第 2 章 中国のオートバイ産業

第 2 章 中国のオートバイ産業
第 2章
中国のオートバイ産業∗
松岡憲司(龍谷大学)
はじめに
近年、内外を問わず自動車産業の分業構造に関する研究が活発である。組立
加工型産業の典型である自動車は、さまざまな時代や地域における分業構造の
違いを調べるためには恰好の対象であるからであろう。
そ れ に 比 べ る と オ ー ト バ イ 産 業 研 究 は 、 あ ま り 活 発 で な い 1。 こ れ は 生 産 額 、
雇用者数など産業の規模が四輪車に比べ圧倒的に小さいことや、技術
的にも四輪車に比べると単純で生産システムとしても工程数が少ないことな
ど の 理 由 が あ る と 思 わ れ る 。日 本 企 業 を 含 む 多 く の 自 動 車 メ ー カ ー は 、二 輪 車・
オ ー ト バ イ に そ の ル ー ツ を も っ て い る 。日 本 で は 本 田 技 研( 以 下 ホ ン ダ と 略 す )、
スズキが二輪車からスタートし、四輪ともに現在も二輪を生産していることは
周知のとおりである。ドイツではBMWが、航空機エンジンからスタートし、
二輪と四輪をどちらも生産している。また発展途上国において、まずオートバ
イ産業が発展するというケースは珍しくない。
中国に関する研究においても同様なことが言える。中国の自動車産業に関し
ては多くの論文・書物が発表されているのに対して、中国の二輪車産業を扱っ
た 研 究 は 非 常 に 少 な い 2。
わ れ わ れ は 、 1998 年 か ら 2000 年 に か け て 計 三 回 に わ た り 中 国 の 主 要 オ ー ト
バイ・メーカーが集まっている重慶において現地調査を実施した。本稿は、そ
の調査にもとづいて、重慶市を中心として中国のオートバイ産業の現状を展望
することを目的としている。
1
成長過程3
中 国 の オ ー ト バ イ 産 業 4 は 1950 年 代 に ス タ ー ト し た 。 当 初 は 軍 用 、 警 察 な ど
の 公 用 の オ ー ト バ イ が 主 で 、 主 要 な モ デ ル と し て は 現 在 の 上 海 —易 初 摩 托 車 公
∗
本稿作成にあたっては、重慶市の各オートバイ・メーカー、日本のオートバイ・メーカー
(本田技研、ヤマハ、スズキ)、日本貿易振興会アジア経済研究所、共同研究パートナーの
重慶社会科学院などさまざまな方々にお世話になったことに謝意を表したい。
1
出 水 [1991]、 大 塚 ・ 小 田 巻 [1998]、 太 田 原 [2000]な ど が あ る 。
2
筆 者 が 見 た 限 り で は 、 山 岡 茂 樹 [1996]第 6 章 摩 托 車 、 大 原 [1999a][1999c]が 数 少 な い 例 外
である。
3
本 節 は 『 中 国 汽 車 工 業 年 鑑 1 9 9 9 』 p p . 5 6 - 5 8「 摩 托 車 発 展 」 に 大 き く 依 存 し て い る 。 中 国 オ ー
ト バ イ 産 業 の 発 展 経 過 に つ い て は 中 国 汽 車 工 業 史 編 輯 部 [1996]四 摩 托 車 編 (pp.171-233)に 詳
しく述べられている。
4
中国語でオートバイは摩托車(モーター車)とよばれる。
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司 の 前 身 で あ る 上 海 摩 托 車 製 造 廠 の「 幸 福 250」、北 京 摩 托 車 製 造 廠 の「 東 風 250」
( 貨 客 両 用 車 )、 江 西 洪 都 摩 托 車 製 造 廠 ( 航 空 工 業 系 統 ) の 「 長 江 750」( サ イ
ドカー)などがあった。これらのモデルはソ連・東欧のオートバイをモデルと
し た も の で あ っ た と い う 。 例 え ば 幸 福 250 は 2 サ イ ク ル 単 気 筒 、 チ ェ コ の ヤ ワ
の 52 年 型 モ デ ル の ラ イ セ ン ス 製 品 で あ っ た 5 。ま た 長 江 750 は B M W の R 71 を
