ISSN 0389-5254 2009 No.4 JUL JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION 操縦士協会のめざすもの (第204回理事会決議) 1. 私達の活動の目的は、 定款に定められた通り 「航空技術の向上を図り、 航空の安全確保 につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を行い、 もって我が国航空の健全な発展を促 進する」 ことです。 2. 私達は、 定款の目的を踏まえ、 将来のあるべき姿として 「安全で誰からも信頼され、 愛 される航空を実現する」 というビジョンを描いています。 3. 私達は、 目的・ビジョンを達成するために下記を基本的指針に掲げて活動して行きます。 航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を育て、 社会全体で安全意識を高めて行くこと) 地球環境と航空の発展との調和を図る。 航空に携わるものどうしが心を通わせ共存共栄を図る。 第45期 (平成21年度) 重点施策 本協会は、 航空の安全に資する事業を推進し、 航空関係者の知識と能力を育み、 もっ て空の安全と技術向上を目指し、 操縦士の社会貢献を担うと共にその促進を図ります。 また、 諸事業を通じ、 社会とりわけ航空に関心を持つ方々に直接働きかけ、 航空との 出会いと触れ合いの場を提供し、 航空に対する興味と期待に応えていきます。 特に青少 年へは、 社会教育の一部を補完する意味で、 航空という新たな世界を紹介し、 健全な成 長を応援します。 操縦士が技能育成の場を容易に持てる環境を整えます。 訓練用の機材を協会事務所に 確保し、 経験豊富な操縦士が教育にあたります。 これらを通じて技術指導の充実及び資 格の維持に貢献し、 技術者としての雇用安定にも寄与していきます。 ・教育・啓蒙事業 ・改善への貢献 ・技術支援 ・操縦士の風土作り ・適切な事業展開と運営 ・人の和と連帯感の促進 操縦士協会は会員を募集しています。 JAPAは公益法人として国土交通大臣の認可を受けた日本唯一の操縦士団体です。 目的 本協会は、 航空技術の向上を図り、 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を 行い、 もってわが国航空の健全な発展を促進することを目的とする。 協会の会員は、 下記のように分かれます。 正 会 員;協会の目的に賛同して入会された方で、 原則として操縦士技能証明をお持ちの方です。 賛助会員;協会の事業を賛助するため入会した個人または法人です。 個人賛助会員は、 満16歳以上の操 縦士技能証明を持たない方で、 法人賛助会員の資格は、 特に定めはありません。 正会員の会費;60歳未満:月額 1,700円 (内訳1,500円:協会運営費、 200円:共済費) 60歳以上:月額 1,500円:協会運営費 個人賛助会員; 月額 1,500円:協会運営費 法人賛助会員: 一口年額 50,000円:協会運営費 入会すると? ①協会機関誌 (AIM・PILOT誌など) の無償入手 ②航空関連商品 (書籍等) の割引購入 ③会員向け、 空港施設見学や講習会への参加 ④協会契約割引施設の利用 お申し込みは別途 「入会申込書」 をお送り致しますので、 事務局までご連絡下さい。 皆様のご入会をお待ち致しております! 社団法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOSIATION TEL03-3501-0433 FAX03-3501-0435 E-Mail [email protected] Home page URL http://www.japa.or.jp/ CONTENTS No.315 4 2009 No.4 JUL 新公益法人制度と操縦士協会 会長 6 84 萩尾 裕康 アメリカの GA 航空事情 飛行訓練および操縦資格取得要領 シニア・パイロットのエピソード (第26回) 航空自衛隊から民間航空へ そして航空会社社長 清田 尚利 88 連載・飛行力学物語 28 97 航空気象 第8回 地球環境問題関連用語の解説 ハートで飛ばそう! 102 FAI ニュース 103 FTD 訓練室便り FTD 訓練室 博 106 徳田 忠成 TFOS (航空運航システム研究会) シンポジウムに参加して 「社会安全のありかた」 について考える 山野辺 空の交差点 開催予告 コウノトリ但馬空港フェスティバル 09 スカイ・レジャー・ジャパン 09 in ふくしま 平成21年度 JAPA GA 委員会主催行事のご案内 その30. 華麗なる競演 2人のジャッキー 68 108 JAPA 通信 114 JAPA SHOP 115 JAPA で飛行訓練を! 孝一 JAPA のシミュレーター Flight Training Device FTD 訓練室 旅は道づれ、 路につれ世界の路をかいま見て 大川 喜久二 116 JAPA Aerial Photo Exhibition 118 編集後記 寄稿 ダッカの空の下 第1部 ダッカの空の下 第2部 博 書籍 & Goods 紹介 航空史曼陀羅 明日の乗員養成を考える シンポジウム報告 23 オススメ!情報ボックス GA:ジェネアビ情報 66 靖彦 奥貫 第1回 韓国 国際スカイレジャー EXPO. 奥貫 75 賢治 脂質異常症 (高脂血症) について 三浦 101 105 57 蔵岡 航空医学適性のQ&A 健康管理について考えてみよう! 積乱雲発生時の運航 −飛行中、 積乱雲にどう対処するのか− 航空気象委員会 山 博行 C*(シースター)、C*u(シースターユー) いったい何だ? 岩瀬 健祐 50 眞 その1 Fly with Airmanship ! −2− 43 柴田 その2 国際宇宙ステーション運用の担い手をめざす JAXA 宇宙飛行士候補者 ―インタビューに答える― 18 祐三 Aviation Café VNAV の理解 14 脇田 特集 得猪 外明 穂刈 正臣 田中 一男 バードストライク対策の研究 社団 法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION 新公益法人制度と 操縦士協会 日本航空機操縦士協会会長 萩 去る5月21日第44回の通常総会にて今期の事 業方針および予算が承認をうけ本年度の事業体 制がスタートしました。 現在の理事・監事が前 期に引き続き活動を担当することになります。 あらためて皆さまのご支援をお願いする次第で す。 ご存知の通り、 昨年12月に新公益法人制度に 関する三法が施行となり、 旧民法によって設立、 長らく活動してきたわが日本航空機操縦士協会 もこの日を以って公益社団法人の看板をおろし、 特例民法法人という暫定的な位置付けになりま した。 暫定というのは施行後5年以内、 即ち平成25 年11月末までに新しい体制、 つまり新法に基く 公益社団法人かまたは一般社団法人かの道を選 んで移行申請を行わなくてはならないこと、 ま た期限内に申請をしないかあるいは認定が得ら れない場合解散とならざるを得ないということ です。 協会は公益法人として認可されてきました。 今も暫定とはいえその位置付けは維持されてい ます。 また定款を引き合いに出すまでもなく、 私たちの活動目的の殆どはまさしく公益のため と誰もが考えています。 しかし新法の下であらためて公益法人として 認可されるかというとそう簡単ではないようで す。 というより、 今のままではむしろ不適合と判 断される懸念が強いといったほうが間違いない でしょう。 新制度では公益認定及びその後の監督は (識 4 2009 JUL 尾 裕 康 者による公益認定等委員会への諮問、 答申を経 て) 内閣総理大臣 (内閣府) の下で行われます。 新法における公益目的事業等についての認定基 準には ○公益目的事業を主たる目的としているか ○公益目的事業に係る収入が実施に要する適 正費用をこえることがないか ○公益目的事業比率が50%以上の見込みか などの他に遊休財産額、 認定取消し等の場合の 財産処分規定の有無や役員構成についても厳し い制限が付けられています。 こうした枠組みのもとに協会の事業を改めて 洗いなおしてみると相当に大変なことがわかっ てきました。 たとえば AIM-J や学科試験問題集の刊行は、 会員の皆さんの会費が主たる収益である協会に とって貴重な収入を見込める事業ですが、 同時 に収益とは縁がない他の事業を支える役割も果 たしてきています。 これらの刊行物は、 会員で ない人も含む多くの操縦士たちやその他航空関 係者にとってなくてはならない存在となってい ることはあらためて申すまでもありません。 し たがって概念的にこの事業が公益以外の何物で もないと理解していても、 いわゆる個別事業ご との収支相償の原則を満たさず収益事業という 位置付けになる可能性があります。 そうなると 協会の公益目的事業比率に大きな影響を与える ことになります。 どれが公益事業と認められ、 どれが共益 (自 分たちのため) または収益事業と認定されるか という点について現段階では基準の細部は推定 にしかすぎず、 まだ手探りの状態にあります。 しかし今後基準を満たすように事業内容や財務 内容、 組織などを見直すこと、 結果として各事 業のバランスや事業の全体規模の見直しが迫ら れることは必至です。 そしてこれらを総括する定款の変更が求めら れ、 社員総会 (従来の総会) の決議が必要とな ります。 ではなぜ新法のこういった厳しい制約の下に あって、 わが協会は公益社団法人の認定をめざ すのでしょうか。 もちろん税制上の優遇措置といったメリット はありますが、 最大の目的はなんといっても 「公益社団法人」 という名称を独占的に使用で きることにあると考えています。 全国から6000 余人の操縦士が集うわが日本航空機操縦士協会 はその設立目的からして操縦士による我が国唯 一の公益団体であり、 要件を整えさえすれば登 記のみで設立できる 「一般社団法人」 という存 在であって良いわけはないというのが協会の現 在の見解です。 また、 公益的な活動は他利的な価値観 (ボラ ンタリーな行動と満足感) に繋がり、 閉塞感が 指摘されている社会環境の中で、 日本航空機操 縦士協会が果たす役割と存在は一段と高まるの ではないでしょうか。 制度検討会での議論は逐次理事会に報告され、 新たなる方向性を確認しつつ現在定款の具体案 作成の段階まで来ているところです。 今後は内閣府令などによる手続きの詳細が示 された段階でさらに具体的な対応に移りたいと 考えております。 一方展開によっては、 公益団 体を目指すといいつつも、 そのあまり会員の利 益 (共益) が著しく損なわれるようなことであ れば本末転倒になりかねず、 この点に関しても 慎重に推移を見極め、 柔軟性をもって臨む余地 は残しておきたいと思います。 このたびの公益法人制度の改革は従来の公益 法人制度に見られた様々な問題に対処するため に実施されるものです。 その結果わが協会も対 応を迫られているわけですが、 あらためて我が 協会の足元を見つめなおし、 社会の物差しで考 え直してみる良い機会になっているともいえま す。 会員の皆さまに現況を理解いただくととも に、 この公益法人制度改革対応について、 忌憚 のないご意見をお寄せくださるようお願いする 次第です。 2009 JUL 5 特集 (第26回) 航空自衛隊から民間航空へ そして航空会社社長 きよ た 清田 ひさ とし 尚利 清田さん近影 初めに 私が F27 フレンドシップの副操縦士として 東京に配属になった時、 清田さんはすでに F27 の機長として活躍されていた。 暫くして清田さ んは、 教官、 それから査察を務められ、 私は清 田さんと同乗したことは少ない。 乗務機種が違っ た為、 次に同じ機種になったのは、 B727 の時 だった。 暫くして清田さんは L1011 トライス ター、 B747 に移行、 その後 B767, B747−400 と全日空の新機種導入に際しパイオニアグルー プの、 リーダーとして活躍された。 清田さんが定年退職後、 新興航空会社の社長 に就任されたのを知って、 日本にも遂にそうい う時代が来たのかと、 喜んだものだ。 航空会社の社長を務められた清田さんには、 畑違いの仕事で、 さぞご苦労が多かったことと 思われる。 その苦労話をお聞きする事になった。 インタビューに当たりわざわざ操縦士協会まで 出て来てくださるとの事。 ご厚意に甘える事に した。 清田さんは、 航空自衛隊の操縦学生第一期生 で、 その淘汰率の高さは既に、 徳田さん (PILOT 誌編集委員) が PILOT 誌の記事にされている が、 やはりその訓練のすさまじさから、 お聞き するべきであろう。 (元全日空/NCA 機長/編集委員 有野 達也) 航空を志す 有野:先ず PILOT を志された動機からお聞き します。 6 2009 JUL 清田:私は終戦の時9歳だったのですが、 戦時 中、 日本軍の飛行機がポロポロ落とされるのを 目撃しました。 よしおれが PILOT になって敵 機を撃ち落としてやろうと思うようになりまし た。 航空自衛隊操縦学生として訓練を受ける 有野:その時の気持ちをずっと持っておられた のですか。 清田:そうです。 高校を卒業する時、 防衛大学 校に挑戦したのですが、 入試に失敗してしまい ましてね、 そんな時、 航空自衛隊が操縦学生を 募集している事を知りました。 「青年将校募集」 なんて書いてありましたが、 試験に合格するが できました。 有野:操縦学生の第一期生と言う訳ですね。 何 人位合格したのですか。 清田:210名位だったと思います。 実機訓練に 入る前に、 英語や航空力学等10ヶ月の地上訓練 がありました。 この間に様々な理由で空の夢を、 断念せざるをえなくなった者も多数いました。 180名位が実機訓練に投入されました。 有野:防府での基礎訓練は大変だったようです ね。 清田:学科訓練、 教練、 体育訓練、 それに夜間 の非常呼集など。 ひどい晩には2度、 3度の非 常呼集です。 寝たと思ったらまた非常呼集。 皆 フラフラです。 おまけに10キロ以上の行軍。 オ イッチニ、 オイッチニと走るのです。 落後者が 出そうになると、 皆で担いで帰隊しました。 肩 を組みながらね。 橋が渡れないという想定の時 には、 どぶ川に入って渡りました。 軍隊では個 人の力ではなく、 団結の力が必要です。 自分だ け良ければという事では力を発揮できません。 この手法は後の組織運営に応用させていただき ました。 有野:体力がついたでしょうね。 清田:そりゃー凄いものですよ。 おかげで長生 きができているのではありませんか。 淘汰 有野:実機訓練での淘汰について、 徳田さんが 以前 PILOT 誌に書いておられます。 清田:資料によりますと、 最終淘汰率は60%近 いですね。 地上訓練が終わって、 30名位のグルー プに分けて実機訓練に投入されました。 病気等 のため次のグループに行く者もいて、 私たちの グループは、 最初のメンターの訓練が終わった 時点で24名になっていました。 次の T6 の訓練 に入った時、 コマンダーから、 その次の T33 の訓練に行けるのは、 12名だけだと宣告されま した。 それも技量だけではなく国の予算の関係 だというのです。 ひどいものですよね。 でも本 当に12名になってしまいましたからね。 T6 は 尾輪式ですから着陸が特に難しく、 よくグラン ドループを起こしました。 グランドループを起 こしたら即クビでした。 でも私たちのグループ は誰も事故を起こさなかったのですがね。 教官 の主観でクビにされた訳です。 次の T33 では 誰もクビにならず、 全員ウイング・マークを付 ける事ができました。 さっきはチームワークの 重要性の話をしましたが、 実機訓練ではそれど ころではありませんでした。 切磋琢磨等と言わ れますが、 とてもそんな余裕がありませんでし た。 自分だけはクビになりたくないと必死でし た。 正に残酷物語ですね。 有野:技量だけではなく、 予算の関係で淘汰さ れるなんてひどいものですね。 清田:人間扱いではない、 道具ですよ。 有野:その後 F86F に行かれたのですね。 清田:JET と PROP とのチョイスができて、 一人が T6 の教官に、 他は F86F でした。 しか し、 T6 に行った仲間は、 ある雪の日に仙台か ら宇都宮への飛行時、 南風に流されて山に激突 してしまいました。 もう一人は F86F の射撃訓 練の時、 引き起こしが遅れて地面に激突してし まいました。 結局最後まで残ったのは10名です。 民間への転出 有野:残念でしたね。 民間への転出はどんな動 機だったのですか。 清田:自分の意思と、 隊の都合と半々でしょう ね。 隊則違反やら、 束縛されるのが厭で、 反発 ばかりしていましたからね。 最終的には依願退 職という形になりました。 有野:北日本航空に入社されていますね。 清田:以前から北日本航空から勧誘されていま したから。 有野:最初に民間へ転出されたのはどなたです か。 清田:宮尾さんじゃなかったかと思います。 次 に村井さん、 中野さんでその次が私でした。 宮 尾さんは全日空、 村井さんは最初北日本航空で したが、 後になって日本航空。 中野さんは日本 航空でしたが、 一度 AGS に入ってワンクッショ ンおきましたね。 昭和35年の暮頃の話で、 私が 転出したのは36年1月でした。 民間航空の乗員不足 有野:昭和39年に中日本航空へ移られています ね。 清田:その頃航空三社の合併がありました。 北 日本航空、 富士航空、 そして日東航空の三社が 合併して、 日本国内航空になりましたが、 この 時期から慢性的な乗員不足が起こります。 大手 同士はお互いの乗員の引き抜きはしないという 紳士協定があったようですが、 この合併は絶好 の機会だったろうと思われます。 私は中日本航 空に移ってワンクッションおいたわけですね。 その時には中日本航空は全日空と合併する事が 決まっていました。 有野:割愛制度が始まる前の話ですね。 2009 JUL 7 清田:民間の引き抜きが激しくなって、 割愛制 度ができました。 日本航空へ40数名、 全日空へ 10数名が転出しました。 私はKさんMさんと一 緒に自衛隊へ人集めに行った事があります。 基 地の隊長も知っている人で快く接してくれまし た。 全日空の新機種導入にたずさわる 有野:私は昭和42年に F27 フレンドシップの 副操縦士として、 東京配属になりました。 その 時には清田さんはもう F27 の機長でバリバリ 活躍されていました。 その後清田さんは全日空 の新機種導入に次々にタッチされましたね。 清田:人生のアヤというのですかねえ。 そうい う巡りあわせだったと思うのですが。 L1011 ト ライスターの導入にはタッチしていません。 B747 と −400 は日本航空が既に導入している ので、 CAB の見る目が厳しかったですね。 マ ニュアルとか、 訓練時間とか何かにつけ比べら れるのです。 有野:L1011 の導入の時に全日空の訓練制度が、 大幅に変わったんですね。 SIM で十分に訓練 をするから、 実機訓練は 4HOP 8時間で OK という事になりました。 清田:L1011 の実機訓練がそれまでと比べて極 端に少なくなって、 大丈夫かというわけです。 しかし、 決めた事なのでやらなければどうしよ うもない。 有野:B727 の実機訓練は、 よく覚えていない のですが、 10HOP 以上あったと思うのですが。 清田:そうでしたね。 B747 は T−1 (訓練第一 陣) としてアメリカへ行きましたが、 自分の訓 練が終わったら、 直ぐに査察操縦士に発令され ました。 結局 T−3 まで、 見る事になり、 予定 以上に長い間アメリカにいる事になってしまい ました。 若かったのでできたのですね。 有野:B767 も T−1 でしたね。 清田:T−1 団長役のTさんが病気になってし まい、 急に私におはちが回って来たのです。 訓 練に入る3日前でした。 だから何も準備ができ ていませんでした。 B767 は全日空が、 日本で 8 2009 JUL 最初に導入する機種で、 CAB のチェッカーも 一緒に訓練を受けました。 CAB は3人でした。 私は CAB のGさんとペアーを組みましたが、 Gさんは1年半位前から全日空の導入準備室の 人たちと一緒に勉強をしていたようです。 だか ら準備万端整っていたわけです。 私は毎日睡眠 時間2時間から3時間で1ヶ月半勉強して、 マ ニュアルは2回読みました。 実機訓練に入る頃 には追い付けるだろうと思って頑張りました。 ボーイングの教官はそんな事情は知らないので、 比べられてよく怒られたものです。 しかし、 現 役の私と CAB チェッカーとでは、 FLT の場数 が違いますからね。 最後には何とか追い付く事 ができました。 ボーイングの SIM が壊れてし まい、 カナダまで行った事もあります。 製造元 でさえそんな具合だし、 教官だって未だ慣れて いないから手探り状態という訳で、 一時は険悪 な空気になった事もありました。 実機の訓練は 何の問題もなく行う事ができました。 全員問題なく試験に合格しました。 CAB と 一緒というのも同じ釜のメシを食った仲間にな ると、 会社の意見を忌憚なく言えるという、 会 社の思惑もありますからね。 メシと言えば皆そろそろ日本食を食べたい頃 だろうと、 よく作って食べました。 軍隊では、 上官は部下のメシを忘れるなと言われていたと、 戦争経験のある先輩に聞いていましたから。 有野:B767 の後 B747−400 の導入にもタッチ されましたね。 清田:さっきも言ったけれど、 CAB からは日 本航空と色々比較されました。 −400 の指導層 になる者が次々に不合格になる事があって、 CAB との考えの違いを体験しました。 人員計 画に大きな影響を与えるこの不合格は、 会社の 事業計画遂行に大きなダメージです。 現場の責 任者として、 CAB の責任者との調整を余儀な くされました。 しかし、 CK になると多少は緊張するとは思 いますが、 緊張し過ぎる者が多いですね。 昨日 まではあんなにできたのに、 今日はなんで?と いう事がよくありました。 全日空は指定養成施 設だったので、 CAB 試験を受験する機会が少 なかったのも原因だったのかなー。 考えてみれ ば会社の期待と家族の誇り?を一身に背負って いるわけですから、 緊張するのも当然ですかネ。 有野:長年査察として見てこられたのでよく分 かるのですね。 清田:嬉しい事は導入にタッチした機種が事故 を起こしていない事です。 訓練中でも、 その日 の訓練で不都合と思われる部分は、 スタッフの 協力を得てその日のうちに修正、 ボーイング社 とも調整、 訓練マニュアルを整備したり、 スタ ンダード・オペレーションを徹底した結果だろ うと思います。 着陸に限って見ても、 皆同じ着 陸をします。 初期導入要員の努力で新機種導入 を成功させた事が、 会社の事業計画推進に大き く貢献したと思います。 ラスト・フライト 有野:運航本部副本部長を最後に定年退職され ましたが、 ラスト・フライトはどちらでしたか。 清田:札幌便でした。 家内の実家が北海道なの で、 一泊できるように乗員管理課でセットして くれました。 夜親族が集まってお祝いをしても らう事ができました。 帰りの便では ATC 関係の方々や、 同輩、 後 輩の皆さんから無線を通じて、 祝福のメッセー ジを送ってもらい、 感動しました。 新興航空会社の役員に就任 有野:定年退職されて直ぐフェアーリンクへ行 ラスト・フライトで かれたのですか。 清田:いや、 ABC の顧問をやりました。 ANA・ ビジネス・クリエイトという、 当時全日空の航 空券を扱う会社です。 三年間顧問をやりました。 有野:その後、 フェアーリンクに行かれたわけ ですね。 何かコネクションがあったのですか。 清田:当時社長の大河原さんが、 運航担当役員 に誰がよいか、 CAB に相談されたようですね。 平成11年6月にフェアーリンクの取締役に就任 しました。 有野:フェアーリンクの機種選定にもタッチさ れたと思いますが、 ボンバルディアにした理由 は如何でしょうか。 清田:50人乗りの機体と言うと選択肢が2つし かありませんからね。 もう一つはブラジルのエ ンブラエル。 カナダへは SIM や訓練体制を見 に行きました。 社長や出資者、 その他多くの方 がカナダとブラジルと比べた時、 やはりカナダ だろうと言うことで決まりました。 エンブラエルも良い機体ですがね。 機種導入 要員として採用した、 ジェネラル・エビエイショ ン出身の PILOT がグラス・コックピットを使 いこなせず皆 CK に落ちてしまいました。 こ のままでは運航できないと悩んだ末、 困難は承 知で全日空にお願いして、 PILOT を派遣して もらえたのが大きかったですね。 それでようや く機種導入と運航を開始する事ができるだろう と胸をなでおろした事を思い出します。 最初に 派遣していただいた PILOT は指導層にと期待 したわけです。 その為には豊富な経験と知識、 技量、 人格が必要です。 全日空からは最初に確 ボンバルディア CRJ IBEX 社提供 2009 JUL 9 か8人派遣してもらったと思いますが人格、 識 見共に優れた人選で、 全日空には感謝の気持ち で一杯でした。 さっそく訓練審査、 運航乗員計 画、 運航担当、 乗員課長等必要なポジションで 応える事にしました。 り、 CAB も安全に関しては特に厳しい時期で した。 そんな時にトップの不在は、 社員の動揺 を招き、 安全運航維持にも影響します。 どんな 小さな事故でも会社は潰れて、 雇用した社員を 路頭に迷わせることになると考え、 社長を引き 受けざるを得ませんでした。 フェアーリンク社長に就任 有野:2年後に社長に就任されていますね。 清田:経営方針をめぐって社長と会長との間に 意見の違いがあって、 その挙句に二人共辞める と言う事になってしまいました。 資金のショー トが発端ですが、 70%以上の株を持つ親会社が 手を引けば会社は当然つぶれます。 親会社には 事業を継続するようにお願いと説得をしました。 資金がないと全日空も手を引くのではないかと 心配になり、 フェアーの役員と全日空に引き続 き支援をしてもらえるように、 お願いに行きま した。 全日空の顧問などには、 航空会社をやろ うと思えば千億単位の金をもっていないとでき ないよ等といわれました。 冗談でしょうが、 と にかく引き続き支援をしてもらえることになっ て、 一安心しました。 株主会社に次の社長を出 して頂くように頼んだのですが、 そんなに言う のなら、 お前がやったらいいだろう、 と言う事 になってしまいました。 有野:おはちが回って来ちゃったと言う訳です か。 清田:そう言うことです。 会社発足当初でもあ フェアーリンク社長室にて。 IBEX 社提供 10 2009 JUL 社長業に必要なもの 有野:社長業という言い方が適当かどうかわか りませんが、 社長業に必要なものは何でしょう か。 清田:先ず出資者、 親会社等とのコーディネー ト。 前社長は毎週関連会社へ行って、 頭を下げ ていました。 関連会社へは出向いて顔を繋げる。 知りあっただけでなく特徴を憶えて、 相手には 忘れてはいないと言うことを何かにつけて知ら せる必要があります。 我々PILOT にとって一 番苦手な事だよね。 人命を預かる航空会社がど うあるべきか。 それを出資者にきちっと説明で きる能力が試されます。 弁舌の爽やかさと、 パー ソナリティーで人を説得する必要があります。 それから路線をどこにするかの判断。 他のエア ラインの動向など、 情報収集が必要なわけです。 大手とは勝負になりません。 就航前には色々な 検査があって大変ですよ。 路線獲得には時間が 掛ります。 有野:隙間を狙うわけですね。 清田:大量輸送時代に、 午前に1便、 午後1便 にまとめて運んではたしてお客様の多様なニー ズに応えられるのか。 その間に小型機で運航す ればニーズはあるはずとの考えから、 リージョ ナル・ジェットでの運航を考えた訳です。 しか し日本の経済構造、 人の動きは東京、 大阪中心 です。 首都圏、 関西地区に地方空港から運航し なければ、 不便な乗客のニーズに応えきれなく なります。 当時は今もそうかも判りませんが、 我々の勉強不足で、 特別な事情がない限り深夜、 早朝以外には羽田空港への小型機の運航はでき ませんでした。 仕方なく仙台空港∼関西空港に 就航した訳です。 それから人心の掌握術でしょ う。 PILOT の考え方なら分かりますが、 出世 志向の強い人、 自分の意見を曲げない人、 言葉 は悪いですが寄せ集めの感じで大変でした。 有野:実際の社長業は如何でしたか。 清田:当初は全員が無我夢中でしたが、 会社が 落ち着いてくると、 資金面、 人事面等、 だんだ ん孤立状態になって行きました。 社長というの は孤独なものです。 ブレーンを集めたいのです が、 小さい会社だからなかなか人が来てくれな い。 経理の分かる人物を引っ張って来ようと思っ ても、 親会社からは良い返事をもらえませんで した。 将来安全に関わるような、 受け入れられ ない人事上の提案もありました。 有野:安全は譲れないですよね。 会社は浜松町 にあったのが、 江東区東砂に移ったのは何故で すか。 清田:ある株主の持っている本社ビルのワンフ ロアが空いているので、 本社を移したらどうか との提案でしたが、 CAB や全日空に近い所の 方が良いと言うのが私の考えでした。 PILOT はつくづく妥協が嫌いな人種ですね。 会社の経 営は、 PILOT の正義感だけでは通用しない世 界です。 それから、 何時も顔が全日空の方を向 いているように思われたのではないでしょうか。 全日空の支援を受けていますから当然と言えば 当然ですが。 PILOT だけでなく、 整備も全日 空に頼っていましたから。 今は日本航空の人も 来ていますがね。 社員全員で安全運航を目指し、 お客様のニーズに応える目に見える努力ができ、 会社の経営が軌道に乗るまでの運転資金の調達 ができれば、 誰でも社長は務まると思います。 結局約3年社長を務めて辞任しました。 妥協し ておけばよかったかなと思った事もありますが、 今ではこれで良かったと思っています。 社長業 はもっと若いうちなら良かったのでしょうね。 とにかく小まめに出歩かなければなりません。 体力が要ります。 有野:業績は如何でしたか。 清田:そろそろ黒字になるぞーと思われる頃に なると、 飛行機が整備に入ってしまうのです。 指定航空会社の整備方式と違って、 HANGAR に入ってしまう時間が長く、 その間休航せざる を得ません。 折角フェアーリンクひいきになっ てくれたお客さんも逃げて行ってしまい、 500 万とか1千万の赤字になってしまう。 色々考え させられる難しい問題で、 資金に余裕があれば 予備機を用意するとか、 リースするとか、 そう いう事が解決されれば黒字になると思いますよ。 社長の時は何時も事故の心配をしていました。 そんな時には、 「事故は起きない」 と社員を信 頼し、 若し起きたらどんな態度で臨めるのか、 常に考えていました。 今はそれからも解放され てホッとしています。 有野:夜寝ていても電話が鳴ると、 もしやと思 われたのではありませんか。 清田:電話が鳴るたびに心臓がドキッとしてね。 そのせいか今は心臓の具合が悪いですョ。 思い出など 有野:もう少しで2万時間でしたね。 清田:運航本部に入ってしまい、 1週間に一度 位の FLT でしたからね。 58歳頃になるとドキッ とする事が多くなりました。 国際線運航で C K リストの同じ項目を何度もオーダーしたり、 若い頃の2倍は疲れるし、 目の動きも悪くなっ て、 感覚に頼るようになっていました。 50歳前 に本部の仕事をやって、 後は FLT に専念した 方が良いのではないでしょうか。 30歳代の頃 CV440 での着陸時、 多少自信過剰だったのか、 “闇夜に霜の降る如く”というか、 さらさらと ね。 技量的に正に油が乗っている頃でしたね。 有野:印象に残る FLT は如何ですか。 清田:特にないですねー。 しかし、 いつも失敗 と反省の繰り返しでした。 そうだ! 思い出し た事があります。 B767 の空輸の時の話です。 ボーイングでの訓練が終わったら次は空輸でし た。 Kさんが機長で私が副操縦士をつとめまし た。 離陸滑走中に私の側の A/S IND. が突然 “0”を指してしまいました。 CAP サイドを 見ると正常に指示しているようでしたが、 もう リジェクトができない速度になっていました。 離陸後Kさんは直ぐに戻ろうと言うけれども、 B767 の全日空第一号機の空輸ですから、 盛大 なセレモニーをやって出発したばかり。 下には 2009 JUL 11 ボーイングの関係者やプレスも大勢いるし、 引 き返したら大騒ぎになるだろうなと考えました。 とりあえず HOLDING に入って様子を見る事 にしました。 操縦室内の C/B (サーキット・ ブレーカー) 盤を操縦席から点検した所、 C/B が一つ TRIP していました。 同乗の整備士を 呼んで、 A/S IND. の C/B である事を確認し、 当該 C/B をリセットしてもらいました。 A/S が正常に指示されるようになりましたので、 A/S をいろいろ変化させて左右に誤差がない 事を確認した後 ANC に向かいました。 ボーイ ング・フィールドの滑走路がデコボコしていて、 振動で TRIP したのでしょう。 それから皇太子 FLT での失敗談があります。 開港前の関西空港への FLT でしたが、 東京空 港は出発機で混雑していました。 皇太子 FLT を宣言しなかった為後回しになって、 離陸が30 分程遅れてしまいました。 ブロックで1時間し か取っていないのに、 そんなに遅れてしまって はね。 有野:皇室 FLT は警備の都合上時間通りに着 かないと大変ですよね。 清田:そうです。 離陸して自衛隊の訓練空域が “コールド”である事を確認、 ダイレクト御坊 VOR を要求して、 ハイ・スピードで飛びまし た。 アプローチでも高度と速度の処理のために スピードブレーキを引きながらギヤーダウン。 FLAP を下ろし終わったらもう T/D 寸前でし た。 POWER を SET して、 通常の着陸操作を 行いましたが、 ドッカーンと着いてしまいまし た。 恥ずかしかったですねー。 その代り予定時 間に着く事はできたのですが。 飛行時間は27分 位だったのではないでしょうか。 −400 を導入 して間もない頃の話です。 有野:清田さんには、 やはり武勇伝をお聞きし ないと。 清田:武勇伝ねー、 ないなー。 武勇と思ってい ないからかなー。 武勇ではないけれど、 航空自 衛隊千歳基地にいた時、 任務の重要性を思い知 らされた事があります。 ソ連のバジャーにスク ランブルをかけました。 あの頃はよくソ連機の 領空侵犯がありました。 レーダーの誘導でバジャー 12 2009 JUL ツポレフ TU−16“バジャー” を発見。 下からは弾を込めてアームせよとの指 令です。 一瞬本当に撃つ事になるのかと言う思 いが湧きましたが、 僚機と挟みうちにするよう に接近しました。 僚機には私が撃ち落とされる までは、 反撃しないように指示をしました。 専 用周波数でバジャーに、 領空から出ていくよう に送信しました。 なかなか出て行かない。 これ はやられるかなーと思いました。 暫くそうやっ ていた所、 漸く進路を変えました。 やれやれの 思いでした。 もし銃撃戦にでもなれば国際問題 ですね。 わずか23歳の若造が国を背負っている 事を実感した時でした。 そしてはっと気が付く と燃料がない。 オホーツクの方まで行っていま した。 上空は100ノット以上の向かい風。 高度 を下ろすと燃料を食って届かない。 POWER を60%位に絞って、 グライドしながら基地に向 かいました。 僚機の残燃料も確かめながら、 途 中でベールアウトも考えましたが、 何とか基地 に辿り着く事ができました。 有野:私の想像外のことですね。 座右の銘は何 でしょうか。 清田:健康第一ですね。 有野:後輩に送るメッセージをお願いします。 清田:乗客を大事にして欲しいです。 それが会 社を守ることに繋がります。 人にどれだけ信頼 されるか、 安心感を与えることができるかです。 これは自分の会社だけの事ではなく、 全ての会 社が航空機に対する信頼感、 安心感を与えるよ うに、 努力することです。 それと、 決められた 事を厳格に守ること。 例えばマニュアルで飛行 する時高度をきちっと維持する。 アプローチで は、 許容誤差が円錐形のように滑走路に近づく に従って小さくなっていきます。 それがちゃん とできること。 最後まで円筒形の人がいますが 論外です。 リラックスできる所と真剣にやる所 のメリハリをつけることです。 感謝の言葉 有野:予定時間になりましたが最後に何かござ いますか。 清田:B767 , B747−400 の初期導入に際し、 ご指導、 ご協力いただいた御当局、 地上スタッ フの方々、 整備士の方々、 特に直接訓練に臨ま れた PILOT の方々に対し、 厳しい訓練の環境 の中、 目的を達成され、 会社の事業計画に寄与 していただけた事に対し、 時間も経過してしま いましたが、 紙面をお借りして、 感謝と御礼を 申し上げます。 あとがき フェアーリンクの役員と社長を務めておられ た間、 一度も事故を起こさなかったのは誇りで すと、 言っておられた。 同社がいまだに無事故 を続けているのは、 安全運航に関する 「清田イ ズム」 が浸透しているからだろう。 会社の経営 については、 もっとお話しされたい事もあるよ うではあった。 今は悠々自適ですかとの問いに、 うんとお金 をもらっていた頃に、 身に付いた浪費癖で“きゅ うきゅう”ですよ、 と笑っておられた。 今は、 JAPA の顧問だけで他にはなにもされていな いとの事。 お孫さんに釣竿を買ってくれとせが まれているので、 買ってやって散歩がてら、 釣 りに行こうと思っているとの事だ。 清田さん! 老け込むにはまだ早いですよ。 いつまでもお元 気でお過ごし下さい。 清田さんは査察が長かっ た為か、 私は運航宿泊でご一緒した記憶がない。 訓練等で大阪へ行った時、 定宿の豊中の常盤旅 館では、 何度もご一緒し、 酒を酌み交わしなが ら面白い話を聞く事ができた。 インタビューの 後、 何人かでネオン街に繰り出されたそうだ。 インタビューの場所に JAPA を指定されたの は、 こう言う事だったのかと納得した次第であ る。 私は都合が悪くご一緒できなかったのが残 念だった。 機会があれば又ご一緒して、 “清田 節”を聞きたいと思っている。 航空経歴 昭和11年6月6日:熊本県植木町生まれ 昭和30年6月:航空自衛隊 昭和36年1月:北日本航空株式会社 昭和39年4月:中日本航空株式会社 昭和40年3月:全日本空輸株式会社 昭和43年8月:訓練教官室教官 昭和45年2月:査察操縦士 昭和45年2月∼平成5年6月: 各種要職を歴任 平成元年9月:運輸大臣表彰 平成5年6月:運航本部副本部長 兼先任運航乗務員室主幹 平成6年6月:運航本部副本部長 平成7年5月:黄綬褒章 平成8年5月:日本航空機操縦士協会副会長 平成8年6月:全日本空輸 定年退職 平成8年7月:ABC 顧問 平成11年6月:ABC 退社 平成11年6月:フェアーリンク取締役就任 平成12年5月:日本航空機操縦士協会顧問 平成13年4月:フェアーリンク社長就任 平成16年3月:フェアーリンク退社 総飛行時間:19,466時間41分 乗務機種 自衛隊 民間機 T34 メンター、 T6、 T33、 F86 CV240、 CV440、 F27、 B727、 L1011、 B747、 B767、 B747−400 2009 JUL 13 国際宇宙ステーション運用の担い手をめざす JAXA 宇宙飛行士候補者 ―インタビューに答える― 2009年2月25日@JAXA 本社 JAXA 機関誌 JAXAs から転載 油井亀美也さん 大西卓哉さん 2月27日マスメディアで発表された JAXA (宇宙航空研究開発機構) の宇宙飛行士候補者は、 2人共パイロット出身者であるという事実に、 多くのパイロットが誇らしく感じたのは間違いないこ s No.25に掲載されているインタビュー とでしょう。 今回、 JAXA広報部のご厚意で、 機関誌 JAXA 記事を、 PILOT 誌に転載させていただけることになりました。 縦書きから横書きへの変換の過程で、 若干の句点の追加をさせていただきました。 写真と資料 (一部を除く) は、 JAXA の提供です。 ご 協力いただいた JAXA 広報部関係者の方々に誌面を借りて御礼申し上げます。 (JAPA 編集委員会) ★ JAXA 宇宙飛行士候補者決定 2009年2月25日、 JAXA の新しい宇宙飛行 士候補者が決定しました。 大西卓哉 (おおにし たくや)、 油井亀美也 (ゆいきみや) の2名で す。 