現代日本社会における宗教状況

現代日本社会における宗教状況
j
畢井義次
はじめに
現代の日本人は宗教あるいは信仰にたいして,あまり関心がないと言われることが
ある。今日,新聞社などのいろいろな機関が現代人の意識調査を行い,その調査結果
を発表しているが,たとえば,統計数理研究所国民性調査委員会の調査結果によれば,
宗教を信仰している人は,全体の約 30%に当たる;)この数値は,たしかに欧米に比べ
ると,かなり低い。しかし同時に,全体の約 70%もの人びとが,宗教心は大切で、ある
と答えている。また,文化庁が毎年,出版している『宗教年鑑』において記されてい
る各宗派の信者数を合計してみると,
日本の人口総数をはるかに超えてしまれそれ
は,たとえば、,同じ人が神社の氏子であると同時に,寺院の檀家でもある,さらには,
新宗教の信者でもあったりするからである。こうしたことは, 日本人の宗教のあり方
を理解するうえで,たいへん興味深いテ、、ータである。こうした数字のなかに,欧米に
おける宗教のあり方とはちがった,
日本人の宗教の特徴が暗示されているように思わ
れる。このデータは,宗教学的なパースペクティヴからみれば,
日本人が宗教あるい
は信仰にたいしてあまり関心がないとは一概に言い切れないことを示している。こう
したデータをみるだけでも,現代日本における宗教状況を適確に把握するためには,
より掘り下げた研究が必要で、あることが分かる。
現代日本社会において,天理教の伝道を考えるうえでは,現代日本の宗教状況,お
よび、日本人の宗教的な志向性について認識しておく必要がある。こうした問題意識か
ら,このエッセーにおいては,
日本の宗教に関する諸々の研究成果を踏まえて,現代
日本社会における宗教状況とその特徴を考察し,現代日本における人ぴとの宗教ある
いは信仰への関わりかたを分析的に叙述しようと思う。
日本人の生活空間における民間信仰
日本の社会的および文化的なコンテクストにおいては,いわゆる「宗教」とか「信
仰」というばあい,教祖や教義あるいは教団組織をもっている特定の宗教を指し示す
こともあれば,とくに宗教と自覚的に意識されることなしいわば生活習慣として受
け入れられているものを指し示すこともある。したがって,
「宗教」あるいは「信仰」
をどのように規定するのか,あるいは, どのレベルで「宗教」あるいは,{言仰」を捉
えるのかによって,宗教にたいする認識もおのずと異なってくる。
- 22-
西洋におけるキリスト教の一神教的なイメージでもって, 日本人の「宗教」とか「信
仰」をそのまま捉えようとすると,
日本人の多くは「宗教」とか「イ言仰」をもってい
ないということになるであろう。現代の日本社会には,家や地域社会などの生活のな
かにあらわれる生活慣習,すなわち,俗信,年中行事,通過儀礼などの具体的な宗教
あるいは信仰がある。たとえば, 日本人は宮参りには神社へ行き,結婚式はキリスト
教の教会で挙げ,葬式は仏教で行なうというぐあいに,宗教をいわば通過儀礼のよう
にその都度選んで、いる。こうした宗教との関わりかたは,西洋の一神教的な視点から
みれば,ほんとうの宗教あるいは信仰のあり方ではない, ということになる。しかし,
これが日本人の宗教あるいは信仰のあり方の具体的な現象である。宗教のなかでも,
とりわけ,それぞれの地域社会における祭りや年中行事や俗信などのように,生活習
慣になっている宗教は「民間信仰 J (堀一郎)とか「庶民信仰 J (楠正弘)あるいは「民
俗宗教J (宮家準)などとよばれている。それは慣行であって宗教あるいは信仰では
ないと言われるほど,人ぴとの日常生活のなかに根強く浸透している。したがって,
これが「宗教」であるとして取りだすことができない,あるいは,取りだすことはき
わめて難しい。その意味において,それは,いわばトーマス・ルックマンのいう「見
えない宗教 J
) に似ている。
