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2016年12月4日
麻生教会主日礼拝説教
「悔い改めるとき」
使徒言行録19章8節~20節
久保哲哉牧師
1.エフェソにて
今日パウロが活動したエフェソはローマ属州アジア地域の首都で25万も
の人々を抱える大都市であったと言われます。これは、エフェソという町が
地中海世界とヨーロッパ世界の接触点にあったこと。また、土地が非常に豊
かで実り多き土地であったことで、数世紀に渡って繁栄が続いていたと言わ
れます。前回触れたコリントと同様、エフェソは豊かな経済活動が行われて
いました。それで、多種多様な人種が住んでいたために、宗教的にも多様性
を極めており、色々な宗教が混在していたようです。
パウロはかつて第二回目のの伝道旅行でこのエフェソを訪れた際、少数の
ユダヤ人キリスト者と出会い、そこにあった会堂でユダヤ人たちと論じあい、
人々に引き留められながらも、「神の御心ならば、また戻ってきます(使徒18:
21)」と急いでエルサレムへの旅を進めていったようです。
それで、どうやら御心が成ったようで、第三回目の伝道旅行の際にはここ
エフェソにおそらく2年半ほど留まり、力強く伝道した様子が記されていま
す。西暦53年から56年頃にかけてのことといわれます。エフェソではパウロ
の弟子、テモテが主要な牧者として関わったとされ、古代の伝承によればパ
ウロだけでなく、使徒ヨハネも4年間このエフェソで活動し、そこで死んだ
とされています。
ここに来たら是非紹介しようと思っていたのですが、聖書に残されている
パウロの手紙の多くがこの2年半の間、このエフェソで書かれたようです。
「ガ
ラテヤの信徒への手紙」「コリントの信徒への手紙1・2」「フィレモンへの
手紙」「フィリピの信徒への手紙」などがそうだと言われます。特に、先々週
-1 -
は使徒パウロと伝道者アポロの関係についてみましたが、かつてパウロが建
てたコリント教会に別の伝道者たちがやってきて、パウロとは違う方針を語
り、教会が混乱していた様子がありました。これを耳にしたパウロがエフェ
ソでまず書いた手紙がコリントの信徒への手紙1ということになります。
2.手紙の厳しさ・福音に立ち返るコリント教会
第1コリント1章10節から、この手紙における厳しさをみてみましょう。
「さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたが
たに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思
いを一つにして、固く結び合いなさい。わたしの兄弟たち、実はあなたがた
の間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。あなたがた
はめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファ
に」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。キリストは
幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架
につけられたのですか・・・(Ⅰコリント1:10-13)」
要するに党派争いというやつです。ひとつの教会でありながら色々なグル
ープに分かれてケンカをしていた。その様子をパウロはこのエフェソで聞い
たのでしょう。それでここエフェソでコリント教会が主の福音に立ち返るよ
うに第一コリント書を書いた。
読み手が緊張するほど厳しい口調で書かれている手紙ですが、パウロがエ
フェソで滞在している間でコリント教会の状況が変わっていったようです。
同じくここエフェソで書いたとされるコリントの信徒への第二の手紙を見る
とわかるのですが、パウロの厳しい説得によって、どうやらコリント教会の
人々を主の道に引き戻すことに成功したようです。
おそらく、アポロのようなパウロと方針が少々違う伝道者、あるいはまっ
たく方針が違う指導者たちによって混乱していたコリント教会でしたが、パ
ウロはコリントの第1の手紙の巻末でこのアポロについてを「兄弟」と呼ん
でいます。少々毛色が違くとも、十字架と復活の信仰において一致があった
のでしょう。そして自分たちが何に基づいて信仰の生活を送るべきか。そし
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て送ってきたのかを理解したコリントの人々が党派争いをやめ、一つとなっ
て主に立ち返ったのだろうと思います。そうした状況を伝え聞いたパウロの
喜びが第二コリント書からは伝わってきます。
