第 4 回「私のキャリア~大学院の『前』と『後』」

法政大学ビジネススクール イノベーション・マネジメント研究科
オープン講座 シリーズ企画「女性のキャリアと生き方を考える」
2010 年度 第 4 回講演
第 4 回「私のキャリア~大学院の『前』と『後』
」
富士常葉大学総合経営学部
キャリア開発センター(兼務)
准教授 大久保 あかね 氏
日時:2010 年 12 月 3 日 19 時 00 分~21 時 00 分
於:法政大学経営大学院 101 教室
講
演
要
旨
講師紹介
大久保 あかね (おおくぼ あかね)氏
1963 年名古屋市生まれ。
奈良女子大学文学部教育学科卒業後、
株式会社リクルート勤務を経て、
1998 年立教大学大学院観光学研究科博士課程前期課程に社会人入学。2003 年に同大学院博士
課程後期課程修了、論文「近代における日本旅館の成立と変容」で博士号(観光学、立教大学)
取得。2006 年 4 月より富士常葉大学総合経営学部准教授、2009 年 4 月より同大学キャリア開
発センター(センター長補佐)を兼任。他に日本大学国際関係学部兼任講師。
講演要旨
1. 自己紹介-キャリアと転機
私は社会人として働いた後、大学院に進み、現在は大学で観光学を教えています。今日は、
キャリア論の視点を交えながら、私自身のキャリアと人生の転機についてお話しし、社会人と
して大学院に行くことの意味を考えていきたいと思います。
プロフィール(社会活動編)
まず、私のプロフィールについて、取り組んできた社会活動面からご紹介します。私は、現
在は熱海に住み、富士市にある大学で教えています。静岡県内を中心に、行政の委員や外部講
師を務める他、
市民大学や高校生向け観光学講座を担当したり、
各種シンポジウムへの出演等、
大学院時代から様々な活動に関わってきました。基本的に、どんなお話でも来たものはすべて
お引き受けし、その過程で自分で勉強して、知識を深めていきます。
行政の委員としては、静岡県「ふじの国観光政策懇話会」座長、
「河川審議会」委員、
「国土
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第 4 回 大久保 あかね氏
計画審議会」委員、熱海市の「まちづくり審議会」委員、富士市の「都市景観審議会」委員な
どを務めてきました。富士宮市では、
「都市景観審議会」委員、
「富士宮地域総合研究所」総合
プロデューサーとして活動しています。富士宮は、皆さんもご存知かもしれませんが、B 級グ
ルメの「富士宮焼きそば」で有名です。焼きそばに次ぐ第二の産物として、ニジマスや豚など
の食材を集め、食で地域を活性化するプロジェクトがあり、私はそのプロデューサーという役
目をいただきました。また、沼津市では、
「さぁこいハリウッド運営委員会」顧問として、フィ
ルム・コミッション(映画のロケーション誘致)活動に関わっています。
プロフィール(履歴編)
次に、大学以来の私の履歴をご紹介しながら、私がどうキャリアを形成してきたのかについ
て、お話していきたいと思います。
私は、1987 年に 奈良女子大学文学部の教育学科体育学専攻を卒業しました。その後、株式
会社リクルートに入社し、求人広告の営業部に配属されました。営業では、新規顧客の開拓の
ため、飛び込み営業で毎日 70 件のオフィスを回っていました。
結婚して、1992 年 9 月にリクルートを退社し、業務委託契約でコピーライターになりまし
た。これが、私のキャリアでの最初の転機です。
1996 年に熱海に転居し、コピーライターの仕事を辞めました。熱海では専業主婦になろうと
思っていたのですが、子供もなく暇で、3 か月で飽きてしまいました。そこで、仕事を探しは
じめ、職安にも行きました。熱海での求人は観光関係の仕事が主で、リゾートホテルでのサー
ビス業務や陶芸家アシスタントなど、いろいろなアルバイトを経験しました。
そうしているうち、リクルートの情報誌「じゃらん」の求人があることを知りました。求人
広告を見て、
「リクルートでの経験もあるし、これならできるのでは」と思い、すぐに応募しま
した。首尾よく採用されて、1996 年 6 月に、
