クララ・ヨゼファ・メネンデス阿部由美の告白録(2) ジャン・マリーに、「納得

クララ・ヨゼファ・メネンデス阿部由美の告白録(2)
ジャン・マリーに、「納得がいかない事をされて、怒ったことある?」って聞かれたの。小さい
時に、テレビのチャンネルで弟と言い合いをしていたら、父親に突然頬を叩かれた事があるの。そ
の時はびっくりして、怖<て、でもあんまり泣<とまた怒られるから‘ひっ<、ひっく’して我慢
してたよ。‘何で私だけが……’って思ったけど、その気持ちはぶつけなかった。最初の結婚の時
も、彼によく怒られた。明らかに私が悪かった事もあったけど、ほとんどが彼の思うようにしなか
った事を責められたの。例えば、短いスカートをはいたとか、高速料金で万札を出したとか、やせ
てた時にあんまり食べなかったとか、そんな事で怒られたね。自由と尊厳なんて何もなかったな。
それに対して怒るどころか、反対に‘私が悪いんだ’って思い込んで「ごめんなさい」って、ただ
泣<だけ……。納得がいかない事に対して、反発したことは一度もなかったな。‘おかしい’とも
思わなくなった。すでに小さい時から‘怒る’感情が抑圧されていたんだね。本当は、怒らなくて
はいけない事、いっぱいあったはずなのに……。
父親が頭ごなしに怒鳴ったり、手を出したりする姿に恐怖心を抱いている。そして、怖いから何
も言えなくなってしまう。でも、それは父親から受けた傷だけではなかったの。母親に植え付けら
れたものが根底にあるんだって。それも物心がつ<以前に母親から刷り込まれたもので、それが情
緒の傷となっていて、頭ではどうしようもないことだって教えられた。今の私にとって、その母親
につけられた情緒の傷は、一番厄介で、私を一番苦しめている。
女性はおとなし<、上品に、ネL儀正し<振舞わなくてはいけない。そして、清く正し<美し<。
この‘しつけの文化’を、生まれたときから母親に刷り込まれたのね。何もわからない赤ちゃんで
も、ちゃんと感じ取ってるんだって。私の父親は、すぐにきれてしまう人で、怒鳴ったり、手を出
したり、食器を投げたりしてた。ちっちゃい時から母親に対してそんな姿をよく見ていたから、と
ても怖かったな。私も、叩かれたりしたよ。そうして、相手に恐怖心を抱かせて従わせるっていう
のは間違ってるよね。でも母親は我慢してた。また、父親はたぶん結婚前から外で女遊びをしてい
たの。もちろん不倫がばれて、離婚するだのしないのってもめた時もあったよ。そのことでけんか
した時もあったみたいだけど、結局は認めてしまっている。正面から父親と戦おうとはしなかった
のね。影では父親の文句を一日中でも言うくせに……。「お父さんが外で(女の人と)遊ぶお金は
あるのに、家には入れないから家はお金がないの」とか「今日は会社は早いはずだけど、何で遅い
のかしら?」とか「今日は会社はお休みなのに、おしゃれしてどこに行<のかしら?」とか……。
すごくねちねちしてて、いやらしいでしょ。私の両親は、お互いのことを誉めたり、感謝したり、
よ<言ったことはない。それどころか、母親は父親の悪口しか言わなかった。それを聞<のは本当
に嫌だったんだよ。誰だって、人の悪口を聞<のは嫌でしょ。
ちっちゃい時から両親が仲良くしている姿を見たかったのに、実際に見るのはけんかと相手を非
難することばかり。いつ離婚してもおかしくないと思っていたし、離婚したら私はどっちに引き取
られるのかな? とか考えてた。そんな父親、母親を尊敬なんて出来ないし、好きにもなれなかっ
た。
よ<母親に「子供たちがいるから、生きていける」とか、「子供たちが幸せになってくれたら、