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(
民間信仰について,宗教民俗学者の堀一郎はつぎのように言っている。,-民間信仰
はきわめて幅のひろい,整理しがたい雑多な系統の現象群 をその内容としてもつも
の」であり,
「その主流は自然宗教であり,かつ呪術宗教的要素が多い」。さらに,
「現代の日本においても,なお多数の人々が,その社会的,家庭的,個人的生活の上
で、また生産や労働活動の上で,意識的にせよ無意識的にせよ,こうした信仰や儀礼
や,それらにまつわるタブーや呪術を必要としている事実は,おろそかに見すごすこ
とはできないと思われるのである」とも述べている。わが国の宗教史においては,い
かなる成立宗教も,こうした民間信仰あるいは庶民信仰の諸要素と絶えず密接な連関
をもち続けてきた。たとえば,わが国に仏教が定着した背景には,古来からの民間信
仰との習合が重要な契機となっていることはよく知られている。
現代日本においては,そうした生活習慣になっている民間信仰を「宗教」あるいは
「イ言仰」として把握するか,それとも,ただ単なる生活習慣として捉えるかどうかは,
こんにち,周知のごとしいろいろと論議されている問題の ひとつであるが,われわ
れ現代日本人がそうした生活空間のなかに生きていることは,たしかな事実である。
現代日本人の意識調査において,特定の宗教を信仰していると答える人ぴとの割合が
きわめて少ないものの,全体の約 70%もの人びとが,宗教心は大切で、あると考えてい
, という現代日本人のこうした宗教意識は,われわれ日本人がふだん民間信仰的な
る
生活習慣の枠組のなかで生きていながら,それを宗教あるいは信仰として意識しない
- 23-
で生きているという日本社会 における宗教現象のもってい る特徴の一端を映しだして
いると思われる。
「宗教ブーム」とマスコミ
現代の日本社会は,いわゆる「宗教フ、、ーム」といわれている。とくに過去 1
0
年ぐら
いまえから,マスコミはしきりに宗教, とりわけ新新宗教とか,オカルトや超能力そ
れに占いなどの現象を取り上げている。やたらと「宗教フ、、ーム」というコトパがよく
使われ,超常現象や霊能現象 などに関する番組がテレビな どのマスコミで数多く放送
されている。こうした現象の背景には,
識D
. (日本放送出版協会,
NHK放送世論調査所編「日本人の 宗教意
1
9
8
4
年)が,宗教あるいは信仰を もっている人ぴとの割合
が1
9
7
3
年を境として,それまでの減少傾向から増加傾向へと転じ,
「神仏信心への回
帰現象」がみられると解釈し た。さらに,こうした NHKの調査結果の分析解釈に
追随して,多くの論者が「宗教回帰」を説いた,
ということがある。森岡清美(成城
大学教授)も指摘しているよ うに,現代日本社会を「宗教 回帰」の時代としてみる流
れをつくるうえで,
NHK放送世論調査所が果たした役割は大きい。つまり,現在,
マスコミでしきりに言われて いる「宗教ブーム」は,現代 を「宗教回帰」の時代と捉
える,こうした解釈とその評論に根ざしていると考えられる。近ごろでは,あまり「宗
教回帰」という表現は使われなくなっているが,
「宗教ブーム」というコトパは依然
としてよく耳にする。
NHKの前述した調査結果とはちがって, 1
9
8
8年の NHK7ンケート調査結果によ
れば,すべての質問事項にわたって,すこし減少あるいは横ぱいの傾向がみられる。
また,統計数理研究所の調査結果によれば,「宗教心は大切」と答えている人のパー
セントは 1
9
8
3
年以降は下がっているし,「宗教を信じている」のパーセントも 1
9
7
8
年
からは次第に減少傾向にある 。こうした調査結果だけで判 断すると,いわゆる「宗教
回帰」あるいは「宗教ブーム 」にもかげりがみられると解 釈することもできるかもし
れない。しかし,アンケート調査結果の数字が少し増加傾向へと転じた,すなわち,
