時効 紅砂 棚 吉岡克夫は既に三十八才の寸 前に達し ている、普通なら遠に結婚し 妻そして ひととき 二・三人の子供と一緒に優雅な日曜日、午後一時を過ごして居た筈である。 窓 の 下 に 有 る 児 童公 園 か ら 幼 児 達 の は し ゃ い だ 声 を 聴 き な が ら 、 真 っ 赤 な 口 紅 を付けている。 鏡 に 映 る の は 充 実し た男 の 顔を 作 り つ つ あ る そ れ では ない 、 色白 の 肌 に 長 い 髪 と大きな瞳が印象的な妖艶な女である。 し か し 、 吉 岡 克 夫 の 目 蓋 裏 に は 鏡 の 片 隅 に タ イ ム ス リ ップ し た 十 五 年 前 の 忘 れ ていた凛々しい青年のそれも映っている。 「十六年か!!・・・・・・・・長かった・・・・・本当に長がった」 明 日 香 こ と 、 吉 岡 克 夫 は あ の 晩 の 事 を 思い 出 し て い る 、 あ の 晩と は 十 六 年 前 の 七 月 五 日 午 後 九 時少 し 前 、 梅 雨 明 け が 近 づ い て は い た が 天 気 は 夕 方 か ら か ら 雨 足が強くなっていた。 吉 岡 克 夫 は 、 河 岸 に 並 べ ら れ た 鮪の 様 に 横 た わ る 、 女 一 人 を 含 む 五 人 の 手 足 を 針 金 で き つ く 縛 る と 、次 に 一 人 一 人 口 の 中 に タ オ ル を 詰 め 込 み、 それ が 簡 単 に さるぐつわ は外れないようにシーツを裂いた布で三重に 猿轡をした。 そ れ が終 わ る と 、 今 度 は 右 方 の 尻 ポ ケ ット か ら 輪 ゴ ム の 束 を 取 り 出し 、 後ろ 手 に 縛 ら れ た五 人 の 指 一本 一 本 の 根 も と に、 これ 以 上伸 び 無 い と 云 う く ら い 伸 ば した輪ゴムを巻き付けた。 更に足の指にも巻き付けていく、最後に五人の両耳にも巻き付ける。 予 定 通 り の 作 業 を終 わら せ た 吉 岡 は 、 五 人 の飲 み 残し た酒 を 流し 台 に 捨 て暫 く 水を流し続けた後、冷蔵庫から新しいビールを取り出しコップに注いだ。 テ レ ビ を 点 け る と 九 時の ニ ュ ー ス を 遣 って い る 、 そ れ を 見 な がら 日本 酒 を 飲 む 様にチビリチビリとビールを口に運ぶ。 酒 に 強 く ない 吉 岡 も 、 作 業 中か ら の 興 奮 が 冷め ず 殆 ど 酔え な か っ た が 、 時 間 が 経つにつれて興奮も治まり酔いを感じてきた。 ふと、気が付くとテレビを点けた時と同じニュースを遣っている、視線をテレ ビの上に置かれた時計に目を移すと時刻は十一時三分を指している。 吉 岡 は 慌 て て 脇 を 見 る と 、 五 人 は 相 変 わ ら ず 鮪 の 様 に 横 た わ っ て は居 る が、 五 人とも酷く汗をかいている。 吉 岡 は立 ち 上 が って 一人 一 人の 手 足 の 指を 確認 す る、 全 て の 指が 完全 に 紫色 に 変色し、肥大し生きた人間の指では無くなっている、ただ耳は指とは異なり肥 大はしているが紫色では無く異常に白くなっている。 満 足 し た 吉岡 は 、 最 後の 作 業と し て 、 何 時 も指 揮 を 取 って い る親 分 格 の 金城 常 雄 の ズホ ン を 下 げ る と 、 足 の 付 け 根 に 針 金 を 巻 き 付 け ビ ー ル 瓶 の 口 を 針 金 に 鋏 み足が千切れんばかりに絞り上げた。 そ こ を 後 に し た 吉 岡 は 、 当 時 通 学し て い た 熊 谷 第 三 高 等 学 校 の 担 任 丸 金 真 の 自 宅 に 急 い だ 、 タ クシ ーを 丸 金 真 の 家 か ら角 一つ 手 前 で 捨 て た 吉岡 は、 丸 金 が 引 っ 越 し て い な い 事 を 念 じ な がら 、 同 じ 作 り の 建 て 売 り 住 宅 一 軒一 軒の 表 札 を 確 認しながら歩いた。 六軒目に妻・娘と共に、一回り大きな字で書かれた丸金真の名前を見つけた。 吉 岡 は玄 関 の 扉 を叩 く 、 だ が近 所 に は 響か ない 程 度 に 抑え た 、 そ れ で も わ ず か な時間で玄関の灯りが付いた。 「どなた」 丸金真の聞き覚えの有る声がした。 「五年前に、お世話になった、吉岡です・・吉岡克夫です」 「吉岡・・・・・・・」 丸金真は思い出していない様子だったが、それでも玄関は開いた。 「ええ・・吉岡です」 「うーん・・吉岡君・私のクラスの?」 「ええ・・」 「ああ、思い出した、ああ・・・あの吉岡か・・」 [あの厄介者の・・・・]と、云う顔をしたのを吉岡は見逃さなかった。 し か し 、 今 日 の 吉岡 克夫 は 人 間 が 違 っ て い る、 覚 悟 が で き て い る 、 も う 後 に は 引 け な い 所 に 来 てし ま っ た 者 の 強 み か 、 冷 静 な 読 み が で き る 、 又 次 に 来 る の で あろう場面も正確に予知ができた。 「はい、そうです」 「何の用か知らないけれど・ ・こんな夜中に・・・・・又今度にしてくれ」 「 先 生 、 用 件 も 聞 か ない 内 に 又 今 度 に し ろ ・ は 可 愛 い 教 え 子 には 酷 な 言 葉 で す ね」 「 し か し 、 君 も もう 社 会 人 に 成 っ た の だ ろ う 、 ど ん な 用 件 で 有ろ う と こ ん な 夜 中に訪ねてくる事が、どんなに迷惑な事か解らんのかね!!」 「変わりませんね、あの当時と・・・」 「どういう意味だね・・まあいい、帰ってくれ」 とドアーを閉めようとする。 吉岡はすかさず、右足を差し込む。 「しつこいね、警察を呼ぶよ」 「どうぞ、五人殺すも六人殺すもさほど違いは無いから、結構ですよ」 「殺す・・君は人を殺して・・」 と 言 っ た 所 で 、 吉 岡 の 右 手 に 長 い 刺 身 包丁 が 握 ら れ て い る 事 に 気 が つ い た 丸 金 は、急に腰が抜けたように座り込んでしまった。 口はモグモグ動いているが声が出て来ない。 「 し か し 、 あ ん た は ・ 包 丁 を 見 た だ け で腰 が抜 け る程 の小 心 者の 癖 に 、 相 変 わ ら ず 弱い 者 に は 頭 ご なし に 出 る ・ ・ 強 い 者 には 悪 を も 見逃 す 、 視 て 見 ぬ 振 り を する、少しも変わっていない・・・あんたの為にどれだけ多くの者が泣いたか、 考えた事があるのかね」 その時、 「だれ、お客さん?」 二階から、丸金の妻が寝間着のまま降りてきた。 直ぐに、ただ事で無いことを覚ると、二階に引き返そうとする。 「奥さん、こっちへ来なさい」 吉岡が、包丁を丸金の頬に当てながら精一杯のドスを利かせた声で命令すると、 すくんだ様に動けなくなった。 「さあ、降りてきなさい」 今 度 は、 柔 ら か く 話 すと 、 丸 金 の 妻 は お ぼ つか な い 足 取り で 降り てき て 丸 金 の 脇に座った。 「少し話したい事がある、上がらして貰うよ、さあ案内たのむよ、先生・・・・」 「・・・・・」 「ほら何している・・」 包 丁 で頬 を 、 二 度程 叩 く と 、 丸 金は 飛 び 上 がら ん ば か り に ギ ク ッ と し た が、 そ れでも立ち上がる事ができず這うように居間に入った。 「奥さんは玄関を閉めてから、こっちへ来てくれ」 丸 金の妻は、 そのまま逃げようかと 迷 っているようだ が、 吉岡がジィ ッと視て いる為に、金縛りに有ったように逃げ出せず、鍵まで掛けて戻ってきた。 「奥さん、これで旦那の足と手を縛ってくれ」 と、針金を放り投げると、丸金の妻は亭主の足を縛りだした。 「きっくな」 「あぁ・・・は・はい」 どもって返事をする。 「手は後ろだ」 「・・・・・・・は・はい」 再びどもって、返事を返してきた。 「・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・」 「さあ、次は奥さん・あんただ」 丸金の妻は、何も言わずに手を後ろに回して、背を吉岡に向けた。 吉 岡 が丸 金の 妻 の 手 足 を 縛 り終 え 、 念 の 為 丸 金 の 手 足 を 調 べ る と 、 直 ぐ に も 解 ける様に縛って有る。 「 奥 さ ん あ ん た も、 たい し た 者 だ 、 し か し ネ 、 女 の 浅 知 恵 と 言 う の は 時 に は 皆 に不幸をもたらすことが有る・・・注意しないとネ」 言 い な が ら 、 吉 岡 は 丸 金 の 首 に 針 金 を 巻き 付 け る と 、 腰 の 抜 け て い る 丸 金 を 強 引に引きづり、台所に通じる扉のノブに吊るすように引っかけた。 吉岡が二階を窺うと、丸金と妻は同時に、 「娘だけには手を出さないで」と訴えた。 「おう、娘は二階かい・・・そりゃーいい」 吉 岡 は二 階 に 駆 け 上 が る と 、 子 供 部 屋 から 高 校 二 年 に な る 娘 を 引 き ず り 出 し て きた。 丸金は、 「お願いです、娘だけは、娘だけは手をかけないで下さい」 絞り出すような、悲痛な声で懇願する。 「 先 生 、 あ ん た に何 人 が そ う や っ て 助 け を 求 め た ? ・ ・ ・ あ んた は こ と ご と く 無視してきたんでは無かったのかい、時には加担までしていた・・」 「すみません・すみません、恐かったのです・・許してください、お願いです、 お願いです」 「 し か し 、 あ ん た も 随 分 虫 がい い ね 、 世の 中 に は 、 そ う い う 事 、 虫 の 良 い 自 分 勝手な事が通らない事を教えるのが教師の仕事ではないのかい、えぇ」 包丁をピタピタと頬に当てられた丸金は、 「 こ れ か ら は 、 そ う 云 う 事 の 無 い よ う にし ま す ・ 誓 い ま す 、 ど う か 許 し てく だ さ い 、 私 達 は ど う さ れ て も 構い ま せ ん 、 ど う か 娘 だ け は 助 け て く だ さ い 、 お 願 いです」 「 又 出 た 、 私 達 ・ ・ 私 達 と は 何 て 云 う 言 い ぐさ だ い 、 あ ん た の 奥 さ ん は 関 係 無 い だ ろ う 、 お ま え が 全 て 起 こ し た 事 な ん だ 、 元 々 は お 前 が や っ て い た 常 日頃 の 行 い の 結 果 な ん だ よ 、 お ま え の た め に 俺 も 大き な 罪 を 犯 し た し 、 俺の 手 に 掛 か っ た 者 た ち も 結 局 は 被 害 者 な ん だ よ 、 お ま え に は ・ ・ 分か っ てい な い の か 馬 鹿 野郎、まったく何処まで馬鹿なんだ、こいつは」 包丁の背で頭を強く叩く。 