それでいい」とか、とにか<『子供たちのために』って言われた。その言葉を聞くのが嫌で、「私
がいなかったら、お母さんは幸せだったのに」とか「イ可で子供を産んだの?」って反発したな。母
親は、自分が‘被害者’なんだね。まわりはみんな‘加害者’。そして、自分はけなげに我慢して
頑張る‘悲劇のヒロイン’。そんな自分を、自分で誉めちゃってバカみたい。結局は全で自分の
ため’。本当に私のことを愛しているわけじゃない。愛しているのは自分だけ。母親は自分を正し
くて良い人、悲劇のヒロインになりきるために、私と弟を、そして父親も利用しただけなんだね。
それを‘功利主義’って言うんだって。最悪なのは『子供のために』って恩を着せたこと。それに
よって、私は母親にがっちがちに縛り付けられてしまったの。気付いたら、ちゃんどお父さんは
悪い、お母さんはかわいそう’って思うようになってた。でも、どこかで父親の悪口を言ったり、
その恩着せの言葉を聞くのは嫌で、母親に対して反発した。やっぱり正面向かっで怒る’ことは
出来なかったけど。ずっと矛盾を感じてはいた。
「お母さんは、みんなに純粋で清らかだって言われるの」って喜んでいたけど、バカみたい。内
面は、憎しみやねたみ、ずるさや傲慢、うそ、そんな汚<てどろどろしたものでいっぱいなのに…
‥・。私が大きくなった時、母親は感情をあらわにすることを‘みっともない’って言ってた。母親
が思う通り、気がつけばちゃんと私の感情は完全に抑圧されていた。それどころか、感情があまり
動かない、特に怒りに関しては無に等しい。もちろん、悪に対して怒ることができないし、正義に
関してかなり鈍<なっている。悪いこと、間違っていることに対して怒る事もせず、黙ってみてい
るだけ……。どっちがみっともないんだろうね。私は、‘怒れない’自分が恥ずかしいし、悲しい
よ。そして完全に抑圧されてしまって、本当の自分が出せない、本来の自分はどういう人間なのか
もわからない、そんな傷をつけられてしまったことに対してもなお、本当に‘怒れない’でいる。
でも、私の中に‘怒り’はちゃんとあったの。35年分。抑圧されすぎていて、健全に外に向か
って発散することができずに、それはとてもいびつな形で現れていたの。それも、自分では気付か
ないくらい……。いつの頃からかはわからない。高校の時には、駅のホームで待っていて電車が<
る瞬間に‘今線路に下りたらどうなるかな?’って思うようになってた。‘車がびゆんびゆん走っ
ている道路を横断したら’とか眺めのいい高い場所で‘一歩足を踏み出したらどうなるかな?’と
か。あとは、食器売り場に行<と、その食器を全部壊したくなったり、コンサートホールのし∼ん
と静まり返った時にありったけの声をあげて発狂してみたくなったり、自転車置き場に並んでる自
転車を蹴っ飛ばしたくなったり・‥…。ただふっと想像するだけだし、実際するつもりもなかったか
ら、何も気にかけなかったの。でも、自殺と破壊の衝動だよね。これは「異常なことなんだよ」っ
て言われた。‘怒り’を自分の中に向けてしまってるって。
あともう一つぱあてこすり’。大人になってからだけど、母親に父親の悪口を聞かされた後、
何度か暴れちゃった。母親に「そんなこと(父親が外で女の人と遊ぶこと)は聞きたくない」って
席を立とうとすると「なんて逃げるの? お母さんは由美ちゃんにしか話せないのに」って言われ
る。話す相手が間違ってるよ。正々堂々とお父さんに話してよね。部屋に帰って、物を投げたり、
壊したりした。父親が私のために買ってくれた空気清浄機も壊しちゃった。おっきな声で泣き叫ん
だよ。自分でも耳をふさぎたくなるくらいの声をあげたね。 ドアの向こうにいる母親に向かってわ
