モンゴルの今-21

モンゴルの今-21
急速に進む馬からバイクへ‼
❖背後の虹に気がついているでしょうか。150cc の
バイクで数100キロ走るのは普通のことです。
この背景には、以前から比べると生活
が安定してきているとも・・・政府から毎
月支給される援助金が大きい・・・。
急速に移動手段や仕事への利用、そし
て、生活環境も変わりつつあるよう。
バイクに乗る若い馬飼い、ラクダの群れ
を追う若者も見かけましした。
デートもバイクというのも珍しくない!!
ウランバートルから地方へ行くと、どこでも
バイクに乗っている光景が目に付きます。
10数年前までは、ロシアのバイクにサイド
カーを付けて走る姿や、タクシー代わりに
利用されていました。2∼3人の子どもを乗
せて走っていた姿も見かけました。
今、中国から安く燃費・性能がいいバイク
が爆発的に若者たちに売れています。値
段は、賃金の数か月分。150cc7万円ほど
を中心にローンで買う人が多いそうです。
「発展・変化」で人々の生活、こころは??
お互い身近な生活を通して考えていきたい
問題抱えたモンゴル・日本・世界・地球!!
ユニークなナーダムの心意気!!
ウランバートルの中心街、中央郵便局
前の大交差点、歩行者用信号機に何
と競馬、相撲、弓的のデザインが出
現。さらに、ここにセグウェイに乗った
交通整理の警官が現われました。
❖草原のナーダム
バイクで集まって来
ている人が大勢い
ます//オブス県
❖競 馬❖
❖相 撲❖
❖弓 的❖
❖地方のザハ/自由市場
看板にバイクが!!!
コンテナの店では新車の
中国製バイ クを販売。
150cc.200cc.250cc
URL http //www.d6.dion.ne.jp/~nairamgo/ E-mail
[email protected]
Япон-монголын харилцааны найрамдал нийгэмлэг
NO.74/2011.10秋<季刊> モンゴル交流協会ナイラムダル
知人たちの近況
20110727-0817//民族楽器収録の旅/大島
《名前/職業/友好コンサートで来日した年/記入は現在住所》
❖❖❖〈フブスグル〉ムルン❖❖❖
❏ハグバジーさん// K. Lhgu>grna
❖舞踊家、ホーロイ・リンべ(喉笛)/2003
7月30日20時半ころ、いつもと変わらぬ穏やかな笑顔で出迎えてくれました。今年の5
月にウランバートル滞在中に電話で元気な声を聞きましたが、5年ぶりの再会でした。
今回の収録では、いろいろ仲間に話をして準備を進めてくれました。昔から伝わる手、
石、骨を使った演奏、そして、ほとんどモンゴルでは忘れ去られてきているホーロイ・リン
べ(喉笛)を、改めて聞き、その響きに聞き入りました。
❏アマルサイハンさん//". Gbgjvgahgy
❖歌手/2003
❏ホルガナーさん//:. Helugygg
❖舞踊家/2003
2人は、2003年のコンサート帰国後結婚。アマルサイハンは、昨年、ベトナムでの国際
音楽祭に参加。また、様々なコンサート、コンクールに参加。腹が出ていることに、「タバ
コを辞めたら腹が出てきてしまい、みんなにタバコを吸ったほうがいいと言われ、今は少
し腹が引っ込んだ」「40才以下の人は、オルティン・ドー知らない。楽器演奏は、新しい
創造性のある曲が生まれていますが、歌は遅れているので模索しています」。ホルガナ
ーさんは、劇場の活動と、学校で舞踊を教えています。3人の子どもたちは、夏で田舎
生活。長男(エンフアマガラン/16歳)は舞踊(5年前フブスグルの旅グループの前で踊
る)を、次男(エンフダワ/6歳)は、歌がうまく、また、県の幼稚園の相撲の部で優勝、三
男(エンフムルン//3歳)は、県の保育園部門の歌で準優勝と、すごい活躍。結婚当初
は、間借り生活、現在は、1間の広い家に住んでいます。そのうちクルマを買いたいと。
❖❖❖〈オブス県〉ウランゴム❖❖❖
❏ウルジンルハムさん//RGJUGL OJRNYLHGB
❖ヨーチン奏者/2000
❏ドルジュハグバァさん(夫)
ウルジィさん夫婦は、2000年のコンサートから帰国後、ウランバートルに出てきていま
したが、その後オブスに戻り、知人の家に間借りしていました。また、4年前は、ドルジュ
さんは、劇場の舞台監督に就任したところでしたが、その後、劇場長が変わって下ろさ
れたそうです。2年前に、ゲルとレンガ造り(2DK)の家を買って住んでいます。4年前は
子どもに見えた、ノミン(長女)は、16歳と背も高く女らしくなり、楽器の収録では、石の
楽器を奏でてくれました。ホス(長男/14歳)もすらっと背が高い少年になって、弟の面
02
倒をよく見ていました。今年5月にあった3歳のマルカド(次男)は人なつっこく、ずいぶ
ん一緒に遊びました。
❏バヤルタイさん//U. DGZJMGA ❖舞踊家/2000
〈ウランバートル在住〉
帰国前日に再会。昨年から芸術大の非常勤教員。今年のナーダムでは500人の舞踊
グループを指揮。また、これまで4000人もの人に踊りを教えてきたとのことです。ビレゲ
(モンゴル独特の舞踊)は、ユネスコの無形文化財に2010年10月01日登録され、政
府からは、「北斗七星の賞」をもらったということです。さらに活躍に期待します。
❖❖❖〈ホブド県〉ホブド❖❖❖
❏センゲドルジュさん// Y.VTYUT:KJR ❖ホーミー/1998.2002.2004.
4年ぶりに再会してびっくりです。ずいぶん痩せてはつらつとしていました。一時は100
キロを超えていました。また、ちょうどギーマ(奥さん/女優)さんは、太り過ぎで身体を壊
し入院です。この1年は、台湾、フランス 2 回、ドイツ、米国、スペイン、韓国と、ずいぶん
海外公演に明け暮れたとのことです。来年は2ヶ月くらいフランスに行く予定。
❏トーラさん// W.MEEL
❖ヤタク(琴)奏者/1998.2004.
いつもの優しい笑顔で出迎えてくれました。2人の娘は、大きくなりUBに出て行ってし
まって、ホブドは、夫婦2人。収録では、13絃、21弦のヤタクの音色は、川の流れに溶
けこんでいました。さらに、風が2つのヤタクに魂を吹き込んで鳴り響きました。
❏ムンフスフさん//: .BFYHVOH ❖馬頭琴奏者/1998.2004
今回の馬頭琴収録で、これまで聞いたことのない素晴らしい磨きがかかった馬頭琴演
奏を聞かせてもらいました。モンゴルでも数少ない左利きの名馬頭琴奏者です。
❏ネルグィさん// V.Ytjuoa
❖シャンツェ奏者/1998.〈ウランバートル在住〉
コンサート以来10数年ぶりです。そんな時間の長さを感じさせない笑顔で迎えてくれま
した。最近、空気が良いところにと中心街から10キロほどのゲル地区に住んでいます。
家の向いの先の丘は、見覚えのある〈日本兵の墓地〉ダンバダルジャです。墓地の周
辺は20年前草原でしたが、多くの住宅、ゲルが建っています。家に入ると、長男の息
子に「こんにちは」と言われびっくりしました。そして、娘と、新潟大学へ留学している息
子が帰郷していました。同行したバッサイハンに変り、写真の説明をしてくれ、また、用
意してくれたモンゴル料理をいただきました。「昨年、夫が亡くなりましたが、ウランバー
トルでは、ホブド劇場出身60人で『アルタイ劇場』を設立して活動を続けています。」
❏バッサイハンさん一家//
人文大学日本語教員、アルタンゲレルさん中学ドイツ語教員
息子ハンビレグ、娘オヨと奥さんは、夏休みをバッサイハンの故郷ツェツェルレック(古
都ハラホリンから西に100km程)で遊牧生活。オヨは3歳の慣習で6月に坊主頭になっ
ていましたが、2人とも友達と遊んでたくましくなっていました。バッサイハンは、日本の
知人の旅や、私と3週間に渡る旅と、家族一緒の貴重な生活を割いてくれていました。
03
◆お悔やみ//馬頭琴奏者の第一人者ドブチンさん◆2011.07.13没
ドブチンさん//М. ДОВЧИН//1938年生//国民栄誉功労賞受賞〈ホブド〉
ホブドでセンゲさんに再会して、ドプチンさんが亡くなったと知りました。残念です。
生前は、馬頭琴の第一人者として活躍するとともに、ホブドの若者たちに馬頭琴を指導
していました。2002年5月/コンサートの打ち合わせで滞在した際に知り合い。2005年
11月/民族音楽のホブド県のコンクールの際、私は劇場内に宿泊して早朝馬頭琴を練
習していたら部屋に入ってきました。また、ドプチンさんが若い人に馬頭琴を教えてい
るところを見学しました。習っている若者は、それぞれ手作りの楽器でした。2007年6
月/5人のグループで西域を旅した際は、ボヤント河辺でモンゴルの馬頭琴奏者の第
一人者の演奏を聴くことができました。たぶん、同行した4人は、それほどの人とは知ら
なかったと思いますが・・・
ハグジィさんと娘さん
ウルジィさん一家
フブスグルの仲間
アマルサイハンの子どもたち
バヤルタイさん
ホブドの3人
モンゴル訪問
3
//2011.05.21-06.04/ウランバートル
大島 武行
新たな人と人との結びつきの流れが?
