自主・平和の時代への歴史的結節点で - 朝鮮民主主義人民共和国を

自主・平和の時代への歴史的結節点で
尾上健一
冷戦後、世界では自主性を生命のように大切にし輝かせて生きるためのたたかいが力強く展開されて
きました。
イラク戦争は民衆の頑強な抵抗にあって泥沼化し、米軍はイラクに釘付けになっています。
自主性に目覚めた民衆は、強大な武力によっても支配されないことが再び立証されました。
世界は自主の流れを加速させています。
1.現代帝国主義の一元的支配体制は崩壊へ
カネと権力をもって世界を支配しようとする帝国主義の策動は、世界の人びとのうえに深刻な問題を
引き起こしています。
帝国主義による支配と収奪がもたらした不平等な世界の現実は、各国の国内総生産(GDP)にはっ
きりと表れています。
世界には 200 以上の国がありますが、2001 年、アメリカのGDPは世界の 33.0%で、前年度の 31.7%
に比べてさらに割合を増やし、たった1国で世界の富の3分の1を占めるという驚くべき状況を示して
います。
日本のGDPも 13.6%に達し、アメリカと合わせると 46.6%となり、2か国で世界の富の半分を独
占していることがわかります。
一方、アフリカ 47 か国全体を合わせたGDPは、2000 年には 1.0%でしたが、2001 年には 0.99%に
減少しました。
貧困にあえぐ国からも容赦なく収奪する帝国主義は、世界の人びとの上に耐え難い苦痛を与えていま
す。
現在、世界人口 60 億の内、8 億 3000 万人が飢餓に直面していると報告されています(世界人口白書)。
エイズ感染者は世界で 4200 万人に達し、2002 年の1年間で 500 万人が新たに感染し 300 万人が死亡
しました。
世界の路上生活をしている子どもの数は 1 億から 2 億 5 千万人と言われています。90 年代の戦争で
200 万人の子どもが犠牲になり、600 万人の子どもが一生治らない傷を負いました。
400 万人もの子どもや女性が売買され、女性は旧ソ連、東欧で、子どもたちはアフリカで多くなって
います。
世界の人びとは各国が等しく自主性を輝かせて生きる新しい時代として 21 世紀を迎えました。
飢餓や貧困の問題を解決していくことは、21 世紀を人びとが幸せに生きることのできる時代にしてい
くうえで猶予できない課題です。
アメリカは世界にたいする一元的支配を強め、世界の多くの国に犠牲を強いているだけでなく自国の
経済も破綻させています。
アメリカ政府が大資本家と軍需産業を優遇する経済政策を長年続けた結果、財政赤字、貿易赤字が膨
大な額にのぼっています。アメリカの経常収支の赤字は 2002 会計年度で過去最悪の 4809 億ドルに達し、
2003 会計年度財政赤字は 3742 億ドルにのぼりました。
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アメリカは世界一の債務国に転落し、ドルの価値は急速に低下しています。アメリカの対外純資産は、
2001 年現在、マイナス 2 兆 3091 億ドルとなっています。
アメリカは経済危機を回避するため国債を多量に発行し、海外マネーに依存する体質をいっそう強め
ています。アメリカ国債の海外保有率は、2003 年 6 月末現在、発行残高の 35.6%と過去最高になって
います。日本はアメリカ以外の国がもつアメリカ国債の 3 分の 1 にあたる 4410 億ドルを購入してアメ
リカ経済を支えています。
借金は利子をつけて必ず返済しなくてはなりません。膨大な借金の支払いに窮するブッシュ政権は、
為替相場をドル安に誘導することによって、輸出競争力を強め、借金を目減りさせる政策に転じました。
ドルにたいする信認の低下に便乗した為替相場の操作は、ドル急落の引き金になりかねず、それはアメ
リカ経済の崩壊、ひいては世界経済の崩壊を招く危険をはらんでいます。経済的に弱体化したアメリカ
を支えているのが日本であり、アメリカの世界支配のしわ寄せは日本だけではなく世界の人々に及ぶも
