この度, 先輩の中には沢山の適任者がおられるにも

◆ 会 長講 演 ◆
看 護 教 育 : 過 去 ・現 在 ・未 来
滋賀県立短期大学看護部
玄
この度,先 輩 の中 には沢山 の適任者がお られるにも
田
公
子
約40週 とな り,か な りの実習時間 の減少 とな ります。
関わ らず,第 16回日本看護研究学会総会 の会長を命ぜ
そこで成人看護学 の中の内科系 についてみます と,成
から
られ,会 長講演 の機会 を与 え られま したことを′
ら、
人疾患 と看護 のなかに示 され,学 科 日では,内 科疾患
御礼 申 し上 げます。
この学会 の企画 ・運営 にあた りま しては,早 川和生
を含む とな って お ります。講義時間 は135時間, 実 習
と看護 とな り,備 考 には伝染性疾患 および寄生虫疾患
副会長,近 田敬子副会長 は じめ, C地 区地方会 の世話
時間 は435時間で約10週間 とな ります。 旧 カ リキ ュ ラ
人 の皆様 のお力添 えをいただき, ま た事務局 として 2
ムでは,講 義 が170時間,実 習33週で 実習時間 は約 3
年間,滋 賀県立短期大学 の皆様 に支えていただきまし
倍 も多か ったので あ ります。 旧カ リキ ュラムでの学科
たことを,講 演 に先立ちま して心か ら御礼 申 し上 げま
目は 3つ に別れ内科学 が60時間,看 護法 が30時間,計
す。
90時間 と実習 は病棟 16週,外 来 3週 で19週,伝 染病学
さて,会 長講演 として 「
看護教育 :過去 。現在 ・未
ー
来」 のテ マをあげさせて いただ きま したが,私 に出
は50時間,看 護法では30時間で計80時間と実習が10己
それに特別食調理室の実習が 4週 加わ ってお ります。
来 ることはこれまでの実践 を通 して,看 護教育 を見つ
ここでの特徴 は,伝 染病学 に内科学 と同 じくらいの講
めることしかあ りません。過 ごして参 りま した30年を
義時間 が当て られてお ります。 これは当時 の疾病構造
振 り返 ってその責 を果 たしたいと思 い ます。
が感染症 にウエイ トを置いていたことを伺わせ るもの
であ ります。私 の体験 では,内 科病棟 での実習 は16週
でその内,深 夜実習が 2週 間,準 夜実習 が 2週 間計画
看護学生 の ころ
私 が,京 都第二赤十字高等看護学院で,看 護を学 び
ま したのは,約 30年前 であ ります。当時 のカ リキ ュラ
ムは,保 健婦助産婦看護婦学校養成所指定規則 にそっ
され,夜 勤 の経験 が出来 るよう配慮 されて いたのであ
ります。後 の 3週 は内科外来 で ございま した。
このよ うに私 が受 けた教育 は,確 かに臨床実習 にウ
てお りま した。特 に専門科 目の中 の看護 について,19
エイ トが置かれてお りま した。 その実習 は夜勤のよ う
67年の改正 と比較 して,そ の特徴を見 ます と,表 11)
に 1週 間すべて実習 の場合 か ら,週 の うち午前中 のみ
のとお りであ ります。改正 では学科 目の名称 は,人 間
とか,週 の うち 2日 間 のみ とか,講 義 の時間割 との関
の ライフサイクル に合 わせた 4本 の柱 に分類 され,看
連で行 われて いたよ うに思 います。 それは多 くの看護
護学総論,成 人看護学,小 児看護学および母性看護学
学院が病院 の附属であ って,そ の医療機関 の看護要員
とな ってお ります。旧 カ リキュラムで は,診 療科男1の
を確保す るための手段 として存在 していた ことに も関
学科 目であ って,名 称 も内科学および看護法であ りま
連 があると思われます。私 の場合 は赤十字 の看護学院
した。 また,実 習 について は改正では時間数で示され,
合計 1,770時間であ りますが,旧 カ リキ ュラムで は実
で したか ら給費生 であ り,卒 業後 は 9年 間の救護出勤
義務 が負荷 されてお りま した。一方,実 習 が このよ う
習 は週数 で示 され,そ の合計 は104週以上 とな って お
に多 く計画 されて いたの は,実 習で看護者 の している
ります。1,770時間を 1週 45時間 として換算 します と
ことの経験 を重ねてゆけば看護が体得 で きると考えて
日本看護研究学会雑誌 Vol.14 No l 1991
看護教育 : 過 去 。現在 ・未来
表 1看
護 学 内 訳 新 1 日比 較 表
新
科
学
総
lm
150
実 習
210
備
495
60
90
講義
実習
360
60
90
考
看護史及 び看護倫
理を含む
180
120
120
1,270
1,665
30
72剣圏
30
60
60
1,170
1,575
135
435
570
精神衛生 を含む
伝染性疾患及 び寄
生虫疾患を含む
精 神 科 疾 患 と看 護
33剣
固
2週
救急処置及 び手術
室実習を含む
28週
整 形 外 科 疾 患 と看 護
45
皮 膚 科 疾 患 と看 護
泌 尿 器 科 疾 患 と看 護
婦 人 科 疾 患 と看 護
眼 科 疾 患 と看 護
15
30
45
120
︲
計
1
合
性 看
護
学
性 看 護 概 論
母 性
保
護
母 性 疾 患 と 看 護
9(
15
6
15
歯 科 疾 患 と看 護
保 健 所 等 実 習
/1ヽ
児
看
護
学
ノ
] ヽ児 看 護 概 論
小 児
保
健
小 児 疾 患 と 看 護
週 週 週
5
15
耳鼻咽喉科疾患 と看護
母
2週
15
180
護<
整含 週 ︱り 学 >
0 55
看 を 1 3︲ 科 む
び週習 習 器 含
8実 実
及1
科法 尿 に
学 科 室 外療 泌 性