私は、今回2週間の滞在中に目にした「田舎の同級生が集まってのバレーボール競
技の熱戦」をはじめ、いくつかの人々の行動・生活を覗いたり、体験したりする中で、モ
ンゴルで新たな人と人の結びつきの流れが生まれてきていると感じています。
しかし、それは、生活レベルの格差が固定してきていることが背景になって、ある程度、
中流の上の生活が安定している人々に見られる現象と思いますが、心にゆとりが持てる
ようになったのではないかと感じます。
1990年初めの資本主義化への流れが始まって、人々が毎日の生活確保と将来の不
安で必死になっていたころは、我先にと自己中心が強くなっていました。例えば、ゴミを
どこでも捨てる。瓶は割って捨てる。店で物を見ていると、後ろから若い女性、男性であ
ろうと、強引に割り込んでくることは普通でした。また、バスに乗る際に、若い人が人をか
きわけて我先に乗り込み、椅子を確保するなどです。さらに、歩道を歩いていて、堂々
と歩道の真ん中で知人と長話です。友達をだましてカネ儲けすることも気がとがめない
様子でした。また、クルマ社会が進む中では、渋滞していると、対向車線に何のこだわ
りなく入って走っていきます。その結果、車が身動き取れない状態をよく見かけました。
また、渋滞で車が止まっている時に知人がいると、そのまま停まって平気で話しこみま
す。などなど、それ以前の社会主義時代には考え及ばなかったことが蔓延しました。
しかし、その後、ずいぶん時が経って、人の動きは、少しずつ落ち着きを取り戻してき
ました。そして、今回気がついたのは、さらに一歩進んで、人との結びつきの流れが生
まれていると実感しました。
❏郷里(ツェツェルレック)の各卒業同窓生とのバレーボール大会
ネルグィさん一家
ドプチンさん//2002.05
04
ハンビルグ、オヨ/遊牧生活
劇場/2005.11
ボヤント河辺での演奏会/2007.06
それて゛は、いくつか紹介したいと思います。
まず、アルハンガイ県ツェツェルレック(県庁所在地/ウランバートルから西へ約450キ
ロ)の義務教育卒業生たちは、ウランバートルで1980年前からの各卒業年対抗の親睦
バレーボール競技が開催されました。
社会主義時代であれば、ツェツェルレック開催というところでしょうが、1990年以降資
本主義経済下で多くの人たちがウランバートルに出てきているという背景があります。
05
さて、一番若い1980年卒以後35歳∼50歳弱までの男性10グループ、女性6グル
ープが参加しました。各卒業年度別や知人との飲み会などはやられていたようですが、
バレー競技を通じて、さらなる親睦が生まれたようです。まず、それぞれ試合当日まで
は、各卒業年度の参加メンバー集め、各グループの参加費用が30万トグルクを集めな
くてはなりません。これは、多くが勝者への賞金と競技費用です。これに奮闘することで、
同窓生との連絡などで結びつきができます。そして、大きな成果は、競技会までにバッ
サイハンの一番若い卒業の男女の同窓生は、何度となく中学校などの体育館を借りて
汗を流し筋肉痛になりながらの練習です。すでにこのことで昔の結びつきが身近な力
になったのではないかと思います。
そして、バレーボール大会は、5月28日人文大学の体育館で午前中からリーグ戦で
の戦いが始まりました。この大会は、それぞれの同窓生のグループは、グループ名背
番号を付けた揃いのТシャツなどでも結びつきの強さが表れていました。
そして、日本人との性格の違いを見せつけられました。まず、男女ともチョッと体格の
良い人が多くいますが、競技を見ていると実に動きがきびきびと敏感でした。さらに、男
女ともこ大声でペットボトルを叩き応援に熱が入ってすごい迫力でみな童心に返ったよ
うでした。
また、故郷からは同窓生がバス、車で応援に駆けつけ、また、中国、ドイツに行ってい
る人まで戻ってきて参加したとのことです。
決勝戦が終了したのは、翌日深夜の2時30分とのことでした。優勝は、男性が最年長
のグループ、女性は最も若いグループでした。男性の最年長のグループは、優勝する
ほどうまくはなかったようでしたが、ゲームを進めるうちに、動きとチームのまとまりがよく
なったということです。
その後、深夜の大会終了後は、・・・・どこでも同じことになるのでしょう。応援は、みん
な大声を出したため、のどがガラガラになったとのことです。
・・・大きな社会変革でバラバラにされた人たちは、現在、インターネット、携帯社会と、
直接人と人の結びつきが軽視されがちの流れの中で、直接、昔の同級生とのスポーツ
を通じての結びつきは、今後の社会に貴重な流れの一つではないかと感じました。
❏コンサートで多くの同郷の人々が顔を合わせたオブス県人
オブス県劇場所属(ヨーチン奏者/ /2000 来日)ウルジンルハムさんは、6月2日ウラン
バートルでオブス出身の大先輩歌手、シャンセ奏者の慰労コンサートに出演するため
にウランバートルに出てきました。私たちは4年ぶりに再会し、私とバツァエハンは、彼
女からコンサート招待券をもらい久々の鑑賞です。開場が遅れましたが、ホールに入る
と、けっこう空きが多くありました。そして、ずいぶん遅れて開演です。
さて、新しいも好きなのでしょうか。舞台バックにはオブスの風景が映されます。私は
質素さが好きなので、違和感があります。そして、スピーカーの音はボリュームいっぱい
06
というモンゴル独特の演出です。さらに、気が付くと後ろに座っている人達のガヤガヤと
話声が絶えず雑音になって耳障りです。いつの間にか、空きスペースがないほど人々
が入っていました。私は、民族音楽に聞き入っていましたが、このひどい環境にはうん
ざりしていました。
しかし、コンサートが終了して、偶然オブス出身のスーレンフー夫婦に再会し、また、
楽屋にウルジィさんを訪ね、一緒に鑑賞していたバッサイハンに様子を聞くなかで、コ
ンサートの意義の素晴らしさを感じました。
観客は、ほとんどがオブス出身者で、久々に知人と顔を合わせた人も多かったようで
す。オブス県は、資本主義化の中で生活が苦しいことから、モンゴルで最も多くの人が
ウランバートルに出てきていました。その動乱の中で、知人ともバラバラになって久々の
再会があちこちで見られ、喜びの声でした。そのため、演奏中でもザワザワと話が絶え
なかったということでした。このコンサートは、そんな人と人の再会をつくったということで、
すばらしい時間と場所を提供したと思います。そして、コンサートでの背後の映像は、
彼らの心に故郷を思い浮かべることに貴重だったと分かりました。これをきっかけに、
人々はコンサート後に、さらに、今後の結びつきが深まるきっかけになると感じました。
それは、人々がこのコンサート会場に足を運ぶゆとりが出てきたという生活条件になっ
てきているということなのでしょう。
❏シャガィ投的/シャガイ・ハルバー/愛好家の熱気
6月2日、12時過ぎ晴れ、ちょっと風がありますが暑い日差しの中、私は、エルデネバ
ートル(馬頭琴奏者/トフ県劇場所属/2001年コンサートで来日)に会いに、ウランバー
トルのスタジアムに向かいます。スタジアム全体はガラーンとしていますが、その右奥に
ある平屋の建物の前にはたくさんの車が駐車しています。
以前から続いているモンゴル・シャガィ投的(シャガイ・ハルバー)全国大会です。会
場では開会を前にして、各県ごとに練習をしていて、ほとんどが競技者で熱気が漂って
いました。トフ県のグループを見つけると、彼はいました。以前の若々しさからすると、ち
ょっと太り気味です。ニコニコした顔と、緊張した面持ちで、仲間と練習の試し打ちをし
ていました。今日が競技の初日で、56チーム(1チーム4人)、7グループに分かれて、
競技が4日に渡って戦われるそうです。
彼は、春から秋まで南モンゴル(中国内モンゴル)でのコンサートのため滞在していま
したが、この競技に参加するためわざわざモンゴルに一時戻っていました。この熱の入
れようです。モンゴル遊牧民の古くからの大人たちの地味な競技ですが、各地にこの競
技に熱烈な愛好家がいて続けられています。
彼は、以前(2003年)、ちょうど同じころ(6月6日)私がウランバートルに滞在中に、突
然、21時30分ころホテルに訪ねてきました。6月4日からシャガイの競技に参加するた
めに出てきていました。(2003.07/no.41掲載)
07
それ以前90年代、激動のなかで、この競技が継続されていたか確認していませんが、
モンゴル遊牧民族の文化の深さと、愛好家たちのつながりの強さを感じました。
❏学生の中にも、新たな動き?
私は、昨年10月と、今年5月に人文大学で学生と話す機会を得ました。また、ウラン
バートルの散策に同行してくれました。この体験から、モンゴルの学生たちのイメージは、
授業を受けて知識・能力を習得して資格を得て卒業、それぞれの道に進むというもの
でした。学生間とか、クラスでの交流がどうなっているのか見出せませんでした。せいぜ
い、それぞれ親しい友人とのつながりで楽しみはありますが・・・・
そして、今回、前回知り合ったクラスで、話していると、ある学生から「ウランバートルに
ある日本の料理店は、あまりおいしくないので、『うまいラーメン店をやりたい』」という話
から、「授業とは別に日本料理の自分たちで企画してつくってみたいね」と発展して“牛
丼”“カレー”“うどん”“おにぎり”・・・との提案が出されました。クラスの中で、こんな話に
発展することは、これまでになかったのではないでしょうか。
❏同窓会も動き出しているよう
1990年代以降、私は、いろいろの知人が同窓会をやったという話を聞いたことがあり
ませんでした。そして、今回、バッサイハンの奥さんは、同窓会に行ったとの話を聞いて、
なるほど・・・と、社会の流れを感じました。
大相撲//日本人「大関」誕生、協会、親方衆ホッとしたでは困る!!!改革は?!!!
