中東の想い出Ⅱ 「駐在員の仕事」編

中東の想い出Ⅱ
「駐在員の仕事」編
小暮
19 7 9 年 4 月 に レ バ ノ ン の ベ イ ル ー ト 駐 在 員 ( 在 ア テ ネ ) と し て 、 ギ リ シ ャ
の ア テ ネ に 赴 任 し た 。 当 社( 大 正 海 上 火 災 保 険・・現 三 井 住 友 海 上 火 災 保 険 )
の A gen t ( 以 下 A g) が 、 内 戦 の 激 化 す る ベ イ ル ー ト に 見 切 り を つ け 、 ギ リ シ
ャのアテネに本社を移したので、同居していた我々の事務所も一緒にアテネ
に 移 っ た 。ギ リ シ ャ を 選 ん だ の は 、中 東 に 近 く 、イ ン フ ラ も ま あ ま あ 整 っ て お
り、オフショアカンパニーを税制面で優遇する制度があったからだ。
当 時 は 、 ア テ ネ ま で J AL の 南 回 り パ リ 行 の 便 で 、 途 中 3 個 所 に 立 ち 寄 り 、
約 2 4 時 間 か け て 行 っ た 。D C 8 は 、席 が 狭 い 上 、満 席 の フ ラ イ ト で 、翌 朝 5 時
頃へとへとになってアテネに到着したのを憶えている。それから 4 年間、損
害保険の中東営業に携わった。
当 初 の 2 年 間 は 、サ ウ デ ィ ア ラ ビ ア を 主 た る マ ー ケ ッ ト に 、エ ジ プ ト 、レ バ
ノ ン 、シ リ ア 、ヨ ル ダ ン 、ト ル コ 、ス ー ダ ン 、リ ビ ア 、イ ェ ー メ ン 、キ プ ロ ス 、
ギ リ シ ャ を 担 当 し て い た 。そ れ 以 外 の イ ラ ン は テ ヘ ラ ン 駐 在 員 、イ ラ ク 、ア ラ
ブ 首 長 国 連 邦 ( 以 下 U A E)、 オ マ ー ン は ア ブ ダ ビ 駐 在 員 が 担 当 し て い た 。
2 年 目 に は 、ジ ェ ッ ダ 、3 年 目 に は ペ ル シ ャ 湾 岸 の ア ル コ バ ル に 、新 し く 駐
在 員 事 務 所 が 開 設 さ れ 、そ れ 以 降 は 、中 東 首 席 駐 在 員 と し て 、イ ラ ン を 除 く 中
東全域を主管することとなった。
当 時 、一 般 の 日 本 人 に と っ て 、ギ リ シ ャ や エ ジ プ ト を 除 く と 、観 光 客 も 少 な
く 石 油 と 戦 乱 、テ ロ の 報 道 に 接 す る 以 外 は 、殆 ど 疎 遠 な 地 域 だ っ た と 思 う 。今
でも中東のどこに、どの国があるか、云える人は、余り多くないはずだ。
こ れ ら の 地 域 を 、1
ヶ月に最低 1 度は、
1~ 2 カ 国 に 出 張 し て
関係先をまわった。
中東の出張旅行は、
けっして簡単ではな
い 。サ ウ デ ィ 、U AE 、
レバノンに行くとき
は 、 Ag が Vi s a を 取
ってくれたし、到着
後の移動手段は、現
地 の Ag 事 務 所 や 、当 社 の 事 務 所 が あ っ た の で 、余 り 困 ら な か っ た 。と こ ろ が 、
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そ れ ら の 国 で も 、タ ク シ ー を 使 わ な け れ ば な ら な い 時 や 、そ れ 以 外 の 国 に 行 く
時 は 、 Vi s a の 取 得 や 、 ホ テ ル の 手 配 、 移 動 手 段 等 が 、 結 構 大 変 だ っ た 。 そ の
ことは、次回に触れる。
級 友 に は 、も っ と 貴 重 な 経 験 を し た 方 も お ら れ る は ず だ が 、当 時 は も と よ り 、
現 在 で も 、日 本 人 に と っ て 、あ ま り 馴 染 み の な い 地 域 で 経 験 し た 想 い 出 を 、一
度まとめてみたかった。
私 が 赴 任 し て い た 頃 は 、中 東 の 一 般 情 勢 を 知 る 手 段 は あ ま り な く 、知 る 限 り
で は「 中 東 調 査 会 」の 発 行 す る「 中 東 事 情 」や 、英 国 の 中 東 関 係 の 政 治 経 済 に
関 わ る 出 版 物 「 M EED 」、 そ し て 現 地 の 新 聞 等 に 頼 る し か な か っ た 。 今 は 、 便
利 な こ と に 、中 東 関 係 の 複 雑 な 政 治 経 済 、宗 教 事 情 等 を 、イ ン タ ー ネ ッ ト で 調
べることができる。今回も正確さを期するためインターネットをフルに活用
さ せ て も ら っ た が 、「 コ ピ ペ 」 で は な い 。
事 務 所 は 、ア テ ネ の 中 心 よ り 、南 に 下 り 、サ ロ ニ コ ス 湾 の 手 前 に あ っ た 。住
居 は 、北 の 閑 静 な 住 宅 地 に あ っ た の で 、通 勤 は 、自 動 車 で 北 の 端 か ら 南 の 端 ま
で 市 街 を 突 っ 切 っ て 、 特 段 の 渋 滞 が な け れ ば 、 1 時 間 15 分 位 か か っ た 。 帰 路
には、アクロポリスのパルテノン神殿を、左手に見ながら走った。
私 の 立 場 は 、 Ag の 社 員 で あ る と 同 時 に 、 本 社 の 駐 在 員 だ っ た 。 A g の 会 社
は 、Ar a b Com mer c i al En t er pr i s es
(Li ber i a) In c . 略 し て A C E (Li ber i a) In c .