のです。
アメリカの弱体化はアメリカの軍事政策にも影を落とし、いかにアメリカが緊張を煽り、圧力を加え
ても各国はアメリカの戦争策動に同調しない状況が生まれています。アメリカの世界支配の破綻は、イ
ラク戦争を機に決定的になっています。
この間、アメリカは世界を軍事的に支配するために「ならず者国家」を演出してきました。
「ならず者国家」という言葉は 1990 年代、湾岸戦争時期に前ブッシュ大統領によってはじめて使わ
れたものです。クリントン前政権は、朝鮮民主主義人民共和国、キューバ、イラク、イラン、シリア、
リビア、スーダンの 7 か国をテロ支援国家、「ならず者国家」と称し、冷戦後の新たな敵として規定し
ました。
アメリカが「ならず者国家」を持ち出した時代的背景に、冷戦体制の崩壊があります。冷戦時代、ア
メリカは旧ソ連を中心とする東側陣営に対抗することを理由に強大な武力をもつことを正当化してい
ました。冷戦後、敵はいなくなったにもかかわらず、アメリカは依然として軍需産業の要請に応え、武
力を増強しています。アメリカが冷戦後、武力行使の新たな理由に持ち出したのが、「ならず者国家」
による脅威でした。
2001 年秋、アメリカは攻撃に先んじて、アフガニスタンを「ならず者国家」のリストに加え、同年
10 月にアフガニスタン戦争を引き起こしました。
どの国が「ならず者国家」であるかは、アメリカの都合によって決められるため、あらゆる国が「な
らず者国家」にされる可能性があります。
アメリカは、イラクをはじめとする「ならず者国家」がテロ国家、テロ支援国家であり、大量破壊兵
器を保有しているという宣伝を大々的におこなってきました。元来、大量破壊兵器は核兵器を意味する
言葉として使われてきましたが、この 10 年間、アメリカは意図的に大量破壊兵器のなかに生物・化学
兵器を加え、先制攻撃を正当化してきました。
アメリカによって「ならず者国家」と規定される国に共通する特徴は、アメリカにたいし相対的に自
主的な立場をとっている点です。
2002 年 1 月、ブッシュ大統領は連邦議会における一般教書演説でイラク、イラン、朝鮮民主主義人民
共和国の 3 か国を「悪の枢軸」と規定し、先制攻撃をおこなう対象国として名指ししました。
2003 年 3 月、米英軍はイラク戦争を強行しました。アメリカによるイラク攻撃は周到な準備のうえで
強行されました。
湾岸戦争後、アメリカはイラクにたいし大量破壊兵器保有を理由にして査察を要求しました。イラク
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は 1991 年から 1998 年に至る長期間、国連監視検証査察団を受け入れ武装解除に応じました。イラクが
アメリカの要求を受け入れ武装解除していったのは、武器を捨てればアメリカは攻撃しないという見込
みがあったからだと言われています。またロシア、フランスがイラクに保有する石油の利権確保のため
に戦争を抑止するであろうとの期待がありました。
イラクの予想に反し、アラブ世界を支配する野望にかられたアメリカは世界の反対を押し切って侵略
戦争を強行しました。
アメリカがイラク全土を制圧し数か月を経過しましたが、イラクには大量破壊兵器は一片も発見され
ておらず、アメリカの戦争の不当性が日ごとに明らかになっています。
アメリカが演出し引き起こした侵略戦争にたいする抗議の声は世界で巻き起こり、アメリカはいまだ
経験したことのない孤立を余儀なくされています。2003 年 5 月、ベルギーにおいてアメリカ中央軍司令
官を戦争犯罪人として告発したのは、イラク侵略戦争にたいする世界の批判の声を反映した動きでした。
イギリスの『ガーディアン』紙は同年 9 月、イラク戦争に関する世論調査の結果を発表しています。調
査結果では、イラク戦争を正当化できるとする意見が 4 月の 63%から 38%に減少しています。
アメリカは 5 月 1 日の大規模戦闘終結宣言後、次第に激しさを増すイラク人民の抵抗闘争に直面し、