八百長なくならない78%〈世論調査〉//毎日 0705
琴奨菊//三役場所33勝
大関に!!
7月(名古屋)場所で2回目の優勝した日馬富士は、秋場所で残念ながら失速。
大関昇進に11勝を目標にしていた鶴龍も残念。今後の2人に期待!!!
やっと日本人「大関」誕生で、協会、親方衆は、少しはホッとしたことでしょう。そして、
改革を進めてほしいのですが、ここのところ全く忘れ去られているようです・・・・!!!
喜びに浸っているだけではなく、外国人差別が平然と横行する規則にメスを入れるこ
とが求められています。外国人力士の理事会への参加、理事選挙権、親方就任権、た
ぶんその他にもいろいろあるでしょう。それとも、これまで通り、各親方たちは強い外国
人力士を単にカネ儲けのためしか考えていないのでしょうか。差別続ける中で、自らの
部屋の収入を確保することに終始していては困ります。
すでに、モンゴルの人たちは日本相撲の実態をよく知っています。ぜひ、日本が世界
に通用するスポーツに、格闘技にしてほしいものです。それとも宗教法人?
〈news-1〉
〈news-2〉
❏「無縁社会」から、人と人との結びつきを取り戻す流れを
日本では、大震災前まで「無縁社会」として、都市でも田舎でも人間関係がなくなって
いました。その象徴が毎年3万人を超える自殺者、そして、孤独死、孤立死と、殺伐とし
た人間社会になっていました。しかし、大震災で一命を取り留めた被災者は、避難所で
ともに生活する中で、人と人との結びつきの大事さを体験しました。さらに、支援の手を
差し伸べた人々も、改めて、人と人との結びつきの関係の重要さを確認したかに見えま
した。しかし、避難生活から仮設住宅に移ると、人々の結びつきの条件を大きく失って
来ているのが現状です。そして、大震災の恐怖の体験者、高齢者、肉親を失った人た
ちの孤立感が深まる中で、精神的に苦しんでいる人が大勢いるのが実情のようです。ま
た、様々な形での支援の輪が広がり、それに積極的に参加した人たちは、一般に日常
生活での身近な人間関係は以前と変わらないままで、支援のための人間関係、その時
間と場所に限定されているだけと感じます。ですから、モンゴルの新しい動きは、私たち
日本の社会でも、新たな人と人との結びつきの流れをどう生み出していくか考えるきっ
かけにしていきたいと思っています。
08
モンゴルからの渡り鳥判明!! タゲリ
石川県加賀市で 2011.03.27 発見!!
〈10.03/毎日〉
2008.07.31 ハ ラ ホ リ ン か ら 北 に 約
60km にあるウォギー湖畔(アルハンガ
イ県)で装着した標識と判明。
哲人君//梱包材の生産の会社
「レンゴー」に就職//海外出張必須とか
天風君//石油を探す会社
「日本海洋掘削」に就職//海外の海の仕事
〈比留川さん/千葉県市原市〉
07.16、08.11
09
処理できない放射能を撒き散らす原発からの政策転換を!
モンゴルの夏・花々を追って
思い出すことなど
関川 昇〈東京都〉
< 16 >
中込 司郎(山梨県)
❖ノニレ//ニレ科 Ulmus pumila 〈p63〉
山裾から草原に移るところ、または草原を横切
る岩脈などの荒廃したところに群がってて生える。
大きいものは幹の太さ 30∼50cmになるものもあ
るが、普通は写真のような形をしている。この木
も薪として多く利用されている。
❖ホソバイラクサ//イラクサ科 Urtica angstifolia 〈p64〉
イラクサの仲間は日本にも多いが、モンゴル草原にも多く
生えている。ホソバイラクサは日本にもある草で刺すので嫌
われるもの、モンゴル草原ではこれも家畜がたべるという、こ
の程度の刺し毛では家畜はなんともないようである。
❖アサノハイラクサ//イラクサ科
Urutica cannabina 〈p65〉
イラクサのなかでもこの草は特に刺されると痛い、――とい
うより激痛である。私も 95 年初めてでまだ草原の草の性質
がわからなかったため、この株の中に足を突っ込んでしまい、
痛さで跳ね上がったことがある。ところがこの草も家畜は好
んで食うというのだから、なんともモンゴルの家畜の口はどう
なっているのだろうか。
〈花の学名後部ページは「モンゴルの身近な植物」―モンゴル植物ミニ図鑑―〉中込著
10
19日の「脱原発」の5万人集会は、久々の大集会でした。明治公園に人があふれて
いました(主催者発表で6万人)。社民党系の原水禁、平和フォーラムが中心となって
呼び掛けたところへ、共産党系の全労連の幾つかの労働組合も参加したので、これだ
けの数になったのだと思います。
3.11直後に日本ではせいぜい数千人の集会しかできなかったのにドイツでは20万
人規模の集会があり、忸怩たる思いがしていました。その後も、日本では、集会がいく
つか取り組まれましたが、我々の労働組合系の集会は2000∼6000人がいいところで
した。しかも、ほとんどが50歳以上で、男が7、8割以上でしょう。逆に、主にインターネ
ットで集まった若者が独自にやった集会は1万人とか、2万人とか集めていました。
今回の集会はそれらが合体したと思います。若者や小さな子どもを持っている母親
たち、そのまた母親たちもいくらか参加しているようでした。小さな子どもを持つ親たち
が、福島に限らず、全国的に「子どもたちを放射能から守ろう」と活動を始めています。
こうした動きが政治につながっていければ、と思います。
❖
❖
❖
しかし、推進派の巻き返しが激しいのも事実です。
評判の良くなかった菅元首相が「脱原発」の方向を打ち出したのに対して、野田新
首相は「再稼動」を明言しています。
野田首相は増税するために「次の世代に負の遺産を残してはならない。我々世代で
解決しなければならない。」などと言っていますが、原発=放射能はそれよりももっと永
く、大きな負を残すことになるのに何故、止めようと言わないのでしょうか? 原発周辺
の人々は故郷を追われ、そのまた周辺では子どもたちが外で運動し、あそび回ることも
できません。牛肉、野菜、魚もいちいち放射能を気にして食べなければならないとんで
もない事態なのに何故、言わないのでしょうか!?
❖
❖
❖
私たちは、一人ひとりがエネルギー問題に留まらず、日本の社会のあり方、政治のあ
り方についても考え、ものを言っていかなければならないのではないでしょうか?
集会を主催した「さようなら原発1000万人アクション」ではこの危険な原発を廃止し、
省エネルギー・自然エネルギーを中心に据えた、エネルギー政策への転換を進めるこ
とを求めています。全国に訴えるためにこうした集会と並行して「1000万人署名」を集
める運動を展開しています。私もこれに参加して署名を集めていきたいと思います。
合わせて、モンゴルに日本の放射性廃棄物をもっていくという動きがあるとのこと、日
本で出した人類・自然に危険なものを他の国に押し付けることは許せません。
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脱原発への世界の流れを
日米の悪辣な狙い//死の商人どころか人類破滅への商魂と権力欲!!
世界に原発建設で企業へのカネ儲けの支援と権威の誇示のため?
モンゴルに放射性ゴミ処分場建設とウラン資源確保
<参考-1//
<参考-2//
歌/ЦААСАН ШУВУУ ツァースン・ショボー/折り鶴>
モンゴルへの放射性廃棄物処分場計画などの動き>
日本政府、東電など原発関連企業は、今回の原発破壊で多大な人々に被害と不安
を与えています。これは、人々を数10年、いや、放射線廃棄物は10万年もの時が必要
とのことです。政府は脱原発を世界に率先して進めるどころか、いまだ海外への売り込
みに積極的なようです。政府、原発関連企業は、現在の深刻さ、責任など全く感じてい
ないようです。この背景に何があるのでしょうか。企業のあくなきカネ儲けと、政権政党
の権威の誇示なのでしょうか。人類破滅への商魂と権力欲なのでしょう。
さて、311大震災津波で原発破壊という人類史に残る人災後、日米政府、東芝など
原発関連企業が商魂たくましく、世界規模での原発ビジネスを展開するため、モンゴル
に放射性廃棄物の処理施設建設とウランの確保を狙った動きが報じられました。しかし、
政府、原発関連企業は、今回の経験・責任から、この計画を中止したと言いません。
私は、今回のモンゴル訪問で多くの知人と再会しました。その際に、日本の大震災・
津波、原発破壊による放射線汚染の心配した声を寄せてくれました。さらに、今回のモ
ンゴルへの放射性廃棄物処分場建設について聞くと、みんな関心を持って大変心配し
ていました。あるところでは、原爆の放射能被曝で亡くなった少女についての「ツァッス
ン・ショボー/折り鶴」を歌ってもらいました。私は、たぶんモンゴルの若い人はこの歌を
知らないので紹介してほしいことと、日本でも紹介していきたい思いを話しました。
また、ある人は、「多くの人は心配し、反対です・・・」「マスコミは、一時この問題を大き
く報道しましたが、今は、何も動きがなくなっています。マスコミは、後ろで金持ちが牛
耳っていて、いざ問題になれば、反対できないでしょう」と、厳しい現状も聞きました。
私は、モンゴルで日本の原爆被爆者、放射線の専門家をモンゴルに呼んで現状を紹
介することや、脱原発の流れのドイツやイタリヤをはじめ、世界各国から、脱原発の市
民・グループの交流をやれないものかと考えていますが・・・・。ご意見を!!