原 型 と し た ソ 連 の ウ ラ ル M 72 型( 4 サ イ ク ル 水 平 対 向 2 気 筒 空 冷 エ ン ジ ン )を
モ デ ル と し た も の で あ っ た 6 。 1970 年 代 に 入 る と 郵 便 物 な ど の 配 達 の た め の オ
ー ト バ イ と し て 、国 務 院“ 郵 電 部 ”
( 郵 政 省 に 相 当 )系 統 が 設 立 し た 河 南 堰 師 摩
托 車 廠 の 「 黄 河 250」 や 、 南 昌 郵 電 摩 托 車 廠 の 「 雄 獅 250」 の 生 産 が 始 ま っ た 。
このような公用オートバイによって中国のオートバイ産業はスタートしたが、
民 生 用 の オ ー ト バ イ 生 産 が ス タ ー ト し た の は 1980 年 代 に 入 っ て か ら で あ る 。
『 中 国 汽 車 工 業 年 鑑 1999』 の 「 摩 托 車 発 展 ( オ ー ト バ イ の 発 展 )」 に よ る と 、
1980 年 代 以 降 、中 国 オ ー ト バ イ 産 業 の 発 展 は 1980 年 代 の 初 期 段 階 と 1990 年 代
の 発 展 段 階 の 二 段 階 に 分 け ら れ る 。第 一 段 階 の 1980 年 代 は「 立 ち 上 が り の 段 階 」
で あ り 、 外 国 か ら の 技 術 導 入 ・ 模 倣 の 段 階 で あ っ た ( 同 書 p.56 )。 企 業 数 で 見
る と 、 第 六 次 五 カ 年 計 画 ( 1981-85 年 ) 期 間 に 20 社 か ら 100 社 余 り に 増 え 、 モ
デ ル 数 も 10 タ イ プ 3 種 排 気 量 か ら 90 タ イ プ 10 種 排 気 量 へ 、生 産 台 数 は 45000
台( 1980 年 )か ら 103 万 台( 1985 年 )に そ れ ぞ れ 急 増 し て い る 。第 七 次 五 カ 年
計 画 ( 1986-90 年 ) 期 間 に 成 長 を も た ら し た 要 因 に は 二 つ が あ げ ら れ る 。 ま ず
経 済 発 展 に よ る 民 間 の 消 費 需 要 の 拡 大 で あ り 、も う 一 つ は 軍 事 工 場 の 民 需 転 換 、
いわゆる「軍転民」である。後述のように重慶の軍事工場であった嘉陵が日本
の ホ ン ダ と 技 術 提 携 し オ ー ト バ イ 生 産 を は じ め た の も 1983 年 で あ っ た 7 。
90 年 代 に 入 る と 、中 国 の オ ー ト バ イ 産 業 は 発 展 段 階 に 入 り 、急 成 長 を は じ め る 。
まず新規参入が相次ぎ、それら企業が急成長をとげた。現在の主要企業の約半
分 が 1992 年 以 降 に オ ー ト バ イ 生 産 を 始 め た 企 業 で あ る と い う ( 同 書 p.56)。 ま
た 外 国 企 業 と の 合 弁 ・ 提 携 が 活 発 に な っ た 。 た と え ば 重 慶 の 建 設 工 業 は 1992
年 に 日 本 の ヤ マ ハ と の 合 弁 、 建 設 雅 馬 哈 摩 托 車 を 設 立 、 ま た 嘉 陵 工 業 も 1993
年 に ホ ン ダ と の 合 弁 企 業 、嘉 陵 —本 田 発 動 機 有 限 公 司 を 設 立 し て い る 。さ ら に モ
デ ル チ ェ ン ジ も 活 発 に な っ た 。こ れ ら の 結 果 、生 産 台 数 は 飛 躍 的 に 拡 大 し 、1990
年 の 97 万 台 か ら 97 年 に は 1000 万 台 を 超 え 、世 界 最 大 の オ ー ト バ イ 生 産 国 と な
っ た 8 。 1998 年 に は 生 産 台 数 が 前 年 比 マ イ ナ ス 12.5% と 大 幅 に 減 少 し た が 、 そ
5
山 岡 [1996]p.213
山 岡 [1996]p.223
7
FOURIN[1999] p.220。
8
そ の 他 の 世 界 主 要 オ ー ト バ イ 生 産 国 で は 、 二 位 が イ ン ド 358 万 9,865 台 、 三 位 が 日 本 225 万