2015年まで予定されている国際宇宙ステー ション (ISS) の運用・利用に対応するため、 昨年春から約1年かけて選抜作業を行ってきた もので、 2人は、 これから約2年間の候補者訓 練を経て宇宙飛行士として認定された場合、 さ らに約2年間のミッション固有訓練を経て、 最 長で約6か月間、 ISS に滞在し、 「きぼう」 日 本実験棟を含む ISS の操作・保守、 さまざま な分野の宇宙実験ミッションを担当することに なります。 ここでは、 宇宙飛行士候補に決まっ た心境と今後の抱負を聞きました。 ● 「身が引き締まる思いでいっぱい」 ★:今の心境をお聞かせください。 大西:大西卓哉と申します。 全日本空輸株式会 社でボーイング767型機の副操縦士として乗務 しております。 今朝、 選ばれたという連絡をい ただきました。 すぐには実感がわかず非常に驚 いたのですが、 今は身が引き締まる思いでいっ ぱいです。 14 2009 JUL 油井:油井亀美也と申します。 私は現在、 防衛 省の航空幕僚監部に勤めております。 これから 国民の皆さま方の協力を得ながら、 皆さま方の 期待を裏切らないように、 一生懸命頑張ってい きたいと思っております。 ★ :お2人は1,000名近くの応募者の中から選 ばれたわけですが。 大西:非常に優秀な方ばかりでしたので、 自分 が残る自信はありませんでした。 今その方々を 代表してここに座っていることを多少プレッシャー には感じています。 ただ、 そういった方々の思 いを背負って、 これから宇宙をめざしていけれ ば、 と考えています。 油井:1,000人近くの方々の宇宙への関心の高 さや熱い思いは、 一緒に試験を受けていて非常 に感じました。 その中で私たちが選ばれたとい うことで、 その方々の思いは、 これから私が責 任感を持ってやっていくための力になるだろう と思っています。 ● 「いったんあきらめたけど、 ずっと追い続けていた夢」 ★:宇宙飛行士を志したきっかけや、 子どもの 頃からの宇宙へのあこがれのようなものがあり ましたら、 お話し下さい。 大西:宇宙に対するあこがれは幼い頃から抱い ていました。 SF 映画を見るのが好きでしたし、 宇宙に関する図鑑なども読んでいたのを覚えて おります。 ただ、 宇宙飛行士になるというのは、 漠然とした夢だった、 と申し上げるべきだと思 います。 選抜に臨む覚悟を決めたのは、 今回の 募集要項を実際に見てからになります。 ただ、 募集要項には自然科学系の分野で3年 以上の研究開発、 もしくは実務経験を有するこ とという項目がありまして、 私はそれを満たさ ないのではないか、 と当初は考えておりました。 そのあと、 Q&Aのコーナーでパイロットして の経験は認められますか、 という質問があり、 運用という意味で実務経験とします、 と回答が 出ていましたので、 自分にもチャンスがあると 考えて、 応募しました。 油井:私は長野県の出身で、 星が非常にきれい に見えるところで育ちました。 子供の頃から望 遠鏡などで星をいつも見ていて、 将来は天文学 者か宇宙飛行士になれたらいいな、 と思ってい ました。 防衛大学校に入学する時にその夢はいっ たんあきらめた形になりまして、 自衛隊に入隊 しました。 ちょうどパイロットになった頃に 「ライトスタッフ」 という映画を見て、 そこで また夢を思い出しました。 テストパイロットに なれば、 もしかしたらそういう機会がやってく るのではないかと思い、 テストパイロットにな りました。 実際にはテストパイロットから宇宙 にいくという仕組みはありませんでしたし、 そ のような話も全くなかったのですが、 今回募集 の話を知り、 応募しました。 宇宙への夢は、 いっ たんはあきらめましたけれども、 ずっと追い続 けていたのではないか、 と思っています。 ● 「いつか自分も 宇宙に行けたら、 と思っていた」 ★:現在のお仕事の経験を、 今後に生かしてい けるとお考えですか。 大西:これは私の主観が入っているかもしれま せんが、 パイロットと宇宙飛行士の適性はかな り近いのではないかと考えております。 少ない 人数のチームで仕事をする時の対人コミュニケー ション能力ですとか、 状況が刻々変化していく 中での状況判断能力、 決断力などです。 これま での仕事で培ってきた経験は必ずこれからの訓 練や、 宇宙飛行士としての業務で生きてくるの ではないかと思っております。 油井:私は職業柄、 いろいろな方と協力しなが ら何かをやっていくのが得意だと思っています。 技術者の方々とか、 いろいろな国の方々と協力 しながらプロジェクトを成功させるということ については、 これまでの経験が生かせるのでは ないかと思っています。 ★:2人ともパイロットのご出身です。 空の上 から宇宙をどんな気持ちで眺めていたのですか。 大西:通常私の乗る航空機が飛ぶ高度はだいた い地上12,000m ぐらいが限界なのですが、 そこ まで行くと、 夜に乗務していると星が非常にき れいに見えるんです。 この選抜に挑戦し始めて からは、 月が非常に明るく大きく見えておりま した。 いつか自分も行ってみたいなと、 ずっと そういった思いで見ております。 油井:わたくしもパイロットとして飛んでいる のですが、 実際に飛べる高度は地上15,000m ぐ らいまでで、 やはり宇宙に行くのとはほど遠い わけです。 普通に飛んでいる時は忙しすぎて、 そこまで考えている余裕がないのですが、 少し 時間がある時は、 きれいな空を見ながらも、 そ こに絶対的な何か目に見えない壁のようなもの を感じていました。 なんとか宇宙に行けたらい いな、 というような思いは抱いていました。 ● 「今、 まかされていることを全力でやる」 ★:お互いに相手をどんな人だと感じています か。 大西:皆さんも感じておられると思いますが、 油井さんは非常にハキハキした方です。 存在感 があると申しますか、 選抜で最後に残った10人 が集まった時も、 自然とリーダーシップを取っ ていらっしゃったのが油井さんだったのではな 2009 JUL 15 いかと考えています。 私も見習いたいと思いま したし、 強い影響を受けた方の1人です。 油井:大西さんはやはり航空パイロットをやっ ていたということもありまして、 非常にいろい ろなところに気が付く方です。 温和で、 さらに 言うとパイロットとして素晴らしい資質だと思 います。 常に沈着冷静です。 正しい判断をして くれて、 私がリーダーシップを取っている時は フォロアーシップをしますし、 また自分でもリー ダーシップを発揮できる。 両方備えた素晴らし い人だなと思っています。 これから長く一緒に 活動していくことになると思うのですが、 本当 に信頼できるいい仲間だと思っています。 ★:座右の銘やモットーのようなものがありま したら、 教えてください。 大西:私のモットーは 「今、 任されていること を全力でやる」 ということです。 油井:「人事を尽くして天命を待つ」 ではない ですけれども、 いつもその場でやるべきことを すべてやれば、 結果は後でついてくるだろうと 考えています。 その場その場で与えられた任務 を一生懸命やる、 ということをモットーにして おります。 ● 「宇宙大航海時代の パイオニアとして頑張りたい」 ★ :宇宙開発の将来や ISS についてどのよう にお考えですか。 大西:私は、 宇宙開発は人類のこれからの発展 に不可欠なものだと思います。 今、 世界的な規 模で経済危機や地球温暖化といった問題があっ て閉塞感が漂っていますけれども、 こういった 時代にこそ、 宇宙開発を加速していくべきでは ないかと考えています。 ISS に関しては、 人間 がこれから宇宙へと進出していく非常に重要な 国際共同作業ではないかと考えています。 油井:私は 「もっと速く、 もっと高く、 もっと 遠くへ」 というのは人間の本能ではないかと思っ ています。 人類は活動の場を、 これからもどん どん広げていかなければいけません。 ISS は人類が月あるいは火星に行くための非 常に重要なステップだと私は理解しております。 後世の歴史家の方々が、 今の時代を宇宙への大 航海時代の始まりだった、 というようなことに なれば、 非常に素晴らしいことです。 そう思い ながら、 パイオニアとして頑張っていきたいと 感じているところです。 ISS の 「きぼう」 日本実験棟に接近中の補給機 HTV (H- Transfer Vehicle) CG イメージ図 (JAXA 提供) 16 2009 JUL 宇宙飛行士選抜試験で考慮される性格特性例 LOW ← スタナイン 1 意欲・動機 3 4 5 6 7 8 9 ○ ○ ○ ○ ○ 柔軟性 ○ ○ ○ ○ ○ 活動性 ○ ○ ○ ○ ○ 活気・気力 甘え・依存性 2 → HIGH ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 外向性 共感性・批判的 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 攻撃性 ○ ○ ○ ○ ○ 自制力 ○ ○ ○ ○ ○ 情緒安定性 ○ ○ ○ ○ ○ ESA (European Space Agency:欧州宇宙機 構) の宇宙飛行士候補者選抜試験で使用され た望ましい性格特性要件の一覧表です。 パイ ロットと似ていませんか? JAXAs No.25の表紙 油井亀美也さん略歴 (39歳、 長野県出身) 1992年3月 防衛大学校理工学専攻卒 1992年4月 防衛庁(現防衛省)航空自衛隊入隊 2008年12月より防衛省航空幕僚監部に勤務 2009年4月 JAXA 入社 ● 見上げてごらん、 ISS が見えるよ! 若田光一さんが搭乗し地球周回している ISS が肉眼で見える可能性があります。 JAXA ホー ム・ページを検索し開いて下さい。 ・国際宇宙ステーションを見よう Click ⇒ISS の目視予想情報 Click ⇒国際宇宙ステーション Click ⇒観測地 (右図地図上の地点) Click 緯度・経度でも計算してくれます。 その他の各種情報も見ることができます。 大西卓哉さん略歴 (33歳、 東京都出身) 1998年3月 東京大学工学部航空宇宙工学科卒 1998年4月 全日本空輸株式会社入社 2003年6月より同社運航本部に勤務 2009年4月 JAXA 入社 2009 JUL 17 象 気 航空 C TE H Ta l k 積乱雲発生時の運航 −飛行中、 積乱雲に どう対処するのか− 航空気象委員会※ 2009年6月1日午前7時 (日本時間)、 リオデジャネイロ発パリ行きのエールフランス航空447 便が大西洋に墜落しました。 原因は調査中ですが、 事故当時の地上天気図 (アメリカ作成) には 熱帯集束帯 (ITCZ:Intertropical Convergence Zone) が解析されており、 気象衛星画像にも 積乱雲 (Cb) が発生していました。 飛行中の航空機が Cb により、 落雷やひょう、 乱気流の被害 を受けた事例はたくさんあります。 今回は Cb 発生時の運航について考えてみましょう。 ●飛行中の被雷件数 O副操縦士:今年に入って、 気象が原因と考え られる航空機の事故が多いですね。 X予報官:そうですね。 たまたま続いているだ けかもしれませんが、 航空機の安全な運航に 気象情報は欠かせません。 今日は Cb の話を したいと思います。 まず問題です。 航空機に 落雷したというパイロットからの報告 (PIREP) が気象庁や航空局 FSC (飛行援助 センター) に入りますが、 何月が一番多いと 思いますか? O:う……ん、 8月ですかねぇ∼。 X:みなさん雷と言えば夏だと思いますよね。 当然航空機に落ちるのも夏が多いと考えるで しょう。 実はこのように1月が一番多いんで す (図1)。 K機長:へぇ∼そうなんだぁ……。 Y機長:昨年各地の空港に落雷したのは夏が多 かったように思いますが……。 X:確かに昨年宮崎・石垣・鹿児島空港に落雷 して滑走路などに穴が開いたのは、 8月や9 月と暖候期でした。 夏の Cb は雲頂高度が 45,000ft を超えるものもあり、 肉眼や機上レー ※ 原 18 基、 山本 秀生 2009 JUL 図1 航空機からの被雷報告件数 (月累計:2001年 6月∼2009年5月) ダーではっきり捉えることができますが、 冬 の Cb は見た目が積雲と区別がつきにくいこ とや機上レーダーにも映りにくく、 航空機が 飛来することによる誘導雷も少なくありませ ん。 だから結果として冬の方が被雷すること が多いと考えられます。 K:なるほど……。 ●発達途中の対流雲にも要注意 O:5月13日は ADO、 14日はアメリカン航空 と連続して SEV turbulence による負傷者の ニュースがありましたが、 原因は何だったの でしょうか? X:遭遇当時の気象レーダーを細かく見ると、 乱気流の報告があった付近は、 いずれも発達 図2 単体で発達する積乱雲の一生 (大野) 灰色部分はエコー強度で、 濃いほど強い。 途中の対流雲が存在していましたので、 それ が原因かもしれません。 O:具体的にはどんな状況だったんですか? X:その前にここで Cb の発生から衰弱までの パターンを見て下さい (図2)。 これは単体 で発達する Cb の一生をモデル化した図です。 この図のように、 孤立して発生する Cb は、 発生から衰弱まで、 30∼50分であることが多 いようです。 Y:夏の雷雲を眺めていると、 あっという間に 成長していくのがわかりますよね。 X:そうですね。 Cb の発達期の上昇流は局所 的に 20m/s (図3)、 成熟期初期の上昇流に なると 30m/s を超えることがあるとのこと です。 Y:図3を見ると、 Cb の発達期で上昇流が一 番強い場所は、 雲頂付近ですねぇ。 K:Cb の Top からは 5,000ft 以上離れて飛行 するように、 と言われているが、 発達途中で もそんな雲の直上を通過したら SEV の揺れ に遭遇するのも当然だ。 X:図2の大事な点は、 発達期にレーダーエコー に映るのは3km より上の高度となっている ことです。 これは形成された雨粒は当初小さ くて軽いため、 上昇流で上空に運ばれるため です。 O:以前聞いた話では、 テレビやインターネッ トで見ている一般の気象レーダーは、 高度約 2km 面のエコーでしたよね。 X:そのとおりです。 このように Cb は気象レー 図3 発達期の積乱雲の鉛直断面 (大野) ダーでエコーが映る頃には、 成層圏まで達す るくらい立派な“かなとこ状”となっている ことが多いということになります。 O:つまりブリーフィング時に気象レーダーで 映っていないから Cb は発生していない、 と 断言してはいけないということになりますね。 X:はい。 気象レーダーを利用する時は、 エコー 強度だけでなく、 エコー頂高度も一緒に見て いただくと有効です。 Y:さっき話に出たアメリカン航空の時のエコー 頂高度はどうなっていたのですか? X:その前に気象庁に入ったアメリカン航空の PIREP は、 次のとおりでした。 2009 JUL 19 SEV TURB OBS AT 0508Z AROUND SWAMP FL150 BY B777 0500∼0520Z のエコー強度、 エコー頂高度、 エコー断面図はこれでした (図4)。 O:0510Z のエコー頂高度には映っていません が、 0520Z には SWAMP 付近にエコーが出 ていますね。 X:エコー断面図を見ると、 0510Z に突然高度 2 ∼ 6 km に エ コ ー が 発 生 し て き て 、 SWAMP 付近には対流雲が発生していたよ うです。 アメリカン航空の飛行高度は 15,000ft だったので、 Top 付近の高度に近かっ たかもしれませんね。 K:このようなことからも機上レーダーは適宜 Tilt を変えてスキャンしてみないと用をな さないことになるね。 O:気象レーダーの観測間隔を10分からもっと 短くできないのですか? 図4 20 X:いい質問ですね。 実は今年の7月1日から、 気象庁の気象レーダーの観測間隔は、 昨年の 雷雨による短時間の大雨災害を受けて、 10分 から5分に変更します。 ちなみに空港気象ドッ プラーレーダーの観測間隔は、 半径100km 以内は約6分、 雨が強くなると空港周辺半径 20km 以内は約1分となっています。 K:しかし、 今までの話からすると、 気象レー ダーでは Cb の初期を捉えることは難しいと いうことになりますね。 X:はい。 気象レーダーにも限界があります。 そこで気象庁は気象衛星を使って、 関東空域 を中心に数分間隔で雲の観測を行う計画を進 めています。 O:昨年の第3回航空気象シンポジウムで、 航 空気象管理官の講演中に出てきた計画ですね。 X:はい。 ここでアメリカン航空が乱気流に遭 遇した前後の気象衛星の可視画像を見てみま しょう (図5)。 SWAMP は矢印の先です。 2009年5月14日0500∼0520Z のレーダーエコー エコー断面図は図中のA−Bで切った図。 【注】0510Z のエコー断面図にエコーが観測されているのに対し、 エコー頂高度がノーエコーと なっている理由は、 12dBZ 未満の弱いエコーをカットしているため。 2009 JUL 図5 2009年5月14日0407∼0541Z の気象衛星の可視画像 (図中の矢印の先は SWAMP) 図6 FBJP112 (2009年5月14日0300Z、 0600Z、 0900Z の予想) O:気象衛星には気象レーダーに映る前から雲 が発生していることがわかりますね。 X:現在は約30分間隔の観測ですが、 気象衛星 では対流雲の初期を捉えています。 これが数 分間隔で観測できるようになれば、 単位時間 当たりの雲頂高度差等を算出することができ ますので、 急激に発達している雲を判別する 技術を開発できるようになると思います。 Y:いつから観測間隔が短くなるんですか? X:平成22年の夏頃を予定しています。 O:ところで、 アメリカン航空の事例に限らず、 Cb についての対策はどうすればよいのでしょ うか? X:アメリカン航空の事例はどう予想されてい たか、 各種予想資料について時間を追って見 てみましょう。 まず、 最初に予想されるもの は、 FBJP112 です (図6)。 O:14日 03Z と 06Z は何も予想していません が、 09Z の予想になると、 関東の東海上に Cb を予想していますね。 X:はい。 FBJP112 から読み取れることは、 06∼09Z の間に関東の東海上で Cb が発生す る可能性があるということです。 つまり、 そ の時刻は Cb が発生しやすい大気の状態とい うことを示唆しています。 関東の東海上に予 想されていますが、 位置の誤差も考えると、 陸地よりだと千葉県や茨城県に Cb が発生す る可能性もあり得るわけです。 K:なるほど、 そのように解釈して使うといい んですね。 X:次は 00Z 予想と 06Z 予想の国内悪天予想 図 (FBJP) を見てみましょう (図7)。 Y:位置はずれていますが、 FBJP112 では予 想されていなかった Cb を 06Z では予想して 2009 JUL 21 図7 図8 国内悪天予想図 (FBJP:2009年5月14日0000Z、 0600Z の予想) 関東の狭域悪天予想図 (FBTT:2009年5月14日0300Z、 0600Z の予想) いますね。 X:はい。 FBJP は数値予報等の各種予想資料 や過去の知見から総合的に判断して描いてい るものです。 当時の予報官は、 上空に寒気を 伴った気圧の谷が日中東北地方を通過し、 地 上にもシアーラインが形成される予想から、 そのシアーラインに沿って Cb が発生すると 考 え 、 00Z か ら Cb を 予 想 し て い ま す 22 2009 JUL (FBJP の REMARKS 欄には 「上層寒気に 伴う対流雲域」 と理由が書いてあります)。 06Z 予想の Cb は東北地方を領域を拡げなが ら横断し、 東海上へ抜けていくイメージを描 いたものと考えられます。 K:う∼む、 なるほど。 X:最後に関東の狭域悪天予想図 (FBTT) を 見てみましょう (図8)。 O:03Z 予想はシアーラインを関東北部に予想 していて、 栃木県に Cb を予想していますね。 また、 06Z 予想はシアーラインがさらに関東 南部まで南下し、 茨城・千葉・埼玉県及び東 京都に発雷を伴う Cb を予想していますね。 X:そうですね。 当日羽田・成田の TAF も 03Z 時点から07∼09Z に TSRA を予想しま したので、 関東ではその時間帯にシアーライ ンの南下とともに雷雨になる可能性が高まっ たと判断したのでしょう。 K:羽田と成田は TSRA になったんですか? TAF RJTT 140244Z 1403/1506 18020G30KT 9999 FEW030 BECMG 1406/1408 34018KT TEMPO 1407/1409 34020G32KT TSRA FEW008 BKN020 FEW025CB TEMPO 1409/1415 34020G32KT BECMG 1500/1503 10010KT TAF RJAA 140242Z 1403/1506 23013KT 9999 FEW030 図9 BECMG 1405/1407 33010KT TEMPO 1407/1409 33015G27KT TSRA BR BKN008 BKN020 SCT025CB TEMPO 1409/1412 33015G27KT 3000 X:羽田は0700∼0730Z の間 VCSH で、 10km 以内を CB が通過しました。 また、 成田は 0655∼0705Z の間−TSRA、 それ以降 0730Z まで−SHRA で、 いずれもほぼ TAF どおり 推移しました。 結果として05∼09Z の1時間 毎の気象レーダーの推移と 06Z 時点の前1 時間の発雷状況は図9のとおりでした。 Y:全体として見れば、 予想どおり当たってい たと言えるのではないでしょうか。 O:素晴らしい∼。 ●避けきれない Cb K:アメリカン航空の事例はよく予想されてい た方ですが、 実際はそんなに予想どおりいか ないことも少なくないですよね……。 14日0500∼0900Z のレーダーエコー強度と0500∼0600Z の落雷状況 2009 JUL 23 Y:そうですね。 予想されていても避けきれな い Cb というものもありますね。 K機長ほど の経験はないですが、 私も国内で避けきれな い Cb の経験がありますのでここで紹介しま す。 この時は、 東京 (羽田) が Cb に囲まれ たから、 どこかで Cb を突っ切らないと羽田 に行けないような状況でした。 X:それはいつですか? Y:これがその日 (2006年8月12日) の地上天 気 図 で す ( 図 10) 。 出 発 前 に 、 こ の 日 は JAL123 便事故の日だったので、 今日何か事 故でも起こしたら、 新聞で大騒ぎになるぞ!っ て副操縦士を脅していたんです。 この天気図 から TS を予想できますか? X:地上天気図だけで見ると、 朝鮮半島付近は クジラの尾型をした夏の天気図です。 しかし、 00Z の 500hPa の高層天気図 (図11) を見る と、 能登半島の東から紀伊半島の東にかけて は気圧の谷があり (等高度線が南側に膨らん でいるのに対応)、 館野や輪島の気温は−9 ℃前後と真夏にしては冷たく、 関東から北陸 地方にかけて上空に寒気の塊が一つあります。 気圧の谷が抜けるタイミングと日中晴れて地 上気温が高くなる時間が一致すると Cb が発 生する可能性が高くなるパターンですね。 K:Xさんにかかると、 一枚の天気図に 「これ でもか!」 というだけの情報が含まれている 図10 2006年8月12日00Z 地上天気図 24 2009 JUL のが良くわかりますね。 これだけのスキルの ある Dispatcher が何人かいると全然ちがう 運航になると思いますよ。 Y:日本の東の低気圧は、 上陸はしなかったも のの8日 21Z に羽田で1時間30ミリの大雨 を降らせた台風7号崩れの低気圧で、 日本の 東海上で動きが止まっていました。 前日の天 気予報で 「大気の状態が不安定になるので午 後は雷雨に注意」 って言っていたのを覚えて います。 最近はテレビでも 「大気の状態が不 安定」 ってズバリ言いますよね。 雷雨の場所 までは当てられなくても、 北関東止まりなの か、 東京近辺まで Cb が来そうなのかを言っ てくれる気象予報士もいます。 8月12日とい うのも引っかかっていました。 O:雷雨の予想について、 そこまではっきり言 うとはなかなか気象予報士もやりますね。 Y:当日は行きの便でも、 コース上ではなかっ たものの、 Cb がボコボコ発生していました (図12)。 予想どおりでしたが、 鹿児島を出る 時は、 帰りの目的地、 羽田の実況は、 RJTT 120530Z 33019KT 5000 R34L/P1800N R22/P1800N R34R/1600VP1800N +TSRA FEW015 BKN035CB 22/20 Q1008 RMK 2CU015 7CB035 A2978 2500NW-E MOD TS 図11 12日00Z の500hPa 高層天気図 赤色点線は気圧の谷、 青色の領域は−9℃以 下の寒気。 図にはないが、 浜松の気温は −8.9℃。 図12 左上の図:12日0455Z の機上レーダー (YZ の東27.8NM) 右上の図:12日0455Z にコクピットから見た Cb 左下の図:12日0500Z のレーダーエコー強度 (▲は YZ の東約28NM の地点) 右下の図:12日0500Z のレーダーエコー頂高度 TAF AMD RJTT 120410Z 120412 05008KT 7000 FEW010 BKN030 TEMPO 0406 TS FEW010 BKN020 SCT020CB TEMPO 0612 3000 TSRA FEW010 BKN020 SCT020CB 図13 12日0530Z のレーダーエコー強度 OHD AND 5KM NW-NE MOV E P/RR と、 ちょうどライン上のエコーが通過中で、 一 番悪い状態でした (図13)。 K:出発する時雷雨ならば、 到着する頃にはも う Cb は抜けているのではないですか? Y:そうですね。 出発時、 会社システムでは TAF に基づいて引き続き 「目的地悪天」 を 付けていましたが、 エコーは南下していまし たから、 到着時刻には目的地・代替空港とも に問題はなくなるのではないかと考えました。 代わって房総半島に Cb が残ることは十分予 想がついていたので、 Dispatcher の Plan と は違う目的〈Cb 迂回のため〉に燃料はその まま積ませてもらうことにしました。 そして、 定刻に出発。 「今日は斯く斯く然々の理由で 大きく揺れる場合があるので、 トイレは早め に行っておいて下さい」 とアナウンスし、 順 調に飛行していました。 大島から房総半島方 2009 JUL 25 面には巨大な Cb の列。 レーダーでも地形が わからないくらいエコーが出ていました。 EGPWS※ の Terrain (地形) と比べると、 Cb は予想より早く房総半島の南に抜けたよ うでした。 O:このような場合は、 北に Deviation すれば いいですよね? Y:もちろん、 そうリクエストしたんですが、 出 発 機 の コ ー ス で す か ら 「 Unable Left turn, How about Right turn?」 と聞かれる 始末でした。 通常の飛行コースより北、 黒線 のような XAC(大島) の北に逃げたかった んです (図14)。 3回北へ Deviation するリ クエストをしました。 ただ、 私の前は皆、 南 に Deviation させていたため、 Cb が動いて もフローを変えられなかったんだと思います。 O:やっぱり歴代の委員長同様、 航空気象委員 長になると、 すごい悪天に遭遇するようにな るんですね。 Y:いやぁ∼、 逃げ道があったのに Traffic に 阻まれた感じですね。 私のすぐ後ろの便なん て 「Hold over XAC」 と言われ、 「Unable due to strong echo 」 と 言 っ て い る の に 「Stand-by」 としか言われず、 XAC 上空で Cb に突入したらしく、 「Moderate Turbulence, Request HDG xxx」 って叫んでいま した。 皆が一気に Deviation するから ATC も大変な状況になっていたんでしょう。 その 後の便は少し離れた BINAN あたりで Hold していたようですよ。 O:ご愁傷様です。 Y:私たちも仕方なく南に Deviation。 しかし、 どこまで行っても切れ目がない!もっと東に Deviation している機もありましたが、 どこ かで必ずこの Cb は突っ切らなければいけな いと判断し、 まず、 「大きく揺れますが羽田 に行くためにはどこかでこの Cb を突っ切ら なければならない」 ことをアナウンスで説明 し、 全員の着席を確認してから Left Turn を要求し、 直ぐに許可されました。 東京アプ ローチに移管され、 降下の Clearance が来 たので、 Speed Brake Full で一気に降下し、 結局図15の時点で 「+」 印の所を通過しまし た。 O:何で急な降下が必要なんですか? Y:この日の気温では15,000ft 以下なら SAT は0℃以上になります。 0℃以上だと被雷の 確率も減るし、 同じ強さのエコーでも経験上 揺れが小さいんです。 私は YS で結構 Cb 通 過を経験していますからね。 O:SAT は0℃以上だと揺れないって初めて 聞きました。 Y:揺れないとは言っていませんよ!最近の C-PIREP を用いた研究では、 雲底の乱気流 図14 12日0750Z のレーダーエコー強度 図15 12日0820Z のレーダーエコー強度 26 2009 JUL は氷点付近が一番強いことがわかってきてい ます。 K:この時はやっぱり揺れたんでしょうね? Y:もちろん Moderate の揺れはありました。 しかし、 大きく遅れることもなく安全に飛行 できました。 きちんと座っていてくれたお客 様と CA に感謝しなくっちゃいけませんね。 アナウンスの内容やタイミングも上手くいっ たと思います。 X:ここで 「+」 の地点を通過しようとした時 点 (図15と同時刻) の飛行高度 (FL180) に 近い6km 面のレーダーエコーと断面図を見 てみましょう (図16)。 O:まさに Cb の山と山の間を抜けて飛行して いたんですね。 K:へぇ∼Yさんは随分大胆な行動に出ました ね。 私はニューヨークで遭遇した時は冷や冷 やしながら飛行していました。 今度その話を 紹介しましょう。 X:当時、 羽田到着便は30分以上の遅れが多数 あって、 中には成田の東まで逃げて GOC (大子) から戻った便もありました。 この事 例の Cb 列は、 壁のように連なっていて、 逃 げ道がほとんどないくらいだったんでしょう ね。 Y:いやぁ∼いい経験をしました! O:う……ん、 次に航空気象委員長になる人は どんな悪天に遭うのでしょうかねぇ∼。 K:それはまさに 「天のみが知る」 ということ でしょう (笑)。 ※EGPWS (Enhanced Ground Proximity Warning System):従来の GPWS (対地接 近警報装置) の機能に加え、 地形が Data Base 化され GPS による時機の場所と比較で きる。 【参考文献】 「雷雨とメソ気象」 大野久雄著 東京堂出版 図16 12日0820Z の6km 面のレーダーエコーと左図のA−B間のエコー断面図 2009 JUL 27 「ハートで飛ばそう!」 Fly with Airmanship ! 2 運航技術委員会 山 博行 ・運航技術委員会では、 前号に引き続き主としてエアラインパイロットに対する操縦技術や経験の 伝承というコンセプトで、 技量向上につながる考え方や、 ヒントのようなものをまとめてみました。 …………………………………………………………………………………………………………………… フライトの心 「心技体」 とよく言われま す。 健全な心と鍛えられた健康な肉体に優れ た技が加わり、 スポーツ選手は成果を挙げる ことができます。 横綱においては人格さえも 求められます。 われわれプロパイロットの道 も、 この 「心技体」 で言いあらわせます。 パ イロットとスポーツの世界に共通な 「心技体」 で考えてみましょう。 相撲の世界では、 【フライトの心構え】 スポーツにおいては、 向上の源は、 ハングリー 精神と努力です。 パイロットも同じことが言 えます。 パイロットという職業は、 一人前になるのに 時間のかかる職業です。 そして、 次からつぎ へと、 クリアーすべきハードルが高くなって いきます。 基礎課程でソロ・フライトを目指 している訓練生にとっては、 ジェット旅客機 28 2009 JUL のライセンスを取得することなど、 文字通り 雲の上のことでしょう。 まして機長になるこ となど、 なおさらです。 しかしこの道を選ん だからには、 常に向上心をもち、 努力し続け なければなりません。 【心】 Positive Thinking 将来や結果に対する不安というものはスポー ツ選手もパイロットも一緒です。 訓練がうま くいくだろうか? 試験に落ちないだろうか? 見極め教官に悪く思われていないだろうか? さまざまな不安が湧きおこってきます。 ここで先輩たちは自分達を応援してくれてい ることを忘れないでください。 皆さんをふる いに掛けて選り分けようとしているのではな く、 なんとか一人前になってほしいと叱咤し つづけているのです。 やる気 何がなんでも副操縦士になるんだ、 あるいは 機長に昇格するのだという、 あなたの 「やる 気」 (積極性や熱意) が、 先輩の 「やる気」 を引き出すのです。 教えてもらうのを待つと いう消極的な気持ちではお互いにうまく行き ません。 柔軟性 おそらく先輩の教え方にも巧拙はあるでしょ う。 また、 同じような状況に対し違う指摘を 受けることがあります。 言葉を選んで疑問点 を解消して、 素直にアドバイスを受入れるこ とができる柔軟性が、 向上の秘訣です。 −教官も 十人十色 柔軟に− メンタル・コントロール パイロットでもスポーツ選手でも必要な共通 の能力です。 急激な状況の変化にも動ぜず、 平静を保ち、 次にやるべき事へ気持ちの切替 えができて、 はじめて飛行を安定させること が可能になります。 −ミスしても 泰然自若 尾をひかず− 【技】 こころだけで技がなければ飛行機は飛びませ ん。 パイロットにとって操縦技量の習得そし て維持は一生努力を続けなければならないも のです。 盗む 剣道に見取り稽古というのがあります。 まさ に、 観ることで技を盗むわけです。 われわれ の場合は、 PNF/PM のとき、 如何に多くの ものを吸収できるかということなります。 ベ テラン機長から若いパイロットを見ていると、 「よく観ているな」 と 「よく分かっているな」 と思える人は 「よく出来るな」 という感想に 帰結します。 自己評価 訓練の時には教官は定められた評価基準を使っ ています。 しかし、 自分自身を評価するとき の評価基準は、 経験を積めば積むほど厳しく なるのがプロです。 ダイエーの王監督が監督 退任の時に記者会見で、 「プロはミスしては いけないんですよ」 と言ったのが印象的でし た。 言いわけの多い若い選手を叱咤するのが その真意でしょう。 王さんは、 そういう気持 ちがあったからこそあの実績が残ったのだな と納得できます。 自分自身への厳しさに脱帽 です。 技の経年劣化 人間、 歳をとって来ると感覚器官が衰え、 反 応もにぶくなってきます。 スキャンの範囲の 狭窄、 スムーズな操作が出来なくなる等の兆 候が見られます。 それを補う努力と工夫をお こたれば、 かならず操縦技量も衰えます。 こ れを防ぐには加齢の自覚が大事です。 自覚が なければ、 はだかの王様になりかねません。 【体】 パイロットに求められる最も基本的な 「健康」 の条件は、 航空身体検査基準に合格できるこ とですが、 これは最低限必要なものであり、 さらに出来るだけ良い健康状態であることが、 優れたパフォーマンスを発揮できる条件とい えます。 健康な体があればこそ、 頭脳もよく 働き、 感覚も鋭敏となり、 操縦操作も素早く 反応するようになります。 −フライトも スポーツとおなじ 心技体− 操縦の心 若いパイロットとフライトをしていて 「うま くなりたい」 という意欲に物足りなさをしば しば感じます。 かつて、 事故原因はほとんど Human Factor であり、 むしろ上手いパイロットが事故を起 こしているなどと、 乗員同士のあいだの会話 で聞いたこともありました。 また近年は会社の Management が事故防止 の 伝 家 の 宝 刀 と し て CRM な ど の Human Factor の分野に心血を注いできたので、 操 縦技量の指導のほうは、 少々おろそかになっ たようにも思われます。 我々の世代は “10feet でも1knot でも直せ”…などと言 われたものですが… −Pilot いいかっこしィは 事故のもと− さらに新しい飛行機ほど操縦系統が改善され、 操縦自体が易しくなり、 Flight のほとんど の部分を Auto Pilot が上手に G Control ま 2009 JUL 29 でして飛ばしてくれるため、 Auto Pilot に まかせきりになってしまっている光景もよく 見かけます。 Copilot の頃は“Auto Pilot On でも操縦桿 に手をそえていろ!”とか“全部マニュアル でやれ!”とか指導されたものです。 −腕前に 自信を持って 過信せず− せっかく操縦の機会が与えられているのに、 離 陸したらすぐに Auto Pilot On にして、 500ft でやっとはずして着陸し、 たまたま接地がス ムーズでご満悦とはガックリします。 Captain だって操縦したいのです。 オー パイ −もったいない Auto Pilot ばかりで もったいない− 操縦技量の向上と維持はパイロットにとって 一生の課題です。 出来るだけ多くの機会を得 るよう努め、 日々工夫と反省をしてはじめて なしとげられるものです。 Auto Pilot ばか りを頼るうちにいつのまにか技量が低下し Auto Pilot に依存したパイロットになって しまわないように気をつけましょう。 オー パイ −Auto Pilot を はずした途端に 機が乱れ− また操縦がうまくなれば機体が安定し、 余裕 が生じ、 良い Judgment につながり、 さら に余裕が生じて安全性も向上し、 Flight 全 体の質が雪だるま式に向上していきます。 それでは操縦がうまくなるコツを考えてみま しょう。 【姿勢】 シートとラダー・ペダルのアジャスト 機種によっては Cockpit に Eye Position の マークがつけてあり、 マニュアルにその利用 法を記載したものもあります。 Eye Position は機種ごとに示される Down Vision の確保 が原点ですが、 操縦室計器類が無理なく見え 30 2009 JUL ること、 およびスイッチ類に指が届くことな どの設計上の基準点でもあります。 個人の身長や座高により、 シートをセットし た位置が違って当然です。 目盛のある機種で は自分の数値を覚えておくと良いでしょう。 シートの前後・上下・リクライニングの位置 が決まったら、 ラダー・ペダルの調節をして 一段落です。 クッションのへたりなどで位置 が変わって違和感があったら、 マメにアジャ ストしなおす習慣を身につけたいものです。 操縦桿の握り方 操縦桿を握る時の指の位置に気をつけましょ う。 操縦桿のグリップの形に指を合わせて素 直に納まるよう気をつけ、 かつ必要に応じて Stabilizer Trim Switch へ素早く親指が届く ように握ります。 この Switch に指を掛けっ ぱなしは良くありません。 アームレスト アームレストの使用はパイロットに任せられ ますが、 Side Stick の機種では必ず使うこと になります。 Control Wheel の 機 種 で も 、 Full Aileron 操舵を確保して、 邪魔にならない位置にアー ムレストをセットすると良いでしょう。 個人 の好みも左右しますが、 肩に無駄な力が入ら ないためにも有効に利用すると良いでしょう。 適切な姿勢 上記のシートのアジャストとともに、 シート に座る姿勢も大事です。 背筋や腹筋に偏った力がかからず、 両手、 両 足が操縦桿、 Thrust Lever に無理なく届き Full Stroke 操作でき、 足は Rudder Pedal で Full Stroke、 Full Brake 操作ができなけ ればなりません。 