조용기목사님 설교

日時: 2010年 5月16日
主日礼拝 説教
題名: 私たちを変える言葉
説教: チョー・ヨンギ牧師
御言葉: テサロニケ人への手紙
第一 5章16~18節
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
グッド・ピープルがアフリカのマサイ族の所に行って、飲み水の援助をしたという
ことは、真に称賛されるに値することです。私もマサイ族の所に行って見たことがあ
りますが、彼らの生活は原始時代そのものです。私たちが少しでも助けて、愛と幸せ
を分かつことができるなら本当に感謝なのですが、私たちの教会のグッド・ピープル
がそこに行って、そのことをしたというので感謝です。隣にいる方々に「私たちは神
様の祝福を受けた人です。」と挨拶をしてください。
<序論>
私は今日『私たちを変える言葉』という題名で恵みを分かち合います。
一度、続けておっしゃってください。『私たちを変える言葉』言葉は、私たちの思
想と感情を表現する声です。その話し声を聞いて、私たちはその人の思想を知り、感
情を知ることができます。語ることができなかったり、聞き取ることができなければ、
お互いに交わることができないのでもどかしい思いをします。しかし言葉だけを語る
といっても何の意味があるでしょうか。私たちが幸いを分かち合う言葉を語らなけれ
ばならないのです。良くなるような言葉を語らなければなりません。他人に災いをも
たらすように、不安にさせる言葉を語ってはならないのです。
アメリカの脳の専門学者たちの研究報告によれば、人間の脳細胞は230億あるという
のですが、この230億の脳細胞中98%が言葉の影響を受けているというのです。それで
最近の医学学界では「脳の中にある言語中枢神経が全ての神経系を治めている。」と
いう学説を土台として「言語治療法」が開発されました。皆さん、言葉が他の神経を
全て支配しているということです。私たちには様々な神経がたくさんあるではありま
せんか。見ること、聞くこと、感じること、嬉しいこと、悲しいこと、そのような全
ての神経が、言語中枢神経が言葉に従って変化するというのです。聖書は語っている
ではありませんか。「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれ
からわく。」(箴言4:23)と語られました。心を守るということは言葉を守るというこ
とで「死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。」(箴言1
8:20)と語られ「何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつなが
れており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているので
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す。」(マタイ18:18)と語られました。聖書はその昔からすでに言語中枢神経が、私
たちの生活の中で絶対的なリーダーシップを持っているということを語っておられま
したが、今日に来て脳細胞専門学者たちが、脳内にある言語中枢神経が全ての神経系
を治めていると言うのです。ゆえにどんな言葉を語るのか。その言葉の通りになるの
です。私は醜いと言い続ければ全身が全体が全て醜くなろう。醜い。中枢神経が醜い
と語るので醜いです。優れていると言えば私たちは優れている形を作ろう。言語中枢
神経が優れていると言っている。元気がないと言えば気が抜けて、元気だといえば元
気になる反忚を示すのです。
言語治療法というのは、患者に「病気が治った」という肯定的なことを語れば、患
者がこの言葉を聞いて、その身体が言葉の方向に動くというのです。不治の病にかか
って、死を目の前にした人に「あなたは病気が治ったと口でひっきりなしに告白しな
さい。そうすればその通りになる。」聖書には昔からそのように語られているではあ
りませんか。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ロー
マ10:10) 実際にアメリカのウィスコンシン州のある病院では、治療が不可能な癌患
者に一日に3回「私はすっかり癒された。私は全て良くなった。」と言わせる言語治療
法を薦めました。そうするとその患者は驚くことに3週間が過ぎてから、すっかり完治
して退院しました。それだけ力があるのです。唇の告白がそれ程の力があるのです。
これとは反対の例もあります。ある研究所の調査結果によれば、自殺した青少年の80
~90%は、両親から「おまえのような奴は必要ない。出て行って死ね。」その言葉の
結果、自殺したそうです。私の幼い頃も友達の家に行けば、友達の母親がそのように
言うのを私は聞きました。「この盗人。この私たちを苦しめる奴。出て行って死んで
しまえ。」そう言うのに自殺こそはしませんでしたが、今はもう皆この世を去りまし
た。両親からそのような呪いを受けては生き残る訳がありません。言葉は私たちの考