1 7 11 台 、 4 位 が 台 湾 11 8 万 1 7 9 6 台 と な っ て い る 。 生 産 台 数 は そ れ ぞ れ 1 9 9 9 年 。 本 田 技 研『 世
6
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の 後 1999 年 に は 再 び 増 加 に 転 じ 、1127 万 台 に 達 し た 9 。1998 年 の 生 産 減 は 、国
有企業改革などリストラによる所得の減少、住宅、医療、年金、教育などの改
革による将来支出の増加懸念から消費が伸び悩んでいることに加え、WTOに
加盟すればオートバイの部品や完成品が安く輸入されるとの期待から消費者が
買い控えしているのではないかという見方も出ている。しかし
第八次五カ年
計 画 ( 1991-95 年 ) 期 間 の 平 均 年 成 長 率 が 52% で あ っ た の に 対 し て 1996 年 は
20% 弱 と い う こ と は 、 中 国 の オ ー ト バ イ 産 業 が 成 熟 期 に 入 り つ つ あ る こ と を 示
すとも考えられる。
表1
中国オートバイ産業の推移
年
生産
保有
輸出
輸入
1980
49,234
n.a.
n.a.
6,303
1981
134,859
n.a.
n.a.
15,338
1982
213,746
n.a.
n.a.
1,306
1983
287,152
369,519
4,000
2,110
1984
528,301
478,655
19,708
107,339
1985
1,045,062
784,712
8,481
286,095
1986
635,127
1,361,172
8,797
159,410
1987
734,457
1,752,504
22,731
28,778
1988
1,171,368
2,321,307
47,000
49,218
1989
1,031,721
2,996,649
3,482
53,548
1990
965,768
3,413,015
7,819
11,571
1991
1,317,345
4,186,124
17,993
2,362
1992
1,982,187
5,231,553
73,534
6,994
1993
3,536,106
8,587,874
81,174
240,445
1994
5,291,453
10,938,161
73,648
333,780
1995
7,836,139
13,719,272
88,613
46,248
1996
9,295,185
16,100,508
75,363
2,911
1997
10,039,362
20,222,195
91,938
1,495
1998
8,789,427
n.a
110,576
308
1999
11,269,136
n.a
258,184
1,756
注 : こ こ で の オ ー ト バ イ に は 、 二 輪 車 だ け で な く 、 サ イ ド カ ー ( 辺 三 輪 車 )、 後 二 輪 の 三 輪 車
(後三輪車)も含まれている。
界 二 輪 車 概 況 1999 年 版 』
9
人 民 日 報 2000 年 5 月 29 日 ( こ こ で は 人 民 日 報 Online 版 に よ っ て い る ) 。
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第 2 章 中国のオートバイ産業
出 所 :『 中 国 汽 車 工 業 年 鑑 ( 各 年 版 )』、 F O U R I N [ 1 9 9 9 ] よ り 作 成
2 主要メーカー
1998 年 現 在 の 中 国 の 二 輪 車 メ ー カ ー 数 は『 中 国 汽 車 工 業 年 鑑 1999』に よ る と
50cc 以 下 の 二 輪 軽 便 オ ー ト バ イ で 59 社 、 そ れ 以 上 の 普 通 オ ー ト バ イ が 116 社
と な っ て い る が 、 こ の 両 方 を 作 っ て い る メ ー カ ー も あ る 10 。 日 本 の 調 査 会 社
