諸外国のピアノ教育事情視察報告 諸外国のピアノ教育事情視察報告 (ロシア編) 報告者:鶴園紫磯子 今年度の視察旅行はロシア、ハンガリー、 ってきたのでしょう。しかし今日、大きな 東 「空洞」のように見えました。なぜなら燦 といわれてきた地域ですが、共産主義 然と輝くワシリー寺院もレーニン廟もこの 体制の崩壊後、各国ともそれぞれ独自の道 国の人々にとって、もはや精神的支えにな を探し、未来へ向けて懸命の努力を続けて っていないことを感じたからです。しかし いることを実感しました。ここでは最初の 「体制」の崩壊、その痛みに耐え、それを チェコの3カ国を訪問しました。従来 欧 訪問地ロシアでの見聞を、できるだけ ット ホ な形でお伝えしたいと思います。 超える何かを目指して生き続ける人々の強 さを私たちは次第に感じ取っていきまし これらの視察の実現には事前の周到な準 た。それはいうまでもなく、音楽教育の場 備が大切です。ご準備に奔走された団長の で真剣に向かう人たちを実見できたからで 松本先生、またご助言くださった寺西先生 す。 をはじめ、コーディネートに協力くださっ た方々のおかげであり、心より感謝申し上 <中央音楽学校訪問> げたいと存じます。 4月16日に出発、まずモスクワに入りま 18日、視察のコーディネートと通訳をし した。現地に40年来お住まいの石島様のご てくださった曲尾さんの案内でいよいよ視 子息が出迎えてくださり、市の中心にある 察の開始、中央音楽学校を訪問しました。 メトロポール・ホテルに到着。1900年様式 この学校はソ連時代からの有名なエリート (アール・ヌーヴォー)の美しい建物で、 校で、モスクワ音楽院付属の11年制の学校 歴史の重みを感じる場所でもありました。 です。通りから少し奥まったところに、最 翌日は日曜日で、ユーリヤさんという日 近建て替えられたこじんまりした校舎があ 本語を話すガイドさんの案内で、簡単な市 りました。内部の壁や階段は子供たちが楽 内観光をいたしました。雨の降る暗い日で しくすごせるよう、明るい赤やピンクに塗 したが、私たちにとって貴重な時間でした。 られていました。案内係りの方がにこやか ほんの少しの見聞でもその国を理解する大 に迎えてくださり、まず小ホールに向かい 事な一歩となるのです。有名な「赤の広場」 ました。小ぶりながら は、共産主義社会では幾多の出来事を見守 つらえのホール、ここで10歳の可愛いアン クラシック なし 31 ナちゃんのショパンのノクターンにはじま ここで行うのが特徴である。生徒たちも選 り、17歳のサラトフ君のラフマニノフまで、 びぬかれて入学するので、エリートである いずれも国内外のジュニア・コンクール入 ことを十分自覚している。入学して4,5 賞者5人のすばらしい演奏が続きました。 年すると国内外のコンクールに入賞を果た みんな身体を無理なく使い、バランスのよ すようになるとのこと、教育の目標がはっ い響きかつ明瞭な音で弾いていました。と きり決まっていることを示しているようで くに10歳の少女のショパンは子供を忘れさ ありました。セクションは4つであり、ピ せるものがありましたし、リストのエチュ アノ、弦楽器、管楽器、理論に分かれている。 ード「雪嵐」のような寒い国ならではの叙 次にこちらからの質問で、これらの音楽 学校で教える資格はどのようにとるのかと 情性は見事でした。 ホール内の厳粛な空気は室外に出ると、 子供たちの ロ シ ア 報 告 普段 の顔によって解きほぐ されていくようでした。 ようですが、それぞれの学校の段階のひと つ上の学校の卒業資格が必要でしょう、と 次に案内された部屋ではお茶の支度がと 答えられました。たとえば、音楽高校で教 とのい、校長先生との懇談がありました えるひとはコンセルヴァトワールを卒業し (写真A)。中央音楽学校は70年の歴史をも ていること。あるいは音楽小中学校を教え ち、幼少の子供たちをあつめ、徹底した考 る場合は、この中央音楽学校卒で可能とい えられた教育により「プロ」の音楽家を養 うことです。 