えと心を表現する声でもありますが、言葉によって私たちの考えと心は動いたりもす
るのです。ゆえに私たちは良い言葉を語らなければなりません。お互いを励まし、勇
気を与えて、相手が更に良くなるような言葉を語らなければならないのです。
<本論>
1. 感謝は私たちを幸いにする
感謝は私たちを幸いにするのです。
私たちがいつもよく使う単語の感謝、この感謝は私たちを幸いにするのです。何よ
りも神様に先に感謝を捧げなければならないのです。自然万物をくださった神様を考
える時、感謝しないわけにはなりません。
使徒の働き17章24節から25節に「この世界とその中にあるすべてのものをお造りに
なった神は、天地の主ですから、神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与え
になった方だからです。」
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天と地とその中にあるすべてのものを私たちにくださった神様に感謝しないわけに
はいきません。自然万物をくださった神様に感謝して、また御霊の世界をくださった
神様に感謝しなければならないのです。私たちはイエスを信じて霊的な世界を得たの
で、感謝するではありませんか。
エペソ1章3節に「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますよ
うに。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福して
くださいました。」
私たちに霊的祝福をくださり、肉体が死んでも内なる人は永遠に生きる道を開いて
くださいました。感謝は神様を喜ばせ、神様をあがめさせ、祝福をもたらす力を現す
ようにさせるのです。神様が自然の世界においても霊的なことにおいても、このよう
に私たちに幸いをくださったので、私たちがあたりまえのこととして感謝をしなけれ
ばならないのです。
詩篇50篇23節に「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を
正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」
神様に感謝することが、私たちが正しく生きる道であり、神様が救いを見せてくだ
さる道であるというのです。
セブランス病院の癌センター所長であるイ・ヒデ博士の証しを読んで大きく感動し
ました。その人の証しはこのように始まります。「2003年1月、青天の霹靂のような事
が私に起きた。そしてすぐに病魔との長い戦いが繰り広げられた。」イ・ヒデ博士は、
癌細胞が発見されてから5回の手術をしましたが、癌は肝臓と骨盤に移転し、4回の放
射線治療と、3回の坑癌治療を受けました。そして今まで12回の癌の再発があり、手術
して死と戦わなければなりませんでした。彼は「なぜ私にこのようなことが起きたの
だろうか。なぜ私が癌にかからなければならなかったのか。私の手で癌治療を受けた
人がとてもたくさんいるのに、だからまだまだ私がしなければならないことはたくさ
んあるのに、このまま死ぬことができようか。」韓国最高の癌治療専門医なのに、そ
の医者が癌になったというので驚きますね。しかし闘病の際に教会に行くようになり、
恵みを受けて救われた後、以前は悔しかったことがかえって感謝として変わりました。
心がそのように変化したのです。このように数年間、癌との闘いで闘病しながら、乳
癌専門家であったこの人は、ある日、癌患者を集めて聖書勉強を始めました。とても
良いことを始めたのです。その前には癌の討議だけしましたが、聖書勉強を始めまし
た。そして神様を賛美して感謝の生活を続けていたところ、奇蹟が起きました。最近C
T検査をした結果、彼の体の中に残っていた癌細胞がもう見つけることができなかった
と言われ、感激と喜びの涙を流したということです。彼は今でも患者を診療して手術
する医師であり、癌発病以来、韓国乳癌学会理事長、ヨンドン・セブラス病院買外科
課長として仕事をし、教授職はもちろんのこと、癌センター所長として一日を忙しく
過ごしています。近頃『ヒデの希望』という本まで出版しました。
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皆さん、今、置かれている状態と境遇がどのようであっても、私たちが自然万物を
造られた神様に感謝する時、このように驚くべき奇蹟が起こるのです。感謝は神様を
喜ばせ、祝福をもたらす力になるのです。したがって私たちが感謝することができな
い時に感謝をすれば、神様がそれを大きな財宝として受け取ってくださるのです。
2009年11月25日付の『サイコロジー・トゥデイ(Psychology today)』という月刊誌
には感謝についての記事が掲載されたことがあります。最近の研究結果によれば、規
則的に感謝をたくさんする人であるほど、彼らの人生がより一層豊かになるというこ
とでした。例を上げれば、いつも感謝する生活をする人は、自分の行動をよく治めて、
望ましくない習慣を克服し、自分の能力を超えて成功する場合が多いということです。