FOURIN に よ れ ば 97 年 時 点 で 143 社 と な っ て い る 1 1 。 し か し 『 汽 車 工 業 年 鑑 』
に 記 載 さ れ て い な い メ ー カ ー が 多 く あ り 、実 際 の メ ー カ ー 数 は 不 明 で あ る 。200
社 以 上 あ る と い う 推 定 も あ れ ば 、 中 国 全 土 に 400-600 社 ほ ど も 存 在 す る の で は
ないかと見る向きもある。これは、オートバイが自動車に比べ部品点数が少な
く構造も比較的簡単であり、また、エンジンをはじめ様々な構成部品も部品商
などから購入することが可能で、町でみかける修理屋などでも組み立てること
ができるためである。したがって中国のオートバイ・メーカーの正確な企業数
を捉えることはできないというのが実情である。この中で、軽騎集団(含む新
大 洲 ) が 100 万 台 を 超 し て い る の を は じ め と し て 、 嘉 陵 集 団 と 金 城 集 団 が 50
万 台 以 上 、 捷 達 、 建 設 、 広 州 、 銭 江 、 長 鈴 ( 含 む 大 長 江 )、 の 5 社 が 30 万 台 を
超 し て い る 1 2 。車 種 は 排 気 量 50〜 750c c ま で 800 モ デ ル 以 上 あ る と い わ れ て い
る が 、 生 産 台 数 の 97.7% 、 販 売 台 数 の 98.4% は 125cc 以 下 の 比 較 的 小 型 の モ デ
ル で あ る 。 も っ と も 多 い の は 100cc ク ラ ス と 125cc ク ラ ス で そ れ ぞ れ 生 産 台 数
の 29.45% 、 30.15% 、 販 売 台 数 の 30.24% 、 29.85% を 占 め て い る 1 3 。
主要メーカーの生産台数および提携外資は、表 2 のようになっている。
こ の 中 の 主 要 メ ー カ ー の 概 況 は 以 下 の よ う に な っ て い る 1 4 1 5 。重 慶 の メ ー カ ー 、
嘉陵と建設については、第Ⅱ節で述べるのでここでは省いている。
表2
所在地
山東省
済南市
南京市
中 国 の オ ー ト バ イ メ ー カ ー 生 産 台 数 上 位 1 0 社 ( 1998 年 )
系統
企業名
提 携 企 業 提携形態
名
中国軽工業 中国軽騎集団(含む新大洲公 スズキ
技術提携
総会
司)
合弁あり
中国航空工 金城集団有限公司
スズキ
技術提携
業総公司
合弁あり
10
生産台数
1,663,255
517,261
そ の 他 、 サ イ ド カ ー 12 社 、 前 一 輪 後 二 輪 の 三 輪 オ ー ト バ イ が 48 社 と な っ て い る が 、 こ れ ら
の生産台数はあまり多くない。
11
FOURIN[1999]p.202。
12
『 中 国 汽 車 工 業 年 鑑 1 9 9 9 』 p . 11 6 。
13
同 書 p . 11 6 の 表 「 1 9 9 8 年 幾 種 排 量 摩 托 車 産 鎖 情 況 」 に よ る 。
14
各 社 の 紹 介 に つ い て は FOURIN[1999]お よ び 各 社 の ホ ー ム ペ ー ジ に 依 存 し て い る 。
15
集団所有(郷鎮企業)である江蘇捷達摩托車有限公司については概要を知ることができな
かった。
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重慶市
江蘇省
蘇州
重慶市
広東省
広州市
浙江省
温嶺市
湖 南 省
株州
広 東 省
江門市
河 南 省
洛陽市
兵器部北方 中国嘉陵工業コフン公司( 集 ホンダ
工業
団)
集 体 ( 郷 鎮 )江 蘇 捷 達 摩 托 車 有 限 公 司
兵器部北方
工業
中国軽工業
総会
機械工業局
建 設 工 業 ( 集 団 ) 有 限 責 任 公 ヤマハ
司
広州摩托車集団公司
ホンダ
技術提携
合弁あり
504,237
405,115
技術提携
合弁あり
技術提携
合弁あり
374,923