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科8
母
形学 膚 <
外法形む手 整 理 皮 外 科 疾 患 と看 護
母
目
0 週 法
7
3
︲
3 護
看
看 週び 週室週 び
び 9
1理4 及
︲及 0
及 学 調 学
学 時病法時食 病
0 護0
科法 9
染 8別 神
内護 伝看 特 精
405
科
0び5 0
0
2
3護 12
1
及 看 整
理 生 調 生
史原 衛 的 衛
護護際衆論業 神
看看実公概職 精
護
論 術 習 学 論 健 護 護
看 看 総 成 成 成
成
看
講義
目
1日
眼科学,歯 科学,
耳鼻咽喉科
保健所実習
小児科学及 び看護法
15
30
75
保健所等実習を含
む
120
17週
15
75
30
保健所等実習を含
む
1 70511 薫
104週
再
生 6男
着
}705
1 8851 1,7701 2,655
( 備考) 保 健所 における実習 は, 全 体 を通 じて6 0 時
間を標準 と して実施す るものとす。
(産婦人科学及び
看護法)
内科学及 び看護法か ら皮膚泌尿器科学 までの学科 目
については,保 健予防指導 を含む もの とす る。
日本看護 研究学会雑誌 Vol.14 No l
看護教育 :過 去 。現在 ・未来
いたか らであ り, また,当 時 の看護者 の役割 と しては
にな ったのは,手 術室勤務であ った就職 して 4年 目の
医師 の診療 の補助者 と しての立場 が強 く,看 護法,即
ち看護 の技術を中心 に養成 されて いたと言 うことであ
ことで した。本来,赤 十字 には1907年か ら,す でに婦
長候補生 のために 1年 コースが設 け られて いま した。
りま しょう。
1952年か らは 「日本赤十字社幹部看護婦教育部 (1964
このように実習 が多 く, ま して夜勤実習があ った り
年 よ り研修所 と改名)」 とな って,当 時 の京都第二赤
しますと,何 の楽 しみもない灰色の学院生活ではなかっ
十字病院ではその終了者が学院の教員になることになっ
たか と思われ るか も知れません。私が卒業 した翌年 に
始 まる全国病院統一 ス ト,そ れに続 く2・ 8闘 争,昭
ていま した。 ところが当時 その終了者 が誰 も残 ってい
和40年に月 8日 二人夜勤 の人事院 の勧告,そ んな時代
背景 を持 っていま したか ら,当 時教育 を受 けられた方
ないと言 うことで, 3ケ 月 の専任教員 の講習会 (文部
省 ・厚生省主催)を 受 けて いた私 に急な欠員補充 のお
の中 には,そ の大変 さを述 べてお られ るのを伺 います
話 があ りま した。 当時学院 は全寮制 でありましたから,
専任教員が寮監を してお りま したので,学 生寮 へ住居
が, この学院時代 に何 もで きなか ったか と言えば,決
を移 し専任教員 とな ったので あ ります。 しか し,教 壇
してそうではあ りませんで した。
に立 って話す ことので きたのは昨 日まで働 いていた臨
当時の学院生活 を振 り返 ります と,京 都 という土地
床 での経験,看 護技術 の方法 で しかありませんで した。
柄 のせいで しょうか,授 業や実習を離れ たところでの
これでいいのだろうか。当時 は苦 しい思 いを致 しま し
生活 はかな り充実 してお りま した し,そ れ らを通 して
た。 しか し,い ろいろ考える中で大学の二部 で勉 強す
様 々の事 を学び見識を広め られたと思 ってお ります。
る道を選んだのであ ります。 そうこうしている間 に専
例 えば個人的 な興味で はあ りますが,高 校時代 か らの
続 きでは山登 りや演劇活動 をサー クルを作 って行 って
任教員 としての 1年 半が過 ぎま した。 日本赤十字社幹
お りま した。なかで も学院 の先輩 たちが作 ってお られ
たボランテ ィアサー クル,そ れは盲大学生への リーディ
来 ま した。 そこで私 は学院か らの配置替えを希望 した
ングサー ビスであ りま したが, この活動 を通 しては,
んで した。 と申 しますのは専任教員 の給与表 が婦長 ク
視覚障害者 の方 を知 るきっかけとな りま した。現在 も
関わ りをもたせていただいている京都 ライ トハ ウスの
ラスで したので,学 院か ら離 れると降格 にな って履歴
点字図書館長 は,30年 前 の リーデ ィングサ ー ビスでの
部看護婦研修所 での研修を終了 して戻 って来 る人が出
のであ ります。 ところが,事 はそ う簡単 には参 りませ
書 に傷 がつ くと言 うのであ ります。そ して病院で は,
看護婦 に戻 らずに研修所へ入所することを薦めて下さっ
関わ り以来,点 字 を教 えていただいた り中途失明者 の
リハ ビリテー ションに付 いての意見交換をさせていた
だいた りしてお ります。 また,や はリライ トハ ウスで,
たので した。私 はこれか らも仕事を続 けるのであれば
中途失明者 への点字指導を担当 してお られるNさ んと
い期間 ではあ りますが,改 めて専任教員 および婦長 と
は,彼 女が事故で 日赤 へ入院 して こられた30年前 か ら
一緒 に点字 を覚え,盲 学校高等部へ入学 し社会復帰 さ
ので あ ります。
と,そ れをお受 けすることに したのであ ります。入所
した日本赤十字社幹部看護婦研修所での 1年 間 は,短
しての研修 を受 け,多 くの方 々と出会 うことがで きた
れるまでの10数年 にわたる月 日を共に過 ごした良 き友
達であ ります。 そ して卒業 してか ら参加 させていただ
いた点訳 サ ー クル (睦星会)を 通 して,愛 生国に入園
専 任教 員 の 資 格 って ?
