犯罪歴ナント

臥龍が 三 は緑 な り
松高同窓会東京支部 会報
平成 11年 (1999)新 春号
新潟県 立村松 高等学校同窓会東京支部
No.22(3
田四%田 田田田田田田田四%田 田田田田田田田田田田田田田田田四%田 田田田田四%田 震震妥渓
年頭 で の 想 い
東京 支 部長
同窓各位 には新 しい年を、恙 なくお迎えの事 とお慶 び
申し上げます。平成 10年 は一つの節目の年 として大 いに
期待を持 って迎えたわけであ りますが、いやはや とん
でもない年 になって しまい ました。政治 の混舌L、 経済不
況 、汚職 、犯罪 の激増等 々、これに加 え不順な天候等、
数え上げればきりが無 い ぐらいで 日本の前途は どうなる
のかと心配 しているのは敢えて私一人 ではないと思 いま
す し、既に皆 さま御存 じの通 り。ここでは触れないこと
と致 します。
平成 H年 は国内が、否、世界中が平穏無事 、些かな り
とも明 るい進展 が見 えて くれば良 いと願 っているところ
であ りますがそれも期待薄 、むしろ大事件 、大事故 、大
異変が起 こるような気 が してな りません。 くれ ぐれも、
気配 り怠 りなくお過ごしくださいと祈 るのみです。
ただ最近、日本の歴史を見直そう、戦時中の歪曲され
た事柄 を是正 しょう、教育を考えようとの動 きが微かな
がら巷間に涌き上 がって来ているのを力強 く感 じ、好 ま
しく思 っている昨今 でもあ ります。
さて過年 8月 16日 開催 された母校同窓会本部 の総会 に
深見洋子 さんと共 に出席 してきましたが意外 と出席者が
少なく内心 腔泥たる思 いでした。乾杯の音頭を乞われて
「いま県内に於て高校 の統廃合 の問題が論ぜ られている
ことは東京 にいても聞 こえて くる。母校が生 き残 るため
には学校 と同窓会 とが一致団結 して頑張 らねばならぬ」
と杯 を挙げたが、あまり反応 はなか ったようでした。
役員改選 では昭和 58年 8月 以来 15年 間に互 り会長を
勤められた茂野敏郎 さん (旧 中17回 卒 )と 副会長 の貝瀬
弘 さん (旧 中28回 卒 )が 勇退 、夫 々感謝状 と記念品の置
き時計 が贈 られました。 (東 京支部 からは昨年 の支部大
会で茂野会長 に記念品 をお贈 りしてあ ります)長 い問
ご苦労 さまでしたと改めて感謝申し上げる次第 です。
新会長 には副会長の伊藤淳一さん (旧 中33回 卒 )が 昇格
副会長 には藤田暉輔 さん (旧 中30回 卒 )渡 辺照男 さん
(旧 中31回 卒 )が新任、石塚達也 さん (旧 中32回 卒 )が
留任で 3人 の副会長 が選 ばれました。
母校創立90周 年を間近 に控えている折から今後益 々の
ご活躍を期待 してお ります。
二次会 も無 く おかげでタクシーを利用することも無 く
その日の内に鹿瀬の実家 に帰 ることが出来 ました。
さてそこで 私 どもの同窓会東京支部であ りますが、
その運営、催事 につ き常 に格段 のご配慮、ご協力を頂 い
てお ります ことに厚 く御ネL申 し上げます。
現在支部会員名簿 に登録 されている会員の数は男女合わ
せて約 320名 ですが、うち年会費納入者 は平成 9年 度
までの 5年 間で多い年 で 271名 、少ない年で 238名
佐
伯
益
一 (旧 中 27回 )
平均 250名 となってお ります。寄付金納入 も金額 にし
て会費の約 3割 を超えています。特 に嬉 しく思 うのは、
在町在郷の私 の同級生が「佐伯が支部長を勤めている限
り、みんなでバ ックアップしよう」 と折 にふれて高額 の
寄付金を送 ってきて くれることであ ります。会費納入や
寄付行為 によ り、同窓 の交流が深められ、団結が強 くな
るものと信 じてお ります。おかげをもって支部大会の開
催や、会報発行 、その他の行事が円滑 に行われることに
相成 り 誠 に有 り難 いことと感謝 してお ります。
次 に 先の支部大会の際にも一言触れ ましたが
平成 H年 4月 1日 よ り 同窓会東京支部の名称を
新潟県立村松高等学校 東京同窓会 と改称すること
になりました。長年親 しんできた名前ではあ りますが、
東京周辺の各高校同窓会の名称等を調べてみますと関東
地区同窓会 とか 首都圏同窓会 何 々地区同窓会 とかの
名称が極めて多 く、支部 と呼んでいる同窓会 は割 り合い
と少ないようでした。夫 々独自性を持つ ているようです
したがって真似するわけではありませんが、過去の動
き、実績等を勘案 し、視野を広め 独自の活動を図る為
にも この際思 いきって名称を変 えた方 がよいと提案 し、
過去 2回 の役員会で確認 、決定 したものであ ります。
ちなみに本部会則を読んでみますと支部 に関す る事項は
第 4条 目的達成 の事業第 4項 に 支部活動の援助協力
、とあるのみで他 には見当 りませんでした。
嘗て 各支部 に対 して幾分なりとも補助金を出すべ きだ
と主張 したことがあ りましたが取 り上げられませんでし
た。東京支部 としてはその方が返 って良 かったのかも知
れません。何 とぞご理解をいただきたい と存 じます。
また 故中村事務局長 の後任 として平成 7年 9月 に就
任 した 鶴巻浩事務局長 (高 10回 )が先 の大会時を以て
辞任されました。 3年 近 くの間 多忙な会社業務の傍 ら
熱心 に職務を遂行 されて来 られた労苦ご努力に対 し深 く
感謝の意を表 します。代わ りまして高 7回 の八木又一郎
さんが選任 されました。因 って事務局 も別掲のとうり、
移動することになりました。勿論 、会費等 の振 り込み先
も変わ りますが 3月 末 までは今までの番号 と併用です。
4月 からは新 しい振 り込み番号一本にな ります。
母校 に図書を贈 る運動 も別 に記 してあ りますがこれも
よろしくご協力の程お願 いいたします。
最後 になりましたが 冒頭 に述べ た私の心配事が杞憂 に
過ぎれば大変結構なことであ りますが、寒 さの折 、お体
には くれぐれもお気をつ けください。
新年を迎 えるにあた り 同窓各位 、関係各位 の変わら
ぬ友情 と ご多幸であることを 心 から願 い念 じまして
ご挨拶 に代 えます。
XttXXNNX四 %田 田演XttX田 田田田田田田田田田田田田田田田田田田X田 田田田田田四%
東京支部 の皆様 へ
平成
10年 8月 の 同窓 会 総 会 で 、茂 野 会 長 さん の 後 を
お 引 き受 けす る こ とにな りま した 。村 松 高 等 学 校 は平 成
村松高校 同窓会 会長
伊藤 淳 ― (中 33)
13年 に 創 立 90周 年 を迎 え る こ とに な ります 。
倉J立 80周 年 を期 と して 、同窓 会 は 母瀬:σ 芽謳則邸輸傾
向 か らの 脱 出 をテ ー マ に掲 げ て 、地 元 の 村 松 支 部 を 中心
現 在 の 同窓 会 の 緊 急 な 課 題 は 、 90年 近 い 輝 か しい 伝
に して 、-4興 脳灘封燿引鵬化 に 取 り組 ん で き ま した 。
統と2万名におよぶ同窓生を出した母校を守り通し、よ
そ して一 進 ‐ 退 で は あ ります が 、 そ の 成 果 は 僅 かな が ら
り魅力 あ る高 校 へ と発展 させ るこ とに あ る と思 い ます 。
20名 余 りの 四大 合 格 者
東京支部 の 皆様 には今 まで も、 い ろ い ろご助言 、激励
を頂 いてお ります が 、今後益 々の ご理解 とご 支援 を下 さ
も実 を結 び つ つ あ り、本 年 度 は
を出 しま した 。 しか し一 方 で は 大 幅 な 定 員割 れ が あ りま
した 。今 後 さ らに 少 子 化 の 傾 向が 続 き 、高 校 進 学者 の 町
ヾ
外流出
高 まれ ば 、近 い 将 来 母 校 の 消 滅 と い う深
∼
刻 な 問 題 も起 こ りか ね な い 状 況 に あ ります 。
