点が何であり、対立関係がどのようなものであるかによって、
(
る方向の政策をも正当化する。農民と農村のイメージが強くなるこ
(
主 義 的 ポ ピ ュ リ ズ ム 」 と い う 概 念 を 使 う こ と も あ り うる 。
、 Volk
など)と
値、最終的決定権をもつものとして、人民( people
いう言葉は必然的に肯定的な語感をもつことになるのである。政治
「われら合衆国人民」であり「日本国民」なのである。最終的な価
ムの正当化の最終的根拠は人民以外にない。憲法を制定するのは、
生する。高度経済成長期のように、社会が経済的に安定している場
不満、一言で言えば、政治経済システムの機能不全と動揺の中で発
ポピュリズムは、まず、既存システムの機能不全、政治的意志形
成過程(たとえば代表制度・議会制度)の機能不全、諸社会集団の
さからくるものなのである。
以上のように、ポピュリズム概念の多様な意味が生じるのは、そ
の根本概念である人民概念がもっている形式性と、その意味の多様
ともあれば、都市の労働者大衆のイメージが強くなることもある。
的転換期には、従来の固定した支配被支配関係を変更するために、
こうしたポピュリズム概念の多様性は、むしろ、大衆民主政の形
式性、開放性と関わりがある。大衆民主政のもとでは、政治システ
新しい争点を設定し、その争点に沿った新しい陣営配置がなされ
合、政治的にも安定し、諸利害が通常の制度を通じて政治システム
によって実現される。この場合、制度の外部での運動はなくなる。
る。新しい陣営構築のために必須の概念が〈人民〉であり、〈人民
の意志〉なのである。
で処理されている。いわば〈政治が行政化〉されているのである。
すべての要求がラクラウの言う「民主的要求」として、システム内
しかし、「人民」概念は流動的である。人民という言葉は、具体
的にだれを指すのか、境界が曖昧である。人民を固定的にある人間
集団と等しいものとみることはできない。人民のイメージは、政治
しかし、こうした状況は、一九六〇年代中頃から変化する。高度
経済成長が行き詰まり、既存のシステムが機能不全に陥ると、制度
の外部での運動が活発になる。ここに最終的正当化原理として「人
民の意志」概念が頻出することになる。人民が政治宣伝の対象とな
り、普通選挙制のもとでは、すべての運動が、当然のこととして有
権者大衆(人民)に訴える運動になる。政治経済システムの流動化
の中で、福祉国家のもとで規則化された〈行政的〉政治は、〈政治
的〉政治になる。
こうした既存システムに吸収しきれない運動は、観察者によっ
13
((
ホールの場合は、「法と秩序」の維持が政治的争点になる状
Ebenda, S.89ff.
況を背景とする、サッチャー首相による統治のあり方を「権威主義的ポピュリ
ズム」と呼ぶ。大嶽秀夫の場合、既得権の確保など、従来のシステムが硬直し
ている状態に対する大衆的反感を背景とする、わが国の小泉純一郎首相による
統治を、「ネオリベラル・ポピュリズム」と命名する。両者の比較は非常に興
味深いが、本稿の課題にはなっていない。大嶽秀夫『小泉純一郎ポピュリズム
の研究 そ:の戦略と手法』(東洋経済新報社、二〇〇六年)
62
問題は、ポピュリズムという政治現象、すなわち現政権の遂行す
る政策群に反対する大衆的抗議運動が、どの方向に展開するのかで
ある。ここでも、ポピュリズムの二つの変種、すなわち右翼的ポ
ところで、資本主義経済のグローバル化によって、経済の不安定
性は一気に高まった。不安、焦燥、孤立、分裂、などが主要側面に
なり、その結果として、有権者の政治的選好も不安定になり、しば
ピュリズムと左翼的ポピュリズムの存在がありうるのである。
国際的市民社会である。ここでイメージされている市民は、個人主
としているのは、こうした市民であり、彼らが構成する市民社会、
リタン・デモクラシー論、グローバル市民社会論などが依拠しよう
出している。いわゆる「ラディカル・デモクラシー」論やコスモポ
政治の大衆化は、大衆社会論が問題にしたような「大衆」ばかり
ではなく、他方では、成熟した市民(自律した政治主体)をも生み
民投票が求められるようになる背景になっているのである。
を人民投票的にする要因になる。こうした事情が、政治において人
アでは十六歳で有権者になる)、などによる有権者の増大も、政治
識、すなわち、ポピュリズム概念が輪郭のはっきりしない概念であ
般的に受け入れられているポピュリズムの定義はない〉という認
これは、ポピュリズムの概念規定の混乱にも現われている。上述
の議論からもわかるように、ほとんどのポピュリズム研究が、〈一
ることを示しているのである。
念と理論が役に立たなくなっていること、こうした状況が生じてい
たなヘゲモニーの樹立をめざして、新たな政治戦線の構築が求めら
を示している。既存の権力ブロックによるヘゲモニーに代わる、新
人民の意志の実現を大義名分として掲げる抗議運動が頻出する状
況は、政治戦線の動揺と混乱、すなわち、政治的転換期にあること
Ⅲ 政治の大衆化とポピュリズムの発生
しば変化するようになった。政党不信が高まり、争点についての選
好が政党支持に収斂しなくなっている。争点ごとに、異なった選好
を直接表明する機会(人民投票)が求められるのである。また、世
論調査のもつ重みが増し、調査技術の発達によって頻繁に世論調査
義を基礎としつつ、やや手垢にまみれた表現ではあるが、〈社会的
ることの確認から始まっているのである。場合によっては、ヘル
結果が公表されるようになるが、これも政治を人民投票的にする。
平等と社会的連帯〉を求める市民であろう。緑の党の「底辺民主
ムート・ドゥビエルやアントン・ペリンカのように、「共産党宣
(
(
((
(
Helmut Dubiel, Das Gespenst des Populismus, in: ders.,
Populismus und Aufklärung,1986.