各国に復興を名目とした軍隊の駐留と軍事費の肩代わりを要請しました。
10 月 24 日、アメリカはイラク派兵と資金援助を要請する目的で、イラク復興支援国会議をスペイン
で開催しました。約 70 か国が参加してイラク復興支援国会議が開催されたものの、アメリカの要請に
応じて 20 億ドル以上の復興資金の拠出を提示したのは主に世界銀行、国際通貨基金(IMF)などア
メリカ主導の国際機関と日本だけでした。日本とアメリカが示した 2007 年までの支援金額は全体の 6
割を占め、フランス、ドイツ、ロシアは派兵にも資金援助にも回答しませんでした。アメリカの派兵要
請に応えた国は 11 月中旬の時点で東欧を中心とする 33 か国のみであり、合計兵員数は 16000 余、それ
もほとんどの国が数十名から数百名という非戦闘員を前提とする少数の形式的な派遣です。
アメリカの政府関係者が「第二次大戦後、アメリカが今ほど世界で孤立したことはない」(アメリカ
民主党系の研究機関)と嘆くほどに、アメリカの苦悩は深刻になっています。アメリカは世界から見放
されているだけではなく、イラク戦争後、アメリカの支配を拒否し自主性を守るアラブ人民のたたかい
によって、激しく揺さぶられています。米軍を中心とする連合軍の死者は、3 月 20 日の戦闘開始以来一
1 月末で 500 名をこえ、5 月 1 日の大規模戦闘終結宣言以降の死者は戦闘中の 2 倍以上に及んでいます。
アメリカでは厭戦気分が蔓延し、ブッシュ大統領の責任を追及する声が高まっています。
アラブ人民は悠久な歴史と共生の文化に誇りをもち、固有な政治体制のもとで平和に暮らしてきまし
た。アラブ人民の自主性を無視し、強引にアメリカ化を進め支配を貫くことは不可能です。
世界の批判を浴びるアメリカの一元的支配、暴力的支配の背景には、ネオコン(新保守主義)と呼ば
れる極右勢力の存在があります。ネオコンは、イスラエルと密接な関係をもつユダヤ人を中心とする少
数グループです。
アメリカの多くの人びとは世界と協調することを願っています。
ネオコンの主張は、武力によって世界を支配するものであり、自らの価値観と利益に世界を従わせる
時代錯誤的なものです。ネオコンはブッシュ政権になって政治的影響力を急激に強めてきました。ネオ
コンはブッシュ政権を通して、自国にたてつく国を暴力で支配する政策を実行し、アフガニスタン戦争、
イラク戦争に深く関与しました。暴力的支配と他者のいかなる尊厳も価値も認めないネオコンの政策は
世界の非難を浴びています。
2003 年 10 月に開催されたイスラム諸国首脳会議において、マレーシアのマハティール首相(当時)
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が演説で公然とアメリカとユダヤの政策を批判しました。マハティール氏の発言は共感をもって世界に
大きく報道されました。
冷戦後の世界には、自主性を大切にして生きるのか、自主性を無視して支配を貫くのかの問いが投げ
かけられてきました。世界は今、自主の道を確固と歩み始めています。
2.世界が支持する朝鮮の自主・平和政策
アメリカの一元的支配に反対し、自主をめざす動きが世界のなかで台頭しています。
ヨーロッパにおける自主の気運はドイツを中心に展開していた北大西洋条約機構(NATO)軍の見
直しを迫り、アメリカは世界戦略の拠点をアジアに移しつつあります。
アメリカは、アジアにおける経済的利権を確保するために米軍のアジア駐留を恒久的に維持しなくて
はならないと考え、朝鮮にたいする戦争策動を強めてきました。アメリカはアジア支配を正当化するた
めに再び朝鮮の核問題を演出し、危機を煽りました。アメリカが投げ入れた戦争の火種は一時的な緊張
をもたらしたものの、北東アジアの平和と協調の気運に少しの影響も与えることはできませんでした。
むしろ、六者会談に見られるように北東アジア諸国は団結をいっそう強めています。
アメリカが投じた戦争火種を打ち消し北東アジアの平和を主導したのは朝鮮でありキムジョンイル