「・・・た・・す・・け・て・く・ださい、おねがいです」 「 残 念 だ け ど 、 お ま え が 、 視 て 見 ぬ 振 り を し て き た 為 に悪 党 に 成 り 下 が っ た 連 中 を 成敗 し て し ま っ た 、 極 一 部 だ が ね ・ ・ もう 起 き て し ま っ た 、 済 ん で し ま っ たんだよ」 「・・・・・」 「 い く ら 、 相 手 が悪 党 で も 、 一 度 手 を 掛け れ ば 、 許 し て く だ さ い ・ ご 免 な さ い で は 済 ま ない ん だよ 、 俺 は 今 ま での 借 り に 利 子 を 充 分 過 ぎ る 位 に 付 け て 返し た か ら 、 多 分 捕 ま れ ば 死 刑 が 相 当 の 判 決 が出 る だ ろ 、 良 く て 無 期 懲 役 だ 、 五 人 だ ぜ、五人」 吉岡は五人を殺しては居なかったが、丸金には、そう思わせた。 「・・・・・・・でも・娘だけは」 「 醜 い よ 、 お 前 は ・ お 前 が 見 過 し た り 、 見 ぬ 振 り をし い た 為 にい じ め に 遭 っ て い る 子 供 達 に も 親 が 居 る ん だ よ 、 何 と か 助 け て ほ し い と 願 っ てい る ん だ 、 馬 鹿 な お 前 だ っ て覚 え てい る だ ろ う 自 殺し て 抗 議 し た 女 の 子 を ど う 思 っ て居 る ん だ 、 そして両親の気持ちを」 「・・・・・・・・・・・・」 「 そ れ を 助け ら れ る の は 、 お 前 達教 師 の 他 に 誰 が 居 る 、 お 前 達は 学 校 を 辞 め ら れ て も、 子供 達や親 達に は 行き たく な くと も行か ない 訳に はいか ない ん だ、 そ れ だ け に お 前 達 の 罪 は 重 い ん だ 、 特 に お 前 の よ う に 見 ぬ 振 り を し てい た 者 の 罪 は人殺しより重いんだよ」 「わかっています・・・でも、娘は、娘は」 も う 、 吉 岡 は 口 を 開 か な い 、 無 言 で 娘 を 仰 向け に テ ー ブル に 載 せ る と 四 本 の 脚 に手足を縛り付けた。 続いて水玉のパジャマを下着ごと刺身包丁で一気に切り裂いた。 もう、三人とも震えるだけで言葉は無論、泣き叫ぶ事もできない。 丸 金 も年 頃 に 成 って から は 、 初 め て 見 たの で 有 ろ う、 娘の 胸 と 女 を一 瞬 見る と 目を逸らした。 吉 岡 は ズ ボ ン を 下げ ると い き り 立 っ た 男 を 娘の 女 に突 き 刺 し た、 初 め て 娘の 口 からお咽が漏れた。 丸 金 は 、 吉 岡 の 腰 の 動き と 娘 の す す り 泣 き の 声 に 、 や っと 怒 りの 形 相 に 成 り 、 必死に手足の自由を得る為に悶えている。 「 な さ け な い お っさ ん が や っと 逞 し い 男 に 変 わ っ た よ う だ な 、 し か し 遅 い ・ 余 りにも遅かったよ・・・・もう少し早く逞しい男に成っていれば」 と 、 言 う が早 い か 、 娘 の 口 を 塞 ぐと 胸 に 包 丁 を 突 き 刺 し た 、 続 い て テ ー ブル を 飛び降り、丸金の妻の胸にも突き刺した。 [ ギ ェ ー ]と 悲 鳴を 上げ た が、 娘へ の 仕 打 ち を 目 の当 た り に し て い た 為 か 、 そ れとも既に諦めていた為かそれ以上の声は出なかった。 「さ あて、次はあんただ、二人の様 に一気とは往かない、 俺が、 先輩 がそし て 後輩が苦しんだ様にジワリジワリとゆっくりやるからその積もりで覚悟しろ」 丸金は怒りの目で吉岡をにらみつける、 「 お お 、 恐 い 目 だ こ と 、 そ ん な 恐 い 目 が で き る の な ら 、 其 の 目を 悪 党 ど も に 向 け て い れ ば 、 こ ん な 目 に 合 わ な か っ た の に 残念 だ 、 俺 も罪 を 犯 さ ず に 済 ん だ の に残念だよ・・まったく残念だ」 「・・・・・・・・・」 「 さ あ 、 口 を 開 い て 貰 お う か 、 あ ん ま り 大 声 を 出 さ れ た の で はご 近 所 の 皆様 に 気の毒だからさ、さあ開いて・・・・あれ、いやなの・・無理に開けるよ」 包丁を口の中にねじ込むと丸金の口唇が裂けて血が滲んだ。 それ でも口を開かない丸 金に、 吉岡 は左唇から 耳元まで包丁を動かすと 血液 が 吹き出した。 「 お う・ おう 、 立派 だ、 意 地 で も声 を 出さ ない 、 あん た も 最 後は 男 ら し く 死 に たい訳だ」 吉岡は続いて右唇から耳まで裂いた。 丸金の口がだらしなく開いた。 も う 二 度 と 自 分 の 意 志 で は 閉 じ る事 の でき ない 口 の 中 に布 を 詰め 込 み 、 猿 轡 を する、みるみる内に猿轡が血に染まる。 吉岡は耳に刃を当てて、スウッと引くと嘘のように簡単に耳が落ちた。 「さあ、次は何と・さよなら・をしたいですか、丸金先生」 丸 金 は苦 痛の 中 に も怒り の 目で 吉岡 を 睨 み 付け て い る が、 時 間と 共 に 目 が苦 痛 に負けて細くなる、そして再びカッと目を開いて吉岡を睨む。 遂に丸金の目は閉じたままになった、しかし呼吸はしている。 気 絶 し て い る 丸 金の 後ろ の 窓 が 白 み か け て い る の に 気 がつ い た 吉 岡 は 、 丸 金 の 首筋に包丁を入れて留めを刺すか迷った、生かして置いて更に苦しませるかと、 生き延びたらそれも報いだと、留めは止めた。 血 の 付 い た 衣 服 を 脱 ぎ 捨 て 、 血 を 洗 い 流し てか ら 洋 服 タ ン ス を 開 け た 、 ど れ も サイズは合いそうに無い、しかもどれもが年寄りくさい、 「酷いのばっかりだね」 と 言 い な がら 、 白 の チ ノ パ ン と シ ャ ッ そし て ジ ャ ン バ ー に 着 替え た。 腹 は ダ ブ ダ フ だ が 背 丈 は 吉 岡 と 同 じ く 小 柄 な た め パ ン ツ の 裾 を 折 り 曲 げ る 必要 は な か っ た。 吉 岡 克 夫 が都 内 ま で の つ も り で 乗 っ た J R 高 崎 線 が、 大宮 を 過 ぎ 北 浦 和 にさ し かかった時に、二両前の車両に車内巡視の鉄道警察官が居るのが見えた。 吉 岡 は 落 ち 着 か な く 成 っ た 、 未 だ 誰 も が知 ら な い 筈 だ か ら 、 堂々 と し て い れ ば 良 い の だ が、 も し か し た ら と 思 っ て し まう 、 第 一 此 の 時 間 に 此 の 線 で 車 内 巡 視 をしているのを見たことが無いのも、吉岡を不安にさせている。 幸 い 、彼 ら が 吉 岡 の 乗 っ て い る 車両 に 移 っ て 来 た 時 に は 浦 和 駅 に 入 っ て お り 停 車寸前で有った。 吉岡は浦和駅で降りると京浜東北線に乗り換えた。 ま だ ラ シ ュ ア ワ ー に は 時 間 が 有 る 、 車 内 は 空い て い た 、 南 浦 和 で ホ ー ム に 警 察 官がチラッと見えた時には本能的に次で降りなければ危険と感じた。 何 時 も警 察 官 は 居 た の で あ ろ う 、し か し 今 日の 吉 岡 に は何 時 もは 見え て い な か った警察官の姿を遠くに居ても見逃さずに見つけてしまう。 平 行し て 走 っ て い る 高 崎 線 を 使 っ て い た吉 岡 に は 、 次 の 駅 が 京 浜 東 北 線 だけ が 止まる蕨駅であることは分かっていたが一度も降りた事は無かった。 蕨駅で降りたものの右に行ったら良いか、左が良いのか分からない、しかし意 志 と は別 に足 は 何と なく 何 時 も 電車 内 から 見て い た高 層 住 宅 群の 有る 方 向に 向 いていた 吉岡は何という名前の団地か、何棟有るのかも知らなかったが来てみて驚いた、 十数階の横に長い建物が十棟かそれ以上有りそうだった。 団 地 内 に 入 る と 今 日 は 大 型 ゴ ミ を 出 す 日の よ う で 広 場 に古 い タ ン ス や 未 だ 使 え そ う な 電 気 製 品 が 出 てい る 、 吉 岡 の 目 に、 小 型 の チェ ス ト を 捨 て に 来 た 三 十 歳 前後、髪の長い女性が入った。 瞬 間 [こ れ は 独 身 だ ]と 判 断 す る、 そ の 女 性 が 戻 るの を 吉 岡 は何 気な い 素 振 り で後を追い、同じエレベーターに乗り込んだ。 女性は十二階のボタンを押し振り向いた、吉岡に 「何階ですか?」 と問いかけてきた。 「同じです。十二階です」 頷 い た の か 、 会 釈 な の か 、 曖昧 な 態 度 の 後 一 分 程 の 沈 黙 が 経 過 し た 後 、 エ レ ベ ー タ ー は 十 二 階 に停 止 を す る、 女 性 に 続 い て 降 り た 吉 岡 は 少 し の 間を 於 い て 後 に続く、女性はエレベーター室から右に九軒目の扉に鍵を差し込んでいる。 扉が開き、中に入り閉まる寸前に吉岡は自分の体を中に滑り込ませた。 女性が「アッ・」と叫ぶと同時に扉を閉め、女性の口を右手で塞いだ。 「 助 け て ほし い 、 大 き な 声 を 出 さ な い でほ し い 、 決し て乱 暴 はし ない 、 助け て ほしい」 「・・・・・・・・」 「大きな声を出さないと誓ってくれますか?」 女性は口を塞がれたまま頷く、吉岡が手を話すと蒼白の顔で、 「・・・・・・助けるって、何を助けるのです」 「・・・いや、助けてほしいと言うより、匿ってほしいのです」 「・・匿う?・・・どう云う事です?・・・何か悪い事でもしたのですか・・・・ それとも・・」 女性はとぎれとぎれに問いかけてきた、体は小刻みに震えている 「 悪 い と 言え ば 、悪 い 事 を し ま し た ・ ・ ・ ・ 法 律 上は 悪い こ と で す・ ・ で も 人 間としてはそれほど悪い事とは・・・」 「・・どう言う事です・・」 「後で話します、お願いです、少し休ませて下さい」 尋 常 で は 無い 侵 入 者 の 態 度 と 、 と り あ え ず 身 の 危 険 は 無さ そ う な の で 南 田 千 登 世は、ここで逆らうより侵入者が落ち着いたら出ていって貰えばと考えた。 「 い い わ 、 少 し の 間 な ら 休 ま せ て 上 げ ます 、 で も 見 知 ら ず の 方 に ベ ッ ド を 貸 す のはいやです、そこのソファで休んで下さい、私は八時三十分に勤めに出ま す・・・・後二時間四十分あります、それまでなら休ませて上げても良いです」 「 あ り が と う 、 警 察 に は 連 絡 し ない で 下さ い 、 覚 悟 は でき て い ま す が も う 少 し 時間が欲しいのです」 「・・・約束します、このまま待ちますから必ず八時半には・・」 吉 岡 克 夫 は 、 此 の 女 性 に 掛 け る こ と に し た 、 最 初 に 見 た 瞬 間 に感 じ た 通 り 整 理 整頓された室内には男の気配は全く無い、利口な女性と思えた。 