日本の物づくりの衰退と原因

八洲学園大学紀要
第9号
(2013), p. 43 ~ p. 48
研究ノート
日本の物づくりの衰退と原因
立て直す事ができるのか?
阿部
和義
The decline of the Japanese manufactuing industry
Why and Can restructure ?
ABE, Kazuyoshi
キーワード:シャープ、物づくり
どうしてこのテーマで書くのか
八洲学園大学で「現代日本企業概論」を5年以上にわたり講義してきた。最初の時にはまだ、バブ
ルが残っている時代でライブドアの堀江貴文社長がニッポン放送の株の買収を試みて、フジテレビの
株を取ろうとした。この事件は日本の企業に大きなショックを与えた。最終的にはこの買収は失敗し
て、堀江社長は証券取引法違反で刑務所に入った。
私の講義では現在の企業の動きを分かりや説明しようとして、具体的な会社の名前を上げて来た。
日本の有名な企業を勝ち組と負け組みに分けた。勝ち組には「トヨタ自動車」
「キャノン」
「シャープ」
「日本電産」を上げた。負け組みには「山一證券」
「日本長期信用銀行・日本債券信用銀行」
「ソニー」
「日
産自動車」を上げて具体的にどうして勝ち組になったのか、負け組みにおちたのか、を講義してきた。
ところが勝ち組に上げていた「シャープ」が2012年に一気に負け組みに転落した。シャープだけ
ではなく、勝ち組に見られていた「パナソニック」も負け組みになってしまった。このように今まで
日本が誇ってきた液晶テレビの世界のナンバーワン企業がどうして韓国のサムソンや中国のテレビに
負けてしまったのか?こうした疑問を持っていたところ、日本の物づくりの衰退がマスコミや学会で
も大きな問題になってきた。
NHK でも特集番組
日本の電機業界の相次ぐ負け組みへの転落は NHK でも12年10月28日にクローズアップ現代
で「メイドインジャパンこれからの逆襲のシナリオ」というテーマでシャープやダイキンなどの動き
を報じていた。テレビだけではなく新聞でも日経は「物づくり再生の視点」ということで12年5月
28日から30日まで延岡健太郎・一ツ橋教授、新宅純二郎・東大准教授、遠藤功・早稲田大教授の
3人が経済教室でそれぞれの現状分析と再生策を書いていた。延岡教授は日本企業が取り組むべき事
は①ものづくりにより真のお客価値を創造できる技術経営への変革だ。意味的価値を提案できる人材
とそれを評価できる経営プロセスが必要②独自の戦略的視点から特定の技術、商品分野に集中的して
取り組む事。日本企業は横並びになる傾向がある。最大のリスク要因である。物づくりはきわめて価
値作りが出来る技術経営である。変革は急務であると指摘した。
新宅准教授は問題は強い現場力を生かせない経営にある、と指摘している。必要なことは「各部門
間の現場力を結集して、全体の成果に結びつける事である」という。
遠藤教授は今回の大手家電の不振は「闘う土俵の選択ミス」として日本の物づくり企業は①規模型
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事業でなく特化型事業に狙いを定める②完成品でなく部品や素材を闘う土俵として選択する、と提案
している。
日経は12年11月29日、30日に経済教室という欄で「家電不況の教訓」と題して上下2回の
報じている。上で長内厚早稲田大学准教授は「海外主戦場から逃げるな。低価格市場で勝負を」と提
案し、下では柴田友厚・東北大教授が「成熟度で組織の見直し
戦略転換遅れ、収益に直結」と書い
ている。
大和証券グループの清田瞭名誉会長は日本の家電メーカーが巨額の赤字を垂れ流している原因につ
いて、スマートフォン(スマホ)の出現を見逃すわけには行かないだろう、と述べている。清田名誉
会長は「世界的なスマホの流行の一方でテレビやパソコン、カメラといったエロクトロニックス製品
における日本企業の優位性が失われてきた事は間違いない。日本メーカーの販売不振は国内経済の低
迷に加えてスマホが今までの個別機能の製品が与える便益のうち、多くを代用してしまった事と無関