成する所であり、小学生から高校生までを 育てるので専門の教育と一般教育の両方を A 32 いうことを尋ねました。明確な規定はない さらに「教授法」の授業については9, 10,11年生を対象に行っている。いずれも 中央音楽学校 校長先生との懇談後 諸外国のピアノ教育事情視察報告 年少の生徒をうけもち、そのレッスンをし ながら指導教師のアドヴァイスをもらうと <エルマコフ教授の「指導法」セミナー> いうやり方です。また教授法の中身は、頭 を使って組み立てるメトーディカと流儀を 午後この学校の指導法の様子を概説する 伝えるシコーラ、実践的なやり方を学ぶプ セミナーをエルマコフ先生が開いてくださ ラクティカの3分法で構成されているそう いました(写真B)。この授業は9,10, です。 11年生(15歳から17歳)を対象に行ってい 終わりに民族による音楽の違いをどのよ ます。修了の試験には3つの課題があり、 うに考えるかという話題がでました。校長 1つ目は知識についての質問と答え、2つ 先生は率直な方で、きれいごとではないお 目は小さな子供たちが学ぶべき多くのレパ 話をされました。私たちロシア人はバッハ ートリーの習得、3つ目がオープン・レッ がとても好きで、それをロシア風に弾く。 スンすなわち実際のレッスンの評価であり それでドイツに行って聴いてもらうと、 ます。教える者は何を大切にするか、それ 「とってもいいよ、けれどこれはバッハで は実際のテクニックのあり方と教育観の展 はないね。」といわれる。それでどうする 開である。とりわけどのように小さい子供 かというと、私たちは作曲家の意図したと と接したらよいのか、またその両親とどう ころを学ぶ、またその時代のスタイルを掘 交流するのか、さらに勉強のプランをどの り下げて学ぶ、それが重要である。その上 ように立てるか、心理学的理解と頭脳的仕 でロシアの民族性を大事にやっていくと力 事をきちんとまとめていくことを大事にし 強い言葉でありました。 ているようです。 中央音楽学校 エルマコフ教授のピアノ指導法セミナー B 33 それから導入期の子供への教え方につい またハノンの音列にことばをあてはめたり て、丁寧な解説がなされました。まずピア もしている。少し進んで、手の移動が大切 ノの学習は5歳〜5歳半から始めるのがよ である。音ははじめノン・レガートで弾か いでしょう。(早すぎることを危惧してい せ、次第にレガート奏法に移ること、スタ るのでしょう。)こどもが音楽についてど ッカートを習得したのちにインヴェンショ のような情熱をもっているか?心の中に抱 ンのようなポリフォニーの曲に入ることな くイメージが大切であること。それをゆっ どが説明された。ここまで到達するのに1 くり観察してあげてほしい。技術はその後 年の子供もおり、4年位かかる子もいる。 にいくらでも備わっていくものである。そ いずれもあくまでその子の能力や気持ちを れからご自身が編纂された教則本を取り出 大切に指導したいと結ばれました。 され、ピアノを弾きながら説明をされた。 ロ シ ア 報 告 どんなにちいさな曲でもその性格をつかむ ばせていただくことがたくさんあるように ことが大切で、曲を覚えやすくするために 感じました。 ひとつひとつに題名をつけてある。たとえ ば、行進曲、踊り、子守歌などなど。 <モスクワ音楽院> 鍵盤の上で左右の動きが自由にとれるよ うに導くこと、はじめから黒鍵に自由にさ このあと歩いて数分の音楽院に移動しま われるようにすること、まず3,2,1の して、ヴァスクレセンスキー先生の笑顔に 指を使えるように、つぎに4,5を教える。 迎えられました。音楽院での見学はレッス 音階を1,4指だけで弾いていくことなど、 ン主体で、ヴァスクレ先生(写真C)とナ C 34 大変丁寧なご説明であり、私たちにも学 モスクワ音楽院 ヴァスクレセンスキー教授のレッスン 諸外国のピアノ教育事情視察報告 セトキン先生(写真D)のクラスで白熱し たレッスン現場を体験しました。 