い ます よ う宜 しくお願 い 申 しあげ ます 。
次 回の東京支 部大会 には是非 出席 させ て頂 き、皆様 と
親 しくお 会 い して歓 談で きるの を楽 しみ に してお ります 。
古 里 の 秋 を 想
つ
東 京 同窓 会 の 皆 様 、 お 元 気 です か 。六 月六 日の 総 会 で
は 多数 の 会 員 の 皆 様 にお 会 い で きて大 変 楽 しか つ た こ と、
母 校 を 、村 松 町や 古 里 を大 変 懐 か しく 、ま た心 配 され て
い る皆 様 の 気 持 ち を強 く感 じた こ とが 、つ い 昨 日の こ と
の よ うに も感 じられ ます 。
総会 の ご挨拶 に も申 し上げ ま したが 、私 の 出身地 は愛
村松高等学校長
内田
力
知 県の 岡崎市 (徳 川家康 の生誕地 )東 部 の 農村地帯 です 。
小 さな頃 を思 いお こす と、表 日本 ・ 岡崎 の十 一 月は毎
やがて 「 雪 」の季節 に変わ って い く。新潟で も比較的
日晴天 が続 き、米 の 取 り入 れ と秋祭 りも終 り、息 つ く間
都市部での経験 しか な い私 は 「降雪 」や 「積 雪 」には 、
もな く麦撒 き仕事で忙 しか つた頃 、日が暮 れて 回 りが見
さほ どの困惑 を感 した ことは あ りませんで したが 、曇
えな くな るほ ど暗 くな って 、や っ と仕事が終 つた こ とな
り空 、それ も「裏 日本特有 の低 い雲 」には 、なかなか
ども懐 か しく思 い 出 され て きます 。
慣れ るこ とが出来 ず 、それ で も、さほ ど気に な らな く
な ったの は 、新潟 に来て十 四・ 五年経 ってか らだ と思
毎 日近所 の家 は み んな空 っぽ で 、老 い も若 きも全 員が
畑仕事 に精 を出 した 、まさに「 天高 い晴天続 きの収穫の
秋 」であ った記憶が あ ざやか に蘇 つて きます 。現在 では
われ ます 。 現在 で も一 番苦手な ことの一つ である事
は間違 い あ りません 。新潟県 を舞 台 とした小説 ・ 雪国
の作者で ノーベル 文学 賞作家 の川端康成 先生 は 、受賞
様変 わ りして昔 の面影 も少な <な つた よ うです が 、私 の
思 い出に残 る古里 ・ 岡崎 の十 一 月の風景です 。
講演 の中で 「美 しい日本の心は 、越後の四季 と良寛の
新潟 に来 て 、 いつの 頃 か らか朝起 きる と真 つ先 に窓 を
歌 に ある 」と述べ て い ます 。こ こで は良寛様 の ことは
開 け 、空 をみ るよ うにな りま した 。春夏秋冬 、欠か さぬ
さてお き 、春夏秋冬 の 区切 りがは つ き りして 、人 の心
に喜び と感動 を与 える新潟 の 四季 、生徒 に新 潟で 自慢
習慣 とな つて い ます 。原因 は 、私 の経験 になか つた 、こ
の 頃か ら始 まる新潟の 「 しぐれ 」の季節 と、長 い冬 に向
で きるもの を聴 いてみ ると、必ず上位 に挙げ られ る古
か う大変 さにあ つた よ うに思 われ ます 。表 日本 にお 住 ま
里 の 四季 、古里 を離れ て も必ず懐か しく語 られ る越後
いの皆様 には 、す べ てお分か りの こと と思 い ますが …… 。
の 四季 、私は こん な新潟が大好 きにな りま した 。それ
新潟 に来 て生徒か ら教 わ つた 「 花 カル タ 」、当初 そ こ
に して も、これか らの新潟 の季節 、大地 をス ッポ リと
に ある季節 の花 や風 物 を、特 に関心 を もって考 えて もい
包 み 込む 自一 色 の 雪の季節 、私 にとっては苦手な 、頭
ませんで したが 、秋 の終 りか ら始 まる「 じぐれ 」の 季節
を上か ら押 さえ込 まれ るよ うな天丼の低 い曇天 の 空 … 。
が気 にな り出 した頃 、十 一 月 の花 カル タが 「 しぐれ 」と
雪 が消 えは じめ 、天候 も暖かな陽射 しの戻 つて くる
い うの も 、新潟 に住んで初め て納得で きた ことの一つ で
春 、待 ち兼ねたよ うに一 斉 に咲 き始め る草木 の愛 らし
した 。恐 らく初め か ら表 日本 にず つ と住んで い る人達 に
い可憐な花 、 これほ ど待 ち遠 しい気持 ちに して くれ る
は 、分か らな い 、気が付 か な いこ とだ ろ うと思 われ ます 。
新潟 の冬 も、ひ ょっ とす る と私は好 きにな つて きたの
岡崎 で育 つた人間が 、毎朝 一 番 に見 て気 にな る空模様
これか らは 「 しぐれ 」の 時期か ら「み ぞれ 」へ と進 み 、
ではな いだろ うか とも考 えて い るこの頃です 。皆様 の
思 い起 こす古里 の秋は 、どんな秋で しょうか 。
田田田田田田田 X田 田演田四 %田 田田田田田田 田田 %田 田田田田田田田田田田田田田田田田田%
第 41回 東京支部大会
◎第 41回 東京支部大会 は 、 6月 6日 (土
)高 輪 の 品川 プ
リンスホ テ ル で 、母校及 び 県人会 関係 の 来 資
え ,会 員
16名 を迎
104名 が 出席 して開 催 された 。
定刻午後 2時 よ り総会は型 どお り進行 、特 に今 回は本
年 3月 定年退職 された吉川益 男前校長 の 後任 と して西新
発 田高校 か ら赴任 され た 内田
祝
電
総会 おめ で と うござ い ます 。
出席で きな いで残 念 です 。今後 、益 々の ご発展
をお 祈 りいた します 。
力校長 は 「伝統 あ る村松
高校 の 名誉 を汚 さぬ よ う精 一 杯 の努 力 を尽 くす 」と力強
6月 5日
村松高校 同窓会長
い挨拶 、県人会 を代表 して廣川広報委員長 か らは 「松高
同窓会 の一 糸乱れ ぬ 団結 に 賞賛 」の 祝辞 。続 いて役 員 に
入 つたが幹事全 員 の推挙 と亀嶋
謙氏 (中
22)の 推薦
の 言葉 の あ と 、就任 の 挨拶 に立 った 佐伯支部長は 「私は
第九代 目の支部長 、本年 で
15年 目にな る。 そろそろ潮
時 と思 つて い たが辞 め させ て くれ ぬ 」と前 お き して 「 役
員 全 員が留任 す る こ とが第一の 条件 、この 際副支 部長 を
複数設 けた い 」 と提案 、異義 な く承認 され た 。
また近 い将来 、同窓会 の 視野 を広め独 自の活動 を図 るた
め に も同窓会東京支部 の名称 を村松高校東京 同窓会 と改
称 した い と述 べ 同意 を得 た 。全 員で記念写真 の後 、第二
部 の 懇親会は 、最長老 の小 田恕也氏 (中
16)の 乾杯発
声 で始 ま り、 日本舞踊 、尺八 吹奏 、 フラダンス な ど… …
県人会婦人会 のお け さ踊 りには 校長 は じめ喜 寿傘寿 を超
える先輩 た ち も輪 に入 り圧巻 で あ つた 。
恒 例 の 抽選会 では 、各 自持 ち寄 りの景 品が もれ な く渡
り、 また広 島市在住 の 自石 キ ヨ氏 (高
3)寄 贈 の オ タ フ
クソース を全 員 にお土産 と してお持 ち帰 り願 い 、 とにか
く楽 しい一 時であ つた 。同窓会 は いつ も斯 くあ りた い も
の と痛 感 す る次第 であ る。
◎抽選会 の 景 品 、 ご寄贈頂 きあ りが と うござ い ま した 。
露
葬
敏郎
田田田田田田田田田田田田田田田四%田 四%田 田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田
第 41回
平成 10年 6月 6日
来
賓
(16名 )
東 京 支 部 大 会 出席 者 名 簿
(土 )品 川プ リンスホテル
旧 中 学 校 (20名 )
16
小田
恕也
村松高校
茂野
同窓会長
敏郎 様
村松高校
内田
校長
力
様
20
伊藤
横松