モンゴルの人々に望む
❏
❏
❏
埋蔵ウランは後世への財産として封印を!! ❏
自然エネルギーで、原発設置は必要性ない!! ❏
放射性廃棄物処理施設は、当事者の国内で!! ❏
モンゴルの多くの人々は、このニュースを聞き驚きと拒否の声を上げたということです。
しかし、水面下では話が進んでいるようです。そんな中、9月に、モンゴルのエルベクド
ルジ大統領は、「核廃棄物の問題を外国政府や国際組織と協議することを禁止する法
令を公布」との報道ですが、この日米の計画を拒否したとは言っていません。たぶん来
年の選挙までは、人々の鎮静化を狙っているのでしょう。政権政党にとってこの計画の
魅力は、莫大なカネが転がり込み、半永久的に政権を保障することになります。そして、
歴史は繰り返されアラブの長期政権の崩壊と同じ道を歩みそうに見えてしまいます。
❖埋蔵ウランの販売ビジネス//後世への財産として封印を望みます
現在、ウランの利用は、利用技術が未熟なため多大な危険性を持ち、人類社会を破壊
する危険性を抱えています。放射性物質の安全な技術が確保され、さらに、地球規模
で国際社会が必要とするまで、ウラン利用は後世の財産として封印をのぞみます。
❖原発設置//必要性ありません
いまだ人類にとって危険性をコントロールできない原発を利用する必要性は全くありま
せん。今後、ソーラーシステムなど、自然エネルギーと小規模発電で充分賄えます。
❖放射性廃棄物処理施設//当事者の国内ですべきです
最も人類に危険な放射性物質は、いまだコントロールする技術がないことを知りつつ利
用してきた国の責任は重大です。これを他国に持ち込むとは許されません。
さて、日本政府は、モンゴルへのODAの援助を通じて、国連の理事国の扱いで協力
を引き出すという姿勢や、人間関係をつくっています。加えて、日本政府の原発建設了
承を取り付ける地域住民への手法は、原発関連企業を動かして「賛成者のでっちあげ
/やらせ」と、地域自治体への莫大な補助金の提供です。
また、日本の今回の一連の報道は、情報発信側の意図的な情報流しで世界の様子
伺いと、今回の計画を世界に認知してもらうことが狙いではないでしょうか。
❏
❏
❏
❏
❏
12
私たち日本での提案
政府は健康を第一とした放射線安全基準と速やかな除染をさせよう
脱原発の政策と、放射性廃棄物は国内での処分をはっきりさせよう
放射線量の速やかに細かな測定とその公開をさせよう
原発推進の政府、企業、専門家の責任をはっきりさせよう
ひとりでもできること//行政に(電話でも)声の発信と、仲間と話題にしよう
13
アロン ハブリック ウドセン オヒン
<参考-1>
❏広島の原爆で被爆した少女についての平和を願った歌です。社会主義
時代は、この歌をほとんどのモンゴル人が知っていました。他方、日本では、原爆や日本
の侵略戦争を知らない人が増えています。改めて、大事にしたい曲です。メロディーは、
こ の少女の心が生き移っ たように心に残ります。<通信「モンゴルからの風」
no.42/2003.10>//翻訳協力/川岡さん
❏インターネットでこの曲をなるべく早く発信したい
ЦААСАН
ШУВУУ ツァッスン・ショボー//
折り鶴
Д. ДАШНЯМИН/作 曲
作 詞
Я. ЭНХЭЭГИЙН
10 хаврыг
үдсэн
охин
アルタン
デルヒィーゲース ハリン
ニスチェー
Алтан
дэлхийгээс халин
нисчээ
テスレフ
ブンブク
ダィニィ
Тэсрэх
бөмбөг
дайны
フィッテン
フショー
ボロン
ムンフルチェー
Хүйтэн
хөшөө
болон
мөнхэрчээ
シャンサン
フールヒィ
デール ン イ ンゲジ
シィールジェー
Хөшөөн
дээр
сийлжээ
フールヒィー
Хөөрхий
хөөрхий
Өвчинд
шаналсан
ウルブドフ
セットゲレール
オヒニィ
охины
Өрөвдөх
сэтгэлээр
オルトサフ
тоогоор
носан
ホーチニィ
ドモクト
イトゲン
ビシェルチェー
чтгэн
бншэрчээ
домогт
ゾーン
Зуун
уртсан
ミャンガン ショボォー ヒィーベル
мянган
шувуу хийвэл
ヤマルチ ゾブロンゴース
Ямарч
アンギジラン
ゲジ
зовлонгоос ангижирана
гэж
ゾルガーン ティビィーン フーヘット ブフン
Зургаан
хуухэд
オヒン
ショボォー イルゲージェー
Япон
охин
шувуу
オヒニィ
アミドラフ
Хөөрхий
охины
амыдрах
フン
トルルフトニィ
Хүн
төрөлхтний
Хийсэн
бүхэнд
ヤポン
フールヒィ
ヒィーセン
ショボー
илгээжээ
フスレン
хүслэн
ムンヒィーン フスレン
төнхийн
ニィセン
オリチロント インゲジ
Гэрэлт
орчлонд
хүслэн
ドーレット
шувуу нисэн
ゲレルト
дүүлээд
ヘルジェー
ингэж
хэлжээ
エルール
ブヘン
ホスグィ
サイハン
Эрүүл
бүхэн
хосгүй
сайхан
エレヘム
デーディーン ジャルガル ゲジェー
Эрхэн
14
тивийн
дээдийн
フスリィーク ビチジェー
хүслийг
бичжээ
ドーサク
Цацраг
дуусаг
хордлого надаар
ニセン
ヘル
ゲジェー
шувуу нисэн
хэл
гэжээ
病に苦しむ、かわいそうな少女
悲しみの想いで、鶴を折った
折った数だけ、長生きできると
古くからの言い伝えを信じて
шувуу хийжээ
Хийсий
Хуучны
ингэж
охин
ショボォー ヒィジェー
ヒィースニィー トーゴール ナスン
нь
ツァツァルク ホルトロック ナダール
Цаасан
オヒン
эсрэг
フシューン
ツァーサン ショボー
ウブチント
エスレック
харгал
гэжээ
ダィン
ダィジングィ
アマル サイハン
Дайн
дажингүй
амар
ダヤル
オルニィ
Даяар
олны
сайхан
ジャルガル ゲジェー
жаргал
гэжээ
10万の鶴を折れば
どんな苦しみからも解き放たつ
六大陸の子どもたちが
日本の少女に鶴を送った
あの少女の生きる願いは
人々の永久の祈り
折った鶴よ、飛んでゆけ
世界に向けて
健康は何より
一番の幸せと
戦いのない平和な世界が
人々の一番の幸せ
10度目の春を過ごした少女
この世から遠くへ旅立った
原爆や戦争に反対する
石碑になって永遠に残った
石碑にこう刻まれた
少女の願いが記された
原爆病は私で最後となりますように
折り鶴よ、人々に伝えてくださいと
15
<参考-2>◆❖◆モンゴルへの放射性廃棄物処分場計画などの動き◆❖◆
❏2009.04.17/ゾーニー・メデー〈モンゴル紙〉
「国際原子力機関(IAEA)は、モンゴル国に今後3年間で計180万ドルの技術協力」
*参考/モンゴルの大量のウラン埋蔵量(10 万t∼130 万t)の開発などについて
❏2009.05.13//
ロシアのプーチン首相がバヤル首相と会談。原子力エネルギーの平和利用や、モンゴ
ルの大規模鉱床の開発に伴うインフラ整備分野での協力、人材育成の覚書に署名。
❏2009.07.09/ゾーニー・メデー〈モンゴル紙〉
「モンゴル政府は、原子力発電所の建設視野に、今後12年間のウラン利用及び原子
力研究開発計画を作成。第1段階(2009∼2012年)/計画の実施に必要な法的環境の
整備。第2段階(2013∼2021年)/計画の本格的実施。ウラン確定埋蔵量約6万5千t」
❏2009.07.12/下野
「7月15日から訪日するモンゴル首相は・・・訪日の際に両国間で『核エネルギーとウラ
ンの開発協力』についての覚書に調印することを明らかにした。」
❏2009.08 下旬//
ロシアのメドベージェフ大統領は、ハルヒン・ゴル(ノモンハン事件)戦勝70周年記念式
典に参加するためにモンゴルを訪れた際、ウラン鉱山を共同で利用する契約を締結。
❏2009.05.13/毎日
「5月12日、『日本とロシアは、原子力協定合意、原発ビジネス拡大』・・・ウランの確保
が日本メーカーによる海外の原発建設受注に直結」「政府は2006年にカザフスタンと
ウラン鉱山の共同開発に合意。将来は、カザフスタンで産出したウランをロシアで濃縮
し、日本に輸入する構想・・・原発市場としてのロシアの魅力は大きい」
❏2009.05.24/毎日/下野
❖43カ国が原発導入計画/日米仏ロ、激しい参入競争/核拡散防止の課題深刻化❖
「新興国など43カ国の新たな導入計画。今年3月時点で新規導入は東南アジアや中
東湾岸諸国、アフリカ諸国など。日本企業は、今後成長が見込まれる東南アジアや中
国の市場に参入を目指す」*43か国にモンゴル国も含む。
米から原子力技術を受け取る」「国際原子力機関(IAEA)が、モンゴルはウラン推定埋蔵
量150万トン以上の可能性があると・・日米は・・ウラン燃料の安定確保も狙う」。
❏2011.05.09/毎日(3面)
❖廃墟の村 原発の夢❖**モンゴル核処分場計画**
「モンゴルは『核のゴミ』を引き受ける代わりに原子力発電所建設などをもくろむ」「ウラン
を活用すれば『石油や天然ガスで潤う中東諸国の豊かな国に』との夢」「国営原子力会