「じゃらん」の熱海観光情報担当になりました。
「じゃらん」はリクルートの広告媒体です。仕事の内容は、熱海市の宿泊施設や行政から観光
情報をいただくとともに、こちらから広告企画や観光客への提供プラン、ターゲット層、アト
ラクションなどを提案して、広告を売ることです。当時の観光業界では、計画的に集客するシ
ステムができておらず、月ごとの客層や彼らの行動に関するセオリーがありませんでした。仕
事を続けるうち、
マーケティングをきちんと勉強する必要性を感じるようになっていきました。
その頃のお話です。浅草に初詣に行く途中の電車で、偶然、立教大学大学院の観光学研究科
の中吊り広告を目にしました。見た途端、
「あっ、これだ」と直感して、その場で受験すること
を決意しました。応募締め切りまで 2 週間しかなかったのですが、研究計画書をまとめて提出
し、何とか試験にも合格して、1998 年 4 月に、立教大学観光学研究科博士課程前期課程に入
学しました。その頃の大学院は、立教大学の観光学科卒で観光系の仕事についている方々が中
心で、立教の卒業生以外で受験した人は少なかったように思います。
大学院の勉強は、とても楽しいものでした。受験した頃は、熱海に長期的にお客さんを呼び
込むにはどうすればいいか、という身近なテーマについて考えていたのですが、大学院ではさ
まざまな勉強をしますから、視野がどんどん広がっていきます。勉強を重ねていくうちに、私
の関心は、
「旅館という非効率的なビジネス形態が、なぜいまだに残っているのか」という問題
に移っていきました。現在、旅館は全国に 4 万 9,000 軒もあります。コンビニより多いのです。
入学して 1 年経ち、修士論文の準備をしているうちに、もっと勉強したいという気持ちが強
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くなりました。それまでは運や瞬発力をバネに行動してきましたが、この「勉強したい」とい
う思いで気持ちが切り替わり、現在の私につながる分岐点になったのだと思います。
こうして、2000 年 4 月に、博士後期課程に進学しました。3 年で博士論文を書き上げて、2003
年 3 月に博士号(観光学)を取得しました。博士論文執筆のためにがんばったことが、今、私
のキャリアにたいへん役に立っていると思います。実は、提出の前年の秋に中間報告があった
のですが、その時、教授陣から、論文全体を検討し直すように指導されました。そこで、調査
も構成も、すべて最初からやり直すことにしました。観光系の業界紙が毎年発表する「日本の
旅館 250 選」などに入っていて、しかも戦前から経営している全国 140 軒の旅館を対象に、フ
ァックスで調査の協力依頼を送付し、電話して経営者にヒアリングをするという作業を重ねま
した。2 か月間、ほとんど寝ずにすべて書き直して、提出にこぎ着けました。この調査をした
ことで、日本の旅館の特殊性などが見えてきたうえ、経営者とのコネクションもでき、研究が
しやすくなったことを実感しています。また、自分の専門領域と言えるものもできました。今
は、どこへ行っても、私の専門は「日本の旅館」の研究であると言うようにしています。
博士号を取った後、大学で教職に就くことを目指しました。しかし、観光学の科目や学科が
あるのは、現在、全国で 40 校程度と少ないのが実情です。しかも、大学で教鞭をとっていら
っしゃるのは、JAL や JTB など観光専門職の OB や、国土交通省や日本観光協会の OB など
の実務家の方が多数派です。ですから、私の経歴では不十分で、就職先はなかなか決まりませ
んでした。ただ、私は大学院に入る前から観光関連のいろいろな組織で活動していて、地域の
関係者とのコネクションがありました。地域の活動で知り合った方に、
「博士号を取ったけれど
も勤務先が決まらない」という話をしたところ、海外に異動される先生の後任として、日大の
ポストに推して下さいました。さっそく応募し、公募試験に通って、2005 年 4 月、日本大学
国際関係学部の非常勤講師として採用されました。2006 年 4 月には、現在の勤務先である富