係ではないからである。実際、スマホはテレビ、電話、パソコン、辞書、携帯音楽プレー、デジカメ、
お財布、書籍、電子新聞などなど、驚くほどの機能電子端末として受入れられている」と指摘する。
さらに清田名誉会長は「わが国のメーカーは何らかの戦略変更が必要な時期にきているのである。こ
れからは物を作る機械である工作機械や半導体製造装置などの資本財、電気自動車など先端技術の粋
を集めるエコカー、そして原子力発電や水力発電、火力発電などインフラ事業、電子的に機能を集約
できない白物家電など、独立した機能を持つ製品分野に資源を集中すべきではないか」と提案してい
る。
(月刊経済界12・18号)
こうした人達の考えをまとめれば、シャープをはじめ日本の家電メーカーはまだまだ、土俵を違え
れば世界で戦えるのではないだろうか。
それではどうしてシャープは急激に業績を落としていったのであろうか?シャープについての研究
をする。
100周年を迎えたシャープの苦闘
日本を代表する家電メーカーのパナソニック、ソニー、シャープが米国リーマンブラザーズの倒産
による世界的な景気の悪化と EU の通貨危機、円高、1211年3月の東日本大震災などの影響で業
績が急激に悪化している。この3社の12年3月期の最終赤字が1兆6千8百億円にも上る。電機業
界は3年前にもパナソニック、ソニー、シャープなどのほかに日立製作所、東芝などほぼ全社がリー
マンショックの影響で軒並み最終赤字になった。いわゆる「家電ショック」である。これについては「瀕
死の電機業界
回復には3年が必要か?」と言うタイトルで書いた。( 日本経済復興協会『現日本経
済協会』の機関誌。経済復興2009年3月上旬号参照 ) その時は3年たてば立ち直るのではないか、
と書いたがその見通しは完全に外れた。
今回の家電不況ではシャープが一番厳しい状態になっている。シャープは12年9月15日で創業
100周年を迎えた。それを祝うどころではなく、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業との資本提携が
難航して、経営危機の状態に陥っている。
シャープは3代前の町田勝彦社長の時に、利益が出ていた半導体から赤字の液晶に経営資源を移し、
この「オンリーワン経営」が成功した。この成功物語はテレビ、雑誌などに派手に取り上げられて町
田社長は決断力のある経営者として評価された。
ところが今や液晶に全力を注いだこの「一本足打法」がシャープのアキレスけんになった。「選択
と集中」という会社経営の模範だったシャープがどうしてこうした経営危機になったのだろうか?ま
た、プラズマテレビでは世界でも有数なメーカーであったパナソニックがどうしてこんな状態になっ
たのか?テレビでは世界中でソニーブランドとして売れていたのが何で不振を極めているのか?3社
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日本の物づくりの衰退と原因
立て直す事ができるのか?
に共通するのは今まで経営を支えてきたテレビ事業が経営の足を引っ張っていることである。韓国の
サムソンや中国メーカーの価格の安さに世界中で敗れている。一時の日本と米国のようである。こう
したシャープの不況を中心に日本の家電業界の現況と将来を見てみる。
発明家の早川徳次氏が創業
シャープは発明家であった早川徳次氏が19歳の時、1912年(大正元年)に東京墨田区本所の
金属加工業を起こしたのが始まりである。早川氏は洋服のベルトのバックル「徳尾錠」を皮切りに「水
道自在器」
「1馬力モーター」などを考案し事業化していった。その後で有名な「シャープペンシル」
(早
川式繰り出し鉛筆)を発明して、1915年に発売したところ欧米で大ヒットして、事業を拡大して
いった。ところが1923年9月1日の関東大震災で工場は全壊し、妻子を失った。がっくりしてい
た時に取引先の人から大阪に来るように誘われて、大阪西田辺に工場を作った。一からの出直しであ
る。そこで国産第一号のラジオを開発し、製造販売して再起した。その後も発明家の早川氏は国産第