南 田 千 登 世 に は 、 ど の 程 度 の 悪 い 事 を し て き た の か 分 か ら な い 、 むし ろ 女 性 的 な 柔 ら か さ を 持 って い る 顔 つ き と 体 つ き を 見れ ば 、 そ れ ほ ど の悪 い 事 が でき る とは思えなかった。 し か し 、 不 気 味 であ り、 恐 い 事 には 変 わ り は な い 、 朝 食を 取 る 気 にな ど と て も なれない、長い・長い二時間四十分が始まった。 ソ フ ァ に 浅く 座 り、 腕を 組 んで 目を 瞑 って い る 侵 入者 を、 少 し 離 れ た 食 卓で 見 ている千登世には二十分もすると、とても耐えられる状況に無くなってきた。 表 に 出 た 千 登 世 は、 団 地 内 の 広 い 広 場 に 降 り る と 、 植 栽 の 中 に立 つ 時 計 の 正 面 に有るベンチに腰を下ろした。 千 登 世 に は 侵 入 者か ら 距 離 を置 い た と し て も、 頭 の 中 は パ ニ ック か ら 抜 け 出 し て い な い 、 こ の ま ま 団 地 内 の 交 番 に か け 込 む事 と 、 無 法 者 と は 云 え 、 約 束 を し た の だ か ら 、 八 時三 十 分 迄 待 っ て あ げ る事 が 良 い の か 、 そ の 他 か に 方 法 が 無 い ものだろうかと考えている。 そ の 時 ド ー ン と 粗 大 ゴ ミ を 投 げ る 音 に 驚い て 後 ろ を 振 り 返 る と 、 投 げ た 男 の 更 にその後ろから警察官が自転車に乗ってこちら向かって来るのが見えた。 千 登 世 は [ ド キ ー ン ] と 心 臓 が 飛 び 出 す 程 に高 鳴 る 、 思 わ ず 立 ち 上 が り 植 木 の 陰に隠れ小走りにエレベーターに向かう。 部屋に戻り、時計を見ると未だ七時にも成っていない。 千 登 世 は 、 こ の まま で は 気 が 変 に 成 り そ う な 恐 怖さ え 感 じ 始 め て い る 、 千 登 世 は 男 を 残 し て 、 大 分 早 い け ど こ の ま ま 会 社 に 行 っ てし まう の が恐 怖 か ら 逃 げ る 最前の方法と思えた。 [ 出 勤し ます 、 鍵 を置い て 行き ます の で、 起き た ら玄 関の 鍵 を 掛けてド アー の 新 聞 受け に 入 れ て お 帰 り 下 さ い 。 部 屋 主 ] と 書 き 置 き す る と 、 化 粧 も せ ず に 部 屋を出る。 千登世がいつもより一時間以上も前に会社に出ると、既に出社している同僚に、 「おはよう・・南田さん、今日は何処からの出社かな?」 「えっ・・・どうしてそんなこと」 「いつもの華麗な南田さんとはまるで違うもの」 「・・・・・」 「 お 化 粧 はし て い な い し 、 上着 と 靴 は と も か く 、 そ の ス カ ー ト は 会 社 に は 合 わ ない、ゴミもでも捨てに行くのならともかく・・酷い」 千登世は改めて自分の姿を見ると悲鳴を上げたくなる格好で有った。 髪 は 後ろ に束 ね て有るだけ 、ス カート は 裾近く 迄 ある ジーン ズ製、シ ャ ツは 綿 の タ ン ク ト ッ プ で ノ ー ア イ ロ ン 、 口 紅 も付 け て い ない 、 そ し て白 の ロ ー ヒ ー ル に 同 じく 白 の ブ レ ザ ー、 朝 起き て 粗 大 ゴ ミ を 捨 て に 行 った 時 の ま まの 格 好 で 来 てしまった、当然電車に三十分も揉まれて。 「・・・・・」 「どうしたの、何か有ったの」 最 初 は 軽 口 を 叩 い て 居 た 同 僚 も 、さ す が に 何 時 も と違 い 、 機 知 に 富 ん だ 言 葉 を 返してこない千登世が、魂が抜けたようにボオーと中空を見つめている。 「・・・・・」 「南田さん・・南田さん」 二度、名前を呼ばれて、我に返った千登世が、 「ああ、これ・・・・これね・・」 「どうしたの、何か有ったの」 「 あ あ・ ・い え ・ ・ 何 で も ない ・ 何 で もな い わ ・ ・ ・ ・ 偶 に は、 こう 云 うの も 良いかなと思って」 「まさかぁ・・」 「おかしい・」 「おかしいよ・絶対おかしい」 「どこが・」 「 全 体 ・ ・ な ん と 云 って も 南 田 さ ん ら し く ない 、 南 田 さ ん は 此の 会社 の マ ド ン ナなのだから、それはおかしい、僕らの夢を壊さないでほしいな」 「そお、仕方ない、着替えるか」 千登世は会話のやり取りの 中で、や っと自分を 取 り戻し平静 に成れた、同僚も 何とか誤魔化せた。 千登世がロッカーに置いて有る予備のスーツに着替え、化粧を整えてから、掃 除 を し て い る 内 に、 今 朝 の 出 来 事 が 大 分 前 に 起 こ っ た 事 の 様 にし だい に 遠ざ か って行くのを覚える。 仕事に入ると殆ど忘れかけていた。 昼 の チ ャ イ ム が 今 日 、 弁 当 を 持 っ て き てい な い 事 と 、 朝の 出 来事 を 千 登 世 に 思 い出させた、そして帰って呉れている事を祈った。 三 人 の 同 僚女 子 事 務 員と 、 中華 ソ バ 屋 に入 ると 、 テ レ ビ が 埼 玉 で 高 校 教 師 一 家 の 惨 殺 死 体 が 発 見さ れ た と 報 じ てい た 、 続 い て 同 じ 市 内 の 会 社 の 寮 で 何 れ も 二 十 二 歳の 男 性 四 人と 女 性 一 人 が 、 手 足 の 指 を切 断 し な け れ ば なら ない 事 件 が 発 生した事に変わった。 内 容 は 現 在 調 査 中で 有る が 、 犯 人 は 吉 岡 克 夫 と 云 い 、 同 じ 会 社 の 同 僚 で 有 る と 写真が映し出された。 千登世は思わず立ち止まりテレビを擬視していた。 アナウンサーは、 被[害者の女性の話によると、加害者の吉岡は被害者達と高校 時 代 の 同 級生 で 、 高 校生 時 代 そ し て 加 害 者 の 吉 岡 が 大 学卒 業 後 に 入 っ た 現 在 の 会 社 で も 、 被 害 者の 五 人 達 か ら 酷 い 虐 め に 遭 っ て い た 。 五 人 は 高 校 卒 業 後 今 の会社に入社したが、吉岡だけは国立大学を卒業後たまたま同じ会社に就職た、 五 人 は 再 び 吉 岡 をい じめ 始 め た 、 事 件 当 夜 も会 社 の 寮 に呼 び 出さ れ 無 理 や り 酒 を買ってこさせられ、吉岡のコック兼給仕で宴会が始まった。 どうもその時、 酒 に 睡眠 薬 を 混 ぜら れ様 で 、 五 人 が 寝 込 ん だ 後 に 手 足 を 縛 ら れ 、 更 に 手 足の 指 と 耳 に 輪 ゴ ム を 巻か れ た 。 発 見さ れ た 時 に は 全 員の 指と 耳 は 完 全 に 壊 死状 態 で 有 っ た 、 又 内 一 人 は 足 の 付 け 根 に 針 金 が 巻か れ て お り 、 先 ほ ど 病 院 で 両 足 の 切断手術が終わったが命には別状が無い と]報じていた。 千登世は吉岡克夫に、何とも云えない、いとおしい気持ちが沸き上がって来た。 「 急 に 用 事 を 思 い 出 し た の 、 一 度家 に 戻 っ てく る わ 、 課長 に は 午 後 に 少 し ず れ 込むかもしれないと、言っておいて」 一方的に言うと、不審がる同僚を残して中華ソバ屋を後にした。 マ ン シ ョ ン に 戻 る と 、 吉 岡 は 既 に居 な く な っ て い た 、 テ ー ブ ル の 上 に [ あ り が と う 、 貴 女の お か げ で人 を 信 じ る事 が でき そう で す。 既 に 貴女 は 私 が 何 を し で か し た か 男 か を 知 っ た 事 でし ょ う 、 罪 人 に 優 し く し てく れ た 貴 女 に 幸 せ が あ る 事 を 祈 り ま す 。 あ り が と う ご ざ い ま し た 。 ど う ぞ お 元 気 で ] と 記さ れ た メ モ が残されていた。 千登世は心臓の鼓動が早くなるのを感じる。 [ 多 分 あ の 事 件 の 両 方と も 、 彼 の し た 事 だ ・ ・ ・ ・ ・ そし て この メモ ・ ・ ・ 自 殺・・それとも自首=死刑]千登世の頭を駆けめぐる、 [守って上げなければ!・・ 私 の 他 に 誰 が 守 れ る ] と 、 た っ た 一 度 会 っ た だ け の 男 、 そ れ も脅 さ れ て 踏 み 込 んできた男に、これほど思い込む千登世にも実は大きな訳がある。 千 登 世 は 玄 関 を 出 る と 、 エ レ ベ ー タ ー も 使 わ ず に 一 気 に三 階 を 駆 け 上 が り 屋 上 に出た。 周りを見渡す が誰も居ない、や むなくエレベータ ーに乗り十二階を押す、動き 出 し た 途 端 に [ ・ ・ ・ ・ 鉄 道 ! ] と 頭 を 過 ぎ る 、 直 ぐ に十 四 階十 三 階 と ボ タ ン を押したが、エレベーターは十四階に止まらず十三階に停止した。 J R の 上 下 三 組づ つ 計 六 組 の 線 路 は 、 道 路 を 挟 ん で 十 三 階 千 登 世 の 位 置 か ら は 真 下 に 有る 、 し か し 肝 心 の 線 路脇 は 道 路 の 両 側 に植 え ら れ た 樹 木 で ほ んの 少 しか見る事ができない、千登世は[アァー]と口から吐息を漏らす。 フ ト 左 手 を 視 る と 線 路 を 跨 い でい る 陸 橋 の 上 で 線 路 を 見 てい る 男 が 目 に 入 っ た 。 「彼だ!!」 と、小さく叫ぶが早いか体は走り出している。 千 登 世は 、 ど う 云う 風 に 一 階迄 降り た の か 覚 え て い な い が [ 早 ま ら な い で、 私 が そ こ に 行く ま で待 って 、 神 様 ]と 心 の 中 で 祈 の り、 叫ん で い た の だ け は、 鮮 明に覚えている。 「待って!!」 千 登 世 が 叫ぶ と 、い ぶか し げ に 、 吉 岡 は首 を 下 げ た ま ま此 方 に 向 け 千 登 世を 見 ていたが,急に頭を上げて、 「・・・・貴女は・・あの部屋の・・」 と、答えた。 「そうよ、あの部屋の持ち主・・南田千登世」 「 そ う 、 南 田 さ ん・ ・ ・ 南 田さ ん が 何 か 私 に ? ・ ・ 鍵 は ポ ス ト に 入れ て 置 き ま したけど」 「そうではないの・・もう一度私の部屋に戻ってくれませんか!!」 「戻る? なぜ?