61
社会の高齢化、投票資格の拡大(低年齢化、たとえば、オーストリ
政」〔草の根民主政〕も、こうした成熟した市民を前提にしてい
言」の書き出しを意識しつつ、「ポピュリズムという妖怪」につい
((
)
Hrsg.
れていること、それは同時に、従前の政治状況を分析するための概
る。この成熟した市民への期待が「ポピュリズム・イデオロギーの
(
て語る研究もある。ポピュリズム概念のもっとも否定的な使用は、
(
も つ 改 革 へ の ポ テ ン シ ャ ル 」に 対 す る 期 待 と な っ て 現 わ れ て い る の
Ebenda, S.75.
である。
60
,
12
デオロギーということになる。
容を欠いた、中立的で希薄な、いかなる内容も盛ることのできるイ
デオロギーとして考えた場合、ポピュリズムは、政治志向、政策内
EU 官 僚 制 の 肥 大 、 ヨ ー ロ ッ パ 議 会 の 機 能 不 全 に よ っ て 、 人 民 の 意
し て い る こ と で あ る 。 具 体 的 に は 、 EU 執 行 機 関 へ の 権 限 の 集 中 と
免れつつ、超国家的統治が実行されているという新しい状況を考慮
志による政治統制が弱体化している状況に焦点を当てている。すな
(
(
わち、レンズマンによれば、ポピュリズムは「国民国家以後の状況
に お け る 民 主 主 義 的 正 当 化 の 危 機 に 対 す る 反応 」 な の で あ る 。
ズムが、〈人民の意志の実現〉を掲げるのであれば、当然、この、
民主主義原理の二つの原理の妥協として形成されてきた。ポピュリ
の展開の中で、民主政の具体的姿は、自由主義原理(立憲主義)と
的な政治参加(直接民主政)が求められていると理解しているので
ますます重大なものになりつつあることに対する反応として、直接
公式の政治と交渉が増加し……民主主義的参加の構造的欠陥」が、
レンズマンは、とりわけ、ポピュリズムがしばしば人民投票を要
求していることに着目する。そして、これを「超国家的領域で、非
参 加 民 主 主 義 と ポ ピ ュ リ ズ ム 「 左 翼 的 ポ ピ ュ リ ズ ム 」 論 と の 関
わりで、最後に、いわゆる参加民主主義論、あるいは直接民主主義
民主主義原理を徹底する運動としてポピュリズムを考えることがで
ある。したがって、レンズマンの判断では、民主主義の要素が後退
論の延長上にポピュリズムを考える議論を検討しよう。西欧政治史
きるはずである。
イ デ オ ロ ギ ー は な く な ら な い の で ある 。
(
中心的メッセージは「政治と『腐敗した』支配層が、人民すなわち
ポピュリズムは、「移民や民族的少数派のような人民に所属するの
第二に、レンズマンは、ポピュリズムが、上下だけでなく、水平
的に、自分たちを他の集団から区別する点を指摘する。すなわち、
(
民主主義的主権者による統制をすり抜けている」という命題であ
かどうか疑われている集団から自分たちを区別するのである」。彼
(
る。腐敗した支配層とは、職業政治家や文化的支配層、銀行家、大
によれば、人民に所属していないものを排除することによって、排
(
企 業 経 営 者 、 EU 官 僚 た ち 、 な ど の こ と で あ る 。
(
(
外的にアイデンティティが形成されているという点では、左翼も右
Ebenda, S.74.
Ebenda.
Ebenda, S.65.
((
底して追求する点にポピュリズムの本質をみる。彼によれば、その
する状態が改善されない限り、ポピュリズム政党とポピュリズム・
は、ポピュリズム・イデオロギー
たとえば、ラルス・レンズマン
( (
の 核 心 を 「 人 民 と エ リ ー ト の 対立 」 に 見 い だ し 、 民 主 主 義 原 理 を 徹
((
翼も同じだという。
((
レンズマンの主張の特徴は、国民国家以後の状況、すなわち超国
家組織の誕生によって、各国の主権が制限され、民主主義的統制を
11
((
((
Lars Rensmann, Populismus und Ideologie, in: Frank Decker, Hrsg.,
Populismus. Gefahr für die Demokratie oder nützliches Korrektiv, 2006, S.63.
Ebenda, S.63f.
57
58
59
55
56
に機会主義的であり、新左翼の理念やイデオロギーに依拠してはい
ポピュリズムにはありえない、むしろポピュリズムは単純な反エ
ゲルハルト・シュレーダーの率いる社会民主主義の行動と似ている
ト主義的姿勢」によって、社会民主主義から区別されると、ハルト
リ ー ト 主 義 的 な メ ッ セ ー ジ を 利 用 す る の だ 、と 。
ないことに見いだす。すなわち、知的な方向性を示すということは
レーブは主張する。
こうした左翼的ポピュリズムについての叙述を、右翼的ポピュリ
ズムの叙述と比較してみると、ハルトレーブにおいては、左翼的ポ
が、しかし、左翼的ポピュリズムは、「抗議という要素と反エリー
さらに、「極左」(左翼的過激主義)との関係について、ハルト
レーブは、オシップ・フレヒトハイムやフランク・デッカーの理論
ピュリズムの概念が非常に狭く限定されていることがわかる。彼
(
を援用しながら、極左が「民主的立憲国家に敵対する」こと、一般
が、左翼的ポピュリズムの例として、具体的に検討しているのは、
をもつ、広範囲の大衆的抗議運動を左翼的ポピュリズムととらえた
(
に、過激主義は、「本質的に幻想を追い求め、教条主義的であり、
(
エリート主義的であり、権威主義的である」として、左翼的ポピュ
)である
旧 東 ド イ ツ の 政 権 党 の 流 れ を く む 民 主 社 会 主 義 党 ( PDS
が、むしろ、この党のあり方に引きつけてこの概念を形成した印象
(
リズムが、必然的に極左と堅く結びつくというわけではない、と主
を否めない。むしろ、新しい社会運動を含め、左翼的な政策的志向
(
張する。また、ジャーナリスト、リヒアルト・ヘルツィンガーを援
方がよいのではないか。
(
(国際的なトービン税導入運動)を例に出しなが
用して、 ATTAC
ら、左翼的ポピュリズムが、根本的に反システム的というわけでは
以上のように、ハルトレーブにとっては、ポピュリズムは、左右
の政治志向とは直接関わらず、右翼的なものにも左翼的なものにも
(
を強調するのである。
のである。また、彼にとって、ポピュリズムは、過激な形態のもの
(
また、一九六〇年代の学生反乱の衣鉢を継ぎながら、急進的な社
会主義的改革を求めた政治集団としての新左翼に関しては、ハルト
も、過激ではない、民主政の枠内の形態のものも存在するのであ
S.147.