浙江銭江摩托車集団有限公司 金 獅 子 集
団
航空工業系 株州南方摩托車製造有限公司 ヤマハ
技術提携
合弁あり
機械工業局 江門市大長江摩托車有限公司
系
兵器部北方 洛陽北方易初摩托車有限公司 ホンダ
技術提携
工 業( 中・タ
イ合資)
369,965
348,954
241,453
231,008
204,089
( 出 所 )『 中 国 汽 車 工 業 年 鑑 1999』 よ り 作 成
注 : 生 産 台 数 は 、 50cc 未 満 ( 軽 便 車 )、 50cc 以 上 ( 普 通 車 ) の 合 計
図1
中国のオートバイメーカーの所在
① 中 国 軽 騎 集 団 ( http:/www.china-qingqi.com/)
まず生産台数第一位の済南軽騎摩托車は、山東省の中国軽騎集団の中心メー
カ ー で あ る 。系 統 は 中 国 軽 工 業 総 会 に 属 す る 。1985 年 に ス ズ キ か ら 技 術 導 入 を
行い小・中型バイクを生産開始している。スズキとは合弁企業済南軽騎鈴木摩
托 車 を 96 年 に 設 立 し た 。1993 年 12 月 に 上 海 証 券 取 引 所 に 上 場 し て い る 。同 社
が 多 数 の 株 式 を 所 有 し て い る 海 南 新 大 洲 も 深 セン証 券 取 引 所 に 上 場 し て い る 。
②金城集団
1949 年 に 設 立 さ れ 飛 行 機 の 修 理 、航 空 設 備 の 製 造 を 行 っ て い た 南 京 金 城 機 械
廠( 中 国 航 空 工 業 総 公 司 系 )が 前 身 で 1987 年 よ り オ ー ト バ イ の 生 産 を は じ め て
い る 。 1992 年 に 金 城 摩 托 車 集 団 を 結 成 し 、 さ ら に 1996 年 に 金 城 集 団 有 限 公 司
と な っ て い る 。 1994 年 に マ レ ー シ ア 、 金 獅 子 集 団 ( Gold Lion グ ル ー プ ) と 南
京金城機械有限公司、日本のスズキと南京金城鈴木摩托車有限公司というふた
つの合弁企業を設立している。と同時に自ら外国に合弁企業を設立したり、早
くから技術輸出に着手し、製品輸出も多く国際的な活躍が目立つ企業である。
③ 広 州 摩 托 車 ( http://www.gzmotors.com/)
軽 騎 と 同 様 に 中 国 軽 工 業 総 会 の 系 統 に 属 す る 。 1992 年 に ホ ン ダ と 合 弁 企 業 、
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第 2 章 中国のオートバイ産業
五 羊 本 田 摩 托 車 有 限 公 司 を 設 立 し て い る 。 1997 年 に 集 団 を 結 成 し た 。 製 品 は
100cc、 125cc、 150cc の 3 タ イ プ で あ る 。
④浙江銭江摩托車
機 械 工 業 局 系 統 の 温 嶺 化 工 機 械 廠 が 1985 年 に オ ー ト バ イ の 生 産 を 開 始 し た
の が 始 ま り で あ る 。 そ の 後 1993 年 に 浙 江 摩 托 車 と 改 称 、 1995 年 に マ レ ー シ ア
の 金 獅 子 集 団 ( Gold Lion グ ル ー プ ) と の 合 弁 企 業 を 設 立 し た 。
⑤株州南方摩托車製造有限公司
航 空 工 業 総 公 司 系 で 1951 年 設 立 の 南 方 航 空 動 力 が 1980 年 代 に 中 国 最 初 の 国
産 オ ー ト バ イ の 生 産 を 始 め た と 言 わ れ て い る 。1993 年 よ り ヤ マ ハ と 50% ず つ の
出資で合弁企業株州南方雅馬哈摩托車製造公司を設立している。
⑥江門市大長江摩托車有限公司
機械工業局系統の長春長鈴摩托車の子会社である。親企業である長春長鈴摩
托 車 は 元 々 、長 春 汽 油 機 廠 と い う エ ン ジ ン ・ メ ー カ ー で あ っ た 。1980 年 か ら オ