モスクワ音楽院(コンセルヴァトーリヤ) はロシア最高の音楽大学で、ピアノ科の修 両先生ともたびたび来日されている「知 業年限は5年となっています。その間にピ 日家」であるため、たいへん寛いだ雰囲気 アノ実技、室内楽、伴奏法、教授法の4つ でレッスンをなさっていらっしゃいまし のディプロームを取得して卒業となりま た。レッスン室にはそれぞれ古いスタンウ す。これ以外に勿論、音楽の専門科目や外 エイが2台ずつはいっていましたが、あま 国語、美学や芸術史などを学びます。音楽 り調整が行き届いていない感じでした。20 家としてトータルな能力を備えてほしいと 歳前後の若者が何人も訪れてきまして、熱 いう意図がはっきりわかるカリキュラムで のこもった演奏で真剣な空気に満たされて あると思いました。ピアノ科の課程では、 いました。ナセトキン先生はロシアの音楽 1年の間に2回の試験と2回の中間試験が 的伝統をたっぷりと受け継いでおられる感 あるそうで、年度はじめにその年に弾くべ じで、横で弾かれながら、歌うように音楽 き曲のリストをつくり、学生はそれらの曲 の流れを指導されていました。ヴァスクレ をできたものから順番にレッスンにもって センスキー先生は、演奏を客観的に見られ くるのですが、すべて暗譜でもってくるの たうえで、いつもながらの的確な指示をな が決まりですからそうとうの練習量が必要 さっておられました。時にはユーモラスに、 でしょう。教授のレッスンの合間に助手の 時には文学や歴史の引用などを交え、若い レッスンもあり、そこで細かい調整をして 世代の教育を体現しておられるのでしょう から、教授の部屋に来るようです。どの学 か。両先生とも熱心なご指導でした。 生もテクニックはほとんどこなし、自分の モスクワ音楽院 ナセトキン教授を囲んで D 35 音楽を聞かせにやってきているという、気 ものです。しかしロシア人にも昔から受け 迫のようなものが感じられました。 継いできた民族の音楽があり、ロシア音楽 はグリンカをはじめ、ほとんどの作曲家が <ロシアの学生の音楽について> 祖先の財産を元に音楽をつくりあげてきた のですから、ごく自然にロシア語で音楽を ロ シ ア 報 告 今回のレッスン見学では合わせて8人の 捉えているようです。この伝統が若いピア 演奏を聞かせていただきました。曲はブラ ニストたちに豊かに受け継がれていること ームスの小品集、ショパンのバラードやマ をあらためて実感いたしました。 ズルカ、ラフマニノフ、スクリアビン、プ ひるがえって私たちは日本語を規範に西 ロコフィエフなど。個人差はもちろんあり 洋の音楽を組み立てられるでしょうか?答 ましたが、共通点はやはり音楽の広さ、深 えは否です。ここが私たちにとって最大の さを備えていること、それから中央音楽学 難関でもあります。日本語の抑揚は細かく、 校の幼児教育でも大事にされていたことで 平坦ですので、音楽を捉える時にはよほど すが、言葉との結びつきを意識して音楽を 想像力をたくましくする必要があるように 捉えていることでしょうか。音楽の中の文 思います。 法や抑揚がきっちり組み立てられ、ゆるぎ 一方、ロシアの若い学生は、「音あるい がないことです。言葉は厳密に考えますと、 は音色」についての感覚がいまひとつのよ ドイツの音楽ならドイツ語のイントネーシ うに思いました。プロコフィエフのような ョンに沿っていますし、イタリア・オペラ 透き通った叙情性はまったくすばらしいの にはどうしたってイタリア語の響きがつき ですが、ロマン派や古典の作品では繊細な 中央音楽学校 ビアセッキー先生と14才の才能豊かな少年 36 諸外国のピアノ教育事情視察報告 音色の追求が足りないとかんじました。 ミニ博物館となっています。1895年に小さ 日本は四季の移り変わりが見事で、多様 な建物で始まった学校は、子供のための基 な色彩に恵まれた国ですから、私たち独自 礎教育を充実させていったのです。設立時 の色彩感を音楽にもさらに生かしていく からラフマニノフ、スクリアビン、タネー と、個性豊かな演奏ができるのではと思い エフ、アレンスキーなどの作曲家が後援し ました。 