S.148,150.
S.149.
S.151.
(
(
((
((
Ebenda.
(政党)〉という点に、その本質があるのである。したがって、イ
して、機会主義的に、大衆動員に都合のよい争点を掲げる抗議運動
なりうる。ポピュリズムを自動的に右翼的なものとするのは誤りな
レーブは、一方では、左翼的ポピュリズムが「いくつかの新左翼の
る。結局、彼のポピュリズム概念は、〈人民の意志の実現を大儀名
Ebenda,
Ebenda,
Ebenda,
Ebenda,
ないことを主張し、左翼的ポピュリズムが極左と同じではないこと
((
理念に依拠している」ことを認める。しかし、他方では、両者の対
((
分として掲げ、既存の支配層に敵対し、リーダーのカリスマに依拠
((
立は明瞭であるとする。その根拠を、左翼的ポピュリズムがはるか
54
50
51
52
53
10
的基礎となる統一的思想を抱いている。このように、ハルトレーブ
たち、制度を高く評価する。保守主義は、社会の統合を求め、精神
進する。
④反アメリカ主義の党である。アメリカ合衆国はグローバル化を推
し、敵をファシストにして信用を失わせようとする。
(
歩 的 、 平 等 主 義 的 、 連 帯 主 義 的 、 反 抗 的 な 心情 」 を 再 び 活 性 化 し よ
徴を、支配層に敵対しつつ、「大衆の常識の底に沈殿している、進
左翼的ポピュリズム 他方では、ハルトレーブは、左翼にもポ
ピュリズムが存在すると主張する。彼は、左翼的ポピュリズムの特
ここで、ハルトレーブの左翼的ポピュリズムの概念をさらに明確
にするために、左翼的ポピュリズムと左翼的な諸政党(運動)との
主主義に類似した思想をもっている。
⑥無制限の政治参加を求める。レーテ・デモクラシーないし直接民
(
は 、 右 翼 的 ポ ピ ュ リ ズ ム と 保 守 主 義 を 対 立 さ せ る の で ある 。
⑤社会的弱者を救済する党である。住民の間の貧困への不安をあお
うとする点にみる。ハルトレーブによれば、その中核には、二つの
違いをどのようにとらえているのかをみてみよう。
る。国家が保護主義的に介入することを求める。
側面があり、一つは、ポピュリズム一般の特徴として、垂直的に、
まず、ハルトレーブは、「左翼的リバタリアニズム」型の政党に
ついて論ずる。これはいわゆる「新しい社会運動」に属する諸政党
(
上流階層の彼ら、エスタブリッシュメントに敵対すること。第二
を指している。彼によれば、これらの政党は一九七〇年代以降の、
(
は、ポピュリズムの左翼的変種に特徴的な点として、水平的に、
(
フ ァ シ ス ト や 資 本 家 、 多 国 籍 コ ン ツ ェ ル ン に 敵 対 す る こ と で ある 。
脱物質主義的価値観を体現した潮流であり、新しい政治のテーマと
して、両性の平等、自己決定、軍縮、分権化、環境保護などを取り
(
すなわち、
上げる。具体的にはヨーロッパ各国の緑の党を念頭に置いている。
て、人民を動員する。
ズムが「際限のないプラグマティズム」を行動原理としてもってお
②反グローバル化政党である。新自由主義的なグローバル化と闘
う。利益第一の志向と多国籍企業の拡大に反対する。
り、「気まぐれで、一貫性がなく、予測不可能である」点にみる。左
(
((
Ebenda, S.147.
そして、このプラグマティズムという側面は、トニー・ブレアや
根底に脱物質的価値観をもってはいない、というのである。
(
③反ファシズムと反人種差別の党である。左翼的ポピュリズムの諸
Ebebda, S.110.
Ebenda, S.170.
Ebenda.
Ebenda, S.171f.
翼的ポピュリズムは、左翼的リバタリアンの諸政党とは異なり、その
ハルトレーブにとっては、このタイプの政党や運動は、左翼的ポ
ピュリズムとはまったく異なる。彼は、その根拠を、左翼的ポピュリ
① 平 和 の 党 で あ る 。 平 和 と い う テ ー マ で 、 と り わ け USA を 敵 と し
(
(
そ し て 、 左 翼 的 ポ ピ ュ リ ズ ム の 指 標 を 以 下 の 六 点 に ま と め て いる 。
((
((
組織は、ファシストと反ファシストという人工的な二分法を作り出
9
((
((
49
45
46
47
48
ハルトレーブは、具体例として、オランダのピム・フォルタイン
党は、ポピュリズム的ではあるが、過激ではない。ベルギーのフ
な立場をとるというわけではなく、民主政を担いうる要素を示すこ
Ebenda, S.113.
Ebenda,S.112.
(
(
Ebenda, S.111f.
この段落での引用は、
Ebenda, S.111, S.112, S.111.
と extreme
を「過激」
Ebenda, S.111f.