ー ト バ イ の 生 産 を 開 始 、1984 年 に ス ズ キ と 技 術 提 携 を 結 ん だ 。1994 年 に マ レ ー
シ ア の 金 獅 集 団 と 合 弁 企 業 、長 春 長 鈴 摩 托 車 を 設 立 し た 。大 長 江 は 1997 年 以 来 、
長鈴を上回る生産台数をあげている。
⑦ 洛 陽 北 方 易 初 摩 托 車 ( http://www.dayangmotorcycle.com/)
兵器工業部北方工業系統の北方摩托車廠と上海易初にも出資しているタイ正
大 集 団 ( CP グ ル ー プ ) と の 合 弁 企 業 で 1992 年 に 設 立 さ れ た 。 持 ち 株 比 率 は 中
国 側 45% 、 C P グ ル ー プ 55% と な っ て い る 。 製 品 は 50cc か ら 250cc ま で 7 シ
リ ー ズ 30 モ デ ル 以 上 と 幅 広 い 。 ホ ン ダ と 技 術 提 携 し て い る 。
3 日系メーカー
急成長を続ける中国オートバイ市場には日本を含む外国企業にとって重要な
市場であり、また技術導入という中国メーカー側の需要もあって多くの外国企
業が進出している。日本のオートバイ・メーカー4 社をはじめ、台湾(三陽、
光 陽 )、 フ ラ ン ス の プ ジ ョ ー 、 イ タ リ ア の ピ ア ジ オ な ど と の 提 携 企 業 は 20 社 以
上にのぼる。
以下、日系企業についてその進出状況を紹介しよう。ただし、重慶での日系
企業は第Ⅱ節で詳しく述べるのでここでは企業名のみとした。
①ホンダ
ホ ン ダ の 中 国 進 出 は 1983 年 、重 慶 の 嘉 陵 へ の 技 術 供 与 に 始 ま る 。そ の 後 、1984
年 に は 上 海 易 初 、1988 年 の 広 州 摩 托 車 、1992 年 の 洛 陽 北 方 易 初 と 技 術 供 与 が 続
く 。 そ し て 92 年 に 広 州 の 五 羊 と 五 羊 本 田 摩 托 を 合 弁 で 設 立 し 、 次 い で 93 年 に
嘉 陵 本 田( 重 慶 )、天 津 の 天 津 迅 達 摩 托 車 と の 合 弁 、天 津 本 田 摩 托 車 有 限 公 司 を
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第 2 章 中国のオートバイ産業
設立している。この中で嘉陵本田はエンジン工場としてスタートしたが、現在
は HONDA ブ ラ ン ド で 組 立 も 行 っ て い る 。
②ヤマハ
ヤマハも同じく組み立て2社、エンジン1社の 3 社の合弁企業を設立してい
る。ひとつは重慶の建設雅馬哈でこれについては第Ⅱ節で詳しく述べる。第二
は南方航空動力との合弁、株州南方雅馬哈摩托車公司である。南方航空動力は
江 西 省 南 昌 ( 若 干 の オ ー ト バ イ を 生 産 )、 広 東 省 順 徳 ( オ ー ト バ イ 生 産 な し )、
そしてヤマハと合弁でオートバイ生産している湖南省株州の 3 ヶ所の工場を持
っ て い る 。三 番 目 の 合 弁 は 江 蘇 省 泰 州 市 泰 州 林 業 機 械 廠( 林 業 部 系 、木 工 機 械 、
チェーンソーなどのメーカー)との合弁、江蘇林海雅馬哈摩托車公司で、エン
ジ ン の み を 生 産 し て い る 16
③スズキ
スズキは多くのメーカーに技術供与している。その中で自ら出資した合弁企
業を設立しているのは三ヶ所である。ひとつは中国最大のオートバイ・メーカ
ー中国軽騎集団との合弁である済南軽騎鈴木摩托車有限公司(山東省済南市)
で 、 1994 年 に 資 本 金 1200 万 US ド ル で 設 立 し 、 1996 年 4 月 よ り 生 産 を 開 始 し
て い る 。現 在 は 資 本 金 2400 万 US ド ル と な っ て い る が 持 ち 株 比 率 は 変 わ り な い
17
。 従 業 員 数 は 約 250 人 ( 1996 年 7 月 12 日 )。 第 二 は 南 京 金 城 機 械 有 限 公 司 と
の 合 弁 で あ る 南 京 金 城 摩 托 車 有 限 公 司 で 資 本 金 2240 万 US ド ル 、1996 年 5 月 に
