絵本で出会う動物たち―語り継ぐ文化と書きとめる文化

ア ジ ア 太 平 洋 の 専 門 家 に き く
絵本で出会う動物たち
─語り継ぐ 文化と書きとめる文化─
ピエト・フロブラー氏
野間国際絵本原画コンクール審査委員
Piet Grobler
1959 年生まれ。南アフリカ共和 国出
身。プレトリア大学で神学、シュテレ
ンボッシュ大学でジャーナリズムの学
士号とファインアートの修士号を修得。
現在、フリーランスのイラストレーター、
作家、アーティストとして活躍する中、
ケープペニンシュラ工科大学でイラスト
レーションの講師も務める。第 10 回
と第 13 回野間コンクールで次 席を受
賞。2003 年 BIB( ブラチスラバ世界絵
本原画展 ) で金碑 ( 銅賞 ) など、その
他多 数の 賞を受 賞。2006 年 12 月に
第 15 回野間国際絵本原画コンクール
の審査員として来日。
─南アフリカの絵本の出版事情を教えて
につれ思うことは、もっと民族的なお話
ください。誰もが知っているような民話
や民話を護る努力が必要だということで
はありますか?
す。特に英植民地時代は黒人のイラスト
沢山あります。しかし誰もが知っている
レーターが非常に少なかったです。しか
というよりは、土着の民族も様々で、それ
し、南アフリカはアフリカの中でも西洋文
ぞれの民族の間で普及している物語と言
化が発達して、出版社も多く、仕事をする
いますか民話が多いようです。また、白人
効率も他のアフリカの地に比べて良かっ
がケープタウンに来た時の開拓者の話や
たためアフリカ内で他の英語圏の国が教
移民の話、当時の歴史的な話など色々あ
材を出版する時は、例えば出版社が南ア
ります。共通しているのは、歴史を土着の
フリカにあり、教材の文章がガーナで作ら
文化的視点から見たお話が多いように思
れ、イラストは南アフリカで描かれたとい
います。フォークテール(folk tale)と言う
うようなケースが多々ありました。現地の
くらいですから、民族のお話が中心なの
人にとってイラストというと、英植民地時
は当然ですけれど。南アフリカではやは
代にイギリスから持ってきた教材の挿絵
り黒人文化と白人文化の違いが顕著で、
というイメージがありました。当時の教材
黒人文化では物語が口頭で代々語り継
というのは黒一色で描かれたとても現実
がれてきました。一方、本の伝統は白人に
的な線画の写実だったので、面白いもの
よって形成されてきたように思います。し
だと思われていなかったのでしょう。
かし時代とともに黒人も物語を書きとめ
このような理由から、一般的なアフリカ
るようになりました。
の人々が絵本に携わる機会もなく、興味
文明が発達し、絵本文化が発展する
を示すものでもなかったのではないでし
ょうか。したがって、アフリカのイラストの
多くがどこかで見たことのあるような不器
用な表現で、独自性に欠けるものが多い
ように思います。今回の野間コンクール
の応募作品を見ても、アフリカの現
地の人の作品はほとんどありません
でした。しかし、ピカソがアフリカで見
つけたものを現地の人に見つけられない
はずはないし、アフリカの人によって作ら
れた布やお面などの他の芸術作品を見る
フロブラーさん自身が物語と
イラストを描いた絵本
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ACCUニュース No.362 2007.7
と、とても色鮮やかで美しいものが多いだ
けに、それを本で見られないのは本当に
第 13 回野間国際絵本原画コンクール次席入賞作
「太陽のカナリアと月のカナリア」より
残念です。一方アフリカ内でもフランス語
が、それに合わせてある女性が動物の物
圏の国で出版された絵本は、フランスで
語を書き、また誰かが音楽やパフォーマ
それらを扱っている組織があるので、人の
ンスを考えました。そして子どもたちがフ
目に触れる機会に恵まれています。植民
ルートやリコーダーやバイオリンで演奏し
地時代の影響というのは本当に大きいで
ながら演劇をしました。誰もが、そこに居
すね。
た田舎から来ていた黒人の子どもは自然
もっとアフリカは独自の文化や目に見え
や動物に接する機会が多いことから動物
る美しさに自信をもつべきだと思います。
については詳しいだろう、と思っていまし
どもの本が出版されると聞きましたが、南
た。しかし、いざ動物のマスクを作り始め
アフリカの絵本産業は小さすぎるので、
─では、アフリカの芸術教育はどのよう
たらその子ども達はアリクイやヤマアラシ
教材は別として年間10 冊以上の出版は
に行なわれていますか?その独自の文化
を知りませんでした。一方、その場にいた
考えられません。ですから、南アフリカだ
の美しさやそれに気付けるような教育は
白人の子ども達はその動物を知っていた
けで絵本の出版を考えていたら生活でき
行なわれているのでしょうか?