逹郎
宏平
同 窓 会 担 当教 諭
鈴木 亮一
様
22
亀嶋
謙
24
芳原
英男
26
武藤
二郎
27
吉田
佐伯
西山
伊藤
公男
益一
荘平
秀男
同窓 会事 務 局
ヒサ
伊藤
様
新潟県人会
広報委 員長
廣 川 高志 様
東京鹿瀬会 幹事長
波 田野亮 一 様
東京鹿瀬 会
渡部 廣次
17
30
様
村松町 よ り
女 19 大 塚
イ ミ様
女 20 牛 腸
ハ ル様
女 22 滝 沢
佳子様
女 25 酒井
エ ミ様
女 25 吉 原
敦子 様
市川
佐藤 豊夫
相 田幸 四 郎
坂上 庸蔵
五十嵐 一郎
岩見 益教
32
成海
正弘
33
斉藤
伊藤
遠藤
和男
勇五
順
旧女 学 校
新 潟 県 人 会 同好 会
細 谷 シズ 様
高橋
和子
様
落合二重子
様
松本
様
春子
薫平
25
岡本
小林
佐藤
鈴木
(4名 )
和子
早月
玲子
節子
新潟県立村松高校同窓会東京支部
高 校男 子 (57名 )
02
03
青木
猛
篠川
恒夫
渡辺
関
土田
伊藤
八郎
孝世
猛
勤吾
鈴 木 多喜 男
弦巻
等
下野 文 幹
鈴木 健司
大 島惣 四郎
111
12
18
金子 鶴男
新井 康夫
樋 口栄 二 郎
田代
信雄
今井
安部
笠原
荒川
木村
武藤
英雄
実
久
守
安雄
正昭
佐 々 木秀 和
三 室 茂和
高岡 英治
笠 原 静夫
高校 女子 (23名 )
佐久 間英 輔
五十 嵐 健
岩倉 富栄
03
佐藤
05
佐 々 木恵 美
八木又一郎
笠 原 大 四郎
長 谷 川洋 太
伊藤 和 賢
田沢 敬 司
遠藤
昭
07
深見
08
山西 愈 佐子
緒 方 美 恵子
木村 孝子
久 我 マキ
片柳 ム ッ
岡部 ユ キ
波多 ミサ エ
10
真水 道 子
佐久 間順 子
飯利
幸
小 島 典子
吉井 祐 江
田中 富 子
片桐 信 子
12
徳永 道 子
中島 和子
トム
桑原
渡辺 厚 子
近藤 燦 子
田淵 み や の
山崎
石本
塚田
吉井
佐藤
伊藤
鈴木
松尾
輝雄
芳雄
勝
清
匡秀
叢
輝雄
正春
石黒
斉藤
阿部
間藤
熊倉
四郎
収二
敏
謙一
富次
6
名
4
名
1
0
計
洋子
1
総
賓員
来会
大橋 貞夫
浩
鶴巻
高 岡 雄三
小 日山芳 栄
新保
優
宮沢 正 由
近 藤 尚志
滝沢 信喜
本宮
勝
桐生 三男
八重
120名
村松 高校 同窓会東京支部大会
平成 10年 6月 6日
の
入
収
品川プ リンスホテル 28F 苗場
(
芝
_の 出
部
算
決
支
童日
第 41回
収 D
田田田 X田 田田田田田田田田田田田田四 %田 田田田田田田田田田田田 田田田 震震田 田X田 田田田
部
(1)懇 親会 々費
男
子
女
・/1ヽ
子
計
77名 @10,000
27名 @8,000
(1)
770,000
(1)準 備 日
216,000
986,000
7.017
4月 18日
幹 事会 費
6,800
印刷費
(2)来 賓 ご祝 儀
通 信費
郵便切手
30,400
返信ハ ガキ
19,000
同窓 会本 部
様
30,000
高志
様
10,000
送
料
2,020
波 田野亮 一
様
10,000
雑
費
14,672
渡部
広次
様
10,000
・ ノ│、
高橋
和子
様
10,000
細谷
廣川
計
(1
79,909
)
(2)大 会 費
シズ
様
10,000
落合三重子
様
10,000
懇 親 会費
松本
春子
様
10,000
持 込酒 代
24本
51 000
酒井
エミ
様
10,000
来 賓土 産 代
10名 分
28,560
30,000
二 次会 接 待 費
(4名 様
品川 プ リンス H
800,410
45,170
大塚
イミ
様
午腸
ハル
様
謝
交 通費
11、
820
記 念写 真 代
21、
641
滝沢
佳子
様
吉原
敦子
様
小
計
(2)
)
140,000
(3)会 員寄 付 金
笠原
静夫
様
7,000
遠藤
順
様
5,000
笠原
久
様
5,000
山西 愈 佐 子
様
5,000
孝子
様
5,000
木村
岡部
ユキ
様
5,000
吉井
清
様
2,000
深見
洋子
様
2,000
片桐
ムツ
様
2,000
様
21000
道子
真水
・小
大 会 収 入合 計
計
(3)
(1∼ 3=A)
雑
費
・小
計
支 出合 計
(合
計
収
入
4件
礼
4,459
(2)
1,006,145
(1∼ 2=B)
1,086,054
)
計
合
一J=ヒ ロ ギ■ 言十
残
43.085
(A)
(B)
高
1,166,000円
1,086,054円
79,946円
401000
◎なお 、残額金 79,946円
1,166,000
繰入れ致 しま した 。
は一般会計 ヘ
演田田田田田田演 田 X田 田田田X田 田田田田田田田田田田田 田田田田田田田田田田田田田田田田
☆
と
識ヽ
し
あ
り
が
ま
う
た
■■
・│‐ .│││■
◎平成 9年 度 会費納入者 (41回 大会 当 日分 )
岡部 ユ キ (以 上 1名 … 敬称略 )
◎会報送付御礼 ・ 寄付金 (敬 称略 )
二平 一男 (中 27・ ff泉 「
lj在 fi:) 10,()()0円
須佐
田崎
日井
本村
神林
t丹 藤
三住 , 5,()00
平助 (中 27・ 新潟 市イ
。
ィ千
i:) 1,()00
正 一 (中 中退 津 川田
「「
i:) 3,()()()
信栄 (中 270村 松町 在イ
´
「
斤潟 lj了 l:)
2,000
(11127・ 辛
貞
1:イ
春雄
キ
算一([li
(中
270柏 崎氏在住 )
5,0()0
田
[+し )
│ホ 公
丁イ
本
10,00()
33・
(以 上 7名 )
◎ 上記 の 会報寄付金は一般会計 に繰 入れ ま した。
1・
お知 らせ
″
ちょつといい話
10年 度 、会費納入者及び寄付金納入 の
方 々の ご芳名 は 、 10年 4月 1日 か ら 11年
3月 31日 まで の一 年分 を一 括 して 、次号 に
葉 をつ か う。「おのおの 方 、相 い分か り申 したか 」
掲載 させて い ただ きます の で ご 了承下 さ い 。
えて い る。一 杯会で酔 いが まわ って くると「 もの共
よろ し<お 願 いいた します 。
相 い分 か つたか 」とな る 。嫌 みは感 じな い 。本人は
平成
◎佐伯支部長は会議 の席 で 、よく古風なサム ライ言
と。す ると女性役員が 「ハ イ 、分か り申 した 」と答
大 ま じめで ある。楽 しい雰囲気である。
平成
H年 度
平成 11年 度 (第 42回 )
村松 高校 同窓会
東京支部大会
月時会
日 6月 5日 (土 )
間 午後 2時 よ り
場 浅草 ROX
ニ ューオ ータニ
お誘 い合わ せの上、多 くの方 々の
ご出席 をお 待ち してお ります。
東京支部大会開催 のお知 らせ
│
XttX田 田田田田田X%X田 田田田田田田X田 田田田田田田田四%田 田田田田XttX田 田田謁%
滝沢
お便 りの中から
佳 子 (旧 女 22回
)村 松在 住
◎東 京 支 部 大 会 にお招 きを戴 き 、大 変楽 しく過 ご させ て
頂 き 、又 あん な に盛大 に 。皆 様 の心 意 気 に 接 しま して私
市川
′
薫 平 (旧 中
17回
達 も も っ と頑 張 らな けれ ば と い う思 い で帰 つ て来 ま した 。
)
◎過 去 数 年 間 、同窓 会 を欠 席 して お りま した が 、今 年 出
席 して み て 、楽 しい 同窓 会 に変 わ つ てお りま した の には
驚 き ま した 。面 識 の な い人 達 で も、同郷 の 気 や す さか ら
話 が はず ん で 、閉 会 に な つ て もお 喋 りを させ て い た だ き
誠 に 楽 しい一 日を過 ご させ て いた だ きま した 。
写 真 あ りが と うご ざ い ま した 。益 々 ご 自愛 の上 ご活 躍