と い い 、ア ラ ビ ア 半 島 を 商 圏 と す る 中 東 最 大 の 保 険 ブ ロ ー カ ー で あ っ た 。登 記
上 は リ ベ リ ア 籍 で あ る が 、実 質 、サ ウ デ ィ カ ン パ ニ ー で 、傘 下 に 保 険 会 社 を 3
社 、う ち 1 社 は 当 社 と の 合 弁 会 社 、そ し て 、そ れ ら の マ ネ ー ジ メ ン ト 会 社 を 有
していた。
オ ー ナ ー は 、サ ウ デ ィ ア ラ ビ ア 王 家 の プ リ ン ス
ハ リ ド 殿 下 と 、同 国 の 有 力
財 閥 オ レ イ ア ン グ ル ー プ の 総 帥 、ス リ マ ン・オ レ イ ヤ ン 氏 、そ し て 英 国 の 大 手
保 険 ブ ロ ー カ ー Bl an d
P ayn e で あ っ た 。
一 度 だ け オ レ イ ヤ ン 氏 に あ っ た こ と が あ る 。何 と な く 人 を 惹 き つ け る 、素 晴
らしい人物であった。記憶力抜群で、ある種の天才であった。
彼はカリフォルニア
ス タ ン ダ ー ド 石 油( 後 の ア ラ ム コ )の 社 員 か ら( 一 説
によると運転手)アメリカのコントラクター
始 ま り 、王 族 の プ リ ン ス
ベクテル社の下請会社設立に
ハ リ ド 殿 下 と 組 ん で 、商 事 、投 資 、金 融 、保 険 等 の
一 大 企 業 グ ル ー プ を 築 き あ げ 、一 代 で 世 界 有 数 の 大 富 豪 に な っ た 人 物 で あ る 。
そ の 後 、保 険 ブ ロ ー カ ー 部 門 は 、別 の サ ウ デ ィ 実 業 家 に 譲 渡 さ れ 、当 社 と の
Ag 契 約 も 解 約 さ れ た 。 今 で も 、 A CE そ の 会 社 が ど う な っ て い る か 分 ら な い 。
私 が 勤 め て い た 頃 は 、 Pr es i d en t( CEO ) は パ レ ス チ ナ 人 の ナ ビ ル
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バフー
氏 、経 営 陣 に は パ レ ス チ ナ 人 、レ バ ノ ン 人 、ヨ ル ダ ン 人 、実 務 者 は 、サ ウ デ ィ
ア ラ ビ ア 人 、パ レ ス チ ナ 人 、レ バ ノ ン 人 、イ ン ド 人 、英 国 人 、米 国 人 か ら な り 、
中 東 各 国 に 拠 点 を 置 く 、多 国 籍 企 業 で あ っ た 。オ レ イ ヤ ン 氏 は 、故 郷 を 失 っ た
パレスチナ人の優秀な実務家を、うまく使って事業を発展させて来たとの話
を 聞 い た 。だ か ら 会 社 に は 、多 数 の パ レ ス チ ナ 人 が い た 。皆 、大 学 教 育 を 受 け
た 優 秀 な 人 達 で 、殆 ど の 人 が 、レ バ ノ ン 国 籍 を 持 っ て い た 。1 人 だ け 国 籍 を 持
た な い 女 性 の Vi c e pr es i den t が い た 。 M i s s ラ イ ラ ・ ボ ー ド コ ッ シ ュ と い う 、
私 と 同 じ 年 の 独 身 女 性 で あ る 。こ の 人 は 、い つ も 、イ ス ラ エ ル 建 国 前 の パ レ ス
チナの国土を象った金のペンダントを、必ず身につけ離さなかった。
国 籍 が な い の で 、海 外 旅 行 を す る と き は 、不 便 だ っ た と 思 う が 、パ ス ポ ー ト
に 代 わ る ”La i s s ez - p as s er ” と い う 「 通 行 証 」 を 持 っ て い た 。 あ る 時 、 彼 女 が 、
出張で日本に行くことになり、日本大使館に、当社が身元引受人になること
で、ビザを発行してもらったことがある。
ラ イ ラ は 、「 私 の 国 が 亡 く な っ た の は お 前 達 の せ い だ 」 と 冗 談 交 じ り に 、 英
国 人 の 部 下 に 当 た っ て い た 。私 に は「 日 本 は 、再 軍 備 を し て ア メ リ カ に 対 抗 し
てくれ」と言っていた。
彼 女 は 、そ の 後 、生 活 の 拠 点 を ア メ リ カ に 置 い た 。何 処 か の 保 険 ブ ロ ー カ ー
に 勤 め た は ず で あ る 。国 籍 が ど う な っ た か 、聞 い て い な い 。難 民 の 辛 酸 を 舐 め 、
よ う や く 現 在 の 地 位 に 就 い た 彼 女 は 、い つ も 険 し い 表 情 を し て い た が 、心 根 の
優しい、奥行きの深い人だった。
私 の 主 た る 業 務 は 、損 害 保 険 ・ 再 保 険 ・ 再 々 保 険( 引 受 け た 再 保 険 を 、ま た
再 保 険 と し て 出 再 す る )の 引 受 、保 険 金 の 支 払 承 認 、各 国 現 地 損 保 と の 提 携 関
係 つ く り 、日 系 企 業 の 情 報 収 集・ケ ア 、各 国 の 現 地 情 報 の 収 集 と 保 険 市 場 調 査
等 で あ る 。そ れ と 本 社 へ の 報 告 書 、計 画 書 の 作 成 が ゴ マ ン と あ り 目 が 廻 っ た 。
クリスマスから正月の 7 日くらいまでは、年度計画や予算の策定、総括等で