左右のバランス 上昇中や Idel で降下中など Thrust Lever の 操作が必要ないときは出来るだけ両手で操縦 桿を握りましょう。 両手で操縦桿を握ったほ うが左右肩の筋肉のバランスが取れて操縦し やすくなります。 Speed 一定で Vertical Speed を変更する場 合や高度一定で Speed を調整する場合は当 然もう片ほうの手で Thrust 調整します。 照明の調整 人間の目は明順応は速いのですが、 暗順応は 意外に時間がかかります。 夜間での出発準備 中には、 作業のし易さを考慮して Block Out あたりまで Cockpit の照明を比較的明るく していますが、 ペーパーワークが終わったら 出来るだけ早く照度を落としたいものです。 図のように15分くらいで概略順応するのです が、 そこから30分までの間、 ゆっくりと時間 をかけて完全に順応していきます。 夜間の離陸上昇中に計器が明るく感じてくる のはこのためです。 出来るだけ周囲の暗さに合わせて照明を落と せば闇夜の Cb も見えてくるものです。 B777 な ど の 、 最 近 の 機 種 で は PFD (Primary Flight Display) に Control に最も必 要な Flight Instrument が ADI を中心とし てコンパクトに配置されおり、 Navigation に必要な情報は ND (Navigation Display) に大きく見やすく表示されていて、 非常に効 率よくスキャンができるようになっています。 −目をこらせ 闇夜の中でも 雲見える− 【スキャン】 スキャンのパターン フライト全体のスキャンの対象は、 操縦室内 と Outside です。 次の図のように、 計器のスキャンのパターン は旧来のレシプロ機からハイテクの B777 ま で、 ADI (Attitude Display Indicator) を 中心としたT型配置が基本形です。 ADI の 周囲の速度計、 高度計、 HSI をスキャンし たら必ず ADI へ戻ってくることになります。 しかもスキャンはじっと見るものではありま せん。 常にチラッと見たらすぐ次の計器や Outside へと移っていかなければなりません。 −フライトは 目配り・気配り タイミング− また、 Speed Trend Vector や Position Trend Vector で、 変化のトレンドも表示されます。 −操縦は 姿勢と速度の コントロール− 一般にシミュレーター慣れした、 経験の浅い パイロットほど、 Outside のスキャンが少な いようです。 中には Visual Approach なの に HSI に目がくぎ付けになってしまってい るパイロットを見かけますが、 本末転倒とい うほかありません。 トレンドの把握 機体の動きや飛行諸元の変化の傾向をトレン ドと言いますが、 スキャンの目的はまさにト レンドの発見にあります。 トレンドをはやく 2009 JUL 31 発見し、 早めに小さな量で必要な修正操作を することで、 機体は大きく乱れることなくコ ントロールできます。 スキャンの速度 筆 者 が 2,000 時 間 ほ ど の Copilot の こ ろ 、 B747 から DC10 への移行と ATR の取得の 訓練中、 とある教官に“もっと早くスキャン しろ!”と叱咤された経験があります。 私は 戸惑って目を白黒させ 「眼の動きの速くなる 目薬はないものか?」 と悩んだものです。 −スキャンして 何もつかめず 目が白黒− 【センサー】 人間は五感といわれる感覚器官 (センサー) を持っています。 視覚 日常生活同様、 パイロットの情報取得および 認知において視覚から圧倒的に多くの情報を 得ています。 航空機に搭載されている飛行計器は鳥のよう に優れた空中感覚を持っていない人間に、 数 字で飛行に必要な情報を与えてくれています。 スキャンの対象を正しく理解・認識していて も、 スキャンのスピードが適切でないと情報 をうまくつかめないことになります。 特に、 Approach Landing Phase では、 素早いス キャンときめ細かい操作が必要となります。 スキャンの工夫 飛行時間の少ないパイロットやベテランでも 新しい機種へ移行したりする、 「慣れていな い」 間は、 スキャンの速度が遅いのはむしろ 当然のことです。 我々はしばしば短い訓練時 間で試験に合格しなければなりません。 それ には標準的スキャン・パターンにさらなる工 夫が必要となることもあるでしょう。 習熟す れば簡単なことも、 不慣れなあいだは汗だく ものです。 経験が積み重なりその飛行機に慣れてくると スキャンが速くなり、 素早く情報を得ること が出来るようになります。 そうなれば Management 面でも余裕が生じ、 次々と Good Judgment を下せるようになるわけです。 −スキャンにも 工夫が必要 ハイテク機− 32 2009 JUL ドイツの飛行家リリエンタールは実験飛行の 最中に墜落し 犠牲は捧げねばならぬ (つき ものだ) と言ってのけて絶命したそうです が、 その当時対気速度計が発明されていて、 失速の概念が確立していればリリエンタール は命を落とすことはなかったでしょう。 それ にしても当時の先人のパイオニア精神は見上 げたものです。 聴覚 パイロットは視覚以外の情報も利用していま す。 耳から入る情報や体で感じる情報があり、 さらに経験や知識から予測できるトレンドも あります。 エンジン音やエアコンの音など、 機体に慣れるにしたがって、 いつのまにか操 縦操作の Reference として利用しているも のもあります。 慣れてくると、 忙しい Approach Phase でもエンジン計器に目配せし なくてもだいたいの Thrust 量は分かるよう になるものです。 加速度センサー、 空間識別能力 人間の空間識は鳥にはかないません。 人間はGメーターのように正確なGの値を計 測することは出来ないのです。 しかし、 第1 回の岩瀬顧問の説明にもあったように、 Flight Path や Track が変化する時には必 ず加速度が働いているわけですから、 逆にG の変化を感知すれば、 計器に現れる前に変化 を察知できるわけです。 実際にジェット気流 の中を上昇、 降下している時にGの変化を感 じて FMC の風を見ると Wind shear の存在 に気がつくことは我々が日常的に経験してい る こ と で す 。 ま た 最 近 の VSI (Vertical Speed Indicator) は IRS からのGのシグナ ルをうけていますので、 体で変化を感じたら VSI に目を配ると発見が速くなります。 −加速度の センサー磨いて らくらく操縦− 人の感覚器官は大いにフライトに役立つもの です。 センサーには耳石と三半器官による加 速度、 傾き、 回転を検知する機能があります。 計器のみに頼らず、 Low Visibility でない 限り Oude Side を Scan に含め、 空中感覚を 意識して、 機体と一体感を持って操縦技量の 向上に努め、 空地を問わず、 このセンサーを 磨く努力をしましょう。 −Outside ADI より 良い計器− その他のセンサー 上記のほかに、 人間の五感に触覚、 嗅覚、 味 覚などがありますが、 これらの感覚も時に役 立つことがあります。 どんな効用があるか考 えてみるのもおもしろいでしょう。 【操舵】 航空機は3次元の空間を飛行するわけですが、 この空間で機体の姿勢を制御・保持するのが エレベーター、 エルロン、 ラダーの3舵です。 我々は3舵を操作して、 図のように機体の3 軸に回転力であるモーメントを与え姿勢を Control していることになります。 操舵の Smoothness と Quickness 不必要に急激な操作をすると、 機体に大きな Air Load が掛かることになります。 Kennedy 空港を離陸した A300 が Wake Turbulence に遭遇し、 急激な Rudder 操作をした為に、 垂直尾翼が破壊して墜落した事故は極端な例 ですが、 通常フライトでも操縦の操舵のスムー ズさは、 お客様の快適なフライトにつながり かつ無駄な Load Factor を避ける事によっ て Fuel Save にもつながります。 飛行諸元 の数字を変化させない事だけにこだわって、 ラフな操舵をするパイロットがいますが、 必 要に応じたクイックな操舵とは全く意味が違 います。 逆に、 ゆっくり過ぎるルーズな操舵はスムー ズなそれとは違います。 Rough Air 中での 離着陸でスムーズな操縦をしていたのでは間 に合いません。 そういう時は Positive Control (積極的操舵) を心がけなければなりま せん。 また、 地面が近づくと不必要に Aileron を 「Shake」?するパイロットも見られますが、 無駄な Rolling and Yawing と Drag を生じ るだけで、 これも感心しません。 昔の古参パイロットも言っていました“飛行 機に半分仕事をさせろ”…と… 2009 JUL 33 飛行機の本来持っている 「安定性」 と 「操縦 性」 を理解して 「無駄な労力」 のない効率的 な操縦を心がけたいものです。 それが結果的 に快適な乗り心地となり、 お客様の安心感に もつながります。 −忘れるな 後に乗客 乗っている− 【トリム】 人間の脳は、 体の筋肉のどこかに不自然な力 が入っていると、 何パーセントかは脳の働き がそちらへ取られ、 スキャンの速度が遅くなっ たり止まったりします。 例えば気がかりな事があったり、 迷いがあっ たりすると、 プロゴルファーでもスイングが 乱れミスショットにつながります。 日常生活 においてもやはりふだんやらないような忘れ 物をしたり、 物にぶつかるなどのミスをして しまいます。 これは Task をこなすための脳の Capacity が狭まっているためと考えられます。 したがって飛行機の操縦においてはトリムを きれいに素早く取って肩や腕の力を抜いて、 常に次の変化に備えができていることで余裕 が生じ、 うまい操縦につながります。 −操縦の うまさ示す Elevator トリム上手− Trim B777 では Stabilizer Trim Switch を一回ク リックするだけで舵圧がニュートラル (Speed Trim) になってしまいますが、 機種 によっては与えた舵圧を半分ずつ抜くような 操作が必要な場合もあります。 いずれにせよ、 数回繰り返し、 だいたい取れたかなと思った ら、 手の力を抜いて機の動きをしばし Watch すると良いでしょう。 Yaw 軸と Roll 軸のトリム Yaw 軸と Roll 軸のアンバランスは互いに影 響を与え合います。 たとえば Roll 軸 (Aileron) のトリムを先に 34 2009 JUL 取ってしまうと、 左右の Aileron の Deflection の差のため、 どうしても左右の主翼で Drag が非対称となりあらたに Yawing が生 じてしまいます。 そして Rudder Trim を過剰に取らざるを得 なくなり、 この Side Force にバランスさせ るにはまた Aleron Trim を取ってバンクを させざるを得なくなり、 トリムを取ったが為 にかえって Drag が増加し Fuel Consumption も増加するということになります。 (次 図の例) したがって Yaw と Roll で は 左 右 の Fuel Balance と と も に Thrust を そ ろ え 、 Yaw 軸から先にトリムを取るのが基本です。 Yaw 軸と Roll 軸のトリムが取れていないと 見かけの重力が狂っているため傾いているよ うな錯覚をおこし、 無意識に Aleron を操作 してしまい、 常にバンクが細かく変化して安 定しません。 見かけの重力に違和感を感じたら左右の Thrust を そ ろ え て 、 Wing Level に し 、 Heading が変化するようであれば Heading が変わらないように Rudder Trim を取りま す。 このとき見かけの重力を表す Ball がセンター かどうかも参考になります。 次に Wing Level に注意しながら Aileron の 舵圧を抜くように Aileron Trim を取ります。 最後に各舵の力を抜いてまっすぐ飛行するの を確認します。 −Rudder Trim 取ってはじめて Aileron Trim− 「ハートで飛ばそう!」 1 Fly with Airmanship ! の宿題 C*(シースター)、C*u(シースターユー) いったい何だ? 運航技術委員会 Q:A320 のC*って、 どんな星ですか。 A:パイロットからは見えないブラック・ホー ルです。 飛行機の操縦系統のブラック・ボック ス中に組み込まれた、 縦の制御則ソフトウエア の一つのパラメターと言われていますが、 易し く解説した文献は見当たりません。 Q:エアバス社が考えだしたものですか。 A:この概念はボーイング社の2名の技術者 (Malcom と Tobie) が1965年に提唱したもの ですが、 旅客機で最初に採用したのが、 皮肉に も FBW 機である A320 というわけです。 Q:A*とかB*はないんですか。 A:ありません。 何かを合成する (Composite) ということで、 C*としたとの説もありま す。 彼らが、 混ぜ合わせる (Blend) という言 葉を思い出していれば、 B*だったかもしれま せん。 Q:C*の意図するところは何ですか。 A:縦の操縦性の良否を判定するための、 新し い基準 (Criterion/複数形は Criteria) とし て提唱されたものです。 Q:縦の操縦性とは? A:エレベーター操舵により、 機体のピッチ姿 勢を変化させた時の、 機体の応答の良し悪しと、 操舵力と発生するGの比 (Stick Force per G; Fs/g) が適切かどうか等を言います。 Q:安定性・操縦性という言い方をよく聞きま すが。 岩瀬 健祐 A:Stability and Control の日本語訳が、 安 定性・操縦性です。 通常セットで使われていま す。 Control は Controllability とも言うよう です。 Q:安定性について判り易く解説してください。 A:航空機の安定性は、 釣り合いのとれた状態 から、 外乱により機の姿勢や諸元 (速度・高度・ 方位等) がズレた時、 元の状態に戻ろうとする か、 あるいは時間がたつにつれて、 どのように 変化するかの傾向 (収斂・発散・周期・振幅等々) から判断します。 Q:安定性はどのように分類されていますか。 A:安定性は、 大きくは、 縦と、 横・方向の安 定性に分けられます。 時間に無関係な傾向をみ るのが静安定、 時間経過でどのように変化する かをみるのが動安定と言われています。 P. 37 の図を参照下さい。 現実には、 外乱の代わりに、 パイロットの操舵によって、 釣り合いを崩して 判定します。 Q:操縦性についても、 少し説明して下さい。 A:操縦性は、 パイロットが航空機を操縦する 時の、 操縦の難易度 (操縦のし易さ) のことで、 安定性判別のパラメターや、 操舵の結果として 航空機にかかる荷重や姿勢の変化率、 操舵力等 の各種パラメターを参考に判断します。 これらのパラメターは、 本来パイロットに無 関係なデータですが、 操縦性の判断には、 パイ ロットの主観が入ります。 Q:主観が基準では10人十色になりませんか。 2009 JUL 35 A:その通りです。 航空機の型式、 飛行のフェー ズ、 飛行形態、 飛行任務等によって、 さらにパ イロットによっても評価が変わっても不思議で はありません。 そこで、 テスト・パイロットが テスト対象機を評価する際の観点を定義づけた ものに、 Pilot Rating という10段階のスケー ルが工夫されました。 Q:具体的にはどんなものですか。 A : Cooper Harper Rating あ る い は Pilot Opinion Ratings とも言われています。 紙面の 都合で、 P. 42に示しますが、 提唱された当時 から様々な議論を経て改良され、 現在は世界中 のテスト・パイロットが使っている物差しです。 Q:安定性と操縦性は両立するものですか。 A:安定性と操縦性には密接な関係があります が、 一般的には相反するものです。 たとえば、 静安定が非常に強い場合、 操縦が難しく、 操縦 性を追求しすぎると、 安定性は悪くなります。 Q:簡単な例で説明してください。 A:たとえば、 縦の静安定性では、 トリムのと れた状態から速度を増減するときに必要なエレ ベ ー タ ー 操 舵 力 が 、 上 図 の よ う な Negative Slope の傾向を持っていれば、 縦の静安定が正 であるといいます。 勾配が強いと安定性も強い ことになり、 ピッチ姿勢を変化させるのに大き な力がいり、 操縦が難しくなります。 Q : Flying Qualities と い う 言 葉 と Stability and Control の関係は? A:Flying Qualities は飛行特性と訳され、 英 語では Handling Qualities とも言っています。 後者は、 特に航空機を操縦・操作するパイロッ 36 2009 JUL トから見た言い方だと思います。 安定性と操縦 性を示す各種データの包括的な言い方です。 Stability and Control は、 どちらかといえ ば、 学問的 (物理的) な呼称であり、 Flying Qualities は、 より実際的な飛行という視点で 安定性・操縦性をみた呼び方と言えるでしょう。 前述の Pilot Rating も Cooper-Harper Handling Qualities Rating Scale と書いてある文 献もあります。 (P. 42頁参照) 航 空 機 メ ー カ ー は 当 該 航 空 機 の Stability and Control のすべてのデータを含む Flying Qualities Document を 作 成 し 、 監 督 官 庁 や Customer である Airline に提示しています。 世界中で参照されているものに、 米空軍と海軍 が共同で作り上げた、 有名な“Military Flying Qualities Specifications, MIL-F-8785C ” (1980) があります。 メ ー カ ー で は 設 計 の 段 階 か ら 、 FAR や MIL-F-8785C を参考に、 自社の航空機に対し Flying Qualities Requirements (飛行特性要 件) を決めています。 興味のある方はインターネットで“Aircraft Flying Qualities”を検索してみてください。 Q:Stick Force per G を簡単に説明してくだ さい A : Maneuvering Flight の Pull Up ま た は Steady Turn において、 ⊿nZ =1gの垂直加 速度を発生させるために必要な操舵力 (Gメー ターのない機体では、 60度バンクの水平旋回を 維持する時の操舵力) を意味しています。 縦の 操縦性を評価する時参考にするパラメターです。 この Fs/g が大きすぎると、 パイロットは機 を思うように動かすためにはものすごい努力を 必要とし、 軽すぎる場合、 力を加え過ぎると、 航空機の Limit Load Factor を超える“g” をかけることになります。 従って、 航空機の種 類別に、 この Fs/g は許容範囲が決められてい ます。 Q:動安定の例を挙げてください。 A:一番ポピュラーなのは、 横・方向の振動的 動きをするダッチ・ロールでしょう。 縦の動安 定性では、 短周期モードが有名です。 トリムの とれた状態から、 エレベーターを操舵し特定の 運動にいれ手を放し、 その後機の速度、 高度、 ピッチ姿勢角が時間とともにどのように変化を するかを観察し、 振動的動きの周期すなわち固 有振動数ω n や、 振幅の減少の割合を示す減衰 率ζ等を求め、 安定性の良し悪しを判定します。 下図は短周期モードのピッチ姿勢角θの時間 変化を示したものです。 Q:C*以前の操縦性の判定基準は何だったの ですか。 A:飛行機のサイズがあまり大きくない時代に は、 飛行機の縦の操縦性の評価には、 縦の動安 定の短周期 (Short Period Mode) や長周期 (Long Period or Phugoid Mode) の縦揺れ運 動の、 機種固有の特性を表すパラメター (固有 振動数;ωnとその減衰率;ζ) でチャートを作 成し、 望ましい範囲を示していました。 多くの パイロットが操縦上の主要な Cue として Fs/g を感じながら操縦して、 短周期モードの評価を した結果、 バラつきが下図の Thumb Print の 範囲におさまるようだとの総計的な処理で許容 範囲が決められました。 (単位はlbs/g) Q:Short Period Mode はどのような運動です か? A:速度一定と考えられる、 迎え角αとピッチ 姿勢角θの変化する、 短周期 (数秒) の運動で す。 垂直突風を受けた時の動き、 あるいはエレ ベーター操舵によりピッチ姿勢が大きく変化す るような動きを言います。 垂直突風を受けた時 の機の動きがこの運動に相当します。 この振動的な動きの間、 パイロットは垂直荷 重の変化とピッチ姿勢の変化を感じます。 運動 の周期が早すぎるとPIO (Pilot Induced Oscill ation;最近は Pilot Involved Oscillation、 ま たはAPC;Aircraft Pilot Coupling とも言わ れています) に入り易く、 遅すぎると機の応答 は鈍いものとなります。 シミュレーターの中で、 トリムのとれた状態 の機を、 エレベーターを急激に機首上げ又は機 首下げ方向に操舵し、 手を離すと、 振動的な動 きをするこの短周期モードの運動を見ることが できます。 Q:Phugoid Mode とはどのような運動ですか。 A:迎え角一定と考えられる、 長周期 (20秒か ら120秒くらい) の速度と高度のやり取りをす る運動で、 高度に対応するものは機体のピッチ 姿勢角θになります。 変化の間、 最高速度と最 低高度が対応します。 この動きは同じく、 シミュレーターのなかで トリムのとれた状態の機を、 静かに機首下げ又 は機首上げ方向にエレベーターを操舵して (例 えば⊿V=+20kts 又は−20kts)、 ゆっくりと 手を離すと、 高度と速度をトレードしながらの 振動的な運動として観察することができます。 Q:CAP というパラメターを参考に操縦して いると聞いたことがありますが、 何ですか。 A:パイロットのかぶる帽子のことではありま せん。 頭の中の内耳で感ずる角加速度も、 操縦 時の重要な Cue として一役買っていることを考 慮した、 縦の操縦性の評価基準パラメターとして 2009 JUL 37 提唱されたのが、 CAP (Control Anticipation Parameter) と呼ばれるものです。 ピッチ姿勢 の角加速度を、 発生するGで割ったパラメター で、 戦闘機等の操縦性判定にはよく使われてい ます。 Fs/g に対し、 Angular Acceleration per G と言えるものです。 (単位は rad/sec2/g) のです。 大きな流れとして見ると、 操縦性の判定基準 としてパイロットが参考にしたCueは、 Fs/g⇒ CAP⇒Fs/C*という変遷を辿ったと言えるの ではないでしょうか。 勿論現在でもこの3つ共 使われています。 Q:Blend するとはどういうことですか A:具体的には、 高速飛行時と低速飛行時を区 分する機種固有のクロスオーバー・スピード (Vco) を決め、 その速度以上では Nzp が、 そ れ以下の速度ではqが、 パイロットの操縦上の 主たる Cue という実感に合ったパラメターを 考え出したわけです。 数式で表わすのが一番理解しやすいので、 簡 単な数式で説明します。 Q:なんとなく判ります。 この CAP がC*です か。 A:いいえ、 違います。 安定性補償装置 SAS (Stability Augmentation System) が開発・ 装備され、 機体の固有振動特性を人工的に変え ることが可能となり、 従来のように機体の Bare (裸) の特性だけで操縦性を判定するこ とが、 非現実的なものになってきました。 戦闘機でも大型輸送機でも、 重心位置から操 縦席までの距離が比較的大きな機体が出現する と、 操縦席にいるパイロットは、 高速時にはピッ チ姿勢角θの変化率 (ピッチ・レイト) qで発 生する垂直加速度Nzcgを主たる Cue として操 縦をし、 低速時には、 qの変化率、 すなわち角 加速度による垂直加速度も感じながら、 qを主 たる Cue として操縦をし、 その航空機の操縦 性の判定をしていることが判ってきました。 そこで、 高速域と低速域でパイロットが主と して利用するCue (Gとピッチ・レイト) に着 目したのがC*だと言えます。 Q:別に目新しい着眼点とも思えませんが。 A:パイロットが操縦席で感じる垂直加速度 Nzpと、 ピッチ・レイトqに着目しその両者を Blend して決められた操縦性評価基準がC*な 38 2009 JUL C*=Nzp+(Vco/g)×q Nzp:Pilot 席での垂直加速度 Nzp=Nzcg+(/g)×(dq/dt) :重心から操縦席までの距離 Vco:Crossover Speed (A-320では210kts) q=dθ/dt=θ :ピッチ・レイト dq/dt=θ :角加速度 g:重力の加速後 (次元を合わせるため使用) Nzcg:重心位置での垂直加速度 Nzcg は、 機が Pull Up や Push Over のよ うな Maneuver をする時は、 遠心力の式 から求めることができ次のようになります。 Nzcg=(V/g)×(dθ/dt)=(V/g)×q 特定の機種のフライト全般にわたって、 この C*を基準にして縦の操縦性を多くのパイロッ トに評価してもらうと、 ばらつきが少なく似た ような採点になることが判りました。 逆の言い 方をすれば、 C*が有効な判定基準であること が証明されたのです。 Q:C* Control Law という言い方を聞きます が、 どういう意味でしょうか。 A:C*基準によって操縦性の良否を判定する なら、 設計の初期段階から、 C*基準を満足さ せ得るように操縦系を作ればよいという考えか ら 、 い わ ゆ る FCC (Flight Control Computer) のプログラムの中にC*を組み込んだも のを、 C*Control Law (C*制御則) と言って います。 Q:Control Law とは何を意味するものですか。 A:航空界では、 制御則と日本語訳がされてい ますが、 各種飛行条件下で、 自動操縦を含む操 縦系で、 機体をどのようなシグナルで、 どのよ うに制御するかというコンピュータ・プログラ ムということができます。 たとえば、 LNAV/VNAV の各種モードでの機体の動き は、 モードごとに組み込まれた Control Law に基づいているわけです。 しかし、 在来機では、 広い飛行領域の各点に おける操縦特性を、 設計者の思うままに作るこ とは極めて難しく、 それが可能となるには、 コ ンピューターの高性能化、 FBW 等の新技術の 出現を待たなければならなりませんでした。 そして、 ジェット旅客機では A320 が初めて FBW を採用し、 縦の制御則にC*が組み込ま れました。 当初、 エアバス社は、 Stall Protection や Over Speed Protection 等の各種保護 機能を含め、 C*Control Lawという説明をして いましたが、 実際には、 縦の操縦系全体のなか の一部に関連する Control Law でしかないの です。 現在は、 C*Control Lawという言い方 はせず、 全体を表す言葉としてNormal Control Lawと呼んでいます。 Q:A-320の操舵感覚は、 在来機とくらべてど のように違いますか。 A:まず、 Control Wheel でなく Sidestick で あるということが大きな違いでしょう。 Stick の可動範囲は Pitch も Roll も非常に小さく、 Stick Force は、 Stick のグリップを動かす時 の Spring Force で、 Control Input はその力 に比例し、 それが Command Signal になって います。 概念的に表現すれば、 すべての飛行状態で、 Stick Force/C*が一定になるように、 次頁の A320 FLIGHT CONTROLS SCHEMATICS のブラック・ボックスの中に、 プログラムされ ています。 それによってパイロットの操舵入力 が調節されます。 例えば、 操舵量が一定であれば、 高速域では Gが、 低速域ではピッチ・レイトが主たる Control Objective (操縦の目標) となるとい う感覚です。 そして、 操舵力がゼロの場合には、 Path が維持されるというロジックになってい ます。 (参考) A-320の Stick には Feedback は なく、 左右もメカニカルに繋がっていませ ん。 両方で同時に操舵すると、 操舵量は代 数和になります。 ただし、 その代数和は片 方の Stick の最大操作量に制限されます。 Takeover のためには自分の Sidestick の Hand Grip にある Takeover Button を押 す 必 要 が あ り ま す 。 Glareshield に は SIDESTICK PRIORITY Light があり、 どちらが Takeover したか判るようになっ ている。 (詳細は AOM 参照下さい) 以下は、 Airbus 社から入手した昔の関連グ ラフから、 説明を試みた内容です。 具体的には、 Autopilot OFF でトリムのと れた状態からエレベーターを約5秒機首上げに 一定の力で操舵し、 手を離すとします。 ピッチ 姿勢は一定のピッチ・レイトで機首が上がり、 手を離した (力を抜いた) 時のピッチ姿勢を維 持し、 結果として Flight Path も機首を上げた 角度だけ上向きになり、 手を離した時の Path を維持します。 この間、 エレベーターは、 Side Stick から手 を離しているのに、 勝手に Flight Path を維持 するように、 言いかえれば、 ピッチ・レイトを Zero にするよう若干の頭下げに動きます。 こ 2009 JUL 39 のような舵面の動きは Yaw Damper がパイロッ トには無関係に Rudder を動かすのと似ていま す。 また、 正面から20kts、 2sec の Gust が吹い た時は、 Airspeed のみが増え (CAS のグラフ では20kts 弱)、 ピッチ姿勢角も高度もほとん ど変わらないという現象を示します。 速度は時 間とともに静かに元の値に戻ります。 自分の乗務している飛行機で、 似たような操 舵をすると、 どうなるか考えてみてください。 Q:B-777のC*uと A-320 のC*との違いは何 ですか。 A:ボーイングでは、 B-777 の設計にあたり操 縦系統に FBW を採用しました。 ただし A-320 のような Side Stick ではなく、 従来の機種と 同じような Control Wheel と Control Column を採用しています。 Control Law にはC*に工 夫を加えたものも組み込んでいます。 それを式 で表すと次のようになります。 C*u=C*+Kv・⊿V C*=Nzp+(Vco/g)×q 40 2009 JUL (Vco=237kts) Kv:Speed Stability を決める重み係数 ⊿V:Trim Reference Speed との速度差 注:uは速度Vのピッチ軸 (前後軸) 方向の 成分を表す時に使用されます。 A-320のパイロットたちの、 操縦系統に対す る当初の不満は、 Trim 状態から速度が増減し た時、 在来機のような縦の静安定のフィードバッ クである操舵力が感じられないことでした。 そ れを解消するために、 上式の第2項のように、 Trim Reference Speed に対する速度の差に応 じた力を、 Artificial Feel System で与える工 夫をしてあります。 10kts の速度差に対し3lb s の操舵力が必要なようになっています。 これ によって、 在来機の操縦に近い感覚をパイロッ トが持つことができるようになりました。 A320 と同じようなパイロット・インプット をしたとすると、 B777 ではどのような動きを するか Boeing から入手した古い資料をもとに 説明します。 まず、 Trim の取れている状態から Control Column を Pitch Rate が毎秒1°機首上げに なるよう、 一定の力で5秒間引き手をはなしま す。 すると、 機首は約5度頭上げとなり、 Flight Path も1∼2秒おくれで5度機首上げ に近づきますが、 Elevator は手をはなした後、 操舵していないのに、 静かに機首下げ側に動き、 ピッチ姿勢角も、 Flight Path も元の Trim 状 態に戻るように動きます。 (在来機に比べて、 より迅速に元の状態に戻ろうとします。) 減らすために徐々に機首上げとなり、 同時に高 度も上昇にうつります。 速度の減少とともに途 中から徐々に機首を下げはじめ、 減り過ぎた速 度を元の状態にもどそうとします。 この動きは、 縦の長周期運動に似ていますが、 速度、 高度、 ピッチ姿勢の位相差が、 必ずしも長周期運動ほ どきれいに対応していません。 たぶんC*uの ためだと推察されます。 次に正面から、 20kts の突風が、 2sec 吹いた 場合を考えます。 速度は CAS でのグラフでは 20kts 弱増加しますが、 ピッチ姿勢角は速度を 下の図はこの記事を書くにあたり、 多くの資 料を参照して単純化した、 A320 と B777 の操 縦系統の概念図です。 どの Box に、 C*やC*u が隠れているのか見つけてください。 FMGS:Flight Management Guidance System ELAC:Elevator Aileron Computer FAC:Flight Augmentation Computer SEC:Spoiler Elevator Computer THS:Trimmable Horizontal Stabilizer 点線:Direct Law 2009 JUL 41 PFC をサポートする Computer には、 AFDCの他に下記のようなものがあります。 EICAS:Engine Indication and Crew Alerting System FSEUs:Flap Slat Electronics Unit AIMS:Airplane Information Management System ADIRU:Air Data Inertial Reference System SAARU:Standby Attitude and Air Data Reference Unit PSAs:Power Supply Assembly FBW 機でない在来機種でも、 実は一部のシステムについてだけ見ると、 FBW が組み込まれている のです。 古くは、 Series Yaw Damper、 各種 SAS、 Autopilot の CWS mode、 FMS の各種 mode、 FADEC 等々に見ることができます。 それぞれのシステムが独自の制御則を持っており、 それらを 総合的に組み込んだのが、 B777 の場合 PFC です。 コンコルドも FBW だったと言う人もいます。 “FLY THRU COMPUTER”の時代を、 安全に効率的に飛行を遂行するには、 経験を分かち合 う努力も必要です。 以下、 例によって航空575です。 「フライトに 100点付ければ 進歩なし」 「FMA モードの変化を 先読みせよ」 「フライトも 心技体+ タイミング」 本稿の執筆にあたり、 多くの関係者に貴重なコメントをいただきました。 誌面を借りて心より御 礼申し上げます。 読み終わった読者からの 「C*って何だ?」 との声が聞こえるようです。 そう言 うあなたは、 迷パイロットです。 「C* なんだか判らず 快適操縦」 という無関心派パイロットに、 ほんの少しでも関心を持ってもらえたらと、 かすかな期待を抱きつつ、 ワープロ作業を終わります。 (岩瀬) 42 2009 JUL GA:ジェネアビ情報 第 1 回 韓国 国際スカイレジャーEXPO. 奥貫 5月に韓国の京畿道 (キョンギドー) で開催 された、 第1回国際スカイレジャー EXPO に 参加してきました。 京畿道はソウルの南方に広がる広大な地です。 この地を韓国の小型機の活動及び振興の拠点と すべく、 今回の開催になりました。 その目玉に FA200 のアクロ飛行が据えられ、 韓国/日本 の AOPA 経由 NPO Super Wings に飛行展示 の依頼が来たものです。 とはいえ韓国に飛行可能な FA200 はありま せんから、 九州は熊本の Super Wings の機体 を空輸しての参加となりました。 5月1日を移 動日として、 金浦国際空港経由、 計4時間のフ ライトで現地入りし、 2日、 3日、 4日の午前・ 午後と、 計6フライトのアクロ飛行展示です。 韓国では初公開となる日本製 FA200 のアク ロ飛行ということで、 大変な興味を持って見ら れ、 飛んでみたら大騒ぎになってしまいました。 韓国には民間小型機のアクロ飛行活動が存在し ないため、 珍しいことであったのでしょう。 それにしても、 すぐお隣の国なのに、 これま でフライトに関する交流は殆ど無かったのです が、 こうして喜んでいただいて 「来年も」 など と言われると、 根が単純ですからすっかりその 気になってしまいます。 では、 韓国のスカイレジャー EXPO を通じ てかいまみた、 韓国のジェネラル・アビエーショ ンの状況を紹介します。 尚、 細部の内容、 数字等につきましては、 こ のイベントに関係するホームページ等の情報を 利用させていただきました。 博 韓国と日本の AOPA 今回の FA200 飛行展示の話は、 韓国 AOPA (Aircraft Owners and Pilot Association) か ら日本の AOPA を経由して持込まれました。 3月の NPO Super Wings の着陸競技会の 時に、 日本 AOPA の畑仲事務局長から電話で 「5月に韓国で FA200 のアクロをお願いできま すか?」 というものでしたが、 「いいですよ」 と返事をしておいたのが始まりでした。 韓国と 日本の AOPA の交流実績と、 電話で事が済む 空の仲間の信頼関係が、 この遠征の背景にあり ました。 そのような訳で、 日本 AOPA からは青木団 長以下計5機が地上展示兼体験飛行用としてフ ライイン。 そしてアクロ飛行展示用には、 三好 団長以下 Super Wings の FA200 が2機参加 しました。 お世話になった日本と韓国の AOPA の皆様 2009 JUL 43 日本からフライインした AOPA の機体 韓国遠征とはいえ、 世界一周飛行の実績を持 つ日本 AOPA の皆様に手続き等は一切お任せ。 また、 韓国に降り立った後は、 韓国 AOPA の 皆様にこれまた全てお任せ、 というものでした から、 何ら不安無しに、 現地での FA200 のア クロ展示飛行に専念することが出来ました。 また、 急な話で英語証明が間に合わなかった のですが、 AOPA の人脈で、 エアライン・キャ プテンに助っ人として参加いただき、 この遠征 が実現した事を申し添えておきます。 韓国と日 本の AOPA の皆様には、 本当にお世話になり ました。 現在、 小型機の航空の愛好者は、 海外で訓練 を行い、 国内では、 主に軽量飛行機での飛行を 楽しんでいるのが現状です。 条件等が整えば、 国内のレジャー航空、 及び 航空スポーツは、 急激に発展することが期待さ れます。 従って、 早急に法整備を推進し、 飛行 の環境を整えることが望まれます。 今回の開催地の京畿道は、 レジャー航空の技 術と航空関係者の世界化を宣言します。 京畿道 には韓国の 「ゴールド・コースト」 とも言われ る西海岸一帯があって, 国内で最も多いレジャー 航空人口が、 活発な航空活動を展開しています。 