されている方 との交流が始 まりま した。愛生園は昭和
分で惨 めな教員経験 か ら,看 護学院 の教員資格 に付 い
5年 に開設 され,本 年60周年 を迎えるその長 い隔離 の
て振 り返 ってみたいと思 います。大正 4年 の旧看護婦
歴史 の中の様 々な移 り変わ りを学ばせて いただいてお
規則 で は,主 要 な学科 は適当と認 める医師を して担当
そこで, ここで は看護学院 の専任教員 としての不十
ります。1988年長島 に橋が架か り共に喜び合 ったのは
させることとなってお りま した。 しか し,戦 後 GHQ
まだ記憶 に新 しいところであ ります。
の指導 によって1948年7月 ,保 健婦助産婦看護婦法 が
制定 されま した。 その目的は看護婦 の資質 の向上 によ
り,医 療,公 衆衛生 の普及向上であ ります。 この新 し
看 護 学 院 の 専 任 教 員 と して
ところで, 臨 床 か ら看護学院 の専任教員 に配置替え
い策1度は,「 療養上の世話」 に関す る教育 は経験 のあ
日本看護研究学会雑誌 Vol.14 No l 1991
看護教育 :過 去 。現在 ・未来
る看護婦が専任教員 とな って指導 させ る ことを指示 し
れて いたのであ ります。
てい るのであります。先 ほどの表 1に 示 しま した内科
学 (60時間)お よび看護法 のこの30時 間, これが看護
表 2 保 健婦助産婦看護婦学校
婦 が指導す る教科 とな っていたので あ ります。
表 22)は 1951年の指定規則 に示 され た もので あ り
ます。看護婦学校養成所 の指定基準 の第 7条 であ りま
す が,そ の 4項 に 「
別表 3に 揚 げる各科 目を教授す る
のに適当な教員を有 し,且 つ,そ の内 4名 以上 は看護
婦 の資格を有す る専任教員 とし,そ の専任教員 の内一
人 は教務 に関す る主任者であること」 と教員 の数 につ
いて記 されてお ります。法律的 にみます と,看 護学院
の教員 に求 め られているのは看護者 としての経験であっ
たのです。 しか し,実 際 に教員 とな った時,看 護婦 の
経験 だ けでは教育が出来な いことを思 い知 らされたの
であ ります。すなわち,教 員 になるための教育制度 が
養成所指定規則 (1951)
第 7条 看 護婦学校養成所 の指定基準
4.別 表 3に 掲 げる各科 目を教授す るのに適当な教
員 を有 し,か つその うち 4人 以上 は看護婦 の資格 を有
す る専任教員 とし,そ の専任教員 の内一人 は教務 に関
す る主任者 であること
第24条 看 護婦 の資格 を有する専任教員 の特例
看護婦 の資格 を有す る専任教員 については当分 の間
法第53条第 1項 (旧看護婦規則 による)者 を もって こ
れにあてることがで きる
確立 されることがな く, さ し当た って は当時経験者で
表 3 教 員 に関す る事項
あ った看護婦 が選ばれて,そ の任 に当たったのであ り
ます。 このよ うな極 めて貧困 な教育体制 であった こと
が,そ のまま今 日まで続 いているので あります。 しか
1.専 任教員
椰)専 任教員 となることの出来 るものは,次 の各号
し,看 護教育 の成 り立 ちを歴史的にみて参 ります と,
に該当す るものであること。
これが 自然 な成 り行 きなのか も知れません。 このよう
ア.高 等学校 もしくは旧制高等女学校 を卒業 した
に当初は,看 護婦 の資格だけを求めていたのであります。
表 33)は 1970年に初 めて示 され た専任教 員 の 資格
であ ります。看護婦学校養成所 の運営 に関す る指導要
者又 は これ と同等以上 の学力があると認 め られ
る者
イ.看 護婦学校養成所を卒業 した者
領 の中 の第 4章 であ りますが,「 専任教員 となること
ウ.看 護婦 として 3年 以 上臨床看護 に従事 した者
の出来 るものは,次 の各号 に該当す るものである」 と
工.専 任教員 として必要 な研修,講 習を受 けた者
言 うもので, こ こには じめて臨床経験 が 3年 以上 と明
又 は看護婦 の教育 に関 しこれと同等以上の学識
記 されたのであ ります。そ して本年 4月 の改正で は臨
経験 を有す ると認 め られる者
床経験 が 5年 以上 と変 わ ったので あ ります。 表 44)
表 4 教 員 に関す る事項
の (ウ)に ありますよ うに看護婦 として 5年 以上業務
に従事 した者 と変わ ったのであ ります。 しか し,看 護
婦 の免許を もっておれば良 いと言 うことは,本 質的 に
何 ら変わ っていないので あ ります。
短 期 大 学 へ 移 つて 一研 究 って ?
