みこころホスピスを支援する会・会報 30 発 行 みこころホスピスを 支援する会 事務局 イエズスの聖心病院内 . l vo .1 7.3 0 20 〒8600079 熊本市上熊本 21124 TEL0963527181 FAX0963527184 www. mi kokor ohp. com/ 晴天に恵まれたチャリティーバザー 善意の絆の賜物に感謝して みこころホスピスを支援する会 副会長 中 村 信 子 二月十一日(日)第十二回みこ ころホスピスチャリティーバザ ーが聖心病院駐車場及び病院ロ ビー内で開催された。 ロビーでは健康相談 (血圧測定、 基本検診、高脂血症及び糖尿病 の食事療法等) 、 介護、 入院相談 (関 連資料の配布) などが実施された。 希望者にはチャペルやデイケ ア室見学の案内があり、病棟、病 室に関しては写真を提示した。 来訪者を含めて地域の人達に 聖心病院を知っていただく一助 になればと願って企画された。 食品販売コーナーでは昨年の 反省に基づき、当日券を多数用 意した。 焼そば、 焼とり、 おにぎり、 豚汁、 おでんセットなど各教会と修道 院が分担して準備できた。茶席 はロビー内に立札の席が用意され、 茶菓子の美味が評判、ボランテ ィア担当のコーヒーショップも 日頃の腕に縒をかけて奮闘、大 津のさつま芋はアツ熱の焼きた てを賞味、ボーイスカウト十三 団による餅つき実演販売は搗き あがるごとに売り切れる有り様。 蚤の市コーナーは市価よりず っと安い実用品とあって、はじ まる前から大勢のお客様が集ま ってくださり、日用雑貨、洗剤、 小物衣料、食品など、一人三点ま でと限定、その中でもかって入 院されていた患者さんのご遺族 が寄贈してくださったタオルが 好評で、三枚一組にたたみ、ビニ ール袋に包装して販売、売れ残 った品物は最後に半額にして完 売することができた。 イベントのチョン掛け駒は、 入院患者さんが退院後練習した という妙技を披露、とび入りの 見物客にも手ほどきをされて喜 ばれた。 午後からのサルサ踊りは、メ キシコ出身のエネスト・モリエ 1 ール神父様の先導で会場の全員 が輪になり、手の舞い、足踏み、 腰をくねらせての全身運動、名 づけてマカレナ、次いでアッセ レヘ、またマゴリラと意味不明 ながら明るく楽しいメキシコ特 有の健康な汗を流して明るい雰 囲気が会場をつつんだ。 フィナーレのお楽しみ抽選会 は多くの人の善意で二千五百枚 を完売。 五千円の商品券を筆頭に、院 長賞、会長賞、ホスピス賞、残念 賞には桂花ラーメン、 ボールペン、 タオル、ぬいぐるみなどが用意 されて、にぎやかに楽しく無事 会を終えることができた。 最後に荒瀬院長より「めまぐ るしく変わる医療制度にあって、 地域の健康を担う病院として、 皆様の期待に応えてゆきたい」 とお礼の挨拶をされた。 新しい病院での第二回目のバ ザーゆえに、昨年の反省を生か して計画され、会場設営の不安 も少なく、病院の先生はじめ職 員の皆様の全面的な協力を得て 「支 援する会」が支援される心強さ の中でバザーを実施できた。来 年はさらにこの経験を生かし充 実したバザーに、一歩進めてゆ きたいとの思いを深くした。 力をあわせて事を終えた安堵 感であった。 協力いただいた熊本県カトリ ック教会、 ボーイスカウト十三団、 修道院、さらにご協力いただい た多くの方々に心より感謝を申 し上げたい。 第5回RKK学苑ハーモニカメイトのミニコンサートが 聖心病院研修センターでひらかれました。 4回までは日頃の成果をみなさまにみていただこうとはじめたのでし たが5回ともなりますと演奏する人も一所懸命心をこめてふき、聴い ている方に感動をあたえるまでになりました 。 12月14日でしたのでクリスマスが近いこともあって、クリスマスソ ングも入り楽しい催しになりました。 日 時 2006年 12月 14日(木) 14: 00∼14: 45 曲 名 ジングルベル 荒城の月 月の砂漠 もろびとこぞりて 岸壁の母 アザミの歌 赤い鼻のトナカイ 波浮の港 冬景色 聖しこの夜 「水戸黄門」の主題歌 もみの木、酒よ 三百六十五歩のマー チ 演奏者 田中亨(指導者) 大浪展子 篠田久乃 土田勝朗 東生男 2 モリエール神父の先導でメキシコの踊りを! シスターも参加、手作りお菓子販売 バ ザ ー 風 景 チョン掛け駒 の実演風景 メイン会場 餅つきや抽選など ➡豚汁販売 みこころホスピスチャリティーバザー収支報告 平成19年2月11日 【収入】 合計 1, 343, 231 【支出】 【利益】 合計 360, 950 982, 281 3 ホスピス病棟から ホスピス看護師 前 田 聖 子 私がここ、ホスピスで働き始 めて三年目になる。 