使徒言行録でルカはそうしたことについては語りませんけれども、そのよ
うな背景・事情に思いをはせながら今週・次週のエフェソでの出来事に目を
向けていきたいと思っています。
3.宣教はユダヤ教の「会堂」から「講堂」へ
さて、いつものようにパウロはユダヤ教の会堂で主の道を教えていました。
しかし、そこに集ったユダヤ人たちはかたくなであって「主の道」を非難し
て聞く耳を持たなかったといいます。それでパウロは会堂・シナゴーグで宣
教をするのをやめて、ティラノの講堂という所で毎日論じることとなりまし
た。この「講堂」というのは「宗教施設」ではなく「集会所」を意味する言
葉です。ギリシャ語では「scolh,」(スカレー)というのですが、学校・つまり
「school」の語源となった言葉です。人が「とき」を過ごすために集まる場
所のことで、たいていは何らかの講義などがなされる場であったといいます。
パウロはこれまで「ユダヤ教の会堂」つまり宗教施設で宣教を行っていま
したが、その宣教の場を「講堂」「scolh,(スカレー)」。すなわち「学校」に移
したということです。その結果、ユダヤ人であれ、ギリシア人であれ、すべ
ての人が主の言葉を聞くことになったというわけですが、これは興味深いこ
とでしょう。牧師をしながら幼稚園の園長をしている者として非常にうれし
い箇所です。
パウロはこの講堂で何を教えたのか。それはおそらく「学問」ではないで
しょう。今日の箇所ではパウロが会堂で「神の国のことについて大胆に論じ(使
徒19:8)」たとあり、「ある者たちが、かたくなでこの『道』を批難した(使徒
19:9)」ともあります。「道」というからには「神の国に至る道」。つまり、主
キリストの十字架を信じ、罪赦され、神の国に至る者の歩む人生。信仰者は
いかに生きるべきかを論じていたのだろうと想像します。ユダヤ人も、ギリ
シア人も、すべての人がこれを喜んで聞いた。そして福音に入ったというこ
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とです。主の御言葉はすべての人にとって救いであることがここからもわか
ります。
どうやらエフェソは豊かな都市であったようですが、人々の間には絶えず
「不安」があったのだろうと思われます。というのも以前も触れましたが、
「豊
か」であるにも関わらず「不安」である。というのは一見相反するように見
えるものですが、現代でも多く見られることでしょう。それが、2000年前当
時のエフェソでは「魔術師」とか「祈祷師」という姿で出てきていました。
皆、救いに飢えていたのでしょう。皆、自分たちが歩むべき確かな道に飢え
ていたのでしょう。
この「祈祷師」という言葉を原文でみてみると「evxorkisth,j(エクソルキステース)」。
要するにエクソシスト(悪霊払い)の語源が使われています。悪霊追放を生業
とするもの。まじない師とか呼ばれるものです。これは律法では明確に禁じ
られている行為なのです。申命記では次のようにあります。
申命記18:9-12「あなたが、あなたの神、主の与えられる土地に入ったならば、
その国々のいとうべき習慣を見習ってはならない。あなたの間に、自分の息
ぼくしや
子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、呪文を唱える
者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。これらの
ことを行う者をすべて、主はいとわれる。」
にも関わらず、今日のルカの報告によればユダヤ人祭司長の7人の息子た
ちがそんなことをしているのですから、たちが悪いのです。おそらく魔術の
やり方が書いてある書物がたくさんあって、そうした書物には悪霊を追放す
る呪文のようなものが書いてあったのでしょう。何か困ったことがあるとそ
うした呪術師の所にいって呪文の詠唱をしてもらっていたのだろうと思いま
す。エフェソとはそうした異教祭儀の中心地であったとも言われます。パウ
ロはエフェソにおいてこうした「まじない師」たちと、それも「ユダヤ人の」
まじない師たちと対決したのでした。
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その結果、多くの人々が主なる神への信仰を取り戻し、パウロが宣教した
十字架の言葉を信じたと言います。それで信仰に入った者たちは「自分たち
の悪行をはっきり告白し」、魔術を行っていた多くの者たちが、その「書物」
を持ってきて、皆の前で焼き捨てたという出来事が起こったのでした。
当時の「書物」は紙・ペーパーが貴重なものであったために非常に高価で