総書記の先軍政治によるものです。
1990 年代半ば、共和国をめぐる内外情勢はきわめて厳しいものがありました。1994 年には朝鮮人民
が太陽と慕うキムイルソン主席が突然逝去され、そのうえに自然災害と貿易の停滞、アメリカによる経
済封鎖が重なり、人々の生活は困難を極めていました。アメリカは機をのがさず、朝鮮への戦争策動を
強め、軍事的緊張は高まっていました。
キムジョンイル総書記は、1995 年 1 月、人民軍兵士を訪ね、先軍政治を開始します。
キムジョンイル総書記による先軍政治は、民衆のために、民衆が豊かに幸せに暮らせる社会をきずく
ための政治です。
キムジョンイル総書記は、「主席が生前、国が栄えて楽ができるようになったと言われていました。
新年からはわが人民の幸せの笑いの花をいっそう満開にしなくてはなりません」と先軍政治の目的を明
らかにしています。キムジョンイル総書記は、人民が生きがいをもって幸せに暮らすために先軍政治が
あることを世界に示しました。
人民軍は総書記の呼びかけに応え、人民のために服務する高い熱意をもって、電力生産、食糧生産、
鉄道輸送をはじめ社会主義建設のもっとも困難で重要な部門を受け持ち成果をあげています。
先軍政治はまた、自国の自主権と生存権を守り、恒久平和を実現するための政治であるといえます。
アメリカ帝国主義が、核先制攻撃の対象として朝鮮民主主義人民共和国を名指しし、戦争策動を強めて
いるときに、武力で防衛することはあまりにも当然のことです。
朝鮮は他国を侵略する意思もなく、侵略した歴史もありません。朝鮮の武力は帝国主義の侵略から自
国を守り、平和を保つための備えです。朝鮮が武力を万全に整えているためにアメリカは容易に攻撃で
きず、北東アジアの平和は保たれてきました。
先軍政治はまた、人民軍が社会主義建設総体を牽引することに結びついています。人民軍は革命の指
導者にたいする徹底した忠実性、人民のために命を投じて任務を遂行する革命的気風をもって人民を励
まし、社会主義強盛大国建設の先頭に立ってたたかっています。
先軍政治の開始から 8 年、朝鮮はアメリカの戦争策動を退け、経済も順調に回復させてきました。
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朝鮮は核兵器に関する国際条約を遵守しつつ、アメリカの国際法違反を指摘してきました。なかでも
核兵器保有国が自分の都合を優先する核兵器拡散防止条約(NPT)の二重基準について警鐘を鳴らし
てきました。
NPTには、世界 187 か国が加盟しています。NPTは核兵器の拡散を防止し、終局的には核兵器の
廃絶を目標とする国際条約です。
2000 年のNPT再検討会議の最終文書では「核保有国は、自国の核兵器の完全な廃棄を達成し、NP
T条約第 6 条のもとで、全ての締約国に義務付けられている核軍縮をもたらすことを明確に約束する」
とうたわれています。
関係諸国によってNPTの運用を改善する努力が続けられている反面、一部の核兵器保有国は核を抑
止力としてではなく実践で使用すると公言するようになりました。
2002 年 1 月、アメリカの核態勢見直し報告が明らかにされました。報告では「核兵器は、アメリカ、
同盟国、および友好国の防衛能力において決定的な役割を演ずる」と明記し、世界支配のためにもっと
も有力な武器として核兵器を位置付けています。報告を受け、アメリカ議会では小型核兵器の製造禁止
を解除する法案が通過し、小型核兵器の研究開発費 1500 万ドルを含む 4013 億ドルもの 2004 会計年度
国防予算が成立しました。
一方、ロシアは 2003 年 10 月、全軍司令官会議を開き、今後 10 年間の軍事戦略の指針となる新軍事
ドクトリンを発表しました。イワノフ国防相は戦略抑止力に核兵器を含むと明言しつつ、「ロシアと同
盟国の利益のために必要ならば、先制攻撃をおこなう可能性を除外しない」と述べています。
核兵器保有国が核兵器の使用を公言するなかで、朝鮮は核問題の平和的解決のために努力してきまし
