ルカ15 - 渋谷バプテスト教会

<父なる神の愛>
I.
ルカ 15:11-24(6 月 14 日)
序
皆さん、今日、徒歩・歩いていらっしゃった方々は渋谷駅から歩道橋に昇っ
たり、下がったりして、それから、両側に桜の並みがある急な坂道を昇ってい
らっしゃって疲れたでしょう。
これからの桜丘地区、再開発の計画によれば、渋谷駅前の東急プラザ 3 階位
の高さから山手線路にそって、のぼりくだり、しなくて、たいらな道を徒歩で、
この付近まで平地を歩いていらっしゃる事が出来るように、東京都市計画が出
来ています。
これからこの渋谷バプテスト教会堂は、だんだん祝福されるようになってい
ます。
さて、大体、大人になってからクリスチャンになった方たちは、聖書の物語
についてよく知らないと思います。
しかし、新しいクリスチャンになった方には、聖書の物語を知るのが大事な
事です。なぜならば、聖書の物語は私達の信仰の土台であり、神様はその聖書
の物語を通して私達に真理を教えて下さいます。
今日の聖書物語りは、和智一郎兄弟が好きだった「放蕩息子」の物語ですが、
ルカによる福音書 15 章に出ています。ルカによる福音書の著者であるルカは医
者でした。
ルカは使徒パウロの伝道旅行にも共にした主治医(しゅじい)でした。使徒
パウロが自分の目の病気のため三回、深く祈った時、
「神の恵みはあなたに十分
である」とおっしゃって癒されなかったのです。
代わりに、医者のルカをお与えになったのです。
1
四(し)福音書の中で「ルカによる福音書」だけ出ていて、不朽(ふきゅう)
の名作である放蕩息子の物語りを通して父なる神様の御心をご一緒に学びまし
ょう。今日は、この放蕩息子の前半を 3 つに分けてみました。
第一番目は「錯覚の人生」、第 2 番目は「悟りの人生」、第 3 番目は「回復の
人生」として。
先ほど、司会者がお読みになりました放蕩息子の物語りをもう一度考えて見
ましょう。
★ある村で金持ちの父の下に二人の息子がいました。何一つ不自由なく、暮
らしていたのに、家にいるのが、つまらなくなった次男は、どこか遠くに行っ
たら、楽しい事があるのではないかと思いました。
ある時、次男が「お父さん、私が頂く事になっている財産の分け前を下さい。」
と言いました。
父親が生きているのに、遺産を分け与えて下さいと言う事は、普通の家庭で
は、とんでもない話です。
でも、あまりにも一生懸命に、頼むので、父親はとうとう次男、つまり「弟
の息子」が相続(そうぞく)する財産を分けて与えました。
「弟の息子」は、すぐに荷物をまとめて、遠い国に旅立ちました。そして、
自分がもらった財産を好き放題に使い果たしてしまったのです。
その後、その地方にひどい飢饉(ききん)が起こって国中で食べ物が足りな
くなり、
「弟の息子」は、ご飯も食べられないほど貧乏(びんぼう)になってし
まいました。
2
仕事が与えられないから、皆も嫌がる豚の世話をする仕事をしたが、豚が食
べている餌(さえ)
・いなご豆も羨(うらや)ましく思うほどになってしまいま
した。
人生のどん底へ落ち込んでから彼は、初めてお父さんの事を「はっと」気付
きました。
弟はこういう思いました。ああ、家を飛び出し、父上(ちちうえ)に別れて、
もう、どれ位、経ったのだろう。何という落ちぶれようだ。
父上から分けて頂いたお金がたくさんあったのに、ついに、おれは勝手に遊
びに来て、その財産を食い潰(つぶ)してしまった。
あの汚(きたな)い豚の番人に雇われて、なんとか飢え死は免れたが、豚の
餌・いなご豆でも、腹いっぱい、食べて見たい。
こんな私に誰も恵んでくれる者は、いないか。ああ、お腹がすいた。
本文の 11 節~16 節までを「錯覚の人生」と名付けたいのです。人生は誰でも錯
覚するのです。特に現代は、お金さえあれば幸せになると思いやすいのです。
「弟の息子」は、それで、お父さんから遺産をもらって外国に行ってしまった
のです。お金さえあれは、幸せになると思ったのが錯覚です。世の中で、お金
さえあれば幸せになると思っても、決してそうではないでしょう。
お金があれば高いベッドを買う事は出来るけど、くっすり寝るねむりは買え
なくて、お金がいっぱいあれば、高くてすごいごちそうは出来るが、食欲まで
は買えないでしょう。
ある人は名誉があれば、ある人は自尊心に、命をかける人もいます。
今日、本当に敬愛した和智一郎兄が天に召され、一年目になりますね。
3
人柄がよかった和智一郎兄は 1940 年 5 月 27 日に生まれ、高校時代、英語先
生の校長先生に出会って英語が誉められたら、全国高校英語弁論大会で連続 3
回、優勝し、ICU 大学に優秀な成績で入学し、
アメリカ兵士にもよく声をかけ、生きている英語がお上手だった彼は 30 代、
会社を設立し、ビジネスマンとして、日本とアメリカを忙しく行ったり来たり
しました。
成功的な人生のように見えた彼にも価値観が変わる時期が近づいてきました。
40 代の後半から、先祖から強い信仰を受け継いで来た奥様の影響で信仰生活を
始まる前までは「錯覚の人生」かも知れませんでした。
私達もイエス・キリストを信じる前までは、「錯覚の人生」と言えるのです。
神様!そうでしょう。イエス様!そうでしょう。私の中に宿っている聖霊様!