会 を盛 り上 げ よ うとあん な に皆 様 が協 力 して居 られ る
様 子 に接 しま して 、や は りや る気 の 佐伯 様 の お 人 柄 が 皆
ん な を 、あ の 様 に 自然 に盛 り立 てて い るの だ と本 当に力
強 く感 じて参 りま した 。故 郷 の 学校 を思 い 、そ の 活 力 を
与 えて下 さる そ の 姿 が頼 も しく「 や は り東京 支部 は違 う
な 」 と い う思 い で ご ざ い ま した 。 … … 後 略 … …
の 程 、念 願 い た して お ります 。
公 男 (旧 中 27回
吉田
伊藤
達郎
(旧 中 20回
)
◎ いつ も写 真 を頂 くば か りで恐 縮 です 。あ の 会 の ム ー ド
)
◎ 松 高 同窓 会 で は色 々 とご配 慮 を い ただ き 、会 が 極 め て
が 良 く出て い て 、 とて も嬉 しく思 い ま した 。
盛 会 裡 に終 了 い た しま した こ とを 、心 か らお喜 び 申 しあ
牛腸
ハ ル (旧 女 20回
)村 松在 住
げ ます 。 また 当 日の 写 真 をた く さん ご恵 贈 賜 り誠 に あ り
が と うご ざ い ま した 。 いつ も撮 影 は 未熟 だ と謙 選 して お
◎東 京 同窓 会 に ご招 待 頂 き誠 に有 り難 うご ざ い ま した 。
られ ます が 、 まず いの は被 写 体 の 方 で画 面 の 仕 上 が りは
上 々 で あ りま した 。毎 回 お世 話 に な りつ放 しで恐 縮 で す
母 校 を思 つて集 われ る皆 様 の 熱 気 と盛 り上 が りに非 常 に
感 動 致 しま した 。思 い が けな い 方 々 に もお逢 い で き昔 話
が 、今 後 と もご指 導 下 さる よ うお願 い い た します 。
をす る事 も出来 、東 京 の 方 々の 団結 の 固 さに敬 服 して帰
りま した 。尚お土 産 まで頂 き重 ねて御礼 申 しあげ ます 。
佐野
宏 (旧 中 20回
)新 潟 支 部 長
◎ 東 京 支 部 大 会 号 をお 送 り下 され 、あ りが と うご ざ い ま
した 。貴 支 部 は益 々盛 ん で む しろ羨 ま しく思 つ て い ます 。
鈴木
亮 一 (高
13回 )同 窓 会 担 当教 論
◎無 事 帰 りま した 。滞 在 中は大 変 お 世話 にな り誠 に有 り
それ に 比 べ て こち らの 支部 は 、地元 に近 いせ いか 役 員 の
努 力 に もか か わ らず 総 会 を開 い て も、二 千名 近 く在 住 し
難 うご ざ い ま した 。身 に余 るお もてな しを受 け 、温 か い
て い な が ら百 名 を切 る程 の 出席 者 です 。従 つ て会 費 の 納
す ば ら しい人 柄 を拝 見 して 頼 も しく思 い ま した 。楽 しい
入 もま まな らぬ 有 様 です 。
時 間 と場 所 有 り難 うご ざ い ま した 。
気 持 ちで過 ご させ て貰 い ま した 。東 京 の 同窓 のお 元 気 で
この 対 策 と して 、先 日役 員会 を開 きそ の 打 開策 をた て
成海
正 弘 (旧 中 32回
ま した 。 それ には 、旧制 中学 卒 の 役 員 の 代 わ りに高 校 卒
の 人 か ら多数 役 員 を推 す こ と。先 ず 支 部 長 を更 え 、次 の
◎ 当 日、何十 年 ぶ りか で 力強 い 松城 健児 の 応 援 歌 を聞 き
新 陣 容 を一 気 に決 定 、総 会 で正 式 決 定 す るこ とに決 ま り
且 つ 歌 い 、五 泉駅 頭 で の 壮 行 会 の 様 子 を街彿 と思 い 出 し
ま した 。 (私 は貴 支 部 の 佐 久 間 精 一 氏 と同級
ま した 。本 当 にあ りが と うご ざ い ま した 。
)
村 松 高 校 は漸 く芽 をふ き出 しま した が 、 旧制 の 中学 校 で
あ りな が ら、 こ うまで 落 ち込 ん だ もの か と知 人 、友 人 か
田崎
正 一 (旧 中 々退
)
)津 川在 住
ら冷 や か され て い ます 。 この 学 校 を立 て 直 す には 同窓 会
◎ いつ も懐 か しい会報 を ご恵 送 賜 り、生 きて行 く励 ま し
が縁 の 下 の 力 にな らな けれ ば な らな い事 は言 うまで もあ
りませ ん 。幸 い に 同窓 会 員 で 県 都 で大 活 躍 して い る人 が
を いた だ い て お ります 。兄 の ご活 躍 は誠 に貴 重 で す 。
多 く居 り、 この人 々の 力 で 立 て 直 した い と思 つ て お りま
※
この 度 の 支 部大会 に 出席 され た方 々及 び 会 報 を受 領
され た方 々か ら、た くさん の 礼 状や お 電 話 が寄 せ られ て
す。
お ります が 、紙 面 の 都 合 で全 部 掲載 す る事 が 出来 ませ ん 。
中村
◎前 略
市 雅 一 郎 (旧 中 26回
)新 潟 市 在 住
巻 頭 言 「 この ま まで は 日本 語 が滅 ぶ 」 を拝 読 し
大 体 、同 じよ うな文 面 です の で割 愛 させ て頂 きます 。
ご氏 名洩 れ が あ るか も知れ ませ ん 。悪 しか らず ご了 承 願
て 、大 い に我 が意 を強 く した次 第 で あ ります 。辞 書 を活
い ます 。
用 して よ り多 く読 み 、 そ して書 く生 活 よ りも安 易 な見 る
聞 く環 境 に育 った 世 代 が増 えた 現 在 、大 いに 考 え させ ら
小田
恕哉 、亀 鴫
謙 、芳 原
坂上
イ ミ、吉 原
敦子 、
れ る問題 で あ る と痛 感 して お ります 。
庸蔵 、岩 見
エ ミ、遠藤
益 教 、大 塚
酒井
順 、青 木
猛 、篠 川
恒夫 、
関
孝世 、鈴 木
健司 、自石
キ ヨ 、渡 辺
厚子 、
田中
富子 、吉 川
益 男 、以 上 の 皆様 か ら もお 便 り
相田
幸 四郎 (旧 中 30回
)
◎皆 さんに 会 え るの が 何 よ りの 楽 しみ です 。次 回 も又 。
英 男 、五 十 嵐 一 郎 、
を いた だ き ま した 。 あ りが と うご ざ い ま した 。
田田田田 田田田田田田 田田田田田田田四 %田 田田田田四%田 田四 %田 田四 %田 田田田田田田田田
お便 りの中 から
伊藤
ヒサ (同 窓 会 本 部 事 務 局
)
◎第 41回 支 部 大 会 で役 員 の 皆様 は本 当に ご苦 労様 で ご ざ
村川
英 三 (高 6・ 上 越 市 在 住
い ま した 。大 歓 迎 を して い た だ さ感 激 して帰 つて 参 りま
)
◎ この 度 、思 い が けず 、東 京 支 部 会 報 を ご恵 送 い た だ さ
有 り難 と うご ざ い ま した 。東 京 の空 の 下 で も同窓 の 皆 さ
んが 、肩 を寄 せ合 い励 ま しあ つ て生 活 して折 られ る姿 を
思 い胸 の 熱 くな る もの を覚 え ます 。
これ か らも東 京 支部 が ます ます 発 展 し、皆 様 の 親 睦 の
した 。厚 く御 ネL申 しあげ ます 。
東 京 の 皆 様 とは 、 3年 ぶ りにお逢 い 出来 て嬉 じゅ うご ざ
い ま した 。 これ か ら も 、 い ろ い ろ ご指導 の 程 よろ しくお
願 い い た します 。貴 支 部 の 益 々 の ご 発 展 と皆 様 の ご 健 康
を祈 念 申 しあげ ます 。
輪 が 広 が ります よ う心 よ り願 つ て お ります 。
伊藤
三 男 (高 6・ 村 松 町在 住
武藤
◎ 会 報 あ りが と うご ざ い ま した 。ふ る さ と講 演 会 の 報 告
文 は 、同級 生 の 今 昔 が 偲 ばれ 面 白 く読 ませ て頂 き ま した 。