社モンアトム会長は、2020年ウランの核燃料加工が目標『東芝と協力したい』」
❏2011.07.02/下野(一面)
❖東芝/モンゴルに核処分場❖**米高官に書簡/福島事故後も原発推進**
「東芝社長が5月中旬、米政府高官に書簡、使用済み核燃料など国際的な貯蔵・処分
場をモンゴルに建設する計画推進を要請」「モンゴルで加工したウラン燃料の供給と使
用後の処理を担う。米国とモンゴルが主導、日本に呼びかけ」「処分場計画構想は今
や世界的に周知』と指摘。『反対も予想。関係者がより緊密な調整を図ることが重要』」
❏2011.07.02/下野(8面)
❖核のごみ 地元反発必至❖**モンゴルに処分場計画**
「ウラン資源が眠るモンゴルをアジアの拠点に」「国内で強い拒否反応。ウヌードルの記
者は『1歳の幼児から最高年齢まで国民全員が反対』と」
❏2011.07.19/下野
❖モンゴルに核貯蔵明記❖**日米との3カ国合意文書原案**
**使用済み燃料処分構想**IAEA 技術協力も**
「モンゴル産ウラン加工核燃料を新規原発導入国に供給し使用済み燃料をモンゴルが
引き取る計画、新規導入国のアラブ首長国連邦とモンゴルが接触を開始」
❏2011.08.01/毎日
❖米有識者委「中間貯蔵施設を」❖**使用済み核燃料「多国間管理」も提言**
「オバマ大統領設置の委員会は、地下深層の最終処分場確保まで最大100年間、使
用済核燃料保管中間貯蔵施設を求め」「福島第一原発事故を受け、安全性に『米国民
の関心が高まっている』と対策を求めた」「年間 2000∼2400 トンの使用済核燃料が発
生」「複数の国による共同管理施設や、国際機関が管理する施設の建設も検討課題」
❏2009.06.19/毎日/下野
「経産省は、全発電量に占める原子力発電比率の引き上げ強化策をまとめ、原発9基
を 1 8 年 ま で に 新 設 計 画 。 総 発 電 量 の 原 発 比 率 を 2 02 0 年 時 点 で 4 0 % 程 度 。
(2007/25.6%)原子力発電技術の輸出を重点課題に官民協力して海外市場の開拓」
❏2011.08.01/毎日
❖モンゴル市民団体 処分場中止要請へ❖
「日米両国とアラブ首長国連邦が、使用済み核燃料の中間貯蔵・最終処分施設を建設
する計画を極秘で進めていることに、モンゴルの2市民団体が日本政府に計画中止を
求める要請文を準備」「反原発、反核廃棄物の運動を進める『No Nuclear Power Plant
And Wastes』『Anti Nuclear Group』」の2団体」
❏2011.05.09/毎日(一面大見出し)
❖モンゴルに核処分場計画❖**日米、昨秋から交渉/見返りに原発技術支援**
「経産省は昨年秋から米エネルギー省と共同で使用済み核燃料など世界初の国際的
な貯蔵・処分施設をモンゴルに建設する計画を極秘に進める。モンゴルは見返りに日
❏2011.09.15/毎日
❖核廃棄物/外国との協議を禁止❖**モンゴル、法令を公布**
「エルベクドルジ大統領が13日付で、モンゴル国内で核廃棄物の問題を外国政府や
国際組織と協議することを禁止する法令を公布」
16
17
3年ぶりのモンゴル訪問
3
はじめての街に来た感覚と変化への驚き
20101018-25/ウランバートル
大島 武行
■暖かなウランバートルのアパート
僕は、何度もウランバートルのアパート生活を経験していますが、今回、知人宅に1週
間お世話になりホッとしました。アパートは、いわゆる社会主義時代に建設されたもので
すが、我が家と比べてはるかに過ごしやすいからです。まず、第一に冬は、暖かいで、
Tシャツでいられるし、夜は、毛布1枚あれば十分です。
よく、日本に滞在するモンゴル人は、日本は寒いといいます。部屋が寒いのです。
経済力のある豊かな日本。我が家は貧乏なのかもしれませんが、冬の暖房は大変で
す。3年前からは、ついにカネがないことから、ダルマストーブを小屋から持ち出し、紙
や木を燃して冬の寒さをしのいでいます。いやいや、日本では、いまだ一般に暖房機
器、暖かな寝具、服などの広告が盛んです。庶民の部屋、家は、冬場が寒いということ
でしょう。資本主義社会は、何から何まで個人消費・負担・責任の生活様式です。それ
が、カネ儲けのため生産を高めて、カネ儲けの知恵なのかもしれません。
モンゴルでは、社会主義時代に建設されたアパートは、火力発電所から1年中お湯と、
冬場には、暖房が供給されます。ですから、個人で暖房器具を設置する必要がありま
せん。個々の暖房器具は、ゲル(住居用テント)で使うくらいでしょう。それに対して、日
本の暖房器具の技術発展はすごいです・・・・・?
そして、モンゴルのアパートは、廊下というか、踊り場が広いということです。天井も高
いです。1部屋も広いのではないでしょうか。ゆったりしています。
日本の憲法には、「文化的生活を保障する」となっていますが・・・いつになったら全て
の人に暖かな住宅を保障するのでしょうか。高度に発達した日本ですが・・・企業だけ
のようです。まあ、モンゴルのアパートの悪いところと言えば、造りが雑、エレベーターが
遅いということくらいでしょうか。これは、それほど大きな問題ではないと思います。
また、ゴミは、各階ごとに下まで落とすことができるようになっているので、大変便利で
す。しかし、資本主義化するなかで、ゴミの増大(化学合成製品など)と、瓶などの交換
システムが廃止されたことから、新たなゴミ増加問題が出ています。
また、新たな住宅・居住空間問題がすでに進んでいます。それは、社会主義時代の
18
住宅建設は、計画的に人間が生活する環境を考えて充分な空間を確保していました。
しかし、資本主義経済になって、カネ儲けにまい進する金持ち連中は、この空間(子ど
もの遊び場も)を手に入れて高層アパート、ホテルなどの建設です。当然、政府は、これ
らの行為を認めているわけですから、誰の利益の政府かはっきりしています。
さて、社会主義時代のアパートは、以前ですと、基本的に家族数で住宅の広さが決
められていたので、部屋の広さについての差別はありませんでした。せいぜい部屋に
入った時の違いは、人々の収入、教養レベル、センス、趣味などでの違いです。
その後、資本主義経済が進むと、部屋を売る人、部屋を交換する人などが生み出さ
れるとともに、同じアパート住む人との結びつきは崩れ、隣に誰が住むか知らない状況
が急速に進みます。それとともに、コソ泥も増えて、ドワを閉め切り、さらには、2重3重の
鍵や、2重のドワを付けるようになります。並行して、カネを儲けた人や、海外で働いて
カネ回りの良い人は、同じ広さの部屋でも鉄板製の立派なドワがとりつくられるとともに、
部屋の中は高級な絨毯、ヨーロッパの家具、電器製品など立派な部屋に変わっていき
ます。逆に、以前、労働者で失業して定期的な収入が亡くなってしまった家族の部屋
は、殺風景になって、ある時訪れた家では、出がらしの紅茶を飲んだことがあります。
■あるチョッと高級な住宅訪問
知人のアパートを訪問。といっても、前に見た社会主義時代のアパートではなく、その
後建てられた民営の新しいアパートです。
当初、ウランバートルでは、資本主義経済になってから、成金の人たちの建設するコ
テージ(1戸建てのモダンな家)が目立ちました。たぶん、自分の家をという所有意識と、
金持ちを誇る意識も強かったのでしょう。
しかし現在、「最近は、金持ちの住んでいる家は目立たなくなってきている」と知人が
言うように、一戸建てよりは、アパートが多くなっていると思われます。暖房や安全性を
考えると、一戸建てよりは合理的です。相当の成金は別ですが…そして、外見上、立派
な高級感のあるアパートでも、それぞれの部屋の大きさ、立派さは直接見えなくなって
きているといえます。
さて、知人のアパートは、5階建てでエレベーターはありません。アパートに入るため
のドワは、暗証番号が必要ですが、一般のアパートでも貧しい人が入り込まないことや
泥棒対策で同じシステムになってきているので珍しくありません。まあ、高級といっても、
中の上といったところでしょうか。4階の部屋のドワを入ると、ずっーと目線の先は広いリ
ビングで吹き抜け、30畳以上あるんじゃないでしょうか。いちばん奥に2階(5階)に上
がるゆるりとしたスロープ(階段)ですす。まさしく、外からは、どんな広さの部屋なのかわ
からないはずです。当然ながら、つくりは良質ですし、ドワも含めトイレなども立派です。
日本の一般的なマンションとは大きな違いです。
19
■食堂やレストランなど物価が3年前の2倍近い上昇の感覚に
ザハ(ちょっと高めの自由市場)では、牛肉 1kg/4800t(\300)、羊肉 1kg/3800t(\238)で
した。肉も値上がりしていますが、外食をすることを考えれば安いです。
ある韓国料理店でビビンバ 6500t、以前からよく行く中国料理店でも金額が2倍近くに
なっていました。バイキングのできる店は、ほぼ以前から10ドルほどでしたので、円高で
チョッと安いですが、日本の物価水準と比べると以前から高いと感じます。ちなみに美
味い黒パン 300g/550t(34 円ほど)
バス 300t(\19)、タクシー1km500t(\31)、冬用の靴下\60 前後、3年前は\50 弱
しかし、全ての商品が値上がりしているのではなさそうです。
■日本語学科学生との交流?