ざとらしくね。悪口はこれ以上聞きたくなかったの。よ<父方のおばあちゃんのことや、親戚のこ
と、いろんな人たちのことを悪<言ったけど、それに対しても反発してた。たとえそれが事実だっ
たにしても、母の口から悪<言われると、つい反発してかばいたくなる。
高校の時、お酒飲んで、さらに一緒にいた友達が酔っ払いのおじちゃんとけんかしてね、警察に
捕まったことがあるの。警察は「今回は両親と学校には連絡しないから」って言われたけど、自分
で警察から電話した。正直にっていうよりも、あてつけたかったのね。父親は、怒り心頭してたか
ら、かなり怖かったけど。名前だけは有名な学校に行ったから、母親はどこかで自慢しているのを
感じて、とても嫌だったな。弟には「高校の……」って言い方しかしないのに、私の時は学校の名
前を出すの。そんなちっちゃなことから、それも毎回毎回嫌でたまらなかった。母親が担任の先生
に「もっと勉強させて下さい」って言われて、‘ざまあみろ!’って思ったのを覚えてる。もちろ
ん勉強はしなかったし、本当にO点もとったよ。テストや受験前に遊びに行ったし、それを母親に
見せつけた。
大学になって、男の人と付き合って、初めてセックスをしてから、夜遅くまで遊び始めたの。終
電で帰ったときもあるし、何度も朝帰りしたよ。ちゃんと付き合ってる人がいながら、バイト先の
人と一晩限りのセックスをしたり、結婚する気もない人とも。その度に、母親にうそをついてね。
それも、わかりやすいうそばっかり。どこかで‘こんな事してるんだよ’って知って欲しかったの。
その頃は、ディスコや合コン。パーティーも行ったよ。バイト先の人で、‘スピード’っていう麻
薬みたいなものをやってる子を知り合って、勧められたこともある。キャバレーで働いてる子とも
遊びに行ったりした。深<は付き合わなかったけどね。
不倫もした。妻子ある人と付き合ったの。それも、母親の知ってる人。同じバイオリンの先生に
習ってたおじさんって言ったらわかるよね。何度か食事に行って、そして夜の公園でキスして、胸
とかおしりとか、性器を触られた。何も抵抗しなかったからね。ホテルに行って、ペットに入って、
抱かれて触られて、私も彼のペニスを触った。でも、いざ「入れていい?」って聞かれて、彼の裸
を見たら急に気持ちが悪くなってその場を逃げ出しちやった。彼とはそれが最後。何であんな事を
してしまったんだろう。彼が好きでも何でもなかったのに……。
母親は性的なことに対して、異常に嫌悪感を持ってた。テレビのラブシーンひとつとっても「そ
ういうの嫌い」って。父親へのあてつけと、‘純粋で清い’っていうしつけを受けてきたんだね。
もちろん、私にも知らないうちにそれが伝わっていて、セックスしてもいいと思ったことなかった。
むしろ、痛いだけでどこがいいんだろうって。不感症に近いって言われたけど、無意識に自分をセ
ーブしちやってるのね。それでも、いろんな経験してきたのは、母親へのあてつけ。だって、どこ
かで‘私はこんな事してるんだよ’って知ってもらいたかったもん。だから、ほのめかしたり、わ
かりやすいうそをついたの。でも、母親は私がいい子であることを疑わなかったみたいだけど、ま
たそれが歯偉かったのね。
母親は「クリスチャンと結婚して欲しい」って言った事がある。理由は「お父さんみたいじゃな
いから」。外で女の人と遊んだりしないってことね。私のことをどう思ってるか知らないけど、少
なくともお母さんが思ってるような‘清<正し<美しい’子じゃないの。ずっと、それを知っても
らいたかった。いくらわかりやすいうそをついても、それを認めようとしなかったね。私も、正面