本 稿 で は 、 原 則 と し て 、 extrem
と radical
を「急進的」と訳している。ここの文脈では、ハルトレーブ
radikal
は、両者をほとんど区別していない。
他方、保守主義は、安定した確たる価値観をもち、エリート主義に
((
8
そして、極右は「民主的憲法国家の価値観念を直接、間接に拒否す
る政治的見解」をもっている。極右は、「人間の根本的平等を否定
ラームス・ブロックとフランスの国民戦線は、ポピュリズム的であ
(
非難すること、である。
特徴をもつことがあるが、同時に……はっきりと民主主義的特徴を
両者は、「決して同一視することはできない」「ポピュリズム政党
ハルトレーブは、ポピュリズムと政治的過激主義(そして急進主
義)とは存在する次元を異にするものととらえる。すなわち、「ポ
もつこともある」。
(あるいは運動)は、はじめから反民主政的あるいは憲法に敵対的
ピュリズムという次元は、民主政的でも、反民主政的でもなく、政
これに対して、右翼的ポピュリズムと保守主義とのあいだには、
ハルトレーブは何の共通性も見いださない。彼によれば、右翼的ポ
こ と ③ 自 己 の ネ イ シ ョ ン を 賞 賛 す る こ と ④ 人 種 差 別 と 反 ユ ダ ヤ
治文化と政治構造との多元性・多様性の一側面なのである。ポピュ
ピュリズムは、価値観については移り気であり、反エリート主義を
((
とがある」というのである。「右翼的ポピュリズムは、過激主義の
リズムは、――しばしば異論と疑念も出されてはいるが――民主政
(
と両立しうるのである」と。したがって、彼にとって、「右翼的ポ
貫き、制度を高く評価しない。右翼的ポピュリズムは、社会をわれ
(
ピ ュ リ ズ ム は 、 過 激 主 義 の 特 徴 を も つ こ と が あ る が 、 同 時 に ……
(
われと彼らとに分裂させ、その思想のあり方が機会主義的である。
主 義 の 表 現 と し て の 外 国 人 嫌 悪 ⑤ 民 主 主 義 的 制 度 と そ の 代 表 者 を
そして、彼によれば、「右翼的ポピュリズムと極右との間に、あ
る点では重なる面があることははっきりと証明できる」。しかし、
ピ ュ リ ズ ム の 指 標 は 欠 け て い る 、 と 指 摘 す る の で ある 。
(
し、民族的少数派に攻撃的に接し、人種主義的基準に従って、自分
(
り、同時に過激である。ドイツの国家民主党(NPD)には、ポ
(
の世界像を形成する」。
ドイツを例にとりながら、五点に
具体的には、ハルトレーブは、
( (
わ た る 極 右 の 指 標 を 明 ら か に する 。 す な わ ち 、 ① 第 三 帝 国 に 対 し て
((
親近感をもつこと ②人種論にもとづいた民族共同体の観念をもつ
((
((
はっきりと民主主義的特徴をもつこともある」ということになるの
(
である。
((
頁では、「憲法に定着した民主主義的ゲーム規則を完全
Ebenda, S.112.
114
にあるいは広範に廃止することをめざしており、……この目標を達成するため
に憲法に抵触する方法を用いる」政党や勢力、活動に、極右という名称を与え
ている。
42
43
44
39
40
41
右翼的ポピュリズム このように、左翼・右翼、いずれの陣営に
もポピュリズムが成立するとしたうえで、ハルトレーブは、「右翼
(
そ し て 、 ポ ピ ュ リ ズ ム 政 党 の 特 徴 を 以 下 の 八 点 に ま と め て いる 。
①ポピュリズム政党は、反政党的政党である。既成政党を批判し、
的ポピュリズム」の特徴を、外部の人びと、すなわち移民、外国
(
自己を運動としてアピールする。ただし、反体制政党なのではな
人、犯罪者などに敵対する点に見いだす。そして、右翼的ポピュリ
(
い。
ズ ム 政 党 の 指 標 と し て 、 以 下 の 六 点 を あ げ て いる 。
(
②ポピュリズム政党は、既存支配層に反対する政党である。反エ
①反移民政党である。大量の移民によってナショナル・アイデン
ティティが危機に陥っていると感じている。
ピュリズムは保護主義を対置する。多国籍企業に猜疑を抱き、国内
③ポピュリズム政党は、タブーを打破する政党である。
政党である。
の雇用喪失に不安を抱いている。
②反グローバル化政党である。グローバル化に対して、右翼的ポ
⑤ポピュリズム政党は、カリスマ的リーダーの政党である。この点
て掲げる。
を作り出そうとする。
④反EU政党である。EUなどの超国家機関に反対し、ナショナ
⑤ 反 ア メ リ カ 主 義 の 政 党 で あ る 。 超 大 国 と し て の USA の 覇 権 を 批
ル・アイデンティティを作り出す路線をとる。
る。
判する。
ところで、ハルトレーブの理解では、右翼的ポピュリズムは「極
右」および保守主義に対して、いかなる関係に立つのであろうか。
る約束をする。
には新自由主義的志向をもっているが、保護主義的に弱者を保護す
⑥社会的な利益供与の党である。右翼的ポピュリズム政党は根本的
⑧ポピュリズム政党は、単一争点政党であり、選挙民を扇動しやす
⑦ポピュリズム政党は、代表民主政に疑念を抱き、人民投票を求め
③「法と秩序」の政党である。犯罪の防止と秩序の維持を目標とし
)の諸政党と共通する特徴でもある。
は、過激主義( Extremismus
⑥ポピュリズム政党は、アイデンティティを重視し、われわれ意識
④ポピュリズム政党は、メディアを通じた宣伝効果を自覚している
リート主義が特徴である。
((
Ebenda, S.142f.
まず、ハルトレーブにとって、極右(右翼的過激主義)とは、
「民主的憲法国家に敵対ないしそれから一線を画す概念」である。
38
いテーマを選択する。
Florian Hartleb, a.a.O.,S.106ff.