滞在中、日本語学科の授業に出てみないかということで、1年生∼4年生、短期集中
コース2年生の授業に出ました。と言っても交流のようなものです。
1年生はちょうど来ている学生が3人ということで、ほとんど初めての2人を少し日本語
のわかる1人がサポートして、日本語の初歩の話になりまた。少数の場合は、特に集中
するので、親しみやすく話せ、また、3人とも真面目でした。
2年生から4年生については、それぞれ10数人ということで、まずは自己紹介、全体
的に学生たちは積極性に欠けていたように映りました。いや、私の話しの進め方が馴れ
ていないことと、学生の中には、会話の自信がないということもあったかもしれません。
そんな中で、学生たちは、将来について、日本語の教員、弁護士、映画製作とはっき
りした目標を持っている人、他方、具体的な目標を持っている人が少ないのも気がかり
でした。また、留学希望者が結構いました。具体的にデザイン、ドラマ・映画とはっきり
目標を持っている学生のいる反面、やはり漠然とした学生も目立ちました。何か新しい
ことへのあこがれが先行していると感じました。まあ、若いのでよいのかもしれません。
それに対して、短期集中コース(2年で卒業)の2年生は、日本滞在を経験した学生が
ほぼ半数と目立ち、働いた人も目につきました。そんなことから、自分の興味あること、
やろうとしていることがはっきりしていて、将来について具体的に目標を持つ人、将来を
みつめている人が多いことも特徴でした。そんな中で、「英語だけ教えているだけでは、
収入大変なので日本語を・・・」という、社会状況を映した人もいました。
また、趣味については、様々なスポーツをあげる学生が多かったこと、バスケット、卓
球、サッカー、テニスなど、また、ボクシングも2人、女性柔道家もいました。そして、音
楽、車に興味のある学生などさまざまでした。そして、アニメも・・。
全体的に日本に対しての印象は、「やさしい」「よく働く」「まじめ」「安全」「静か」「きれ
い」「技術が発達している」・・など、よく聞かれる表面的なことが多くだされていました。
20
ひとつだけ、日本で5年間働いた経験のある女性から「同じ所で働く日本人の夫婦は、
なぜ、一緒に車で出勤しないのか」と不思議がっていました。確かに言われれば、そう
ですね。日本人の周りを気にする保守的な体質なのかも・・・。
今後、このような授業をする機会があれば、もっと気楽に互いに聞きたいことを話し合
える雰囲気をつくって有意義に時をもてるよう努力したいし、楽しみにしています。
■何の行列??■
ウランバートルでは、ATM が普通に使われてきています。学生街近くでは、学生たち
も両親などから送られてきたカネを下ろすのに路上に列をつくっています。
もうひとつ気がついた点は、日本のATMは必ず銀行内か、ボックス(小屋)をつくって
その中にATMが設置してあるのが一般的です。しかし、世界的には、歩道沿いの建
物に設置されていて、建物の中にあるというのは、珍しいのではないでしょうか。
日本では、ATMの小屋そのものをクレーンで運び去るという犯罪もあるから、日本の
方が危険なのかもしれませんね。
■首都ウランバートルの人口//20年前の2倍に!
ウランバートルの人口は、20年ほど前、約4分の1が集中して60万人でした。そして、
現在は、120万以上になり、2倍以上に膨れ上がっています。まさに、資本主義経済発
展の象徴的都市への人口流入集中が一気に進んできました。
この人口の大移動の原因は、すべての人々の生活を守り発展させようという工場、会
社など社会所有の社会主義計画経済から、個人所有とする資本主義経済、競争社会
になったことです。政府・行政機関は、人々の生活・文化向上のための価値観から、採
算を前提にした価値基準に変更しました。その結果、多くの人たちが失業、生活困窮・
不安、犯罪など急増して厳しい変革の嵐にさらされてきています。しかし、想像を絶す
る矛盾、問題は、逃避されてきたと言えると思います。それは、モンゴルの生活様式、
習慣、そして、社会主義社会の財産という特殊性を忘れてならないと思います。
モンゴルの社会矛盾の危機的状況を和らげた力として
*遊牧生活の習慣//自給自足の生活様式が一定程度残っている。特に肉食の生活
の確保が容易。街に住む人でも住居(ゲル)を所有者が珍しくない。
*家族、親類関係の絆の強さ//互助の結びつきが強く残っている。
*社会主義社会建設の優位性//住宅保障政策による大規模なアパートの存在。計画
的な都市、町建設による充実した社会生活空間、設備。都市生活/郊外に
家庭農園を持つ家庭が少なくない。資本主義経済後、政府の政策として、
住居スペースの無料貸与。全体的な教育水準の高さなど。
21
*構造//現在、中国の横笛を使っています。本来、吹口の次の穴は、葦の薄皮を張る
膜孔ですが、ここをふさいで使っています。
モンゴル民族楽器紹介−9
ЛИМБЭ/Limbe
リンべ/横笛
おおしま
《リンべ》
◆気鳴楽器/横形唇笛
中国
笛/DI/ディ
日本
横笛
上/410mm、下/555mm 竹製
《楽器の歴史、由来》
気鳴楽器は、空気を振動させることによって音を発生させるものです。空気を振動さ
せる仕方によって区別されています。その中で笛に属するラッパ型は、すでに紀元前
4000年前のエジプトでハープなどとともに奏でられていました。この笛に属する古代の
ラッパの起源は、角、骨、竹、木などの穴の開いている素材でした。素材そのものは、
空気を吹き込むということで単純ですが、音を奏でるには技術がいりました。
横笛の起源は、楯笛の後長い年月を経て、「アジアに由来、紀元前9世紀には絵
に・・」なっています。そして、「インドのクリシュナは横笛(バンスリ)の神様とされているこ
とから、横笛はインドらしい」「横笛の原始形を持っている民族は、東洋以外では、アメリ
カ・インディアンの一部にあるだけ・・・ヨーロッパでは12世紀頃・・・横笛がドイツに現わ
れ、オーケストラに横吹きフルートが編入されたのは18世紀・・」との見解があります。
中国に横笛が伝わったのは、「・・帝都長安、漢朝(紀元前140-87)武帝の時代・・・・・
(紀元前138-126)有名な使節団、張騫(チョウケン)を中央アジアにあるシユイに派遣し
た際の古文書に掲載・・・」このことから、すでに中央アジアの遊牧民族に伝わっていた
ことから、これと前後してモンゴル地域に住む遊牧民族にも伝わっていた可能性があり
ます。また、横笛は、仏教との関わりを持つと言われていますから、モンゴル地域に当
初仏教が伝来した紀元前に伝わった可能性もあります。しかし、その際、モンゴルで仏
教は、大衆的な広まりを見せたとは言えないようです。
また、「古代から民衆の婚礼の祝宴やナーダムの時に演奏されてきた。」と言われて
います。しかし、年代についての具体的な資料はありません。
*大きさ〈参考/写真〉
全 長
吹口径
上 410mm
8×11mm
下 555mm
7×9mm
*素材//竹製、プラスチック
22
筒の口径
13mm
16 mm
指穴径
7×9mm
7×8mm
指孔
6穴
6穴
ラマ教の刺繍画
R. バト・エルデネ//1996
G. ソソイ/夕刻1968
Ja.オルジネー/音楽家1975
モンゴル民族楽器紹介抜粋
通信「モンゴルからの風」掲載
❖現在、「モンゴル民族楽器紹介」企画の編集を進行中
はじめに//楽器は遊牧文化、対外交流との歴史
“遊牧民のこころ”音楽の継承・発展を願って
МОРИН ХЦЦР
モリン・ホール//馬頭琴
ХУУЧИР
ホーチル//胡弓
ЯТГА
ヤトガ//筝
ШУДАРГА
ショダルガ//三弦
ЁОЧИН
ヨーチン//洋琴
ТУВШУУР
トフシュール
2009夏//no.65
2009秋//no.66
2010春//no.68
2010夏//no.69
2010秋//no.70
2011冬//no.71
2011春//no.72
2011夏//no.73
23
やっと支援金が渡せました
①
「貧しい子どもたちへの支援金」として、ずいぶん長い間、多くの人の好意で寄せられ
た資金を必要な人に届けることができないでいました。大変申し訳ありませんでした。こ
れまでモンゴル側の仲間のトラブルで、安心して提供できる状況にありませんでした。
今回、バッサイハンさん(人文大学日本語教授)にお願いして、彼の故郷のアルハン
ガイ県で支援する人を決めてもらうことになりました。彼の母親は、県職員だったことも
あって、協力してくれることになりました。
バッサイハンさんは、以前、栃木県の宇都宮大学大学院に留学していたことで知り合
い、その後、帰国してから、大学の学生の文章を通信に提供してもらい、また、私がモ
ンゴル滞在では協力してもらっています。合わせて、現在、民族音楽CD「モンゴルから
の風」の売り上げの一部をモンゴルの文化活動に利用することから、一緒に「民族楽器
の紹介」のために活動をしているところです。
❖支援金総額//106,295円//約170万トグルク
❖10家族に各17万トグルク提供(貧しい子どもの家族、及び、貧しい家族)
❖(一時モンゴルで貯蓄した増加分約 6292 円は活動費に繰り入れます)
《マーム一家》
《ダムバ一家》
24
《ガンバートル一家》
《エルデネバト一家》
《ハムスレン一家》
《マーム一家》//こんにちは。支援金、本当にありがとうございました。私は長年、遊牧
民生活をおくっています。社会主義が崩れ、共同体がなくなって、一人一人自分の家
庭を守るようになってからは、人手が不足し、子供の少ない我が家は自分なりに頑張っ
ていますが、やはり、吹雪とか干ばつになると、家畜がかなり減ってしまいます。去年は
厳冬でかなりの頭数を失ってしまいました。生活の財源となる家畜が少なくなった苦し