ところで,滋 賀県立短期大学 2年 課程 の看護学科 の
新設 にともなって就任 したのは,1971年 であ ります。
実 は,専 門学校 での専任教員 としての資格 も曖昧 な中
で,短 期大学 の教員 としてのイメージも湧かないまま,
専門学校 と同 じ様 な認識で移動 いた しま した。短期大
学 へ来て分か ったことで あ ります が,そ こには短期大
学設置基準 と言 うものがあ って,教 員 の資格 が明示 さ
1.専 任教員及 び教務主任
(1)専 任教員 となることの出来 るものは,次 の各号
に該当す るものであること。
ア.高 等学校 もしくは旧制高等女学校を卒業 した
者又 はこれ と同等以上 の学力 があると認め られ
る者
イ.看 護婦学校養成所を卒業 した者
ウ.看 護婦 として 5年 以上業務 に従事 した者
工.専 任教員 として必要 な研修 を受 けた者又 は看
護婦 の教育 に関 し, これ と同等以上 の学識経験
を有す ると認 め られ る者
日本看護 研究学会雑誌 V01.14 No l
1991
看護教育 : 過去 。現在 ・未来
表5 講 師 の資格
第22条 講 師 となることのできる者 は,次 の各号 の一
に該当す る者 とす る。
1.第 20条または前条 に規定す る教授又 は助教授 にな
ることのできる者
2.特 定 の分野 について教育上 の能力 があると認 め ら
れ る者
分 か ったので あります。 その意味では教育経験 も充分
で はな く,ま して研究 については全 く不十分 な中で,
きわめて悩 み多 い立場 に置かれてお り, とて も大変 な
ところへ来 たことが 自覚 されたのであ ります。 このよ
うに大学では教育 と研究 のウエイ トが半 々だと教 え ら
れたの は,本 学 に就任 してか らの事 で した。 ところが
医学系や一般教育系 の先生方 は,就 任 に当 たって研究
機器を購入 されてお り,そ れぞれ研究が継続 で きるよ
う準備 されて いたので あ ります。 しか し,私 はと言え
表 55)は 短期大学設置基準 教 員 の資格第 9章 22
ば研究 について はどこか らどの様 に手 を付 けて良 いの
条 であ ります。講師 となることの出来 る者 は次 の各号
の一 に該当する者 とす るとあ り, 1項 は教授 または助
か さえ分か りませんで した。
教授 となることの出来 るもの。 2項 は特定の分野 につ
伝 いをさせていただ くことか ら始 まりま した。文献 の
収集 の必要性,収 集 の方法 文献 カー ドの作 り方,デ ー
いて教育上 の能力 があると認 め られる者 とな ってお り
私 の研究 の第 1歩 は,専 門 の異 な る先生 の実験 の手
ます。 また,表 66)に 示 しますよ うに,教 授 にな る
タの読 み取 りや処理,学 会発表 の準備, スライ ドの作
ことの出来 るものには,教 育研究上 の業績 が求 め られ
てお ります。教育研究上 の能力があると認 め られ るこ
り方,抄 録 の書 き方,発 表 の仕方,そ して論文 の書 き
方 など,一 つ一つ手 ほどきを受 けたので した。幸 いに
とによって,講 師,助 教授 とな り,業 績が出来た結果,
も当時,生 理学 を ご担当の故舟木広先生 にご指導を受
教授 として認め られる ことになるのであ りま しょう。
いずれ に しま して も,そ こには教育 ・研究 が必要 であ
え られて今 日まで参 りま した。当時舟木先生 は,若 く
ることが示 されていたのであ ります。
以上 のよ うな事 は,す べて短期大学 へ来 てはじめて
切であることを, こ とある毎 に強調 され,そ の事 が今
表6 教 授 の資格
第20条 教 授 となることので きる者 は,次 の各号 の一
けることがで き, また,舟 木先生 のお弟子 さん達 に支
もない私 に,必 要 なのは実践であ り取 り組む姿勢が大
も脳裏 を離 れないのであ ります。最初 に取 り組 んだ研
究 は,電 法 の実験 で した。実験方法 を簡単 に申 し上 げ
ます と,被 験者 は当時の女子学生 でありま して,学 生
にはボランテ ィアとしてず いぶん協力 を していただ き
に該 当す る者 とす る
1.博 士 の学位 (外国 において授与 されたこれに相当
する学位を含 む)を 有す る者
2 研 究上 の業績 が前号 の者 に準ず ると認め られ る者
3.芸 術上 の優れた業績があると認め られる者及 び実
ま した。各部位 に氷嚢を貼用 させて,そ の時 の皮膚温
の変化 を追求 したのであ ります。皮膚温 は,銅 ・コン
ス タ ンタン熱電対 を用 いて測定 いた しま した。
図 16)に は4名 の皮膚温 の平均値 が示 されてお り
際的な技術 の修得 を主 とす る分野 にあっては実際
ます。貼用前の皮膚温 は,膝 部で30℃,腹 部 で34℃,
的 な技術 に秀 で教育 の経歴 の ある者
前額部で36℃であ ります。氷嚢を貼用 します と膝部 お
4.大 学 (短期大学を含む 以 下同 じ)に おいて教授
の経歴 のある者
よび腹部では15分まで単調 な低下を示 してお り,膝 部
では 6℃ ,腹 部では 7℃ にな ってお ります。 ところが
5.大 学 において助教授 の経歴があ り,教 育研究上 の
業績 があると認 め られ る者
6.高 等専門学校 において教授 または助教授 の経歴が
あり,教 育研究上 の業績 があると認め られる者
7.研 究所,試 験所,病 院 などに十年以上在職 し,研
究上 の業績 があると認 め られ る者
8.特 定 の分野 について,特 に優 れた知識及 び経験を
有 し,教 育研究上 の有旨力 があると認 め られる者
前額部では貼用後 5分 で14℃と最低値 を示 し,以 後上
昇 してお ります。回復期では前額部 では15分で36℃と
な り元 の値 に戻 ってお ります が,膝 部および腹部では
23℃および27℃であつて貼用前 の値 には戻 ってお りま
せん。
次 に図 26)に は同一被験者 で,今 と同 じ実験 であ
りますが, 6回 の平均値であ ります。 いずれ の部位 に
お きま して も,皮 膚温 の変化 は同 じ傾向がみ られます。
日本看護研究学会雑誌 Vol.14 No l 1991
看護教育 :過 去 。現在 ・未来
う。次 に,我 々 は氷嚢 を用 い る場合,必 ず カバ ーを用
いて お ります。 そこで前額部において各種の枚数のガー
ゼを介 して氷嚢 を貼用 した場合 を見 ます と, 図 36)
のよ うにな ります。
Nは ガーゼの枚数を示 してお ります。皮膚温 の変化
は, ガーゼな しの場合 は急速 に低下 し, 3分 で最低 と
な り,後 は上昇 してお ります。 ガーゼ 1枚 の場合 には
12分まで緩 やかに低下 し,僅 かですが上昇 がみ られま
す。一般 に皮膚温 の低下 はガーゼの枚数 の増加 にとも
なって緩やか になってお ります。 このときに皮膚感覚
をたずねてお りますが, このと きの皮膚感覚 は, ガー
ゼな しでは貼用直後 に激 しい痛みがあ り,貼 用中には
感覚が麻痺 し不快感 を訴えています。 ガーゼ 1枚では,
'0,.)