わずか数パーセントだ‘け上がったからといって,そうした結果からすぐに「宗教回帰」
がみられると解釈したり,あ るいは逆に,数値が数パーセ ント下がったので,それは
「宗教衰退」の動きを示していると解釈したりするのは,少し短絡的なようにも思わ
れる。
こんにち,「宗教ブーム」といわれるなかで,ジャーナリズムは新宗教やオカルト
や超能力それに占いなどの宗 教的な現象をほとんど覗き趣 味的に,あるいは部撤的に
取り上げている傾向が強い。 新宗教あるいは新新宗教にた いしてばかりでなく,宗教
それ自体にたいしても,ネヌゲティヴな,批判的な価値判断をしている雑誌記事あるい
- 24-
はテレビ番組がその主流を占めている。たとえば,いくつかの雑誌やテレビ番組では,
芸能人がある新宗教に入信したことをまったく批判的に取り上げたり,テレビ番組に
霊能者を出演させてコメン卜したり,あるいは,新新宗教の教祖を興味本位に紹介す
るというぐあいに,数えあげれば限りがないほどである。しかし同時に,新宗教など
の宗教を事実に即して取り上げようとするものも,少しずつではあるが,出てきてい
る
。
今日のこうした「宗教ブーム」は,井上順孝(国学院大学教授)によれば,いわゆ
る「宗教」情報ブーム」として捉えるべきものであるという。それは,宗教が人びとの
心をとらえ,宗教に関心を抱いている人びとが増加していることを示す現象ではなし
テレビや雑誌などのマスコミが新宗教を興味本位に取り上げて,人びとに宗教に関す
る話題を提供している現象なのである, と分析している。つまり,宗教に関すること
がらがただ単に情報レベルで話題になっているにすぎないというのである。
神秘的・宗教的なものにたいする関心の高まり
そうはいっても,実際,現代日本人のあいだに,
とりわけ,若者たちのあいだで,
実際に神秘的なもの,宗教的なものにたいする関心が高まっている。その意味におい
ては,
「宗教ブーム」と言うことができるかもしれない。
ここに,国学院大学日本文化研究所が行なったたいへん興味深いアンケート調査結
果がある。それによれば,若者たちは, とくに超能力を扱ったテレビ番組や占いに強
い関心を抱いている。若者たちがもっとも関心を抱いているのは,雑誌に掲載されて
宗
いる「占い」で,全体の 55.5%に当たる。その内訳は,大学生については, 53.2% (
教系大学)と 58.9% (非宗教系大学),中高生についてみれば, 49.2% (宗教系中高)
と56.7% (非宗教系中高)という結果になる。その次にもっとも関心をもっているの
は
,
「友人がする霊やたたりの話」である。それは全体の 49.7%になる。詳しくみれ
1
.0% (非宗教系大学)であり,中高生は 4
8
.
0
ば,大学生が48.8% (宗教系大学)と 5
%(宗教系中高)と 4
1
.2% (非宗教系中高)である。また,
体の 34.8%であり,
「家族の言い伝え」が全
「超能力に関するテレビ番組」が3
1
.1%になっている。この超能
力番組に関するアンケートの結果を詳しくみれば,大学生は 30.3% (宗教系大学)と
32.3% (非宗教系大学)となり,中高生は 30.3% (宗教系中高)と 31
.3% (非宗教系
中高)という結果になる。さらに,
1
.9%が
「珍しい宗教の番組」になると,全体の 2
関心をもっていると答えている。この内訳をみれば,大学生は 25.3% (宗教系大学)
と16.9% (非宗教系大学)であり,中高生は 23.2% (宗教系中高)と 2
1
.6% (非宗教
系中高)となる。
このデータによって明らかになるのは,
「占いや超能力 J,あるいは「友人のする霊
- 25-
やたたりの話」には,宗教系学校の学生であれ非宗教系学校の学生であれ,若者たち
は共通して関心をもっているということである。現在,超能力を扱ったテレビ番組が
