大 学 聖 歌 隊 英 国 公 演 の ご 報 告

 そもそも、この度の イ ギ リ ス 公 演
は、一昨年の秋にロバ ー ツ 卿 が 青 山
が来場してくださいま し た 。
今は亡き恩師の奥様や 、 様 々 な 人 々
那須先生のケンブリッ ジ 留 学 時 代 の
名な国際政治学者・写 真 ⑨ ) を 始 め 、
ーツ卿(オックスフォ ー ド 大 学 の 著
も有名です。公演には ア ダ ム ・ ロ バ
トールキンが学んだカ レ ッ ジ と し て
『指輪物語』の作者であるJ・R・R・
⑧)。このエクセター・カレッジは、
七 時 か ら 公 演 を 行 い ま し た( 写 真
カレッジでリハーサル を 行 い 、 午 後
今回参加した隊員の 学 生 は 二 九 名
待っていたからです。
な錯覚を起こさせる、 素 敵 な 風 景 が
るで中世にタイムスリ ッ プ し た よ う
顔は輝き始めました。 そ こ に は 、 ま
ドの街が近づくにつれ 、 隊 員 た ち の
ら大型バスに乗り、オ ッ ク ス フ ォ ー
でした。しかし、ヒー ス ロ ー 空 港 か
おり、最初はとても緊 張 し た 面 持 ち
海外旅行は初めてとい う 学 生 も 複 数
へ と 向 か い ま し た。 隊 員 の 中 に は 、
飛行機に乗って一路ヒ ー ス ロ ー 空 港
初日の朝は成田空港 に 集 合 し 、 ヴ
ァージン・アトランテ ィ ッ ク 航 空 の
の地に響かせました。
いたりせず、見事な歌 声 を イ ギ リ ス
たが、聖歌隊の学生た ち は 弱 音 を 吐
五回の公演を行うとい う 強 行 軍 で し
公演が主たる目的です 。 十 一 日 間 で
の大学において双璧を 成 す 両 校 で の
学とケンブリッジ大学 と い う 、 英 国
ッジ、すなわちオック ス フ ォ ー ド 大
した。この研修旅行は オ ッ ク ス ブ リ
三月一日から十一日 ま で 、 大 学 聖
歌隊はイギリスへ研修 旅 行 に 行 き ま
められた美味しいお握りを沢山作っ
んと田畑さんは、愛情のたっぷり込
特に校友会ロンドン支部長の伊藤さ
公 演 を 聴 き に 来 て く だ さ い ま し た。
滞在している多くの日本人の方々が
けてくださいました。他にも現地に
真⑫)も車を長時間運転して駆けつ
づみさん
(写真⑪)
、
田畑祐華さん
(写
学院校友会ロンドン支部長の伊藤い
先生の御子息の御家族を始め、青山
た。この公演には、チェン・ポール
し、午後七時半から公演を行いまし
を頂きました。その後、晩祷に出席
にはカレッジの大食堂で豪華な食事
た 芝 生 が あ り ま す( 写 真 ⑩ )
。夕方
い ま す( 写 真 ③ )。 ま た、 カ レ ッ ジ
は、ウェスレーの肖像画が飾られて
在籍しました。カレッジの食堂内 に
リンカン・カレッジのフェローとして
② )。 か つ て ジ ョ ン・ ウ ェ ス レ ー は、
レッジはその中の一つです(写真①
オックスフォード大学には約四〇
ものカレッジがあり、リンカン・カ
とです。とても名誉に感じました。
ルームをそれぞれ割り当てられたこ
ー(特別研究員)が宿泊するゲスト・
の二人はリンカン・カレッジのフェロ
ール先生のご厚意により、先生と私
た。特筆すべきことは、チェン・ポ
ン・カレッジの二つに分けられまし
ニヴァーシティー・クラブとリンカ
大所帯ということで、宿泊場所はユ
総勢三四名でのツアーとなりました。
歌隊チャプレンの私を含む教員五名、
ー ル 先 生( 法 学 部 教 授 )
、そして聖
御配慮をしてくださったチェン・ポ
ーの名倉亜矢子先生、現地で様々な
の飯靖子先生、ヴォイス・トレーナ
部教授)を始め、大学オルガニスト
です。指揮者の那須輝彦先生(文学
団による、モンテヴェルディ作『聖
ィナー指揮、モンテヴェルディ合唱