図 1 各 部位 にお ける皮膚温変化 (4名 の平均値)
貼用直後 に痛みを感 じますが,ガ ーゼな しの場合より,
その痛 みは緩 やかであ ります。従 ってカバ ーを工夫す
ることで,急 激な冷却 による疼痛 の緩和が可能 にな る
ようであ ります。 また, ガーゼ 2枚 あるいは 3枚 では,
貼用直後 は冷感 を感 じますが,後 は快適であ り,そ の
時 の平均皮膚温 は20℃前後で ございます。
次 に各種水温 の氷嚢 を貼用 し,そ の時の皮膚感覚を
調べ てみま した。実験方法 は同様 であ りますが,貼 用
された氷嚢 の水温 はおよそ 5℃ 毎 に変化 させ,そ れぞ
れ 日を替えて実施 いた しま した。 それが図 47)で ぁ
ります。部位 は, いずれ も前額部であ ります。各種水
温 の氷嚢を貼用 した時の皮膚温 の変化, これ は 3人 の
′
(‐■う
N¨
““
︼
¨
呻﹃[
図 2 各 部位 における皮膚温変化
(同一被験者 による6回 の平均値)
特 に前額部では, 4分 30秒で約 10℃と最低値を示 し,
以後明 らかな上昇がみ られてお ります。三 角 のマーク
です。回復期では,そ れぞれ緩やかに上昇 してお りま
す。前額部では元 に戻 ってお りますが,腹 部で は約30
℃ まで,膝 部 では24℃まで しか上昇 してお りません。
このように膝部や腹部へ の氷嚢を貼用する場合には,
局所が緩やかに冷却 されます と,氷 嚢 を取 り除 いてか
`(■
■■0
図 3 前 額部 におけるガ ー ゼの枚 数 に よる
らも回復す るのに時間がかか るため体温が奪われ るこ
皮膚温変化
とのないよ う配慮 しなければな らないのであ りま しょ
日本看護研究学会雑誌 Vol. 14 No l
1991
看護教育 :過 去 。現在 ・未来
における氷嚢 貼用 の場合 には,手 指 の寒冷血管反応 の
発現 の時 のよ うに明確ではあ りませんが,同 じメカニ
ズムで寒冷血管反応が発現すると考え られます。 この
ような ことか ら冷奄法, こ とに氷嚢貼用 において は,
氷 の中の水温 はより低 いことが好 ま しいのであ ります
﹁
は
旧
田
襲
呻
が,強 い低温刺激では疼痛 による不快感が伴 います の
で,カ バ ーなどで不快感 の緩和を はか ることが必要で
あ ります。 また,発 熱時では局所 の皮膚温が上昇 して
お ります ので,今 回 の実験 のよ うに水温034℃ お よび
741℃ でみ られた不快感 と同 じであることは限 らない
のであ って,お よそ 5℃ 位 の水温 による貼用 でよいの
か も知れません。 また,安 楽を目的 とす る場合 には,
快適性が必要ですが,今 回 の実験では,水 温11℃およ
′(μ→
び16℃の氷嚢温度が快適 とされま した。 その時 の平均
図 4 各 種水温 にお ける皮膚温変化 (3名 の平均値)
皮膚温 は,2011℃ および2302℃ であ り,こ の温度 は
先 に紹介 しま した実験 におけるカバ ー としてガーゼ 2
平均値 で ございますが,貼 用前 の皮膚温 は約34℃の範
枚 あるいは 3枚 用 いた時の平均皮膚温 とほぼ同 じであ
囲 であ ります。右端 に氷嚢 の温度 を示 してお りますが,
ります。臨床 においては,15℃ 前後 の氷嚢 を準備 した
水温 0℃ の場合 には皮膚温 は急速 に低下 し, 3分 30秒
で最低値約 12℃であ りますが,そ の後上昇 と下降 を繰
り,15℃ を長時間保 つ ことは困難 であ ります。従 って,
カバ ーの枚数 を調節す ることによって貼用時 の水温 を
り返 し,寒 冷血管反応 が発現 してお ります。水温 7℃
調節す ることが考 え られます。
の場合 にも皮膚温 は 9分 30秒で最低値 とな り,以 後 15
ところで短期大学教員 に要求 され る教育 。研究 の業
分 まで緩やかに上昇 してお ります。水温16℃と20℃で
績 や能力 は,研 究を教育 のなかへ返 してい くことによっ
は貼用後 6分 ぐらいまで低下 した後,15分 まで緩 やか
て 出来上 が って行 くもので あ りま しょう。私 の短期大
な低下 がみ られます。回復期 では氷嚢を取 り除いた後,
学 での担当は,看 護技術 で ございま した。 2年 課程 で
いずれ も急速 に上昇 し15分後 には,ほ ぼ貼用前 の値 に
あ りま したか ら,学 生 はすでに准看護婦 の免許 を持 っ
戻 っているので あ ります。 この実験 では,水 温11℃と
て入学 してお ります。 そこで技術項 目の中か ら教育 モ
16℃において,貼 用中 には快適感 が得 られ,そ の時 の
デルと して有効 な ものを選んで授業を展開 してお りま
した。例 えば コ ミュニケー シ ョン,清 拭,ボ デ ィメカ
平均皮膚温 は約20℃および23℃であ りま した。 この皮
膚温 は,先 の実験で カバ ー としてカーゼを 2枚 あるい