また仕事をしながらいつも感謝する人は、更に生産的で創意的であり、良い性格を持
つようになると語っています。研究結果によれば、感謝することができて、いつも肯
定的で楽観的に考える人であればあるほど長生きし、更に幸せな暮らしをし、更に親
切であり愛も豊かで、成功した暮らしをするということです。感謝がもたらす益は非
常にたくさんあります。
1690年に蒸気機関の原理を説明したフランスの物理学者パパン(Papin)は、こう言い
ました。「私は三つのことについていつも感謝している。一つ目は毎日くださる日用
の糧であり、二つ目は健康であり、三つ目は永遠のいのちの希望をくださったこ
と。」そのことのゆえに感謝すると言いました。感謝は神様を喜ばせ、神様をあがめ
させ、祝福をもたらす力になるのです。したがって私たちはすべてのことにいつも神
様に感謝しなければならないのです。
私は過去にイエス様を信じる前には、自然環境について神様に感謝をしませんでし
た。「空には時間があって、星が出る時間があって、花は咲きたくて咲いているので
あって、私が咲けと言ったのか。山と野原の獣がいることは自然にいるのだろう。」
感謝しませんでした。ただ空に太陽があり、樹木と花は雤が降れば育つのだと思って
いました。ところがイエス様を信じてから見ると、陽光をくださった神様がどれほど
感謝なのか、空気をくださった神様がどれほど感謝なのか、新鮮な水をくださり飲ま
せてくださった神様がどれほど感謝なのか、五穀を食べれるようにしてくださった神
様がどれほど感謝なのか、本当に感謝が心の底から感じることができました。先ほど
のマサイ族の飲み水を見てください。泥水です。それを飲んでいます。私たちはきれ
いな水道水を飲んでいます。そのことだけでもどれほど感謝なことでしょうか。それ
で私は毎日祈る時「父なる神様! 今日も服を着て楽に休めるようにして下さって感謝
します。私たちの日常生活の全てのことにおいて神様がくださった恵みに感謝しま
す。」近頃は感謝しようと非常に力を尽くします。神様は信じる者にも信じない者に
も、誰にでもまんべんなく日光と雤をくださり、糧をくださいます。それは私たちが
この地で生きている間、救われるチャンスをくださるためなのです。長く生きてこそ
救われるチャンスがあるのです。救われていない人が早く死んでしまえば、救われる
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時間がないではありませんか。絶えず自然万物をくださった神様に感謝して、生活の
中で私たちに注いでくださった大小の恵みに感謝すれば、神様をあがめるようになり、
皆さんも更に長く生き、幸せになるのです。
不平不満は悪魔の根本的な性格です。悪魔がアダムとエバを堕落させる時、他の方
法で堕落させたのではありません。不平不満をもって堕落させたのです。「あなたが
たは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのです
か。」そのように言われたことはありません。不平をもたらしてきたのです。「私た
ちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、
神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。あなたがたが死ぬといけないから
だ』と仰せになりました。」「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを
食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るよ
うになることを神は知っているのです。死にません。死にません。あなたがたも神の
ようになります。」そのように誘惑されてから見ると、まことに食べるのに良く、目
に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましいのです。エバが取って食べ、
アダムにも食べさせて神様に反逆させたのです。ゆえに不平不満が、悪魔が堕落させ
る根本的な技術です。人間はその後、両親からもって生まれたDNAが不平不満です。エ
ジプトを出たイスラエルが荒野を40年間さまよった根本的な原罪は不平不満ではあり
ませんでしたか。モーセに従ってエジプトから出たイスラエルの民は、少しも休まず
に不平を言いました。神様さえも耐えることができずに全て滅ぼしてしまいました。
民数記14章28節から29節に「あなたは彼らに言え。これは主の御告げである。わた
しは生きている。わたしは必ずあなたがたに、わたしの耳に告げたそのとおりをしよ
う。この荒野であなたがたは死体となって倒れる。わたしにつぶやいた者で、二十歳
以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ。」彼らは何を言ったので、神様
はそのように怒られたのでしょうか。
民数記14章2節に「イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼ら
に言った。『私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒
野で死んだほうがましだ。』」
ハンガリーのブダペストで一人の男性が絶えず不平不満を言いました。この人はユ
ダヤ人なのですが、九人の家族がいて、小さい一部屋で生活しているので苦しいと言
ったのです。ですからラビの所に来て不平不満をたくさん言います。「神様が大きな
家を与えてくださらないなら、家族も小家族にしてくれるべきであって、子どもをと
てもたくさんくれて、私と妻と子どもたちの数を数えると9人なので、小さな家で生
活するのは大変だ。」するとラビが「その問題を解決しなければね。今日、家に帰っ
たら小ヤギを一匹引っ張って来て一緒に住みなさい。」「9人もいるのに、ヤギまで
一緒にですか。」「そうです。言うとおりにしなさい。ヤギを引いて来て家に入って、
ヤギを連れて一緒に一週間生活して私の所に来なさい。」一週間後に来たのですが、
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今にでも人に食って掛かりそうな表情です。「そのようなことをしなくても9人が生
活しているのに、ヤギが来て便をすると、私たちは生き地獄の状態です。どうしてヤ
ギと一緒に生活しなければならないのですか。」するとラビが笑いながら「今日は行
ってヤギを外に出しなさい。ヤギを追い出してあなたがたの家族だけで生活しなさい。
そして次の週にまた来なさい。」過ぎの週に来たのですが、顔色が明るくなり、朗ら
かになっています。「どうしてそんなに顔色が良いのですか。」「ヤギを追い出して
からは、ようやく生活らしい生活ができます。私たちの家族だけで仲むつまじく生活
できるのはどれほど幸せなことでしょうか。」するとラビ曰く「見なさい。幸せがあ
るにもかかわらず、幸せだとは知らずに不明不満を言えば、与えられている幸せも奪
われる。あなたが神様がくださった幸せに感謝すれば、その幸せがあなたに溢れるよ
うになる。」と言ったのです。不平不満は、アダムとエバの犯罪以来、人間の遺伝子
に根付いた悪魔がもたらした罪の本性です。したがって私たちは、不平不満の代わり
に、今あることにいつも感謝しなければならないのです。そして神様に感謝するだけ
ではなく、隣人に感謝すべきです。隣人を喜ばせ満足させます。隣人から助けられた
時に感謝をすれば隣人は皆さんを助けた甲斐を覚えて、本当に満足します。そして更
にその後も良くしてくれる隣人になるのです。神様に感謝する人は、隣人にも感謝し
なければなりません。夫は妻に感謝して、妻は夫に感謝して、心の中でするのですが、
心の中ですることはあまり効果はありません。耳に聞こえるようにしなければ。相手
も聞いて自分も聞かなければ。不平と不満は荒々しい隣人を作り、互いに恨みあうよ
うにするのです。
エペソ5章4節に「また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。
そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。」と命令されているの
です。
ローマの劇作家でもあり、哲学者のセネカ(Lucius Annaeus Seneca)はこう言いまし
た。「人間がもしすでに持っている物について不満を感じるならば、全世界を自分の
物としても不幸だ。」不平不満はきりがないからだと言ったのです。今持っている物
に感謝しなければ、いくら良い物を持ったとしても感謝することを知りません。
スイスの哲学者カール・ヒルティ(Carl Hilty)は『幸福論』という本の中で、幸せ
の最初の条件として「感謝」を挙げました。彼は「感謝しなさい。そうすれば若くな
る。感謝しなさい。そうすれば発展する。感謝しなさい。そうすれば喜びがある。」
絶えず感謝することを強調しました。不平不満は悪魔の根本的な性格であり、エジプ
トを出たイスラエルの民が荒野で40年間さまよい、神様の恵みを全て忘れて裁かれて
死にました。しかし感謝するヨシュアとカレブは乳と蜜が流れるカナンに入って、大
きな祝福を得て良い暮らしをしたのです。感謝すれば最後まで良い生活をすることが
できますが、不平不満を言えば長く生きることができず不幸な生活をしてこの世を離
れることになるのです。
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2. 賛美は私たちを幸いにする
その次には、また、私たちがよく言う言葉があります。賛美。私たちは賛美すると
言うではありませんか。
賛美は私たちを幸いにするのです。賛美というのは高めることを言います。感謝は
ありがたいと挨拶することですが、賛美は高めることを言うのです。御父を賛美すれ
ば「お父さんは本当に立派です。お父さんを本当に尊敬します。お母さんは本当に立
派です。立派なお母さんだ。」このように高めることを言うのです。私たちは賛美を
するではありませんか。賛美は感謝よりもほとんど神様を賛美することです。また、
