こころ と 地域 を 元気にする観光 =メンタルヘルス

Regional Futures No.12 Jul.2008
【寄 稿】
こころ と 地域 を 元気にする観光
=メンタルヘルスツーリズム=
一.観光を心理学から考える
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「観光」と聞いて、どんなイメージを
思い浮かべますか?
団体で観光バスに乗って、名所・旧跡
をあわただしく巡り、
写真を撮りまくり、
お土産(国外ならばブランド物)などの
買い物をして、宴会をする。そんな時代
もありました。しかし最近は家族や友人
などと小さなグループで自分の好みの場
所を巡るというのが主流となっています。
さらに、観光への期待も随分変わって
きました。最たるものが国の方針です。
観光は個人が勝手に行う遊興だから、そ
んなものに公の国のお金を出せない、と
いうスタンスでした。しかし最近は一変
し、観光は国の最重要政策の柱とされて
います。地方も同様です。財政が逼迫し
ている自治体は、観光を起死回生の手段
と捉えています。それゆえ、国、地方を
あげて、観光に関するさまざまな政策や
支援が行われています (小口、
)
。
同時に、大学の役割も大きく変わりつ
つあります。最近は、毎年数校におよぶ
観光関連の学部、学科が新たに設置され
ています。国立大学法人でさえ複数の大
学に観光学科が設けられ、観光専攻の大
学院が作られ、さらに観光学部までも。
大学の知を観光に応用して、地域観光の
一つの核となれると期待されているから
なのです。
観光はきわめて学際的です。私は八つ
の心理学関連の学会以外に、三つの観光
学会にも所属していますが、いずれの観
光学会においても、工学、経済学、地理
学などの多様な専門を持つ研究者が参集
しています。そうした多様な学問分野の
中においても、心理学は重要な役割を担
っています。観光をするのも、観光でお
もてなしをするのも共に「人」が中心だ
からです。しかも、観光に寄与する心理
学は、私が関わっている社会心理学や産
業・組織心理学ばかりではありません。
どんな景色を美しいと思うのかという問
題として「認知心理学」
、旅行のプランニ
ングを考える際に重要になる「思考心理
学」
、
さらには心身の健康とのかかわりを
考えるという意味においては「臨床心理
学」
、
「健康心理学」など。あらゆる心理
学が観光と関わるといっても過言ではあ
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小 口 孝 司
准教授
部
学
文
学
大
葉
千
[email protected]
Regional Futures No.12 Jul.2008
りません。
二.観光とインターネット
観光と心理学をつなぐものとして、イ
ンターネットがあります。これは以降に
述べる地域観光との関連も大きいので、
少し触れておきたいと思います。
インターネットの普及によって社会の
あり方が大きく変わってきています。こ
れは観光も例外ではありません。従来、
旅行の販売は店舗での対面販売が主流で
したが、
インターネットの出現によって、
個人によるネット経由での手配が主流に
なりつつあります。わざわざお店に出向
くのではなく、自分の嗜好や予算に合わ
せた設定がネット上で検索することがで
きるのです。ネットの宿泊予約システム
は多数存在するので、それらを比較検討
することも可能になりました。しかも、
エージェントに支払う実質の手数料は、
対面販売よりもネットの方がはるかに安
価です。対面販売にもメリットはあるの
で、対面販売がなくなることはないでし
ょうが、ネットでの手配は手軽で便利で
ある上に、安いので、今後はネットでの
取引が主流にならざるをえないでしょう。 の発展に大きく寄与するのです。このと
きにインターネットが大いに役に立つは
こうしたネットでの取引を検討するこ
ずです。地域の実情を多くの潜在的な観
とは、旅行商品だけではなく、さまざま
光客に知ってもらうことができるからで
な分野での購買行動、意思決定行動など
す。
につながるので、心理学においても重要
なテーマとなるのです(ネットに関する
さらに、観光が盛んな地域は、コミュ
観光研究については、 小口、
をご
ニティーが活性化していることが多いよ
覧下さい)
。
うです。つまり、市なり、町なり、村な