そうでしょう。
イエス様を信じるまで、人格的に会うまでは、どういう人生でも「錯覚の人
生」と言ってもいいのではないでしょうか。
放蕩息子の引き続きですが、
「弟の息子」は豚の食べるいなご豆を食べて、は
らを満たしたかったが、食べ物をくれる人は、誰もいなかったのです。
第 2 番目は、本文 17 節~19 節までを「悟りの人生」として名付けたいのです。
今日の肝心な所、17 節です。
新共同訳と新改訳では「そこで、彼は我に返って」、英語では「he came to his
sense」あるいは「he return to himself」、口語訳では「そこで彼は本心で立ち
返って」と訳されています。
本心で立ち返ったのですが、その悔い改めの心には、「神の国」が与えられ、
「聖霊様が与えられる」のです。
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悟った「弟の息子」は、「父のところでは、あんなに大勢の雇い人(にん)に、
有り余るほどパンがあるのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
ここを立ち、父の所に行って言おう。
「お父さん、私は天に対しても、またお
父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。
雇い人の一人にして下さい。」と、
「弟の息子」は、お父さんに心から謝って、
雇い人として働かせてもらおうと決心したのです。
先週、以下のメールを頂いて主に感謝し、喜んだのです。
‘‘林牧師先生のメッセージは、どうか、イエス様を中心に
お話下さいますよう、そして、私たちが感謝して捧げる
礼拝が、イエス様に喜ばれるものでありますよう、
ご聖霊様の知恵あるお導きと激励をお願いして祈り
つつこのメールをしております。‘‘
(少し飛ばして)
一郎兄が救われたこと、信じて神様に感謝して従った
ことを、私も家族も心から感謝しておりますし、
どうか、一人子、イエス様を私たちの救いのために送って下さった
父なる神様、十字架の上で私たちの罪のために
死に、三日後に復活されて全能の神様の右手に
座っておられる救い主イエス・キリスト様、そして
イエス様が私たちのためにお約束されたとおりに
私たちに与えられたご聖霊様に喜ばれる礼拝と
なりますように、神様の御旨とご計画に感謝する礼拝でありますように
お願い申し上げます。
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このメールの信仰者と私の信仰とこんなぴったり合う事を主に感謝いたしま
した。
説教と言うのは、モーセが素晴らしくイスラエルの民を出エジプトさせても、
そのモーセのリーダーシップだけ語ったり、ヨセフが牢屋で苦労しながらも、
不平・不満を言わなかったその素晴らしい人柄だけ語ったりしたら、水平的な
説教と言われるのです。
ヤーウェ神様がモーセを用いた、主が働いたと、三位一体の神様を賛美する
説教は、垂直的な説教と言われます。私は、いつも垂直的な説教になろうと、
努力しております。
特に、先ほどのメールの中で、
一人子、イエス様を私たちの救いのために送って下さった父なる神様、十字架
の上で私たちの罪のために死に、三日後に復活されて全能の神様の右手に座っ
ておられる救い主イエス・キリスト様、
という所では、私が日本語で歌詞を付けたヨハネによる福音書 3 章 16 節を歌
いたくなりました。
<かみさま、この世~、あい~してく~ださって、ひとり子、あたえて、誰で
も、イエス信じれば、ほろびな~い~で、えい~えんのいのち、えい~えんの
いのち!!!>
和智一郎兄弟の人生にも、いよいよ、夫人の和智綏子代表執事に影響を与え
られ、40 代後半から代わり、1990 年 5 月 27 日ぴったり 50 歳の時、十字架の
贖いのイエス・キリストを信じ、
アメリカの Paradise
Hill
Baptist
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Church で、神様の御旨によって