徹夜の日が何日かあった。
ア テ ネ の 事 務 所 は 、最 初 A g 本 社 屋 上 の ペ ン ト ハ ウ ス に あ っ た 。夏 と も な る
と 、地 中 海 地 域 の 強 烈 な 太 陽 の 照 り 返 し で 、う だ る よ う な 暑 さ に な っ た 。エ ア
コンは殆ど効かない。
メ デ ィ テ ラ ニ ア ン に と っ て シ ェ ス タ( 昼 寝 )が 必 要 な の は よ く 理 解 で き る 。ラ
ンチにビールなど飲むと 4 時頃まで仕事にならない。
ア テ ネ の 公 共 交 通 機 関 は 、ト ロ リ ー バ ス と 市 営 バ ス だ 。地 下 鉄 は 、1 本 走 っ
て い た が 、郊 外 な の で 利 用 で き な か っ た 。バ ス は 、 ス ウ ェ ー デ ン 製 の 1 95 5 年
型 お ん ぼ ろ VO LVO が 、 真 っ 黒 な 排 気 ガ ス を 吐 い て 、 よ た よ た と 走 っ て い た 。
家 族 は 、よ く 利 用 し て い た が 、 私 は 、 1 回 も 乗 っ た こ と が な い 。乗 車 賃 は 安 い
そうだ。何故なら、勤め人が会社と家の間を 1 日 2 往復するからだという。
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つまり、大概の会社の勤務は、2 シフトということだ。
午 前 は 8: 00 ~ 13: 00 頃 ま で 働 き 、一 端 帰 宅 し 昼 食 を 取 り 、昼 寝 を し た 後 、ま
た 1 6: 0 0 ~ 1 9: 0 0 頃 ま で 働 く 。 地 中 海 沿 岸 諸 国 や 、 サ ウ デ ィ ア ラ ビ ア 、 湾 岸 諸
国 は 、 2 シ フ ト を 採 る 会 社 が 多 か っ た 。 私 の 勤 め た 会 社 は 、 9: 00 ~ 1 7: 00 ま で
の 1 シフトであった。
最初の 2 年間は、ギリシャ人の女性秘書カテリーナと 2 人で切り盛りして
いた。
あ る 時 カ テ リ ー ナ が 、ペ ッ ト に「 蟹 」を 買 っ て 来 て 、名 前 に“ N AN D AK O RA ”
と 付 け た け れ ど “ M r. K ogu r e 、 W h a t’s th e mean i n g of N AN D AK O R A? ”と 聞
い て き た 。”W h a t’s th i s ? あ る い は
How c o me? と い う よ う な 意 味 だ が 、本
当 は ”W h y di d th ey gi ve u s s u c h a f ool i s h r epl y an d h au gh t y i n s tr u c ti on s ? ”
と い う よ う な こ と だ と 答 え る と 、「 あ な た も し ょ っ ち ゅ う 云 う し 、 前 任 者 も よ
く N AN D AK O R A ! と い っ て い た 」 と 。
事 務 所 に は 、本 社 か ら 、毎 日 の よ う に「 褌 」の よ う な 長 い テ レ ッ ク ス が 入 っ
て く る 。「 あ あ し ろ 、 こ う し ろ 。 そ れ は 駄 目 だ 」 と 、 大 体 、 碌 な こ と は 云 っ て
こ な い 。う ん ざ り し な が ら も 、読 ま ざ る を 得 な い の で 、読 み 始 め る と 、頭 に 来
て「 何 だ こ ら ! 」と し ょ っ ち ゅ う 大 声 を 出 し て い た 。聞 い て い た カ テ リ ー ナ が 、
それをペットの名前にしてしまった。
3 年 目 か ら 、ア シ ス タ ン ト を 雇 っ た 。エ ジ プ ト 出 身 の ギ リ シ ャ 人 の 女 性( ア
レ ク サ ン ド リ ア に は 、ギ リ シ ャ 人 の 大 き な コ ミ ュ ニ テ ィ が あ る )で 、ロ ン ド ン
大 学 の 化 学 の 修 士 課 程 を 修 了 し た 才 女 だ っ た 。ギ リ シ ャ 語 の 他 に 、綺 麗 な イ ギ
リ ス 英 語 を し ゃ べ り 、ア ラ ビ ア 語 、仏 語 と 4 カ 国 語 の 読 み 書 き 、会 話 が 完 璧 に
出 来 る 人 で あ っ た 。ギ リ シ ャ で は 、当 時 で さ え 、こ れ だ け の 人 材 で も 、専 門 知
識 を 生 か せ る 就 職 先 が な か っ た 。何 と か U n d er w r i ter と し て 育 て た い と 思 っ
た が 、結 局 、他 の 保 険 会 社 に 引 っ こ 抜 か れ て し ま っ た 。代 わ り に 横 浜 国 大 の 経
済 学 の 修 士 課 程 を 終 え た 、ス ピ リ ド ン
メ サ リ ス と い う 男 性 を 雇 用 し た 。日 本
語は殆ど使いものにならなかった。彼とは、まだ細々と付き合いがある。
事 務 所 に は 、 毎 日 の よ う に ACE の ブ ロ ー キ ン グ 担 当 者 が 、 Ag に 与 え た 引
受 権 限 を 越 え る 契 約 を 、持 ち 込 ん で 、引 受 交 渉 に や っ て き た 。私 は 、良 さ そ う