士常葉大学総合経営学部の准教授に着任しました。このポストに就いたのも、地域の観光関係
シンポジウムで知り合った方とのご縁がきっかけです。赴任 4 年目の 2009 年 4 月からは、大
学のキャリア開発センターでの仕事も担当しています。
10 種類の仕事で得たスキルをすべて活用して、子供の頃の夢をかなえる
大学卒業以来、私は 10 種類の仕事を経験してきました(求人広告営業職、求人広告制作職、
フリーライター、ホテルアルバイト、陶芸家アシスタント、じゃらん観光担当(商品企画・営
業・制作)
、社会人大学院生、コラム執筆、旅館経営コンサルタント、観光地計画等各種委員)
。
コピーライター時代の経験は、
論文執筆に役立っていますし、
営業時代に飛び込みで周り歩き、
様々な職種の方にお会いしたことは、キャリア開発センターでの仕事に活かされています。子
供の頃の夢は先生になることでしたから、大学の教員になることができ、夢がかなったことに
なります。現在の仕事には、様々な仕事で得たスキルがすべて活かされています。
大学の教員というのは、ほんとうに楽しい仕事です。私には子供はいないのですが、人を育
てる楽しさを感じます。毎年 4 月になると、18 歳の若い人たちが入学してきます。彼らは、社
会経験を積ませていくうち、4 年間で驚くほど成長し、大人になって卒業していきます。今の
仕事は、私にとっての天職です。
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専門:日本旅館の研究
研究者としての専門は、日本旅館の研究です。日本旅館というのは、実は、世界に類を見な
い特殊な形態の宿泊施設です。旅館は、和室、浴衣など、今は過去のものになってしまった日
本人の生活様式をパッケージ化し、商品として宿泊施設で販売しています。しかも、かなり大
規模な経営体もあります。国民文化をそういう形で販売している国は、世界中で日本以外には
ありません。他の国では、家族経営の民宿という形でしか残っていないのです。
日本旅館が 4 万 9,000 件も残っているのは、
土地と建物を所有し、
相続されているからです。
しかし、経営が順調なのは、そのうち 10 分の 1 くらいではないでしょうか。
「和室、浴衣、1
泊 2 食付き」という今の旅館のスタイルは、高度成長期に確立されたものです。それ以前は、
もっとバリエーションがありました。 調理場が品書きを持って注文伺いに行ったり、客の側が
食材を持ち込んだり、自炊施設付きの旅館もありました。今の画一化されたシステムは、団体
客を呼び込めるよう、旅行業者が考え出したものです。旅館が商品化され、その結果として、
旅館の側では、自分でマーケティングをする努力をしなくてもよくなりました。また、旅館で
は業務がマルチタスクで、欧米系のホテルと異なり、宿泊とバックヤード業務を分けた人員配
置ができないという労務管理上の難点もあります。その他にも、旅館は様々な問題を抱えてい
ます。もちろん、旅館側の経営の怠慢があることも確かです。しかし、日本旅館では、現在の
スタイルに固執してなおビジネスが続けられています。それはなぜなのか、そしてどうすれば
旅館が生き残っていけるのかを研究しています。
2. 「キャリア」とは何か ~キャリア・デザインへの指針
ここまでは私のキャリアについてご紹介してきましたが、次に、
私自身の経験を交えながら、
キャリアを理解することの意味や、キャリア・デザインへの指針について、お話していきたい
と思います。自分に適した仕事や自分がやりたい仕事がわからない場合、就職活動の停止や、
問題の先送り、誤った選択といった、
「自分探しの隘路」に陥ってしまうこともありえます。そ
こで、
「キャリア」とは何なのか、いくつかの理論をご紹介します。キャリア論を理解すること
により、キャリア・デザインのヒントがつかめるのではないでしょうか。
3 つのキャリア・アンカー
「何ができるか」
、
「何がしたいか」、
「何をするべきか」
。こうした問題意識を持って、俯瞰的
に自分のキャリアを見つめることで、一定の法則性を見出すことができます。それを、キャリ
ア形成やその支援に役立てることができます。