天国の民として、再び生まれました。その姿を傍で、見ながら、その影響と感
動を受けた長女の友子姉妹もバプテスマを受け、先週アメリカからいらっしゃ
って共に礼拝を捧げています。
第 3 番目としては、20 節~24 節までで「回復の人生」と名付けたいのです。
一方、父親は、家を出た「弟の息子」の事を毎日心配していました。
今日、来るか、明日戻るか。その日も、いつものように遠く眺めていた父親は、
向こうから、かすかな人影(ひとかげ)に目をとどめて遠くのほうから、とぼ
とぼ歩いて来る「弟の息子」を見つけました。
ぼろぼろの服を着て、裸足(はだし)で歩いて来るのは、たしかに「弟の息
子」の姿に間違いありません。
「ああ、あの子だ!」父親は家を飛び出して、両手を広げて走りだしました。
そして痩せこけた「弟の息子」をたき締めて口づけしました。
お父さんは「おお、お前は私の息子ではないか!」
しかし、
「弟の息子」は、お父さん!ぼくは…、ぼくは…、神様にも父上(ちち
うえ)にも悪い事をしちゃった。
もう、父上の子供と呼ばれる資格もありません。
お父さんは、何と言うのだ。とんでもない事だ。お前は私の大切な、大切な息
子じゃないか。私は、お前が帰って来てくれたので、嬉しいのだ。
おおーい。誰か、いないか。今日は、これからお祝いの宴会だ。最上(さい
じょう)の着物を出して、この子に着せなさい。指輪をはめて、履物も、はか
せなさい。
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そして、太った子牛を屠ってお祝いの、ごちそうを作りなさい。わが息子は
死んでいた者なのに、生き返ったのだ。これほど嬉しい事は二度もいないぞ。
家中で喜びお祝いをするのだ。
そして息子の肩を抱きしめながら中へ連れて行きました。
お父さんは、
「さあ、我が子よ、早く家に入りなさい」
III.
1.
纏め
この物語の主題は、「放蕩息子」より背いた子供を迎えた父のお話です。
この例え話は、ご自分に背いて出て行ったわがままな「弟の息子」を変わらぬ
愛をもって迎えた父親の話です。
この話の父親は、天のお父様であり、家を出て行った「弟の息子」は、神様
から離れ、自分勝手に生きている私達を表しています。
父親は自分の子供が戻るまで毎日、毎日、指折りで待ち続けます。神様は、
息子の帰りを待っていた父親のように、背いた私達が御元へ戻る日をいつまで
も、喜んで待ち続けておられます。
「弟の息子」は反抗で、自己中心の故に親の懐を去って行ったのです。その結
果、彼は最悪の事態を経験しました。多くの場合、イエス様を唯一の救い主と
して頼らせるために、弟の息子のように大きな失敗や悲劇の体験する時もあり
ます。
2.
資格の喪失(そうしつ)者が、この父によって資格をもう一度回復しました。
「弟の息子」が「私はもう息子と呼ばれる資格はありません」と謝る時、その
言葉をさえ、さえぎって、
「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっ
ていたのに見つかったからだ」と、あくまでも家族の一員として受け入れ、彼
の罪を赦して下さったのです。
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「資格の喪失者が、この父によって資格をもう一度回復する事ができた」と言
う譬え話です。
イエス・キリストを出会った和智一郎兄は 40 代後半から 74 才、つまり 2014
年 6 月 12 日まで、様々な人々に、ウエストンのスタイルで声をかけ、福音を宣
べ伝えました。
2004 年 2 月には、渋谷国際朝祷会を発足し、その後、独立の建物で、献堂式
を行なった渋谷バプテスト教会にも、決定的な土台の役割をしました。
ルカによる福音書 16 章に出ている、アブラハムの懐に抱かれたラザロのよう
に、今の和智兄は、アブラハムの懐に抱かれている姿を私達が信仰の目で見る
事が出来るでしょう。
今も神は私達がイエス・キリストを信じて御元へ戻るのを忍耐強く待ってお
られます。
お祈り致しましょう。
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