今回の5月に開催の 「2009 国際スカイレ ジャー EXPO」 では、 航空産業やレジャー航 空に対する関心を集中させ、 関連法と制度の改 善ができるように、 働きかけて行きます。 それ により航空の成長の基盤を築き、 航空関係者を 始め、 子供と青少年たちに蒼空の夢と希望を与 えることが出来るようにして行きます。 航空産業の発展は、 私たちの未来を拓きます。 「2009 国際スカイレジャー EXPO」 を通じて、 航空関連産業の成長基盤を築き、 新しい空の世 界の開拓と、 雇用の拡大を目指しましょう。 そ してこのイベントに参加の全ての皆様の夢と希 望を、 蒼空に描きましょう。 開催の目的等 このイベントは、 韓国のスカイレジャーの振 興を、 京畿道地区を拠点として推進しようとす るためのものです。 その趣旨及び目的等につい て、 開催地、 京畿道の金文殊 (キム・ムンス) 知事は、 以下のように述べています。 世 界 の レ ジ ャ ー 航 空 市 場 の 規 模 は 32 兆 8,500億ウォン! (約2兆5,000億円)。 韓国内 のレジャー航空愛好者、 マニア達の潜在人口は 約15万5千余名と推定されます。 韓国のレジャー航空の技術力と関係者の力は 世界的に遜色ないレベルにあると思われるもの の、 訓練環境、 関連制度、 及び法整備がまだ十 分ではなく、 体系的な発展についてはこれから の努力が必要な状況です。 44 2009 JUL イベントのポスターと京畿道の場所 超え、 規模は異なるとはいえ、 米国の EAA オ イベントの内容 このイベントの開催は5月1日から5日迄で したが、 エアショーは2日のオープニング祝賀 飛行からスタートし、 以降、 以下の内容で実施 されました。 ・オープニング飛行 超軽量動力機による編隊飛行 ・エアショー (午前) パラグライダー ラジコン飛行機 FA200 エアロバティックス飛行 (日本) 農薬散布機展示飛行 パイオニア・チーム編隊飛行 (イタリア) ・体験飛行 超軽量動力機による体験飛行 1日60人、 1人10分間 ・エアショー (午後) 内容は午前と同じ ・体験飛行 超軽量動力機による体験飛行 その他、 白バイ、 海兵隊軍楽儀杖隊パレード、 紙飛行機飛ばし、 熱気球体験搭乗、 吊り下げハ ング・グライダー体験搭乗、 凧揚げ、 絵画、 作 文コンテスト、 航空機組立て分解組立実習等が 終日実施されていました。 この航空機組立て分解組立実習は3チームに 分かれ、 主翼と胴体、 それぞれの航空機構造、 使用材料、 作業手順、 工具の種類とその使い方 と、 安全確実な作業手順の教習を含む、 本格的 なものでした。 また、 紙飛行機の製作及び飛行は、 単なる遊 びではなく、 飛行の原理と基本を学びつつ、 所 定のラインを目標地点まで飛ばす、 教育的な側 面を持ったものでした。 巨大な2棟のテント内では、 これらの様々な イベントの他、 軍関係等の展示や、 様々な航空 関連産業の商談等が行なわれ、 パラグライダー では、 大きな輸出販売契約がまとまったとの話 も伝えられています。 これらは、 日本のスカイレジャージャパンを シコシのフライイン等にも匹敵する意気込みが 感じられるものでした。 このような航空イベントでしたが、 日本から の熊本 Super Wings の FA200 の演技は、 唯 一のエアロバティックス飛行ということで、 大 変な驚きと感激で迎えられました。 ではその飛行イベントの内容を順を追って紹 介します。 祝賀飛行に向う超軽量動力機 超軽量動力機の非常に安定した飛行 モーターパラグライダーの飛行 2009 JUL 45 会場を沸かせた FA200 のアクロ飛行 女の子の体験飛行 農薬散布機 AT-502 のデモ飛行 続いて男の子の体験飛行 パイオニア・チームの編隊飛行 ショーアップされた内容でした 46 2009 JUL モーターハングの展示 ヘリコプターの展示飛行 超軽量動力機と ライトスポーツ飛行機 (LSA) 今回のイベントにおいて、 韓国のこの分野は かなり進んでいるとの印象を受けました。 超軽 量動力機は非常にしっかりとした作りのものが 多く、 国内でのクロスカントリー飛行も行なわ れているとの事。 また運用の許容範囲も広く、 このイベントでも10機以上の超軽量動力機が、 毎日60回にも及ぶ10分間の体験飛行に利用され ていました。 飛行は非常に安定していて、 技量 の高さが感じられました。 次にライトスポーツ飛行機 (以下 LSA) で すが、 会場内には数多くの機体が地上展示され ていました。 聞いてみたら、 米国等、 先進の諸 外国と同様な運用を可能とさせる航空法がすで に国会を通過していて、 この先半年以内には、 LSA 機としての自由な飛行が可能になるとの 事です。 この分野では、 日本の先を行かれてし まいました。 LSA の FM250 超軽量動力機も自由な飛行が可能 その代わり、 韓国には、 N, U, A類の小型 の飛行機の数がごく限られています。 いわゆる、 陸上単発機は以下の状況です。 LSA の TL-2000 LSA の JABIRU 韓国の陸上単発機の総登録状況 Cessna 49 Piper 18 Mooney 7 Fuji(FA-200) 4 その他 27 合計機数 105 この表は、 登録された総機数ですから、 既に 用途廃止されてしまった機体も含まれています。 またその登録者は、 使用事業、 航空学校、 その 他法人等に限られています。 日本のように、 個人名義での、 自家用目的の 飛行機の所有は無いのです。 機種としては、 やはりセスナが圧倒的多数を 占め、 次いでパイパー、 ムーニーの順です。 な お、 表には4機の FA200 が見られますが、 残 念ながら、 現在は飛んでいないとの事。 2009 JUL 47 このイベントのための特設会場 会場でただ1機見かけた C172 最新の登録機 Cirrus 韓国は、 このような状況ですから、 陸上単発 機で自由に飛べる状況ではありません。 その代わりに、 超軽量動力機や LSA 機が自 由に飛べるような法や制度の整備の推進が必要 であったということなのでしょう。 この地は、 平地のモータースポーツ用施設で あったとの事で、 広大な面積には、 多くの機体 を並べることが可能です。 ただ、 滑走路両側のすぐ近くまでが観客エリ アですので、 FA200 のアクロでは、 その実施 場所について、 調整を要しました。 その結果、 会場西側の、 道路を隔てて隣接した川の上空で アクロを実施し、 最後の水平直線飛行のローパ スのみは、 滑走路上で実施となりました。 この、 川のある西側は、 障害物や人家等が全 く無い広大なエリアですので、 その気になれば、 エアロバティックス競技会等も、 問題なく実施 できるでしょう。 空のイベントの開催地として は、 なかなか、 可能性の大きいエリアと思いま す。 滑走路の脇に特設スタンドでも設置すれば、 最適のスカイイベントエリアとして利用できる かもしれません。 イベントの会場 このイベントは、 今回特別に設置された会場 で実施されました。 滑走路は17−35、 長さ600 m のものが会場内の西側寄りに設置され、 そ の西側は主に飛行する機体の展示場と売店、 食 堂テント等が並び、 滑走路東側の広大なエリア は、 飛行機、 超軽量動力機、 ヘリコプター等の 展示の他、 巨大な2棟の屋内展示用のテントが 設置されていました。 ハング・グライダー等の体験搭乗、 凧揚げ等 は東側のエリアで実施されていました。 滑走路 を挟んだ東西のエリアは、 トンネルで連結され、 自由な往来が可能でした。 48 2009 JUL 滑走路西側の展示エリア 右側に滑走路、 その手前に展示機が並び、 左側には 各種ブース、 食堂テント等が並んでいます。 会場東側のエリア ヘリコプターの地上展示もありました おわりに 今回のイベントは、 なかなかの人気であった ようです。 大人約250円、 子供約150円、 ファミ リー約450円の有料イベントなのですが、 聞い たところでは、 事前予約の発売開始10日で6万 枚が売れ、 安全確保のため入場者数を30万人に 制限したそうです。 無料の体験飛行が人気であっ たようですが、 屋内での様々なイベントも好評 でした。 またうれしいことに、 FA200 のアクロの展 示飛行は大変に好評で、 様々な驚きの目で見ら れたようです。 ひとつは普通の飛行機に見える 機体での、 韓国では見たことが無いようなアク ロ飛行であったこと、 また飛ぶことを職業とし ないアマチュアパイロットが、 ボランティアで 日本から飛んできて、 アクロの展示飛行を行なっ たことです。 この様な航空文化は、 まだ韓国に は存在しないとのことです。 韓国にも数年前までは航空学校に飛行可能な 4機の FA200 が存在していて、 今回その関係 者にもお会い出来ましたが、 この様なアクロ飛 行は、 これまで見たことがなかったそうです。 「今回は本当に驚いた」 と感激されていました。 日本にいるとなかなか気付かないのですが、 こ のようなことが出来るのも、 日本の、 ひとつの 航空文化なのです。 冒頭にも述べましたが、 今回の遠征は、 韓国 と日本の AOPA の友好及び信頼関係で実現し たものです。 韓国 AOPA の Lee 会長は、 7機 もの機体の日本からのフライインについて、 京 畿道の主催関係者との調整を重ねられ、 実現を 図られました。 また、 FA200 でのアクロ展示 飛行についても、 日本 AOPA を全面的に信頼 され、 実現していただきました。 無事に終わってみれば、 京畿道をはじめ、 韓 国の皆様に、 韓国と日本の AOPA の心意気を 示すことが出来たと言うものの、 開催前は、 恐 らく胃が痛くなる思いであったことでしょう。 また、 韓国 AOPA の皆様の温かいおもてなし には、 心から感激をしました。 本当にお世話に なりました。 今回の FA200 のアクロが、 韓国 の子供達の心に残ることが出来れば、 それがせ めてもの恩返しといった心境です。 これを機会に、 韓国と日本の、 空の交流の一 層の前進が得られれば、 と思います。 韓国の有 志の方の、 日本での FA200 のアクロの体験飛 行も不可能ではないでしょうし、 何年か後に、 韓国の誰かが、 日本での展示飛行、 あるいは、 アクロの競技会に参加、 といったことも、 実現 が出来たら、 と思います。 また今回は FA200 の韓国遠征アクロでした が、 これが Deep Blues の室屋さんの Extra300、 または AIROCK の横山さんの Pitts のアクロ 展示飛行であったなら、 また別の大騒ぎになっ ていたことでしょう。 さて、 いくらお隣の国とはいえ、 そこは外国 ですから手続きは大変ですが、 この次は Super Wings 本来の編隊飛行と風船割り、 希望者へ のアクロ飛行体験等、 つい、 夢は膨らんでしま います。 さてどうなることやら。 2009 JUL 49 連 載 航 空 史 ● 曼 ● 陀 羅 その30. 華麗なる競演 2人のジャッキー 女性パイロットというと、 今の時代でも、 日 本では珍しいが、 第二次大戦時には日本および イタリアを除く欧米列強では、 多くの女性パイ ロットが軍事輸送業務に活躍しており、 ソ連は 戦闘機を駆って実戦にも参加していた。 第二次大戦開戦時、 イギリスでは政治家の娘 ポーリン・ガエアーが、 世界中の植民地から 100人以上の女性パイロットをかき集め、 空輸 補助部隊を編成した。 米、 カナダ、 オーストラ リア、 ニュージーランド、 南アフリカからもは せ参じ、 なかにはポーランドからの亡命者まで 加わった。 そして軍需生産工場から出てくる約 120機種もの軍用機の空輸をやってのけている。 アメリカでは、 これから述べるジャクリーン・ コクラン (Jacqueline Cochran) が組織作り に奔走したが、 これは後述する。 欧米での戦時の女性パイロットの活躍は、 当 然、 いろいろなドラマを生んだ。 表題の“2人 のジャッキー”とは、 前掲のジャクリーン・コ クランとフランスのジクリーヌ・オリオールを いう。 前者は女性ながら極貧から立ちあがった 一代の風雲児で、 アメリカン・ドリームそのも のであり、 後者は対照的にフランス旧家の生ま れで家柄もよく、 第二次大戦後のオリオール大 統領令息夫人である。 波乱な人生を送った対照 的な2人の生き様と、 運命の糸にあやつられて ライバルとなった両人が、 熾烈な飛行記録への 挑戦に凌ぎを削ったことにスポットをあててみ たい。 このような記録競争でのライバルは、 黎明期 の航空界では珍らしいことではない。 例えば、 50 2009 JUL 徳田 忠成 1929年、 アメリカ の女性飛行士ボ ビー・トラウト (17歳) とエリノ ア ・ ス ミ ス (23 歳) は、 米大陸の 東西両海岸、 カリ フ ォ ル ニ ア と ニューヨークで、 滞空時間記録を競 い合って大衆を喜 ジャクリーン・コクラン ばせたし、 女性に よる単独大西洋横断飛行に挑戦したルース・ニ コルスとアメリア・イヤハートは、 1930年代、 全米を沸かしたヒロインの双璧だった。 親の名前も知らないコクランは、 フロリダ州 北部のペンサコーラで生まれた。 生まれ落ちる と、 ほどなく孤児になり、 製材所の掘っ立て小 屋に住む貧しい夫婦に育てられ、 さらにジョー ジア州へ移ったが、 二度目の養父母も貧しかっ た。 いつ生まれたかも定かではない乞食同然の 生活で、 電灯も水道もなく、 勿論、 学校へも行 かず、 8才のころまでは靴もはいたことがなかっ たことが、 自伝 「昼間の星々」 に書かれている。 「8歳になるまで、 靴を履いたことがなかった。 洋服は小麦粉の袋でできていた。 ベッドは木の 床板だったから、 いつか、 必ず自分のベッドの けな げ 上で寝るのだ」 と、 健気に誓っている。 コクランの誕生日は、 1905年から1910年の間 で定かではなかったが、 のちに有名になった彼 女に、 国が例外的に“誕生日を与える”奇妙な 措置によって、 1906年5月11日となっている。 極貧から抜けだしたい彼女は、 生きる意欲と 独創力に満ちあふれた、 尋常ならざるエネルギー の持ち主だった。 近所の川でカニや小魚をとっ て飢えを凌いだこともあったが、 18歳になるの を待ちかねたように、 ジョージア州コロンバス の綿畑での仕事につき、 厳しい野良仕事に耐え ながら、 寸暇を惜しんで勉強した。 たまたまス トライキが長引いたとき、 単に食うためだけの ために美容院に職を求めたが、 それがやがて将 来の道をひらく基礎となっている。 病院で看護婦をやったこともあったが、 結局、 美容院の仕事に戻り、 美容師としての腕をみが き、 ペンサコーラからフィラデルフィア、 そし て、 20才にもならない年齢でニューヨークへ乗 りだした。 そこで彼女は、 運良く女性化粧品で 有名な 「アントワーヌ」 に採用され、 めきめき 腕をあげていったが、 物怖じしない性格は、 と んとん拍子に自分の店をもち、 遂に高級美容院 の共同経営者にまでのし上がった。 続いて化粧品販売に手をだしたが、 そこで将 来の夫、 フロイド・ボストウイッチ・オドラム と知りあう。 彼は弱冠36才の弁護士ながら、 ウォール街で数百万ドルを手にした天才的投資 家であり、 のちには航空機のコンベア社や RKO 社など、 数社を支配する大企業家として 成功している。 彼のアドバイスによってコクランは、 飛行機 による化粧品の販路を広げることを思いついた。 行動力抜群の彼女は、 早速、 操縦学校へ通いは じめた。 まずニューヨーク郊外ロング・アイラ ンドにあるルーズベルト飛行場で基礎を学び、 カリフォルニア州サンディエゴのライアン飛行 学校で計器飛行を学び、 事業用免許を取得した。 ほとんど文盲に近い彼女は、 ボーイフレンドか ら苦手な学科試験の読み書きを習ったが、 その 吸収力はすばらしいものがあったという。 操縦資格をとった彼女は、 初期の目的を実行 に移した。 1200$で老朽複葉機 「トラベルエア」 を買い、 化粧品会社を設立して社長におさまり、 自ら飛行機で全国を飛びまわって営業成績をの ばした。 いつの間にか彼女は、 商売抜きで次第に飛行 機の操縦にのめりこんだ。 教養がなく、 万事派 手好みのコクランであったが、 オドラムは、 彼 女の自由奔放で抜群の行動力を買っていた。 そ れに応えるように、 この時代に流行っていた数々 の飛行機レースに参加、 好成績をおさめた。 コクランが最初にエントリーしたエア・レー スは、 1934年10月であった。 オーストラリアの 生花会社々長サー・バートソンが、 賞金15,000 £を提供した初の世界規模による飛行レースで ある。 18,000km 余の過酷な長距離レースに参 加、 女性第1号として注目されたが、 機体の故 障などで入賞を逸した。 コクランの名が、 一躍、 全米に知れわたった のは、 1938年9月3日から行われたベンディッ クス杯レースである。 これはグリーヴ杯、 トン プソン杯とともに、 当時の米国三大航空レース の一つだった。 これは彼女にとって3度目のエ ントリーで、 1度目は悪天候で失敗、 オドラム と1936年5月に結婚、 その翌年の2度目には3 位に入賞した。 これは結婚により、 富裕な実業 家オドラムの財政的援助による準備が、 大きく モノをいった。 オドラムとの結婚のエピソードが泣かせる。 彼女は自分の出生について探偵社に頼んで調べ てもらったが、 その調査書を封も切らずにオド ラムへ手渡した。 しかし、 オドラムも生涯封を 切らなかったか ら、 彼女の出生の 秘密は、 永久に封 印された。 1938 年 の ベ ン ディツス杯は、 カ リフォルニア州ロ スアンジェルスの グレンディル飛行 場から、 オハイオ 州クリーブランド ま で の 3,287km を競う速度レース であった。 10機の 飛行競技中のコクラン 2009 JUL 51 なかの紅一点のコクランは、 セヴァスキー SEV-S2 改造機 (P&W ツインワスプ1,200馬力) で参加した。 途中、 4機が脱落するほどの悪天 候のなか、 終始、 高度4,800m∼6,700m の雲上 飛行を続けて、 目的地クリーヴランドに到着し た。 飛行時間8時間10分31秒、 平均時速402km で大陸横断飛行記録をつくった。 ところが彼女は、 これに満足せず、 わずか15 分で給油を終えて再び機上の人となった。 そし てニュージャージー州ベンディックスまで飛び、 10時間07分10秒、 平均時速389.6km で飛びき り、 難なく女性による東向き大陸横断飛行記録 をつくると同時に、 並みいるヒコーキ野郎の男 性たちを後目に優勝し、 賞金12,500ドルを獲得 した。 これによってコクランは、 全米に知られるよ うになり、 新聞雑誌にはブロンドの彼女の魅力 的な写真が掲載され、 一躍、 ヒロインにのし上 がった。 この年9月には、 単葉機セバスキー AP-7 を操縦、 1,000km の周回飛行で、 平均時 速266mph を記録した。 以来、 数々の賞をもの にしたが、 FAI (国際航空連盟) のハーモン国 際トロフィーを5回も授与され、 さらに2年後 の1940年、 時速286mph の全米女子速度記録を つくった。 米国が第二次大戦に参戦したのは、 1941年12 月8日、 つまり日本海軍による真珠湾攻撃が契 アイゼンハワー大統領からハーモン・トロフィーを 受章するコクラン、 中央がチャック・イエーガー 52 2009 JUL 機になったが、 1939年9月、 ナチス・ドイツが ポーランドへ侵攻したのを機に、 欧州の戦雲が 拡大すると、 早くもコクランは、 祖国防衛の必 要性を軍上層部へ訴えた。 自らロッキードのハドソン戦闘機の操縦桿を にぎってモントリオールからイギリスへ飛び、 ただちに英空軍輸送特務隊大尉として、 軍務に つくと同時に、 イギリスで活躍していた25名の 女性パイロットの指揮をとった。 壮絶を極めた バトル・オブ・ブリティンにも参加している。 アメリカが参戦すると、 彼女は祖国へ呼び戻 された。 目的は陸軍航空隊所属の女性パイロッ ト輸送部隊の組織造りと、 訓練を指導すること である。 その当時、 米国には数千人の女性パイ ロットがおり、 入隊希望者は飛行経験500時間 以上という条件をつけたが、 なかには3,000時 間のベテランや、 アクロバット飛行に慣熟した 女性まで現れた。 後に入隊条件を緩和したら、 あらゆる階層の25,000通もの応募があったとい う。 結局、 当初に予定していたものより相当な 規模になった。 1,830人が入隊、 女性パイロッ トとして飛行免許を与えられたのは1,074人に のぼった。 主な仕事は、 工場で生産された新しい飛行機 を前線の部隊へ空輸したり、 グライダーや訓練 用標的を牽引することだったが、 総計77機種、 延べ12,650機を空輸し、 B-17型や B-29型爆撃 機まで操縦、 しかし、 38人が殉職している。 これは戦後の話であるが、 あくまで正規の部 隊ではなかった女性航空輸送部隊は、 終戦後の 処遇が無視されていたが、 1977年になってよう やく米議会が動いた。 議会は、 はじめて女性操 縦士隊員の戦時の功績をみとめ、 彼女らに軍籍 をあたえ、 戦没および退役軍人の恩典を認めて、 彼女たちの功績を讃えたのである。 ヨーロッパ戦線の役目が終わったあと、 しば らくコクランは、 雑誌社 「リバティ」 の太平洋 前線特派員として、 蒋介石や毛沢東などの東洋 の著名人や、 マッカーサー将軍などの取材をこ なしていたが、 彼女の空へのエネルギーが途絶 えることはなかった。 ハリケーンで英国へきたコクラン (左から5番目) 早くも終戦の翌年にはノースアメリカン P-51ムスタングでエア・レースにエントリー していたが、 1947年10月には同形機で100km の周回飛行で、 時速441mph の世界速度記録を 樹立、 4年後の51年5月に、 ジャクリーヌ・オ リオールによって破られるまで続いた。 1948年にコクランは、 空軍予備役中佐として 民間航空パトロールの仕事に任命されていたが、 一方、 化粧品分野でも、 年間売り上げ数百万ド ルの実業家として大成功をおさめ、 1953年には、 化 粧 品 分 野 で の 「 Business Woman of the Year」 に選ばれている。 戦後は、 カリフォルニア州エドワーズ空軍基 地の東南130km の砂漠に、 数千エーカーの広 大な土地を造成し、 ゴルフ場やオリンピック・ サイズのプールを備えたコクラン・オドラム館 を築いて住みついた。 さらに人工オアシスを造 成、 周囲はオレンジ、 グレープ・フルーツ、 ジャ カランダ、 なつめ椰子で囲まれ、 その上空を低 空飛行すると、 エデンの園の甘い香りが漂って いたという。 ここには有名人が多数出入りした。 映画関係 者や空軍の名だたる将星、 それにジョンソン元 大統領も賓客として招かれた。 アイゼンハワー 元大統領は常連であったし、 ハワード・ヒュー ズも顔を見せたことがある。 もう一人のジャッキー、 フランスのジャクリー ヌ・オリオール (Jacqueline Auriol) に移ろ う。 富裕な実業者の娘として1917年11月5日、 北フランスに生まれた。 ナンテス大学卒業後、 ルーブル美術館で 芸術の研究をして いた美人でエレガ ントな彼女は、 コ クランとは対照的 な道を歩んだ。 1938年2月、 20歳 でポール・オリ オールと結婚し た。 彼の父親は、 社会党代議士で、 事故前のオリオール 戦後、 フランス大 統領になり、 ポー ルは父親の私設秘書を勤めていた。 ポールとの 間に2人の息子が生まれたが、 後に離婚してい る。 華奢な体のオリオールは、 しかし、 不屈の精 神の持ち主だった。 エリーゼ宮に出入りする政 財界の高官の接待という、 決まりきった窮屈な 生活から解放されたかった彼女は、 29才で飛行 機の道へはいった。 30歳で操縦ライセンスを取 得したころは、 水を得た魚のように飛行機への めりこんだ。 やがて1948年3月10日にフランス 航空クラブによるパイロット資格を取得、 ライ ラセンス NO.18754だった。 彼女の精神的な支 えになっていた飛行教官のレイモンド・ジロー ム (モラン航空機会社主席パイロット) の指導 によって、 曲技飛行に夢中になったが、 1949年 7月11日の月曜日、 スキャン30型水陸両用機で、 曲技飛行のために離陸した直後にセーヌ川に墜 落、 水面への衝撃のショックで顔をしたたか強 打、 そのまま気絶してしまった。 瀕死の重傷を 負った彼女は、 幸いに助け出されて救急車で病 院へ運ばれた。 その途中、 ほとんど昏睡状態の 彼女は、 とんでもない言葉をうわ言のように吐 きつづけた。 「飛べるようになるまで、 どのくらいかかり ますか?」 目は幸いにして大丈夫だったが、 彼女の顔は 醜くつぶれ、 顎と鼻の骨が砕け、 口蓋骨はなく、 右腕も鎖骨も折れていた。 しばらくは、 彼女を 気遣った人たちが、 病室の周りの鏡の全てにカ 2009 JUL 53 バーを覆ったほどだった。 18ヶ月間におよぶ安 静と流動食、 米国の病院での皮膚の移植や整合 のため、 大西洋を横断して22回もの外科手術の のち、 ついに顔を取りもどした。 そして逆に、 自分をこのようにした空を征服したいという欲 望のとりこになったのである。 たまたま病院に見舞いにきた空軍参謀総長リ ケール大将の知己をえて、 是非、 プロ・パイロッ トへの道を進みたい気持ちを吐露したことから、 希望した将来が開けていった。 まだ200時間程 度の飛行経験しかない彼女だったが、 全快した らスピード記録に挑戦したいという熱意は、 リ ケール大将を動かし、 空軍が手助けをすること になった。 先ず米国ベル社で1951年1月、 ヘリコプター・ パイロットの資格取得、 次に空軍のタンデム式 複座ジェット練習機モラン472型で、 数週間、 ジローム教官の教えでデリケートなジェット機 の操縦感覚を学んだ。 そして、 いよいよ単座の ジェット機 D. H. ヴァンパイアに挑戦、 地上 滑走からの訓練が開始された。 12日間で14回の 慣熟飛行訓練をこなした。 最初の着陸は案ずる ほどではなかった。 いよいよ速度記録へ挑戦す る日がきた。 1951年5月11日、 彼女はヴァンパ イアに搭乗、 2旋回地点のある63nm サーキッ トで、 平均時速510mph の公認記録を叩きだし て、 コクランの速度記録を破ったことは前掲し た。 この時以来、 オリオールとコクランは、 10年 以上にわたって宿命のライバルとなり、 速度競 争に凌ぎをけずった。 DH ヴァンパイア戦闘機 54 2009 JUL エリーゼ宮でのオリオールとコクラン (右) コクランはオリオールの新記録を賞賛、 早速、 その年のもっとも功績を残した者に贈られる、 アメリカのハーマン・トロフィーを受ける資格 のあることを表明、 次の年、 オリオールはホワ イト・ハウスでトルーマン大統領からトロフィー を手渡された。 彼女は数年後にも受章、 さらに 3回目は、 1956年10月、 アイゼンハワー大統領 の手によって授与された。 なお1953年には、 FAI (国際航空連盟) からポール・ティサンデ イエ賞が授与されている。 この一連の行為は彼女を一躍有名にし、 やが て登録者 「A」 として、 フライト・テスト・セ ンター (FTC) に登録された。 民間パイロッ トは、 すべてこの登録と決まっていた。 ここで 数週間をついやしてグライダー教官資格をとり、 計器飛行の実地訓練や飛行理論を学んで操縦教 官となり、 やがて正式な FTC メンバーになっ たが、 さらに専門的な猛勉強によって、 ついに オリオールとトルーマン大統領 戦後世界で只一人の女性テスト・パイロットに なった。 テスト・パイロット第29号であった。 FTC での生活が始まったが、 ここは約3,000 人の民間人と軍人が働いており、 5基地で計器 類やパラシュート、 無線機などあらゆる航空器 材のテストがおこなわれていた。 あらゆる飛行 機や器材試験の最終オーダーが飛行テストであ る。 FTC は、 その責任者が軍であろうと民間 会社であろうと、 飛ぶか飛ばないかの最後の砦 だった。 FTC 時代のオリオール オリオールは主にブレイニー基地でテスト飛 行をおこなった。 テスト対象は、 機体やエンジ ン、 器材、 それにレーダーとかコンピューター のような地上器材も含まれている。 超音速機コ ンコルド旅客機を飛ばした最初のパイロットに も名を連ねている。 技師によってテスト内容が説明され、 必要書 類にサインして天候を確認し、 オブザーバーと 共に搭乗する。 例えば人工水平儀の作動テスト では、 高度20,000ft でのあらゆる機体姿勢での テストをする。 同乗している後席オブザーバー は水平儀の動きを克明にメモする役目である。 これら人工水平儀、 旋回計と方向指示器は、 飛 行の基本を示すものなので、 特に正確で綿密な テスト飛行が重要だった。 まず正確な水平直線飛行によって水平儀の動 きを読み取り、 後席では克明にメモしていく。 それから何回もの左右への旋回、 あるいは浅く、 あるいは深く、 そして上昇と降下で水平儀の動 きを検査する。 そ して最後にはルー プをおこなって、 正常な動きをみる のである。 チョッ トでも疑問の場合 は何回でも試みな ければならない。 オリオールは、 音速に近い飛行を 何回も経験した が、 遂に1953年8 FTC 時代のオリオール 月15日、 ついにミラージュで音速を突破した。 45,000ft へ上昇、 ハーフ・ロールから垂直にダ イブ、 機体の震えるような振動と共にマッハ計 が1.0をオーバーした時は、 無線を通じて地上 でモニターしていた仲間からの喜びが伝わって きた。 「私にとって危険をおかして飛行機をテスト する挑戦は、 登山家が“そこにエレベストがあ るから登る”心境と同じである」 と自伝で語っ ている。 危険なダイブやテスト飛行で幾度とな く死に直面したことがあるが、 彼女にとってテ スト飛行は、 より素晴らしい飛行機を提供でき る誇りであった。 一方のコクランは、 すでに40才代になってい たにもかかわらず、 1953年にジェット機の訓練 を始め、 5月にはエドワーズ空軍基地でアブロ・ カナダ社特製のノースアメリカン F86F セイバー ノースアメリカン F86F 戦闘機 2009 JUL 55 のダイブによって、 590.32nm の記録をだし、 女性初の音速突破をやってのけた。 教官は X-1 実験機による音速突破で有名なチャック・イエー ガーであった。 以来、 二人は終生の友となった。 これに対抗するかのようにフランスのオリオー ルは、 同年8月、 ダッソー・ミステールで音速 を突破した世界で2番目の女性となった。 オリオールは、 1951年から1963年の間、 異なっ た環境で、 いろいろな機種で、 5回もの世界女 性速度記録を達成し、 1年か2年後には、 コク ランがこれを破った。 この壮絶な速度競争によっ て、 その都度、 2人は強い絆で結ばれていった。 2人の速度記録を以下に列記する。 1951.5.11: 英 国 製 ヴ ァ ン パ イ ア 単 座 試 作 ジェット機で、 平均時速510mph をだし、 コクランがプロペラ機で だした441mph の速度記録を破る。 1951.12.21:オリオールは、 ミストラル (ヴァ ンパイアの仏ヴァージョン) で 535mph を記録。 1953.5.20:コクランが F86F セイバーで、 平 均時速590.32mph の記録を記録。 1955.5.31:オリオールはダッソー・ミステー ル で時速719.375mph を記録。 この年6月に FAI (国際航空連 盟) は男女別の記録を廃止したの で、 これは FAI 最後の女性公認 記録となる。 1961.10.6:コクランは、 複座ジェット練習機 ノースロップ T-38 「タロン」 で、 784.28mph を記録。 この年、 コ クランは 「タロン」 で6回の速度 記録と2回の高度世界記録を塗り かえる。 この年、 コクランは 「タ ロン」 で数々の高度および速度記 録を出す。 56 2009 JUL 1962.6.22:オリオールはミラージュ Cで 1,149.65mph を記録。 1963.5.1: コ ク ラ ン は 100km コ ー ス で 、 TF104G により、 1,203.68mph を 記録。 1963.6.14:オリオールは100km コースで、 ミ ラ ー ジ ュ R に よ り 1,266.78mph を記録。 1964.6.1: コ ク ラ ン は F104G で 、 1,303.24mph を記録。 その後、 1967年2月18日、 ロシア女性パイロッ ト 、 ユ ー ジ ニ ア ・ マ ル ト ヴ ァ に よ っ て E76 ジェット機で1323.5mph が記録された。 ジャクリーン・コクランは、 1960年6月、 空 軍の予備役中佐で退役したが、 FAI 会長を2 期にわたって勤め、 1980年8月7日に74歳でこ の世を去った。 オリオールは1963年の速度記録樹立後に引退、 その年のフランス航空クラブのグランド・メダ ルと FAI のゴールド・エア・メダルを送られ ると同時に、 レジオン・ド・ヌール勲章を贈ら れた。 FTC を引退後の彼女は、 飛行機による農業 開発に力を注いだ。 遠隔操作技術を使って農業 開発の情報収集、 例えば灌漑用の水を引くこと や種蒔きの地域を調べる仕事に従事した。 国連 の食料農業機関は、 農業発展と食糧安全保障へ の顕著な貢献をしたとして、 彼女の業績を評価、 ケレス勲章を贈った。 「ケレス」 とは、 ローマ の農業の女神であり、 マザーテレサも受章して いる。 1970年には自伝 「I Live to Fly」 を世にだし た。 2000年2月17日、 パリにある自宅で82歳の 波乱な人生に幕を閉じた。 (参考文献:「I Live to Fly」 Jacqueline Auriol 著) TFOS (航空運航システム研究会) シンポジウムに参加して 「社会安全のありかた」 について考える 航空安全委員会・ヘリコプター委員会 1. はじめに 昨年12月6日、 「社会安全のありかた」 を共 通テーマとした航空運航システム研究会 (TFOS) が主催するシンポジウムに参加して きました。 このシンポジウムは私にとって目か ら鱗、 まさに衝撃的な内容でした。 是非ともパ イロット誌の読者に内容をお伝えしたいと考え、 パソコンに向かった次第です。 山野辺 孝一 人に限定されているので、 組織やシステムの責 任の追及やヒューマンファクターは究明の対象 外で、 再発防止には結びつきません。 2. 講演内容 日本の刑事司法の特色と事故の責任追及 桐蔭横浜大学法科大学院教授 郷原信郎 *日本の刑事司法における責任追及 日本の司法の基本的な問題は、 原因追求は責 任追及の前提として行っていますが、 はたして 再発防止のための原因追求をしているのでしょ うか。 具体的な例として、 運輸安全委員会 (JTSB) の事故原因の究明の在り方、 事故調 査報告書が刑事事件の証拠として活用されてし まうことの是非、 公判での黙秘権の行使は心象 を悪くするという問題、 刑事司法関係者の専門 性の問題、 及び刑事事件の証拠は公判になって 初めて開示され、 不起訴になった場合証拠は開 示されないので再発防止につながらないという ような問題等があります。 刑事司法の考え方は責任追及はできるかぎり 行う、 それが正義であるということです。 (実 体的) 真実追求は正義の実現であり、 これは例 外を許しません。 許してしまうと正義ではなく なってしまうと考えるからです。 また、 刑事訴 訟法上の適用の問題のため責任追及の対象が個 日本と米国を比較すると、 日本においてはた だ一つの真実が存在し、 刑事司法の領域として 責任追及することは正義であり、 裁判官による 自白重視、 供述書重視の裁判が行われます。 こ れに対して米国では唯一絶対の真実を明らかに することよりも裁判において明らかになった事 実、 裁判という手続き上の真実 (本当の真実で はないかもしれませんが) と、 陪審による素人 の事実認定に基づき、 黙秘権や司法取引 (免責) を活用した証言重視の裁判が行われています。 さて、 ここで問題となるのは、 日本型責任追 及では、 個人の責任は明らかになるものの、 総 体としての原因追及は歯抜けになって残ってし まうということです。 *日本社会における司法の機能 日本の社会は、 犯罪者という異端者をはじき 出してしまいます。 めったに発生しない特別な ものを特別扱いするという方向性があります。 2009 JUL 57 (パイロットはもはや特殊ではありません)。 こ れは社会の 「外縁部」 における問題の後始末で す。 正義という理論で排除するということです。 (民事では通常の手段では解決困難な特異な紛 争の処理という位置付けになります。) この後始末・排除に関して (のために)、 検 察は絶対的な権威と信頼の確保のために存在し ています (と検察官は思っていますし、 社会も 検察に期待しています)。 従って、 刑事処罰に 関して例外を認めないことで権威を維持するこ とになります。 真実を100%知ることは不可能 ですが、 それを絶対的な権威により解決してき ました。 検察は、 「法に照らして適正に処理」 という 言葉で説明しますが、 背景には起訴便宜主義 (検察官の訴追裁量権) があるため、 たとえば 不起訴になってしまうと、 不起訴理由の開示も 不起訴記録も開示されません。 要するに原因が 明らかになりません。 *過失犯の刑事処罰は現状のままで良いのか 過失犯の刑事処罰の 「検察の正義」 の根拠と しては、 刑法学者が述べる以下の論を根拠とし ています。 ①罰を行うことで社会を沈静化させる ②過失犯の処罰の可能性が注意力を高める ③犯罪捜査が真実の原因究明のため最良の手 段である しかし、 個人に聞いても原因のすべてが明ら かになるわけではありません。 自白で立証でき ない部分を、 「私が悪うございました」 と頭を 下げてくれると争わないで済む社会です。 さら に刑法学者の論に対し、 以下のような疑問を呈 したいと思います。 ①事故に対しては 「後始末」 さえ行えばよい のか? 被害者や遺族は必ずしも 「沈静化」 を望んでいるわけではない。 ②処罰の可能性が注意を高めるというが、 人 間の心理として果たしてそう言えるのか? ③刑事処罰が、 原因究明を妨げている。 58 2009 JUL 以上、 元検察官という立場を超え、 司法の過 失犯に対する処罰の論拠としての責任追及を司 法の正義論であると解明され、 また社会そのも のが責任追究社会ではないかという指摘など、 説得力のある講演でした。 事故被害者家族支援の可能性 TFOS 理事 本江 彰 *惨事ストレス (Critical Incident Stress) とは 1988年のアロハ航空243便 B737 の事故では、 客室乗務員1名が機外に吸い出されて死亡、 乗 客7名が重症、 57名が軽症を負いました。 FO だったミミ氏が事故後半年を経た後に PTSD (心的外傷後ストレス障害) を発症。 当時 PTSD という言葉さえ社会で認知されている状況では ありませんでした。 惨事ストレスとは、 ・同僚の負傷や殉職 ・死の恐怖を感じながらの活動 ・自分の子供と同年代の子供の死 ・被害者が知人 ・大量の死傷者 ・重傷者が救出困難 ・任務が十分に遂行できない ・迅速な状況判断を長時間迫られる状況 などの異常な環境下などを経験した人 (グルー プ) が、 個人の対処機能をはるかに超えた緊急 事態に対して、 個人やグループが呈するストレ ス反応であり、 大惨事を経験した人の45%は PTSD、 ASD あるいは鬱病を発症する可能性 があります。 惨事ストレスは、 異常事態の正常な反応であ り、 PTSD や ASD はネガティブな人がなるわ けではなく、 内気な人がなるわけでもなく、 や る気がないのともちがいます。 *CIRP (Critical Incident Response Program): 事故対応プログラム ミミ氏は自分の体験から、 PTSD に対する支 援を決意。 航空界に PTSD に対する情報を教 育し、 事故に遭遇し PTSD に悩む同僚 PILOT のストレスを和らげ、 安全に職場復帰を手助け する組織を作ろうと IFALPA で活動を開始し ました。 多くの障害を乗り越え、 5年の歳月を 経てできたのが CIRP です。 このプログラム の目的は、 「事故ストレス反応が健康、 家庭、 経歴や能力をダメにしてしまう前に、 その精神 的衝撃を和らげ、 職場復帰の手助けをすること」 とされています。 具体的な活動内容は、 PSV (Peer Support Volunteer:トレーニングを受け、 選出された 職場の仲間) が話を聞くというシステムです。 この 「聞く」 ということは生易しいことではあ りません。 