い時、心から感謝します。いただいた17万で家畜を買い、大事に育てさせていただき
たいと思います。どうもありがとうございました。
《ガンバートル一家》//遊牧民です。日本は自然災害で大変だと聞いていますが、
その中、わざわざの支援、ずうずうしくいただきました。我が家は7人家族で、子供の将
来を考えて、都市の学校に通わせています。しかし、別居しているといろんな問題が生
じているのが事実です。特に現金のあまりない遊牧民の我々にとって、とっておきのも
のです。お金は子供たちの制服や文房具に使いたいと思います。どうもありがとうござ
いました。日本の皆さん、一日も早く通常の生活に戻ることを願います。
《ダムバ一家》//私は以前、遊牧民していました。5年前日照りが続き、当年の冬は厳
しかったので、家畜を全部なくしてしまった。今は村の中心に住んでいて、昔の専門で
ある車の修理で生活費を確保していますが、人口も少なく、あまり仕事がありません。日
本の皆さんからの援助金を生活と機具費の一部に使わせていただきたいと思います。
できればいつか恩返ししたいです。本当にありがとうございました。
《エルデネバト一家》//日本からの援助、心から感謝しています。子供2人と妻の4人
家族です。今まで、遊牧民生活をしていましたが、何年も続いた日照りと吹雪で飼って
いた家畜を全部失いました。その後、2年ぐらい村の中心地に住んできました。去年か
ら銀行からお金を借りて、少頭数の家畜を買い、再び遊牧民生活に戻ることができまし
た。しかし、思うように家畜が増えないし、銀行に返すお金もあるので、そう楽ではない
です。皆さんの温かい気持ちで下さった援助金を有効に使わせてもらいたいと思いま
す。これから寒い冬を迎えることですが、刈り草をはじめ、冬の準備をしっかりして頑張
ります。皆さんの御健康とお幸せを祈ります。ありがとうございました。
《ハムスレン一家》//私は今、無職で、妻は公務員です。子供は小学生で、もうすぐ
2人目が誕生します。家族の中で生活費を得ているのは妻だけで公務員なので、とて
も大変です。私は仕事をいくら探しても村が小さく、就職先が全くないです。そろそろ妻
が出産休暇を取り、そうすると収入が急激に減ります。こんな中、わざわざ遠い日本の
皆さんから援助をいただき、本当に嬉しく思っています。相撲をきっかけに日本のことを
少し分かるようになりましたが、まさかこんな形で援助を受けると思いませんでした。自
分たちが大変な時にでも援助してくださった皆さんのあつい気持ちに感謝します。
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モンゴル訪問
2
外面は日本と同じくクルマ社会と小奇麗な街に?!
新たな身近な人と人の結びつきが・・・
2011.05.21-06.04/ウランバートル
大島 武行
❏一人ぶらぶら街を散策、デジタルカメラをやられた!!// 5.24/晴れ
5月24日、清々しく晴れ渡った日です。私は、午後1時間半ほど、久々に一人でぶら
ぶらウランバートル中心街を散策しました。この間、昨年10月に続き、ほとんど車での
移動で用事を済ませていたので、外気と騒音の中を歩いて街の様子を実感しました。
すぐ近くのスフバートル広場に向います。チンギス・ハーン像などの前で写真を撮っ
ている人たちが結構見かけます。夏になれば、外国人観光客が多いのでしょうが、モン
ゴル各地から出てきた人たちのようで記念写を撮って楽しそうです。また、塀で囲った
中に、中国に頼んでいたスフバートル像(銅像)が完成して建てられ、ちょうど調整をして
いました。ビニールに包まれ銅の色ではなく銀色に見えました。7月11日の革命記念
日にお披露目になるのでしょう。私は塀があるからなのか重苦しく感じていました。そう、
南側のザイサントルゴイなど山々がビルに隠れ、東西も高い近代的なビルが目立って、
広場はこれまでの広々した空間ではなくなっています。
以前、モンゴルの演奏家がコンサートで来日し、東京をぶらついていると、「高層ビル
が覆いかぶさるようで頭が痛くなる」と言っていたことを思い出します。私も田舎に戻っ
てから、たまに東京に出ると、地下鉄や街の中を歩いていると、疲れてぐったりです。
私は、大通りの車の騒音を避けて、ノミン・デルグール(元国営デパート)方面に歩きま
す。信号のない道路の横断は、結構大変です。元アルト映画館前は、2階が両替所と
いうこともあって、駐車した車でいっぱいで身動きが取れないほどです。さらには、広告
看板の乱立で、様々な色彩が目に飛び込んできます。そして、アパートの中を歩くと、
ちょっとホッとします。しかし、ずいぶん変化してきています。私は、以前のモノトーンの
ゆっくりした街並みと、人々がゆったりとしている環境が好きです。
ノミン・イフ・デルグールは、東京のデパートと変わりばえしません。貧乏人の私は、高
級品も並ぶなか、興味しんしんで売り場を見て歩きました。また、トイレはきれいで無料
になっていました。正面の広場の道路側には、ソーラー・風力発電の街灯が設置してあ
ります。
そして、滞在中に必要な下着や靴下などを買うために、近くの自由市場を覗いて手に
入れます。ずいぶん値上げされていますが、円換算では4年前ほどから比べると、ほぼ
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同じか、中には安くなっているものもありました。(靴下/良質 800t、1000t/1¥=15t)
大通りに出て、スフバートル広場方面に戻ります。広場と大通りの間の公園で新しい
ものを発見。ひとつは、「モンゴル国歌の碑」です。また、なんと向いの国会議事堂(チン
ギスハーン像)の真正面に可愛らしい男女1つの木造トイレです。なんとも不可思議?
そして、オペラ劇場右側に建てられた高層のシンャングレラ(ビジネス)ビル前には、噴
水やベンチなどがある都市型公園がきれいに整備されています。特に昼休みになると
多くの人の憩いの場になっています。ここがウランバートルとは思えません。モンゴルの
人々にとっては、この都市型公園のほうが近代的なのでしょうか。僕は、こんな光景を
写真におさめながら、以前の自然公園風ほうがよかったと思います。ただ、ベンチが少
なかった・・・と、振り返っていました。
そんな新しい空間を抜けて、ウウランバートルホテル前を通り、左に曲がって本屋へ
向います。そして、本屋の手前の交差点で・・・・
❖2人に挟み打ちを食ったことに気づかず!!
横断歩道前に、歩道に面して2台のクルマが止まっていて、その間を通り始めると、狭
いクルマと車の間を通っている私に向かって少し背が低く太り気味の若い男性が右側
に強引に押し込むようにぶつかってきた。私は、一瞬左に身体を寄せ歩くスピートが落
ちた、そして、車の持ち主が急いでいるのかと誤解し、また、少し歩きが鈍ったので、後
方から来た人がやむを得ずぶつかったと思いました。しかし、すぐ後ろからの人が押し
てくるという異様な状態。一瞬あやういと思い、歩きを遅めながらポケットのカネの感触
(札の厚み//円の価値が高いので札として多い)と、バックの安全を確認しつつ、後ろか
らぶつかって来た若い中肉中背の男性が左に歩く姿を目で追いました。無事だったこ
とを確認し、バトサイハンの大学に戻りました。
その数時間後、翌日カネが必要なことから、銀行で金を下ろすことにします。車内で
待っているときに、チョッと写真をと思い、やっと、カメラがないことに気が付きました。そ
う、市内散策の際は、ずっとポシャットにカメラを入れていましたが、散策の途中で、上
着の右のポケットに入れていたことを思い出し、やられたことが判明。札の下にあったカ
メラだけ持っていかれました。
5年前は、帰国前日に、盗られたか、置き忘れか失い、多くの記録の写真を失いまし
た。しかし、今回は、まだ、滞在後数日、撮影した写真も少なく、ホッとしたところでした。
❏保育園預け大変ですが、生活のゆとりはモンゴルのほうが上では
ウランバートルには、アパートに囲まれた一角に保育園・幼稚園・小学校があります。
これは、社会主義の計画的な都市生活空間つくりの成果です。今は、子どもたちの遊
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び場の空間も、車の駐車場や建物に占領されています。地方の人たちは、資本主義化
で生活ができなくなり、また、時代の流れに乗り遅れまいとウランバートルに押し掛けて
きて社会生活基盤が追い付かず、保育園・幼稚園の設置も遅れているようです。
さて、私が世話になっているバッサイハン一家の2歳と5歳の子は、アパート群の中ほ
どにある保育園に預けています。歩いて5分程の所です。預ける時間は、8時30分から
9時の間です。奥さんは、中学校の教員で学校が8時始業、バッサイハンが子どもたち
を保育園に連れて行く担当で、いつも8時10分ころに出かけます。そして、預ける時間
までの少しの時間保育園内の遊び場で遊びます。特に、砂場にみんなで集まっている
のが目立ちます。そして、2人の子どもを迎えに行くのは奥さんで、16時30分から17時
30分の間です。もし、遅れた場合は、1時間 1000 トグルクの超過料金になります。夫婦
で用事がある場合は、連絡し合い、また、無理な場合は、兄弟に頼んでいるとのことで
す。
一般に両親が働いている場合は、祖父母が孫を連れてくる光景をよく見かけます。
5月25日、私はバッサイハンと子どもたちを保育園に連れて行くと、保母さんなどが正
面入口に飾り付けをしています。「何をするのか聞いていないけど、年に1度、計画の
紙をもらうので、たぶん、そこに書いてあるんじゃない、以前より、こんなイベントの回数