生産を開始している。第三は重慶の望江機器製造廠との合弁、長慶望江鈴木発
動 機 で あ る 。資 本 金 は 1700 万 ド ル で ス ズ キ 35% 、日 商 岩 井 15% 、望 江 50% の
持 ち 株 比 率 で 出 発 し た が 現 在 ス ズ キ の 持 ち 株 比 率 は 10% に 低 下 し て い る 。こ の
長慶望江鈴木ではエンジンのみを生産し、組立はおこなわれていない。これら
合弁以外に、長春グループの長春長鈴発動機有限公司と大長江摩托車(広東省
江 門 市 )、お よ び 南 寧 益 摩 托 車 有 限 公 司( 広 西 壮 族 自 治 区 南 寧 市 )に 技 術 供 与 し
ている。
表 3
中国のオートバイ産業と日本のオートバイメーカー
合弁企業
出資比率
設立年
技術供与
開始年
ホ 五羊本田摩托車
本 田 50%、 広 州 摩 托 車 50%
1992
嘉陵工業
1983
ン 天津本田摩托車
本 田 50%、 天 津 迅 達 50%
1992
洛陽易初
1992
ダ 嘉陵本田摩托車
本 田 50%、 嘉 陵 工 業 50%
1993
上海易初
1984
16
ヒアリングによると、中国では組み立ての合弁は原則2カ所という政府方針があるとい
う。
17
ア イ ア ー ル シ ー [1999a] pp.54-56.
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第 2 章 中国のオートバイ産業
建設ヤマハ
ヤ マ ハ 50%、 建 設 50%
1992
ヤ 株州南方ヤマハ
ヤ マ ハ 50% 、 南 方 航 空 動 力 1993
マ
50%
ハ 江蘇林海ヤマハ
ヤ マ ハ 35%、 林 海 動 力 65%
1994
建設工業
洪都航空工業
順徳雅奇摩托
車
長 慶 望 江 鈴 木 発 ス ズ キ 10% 、 大 長 江 40% 望 江 1992
動機
1985
工 廠 50%
ス 金城鈴木摩托車
ス ズ キ 35% 、 岡 谷 鋼 機 10% 、 1996
ズ
金 城 機 械 55%
キ 済 南 軽 騎 鈴 木 摩 ス ズ キ 30% 、 日 商 岩 井 10% 、 1996
托車
軽騎摩托車
南 京 金 城 機 械 1985
長 春 長 鈴 集 団 1984
軽 騎 集 団 60%
望 江 機 械 製 造 1992
総廠
南寧益摩托車
有限公司
川 海 南 新 大 洲 川 崎 川 崎 重 工 33% 、 伊 藤 忠 16% 、 1997
中 国 船 用 工 業 1986
崎 発動機
総公司河南柴
新 大 洲 51%
重
油機廠
工
珠 海 奔 騰 摩 托 1994
車
出 所 : FOURIN[1999]pp.220-221 よ り 作 成
結びにかえて
日 本 の オ ー ト バ イ 産 業 を 技 術 史 の 視 点 か ら 展 望 し た 出 水 [1991 ]に よ る と 、 第
二次大戦後の日本のオートバイ産業の技術形成は、
「 模 倣 期 」、
「 習 作 期 」、
「独創
期 」 と い う 三 つ の 段 階 に 区 分 さ れ る 18。
一方、需要側からオートバイ産業をみると、次の四段階に分けられるのでは
ないだろうか。第一段階は軍用、警察用、郵便用などの公的需要を中心とした
時期、第二段階は自転車の発展形態としてのオートバイとしての時期で、動力
を利用することの利便性が重視される時期である。第三段階が自動車の代替あ
るいは自動車普及の前段階としてのオートバイ需要である。この時期は動力を
利用した移動が一般化してきたものの、自動車を購入するのには所得水準が低
いのでバイクを購入するという時期である。そして最後がオートバイ独自の市
18
出 水 [1991]第 Ⅳ 章 。
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第 2 章 中国のオートバイ産業
場領域を確保した時期で、趣味としてのオートバイや、機動性のあるスクータ
ーの利用という段階である。
技術形成と需要要因という二つの視点から日本のオートバイ産業の発展を追