高い視聴率を獲得しているという事実と併せて,このデータを読むと,若者たちばか
りでなく日本社会全体が,神秘的・宗教的なものにたいへん興味をもっていることが
分かる。この神秘的・宗教的なものは,
日本社会の基層に存在していて,生活習慣と
して日本人の生の営みを支えてきた民間信仰あるいは庶民信仰を特徴づけているもの
である。いっぽう,
「珍しい宗教の番組」に関するアンケートの結果が示しているよ
うに,それが特定の宗教を扱ったものとなると,非宗教系学校の学生の関心は,宗教
系学校の学生のそれに比べると,すこし低くなっている。この結果は,宗教系の学校
に通う若者たちが宗教教育を受けているので,宗教というものに親しみをもっている。
逆にいえば,宗教教育を受けていない若者たちの多くが,神秘的なものとか宗教的な
ものそれ自体には関心をもっているものの,それが特定の宗教となると,あまり関心
を示きなくなる, ということを示唆している。それは,宗教的なものに関心をもって
いる反面,マスコミが新宗教あるいは新新宗教を部撒的あるいは批判的に報道してい
るということもあるのか,宗教あるいは教団にたいする強い拒絶感のようなものが社
会全体に広がっていることを示しているのかもしれない。
若者たちのあいだで,オカルトや超能力や占いなどの神秘的なもの,宗教的なもの
にたいする関心が高いという現象は,井上順孝によれば,
「神秘主義への関心など,
ある意味では形を変えた科学的関心と解釈できる場合もある J,すなわち,
「ひょっと
したら現在の科学的常識を超える何かがあるんじゃないか といった期待が J r
形の上
では UFOの研究になったりオカルト・ブームになったりするのではないか」と捉え
ることができる。この興味深い解釈は,森岡清美によれば,
解釈より説得的である」。さらに,森岡は言う。
「宗教意識にひきつける
r
霊魂,虫の知らせなど,さらに占い
にかんする意識と行動にしても,少なくとも若者については,宗教的関心の文脈より
は科学的関心の文脈において理解できないだろうか」と。
オカルトや超能力や占いなどの神秘的・宗教的なものにた いする関心の高まりを
「宗教的関心」のコンテクストに引きつけて把捉するのか,それとも「科学的関心」
のコンテクストに引きつけて把握するのかは,現代日本人の宗教をどのように解釈す
るのかという根本問題との関連において,意見の分かれるところであろう。神秘的・
宗教的なものにたいする関心の高まりが,
「形を変えた科学的関心」あるいは「現在
の科学的常識を超える何かがあるんじゃないかといった期待」のあらわれであるとい
う考え方は,たしかに,たいへん説得力をもっている。実際,近代合理主義にもとづ
いた教育を受けてきた現代日本人には,井上のいうような「科学的関心」が存在して
いるであろう。ただし,神秘的あるいは宗教的なものにたいする関心の高まりは,そ
- 2
6
うした「形を変えた科学的関心」の要素とともに, 日本宗教史の展開において,
日本
人の宗教意識の基層に絶えず在って,現代日本社会においても,いわば生活習慣とし
て存続している伝統的な民間信仰にみられる宗教的な志向性とも通底しているように
思われる。
もっとも,若者たちが神秘的なもの,宗教的なものに「関心」をもっているとはい
っても,若者たちがどの程度,真剣に占いや超能力を信じているかどうかを理解する
ことは容易で、はない。たとえば,占いや超能力あるいは霊能現象について,単なる娯
楽ぐらいの気持ちで関心をもっている者も多いであろう。しかし,少なくとも言える
ことは,かなりの若者たちが宗教的なるものを信じているということ。また,かれら
の宗教的な信仰あるいは信念を保っていくのに,テレビや雑誌などのマスコミが大き
な影響力をもっているということである。その反面,マスコミが新宗教とか新新宗教
をネ庁、ティヴに報道していることもあってか,宗教あるいは教団にたいして拒絶感の
ようなものが広がっているが,そういう点でも,マスコミが社会に与える影響力がき