7
((
ぼすべてのイズムと結合可能である。「分析的というよりは、記述的なもの」
との断りがあるが、たとえば、小泉純一郎首相や石原慎太郎東京都知事の政治
支配を例とした、日本のポピュリズムについて、「ネオリベラル・ポピュリズ
ム」と名付けた興味深い研究がある。
37
(
(
(
など、グローバル化に反対する運動も、左翼的ポピュリズ
ATTAC
( (
ムとして数えられている。
し、毛沢東指導下の中国社会主義運動をポピュリズムと解した研究
すでに、アメリカにおけるポピュリズム研究においても、ポピュ
リズム概念がさまざまな政治志向と結びつくことが指摘されていた
るのである。
〔社会を〕分裂させるように行動し、〔自分たちが〕道徳的に優れ
る。それらの政党や運動は、メディアのあり方に適応し、また、
なって、西欧的背景のなかに登場してきた政党や運動を指してい
降、右翼的ポピュリズムあるいは左翼的ポピュリズムという変種と
しろ、ハルトレーブが強く意識しているのは、「抗議運動」という
(
(
6
志向と結びつけることの誤りを指摘し、「左翼的ポピュリズム
(
さて、政治志向と無関係にポピュリズム概念を設定するのであれ
ば、それは、政治活動の方法とスタイルに概念の内容が限定される
)」の概念を導入したことである。彼は、カノ
( Linkspopulismus
ヴァンがポピュリズムを左右の図式にしたがって位置づけようとし
ない点を批判し、人民に呼びかけることだけを基礎に据えようとす
ことになる。しかし、ハルトレーブによれば、人気取りやデマ、場
(
もあった。ハルトレーブは、ケーススタディとしては、右翼的ポ
ているという。そして、カリスマ的人物を利用して、自分たちが支
(
る の は 、 ポ ピ ュ リ ズ ム を 形 式 的 に 定 義 す る に す ぎ な い と 指 摘 する 。
(
ピュリズムの具体例として、北ドイツの都市ハンブルクの地域政党
配層と既成政党に反対する人民(同質的と解釈されている)の声で
(
当たり的な政策として、ポピュリズムを理解するのは誤りである。
であり、党首ドナルド・シルのもとで、治安の確保を掲げて勢力
(
を拡張したシル党(正式名称は、「法治国家的攻勢の党」)を、
あるかのように欺き、抗議のための動員に都合のよいテーマを掲げ
性格である。彼によれば、ポピュリズムとは、「一九六〇年代末以
また、左翼的ポピュリズムの具体例として、旧東ドイツの統一社
左翼的ポピュリズムという概念そのものは、ヘルムート・ドゥビエルによ
れば、一九六〇年代末の若者の運動、いわゆる新左翼運動に対して、軽蔑的に
るのである」。
((
((
)を考察している。
会主義党の流れをくむ、民主社会主義党( PDS
国際通貨取引税(トービン税)の導入を求める市民運動としての
(
ハルトレーブによれば、「ポピュリズムは純粋に『右翼的現象』で
((
こ う し た こ と を し な い 政 治 家 や 政 党 は 存 在 し な い か ら 、 と いう 。 む
((
はなく」、政治的スペクトルにおいては、右翼にも左翼にも現われ
((
英 語 表 記 で は 、 正 式 名 称 は 、 Association for the Taxation of financial
Transactions for the Aid of Citizens
「市民を支援するために金融取引への課
による日本語表記)
税を求めるアソシエーション」( ATTAC Japan
Ebenda, S.20.
Ebenda, S.61.
Ebenda, S.68f.
わが国における本格的ポピュリズム研究は、近年その緒に
ついたばかりである。学術雑誌の特集としてポピュリズムが取り上げられたの
は、『レヴァイアサン』四十二号(二〇〇八年春号)の特集「ポピュリズムの
比較研究に向けて」が最初であろう。この特集でのポピュリズム概念は、ほ
((
((
つけられた名称であった。 Helmut Dubiel, Hrsg., Populismus und Aufklärung,
1986, S.38f.
Florian Hartleb, a.a.O.,S.57.
Ebenda, S.57f., S.315f.
33
34
35
36
30
31
32
(
(
右かナショナル保守主義かということはどちらでもよく、重要なの
は 、 ポ ピ ュ リ ズ ム と い う 性 格 だ 、 と 主 張 する 。
治と選挙の領域で、これらの政党をいかに位置づけるかが問題とな
結成された政党が、選挙で有意な結果を残すようになると、議会政
やがて、一九九〇年代以降、この新しい右翼運動はそれなりに定
着し、一時的現象とは言えなくなった。これらの運動を基礎として
「極右」という概念によって把握しようとした。
流は、すでに別稿で論じたように、理論的には、新しい右翼運動を
し、政治的に葬ることを狙った左翼的な政治潮流があった。この潮
てのファシズムの現代的現象――現代版ファシズム――として批判
な刺激となった。この運動に対する反応としては、まずこれをかつ
把握しているのである。
が 好 意 を 求 め て 『 人 民 』 と 関 係 す る 、 そ の 特 殊 な や り方 」 に あ る と
ら、ポピュリズム運動の本質を「政治家や政党、その他の政治組織
、 people
)を引き合いに
ム運動に共通の性格として、①人民( Volk
出すこと、②社会的エリートに敵対すること、この二点を指摘す
レット・カノヴァンの研究に依拠しながら、さまざまなポピュリズ
には、近年の反グローバル化運動などに言及する。彼は、マーガ
このポピュリズムの本質いかんという問題について、ゲデンは、
具体的には、アメリカの人民党、アルゼンチンのペロニズム、さら
さらに、一九八〇年代以降、新しい社会運動に対抗するような形
で展開されてきた、時として、暴力行為へと進むような激しさを
り、「ポピュリズム」という性格に着目した概念規定が普及するよ
さらに、フロリアン・ハルトレーブは、歴史的考察を含むカノ
ヴァンの分類を批判しつつ、対象を一九六〇年代以降の西欧民主政
(
(
(
(
ハルトレーブの特徴は、ポピュリズムをもっぱら右翼的政治
③政党のタイプとしてのポピュリズム(右翼的ポピュリズム政党
と左翼的ポピュリズム政党)、である。
てのポピュリズム ②ポピュリズム的底辺民主政(草の根民主政)
((
伴った、「新しい右翼運動」の発展がポピュリズム論の展開の大き
うになり、これに伴って、「右翼的ポピュリズム」という名称が頻
諸国での現象に拡大し、現在のポピュリズムの分類として、以下の
(
る。そして、結論的には、ヘルムート・ドゥビエルを引用しなが
繁に用いられるようになったのである。
ような三類型を提起する。すなわち、①政治家の使用する手法とし
((
この名称は、むしろ、新しい右翼運動の、極右ではない――つま
り連立可能な政党である――という性格を強調する概念規定であっ
た。オリヴァー・ゲデンの判断では、新しい右翼運動を「極右」と
定義するか「右翼的ポピュリズム」と定義するか、これが、当初、
問題の中心であったが、しばらくするうちに、多くの研究で右翼的
(
ポピュリズム概念が用いられるようになり、「『正しい』概念はど
れかをめぐる争いは……明らかに鎮静してきた」。また、彼は、極
((
Ebenda, S. 46.