きって言わなかったからいけないけど、‘怒り’に対して不健全でとてもゆがんだ形でしか反発で
きない人間なのね。父親に対しては恐怖心で押さえつけられていたし、ご機嫌をとってたから、反
発することはなかったね。それに、父親に対する怒りは自分に直接の被害がなかったから、遠<に
追いやってたの。でも母親は何かあると私の心にズカズカ入ってくるから、はねのけられなかった。
もういっぱいいっぱいだったのに、それでもまだ傷つけようとするの。自分はいかにも‘善人だ’
って言っていながら、私の傷にいっぱい塩を刷り込んでくれたのね。でも、小さい頃から母親には
思を着せられていたら、そこまで悪<思えないの。‘お母さんがいなかったら生きてこられなかっ
た’ってずっと思ってたから。反発はしても‘嫌い’って言えなかった。
母親は、父親のことを憎んでたと思う。確かに父親がしてきたことは、許されないことだもん。
病気としか思えないくらい、多<の女性と遊んだし、不倫、暴力、うそ、家にお金を入れない……。
でも、その不正に対して戦わないで認めたのはお母さんじゃない。自分の安定した生活とか、世間
体とか、名誉とか、この世のくだらないことを大切にして、それって結局は自分のためでしょ。あ
げくの果てに、それを全部父親とか子供たちのせいにしてるんだよ。本当に私がちっちゃい時から、
母親は何かにつけては父親のことを悪<言ってた。女性関係、暴力、お金だけじゃなくって、ご飯
の食べ方、布団を足で踏むことetc‥。自分がしつけられたこと以外は認めようとせず、非難するば
っかり。「ご飯中にひじをつくのは嫌」「お父さんがお金をくれないから、お菓子や洋服も買って
あげられなかった」とか「お父さんの実家は下品で嫌」とか……。とにかく言葉の節々に、父親を
非難するの。いつの間にか、私は父親のことを悪<思うようになっていた。弟も同じだと思う。私
が母親に対してしてきたことと一緒、あてこすり。そうして、母親は子供もまき沿いにして、父親
に復讐していたんだね。表向きは確かに‘いい人で清<正し<美しぐ見えて、中ぱ憎しみ、ね
たみ、ずるい、傲慢、軽蔑‥・・‥。’そんなものでどろどろしてるんだよ。そういうの、大嫌い。でも、
私も同じなの。母親は、‘しつけの文化’っていう形で、物心つ<以前からしっかり私にそれを植
え付けたの。だから、気付いたら母親と同じ価値観をもって、同じ生き方をしてきた。それに気付
いた時、とても自分がみじめだったし、恥ずかしかった。‘自分は善人’って言いながら、ニコニ
コする母親の笑顔を思い出すだけでも、腹が立ってくる。「お母さんは由美ちゃんの味方よ」・「由
美ちゃんが幸せになればそれだけでいい」なんて、うそっばっかりじゃない。もう信じられない。
愛してるのは自分だけでしょ。何でもかんでも、全部お父さんのせいにしてるけど、自分だってお
父さんに本当の愛なんて求めてなかったじやない。求めてたのは、お金、生活、世間体、でしょ。
父親だって同じだよ。母親のことを愛してなんかいないでしょ。女性への性的な欲求は外で満足
して、母親に求めていたのは家事や子育て。母にも子供にも、自分の言うことを聞かせるために怒
鳴ったり手をあげて恐怖心を植えつけた。ずるい。お父さんにもらった恐怖心、まだ私の中に残っ
てるんだよ。そして、浮気。愛人クラブとか怪しいお店の名前とか、新幹線の時刻とか、仕事関係
以上にたくさん書かれた手帳、女の人に宛てた手紙とか見たけど、気持ち悪い。『あなたのウェッ
トな声が忘れられず……』とか、思い出しただけでもぞっとする。その30歳以上年下の相手の女
の子も、ご愁傷さまって感じ。それから、今回私が秋田に来た事で『うつ』になったらしいけど、