た。朝鮮の自主外交はアメリカの核先制攻撃に歯止めをかけています。
2003 年 8 月 27 日、北京で六者会談が開催されました。六者会談は、核問題の解決のため朝鮮がアメ
リカを対話のテーブルにつかせたものです。六者会談は、参加六か国が核問題について協議する形式を
とりつつも、実質的には朝米直接会談としておこなわれました。
会談で朝鮮は、平和を実現するために朝鮮の核抑止力の放棄と同時にアメリカの対朝鮮敵視政策の放
棄を要求し、朝米両国が同時に行動することと、その手順を示しました。
朝鮮の提案にたいしてアメリカは、朝鮮が先に武装解除すれば、アメリカのとるべき行動はその後明
らかにすると主張しました。
六者会談に参加したソ連、中国、韓国は朝鮮の主張を全面的に支持しました。
日本は一貫してアメリカに従属したばかりか、核問題を討議するテーブルに拉致問題をのせるよう主
張し、核問題の解決を目的に集まった北東アジア諸国との落差をあらわにしました。
10 月 21 日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)が開催され、議長国であるタイのタクシン首相
は、「朝鮮によって提起されている安全保障上の懸念を含む関係者のあらゆる懸念に対処しつつ、対話
を通じた平和的解決を追求する」「安全かつ永久的に核兵器のない朝鮮半島に向けた具体的かつ検証可
能な進展があることを期待する」との議長総括をおこないました。APECの議長総括は、アメリカと
の直接対話を通じて核問題を解決する朝鮮の立場を支持するものでした。
自主性を高く掲げる朝鮮の外交は、アメリカのアジア戦略を破綻させ、ひいてはアジアからの米軍撤
退を促すものです。朝鮮の堂々とした外交姿勢は世界の支持を集め、帝国主義と対峙する多くの国々の
進路を明るく指し示す模範となっています。
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3.日本の反動化は支配層の末期現象
世界に自主の流れが強まるなかで、ひとり日本はアメリカ追随の道をひた走っています。
2003 年 11 月 19 日、第二次小泉内閣が成立しました。日本の運動を力強くおし進めていくうえで、小
泉内閣について正しく見ることが重要です。
小泉内閣の特徴の一つは、対米従属姿勢がきわめて強いことです。
10 月 17 日、小泉首相とブッシュ米大統領の会談がおこなわれました。正式会談はわずか 30 分の短い
ものでしたが、ブッシュ大統領は日本にたいして具体的な要求を提示しました。
はじめにブッシュ大統領は朝鮮の核問題について言及し、アメリカは朝鮮の求める不可侵条約締結に
応じないと述べ、日本に同調を求めました。小泉首相は日朝国交正常化を実現し、政治家として歴史に
名を残す野心をもちつつも、アメリカの対朝鮮敵視政策に追従する立場を堅持しています。
つぎにブッシュ大統領はイラク復興支援金の拠出を要求しました。小泉首相は、ブッシュ大統領来日
に合わせて決定していた 15 億ドルの拠出を伝えました。ドイツやフランスなどまったく復興資金を拠
出しない国が相次ぐなかで、積極的に無償援助を申し出た日本政府の対応は、窮地に陥ったアメリカを
大きく励ますものでした。ブッシュ大統領は、日本政府による 15 億ドルの資金拠出について「内容、
タイミングとも非常に重要だった」と手放しで評価しています。各国は、不当なイラク戦争を支持し、
巨額の復興資金を負担する日本の対応について一様に違和感を抱いています。
最後にブッシュ大統領は、小泉首相にたいし、円高を抑制するための市場介入は許さないと釘をさし
ました。
日本は貿易立国であり、アメリカの要求に応じて円高政策をとれば、輸出は縮小し経済は致命的な打
撃を受けます。
ブッシュ大統領は公式発表では引き続きドル高を維持したいと述べましたが、夕食会の席上、為替問
題を切り出し、「通貨の価値は市場が決めるべきだ」と述べ、円高を抑えてはならないと圧力をかけま