Ebenda, S.19.
Florian Hartleb, Rechts- und Linkspopulismus. Eine Fallstudie anhand von
Schill-Partei und PDS, 2004,
5
27
28
29
((
Oliver Geden, Diskursstrategien im Rechtspopulismus: Freiheitliche
Partei Österreichs und Schweizerische Volkspartei zwischen Opposition und
Regierungsbeteiligung, 2006, S.18.
26
(
(
ら 、 そ れ は ポ ピ ュ リ ズ ム な の で ある 」 こ の 定 義 に 依 拠 し て 、 ワ イ ル
ズは、ポピュリズムと呼ばれる運動を諸要素に分解し、二十四点に
さて、第二次世界大戦後の、大規模な大衆的抗議運動として、と
りわけ一九八〇年代以降活発になる、いわゆる「新しい社会運動」
をあげることができる。環境保護運動、平和・反核運動、高齢者の
(
渡 る ポ ピ ュ リ ズ ム の 症 候 群 と し て 整 理 し て い た の で ある 。
貧困撲滅運動、などの運動がそれに数えられる。これらの運動は、
(
カノヴァンは、ワイルズの研究が、ポピュリズムを統一的なもの
としてではなく、孤立した症候群からなる運動ととらえている点を
大衆的抗議運動として展開され、それゆえ、ポピュリズム的であっ
権利擁護運動、フェミニズム運動、民族的少数者の権利保護運動、
高く評価し、これらのばらばらな諸要素の結合が全く偶然によるも
たはずであるが、実際には、ポピュリズムと呼ばれることは少な
(
のであると主張する。そして、いかなるポピュリズムにも共通する
かった。こうした運動は、やがて、八〇年代中葉以降、ヨーロッパ
(
要素があるのかと問いをたて、以下の二点――①人民を賞賛し、人
各国では、政党として統合され定着することになった(ヨーロッパ
(
民に訴える点、②反エリート主義、反職業政治家である点――は、
議会では緑のグループとしてまとめられている)。
(
例 外 な く い か な る ポ ピ ュ リ ズ ム に も 存 在 す る と 指 摘 する 。 カ ノ ヴ ァ
(
ンによれば、これ以外には、共通の要素はない。ポピュリズムは、
これらの運動は、従来の労働運動の枠内におさまらない、多様な
社会階層にまたがる運動であった。政治的方向性も従来の左右の分
(
イデオロギー的には曖昧であり、包括的なポピュリズム・イデオロ
類に直接には対応しない、一種の公共的利益団体というべき運動で
(
あった。ポスト・マルクス主義者であるエルネスト・ラクラウと
(
ギーがあるわけではない。したがって、ポピュリズムに右翼、左翼
の ラ ベ ル を 貼 る こ と も で き な い 、 と い う の で ある 。
しつつ形成されている。彼らは、労働運動もこれらの多様な社会運
(
カノヴァンの研究は、上記の七つの分類にもとづいた詳細なケー
ススタディに支えられていた。しかし、結論的には、彼女は、ポ
動のひとつとして位置づけ、これらの運動を、根源的で複数的な民
(
((
)の方向へと統一しようとするので
radical plural democracy
実際に、労働者の階層分化が進み、労働組合は、利益団体化してみずからの
有利な立場を擁護しようとしており、公共性は薄くなっている(労働組合の特
権化)。正規労働者と非正規労働者、外国人労働者と自国労働者、エリートサ
ラリーマン(いわゆるヤッピー)と現場労働者、管理労働者と一般労働者、労
働者の間でも、労働の規制緩和をはじめとする、新自由主義政策の受けとめ方
がまったく異なるのである。
ある。
(
シャンタル・ムフの議論は、こうした新しい社会運動の登場を意識
ピュリズム概念の必要性を確認しつつも、ポピュリズム概念の曖昧
(
主政(
(
さを解消できたわけではないことをみずから認め、将来の研究に役
(
((
((
4
((
Ibid., p.166.
Ibid., pp.167-171.
Margaret Canovan, Populism,1981, p.291.
Ibid., p.293.
Ibid., p.294.
Ibid., p.299.
Ibid., p.294.
Ibid., p.301.