一号の白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫などを製造販売してゆき「総合家電メーカー」に育っていった。
早川氏は「他の社が真似るような製品を作れ」という信条であり、研究開発に力を入れた。その中
心にいたのが佐々木正・副社長である。京都大学工学部を卒業し、戦時中に「川西機械製作所」(後
の神戸工業)で働いていた佐々木氏を早川氏がスカウトした。佐々木氏は「カメラ付の携帯電話」
「太
陽電池」
「半導体レーザー」「ザウルス」などを次々に売り出す原動力になっていった。
早川氏の下で経営を支えたのは表1に出ている「中興の祖」といわれている佐伯旭氏である。経理
を担当していた佐伯氏が金融機関との交渉などを一手に引き受けた。社内では佐伯天皇といわれ、次
の社長には娘婿の辻氏を指名した。その後の町井氏も佐伯氏の親戚で乳業会社にいたのを引っ張って
きた。
(表1) シャープの歴代社長と主な出来事
早川徳次 (1912 年~ 70 年)
○東京で金属加工業を創業(1912
年)
○シャープペンシルを開発
○大阪で早川金属工業研究所(現シャープ)設立(1924
○国産第1号テレビを量産(1953
佐伯
旭 (1970 年~ 86 年)
○シャープ社名変更(1970
年)
○世界初液晶表示電卓を開発(1973
辻
年)
年)
年)
晴雄 (1986 年~ 98 年)
○カラー液晶テレビ発売(1987
年)
○電子手帳「ザウルス発売(1987
年)
町田勝彦 (1998 年~ 2007 年)
○液晶テレビ「アクオス」を発売(2001
年)
○亀山工場稼働。亀山モデルを発売(2004
年)
片山幹雄 (2007 年~ 2012 年)
○大型液晶パネルの堺工場が稼働(2009
年)
○鴻海精密工業と資本・業務提携(2012
年)
奥田隆司 (2012 年~
)
○堺工場を鴻海との共同運営に(2012
○国内外で
○創業
年)
5 千人の人員削減発表
100 周年(2012 年 9 月 15 日)
○高橋興三
(2013 年~)
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阿部
和義
オンリーワン経営の町田社長
町田氏は経営資源「人、物、金」を液晶事業につぎ込んだ。当時のシャープは半導体は業界でのシェ
アは下位だったが、そこそこ利益を出していた。一方、液晶は電卓事業から始まり業界ではトップ
だった。しかし、テレビなどもパナソニックのプラズマやソニーのトリニトロンに遅れを取っていた。
98年に社長になった時に「05年までに国内販売のテレビをすべて液晶に置き換える」と「オンリー
ワン経営」を宣言した。01年に液晶カラーテレビ「アクオス」を販売した。さらに三重県の当時の
北川知事(現早稲田大学大学院教授)の誘いに乗り亀山市に液晶テレビの工場を作った。中国やベト
ナムなど人件費が安い海外で製造する家電メーカーが多い中でこの決断は注目された。当時、町田氏
は「安い海外に工場を移すと国内での雇用と技術が守れなくなり、空洞化する」と話していた。
こうした町田氏の「オンリーワン経営」は成功し、シャープの液晶テレビは世界を席巻した。04
年7月号の月刊「文芸春秋」では町田氏は「首切りのない経営、世界を制す」というタイトルで「中
国特需で浮き足立つな。最先端は日本が走る」と述べている。その中で「コスト削減を追求して海外
生産に頼るのは、一時、痛みを忘れるモルヒネ経営に他ならない。そう考えた私は01年の正月に『日
本で製造業を極める』と宣言し3年半で、国内で4箇所の新工場建設に取り組み、3工場をリニュー
アルしました」と書いている。
メーカーの経営については「長期的な視点がなければ成り立ちません。現在シャープは液晶テレビ
と太陽電池で世界でトップの地位を占めています。そこに至るまで何年かかったか。液晶は30年余
り、太陽電池に至っては40年以上も取り組んでいます。それが本当に花開いたのは、この10年の
ことです」とも話している。
町田氏のオンリーワン経営への決断は経済界でもてはやされ06年1月には経済雑誌「経済界」の
敢闘賞を受賞した。こうした素晴らしい経営が一転して足を引っ張るようになった。