わめて大きいことが分かる。
個人主義的な志向性と宗教の私化
現代日本社会において,宗教の形態は多岐多様になってきており,人びとの宗教と
の関わりかたもますます私イじする傾向にある。現代の宗教意識の特徴のひとつとして,
人ぴとが特定の教団に帰属することを避けながらも,神秘的なもの,宗教的なものを
求めているという個人主義的な志向性がみられる。この点については,自立した個人
の意識変容を強調する宗教的な運動,すなわち,島薗進(東京大学教授)のいわゆる
「新霊性運動」にも顕著にみられる。その運動は,個々人の考えかたや態度の深い部
分に根ざしているものであり,個人の自律性を重んじ,集団による拘束を否定的に捉
えるという特徴をもっている。この宗教的な運動の重要なシンボリックな空間は,都
市部における大きな書屈に,宗教書のコーナーに隣接して 「精神世界(の本)J のコ
ーナーが設けられていることである。この運動において,きわめて大きな役割を果た
しているのは,マス・メディアとともに,学校(大学,専門学校)や教養講座やセミ
ナーなどの現代的な社会組織や制度である。この運動は「自らは宗教的信仰の運動で
はない,霊性の重要性を認識した科学の新しい形態なのだ」と主張する。この「新霊
性運動」は,新宗教の動向と呪術・宗教的大衆文化の興隆という要素とともに,近年
のいわゆる「宗教ブーム」とよばれている現象の要素にもなっている。
また,人ぴとの教団との関わりかたについても,特定の教団に帰属するばあい,た
いていの人は自発的に宗教に入る,あるいは,人によっては,宗教を渡り歩きしてい
るばあいもみられる。こうしたことを取り上げても,個人主義的な自発性の傾向が顕
- 27-
著である。こうした傾向は,たとえば,
『世界青年意識調査(第四回 )報告書世界
の青年との比較からみた日本の青年.1] (総務庁青少年対策本部, 1
9
8
9年)によれば,
日本の青年のばあい,全体の 46.6%の青年が「自分の好きなように暮らす」と考えて
おり,個人主義的な志向性がたいへん強いことと密接に連関している。
日本社会においては,
とくに 1
9
4
5年以降,都市部では宗教あるいは信仰は,きわめ
て個人的なものとして受けとられてきたが,このような傾向は,村落共同体を基盤と
する従来の伝統宗教のあり方 とは明らかにちがっている。 その背景には,まず都市化
・過疎化による社会の変化がある。わが国における人口の都市集中化は, 1
9
6
0年代の
高度経済成長期以後に大規模 に生起した。この社会の変化 によって,宗教の視点から
みれば,いわゆる伝統宗教に 帰属しない人びとの増加を引 き起こした。かつて,寺院
も神社も地域社会すなわち村 落共同体における「家」を基 盤としていたが,都市部へ
転入した多くの人びとは,郷 里との人間関係が疎遠になる とともに,郷里での自分た
ちの家族が保持してきた従来の寺檀関係や神社との氏子関係などから次第に切り離さ
れ,村落共同体を基盤とする 伝統宗教の枠外に位置するこ とになった。これらの人び
とは,藤井正雄(大正大学教授)のいういわゆる「宗教浮動人口」になったのである。
いっぽう,都市化にともなう 農山村の過疎化は,村落共同 体における宗教にも深刻な
影響を及ぽした。地域社会に おける寺院では,檀家の数が 減少し,また,神社の氏子
の数が減少して,寺院や神社 を維持していくことが難しく なった。その結果,無住寺
院も多くなったり,祭りや年 中行事が簡素化されたり行な われなくなったりしたとこ
ろも多い。このような社会の変化は,伝統的ないわゆる「家」の崩壊とも深く連関し
ている。
こうした社会の変化あるいは 宗教状況の変化にともない, 伝統的な成立宗教はその
影響力を次第に弱めてきた。 伝統的な仏教といえば,すぐ に「葬式仏教」というイメ
ージでもって語られるぐらいに,仏教の諸宗派の信仰がますます形式的なものとなっ