PSV は、 いわば精神的なファース トエイドという位置付けで、 ①Listen:お話を聞きましょう ②Refer:専門家に橋渡しをしましょう 月31日、 LA (セリトス) 上空でアエロメヒコ 航空 DC9 乗員乗客64名と、 3名を乗せた自家 用機が衝突、 住宅地に墜落した事故があります。 更に、 1978年9月25日、 同じく LA (サンディ エゴ) 上空でパシフィックサウスウエスト航空 B727 乗員乗客137名と、 7名を乗せた自家用機 が衝突、 住民9名が巻き添えになった事故が例 として挙げられました。 航空機事故の規模としては、 死亡者数や発生 直後に派遣された救急隊員数が同規模というこ とが言えますが、 サンディエゴでは事故後の危 機介入が散発的であったのに対し、 セリトスで は CISD (Critical Incident Stress Debriefing) や、 電話相談などのフォローアップをした結果、 1年後の調査で離職者数や精神科治療者数に大 きな差がみられることが判明しています。 を活動内容としています。 カウンセリングでは ありませんが、 発病以前の対応により発病に至 らないようにしたいというのが、 このシステム のメリットでもあります。 この CIRP は現在米国、 ドイツ、 日本にお いて行われております。 但し日本では CIRP と 呼 ば ず に CISM (Critical Incident Stress Management) と呼んでいます。 *Support の重要性について 実際に発生した事故から、 サポートがあった 場合となかった場合の比較をすると、 1986年8 このフォローを行ったのが ICISF (International Crisis Incident Stress Foundation) と 2009 JUL 59 いう組織で、 標準化された CISM のトレーニ ングを行い、 現在1000を超える CISM チーム が所属し、 28カ国、 7000名を超えるメンバーを 持つ NGO で、 国連が紛争地域に赴く職員のコ ンサルタントを依頼しております。 ICISF は過去において航空事故に関しても危 機介入をしました。 1980年ワシントン DC にお けるフロリダ航空90便のポトマック川への墜落 事故で、 危機反応を見せた職員に対して精神的 なフォローアップを行いました。 また1996年、 TWA800 便では、 トラウマの 被害を受けた家族に緊急メンタルヘルスサービ スの必要性を強調し、 実際にサポートをしてお ります。 FBI や NTSB が被害者家族に迅速な 情報提供を行い、 心理的混乱を最小限に抑える ことができました。 この ICISF の標準化された PSV 養成プログ ラム (グループ対応14時間、 個人対応14時間、 リカレント訓練) を航空界における CIRP/ CISM が採用しました。 PSV の教育は決して 容易なことではありません。 聞く力を磨く、 相 手の気持ちを読み取る、 相手を傷つけない話術 を身に着けることなどが必要だからです。 *CISM の介入の実際 実際に CISM としてどのように介入するか というと、 3種類の方法があります。 *被害者家族のストレスについて 被害者や遺族が受ける影響は、 悲嘆反応や死 の受容の過程など研究されていますが、 個人差、 どの程度の期間であるかは一概には言えません。 突然の事故死は、 心構えができる疾病での死亡 とは異なり被害者家族の悲嘆ストレスは大きい と判断されますし、 惨事体験者や救急隊員と同 等の精神的な不適合を起こすことは珍しくあり ません。 *被害者家族の支援の可能性 航空界の CISM をそのまま被害者家族に適 用できない難しさがあります。 なぜなら航空関 係者は被害者にとって加害者サイドとみなされ るからです。 発生と同時に心理的なフォローがあればよい のですが、 一般的ではありません。 航空におけ る PSV の経験からいうと、 被害者家族と直接 接触する人々が、 CISM の技術 (特に 「聞く」 60 2009 JUL 技術) を得ていれば、 被害者家族へのメンタル ケアにつながることとなります。 この 「聞く」 という技術は、 ストレス・レベルを下げること が目的です。 被害者家族のメンタルケアのため には、 まず可能な限り被害者家族の要求を実現 することです。 また情報を提供することです。 地震などの大災害などの場合、 航空の PSV が 第3者として活躍できる場面も想定されます。 同様に CISM が他業に拡がれば、 航空の被害 者家族への支援の可能性も拡がることでしょう。 *経験は無かったことにはできない きれいな水に泥団子 (惨事ストレス) を投げ 入れると、 投げ入れた直後は水がにごります。 これがストレス状態とすると、 時間とともに泥 が沈んで、 やがて水は澄んできます。 しかし何 らかの影響で入れ物が揺れると、 また水はにごっ てしまいます。 つまり、 泥を入れた (惨事に遭 遇した) という経験をなかったことにはできま せん。 体の傷は癒えればなくなりますが、 心の 傷の癒しには終わりがないのです。 惨事経験者 (同じ経験を持つ人) は、 事故直 後の介入者にはなれません。 それは惨事経験者 の心の傷を呼び起こすきっかけにつながるから です。 私 (山野辺) は CISM のセミナーを受講し PSV の 資 格 を い た だ き ま し た 。 現 在 CISM JAPAN は日乗連、 安全会議からの支援を得て、 主に航空局の職員、 エアラインで働く方々を対 象に活動しておりますが、 GA へのフォローを 拒否しているわけではないというお話を聞きま した。 あってはならないことですが、 もし惨事 に巻き込まれたら、 症状が出る前に心のケアを 受けることも必要であると思います。 ご自身の ために、 そして愛する家族のために。 事故の被害者・遺族が求めるもの その心情・原因究明・責任追及の関係を考える 弁護士 佐藤健宗 *一般論としての事故遺族の心情 一般論としての遺族の心情として、 まず悲嘆 反応があります。 また、 怒りには関係者に対す る憎悪や処罰の希求という気持ちも発生します。 事故の情報についての渇望、 特に家族の最期に ついて多くの遺族が知りたいと願っています (どのような状況で事故に遭遇し誰が救い出し たのか。 どのように人のなだれに巻き込まれ翻 弄され救出され病院へ運ばれたのか、 どの車両 のどの付近に乗っていて誰にトリアージ (緊急 度の選別) されたのか生命反応はあったのか)。 このような気持ちは矛盾が無く存在します。 * 「怒り」 の感情と 「処罰」 感情 遺族が 「怒り」 「憎しみ」 「処罰を願う」 のは 自然な感情です。 しかし社会に事故の当事者を 処罰するという制度・システムがなければ、 「怒り」 や 「憎しみ」 という感情がストレート に 「処罰」 ということにつながりません。 信楽鉄道事故の遺族が NTSB での同様な事 故の家族とのミーティングで 「処罰」 の話しに 及んだとき、 「処罰とはなんだ?」 と逆に尋ね られました。 米国では過失犯に 「処罰」 という 制度がないため、 「過失」 → 「処罰」 という思 考に結びついていません。 *事故と刑事責任 (処罰) 米国では過失犯に対する処罰規定がない州が 多い。 また欧州では処罰規定はあるものの ICAO 批准国は処罰対象から除いています。 さ らに英国やドイツでは航空以外の分野において も刑事処罰をしない例が増えています (赤信号 の暴進、 独エシュデ事故、 ザルツブルグのケー ブルカー火災など)。 処罰 (刑事訴追や刑事責任の追及) によって 事故に対処するというのは永遠不変の真実では ありませんし、 むしろ例外的です。 2009 JUL 61 *事故調査と刑事責任追及の峻別論 (事故調査 優先論) 事故調査優先論の実質的な根拠 ● 再発防止のためにはすべての事実関係と原因 を明らかにしなければならないが、 刑事処罰 を行うと、 当事者は本当のことを話さない。 ● 憲法には黙秘権や自己負罪拒否特権の保証が ある。 ● 刑事訴追を優先させたが訴追できなかった場 合は、 原因も再発防止策も明らかにならない。 ● 刑事訴追は犯罪抑圧が目的であり、 再発防止 ではない。 ● 刑事訴追は、 末端の運転者 (個人) が対象と なり、 組織的要因に踏み込めない *日本における特殊性 (制度と運用) とその背 景 法制度としては事故調査委員会 (運輸安全委 員会) が存在し、 ICAO 条約の批准国であるこ となど欧米と同等ですが、 その運用としては警 察と事故調間には覚書があり (運輸安全委員会 も調印しなおしました!)、 警察の捜査と事故 調査は平行して行われ、 場合によっては捜査が 優先されます。 証拠の押収、 被疑者の逮捕が優 先され、 事故調の報告書がすべて鑑定書として 警察に提出されます (事故調に話したことが刑 事訴追の証拠とされる可能性があります)。 これは、 ● 処罰によってこそ真実が明らかになるという 社会の確信 (お白洲でのお裁きの伝統) ● 警察、 検察への信頼 (企業はうそをつく、 政 府も癒着している、 警察、 検察が正義) ● マスコミの報道姿勢 (犯人は誰か? 遺族は 怒り狂って処罰を求めている!) ● 調査と捜査の混同 (再発防止と犯罪抑制の区 別がつかない) というような日本独自の背景が根拠となってい ます。 *日本の特殊な状況が及ぼす影響 まず遺族に対する影響としては、 怒りや憎し みの感情が、 関係者の処罰や刑事訴追への大き 62 2009 JUL な期待となりますが、 JAL123 便、 中華航空名 古屋、 営団中目黒、 明石歩道橋事故にみられる ように、 その期待は裏切られることも多い。 次にマスコミの影響としては、 事故調査と刑 事捜査の区別を曖昧にしたまま報道が続けられ るので、 再発防止策と責任追及とが論理的に区 別されずに論議されてしまいます。 *それではどうすればよいのか 参考になる話として信楽鉄道事故の場合、 滋 賀県警に鉄道の信号機のシステムに詳しい人が いなかったのでメーカーの技術者を呼んで1か ら勉強し、 結局送検まで1年以上かかりました。 その間、 安全確認ができるまで半年以上も電車 を止めました。 事故調もなかったので、 遺族は 情報を知らされないまま放置されました。 遺族 は感情を押さえ、 事故調制度の確立を求めるた めに NTSB に学び、 国を動かし、 航空・鉄道 事故調査委員会設置に結びつけました。 遺族は泣くだけの、 怒り狂うだけの、 処罰を 求めるだけの存在ではありません。 一方、 JR 西日本福知山線の事故では、 事故 調による詳細な調査報告書が公表されました。 直接の原因はブレーキの操作ミスであるものの 単なる運転手のミスではなく、 会社の風土や体 質を複合的な要因として事故が発生したことが 明らかになり、 多くの遺族は運転士に対する処 罰感情はあまり持っていません。 むしろ運転士 をそこまで追い込んだ会社の体質や組織的な問 題点、 安全上の欠陥の責任追及をしたいと考え ている遺族が相当数存在し、 運転士はむしろ被 害者であるという見方をする人もいます。 JR 西日本という会社が処罰されないと、 会社の風 土や文化は改まらない、 望むのは安全と再発防 止であるということです。 *問題の改善のための提案 まず遺族に対する適時、 重層的、 多様な支援 が必要です。 直後の適切なケア、 特に 「知りた い」 という気持ち、 その具体的な内容にも応え ることが必要です。 事故原因の徹底的な調査が 行われ、 情報が公開されることが非常に重要な ことです。 そのためには事故調査を一層充実す ることが必要で、 覚書を変更し、 事故報告書が 鑑定書として扱われることを止めるべきです。 遺族の多様で複雑な心情はそのまま受容する ことが必要で、 「処罰」 を求めているとしても、 その内容や実情に注意する必要があり、 処罰感 情の是非を問題にすべきではありません。 事故 に対して 「原則処罰」 で臨むことの限界を率直 に遺族と論議するべきであり、 それでも処罰の 必要があるということになれば、 法人の処罰規 定の立法について検討すべきです。 マスメディアに、 調査と捜査は異なることを 理解してもらい、 そのことを報道してもらう必 要があります。 佐藤先生のお話のなかで、 「処罰」 という規 定があるから処罰しろという思考につながるこ となど、 日米の社会文化の違いが法の適用に大 きく作用している状況が理解できました。 信楽 鉄道の遺族の取り組みが事故調の組織改変に大 きく貢献したように、 「遺族は泣くだけの、 怒 り狂うだけの、 処罰を求めるだけの存在ではな い」 というご発言には、 重みを感じました。 ま たマスコミに社会が踊らされているような印象 を受けました。 「システム性事故」 のエスノメソドロジー 東海大学法学部教授 北村 隆憲先生 *エスノメソドロジーとは 「エスノメソドロジー (Ethnomethodology)」 とは、 社会のメンバーがどのような方法を使っ て日々活動をしているのかを研究することであ り、 メンバーによる社会的 「達成」 としての 「秩序」 を研究することです。 Ethno→現場の 参与者、 メンバー。 Methodology 方法→日常 的な諸活動 (言葉、 動作、 視線など) の便名を取り違え」 「乗客及び CA が浮揚落下 して負傷した」 と書かれています。 このような 言葉は行為でもあります。 例えばワインがボト ルに半分残っていた場合、 「半分しかない」 で はずいぶん飲んでしまったんだなあという意思 があり、 「半分もある」 というのも意思です。 つまり言葉は行為であるということが言えます。 この行為ということから事故報告書を見てみ ると、 過失とはしないような記述がされていま すが、 事故の要因として ・管制官の心理的動揺と取り違え ・CNF の機能不全 ・隣接セクターとの調整のタイミング ・教育訓練の欠如 ・レーダーシステムの不備 ・機長の認識不足 ・運航乗務員の適切な助言の欠如 ・運航者の規定上の表現の不十分 ・TCAS に対する訓練が不十分 ・TCAS に関する業務分担の対応訓練の欠如 などがあります。 *航空管制ワークについて 航空管制は、 単に個人の管制官の認知活動で はありません。 特に運航票 (ストリップ) は当 該管制官だけの公的資料ではなく、 周辺の参加 者に利用可能な共通知識です。 この情報のチェッ クや記録は、 個人に限定されたワークではなく、 協同的な活動です。 テクノロジーのユーザーと、 周辺の協同者と は、 画然と区別しうるものではありません。 *高裁判決 諸要因のなかから、 管制官個人の行為のいく つかだけを拾い出して管制官個人の責任を諮る ことの不自然さを感じます。 むしろ高裁判決は 事故報告書の結論を全体の趣旨として一層取り 入れるべきであったのではないでしょうか。 *事故報告書 JAL907 と JAL958 便のニアミスの事故報告 書では、 「東京航空交通管制部は」 「A機とB機 2009 JUL 63 *対社会メッセージとしての航空管制世界の公 開 柳田邦夫氏が 「ヒューマンエラーについて、 一般の人が理解できるようにする、 対社会メッ セージというものの努力をしなければならない」 と述べています。 航空管制という現場が、 いかに複雑かつ 「シ ステム的」 なものかについての人々の理解を深 める必要があります。 3. パネルディスカッション 「今問われる“社会安全のありかた”Part2」 司会: 池田良彦 (東海大学法学部教授、 TFOS 副会長) パネリスト: 佐藤健宗 (弁護士) 桑野偕紀 (ヒューマンファクター研究所 副所長、 元 JAL 機長) 北村隆憲 (東海大学法学部教授、 法社会 学) 鍛治壮一 (航空評論家、 元毎日新聞記者) パネリストの発言トピック *故意と過失 (ヒューマンエラー) の間には何 段階もの状況が存在する。 ヒューマンエラー は人間のごく自然な行動の一部分である。 *処罰という懲罰に意味があるのか。 懲罰の目 的は? 過失には懲罰の意義はほとんど見出 せない。 *世論も 「警察、 もっとしっかりやれ」 と思っ ている。 *日本は鑑定書裁判であるが、 鑑定書は必ずし も再発防止を目指したものではない。 *マスコミも 「社会の沈静化」 「注意を高める」 「捜査が原因究明」 と思っている。 *マスコミのメンタリティーにも注意する必要 がある。 見出しと内容が異なっていることが ある。 *法の理論より検察官の理論が優先されてはい ないか。 *窓口統制の問題がある。 検察官の窓口に来た 64 2009 JUL 問題を検察官が不起訴処分にすることのほう が難しい。 *事故が起きてから委員を選ぶという時代に比 較して充実してきたものの組織事故に対する 見方はまだまだだ。 *全日空東京湾727の事故は JAL と ANA の 競争のなかで発生したが、 運航規定の改定な ど企業の安全文化の育成につながった。 *TFOS では今まで提言を主に活動していた。 今回の JAL907 と JAL958 便のニアミスの 事故では有罪判決が出された。 差し戻しのた めの活動をしていこう。 まとめ TFOS では技術革新と人間のかかわりを研究 してきたが、 前回からやっと人間と社会面の問 題を扱えるように発展してきました。 日本では、 何かの具合が悪いとはっきり言え ない社会です。 自分がかかわってしまったら…… と考えてしまいます。 被害者や一般の人が声を出して何かを言える 社会になってきました。 「俺が正義の味方だ」 といってきた人に対し て、 下から声をだせるようになって来ました。 安全の考え方が変化してきました。 日本の文 化は世界の文化とは違います。 日本の社会の根っ こから考えないといけません。 報道されていることに流されている風潮があ ります。 安全とは 「許容限度を越えていないと判断さ れる危険」 です。 許容はどこまでかという問題 でもあります。 うわついた安全に流されないよ うにしなければなりません。 4. 全体的な感想 原因追究、 再発防止に向けたさらなる取り組 みが必要であると再認識いたしました。 今回のテーマである原因追究と責任追及のあ り方の研究も、 いろいろな機関がいろいろな取 り組みをしているなかの一つの取り組みであり、 航空安全という目標は同じです。 方法論、 取り 組み方が異なるだけです。 その方法論、 取り組み方のひとつのアプロー チとして、 元検察官や弁護士の講演は特に意義 深いものであったと感じました。 運航担当者の出席が思っていたより低いとい う印象を持ちました。 エアライン各社、 航空大学校教官、 自衛隊安 全担当官、 弁護士、 医師など多くの方が出席さ れているなかで、 特に GA の参加が少なかっ たのは残念でなりません。 講師紹介 桐蔭横浜大学法科大学院教授 郷原信郎 郷原先生は、 元検察官です。 最近テレビでも お姿を拝見するようになりました。 先生は司法 の現場は過失の責任追及をどのように考えてい るかを、 平易な言葉で説明されました。 冒頭で、 事故米問題は農水省が横流しを見抜けなかった 経済犯罪が食の安全問題にすり替わってしまい、 責任のない関係業者名まで含め総てを発表する 暴挙につながったこと、 Iハム東京工場の処理 水の汚染問題についてはメーカーに落ち度があっ たのかどうかと疑問を投げかけられ、 人体に影 響がないレベルなのに500億円もの損害を工場 側がこうむり壊滅的なダメージを与えられたこ とを例に、 日本の世の中が責任追及側に大きく バランスを崩していると指摘されました。 TFOS 理事 本江 彰 本江氏は JAL の元機長で現在は日本ヒュー マンファクター研究所で活躍されています。 ま た 、 ご 講 演 の 中 で 触 れ て い る CISM JAPAN の設立に尽力されました。 弁護士 佐藤健宗 佐藤先生は、 信楽鉄道事故、 明石花火大会歩 道橋事故、 JR 西日本福知山線事故の被害者側 の弁護を担当され、 ご遺族の代理人や支援者と してご遺族とともに悩み、 考え、 行動されてき ました。 多くのご遺族と接してこられた経験か ら講演をいただきました。 被害者の心情は複雑で、 とくに負傷者は、 程 度の問題や家庭の事情まで、 遺族以上に複雑で あると説明されました。 原因究明ひとつをとっ ても負傷者と遺族では考え方が異なるので、 今 回のご講演では遺族に限定しての講演でした。 東海大学法学部教授 北村 隆憲先生 北村先生は東海大学で教鞭をとられています。 ご専門は 「法社会学」 という聞き慣れないジャ ンルですが、 独自のご研究でシステム性事故を 解析されています。 2009 JUL 65 平成21年5月21日 1530∼1730 於 羽田空港ギャラクシーホール パネリスト (敬称略) 航空局技術部乗員課首席試験官 航空大学校首席教官 東海大学工学部教授 桜美林大学教授 日本航空運航企画室 全日空運航訓練室 進行 日本航空機操縦士協会 石原 梶川 遠山 宮崎 秋田 土屋 鈴木 孝治 龍蔵 誠二 邦夫 千博 明彦 英明 たくさんのご来場ありがとうございました 第44回通常総会後に開催されたこのシンポジ ウムには120名を越える参加者があり、 乗員養 成についての関心の高さがあらわれていました。 それぞれのテーマとも論じきれないほどの重要 なテーマを短時間ながら有意義に討議していた だきましたので、 その概要を簡単ですが報告し ます。 乗員養成検討委員会からのプレゼンテーション まず最初に、 中長期的な航空需要の動向や継 続的に不足する操縦士需要の見通しなどパンフ レット資料の紹介を行いました。 続いて清光久 66 2009 JUL 司委員から、 乗員を取り巻く航空情勢の補足や 産学を含めた乗員養成施設の状況、 さらに MPL (Multi-crew Pilot License)、 AQP (Advanced Qualification Program) について詳 細なる説明を行いました。 テーマ1 大学からの新しい乗員ソースに期待 平成21年度に初めての卒業生を送り出す東海 大学の訓練や就職状況を報告いただきました。 引き続き桜美林大学における乗員養成、 会場か らは法政大学や崇城大学からも紹介がありまし た。 一方受け入れ先である企業の立場からは、 エアラインのリクワイヤメントなど、 さらなる 乗員養成シラバスや適性検査にかかる情報の共 有を求める意見も出されました。 テーマ2 MPL を考える MPL については現場でもホットな話題であ りありながらもまだ周知不足なライセンス制度 ですが、 エアラインとりわけ JAL における準 備状況について詳細の紹介がありました。 さら に CPL との比較や訓練の特徴についても十分 な説明があり、 会場の参加者も熱心に聞き入っ ていました。 テーマ3 AQP で運航品質を向上させる はじめに FAA の承認を受けたボーイング社 の AQP により、 B777 の型式限定訓練と定期 訓練を受けた ANA のパイロットより報告があ りました。 この訓練は詳細な記録をもとに専門 家の分析がなされたそうですが、 その中で注目 された主な点は訓練の目的や求められる能力で した。 AQP が良好なクルー間のコーディネーショ ンに基づく安全運航であるのに対し、 既存の訓 練では特定のマニューバーとプロセジュアに対 する正確なパフォーマンスであることでした。 これに対して保守的な日本の訓練審査制度に ついて、 初等訓練以降については AQP の有用 性を認めるご意見、 更にルフトハンザでの CRM を取り入れたフライトの流れに沿った LOFT にちかい訓練審査が紹介されました。 また日本における最近の訓練審査や組織体制は 実運航に即したものを組み入れる流れになって いるものの、 評価の方法への課題も出されまし た。 もうひとつは航空のすそ野についてです。 エ アラインによる職業航空のほかにも自家用、 ビ ジネス航空がありそれぞれの技術的進歩はめま ぐるしいものがあります。 エアラインが航空全 体から遊離しないよう、 乗員のソースとしても 小型機の世界を視野に入れていっていければと 思います アメリカでよく言われる言葉に、 ブロックア ウトからブロックインまで空気以外の何物にも 触れるなといわれます。 それは地上の人やもの、 そして地面やほかの航空機ですが、 そのために 種々の装置が備えられています。 一番大事なの が操縦室内の人であり、 そのためのツールが CRM です。 最後になりますが、 訓練試験審査体制につい てはあらゆる機会で積極的な議論をお願いして 情報を共有していきたいと思います。 安全に対 する躊躇なき提言が必要なように世界の趨勢の なかでグローバリゼーションに乗り遅れること なく皆さんからのコメントをお願いします。 講評 最後に石原乗員課首席より次のような講評を いただきました。 実際に飛んでいる皆さん方からの意見を直接 聞くことができよい機会となりました。 米国で は80%の航空会社が AQP を導入しており、 そ の技量管理手法を使った B787 は日本がローン チカスタマーとなろうとしています。 なかなか日本において AQP が進まないこと について、 それなりの国情はあるものの世界の 趨勢を見ながら進めていくことが必要です。 更 に航空技術の発達に訓練試験審査制度が追いつ いていない現状も認めざるを得ません。 オーバーアシストについてはすでに見直され ましたが、 今後も実際の運航に即した訓練がな されるような訓練や試験審査制度を構築してい くことが重要でしょう。 自分に似合った服は自 分で作っていくという考え方で、 ある部分にお いては運航者が主体的に組み立てていっていた だきたい。 2009 JUL 67 From the Control Room 旅は道づれ、 路につれ 世界の路をかいま見て 空の交差点は航空に携わるものや空の遊 人が「空の仲間」 として相互理解を図る場 元株式会社フジクラ 大川 喜久二 です。 皆様の投稿をお待ちします。 1. 旅は道づれ、 路につれ 個人旅行はたいへんですから多くはパックツ アー、 それも格安プランを利用しています。 し かし、 格安パックにしても自分の意志で行くわ けですから、 少しでも実のあるものにしたいと 思っています。 お仕着せの通りの名所・名勝・ 世界遺産などを見物し、 ガイドブックの通りに あったことを確認するだけでは 「もったいない」 ことで、 それらの歴史的な背景や地理・人文・ 地政的な絡み合いも見ておきたい。 これも仕事 で永年染みついたケチケチ体質のなせる業でしょ うか。 四国八十八ヵ所巡りのお遍路さんのように歩 いて旅するのが旅の原形で、 歩くことが旅の主 体でした。 マイカーや鉄道ですとまだ移動する こと自体が旅の目的でしょうが、 バスや空路で すと移動は旅の方便でなるべく 「安近短」 が良 い、 でなければゆったり休めるのが良いという ことになります。 しかし、 これはもったいない 話で旅の原形に戻って長時間の移動もしっかり 「旅」 したいと思います。 道路、 鉄路、 空路、 それにまだ経験はないのですが海路、 これを楽 しむこと、 「旅は道づれ、 路につれ」 です。 ウグスブルクまで) と以北の中世の面影がよく 保存されている街道として設定されたようです。 ローマへの街道という意味と中世の騎士道華や かなりし時代の騎士道物語 (「ロマン」 と言い ます) の両方の意味から名付けられたものです。 したがって日本語で言う 「ロマンチック」 な 意味はないのですが、 誤解されてしまいました。 それは街道の終点、 フュッセンにある華麗なノ イシュワンシュタイン城 (新白鳥城) があるか らです。 この城は中世とは無縁の19世紀にバイ エルンの王様が作ったまだ新しい城なのですが、 往年の名作アニメ白雪姫に出てくる城のモデル になった、 絵に描いたような素敵なロマンチッ クな城なのです。 これがすっかり日本人の人気 の的になり、 ツァーの目玉となってしまったの です。 ロマンチック街道の大半は片側1車線の道が 丘陵地を緩やかなカーブを描いて街や村を行く、 極めつきの牧歌的街道です。 ツァーでは道路の良し悪しや渋滞が気になる 2. 街道旅の余談 ● ロマンチック街道 ロマンチック街道はドイツ中央部のヴュルツ ブルクから南部国境のフュッセンまで350キロ の街道です。 このうち南半分はローマ帝国時代 に作られたローマ街道 (クラウディア街道、 ア 68 2009 JUL 写真1 ノイシュワンシュタイン城 空の交差点 写真2 ロマンチック街道 写真3 ところですが、 道路の施設や構造、 道路名・街 道名や道路番号体系などの道路事情もいろいろ です。 たとえば日本の古道は分岐点 「追分」 は あっても、 交差点 「辻」 がないのがひとつの特 徴ですが、 これはヨーロッパの古い街道にも見 られます。 ドナウ川を渡るドナウウェルトでは 25号線が2号線に合流して (辻です) アウクス ブルクに至ります。 EU 統合によりヨーロッパの主要道路は各国 の道路番号と EU 番号 (E番号) が併記されて います。 オランダで行先がロンドンとなってい るのを見ましたが、 道標も EU 的です。 道路番 号の付け方は米国のインターステートハイウェ イのように明瞭な体系になっているところや、 日本のように阪神国道43号線の次の44号線は、 釧路∼根室間のような訳がはっきりしない例も ありますが、 それぞれの国情が現れていて面白 いものです。 感心するのはタイの道路番号体系 で、 1号線から出る支線は 11号線、 その支線 は 111号線、 さらに 1111号線と見事なもので す。 ドイツではアウトバーン A8 といった呼称 が通っていますが EU の一体化が進むと、 より 判りやすいE番号が普及するだろうと思います。 さて、 ロマンチック街道はローテンベルクを 出ると街道はおだやかな起伏のシュワーべン高 地に向かって村や町を縫うように進みます。 2 車線で広くはないのですが良く整備されていま す。 ところどころに日本語で 「ロマンチック街 道」 と書いた道路標識があります。 ● 中国道路事情 中国の西安に国道312号線が通っています。 日本もそうですが、 中国の道路には起点からの 中国国道312号線と4,000km キロポスト、 トルファン付近 距離を示すキロポスト (里程標) があります。 それが1500キロと出ています。 この国道は上海 が起点で南京、 合肥、 西安、 そして蘭州から河 西回廊を通ってウルムチ、 さらにカザフスタン 国境の街、 伊寧を結ぶ全長4552キロとたぶん世 界一長い国道です。 国土の大きさから言えばロ シアにもっと長大な国道がありそうですが、 番 号の付け方が途切れ途切れになっています。 そ れはともかく、 この312号線はまさにシルクロー ドです。 新疆ウルムチからトルファンの灼熱の 火炎山へ行ったことがあります。 ここで312号 線の4000キロポストを見ました。 上海から4000 キロです。 上海から蘇州・南京へは高速道路が できていますが、 その下の道が312号線です。 ではこの国道の起点は上海のどこか気になると ころですが、 ワイタンの黄浦江からだそうです。 3. 鉄道旅の楽しみ 鉄道網が発達している欧州ではフランスの TGV やドイツの ICE など高速化が進んでいま すが、 トンネルが少ないので日本の新幹線より は楽しめます。 なにより軌道幅が在来線と同じ なので駅は在来線と一緒で、 新設した専用線路 以外の在来線を走る部分もよくあります。 意外に思うことは TGV は新幹線と軌道幅は 同じなのに車体が小振りでかなり窮屈です。 こ れは軽量にして線路や動力車の負担を減らすこ とで高速化しているためと、 日本の新幹線ほど の輸送需要はないためです。 フランスは平野が 多く TGV は専用新線を走ることが多く、 それ 2009 JUL 69 に駅間が平均で200キロもあり、 あまり路づれ 的ではありません。 それでも英仏ドーバー海峡 トンネルを通るユーロスターは乗り甲斐があり ます。 それに比べドイツの ICE はほとんどが在来 線を走りますから、 鉄道の旅を満喫できます。 たとえばミュンヘンからフランクフルト行きの ICE は山道を苦しそうに越えます。 これは電 車ではなく機関車が牽引する列車のためです。 ウルムでドナウ川を渡り、 ベンツの街シュトッ トガルト、 古都マンハイムに停まります。 TGV とちがって車体が大きく座席がゆったり し、 線路も真っ直ぐではないので風景を存分楽 しめます。 鉄道旅行の極めつきと言うべきシベリア鉄道 の全線に乗りました。 全線直通する列車はロシ ア号だけ (隔日運転) ですが、 モスクワからウ ラジオストークまで9800キロ、 乗り続けで7日 間掛かります。 私は途中下車を2回したので9 日掛かりました。 1週間もの長旅の問題はシャワーもないこと もありますが、 3食をどうするかです。 食堂車 はあるのですが、 とうてい全乗客の用は足りま せんし、 頑丈一点張りの重い手動ドアの車両を 通り抜ける行き来がたいへんです。 ということ で、 自分で持ち込まない限りは停車駅で食料を 買い込むしかありません。 シベリア鉄道の列車 写真4 70 シベリア鉄道 近 ロシア号 2009 JUL ネルチンスク付 は特急でも1日に3∼4回の停車駅があり、 20∼30分停車します。 停車駅ではホームや駅の フェンス沿いに担ぎ屋のような駅売りおばさん が陣取っていて、 手作りのお総菜やピロシキ、 野菜それにパンなどを売っています。 もっと本 格的な食品を売るキオスクもあります。 各車両 に2人づつ乗り組んでいる車掌、 つまりは客席 乗務員もここで買い出ししています。 ロシアで は車掌は始発から終点まで交代なしの勤務です から、 生野菜などを買い込んで車掌室でラーメ ンなどを作っています。 各車両には大型のサモ ワールつまり湯沸かし器があり、 いつでもお湯 が沸いています。 私たちもこのお湯でお茶やラー メンそしてみそ汁などを作りました。 ロシアで はかなり大きい箱形のインスタントラーメンを たくさん売っていますが、 その訳が良く判りま した。 こうした 「生活」 をしながら、 シベリアの大 地をじっくりと眺めながら行くわけです。 真夜 中にモスクワを出た列車は次の夜半にウラル山 脈を越えてシベリアに入ります。 ロシアでシベ リアと言うのはウラルからバイカル湖までのこ とで、 このシベリアを通過するのに3日、 極東 地方を抜けるのにも3日掛かるのですが、 なん と言ってもこのルートの圧巻は広大なシベリア 低地を走ることです。 ウラル山脈を越えたスベ ルドロフスク、 油田で有名なチュメニあたりか 写真5 シベリア鉄道ではホームで食料を買い込む (右端の女性はロシア号の車掌) 空の交差点 ら始まってイルティシュ川のオムスク、 オビ川 のノボシビルスク、 エニセイ川のクラスノヤル スクと真っ平らな大地が続きます。 このシベリ ア低地を走り抜けるのにまるまる2日掛かりま す。 汽車旅をしてはじめて判る広大さです。 と にかく1日中同じ景色で次の朝起きてもちっと も変わらないのですから。 その昔大黒屋光太夫 は馬そりでここを通ったと思いますが、 今はたっ た2日で通り抜けられる、 これも線路があるお かげ、 これこそ旅は路づれの極みです。 4. 空路を楽しむ 日本からの海外旅行の多くはまず長距離長時 間の空路です。 航空会社は空の旅をゆっくりお 楽しみ下さいと言いますがファーストクラスな らいざ知らず、 いかにエコノミー症候群になら ないよう耐えるかが問題です。 それで昔から飲 物や機内食、 イヤホン音楽、 映画の上映などサー ビスに努めているのは良く判るのですが、 時間 はいくらあってもゆっくり出来る空間がない、 とても安眠どころではないというのが実情です。 もちろん昼間で窓際なら外が眺められますし、 夜間でもオーロラが眺められた幸運もありまし たが、 こうしたチャンスは限られます。 機長か ら今どこの上空を通過していますなどとアナウ ンスがあっても旅の路づれにはなりません。 そ の昔は赤道や日付変更線を通過すると記念品な どが配られていくらか 「路づれ」 を感じること もありましたが、 それもなくなりました。 それ に代わったのが座席毎のディスプレイによる映 像やゲームのサービスで、 これはかなり助かり ます。 客室乗務員のみなさんのあり様を拝見できる のも楽しみのひとつです。 日本の航空会社の心 こもったサービスはいつも心打たれますが、 最 近はネイティヴでない日本語で一生懸命に努め られるサービスを受けるのもうれしいことです。 また外国航空会社の機内ではエスニックなサー ビスもあってこれも面白いです。 トルコ航空で はアルコールのサービスがどうか心配だったの ですが、 ビールでもワインでも気前よく出して 写真6 ブラジル TAM 航空の客室乗務員 もらえたのにはおどろきでした。 お酒で言えば 日本の便ではエコノミーでも日本酒があるのは うれしいです。 客室乗務員の制服はどのライン でも趣をこらしているので目の保養になるので すが、 ブラジルの TAM 航空ではTシャツの ような制服だったのにはびっくりしました。 かっ てブラジルを代表したヴァリグが経営破綻した あと、 TAM 航空と GOL 航空が熱烈な競争を 繰り広げた結果のひとつだそうですが、 それに しても中年の客室乗務員さんがTシャツとはちょっ とお気の毒な感じがしました。 飛行状況が CRT で見られるようになったの はだいぶ前のことですが、 これはかなりのイン パクトでした。 やれやれここまできたか、 もう 少しの辛抱だと思うだけでも気が休まります。 それがどんどん進歩して液晶画面でフライトマッ プが見られるようになって窓から外を眺められ なくても、 真夜中でも今どこを飛んでいるのか 判るようになりました。 マップに出てくる街の 名前でいろいろ旅情も湧いてくるというもので す。 この冬、 トルコに行ってきました。 成田から イスタンブール直行便でしたが、 エアバス A340 で乗るのは初めてでした。 ジャンボより 小柄なせいか客室内は軽快な感じで好感が持て ました。 空旅の楽しみのひとつはいろいろな飛行機に 会えることです。 シベリア鉄道旅の終りにウラ 2009 JUL 71 写真9 写真7 トルコ航空 A343機 成田空港で ツポレフ204 ウラジオストック空港で ジオストック空港でけたたましい爆音を轟かせ ている飛行機を見ました。 北朝鮮のアントノフ 24でした。 その昔この機種に耳栓なしでこれに 乗り、 降りてもしばらく耳がガーンとなったこ とを思い出します。 こんなのがまだ現役 (高麗 航空) というのもかの国の実情がしのばれまし た。 ロシアの空港ではいろいろなイリューシンや ツポレフが見られるのも楽しみですが、 最近は エアバス、 ボーイングも増えてきたようです。 ウラジオストック空港ではツポレフ154、 ツポ レフ204などがありました。 帰りの新潟便はウ ラジオストック航空のツポレフ204でした。 昔 ツポレフ134や154 (まだ現役とは!) に乗った ことがあり、 ぞっとしない記憶があったもので すから、 そんな延長かと思いましたら、 これは びっくりでした。 機内はまるで最新式のエアバ スやボーイングと変わらない感じです。 座席も 荷物棚もギャレーもです。 どうもみんな日本メー カー製のように思いました。 写真8 72 高麗航空 アントノフ24 ウラジオストック空港で 2009 JUL 写真10 ツポレフ204 機内 さて、 トルコ航空イスタンブール直行便です が、 これはいったいどこを通るのか?、 これが ひとつの謎でした。 成田から地球の反対側のサ ンパウロへ行くのはどこを通っても同じことで、 JFK に立ち寄るのは運行上か営業上の都合だ ろうと理解できるのですが、 ノンストップのイ スタンブール行ならその制約はなし、 サマルカ ンド辺りを通るのかなと思ったりしていたので す。 そんな予想に反して搭乗機は新潟、 沿海州北 部からシベリア (正しくはロシア極東地方) に 入って行きます。 ハバロフスクあたりで暗くなっ て外は見えなくなりましたが、 フライトマップ で見ると機はバイカル湖の北、 アンガラ川にほ ぼ沿って西進しています。 欧州便のシベリアルー トよりだいぶ南だと思いましたが、 飛行速度は 800km/h を切って750km/h くらいにもなって います。 省エネ飛行と言うこともないとすると 空の交差点 ジェット気流が強いのでしょう。 その後機は飛行ルート図 (グーグルマップに 筆者書き込み) のように、 クラスノヤルスク北 方からこれもシベリア鉄道の要衝スベルドロフ スク (エカテリンブルク)、 チュメニそしてサ マーラからボルガ川に沿って南下し、 ボルゴグ ラード (かってのスターリングラード) へと飛 んでいます。 ところがここで向きを変えクリミ ア半島に向かい、 オデッサとセバストポリの間 から黒海を縦断して、 イスタンブールに向かい ました。 エカテリンブルクからボルゴグラード へはカザフスタン上空を避けているのでうなず けるのですが、 それならクリミア半島はウクラ イナですから、 これも避けてカフカス (コーカ 写真11 フライトマップ ボルゴグラード∼オデッサ サス) 北部から黒海に抜けることもできるはず です。 ある国の上を飛ぶには通行料を払うのだ そうですが、 これならロシアだけ通ったことに なります。 