・・私は貴女を脅かした悪人ですよ」 「良いのです」 「もう、私が何をした人間かも知った事でしょう・・・・」 「ええ・・少しは」 「貴女にも危害を加えるかも知れませんよ・・・・」 「 大 丈 夫 です 、 貴方 は そ ん な事 し ま せ ん、 貴方 は ち ゃ んと 約 束 を 守 っ て 部屋 を 出たわ、それに鍵も返してくれたし、約束を守る人に悪人は居ないわ」 「貴女は、本当に私の事を知っているのですか?・・・・何をしたのか」 「 え え 、 知 っ て い ま す 、 こ ん な 所 で 議 論 し てい る と 、 貴 方 に 不 利 な 事 も 、 み ん な知っています」 「そう・・・でも、私と関わり合いに成らない方がいいと思うけど」 「それでもいいの・・・さあ行きましょう」 と、千登世は吉岡の手を引きずる様に陸橋の坂を降り始めた。 「 分 か っ た ・ ・ 分か り ま し たか ら 、 手 を 離 し て 人 が 見 たら 変 に 思 う し 、 第一 印 象に残るとまずい・・・」 「 そ う ね 、 少 し 離れ て 歩 い た 方 が 良 い わ ね 、 じ ゃ ぁ 私 は 先 に 行 く か ら 見 ら れ な いように来てね」 「分かりました・・ありがとう・・・・・」 千 登 世が 部屋 に戻 っ ても、 なか なか 吉岡は 来ない 、い らい ら し 始 め てか ら十 五 分程してから吉岡はドアーを開けた。 「どうしたの?・・・遅かったわ」 「 手 前の 部 屋 の 入 口 で立 ち 話 を し て い る小 母さ ん 達 が 居 た の で、 や り 過 ご し て から来ました」 「そうだったの、でも随分丁重な言葉に変わってしまったのね」 「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ す み ま せ ん 、 困 っ た 事 に 成る か も 知 れ な い の に ・ ・ す み ま せ ん」 「いのよ、さあ靴を脱いで・・こちらに来て座りなさいな」 「はい、本当に良いんですか?・・・・・ 私は殺人犯なんですよ」 「知っているわ、そこでそんな事を言っていて、誰かに聞かれたらどうするの、 私も罪人になってしまうわ」 「はい、すみません」 吉岡は、やっと上がり込んでソファに座った。 「教えて下さい、どうしてそんなに親切なのか」 「 フ フ ッ ・・ さ あど うし て か ナ ァ ・ ・ ・ 強 い て 言 え ば 、 貴 方 に、 いい え 貴方 の し た こ と に 共 感 し た か ら よ 、 遣 り た い と 思 っ て い る 人 は沢 山 居 る と 思 う わ 、 で も勇気がないからできないの、それを貴方はやってのけたの、英雄よ」 「・・・・・・・・・」 「でも、警察と一部の偽善者達は許さないでしょうけど」 「・・・・・・・・・」 「だから、私が守って上げようと思っているの」 吉岡は下を向いて、涙をぼろぼろ出して泣いている 「ご免なさい、泣かせてしまって、貴方は、本当はとても優しいのね」 「・・・・・・・・あ・・り・がとう・ございます」 千登世は今日の午後は休む事にした。 会社に、 [ 今 日 は 気 分 が 優れ ない の で、 午後 か ら早 退さ せ て欲 し い ・ ・ ・ ]と 電 話 を す ると、吉岡の為にスパゲテイを作り始めた。 吉 岡 は 千 登 世 の 作 っ たス パ ゲ テ イ を 、 子供 の よ う に む し や ぶ り 付 く 、 食 べ終 え ると、 「すみません、もう一度休ませて貰って良いですか」 と、口を開いた。 「良いわよ、でもさっき寝たのではなかったの」 「 は い 、 で も 本 当 は 殆 ん ど 寝 ら れ な か った ん で す ・ ・ ・ 貴 女 が警 察 に 連 絡 す る のではないか?・・・・・と気になって、すみません」 「 そ う ・ ・ そ う よ ね ・い い わ、 充 分 休 み な さ い 、 安 心 し て 、 今 お 蒲団 を ひい て あげるわ」 「いいえ、とんでも無い、貸していただければ私がやります」 「 そ う 、 分か っ た わ 、 こ れ か ら 先 は 長 い の だ か ら 、 自 分の こ と は 自 分 で し な け れ ば ね 、 そ こ の 押 入 に 入 っ て い る お 蒲 団 を 使い な さ い 、 シ ー ツ は 右 の タ ン ス の 一 番 下 に 入 っ て い る わ、 そ れ に 寝 間 着 はそ の 上 に 有る わ、 私 の だ けと そ れ で 我 慢してね・・・でも考えてみれば、これから先、男性の物が有るのはまずいわ」 「・・・・・・・・」 「 ま あ、 い い わ 、 後 で一 緒 に考 え ま し よ う 、 そ れ よ り 着 替 え る 前 にシ ャ ワ ー を 浴びたら、嫌な事も洗い流して、さっぱりして休んだ方がいいわ」 吉岡はシャワーを浴びると、安心したのか、疲れが直ぐに寝息を呼び込んだ。 千登世が夜食を夕方七時頃に作ったが、吉岡は起きなかった。 千 登 世 は 、 ぼ ん や り と テ レ ビ を 見 て い ると 、 九 時 の ニ ュ ー ス が 始 ま り ト ップ ニ ュースは吉岡の犯した事件を報じ始めた。 調 査 は 大 分進 ん だと 見え て 、事 件 の 背 景 に 虐め が 有る こと で 、 そ の 悲 惨 さ ・ 残 酷 さ の 割 に は 事 件 そ の も の よ り 、 事 件 の 引 き 金 に 成 っ た 虐 め に つ い て の 詳し い 状 況 が説 明さ れ 、 そ の こ と に関 し て 学 者の 意 見 と 街 の 一般 市 民の 反響 を 報 じ て い る が 、 圧 倒 的 に吉 岡 へ の 同 情 が 多 く 、 ま る で 被 害 者 の 五 人 と 丸 金は 被 疑 者 扱 いである、特に教師の丸金は、巨額脱税の議員と名前が似ている事も災いして、 事 件 起因 の 大 半 は こ の 無 能 教 師 呼 ば わ りさ れ て い る 故 丸 金 に 有 る と の 意 見 が 圧 倒的に多い。 千 登 世は 、 吉 岡 を 起 こし て テ レ ビを 観 せ て や り た い 衝 動 に お そ わ れ る が 、当 事 者の 吉岡 にすれ ば、 別の感 慨があるの ではと云う 思い と、 どんな理由 が あろ う と 、 これ だけ 多 く の 人 に 危 害 を 加え て し ま え ば そ う簡 単 に 許 さ れ る訳 が ない と 考え、どうにか抑えることができた 吉 岡 が 目 覚 め た の は 十 二 時 近 く に 成 っ てい た 、 食 事 を 済 ま せ た の は 午 前 一 時 を いくらか廻っていた。 千 登 世 は 明 日 も 勤 め が 有 る た め に、 吉 岡 が 寝 て い る 間 に考 え た今 後の 事 をメ モ しておいた幾つかの取り決めを伝えた。 *当面外出は控える。 *客や勧誘が来ても出ない、返事をしない。 * 電 話 は 留 守 番 電 話 にし て 置 く 、 メ ッ セ ー ジ で 千 登 世 と 確 認 で き た 時 以 外 の 電 話には出ない。 *窓を開けない、洗濯物を絶対に室外に干さない。 *音を発てない、トイレの水を流さない、汲み置きの水で音を発てずに流す。 *テレビはヘッドホンを使う。 *灯は千登世が帰るまで点けない。 * この他は順次考える。 * 何れにしても今まで通り千登世が一人で住んでいる様に見せる。 現在思いつく以上の事を最低限守る、今後はその都度気が付いた時に追加する。 翌 日 千登 世は 吉岡に送ら れ て会 社に出 る、 し か し 仕事 が手 につか ず殆 ど 一日 中 吉岡の事を考えていた。 [ 何 時 ま で、 匿 う の か ? ・ ・ 一 年二 年 ・ 五 年・ 十 年、 い や 時 効 ま で? ・ ・ そ し た ら 何 年 、 そ れ ま で 何 年 も 自 分 は 結 婚 で き な い 、 今 は い い ・ 結婚 は し な い 積 も り だ か ら ・ ・ で も気 が 変 わ っ た ら 、 気 が 変 わ ら な く と も 結 婚 でき ない の を 彼 の 責任にしないだろうか] [ 長 い 間 、 私 も 彼 も 耐え ら れ る の だ ろ う か 、 第 一 見 も 知 ら ず の 男 にそ れ 程 の 事 を す る 必 要 が 有 る の か 、 で も 私 だ か ら 助け ら れ る 、 私 にし か 助け ら れ な い 、 助 けなかったら正義はどうなるの、他の人にはこの気持ちは分かる筈がない] [ 今 の 給 料 で も 二 人 が 食 べ てい く 事 は でき る の か 、 彼 に も 仕 事 を し て 貰 わ な け れ ば 、 自 分の 食 い ぶ ち 位 は 稼い で 貰 わ な け れ ば 、 彼 を 勤 め に 出 す 事 は で き な い から、家でできる仕事を、まあこれは何とか成るか・・] [ 両 親 や 姉 妹 、 友 人 が 訪 ね て き た 時 は ど う し ょ う 、 男 嫌い で 通 っ てい る 私 が 男 それも年下の男と同棲しているなんて思われたら,家に帰ってこい、見合いだ・ 結婚 だ、 になる] [ 彼 も男 性 だ か ら 、 今 は お と な し く て も 時 間 が 経 て ば そ う は 行 か な く 成 る だ ろ う ・ ・ ・ もし 襲 わ れ れ ば ど う 云 う 結 果 に 成 る か は 一 目 瞭 然 、 匿 っ てい る か ら に は 、 警 察 に 届 け ら れ ない 、 追い 出 す 訳 に も 行か ず 、 逃 げ 出 す 訳 に も行 か ない 、 我 慢 ・ 継 続 ・ 妊 娠と 進 む 、 避妊 を す れ ばと 言 っ て もそ れ は ! ] [長 い 間 に 、 私 は 彼 を 愛 し て し ま わ な い か 、 彼 は 私 を ど う 思 う か 、 年 は 九 つ も 違 う 、 仮に 十 年 匿 って 、 四 十 一 歳 、彼 は 未だ 三 十 二 歳、 十 五 年 だ っ た ら 四 十 六 に 三 十 七、 彼 は ま た ま だ や り 直 せ る 年 齢 だ け ど 私 は 、 私 は そ の 時 冷 静 に彼を送り出せるのだろうか] [・・・・・・・・・・・・・] 「南田君どうしたね」 「エッ・・・・あッ・・はい、何か」 課長の佐々木が声を掛けてきた。 「・・何か、 ではないよ、 昨日と云い 今日と云い 、何時もの君らしくないよ、 どうしたの、 体の具合でも悪い のではない のか ね、それと も何か 困った事でも 有ったのかな」 「・・・・・・はい・・・いいえ・・その一寸・・」 「悩み事なら相談に乗るよ、良かったら話してみないか」 「 は い 、 あ り が と う ご ざ い ま す ・ ・ ・ 少し 疲れ が 溜 ま っ て い るよ う で ・ ・ で も 大丈夫です」 「 そ う か 、 具 合 が悪 か っ た ら 帰 りな さ い 、 君 に 長 い こ と 休 ま れ る 方 が 会 社 と し ては困るから」 「もう、大丈夫です」 「分かった、じゃ頑張って呉れたまえ」 佐々木課長は戻っていったが、隣に座っている部下の女子社員まで、 「今日の南田係長、おかしいですよ」 「 そ う か な あ ー 、 貴 女 に ま で 心 配 掛 け て居 る の で は 大 変 だ わ 、 頑 張ら な け れ ば ね」 こんな訳で千登世にとって大変な二日目が過ぎつつある。 