な 物 件 で Ra te や 他 の 条 件 が 妥 当 で あ れ ば 、東 京 本 社 か ら 与 え ら れ た 駐 在 員 権
限 の 範 囲 内 で 、Br ok i n g s l i p
( 申 込 書 に 代 る も の 。彼 等 は 、面 倒 臭 が っ て テ レ
ッ ク ス の コ ピ ー で 代 用 ) に C o mmi s s i on は 何 % で S h ar e 何 % 受 け る 、 と 書 い
て 日 付 を 入 れ 、サ イ ン を し 、コ ピ ー を 貰 う 。権 限 を 越 え て い る 契 約 は 、本 社 に
照会し、回答が来次第、同様の引受手続きをする。
こ の 紙 っ ぴ ら 一 枚 が 、後 で 怖 い こ と に な る 。扱 い 次 第 で は 、私 の 首 が 飛 ぶ こ
とにもなる。
Ri s k ( 危 険 ) は 全 く の Bl i n d で あ る 。 ど ん な 物 件 か は Ag を 信 じ る し か な
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い。例えば、工場の火災保険の場合、日本と違い保険料を算出する料率は、
Fr ee r a te で あ る 。大 口 の 物 件 の 場 合 、現 場 を 見 に 行 っ て 、物 件 調 査 や Ra ti n g
を す る 。と こ ろ が グ ロ ー バ ル ス タ ン ダ ー ド で は 、保 険 会 社 が 直 接 契 約 者 と 接 触
するのは、余程のことがない限りできない。
日 本 に は 、海 上 保 険 や 特 種 な 保 険 以 外 、当 該 業 種 の 過 去 の 損 害 統 計 や 、経 費 、
利 益 等 を 勘 案 し 、算 定 会 で 定 め た 料 率 表 が あ っ た が 、中 東 市 場 に そ ん な 物 は な
い 。 英 米 同 様 、 中 東 は 、 全 く の Fr ee r at e で あ る 。
要 は 、 U n der w r i ter
( 保 険 引 受 人 )が 、 こ の R at e で 受 け る か ど う か 、そ し
て 再 保 険 市 場 で 売 れ る か ど う か で 決 ま る 。つ ま り 、
「 え い や っ 」の 世 界 で あ る 。
海 外 市 場 に お け る 保 険 は 、日 本 の よ う に( 勿 論 例 外 は あ る )ど ん ど ん 受 け れ
ば 良 い も の で は な い 。Ra te が 安 い 上 、Co m mi s s i on は 高 い 。事 故 は 多 発 す る 。
特 に 中 東 は 、売 上 げ を 伸 ば そ う と 、野 放 図 に 引 受 け る と 、と ん で も な い こ と に
なる。慎重な対応が必要である。
そ の よ う な 環 境 で 、ど う し た ら 利 益 を 残 せ る か が 苦 労 す る と こ ろ で あ る 。事
故 を 想 定 し 、大 き な S h ar e を 引 受 け な い こ と 、小 さ な 契 約 を 沢 山 受 け る こ と 、
Ra te は 高 く 、 Ag c o m を . 低 く す る こ と で あ っ た 。 と こ ろ が 彼 等 が 持 っ て く る
契 約 は 、 で か い 。 Ag は 、 Co m mi s s i on 商 売 だ か ら 、 な る べ く コ ス ト を か け な
い で 、 我 々 U n der w r i ter に 、高 い Co m. で 1 00 % 受 け て 貰 う の が Bes t で あ る 。
さ も な け れ ば 、 他 の 何 社 か の U n der w r i t er と 、 時 間 と 通 信 コ ス ト を か け て 交
渉をしなければならない。だから、引受交渉は、向こうも必死である。
パレスチナ人のおっかない形相をしたおじさん達と、如何にけんかをしな
い で 、 N i c el y に 交 渉 が で き る か 、 が ポ イ ン ト で あ る 。
そ れ か ら 、 中 東 諸 国 の 通 貨 ( サ ウ デ ィ リ ア ル 、 UAE デ ィ ル ハ ム 、 レ バ ノ ン
ポ ン ド 、ヨ ル ダ ン デ ィ ナ ー ル 、エ ジ プ ト ポ ン ド 、グ リ ー ク ド ラ ク マ 等 々 )の 為
替 レ ー ト を 覚 え 、円 換 算 を 絶 対 に 間 違 え な い こ と が 大 事 だ っ た 。間 違 え て 権 限
を 越 え た 保 険 金 額 で 引 受 け 、事 故 が 起 こ っ た ら 大 変 で あ る 。こ れ は 慣 れ れ ば 問
題ない。
当 時 、主 た る 市 場 の サ ウ デ ィ ア ラ ビ ア は 、2 回 に 渉 る 石 油 危 機 の お 陰 で 石 油 価
格 が 上 が り 、オ イ ル マ ネ ー が ど っ と 流 入 し て い た 。砂 漠 だ け で 、イ ン フ ラ ス ト
ラ ク チ ュ ア も 何 も か も 整 備 さ れ て い な か っ た こ の 国 は 、道 路 、港 湾 、空 港 、ビ
ル 、通 信 等 の 建 設 や 、公 共 サ ー ビ ス の 提 供 を 、急 ピ ッ チ で 始 め た と こ ろ で あ っ
た 。そ の お 蔭 で 、保 険 料 収 入 も 倍 々 で 増 え た が 、支 払 保 険 金 も ど ん ど ん 増 え て