そう思ったのですが、 考えてみると あのヤルタ会談のヤルタがあるクリミアは元来 ロシア領だったのが、 スターリン時代に同じソ 連の体制下だったからでしょうが、 ここをウク ライナに割譲してしまったのでした。 ソ連崩壊 後ウクライナが独立し、 ロシアと対立するよう になると、 ロシアの黒海玄関口のオデッサとロ シア艦隊の拠点セバストポリ軍港が困った存在 になりました。 ロシア側はクリミア全体をロシ ア領に戻したいようですが、 これは難しい問題 です。 軍港は租借料を払ってロシアが維持して いるそうですが、 ロシアにしてみればトルコ航 空機がクリミアを飛ぶのもロシアの内だと思っ ているのか、 いやそんなことはないだろうと か……、 いや何も見えない空の長旅も面白くな りました。 とても寝ているひまはないですね。 イスタンブールから成田への帰りのルートは 追い風ですから、 モンゴルを通り抜ける大圏ルー トかなと思ったのですが、 これがまた、 なかな か面白い飛び方でした。 イスタンブールから黒 海を横断する形で東に向かい、 ロシアに入らな いように、 まだ民族大虐殺問題で対立している アルメニアは避けて、 グルジアからアゼルバイ 成田−イスタンブール飛行経路マップ (2008-2) 2009 JUL 73 ジャンを通ってカスピ海を横断します。 紛争が 納まったとは言えまだ緊張が続くグルジアを通 るのは、 親欧的なグルジアとこれまた EU に加 盟したいと憂き身をやつしているトルコの関係 かと思うのは読み過ぎかも……。 さてバクーあたりのカスピ海で向きを変えて トルクメニスタン、 ウズベキスタンに入らない ようにカザフスタンを横切ります。 渇水で縮小 著しいアラル海はウズベキスタン領がほとんど ですから北辺をかすめるように飛びます。 広大 なカザフスタンは新首都アスタナとアルマトイ (アルマアタ) の間からバルハシ湖に向かいま したが、 これは玄奘・三蔵法師様が通ったシル クロードルートからはかなり北側です。 この辺 での飛行速度は900∼1000km/h くらいで、 往 路とは段違いでした。 バルハシ湖から魔鬼城で 知られるカラマイ付近で中国・新彊に入ります。 ここからモンゴルと中国国境沿いを飛びますが、 これはなるべく大圏コースに近いが、 モンゴル に入らないようしているのでしょう。 こうして 大黄河湾曲部の臨河、 包頭から北京を北回りし、 山東半島上からソウル、 鳥取に向かいます。 こ のあたりも詮索すればいろいろありそうです。 5. むすび 最果てのシルクロード トルコの旅では笠をかぶった煙突のような奇 岩があるカッパドキアからコンヤを経て石灰岩 の棚田のパムッカレまでの730キロを1日かけ てバスで移動しましたが、 このルートのほとん どがトルコ国道 D300 号線でした。 この街道は 74 2009 JUL イラク国境からトルコ内陸部を通り抜けて、 エー ゲ海の要港イズミールに至るもので、 これは往 年のシルクロード街道です。 途中にはラクダ隊 商の宿泊所であるキャラバンサライもそっくり 残っています。 沙漠ではないのですが、 なだら かな起伏のある広大な平野が続き、 なんとなく 隊商の長いラクダの列がゆっくり進む姿が思い 浮かぶような風景です。 冬だったので真っ白な 原野に一本道が続き、 その先には白雪の山々が 望見されました。 カッパドキアから最初の街ア クサライでは首都アンカラへの EU 道路、 E90 と交差しますが、 調べてみるとこの E90 はイ ラク国境から始まって、 トルコの首都アンカラ− ギリシャのテッサロニキ−イタリアのブリンディ シ−シチリアのパレルモに続く2桁番号 EU 道 路 (Aクラス道路) では最南にある東西道路で す。 陸路でつながってはいないのですが、 スペ インのバルセロナからマドリッドそしてポルト ガルのリスボンに至る道路の番号がこの E90 です。 トルコという国はポルトガル、 スペイン、 イタリア、 ギリシャと並ぶ 「南欧」 の国なので す。 地中海沿岸にオリーブ畑が続くトルコはス ペインに次いでオリーブの生産量が世界第2位 なのもうなずけます。 われわれが憧憬するシル クロードが中国国道312号線で始まり、 それが 中央アジアを経てトルコに至り、 国道 D300 号 線となってローマに通ずる。 ほぼそのルート上 を飛んでイスタンブールから帰る。 旅はポイン トツーポイントだけではなく、 道づれ、 路につ れで楽しみましょう。 マルコポーロのようになっ たつもりで。 ◎寄 稿 ダッカの空の下 第1部 33年前のハイジャックで 囚われの身になった乗客 得猪 地の果て ドバイで1週間あまり、 ひたすら王様に会え るのを待っていた。 100万トンの修繕船ドックの建設を承認して もらうためだが王様は気まぐれで、 なかなか会っ てくれない。 原則禁酒国だからどこからか仕入れてきたウ イスキーを冷蔵庫にいれてこっそり飲んでいた。 見通しが立たないので偉い人だけを残して我々 は帰ることにして飛行機の予約もとった。 直後に今晩王様の謁見があるとのことで慌て てフライトをキャンセルしてアラビアンナイト のような宮殿へ出向いた。 王様は黒い鉢巻をしたオバQのような格好を していて気さくにお茶を注いでくれた。 右手に 茶碗を持って畏まって下を見ていたら、 目の前 に王様の素足があった。 皮のサンダル履きで垢だらけ、 ひびだらけの 素足である。 その日、 プロジェクトについて王 様はウンともスンとも言わなかった。 そんなわけで行き当たりばったりの飛行機で インドのボンベイに出て間一髪の差で日航の南 周り東京行きを捕まえることができた。 荷物はチェックインする暇がないので後便に託 し、 ボディチェックも省略して飛び乗った途端、 日本赤軍のハイジャックに出会ってしまった。 事件の第一報を知らせる日本の夕刊に 「離陸 直前、 予約もなしに飛び乗った怪しい日本人が 2人いる。 警察はその2人の身元を調べている」 と書かれた。 外明 犯人は5人組でリーダーの丸岡修は以前 PFLP ゲリラと組んで日航のジャンボ機を乗っ 取ってリビヤのベンガジで爆破した実績がある。 残り4人は覆面だが名前を聞けば誰でも名前を 知っている連中だ。 パスポートも財布も全て取り上げられて窓の ブラインドも全部降ろしたまま、 どこを飛んで いるのかさっぱり分からないまま、 やがて飛行 機はドスンとどこかに着陸した。 犯人が機内アナウンスでここはバングラデシュ のダッカである。 と教えてくれた。 名前を聞いた事はあるが、 どのへんなのか見 当がつかない。 とにかく暑いところだ。 電源車をつけないと空調が効かない DC8 型 機は、 たちまち酸素不足と灼熱地獄でパニック 寸前までいった。 犯人が目の前の非常口の前に バッグを置いて 「これは爆弾だ、 絶対にさわる な」 といった。 中身はちゃんと雷管がついた本 物のプラスチック爆弾だった。 電源車がついてクーラーが効いて寒くなりト イレに行きたくなった。 手をあげると1人がピ ストルを擬して後ろからついてくる。 扉を開け たままで背中にピストルをつきつけられて用を 足すなんて経験は滅多にできるものでない。 犯人たちの要求は日本に拘置されている7人 の仲間の釈放と身代金600万ドルを届けること だった。 いずれにせよ解決に時間がかかりそう だ。 我慢くらべでひたすら待つ以外方法がない。 日本政府の対策本部では犯人からの要求をめぐっ て紛糾したが福田総理の 「人命は地球より重い」 の一言で全面的に屈服した。 2009 JUL 75 超法規的措置で釈放された6人の仲間と600 万ドルを積んだ救援機が到着したのは、 まる3 日以上たってからだった。 やれやれこれで一件落着かと思ったら別のシ ナリオが用意されていた。 人質を60人だけ解放 して別の国へ飛ぶというのだ。 日本政府の代表 も必死で交渉したが相手の方が一枚上だった。 部分開放で深夜に、 乗客10人と引き換えに 200万ドルの現金を持って厳重な警戒の中をタ ラップを登ってきたのは三菱重工ビル爆破事件 で逮捕された東アジア抗日武装戦線の大道寺あ や子だった。 続いて浴田由紀子。 最後にこの作戦の目玉だった奥平純三が入っ てくるまでの約6時間はスリルの連続だった。 ダッカで解放されないことははっきりしたか ら早く飛んで欲しいと思っていたら空港ターミ ナルでクーデターが起こってしまった。 反乱軍が600万ドルの現金をねらったのかも しれない。 結局、 このクーデターで政府軍、 反 乱軍合わせて200人以上が死んで管制塔は血の 海になった。 戒厳令がでて空港の機能がマヒするなか深夜 に逃げ出すように行く先不明のハイジャックツ アーに飛び出した。 気象情報もなく、 いきなり飛んだものだから デカン高原の上空でいきなり積乱雲に突っ込ん で一瞬機体が空中分解したかと思った。 犯人が最初に指定したのはクエートだったが 管制塔は電気を消したまま着陸を拒否し続けて いた。 何時間も上空を旋回していたがこのまま では海岸に不時着せざるをえない。 機長が場所 を探しながら国際緊急遭難信号を発信したら管 制塔が燃料があと何分持つか聞いてきた。 次の 瞬間、 眼下の滑走路にパッと照明がついた。 クエートでは乗客3人を解放して給油した後、 慌しく離陸した。 次に着陸したのはシリヤのダマスカスである。 生臭い政治情勢とは縁がなさそうな牧歌的なの んびりした飛行場だった。 このあたりは PFLP や日本赤軍のホームグランドに近い。 ここでやっ とお終いかと思っていたらまだ先があった。 地 中海を西に向ってまた飛んだのである。 76 2009 JUL クレタ島を越えたあたりで犯人は南下してリ ビアに行くよう指示した。 やがてトリポリの管 制塔から領空に入ったら撃ち落すと警告してき た。 以前ベンガジで日航機を爆破させたことが ある犯人は舌うちしてそのまま西へ行くように 言った。 この頃になると気心がしれて犯人たちともへら ず口をたたくほど仲が良くなってしまった。 どこ かで道を間違えたのだが純心な若者たちだった。 最後に着陸したのは、 地の果て、 アルジェリ ヤだった。 犯人5人と奪還した仲間6人は別れ るとき 「ご迷惑をおかけしました。 気をつけて お帰りください。 いつか一緒に東京でビールを 飲みましょう」 なんて調子のいいことを行って 去っていった。 結局、 飛行機のなかに134時間いた。 1週間ほど遅れて東京に帰ってきたのだが、 しばらく警察やらマスコミの対応で大変だった。 出社したら広報部が勝手にテレビ局と交渉して いて、 今からフジテレビに行って 「三時のあな た」 に出ろという。 番組は三田佳子がホステスをやっていた。 女 盛りの彼女は短いスカートに真っ赤なブーツ姿 で椅子にすわったものだから、 私の眼の前に彼 女の太ももが現われてしまった。 そのころのス タジオはやたらに暑くて照明が強力だったから 汗をかいて、 なにをしゃべったか覚えていない。 確か出演料は1万円だった。 人事部へ行って出張費の精算をした。 大会社 の規定だから資格別、 地域毎に日当、 食費、 宿 泊費など細かい規定がある。 飛行機のなかに閉じ込められている期間、 日 当は出たが宿泊費が問題になった。 担当の女の 子がきわめて事務的にこれは機中泊ですといわ れてダーッとなった。 その後、 趣味がひとつ増えた。 あちこちで捕 まりはじめた日本赤軍メンバーの裁判を聞くこ とである。 なかでも最高幹部だった重信房子の 裁判には思い当る証人も出廷して興味はつきな い。 警視庁の鏡張りの部屋で首実験をやって検 事にいろいろ話したこともあるのだが裁判はまだ 終了していないのでうっかりしたことは言えない。 ◎寄 稿 ダッカの空の下 第2部 33年前のハイジャックで 囚われの身になった医師 穂刈 人間の記憶の中には、 30年余り経ってもなお 鮮明に残っているものがある。 昭和52年9月28日、 私は日本航空機に乗って いてハイジャックに遭遇した。 当時、 私は日本航空の健康管理部に所属して いた。 この年の4月、 中東のカイロ市周辺に住 む日本人留学生の間で肝炎が集団発生的に流行 したので、 その予防と対策のために、 慈恵医大 の今井先生と一緒に現地を訪れた。 さらに同年9月になると、 肝炎の確定診断の ためペア血清を採取して抗体値を測定する必要 が生じ、 再度カイロに出張したのである。 その帰路の途中の出来事であった。 ボンベイ 空港を離陸した飛行機がハイジャックに遭遇し、 ダッカ空港 (バングラデシュ) に強制着陸させ られたのである。 6日後にダッカを飛び立つまでの間、 外部の 様子はまったく判らず、 すべて犯人の言葉に従 わざるを得なかった。 DC8 はエンジンを停止 するとエアコンが働かず、 密閉された狭い機内 の環境は悪化し、 室内温度、 湿度も上昇して全 身が汗でぐっしょりとなり、 ただ生きているだ けというような状態であった。 食事と飲み水が 不足し、 身体活動の不足なども一因となり、 発 熱、 不眠、 精神錯乱、 下痢、 腹痛など、 多くの 病人も連鎖的に発生した。 特に外国人のほうが こうした悪環境に弱いようだった。 我々が機内 に閉じ込められている間、 機外ではダッカ空港 内で暴動が起こり、 200人もの死者が出ていた という。 福田総理は 「人命は地球より重し」 と称して ハイジャッカー側に600万ドルを支払ったうえ、 正臣 収監されている日本赤軍犯を釈放し、 彼らと乗 客との人質交換ということで、 ダッカ空港で乗 客118人が開放されたのである。 ところが、 10月3日、 残る乗客29名、 乗員7 名、 そして赤軍11名を乗せた飛行機はダッカ空 港を飛び立った。 私もその中にいた。 行く先の わからぬ不安な旅が始まった。 クエート空港上空に達すると、 ダッカで身代 わりとして乗り込んだ桜庭機長は 「メーデー」 (フランス語で 「助けてください」 という意味) の国際救援信号を送り、 同空港に着陸して6名 が開放された。 次いでダマスカスでは12名が釈 放された。 じっと着座したままのわれわれ人質 は、 外界で何が話され、 何が取り決められてい るのか知るすべもなかった。 ダマスカスを離陸した飛行機が地中海上空に 入ると、 最終目的地がアルジェであることを知 らされた。 やがて飛行機が降下しはじめ、 窓の 下に見える海面に浮かぶキプロス島はまぶしく、 美しかった。 苦しくて不安だった長旅は、 134時間ののち アルジェ空港で終わりを迎えた。 われわれ人質 は自由の身となった。 最後に開放された人質11名と運航乗務員、 客 室乗務員が32年振りに、 初めて再会することに とく い なったのである。 乗客の一人であった得猪外明 さんが某出版社から出版した本を私のところに 送ってくれたのがきっかけであった。 彼にお礼 の電話をしたところ 「あのときの関係者で集ま ろうよ」 という話しにまで発展したのだ。 私が 日航関係者を集め、 得井さんは乗客関係をと決 2009 JUL 77 まった。 しかし、 実際はパーサーだった池末武 夫さんがみんなに声をかけてくれたのだったが。 場所は銀座7丁目のビルの4階にある蕎麦屋 であった。 当日が待ちどおしかった。 その日は 5月の末で曇っていた。 日航関係者とはたまに 会うこともあったが、 ハイジャックにあった乗 客の皆さんにお会いするのは、 得猪さんを別に すれば事件後初めてであった。 当日集まったのはパイロット2名、 客室乗務 員5名、 そして乗客が私を含めて6名であった。 澤田機長が所定時刻の30分も前に会場に来て いた。 彼は、 ダッカ空港で飛行機の行き先に障 害物を置かれ、 それを避けるためにバックさせ たパイロットである。 久しぶりに会った彼は、 やはり少し年とったように感じられた。 30数年ぶりの出会いであった。 町中で偶然お 会いしても判らないだろう、 と思われるほど誰 の顔も変わっていた。 ところが、 事件当時の顔の載っている報道写 真集を持ってきてくれた人がいた。 それを眺め つつ話し合っているうちに記憶がよみがえり、 名前と顔が一致した。 一番の年長者は78歳になった宝石商の大山芳 彦さんで、 現在は仕事をしていないという。 次 いで聴力が低下したとのことだったが、 徳島県 からこられた鈴木彰さんで、 180坪の自宅の庭 で毎日畑仕事をしているとのことであった。 もう一人は肺がんの手術を2年前にされたと いう大野義郎さんである。 地球の生い立ちの話 をしておられた。 得井外明さんは神田雑学大学 で講師をしておられ、 ボランティア活動に熱心 と見受けられた。 一番若いのが55歳の青木孝二さんで、 山口県 から飛行機でこられた。 ハイジャックのために 結婚が遅れた、 と話しておられた。 澤田機長は現役を引退し、 外国人に日本語を 教えたりしてボランティア活動に勤しんでいる という。 唯一人の現役で働いているのは、 当時入社し たてのセカンドオフィサーであった牟田幸雄機 長である。 彼は八ヶ岳に住んでいて、 2年後に は定年だという。 78 2009 JUL 当時、 入社したてで若かった客室乗務員2人 は、 いまや中年のおばさん (?) となり、 孫が いるという。 時間の経過の早さに驚かされた。 桜庭、 中村 機長など亡くなった人が4人もあり、 今回の集 まりに際して、 4人の乗客には連絡が取れなかっ たという。 ダッカを出てからひどいタービュランスに遭 い、 飛行機が突然揺れたために大腿部を打撲し た赤軍の一人にシップを施した話しや、 アルジェ 空港に着いてホテルに向かうときに乗った自動 車が、 猛スピードで町中を突っ走り、 怖かった ことなど、 共通体験の話しに花が咲いた。 楽しいひと時を過ごしていたところに石井一 代議士が尋ねてきた。 当時、 政府救援機団長と してダッカ、 次いでアルジェまできてくれた人 である。 誰からか話を聞いて、 わざわざこの集 まりに来てくれたのである。 時間は短かったが、 懐かしそうに一人一人と話しをしていた。 赤軍に機内でパスポートを没収された乗客の 名前がブラックリストに載せられている結果、 その後海外に出かけるたびに入国審査で引っか かり2、 3時間も時間を浪費することがあって 困った、 という話も出た。 30年余という長い月日の流れのなかで、 一人 ひとり異なった歩み方をしてきた。 しかし、 あ の事件のこととなると、 対する思いはみな同じ と感じられた。 ただ、 ああした過酷な環境の中 で味わった不安や恐怖や憎しみも、 時の流れと ともに薄れていき、 何もかもが懐かしく思い出 されるだけになったような気もするのである。 来年もまた会おう、 ということになった。 山 口県や徳島県から上京する人には、 澤田機長が 半額の株主優待券を渡すということになったよ うである。 蕎麦屋の部屋で談笑しながら、 それとなく仲 間の顔を眺めていると、 走馬灯のように当時の 姿がよぎったのであった。 そして 「生きている ということは素晴らしいことだね」 と仲間の1 人がつぶやいていた。 編集委員会、 当時の記事を発見 ! ハイジャック後の会見記事 穂苅正臣さん (43) 東京都目黒区八雲 日本航空嘱託医 医者として気をつけたことですか? 解放さ れるまでの時間が長くなるのか短くなるのかに よって状況が変わって来ますから、 その設定が 非常にむずかしかった。 長くなれば伝染病とか 食中毒など衛生的なことや、 乗客の皆様の体力 的な衰え、 ストレスなどに気を配らなければな らなくなりますから。 ともかくぼくは、 みんなに 「医者がいるから 心配するな」 という心強さを植えつけ、 犯人と 乗客との間の潤滑剤になって冗談をいいながら 空気をやわらげるようにと心がけました。 時間の経過とともに、 病人がどんどん出まし て、 犯人がしょっちゅうぼくを呼びに来ました。 精神的なものやら、 下痢、 腹痛などいろいろで す。 ぼくが持ち歩いている薬や注射、 機に備え てある薬のほかに、 お客様がお持ちの薬も供出 していただいて緊急のときに備えました。 犯人は一般のお客様についてはぼくのいうこ とをわりに聞いてくれたんですが、 ガブリエル 氏 (米人銀行家、 犯人に処刑第1号に指名され たが、 病気のためダッカで解放) の場合はいろ んな背景でむずかしかった。 1人の外国人男性 が血庄が非常に高くて心臓発作を起こし、 最初 に解放された5人に入ったんですが、 その様子 を見てガブリエル氏もやはり心臓が苦しいと言 い出したんです。 それに、 彼は前立腺肥大で、 しまいには腹膜炎症状みたいになった。 で、 「非常に危険だ」 とやっと解放してもらいまし た。 コレラ騒ぎは、 ピストル以上に心臓の動悸を 覚えました。 エジプト人の医者と称する人が 「お前も近付いちゃいけない」 というし。 みや げのナポレオンでみなさんの手を消毒したり、 赤軍が頭からウイスキーをかぶったり、 という こともございました。 澤田隆介さん (37) 千葉県船橋市緑台 日本航空機長 別なフライトを終えて帰る途中、 つまり乗客 として乗り合わせたのです。 ファーストクラス の後ろの方の席で眠ってたのですが、 ボンベイ を過ぎたところで後ろから若い男たちがダッと 走り出ました。 ねぼけてたこともあって初めは 火事かなんか、 事故だと思いましたが、 銃を構 えているのが見えて、 ハイジャックとわかりま した。 まず、 犯人の数と持っている物 (武器) を見 たのですが、 手りゅう弾まであるので 「これは だめだ、 やられたな」 と思ったわけです。 初め は犯人側も私が乗員であることに気付かなかっ たようです。 乗客の若い男は全部窓側の席にチェ ンジさせられまして、 私も移されました。 ダッカに降りてから私がキャプテンだとわか り、 それから待遇がよくなったというか私のい うことをよく聞くようになりました。 「水を配 れ」 とか 「少しドアを開けたらどうか」 とか。 ダッカを離陸するときに、 あの機では初めて 操縦桿を握りました。 一部ではダッカ離陸のと きはコントロールタワーにだれもいなかったな どと伝えられたそうですが、 そんなことはあり ません。 ちゃんと管制官がいまして正常な状態 で離陸できました。 操縦室内には、 いつもコマンダーと呼ばれて いる犯人がいて、 他の犯人は伝令とか、 われわ れをウォッチ (看視) するために交代で入って 来ました。 1つ驚いたのは、 犯人が非常に飛行機にくわ しいことでした。 ただ 「あれは何だ」 と聞くの ではなくて、 専門的なことでも確認をとるよう な聞き方をするんです。 よく質問をするやつが 「DC-8 の特訓をした」 といってました。 その 努力を一般社会に役立つようなことに向ければ 相当なものなんですがね。 2009 JUL 79 た サ サムライが来た ダ ッ カ 事 件 は 、 日 本 赤 軍 ダ ッ カ 空 港 に 着 陸 さ せ 、 乗 ク し 、 バ ン グ ラ デ ッ シ ュ の 和 夫 が 日 航 機 を ハ イ ジ ャ ッ 日 航 の 操 縦 士 で あ る 事 が 分 っ た た め 犯 人 の 所 持 品 検 査 で バ ッ ク は 操 縦 室 に 置 い て い 旅 券 な ど を 入 れ た フ ラ イ ト し て 私 服 で 帰 国 途 中 だ っ た 。 ま で 飛 び 、 事 件 機 の 乗 客 と 長 と し て サ ウ ジ ・ ア ラ ビ ア 澤 田 さ ん は 日 航 貨 物 機 機 労 困 ぱ い 、 手 榴 弾 と ピ ス ト で 澤 田 さ ん と 犯 人 た ち も 疲 そ う だ が 、 熱 さ と 睡 眠 不 足 る 乗 客 も 多 く い た 。 乗 客 も 度 は 四 〇 度 を 越 え 、 裸 に な エ ン ジ ン を 切 っ た 機 内 の 温 人 質 は 一 歩 も 外 に 出 ら れ ず 、 も ち ろ ん 自 費 だ っ た 。 演 随 行 が 初 の ブ ラ ジ ル 訪 問 。 は 縁 が な く 、 今 回 の 講 談 公 け 巡 っ た が 、 な ぜ か 南 米 と 四 十 二 年 間 世 界 の 空 を 駆 御 所 に も 数 回 招 か れ て い る 。 そ の 縁 で か 、 そ の 後 、 東 宮 た 武 勇 伝 の 持 ち 主 だ 。 で 投 降 す る ま で の 一 週 間 、 操 縦 士 と し て 赤 軍 コ マ ン ド た ち と 丁 丁 発 止 の や り と り を 行 っ 九 月 、 日 本 赤 軍 が 日 航 機 を ハ イ ジ ャ ッ ク し た ダ ッ カ 事 件 で 、 ア ル ジ ェ リ ア の 首 都 ア ル ジ ェ 理 事 で 千 葉 花 見 川 ラ イ オ ン ズ ク ラ ブ 会 員 で も あ る 澤 田 隆 介 さ ん 。 こ の 人 は 、 一 九 七 七 年 動 を 共 に し て い た 長 身 の ス マ ー ト な 男 性 が 目 に 付 い た 。 社 団 法 人 日 本 航 空 機 操 縦 士 協 会 フ ァ ン に 強 烈 な 印 象 を 残 し て 十 五 日 夜 帰 途 に つ い た が 、 塾 生 で は な い が 、 一 行 と 常 に 行 と し て 犯 人 が 命 じ る ル ー ト そ の 後 、 ダ ッ カ か ら 機 長 運 事件当時を語る澤田隆介さん 六 人 と 現 金 六 百 万 ド ル 員 ・ 乗 客 百 五 十 一 人 の 人 質 ア 、 ダ マ ス カ ス と 飛 び 三 十 り 出 し に 役 立 っ て い る 。 こ の 時 、 こ の メ モ が 犯 人 割 に 届 け る よ う 頼 ん で い る 。 を す ば や く 渡 し 、 大 使 館 員 人 の 特 徴 を 記 し た こ の メ モ 地 で 解 放 す る 人 質 た ち に 犯 を 六 日 間 飛 ぶ が 、 一 味 が 各 の 背 ポ ケ ッ ト に 隠 し 、 犯 人 澤 田 さ ん は と っ さ に 前 座 席 計 、 筆 記 類 を 没 収 し た が 、 た 。 犯 人 一 味 は 、 乗 客 の 時 二 十 二 歳 で 教 官 と な り 、 二 縦 学 校 。 操 縦 学 校 卒 業 後 は 道 は 高 校 卒 業 後 自 衛 隊 の 操 あ る が 、 澤 田 さ ん が 選 ん だ ロ ッ ト か ら の 移 動 と 三 通 り 成 、 航 空 大 学 、 自 衛 隊 の パ イ 死動ら共原 操し員免に爆澤 縦たでれ郊投田 士。工た外下さ に 場がに一ん な に、疎週は る 行兄開間広 道 くとし前島 は 途姉て、市 自 中は被父出 社 で勤爆母身 爆労かと。 養 た と い う 。 触 即 発 の 危 な い 空 気 が 流 れ ル で 武 装 し た 犯 人 た ち と 一 行 き で 、 ア テ ネ 、 テ ヘ ラ ン 、 こ の 旅 客 機 は パ リ 発 東 京 ぶ り に 解 決 し た 。 こ の 間 、 条 件 付 で 投 降 、 事 件 は 六 日 由 紀 子 な ど 六 人 の 釈 放 犯 は 国 し た 大 道 寺 あ や こ 、 浴 田 本 政 府 の 超 法 規 的 処 置 で 出 を 釈 放 、 コ マ ン ド 五 人 と 日 と 交 渉 し た 結 果 、 人 質 全 員 わ た っ て ア ル ジ ェ リ ア 当 局 港 に 着 陸 、 一 味 は 二 時 間 に ル ジ ェ の ダ ル エ ル ベ イ ラ 空 の 説 明 を し た こ と も あ る 。 覗 か れ た 美 智 子 妃 に 機 器 類 も つ と め 、 コ ッ ク ピ ッ ト を 中 近 東 公 式 ご 訪 問 時 の 機 長 皇 の 皇 太 子 時 代 、 ア ジ ア 、 万 五 千 時 間 。 こ の 間 、 現 天 す る ま で の 飛 行 時 間 は 約 一 搭 乗 は D C ︱ 8 型 機 。 退 職 み 、 キ ャ プ テ ン と し て の 初 7のた十 4副。七 7操ス歳 縦タで ジ士ー日 ャ。ト本 ンそは航 ボの7空 後2に D 機C7入 と8型社 進、機し 「 ) ( ) 2009 JUL 日 、 ア ル ジ ェ リ ア の 首 都 ア ( カ ラ チ を 経 由 し て ボ ン ベ イ り田移時 重首送約 い相さ十 のせ六 た億 の 超人事円 法の件 規命。を 的は当ダ 処地時ッ 置球のカ はよ福に 武 ダ ッ装 カ赤 事軍 件と の一 日週 航間 元 パ睨 イみ ロ合 ッい ト と 交 換 に 、 日 本 で 在 監 ・ 拘 に 着 陸 、 ボ ン ベ イ 離 陸 直 後 そ の 後 、 物 議 を か も し た 。 宝 井 琴 梅 師 匠 と 渥 美 講 談 塾 一 行 の サ ン パ ウ ロ 、 リ オ 講 談 公 演 は 、 話 芸 の 真 髄 を 披 露 し 留 中 の 赤 軍 仲 間 奥 平 純 三 当ら に ハ イ ジ ャ ッ ク さ れ た 。 」 80 広宝 島井 原琴 爆梅 逃師 れに た同 強行 」 の 丸 岡 修 、 和 光 晴 生 、 佐 々 「 木 憲 規 夫 、 坂 東 国 男 、 戸 平 ダ ッ カ 、 ク エ ー ト 、 シ リ 人 の 特 徴 を 書 き 続 け た 。 て い た 単 行 本 や 週 刊 誌 に 犯 の 様 子 を う か が い な が ら 持 っ ◎寄 稿 バードストライク対策の研究 SP 会員 はじめに 航空機は1980年代までに技術的にはめざまし い進歩を遂げ、 信頼性は向上して事故率は低下 して安全な輸送機関となりました。 航空事故の再発防止対策はさまざまな取り組 みが功を奏して確実に事故率は低下して安全性 は向上していますが、 鳥衝突に関しては、 その 発生件数は増加しており、 効果的な対策は見出 せていません。 今年1月のニューヨーク・ラガーデア空港を 離陸したエアバス A320 型機が鳥の群れに遭遇 して、 両エンジンに鳥を吸い込んだため推力を 失ってハドソン川に不時着水した事故で、 航空 関係者は衝撃を受け、 日本では2月13日、 国土 交通省で臨時鳥衝突防止対策検討会が開催され、 3月11日にも鳥衝突防止対策検討会が開催され ました。 バードストライク対策の一環として、 羽田空 港に10億円の予算で鳥探知レーダーを設置する 決定がなされました。 バードストライクによる重大事故 バードストライクによる過去の重大事故は 1960年10月、 ボストン・ローガン空港でイース タン航空のロッキード L118 が離陸直後、 ホシ ムクドリの群れに遭遇してバードストライクが 起こり、 海上に墜落し、 62名が死亡した事例が あります。 日本では年間1200件以上の鳥衝突が発生して いますが、 幸い墜落事故に発展した事例はあり ませんが、 航空会社の損害は数億円になります。 平成20年の主な鳥衝突事例は下記の通りです。 田中 一男 平成20年3月11日20:30頃 MD90 型機が福岡空港離陸上昇中、 福岡空 港の南7000ft 付近で鳥と衝突。 操縦室右側前 方下部の外板に損傷を受け、 航空事故扱いとなっ た。 平成20年7月21日08:59頃 B767 型機が宮崎空港離陸時、 鳥と衝突。 エ ンジンのファンブレードに損傷をうけた。 平成20年9月3日09:03頃 B767 型機が福岡空港離陸滑走中、 鳥と衝突 し離陸中止した。 平成20年9月29日16:40頃 B737 型機が石垣空港離陸滑走中、 鳥と衝突 したが、 目的空港まで飛行して到着後の点検で エンジンのファンブレードの損傷が確認された。 平成20年10月25日19:40頃 B737 型機が神戸空港離陸上昇中、 鳥と衝突 したが、 目的空港まで飛行して到着後点検で左 側フラップの損傷が確認された。 平成20年11月9日15:54頃 DC9 型機が徳之島空港離陸上昇中、 鳥と衝 突し、 目的空港を変更した。 到着後点検で第2 エンジンのファンブレードの損傷が確認された。 バードストライクに対する機体の対策 旅客機のジェットエンジンはエアインテーク の直径と推力が大きく、 バードストライクが発 生しやすいといえますが、 離着陸時のバードス トライクによる墜落を防ぐため、 ジェットエン ジン開発の際には高速回転中のエンジンに鳥を 吸い込ませるテストを行い、 吸い込んだ後でも 一定の推力が保てることを実証し型式認定され ています。 しかし複数の鳥が同時に吸い込まれ 2009 JUL 81 るとエンジンがフレームアウトして飛行不能と なることが今回現実となったのです。 旅客機のウィンドシールドが多層構造になっ ていて加熱されているのは、 バードストライク による衝撃を緩和する仕組みであることは周知 のとおりです。 鳥衝突防止装置の開発 鳥衝突防止装置の基本的考案の原点は鳥の視 覚の特徴を利用したものです。 鳥の視覚の特徴 を説明する前に、 人間の視覚についておさらい して見ましょう。 パイロットの初フライトは、 多分天候がよく 風が弱い昼間であったはずです。 昼間の離陸着 陸が出来るようになると、 夜間飛行に挑戦する ことになります。 この時、 人間の視覚の仕組みについて勉強し たはずです。 夜間飛行が昼間飛行とどう違うの か正しく理解していないと夜間飛行の危険性が 高まるのです。 昼間、 映画館にはいると真っ暗で何も見えま せんが、 しばらくすると周りが見えるようにな ります。 この現象を暗順応と言います。 視覚の仕組み 人間の視覚の仕組みは、 眼球の網膜には二種 類の細胞があり、 化学反応を経て電気信号に変 換され脳に伝えられますが、 明暗のみに反応す る感度敏感な桿体細胞 (ロッド) と、 色彩の波 長に反応する錐体細胞 (コーン) です。 桿体細胞、 錐体細胞ともに一度化学反応をす ると、 再び反応可能な状態に復帰するまでには ある程度の時間が必要です。 昼間は錐体細胞が働き色彩を判別しています が視界中の光量が減ると錐体細胞の機能が低下 して視覚が減退します。 明るいところでは桿体細胞は活動を低下させ ていますが暗い環境の中で時間が経過すると、 桿体細胞が反応できるようになり、 視覚が働く 82 2009 JUL ようになりますが、 暗順応には時間がかかるの です、 桿体細胞の感度は敏感で、 暗いときでも 機能しますが、 色彩はなくモノクロです。 一方明順応は、 短時間で錐体細胞は活動を始 めます。 いきなり明るくするとまぶしく感じら れるのは鋭敏な桿体細胞が活動しているからで す。 夜間飛行でコクピットを暗くしておくのは感 度の敏感な桿体細胞を働かせるためです。 夜間、 雷雲付近を飛行するときは雷の不意の 閃光で視力が幻惑されて視界を失う事態に対処 するためサンダーストームライトを装備して瞬 時に明るくして視界を確保する機種もあります。 錐体細胞は網膜の中心付近に分布しています が、 桿体細胞は網膜の周辺部に分布していて中 心部にはほとんど無いので、 暗いところで凝視 すると何も見えません。 視点をずらして網膜の 周辺部で物を見ると識別可能なのです。 人間の視覚が色を認識するのは、 眼球の錐体 細胞に含まれる3つの色素が光を吸収する割合 を計っているのです。 人間は赤 (Red)、 緑 (Green)、 青 (Blue) の三つの波長の光に感度の優れた視細胞を有し ています。 これらの感度を総合して色を認識し、 対象物体を認識していますが、 人間が感知する 三つの波長にはある幅がありオーバーラップし ています。 人間が識別できる光の波長は ■赤 (橙赤) (波長:550−650nm ピーク波長: 約560nm) ■緑 (波長:500−600nm ピーク波長:約530 nm) ■青 (紫青) (波長:400−500nm ピーク波長: 約430nm) ですが鳥が識別できる光の波長は特徴がありま す。 人間とは光の感じかたがまったく違うので す。 そのことが鳥衝突防止装置の開発の原点で す。 鳥類の視覚 鳥類は4つの波長の光に感度が優れています が、 視細胞 (錐体) の視物質 (色素) は人間の 場合と同様にある波長の幅の光に感度がありま す。 しかし、 錐体において、 光の方向の上流側 に存在する油球という物質が存在し、 錐体に届 く光の波長を狭めるフィルターの役割をしま す*。 そのため、 感じる波長の幅は極めて狭く、 人間の視力とは仕組みが違うのです。 鳥類の視野は極めて広く帯状に360度近い種 類が多く、 視野の広い多くの鳥は、 前方視と側 方視の情報がそれぞれ異なった神経系統を通っ ており、 情報処理様式が相当異なっていると考 えられています。 ワシタカ類は比較的前方に限定されます。 網 膜細胞の密度は哺乳類よりも高いとされます。 多くの種類では網膜に主として錐体細胞 (明 るい環境で働く細胞で色彩を感じる) が多く存 在して桿体細胞 (暗い環境で働く細胞でモノク ロでかんじる) が乏しく、 これらの種が所謂ト リメであるとされますが、 種類によっては桿体 細胞を多く有しており、 夜間飛行が可能であり、 現にバードストライクの4割が夜間に発生して います。 錐体細胞の光感受物質が哺乳類よりも1種類 多く、 錐体細胞がペアになって機能している事 から、 周波数分解能は高いと言えます。 低い紫 外線の周波数領域も知覚可能です。 素早い動きを分解して見る能力は人間の数倍 の分解能力を持っていると推定されています。 そこで鳥の視細胞の感度のいい波長の光のひ とつまたは複数を 「半導体発光素子」 で生成し て照射すると、 過剰の刺激を与えることができ 視覚を撹乱できるはずです。 これが今回の鳥衝突防止装置の原理です。 *引用文献 “鳥類の視覚受容機構、 杉田昭栄、 バイオ メカニズム学会誌、 vol.31, No.3, pp.143-149 (2007) 2009 JUL 83 新連載 アメリカの GA 航空事情 「飛行訓練および操縦資格取得要領」 エアーアコード・フライングスクール校長 脇田 祐三 ゼ大学へ留学し、 生まれて初めて C-172 に乗 せて貰ったのを機に飛行機の操縦に魅惑され、 当初予定していた滞在期間3年は今や31年目を 迎えました。 83年2月 CFI-IA (教育証明−計 器) を取得してから教習畑一筋に身を置き、 88 年5月エアーアコード・フライトスクールを開 校 。 一 昨 年 5 月 Designate Pilot Examiner (DPE) に任命され、 育てる側と試す側の両方 に立って、 安全を主眼とするパイロット育成に 努めています。 脇田祐三氏近影 はじめに 日本航空機操縦士協会の皆様、 初めまして。 日本へ帰国した折り、 徳田忠成様にご案内さ れて、 皆様が活動の場とされておられる操縦士 協会事務所へ初めてお連れいただき、 此の度の 機会を得ました。 Pilot 誌は、 時折拝読してい ますが、 各方面でご活躍されておられる方々の 体験談や、 懐かしい方々が表彰されている記事 を発見し、 皆様へご祝辞とお喜びを申し上げま す。 私はアメリカ滞在が長く、 早いスピードで進 展する日本の世情から遠ざかる一方の昨今なが ら、 日本とアメリカを結ぶ架け橋の一端を担う 事ができればと、 従事している 「Training and Practical Test」 を先ずは回想からお伝えしし たいと思います。 自己紹介 1978年9月“Do you know the way to San Jose∼”ボサノバ風の歌でしか聞いた事がな かった町に所在するカリフォルニア州立サンノ 84 2009 JUL 回想 航空産業活性化政策まっただ中にあった70年 代後半、 アメリカに来て最初に入居したフーバー ホールという大学の寮は、 Aviation Engineering を専攻している学生達が大勢を占めた、 ま るでパイロットの館でした。 「アメリカの歴史 は航空産業の発展と共に」 と聞いてはいたもの の、 当時は飛行機の整備やパイロット・トレー ニングも盛んで、 学生の中にはフライト教官を している者までいるのを目の当りにして、 驚く と共に興味が募ったものです。 航空学部は、 当時、 外国人留学生には門戸を 開いて居らず、 79年5月サンノゼから最も近かっ たヘイワード空港にある、 ビーチクラフトウエ スト社のトレーニング部へ、 パイロット免許取 得を目的に転校しました。 航空専門の大学機関 や空/海軍の訓練所は別として、 一般向けには フライング・クラブや個人で教習している所が 多い中、 トレーニングを行うスタッフだけでも DPE:Jim Ford 氏、 チーフ:Mike Folsom 氏、 アシスタントチーフ:Mat Dermott 氏と インストラクターは他7名が在籍していました。 訓練生は主に GI-BILL 制度 (G. I. Bill of Rights;復員兵援護法) を利用した軍属経験 者と、 留学生では中近東出身者が大半を占めて いた。 10機の訓練機は毎月100時間点検を行う 程の稼働率で、 規模の大きさに驚き、 活気と共 にある種の規律も感じさせました。 トレーニン グは自家用3ステージ、 事業用3ステージ、 計 器2ステージで構成された独自のシラバスを採 用した141方式 (FAA 認可の学校が行える訓 練方式で、 必要飛行経験の軽減が認められる)。 専任の教官が各訓練を受け持ち、 チーフ・パイ ロットがステージ毎にプラクティカル・チェック を行い、 常駐しているジム・フォード試験官が、 実地試験を行う充実した内容のシステムでした。 8月に自家用単発飛行機免許を取得し、 事業 用単発+計器飛行免許を取得しました。 