した。小泉首相はアメリカの要求を受けとめ、ドルの急落を抑えつつ、徐々に円高への移行を進めてい
ます。
日米首脳会談を通して、ブッシュ大統領の意図を敏感に察知し先取りする小泉首相の政治姿勢がいっ
そうあらわになりました。
小泉政権のめざす構造改革とは日本における政治、経済、軍事のすべてをアメリカ化し、日本の国益
をアメリカの国益に服従させることを意味しています。
小泉政権の経済政策の柱は、日本の市場を徹底してアメリカに開放していくことです。日本経済をア
メリカ化するうえで、小泉政権が重視している一つは郵政の民営化です。
IMFステファン・イングベス通貨金融システム局長は 10 月、
「郵便貯金などが民間金融機関の収益
性回復を妨げている」(読売新聞)と述べ、郵政の民営化を促しました。現在、郵便貯金は銀行預金を
上回る額にのぼっています。アメリカは郵政を民営化し、その潤沢な資金をアメリカの銀行や企業が吸
収することを要求し、 日本政府はアメリカの要請に積極的に応えています。
世界のなかで日本のように対米従属姿勢を強めている国はありません。
世界各国はアメリカを崩壊に向かう国と考え、ブッシュ大統領が来年の選挙で大統領の椅子に座るこ
とは難しいと見ています。
『ニューズ・ウィーク』
(10 月 8 日号)の世論調査では、ブッシュの再選を支
持する人 46%、再選を支持しない人 47%、ブッシュの経済政策を支持する人 37%、支持しない人 55%
と発表しています。
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アメリカ国内でも見放されているブッシュ大統領につき従い、繁栄するアジアとの距離をおく小泉政
権の行く末は暗たんたるものです。
小泉内閣の特徴の二つは、
「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」
(救う会)や「北
朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」(拉致議連)などの右翼に基盤を
置いていることです。
小泉首相は組閣にあたり、経済産業相に中川昭一・拉致議連前会長、環境相に小池百合子・拉致議連
前副会長、国土交通相に石原伸晃、防衛庁長官に石破茂・拉致議連元会長、国家公安委員長に小野清子
など右派を多く登用しました。
自民党の安倍晋三幹事長は、
「救う会」が 12 月中旬に開催する朝鮮にたいする経済制裁を求める緊急
集会を受けて、外国為替・外国貿易法(外為法)改正案を来年の通常国会で成立させると明らかにしま
した。
日本のなかで右翼勢力はきわめて少数派であり、彼らの政策は民衆の意識とは大きくかけ離れ反対の
方向を向いています。広範な民衆の要求を無視し、ごく一部の右翼に依拠して政治の舵をとる小泉政権
の基盤は弱く危険に満ちています。
小泉第二次内閣の特徴はまた、権力を使って強権的に支配を貫くことに表れています。
10 月 17 日、日本道路公団の藤井治芳総裁の解任手続きとして、国土交通省の聴聞審理がおこなわれ
ました。
小泉政権は衆議院議員選挙を前にして日本道路公団の民営化作業に手間どる藤井総裁を排除し、小泉
改革が進展していることを宣伝する必要にかられていました。
小泉政権は解任の権限をもつ国土交通相に石原伸晃を起用し、直ちに藤井総裁解任を実行する指示を
与えました。石原国交相は聴聞審理を一日で打ち切り、10 月 24 日に処分を決定する異例の早さで解任
を強行しました。
藤井総裁解任後、道路公団の新総裁には近藤剛・参議院議員(その後、議員を辞職)が就任しました。
小泉政権は、道路公団の民営化を唱えながら、現職の議員を公団新総裁に任命するという矛盾した対応
を平然とおこなっています。
自分に従順でない者は国家権力をもって排除するのが小泉政権の手法として顕著になっており、そこ
に対話や協調の痕跡もみることができません。小泉政権の強権政治は、ブッシュ政権の政治手法に極め
て似通っています。