私たちが祈る時も神様に賛美を捧げます。イエス様、賛美します。私たちのために血
を流してくださったその恵みを賛美します。賛美すれば神様がその賛美の内に臨まれ
ると語られたのです。神様が臨まれるようにする住まいなので、詩篇22篇3節に「 け
れども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。」賛美
の中に住まわれるのです。神様が私たちを助けてくださり高めてくださいます。私た
ちが賛美をすれば神様が臨んで私たちを助けてくださり、賛美をすれば私たちを高め
てくださるのです。
詩篇68篇35節に「神よ。あなたはご自身の聖なる所におられ、恐れられる方です。
イスラエルの神こそ力と勢いとを御民にお与えになる方です。ほむべきかな。神。」
神様を賛美すれば力と勢いをくださいます。ヨシャパテ王はモアブ人とアモン人が
攻撃してきた時、神様を全ての民と断食して賛美したので、神様が助けてくださり敵
軍を全て退けました。全ての敵軍がみな滅びました。パウロはピリピで占いの霊につ
かれた若い女奴隷から悪霊を追い出したために、シラスと共に牢に入れられた時、神
様に祈って賛美をすると大地震が起きて、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが
全部あいて、みなの鎖が解けてしまったのです。賛美はその中に神様が臨まれて、神
様が私たちを解放してくださり高めてくださるのです。ゆえに賛美はまことに素晴ら
しいことなのです。。
ノーベル賞受賞作家のパール・バック(Pearl Sydenstricker Buck)の幼い頃の話で
す。彼らが中国に宣教師として行くと、中国人たちが西洋人だと言って非常に敬遠し
ました。ところが彼らが住んでいた村が日照りになりました。長い間雤が降らないの
で「この西洋人たちが入って来たので、私たちの神々が怒って雤を降らしてくれない
ので、夕方になればこの西洋人を殺してしまおう。」父親が宣教をするために出かけ
て、母親と幼いパール・バックが2人で残っていたのですが、母親がその話しを聞きま
した。それで母親が家に帰って来て娘と一緒に祈りました。「神様、この町の中国人
たちが今夜、私たちの家に来て私たち母娘を殺すと言っています。神様どうしましょ
うか。」母親が、自分の母親がたくさん祈りを捧げてから、神様が語られました。小
麦粉をもって少しのお菓子を焼くのではなく、非常にたくさん作って、町の人が食べ
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るだけのお菓子を作りなさいと語られました。「ママ、どうしてお菓子を作るの?」
「じっとしていて。あなたは黙ってちょっと待っていて。」その日の夕方、中国人が
一人、二人、ざわざわし始めたかと思うと、広場にいっぱい集まりました。一声掛か
ると、走って行って全て壊して奪う予定なのに、その母親がお菓子を包んで出て行っ
て、一人一人にお菓子を分けます。ですからもらった菓子を食べないわけにはいきま
せん。微笑みながらお菓子を分かち合ってから、その次には床に座って中国語で賛美
を歌いました。中国語で神様を賛美するので、お菓子を食べてからしばらくの間座っ
ていて、その後みな立ち上がって行ってしまいました。神様が賛美の中に住まわれて
働かれるので、一人もパール・バックとその家族を殺すことができませんでした。彼
らは皆、帰って行ってしまいました。それからその後には、もう一度彼らを殺そうと
する人はいなかったと言いました。したがって賛美は、私たちの人生の中で、ものす
ごい影響力があるということを知ることができるのです。神様に栄光をお帰しするの
です。私たちが賛美をすれば、神様があがめられるのです。
ヘブル13章15節に「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すな
わち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」
絶えずイエス様によって神様に賛美を捧げよう。神様を罵って非難すれば、その罵
りと非難がブーメランのように自分の所に帰ってきます。
「わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなこ
とばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいと
されるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことば
によるのです。」(マタイ12:36~37)とイエス様が語られました。
私たちが神様に賛美するという言葉を使いますが、人間を賛美するという言葉は使
いません。人間に対しては褒める。称賛すると言います。私たちは神様を賛美するだ
けではなく、私たちが共に暮らす隣人をも絶えず称賛しなければならないのです。褒
めなければならないのです。称賛を惜しんではならないのです。称賛すれば大きな勇
気と力を得、更に発展し、向上し、人生の意味を知り、喜び楽しむようになるのです。
非常に大きな効果があります。