還 暦 を過 ぎて か ら特 に健康 が第 一 と常 々思 つ て お ります 。
お互 い に丈 夫 で長 持 ち しま し よ う。東 京 支 部 の 益 々の ご
発 展 を祈 念 い た します 。
佐 々木 栄 一 (高 6・ 村 松 町 在 住
)
うご ざ い ます 。会 報 に よ り大 勢 の 同窓 生 の 方 々が 首 都 圏
で 活 躍 され て い る事 を知 り、大 変 嬉 しくな ります 。
村 川英 三 氏 の 、ふ る さ と講 演 会 報 告 は 良 くま とめ て い
た だ き 、同級 生 と して 感謝 して お ります 。東 京 支 部 の 益
々の 繁栄 と皆 々様 の ご 健勝 をお 祈 りい た します 。
孝 助 (高 6・ 村 松 町公 民 館 長
様ヘ
岩倉
富栄 (高 6・ 富士 宮 市 在 住
◎ この 度 は写 真 を ご恵 与 賜 り有 り難 く拝 受 い た しま した 。
私 は 同期 生 の 沢 出君 の 勧 め で 、初 め て東 京 支 部 大 会 に 参
・
加 させ て 頂 き ま したが 、先 輩 方 の フ ライ ドの高 さ とパ ワ
ー に圧 倒 され ま した 。
が 、皆 ん な “の ん び り"と 教 育 を受 けて い ます 。
丁 度 、 お便 りを頂 戴 した 日 に 、外 務省 か ら派 遣 され て
海 部 優子 氏 (海 部 元総 理 は 義 父 に あた る )が 講 演 の ため
来 校 され 「 日本 の 外交 と国 際化 」 と い うテ ー マ で話 され
ま した 。竹 下 元 首 相 か ら村 山元 首相 まで 、通 訳 と して外
国 や 国 内 で の トップ 会 談 、宮 中で の 晩餐 会 な ど豊 富 な エ
ピ ソー ドを交 えな が ら 、 これ か らの 日本 の立 場 と方 向性
に つ い て 示 唆 を与 えて 下 さ い ま した 。
)
◎会 報 「 臥龍 が丘 は緑 な り」を お 送 りい た だ き あ りが と
うご ざ い ま した 。 同窓 会 活 動 を東 京 支 部 の 皆様 が精 力 的
に展 開 して お られ る こ とを初 め て知 りま した 。母 校 の 地
元 に 住 ん で い る者 と して全 く恥 ず か しい 次 第 で す 。
紙 面 の 内容 も実 に充 実 して お り、幹 事 の 皆 様 の ご苦 労
や ゃ評 判 の悪 い政 府 に もこん な洒 落 た 企 画 が 、平 成 七
年 度 か ら実 施 され て い る こ と 自体 に歓び を感 じ、一 服 の
清 涼 剤 に な つた こ とは 確 か です 。また 、海 部 優 子 氏 は 、
外 務 省 で は皇 太 子 妃 ・ 雅 子 様 と同期 で親 しい 仲 だ つ た様
子 が 話 しの 中か ら感 じとれ ま した 。
が しのばれ 、会 員 の 方 々の ご協 力 な ど唯 々感 服 し、ふ る
さ とは遠 くに あ りて思 うもの 、 と い う感 を深 く した次 第
です 。また 、ふ る さ と講 演 会 も貴 兄 に紹 介 い た だ い て 、
ち よ つと良 い話
主催 した私 に と つ て望 外 の 喜 び で あ ります 。東 京 支 部 の
益 々の ご発展 をお 祈 りい た します 。
新 潟 駅 の 「 み ど りの 窓 口 」 で特 急 指 定 席 券 を購 入
しま した 。 ナ ン ト扱 って い た の は若 い 女 性 で愛 想 も
良 く、テ キ パ キ と処 理 して い ま した 。後 で駅 員 に訊
い て み ま した ら、 も う五 、六 年 前 か ら実 施 して い る
との こ と。大 卒 を採 用 して い るが 、平 成 11年 か らは
高 卒 も採 用 の 予 定 で あ る 。一 定 の 研 修 期 間 を経 て か
ら現 場 に 出す が 、今 は 研 修 中で あ る との答 が返 つ て
き ま した 。
それに して も、あま りにも見事な応対で したので
思わず「つ り銭は い らな いよ」と言つて しまいまし
た 。
村松 旧軍隊の正 門跡
)
現 在 、静 岡 で “田舎 の 秀 才 高 "に 勤務 して お ります 。
毎 年 、東 大 ・ 京 大 に 15名 程 度 の 合 格者 を出 して い ます
◎ 松 高 同窓 会 東京 支 部 、会 報 を送 って い た だ きあ りが と
相田
三郎
)
(伯
)
田田田田田田田田田田田田田田田田田 田田田田田田 田田田田田 田田田田田田田田田 田田田田田田
旧中 27回 クラス会
昭和 17年 春卒業 (遠 い昔 とな りました)の 旧中27回
生の クラス会 が 9月 28日 新潟県岩室村 間瀬 田ノ浦温
泉「海華亭かわい」で、18名 が 出席 して開催 され た。
新潟駅 か ら迎えのバ スに乗 り込み、 よく晴れた佐渡 ガ島
を右に見 なが ら約 4Ю 分程でバ スは宿 に着 く、月末の ウ
イ ークデ ーで あ ったが宿 はほ とん ど貸切 り同然 。
部屋 に入 るや否や早速碁盤が並 べ られ碁会所 と化す。
挨拶 もそ こそ こに開宴 となれ ば孫の ような 3人 の コンパ
ニ オ ンを相手 にダ ンスに興 じ、カラオケに声 をll■ らす。
翌朝 は早 くか ら碁会所、女将差入れの「越 の寒梅 」も
もの足 らず追加 してまた飲 む、帰 りは新潟 日報社前 の「
新潟ふ るさ と館」を参観、競 って土産物 を買 う。
新潟駅 まで送 って もらい、昼 どきと称 して また飲む。
とにか く よ く飲んだ二 日間 であ った。
平成 11年 度 は東京地 区が 当番 となる。
懐友 が一人 、二人 と欠けて逝 く、寂 しい限 りである。
各位 の健 在 を祈 る。
(佐
伯)
旧中 30回 クラス会
10月 3日
(土 )す っか り秋 の刈 り入 れが済んだ越後
の
平野 西 はずれ 岩室温泉 のホテル富士屋 に於 て旧制村
松中学第 30回 (昭 和 20年 卒 )の クラス会 が往年 の美
少年 ? 33名 の参加 で開催 され ました。
記念 の証拠写真 (奥様用か ?)を 撮 った後 、宴会 に入
れば 70名 は居 るといわれ る岩室芸者 の中か ら選 りす ぐ
られた名妓 5名 が彩 りを添 え 根 っか らの酒豪連 は大喜
び、酔 う程 に気勢 を上げ、それはそれは大変 な盛 り上 が
りとな りました。二次会 では無類 の歌好 きが何人 もいて
齢を忘れ ての熱演 は深夜 まで続 きました。
翌朝 は朝食後 ホテルで解散 とい うことで、お互 いに来
年 も元気 で会 お うと日 々に約束 しなが ら 晴れやか な顔
で、お別 れ とな りました。
吾 々はもう先が短 いので毎年 クラス会を開 こうと全員
で決 めてか らここ数年 は毎年実施 している次第 であ りま
す。
Iθ
「松城終始会」同期会
10月 11日 「松城終始会」の 同期会 が秋晴れの岩室
温泉 ホテル富士屋で同期 44名 が 出席 して開催された
。一 日目はホテルのバ スを利用 して 弥彦神社を参拝、
夕刻 ホテルに入 り記念撮影後 6時 か ら懇親会を開 く。
岩室 のキレイどころが加わ り宴 はいやが上にも盛 り上が
った。一同、呑み、且つ喋 り、歌 い、時間を忘 れて 2年
ぶ りの再会を喜び合 った。
翌 日は 地元の宝山酒造、五合庵を見学 、寺泊魚市場
を散策 土産物 などの買 い物を し、昼食 の後再 びホテル
のバスで村松駅 へ帰着 、そこで解散 となった。
この会 は 昭和 18年 入学 で昭和 23年 旧制中学最後
の第 33回 の卒業組 と 一部 の者で もう一年学校 に残
つた昭和 24年新制高校第 1回 の卒業組 でもって組織 し
てお り、従 って旧制 の終 り、新制 の始 めの卒業生 である
ことか ら 会 の名前を「松城終始会 」 と称 して いる。
田田田田田田 田田田田 田田田田田田田田田田田四 %田 田四 %田 田田田田田田田田田田田田田 田田