ニ クス, リハ ビ リテー ション,奄 法,与 薬, ター ミナ
は 3枚 用 いたときの平均皮膚温 とほぼ同 じであります。
氷嚢 のカバ ーにはガーゼ 2枚 あるいは 3枚 が好 ま しい
するためには,問 題解決法を身 につける必要 があ りま
ル ケアなどであ ります。看護過程 を使 って看護を展開
と思われます。 これは教科書 にもそのような指示 が ご
す。 そ こで准看護婦 として学 んだ看護技術 の中か ら疑
ざいます。 カバ ーを用いるときには,水 が熱 の良導体
であることか ら濡れていないカバ ーを用いると同時に,
間を見 う け出 し, 日標 はどうあればよいのか,現 状 は
貼用部位 の皮膚 の色や感覚 について も観察が大切であ
何 か, とい うことを調 べ る事 と実 習 を組み合わせて展
どうな ってい るのか,問 題 はあるのか,問 題 の原因 は
開 して参 りま した。 しか し,実 際 の授業では40人の学
ります。
以上 は,電 法 の基礎的な研究 の一部 であ ります。 こ
生が実習す るための機材 の数や,指 導す る側の人数や
れ らの実験 によって教える場 に立 った時,氷 嚢 のあて
経験,取 り組 む姿勢 など,い ろんな要因が重 な ります
方 だけでな く,貼 用 によって生体 にどのような変化が
ので,な かなか思 うよ うに参 らな いのが現状 で した。
あるのか, また,対 象者 はどの様 に感 じるのかなどを
ところで本学 は,1988年 4月 よ うや く3年 課程 に移
学 ぶ ことの大切 さを実感 したので した。 また,前 額部
行 いた しま した。 これまでの10年間の臨床経験 と20年
日本看護研究 学会雑誌 Vol.14 No.1 1991
看護教育 :過 去 。現在 ・未来
に近 い教育 。研究 を通 して,赤 十字 の看護学院で専任
教員 になったときの困惑,短 大 へ就任 したときの戸惑
達 が何 かを求 めているなとい う手 ごたえを感 じたので
あ ります。第 2回 は若手 フ リー討論 で,ベ ンシルバニ
いか ら抜け出 し,看 護教育 に携わる教員 と して何を教
ア州立大学,カ リフォルニア大学,千 葉大学,大 阪市
えればよいのか,ど の様 にすれば良 いのかが少 し明確
にな りつつ あります。特 に臨床実習 で は,講 義 。学内
立大学,東 京大学で,そ れぞれ大学院を修了 された方 々
に自分の経験 を とお して,看 護 系大学院 のあ り方 8)
実習そ して臨床実習 を体系的に関連 させ,単 に看護者
を自由に討論 していただいたのであ ります。 そ して第
の していることを実習 させ るのではな く,臨 末 で実習
4回 は,初 めてのシンポジウムが 「
看護学 への提言」
す るのに有効 なモデルを選 んで,そ れぞれについて 目
と題 して実施 されま した。周辺 の学問か ら看護 へ接近
標 を示 し,そ の内容 を明確 に した実習要項 が作成 され
してみようと言 うことであ ります。心理学,物 理学お
たのであ ります。30年が過 ぎた今,よ うや く教育 とは
よび医学 の立場か ら看護へ の接近 について論 じられ,
引 き出す ものであるとい う,あ の言葉 の意味を実感す
看護者 と しては改めて看護を見 つめなお したのであ り
る経験を少 しで はあ りますが味わ っているので ありま
ます。 このよ うに地方会学術集会 は,回 を重ね ること
が出来,今 日に至 ってお りますが,回 を重ね る毎 に演
す。
題数が増え,発 表分野 が拡 が り参加者 が増 えているの
日本 看護 研 究 学 会 へ の 参 加
であ ります。
次 に日本看護研究学会 との関 わ りについてお話 しさ
せていただきます。本会 が四大学看護研究会か ら日本
看護研究学会 と名称 を変 えて,開 かれた学会 にな るこ
とを知 って1978年第 4回 千葉大学 で行われた村越会長
の時,初 めて参加 させて いただ きま した。 その後,
1982年には 「
看護作業 の エネルギー代謝 に関する研知
で, 日本看護研究学会奨学会賞 をいただきま した。 こ
れは私が年 をとってか ら研究 を始 めま したので,研 究
歴 の浅 か った私 に奨励 の意味で いただいたのでありま
しょう。 その後 1984年,第 10回学会が熊本大学で木場
会長 の もとで開催 された帰 りのことで した。 シンポジ
ス トとして参加 されて いた滋賀医科大学 の中木先生 か
ら地方会を作 った らとお話があ りま した。 それは関西
には 4年 制 の大学が な く,関 東 に比 べ て研究活動 と し
ての交流 の場 が少 ないのではないか,若 い人達 に育 っ
て もらう場がほ しいと言 うような意味合 いだ ったと思
います。 そこで翌年,第 11回学会が国立看護研究研修
セ ンターの伊藤会長 の もとで開催 された折 り, C地 区
理事である徳 島大学 の内輪,野 島両先生 の ご了解 をい
