発熱、食欲不振を訴える甲状腺機能亢進症症例 恵寿通信第 52 号(2016.10.3.発行)掲載 2016 年度研修医 二川 真子 (指導医 山﨑 雅英) 【症例】42 歳 男性 【主訴】発熱、食欲不振 【既往歴】甲状腺機能亢進症 【家族歴】特記すべきことなし。 【生活歴】喫煙なし、機会飲酒。 【現病歴】2013年9月多汗にて当院内科紹介受診し、甲状腺機能亢進症の診断となるも自己判断で加療なく 経過していた。2016年7月6日に、齲歯治療で神経治療を行い、ロキソプロフェンを服用した。2016年7月9日 に倦怠感、労作時の息切れが出現した。体温は測らなかった。7月10日に38℃台の発熱と関節痛が出現し た。悪寒はあまり感じず、むしろ暑い感じがしていた。倦怠感が増悪し、7月11日には動悸、心窩部痛、多 汗も出現したため近医を受診した。近医での採血で甲状腺ホルモン値がscale overであったため、7月12 日、精査加療目的に当院紹介入院となった。頭痛なし、咳・痰なし、羞明なし、眼の異物感なし、複視な し。水分はとれていた。便はやや緩かった。食事入らず、ゼリーやヨーグルトなどのみ摂取 していた。体重は 2 週間で 3~4kg 減少した。 【主な入院時現症】身長175.0cm、体重79.0kg、体温36.4℃(前医で38.6℃であり、解熱薬使用後の体温)、 血圧 136/89 mmHg、脈拍113回/分、不整、呼吸数20回/分, SpO2 98%(室内気) 、発汗著明、眼球突出軽度あ り、甲状腺:軟、腫大あり(七条分類Ⅲ度)、圧痛なし、bruitあり、頸静脈怒張なし、心音:irregularly irregular、S1~S2~S3-S4+、肺野清、腹部軟、肝臓軟、1横指触知、脾臓触知せず、ばち指なし、手指振戦 あり、下腿浮腫なし 【主要な検査所見】<血液検査>T-Bil 0.93 mg/dl, D-Bil 0.44 mg/dl, AST 36 U/l, ALT 37 U/l, γ-GTP 46 U/l, LDH 252 U/l, Na 139 mEq/l, Cl 101 mEq/l, K 3.8 mEq/l, BUN 23.1 mg/dl, Cr 0.62 mg/dl, TChol 113 mg/dl, HDL-C 23 mg/dl, TG 130 mg/dl, CRP 6.68 mg/dl, プロカルシトニン 0.4 ng/dl, WBC 4190/μl, RBC 567×10^4/μl, Hb 16.2 g/dl, 血小板数 14.5×10^4/μl, フィブリノーゲン 417 mg/dl, D-ダイマー 1.4 μg/ml, BNP 84.8 pg/ml, FT3 >32.55 pg/ml, FT4 >7.77 ng/ml, TSH <0.03 μIU/ml, TSH レセプター抗体 12.1 IU/l, TgAb 1367 IU/ml, TPO Ab 274.1 IU/ml, TSAb 2514%, CH50 57 U/ml, ACTH 44.2 pg.ml, コルチゾール 15.5 μg/dl, VCA-IgM<10, EA-IgM<10, フェリチン 310.9 ng/ml <血液培養>陰性<ECG>心房細動、HR=129<胸部 X 線>CTR 43%, 両側 CPA sharp, 両肺野に浸潤影なし< 甲状腺エコー>甲状腺両葉腫大、血流増加あり、両頸部リンパ節腫脹あり<心エコー>LVEF 62%, RV 圧推定 値 44.3mmHg, 血栓なし, 疣贅なし<頸部~骨盤腔 CT>甲状腺腫大あり、肝脾腫あり 【プロブレムリスト】 #1.甲状腺機能亢進症、甲状腺クリーゼ #2.心房細動、頻脈、動悸 #3. 発熱、肝脾腫、頸部リンパ節腫大 ★ 甲状腺クリーゼとは? 甲状腺クリーゼとは、甲状腺中毒症の原因となる未治療ないしコントロール不良の甲状腺基礎疾患が存在 し、これに何らかの強いストレスが加わった時に、甲状腺ホルモン作用過剰に対する生体の代償機構の破綻 により複数臓器が機能不全に陥った結果、生命の危機に直面した緊急治療を要する病態をいう。クリーゼを 起こす誘因としては、抗甲状腺薬の服用不規則や中断、甲状腺手術、甲状腺アイソトープ治療、過度の甲状 腺触診や細胞診、甲状腺ホルモン剤の大量服用などがあり、甲状腺に直接関連しない誘因として、感染症、 甲状腺以外の臓器手術、外傷、妊娠・分娩、副腎皮質機能不全、糖尿病性ケトアシドーシス、ヨード造影剤 投与、脳血管障害、肺血栓塞栓症、虚血性心疾患、抜歯、強い情動ストレスや激しい運動などがある。