高 3回 ・ 同期 会 (昭 和 26年 卒 )
ぐず つ い た天 気 が 続 き梅 雨 明 け も遅 れ 、 コ メの 作 柄 も
心 配 され て い る 日本 列 島 、め ず ら しく全 国 的 に 晴天 と猛
13日 、同期 会 が開 催 され た 。
´
今 回は 、村 松 在 住 者 が 当番 幹 事 と い うこ とで 、遠 くは
暑 が 続 いた 7月 中旬 の
夜は 、村松か ら程近 い「紫陽花 の里 」 と して も有名な
湯 田上温泉 「ホテル小柳 」に宴 が用意 され て いた 。
ホテル 8階 屋上 には 、越後平野 が一 望で きるよ うな露
天風 呂が あ り、旅 の 疲 れ を いや して くれた 。
広 島か らの 参加 者 も交 えた総 勢 62名 (東 京 か ん ろ く会
代表幹事 の開宴 の挨拶 に続 く恩師 の 挨拶 もそ こそ こに
)が 、元 村 松 小 学 校 跡 に建 て られ た 「 さ く
あれや これや を祝 し、また祈念 して 「乾杯 」、宴は始 ま
った 。宴会は 、みんな昔 の サ イズ に戻 り、どこに もここ
か らは ]_0名
らん ど会館 」に集 合 した 。
早 速 、幹 事 さん の 計 ら い よ ろ しく、希 望 者
21名 は 学
校 訪 間 の ため 用 意 され て い た バ ス に乗 り、 当時 の 面 影 を
に もウ ッ トリさせ られ るム カ シ話 であふれ ていた 。
残 して い る懐 か しい 村 松 の 町 並 み を車 窓 か ら見 な が ら 、
圧巻 は 、なん と言 って も二次会 、ご多分 に もれず マイ
ナー指 向 とな り「カ ラオ ケ 」、伴奏 が終 わ るまで ス ポ ッ
や が て 、昔 の ま まの 赤 レ ン ガ の 校 門前 に 降 り立 った 。
トをあて られた ヒー ロー にな って喜んで い る人 、それ を
在 で 、夏 の 日差 しを さわや か な 松 風 に 変 えて 、久 しぶ り
我慢 して楽 しんでいる人 ……… これ も同期会文 化 、歌 の
曲 目も「青 い山脈 」「誰 か故郷 を思わ ざる 」……ヤ クザ 、
に訪 れ た我 々 を迎 えて くれ た 。
マ ドロス もの まで 、どれ もテ レビな どもな 〈、歌が溢れ
門 脇 の 赤 松群 もこ こ ろ な しか年 老 い た感 じも した が 健
学 校 で は 忙 しい 中 、時 間 を割 い て くれ た 校 長 、教 頭 の
て い る現在 に比 べ 、貧弱 な環境 の 中で過 ご した私達年代
案 内で在 学 当時 とは様 変 わ り した校 内 を一 巡 した 。同期
の感慨 ひ と しお の ものばか り、宴は夜更 けまで続 いた 。
の 江 口君 (村 松 高 校 の 美 術 担 当教 師 )の 指 導 に よ る学 生
達 の 油 絵 の 大作 が 、廊 下 の 随 所 に 掲 げ られ て お り我 々の
青春 に浸 った一 夜 も過 ぎた翌 朝 、 2年 後 の新津 (次 回
は新津在住者 が 当番幹事 )で の再会 を約 し、お互 いの健
心 をな ご ませ て くれ た 。 また 、音 楽 室 には 、村 松 大 火 の
康 を祈念 して解散 した 。
折 、有 志 の 手 で女 学 校 の 講 堂 か ら猛 火 の な か運 び 出 され
た ピア ノ ヽかの有 名 な 「 ス タ イ ン ウ ェイ 」が大 切 に保 存
ま りで昔 も今 も同 じ。
され て い て 、同行 した女 性 達 は手 で触 れ て感 激 に 浸 つ て
同期会 は 、大切な ものの対象 が変わ っただ けの者の集
幹事 さんに感謝
亀山
知明 (高
!
3,東 京在住
い た 。 そ して 、訪 れ た そ れ ぞ れ は 、バ レー ボ ー ル 、 プ ラ
バ ンの 練 習 、書 道 、絵 画 等 の 課 外 活動 に励 む後 輩 を眺め
若 い 時 の 積 も り積 も つて い る想 い 出 と心 の 中で対 話 しな
が ら 、 お よ そ半 世 紀 前 に タイ ム ス リ ップ よ ろ しく 、 しば
し学 生 気 分 に浸 つ た 。
校 門前 …… 学校 見学 に回 った 有志 が校 長 先生 を 中心 に…
前列右 か ら二 人 目が剣持 さん
第十 一 代校 長先生 の息子 さんノ
時計前 … … 蒲原鉄道利用者 に とって 、朝 夕 の登下校 時
■た時 計台
大変役 にた って くオ
箱 の 下、右側 には、大正 十 二 年 二 月十 一 日
左側 は、私 ノ小サ イ奉 仕 … とあ る
)
田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田 田田
高校第 4回 ・ 同期会
(昭 和
27年 卒 )
10年 10月
3日 (土 )∼ 4日 (日 )に 、同期 会
・
が西 蒲 原 郡 岩 室 温 泉 「 ゆ も とや ´
」で 開 催 され た 。
平成
昔 の 美 少 女 と美 少 年 が総 勢
62名 参 加 し大 盛 会 とな つ た 。
今 回は 、会 津 若 松 市 か ら卒 業 以 来 初 め て参 加 され た 、
高 井 金 平 氏 の 乾 杯 音 頭 で 開 宴 とな り、夜 更 け まで 旧交 を
暖 め 合 い 、散 会 後 は大 勢 の 人 が 、そ れ ぞれ の 部 屋 で いつ
迄 も語 り合 つ て い た 。
スタ ー ト前 の英姿
同期 会 は タ イ ム マ シ ンに 乗 つ て青 春 時 代 に 戻 つ た よ う
な雰 囲 気 を醸 し出 します 。
楽 しく 、嬉 しく、懐 か し〈、 ち ょつぴ りほ ろ苦 い 有 意
義 な タ ベ で あ つた 。「 次 回 また元 気 で会 い ま しよ う 」 と
企 画 し準 備 され た 幹 事 諸 氏 の 努 力 の 賜 物 で した 。
ほ ん と うに あ りが と うご ざ い ま した 。
翌 4日 は “同好 の 士 "3組 で 隣接 の 「 新潟 ゴル フ倶 楽
部 」で ゴル フプ レ ー に興 した 。久 し振 りの 快 晴 の もと 、
角 田 山 の 山麓 で更 に 英 気 をや しな つ た 。
鈴木
健司
任意団体 にお いて指導的役割 を果 たす人物像 についての条件
はじめに
先般 ある友人か ら電話 があって 「所属する団体で役
員を選 ぶのだが難行 している、何 か基準 になるよ うなも
のが あ ったら教 えてほ しい」 との こと「そ うだな、別 に
基準 とい うものはな いが、 なん と言 って も人格 が第一 だ
な」 と答 えたものの、折角 の事 だか らと思 い付 くままに
二、三 喋 った。「良 いことを聞 いた、申 し訳ないが今 の
事をメモ書 きでもよいか らFAXで 送 って くれないか」
との願 い。早速送信 したが、後 日それを整理補稿 したの
が下言
己の文章 である。 同窓 の中で いろい ろの団体 に参画
して居 られる方 も多 いと思 うので、多少 な りとも参考 に
してい ただければ幸 いと存ず る次第である。
① 常 に役員会や会合 に出席 している人。
全て とはいわぬが常 々会合 に出て 、会 の 目的を充分 に
理解 してお り、会 の運営その他 について経過 を知悉 し
て い ることが大切である。欠席勝 ちの人がたまに出席
し、 くどくどと質問するのは時間の浪費 。不明の点あ
らば予 め周 りの人 に訊 いてお くべ きであろう。
② 会の運営、行事等 について熱心であ り且つ情熱を持
っている人。
会合 に出ただけで発言が無ければ意味が無 い。たとえ
間違 っていたとしても積極的 に、しかも簡潔 に発言 し
行動することが肝要であろう。間違 いがあれば他の人
12
が訂正 して くれる。人 の意見 に耳を傾 け、その発言中
は、妄 りにこれを妨 げないことが大切。
野性的魅力 のある人 .