箴言27章21節に「るつぼは銀のため、炉は金のためにあるように、他人の称賛によ
って人はためされる。」
文章を書くことが好きな少年がいました。彼は一生懸命、文章を書きましたが、
人々が読んでもあまり何とも思いませんでした。非常にこの少年は落胆しました。そ
して文章を書くことを諦めてしまいました。その母親がその息子を花畑に連れて行っ
て「この花を見てみなさい。まだ咲く時がきていない花は蕾が膨らんでいるけれども
咲いていないでしょう。時が来れば全て美しく咲くよね。あなたの文学的な素質は、
蕾と同じなんだよ。今、人々の目には留まらないかもしれない。でもしばらくすれば、
これがパッと開けば全世界の人が読むようになるんだよ。私はあなたの母親だからあ
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なたのことをよく知っているんだよ。だから気を落とさないように。」この母親の話
で大きな勇気と力を得ました。母親がこのように自分自身を認めてくれて信用してく
れているから、勇気を出さなければならない。その後、偉大な童話作家になったハン
ス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen)のことです。私が幼い時
にもアンデルセンの童話を読んだので、どれほど昔からあった本でしょうか。その母
親の激励ゆえにそのようになったのです。母親が激励しなかったなら、気を落として
しまったことでしょう。私たちが神様のことは賛美すると言いますが、人間を高める
ことは「賛美」ではなく称賛、褒めるのです。私たちの称賛の一言は、相手に大きな
勇気と力を与えて、その中に潜んでいる驚くべき力を発揮させるようにするのです。
ですから称賛を惜しまなくしてください。すぐ隣にいる人が褒めると効果がないこと
はありません。
称賛の10の力についてアワナ・クラブ(Awana Club)のニュースレターに掲載された
文章です。
一番目、称賛は背を高くする薬だ。幸せを10倍に育てる。
二番目、称賛は万病に効く薬だ。称賛で治らないものはない。
三番目、称賛はたましいだ。見えずに大きな影響力を及ぼす。
四番目、称賛はこだまだ。行って帰ってくる。
五番目、称賛は花を咲かせるマジシャンだ。堅くなっている顔に笑いの花を咲かせ
る。
六番目、称賛は湧き水だ。喜びで喉の渇きを潤してくれる。
七番目、称賛は別冊付録だ。お金がかからず喜びを伝える。
八番目、称賛は種だ。無限の可能性をもっている。
九番目、称賛はビタミンだ。身体と心が爽やかになる。
十番目、称賛は偉大な大統領だ。歴史を新しく作る。
今日会う人に、一言の称賛を言ってみてください。称賛は勇気と力を得させ、更に
発展向上させるだけではなく、人生の意味を知って、喜び楽しませてくれるものです。
それも、褒めれば踊るという言葉があり、それはどこで聞いた言葉かと言えばテレビ
でそのように言っていました。ですから人々は称賛される時にどれほど勇気を得るで
しょうか。人を叱って非難すれば気を落として挫折します。叱って非難をすれば気落
ちしない人はいません。
コロサイ3章21節に「父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさ
せないためです。」
叱って非難すれば敵対するようになるのです。
箴言18章21節に「死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べ
る。」と語られています。
去る5月11日のあるインターネット新聞で、小中高校生と父兄860人を対象に『最も
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記憶に残る先生』についてアンケート調査をしましたが、調査結果、学生の40%と父
兄の66%が、最も記憶に残っている先生は、称賛をたくさんしてくれた先生であると
答えました。学校を卒業して相当の歳月が流れても、褒めてくれた先生のことは記憶
に残っているというのです。それ以外の先生はあまり思い出に残っていません。両親
が子どもに何を言うべきなのか、皆さん、とても注意を払わなければならないのです。
建国(コングク)大学の精神科ハ・ジヒョン教授は「批判は威嚇は人を緊張させ、疲
れをもたらす。」と言いました。心理学者のジェス・レアは「称賛は人間の精神に照
らす暖かい陽光と似ていて、私たちは称賛なしでは育つこともできず、花を咲かせる
こともできない。」と言ったのです。ですから子どもに両親が「おい、おまえのよう
な醜い奴、おまえのような奴が私の子どもだなんて恥ずかしい。」このような言葉は
本当に言ってはならないのです。
アメリカのニューヨークタイムズ紙では、子どもを育てている母親が気をつけなけ
ればならない五つの言葉を発表しました。
一つ目、どうしておまえを産んだのか分からない。ああ、おまえのような奴をどう
して産んだのか分からない。
二つ目、おまえはどうして他の友だちのようにできないの? 他の友だちは全部でき
るのに、おまえはどうしてできないの?
三つ目、おまえはいったい何歳なのか?