翌年に はライン・パーソン (マーシャラー、 フュエラー、 整備の下準備、 機体の牽引、 機体やハンガーの 清掃も行なう便利屋) として採用され、 働きな がら CFI 及び CFII を取得する事が出来、 退社 する83年5月までの4年間、 ここで数えきれな い色々な勉強をさせて頂きました。 ビーチクラフト・ウエストはビーチクラフト 社が直接出資した企業グループです。 当時、 セ スナ社やグラマン社が行っていた個人経営会社 と、 個別に販売を中心としたライセンス契約す る方式と異なり、 西海岸一帯のワシントン州シ アトル、 オレゴン州ポートランド、 カリフォル ニア州では北からウッドランド、 ヘイワード、 フレスノ、 ベーカーズフィールド空港内に拠点 ビーチクラフト社のボナンザ を置き、 セールス、 整備、 管理、 ガソリン販売、 トレーニング等を行い、 西部地域の活性と強化 を図っていました。 ヘイワードでは無休日で午前7時から深夜0 時までオペレーションが行われ、 整備だけが月 曜∼金曜日午前9時から午後5時迄でした。 フ ライト・トレーニングも休日無しで、 夜間飛行 も行うので、 時間的な制限はありません。 総務 部長 Bern Mayes 氏と営業部長 Rich Bone 氏 の二人を柱に、 体育館程の大きなメイン・ビル ディングとハンガー3つを管理し、 メインはカ ウンターとラウンジ、 事務室×4、 教室×5、 クラブ・ルームが設けてあり、 教室の裏側がア ビオニクス・ショップと部品庫、 他の裏側が総 て整備場として使われていました。 他の3つのハンガーには売却やリースされた 機体が格納され、 キングエアー B-200 を始め とし F-90、 C-90、 デューク、 バロン等、 常時 12∼15機を管理し、 ガソリン販売を含め運行や 整備への下準備は、 ラインパーソンが受け持っ ていました。 整備部門は管理している機体のみ ならず、 スクールの10機を含め外注整備も入る ので、 常に満タン状態で、 総務部長の管轄の基 にチーフ・メカニック John Dearing 氏と、 メ カニック10名 (内、 女性メカニック1名) で対 応していました。 営業部長の Rich やチーフ・メカニックの John にしても、 マスカティアーからキングエ アーまで、 ビーチ社の飛行機にかけては一流パ イロットであり、 セールス・デリバリーやデモ フライトも行い、 テスト・フライトに飛び回っ ていました。 ラ イ ン も 総 務 部 長 の 管 轄 に あ り 、 Dun Bustindey 氏がチーフを勤め、 長老 Hershel は牽引車の名手で、 「慌てず、 焦らず」 を信条 とする教官。 大空の下で働きたいとレストラン を退職して来たシェフ Chris Pond、 プロ・パ イロットを目指す Ken Munford、 イリノイ州 から同じくプロ・パイロットを目指しトレーニ ング部に入学し、 ラインパーソンとして採用さ 2009 JUL 85 れた Kent Learson。 紅一点 Morgan Hunt、 車好きローライダー Jose Fernandez、 短気で 仕事が手早い Tim Ryan、 イラクからの留学 生で、 同じく訓練生から採用された Fusham の14名が、 週休2日制で早番7時∼16時、 遅番 15時∼0時のシフトを月ごとに交代で、 ガソリ ンステーション2名と運航/整備ライン4名、 週末2名のチーム編成でラインを受け持ってい た。 ガス・ステーションでは、 1名がステーショ ンで給油、 販売、 連絡係を務め、 1名がトラッ クで空港内を、 グランド・コントロールと連携 して、 顧客の給油に走ります。 ラインは4名が 二組になって整備や管理ハンガーから、 3種類 の牽引車を機体の大きさに合わせて、 一人が見 張り役を努めて短時間にスムーズな出し入れを 行うのです。 また、 ハンガー内は大小様々な機体をウイン グが重ならない様に配置し、 四隅のスペースを 無駄なく駐機させるには、 見張り役のガイド通 りに牽引車を操る技術が必要です。 見張り役も 機体のノーズ・ステアーリング・リミットを理 解し牽引範囲を考慮してガイドしなければなら ないので、 コツを覚えることとチームワークが 大切でした。 稼働率順に機体を格納してあるものの、 忙し い時に限って隅に駐機してある機体がオペレー ションに入るので、 中央から順に他の3∼4機 を一旦ハンガーから外に出さないと、 隅の機体 を出せない時があります。 またそんな時に限っ て、 他の機体がタクシー・インして来るのを、 外に出した機体がタクシー・ラインを妨げてし まうこともありました。 牽引車を運転しながら、 タクシー・インして 来たパイロットの視線が気になり始めるとそれ は危険信号です。 日本人である私は、 周りが気 になって仕方がなく、 申し訳なく思う気持ちで 焦ってしまいます。 「こっちは仕事をしている んだ、 あんなの放って置いてもどうせタクシー 出来ないんだ、 エンジンを切ったら決まって向 こうから聞きに来る、 気にする必要はないぞ」 と、 私に諭しながらパイロットを睨みつける 86 2009 JUL Tim でした。 Chris はもっとスマートでした。 タクシー・ ライン中央に立ち、 手旗信号でパイロットにエ ンジン停止を命じ、 ドアーの前に立ちパイロッ トにタイダウン・スポット (駐機スポット) を 聞いて、 「牽引して置くよ」 と声をかけます。 さすがに元シェフ、 接客はお手のもの、 ビーチ マンとしての対応だった。 ボナンザとバロンは ステアー・リミットが少ない上にトーイング・ ピンが細いので、 ノーズギアーを救い上げる電 動の牽引車が多用された。 牽引車がバックして 行う牽引は、 少々ターンしても機体が引っ張ら れて付いて来るだけなので操作は簡単だが、 前 進して押しながら機体をターンさせコーナーへ 寄せる時は注意を要します。 ハンドル操作を誤ると、 牽引車と機体を繋ぐ トウバーに角度が付きすぎてトーイング・ピン が折れる可能性があります。 勿論、 ノーズギアー を保護する為に無理な力が加わるとピンが折れ る設計だが、 ほとんどのハンガー入り口のドアー 付近は、 水はけ用に地面が高く盛り上げてあり ます。 ハンガーへは機体を尾部から入れるのが 常識です。 ドアー付近でパキンと音がして、 機 体がトウバーとの間隔を突き破って牽引車に向 かって来るではありませんか! 慌てて牽引車 のギアーをバックに入れて逃げても、 追いかけ て来た恐怖は今でも忘れません。 83年2月頃であったか、 日本から航空局関係 者の方々がヘイワードに社内訪問に来られ、 案 内する機会がありました。 教官は主にラインパー ソンの中から選ばれる為、 仕事にも熱が入り牽 引での失敗は汚点でしたが、 報告義務が徹底さ れていて、 勉強するには何でも揃って居る最高 の環境でした。 教官も経験を積んでくると、 請 われて採用される事が多く、 自家用から事業用 訓練過程途中まで教わった Jim Wolf 教官も、 保険会社の事業部に採用され、 売却したキング エアーでユタ州へ旅立ちました。 70年後半から82年はイランの内乱、 親米派パー レビ国王の失脚、 イラン・イラク戦争の勃発、 ガソリン価格の高騰で経済にも陰りが出はじめ ました。 体勢を占めた中東からの訓練生も途絶 え、 Fusham は国交も途絶えた母国に帰国す る事も許されない事態となってしまいました。 彼と私は教育証明 CFI-Initial を同時期に取得 したものの、 停滞するトレーニング部で若手 Erick Eastern 教 官 の 指 導 で 計 器 教 育 証 明 CFI-Instrument-A 取得に励みました。 賑わうはずのクリスマスも閑散としている中、 セスナ、 パイパーのみならずビーチクラフト社 も小型機生産中止とのニュースが飛び込んで来 ました。 折からの経済低迷と累積した軽飛行機 の事故から、 製造者責任を問う訴訟問題がメー カーを締め付けたからです。 一転して冬の時代 に入った航空産業、 及びその後のアメリカ経済 は、 辛うじて日本とヨーロッパの景気に支えら れました。 オイルショック以来、 信頼性と低燃費+車内 の快適性で日本車が脚光を浴び、 家電製品も品 質の高い日本製に人気が高まり、 この頃を境に アメリカ経済は外国資本を取り入れ、 ベイエリ アと呼ばれるサンフランシスコからサンノゼ近 郊の中間辺りに位置するフリーモント市では GMとトヨタの合弁会社が立ち上がり、 ベイエ リア全体が日本を始めとする韓国家電メーカー を誘致し、 コンピューター関連事業にシフトし、 シリコンバレーと呼ばれ始めていました。 離れがたく居心地の良かった4年間ながら、 5月にビーチクラフト社を退社し、 帰国しまし た。 約3ヶ月間の日本滞在からサンノゼに戻り、 リードヒルビュー空港にある Robert Fowler Flying Club に教官として採用されました。 当 教育証明及び計器飛行訓練中の脇田氏 (1982年) 時コンピュター・エンジニアーの方々を中心に 念願の教習経験を積む機会に恵まれ、 退役空軍 パイロットだったマネジャーの Dan O'Gish 氏 からフライング・クラブ運営のイロハを教わり、 4年余り教習経験を積みました。 ビーチクラフトを退社した翌年、 航空大学校 及び日本航空ナパ訓練所で C-90 が訓練機とし て選定された事を聞き、 初めてパイロット免許 を手にした時の様に嬉しく思いました。 何故な ら、 日本経済が貿易不均衡是正を表向きにアメ リカ経済を支えた事実と、 パイロットとして育 てて貰ったのみならず、 アメリカの資質を教え てくれたビーチクラフトウエスト社、 二つの接 点が私のスタート地点だったからです。 しかし、 90年にビーチクラフトウエスト社はフライトク ラフト社に改名、 整備部を除くほとんどの人達 が解散しました。 Fusham はユナイテッド航空のメカニック へ、 Chris はエミリー航空輸送の管理部長、 整 備部サブチーフの John と女性メカニックの Margie は航空局検査官、 教官 Erick と Kent は UPS のパイロット、 Ken はカイザースチー ル社のパイロットとして活躍しています。 皆を 育てた総務部長 Bern Mayes 氏は2004年に他 界されましたが、 営業部長だった Rich Bone 氏の二人を敬って巣立った仲間達です。 回想録だけになりましたが、 次回は FAA 方 式トレーニングの向上と航空法規 FAR を中心 にお伝えします。 左から Rich Bone 氏、 脇田氏、 Kent Lerson 氏との 昼食会 (2009年5月) 2009 JUL 87 我々パイロットは飛行機の Manual に従って運航しています。 しかしそれ以外に先輩・同輩に 加え後輩からの 「技術の伝承」 で培われた部分が大きいのも否定できません。 一人前の刀鍛冶に なるのは、 少なくとも5年はかかります。 炎に照らされた鉄の色合いなどを見て判断する名工の 一挙手一投足から技術を盗む 「技術の伝承」 で一人前になります。 この新企画は、 刀鍛冶とまではいきませんが、 「技術の伝承」 「技術の研究」 を目指す読者のサ ロンのコーナーです。 皆様からの 「技術に関する情報」 等々、 その他有益な投稿をお待ちします。 編集委員会 連載・飛行力学物語 その2 慣性連成、 イナーシャカップリングの物語 JAXA 風洞技術開発センター 国産旅客機チーム客員 柴田 眞 航空自衛隊の F-86F 戦闘機は、 初代ブルーインパルスの使用機としても知られ、 とても有名な 機体です。 その F-86F の原型にあたるノースアメリカン XP-86 は、 1947年10月1日に初飛行しま した。 第二次世界大戦が終わって2年程たったこの頃は、 新らたにジェット時代を迎え、 まさに航 空が伸びゆく発展の時代であったといえるでしょう。 そして XP-86 が初飛行した13日後の10月14 日、 チャールズ (チャック) イェーガー操縦のベル X-1 (当時の名称は XS-1、 後に改称) 研究機 は、 史上初めて音よりも速く飛ぶことに成功しました。 液体ロケットを動力としたベル X-1 型機は、 自力では離陸できず、 母機 B-29 から高空で空中発 進する機体です。 開発時に1/4スケール模型による投下試験が実施され、 ある現象が発見されまし た。 投下された模型がロール運動すると、 それに連成したピッチング運動を起こしたのです。 それ が今回のお話、 慣性連成、 イナーシャカップリングの現象です。 イナーシャカップリングの発見 最初から少し余談になりますが、 図1の左上に X-1 型機を描いた郵便切手を示しました。 たぶ ん1990年代に発行されたこの32セントの切手には、 超音速飛行時に機首に発生する衝撃波 bow shock が、 明瞭かつ誇らしげに表現されています。 この機体の胴体が太いのは、 図示したように燃 料タンクを収容するためで、 主翼前方に液体酸素、 主翼の後方にエタノール (もちろん人類も大好 きな酒精のこと) タンクという配置になっています。 すなわち質量が胴体に集中しているのです。 88 2009 JUL 図1 Bell X-1 (XS-1) 研究機 図1の右側の平面図では、 X-1 型機に重ねて代表的な軽飛行機であるセスナ170を描いてみまし た。 ちなみにセスナ170シリーズは、 1945年に初飛行したセスナ120から発展して確立したもので、 いわば X-1 型機と同時代の機体です。 主翼と水平尾翼の関係が、 両機で面白いように一致する一 方で、 X-1 型機では質量が胴体に集中していることが判ります。 この質量分布の違いはとうぜん飛 行特性に影響を与え、 X-1 型機の1/4スケール模型による投下試験での新しい現象の発見となりま した。 この投下試験での新発見を、 どのように設計に反映したのかは何も知られていません。 たぶん何 も反映しなかったのでしょう。 音速を突破することに目的を絞った速度研究機で、 大きな機動運動 はもともと想定していない機体です。 この X-1 型機は初めて音速を超えただけでなく、 70,119ft (21,372m) という当時の高度記録も作りました。 そしてこの投下試験における新発見は、 NACA (NASA の前身) の1948年の TN (Technical Note) に記録されましたが、 設計者にとって難解で あったこともあり、 しばらく忘れられることになりました。 なお‘Glamorous Glennis’と名づ けられたこの X-1 型機は、 現在、 スミソニアン博物館の入口ホールに航空史を代表する機体のひ とつとして展示されています。 イナーシャカップリングの 「再発見」 最初の実用超音速機は、 ノースアメリカン F-100 スーパーセイバー戦闘機です。 いわゆるセン チュリーシリーズの最初の機体で、 1953年4月24日に初飛行しました。 初めて研究機が音速を超え てから5年半ほど後のことです。 飛行試験を進めていた F-100 は1954年の中頃、 有人実用機とし て初めてイナーシャカップリングを起こし、 操縦不能となりました。 このとき F-100 は飛行試験 と平行して部隊配備が進みつつあり、 それらを全機飛行停止にせざるをえない事態になってしまっ たのです。 2009 JUL 89 発見されてしばらく仮眠していたイナーシャカップリングが、 大問題として 「再発見」 されたわ けです。 この現象は他のセンチュリーシリーズでも起こりうるもので、 三角翼のコンベア F-102 (1953年10月に初飛行) や、 T尾翼のロッキード F-104 (1954年2月に初飛行、 航空自衛隊でも使 用) にも共通の課題でした。 早期に解決しないと大変なことになります。 結局のところ F-100 は、 垂直尾翼を大型化するとともに、 主翼端を 33cm 延長する改修を実施し、 運用を再開することがで きました。 この課題に航空界全体で対処するため、 1956年2月、 オハイオ州デイトンのライトフィー ルドで大会議が開かれたことが、 後になって知られています。 迎角が横滑角に化ける このいわゆるライト会議で総括された現象は、 今日では慣性連成、 イナーシャカップリング、 あ るいはローリングプルアウトによる機体のダイバージェンスなどと呼ばれています。 図2の下に機 体がある迎角で飛行している状態を示しました。 この状態から機体が右に90°ロールして図2の上 の状態になったとき、 迎角が横滑角に変換されます。 会話的には 「迎角αが横滑角βに化ける」 と いった感じです。 ただこの説明においては、 機体が主軸の周りに回転するという暗黙の了解、 簡単 化があることを補足しておきます。 実際には回転軸は主軸にはなりません。 ロール空気力は飛行軸周りに働くので、 図示したように 主軸と飛行軸の間のある軸まわりで回転することになります。 その結果鉄アレイを振り回したとき のように遠心力が働くわけですが、 その方向は機首が上がる、 すなわち迎角が増える方向になりま す。 大きな横滑角が出ること、 迎角が増えること、 これらはともに荷重が増えることを意味します。 機体運動がダイバージェンスに近づいていけば、 垂直尾翼や主翼が失速して機能を失ったり、 場合 によっては破損したりする可能性もでてくるでしょう。 それでたとえば垂直尾翼を大きくして横滑 り角を押さえれば、 この問題を解決する有効な手段になることが理解できます。 図2 90 2009 JUL 慣性連成、 イナーシャカップリング おわりに 超音速で飛ぶ時代になって、 飛行機の質量が主翼から胴体にかなり移動しました。 そのため生じ た飛行力学の課題がイナーシャカップリングですが、 その後の操縦系統の FBW (Fly By Wire、 たとえば横の操縦入力に対して飛行軸周りにロールさせることが可能) 化などで、 現代の機体では 設計課題としては解決されています。 しかし、 この現象が存在すること自体は変わりません。 超小 型のジェットエンジンが入手できる時代ですから、 超音速のホームビルト機も決して夢ではないで しょう。 ただホームビルト機でも高速で飛ぼうとすると、 小型であるだけに、 より質量が胴体に集 中していきます。 ですから基本は理解しておかないと、 半世紀前の出来事をくり返す可能性がある と思いつつ、 この小文を書きました。 図3 スミソニアン国立航空宇宙博物館のエントランスホールに展示されてい るベル X-1 型機、 左はスペースシップワン宇宙飛行機、 右に見えるの は極超音速研究機 X-15 のノーズ部分 今回参考にした主な資料は次のとおりです。 図2を作成するとき、 機体イメージとして F-100 型機を選びました。 図示されている垂直尾翼は、 改修後の大型化されたものです。 比較のため、 原 型の YF-100 型機の垂直尾翼も示したかったのですが、 残念ながら資料が見当たりませんでした。 ・Airplane Stability and Control, Malcolm J. Abzug and E. Eugene Larrabee, Cambridge Aerospace Series, 2002 ・The Complete Encyclopedia of World Aircraft, David Donald, Barnes & Noble Books, 1997 ・Aircraft Design: A Conceptual Approach, Daniel P. Raymer, AIAA Education Series, 1992 以上 (H21.6.16記) 2009 JUL 91 VNAV の理解 その1−Descent B767 機長 蔵岡 賢治 最近の航空機は FMS (Flight Management System) 機材が多くなり、 LNAV と VNAV を利 用する機会が多くなっています。 LNAV (Lateral Navigation) は、 カーナビゲーションの様に、 平 面 的 に 、 Route が Flight Instrument の HSI (Horizontal Situation Indicator) 又 は ND (Navigation Display) に表示されます。 ところが、 残念ながら現在、 VNAV (Vertical Navigation) は立体的に表示されず、 主に数値的に示されるので Image が作りがたいのも事実です。 こ の稿では、 VNAV を容易に立体的に Image 出来る様に VNAV の Descent Phase と Approach Phase の2回に分けて解説し説明します。 最初は Descent Phase です。 VNAV は機種毎に異なりますが、 B767 や B777 の例を取り上げました。 この稿を参考に、 他機 種の方々も含め、 VNAV の利用方法を研究する一端となり、 その有効利用に少しでもお役にたて たら幸いです。 〈VNAV PATH Mode と VNAV SPEED Mode〉 図−① VNAV PATH はすり鉢の連続 VNAV Path (PTH) と VNAV Speed (SPD) の違いを理解するには、 先ず VNAV PTH の仕組みを理解しなければならない。 VNAV PTH は、 各 WPT の 高度に Idle Path や Direct Path、 減速 Path、 3度 Path などのすり鉢の連続で 構成されている。 図−①、 典型的な VNAV PTH は、 Idle Path のすり鉢を降下 して、 Outer Marker 手前約 7nm から減速 Path で 170kt になり、 ILS では、 Barometric3度 Path のすり鉢に Intercept して、 RW50ft まで降下する。 92 2009 JUL VNAV PTH はすり鉢の連続で Idle Path や減速 Path などがあるとすれば、 複雑そうですね。 実際の運航でも、 VNAV PTH と VNAV SPD の変化が起き ています。 どの様な状況で起こるか?判り難いですね。 判り易い Image や例な ど上げて説明して下さい。 図−② VNAV PATH の Image 図−②、 VNAV PTH は、 Route から大きく離れなければ、 連続したすり鉢 でも一つのすり鉢で考えて良い。 VNAV PTH は、 TOD 直前の風向・風速を基 に、 降下中風向は同じ、 風速は直線的 (Liner) に減るものとして計算された Path で、 Route に沿って降下する。 スキーの直滑降に例えられ、 Path Mode で あっても、 降下中の風が正しければ FMC に設定した Speed、 例えば 300kt 一定 で降下できる。 そして緩い減速 Path (約1/2 Idle Path) で Outer Marker で 170kt になる。 ところが VNAV PTH で Route から横に離れると、 図−②、 スキーの斜滑降 の様に Path は浅くなり Speed は減る。 Auto-Throttle は、 FMC に設定した Speed より約10∼15kt 減ると Thrust を加え、 設定 Speed に戻ると Idle になり、 また Speed が減ると Thrust を加える、 を繰り返す。 つまり、 直滑降している時が Speed が変わらない。 2009 JUL 93 VNAV PTH のすり鉢から離れた Path を飛行すると、 VNAV の Speed Mode である VNAV SPD になり、 読んで字の如し、 Pitch 変化で Speed を守って Path は一定しませんね。 Climb では、 Level Flight しなければ、 VNAV SPD で上昇し、 Descent では 300kt など FMC に設定した Speed を守り、 降下の Path は、 その時の風によって変化します。 一方、 VNAV PTH の Descent では、 Thrust Idle で、 FMC に設定した 300kt などで計算された Path を守るので、 降下 Speed は風によって変化します。 VNAV PTH で飛ぶには、 スキーの直滑降、 或いはそれに近い Route を飛ば なければならない。 図−①の飛行機の位置と飛行方向は、 WPT ③より離れ、 WPT ②を通らず、 WPT ①付近に向かっている。 Route を Modify する時は、 連続するすり鉢の WPT で、 現在の方向に近い WPT ①に Direct to の Route を作れば、 現在の風で WPT ①に直滑降の Path のすり鉢が表示される。 図−③ 94 DIRECT VNAV PATH の Image 2009 JUL 図−③、 Direct VNAV PTH は、 降下中に、 Idle Path より高い高度制限の WPT がある時になりますね。 同じ直滑降の Path でも、 Speed 一定の直滑降の Idle Path と Speed が増加する急な Direct Path で構成されますね。 でも Direct Path は使い難いですね。 従って、 Radar Vector が予想される時や Radar Vector になると、 この Direct Path になる高度制限を消去 (Delete) しています。 WPT を過ぎたら、 次の高度制限に対する Idle Path が表示されたら良いので すが! Version Up してきた FMC でも、 Path の連続性から、 まだその様な Program となっていない。 図−③、 Direct Path になる高度制限を通過したら、 減速 Path の部分は無い。 しかし、 VNAV PTH であれば、 Speed Bug が 170kts などに移動して減速は指 示される。 この様な時は Speed Brake 等の Drag で減速する必要がある。 Direct Path で降下しても良いが、 前もって高度制限を Delete し Idle Path を 表示させた方が良い。 図−④ VNAV SPD の Image 2009 JUL 95 図−④、 VNAV SPD は、 VNAV PTH のすり鉢から離れた時に起こる。 そし て、 VNAV PTH のすり鉢の Path に戻ろうとする。 Idle Path の TOD より手前で降下開始すると、 緩やかな Path (約1/2 Idle Path) で Thrust を加えて FMC に設定された Speed で Idle Path に戻ろうとす る。 Idle Path の TOD より先で降下開始すると、 ジャンプした様なもので、 Speed を維持して降下するが、 Drag を増やさなければ Idle Path に戻れない。 もう一つ VNAV SPD にする方法は、 Pilot が所望の Speed に SPD Bug を操 作 し て (SPD Intervention) 、 FMC に 設 定 さ れ た Speed を 使 わ な け れ ば 、 VNAV SPD Mode で降下できる。 VNAV を 使 う 場 合 は 、 可 能 な 限 り 、 直 滑 降 の Path に な る 様 な WPT に Route を作った方が良い。 Intercept Final Course to Outer Marker は、 最終 進入の前が良く、 一挙にすると、 Path 表示が何なのか?効率的なのか?が判ら ない。 プロの Pilot は、 やはり VNAV を知り使いこなすのが必要と思う。 VNAV Mode を使いこなすには、 Idle Path を参考に、 TOD の手前や先から 降下したり、 SPD Intervention したりしなかったり、 VNAV PTH と VNAV SPD を適宜使い分け、 Outer Marker の 10nm までに VNAV PTH を Capture させれば、 VNAV Mode をとことん使う事ができますね。 効率的なのは、 Idle Path より若干上を降下し、 適当な時に VNAV PTH に戻る、 ですか??? Pilot は飛行機の性能や System を知った上で使いこなす事が必要ですね。 VNAV Mode を使いこなす、 先輩方もそれを私たちに見せて欲しいです。 VNAV は、 VNAV PTH と VNAV SPD の二つの Mode があり、 それをスキーに例えてみまし た。 VNAV PTH は、 向かっている WPT (Active WPT) に直滑降している時に、 Idle Path や Direct Path、 3度 Path で降下出来ます。 斜滑降の時は、 それより Path が浅くなります。 VNAV SPD は FMC が描いた Path から離れ た時に起こります。 飛行機の位置が GPS などで正確になってきた今、 RNAV STAR や RNAV Approach が拡充さ れつつあり、 FMS 機材の Pilot は、 今後ますます VNAV の理解が必要になってきます。 各自で 研究して下さい。 (食わず嫌いと言ってられない!) 次号、 その2に続く! 96 2009 JUL 航空医学適性のQ&A 健康管理について考えてみよう! 第8回 脂質異常症 (高脂血症)について 医療法人財団 慈生会 野村病院 脂質異常症という病名はご存知ですか? 従 来は高脂血症とか高コレステロール血症と呼ば れていましたが、 近年、 脂質異常症として統一 することとなりました。 今回はこの病態と対策 について解説させていただきます。 脂質異常症の初期においては、 糖尿病の初期 と同じように、 「症状は全くなく、 痛くも痒く もない。 だから、 治療の必要性など全く感じな い。」 とおっしゃる方も多いと思います。 しか し、 放置しておくと後に重大な病気を引き起こ します。 特に、 航空機を操縦するパイロットの 方々にとって一番恐れなくてはいけない、 脳梗 塞や冠動脈疾患など、 インキャパシテーション を引き起こす代表的な病気の原因であることを 肝に銘じて下さい。 2007年に日本動脈硬化学会から 「動脈硬化性 疾患予防ガイドライン (以下ガイドライン)」 が発行されました。 動脈硬化性疾患とは、 脳卒 中や狭心症・心筋梗塞 (冠動脈疾患) などを指 します。 従来のガイドラインでは、 総コレステ ロール、 LDL−C、 中性脂肪のいずれかが基準 より高いか、 HDL−C 値が基準より低い場合 を 「高脂血症」 と呼び治療の対象としてきまし た。 総コレステロール値が高いと冠動脈疾患の 発生リスクが高まると考え、 総コレステロール 値220mg/dL 以上を 「異常」 としてきたので すが、 動脈硬化性疾患の発生リスクが高いのは いわゆる悪玉といわれる LDL−C 値の高い人 や、 善玉といわれる HDL−C 値が低い人であ ることが明らかになってきました。 つまり、 善 玉である HDL−C が高いために総コレステロー ルが高くなっている場合には問題がないという 三浦 靖彦 ことが伝わりにくい病名になっていました。 さ らに、 HDL−C 値が低い場合も 「高脂血症」 と呼ぶのは適当でないことから 「脂質異常症」 に変えようということになりました。 多くの方が、 年に一度程度健康診断を受けて いると思いますが、 では、 どのような状態を脂 質異常症というのでしょうか。 以下に診断基準 をお示しします。 脂質異常症の診断基準 (空腹時採血) 脂質異常症は血液検査結果に従って、 以下の 3つに分類されます。 高 LDL コレステロール血症: LDL コレステロール 140mg/dL 以上 低 HDL コレステロール血症: HDL コレステロール 40mg/dL 未満 高トリグリセライド血症: トリグリセライド 150mg/dL 以上 ただし、 この診断基準は薬物療法の開始基準 を示すものではなく、 薬物療法の開始に当たっ ては、 他の危険因子も勘案して決定されるべき とされています (後述)。 では、 脂質異常症が、 何故良くないのでしょ うか? これには、 いくつかの証拠があります。 ガイドラインから抜粋した証拠をお示しします。 1. 高 LDL コレステロール血症は冠動脈疾 患の重要な危険因子である。 2. 高 LDL コレステロール血症は脳梗塞の 危険因子である。 3. LDL コレステロール以外の主要危険因 2009 JUL 97 4. 5. 6. 7. の予防) に二分して管理目標を設定しています。 一次予防では、 LDL−C 以外の主要危険因 子には、 高血圧、 糖尿病、 喫煙、 家族歴、 低 HDL コレステロール血症、 男性・加 齢がある。 冠動脈疾患、 脳梗塞の発症を予防するた めには、 高 LDL コレステロール血症を 中心とした脂質異常を改善する必要があ る。 一般的な予防においては、 高 LDL コレ ステロール血症以外の動脈硬化危険因子 の数を評価することが重要で、 それに応 じて LDL コレステロールの管理目標値 を設定する。 予防においてまず重要なことは生活習慣 の改善である。 生活習慣の改善は、 薬物療法が開始され たとしても継続して指導すべきである 子として①加齢 (男性45歳以上、 女性55歳以上) ②高血圧③糖尿病 (耐糖能障害つまり境界領域 を含む) ④喫煙⑤冠動脈疾患の家族歴) ⑥低 HDL−C 血症 (<40mg/dl) のうち、 全く危険 因子のないものを低リスク群、 1から2個のも のを中リスク群、 3以上あるものを高リスク群 とし、 それぞれの脂質管理目標が設定されまし た (ただし、 糖尿病、 脳梗塞、 閉塞性動脈硬化 症がある場合は、 他の危険因子がなくても高リ スク群として扱います)。 薬物治療の基準については 「生活習慣の改善 を行ったあと、 薬物治療の適応を考慮する」 と し、 「3∼6ヵ月間、 生活習慣の改善を行った にもかかわらず、 LDL−C 管理目標値が達成 できない場合」 とされています。 では、 生活習慣の改善とは、 一体何をすれば よいのでしょうか? ガイドラインの中では、 以下の5本の柱が述 べられています。 ①生活習慣の改善は動脈硬化性疾患予防の基 本である。 ②喫煙者に対しては禁煙指導を行う。 ③食生活を是正し、 総エネルギー摂取量や脂 肪摂取量を適正に保つ。 ④個々の状況に応じて適度な身体活動を行う。 ⑤体重を適正に保つ。 この中でも、 特に大切な食事療法と運動療法 について概説しましょう。 では、 脂質異常症と診断された場合、 どうす べきかを考えましょう。 脂質異常症と診断された場合の管理基準も学 会から発表されています。 それによると、 単純 に血液検査の数値のみに左右されるのではなく、 動脈硬化性疾患の危険度の数によるカテゴリー 分類を行い、 それぞれについての目標値が定め られました (表1)。 また、 上記管理基準は、 一次予防 (冠動脈疾 患を起こさないための治療) と二次予防 (すで に冠動脈疾患を起した人が再発を起さないため 表1 脂質異常症の管理目標 リスク別脂質管理目標値 治療方針の原則 カテゴリー 一次予防 ま ず 生 活 習 慣 の 改 善 を (低リスク群) 行った後、 薬物治療の適 (中リスク群) 応を考慮する (高リスク群) 二次予防 生活習慣の改善とともに 薬物治療を考慮する 脂質管理目標値 (mg/dL) LDL−C 以外の主要危険因子 LDL−C 0 160未満 1∼2 140未満 3以上 120未満 冠動脈疾患の既往 日本動脈硬化学会 「動脈硬化疾患予防ガイドライン2007年版」 より 98 2009 JUL 100未満 HDL−C トリグリセライド 40以上 150未満 ガイドラインでは、 第一段階として総摂取エ ネルギー、 栄養素配分およびコレステロール摂 取量の適正化 (1日300mg 以下)、 食物繊維25 g 以上を指導しています。 更に第二段階として 高 LDL−C 血症の場合にはコレステロール摂 取量1日200mg 以下とすること、 また、 高ト リグリセライド血症の場合には、 禁酒、 炭水化 物・単糖類の制限が必要といわれています。 簡単に考えれば、 適正体重をオーバーしてい る人は、 全体の食事摂取量を控え、 体重が絞れ るようにすればよいのですが、 特に、 コレステ ロール含有量の多い食品は控える習慣を身につ けるのがよいと思います (表2参照)。 運動療法はどのように考えれば良いのでしょ うか。 ガイドラインでは、 以下の運動指針を紹介し ています。 ①運動強度:最大酸素摂取量の約50% ②量・頻度:1日30分以上 (できれば毎日)、 週180分以上 ③種 類:速歩、 社交ダンス、 水泳、 サイ クリングなど たまご(卵黄) フォアグラ うずら卵(生) たまご ポーチドエッグ 鶏肉(レバー) 豚肉(レバー) 牛肉(レバー) 牛肉(胃/ミノ) 豚肉(小腸/ひも) エクレア シュークリーム スポンジケーキ バターケーキ ババロア ワッフル カステラ ショートケーキ プリン 運動強度の考え方 1) 運動時の脈拍から推定する方法 ①カルボーネン式 (運動時の心拍数) 心拍数 (脈拍/分)=((220−年齢)−安静 時心拍数)×運動強度+安静時心拍数 ②簡易法 (運動強度50%のとき) 心拍数 (脈拍/分)=138−(年齢/2) 2) 自覚的な感じから推定する方法: ボルグ・スケール (主観的運動強度) で 11∼13 (楽である∼ややきつい) ちょっと解りにくいですが、 簡易法で考える と、 50歳の人は心拍数が1分間に113になるよ うな運動を1日30分はしましょうといことにな ります。 どのような方法が確実なのでしょうか? よく、 医者から運動しろといわれたからスポー ツジムに入ったけど、 忙しくて週1回しか行け ません……と嘆く人がいますが、 ジムに通う必 要はないのです。 毎日の通勤で1−2駅余分に 速足で歩けばよいのです。 車で通勤という人は、 車庫までの間に散歩をするとか、 会社内で昼休 みに階段の上り下りをするとか、 手軽で、 かつ、 毎日実行可能な方法で体を動かしましょう。 表2 コレステロール含有量の多い食品の一覧(食品100g あたり) 1400 650 470 420 420 370 250 240 240 240 するめ 桜えび・素干し えび(干しえび) すじこ キャビア いくら たらこ(焼) いか(焼) しらこ たらこ(生) うに めんたいこ ほたるいか(生) いかの塩辛 えび(桜えび・ゆで) 数の子 えびの佃煮 えび(車えび) しゃこ たこ 250 250 170 170 170 170 160 150 140 980 700 510 510 500 480 410 380 360 350 290 280 240 230 230 230 230 170 150 150 たたみいわし あんこうのきも 煮干し うなぎ(きも) しらす干/半乾燥 ししゃも ふかひれ しらす干/微乾燥 うなぎ(かば焼) 身欠きにしん しらうお わかさぎ 710 560 550 430 390 290 250 240 230 230 220 210 生クリーム/乳脂肪 ホイップクリーム クリームチーズ パルメザンチーズ カマンベールチーズ コーヒーミルク(粉) チーズ(プロセス) アイスクリーム コーヒーミルク(液) 脱脂粉乳(粉) チーズ(カッテージ) いちごミルク/加糖練乳 ソフトクリーム 牛乳(普通) 120 100 99 96 87 86 78 53 50 25 20 19 13 12 バター(無塩) 220 マヨネーズ 60 サウザンアイランドドレッシング 56 2009 JUL 99 上記、 生活習慣の改善を実施しても、 なおか つ、 脂質が正常化しない場合、 薬物療法の対象 となります。 しかし、 パイロットの場合、 薬を 飲んでよいものかどうかと、 悩むことが多いも のです。 脂質異常症に対する医薬品の使用は、 従来は認められず、 医薬品を使用した場合は、 国土交通大臣の判定を仰がなくてはなりません でした (審査会)。 そのため、 審査会に提出す るのが面倒であるとの理由から 「コレステロー ルが高いのはわかっているし、 それが将来的に 体に良くないことも知っている。 しかし、 今は 痛くもかゆくもないし、 審査会に出すのが面倒 だから、 薬は飲まない!」 という人がいたもの と思われます。 しかし、 平成19年3月の航空身 体検査マニュアルの改正に伴い、 脂質異常症の 内服治療をしていても、 指定医で適合となるこ とになりました (下記参照)。 先に述べたよう に、 インキャパシテーションを引き起こす可能 性のある重大な病気につながる脂質異常症につ きましては、 積極的な治療を心がけていただき たいと思います。 航空身体検査マニュアルにおける脂質異常症の取り扱い 1−5 内分泌及び代謝疾患 1. 身体検査基準 航空業務に支障を来すおそれのある内分泌疾患若しくは代謝疾患又はこれらに基づく 臓器障害若しくは機能障害がないこと。 2. 不適合状態 2−5 臓器障害のおそれがある高脂血症 3. 略 4. 