し か し 、 千登 世 も吉 岡 も 知 ら な い 内 に 、 世 の 中 は 吉岡 のし で かし た事 件 が大 き な反響を呼んでいた。 テ レ ビ は 朝の モ ー ニ ン グ シ ョ ー 、 昼 の ア フ タ ニ ン グシ ョ ー ま で ど れ も 虐 め 問 題 一色であった。 新聞も各社の社説はもとより、特集迄組んで対談、談話、街の声を載せている。 特 に 目 を 引 く の が、 こ の 事 件 が 虐 め て い る 側 の 子 供 達 へ の 抑 止 力 に な る の で は な い か 、 頼 り な い 教 師 達 へ の 警 告 に な るの で 有 ろ う と 云 う 意 見 が 多い 、 極 少 数 で は 有る が良 く や っ てく れ たと 賞賛 す る 者 ま で い る、 此 な ど モ ー ニ ン グ シ ョ ー もアフタニングショーも観る機会 機会の無い千登世が知ったら多分、随分勇気づけられる事であろう、中には[罪 は 罪 で あ る 、 犯 人 は 相 当 に 罰 せ ら れ な け れ ば な ら な い ] と 言 っ た 評論 家 に [ 無 責 任 な 事 を 言 い や が っ て 、 お 前 は 当 人 達の 苦し み が ど ん な も の か 、 悲 し み が ど ん な も の か 知 り もし な い で 、 今 度 は 俺 が お 前 を せ い ば い す る か ら 首 を 洗 っ て 待 っ て い ろ ]と 云 う 脅 迫状 を 受け 取 っ て 慌 て て 取 り 消し た、 等 とい う 世 間 の 笑 い 者に成った評論家も出てきたと云うおまけ迄ある。 千 登 世が 部屋 に 返 る と 、 寝 室・ 台 所 ・ 玄 関 ・ト イ レ迄 全 て が 綺麗 に片 付 けら れ 雑巾掛けがされていた、さらに吉岡は食事も造り食卓に並べてある。 「すごい・・・・これ全部貴方が?・・・」 「 は い 、 悪い か と は 思 っ た の で す が 、 今の 僕 に は 此 ぐ らい し か お 返し で き な い の で 勝手 に 冷 蔵 庫 の 物 を 使 っ て 造 ら せ て も ら い ま し た 、 気 分 を 害 し た ら す み ま せ ん 、 も う し ま せ ん か ら か ら 許 し て く だ さ い 、 掃 除 も し て し まい まし た 、 で も 洗濯はどうかと思ったのでしませんでした」 「 ・ ・ ・ ・い い え 、 い い わ よ 、 女の 私 に も これ だ け の 物は で き な い わ 、 それ に 掃除も角から角まできれい、私恥ずかしいわ」 「すみません」 「謝ること無いわ、ありがとう」 「喜んでいただいて嬉しいです」 「・・・でも、近所の人達に気付かれなかったでしょうね」 「はい、大丈夫です、音は一切たてずにしましたし、食事もそうです」 「そう、充分注意してね」 「 は い 、 食事 の 前 に お 風 呂 に 入 っ て 下 さ い 、 丁 度 良い 湯 加 減 に な っ て い ると 思 います」 「お風呂まで、わたし・・なんかお嫁さん貰ったみたい」 「・・・・・・」 千登世は、湯船に顎まで浸かりながら考えていた」 「・・・・・・そうだあ、ここに置いている間、私のお嫁さんにしてしまおう」 ・ 千登世は、風呂から上がると、吉岡に入るように勧めるが、吉岡は、 「 い い え 、 後 で 入 ら せ て 頂 き ま す 、 疲 れ て い ら っ し ゃ る で し ょ う か ら 、 まず 食 事です」 吉岡は、千登世が考える以前に主婦に成りきっている、吉岡にすれば今の立場 で は こ れ 以 外 に は 、 千 登 世 へ の 恩 に 報 い る 方 法 は 無い の だ か ら 当 然 と 云 え ば 当 然の事である。 「 南 田さ んの 好 き な 食べ 物 は何 です か ?・ ・ そ れ にお 酒 は 飲 み ま すか 、 結構 ウ イスキーやビールが有るから飲まれるとは思いますが、どのくらい飲みますか、 それに食前に用意しておいた方が良いでしょうか」 「 私 、 食 前 に は 飲 ま ない わ 、 寝 る 前 に 少し 飲 む ぐ ら い よ 、 そ れ も 毎 日 で は な い わ ・ ・ ・ それ に 南田 さ ん と 云う の は 止 め て く れ る 、 他 人 行 儀 だ わ 、 も う この 場 に 至 っ て は 貴 方 と 私 は 同 じ 穴 の 狢 よ 、 何 か 有れ ば 一 蓮 托 生 よ 、 夫 婦 以 上 の 信 頼 感と軍隊以上の規律を守らなければ大変な事に成るわ」 「はい・・・・申し訳なく思っています、巻き込んでしまって・・・」 「 そ れ は い い の ・ ・ ・ で は 名 前 で呼 ん で、 で も 貴 方 を な ん て 呼 ぼ うか し ら 、 い い え そ れ よ り 前 に 私 か ら 貴 方 へ の 条 件 が 有 る わ 、 貴 方 が今 着 てい る 物 は 全 部 捨 て て 貰う わ 、 明 日 貴 方 の サ イ ズ に合 っ た 服 を 買 っ てく る け ど 、 今 後 は 男 女 兼 用 か 、 女 性 用 を 着 て 貰 う わ 、 もち ろ ん 下 着 も ね、 そ し て 髪 も 伸 ばし て 貰 う わよ 、 何 故 か 解 る わ ね 、 私 は 間 違 っ て も男 性 と 一 緒 に 住 ん で い る の を 親 や 姉 妹 そ れ に 友 達 に知 ら れ る 訳 に はい か ない の、 そ れ に 貴方 も そう し た 方 が周 囲の 目 を逸 ら すのに有利と思うわ」 「・・・・・」 「いやそうね、でも仕方無い事よ、貴方のためにも私の為にも絶対必要な事よ」 「・・・・・・」 「 い や で も、 そ うし て 貰 う わ・ ・ ・ そ れ に 名 前 も 替え なけ れ ば ・ ・ ど ん な名 前 ・ が良いかしら・・アス・・カ・・そう明日香が良いわ、子が付いていたり・代が 付 く よ り 貴方 も 受け 入れ 易 い で し ょ う 、 そ し て 明 日 が 有る の っ て 希 望 が 持 て そ うでしよう、そうする事に決めたわ」 千 登 世 は 、 こ ん な 場 合 相 手 に 意 見 を 求 め て も、 先 に進 ま な い 事 を 仕 事 で 部 下 を 持 っ てか ら 、 幾 度か の 経 験 を 積 み 充 分 心 得 てい る 、 断 定 を し 吉 岡 に 意 見 を 云 わ せない 「さあ、お風呂に入っていらっしゃいな、何か服を用意しておくわ」 「・・・・・」 「さぁ・」 「・・」 「もう・・・、命令よ」 「解りました、そうですよね、私は自分を主張できる立場に無いですものね・・ 明日香は今からお風呂に入らせていただきます」 吉 岡 は ふ ざ け た 口 振 り で 笑 い な がら 風 呂 に 入 っ て い っ た が 、 目 は 笑 っ て な か っ た。 千 登 世 は 自 分 の 服 の 中か ら 比 較 的 地 味 な シ ャツ と デ ニ ム の パ ン ツ そ れ に 飾 り の 少 な い シ ョ ー ツ を 用 意し 、 脱 衣 所 の 駕 籠 に 吉 岡 が 今 ま で着 け てい た 物 と 置 き 換 えた。 しばらくすると、 「すみません・・・一寸お願いします」 と呼んでいる 「ナァに!」 と千登世が脱衣所のドァーを開けると吉岡はパンツと格闘していた。 「アァーやはり無理だったわね、待って他の物を探してみるわ」 「・・・・」 千登世は他のパンツを出してみたがどれもウェストを締める事ができない、 「此で我慢して」 「これですか」 「 他 に 無 い の よ 、 明 日買 っ てく る ま で 我 慢 し な さ い 、 で も こ れ に も な れ て 貰 わ ないと成らないわ」 と云うとサッサと食卓に戻ってしまった。 「あら、いいわ・・とても可愛らしいわ、さあ食事にしましょう」 ピ ン ク の 大き な 花 柄 の ム ー ム ー 姿 の 吉 岡 を 上か ら 下へ 目を 走 ら せ ると ニ コ ッ と 笑い、 「でわ、明日香の誕生に乾杯しましょう」 [ 明 日 香 こ と 吉 岡 、 こ れ 以 後 は 筆 者 も し ば ら く 吉 岡 克 男 を 明 日香 に 統 一 し て 物 語 を 進 め る こ と す る の で 、 読 者 諸氏 も 吉 岡 克 男 の 名 前 も 忘 れ ず に 覚 え て お い て 頂きたい] 「 乾 杯 、 明 日 香 ・ あ な た は 今 か ら 私 の 妹よ 、 そ の つ も り で ね 、 妹 よ ・ 妹 は 女 な のよ、話し方も声の出し方、仕草も女に成ってね」 「はい」 「いい返事、髪が伸びる半年もすれば表にも幾らかは出られるように成るわ」 け 「はい」 千登世が何を云っても明日香の答えは[はい]であった。 「なによ、なにを云っても・はい・ばかり、何か云ってよ・云いなさいよ」 「はい」 「何か云って、お願い」 「 は い 、 何 故 こ こ ま で親 切 にし てく れ る ん で す か ? 千 登 世 さ ん ・ い い え お 姉 さん、お姉さんも言っていましたけど、私を庇うのは犯罪なのに」 わ 「理由ね・・・・・貴女が気に入ったからなのよ、それに私もそうしたいと思 った事が有るの、私にはできなかったけど」 「・・・・如何言う意味ですか?」 