り、ある地域の人々が生き生きとしてさ
三.地域と観光
まざまな活動を行い、観光客とも交流を
しているのです。
すなわち地域が観光地として成功する
ための図式としては、地域の統一感が、
当該地域の特徴を鮮明にし、その特徴に
基づくイメージが醸成され伝播され、観
光地として人気になる。こうしたプロセ
スによって、地域の誇りが高まり、人々
が地域に関わり、コミュニティーも活性
化してゆく、という図式が考えられるの
です。
それでは私が所属している千葉大のあ
る千葉県の場合はどうでしょうか。千葉
の観光として、東京ディズニーリゾート
( )
や成田国際空港を思い浮かべられ
る方も多いでしょう。ところが、大都市
(
)
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さて、話を元に戻しましょう。観光を
考える際には、観光を総体として捉える
以外に、地域の視点から見直すことが必
要になってきています。最初に述べたよ
うな経済的利益だけでなく、観光が地域
の歴史や文化の再発見・再構築、さらに
は地域コミュニティーの発展につながっ
てゆくからなのです。
日本国内の観光地を見てみましょう。
最近、観光地として高い人気を博してい
る地域は、特徴が鮮明です。しかもその
特徴は地域の一部だけではなく、全体で
共有されています。したがって、他の地
域との違いを明確にし、その独自性を多
くの人に認知してもらうことが、観光地
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R
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東京からはほぼ同じような距離にある、
有名な観光地である箱根や横浜を有する
神奈川県、伊豆がある静岡県には、観光
で大きく後れを取ってしまっているのが
現実でしょう。
こうした背景には、自然景観が秀逸だ
とみなされているところが多くないこと
も関連しているでしょう。たとえば、千
葉県には、国立公園は一つもなく、国定
公園が一つあるだけです。有名な観光地
でもある北海道には国立公園が六つと国
定公園が五つもあります。また、長野県
には国立公園が四つと国定公園が二つあ
るのです。千葉県が既存の観光形態で後
れをとることになってしまう理由の一端
が垣間見られるでしょう。実際、千葉県
で観光と言うと、何?と問われてしまう
ことも少なくありません。
しかし、裏を返せば千葉県は、自然環
境が厳しいわけではなく、温暖な気候に
恵まれた、なだらかで豊かな土地なので
す。また、東京、神奈川、埼玉に隣接し
ているため、潜在的な観光客が非常に多
いという地理的な好条件もあります。開
発があまり進んでいないために、新たな
観光を立ち上げる、つまり地域の特色を
ーズアップされてきています。三百万人
打ち出していく余地が多分にあるのです。 以上の方が心を病み、そのうち百万人の
方が「うつ」だと伝えられています。う
こうした千葉県の諸条件を活かして、
つは、毎年三万人を超える自殺の第一の
私は現在新たな観光を提案しています。
原因ともなっています。うつによって長
それが以下に述べる「メンタルヘルスツ
期休職や職務ミスなどがもたらされるの
ーリズム」です。
で、メンタルヘルス、特にうつ対応は企
業にとって焦眉の急となっています。
四.メンタルヘルスツーリズムの創造
うつには、何よりも休むことが大切で
あると言われています。ただ、悪化する
と、休むだけでは回復できなくなってし
まいます。そうすると、二つの対応がと
られます。一つが「薬物療法」
。もう一つ
がカウンセリングなどの「心理教育」で
す。こうした状況に対して、企業でも予
防策が講じられていますが、十分とは言
い難いでしょう。
では、どうするか。メンタルヘルスを
向上させるために、
第三の方法として
「メ
ンタルヘルスツーリズム」を私は提唱し
ています。
「メンタルヘルスツーリズム」
とは、いくつかの要件を満たしたツーリ
ズム(観光、旅行)を指します。そもそ
も観光や旅行には、日常の生活に欠けて
いる経験や感覚を補ったり、日常生活を
ここで、少し観光から離れて、現在の
日本を見てみましょう。日本は元気がな
いといわれることが多いようです。なぜ
でしょう?日本の停滞を招いているもの
は何なのでしょうか。
原因の一つとして、人々の疲労の蓄積