てきた。檀家の信徒が寺院の僧侶と関わるのは,お彼岸やお盆などの時期に限定され,
人ぴとの仏教信仰への宗教意識はますます希薄なものとなってきた。同様の傾向は,
神社との人びとの関わりにつ いてもみられる。現代日本社 会の変化は人びとのいわば
寺離れあるいは神社離れという宗教状況の変化を引き起こしたと言えるであろう。と
くに都市部では,人びとは地域社会にみられる伝統的な慣習や人間関係から自由に生
活することができるので,宗 教あるいは信仰を個人的な自 発性にもとづいてもつ人び
とが多くなった。しかし,宗教状況がこのように変化したからといって,
日本人がす
べて個人主義的な志向をして いるかといえば,もちろん, 決してそうではない。伝統
的な諸宗教は,現代のこうした宗教状況の変化にともない,いろいろと対応しようと
している。
一 2
8一
社会学者による新宗教の動向分析
宗教状況の変化にともない,多くの人びとにとって大きな精神的な支えとなって,
教勢を伸ばしてきたのが,いわゆる「新宗教」とよばれる宗教である。新宗教におい
9
4
5
ては,救けあるいは癒し,その他の神秘的な体験が重要な役割を果たしている。 1
年以後,いわゆる新宗教とよばれる多くの宗教は, 1
9
7
0年ごろまでめざましく教勢を
9
7
0
年代以降は,ほとんどの新宗教の教勢が伸ぴなくなり,減少
伸ばした。しかし, 1
9
7
0年以降, とりわけ,新新宗教とよ
傾向をみせるようになった。それにたいして, 1
ばれる宗教のなかには,人びとのもっている宗教的な志向性とか個人の意識変容や霊
性の開化にたいする人びとの関心をうまく引きつけて,急速に教勢を伸ばしてきてい
るものがみられる。
新宗教あるいは新新宗教のこのような展開について,新宗教の研究者の多くは,社
会の変動期において,宗教が発生したり伸ぴたりするという社会学的パースペクティ
ヴーでもって説明している。ここでは,その代表的な理論として,新宗教に関する最近
の研究書や研究論文において,再三よく引用される社会学者の西山茂(東洋大学教
授)の新宗教の動向分析を紹介しておこう。それによれば,まず戦後復興期にみられ
た新宗教の伸びは,基本的に戦後の経済的窮乏とアノミー的な社会状況を背景として
いた。それは,当時の人ぴとの深刻な悩みとその現世利益的な解決願望を反映したも
のであった。つぎに高度経済成長期においては,人びとの生活も次第に落ち着いたこ
ともあり,それを反映して,人びとが宗教に求めるものも「呪術的・実利的なもの」
から「精神的・生き甲斐模索的なもの」へと少しずつ変化していった。その時期は,
まさに「近代イじ」が国民的な目標とされ,近代合理主義の価値観が支配的であったが,
この時期に,新宗教の多くは多少とも洗練された教義と儀礼の整備へと「脱神秘的あ
9
7
0
年代以降は,近代化のマイナ
るいは脱呪術的な『合理化.JJJをはかった。しかし, 1
ス面が認識され,非合理的なものの価値が見直されるようになると,ほとんどの新宗
教の教勢が伸びなくなり,減少傾向をみせるようになった。つまり,表面的なスマー
トさとは裏腹に,以前の旺盛なエネルギーを失い,教勢が次第に停滞していった, と
いうのである。
近年のいわゆる「宗教ブーム」あるいは「宗教回帰」の現象,または,新新宗教の
教勢の伸びについては,社会変動との関連において宗教の発生や伸びを捉える従来の
社会学理論は当てはまらないように思われる。近年には,戦後復興期にみられたよう
な社会変動が生起したわけではないからである。こうした宗教現象について,西山茂
9
7
0
年代以降の日本の宗教状況の変化を「非合理の復権」現象として分析している。
は1
1
9
7
0
年代以降に「神秘・呪術フ、ーム」が始まり,また,この「神秘・呪術ブーム」を
- 29-
受けて,新しい新宗教が急速に発展したり,
「小さな神々」とよばれる現象が生起し
てきたというのである。