い っ た 。扱 っ て い た 保 険 は 、自 動 車 、土 木 ・ 建 設 、組 立 、火 災 、賠 償 責 任 、 貨
物保険と、略々全種目扱っていた。
契 約 者 は 、殆 ど サ ウ デ ィ ロ ー カ ル 、サ ウ デ ィ と 韓 国 や 欧 米 と の 合 弁 会 社 が 中
心で、日系企業のウエイトは少なかった。
こ こ で 一 寸 長 く な っ て 恐 縮 だ が 、我 々 日 本 人 に と っ て 、理 解 が 難 し い 、イ ス
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ラムと保険について触れて見たい。
サ ウ デ ィ の 損 害 保 険 は 、す べ て 、我 々 外 国 の 保 険 会 社 が 引 受 け て い た 。日 本
か ら で も 直 接 引 受 け る こ と が で き た 。サ ウ デ ィ 籍 の 保 険 会 社 は 、一 社 も な か っ
た 。他 の 中 東 諸 国 で は 、 自 国 の 保 険 法 に よ り 、 保 険 ( 火 災 ・ 自 動 車 等 ) は 、 必
ず 自 国 の 保 険 会 社 に 付 け な け れ ば な ら な か っ た が 、サ ウ デ ィ の 場 合 は 、イ ス ラ
ムの教えにより、保険業そのものが禁じられていた。
一 般 の 近 代 国 家 と 異 な り 、サ ウ デ ィ ア ラ ビ ア に は 、永 ら く 、成 文 化 さ れ た 法
律 と 云 え る も の が 、 存 在 し な か っ た 。 199 3 年 に よ う や く 憲 法 ら し き 「 統 治 基
本 法 」が 制 定 さ れ た が 、実 際 に は 、未 だ に イ ス ラ ム 法( シ ャ リ ア )に よ り 統 治
さ れ て い る 。 シ ャ リ ア は 、 ク ル ア ー ン ( コ ー ラ ン )、 ス ン ナ ( ム ハ ン マ ド の 言
行 録 )、イ ジ マ ウ( イ ス ラ ム 法 学 者 の 意 見 の 一 致 )、キ ャ ー ス ( 類 推 ・・・ 規 定
に当てはまらない行為をクルアーン等の教えから類推する)を法源とし、刑
事 、民 事 、商 事 等 の 法 律 行 為 は 、一 部 の 特 別 法 の 対 象 を 除 き 、全 て に わ た り 適
用される。
シ ャ リ ア は 、保 険 業 に 対 し 、ク ル ア ー ン の 禁 ず る 要 素( ハ ラ ー ム )が あ る と
云うことで、保険そのものに対しても否定的であった。
つまり、
・保 険 と は 、保 険 料 は 支 払 わ れ る が 、事 故 の 時 の 支 払 保 険 金 は 、保 険 会 社 の 裁
量( 査 定 )に よ る も の で 不 確 定 な 要 素 を 持 つ 契 約 で あ る( ガ ラ ー ル と い う )。
・そ の よ う な 不 確 定 な こ と を 対 象 と す る 契 約 は 、シ ャ リ ア( ク ル ア ー ン )の 禁
ずる賭博または、投機にあたる(マイシールという
*①
)。
・イ ス ラ ム 社 会 の 取 引 は 、も と も と 物 々 交 換 で あ っ た 。従 っ て 契 約 は 、双 方 に
と っ て 平 等 で な け れ ば な ら な か っ た 。と こ ろ が 保 険 は 、支 払 わ れ た 保 険 料 と 、
支 払 わ れ る 保 険 金 の 額 が 一 致 し な い 。ま た 、保 険 料 の 支 払 時 期 と 、保 険 金 の
支払われる時期が一致しない。
こ れ は 契 約 者 に と っ て 不 平 等 で あ り 、有 利 な 結 果 を 得 た 当 事 者 は 、不 労 所 得
を得ることになる(リバー「利子」という
*① 岩 波 文 庫
* ② )。
井 筒 俊 彦 訳 コ ー ラ ン 上 巻 「 食 卓 」 90 節
*②
同コー
ラ ン 上 巻 「 女 」 1 59 節
最も戒律の厳しいワッハーブ派の教えを実践しているサウディアラビアで
は 、 イ ス ラ ム 法 ( シ ャ リ ア )に よ っ て 、 人 間 の 行 為 が 、 5 つ の 範 疇 に 分 け ら れ
て い る 。そ の 中 で 、あ る 行 為 は 、推 賞 さ れ る べ き 行 為 で あ り 、あ る 行 為 は 禁 止
さ れ る 。こ の 禁 止 さ れ る 行 為 を ハ ラ ー ム と い う 。例 え ば 、豚 肉 を 食 べ る こ と 、
飲 酒 、姦 通 等 は 、ハ ラ ー ム で あ る 。保 険 業 も ハ ラ ー ム と 見 な さ れ 禁 止 さ れ て い
た。
し か し な が ら 、保 険 会 社 は 認 め ら れ な く て も 、国 内 の 企 業 や 、個 人 が 保 険 を
付 け た り 、保 険 の ブ ロ ー カ ー 、Agen t 等 が 、契 約 を 外 国 の 保 険 会 社 に 、斡 旋 す
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ることは許されていた。
将 来 、工 業 化 を 目 指 す サ ウ デ ィ は 、グ ロ ー バ ル 化 が 避 け ら れ ず 、従 来 の 宗 教