その時にもらったメール。『お母さんは今まで苦労してきて、最後にこれだ。お母さんが可愛そう
だ。お父さんは疲れた。お母さんをよろし<』って。ばかじやないの? お母さんが苦労したのは、
てめえが悪い。人のせいにしないで、自分で責任とってよ。うそばっかりついて、あげくの果てに、
私のせいにするの? 男らしくない、本当にずるい人間。
私の家庭は、私が生まれたときから、いや生まれる前から愛なんてひとかけらもなかったんだね。
本当は、お父さんとお母さんの間に愛を見たかったのに。寂しかったんだよ。甘えたくても甘えら
れないし、お父さんもお母さんも信じられない、ずっとー人だったんだよ。これ以上傷つきたくな
いから、期待もしなかったし、自分の中で一線を引いて、それ以上は中に入れなかった。だから、
どこかで冷めてて感情をストレートに出すこともできなかった。たぶん私がちっちゃい時から、い
ろんなことにあきらめてしまったのね。すご<孤独で、自分の殼に閉じこもってたんだよ。『本当
に愛する』ことをしたかったけど、愛されたことがないから、愛することを知らない。だから、本
当には愛せないし、求めることもしなかった。でも、寂しかったんだよ、とっても。
最近になって、ほっとして安心した時、わけもわからず泣いちゃうの。「35年間たまってたんだ
よ。」って、ジャン・マリーに言われた。抑圧され過ぎてるんだって。そんなにたまっていたもの
を、非常にゆがんだ形で発散してきたけど、それでは傷は癒されないよって。ちゃんと健全に、真
正面向いて、今までの事を伝えようって思ったの。そして、自分の中で断ち切りたい。そうしない
と何も変わらない。そして、これから生まれてくる子供たちに、同じことを伝えないために。
私、妊娠したの。8月5日、双子の女の子をもらったんだよ。マリー・レペッカも5月に男の子
を妊娠して10日で流産したけど、彼女は信じていなかった。だから、私の母親も信じてないかも
しれない。でも本当なんだよ。体も変化してきてる。乳首の色が黒っぽくなってきた。それから、
出血。私は子宮の働きが弱くて、ホルモン剤を使わなければ生理がこないの。4月に秋田に来てか
ら治療してないから、生理はずっとこなかったのに、8月26日の朝、ちょっとした生理みたいな
出血があったの。でも生理ではないんだね。薬を使って起こした生理とは違って少量だし、何もし
__
なければ生理は起きないんだから。妊娠初期にある‘月経様出血’。このことを聞いても、
マリ
一一レペッカは信じないかもしれない。彼女自身がそうだったように。
マリー・レベッカは、本当にひどかったよ。母親も、うそつきで、その時々で言うこと成すこと
が違って、何を考えてるのかわからないけど、マリー・レペッカも同じ。ひとつの霊魂が宿ったの
に、信じなかったんだから。だから流産しても、ひょうひょうとしてた。でも妊娠した時、みんな
の前で泣いたんだよ。赤ちゃん用品を買いに行ったとき、あんなに楽しそうに、私に赤ちゃんのこ
とを話していたのに。
私が秋田に来たばかりの時、マリー・レペッカは「マリー・マドレーヌはようわからんねん。関
係が上手<いってるって思っても、駄目なのよ。母親の傷があって、大人の女性に反応しておかし
くなるの。クララも気をつけて。今はだいぶ良い状態だけど、前はもっとひどかったのよ。私も正
直疲れたわ。だからあまり関わらないようにしてるねん。コルペ・マリーも部屋から出てこない時
期もあったし、ここは今まで本当に大変だったのよ。今はだいぶ良<なったわ。」って私に言った
の。来たばかりで、右も左もわからなかったし、マリー・マドレーヌのことも全然知らなかったか