((
((
((
((
((
立 つ こ と の 期 待 を 表 明 し て 稿 を 閉 じ て い る の で ある 。
25
17
18
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20
21
22
23
24
ち、①人民の意志が、伝統的制度の基準や他の階層の意志などの、
シルズに依拠しつつ、シルズの定義の本質を以下の二点、すなわ
文 献 の 混 乱 と 矛 盾 の 原 因 で ある」 と 指 摘 す る 。
を調べてきた」。そして、「この二つの異なった視角の不調和が諸
までの研究は、この「明らかに異なる二つの角度からポピュリズム
(
すべての基準に優位すること、②人民とリーダーの間に、制度に媒
(
介されない直接的関係をつくること、に見いだす。そして、第二の
このように論じた上で、カノヴァンは、ポピュリズムと呼ばれる
運動を、農業ポピュリズムと政治的ポピュリズムとに大別し、以下
(
点を若干拡張して、ポピュリズムは、人民とリーダーの直接的関係
の七つに分類する。
動)
(
だけではなく、疑似政治参加も含めて人民の政治参加一般を要求し
まず、農業ポピュリズムとして、①農場経営者の急進的運動(た
(
ているのだ、と主張する。ワースレイは、ポピュリズムを「民主主
(
義と社会主義の伝統の一側面」と理解しているのであり、言い換え
と え ば 、 ア メ リ カ の 人 民 党 ) ② 小 作 農 の 運 動 ( た と え ば 、 東 欧 の
農民政党) ③知識人の農村社会主義(たとえば、ナロードニキ運
でポピュリズムをとらえようとしているのである。この点について
次いで、政治的ポピュリズムとして、④独裁的ポピュリズム(ア
(
(
れるこの政治スタイル、すなわち、人民が政治は自分たちのものだ
と 主 張 す る 、 そ の 永 遠 の 試 み な の で ある 。
このように分類された過去の現象の相互関係をどうすれば統一的
に説明できるのか。この点で、カノヴァンは、ペーター・ワイルズ
(
し、適用範囲が広すぎる状況に陥っていることの原因を、二つの観
の 論 考 「 症 候 群 だ 、 教 義 で は ない」 を 突 破 口 と し て 利 用 す る 。 ワ イ
((
Ibid., p.8.
Ibid., p.15.
Peter Wiles, A syndrome, not a doctrine, in: Ghita Ionescu and Ernest
Gellner, eds., Populism. Its Meanings and National Characteristics, 1969, pp.166179.
(
点の混交と矛盾にみる。すなわち、第一は、農村における民衆運動
ルズによれば、「どんな信条や運動であれ、圧倒的多数を占め、集
(
としてポピュリズムを考える視点であり、第二は、エリートと一般
(
団の伝統の中で暮らす人民に徳が宿っているという前提に立つな
ピュリズム研究の第二の古典は、マーガレット・カノヴァンの
ポ
( (
研究であろう。カノヴァンは、ポピュリズム概念があまりに漠然と
((
民衆との対立がさし迫ったものになっている都市部の民衆運動とし
ラスと彼の信奉者たち) ⑦政治家のポピュリズム(すなわち、
「人民」概念のもつ統合力を活用する戦術)
は、「左翼的ポピュリズム」を論じる際にさらに詳細に展開する。
((
ワースレイにとって、ポピュリズムとは、絶えることなく繰り返さ
((
ル ゼ ン チ ン の ペ ロ ニ ズ ム ) ⑤ 民 主 主 義 的 ポ ピ ュ リ ズ ム ( レ フ ァ レ
ンダムや参加の要求) ⑥反動的ポピュリズム(ジョージ・ウォー
れば、彼は、いわゆる「参加民主主義論」の主張に沿うような方向
((
て ポ ピ ュ リ ズ ム を と ら え る 視 点 で ある 。 カ ノ ヴ ァ ン に よ れ ば 、 こ れ
((
((
Ibid., pp.244-246.
Ibid., p.248.
Margaret Canovan, Populism,1981
Ibid., pp.8-9.
3
14
15
16
10
11
12
13
た、宗教的には、「スコープス裁判」に現われたような反進化論の
ていたのである。
ピュリズムとして扱われていた。
ンチンのペロニズム、さらにアフリカ新興諸国の独立運動などもポ
テンアメリカの運動、すなわちブラジルのヴァルガス主義、アルゼ
た人民党の運動や、ロシアのナロードニキ運動、また、二十世紀ラ
あった。そこでは、すでに述べたアメリカ中西部の農民を中心にし
社会科学からの本格的研究は、一九六七年五月にロンドン大学で
開催された、ポピュリズムについてのシンポジウムがその第一歩で
的に、国際ポピュリズム運動が存在しないことを指摘しつつ、ポ
が、ペーター・ワースレイ
この共同研究の結論ともいうべき論考
(7)
に よ る 「 ポ ピ ュ リ ズ ム の 概 念 」 ( 第 十章 ) で あ る 。 彼 は 、 ま ず 、 端
ンポジウム参加者の共通の関心だったのである。
自 在 で あ る 」 、 ポ ピ ュ リ ズ ム の 正 確 な 概 念 規 定 が ほ しい 、 こ れ が シ
てあるいは運動として、ポピュリズムは説明が難しく、また、変幻
が、それが何であるのか、だれにも判然としていない、「教義とし
葉の使用がますます頻繁になり、ポピュリズムの重要性は疑いない
こ う し た 問 い が 問 題 に な っ て い た の で ある 。 ポ ピ ュ リ ズ ム と い う 言
(3)
立 場 に た っ た 宗 教 的 原 理 主 義 の 傾 向 が 強 か っ た と い える 。
これら新興諸国のポピュリズムも含めて、すべてのポピュリズム
に共通の知的源泉があるのか、それらは単一の現象の部分なのか、
その会議に提出された報告ペーパーを中心に研究書が編集された
(4)
が、編者の一人ジータ・ヨネスクによれば、この研究の第一の関心
ピュリズムが、コミュニズムを典型とするような他の諸イズムに対
(5)
は、一九五〇年代、一九六〇年代に、冷戦の中で独立した多くの新
抗 で き る 独 立 し た イ ズ ム で は な い こ と を 確 認 する 。 そ し て 、 ポ ピ ュ
ポピュリズムという一つの名詞に対応する一つの現象があるのか、
興国のポピュリズムをどう理解すればよいのか、ということであっ
リズムは、左翼的でも右翼的でもありうるものであり、発展した社
(6)
た。多くの発展途上国で展開された独立運動は、そのリーダーたち
9
Ibid., p.1.
6
Ibid., p.1.
7
Peter Worsley, The concept of populism, in: Ghita Ionescu and Ernest
( eds
) , op.cit.,pp.212-250.
Gellner
8
Ibid., p.218.