キャリアには、二つの側面があると言われます。一つは客観的キャリア、これは経験した職
業・職務の履歴、つまり経歴のことです。もう一つは主観的キャリアと呼ばれるもので、仕事
に対する自己イメージ(自己概念)を指します。
クランボルツ(J.D. Krumboltz)の「計画された偶然性」理論
キャリア論の重要な理論の一つに、クランボルツ(J.D. Krumboltz)の「計画された偶然性」
理論があります。従来のアプローチが、優柔不断を乗り越え、意思決定することを支援するの
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オープン講座「女性のキャリアと生き方を考える」
第 4 回 大久保 あかね氏
に対し、彼は、複雑で予測不可能な未来に対する賢明な対応として、
「不決断」状態を受け入れ
ることを提唱しています。これは、
「内省」よりも「行動」を重視する立場です。
ポイントは、単に意思決定をするだけでなく、
「満足のいく人生を作る」という目標に向けて
努力することにあります。そのためには、オープンマインドであること、計画外の出来事の利
益を最大化すること、そして生涯学習を続けることが、重要になるでしょう。
私が、自分の人生で自信を持って言えるのは、常に、その時点で目の前にあることを、一生
懸命やってきたということです。
「厭だな」「何でこんなことを」と思うこともありましたが、
とりあえず、目の前にあることに集中して取り組み、いろいろな所でいろいろな人から助けら
れながら、キャリアを重ねてきました。これが、
「計画された偶然性」を受け入れるということ
にあたるのかもしれません。私は、そう解釈しています。
ライフサイクル論から見るキャリア論 ~人生の節目 「トランジション・モデル」
ライフサイクル論の立場からは、キャリア・デザインは、人生の節目(トランジション)に
おいて行うことと考えられています。節目(トランジション)とは一種の「危機」であって、
うまく乗り越えることができれば、成果と満足をもたらしますが、失敗すれば、停滞や失望を
招くかもしれません。人生の節目にはどのようなものがあり、他の人たちはそれをどのように
乗り越えているのかを知ることは、キャリア・デザインを成功に導く助けになります。
トランジション・モデル:人生の転機を個人がどう乗り越えていくか
シュロスバーグ (N.K.Schlossberg) によるトランジション・モデルは、個人が人生の転機を
乗り越えて行くプロセスを、3 つの段階に分けて考察しています。このプロセスは、まず①「終
焉」から始まります。この段階で、個人は離脱、アイデンティティや方向感覚の喪失を経験し
ます。この一時的な喪失感に耐える段階が、②「中立圏」で、それが次第に内的な再結合へと
収斂していき、③「新たな始まり」の段階へと移行します。
この移行のプロセスを乗り越える上で重要になるのが、
「トランジションの 4S」と呼ばれる
4 つのポイントです。
「4S」は、状況(Situation、どういった転機か、タイミングはどうか)
、
自分自身(Self、転機の受け止め方、自分の内的なリソースのチェック)、周囲の支え(Support、
周囲からの好意や援助があるか、誰からの、どんな援助か)そして「戦略」
(Strategies、状況
に対応する行動の仕方、状況(の意味)を変える、あえて何もしないなど)を指します。
図表 1
シュロスバーグ(N.K.Schlossberg)によるトランジションの 4S
図表出典:講義資料(オリジナルはナンシー・K・シュロスバーグ(2000)「『選職社会』転機を活かせ」(日本マンパワー
出版)、渡辺三枝子編著(2003)「キャリアの心理学」(ナカニシヤ出版)
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オープン講座「女性のキャリアと生き方を考える」
第 4 回 大久保 あかね氏
トランジションの 3 段階モデルから見た、大久保あかねのキャリア
この 3 段階モデルに即して、生涯発達とトランジションの視点で私のキャリアを振り返って
みますと、「4S」の再構築につながった大きな転機は、熱海への転居を決めたことだったと思