夕食後、再びキングズ・カレッジ
のチャペルに戻り、J・E・ガーデ
の人々が来て出席していました。
いうこともあり、様々な国から大勢
この日はちょうど「灰の水曜日」と
聖餐の恵みに与ることができました。
学生や教員は礼拝堂の前に進み出て、
で出席しました。洗礼を受けている
礼拝堂内で唱詠聖餐式が行われ、皆
ました。夕方の五時半からは荘厳な
ングズ・カレッジ・チャペルに行き
を食べた後、ケンブリッジ大学のキ
はお昼過ぎに到着し、昼食のお弁当
いました。宿泊先の嘉悦センターに
バスに乗ってケンブリッジへと向か
三日目は昼過ぎからエクセター・
にも出席することができました。
はまた、ニュー・カレッジの夕礼拝
れたことでも有名です。その日の夜
法学校の食堂を撮影するのに使用さ
ちなみに校内のグレート・ホールは、
た。また、このカレッジからは十三
ズ・ウェスレーも同校を卒業しまし
レッジでもあります。弟のチャール
ジのフェローになる以前に学んだカ
ン・ウェスレーがリンカン・カレッ
ラ イ ス ト・ チ ャ ー チ は ま た、 ジ ョ
る と い う 特 徴 を 持 っ て い ま す。 ク
大聖堂でもあり、唯一大学の中にあ
聖公会オックスフォード主教管区の
に出席しました。この大聖堂は英国
(写真⑥⑦)
、大聖堂で行われる礼拝
二日目は日曜日でもあり、朝は全
員でクライスト・チャーチへ出掛け
得ることができました(写真④⑤)。
の お 口 添 え に よ っ て、 入 室 許 可 を
究 室 も あ り、 チ ェ ン・ ポ ー ル 先 生
の中にはウェスレーが使用した研
TAKASAGO Taminobu
学院に来校され、名誉 博 士 号 を 贈 呈
てもってきてくださいました。しば
母マリアの夕べの祈り』を観賞しま
髙砂 民宣
する授与式で、大学聖 歌 隊 が 奉 唱 し
らく和食を口にしていなかった学生
し た( 写 真 ⑭ )
。このコンサートに
大学宗教主任 たことが切っ掛けでし た 。 聖 歌 隊 の
たちは、大喜びでお握りを頬張って
大学聖歌隊英国公演のご報告
歌声を聴いて感激した ロ バ ー ツ 卿 が 、
いました。
『 ハ リ ー・ ポ ッ タ ー』 に 登 場 す る 魔
人もの英国首相が輩出されています。
ドに来て歌って欲しい ! 」 と 称 賛 し
「 素 晴 ら し い! ぜ ひ オ ッ ク ス フ ォ ー
ったのです。今年はち ょ う ど 本 学 院
てくださったことから す べ て が 始 ま
ョナサン・アーノルド先生(英国国
ョンが行われました。宗教主任のジ
公演終了後には、ウスター・カレ
ッジが用意してくださったレセプシ
来ており、満席でした。
はBBC(英国放送協会)も取材に
の創立一四〇周年とい う 年 で も あ り 、
んホスピタリティ精神に満ちた方ば
教会の司祭でもある)を始め、皆さ
たため、鰻(イール)が沢山捕れた
は、かつては周辺全体が沼地であっ
の 街 へ 出 か け ま し た。 こ の 街 の 名
六日目の午前はケンブリッジから
十 五 分 ほ ど 電 車 に 乗 り、 イ ー リ ィ
記念行事の一環として 聖 歌 隊 の 英 国
公演を行うことが決ま っ た の で し た 。
かりで、感激しました(写真⑬)
。
ことに由来するそうです。この街に
四 日 目 は 午 後 か ら ウ ス タ ー・ カ
レッジにてリハーサルを行いまし
あるイーリィ大聖堂は、壮麗なロマ
た。このカレッジの中 庭 に は 、 息 を
五日目は朝食をとった後、オック
スフォードの街に別れを告げ、大型
飲むほど美しい、見事 に 手 入 れ さ れ
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青山学報 248 Summer 2014