評価上の注意 4−6 高脂血症の治療のために、 スタチン、 プロブコール、 フィブラート系薬、 ニ コチン酸系薬、 エイコサペント酸エチル (EPA)、 植物ステロール、 陰イオ ン交換樹脂を使用する場合には、 使用開始後、 十分な経過観察期間を経て、 血清脂質値が安定し、 かつ、 使用医薬品の副作用が認められず、 高度の動脈 硬化所見がないことが安静時心電図、 眼底所見、 頸部血管雑音等により確認 されれば適合とする。 インスリン感受性改善薬等、 血糖に影響を与える可能 性のある薬剤を使用する場合は不適合とする。 100 2009 JUL 地球環境問題関連用語の解説 23 京都議定書後の枠組みを決める地球温暖化防 止のための国際会議がドイツのボンで開催されて いますが、 今回は2007年8月30日に、 日本で行 われた 「国際航空からの CO2 排出抑制に関する セミナー」 の資料から、 その一部を紹介します。 98. 講演タイトルと講演者 ・基調講演: 「環境、 航空業界の役割、 そして 航空会社に出来ること」 (SAS、 航空機評価・ 環境担当役員 Bengt-Olov Nas) ・「国際航空からの CO2 排出抑制策に関する報 告書」 (東京大学公共政策大学院 山口勝弘) ・「ANA のカーボン・マネジメント」 (ANA CSR 推進室 環境・社会貢献部 佐々木 徹) ・「温暖化防止への取り組み」 (JAL 地球環境部) 基調講演を行った SAS のナース氏の講演の 中から、 次の二つを紹介します。 99. ICAO サーキュラー303, AN176 ICAO では、 航空機の CO2 排出量削減にも 結びつく燃料節約の行動指針を示しています。 a) その路線にとって最も燃料効率のよい航空 機を使用する。 b) 最も燃料効率の良い経路を Taxi する。 c) 最も燃料効率の良い航路を飛行する。 d) 最も燃料効率の良い速度で飛行する。 e) 最も燃料効率の良い高度で飛行する。 f) 座席利用率を最大限上げる。 g) 航空機の自重を出来るだけ軽くする。 h) フライトを安全に完了できる最小限の燃料 を搭載する。 i) 機体およびエンジンをきれいに効率の良い 状態に維持する。 ……………………………………………………… SAS では上記に加え下記の方法を実施して います。 j) 離着陸では出来るかぎり浅いフラップを使 用する。 k) すべての駐機場で、 地上電源を用意する。 l) 一つまたは複数のエンジンを止めて Taxi する。 (After Landing) m) 出来るだけ後方重心になるよう、 座席アサ インに配慮し、 貨物の搭載位置も決める。 ……………………………………………………… (筆者注) 現在、 JAL/ANA ともに、 上記以 上の取り組みをしています。 我々パイロットが、 できることは限られていますが、 パイロットが 直接関与できない分野における CO2 排出抑制 のための努力とその精神を理解した上で、 エコ・ フライトを実践しようではありませんか。 100. SAS のグリーン・アプローチ SAS は、 スウェーデン民間航空局と協力し て、 「グリーン・アプローチ」 と呼ばれる新し い進入方式を実験しています。 B-737 型機によ る、 ストックホルム・アーランダ空港への 1,500回を超える進入では、 平均で1フライト あたり 100kg (220lbs) の燃料が節約できまし た。 下記にそのフライトの一例を示します。 09.55.00:離陸予定時間、 雪のため遅れるも、 10.05.00:離陸。 パイロットは上昇中に着陸情 報を受け取る。 10.21.00:FMS が ETA を11.03.00と計算。 ATC はその時間に着陸するよう指 示を出す。 Continuous Descent 方 式で降下開始。 11.03.02:ETA に対し2秒遅れで着陸。 このような燃料効率の高い運航を可能にする 重要なパラメータは、 関係各セクションの時間 厳守です。 ……………………………………………………… (筆者注) 日本でも航空交通管制機関との協調 の下、 同様な取り組みを行っていますが、 解決 すべき課題が数多く残されているようです。 第22回掲載用語 93. COP10 94. MOP 95. 生物多様性とは 96. 生物多様性に迫る危機 97. 絶滅の恐れのある日本の野生動物 2009 JUL 101 ews FAI N FA I ニュース Federation Aeronautique Internationale 各種航空スポーツ競技の選手は、 オフシーズ ンの間にトレーニングを重ね、 本誌発行の頃に 競技シーズンを迎えます。 競技の良いところは、 競うことで技量の向上が図られることです。 日 本でも、 FAI 方式の着陸競技会を試行してみ て、 そのことがよく分かりました。 この様な素 晴しい航空スポーツ競技の日本での普及を願う ものです。 競技の細部につきましては JAPA 経由、 各部門の日本デレゲートにお尋ねくださ い。 では今月の各部門の報告です。 ロータークラフト (ヘリコプター) ロータークラフト競技が盛んに行われている ロシアを訪問してきました。 訪問先はモスクワ で開かれた“ヘリロシア”というイベントで、 アメリカで毎年開かれているヘリコプターのコ ンベンション (HAI) よりやや規模が小さいで すが、 世界中のヘリコプターが展示されていま した。 ブースの中にヘリコプター競技会の事務所が あり、 ロシアのヘリコプターの代表であるイリー ナとお会いすることが出来ました。 ロシアはヘ リコプターの競技が盛んであり、 会場も盛り上 がっていました。 最近はロシアのヘリ (ミル2) ではなく、 アメリカ製のロビンソンが競技会に 使われているようです。 時代は変わりアメリカ 製が使われるとは驚きです。 8月に恒例のチャンピオンシップがモスクワ 近郊で行われるそうです。 GAC:ジェネラル・アビエーション(飛行機) 飛行機の運航に真に必要なものを突き詰めて いきますと、 航法と着陸になります。 エアワー クの技量は飛行機を安全かつ正確にコントロー ルするための基礎となるものですが、 それ自体 102 2009 JUL 奥貫 博 が目的ではありません。 そのような訳で、 FAI のジェネラル・アビエーション飛行競技は、 航 法と着陸の競技から構成されています。 航法の 競技は有視界の推測及び地文航法を組み合わせ たもので、 地図に引いた線の上を所定の時間で 正確に飛び、 地上の設置されたターゲットを目 視で確認するものです。 また、 その航法競技の 最後が着陸競技という訳です。 ライセンス取得後の技量維持に大変役立つも のですので、 この FAI 方式競技の輪を広げ、 楽しく競いながら、 技量の向上が得られるよう に考えて行きたいと思います。 エアロバティックス (FAA-CIVA) 昨年は、 飛行機のアンリミッテッドのヨーロッ パ選手権、 アドバンスドの世界選手権、 グライ ダーのアンリミッテッドのヨーロッパ選手権に 各1名ずつ計3名の日本人がエントリーしまし たが、 今年は、 グライダーアンリミッテッドの 世界選手権へ1名エントリーしただけです。 世 界選手権はチェコ共和国の古都チェスケブディェ ヨヴィツェ近郊のホージンにおいて7月9日∼ 19日の日程で開催される予定です。 エントリー しているのは、 昨年もヨーロッパ選手権に参加 した梶 智就さんです。 梶さんは静岡大学創造 科学技術大学院に籍を置く27歳で、 21歳の時に 静岡県航空協会富士川滑空場でグライダーを 始めました。 またカナダで飛行機のライセンス を取得し、 現在は曳航機のパイロットとしても 活躍しています。 長年の夢がかなって昨年ポー ランドに於いてエアロバティック訓練の機会を 得たところ、 元ワールドチャンピオンのイェー ジー・マクラ氏にその才能を見いだされました。 その後の上達ぶりには目を見張るものがあり、 今後の活躍が楽しみな選手です。 オススメ! 情報ボックス 書籍&Goods紹介 編集委員会 このコーナーでは、 書籍紹介を始めとして航空に関するお勧めグッズ等を紹介しています。 読者の皆 さんも、 是非、 フライトで使用している便利グッズや、 パイロット仲間に紹介したいグッズ、 書籍など の情報を、 編集委員会までお知らせください。 もちろん、 ステイ先などでの飲食店情報なども大歓迎です。 私のヒコーキ博物館 著者:幸尾 治朗 発行:オフィス HANS 〒150-0012 東京都渋谷区広尾2 9 39 T E L :03−3400−9611 FAX :03−3400−9600 E-Mail:[email protected] 定価:1,600円+税 本書の表紙には 「60年のヒコーキ人生で出会っ た忘れ得ぬ人々と機体を通して戦後の航空技術 を振り返る」 とある。 第二次大戦中に航空を志 し、 戦後の航空再開と共に再びの空を得た著者 は、 運輸省運輸技術研究所に入所の後、 科学技 術庁航空宇宙技術研究所に出向。 飛行実験部長、 計測部長を歴任されて、 戦後の国内開発機や、 STOL プロジェクト実験機 「飛鳥」 の推進本部 長として同機の研究開発に当たられる等、 多く の実験機に貢献された。 またその後は航空事故調査委員会委員として、 羽田沖事故、 御巣鷹山ジャンボ機の事故等の原 因調査・究明に当たられ、 更に羽田空港地区の 航空宇宙博物館 (HASM) の設立推進にもご尽 力された。 その間、 昭和42年には、 社団法人日本飛行連 盟で、 自家用操縦士 (飛行機) のライセンスを 取得された。 「飛行機が好きだと言う理由だけ で航空工学の道を志し、 これまでに搭乗した航 空機は70数機種、 そのうち30数機種の操縦桿を 握ることが出来た。 また、 各種飛行実験に用い た機体も10数機種に及んでいる。」 と語られる 著者は、 数年前にも、 グライダーとモーターグ ライダーでマッターホルンやユングフラウを飛 んだ、 生涯パイロットである。 東京大学の東 昭 名誉教授は、 本書に対し、 以下の言葉を寄せている。 「本書は、 数多くの航空機に試乗して自ら飛 行特性を検証した著者が、 その豊富な体験を書 き記した技術報告書でもある。 搭乗機種は著者 に及ばないが、 同じような飛行試験の経験を持 つ私には、 大変面白く読めた。 飛行機やヘリコ プターあるいは飛行船に興味のある読者にとっ て、 たくさんの写真や関連の記事はきわめて貴 重な記録の一覧になるだろう。 またヴェテラン の方々は、 そこはかとないノスタルジアに駆ら れることと思う」 航空機に興味のある全ての方に、 本書のご一 読をお勧めしたい。 2009 JUL 103 もちろん、 パイロットの実地試験の勉強にお いては、 航空法、 AIM-J、 それぞれの機体に関 TAKE OFF 安全飛行への招待 編集:社団法人日本航空機操縦士協会 ジェネラルアビエーション委員会 発行:社団法人日本航空機操縦士協会 〒150-0003 東京都港区西新橋1 18 14 T E L :03−3501−0433 FAX :03−3501−0435 E-Mail :[email protected] 判型:B5判 ページ数:288ページ 定価:3,500円 (税込) ISBN 978-4-931160-06-4 本書は、 社団法人日本航空機操縦士協会・ジェ ネラルアビエーション委員会に所属の自家用ラ イセンス所有者達が執筆した、 日本の空を安全 にかつ効率よくフライトするための参考書であ る。 国内における航空法規の運用の細部、 気象の 変化傾向や ATC への対応などに加え、 機材故 障や緊急事態の回避や健康への配慮など、 パイ ロットにとって、 実際的な内容に重点をおいて 編集されている。 その狙いは自家用操縦士が日本の空を安全に 飛行する上での参考に、 というところに置いて いるが、 自家用操縦士はもとより、 これから事 業用操縦士、 又は、 更にその上のライセンスを 目指す人にも役立つ、 パイロットしての基礎的 且つ普遍的な内容のものとなっている。 104 2009 JUL する飛行規程、 運用のマニュアル、 ハンドブッ ク等を始めとして、 各種の教本、 参考書等を参 照することが必要なことは言うまでもないが、 それらの内容に加え、 本書のようなパイロット の手になる解説書的な内容も、 無くてはならな い存在である。 そのような目的の基に、 本書は 以下の内容で記述されている。 第1章 航空法規 第2章 航空気象 第3章 ATC 第4章 航空工学 第5章 緊急時の対処法 第6章 医学的知識 第7章 資料 日本においては、 平成15年以降 「自家用操縦 士の飛行の安全確保について」 (国空乗第2077 号) により、 自家用操縦士の技量維持、 及び、 一層の安全飛行に努めることが必要とされてい るところで、 その内容は法令順守、 事故等の教 訓の認識はもとより、 能力に見合った慎重な飛 行、 空域の利用に係わる必要知識等の収集、 人 間の心理や行動等、 夜間飛行の注意事項等、 様々 なものが含まれている。 これらの基本的事項は、 飛行経験の蓄積に伴っ て得られるものもあるが、 より積極的に吸収し て、 安全飛行に役立てることが重要であること は言うまでもない。 その意味から、 実際に日本 の空を飛び、 そこで様々な経験を積んだパイロッ トの知識等を集約し、 まとめあげた本書のよう な存在は、 極めて貴重なものと言うことができ る。 本書は、 エアラインの初期訓練にも役立つ内 容であるとともに、 これから日本の空での操縦 訓練を目指す人、 または、 FAA 等諸外国のラ イセンスから国内ライセンスへの切り替えの希 望者を始めとして、 小型機で日本の空を飛ぶパ イロットには最適の一冊となるものである。 本書の内容を良く理解して、 飛行安全に役立 てることを願うものである。 FTD 訓練室便り FTD 訓練室 FTD 訓練室の企画として、 機関紙等を通じてご紹介しております飛行訓練装置 (FTD) の体験 搭乗を会員の皆様に提供いたします。 (1会員一回とさせていただきます) FTD 概要 型 式:SS21型 (日本 BTA 社製) 仕 様:単発 (C172型)、 双発 (BE58型) 及び数種類の機種を選択できます。 受付期間 今回の募集は、 平成21年12月までの期間限定で行ないます。 搭乗時間は約1時間です。 ご希望の方は 「FTD 体験搭乗2009年」 と明記し、 下記事項を記入の上、 事務局までお申込下さい。 会員番号: お 名 前: 連 絡 先:携帯、 メールなど 希望日時:都合上、 希望日時を3通りお知らせ下さい 申 込 先:JAPA 事務局 FAX03-3501-0434 又は [email protected] まで なお、 申込状況によっては、 希望する日時で対応する事が出来ない場合もございますので予めご 了承願います。 多くの会員の皆様のご搭乗を心よりお待ち申し上げております。 2009 JUL 105 開催予告 コウノトリ但馬空港フェスティバル 09 「開港15周年記念」 平成21年7月25日 ∼ 26日 入場無料 1995年の初回以来毎年の開催を重ねてきました 「コウノトリ但馬空港フェスティバル」 が、 今年 で15回目を迎えます。 このイベントは、 航空スポーツの安全性や楽しさの理解を深め、 さらには、 参加・体験型のイベントを実施し、 「空」 を身近なものとして親しみを深めていただくことを目的 としています。 また、 空港の活用を通じ、 但馬地域の振興・活性化を目指すもので、 地域と空港が一体となった、 活気あふれるイベントです。 特に、 FAI エアロバティックス選手権参加選手による演技や各種小 型航空機によるデモフライト等々、 スポーツ航空分野の飛行展示の充実は、 大きな特徴です。 夏休 み最初の週末に、 お子様連れでいかがでしょうか。 では、 その内容を以下に紹介させていただきま す。 ■ スカイイベント ・ディープブルース・エアロバティックス (FAI エアロバティックス世界選手権参加者による演技) ・エアロック・エアロバティックス ・スーパーウィングス FA200 編隊飛行 ・エアロスバル FA200・エアロバティックス (国産機によるエアロバティックス飛行演技) ・ドリームエアー WACO 複葉機デモフライト ・但馬飛行クラブデモフライト ・モーターパラグライダーデモフライト ・小型ビジネスジェット機 (セスナ・サイテーション) デモフライト ・陸上自衛隊ヘリコプターデモフライト ■ 体験イベント 空に関するフィールドイベントにより、 空への関心を高めていただくことを目指します。 ・航空機地上展示…演技に使用した機体や展示用の各種航空機材の一般公開 ・紙飛行機工作教室…日本紙飛行機但馬支部の指導による、 子どもを対象とした工作教室 ・プレイランド…子どもに人気の大遊具などを設置 ・テントブースコーナー…但馬観光、 空港インフォメーション、 スカイイベント出演団体 PR ブー スなど ・YS-11 機内公開展示…普段開放していないコックピットなどの一般公開 ■ ステージイベント…テレビで人気のキャラクターショー 郷土芸能 音楽演奏 その他 ■ 但馬グルメまつり…但馬地域の特産品の展示・即売や美味いものコーナーの設置 お問合せ先: コウノトリ但馬空港フェスティバル実行委員会 http://www.tajima.or.jp/taf/ 〒668-8666 兵庫県豊岡市中央町2 4 (豊岡市役所内) TEL:0796 23 1401 FAX:0796 22 3872 E-MAIL:[email protected] 後援:国土交通省 日本航空協会 106 2009 JUL 開催予告 スカイ・レジャー・ジャパン 09 in ふくしま 平成21年10月17(土)∼18(日) 入場無料 第21回目のスカイ・レジャー・ジャパン (SLJ) は、 今年10月に福島県福島市の 「ふくしまスカ イパーク」 にて開催されることとなりました。 東北地区では始めての開催です。 今回の開催地は駐 機スペースが限られているため、 小型機のフライインは無く、 地上展示は福島スカイパークに駐機 の機材となりますが、 JAPA としては、 3機の展示飛行を申し入れて調整中の状況です。 細部に つきましては、 本誌次号の9月号に掲載の予定です。 場 所:ふくしまスカイパーク (福島市) テーマ:地上と大空を結ぶ航空公園を目指して 内 容:下記の団体による地上及び飛行展示 ・グライダー、 モーターグライダー ・自作航空機 ・ジャイロコプター ・自家用航空機 ・ハング/パラグライダー ・熱気球 ・マイクロライト航空機 ・パワードパラグライダー ・模型航空機 その他、 イベントに花を添える以下の展示飛行 ・小型飛行機やグライダー、 ヘリコプターの演技飛行 ・福島県警・防災航空隊による協賛飛行、 協賛団体によるビジネス機の展示飛行 平成21年度 JAPA GA 委員会主催行事のご案内 今回の目玉は G1000運航を解説! 航空安全セミナーは、 課目に特化した内容の勉強会としてこれまでも開催を継続してまいりました。 小型航空機のグラスコックピット化など GA 業界も大きく変わり始めて来ています。 そのような背景に対応するべく、 計器飛行に関するセミナーを2回に亘り開催いたしますので、 皆様お誘いあわせのうえ、 ご参加いただきますようご案内申し上げます。 なお、 会場の都合により各回先着45名様の受付となりますので、 予めご了承願います。 第36回航空安全セミナー 日時:8月1日 (土) 13時30分∼17時 場所:航空会館801会議室 講師:法政大学 渡邉教授 内容:計器飛行 (IFR 概論) 第37回航空安全セミナー 日時:9月26日 (土) 13時∼17時 場所:航空会館801会議室 講師:法政大学 渡邉教授 内容:計器飛行 (IFR の実践 「G1000仕様含む」) 各回共通 受講費用:一般2,000円 JAPA 会員無料 お問い合わせ 日本航空機操縦士協会 齋藤 TEL:03-3501-0433 E-Mail:[email protected] 2009 JUL 107 通信 開催報告 第44回通常総会開催報告 平成21年5月21日 (木) 14:00から羽田空港第1旅客ターミナルビル 「ガレリア」 6Fのギャラクシーホー ルで、 第44回通常総会を開催致しました。 白石専務理事が開会を宣言し、 事務局から総会運営規程第10条による議長委任を含め、 過半数を超えてお り第44回通常総会が成立していることが報告されました。 冒頭、 萩尾会長から、 公益法人制度改革新法を 受けて、 今後4年以内に公益認定を受ける方向で、 事業の内容も収支のバランスを考えて、 今後とも 効率的な協会運営に専念していきたい等の趣旨が 述べられたあと、 白石専務理事が議長選出につき 会員に諮り一任されたので、 清光久司会員を議長 に推薦し満場一致の賛成を得ました。 清光議長は、 定款第28条第2項による、 書記 事務局、 議事録 署名人に斉藤 友助会員、 川久保 剛会員を指名し 了承を得たのち、 議案の審議に入りました。 第1号議案 平成20年度事業報告及び決算報告について 原案通り承認されました。 第2号議案 平成21年度事業計画及び予算案について 原案通り承認されました。 第3号議案 役員の一部交代について 原案通り承認されました。 第44期をもって辞任された役員 理 第45期 理 事 高橋 眞 (理事会推薦) 新任された役員 事 齋藤 賢二 (理事会推薦) また会員から、 航空身体検査証明の有効期間と、 飛行形態についての指摘がありました。 以上をもって議案全部の審議を終了したため、 清光議長は議事が終了したことを宣言し、 最後に白石専務 理事より閉会の挨拶がなされました。 108 2009 JUL 総会終了後、 当協会乗員養成検討委員会主催によるシンポジウム 「明日の乗員養成を考える」 が行われ、 盛会に実施されました。 (内容は66ページを参照下さい。) 引き続いて懇親パーティーが開催され、 萩尾会長、 宮下 徹 航空局技術部長の挨拶の後、 平成20年度協会 表彰の表彰式が挙行され、 下記7名の方が受賞されました。 表彰式終了後、 谷 寧久 航空輸送技術研究セン ター専務理事による乾杯により、 盛会に実施されました。 萩尾会長 宮下航空局技術部長 長北 学 (日本航空インターナショナル) 倉内 史家 (全日本空輸) 原田 義一 (全日本空輸) 片桐 隆 (日本航空インターナショナル) 小山 和孝 (日本トランスオーシャン航空) 大坪 敏雄 (札幌市消防航空隊) 坂澤 博光 (川崎重工業) 協会表彰者 第45期役員一覧 会 長 副 会 長 副 会 長 副 会 長 専務理事 常務理事 常務理事 常務理事 常務理事 常務理事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 理 事 萩尾 裕康 増田 奉和 薬師寺 進 大畑 隆 白石 豊樹 楠本 晋一 高岡 憲一 中島 清一 大和 茂夫 吉田 徹 有野 達也 池内 宏 池羽 啓次 石井 清 宇田川雅之 大久保 高 大澤 一朗 理 理 理 理 理 理 理 理 理 理 理 理 理 理 監 監 監 事 事 事 事 事 事 事 事 事 事 事 事 事 事 事 事 事 大関 春樹 蔵岡 賢治 越田 善彦 齋藤 賢二 管 聖 菅野 和廣 菅原 弘行 鈴木 英明 田頭 勝 高橋 眞 千葉 博茂 根本 裕一 野口 義博 平山 開偉 志鳥 學修 橋本百合博 矢後 三雄 (新任) 2009 JUL 109 新役員紹介:新役員の方からご挨拶をいただきました。 理事 齋藤 賢二 (GA) この度、 理事を拝命いたしました GA 委員長の齋藤賢二です。 航空発展の一翼を担え ることを光栄に思うと同時に、 理事という重責に身の引き締まる思いです。 操縦士協会に集う方々は、 年齢、 経歴、 活動環境もそれぞれ異なるため、 多様な考え 方や価値観が存在しておりますが、 「空を愛する気持ち」 は自身も含め会員の皆様共通の ものと確信しておりますので、 GA という枠に囚われることなく、 調和の取れた組織活動 が出来るよう努力してまいりたいと考えております。 微力ではございますが、 航空の安全を基軸に、 次世代を見据えた諸活動 (社会貢献・ 広報強化・国際交流推進等) を通じて協会の発展に尽力してまいりたいと存じますので、 何卒ご指導ご支援の程よろしくお願い申し上げます。 理事会通信 第44回通常総会が5月21日に開催されました。 役員の交代ですが、 高橋眞理事が退任され、 新たに齋藤賢 二理事が就任しました。 事業報告と決算・事業計画と予算など予定された決議事項は総て承認されました。 総会後に開かれた 「明日の乗員養成を考える」 シンポジウムは、 予定された2時間が短く感じられる程に 盛況を博したといえます。 乗員養成にかかわる現状と内容の分析及び問題提起など、 パネラーの忌たん無い 発言が特徴でした。 因みに会場は参加者でほぼ埋まり、 乗員が乗員の課題について考える機会となりました。 これは、 本協会の乗員養成検討委員会が企画し、 関係者に呼びかけて実現しました。 主催者側は、 初めての シンポジウムに確かな手応えを感じました。 公益認定の問題は、 会長が本号で述べております。 是非、 皆様と共に今後の方針を具体化したいと考えて います。 財政構造あるいは公益目的事業比率の見直しに加え、 経済的かつ合理的な運営について検討が必要 です。 今年度の理事会運営について、 これまでと変わった部分を説明します。 隔月で行ってきた理事会を10月と 4月の2回とし、 残りの月は常務理事会を開き事業を進めていきます。 新たに理事・支部長・委員長で構成 する運営連絡会を設置し、 6月と1月 (年2回) に開催することで、 風通しが良くバランスのとれた運営を 目指していきます。 事業担当者が決まりましたので、 お知らせします。 事業全体は、 専務理事が総括し常務理事が補佐します。 各事業に責任者を置き、 事業の促進を図ります。 調査研究事業 ATS 委員会 中島理事 航空気象委員会 山本会員 航空安全委員会 根本理事 FT 委員会 菅野理事 運航技術委員会 池羽理事 GA 委員会 齋藤理事 法務委員会 熊坂会員 乗員養成検討委員会 鈴木理事 航空医学委員会 白石理事 ヘリコプター委員会 楠本理事 110 2009 JUL 普及啓蒙事業 小型航空機セーフティセミナー 田頭理事 航空医学 白石理事 航空安全研修会 吉田理事 ATS シンポジウム 中島理事 航空安全セミナー 吉田理事 航空気象シンポジウム 山本会員 機長養成講習会 根本理事 乗員養成シンポジウム 鈴木理事 青少年航空教室 根本理事 Sky Leisure Japan 大澤理事 FTD 訓練室 有野理事 外部講師派遣 事務局 出版刊行事業 編集委員会 蔵岡理事 共通教材作成プロジェクト 中島理事 AIM−J 中島理事 区分航空図 吉田理事 学科試験 SG・航空法英語版 千葉理事 経理委員会 吉田理事 会員共済事業 共済給付・所得保障保険 事務局 受託事業 学科試験問題標準化調査 千葉理事 航空英語能力証明試験問題案作成業務 楠本理事 助成金事業 航空安全講習会 吉田理事 管理部門 IT 関連 根本理事 協会制度検討会 白石理事 協会員の皆様、 お気付きの点や疑問等が御座いましたら事務局あるいは担当者にお伝え下さい。 多くの支 援と協力が事業を促進させるために不可欠です。 5月21日の理事会にて、 終身会員の資格要件を見直しました。 変更部分は、 60歳時に3年間分の会費納入 の必要がなくなったこと、 無料購入は原則としてP誌のみとなり AIM-J などの出版物は廉価の会員価格を設 定するといった内容です。 会費の一括払いが不要となる代わりに、 これまでの特典が一部なくなる訳です。 実施時期は2009年4月1日とし、 不公平感を緩和する移行措置として2007年度以降に終身会員となった方々 に対し、 調整金額を返金します。 改定趣旨は、 60歳以上の世代が現役と同様に社会に貢献する時代を迎え、 今後の活動を展望する上で、 や はり60歳以上の会員がこれまで以上に必要だと判断した点にあります。 現在は、 20年間以上協会に在籍した会員のうち相当数が60歳を境に退会している状況となっています。 現 制度では終身会員資格を得るために3年分の会費を一括して納入することとなっており、 退会のひとつの理 由となっています。 60歳を迎えた会員は、 長期間に亘る経験と貢献あるいは安全技術に関わる識見など、 日本の操縦士の財産 であり、 是非とも協会の一員として留まって頂きご指導を仰ぎたいと想う私たちの強い期待の反映です。 東京海上日動火災保険は、 協会員が加入しているロスオブライセンス (団体長期障害所得補償保険) 補償 内容の変更について通知して来ました。 2008年に改訂した内容を2007年の水準に戻すことで、 損害率の悪化 に対応した制度の安定を図るためだと説明しています。 詳細な説明は東京海上日動火災保険が行いますが、 加入日から12ヶ月以内に就業障害になった場合、 原因 2009 JUL 111 となった身体障害について、 これまで加入日前12ヶ月以内に医師に診療を受けるような症状が現れていた場 合は保険金支払い対象とはならなかった内容を、 今後は加入日前24ヶ月以内に期間を延長するとした変更です。 理事会は、 東京海上日動火災保険が責任もって内容の周知を行うように指摘しています。 本件は、 所得保障保険への加入資格を操縦士が個人では取得できないといった、 個人単位の加入が認めら れていない特殊な保険業界の環境を鑑み、 制度維持を基本に対応していく方針です。 [活動報告] −平成21年5月− 5月9日 ATS 委員会 5月11日 編集委員会 5月31日 エアライン航空医学担当医懇談会 (航空 医学委員会) 乗員養成検討委員会 5月12日 5月13日 航空身体検査証明審査会 −平成21年6月− 法務委員会 6月2日 区分航空図校正作業 新航空路誌及び電子航空路誌 (E-AIP) 5月14日 航空身体検査証明審査会 航空輸送技術研究センター評議員会 6月4日 航空保安大学校講義 (レーダー管制専門 説明会 研修) 技量維持連絡会 FTD 教官会議 5月16日 認定講師研修会・航空安全講習会 (仙台) 6月6日 航空安全講習会 (東京) 5月17日 東日本支部 WEB 担当者会議 6月9日 航空安全情報ネットワーク運営委員会 5月18日 黄綬褒章伝達式 5月19日 航空保安大学校講義 (無線科:システム 6月10日 航空法79条関連ヒアリング 統制官課程特別研修) 6月13日 ATS 委員会 5月20日 5月21日 全日本航空事業連合会年次総会航空事業 認定講師研修会・航空安全講習会 (名古 者懇親会 屋) 将来の航空交通システムに関する研究会 6月15日 編集委員会 (第2回) 6月16日 航空機安全運航支援センター理事会/評 6月17日 LOCAL SEMINAR COM- MITTEE 会議 航空英語能力証明に係る試験問題案作成 業務請負入札 日本航空協会評議員会 第 10 回 5月23日 議員会 第44回通常総会・第252回理事会 航空医学研究センター理事会・評議員会 5月22日 法務委員会 区分航空図 (JAPA506校正) 6月18日 航空交通管制協会理事会 FT 委員会 ASI−NET ユーザー会議 運航技術委員会 GA 委員会 航空気象委員会 6月19日 航空安全委員会 SLJ 運航委員会 認定講師研修会・航空安全講習会 (熊本) 5月25日 航空振興財団理事会 6月20日 認定講師研修会・航空安全講習会 (東京) 5月27日 航空保安協会理事会 6月22日 5月29日 112 航空保安大学校講義 (レーダー管制専門 航空保安施設信頼性センター理事会 研修) ヘリコプター委員会 航空従事者技能証明学科試験問題標準化 学科試験問題検討会 調査入札 航空大学校卒業式 将来の航空交通システムに関する研究会 2009 JUL (第3回) 6月26日 第45期運営連絡会議 (第1回) 6月23日 航空安全情報分析委員会 平成21年度航空クラブ総会 6月24日 ヘリコプター委員会 出雲一畑工業安全会講演 (根本理事) 6月25日 神奈川工科大学 (FTD 視察) 6月27日 航空気象委員会 編集委員会 6月28日 夢は叶う Yes I Can (航空教室) 大阪 経理委員会 6月29日 運航技術委員会 協会制度検討会 今後の操縦士に係る技能証明制度等の検 海上保安学校宮城分校入会説明会 討会 [活動計画] −平成21年7月− 7月3日 事故を斬る! (英国クランフィールド大 7月13日 学講習) フォローアップ MTG 滑走路誤進入防止対策推進チーム会議 (平成21年第1回) 法務委員会 7月14日 編集委員会 航空保安無線システム協会評議員会 第1回学科試験問題検討会 7月4日 航空安全講習会 (宇都宮) 7月16日 乗員養成検討委員会 7月7日 航空身体検査証明審査会 7月17日 航空保安大学校講義 (訓練監督者特別研 7月9日 技量維持連絡会 修) 航空保安研究センター理事会 7月10日 フライトテスト委員会研修 航空身体検査証明の有効期間に関する検 7月22日 ASI−NET 討会 7月24日 運航技術委員会 航空管制定期連絡会議 第196回常務理事会 7月11日 ATS 委員会 7月25日 航空気象委員会 7月12日 夢は叶う Yes I Can (航空教室) 千歳 7月27日 協会創立記念日 7月29日 ヘリコプター委員会 お知らせ 航空輸送技術研究センター設立20周年記念 航空安全フォーラム −安全文化を考える− 日 時:11月10日 (火曜日) 13:00∼17:30 場 所:日経ホール (定員610人) 主 催:航空輸送技術研究センター 「安全分野の研究において世界的権威の一人である Eric Hollnagel 博士他を講師に迎え、 皆さまとと もに今後の安全文化の構築に向けてヒントを探っていきます。」 予 告 平成21年のシニアパイロット会 (SP 会) は、 10月17日 (土) 1200から航空会館 (東京都港 区新橋1−13−1) で開催の予定です。 多数のご参加をお待ちしております。 SP 会幹事 2009 JUL 113 JAPA SHOP 品 名 定 価 会員価格 送料 一般価格 送料 AIM−JAPAN AIM−JAPAN 英語版 学科試験スタディーガイド パイロットガイダンス TAKE-OFF 安全飛行への招待 ヘリコプター操縦教本 第2版 航空気象 (新刊) 区分航空図501∼506各 3,500円 3,500円 3,500円 3,500円 3,500円 3,500円 2,500円 2,600円 3,150円 送料込 3,150円 送料込 3,150円 送料込 3,150円 送料込 3,150円 送料込 3,150円 送料込 2,250円 送料込 2,340円+280円 3,500円+380円 3,500円+380円 3,500円+420円 3,500円+380円 3,500円+380円 3,500円+380円 2,500円+380円 2,600円+280円 区分航空図507 ターミナル航空図253、 254 首都圏詳細航空図 パイロット手帳 PILOT 誌 手袋 ライセンスケース 空中衝突 3,100円 2,600円 3,000円 1,200円 800円 5,000円 3,800円 2,300円 2,790円+280円 2,340円+280円 2,700円+280円 1,080円+280円 720円+240円 4,500円+280円 2,800円 送料込 2,070円+380円 3,100円+280円 2,600円+280円 3,000円+280円 1,200円+280円 800円+240円 5,000円+280円 3,800円 送料込 2,300円+380円 お買い求めは操縦士協会もしくは、 お近くの販売店をご利用ください。 直販の場合は代金先払いとなりますのでお近くの郵便局よりお振込みください。 (お振込前に必ず在庫確認をお願いいたします。) 振込口座:郵便局00180−9−88490 社団法人 日本航空機操縦士協会宛 お問い合わせ先:TEL 03−3501−0433 FAX 03−3501−0435 E-Mail:[email protected] 114 2009 JUL 2009 JUL 115 JAPA Aerial Photo Exhibition 超軽量動力機が主役 日本からは7機がフライイン イタリアからの Pioneer 編隊飛行チーム FA200 のアクロバット飛行 女の子は、 赤い飛行機で体験飛行 男の子は、 青い飛行機で体験飛行 韓国の京畿道で開催された 第1回国際スカイレジャー EXPO の写真 日本からは7機がフライイン。 本誌編集委員の奥貫氏が Super Wings の FA200 でアクロ飛行を行なった。 116 2009 JUL あなたが写した 航空機の写真が 表紙 に! 編集委員会では、 PILOT 誌の表紙を飾る皆様からの航空機の写真を 募集しています。 尚、 応募写真は編集委員会で審査の上、 掲載いたします。 下記応募要領をご了承の上、 ふるってご応募ください。 ・写真はカラー・白黒・Digital Data を問いませんが、 原則として 投稿者が撮影されたものに限ります。 撮影日時・場所・説明等の 添書きも添付してください。 尚、 Digital 写真の場合はできるだけ大きな画素数で撮影したも のとして下さい。 ・応募写真の取り扱いは日本航空機操縦士協会に属し、 お返しでき ませんのでご了承ください。 ・PILOT 誌の表紙に採用させて頂いた場合、 謝礼として3万円 (複数写真で表紙構成となった場合は分割)、 表紙に掲載とならな かった場合でも優秀な写真は本誌に掲載し薄謝を進呈いたします。 ・住所、 氏名、 年齢、 職業、 電話番号、 E-Mail Address 等を明記 してください。 ※個人情報に関しては当協会で厳重な秘守扱いと致します。 送付・お問合せ先 社団法人 日本航空機操縦士協会 編集委員会 〒1050003 東京都港区西新橋1−18−14 TEL 03 (3501) 0433 FAX 03 (3501) 0435 E-mail:[email protected] JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION 2009 JUL 117 編集後記 ●去る2月末、 宇宙飛行士候補として、 初めて 民間と防衛省の現役パイロットが選ばれたこ とは喜ばしい。 パイロットの経験を生かして、 数年先の宇宙飛行目指して頑張ってもらいた い。 (徳田) ● 先 日 、 韓 国 の International Sky Leisure Expo. で FA200 のアクロ展示飛行を行なっ た。 大変な反響で 「またぜひ」 との声もある が、 小型機の外国への航行は容易ではない。 もう少し手軽になればと願う。 (奥貫) ●3月16日、 STS119 で3度目の宇宙へ飛び立っ た若田光一さんが、 100日以上の国際宇宙ス テーション滞在ミッションを終え、 7月下旬、 STS127 で帰還予定です。 東京で行われる報 告会が楽しみです。 大西洋で行方不明となったエア・フランスの A330 の事故原因が早く解明されることを願っ ています。 今年はなんと大事故の多いことか。 (KEN) ●拙著 「そらのみちくさ」 プレゼントにたくさ んの方の応募を頂きました。 アミダ籤が最も 公正、 気まぐれな方式であるとし、 編集委員 総員の横棒 (槍) を加え、 当選5名の方に配 本しました。 今お手元に届かなかった応募者 には何卒お買い上げ頂きたく、 ごめんなさい。 (湧井カレン) ●天性に従って天職か、 お金を求めて適職か、 凡人は常に悩んでいる。 (RYU) ●清田さんの記事に写真をもっと入れたかった が、 何度かの引越しで手元にないとの事。 何 ヶ所かに当たったが、 肖像権がからみ不可で 今月の表紙は、 富士山静岡空港を拠点とする Fuji Dream Airlines の ERJ170 型機です。 6月4日に開港の同空港は名古屋と東京地区 の中央に位置する唯一の公共飛行場となるもの で、 大いに利用させていただきたいと思います。 撮影者は有賀弘行様です。 (奥貫) あった。 窮屈な時代になったものだ。 (T. A.) ●まもなく暑い夏が来ます。 皆様、 健康には十分ご注意のほどを。 (佐藤裕) ●寄せられた多くの原稿! 感謝と共にそれを 生かすべく編集に四苦八苦 (編集長 蔵岡) No.315 2009年 7 月号/平成21年7月発行 発行 社団法人 日本航空機操縦士協会 (Japan Aircraft Pilot Association) 〒105-0003 東京都港区西新橋1−18−14 TEL 03 3501 0433 (代) ホームページ FAX 03 3501 0435 E-Mail:[email protected] 振替口座/00180 9 88490 118 2009 JUL URL http://www.japa.or.jp/ 禁無断転載 落丁・乱丁本がありましたら お取替えいたします 編集人 蔵 岡 賢 治 発行人 白 石 豊 樹 定価 印 刷 800円 (税込) 株式会社プリカ
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