的 な 規 範 で 経 済 活 動 を コ ン ト ロ ー ル す る の は 、難 し く な り つ つ あ る 。従 っ て 、
イ ス ラ ム 法 学 者 は 、ア ッ ラ ー に よ っ て 授 か っ た 生 命 、財 産 を イ ス ラ ム 共 同 体 と
し て 守 る 相 互 扶 助 と い う 概 念 を 持 ち だ し 、将 来 の 不 測 の 災 難 に 備 え る た め 、ム
スリム(イスラム教徒)が資金を出し合い相互扶助基金をつくるという名目
で 、 損 害 保 険 は タ カ フ ル ( 相 互 扶 助 )、 生 命 保 険 は タ バ ッ ル ( 相 互 慈 善 ) と い
う一種の保険制度を容認することになった。
そ し て 2 0 0 3 年 に 共 済 保 険 会 社 法 ( C oo per a ti ve In s u r an c e Co mp an i es Law )
が 公 布 さ れ 、保 険 会 社 の 設 立 を サ ウ デ ィ ア ラ ビ ア 通 貨 庁( S AM A )に 申 請 で き
るようになった。・
私 が 中 東 、 サ ウ デ ィ を 担 当 し て い た と き か ら 20 余 年 経 っ て い る 。 当 時 は 、
そ の う ち 保 険 法 が 、公 布 さ れ る と の 噂 が あ っ て 、そ の 時 の た め に A g と 合 弁 で 、
バ ハ レ ー ン に Ar a b J ap an es e In s u r an c e
Co. L td. と い う 保 険 会 社 を 設 立 さ
れたが、その後どうなっているか。
話しを換える。
社 内 で は 、基 本 的 に 英 語 、そ れ も ア ラ ビ ア 語 風 の‘ R’を 巻 き 舌 で 発 音 す る
英 語( 全 員 で は な い )、ギ リ シ ャ 語 風 に‘ S ’の 発 音 が 独 特 の 英 語 が 、意 思 疎 通
の 手 段 で あ っ た 。都 合 が 悪 い 時 や 彼 ら 同 士 の 私 的 会 話 は 、ア ラ ビ ア 語 や 、ギ リ
シ ャ 語 で あ っ た 。議 論 は 、大 仰 に 手 振 り 身 振 り 交 え 、大 声 で 、ま る で け ん か の
ようであった。
私 は 、赴 任 後 の 最 初 の 3 ヶ 月 は 、本 当 に 困 っ た 。果 た し て 任 務 を 全 う す る こ
と が 出 来 る だ ろ う か 、と 思 う 位 悩 ん だ 。1 日 中 ボ ー ッ と 机 に 座 っ て 、何 も 出 来
な い 日 が 何 日 か あ っ た 。 そ の 間 に も P l ac e men t s l i p( 引 受 け た 契 約 の 内 容 が
記 載 さ れ て い る s l i p )は ど ん ど ん 貯 ま る 。契 約 引 受 照 会 の 電 話 は し ょ っ ち ゅ う
来 る し 、 Br ok i n g の 連 中 は テ レ ッ ク ス の コ ピ ー を 持 っ て 、 何 人 も 上 が っ て く
る 。仕 事 は よ く 分 ら な い 。 一 番 問 題 な の は 、言 葉 ・ ・・ 英 語 で あ っ た 。 業 務 上
の や り と り や ア ラ ブ 英 語 は 、ま だ い い 。問 題 は 、英 国 人 の 英 語 、同 じ 英 国 と い
っ て も 、教 育 の 違 い 、地 域 の 違 い 、個 人 の 違 い で 色 々 な く せ が あ っ て 非 常 に わ
か り に く い 。ス コ ッ ト ラ ン ド 人 と 大 学 教 育 を 受 け て い な い 英 国 人 の 英 語 は 、最
初 の う ち 殆 ど 聞 き 取 れ な か っ た 。喋 る 方 は 中 々 言 葉 が 出 ず「 ア ー 、ウ ー 」ば か
りで、相手もさぞかしイライラしたことだろう。
も っ と つ ら か っ た の は 、 1 3: 0 0 ~ 1 4: 0 0 の ラ ン チ で あ っ た 。 い わ ゆ る 「 横 メ
シ 」で あ る 。マ ネ ー ジ ャ ー 以 上 は 、会 社 の キ ャ ン テ ィ ー ン( 食 堂 )で ラ ン チ を
取 る 。料 理 は 、大 体 レ バ ノ ン 料 理 で あ る 。こ れ は お い し い 。け れ ど 、最 初 の う
ち は 、私 の こ と が 珍 し い の で 、色 ん な こ と を 聞 か れ る 。流 ち ょ う に は 答 え ら れ
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な い が 、ま あ 何 と か 会 話 に は な る 。と こ ろ が 話 題 が 、業 務 以 外 の 分 野 、一 般 政
治 ・ 経 済 情 勢 と か に な っ て く る と 、こ れ は も う 、つ ら い 。あ る レ バ ノ ン 人 は 、
君 は 、 Voc a bu l ar y
があるから 6 ヶ月も経てば問題なくなるなどと云われた
が 、そ ん な こ と で は 済 ま さ れ な い 。単 語 は 、受 験 の お 蔭 で 、何 と か あ る レ ヴ ェ
ル ま で 行 く か も 知 れ な い が 、色 々 な 分 野 の 専 門 用 語 を 身 に つ け な い と 、意 見 も
言えず、ましてや、丁々発止の議論は無理だ。