います。これが、トランジション・モデルでいう①の「終焉」の段階にあたります。結婚した
後、それまでの仕事を無にして、熱海に転居し、家庭の主婦になるというのは、すべて自分で
決めたことです。それは、私にとって、大きな決断でした。
それに続く②の「中立圏」の段階が、熱海に移ってからの数年間です。何となく方向感覚を
失って、迷いながらも次の行動に移る、という過程を繰り返していたような気がします。ホテ
ルでのアルバイトや、陶芸家アシスタント、
「じゃらん」の観光担当の仕事を経験するうち、観
光についてもっと勉強したくなり、それが大学院に入る決断へとつながりました。
熱海に住んでいると、観光や温泉関連の仕事が多く入ってきます。大学院で勉強しながら、
地域での活動にも関わり、
温泉について勉強して、
地域にフィードバックしたこともあります。
大学院の指導教授がサービスを専攻していたので、サービスについての理論的な勉強もしまし
た。最終的には、旅館、サービス、温泉文化、地域開発というそれぞれの分野の勉強や経験が、
専門分野の研究にすべて結び付き、博士号の取得につながりました。それを起点に、私のキャ
リアは、③の「新しい始まり」のサイクルへと移行し、現在の大学教員としての教育・研究活
動、そしてキャリア開発の仕事へと発展しています。
今から振り返ると、私の場合、熱海に移る時、すべてを切る決断をして、ゼロスタートの状
態にしたからこそ、
「4S」をすべて切り替え、いろいろなことに挑戦できたと思います。
図表 2
「トランジョンの 3 段階」モデルから見た大久保あかねさんのキャリア
図表出典:講義資料
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3. 大学院で得たもの、
「後」につながったもの
最後に、私が大学院で得たもの、その後のキャリアにつながったものは何かについて、振り
返ってみたいと思います。
まず、指導教授との出会いが、何よりも重要だったと思います。私の先生は、学生を指導し
よう、育てようという意欲の高い方でした。論文を書くことや研究をすることと、一般的な勉
強とは違います。研究では、方法論から理論の構築、文献の探し方、表記方法まで、すべて、
次の研究者につながるように書くことが求められます。私の先生は、社会人で大学院に入学し
た私に、そうしたことを細かい点まで丁寧に教えてくださいました。今でも、指導教授には頭
が上がりません。私は、指導教授を始め人生の師や、高い目標を持った人たちとの出会いに、
様々な場面で、ずいぶん励まされ、助けられてきたと思います。
大学院では、観光学と出会い、自分の取り組むべき専門分野を発見できたことも、大きな収
穫でした。観光学は、学問的にはまだ確立していない分野ですが、私を含め、観光研究に関わ
るすべての研究者たちは、
「観光学を自分たちの手で育てていこう」という意欲と情熱を持って
います。
また、専門分野での研究活動を通して培った人脈や、地域での活動の深化も、現在の活動に
生かされています。研究の成果を実践する場所を持っていることは、とても幸運なことだと感
じています。
4. まとめ
キャリアの分岐点は、一般的には、大きく 2 つ存在すると言われます。1 回目は大学卒業な
ど、
「社会に出る」時、2 回目は 40 歳~50 歳の頃です。女性の場合は、この間に結婚、出産や
育児というイベントもありますので、もう少し複雑かもしれません。私の場合は、35 歳が分岐
点でした。
いずれにしても、人生の分岐点で選択をするのは自分自身です。選択の段階で、よりよい道
を選ぶためには、日々、
「経験」、
「学習」
、
「人脈」を積み上げていくことが大切です。
母校の奈良女子大で、年に 1 度、キャリアについての講演をしています。そこで強調してい
るのは、
「今できることは、今しかできない」
、
「世代の違う人の意見を聴く」
、
「誘われたら、断
らない」という 3 点です。これを守ると人生が開けてくる、と実感しています。
(了)
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