ただ き,準 備を始 めま した。世話人代表 には近 畿大学
の早川先生 に,第 1回 の学術集会実行委員長 には京都
医療技術短期大学部 の近 田先生 にお願 い致 しま した。
C地 区地方会 は,表 7に 示 しま したように実施 され
て きま した。第 1回 は地方会 の発足 ということがあっ
て,伊 藤会長 および事務局 の松岡理事 には多大 の ご協
力 とご指導 をいただいたのであ ります。初 めてであ り
ま したが100人以上 の方 々が出席 して下 さ り,若 い人
表 7 日 本看護研究学会近畿 ・四国地方会学術集会
回数
実
行委員長
年 月 日
場
所
1986316
第 1回 近 田敬子
京都大学医療
技術短期大学部
京都教育文化 セ
ンター
1987322
第 2回 早 川和生
近畿大学医学部
立命館大学
末川記念館
1988327
第 3回 秋 吉博登
徳島大学教育
学部
徳島県郷土文化
会館
第 4回 森 田チヱコ 1989326
神戸市立看護
短期大学
相楽園会館
護学 セ ミナーが 2回 開かれま した。
看護研究 の立案か ら
第 1回 はびわ湖 セ ミナーと して 「
パ ソコンによるデー タ処理 まで の実際」9)を テーマ に
この間,New看
早川和生 コーデ ィネー ターによ って,滋 賀県立短期大
学 で開催 されま した。 パ ソコンの実際につ いては,パ
ソコン実習 の関係か ら滋賀県立短期大学 の工業部 の先
生方 にご協力 をいただきました。第 2回 は京都セ ミナー
として 「
看護診断を診断 しよう」 をテーマに野島良子
コーデ ィネー ターで,立 命館大学 の末川記念館 で行 わ
れま した。 この時には韓国 であ りま した ICNへ ご出
リア シュナイダー先生 にお越 しいただき,
席 の Drマ
1の
してい
「看護診断 の過去 。現在 ・未来」 を特別講演
日本看護研究学会雑誌 V01.14 No.1
看護教育 :過 去 。現在 。未来
ただいたのであ ります。 このよ うな 5年 間 の地方会活
進 してお られ るのだ と思います。 日本看護研究学会 の
動 を振 り返 ってみます と,回 を重ね る毎 に主体的 に関
C地 区地方会 で 出会 った若 い人達 も,そ れぞれ 自分 に
わ りを持 って下 さる若 い方 が少 しづつではあ りますが
かな う学 びの場を積極的に進んでお られ るのを見 て思
増えてお り,発 会当初 のね らいに向けて前進 している
いますのは,30年 前 には 「白衣 の闘争」 と して表出さ
ことを実感 いた します。 そのよ うな中で,今 回 の 日本
看護研究学会をC地 区で担当させていただくことになっ
れたあの若者 のエネルギーが,今 や っと本来 の 「
看護
学」 を造 り上 げる方向で,そ の エネル ギーを表 出 させ
たのであります。 しか も,実 行委員 となって下 さった
ようとしているのを感 じるのであ ります。
皆 さんがそれぞれの担当を うま く調整 され,実 行 に移
して いただいている様子を見てお ります と,自 ら求 め
て実践 してい く姿勢 こそ地方会活動 の意義 と言えるの
これ か らの看 護 教 育
しか し,若 い人が育 ちますにはサ ー クル活動や地方
で はな いで しょうか。
会活動 では間接的活動 であ り,や はり日々の大学 の教
育 ・研究 の中でのみ可能性があると考 えます。従 って
ナ ー シ ング滋 賀 か ら看 護 診 断 ヘ
教育機関にお ります私達 は,学 生 を育て ることは勿論
ところで,県 内の看護教員 が集 まって,中 木先生を
中心 にナー シング滋賀 とい うグル ープでナー シングダ
イアグノー シスについて勉強会を始 めたのは1982年の
であ りますが,若 い教育者 を育て ること,そ れは 自分
を超えて大学 へ移 って行 けるだけの力 を付 け られ るこ
とが私達の使命 であると思 ってお ります。他 の分野 に
秋 であ りま した。 その過程 で出会 ったのが,1980年 ア
おいて は,企 業内の勤務 の中で評価 されるだけの研究
メ リカ看護婦協会 の発表 した看護 の定義 であります。
業績 を持 ってお られます。 しか し,看 護では これまで
「
看護 とは実在あるいは潜在す る健康 問題 に対 す る人
は病院 に勤 めなが ら研究業績 を造 り上 げることは,な
間 の反応を診断 し治療す ることである」 というもので
かなか少 なか ったのであ ります。他分野では大学教育,
した。健康問題 に対す る人間の反応を診断 し治療する,
大学院教育 を通 して職場 における姿勢 が研究的職場環
そのためには患者 さんを生活す る全人間 として とらえ
境 を作 っているのではないで しょうか。看護 にはそれ
ること,そ の上で対象 の状態 を判断 し,相 手 にあった
がないので はないで しょうか。 そ こで少 な くとも今あ