があるのではないでしょうか。一般に社
会人は、働くばかりで、休みがない。リ
フレッシュできていないように見受けら
れます。短期間ならば、全力で駆け抜け
ることもできるでしょう。しかし、それ
もある点を超えると、限界を迎えます。
それが日本の閉塞感と低成長、さらには
メンタルヘルス問題の多発につながって
いるように思えます。
メンタルヘルスは、近年、急激にクロ
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異なる視点から見つめ直すことができた
り、新たな価値観が得られるといった効
果があります。
それに加えて、
パソコン、
携帯電話などに囲まれた、視覚中心の日
常とは異なり、五感全てが刺激される活
動を、自然に囲まれた環境で行うことに
より、心の安寧がもたらされます。これ
は多くの研究で確かめられています。さ
らに、有効な心理研修を行い、リフレッ
シュ効果を高め、持続させることを目指
します。こうした一連の活動によって、
メンタルヘルスの維持向 上を 図るのが
「メンタルヘルスツーリズム」
なのです。
社員旅行はすっかり廃れてしまったか
のようでしたが、最近復活の兆しがあり
ます。企業収益が改善されたためでしょ
うが、社員旅行自体にメリットがあるか
らこそでしょう。旅行によって社員同士
の親睦を図ることができるだろうという
期待があるのでしょう。同時に旅行によ
って気分転換が図れるからという潜在的
な意識もあるはずです。つまり、企業と
いう営利を追求する組織においてさえも、
旅行によって得られる気分転換の効果に
価値を見出しているとも言えるのです。
こうした観光、旅行によって得られる
心理効果を確かめるために、私の研究室
では、過去二年間千葉県から研究費をい
ただき、
「メンタルヘルスツーリズム」
の
基礎研究を続けてきました。この取り組
みは、NHKのニュース番組でも取り上
げていただきました。現在は、行政、企
業とコンソーシアムを組み、効果の高い
「メンタルヘルスツーリズム」を目指し
てさらなる検証を重ねています。観光客
を送り出すサイドとしては、旅行会社な
どと連携して、新たな社員旅行・研修と
して、展開を図ろうとしています。同時
に、
観光客を迎え入れるサイドとしては、
千葉県の特定地域において、この「メン
タルヘルスツーリズム」を強力に推し進
めるべく、地域の観光協会との連携を図
っているところです。
地域ごとに、その地域の特性を生かし
たツーリズムがあるはずで、それを模索
していくことが現在求められていると思
います。それが千葉県の場合は「メンタ
ルヘルスツーリズム」なのです。
熱意だけで走り続けていく時代は終わ
りました。個人の感性に訴える商品の開
発やサービスを実現するために、状況へ
の柔軟な対応力が求められています。こ
れは余力があってこそできるものでしょ
う。余力は質の高い休暇によってもたら
されることは、最新の心理学の研究でも
実証されています。長期にわたり社会の
活力を維持し、
発展させていくためには、
充実した休みが必要であり、それを社会
全体のコンセンサスとしていくことが重
要なのです。日本の活力を取り戻すため
には不可欠なものなのです。この嚆矢と
して、
「メンタルヘルスツーリズム」
があ
るのです。これに適しているのは、千葉
県だけではないはずです。「メンタルヘ
ルスツーリズム」
、
取り入れてみませんか。
(
までお問
い合わせください)
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j
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a
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【引用文献】
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小口孝司
: 本書の意義 前田勇・佐々木
土師二 監修 ・小口孝司 編 、観光の社会心
理学―ひと、こと、もの 三つの視点から、北大
路書房、
小口孝司
: 観光の心理学 村田光二・坂
元章・小口孝司 編 、社会心理学の基礎と応用、
放送大学教育振興会
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