甲状 腺クリーゼは甲状腺中毒症のうち 0.22%、甲状腺中毒症で入院した患者の 5.4%に発症する疾患(Thyroid 2012; 22: 661-79)と、稀ではあるが死亡率が 20〜50%に及ぶという報告があるほど(Endocrinol Metab Clin North Am 1993; 22: 263-77)、重篤な疾患である。 ★甲状腺クリーゼの診断 日本での診断基準は表 1 に示した通りである。臓器症状として、中枢神経症状の頻度が最も高いため、日 本で用いられる診断基準では中枢神経症状に重きを置いている。38℃以上の発熱は確定および疑い症例の 2/3 に認められ、130 回/分以上の頻脈は確定診断症例の 76.2%認められる。黄疸は予後規定因子であり、T-Bil 3.0mg/dL 以上では 3.0mg/dL 未満と比較し、 死亡率が 32.4% vs. 10.5%と前者で高くなる(若松博. Hospitalist 代謝内分泌. メディカル・サイエンス・インターナショナル p.52)。 日本以外で用いられている甲状腺クリーゼの診断基準として、表 2 に示した Burch と Wartofsky らの診断 基準がある。こちらは日本の診断基準ができる前からあったものの、甲状腺クリーゼ以外の症例でも基準を 満たしてしまうことや、スコアの設定根拠が不明でエビデンスにかけると指摘されていたため、日本独自の 診断基準が作られた。これらの診断基準はあるが、高齢者に関しては、高熱、多動などの典型的クリーゼ症 状を呈さない場合があり、診断の際には注意しなければならない。 本症例では、患者はやや興奮気味ではあったが、中枢神経症状と言えるほどではなかったため、日本の診 断基準では必須項目+発熱のみしか当てはまらず、疑い例にも満たない状況であった。しかし、Burch と Wartofsky らの診断基準に当てはめてみると、本症例は 45 点と、クリーゼを強く疑うスコアであった。 表 1:甲状腺クリーゼの診断基準(第 2 版) 必須項目 甲状腺中毒症の存在(遊離 T3、T4 の少なくとも一方が高値) 1.中枢神経症状 (不穏、せん妄、精神異常、傾眠、痙攣、昏睡。JCS1 以上または GCS14 以下。) 2.発熱(38℃以上) 3.頻脈(130 回/分以上) 症状 4.心不全症状 (肺水腫、肺野の 50%以上のラ音、心原性ショックな ど。NTHA 分類 4 度または Killip 分類Ⅲ度以上。) 5.消化器症状 (嘔気・嘔吐・下痢、黄疸(T-Bil>3mg/dL)) 必須項目および以下を満たす 確実例 a.中枢神経症状+他の症状項目 1 つ以上、または、 b.中枢神経症状以外の症状項目 3 つ以上 a.必須項目+中枢神経症状以外の症状項目 2 つ、または、 疑い例 b.必須項目を確認できないが甲状腺疾患の既往・眼球突出・甲状腺腫 の存在があって、確実例条件の a または b を満たす場合 赤水尚史 他. 甲状腺クリーゼ診断基準(第 2 版). 2012. <http://www.japanthyroid.jp/doctor/img/crisis2.pdf>より 表 2:Burch, Wartofsky らの甲状腺クリーゼ診断基準 診断基準 体温 中枢神経症状 消化管・肝機能障害 頻脈 うっ血性心不全 37.2〜37.7℃ 37.8〜38.2℃ 38.3〜38.8℃ 38.9〜39.3℃ 39.4〜39.9℃ ≧40℃ なし 軽度の不穏 せん妄、精神異常、傾眠 痙攣または昏睡 なし 下痢・嘔気・嘔吐・腹痛 原因不明の黄疸 90〜109 回/分 110〜119 回/分 120〜129 回/分 130〜139 回/分 ≧140 回/分 なし 点数 5 10 15 20 25 30 0 10 20 30 0 10 20 5 10 15 20 25 0 軽度(浮腫) 5 中等度(両下肺野のラ音) 10 重症(肺水腫) 15 なし 0 心房細動 あり 10 なし 0 誘引の有無 あり 10 ≧45 点:クリーゼが強く疑われる 25〜44 点:切迫状態 ≦24 点:クリーゼ除外症例 Burch HB et al. Endocrinol Metab Clin North Am 1993; 22: 263-77 ★ 甲状腺クリーゼの治療について 十分な輸液、薬物療法、解熱(NSAIDs は禁)、ICU での管理を必要とする。 <薬物治療で使う薬剤> ① 抗甲状腺薬:新しく甲状腺ホルモンが産生されるのを防ぐためであるのと同時に、FT4 から FT3 への変換 を防ぐために投与される。 ② ヨード製剤:甲状腺ホルモンの産生と放出を防ぐために投与される。 ③ β遮断薬:甲状腺ホルモンが末梢で作用する影響を弱めるためであるのと同時に、FT4 から FT3 への変換 を防ぐために投与される。 ④ ステロイド:相対的副腎不全になるのを予防するためであるのと同時に、これも FT4 から FT3 への変換 を防ぐために投与される。 【入院後経過】 #1.甲状腺機能亢進症、甲状腺クリーゼ 2013発症の未治療甲状腺機能亢進症であり、来院時は発熱、肝機能障害、心房細動、心不全症状などから 甲状腺クリーゼを来たしていると判断し、チアマゾール(メルカゾール)、サクシゾン、ヨウ化カリウム、 プロプラノロール(インデラル)を投与した。徐々に甲状腺ホルモンの値は減少し、頻脈や発熱などの症状 も改善した。眼科に対診し、バセドウ眼症のないことを確認した。 #2.心房細動、頻脈 2013年にはなかったため、#1に伴い新たに出現した症状だと考える。ヘパリン,その後アピキサバン(エ リキュース)による抗凝固療法を行い、心房内に血栓のないことを確認した。入院4日目に心房細動は消失 し、sinus rhythmの持続を確認し、抗凝固療法を中止した。 #3.発熱、肝脾腫、頸部リンパ節腫大 #1の症状として出現したと考える他、甲状腺クリーゼに至った誘因として感染症があった可能性もある と考え、抗菌薬治療を7日間施行した。入院後、発熱はなかった。プロカルシトニンや各種ウイルス抗体検 査の結果から、感染症の可能性は低く、甲状腺クリーゼによる症状であったと思われる。 【退院時処方】チアマゾール(メルカゾール)5mg3T3×,プロプラノロール(インデラル)10mg3T3×,ヨウ化 カリウム 50mg1T1×,プレドニゾロン 5mg1T1× 【考察】本症例は、未治療の甲状腺機能亢進症が 3 年後に甲状腺クリーゼに至った 1 例である。本症例で甲 状腺クリーゼを誘発したきっかけとしては、抜歯とそれに伴う NSAIDs の内服が考えられる。抜歯のみでも甲 状腺クリーゼを誘発すると知られているが、NSAIDs は甲状腺ホルモン結合タンパクと甲状腺ホルモンの結合 を抑制し、遊離 T3 を増加させる作用があるので、抜歯によるストレスに加えて、NSAIDs による薬理学的機序 が原因となり甲状腺クリーゼに至った可能性がある。一方、入院患者における甲状腺クリーゼの最大の原因は感染 症である(J Intensive Care Med 2015; 30:131-40)。本症例においては、入院時に感染症のスクリーニング検査を行い、 結果的には感染症の可能性は低いと考えられた。しかし、肝脾腫やリンパ節腫脹という、甲状腺クリーゼとしては一般的 でない症状も認められ、入院時には感染症の可能性が否定できないため広域抗菌薬の投与を行った。脾腫に関しては甲状 腺中毒症で良性リンパ過形成を反映し現れることがあり(ハリソン内科学 第 4 版 p.401)、Basedow 病の 10%に脾腫が認 められるという報告もある(Williams Textbook of ENDOCRINOLOGY. 11 th ed. 2008. P.336)。また、肝脾腫の原因として 心不全によるうっ血の機序も考えられる。このように、甲状腺クリーゼの病態だけでも本症例の症状を説明することは可 能であり、結果的に、明らかな感染症は発症していなかったものの、甲状腺クリーゼの高い死亡率を考慮すると、抗菌薬 治療を行ったことは妥当であると考える。 本症例は甲状腺機能亢進症の既往歴があったため、すぐに診断に至ったが、甲状腺クリーゼの診断基準に 含まれる一つ一つの症状は、甲状腺疾患でなくても頻繁に見られる症状であり、感染症、心不全、精神病な どと診断され、甲状腺疾患に気付かれない場合も多いと思われる。見落とさないようにするために、診断基 準に含まれる諸症状が見られた場合には、常に甲状腺疾患の可能性を一度は考える必要があると思われる。 【感想】 今回は、3 年前に甲状腺機能亢進症の治療を中断してしまった方が、甲状腺クリーゼという重篤な疾患に 進展した症例を報告させて頂きました。甲状腺クリーゼは、英語で thyroid storm(甲状腺の嵐)と呼ばれる通 り、甲状腺ホルモンが全身で暴走している状態で、様々な臓器に影響を与え死に至ることも多い疾患です。 緊急で多くの検査や治療を必要とする疾患ということもあり、今回は指導医の先生が治療しているのを追っ て見るだけで、自分でアセスメントしたりプランを立てることはできませんでしたが、毎日患者さんと話し て診察することで、多くのことを学ぶことができました。患者さんの自覚症状はあまり大きく変わりません でしたが、心房細動が治り、その数日後に聴診でⅣ音が消えた日は、患者さんが良くなっていると実感でき 感動しました。 山﨑先生、宮本先生、ご指導いただきありがとうございました。
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