「 私 も同 じよ う な経 験 が 有 るの 、 中 学生の 時に 、 私と 同 じ 組 に貧 しい 家 庭の 子 が 居 た の 、 制 服 も買 え ず 誰 か の お 古 を 着 て い た わ 、 そ れ も 何 箇 所 か 繕 っ て 有 る の 、 そし てお 風 呂 に もあ ま り入 って 居 ない 様 で 時 々 臭 う 時 が 有っ たわ 、 其 の 為 誰 も 近 寄 り た が ら な い の 、 で も 勉 強 は でき た の 学 年 で も十 番 以 内 に は 常 に居 た わ ・ ・ 十 番と 言 っ て も 四 百 人位 の 中 で よ 、 そ れ が 又 意 地 の 悪 い 子 達か ら す る と 気 に 入ら なか っ たの ね、 ク ラス の 連 絡 事 項 を 知 ら せ な か っ た り、 嘘 を 教 え た り し て い た の 、 そ れ を 私 達 に も一 緒 に 遣 る様 に 強 制 し た の 、 殆 どの 子 達 が 従 っ た わ で も 私 に は 出 来な か っ た 、 彼 女 に 影 で本 当 の 事 を 伝 え て い たわ 、 で も そ れ が ば れ て 私 も 虐 め の 対 象 に 成 っ て し ま っ たの 、 そ れ は酷 い も の だ っ た わ 、 鞄 に 腐 っ た 魚 や 汚 れ た ナ プ キン を 入 れ ら れ る は 軽 い ほ う で 、 ト イ レ で 用 足 し の 最 中 に 頭 の 上か ら モ ッ プ バ ケ ツ の 水 を 被 せ ら れ た 時 も 有 った わ、 遂 に 我 慢 で き ず に 両 親 に 相 談 し て 私 立 中 学に 転 校を さ せ て 貰っ たの 、 で も 私は 転 校で き た か ら 良 い わ、でも彼女は転校も出来ずに耐えたの、私は逃げたの、今でも悔やまれるの、 二 十 年近 く に も 成 る の に 思 い 出 す と 怒 りと 自 分 自 身 の 取 っ た 行 為 にス ト レス が 溜まって胃が痛くなるの、貴方は偉いわ悪を見逃さなかった・・ 私 は 何 時 も 思 う の 私 の よ う な 人 間 が 多 い か ら 虐 め 問 題 が何 時 まで 経 っ て も無 く な ら ない 、 逃 げ て は 駄 目 な の 、 で も ど う や っ て 当 た っ たら よ い か 解ら な い 、 貴 方 の 遣 り 方 が 良 い と は 思 わ な い け れ ど 、 こ れ も 一 つ の 方 法 よ ね、 でも 法 律 の 建 前 で は認 めな い ・・ ・・ 誰 か が 遣ら な けれ ば 成 ら なか った の 、 そ し て そ れ を 守 る 人 も居 な け れ ば 正 義 は 無 く な っ て し ま う と 思 っ た の ・ ・ ・ ・ 卑 怯 を し てし ま った私の罪滅ぼし・・勤めと考えたの」 「そうですか・・ありがとうご ざい ます、 気に入らなくな ったら言ってくださ い、何時でも出ていきますから、それまでよろしくお願いします」 「 馬 鹿ね 、 泣 い た り し て 、 大丈 夫よ 、 二 人 で 頑 張 り ま し ょ う 、 時 効な ん て 直 ぐ よ」 「・・・・・・」 「・・・・・・・」 「 ・ ・ ・ ・ そ れ か ら 、 お 姉 さ ん にお 願 い が あ り ま す、 何か 内 職を 探し て く だ さ い、何でもします」 「ええいいわよ、探すわ、ところで貴女のできる事って何、何が得意なの」 「 コ ンピ ュ ー タ ー が 専 門 で す、 コ ン ピ ュ ー タ ー の ソ フ ト が 作 れ ま す、 で もコ ン ピューターが無いから買えるまで何でもします」 貴 女 、 良 く 見 る と 結 構い い 女 ね 、 今 ま で 私 も 照 れ く さ い か ら 良 く 見 て い な か っ た け ど 髭 も 殆 ど 無い し 、 肌 も 白 く 滑 ら か だ し 、 こ れ で 本 格 的 に お 化 粧 し た ら 並 の女では勝てないわ、お化粧もしてみる」 「 い い え 、 と ん で も 無い 、 此 だ け で も 生 き た 心 地 がし な い の に 、 そ ん な こ と を したらショック死します」 「 フ フ ッ 、 い い わ 、 だ ん だ んと 行 き ま し ょ う 、 私 も 負 け た ら 心 中 穏 や か で は い られなくなるかもしれないし、今度にしましょう」 翌 日 土 曜 日、 千 登 世 は九 時 を 過 ぎ る と 、明 日 香 の 全 身 の寸 法 を計 った 後 に出 か けた。 十 一 時 に 、 両 手 に 大 き な 紙 袋 を 四 つ も 下 げ て帰 っ て き た 、 そ れ を 玄 関 に 置 く と 上がらずにそのまま又出かけた。 正 午 を 少 し 過 ぎ た 時 に 、 今 度 は 電 気 店 の 包 装紙 に 包 ま れ た 結 構 大 き な 箱 を 抱 え て帰ってきた。 「ああ、疲れた明日香、お水を頂戴」 額 に 大粒 の汗 を 吹き 出さ せ た 千 登世 は 如何 にも 疲 れ た 様 子 で 、 ぐ った り と椅 子 に座り水を要求した。 「はい、・・・・すごい汗、どこに行って来たのですか」 コップの水を一気に飲み干すと、額にタオルを充てて、汗をとりながら、 「明日香の衣類とパソコン」 「ええっ、パソコン」 「 そ う 、 パソ コ ン 貴 女 の 仕 事 道 具 よ 、 で も 女 の 子 な ら 、 パ ソ コ ン よ り 先 に着 る 物に関心を持つのが普通よ」 「 す み ま せ ん ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 高い 物 ・ ・ あ り が と う ご ざ い ます 、 頑 張 って で きるだけ早く返します」 明 日 香 は 、 ど う にで も 取 れ る 曖 昧 な 「 す み ま せ ん 」 の 言 葉 の 後 に 、 本 音 の こ れ で幾らかでも仕事ができる事への感謝の言葉を云わずには居られなかった 「それから・・・それも見て、合うと思うけど」 千 登 世の 指さ す 大き め の 二 つ の 袋 に は 、 パ ン ツ が 二 本 と 無 地 の 青 と 薄 茶 の ス カ ート、ティシャツ、タンクトップ、ブラウス、ネグリジェそれにショーツ五枚、 ス リ ップ と ブ ラ ジ ャ ー が 三 枚 ず つ 有 る 、 あ と ス ト ッ キ ン グ が 一 袋 、 ソ ツ ク ス が 三足入っている。 「それも、開けてごらんなさい」 目で示す、袋には白いパンプスが一足とサンダルが入っていた。 さらに、千登世が、 「最後の、その袋は何だと思う?」 「さあ、何でしょう・・軽いから帽子でしょうか」 「まあいい線行っているわ、開けてご覧なさい」 「エェッ、これは・・・・」 「 万 一 、 誰 か が 突 然 訪 ね て 来 た 時 や 、 ど う し て も 表 に 出 な け れ ば 成ら な い 時 に 付けてね」 「 そ こ ま で、 考 え て 頂 い て す み ま せ ん 、 散 財 さ せ てし ま っ て ・ ・ ・ ・ ・ あ り が とうございます」 中にはパーマのかかっていないさらっとした髪のカツラが入っている。 「それは、何時でも使える場所に置い て置 くのよ、それとも何時も付けてい る?」 「・・・・」 「いいわ、好きなようにして」 「・・・・」 「それから、貴女の化粧道具は夕方の買い物に出た時に揃える事にするわ」 はか そ の 日 の 夜 は 千 登 世 に化 粧 を 施 さ れ た 明 日 香 は 、 千 登 世 の 思 っ て い た 通 り と て も並 の女 では か なわ ない 艶 っぽ さを 表し た 、 絶 世 の美 女と は 行か なく と も何 度 か モ デ ル にス カ ウト さ れ た 経 験 の 有 る 千 登 世 で さ え 、 上 半 身 だ け で は 負 け て い るか なと 思ってしまう、立 たせれば ウストからヒ ップ にかけ た女の持ってい る 独特の線は無い、中身を知っている千登世には全身はやはり男を感じさせる[タ イトは穿せられないな]と心の中で呟く。 千 登 世は 明 日 香 が表 に出 た 時 に 、 他 人 に絶 対 見 破 ら れ ない よ う に す る 事 が、 イ コ ー ル 自 分 も 安 全 で 有 る 事 だ と 心 得 て い る 為、 明 日 香 の 男 の 部 分 を 消 し てし ま わなければと思っている。 「今晩から、貴女と私の安全のために、女に成りきって貰うわ、これから毎晩、 女 の 心 得 と 仕 草 そ れ か ら 人 へ の 接 し 方 、 考 え 方 を 教 え る わ 、 これ は男 性 に 接 す あら るよ り 女 が 女 に対 する 方がよ ほ ど 難しい わよ 、女は 同 姓 の 粗 を探し た くなるも のなの」 千登世が明日香を解放したのは時計の十二時を指す針だった。 し か し 、 二 つ の 寝 室 に 分 か れ て も 千 登 世に は明 日 香 が な か な か 寝 付か れ ず 寝 返 りを打っている様子が伝わってくる。 千登世がサイドテーブル上の時計を見ると午前二時を回っていた。 「明日香、一杯飲みましょうか」 起き出して明日香の室に声をかけると、 「はい」 明日香は直ぐにピンクのネグリジェ姿のまま出てきた。 「眠れない様ね、お酒が足らなかったかしら」 「 そ うで も無い の で す が、 どう も慣 れ ない 物を 着 てい るの で・・ ・ こ れ の 裾 が 直ぐ上がってきてしまうのです、それが気になって」 「そう、ごめんなさい、でも慣れて欲しいわ、きっと直ぐ慣れるわよ」 二人が取り留めのも無い話をしている内に、時間と共に明日香の酔いも深まり、 千 登 世 の 目 に は 整髪 を し て い な い 為 に 髪 が 前 に 垂 れ て い る 明 日 香 を 極 普 通 の 女 友 達 と 飲 ん で い る 様 な 感 じ がし て く る 、 そ れ に 動 き も 、 話 し 方 も ど こ と 無 く 男 性 的 で は 無 い よ う に 思え て く る 、 数 時 間 前 には 女 に す る の が 大 変 か な と 思 っ て いたのが意外と違っているのではと感じ始めている。 「 明 日 香 、 貴 女 さ っ き お 化 粧し てい る 間 結 構 楽 し ん で 居 た み たい だ っ た け ど 、 も し か し た ら 本 当 は こ う 云 う の 、 初 め て で は 無 い でし ょ う ・ ・ ・ ・ 今 も ど こ と 無く・・・」 明 日 香の 顔 は 、 見 る 見 る 赤 く な っ て き た 、 そし て 暫 く 間 を 置 く と 思い 切 っ た 様 に、 「 実 は 私 の 犯 し た事 に も 関 係 有 る の で す が 、 私 は 中 学 の 時 か ら 虐 め の 対 象 に 成 り始めました、その頃はさほど虐められている気はしていなかったのですけど、 私 を 脅し た り 、 腕力 を 振 る っ て い た 連 中 が 同 じ 高 校に 入 り ま し た ・ ・ ・ ・ 私 は そ の 頃 に 成 っ て も 髭 も生 え ず ひ 弱 な 体 付 き だ っ た の で 、 担 任 の 教 師 迄 、 お ま え は女っぽい・本当は男じゃないんじゃないのか、とからかわれました・・・・・・ あ る 時 、 隣 の 久 我と 変わ っ た ら ど う だ と 云 わ れ た の が 切 掛 け ・ ・ ・ ・ 久 我 と 云 う の は 声 が 男 っ ぽ く て、 胸 が 殆 ど 無 か った 女 性 で す ・ ・ ・ そ う だ お 前 達 二 人 服 を 交 換 し て み ろ と 同 級生 達 に 言 わ れ ま し た ・ ・ 皆 に 押 さ え つ け ら れ 無 理 や り 交 換させられてしまいました」 「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ すご い 、 嘘 み た い ・ 驚 い た わ ・ ・ 久 我 さ ん は どう し た の 、 ず う っと貴女と同じく我慢していたの?」 