ら、びっくりしたの。でも、その時はすでにジャン・マリーや天の人だちから「肉親の情は捨てな
さい。女性的な話もしては駄目。」って言われていたし、やっぱり悪口を聞くのは嫌だったから
「もう止めて」って言ったのを覚えてる。
すご<被害者意識が強かった。本当は自分が加害者のくせに、他の人たちを加害者に仕立て上げ
る。ジャン・マリーにマリー・レペッカの悪徳を指摘されると、「私はここに来て悪<なった」
「以前はこんな罪を犯さなかった」とか言って、本当は自分が悪いくせに人のせいにするのね。何
時間もかけて彼女に話をしても、その時は「わかった」って言いながら、次の日には、ひどい時は
ちょっと時間がたつと、すぐにけろっとして同じ事をする。彼女のために使った時間が、一瞬のう
ちに水の泡……。ジャン・マリーやコルペ・マリーは、十分に傷つくよね。
「私は善人です。私は正しいの。」って思ってるから、人を見下した行動や発言をするの。まるで
自分が先生みたいだったよ。ジャン・マリーに対してもそう。でも実際は、そのことで周りの人た
ちを追い詰めたり、つまづかせたり、傷つけていたんだよ。すごい‘偽善者’でしょ。そして、彼
女の心の奥底にある憎しみやねたみが、軽い言葉として現れて、結果その人を傷つける。それをジ
ャン・マリーに指摘されていたけど、ちっとも直らなかった。彼女は、いろんな人を傷つけること
で、ちゃんと復讐していたんだよ。
ジャン・マリーに従順しなさいって言われていたけど、マリー・レペッカが従順したことは一度
も見たことがない。「肉親の情を捨てること。女性的な会話もしないこと。」に関して、何度も指
摘されたんだよ。それに関しては、私もなかなか従えなかったけど、彼女は私によく話しかけてき
たの。ジャン・マリーにそれを注意されても、ちょっと経つとすぐに元に戻ってしまう。この件だ
けではな<、すべてに対してそうだったよ。『家事』に関して「男性たちに任せて、休みなさい」
って言われたの。それでも、つい手や口を出しては、その度に庄意されてたけど、直らなかった。
特に、ミッシェル・マリー・フランソワは、本当は自由にやりたい人なのに、ロを出される事で萎
縮していった。「空いた時間は、マリアママと対話しなさい。私はこういう人間だから、助けてね
って言いなさい」って言われていたの。それなのに、一人で部屋にいる時間はマリアママとの時間
ではなくて、お祈りをいっぱいしたり、本を読んだり、いわゆる‘信心業’にあててしまっていた
の。
それまでやっていた家事も、彼女は義務でやってた。だからって、「やりなさい」って言われて
いたわけではないんだよ。むしろ最低限にするように言われていたのに、従順しないで異常に掃除
をしたり、洗濯も食事も必要以上なことをしていたの。にもかかわらず、『私はこれだけやってい
るのに』とか『自分が一番苦労してる』っていう事を言うの。「ここのみんなは家族に傷つけられ
ているのだから、ここで家族の話はしないで。」ってシャン・マリーに言われたにも関わらず、よ
く食卓で家族の話題、特に子供の話をしていた。子供を誉める話をね。ジャン・マリーから言われ
たこと、細かいことも含めて全部不従順だった。
6月14日に彼女は出て行ったけど、その後はみんな緊張がほぐれて、ほっとした様子だった。
それくらい、みんなは彼女によってつまづきを与え、傷つけられて神経が張り詰めていたんだね。
そして、彼女は自分がしたことの重大さにも気付かず、もちろん悪かった、とも思わずにここを去
っていったの。最後の最後まで、‘自分は正しい’ってね。
2007年9月9日
クララ・ヨゼファ・メネンデス阿部由美
ツケデョゼフマ ノ脳才レ印竹山知