たしかに,社会学的な立場からの新宗教の動向分析が示しているように,現代日本
における宗教の動向はそれぞれの社会背景と密接に連関していて,それらの社会背景
を反映しているようにみえる。しかし同時に,社会背景以外の要因との連関も考慮に
入れる必要があるのではなかろうか。たとえば, 1
9
7
0
年代以降の日本における宗教状
況の変化を「非合理の復権」現象として捉える考え方は,その当時の宗教現象を説明
するのに, じつに整合性をもっている解釈である。ところが,少し違った視点からみ
9
7
0年代以降になってはじめて,
れば, 1
「非合理」の現象が起こったというわけで、は
なしむしろ1
9
7
0年代以前にも,新宗教の教勢の伸びが示しているように,長年のあ
いだ, 日本人の多くは絶えず「非合理」的なもの,すなわち,宗教的なものを求め,
それにコミットしていたという現象もあるように思われる。
ともあれ,新宗教の救済観は現実世界への志向性が強く,人びとが日常生活におい
て現実に直面しているいろいろな悩みや苦しみにたいして,救いあるいは癒しをもた
らしてきた。その意味においては,新宗教とよばれる宗教は,われわれ日本人がもっ
ている非合理的あるいは宗教的な志向性に根ざした現実的なニーズ、に応えてきたとい
えるであろう。しかし,前述した意識調査の結果にもみられるように, 日本人全体の
約 70%もの人ぴとが,
「宗教心は大切」であると答えているものの,宗教を実際に信
仰している人は,全体の約 30%にすぎない。この数字は,いろいろに解釈することが
できるが,現代の宗教が必ずしも人ぴとのニーズにじゅうぶん応えることができない
でいることを示している。
「心の時代」における宗教
現代日本社会において,ほとんどの人びとは貧困に悩んでいるのではない。現代の
日本では,何か欲しいと思うものがあれば,だいたい何でも手に入れることができる。
病気についても,医療施設や医療制度が整ってきており,その意味では,ほんとうに
恵まれている。ところが,物質的に恵まれた生活環境に生きている現代日本人が精神
的にも満ち足りた生活をしているかといえば,必ずしもそうではない。人ぴとは従来
にもまして,いろいろな精神的な悩みや苦しみを抱えて暮らしている。たとえば,現
代病ともいわれるストレスなどからくるさまざまな心の病い。これについては,精神
医学や心理学などの専門領域から議論されているように,その原因には,いろいろな
ことが考えられるが,少なくとも身体の病気にはかなり有効な現代医学もそうした心
の病いにはほとんど無力である。また,現代日本人が抱えている悩みは,子どものい
じめや不登校の問題など挙げていけば限りがない。こうした心の病いが現代日本社会
- 3
0一
が抱える大きな問題のひとつにもなっているが,それは,これからは「物の時代」な
のではなく「心の時代」であるとよく言われるところにもあらわれている。若者たち
をはじめ,現代日本人が神秘的なもの,宗教的なもの,あるいは,霊的なものに憧れ
ているのは,
とかく不透明で、流動的な社会状況において,人びとが何かしら心の支え
を求めていることの反映なのかもしれない。
現代日本社会は物質的に豊かにはなったが,人ぴとが抱えている悩みはますます多
様になってきている。現代社会の構造が変化するにつれて,人びとの悩みも,従来の
物質的なものから精神的なものへと変わってきているといわれる。しかし,人ぴとの
悩みの本質は,根本的には,一昔まえと何ら変わっていないのではなかろうか。
2
1
世紀には高齢化社会を迎えようとしている今日,
日本社会は新たな価値の時代に
入ろうとしている。宗教はその新たな価値を社会へ向けて明示することを求められて
いる。われわれ人間存在にとって避けることのできない古くて新しい根本問題一それ
は老い,病気それに死の問題である。今後,こつした問題がこれまで以上に大きな社
会問題となっていくと考えられるなかで,宗教は人ぴとの宗教的な志向性に根ざした