「 ・ ・二 日 間 は ・ ・ ・ で も 二 日 目の 昼 休 み に、 私 の 服 を着 た ま ま 居 な く な り ま し た 、 そ れ が 彼 女 を 見 た 最 後 と な り ま し た 、 噂 で は 退 学し た と か 、 転 校 し た と か 言 わ れ て は い まし た ・ ・ ・ ・ し か し 本 当 は そ れ か ら 三 週 間 後 に 自 殺 を し て し ま い まし た ・ ・ ・ ・ 私 が セ ー ラ ー 服 で 授 業 を 受 け る の は こ の 日か ら 開 放 さ れ ま し た ・ ・ ・ ・ し かし 、 私 は こ の 時 か ら 切 掛 け を 造 っ た 担 任 の 丸 金 だ け は 絶 対 に 許 さ ない と 誓 い まし た ・ ・ ・ ・ 何 時 か 久 我 の 分 迄 も 含 め て 復 習 し て や る と 誓 い ました」 「・・・・・・・」 「・・・・でも・・・」 「でも・・」 「・・実は・・・私は・・・・」 「どうしたの」 「 ・ ・ ・ ・ え え ・ ・ セ ー ラ ー服 の 自 分 をト イ レ の 鏡 で 見 た 時 ・ ・ ・ そ の 何 と 言 う か ・ ・ ・ 以 外 と 似 合 う と 云 う か ・ ・ ・ 結 構い い 気 分 に 成 っ てい まし た ・ ・ そ ん な 訳 で そ れ ほ ど苦 痛 で は 無か った の です 、 そ れ に そ の 間 は 叩 か れ た り 蹴 ら れ たりする事が無かったものでこのままの方がいいとさえ思っていました」 「そう、大変な経験をしていたのね」 「 ・ ・ ・ ・ そ れ か ら 、 大 学 の 四 年 間 は 何事 もな く 順 調 に卒 業 でき たの で す が 、 就職した先に高校時代の連中が居たのです、暫くしてから彼らが住んでいる寮 に 呼 ば れ 、 昔 セ ー ラ ー 服 で 授 業 を 受 け て居 た こ と を 会 社 の 噂 にし た く な か っ た ら、時々此処に来て我々を楽しませてくれないかと云われました」 「 一 応 は 一 流 と 云わ れ た 会 社 の 研 究 室 に 入 れ 、 辞 め た く な か った の で O K し て しまいました」 「そう」 「そうしたら、又始まってしまいました」 「始まった・・・女装・・」 「 は い ・ ・ ・ お 前は 、男 に し て おく の は も った い ない か ら 、 此 を 着 て サ ー ビ ス し ろ ・ ・ っ て 云 われ ひ ど く 短い ス カ ー ト 等 が 用 意 し て 有り ま し た 、 そ し て ひ ど く卑猥な下着迄有りました」 「卑猥・」 「下品な雑誌に載っている様なレースって云うのか・・そういうのです」 「わかったわ」 「その姿で買い物にも行かされました」 「・・・」 「 で も、 声さ え 出 さ な け れ ば 、 誰 に も 気 付 か れ ま せ ん でし た 、 時 々 す れ 違 う 男 が女性と間違って冷やかす位でした」 「・・・」 千登世は、もう相槌をする事さえ失いそうに成ってしまっていた 「・・・・・ もう、いい わ・と ても聞いて居ら れ ない 、ご 免なさい嫌な事を 思 い出させてしまって、寝ましょう」 とは、云ったものの、酔いはすっかり醒めてしまっていた。 暫く、お互いの顔を痴呆の様に見つめ有っている。 明 日 香 は 、 今 ま で 経 験し 歩 ん で き た 事 を 、 そし て 人 に 聞 か せ たら 異 常 と し か 思 わ れ な い 事 を 、 そし て今 の 自 分 を 、 感 情 を 正 直 に 話 せ 、 理 解 し て く れ る 相 手 に 巡り会えた事に感激し感謝している、又話せた事に興奮さえしている。 け 日 曜 日 は 結局 夜 が明 け て か ら 眠 り に 付 い た 為 に 、 玄 関 を ド ン ド ン と 叩 く 音 で 目 が醒めたのは昼をとっくに過ぎていた。 「うるさいな!!・・折角の日曜日に・はいはい・今行きますよ」 と眠気の醒めない頭で、千登世がドアーの覗き穴から外を見て驚いた。 「まずい・・妹だ・・・どうしょう」 静 か に後 ずさ り し 居 間 に 戻 ると 絶 望 を 感 じ る、 明 け 方 迄明 日 香と 飲 ん で い た 為 テ ー ブル の 上 は 散 ら か り 放 題 [ こ ん な 事 な ら 明 日 香 が 片 付 け てか ら 寝 る と 云 う のを止めなければ良かった]と後悔するが、取りあえず急いで着替える 相変わらず妹の麻知子が玄関で騒いでいる。 「お姉さん、居るのでしょう開けて」 明日香も起きる。 「貴女は部屋で静かにしていて、妹が来たの」 明日香の部屋を閉じると、玄関に出る。 「どうしたの、なかなか開けてくれないで」 「御免ね、朝迄起きていたものだから」 少々 短 気 な 気 の 有 る 麻知 子 は 、 怒 っ た様 に ド ア ー を 開 け た ま ま 千 登 世 の 脇 を 通 り抜けズガズカ入って行った。 「あっ、待って、部屋が散らかっているから・・・麻知子」 麻知子はお構いなしに居間に入る。 千登世は慌てて玄関を閉めると麻知子を追う。 「何・これ、お姉さんらしくない、食べ放し、飲み放し、しかも酒臭い」 麻知子はたまらないと云う顔で居間のガラス戸を開ける。 「麻知子・・いいわよ、表に行きましょう、もう下の喫茶店も開いているから」 「お姉さん、この部屋に誰か居るの?」 明日香の部屋を指さし、次に親指をたてる。 「馬鹿ね、居るわけ無いでしょう、さあ下へ行きましょう」 と麻知子の手を引っ張り玄関に向かう、麻知子は不信そうに後ろを振り向きな がら表に出る。 エレベーターの中で、 「やはり、誰か居たのね」 「居るわけ無いわ、何を云っているの」 「いいえ、居たそれも男」 「馬鹿何云っているの、私がそんなふしだらな女に見える」 千登世はうろたえた、続けて麻知子は、 「じゃぁ、戻ってみる・・・第一・お姉さん玄関に鍵掛けなかったもの」 麻知子はエレベーターを止めると一人で降り隣のエレベーターを呼んだ。 千登世は観念した。 「 分 か っ た わ よ 、居 た わ 、 で も 男 性 で は 無 い わ 、 事 情 が 有 っ て今 貴女 に 会 わ せ る訳には行かないけど、暫く家に置いて上げる事にしたの、だから堪忍して・・・ 今日は下の喫茶店で話をしたら帰って」 麻知子は[やっぱり]と云う顔をして戻ってきた。 「そうか・・そう云えばそうだね、男だったら、お姉さんの寝室だものね」 「まぁ・・・何云うの・・」 「 で も、 あ の 空 気 は 女 と は 違 う 感 じ だ っ た け ど な ぁ ・ ・ ・ ま あい い か 男 で も 女 で も 、 人 間 嫌 い の お 姉さ ん が家 に泊 め る 友 達 が で き た の は 、 私 だ け で な く お 父 さんもお母さんも喜ぶよ」 「一寸待って、さっき云ったけど事情 が有るの、だからお父さんとお母さんに は云わないで」 麻 知 子 は 姉 の 千 登 世 と は 六 歳 違 う 、 性 格 は 正 反 対 で 千 登 世 の 内 気 に 対 し て外 向 的で沢山の友人を持っている、男性からもだいぶ持てる。 昨 年 の 十 二 月 に 社 員 が 1 5 0 人 程 の 会 社 社 長 の 御 曹 司 と 恋 愛 結婚 を し て 今 幸 せ の絶頂期に有る。 学 生 時 代 の 成 績 は 千 登 世 も 悪 く は 無 か った が 、 麻 知 子 は 何 時 も学 年 で 十 番 以 内 に 居 た 、 し か し 千登 世 と 違 っ て 麻 知 子 が 勉 強 し てい る 姿 を 千 登 世 は 全 く と 言 っ て良いほど見たことが無かった。 殆 ど 感 で 人 生 を 送 っ てい る の で は な い か と 千 登 世 は 思 っ て い る 、 そ れ ほ ど 麻 知 子は感が鋭い、それを理論で補うから外れる事は滅多に無い。 [ 明 日香 を早 く 女にし てし まわ なけ れ ば、 危な く て仕 方な い 、 特 に一 番 多く 訪 ねてくる麻知子対策を考えなければ]と千登世は考えていた。 それから一ヶ月半程は何事もなく順調に日々が過ぎて行った。 明 日 香 の 仕 事 も 、 千 登 世 の 友 人 か ら ワ ープ ロの 仕 事 と 簡 単 な コ ン ピ ュ ー タ ー ソ フ ト の 仕 事 が 貰 え る 様 に 成 っ た 為 に 月 に 7 万か ら 十 万 は 稼 げ そ う な 状 況 に 成 っ ている、明日香の住は兎も角として衣食では千登世の負担は無くなっている。 明 日 香 の 女 っ ぽ さ も だ い ぶ 板 に 付 い て き た 、 腰 を 屈 め る 時 な ど 膝 を 揃 え てい る し、あくびも手をそえてやっている 白い レースの 付いたエプ ロ ンをし て台 所に立 っ ている 時な ど初々 しい 若 奥様 そ のものである。 だが例の一件、明日香こと吉岡の事件は相変わらず下火に成っていない、週刊 誌の特集も多く「その後の虐の問題は?」 [教育現場は変わってきている] [日々 怯 え る 虐 め を や っ て い た 者 達 ] 等と 吉 岡 の 罪 を 追 求 す る よ り 、 吉 岡 の 取 っ た 行 動 が 歪 ん だ 社 会 に 投 じ た 一 石 の 効 果 と し ての 方 が 市 民 レ ベル で の 関 心 は 大 き い 、 新聞の投稿欄等でも吉岡の行動を直接賞賛したり賛美する者こそ居ないが、 [学 校に行きたがらなかった娘が・息子が積極的に行くように成った] [服のボタン が取れていたり、汚して帰る事が無くなった] [子供が学校の話をしてくれる様 になった]学校側からは[生徒の言葉遣いが良くなった様に思う] [教師同士の 情報交換や各種問題に協力して対処する姿勢がみえる] [いじめ問題に悩んでい た 当 校 も 教師 側 と 生 徒側 か ら ほ ぼ同 時 に 弱 い 者 を 助け よ う 運 動 が 起 っ た ] 等 々 で三分の二は埋められている。 何と 云っても人に苦しみを与えた者に取っては忘れること ができ ても、苦し み を 与 え ら れ た 者 は 忘 れ よ う に も 忘 れ ら れ な い 、 こ れ が 集団 で 有れ ば な お さ ら 極 端に成る。 こ れ は 国 際 問 題 で も 同 じ で 日本 人 は 加 害 者 の 意 識 の 有 る 者 等 、 国 民 全 体 で 見 れ ば 殆 ど 皆 無 に 近 い が 、被 害 者の 韓 国 、 中国 人 等 は 与え ら れ た 苦痛 を彼 ら 国民 全 体 の 物と し て 世 代 の 代 っ た 今 で も 忘 れ てい な い 、 韓 国 な ど は 豊 臣 秀 吉 へ の 恨 み を 未 だ に 忘れ て い な い と さ え 聞 く 、 こ れ は 見よ う によ っ て は 国 の リー ダ ー 達 の 策に見えない事も無いが、しかし事実を隠し通したり、歪曲する事はできない。 