人格論は別 として、第二者 が この人ならと信頼 し、そ
の指導 に対 して支持協力できる人 。対外的な立場 もあ
るが、肩書 き重視の傾 向は避 けるべ きであろう。
自由奔放 さも、時 には必要 とすることもあるのだ。
③
あ 登程度 のアル コール類 を嗜む人。
これは絶対的な条件ではないが、会合 のあと懇親会 と
して酒席 が設 け られる機会 が多 い昨今 私は酒 が飲 め
ぬか らと云 って中座するのは良 くない。私 の知 り合 い
で一滴 も飲 めぬ人 がジュースやウーロン茶を飲みなが
ら最後 まで付 き合い酒席を盛 り上げて くれる人がいる
これには出席者全員 が感謝 し喜 んでいる。進行を務
める人は程良 いところで終宴を告げ、その後再び宴を
続ける配慮 が必要 (こ れをホ ン トの意味で中〆めとい
う)あ とは無礼講だ。
④
※ 他 にもいろいろの条件 もあると思 うが これ等を
100%要 求す るのは中 々難 しい。ある程度の妥協
も必要であろう。
(旧 中 27回
佐 伯 益 一)
XXXN田 田謁X%謁 %田 田田田田田田田田四%田 田田田田田田田田田謁四%田 田田田田田田田
表紙説明
「式 三 番 城 町屋 台 」
村松町指定有形民俗文化財
が村松藩の繁栄 を願 つて、今から約 210年前の天明 8
年 (17“ 年 )に 名工 5代 目・小黒杢樹献司に命 じて造ら
れた “
踊 り屋台"で す 。
屋台の大きさは奥行 4,6m、 間口 2.8m、 全高 3.9m
で、屋台は踊 り易いように柱の間隔、欄間の高さなども
考慮され、かつ強度にも十分留意 して造られています。
当時の製作としては、技術的に高度で黒漆塗にし金模
様の彫刻をほどこした豪華な ものであります。そして関
縣 の平屋造 りの屋台で今に残 つているものは珍 しいと
言われています。神社の祭礼には、この屋台で踊 りを披
露 して町内を巡回し、町の繁栄 ・産業の発展を願 つてき
一劇一﹁
︾岬郡響薇y亀
この屋台は、第 6代 藩主 ・堀 直教公 (1785∼ 1795)
ました。
屋台は最盛時には、この屋台のほか上町仲町屋台、下
町屋台と3台 ありましたが、いずれ も焼失 じこの屋台だ
けが後世に伝えられることにな りました。
しか し近年傷みも著 し<、 昭和 33年 を最後に引出さ
れることがなくな りました。豪華な彫刻と近隣にな υ
珍
らしい屋台でもあり、平成 6年 1月 28日 に城町町内会
から町に寄贈されたのを機に、今回、平成 6年 8月 から
1ケ 年をかけ村上市在住の美術工芸家 ・細野 実さんの
手で見事に修復された ものです。
すばらしい屋台をどうぞ御覧下 さい。
菅名岳 ・ 大蔵岳 ・ 不動堂 山 (村 松 町阿弥陀瀬 よ り)
磐越 西線 と能代川
13
田田田田田田田 X田 田田田四%田 田田田田田田 田田田田田 田田田田田田田田 田 X田 演田田田田田
母校 に手持 ち図書 を贈 ろ う
支部幹事会では 、 98年
村松高校 同窓会東京支部会 員 の皆 さんの家庭で蔵書
10月 末 日を第 一 次 目標 と し
と して保管 され て い る書籍類 は 、きわめ て多 い と推察
て既 に実施段階に入 つてお り、成果は挙 げて い る筈です 。
され ます 。 これ らの本は 一 読後 また読 み なお しを した
この 度 、広 く会員の方 々に も拡大 し今後 も引 き続 き運動
い と思 つて いて も時間がな く、遂 々本 棚 に死蔵 され て
を続 けてゆ きた い と考 えて い るところです 。何卒 ご賛 同
しま つた本 、感銘 を受 けた ので是非他 の人 に も読んで
の上 ご協 力をお願 いいた します 。
もらいた い と思 う本 。
尚 、図書寄贈 に伴 う送付 方法 につ いては下 記要領です
愛着 が あ るので人 に も貸せ な い し (貸 した本は絶対
よろ しくお願 いいた します 。
に戻 つて こな い と言 つて もよ い )古 本屋 へ も持 つて行
きた くな い本等 、お持 ちの方 がお られ るのでは な いで
◎図書 を母 校 へ 贈 る要領
し ょうか 。 しか も新刊書 が発行 され る度 に買 つて本棚
①
会員各 自が贈 りた い図書 を選択 し母校宛 に送 る。
が満杯 とな り、遂 には部屋 の 隅に積 み重ね られ て い る
郵 i更 番号
959-1700
こ とが想像 され ます 。
住
新潟 県村松町新町
所
従 つて この 際思 い き つて 、 これ らの本 の一 部 で も母
県立村松高校
校 に寄贈 して生徒 の 皆 さんに有効 に活用 して頂 けた ら
如何な ものか と考 え 、支部会報 「 臥龍 が丘 は緑 な り」
校長
内田
力
様
0250-58-6003
0250-58-1142
電話番号
FAX
25号 に も触れ てお きま したが 、 7月 の幹事会 に も提
②
案 し協議 の結果 、表題 に示す ごと く賛 同を得た もので
寄贈図書 の種類 は 、随筆 、小説 、歴史 、紀行 、伝
記 、戦記 、歌集 、解説書等 、種類部数 は間わな い。
あ ります 。勿論 、生徒 の皆 さん の教養 を高 め 、社会常
③
識 を広め感性 を深 め るための図書 に限 られ るこ とは言
うまで もあ りません 。あ る女性幹事 の 方は 「私 は高校
送付時 には所定 の様式で 、図書名 、送 り主住所氏
名 、卒業年度 ・ 回数 を記入 し同封 。A4紙 横使用
④
送料は原則 として各 自負担 と しますが 、事後支部
三年間 、図書委 員 を して いま したが 自分で読ん で “こ
事務局宛 に請求すれば実費 を支払 うか又は 図書券
れは良 い本 だな あ "と 思 つた本はぜ ひ友人 に も薦め た
を もって これ に代 えるこ とがある。
い と思 つた 。そ して 、それ を実行 しま した 」。また 、
⑤
あ る男性 の幹事 は 「 何 か良 い本はな いか と何 度 も図書
母校 に図書 を寄贈 した旨、支部事務局 に連 絡 して
下 されば会報 に氏 名 を掲載 させて いただ きます 。
室 へ 行 つたが読 み た い よ うな本は無か つた 」と言 つて
(⑤ の件 につ いては任意です )
いた のが 印象的で した 。
⑥
この 際 、同窓会東京支部活動 の一環 と して 「母校 に
寄贈 した図書 の 取扱 、処理はすべ て学校側 に一 任
し異議 を申 し立てな い 。
(佐 伯
益一 )
手持 ち図書 を贈 る運動 」を大 々的 に展 開す るもので あ
神奈川 県厚木市
高
2
山西 念 佐 子
東 京都小金井 市
高
8
佐伯
益一
東京 都江戸川 区
旧中
杵渕
政海
東京 都練馬 区
高
27
2
尚 、支 部事 務 局 で確認 で きな い ものは 不掲載 です 。
14
お慶び申 しあげま す 。
猛
青木
敬具
8
校長 内 田 力
高
孝子
新 潟県 立村 松高 等学 校
横浜 市青葉 区
木村
拝 啓 秋 冷 の 候 、時 下 ま す ま す ご 清 祥 の こ と と
卒業 回数
こ の た び は 、本 校 図 書 館 に 貴 重 な 図 書 を ご 寄 贈 く だ
地
さ いま し て 、 誠 に あ り が と う ご ざ いま し た 。
住
芳 名 を 書 物 に 記 し 、誠 意 を 表 し ま す と と も に 生 徒 の
現
学 習 や 教 養 に 役 立 て 、貴 意 に 添 いた いと 存 じ ま す 。
名
ま た 、今 後 と も 本 校 の発 展 に お 力 添 え いた だ け ま す
氏
10年 10月 31日 現在 )
よ う 、よ ろ し く お 願 い申 し あ げ ま す 。
(敬 称 略 … … 平成
平 成 十 年 十 月 二十 二 日
佐 伯 益 一 様
東京支部会員 0図 書寄贈者
東 京支 部 長
ります 。母校 の 内田校長先生 とはすで に打合わせ済 み
で あ り期待 され て い るところです 。
田田田田田 田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田田
矢□ ら
村松高校 同窓会東京支部 の名称 は
平成 11年 4月 1日 よ り次のよ うにな ります。
潟 県 立村松 高等 学校東京同窓会
会 費 納 入 及 び 連 絡 な どの 宛 先 は 下 記 の 通 りで す 。
事 務
局
〒 157-0061
東京都世 田谷区北烏 山 3-13-15-104
(八 木又一郎 方)
電言
舌番号
03-3307-1048
郵便振替番号 (振 替 口座 申請中です)
☆従 いまして、略称は {M.T.D}と な ります。
今後 とも、よろしくお願 いいた します。
1998年
言ト
・ 沢 出 晃 夫氏
(「
・ 関山
(中
健芳氏
平成 10年 9月 9日
59日
)
24回 )
ご逝去
全 国高校 野 球
1回 戦
7月 16日
2回 戦
3回 戦
20日
23日
新潟 県大会成績
○村松高 8-1羽 茂高
○村松 高 9-8村 上桜 ケ丘高
● 村松高 4-6高 田北城高
/
謹 ん で 哀 悼 の 意 を表 ヒ
新潟 県代表 ・ 甲子 園 出場校
ご冥 福 をお 祈 りいた します 。
え _て ……・
文 化 の 日、午 前 10時 か ら村 松 町 ‐蒲 沢 会 館 に お い て 、
★菊
事務 局移転 の ご案 内
昭和
◎
①
新発 田農業高校
の
花
を
添
28年 度 、村 松 高 校 野 球 部 キ ャ プ テ ン と して 、部 員
東京支部 事務局 は、平成 10年 10月 よ り
を ま とめ 率 先 して猛 練 習 に 打 ち込 み 、我 々 を新 潟 県大 会
下記へ移転いたしました。
優 勝 まで導 い て くれ た 、故 ・武 藤
住
儀 告 別 式 が 、 じめ や か に執 り行 な われ た 。永 遠 の 別 れ に
所
同級 生 をは じめ 大 勢 の 人 々 が焼 香 に 訪れ 、突 然 の 死 を悲
〒 157-0061
しみ 、それ ぞれ の 想 い 出 を胸 に ご冥 福 を祈 りま した 。
東京都 世 田谷 区北烏 山 3-13-15-104
(八 木
又一郎
②
新潟県 立村松 高等学校 同窓会 東京 支部
③
臨
番号
郵便振替 番号
実君 (五 泉 市 )の 葬
03-3307-1048
(振 替 口座・
申請 中)
方)
! 10月 31日 、 自宅 で心 筋梗 塞 の ため 」。
11月 1日 午 前 10時 、新 津 市 在 住 の 明 間君 か ら我 々野
「武 藤 急 死
球 部 同期 生 に 言卜報 が伝 達 され 、 6名 が葬 儀告 別 式 に 参 列
致 しま した 。別 れ に 際 し黄 色 の 菊 の 花 を 武藤 君 の 顔 の 周
りに 供 え 、彼 が大 切 に して い た バ ッ トとボール 、平 成 9
・.