12年3月の片山幹雄社長から奥田隆司社長に交代する日の朝日新聞は「シャープ、脱液晶が急務、
一本足打法が重荷」と書いている。
韓国サムソンの安値に敗れる
シャープの経営は08年10月のリーマンブラザーズの倒産と欧州の金融危機など世界的な不況の
影響で業績が悪くなっていった。
中心の液晶テレビが韓国のサムソンに敗れて言った。日本は円高で輸出が採算が悪くなる中で韓国
はウォン安で輸出をすればするほど利益が出ていった。サムソンは開発途上国にも営業マンを長期間
貼り付けて現地になじみながら販売を拡大していった。サムソンのテレビは日本のメーカーに比べて
安い事から海外だけではなく日本国内でも販売に成功していった。私が12年9月に北海道に旅行し、
洞爺湖のほとりにあるザ・ウィンザーホテル洞爺でもサムソンのテレビが入っていた。このホテルは
自民党の福田康夫首相の時にサミットを開いたホテルにも韓国のテレビが入っている事にビックリし
た。
シャープは12年3月期の連結決算では純利益で過去最悪の3760億円の赤字になった。13年
3月期は4500億円の赤字になる。09年3月来に創業以来はじめて純利益が赤字になり、業績は
悪化してきた。社長交代のあった12年3月14日に54歳で退任する片山氏は「液晶テレビなど主
力商品の市況悪化に対応できなかった」と経営責任を自ら認めた。町田会長、片山社長の14年間は
大ヒットした液晶テレビ「アクオス」の時代であった。それを支えたのは町田氏がすすめた基幹部品
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立て直す事ができるのか?
から一貫生産する垂直統合のビジネスモデルである。亀山(三重県亀山市)堺(大阪堺市)の液晶パ
ネル工場を約8千億円かけて規模で優位に立つ戦略は、韓国、台湾の台頭で世界的に製品の過剰状態
になり垂直統合モデルの強みを発揮できずに減産に追い込まれた。液晶一本足打法が重荷になってき
た。
こうしたオンリーワン経営の失敗について朝日新聞の安井孝之編集委員は「選択と集中には罠があ
る。高収益事業にばかり集中してしまう慣性が働いてしまう事である。高収益事業に育った液晶に資
源を集中してしまう。目先の利益に頼った判断になった」と書いている。
(12年9月9日の朝日新聞)
一方、読売新聞の近藤和行編集委員は「日本企業の独自性ある製造技術や短期利益主義に毒されない
長期的視点は捨てたものではない。
『電機の歴史的敗北』という評価を振り払って欲しいものだと願う」
(12年9月16日読売新聞)と書いている。
鴻海精密工業と提携が難航
創業以来の経営危機に陥っているシャープは台湾の電子機器受託製造サービス(EMS)の世界最
大手の台湾の鴻海精密工業に救いを求めた。12年3月27日に鴻海との資本・業務提携である。大
型液晶パネルを生産する堺工場を鴻海と共同経営し、シャープ本体に9・9%の出資を受けるという
ものである。
ところがシャープの株が提携した時は1株550円だったのが一時160円台まで下がった。この
ため鴻海が出資金を維持すれば、出資比率は2割以上になる。これを望まないシャープだが、そうす
ると資金は3分の1に減ってしまう。このため12年5月には提携がまとまるはずなのだが、11月
末までにもまとまっていない。提携は難しいのではないか、という見方が増えてきている。
こうした中でシャープは半導体最大手のインテルに300億円の出資を要請している、という
ニュースも流れている。太陽光発電の小会社を売却するなどの整理案が出たり、9月には5千人とし
ていた人員整理が海外の工場の売却などで1万1千人に膨らむ再建整理案が出てきた。こうした案が
出てきたのは鴻海との出資交渉がうまくいかないためである。この交渉がどのようになるかは予断を
許さない。まとまらない可能性が強くなってきている。
(朝日新聞、読売新聞、日経新聞、毎日新聞などの記事を参考にしている)
(受理日:2012 年 11 月 30 日)
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