のです。それは様々な理由によりますが、
ませんが、野間コンクールで受賞したこと
アパルトヘイトの影響で、やはり我々白
その黒人の子ども達は都市化が進み生活
で、自分の作品をもっと自信を持って海
人は他の民族に比べて教育を受けるチャ
のために都会に出て来たため動物に接す
外の人に見せられるようになり、デンマー
ンスもヨーロッパに行く機会も多くあり、
る機会が少なく、本もあまり読んでいな
クとスウェーデンで絵本を出版し、オラン
長期間我々はその特権を得ていました。
かったということに対し、白人の子ども達
ダやイギリスの出版社とも仕事をするよう
現在は平等化が進み、遅れている子ども
は直接それらの動物に接することはなか
になりました。
に教育を合わせるようになり、出来る子
ったにせよ絵本から動物のことを知って
南アフリカでは、アパルトヘイトの影響
どもたちがなかなか伸びないといった問
いたのだと推測します。
で本の出版は孤立した状態になり、政治
的な展開があったのは1990年代に入って
題も逆に発生しています。その中で“Art”
というのはそれほど重要視されていませ
─ご自身はどのような環境で幼少期を過
からで、本の出版もやっとそのころ再開し
ん。特定の子どもがずば抜けて出来ると
ごされましたか?
ました。
いうことを避けている現状での芸 術 教
私は、様々な植物を栽培している大き
野間国際絵本原画コンクールでグラン
育というのは、富裕層の黒人が通う学校
な農家で育ちました。家畜も何頭か飼っ
プリを取って東京に来たいといつも思っ
や市内の私立の学校などで行なわれ、そ
ていました。もちろんテレビゲームなんて
ていたのですが、今回は受賞したからで
れ以外の学校には芸術教育そのものが
しませんでしたし、私が15歳になるまで自
はなく、審 査員として日本に来ることが
ないのが現状です。学校はごく基本的な
宅にテレビはありませんでした。スクラブ
できてとても光栄に思っています。
ことを学びに行くところで、それ以外のこ
ルというアルファベットの文字牌を組み合
とを学ぶとなると私立の学校や塾のよう
わせて単語を作り点数を競うゲームが昔
─野間国際絵本原画コンクールの審査員
な特定のクラスに参加する工夫が必要で
から好きで、今でもテレビゲームは嫌いで
として初めて参加されていかがでしたか?
す。ですから、独自の文化の美しさやそれ
す。旅行でも新しい土地を冒険するのが
どの原画も興味深く、審査する時間が
に気付けるような教育は行なわれていな
好きで、文化色の強い地域に感心があり
足りませんでした。特に第一次審査で33
いと私は思います。
ます。海岸やリゾート地はどちらかと言う
作品を選ぶというのは非常に難しかった
しかし比類のないアフリカ文化を保護
と苦手です。小道を散策するのも大好き
です。そしてあれだけの作品量だと、作品
するプロジェクトが黒人居住区を対象に
なので、ACCUのある神楽坂は歩いてい
の1枚目だけしか見られない人もいたよう
ボランティアベースで行なわれています。
てとてもワクワクしました。
で、絵本原画としては全てを見てやはりそ
の価値が分かると思うので、その点はと
私も妻とマスク作りや、物語作りから始め
る本作りなどをしました。他にも衣装と音
─野間国際絵本原画コンクールで受賞し
楽を作り、最終的に劇に仕上げる等の活
てからお仕事の面で何か変化はありまし
動もあります。これには二つ以上の芸術
たか?
的な側面をもつものを組み合わせて一つ
はい、1997年に野間コンクールで奨励
の芸術作品に仕上げる、制作工程から全
賞を受賞するまであまり本は出版してい
体を見られるという素晴らしい点があり
なかったのですが、何より絵本を出版する
ます。
ことに自信がつきました。
動 物のマスクを作った時のことです
日本では年間1000冊以上の絵本や子
ても残念でした。
─どうもありがとうございました。
(インタビュー:文化協力課 松山 直子)
野間コンクールサイト
www.accu.or.jp/noma/
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