働き始める頃、前職場の同僚が 「安楽死の病院だね」と言った ことに愕然としたことが思い出 される。 同じ職種でありながらこんなに も緩和ケア、ホスピスが知られ ていないなんて、と悲しかった。 これまでに、色んな患者さんと 出会った。ある患者さんは「こ の病院に来たら最後」と言って いた。話しを聞くと、前病院で 「末期だから何もできることが ない。緩和ケアのある病院に行 きなさい」と言われ追い出され 見捨てられたような気持ちにな った。 ここは死ぬのを待つところなん だ、と思いを話してくれた。 入院している患者さんを看て いると、痛みやきつさが和らぐ ことで、よい時間を持っている 患者さんは多い。 4 趣味の絵を描いたり、歌を歌っ たり、本を読んだり。部屋が、 生活の場、家となっているとこ ろもある。 そんな患者さんのお顔は穏やか で生き生きとしている。 その人がその人らしく「生きて いる」姿がそこにある。私は医 療者みんなにこの姿を見て欲し いと思う。 緩和ケア、ホスピスがどうい う場所なのか、医療者がそれぞ れの立場で少しでも理解できれ ば、患者さんの思いに多少なり とも寄り添えると思う。 そして穏やかな時間がより多く の癌の患者さんに与えられるよ う、緩和ケア、ホスピスに携わ る医療者が増え、施設も増える ことを私は願っている。 ホスピス病棟から ケア ワーカー ホスピス病棟に看護助手とし て働きはじめて、早いもので一 年が過ぎた。 私は人の世話好きで、ヘルパ ーとしての二年の経験があった ので、今から働く職場がどうい うところかなど、あまり知らな いままどうにかなるだろうと軽 く考えていた。 しかし、自分の考えの甘さに 初日から後悔した。 関 裕子 実にこなせるようにと気持ちを ひきしめた。 少しずつだが、仕事のペースを つかみ、周りが見渡せるように なってきた。 今は、患者様が望まれている事 を第一に考え、苦痛を与えずに 少しでも喜んでいただけるよう にしたい。眉間にシワが寄らな いように注意する事は、先輩か ら教わったことだ。 右も左もわからず、目の回る忙 しさ、先輩ワーカーの足手まと いにはなるし、だんだん小さく なっていく自分がいた。看護師 の皆んなの顔が同じに見える。 何を誰にたずねたらいいのか、 何から聞けばいいのかも迷い、 患者様に対しても、恐る恐る接 している。 そういう時に失敗も続く。そん な日々がしばらく続いた。 そして、 突然の先輩ワーカーの退職。ま すます、肩がどーんと重くなる 気がした。 しかし、最初から覚悟してい るが、残念ながらお別れの日は、 早く訪れる。悲しいが、一期一会 を大切にし、一人一人の思い出 を大切にして、仕事の糧として いきたい。 しかし、ここで逃げては、負けて はいけない。仕事にたいしてい つも一生懸命な先輩から教えて いただいた仕事を、一つでも確 そして、周りのスタッフも、お互 いを思いやり、 やさしい人ばかり、 日に日に、このホスピス病棟が すきになっていく。 ワーカーの仕事である入浴介 助では、日頃は交わせない会話 が楽しめる。昔話をしたり、時に は歌ったりと、笑いが絶えない。 久しぶりの入浴に患者様やご家 族に喜んでいただけると、かい た汗など吹き飛んでします。 5 ホスピスで学ぶ家族の偉大さ ホスピス看護師 高 尾 美 幸 ホスピスに勤務して一年半が 経ちました。 患者様とご家族からはとても多 くのことを学ばせて頂いていま す。その中のひとつである家族 の大きさについて述べたいと思 います。 患者様の中には寂しさやきつ さ、辛さが強まると落ち着きが 無くなられる方がいらっしゃい ます。 そのような時、私達は傍に付き 添いながら、落ちつけるように 薬を調整していきます。 効果が得られるまで数時間要す ることもあります。しかしご家 族の面会があると、その瞬間に 落ち着かれるのです。 険しかった表情に変わられます。 イライラされていた言動も柔ら かくなられます。 御家族の存在は誰にとっても何 6 にも替えられない程大きいのだ なと日々感じています。 