Ibid., pp.241-243.
5
こうした検討をへて、ワースレイは、結論的には、ポピュリズム
を〈政治スタイル〉として定義しようとする。彼は、エドワード・
産 階 級 の 間 に も 、 ま た 小 作 農 の 間 に も 存 在 す る 、 と 主 張 する 。
(9)
会にも発展途上の社会にも、都市にも田舎にも、労働者の間にも中
(8)
のイデオロギーがポピュリズムとしての特徴をもっているといわれ
3
アメリカ史に流れる反知性主義的傾向については、リチャード・ホーフス
タッター『アメリカの反知性主義』(みすず書房、二〇〇三年)
なお、「ポピュリズム運動」と呼ぶには、その詳細な定義を別にして、少なく
とも〈大衆的抗議運動〉として展開されることが必要である。二十世紀前半に
生じた、ナチズム運動をはじめとする広義のファシズム運動は、この時期の最
大のポピュリズム運動として位置づけることが可能であるが、実際には、ポピュ
リ ズ ム 論 の 文 脈 で は 扱 わ れ ず、 フ ァ シ ズ ム 研 究 と し て 独 立 し た 領 域 を 形 成 し、
膨大な研究が蓄積されている。
4
そ の シ ン ポ ジ ウ ム の 結 果 が 図 書 と し て ま と め ら れ た 。 Ghita Ionescu and
( eds
) , Populism: Its Meaning and National Characteristics,1969.
Ernest Gellner
2
「右翼的ポピュリズム」概念をめぐって
い。しかし、「ポピュリズム」概念については、問題がいっそう複
雑になる。まず、「ポピュリズム」概念についての議論の整理から
始めよう。
Ⅱ ポピュリズムから右翼的ポピュリズムへ
「ナショナル・ポピュリズム」である。これは、「右翼的」あるい
ナリズムで普及してきた概念が、「右翼的ポピュリズム」あるいは
えなくなる。こうした傾向を避けるための概念として、政治ジャー
という言葉で表現した場合、どうしても全面否定のニュアンスが消
つ機能と分かちがたく結びついており、新しい右翼運動を「極右」
いう言葉は、「ファシズム」という言葉が政治的シンボルとしても
ズム」あるいは「ナショナル・ポピュリズム」である。「極右」と
新しい右翼運動の有力な定義として、「極右」という定義に加え
て、政治ジャーナリズムで普及している概念が、「右翼的ポピュリ
リ カ の 政 治 的 支 配 層 で あ った 。
て敵であるエリート層とは、東部の支配層を中心とした当時のアメ
る。ポピュリズムの対義語はエリート主義であり、この運動にとっ
関わりで、ポピュリズムという概念が用いられはじめたと理解でき
一八九二年七月に開催されているので、あきらかに、この運動との
ポピュリズムと呼ばれたのである。人民党の第一回全国党大会は
れた。この運動がポピュリストを自称し、その主張や運動全体が
背景に各地に農民同盟が結成され、それを基礎に人民党が結成さ
村 松 惠 二
)という概念は、オクスフォード英
「ポピュリズム」( populism
語 辞 典 ( OED ) に よ れ ば 、 初 出 は 一 八 九 三 年 で あ る 。 一 八 九 〇 年
代のアメリカでは、いわゆる「ギルデッドエイジ」のあとで、長期
は「ナショナル」という言葉で政策の方向を示し、「ポピュリズ
一九世紀末のこの運動には、さまざまな矛盾した要素が混入して
いた。人民党は、経済的要求としては、鉄道建設の統制、土地所有
Ⅰ はじめに
ム」という概念によって大衆動員(あるいは大衆扇動)に重点をお
の制限、銀貨の自由鋳造、紙幣の増発、累進課税の導入、などを要
の農村不況が続き、西部、南部の農業地帯において、農民の不満を
く〈政治スタイル〉に着目するものである。
の生活を基盤とする、一種の庶民的反知性主義が根底にあった。ま
2
古矢旬『アメリカニズム 「普遍国家」のナショナリズム』(東京大学出版
会、二〇〇二年)、第二章。
求した。これ以外にも、都会生活のあり方に対抗して、農民と農村
(2)
ショナル」という概念については、これ
「右翼的」あるいは「ナ
(1)
ま で の 論 述 を も と に す れば、 そ の 内 容 を 把 握 す る こ と は 困 難 で は な
1
本稿は下記の拙稿の続編である。「極右概念の再検討」、青森法学会『青森
法政論叢』第十一号、二〇一〇年、七五 九-〇頁。
1
Studies in the
Humanities
SOCIAL SCIENCES
Number27
HUANG Xiao Chun, YAMANO Yutaka, WANG Jian Jun … Restructuring of Apple Industry Based
on Intellectual Property… ………………………………………………………………… 1
LEE Young-Jun… ……………… The Great East Japan Earthquake and Regional Tie-Up … ………………………
21
OOSHIMA Makoto, KANAME Tetsuro … Incidental Business in Private Finance Initiative Method … …………31
SHIROMOTO Rumi… ………… Marriage Migrants from Mainland China as Care Providers in Taiwan… ………
51
SHIBATA Hideki………………… Why wasn't doctected the Window dressing of OLYMPUS
for more than twenty years ?……………………………………………………………
85
KOYAMA Tadashi… …………… Quasi-Market and School Choice in Japan (1):
Review of Empirical Research and Study… ………………………………………… 103
SAITO Yoshihiko………………… Rede von Bundeskanzlerin Dr. Angela Merkel zum Haushaltsgesetz 2012
vor dem Deutschen Bundestag am 23. November 2011 in Berlin… ……………… 125
YASUDA Muneyoshi… ………… Basic Note for Improvement of Quality of Regional Medical Care
and Patient Satisfaction… ……………………………………………………………… 141
MURAMATSU Keiji……………… Über den Begriff“Rechtspopulismus”……………………………………………………1
Faculty of Humanities
Hirosaki University
Hirosaki, Japan
ISSN1345-0255