あったと言われますが、人々が焼き捨てた書物、そのすべての値段を見積も
ると銀貨5万枚にもなったといいます。現代の価値に換算すると、銀貨1枚
・1ドラクメ(1デナリオン)が1日の給与といわれますから、まあ、低く見
積もっても6000円×5万枚の銀貨。これはざっと計算して3億円の価値があ
る書物がその日の内に焼き払われたということです。古代世界において「エ
フェソの書物」というと秘伝書として有名であったそうです。それが惜しげ
もなく焼き捨てられたというのは驚くべきことでしょう。莫大な金額ですが、
18節「信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した」
ということに注目したいと思います。
こうしたまじないの類いというのは、人間が限りない不安にかき立てられ
てそうした不安から逃れようとして考え出したものです。「家内安全」「交通
安全」「五穀豊穣」「延命長寿」。人間の力ではどうにもならないことを古来か
ら人は大いなるものに祈り、頼ってきました。今はそれが神ではなく「自分
の力」や「保険」や「健康食品」など。「目に見えるもの」にすり替わっただ
けでその実はかわりません。そうしたものに助けられるのは悪いことではあ
りませんが、第一に頼りとする所を間違えたならば、悔い改める必要がある
でしょう。
何度でも触れますが、偶像とはギリシャ語で「エイドロン」。これは「アイ
ドル」の語源です。「幻影」とか、「本当でないもの」という意味です。この
地上、現代ほど偶像の多い時代はありません。わたしたちは聖書に照らして
何を頼りに生きるのかよく吟味すべきです。
4.神の国に至る道
エフェソの信仰者たちは自らの過ちに気づいたときに「悔い改め」その罪
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を「自分たちの悪行をはっきり告白し」ました。おそらく、一人がその罪を
公の場で告白し、魔術の書を焼き捨てたとき、「わたしも」「わたしも」と持
っていた魔術書が次々の焼き捨てられていったのだろうと思います。「罪の告
白」は罪からの「決別」に進んでいかなければ嘘です。彼らは告白したに留
まらず、続いて、密かにより所としていた魔術書を焼き払いました。人生の
「不安」から逃れるためにもっていた魔術書です。この魔術書をより所とし
ていた人々が、告げ知らされた福音によって、創造主にして救い主なる神を
知らされた結果、何が起こったのでしょう。
「不安」や「思い煩い」の心は罪からでるものです。洗礼を受け、主の十
字架によって罪赦され、主が共にいる世界を生きる者。主が祝福された世界
に移された者はからみつく罪からすでに救われています。
救いに入った結果、人々はこの世界はこの主なる神が導いてくださる明る
い世界として見ることができるようになったのでしょう。信仰によって、現
在がどんなに苦難の状況にあっても、主が助けてくださるから大丈夫との信
仰に生きることができるようになったのです。これが、パウロがティラノの
講堂で大胆に語り、人々が聞いた「神の国のこと(使徒19:8)」。「信仰者が生
きる道」でしょう。聖霊の力によって、わたしたちの心には、生きる勇気が、
希望が、十字架と復活に示された神の愛によって注がれているのです。
洗礼によって救われた人はこの神の御手に自分を委ねることによって、暗
い運命に対する恐れから、恐怖からすでに解放されています。希望に生きる
者へと変えられています。洗礼によってこの出来事を体験した者はもはや「魔
術の本」は必要ありません。こうして主の御言葉はますます勢いよく広まり、
力を増していきました。
これよりわたしたちは聖餐を祝います。主キリストの十字架による罪の赦
しの出来事が本当のことであることを心に刻むために、主のパンを食します。
また、主が復活された、その力がこの身に働き、わたしたちが主イエスの枝
に接ぎ木され、本当の希望の内に生かされている。聖餐とはその見えない事
実を忘れてしまいがちな信仰の薄い私たちのために、救いの出来事をこの目
で見て、確信するために主が制定してくださった食事です。信じない者が食
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しても、また悔い改めの心がないものが食しても、何の意味もない食事です。
今が「悔い改める」ときです。祈りの内に自らの罪を主に告白し、主によ
ってまことに砕かれた心で、ひとつとなって共に聖餐に与りましょう。主に
癒やしを求める「心貧しい人は幸いです。天の国はその人たちのもの(マタイ
5:3)」だからです。祈りましょう。
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