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ことは、大聖堂内にあ る 聖 母 礼 拝 堂
を堪能しました。ここ で 特 筆 す べ き
聖堂ツアーに参加し、 見 事 な 大 聖 堂
す。学生たちはタワー ・ ツ ア ー や 大
れ、十四世紀半ばに完 成 し た そ う で
( 写 真 ⑮ )。 十 一 世 紀 後 半 に 着 工 さ
ネスク・ゴシック様式 の 建 造 物 で す
しました。
トミンスター寺院の唱詠晩祷に出席
ンドンの街を堪能し、夕方はウェス
日は終日自由行動で、学生たちはロ
帰国することになったのです。その
記念礼拝に出席するため、一足先に
水教会が創立五十周年を迎え、その
すべての公演が終わり、十日目の朝、
堪 能 し ま し た( 写 真 ㉒ )
。こうして
しいクライマックスを、学生たちは
ナーで、英国ツアー最終日の素晴ら
のお祈りで始まるフォーマルなディ
界を彷彿とさせるような、ラテン語
与りました。ハリー・ポッターの世
すべての人たちが足を 止 め て 聞 き 入
味線、着物体験といった出し物に混
」が開催されました。このプロ
DAY
グラムでは、生け花や茶道、津軽三
康管理が大変でしたが、日頃の練習
海外は初めてという学生も多く、健
大学聖歌隊の学生たちは、非常に
密度の濃い十一日間を過ごしました。
ました。
ケンブリッジを発ち、日本に帰国し
で、突如演奏を始めた こ と で す ( 写
八日目は宿泊先の嘉悦ケンブリ
ッ ジ 教 育 文 化 セ ン タ ー で、
「 JAPAN
真 ⑯ )。 礼 拝 堂 内 に は 聖 歌 隊 員 た ち
りました。演奏が終わ る と 拍 手 喝 采
じり、聖歌隊が二十分ほど演奏しま
の美しい歌声が響き、 そ の 場 に い た
が沸き起こりました。 忘 れ る こ と の
帰国することになりま し た 。 飯 先 生
七日目、オルガニストの飯先生と
私はケンブリッジを出 発 し 、 日 本 へ
来てくださいました。
を始め、幅広い年代の 人 々 が 公 演 に
ッジで音楽を専攻して い る 学 生 た ち
わ れ ま し た( 写 真 ⑰ ⑱ ⑲ )。 同 カ レ
ルを行い、午後七時半 か ら 公 演 が 行
ス・カレッジのチャペ ル で リ ハ ー サ
緒 に 奉 唱 し ま し た( 写 真 ㉑ )
。礼拝
同礼拝において、現地の聖歌隊と一
九日目は那須先生の母校であるセ
ント・キャサリンズ・カレッジの合
列ができていました。
うことで、カレッジの前には長い行
これは年に一度しか歌われないとい
リの「ミゼレーレ」が歌われました。
ました。礼拝の中では有名なアレグ
その日の夕方は、キングズ・カレ
ッジ・チャペルの唱詠晩祷に出席し
大勢の観客が集まりました
(写真⑳)
。
した。シアター内には百名を超える
くださったすべての皆様に、心より
も貴い御寄付を賜りました。ご協力
くださった方々、学内の先生方から
奏会やクリスマス奉唱会に参加して
会、コンサートの機会を与えてくだ
行でお世話になった群馬県の甘楽教
申し上げます。また、前年の演奏旅
今回の公演を実現可能にしてくだ
さった本学院の支援に、心から感謝
なりました。
ました。参加した学生たちにとって、
の成果を見事に発揮することができ
できない思い出です。
は女子短大の震災ボラ ン テ ィ ア に 参
の後、聖歌隊の学生たちは、カレッ
感謝申し上げます。
さった渋谷教会や松沢教会、定期演
忘れることのできない貴重な経験と
加するために岩手県の 宮 古 市 に 向 か
ジが用意してくださったディナーに
その後、再び電車に乗ってケンブ
リッジに戻り、シドニ ー ・ サ セ ッ ク
われました。私は所属 教 会 の 荻 窪 清
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