異なる主義主張を認めず、権力をもって自己の要求を貫く政治は、日本社会に深刻な影響を及ぼして
います。青少年の間でも、他者を思いやり話し合いによって問題を解決するのではなく、自分に都合の
悪いことや嫌なことは暴力で決着をつけるという短絡した事件が目立つようになりました。
小泉政権の時代錯誤的な政策と政治手法は外交戦略に端的に現れています。
2001 年 11 月、「21 世紀日本外交の基本戦略」が発表されました。
基本戦略は、小泉首相が諮問委員会を設置して、今後の外交政策をまとめさせたもので、内容は脱亜
入米の理念で貫かれています。脱亜入米とは、日本はアジアから抜け出て、アメリカに入っていくとい
うことです。脱亜入米政策は、明治期に福沢諭吉が唱えた脱亜入欧にちなんだものです。
古来、日本は中国、朝鮮などアジア諸国と親交を結び、政治、経済、文化のあらゆる面で大きな影響
を受けてきました。
明治期に入って福沢諭吉が脱亜入欧を唱え、多くのエリートをヨーロッパに留学させました。とくに
当時、強大な勢力を誇っていたドイツへ多くの留学生を送り、日本のあらゆる制度をドイツ式に変えて
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いきました。日本はアジアを蔑視し、歴史も文化も異なるヨーロッパを仰ぎ見る脱亜入欧政策を 100 年
の長きにわたってとり続けたといえます。
第二次世界大戦を経て、日本は帝国主義の頂点に立ったアメリカへの従属を柱とする脱亜入米政策に
大きく転換します。
小泉内閣が外交の指針とする「21 世紀日本外交の基本戦略」は対米従属、アジア蔑視を色濃く反映し
た内容となっています。
基本戦略の最初には、アメリカによる世界の一元的支配について、「圧倒的な軍事力を誇るアメリカ
が単独で行動する傾向は憂慮されるべきである」と、アメリカの一元的支配を問題にしながら、アメリ
カへの全面的な従属を外交政策の柱として打ち出しています。さらにアメリカについて、「日本にとっ
てもっとも重要な国」「日本が他国から攻撃を受けたときに、自らの血を流してでも日本を防衛する国
はアメリカだけだ」とし、きわめて偏ったアメリカ観を披瀝しています。
韓国については、「韓国の国民意識の変化はそれほど容易ではない。過去の記憶が変化を妨げている
からである」とし、韓国には依然として反日感情が瞬時のうちに燃え上がる土壌がある、韓国の人々が
日本の侵略を忘れていないことが問題だと転倒した見解を主張しています。
朝鮮民主主義人民共和国について、日本が追求する目標は朝鮮の「政治体制を段階的に変質させるこ
と」であると公言しています。アメリカが武力によって朝鮮の体制を転覆させようとしているのにたい
し、日本は長い時間をかけつつ内側から政治体制を崩壊させていくというのです。
各国の体制はその国の民衆によって決定され、各国には何人も侵すことのできない尊厳と自主性があ
ります。各国の自主性を顧みない日本の傲慢な外交姿勢をもっては、アジアや世界との友好をきずくこ
とは困難です。
最近、日本の軍国主義化、政治反動化が顕著になっています。小泉政権は 2005 年には平和憲法を改
悪すると明言しています。時代の流れに逆行する日本の現実は、支配体制の危機と末期現象を示してい
ます。
日本における政治反動化を象徴するものが二大政党制への移行です。
アメリカ、イギリスで先行し、日本が真似ようとする二大政党制は、本質的には一党独裁への移行で
あるといえます。
11 月 9 日、第 43 回衆議院議員選挙がおこなわれました。選挙結果は、自民党、民主党が多数の議席
を占め、日本は二大政党制の時代に移行しつつあることを示しました。
選挙戦に入る前の特徴的な出来事として、自由党が民主党に合流する形で合併しました。民主党は、
自民党を中心とする与党三党が政権を担うのか、あるいは民主党が政権を担うのかの選択を提示して選
挙戦に入りました。
開票結果は、自民党が九議席減らして 237 議席、民主党が 40 議席増やして 177 議席、公明党が 3 議