が多くなっている。『先生方がよく活動している』『幼稚園はよくやっている』という宣伝の
ためじゃない」とのことです。すでに、このイベントで歌や、踊りなどをする、選ばれた子
どもは園内に集まっています。一方、他の子どもたちも保護者と園に集まりつつありま
す。やはり子どもを連れてきた父親が、「今日は何があるのか」と聞いてきました。選ば
れた子どもの親以外は、多くがイベントのことを知らないようでした。保育園の運営の仕
方は、「全ての子どものよいところを伸ばすというのではなく、少数の出来る子を宣伝に
使う手法になっている。そして、保育園は、よくやっているので寄付を呼びかける。」とい
うパターンになっているとのことです。
保育園は5月末までのはずですが、なぜか27日で終了です。やむを得ず、3歳の娘
は奥さんが学校に連れていき、5歳の息子は、バッサイハンが大学へ連れていきます。
子どもたちは、3か月の夏休みの始まりです。そして、数日後に息子のハンビルグは、
毎年のようにバッサイハンの故郷アルハンガイ県でのゲル生活です。奥さんは、学校が
6月上旬に、バッサイハンは6月中旬頃に夏休みに入ります。始業式は、9月1日です。
夫婦とも学校の仕事が終れば、家族でゆっくり田舎に行って、夏を過ごします。
私の他の知人も同じように2∼3か月子どもは田舎で夏休みを過ごす子が多くいます。
いや、最近は、地方からウランバートルに出てきてしまっている人が多いので、田舎に
帰る場所がなくなっている家族も多くなっているようです。
また、保育園・幼稚園、義務教育も、エリート教育は、カネ次第になっています。平均
的な賃金以上の費用がかかります。日本でも同じですが、子どもの時から大きな差が生
み出されるのは資本主義の特徴でしょう。社会主義時代は、教育費が無料で、能力の
ある子は、自由に伸ばせる基盤を持っていました。
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民話読み聞かせ、衣装・馬頭琴体験
小原//埼玉県
H23.2.14に、ときがわ町立明覚小学校2年生37名を対象に「スーホの白い馬」の
授業に関わるボランティアを行いました。
内容は、モンゴル民話の読み聞かせ、モンゴル衣装、馬頭琴の体験です。
毎年のことですが、子どもたちは衣装を着るコーナーを一番楽しみに我先にと、気に
入った衣装を着ていました。 そして、「着てみると暖かいね」「王様になった気分だね」
と口々に感想を言ってくれました。日本の着物や浴衣なども着ることが少なくなっている
ので、貴重な体験になったと思います。
馬頭琴の体験では、音を出すことが難しく、また、弓を持つ手にも力が入ります。何と
か出せた音に、他の子も喜び「すごいね」「もっと音を出して」と言っていました。
読み聞かせでは、「はじめてのかり」を読みました。
「スーホの白い馬」とは内容が違うため、よく聞き入っていました。
❖
❖
◇
❖
❖
今回も衣装を貸してくださったナイラムダルと、馬頭琴を貸して下さった國島様に、こ
の場をお借りして御礼を申し上げます。
当日の子どもたちの生の声をお聞かせできないのが残念なほど子どもたちは、本当
に喜んでおりました。
ありがとうございます。
(2011.09.12 受理)
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<ナイラムダル活動予定>2011
❏モンゴル文化支援金の企画//モンゴル民族楽器紹介の完成を目指す
❏ナイラムダル//インターネットサイト//ホームページを更新します
<ナイラムダルの動き>2011∼
❖0727-0817
モンゴル文化支援金の企画//モンゴル民族楽器紹介のビデオ、録音の収録など
❖9月//貧しい子どもたちへの支援金//10家族に提供しました。
◇<ナイラムダル活動費援助>2011年//合計23,310円
支援金の一部//6,295円
――〈10年ぶりの西域4000キロ//モンゴルに明るさと活気が?〉――――――――
夏、10年ぶりの各地、時間がなく通りすぎつつ目にした光景。どこの町でも明るくなっ
た印象です。車を走らせ最初目に飛び込むのは赤色。近づくと赤青緑の屋根です。以
前はゲルと家がモノトーン。街中には街灯。そして、幹道は舗装が進んでいます。行く
先々で大型貨物輸送トラックと何度もすれ違います。長距離バスの運行がほぼ定刻で
運行。加えて、中国製の格安のバイクが急速に普及。物と人の移動がスピードアップで
す。経済の活気です。結果、人々の生活は若干向上。しかし、多くの人が安定した生
活には・・・依然、失業率は高く、低賃金状態、若者が非定職。活気の背景は鉱山産業
の政府収入増で、国民にカネが支給され、また、育児手当の支給が経済を回している
よう。鉱物資源の国際価格が高騰していればよいでしょう。そして、政府は「ウラン」に目
を付け中東の産油国と同じ道を求めているのかも・・・・いつか落とし穴に?(おおしま)
表紙の子/アルハンガイ県ツェツェルレックで
総額106,295円の援助金は、一時10万円を預金して約170万トグルクにな
りました。これは約援助金総額です。そこで6295円は活動資金に繰り入れました。
❏モンゴル文化支援金での企画//モンゴル民族楽器の紹介
この文化支援金は、ナイラムダル(友好)コンサート記念/CD「モンゴルからの風」などの売り上げ
の一部です。企画は、モンゴルの知人と協力して、モンゴル民族楽器の紹介をモンゴルの子ども
たちに提供し、また、インターネットで紹介していく計画です。また、DVDを作成して、今回の企
画資金にします。
2010年//楽器紹介の第1案が完成。モンゴル語への翻訳完成。
2011年//ビデオ、録音の収録。
現在の資金は約61万円(今後、若干増える予定)
現在支出//275,160 円(収録関連及び西域旅費、モンゴル語翻訳など)
*大島/2010-11 年、3度のモンゴル渡航費用、及び、バッサイハン/諸協力費用など含まず。
モンゴル交流協会ナイラムダル案内
URL http://www.d6.dion.ne.jp/‾nairamgo/ E-mail
Япон-монголын
◆お詫び◆ブフ(モンゴル相撲)大会/モンゴル文化交流ナーダムの掲載について
10月9日/世田谷区蘆花公園での開催のお知らせをいただき、案内を掲載する予定でいました
が、通信の発行が10月13日と遅れたため、掲載を見おくりました。申し訳ありません。
【通信購読年会費/1000円、活動費援助金などの送金】
*郵便振替/00150―1―763089 モンゴル交流協会ナイラムダル
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найрамдал
нийгэмлэг
ナイラムダル ・ ・ ・ “НАЙРАМДАЛ”「友好」という意味です。
なぜ、モンゴルとの交流 ・ ・1984年個人的なモンゴルの仲間との交流をきっかけに、モンゴル
の生活・文化に興味ある仲間が集まり、身近に友だちができるような交流を通じて
「豊かな社会を互いに考えながら、理解と友好を深めていきたい」と 1991 年設立
活動していること
*季刊/通信「モンゴルからの風」1993.7 創刊/A5 版24P 以上
*展示会(定例のイベント)/モンゴル紹介展示会・イベント参加・交流会/54回
日光だいや川公園/展示会(7月)
❏お知らせ//改めて、モンゴル紹介展示品貸出中止します❏
ナイラムダルは、モンゴルを身近に理解してもらうために「モンゴル紹介、展示品」などを、小学校
をはじめとして多数の貸し出しをし、また、モンゴル紹介授業も実施してきました。しかし、特に、
貸出し、授業の条件が守られないことがたびたび起きたことから、2008年10月から中止にしまし
た。しかし、その後、貸出希望が何件かありました。その中でも一部認めてきたところですが、改
めて、すべて中止することにします。//理由は以下
❖貸し出し条件の「報告をしてもらう」ことは、現在の日本では異常な条件のようです。
ex.モンゴル留学生への貸し出し// *2011.02.23 貸出//現在、報告なし。
他でも、これまで何ヶ月も過ぎてから報告することが普通になっていました。
харилцааны
[email protected]
*
*
〈現在、以下は、活動停止〉
*
*
*モンゴル交流の旅/1991年から、ホームステー、ゲル滞在と乗馬、遊牧民ゲル生活体
験、植物観察など。モンゴル訪問延べ369人。日本訪問(コンサート外)延べ19人。
*モンゴル民族音楽ナイラムダル・コンサート/1992年から毎年開催。各地で224公
演。内小中高学校・養護学校・施設など84公演。延べコンサート関係59人来日
開
催/東京都、千葉県、神奈川県、栃木県、山梨県、佐賀県、長崎県、兵庫県、福岡県、長野県、
埼玉県、宮城県、青森県、愛知県、福島県/2005∼中止。
*モンゴル紹介展示品貸出、小学校等での授業
①小学校などへ写真パネルなどの貸し出し(多数)/中止 2008.10②小学校での国際理解「モンゴル紹介」授業(134回)/中止 2008.10会員、購読会員は ・ ・ ・全国各地・モンゴルに約200人。
年会費1000円 郵便振替/「モンゴル交流協会ナイラムダル」 00150−1−763089
団体、機関などに登録
栃木県国際交流協会、日光市市民活動支援センター
扱っています ・ ・・民族音楽CD(「モンゴルからの風」10種類のCD)、会話集、植物図鑑など。
発
行
モンゴル交流協会ナイラムダル
[email protected]
321-2345 日光市木和田島 1526−152
tel.fax.0288−26−0130 /大島 武行
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