日 本 の 語 学 教 育 を 恨 ん で も 仕 方 が な い が 、小 学 校 か ら 英 語 だ け の 授 業 や 、外
国語で物を考えたり、ヒヤリング、簡単なディベイトなどの訓練がなされれ
ば 、バ イ リ ン ガ ル の 数 が 増 え 、
“ G 8”で も 1 人 蚊 帳 の 外 に な ら な く て も よ い よ
う に な る の で は と 思 う 。言 葉 が 出 来 な い と 、こ の 人 は 、教 育 を 受 け て な い と 思
われるのがオチだ。
し か し な が ら 、日 本 人 と し て の ア イ デ ン テ ィ テ ィ ー を 失 っ て は い け な い 。帰
国 後 、部 下 に も 帰 国 子 女 が い た が 、外 国 語 は 出 来 て も 、き ち ん と し た 日 本 語 の
文 章 が 書 け る 人 は 少 な か っ た 。残 念 な が ら 、あ る い は 、恵 ま れ て い た の か 、日
本 は 島 国 で 、固 有 の 高 い 文 化 を 持 ち 、明 治 維 新 ま で は 、交 易 を せ ず と も 十 分 や
っ て 行 け た 。外 国 の 植 民 地 に な っ た わ け で も な い 。だ か ら 、植 民 地 の 人 達 と 違
っ て 、外 国 語 を 身 に つ け な け れ ば 、良 い 仕 事 に 就 け な い わ け で も な か っ た 。必
要 性 に 迫 ら れ ず 、国 際 舞 台 に 登 場 す る の も 遅 か っ た の で や む を 得 な か っ た が 、
こ れ か ら は 、グ ロ ー バ ル 化 に 逆 ら っ て 生 き 残 る の は 難 し い 。日 本 語 と 英 語 と い
う二兎を追うのはつらいが、やらねばなるまい。
今 で も 想 い 出 す と 、悔 し さ が こ み 上 げ て く る こ と が あ る 。年 に 1 回 、中 東 に
関 係 の あ る U n d er w r i ter や Br ok er が 、一 同 に 集 ま っ て 保 険 会 議 を や る 。私 も
バ ー レ ー ン で 開 催 さ れ た 時 、出 席 し た こ と が あ る 。親 睦 以 外 、余 り 得 る と こ ろ
は な い 。 当 社 が 提 携 し て い る 英 国 の Br ok er の 社 員 が 、 私 を 見 つ け て 、 パ ー テ
ィ ー が 終 わ っ た ら 、自 分 の 部 屋 に 飲 み に 来 な い か と 誘 っ て き た の で 、ひ ょ こ ひ
ょ こ 1 人 で 出 か け て 行 っ た と こ ろ 、既 に 彼 等 の 取 引 先 の メ ン バ ー が 10 人 ほ ど
たむろしていた。
飲 ん で い る う ち に 車 座 に な っ て 、各 自 が そ れ ぞ れ 持 前 の「 艶 笑 コ ン ト 」を 順
番 に 話 し 始 め た 。 内 容 は 「 下 ( シ モ )」 の 話 し が 中 心 だ が 、 こ れ が よ く 解 ら な
い 。最 後 の オ チ が 聞 き 取 れ な い 。1 人 が 話 し 終 え る と み ん な で ど っ と 笑 う 。私
も 意 味 も 解 ら な い の に 笑 う 。私 の 番 に な っ て も パ ス だ 。惨 め だ っ た 。最 初 か ら
知っていれば「江戸小咄」の一つでも英訳して持って来たのにと思ったが、
S en s e of h u mor の な い 、つ ま ら な い 人 間 と 思 わ れ た こ と だ ろ う 。そ の 時 以 来 、
コ ン ト を 2~ 3 覚 え 、パ ー テ ィ ー の 片 隅 で 披 露 し た と こ ろ 、ま あ ま あ の 反 応 だ
った。
赴 任 後 、真 っ 先 に 私 と 家 内 を 、自 宅 に 呼 ん で く れ た の が 、イ ン ド ゥ ー ル ・ ア
ル ワ ニ と い う 経 理 担 当 の イ ン ド 人 だ っ た 。彼 の 父 親 は 貿 易 業 で 、神 戸 に 何 回 も
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行 っ た こ と が あ る 、と い う 親 日 家 だ っ た 。そ れ か ら 、ミ ス バ ッ ハ ・ ハ ッ シ ャ ッ
シ ュ と い う ブ ロ ー キ ン グ の レ バ ノ ン 人 も 、我 々 2 人 を 呼 ん で く れ た 。奥 さ ん は 、
料 理 が 上 手 だ っ た 。御 礼 に 彼 等 を 自 宅 に 呼 ん だ 。彼 等 は 、ム ス リ ム な の で 、牛
肉 の 餃 子 を 出 し た が 、豚 肉 が 入 っ て い な い か と 疑 い 、臭 い を 嗅 ぎ な が ら 食 べ て
い た 。ハ ラ ー ル( 屠 殺 の 時 イ ス ラ ム の 祈 り を さ れ た 肉 )の 肉 で は な か っ た こ と
もあり、おずおずと食べていた。
日 本 と 違 い 、ご 夫 妻 を 自 宅 に 呼 ん で 、手 料 理 で も て な す の が 、人 間 関 係 を 作
る 最 良 の 方 法 で あ っ た 。社 長 の ナ ビ ル
バ フ ー 氏 で さ え 、招 待 す れ ば 、奥 さ ん