四つ目、この馬鹿が。
五つ目、うるさい! お母さんを困らせるな。
こうした言葉は、子どもから人生の意味を奪い傷を与えて、両親に反感を持つよう
にさせるのです。更に子どもたちはこのような言葉によって悲観的に考え、自信を失
い、不幸な人生を生きて世を終えてしまいます。両親が子どもにどのような言葉を使
うのかということは、子どもの人生を決定する重要な要因になったりもします。子ど
もには、誰よりも両親の称賛と激励が大きな勇気と力を与え、更に発展向上させるよ
うにするのです。父親、母親が与える激励は、先生が与える激励や称賛よりもはるか
に影響力があります。勇気と力を与えるのです。ですから私たちはいつも感謝という
言葉、称賛という言葉、賛美という言葉をたくさん使うでしょう。
3. 祝福すれば祝福が臨む
その次に、私たちがまたいつもよく使う言葉の中に祝福という言葉があります。祝
福すれば祝福が臨む。
韓国の人々はなかなか隣人を祝福しません。ユダヤ民族は幼い時から初めて、大人
になり老人になる時まで、出会いさえすれば祝福します。それほどまでに祝福するの
でユダヤ民族が世界的な民族になったのです。聖書を見れば、神様は祝福の神様なの
です。神様を信じたのに祝福を得られないことはあり得ません。どうしてでしょうか。
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神様はアブラハムを呼ばれた時、創世記12章2節に「そうすれば、わたしはあなたを大
いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名
は祝福となる。」
祝福を受けると言われたのではありません。祝福となる。これが私たちの神様なの
です。創世記13章2節を見れば「アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。」
アブラハムの息子のイサクはどのようになりましたか。神様が創世記26章12節から1
3節に「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してく
ださったのである。こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になっ
た。」
アブラハムの神様、イサクの神様、その次のヤコブの神様はどのようになさいまし
たか。創世記30章42節から43節に「強いのはヤコブのものとなった。それで、この人
は大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、およびらくだと、ろばとを持つようにな
った。」伯父の家でしもべとして稼いだお金です。「こうしてヤコブがパダン・アラ
ムから帰って来たとき、神は再び彼に現れ、彼を祝福された。」(創世記35:9)
その次にヨセフはどうでしたか。エジプトにしもべとして売られました。しもべと
して売られたヨセフは、神様がしもべとして放っておかずに、エジプトの国務総理に
なりました。王の次の地位の人になりました。ゆえに神様はどのような神様ですか。
アブラハムの神様、イサクの神様、ヤコブの神様は百万長者の神様であり、祝福の神
様なのです。それにもかかわらず、なぜ私たちはこの神様に仕えながら神様は祝福し
てくださらない。私はぼろ切れをまとい飢え渇いている。私はうろたえている。失敗
した。私はこれ以上生きれない。そのような良くない言葉を言いますか。どうして神
様がそのようになさっておきましたか。あなたの心を尽くして、思いを尽くして、力
を尽くして主なる神様に仕えて礼拝すれば、神様が私たちを祝福してくださるのです。
そして私たちがお互いに会えば絶えず祝福すべきです。聖書を見れば、息子を産め
ないハンナが主の宮に行って激しく泣いたので、祭司長のエリが「どうして泣いてい
るのか。」と言います。「息子を産むことができないので泣いているのです。」と言
うと「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえて
くださるように。」と祝福しました。すると家に帰って息子を産みました。そしてそ
の息子サムエルを教会に捧げた後、祭司長がもう一言言いました。「主がお求めにな
った者の代わりに、主がこの女により、あなたに子どもを賜わりますように。」と言
いました。そして家に帰り、それほどまでに子供を産むことができなかったハンナは
子どもを数人産みました。真実でまことの信仰によって祝福をすれば、その祝福が臨
むのです。何よりも家族をいつも祝福しなければなりません。イエス様も祝福されま
した。昇天される前にベタニヤまで行かれて、手を上げて弟子たちを祝福され、幼い
子どもたちを抱いて彼らのために按手して祝福されました。
ヘブル11章20節から21節を見れば「信仰によって、イサクは未来のことについて、ヤコ
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ブとエサウを祝福しました。信仰によって、ヤコブは死ぬとき、ヨセフの子どもたちをひとり
ひとり祝福し、また自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝しました。」と語られているの
です。
ユダヤ人の伝統的な児童教育は「祝福すること」を最も重要視するのです。ユダヤ
人たちは子どもが生まれると一番最初に祝福します。その後、子どもの誕生日になれ
ば、クライマックスでは祝福のメッセージを与えるのです。『パル・ミツパ』という
成人式においてもクライマックスは、ラビと両親、隣人が集まって、大人になる子ど
もを祝福するのです。両親は子どもが学校に入学する時に祝福し、旅行に出発する時、
戦場に出て行く時に祝福します。また両親が自分自身の人生を終える時、子どもを呼
んで遺言と同じように最後の祝福を残します。このように産まれた時から、家族から
いつも祝福の言葉を聞いたユダヤ人は、今日、地球上で最も影響力のある民族になっ