席増やして 34 議席、共産党が 11 議席減らして 9 議席、社民党も 12 議席減らして 6 議席、保守新党が 2
議席減らして 4 議席というものでした。
選挙によって議席を増やしたのは、与党では公明党、野党では民主党だけでした。
選挙の翌日、保守新党は代表が落選したことを受けて自民党に合流し、与党は自民党、公明党の二党
となりました。自民党は保守新党の合流と無所属議員 3 名の入党によって 244 議席となり、衆議院議員
定数 480 議席の過半数を占める結果になりました。
最終的にようやく過半数の議席を制した自民党ですが、今回の選挙は追い風を受けながらも議席を減
らし、自民党の退潮は避けられないことを印象づけました。
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自民党、公明党、民主党を除く他の小さい政党が大幅に議席を減らした最大の要因は小選挙区制にあ
ります。
比例代表制は得票数に比例して各党に議席を配分するため、一定程度、有権者の意思が反映され、各
党に議席獲得の機会が与えられます。しかし小選挙区制は全国の選挙区を小さく割り、一選挙区から一
人しか当選できなくなるため、大政党に圧倒的に有利に作用します。その結果、第二、第三の候補者に
投じた票はすべて死票になります。
現在、衆議院議員選挙は小選挙区制を基本にして比例代表制を合わせる小選挙区比例代表並立制でお
こなわれています。選挙区は 300 議席、比例区は 180 議席で、選挙区の議席数は比例区の議席数の 2 倍
近くになっています。小選挙区制を基本にして比例代表制を合わせる形の選挙では、選挙区での勝敗が
全体の議席数を決定していきます。
比例区得票数に合わせて議席数を試算すると、自民党は 168 議席、民主党は 179 議席、公明党は 70
議席、共産党は 37 議席、社民党は 24 議席となり、公平な選挙制度のもとで選挙がおこなわれる場合、
自民党は議席を大幅に減らし、反対に野党は議席の過半数を獲得するというまったく違った結果となり
ます。
小選挙区制の弊害は有権者の声が議席に反映されず、小政党の存立がほとんど不可能になること、二
大政党の政策が支配層の要求にそって擦り寄っていくことに現れます。
今回の選挙結果は、今後政権与党以外の政党が生き残るためには二大政党に擦り寄るか、吸収合併す
る道しかないことを示しました。
小選挙区制が定着することによって、有権者も自ずと二つの選択を迫られます。
その一つは、選挙を通しては自らの意思が反映されないことから選挙に期待できず投票を棄権する道
です。小選挙区制は死票を大量に生み出しつつ、有権者の政治離れを加速します。今回の選挙も投票率
は過去最低水準の 59.86%(過去最低は 59.65%)に落ち込みました。
二つは、二大政党のどちらかを相対的に選択する道です。
消去法での選択をやむなく続ける結果、人びとは政策にたいする妥協を重ねていかざるを得ません。
高い政治意識をもった人々が投票せず、あるいはりっぱな政策を選択する余地がなくなるのに比例して、
二大政党は権力志向を強めていきます。
二大政党のゴールは、政党名は二つでも、事実上、支配政党として一つになった政党による勤労大衆
にたいする独裁であるといえます。
小選挙区制の導入は支配層の強大さを表すものではなく、反対に民衆の支持を失い窮地に陥った反動
支配層が、不正な方法でしか権力を維持できないことを示しています。民衆の意思を無視し民衆の参加
を拒む政治は、支配体制の崩壊を早めるでしょう。
わたしたちは、今回の選挙から重要な教訓を学びとり、民衆を信じ、民衆に依拠した運動を強めてい
かなければなりません。
時代の本流を見極め、民衆の自主性に依拠し、勝利を確信して運動していくことが重要です。
(本文は 2003 年 11 月 1 日、山口における全国チュチェ研西日本合宿での講演に加筆したものです)
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