看護 が出来 るよ うな看護 の見方,考 え方をさらに拡 げ
る大学 において,卒 業生 にその視点 を持 たせ ること,
なが ら,看 護 の独 自性,専 門性 を貫 いてい くためには,
そ してその方 々を教員 としてまず育 ててい く事 が私達
看護教育 は 4年 制大学 であることが必要 あると考えま
した。 4年 制大学 については, こ こで は述 べ ませんが
の役割ではないで しょうか。 しか し,そ の人がや るか
や らないかは,そ の人 の 自由であって,押 し付 ける こ
今回 のシンポジウム Iで は,「 看護」 の 目指す ものを
とはで きません。私達 に必要 なのは育 てていこうとす
獲得するためにと題 して 4年 制大学 の問題 を,明 日行
る環境作 りであ りま しょう。
われます シンポジウム Ⅱで は,「 看護診断」 を教育 と
臨床 の場 にど う影響を与え,ま た, ど う取 り組んで い
今 日の科学技術 は,加 速度的に進歩 し,そ の過程で
は健康 問題 への対応がセル フケアヘ と異な って参 りま
くかを明 らかに したいと思 って計画 いた しました。 こ
した。 したが って, これか らの看護 の基盤 には健康科
のナー シング滋賀 の仲間 であ った若 い人達 は,一 人 は
学あ るいは人間科学 の領域 の重要性が予測 され,す で
千葉大学 の修士課程 を修了 し,今 も研究を続 けてお ら
に到来 している高齢化社会 の中で社会 の変容 を見据え
れます し,後 二人 はその後,仏 教大学 の通信部を卒業
され,一 人 はこの 6月 ,ま ずは語学留学を とカナダヘ
なが ら広 い視野 を持 つ人材 の育成 が看護教育 に求 め ら
れることになると思 います。
旅立 ちま した。 いま一人 は母校 に招 かれ研究 を続 け ら
れ,今 回 の学会 で も座長をお願 い致 してお ります。 も
ちろん彼女達 はナー シング滋賀 との出会 いがな くて も
おわ りに
自分 の将来を切 り開 いて行 かれたか も知れ ません。 し
が余 りに も長 く,与 え られた時間内に取 り上 げるもの
看護学院を卒業 して30年間,即 ち26万 2千 800時間
か し,「 看護診断」 の学 びを通 してお互 いを触発 しあ
に迷 って,今 朝 まで決 めかねてお りま した。従 ってず
い,そ れぞれ 自分 にかな った学 びの道 を見 いだ し,前
いぶん無理 があ り, ま た,多 少 自分勝 手 な ことを 申
日本看 護研 究学 会雑誌 Vol.14 No l 1991
看護 教育 :過 去 。現在 ・未来
し上 げ,お 聞き苦 しいところがあ ったか も知れません
3)金
が,お 許 しいただいて課題 に多少 とも接近 で きたかど
東
うか不安ではあ りますが,京 都で看護 を学 んでいた30
4)厚
年前 には, この地で しか もこのよ うな立場でお話でき
課
るなど思 って も見ませんで した。 この事 に対 して は支
89
5)短
ん。特 に,滋 賀県立短期大学 に移 ってか らの同僚 の先
三
生方,関 係機関の方 々,そ して今 日お見せ したスライ
6)玄
期大学設置基準,解 説教育六法 平成二年劇楓
省堂,東 京,1990
田公子 :氷嚢貼用による皮膚温変化 について,
5回 日本看護学会集録,教 育管理分科会, 日本看
第
初 めての研究 の手 ほどきを ご指導 いただ いた故舟木先
生省健康政策局看護課 :看護婦学校養成所教育
程改正案 の概要,看 護教育,3α6)363-371,19
えて くださった方 々に御礼 申 し上 げなければな りませ
ドの中では,言 葉 に現 せない苦 しさがありま したが,
子 光 :保健婦助産婦看護婦法 の解説,288,
京,1987
護
協会出版会,195-198,1974
生,そ してそのお弟子 さんの方 々,最 後 に訳 の分 か ら 7)玄
田公子 :奄法 に関す る研究, ことに各種水温 に
ないままに被験者 としてご協力 いただいた卒業生の方々
お
ける氷嚢貼用 による皮膚温 の変化,滋 賀県立短期
に,本 当 に多 くの方 々に感謝申 し上 げ,閉 じさせてい
大
学雑誌,19,102-105,1978
ただ きます。 ご静聴あ りが とうございま した。
ンポジウム :看護系大学院 のあ り方を考え る一
8)シ
自己の体験 を通 して,看 護教育,289ヽ 522-535,
1987
献
1)特 集 :保健婦 ・助産婦 ・看護婦学校養成所指定規
文
則 の改正 について,看 護教育, 9(1)1-35,1968
2)金 子 光 :保健婦助産婦看護婦法 の解説,238,
東京,1987.
未
9)特
集 :看護研究 の立案か らパ ソコンによるデー タ
理 までの実際,看 護教育,3α lλ6-41,1989.
リア ・シュナイダー :『看護診断 過去 。現在 ・
10)マ
処
来』,看 護教育,300),807-814,1989
日本看護 研究学会雑誌 Vol.14 No_1 1991