たということは当然のことなのです。入って来て、出て行って、祝福の蜜を食べたの
で祝福を受けないはずがありません。私たちが祝福すれば、神様が共に来られて祝福
し、私たちが呪えば神様が共に来られて呪われるのです。アブラハムに何と語られま
したか。「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろ
う。」と語られました。ゆえにただ無駄口を叩かないでください。家にいても絶えず祝
福してください。「息子よ、本当に立派だね。本当に勉強が良くできるからありがた
いね。更に神様が祝福してくださることを願うよ。おお、次男よ、おまえの心の中に
更に祝福が臨み、更に平安であり喜びの祝福が臨むことを願う。おお、娘よ。良い所
にお嫁入りすることができるように祝福する。素晴らしい花婿に会うことができるよ
うに。」「夫が元気で職場に良く通って、早い目に家に帰って来ることを祝福しま
す。」そうすれば夫も妻を祝福しなければ。「私の妻はいつも優しくて魅力があって
おとなしい人だけれども、神様が祝福をくださって更に立派な人になるようにしてく
ださい。」続けて良い道に祝福を与えなければなりません。非難して攻撃し、悪口を
言ってはならないのです。私たちは真実でまことの信仰で、子どもたちに祝福の言葉
を語ってあげなければなりません。そうする時、子どもたちは神様の祝福の中で、世
の中でかしらとならせ、尾とはならせず、貸すであろうが、借りることのない幸いな
人生を歩むことができるのです。
<結論>
私たちは私たちを良く変える言葉を絶えず習慣のように語らなければなりません。
私たちの唇で「感謝します。賛美します。祝福します。」という言葉が途切れること
なく語られなければならないのです。そして私と神様との関係が変化し、私と隣人と
の関係が変化し、私と世の中との関係が変化するのです。
ジグ・ジグラー(Zig Ziglar)の『成功法則』にはこのような話があります。「地球
上で30億の人口が毎晩、飢えたままのお腹をかかえて眠りにつく。しかしそれ以上の4
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0億の人口が毎晩、温かい激励の一言を惜しみながら眠りにつく。」私たちもやはり暖
かい激励と称賛の言葉を聞くことを願っています。それでもこのように大切な称賛と
激励の言葉を言うにはケチケチしています。
イタリアの社会学者であり、ミラノのイウルム大学の総長を歴任したフランチェス
コ・アルベローニ(Francesco Alberoni)は、最近著述した『成功した人々は話の半分
が称賛の言葉だ』と言ったのです。『成功と認めることには称賛が宿っている』と言
いました。成功する人の生活の半分は人を褒める。そして他人の欠点ばかり見る人は
自分が失敗したからそうするのです。人を褒める人は自分が成功の中にあるから褒め
るのです。アルベローニは成功は「人々から公開的に認められること」と定義し、
「認めるということは、その人がしたことを覚えて、そのことを明確な言葉で表現し
たり、関心を見せて挨拶をするなどの行為と言葉を含む」と言いました。
私たちは、みんな他人から認められて褒められることを願います。そうですね。他
人から称賛されることを喜びますが、悪口を言われることを喜ぶ人がいるでしょうか。
ですから私は腰がよく曲がるので、他人から称賛されるために人がいれば腰をしゃん
と伸ばすのです。非常に苦労します。しゃんと伸ばすことが…。人がいなければ腰を
曲げて…。人々から批評されるということはとても気になることなのです。みなさん、
できるなら心を大きく開いて、夫や妻や子どもたちに上手にしたことにおいては、上
手にしたと言ってください。そのことを覆ってしまわずに、上手にしたことを掘り出
して上手にしたと褒めてください。そして上手くできなかったことは覆ってください。
できなかったことは赦してあげたほうが良いのです。そしてひっきりなしにお互いに
褒めて励まして、引っ張って、後ろから押してあげながら生きていけば、人生を本当
に楽しく生きていくことができるのです。私たちはいつも自分を良く変える言葉を使
えるように努力しなければなりません。感謝と称賛と祝福の言葉を溢れるようにする
時、自分だけではなく、隣人が皆変わり、この世は更に幸せと喜びが溢れるようにな
るのです。私たちが大学を卒業しなくても、研究所で研究しなくても、感謝する方法
を知っています。称賛する方法を知っています。祝福する方法を知っています。この
三つのことだけは皆さん、皆さんの日常生活で実践すれば、皆さんに幸いが絶えるこ
とがありません。良いことが絶え間なく臨んでくるのです。ですから、いつも喜んで
いなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリス
ト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることですと語られましたが、皆
さん、神様の御旨を求めて、神様がその機能をくださったので、私たちはいつも感謝
し、いつも神様を賛美し、隣人を褒めて、いつも祝福する皆さんとなられるようにお
願いします。今日、皆さんに神様の祝福が溢れるようにお祈りします。
共に頭を垂れてお祈りを捧げます。
<祈り>
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愛豊かな父なる神様、私たちが祝福を受けることのできる平凡な道を私たちが求め
ず、従わない時がたくさんあります。神様、感謝で、賛美と、称賛で、祝福で私たち
の環境に神様の栄光が現されることを悟り、知ることができるようにしてくださった
ことを感謝します。父なる神様、そのまま歳月を送らすに、野菜に塩で味付けするよ
うに、私たちの心の中に感謝と賛美と祝福で、塩で味付けをしてくださるように助け
てください。
イエス様の御名でお祈りします。アーメン
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