ってみると表4のようにまとめられるのではないだろうか。元よりこのような
時 代 区 分 に 明 確 な 基 準 は な い し 、メ ー カ ー や モ デ ル に よ っ て も 違 い が あ る の で 、
時期に重複があることもあるだろう。しかしそれぞれの時期を象徴するモデル
をあげ、それによっておおよその時期を確定することができるだろう。たとえ
ば ホ ン ダ の 場 合 、模 倣 期 か ら 習 作 期 の 移 行 を 象 徴 す る の が 1955 年 の ド リ ー ム S
A で 、 習 作 期 か ら 独 創 期 へ の 移 行 の シ ン ボ ル が 1957 年 の ド リ ー ム C 70 あ る い
は 1958 年 の ホ ン ダ・ス ー パ ー カ ブ と 言 っ て よ い の で は な い だ ろ う か 。そ し て 趣
味 と し て の オ ー ト バ イ の 時 代 へ の 突 入 を 示 す の が 1969 年 の ホ ン ダ CB750、 い
わゆる「ナナハン」の登場と言ってよいかもしれない。
表 4
需要
日本のオートバイ産業の技術形成と需要の発展
公的需要
技術形成
模倣期
戦前
習作期
自 転 車 の 発
自動車普及の前
オ ー ト バ イ
展形態
段階
独自の領域
1958-1970 年 頃
1970 年 以 降
1945-55 年 頃
1955-58 年 頃
独創期
出所:筆者作成
このような視点から現在の中国オートバイ産業を見るとき、どこに位置づけ
られるであろうか。われわれの重慶調査で見る限り、技術的にはまだ模倣期に
あり、一部習作的な製品開発に取り組む企業も出ているという段階であろう。
重慶市内にあるいくつかの部品市場では、日本のオートバイメーカーの製品の
現地製補修部品が多く販売されている。その範囲はフレームからエンジンの重
要部品にまで及んでおり補修部品だけでオートバイを組み立てることも可能で
あ る く ら い で あ る 。 そ の 点 で は 日 本 の 45-50 年 頃 の 模 倣 期 に よ く 似 て い る と 思
わ れ る 。一 方 、需 要 面 で は 1980 年 代 以 前 に「 公 的 需 要 」段 階 は 終 わ り 、今 は 自
動車普及の前段階に入っていると思われる。成長が著しい私営企業は、農村地
域あるいは都市と農村の境界地域を主な市場としている。このような地域では
まだ自動車が普及する段階には達しておらず、実用的な需要(自転車の発展形
態 段 階 ) が 多 い 。 出 水 [1991]に よ る と 日 本 の 場 合 、 習 作 期 は 短 く 2-3 年 で 終 わ
り独創期に入った。中国も同じ道を歩んでいるとし、またすでに一部メーカー
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第 2 章 中国のオートバイ産業
が習作期に入っていることを考慮すると、独創期に入るのも間近かもしれない
と考えられる。
技術面はすでに習作期に入ったメーカーがあるとはいえ、需要面では大部分
の市場は自転車の発展形態としての二輪車需要という段階と思われる。日本の
オートバイメーカーと中国市場のミスマッチは、第Ⅱ節で詳しく論じたが、日
系メーカー(合弁企業)の製品は、この需要の段階と適合していないという点
が多いのではないだろうか。さらに中国メーカーは東南アジアやアフリカなど
に輸出を開始しているが、そのような輸出先の需要段階と中国製オートバイの
技術水準が適合していることが、最近の輸出急増の背景にあると思われる。
最初にも述べたように、オートバイは自動車と同様の組立産業であり、部品
の調達構造が産業の動向を考える上で大変重要である。本稿では、部品産業に
ついてはまったくふれなかった。われわれの研究では重慶の部品産業について
も、調査を実施したが、その結果については別稿で紹介することとしたい。
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第 2 章 中国のオートバイ産業
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