ており、彼らの芸術精神がここに伝えられ てきていることを大変誇りにされているよ <グネーシン・アカデミーの見学> うでした。 1917年の共産主義革命のあと、この私立 モスクワ音楽院のあと、最後の訪問はグ 学校はその意義を認められ、国立になって ネーシン・アカデミーでした。通訳の曲尾 今日に至ったのです。立派な英語の案内書 さんがご自分の関係から用意してくださっ によると、クラシック部門のみならず、民 た訪問でしたが、とても有益な見学でした。 族音楽のセクションも充実しており、さら この学校はモスクワでは音楽院と並ぶ立派 に近年はポピュラー音楽、ジャズ、音楽経 なアカデミーですが、音楽院とはひとあじ 営などのコースも設置しているのです。 違う教育観をもっているようです。まずこ さて、そうした「開かれた」学校で、と の学校がグネーシナ姉妹によって、個人の りわけ大事にされているのが「指導法」や 理想を実現するために設立されたというこ 「教授法」の実践と研究です。この分野の とです。校内に住んでおられた住居が保存 指導者であるイワノワ先生(写真E)が、 され、遺品、絵画、写真などで構成された 小さな9歳の女の子をモデルに私たちにセ グネーシンアカデミー イワノワ先生の指導法セミナー E 37 ミナーをしてくださいました。子供は教育 いので、ぜひ日本からも学びにきてくださ 実践のための生徒で、普段は学生が教えて いといわれました。 いて、先生がそれに対して助言をしていま <おわりに> す。そしてこの生徒は普通の学校に通いな がら音楽を「趣味」として学んでいる子供 でした。プロコフィエフの「物語」という ロ シ ア 報 告 このように3ヵ所の学校でたくさんの実 曲を弾いてくれましたが、気持ちのこもっ り多い見学をいたしました。 体制 たとても良い演奏でした。 後、国家の手厚い保護が削られ、財政面で 崩壊 教育で大切なことは、「聴く耳」を育て たいへんであると聞いておりました。たし ることだ。さらに芸術的な「イメージ」を かに建物の整備など、ままならない部分も 持てるように。耳で聴いたこと、思い描い あるように見受けられましたが、教育する たイメージ、それを手の技術に伝えていく 心は熱いと感じました。ヨーロッパは現在、 こと、それが音楽をすることです。音楽は 統合化で イントネーションの芸術であり、そのイン われています。 トネーションをどう伝えていくか、それが 文化 の継承もそのあり方が問 しかしロシアは独自の路線を行くのでし とても重要です。(アサーフィエフの論) ょうか?彼らの音楽遺産はたいへん大きい しかし今、世界的にイントネーションがそ ものであり、またこれだけの密度で人材を こなわれています、コンクールなどの隆盛 育てているのですから、彼らの未来はとて で、個性や伝統が失われつつあるのです。 も開けているのです。実際、国の大きさを (これはグローバル化と関連しているので 考えると、途方もない可能性を秘めている は?)教育者はそうしたものを大切に伝え でしょう。ただ地方での文化状況はけっし ていく使命がある。形成には長い時間がか て充分とはいえないようですが、そこから かるが、自分の耳が欲しがっているものを の文化の発信を伴えば力強い歩みとなりま 追求していくことです。 しょう。私たちはこの このような教育観を語りながら、具体的 な音の入れ方、力の抜き方、音程の聴き方、 隣人 とさらに仲 良く交流を深めてまいりたいものです。 2005年6月記 響かせ方などを示していきました。また楽 譜の中の音程を主体的に聞き取るには、幼 少からのソルフェージュ教育も大切であ る、それがそのままピアノの学習に生かせ るように配慮することなどが語られまし た。 終わりに外国人部長とお会いし、この学 校の家庭的な雰囲気やバランスのとれたカ リキュラムは、教授法の研鑽にはとてもよ 38 ※ハンガリーとチェコの報告は次号に 掲載致します。
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