しかし御家族はよく「何もで きない」と口にされます。傍に 居てくださることの大きさを日々 伝えるようにしています。 これまでずっと一緒に過ごされ た、支え合ってこられた家族だ からこそ傍に居てくれるだけで 患者様は安心されるのでしょう。 私達は御家族の代わりにはなれ ませんが、ご本人御家族の思い を大切にして、そのお気持ちに 寄り添っていきたいと思います。 患者様おひとりおひとりが安 心した環境で心身共に落ち着い た日々を過ごせるよう、御家族 のお力を借りながら、今後も精 一杯の援助をしていきたいと思 います。 利用者からいただく私の霊的ケア 20 驚 き 「ここに来て何にでも感謝できるようになりました」 みこころホスピス長 Sr . 泉 キリ江 驚いたことは忘れない。忘れ ないことは機会ある度に口にする。 私が話し、、書くことには常に個 人的驚きに関係している。今回 も又、その中の一つを記すこと にする。 年齢的には未だ45歳、現役の 職業人、両親健在のA氏、癌治療 を終えホスピスへの転院。さぞ 残念で、悔しくて・・・の思いをし ておられるのではと、元気で動 けていることが申し訳ないと思 っていたある日、話しの中で「こ こに来てから、何にでも感謝で きるようになりました。自分で も不思議ですけど」と笑顔で静 かな口調で話してくださった。 私はこのことばに一種の衝撃を 受けた時のような驚きを覚え、 次のことばが出ない程だった。 何故?通常「感謝する」という ことは、自分の願いが叶った時、 思い通りに事が運んだ時などに 起こる心の反応と考えられる。 でも、彼の中に起こっている感 謝はそうではなさそうだ。私が 考える感謝の条件には当てはま らない。これは不思議な出来事 なのだ。当人も不思議と言って おられるのだから・・・。 全てに感謝できるということは、 恵み、即ち自分で作り出すもの ではなく、与えられるものとい うことであろうか。入院間もな いときに「ここに居ると、皆から 受け入れられているように思え て安心しておれます。落ち着い てね」と話されたことがある。す ると、A氏の感謝は「皆から受け 入れられている」ということが 安心となり感謝できるようになる、 ということを教えてくれている。 私は今日までの患者さんから の学びの体験から「感謝」、 「あり がとう」は人の完成の状態と思 ってきた。今回も又、出会いの中 でその思いを強くしている。 人々 の中に完成の姿を見た時、完成 への憧れがある程に驚きは大きい。 驚くことのできる自分、それを 与えてくれる環境に居ることの 出来る私は何と恵まれているこ とかと思う。 以上のことを書いた後、、許可 をもらおうとA氏の部屋を訪ねた。 すると色紙に思いを詩として書き、 次のことばが展示されていた。 紹介することを許してくださった。 7 ● ころんでも また起き上がる さだめかな ● 聖心の 心の癒し 日々ここに ● 変わり来る義の運命 浩き心で待てばよし (A氏の名2字が刻まれている) ● 何事も 感謝わすれぬ 生きる道 ● 母親の 気遣う料理 ありがたし (週末に両親の家に帰る) ● 姪っ子が 大丈夫?と 声をかける ● 穏やかに 生かされている ありがたさ ・・・感 謝 俳 句 近 詠 利光釈郎 ■新春の菊池公園(07 ・1 ・14) 菊池城山公園への初吟行、多目的グラウンドでは出初 め式があり、麓の弓道場では寒稽古が行われていまし た。雲上閣神社へも詣りました。 詩は志なり物芽あかあかと 奥宮に寒禽のごとかしこまる 水勢に振られ少年出初め式 矢渡しの古式のままに弓始 ■早春の泰勝寺跡 (07 ・2 ・4) 早春の句材を求めて、泰勝寺跡・四つ御廟を散策しました。 梅の蕾は固く、竹林の径に入ると寒さを感じました。池に 十数羽の鴨が来ていました。 開山のおくつきは此処寒椿 梅固し日は輪塔に遠くあり 石塔の崩えを一途に笹鳴ける ■長洲海岸吟行(07 ・2 ・11) 的ばかい神事で有名な四王寺神社前を荒尾方面へ北上、左 手へ折れると長洲海岸です。沖には茫々と粗朶が立ち、そ の間に海苔漁の小舟が浮き、雲仙岳が遠望されます。目当 ての千鳥は、ただ一群見ただけでした。 一湾の綺羅を波とも千鳥とも 潮目より現れて千鳥の金また銀 潮ゆたか朝日ゆたかに海苔育つ 明り取る小窓が一つ海苔漉場 8
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