共 々 喜 ん で 来 て く れ た 。家 内 は 大 変 だ っ た が 、良 く や っ て く れ た 。料 理 は「 す
き 焼 き 」を は じ め 、彼 等 が 食 べ ら れ そ う な 日 本 料 理 で も て な し た 。ま た 、家 内
は「 お 茶 の お 手 前 」の 心 得 が あ っ た の で 、英 国 人 を 招 い た と き に 喜 ば れ た 。ま
た 、ギ リ シ ャ で は 、ク ラ シ ッ ク の 生 演 奏 は 余 り 機 会 が な い の で 、妻 の ピ ア ノ 演
奏も楽しんでくれた。
彼 等 は 、自 宅 で し ょ っ ち ゅ う パ ー テ ィ ー を 開 い て は 、ア ラ ブ 風 に 踊 っ た り 、
歌ったり、どんちゃん騒ぎをして楽しんでいた。
我 々 夫 婦 の こ と も よ く 招 い て く れ た 。は じ め は 、苦 痛 だ っ た が 、慣 れ て く る
と楽しみになった。
彼 等 の 仕 事 ぶ り は ま じ め で 、よ く 働 い て い た 。損 害 保 険 の 知 識 は 、も う 一 つ
であったが、私にとって勉強になった事がいくつかある。
ま ず 、 フ ァ イ リ ン グ シ ス テ ム が き ち っ と し て お り 、「 索 引 」 を 見 れ ば ど こ に
何 が あ る か 、誰 に で も 、容 易 に 分 る よ う に な っ て い た 。ま た 、大 事 な 書 類 の フ
ァ イ ル キ ャ ビ ネ ッ ト は 、部 外 者 や 社 員 に 見 ら れ な い よ う 、鍵 を か け た 上 に 、長
い 定 規 の よ う な 鉄 の バ ー を 、引 き 手 に 上 か ら 差 し 込 ん で 固 定 し 、絶 対 に 開 け ら
れ な い よ う に し て あ っ た 。何 も そ こ ま で と 思 っ た が 、こ れ は 、欧 米 流 の オ フ ィ
ス 管 理 法 だ ろ う 。日 本 の オ フ ィ ス は 、フ ァ イ リ ン グ 一 つ と っ て も 、乱 雑 で 不 用
心だった。
そ れ か ら 、机 の 上 が 常 に 整 頓 さ れ て い て 、本 当 に 綺 麗 だ っ た 。私 の 机 な ん か 、
デ ス ク ワ ー ク を や っ て 、残 業 し て も 終 わ ら な い 時 は 、翌 日 の 朝 、す ぐ 続 き が 出
来 る よ う 、机 の 上 は も と よ り 、床 の 上 ま で 書 類 を ば ら ま い た ま ま 帰 っ た り し て
いた。
ま た 、鍵 を か け る こ と を 面 倒 く さ が ら な い 。机 や 書 棚 は 勿 論 、電 話( 当 時 は
ダ イ ヤ ル 式 )も ダ イ ヤ ル が 回 ら ぬ よ う 、ち ゃ ん と 鍵 を か け て い た 。掃 除 人 や 部
外者等に長距離国際電話をかけられないためである。
我 々 日 本 人 の 仕 事 ぶ り 、 特 に メ ー カ ー の 現 場 は 、「 整 理 整 頓 」 を 常 に 実 践 し
て い る が 、我 々 事 務 部 門 の だ ら し な い の は 、当 時 の 日 本 の 企 業 が 、如 何 に グ ロ
ーバルスタンダードからかけ離れているかということであろう。
ま た 、彼 等 は 、会 う 人 、会 っ た 人 の 名 前 を 必 ず 覚 え て 挨 拶 す る 。特 に 我 々 日
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本 人 の 名 前 は 、彼 等 に と っ て 馴 染 み が な い の で 、覚 え る の が 大 変 な は ず だ が 、
「 柏 瀬 」 と か 「 窪 谷 」( く ぼ の や ) と か 、 発 音 す る の も 大 変 だ ろ う と 思 っ て い
た が 、絶 対 に 間 違 え な い 。さ す が に フ ェ ニ キ ア 人 の 末 裔 だ と 思 っ て 感 心 し た 。
我々の場合だったらどうだろう。
彼 等 と は 、 1 98 3 年 4 月 に ギ リ シ ャ を 離 れ て 以 来 、 何 人 か を 除 い て 一 度 も 会
っていない。
殆 ど の 社 員 が 、ア メ リ カ 、カ ナ ダ 等 に 移 住 し て し ま っ て い る 。こ の「 想 い 出 」
を 書 く に 当 り 、彼 等 の 写 真 を 引 っ 張 り 出 し て 見 た ら 、懐 か し さ が こ み 上 げ て き
た 。 も う 連 絡 の 取 り よ う も な い の が 残 念 で あ る 。( 続 く )
ACE
ACE バ フ ー 社 長 と 家 内 に よ る 3 hands
ライラ・ボードコッシュ副
マ
の演奏。彼は 1 本指で「枯葉」を演奏。
ネージャーそして私。
(ライラの事務
家 内 が 低 音 を 担 当 。( 自 宅 に 招 待 し た 時
室 で 1981 頃 )
1982 年 頃 )
社長とミスバッハ・ハシャシュ
元 ACE 本 社 ビ ル 。 ま る で 空 き 家 の よ う だ
った。今は、誰が入居しているのか。手前の
空 き 地 に は 給 油 所 が あ っ た 。( 2 0 1 0 / 6 / 1 5 )
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