年 出版 の 「 新 潟 県高 校 野 球 熱 戦 譜 」 を棺 の 中 へ …・…・
武 藤 君 や す らか に
!
沢出
赳允 (高 6・ 東 京 在 住
)
15
XXXXttXN四 %%圏 四 %X%関 XN四 %%%X田
田田田 XXttXN田 田田田田田田田 田田田
1998年 の主な出来事
1月
・8日 、 15日 首 都 圏大 雪
・20日
7月
1ド ル
東 証 一 部 平 均 株 価 ¥16.366…
129円
。帝 京 大 ラグ ビー 部 、 日体 大 ス ケ ー ト部 が集 団婦 女
・ 香 港 「 チ ェク ラ ップ コ ック新 空 港 」開港
・ 12日 第 18回 参 議 院選 挙 投票 率 58.84%
。25日
和 歌 山市 の 夏 祭 りで 「 毒 カ レー 事 件 」発 生
・ 30日
小 渕 内閣誕 生
・大 蔵 省 金 融 検査 官 の 収 賄 事 件 発覚 … ノー バ ン シ ヤ
・ 31日
ガ ル ペ ス 投手 (巨 人 )審 判 め が け危 険 球
プ シ ャ プで MOF担 が活 躍 … … 三 塚 大 蔵 大 臣辞 任
8月 ・ 2日
暴 行事件で部活 動停 止
関東 地 方 梅 雨 明 け 。新 潟 地 方 豪 雨
・第 80回 全 国高 校 野 球 大 会 で横 浜高 校 が 優 勝
・ 三 田 工 業 が 10年 に お よぶ 粉 飾 決 算 の 末 倒 産
2月 ・郵 便 番 号 七 桁 とな る
・ 長 野 で第 18回 冬 季 オ リ ン ピ ック開 催
・ 14日
。25日
東 京 地 方 の 最 高 気 温 23.1度 を記 録
。中国 ・ 揚 子 江 な どで大 増 水 、被 災 者 2億 4000万 人
・ ク リン トン米 大 統 領 「 不適 切 な 関係 」を証 言
韓 国 大 統 領 に金 大 中氏 が 就 任
・ 28日
大 同 コン ク リー ト倒 産
3月 ・ 山 一 フ アイ ナ ンス 倒 産 … … 負債 1:712億 円
‐長 野 パ ラ リ ンピ ック開催
・ 栃木 県那 須 町 で豪 雨 、那 珂 川 は大 洪 水 とな る
9月 ・ 防衛 庁 で水増 し請 求 返 納額 を不正 圧 縮 の 背任 容疑
また 、 NEC等 は水 増 し請 求 で詐 欺 容 疑
・ 65才 以上 の 高 齢者 人 口が 2,049万 人 と過 去 最 高
。14日
関東 地方 に春 一 番 … 東 京 の最 高 気 温 16.7度
・ 映 画 「 タ イ タ ニ ツク 」興 行収 入 世 界 歴 代 第 1位
・ 27日
4月 ・ 6日
・ 15日
5月 ・20日
・ 新 規 参 入 の 航 空 会 社 ス カ イ マ ー ク 、福 岡 へ 第 一 便
東京 都 心 「 桜 開花 宣 言 」
・ 8月 の 完 全失 業率 4.3パ ー セ ン トで ill去 最悪
明石 大 橋 開通 (工 事 期 間 10年 )
東 京 デ イ ズ ニ ー ラ ン ド開 園 15周 年
10月 ・ 大 リー グ本塁 打 王 は マ グワ イア 、 70本
・ NTTド コモ ・株 式 初 値 460万 円
・1ド ル 136円
東 証 一 部 平 均 株 価 ¥15,653」・
・プロ野球、横浜が38年 ぶ りに日本一となる
・ 大 関 「若 の 花 」第 66代 横 綱 に 昇進
・23日
6月 ・ 日本 生 命 が架 空 人 件 費 で 10億 円 の不 正 経 理 発覚
日本長期信用銀行が国有化 され 46年 の歴史
に幕 。事実上 、破綻処理 され ることにな つた
。額賀防衛庁長官 へ の間責決議案 、参議院で可決
11月 ・ 18日 か ら、33年 ぶ りに 「大流星群 」観測
・27日 多摩都市 モ ノレールが上 北谷 (東大和市 )
・サ ッカ ー ワ ー ル ドカ ップ 。フ ラ ンス 大 会 開 催
か ら立川北駅 まで の 、 5.4キ ロで 開業
綿集復記
明けましておめでとうござ います 。
旧年中は 、ご支援ご鞭撻を賜り誠にありがと
03-3307… 1048
内)
うござ いまし た。
新潟県立村松高等学校 同窓会東京支部 広報部
〒 157-0061 東京都世 田谷区北烏山 3‐ 13‐ 15‐ 104
本年も何卒よろしくお願 い申しあげます 。
☆ 一九九九年が始ま った。世紀末となるか、
16
二十 一世紀 への期待 の年になる のか。
第 26号
(八 木又 一郎
電話番 号
とにかく コンピ ューターの二〇〇〇年問題が
大詰めの年になりそう である。
☆母校に図書を贈ろう 。佐伯支部長 の年来 の
願 いが 、ネ スパス新潟館 で開かれた幹事会 で
一一五冊も
了承され 、す でに会員 の方から 、
贈られ母校から礼状が届 いている。
☆本が蘇る 。本を贈るには送料を負担するこ
とになるが 、眠 っている本 、不要にな った本
人 局
行 務
発 事
1月
を後輩達が読 み、役立 ててくれたら本も本望
であろう 。ぜひご協力をお願 いした い。
☆今年四月 一日から 、東京支部 の名称が変わ
る。村松高校東京同窓会となる 。全国各地 の
高校同窓会における名称を調べてみると 、ほ
とんどが東京同窓会だと いう 。
☆規約も検討中 。組織 の活性化 のために 、規
約の 一部変更も必要である 。しかし 、名称や
規約がどう であれ 、年 一回開催される大会に
一人 でも多く の同窓生が参加することが本当
の活性化 である。
土曜日 ︶が大会 である。盛会に
☆六月五日 ͡
するには同期生同志がお互 いに連絡し会 って
参加する ことである。友達同志 で話すことが
一番 の楽し みであり 、喜びだからである 。
☆平成十 一年度 ︵第四十 二回 ︶大会は 、浅草
ROXニ ューオータ ニで、ぜひ皆様とお会 い
した いと願 っています 。
平成 11年