現実のニーズに応えながら,どのように人ぴとを救い,あるいは導いていくのか。こ
れが,現代の日本社会における宗教にとって,将来へ向けてのますます重要な課題と
なってきている。
註
l 統計数理研究所国民性調査委員会編『第 5日本人の国民性』出光書底, 1
9
9
2年
, 88-92頁
参照。
2 堀一郎『民間信仰~ (岩波書底, 1951年),楠正弘『庶民信仰の世界~ (未来社, 1
9
8
4
年),
宮家準「生活のなかの宗教~
(日本放送出版協会, 1
9
8
0年
)
,
同 r宗教民俗学~
(東京大学
9
8
9
) などを参照。
出版会, 1
3 Thomas Luckmann, T
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, •(N
ewYork: Macmillan P
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9
6
7
)
. ト- 7ス・ルッ
S
o
c
i
e
t
y
9
7
6年参照。
クマン(赤池憲昭・ヤン・スインゲドー訳)W見えない宗教』ヨルダン社, 1
4 堀一郎「民間信仰史の諸問題 JW堀一郎著作集第六巻生と死」未来社, 1
9
9
0年
, 269-270
頁。民間信仰の意味とその特質に関する議論については,堀一郎『民間信 1%(7-15頁)
を参照されたい。
5 NHK放送世論調査所編『日本人の宗教意識』日本放送出版協会, 1
9
8
4
年。森岡清美「い
わゆる宗教回帰現象について JW宗務時報~
No
.6
9,
1
9
8
5年
,
1-2頁。また,現代日本に
おける宗教状況,および, 日本人の宗教意識と行動に関する宗教社会学的な考察としては,
井上順孝編『現代日本の宗教社会学~
(世界思想社, 1
9
9
4
年)を参照。
- 31-
6 NHK世論調査部「現代日本人の意識構造』第 3版
, 日本放送出版協会, 1
9
9
1年
。
7
この点については,井上順孝他編~[縮刷版]新宗教事典(本文篇) ~ (弘文堂,
1
9
9
4年)
の「マスコミと新宗教」の項に詳しく論じられている。
8 井上順孝「新宗教の解読』筑摩書房, 1
9
9
2年
, 2
0
8
2
1
0頁
。
9 井 上)
1
頂孝「大学生の宗教意識ー宗教教育に関するアンケート調査の分析からーJ W国学院
2輯
大学日本文化研究所紀要」第 7
1
0
←
1
9
9
3
年
, 4 4
7頁
。
I座談会・宗教回帰?J W真理と創造~
2
4
号,中央学術研究所, 1
9
8
5年
, 1
0頁
。
1
1 森岡清美「いわゆる宗教回帰現象について J W宗務時報~
No
.6
9,1
9
8
5年
, 7-8頁
。
1
2 島薗進『現代救済宗教諭』青弓社, 1
9
9
2年参照。
1
3 ?スコミでは, 1
9
8
8年ごろから頻繁に「自己啓発セミナー」や「人格改造セミナー」など
の,いわゆるく自分を変えるセミナー〉が報道されるようになったが,芳賀学・弓山達也
「祈る・ふれあう・感じる一自分探しのオデッセー~
(
1PC, 1
9
9
4年)は,こうしたさ
まざまなセミナーの特徴を分析している。
1
4 藤井正雄『現代人の信仰構造ー宗教浮動人口の行動と思想』評論社, 1
9
7
4年参照。
1
5 西山茂「戦後新宗教の変容と新新宗教の台頭 J
W宗務時報~
(
N
o
.7
3,1
9
8
6年),同「第四次
現代のエスプ )
1~ (
N
o
.
2
9
2,至文堂, 1
9
9
1年),同「新宗教の展開」
新宗教ブームの背景 J W
(井上順孝他編
W
[
縮刷版]新宗教事典(本文篇)~)を参照。
〈イ寸記〉
このエッセーは,第
4回 伝 道 研 究 会 (
1
9
9
4
年 6月3
0日)における発表原稿に
加筆・修正したものである。
-3
2一