ちまた 自 分 さ え 被 害 が 無 け れ ば 、 他 人 の 苦 痛 は 見 て見 ぬ 振 り の で き る、 い や 弱 い と 見 れ ば 何 時 でも 加 害 者 に成 れ る日 本の 国 民 に 、 吉 岡 が教 授し た と 言 って も 過言 で は 無 い く ら い の 功 績 が 有 る と 思 っ て い る、 表 だ っ て 口 に は で き な い が 、 評論 家 は基より政治家でも絶賛している者が結構居ると云われている、おそらく 巷 で は そ れ 以 上 に 英 雄 視 さ れ て い る に違 い な い 、 そ れ で な け れ ば 新 聞 雑 誌 が こ う 何 時 ま で も 取 り 上 げ る 筈 が な い と 千 登 世 は 思 っ て い る、 し か し 明 日 香 に は 話さ な い。 十 二 月 の 声 を 聞 く 頃 に 成 る と 千 登 世 の 帰 り が遅 く な っ て き た 、 十 二 時 を 過 ぎ る 事も有る。 明 日 香は 表 に 出 ら れ ない だ け、 千登 世 の帰 り が 待 ち 遠 し い 、 し か し 帰 っ てき た 千 登 世 は アル コ ー ル が 入 っ てい る事 が 多い 為 に 殆 ど 話 し 相 手 に な ら な い 、 生 返 事が十五分と持たない、居眠りが始まる、千登世をベッドに運ぶと食卓に戻る、 明 日 香 に は 上 着 と ス カ ー ト は 脱 が せ る 事 が でき て も、 そ れ 以 上 は 男 の 部 分 が 目 を覚ますのが恐い為、全ての着替えをさせる事はまだしていない。 こた 明 日 香 は 髪 も 大 分長 く な っ て き て 、 カ ツ ラ が 無 く と も 今 の 服 装と そ う 違 和 感 が 無くなってきた。 最 近 は 思 い 切 っ て散 歩 に 出 て み よ う か と さ え 思 い 始 め てい る 、 何 と 言 っ て も 七 つぶや 月から半年間玄関から一歩も出ていないのはさすがに堪えてきている。 十 二 月 に 入 っ て か ら は 喋 る 事 も 殆 ど 無 い 為 、 最 近 は 掃 除 を し てい る 時 等 ふと 刑 務所の方が人間らしいのではと考える事が時々有る。 十 二 月 半 ば の 今 夜 は 千 登 世 もい つ も よ り 幾 ら か 早 い 、 し か し 連 夜 の 疲 れ か 又 ソ ファで肘掛けに片肘をかけコックリしている。 千登世に毛布掛けると明日香は口の中で[少しだけ散歩してこよう]と 呟 き千 登世の温もりの残るオーバーコートを羽織ると玄関に出た。 玄関の鏡では髪は少し短めだがどう見ても本物の女である。 「口紅でも付けると完璧だ・・・」 し か し、 余り遅いの もまずいと 思っている明日香にはその 時間も惜し く 表に出 た。 幸 い 、 通 路 で も エ レ ベ ー タ ー で も 誰 に も合 わ ず に 一 階 の エ ン ト ラ ン ス 迄 こ ら れ た。 広 場 に出 ると 、 わず か 半 年 ぶり に見 た広場 が[ こ んな に広 か ったか] と 思え る 程に広々と感じられる。 胸 一 杯 に 吸 い 込 んだ 空 気 が 美味 し い 、 コン ク リ ー ト ジ ャン グ ル の 中な の にこ の 美 味 し さ は 、 天 空 に 眩し く 輝 く 十 三 夜 の 月 が 清 め 味 付 け し て く れ てい る の で は と、明日香には感じられた。 膚 を 刺 す 様 な 冷 気 も 明 日 香 に は 少 し も 寒い と は 感 じ な い 、 大 空 に 解 き 放 さ れ た 篭の鳥の心境を満喫している。 千登世が何時ものベッドの心地よさとの違いにふと目を覚ます。 い つ もは 明 日 香 が服 を 脱 が し て く れ て い る の に 、 今 晩 は服 も その ま ま 第 一 ベ ッ ドではない。 「明日香・・明日香・・・どこに居るの・明日香」 千登世が回りを見回しても明日香の居る気配が無い。 我 に 返 っ た 千 登 世 が 玄 関 を 覗 く と 扉 に 鍵 が 掛か っ てい ない 、 あ わ て て シ ュ ズ ボ ックスを開けて見るとたった一足の明日香の靴が無い。 「出かけた・・・・・何てことを」 千 登 世は 廊 下 に 掛け て 有 る ハ ー フ コ ー ト を 持つ と 飛び 出し た 、頭 の 中 で は [ も し 誰 か に 見ら れ たら !! ・ ・・ 見ら れ て も 警 察 に だけ は・ ・ ああ神様 ・ ・・ 人 混 み の 中 に だ け は 行 か な い で ね ・ ・ 悪 か っ た わ 、 居 眠 り な ん か し てご 免 ね 、 毎 日ですものね]反省と祈りで千登世の胸は一杯に成っている 広場に出るとブランコに座っている明日香が直ぐ目に入った。 安堵が一度に襲ってくる、その反動で怒りがこみ上げてくる。 「明日香」 ビ ッ ク と し て 身 体 が 一 瞬 硬 直し た 明 日 香 が 振 り 向 く 、 そ の 不 安 そ う な 目 を 見 た 途端に千登世の怒りは引っ込み、 「ご免ね・・・毎日寂しい思いをさせて」 鎖をつかんでいる明日香の手を取ると、手は氷の様に冷たい。 「・・・・・・・」 言葉にならない、しばらく無言で手を握って暖める。 千 登 世は 明 日 香 の 手 に温 も り が 少し ず つ戻 るの を 感 じ な が ら [ 思 い 切 っ て人 前 に出して見よう]と思い始めていた。 「一杯飲みに行こうか・・二人の忘年会もしなければね」 千 登 世 は 明 日 香 を駅 の 近 く に あ る 倒 産 し た フ ァ ミ リ ー レス ト ラ ン の 後 に でき た 居酒屋に連れていった。 居 酒 屋 と 云 っ て もあ の 大 き な フ ミ リ ー レス ト ラ ン がス ペー ス を そ の ま ま 、 装 飾 だけ を居 酒屋 風 に入れ替え ただけの 店である、 こ こを何時 も満員にし て置く た め に は 誰 で も 入 れ る 店 即 ち 安 く 、 そ れ でい て美 味 し い 事 が 条 件 と な る 、 こ こ は 店 員 の マ ナー も 良い 為 に 時 間 帯 によ っ ては 入口 で 暫 く 待 た な け れ ば 入 れ ない 事 もしばしば有る。 千 登 世 は 明 日 香 が 来 る ま で は 食 事 を 作 る 事 が億 劫 な 日 は 会 社 帰 り に 時 々 寄 っ て い た 、 何 時 も な ら 閉 店間 際 の 今 頃 は 比 較 的 す い てい る 時 間 帯 だ が 、 今 日 は 忘 年 会 の 客 で 満 席 に 近 か った 、 し か し 幸 い 六人 連れ の 客と 入れ 代 わ り に一 番 奥 の 席 に座れた。 明 日香を壁に向かって座ら せた、千登世は明日香に近づく 者を監視でき る奧に 座る。 明 日 香 は 半 年 の 間 、 千 登 世 か ら 少し で も男 っ ぽ さ が 出 る と そ の 都 度 注 意 を 受 け 何 度 も 繰 り 返 し 練習 さ せ ら れ て き た 、 ゲ イ の よ う に オ ー バ ー な 仕 草 は 絶 対 に 禁 止もしてある。 千登世は熱燗を明日香の酒猪口に注ぎながら、 「 こ れ か ら 時 々 こ ん な 機 会 を 作 ら な け れ ば ね ・ ・ 貴女 も気 が 変 に な っ て し ま う かもね」 「・・・・・」 「このところ毎日、辛かったでしょう、ご免なさいね」 「・・・・」 「 さ っき か ら 飲 む ば か り ね 、 大 丈 夫 よ 、 少 し は 話 し な さ い 、 そ ん な に 緊 張し て いると返って変だわ」 明 日 香は 、今 で は姿 ・形 は まず 見破 ら れ な い 自 信 は で き て い る が 声だ け は 変 え る 事 が で き な い 為、 恐 く て 口 を 開 く 事 が で き な い し 、 誰か に 話し か け ら れ た ら ど う し ょ う と 考 え る と 緊 張 を 解 く 事 も でき ない 、 た だ 飲 み ・ 食 べ 、 千 登 世の 話 に頷くだけで有る。 し か し 、 声を 出 さ な く と も 並 み 以 上 の 美 女 がこ ん な に 遅 く 、 た っ た二 人 き り で 飲んで居れば他の客の注目を浴びない訳がない。 時 々 [ こ っ ち で 、 一 緒 に 飲 ま な い ] と か[ そ っ ち へい って も い い ] 等 と の 声 が 掛かってくる、無視をしているが中には堂々と二人のテーブル迄来て、 [どうで すか、迷惑でなければ我々とご一緒させていただけませんか]と言う者迄居る、 千登世が、 「困ります、又次の機会にお願いします」 と断ると、 「そうですか、残念だなあー、この近くにお住まいですか」 「そうです」 「じゃ、次のチャンスを楽しみに待っています、失礼しました」 と、返っていく青年を目で見送りながら、 「 明 日 香 、 あ れ が 一 番 気 を 付 け な け れ ば な ら な い タ イ プ よ 、 貴 女 も男 性 心 理 は 充 分 心 得 てい る でし ょ う け ど 賢 い 女 は 見 抜 い て い る の よ 、 彼 ら は 手 形 を 取 っ た 積 も り で 居 る で し ょ う け ど 、 次 ぎ に 合 った 時に 、 簡 単 に 受 け 入れ るの は 尻 の 軽 い女よ」 「結構、紳士的な青年に見えましたけど」 「 ウ フフ 、 や っ と 口 を開 い たわ ね、 貴 女 も 女 に な っ た よ う ね 、 全 然 見 て い な か しっ ったみたいだけど確かり見ていたのね」 最後の方は声を落として明日香をからかった。 「そんなァー」 顔を赤らめた明日香は殆ど女である、千登世は満足している。 店員が[ラストオーダーです、何か注文が有りますか]と聞きに来たる。 「貴女、お茶漬けでも食べる」 千登世が明日香に聞く、 「・・・・」 明日香はあわてて無言で首を横に振る。 「いいわ、これで終しまいにするわ、ありがとう」 「そうですか、ありがとうございました」 店員が他の席に移って行く後ろ姿を見ながら千登世は、 「折角、他人の前で声を出せるチャンスを与えて上げたのに」 「 困 りま す、 もし 分か っ た り、 不信 がられ たりし たら どう し ます 、 私 に はそ ん な自信有りません」 「 大 丈 夫 よ 、 慎 重 な 私 が O K を 出 し て い る の だ か ら 、 も う 一 度 チ ャン ス を 上 げ るわ」 「ここのお勘定貴女が払いなさい、はい」 と財布を明日香の前に置いた。 「ダメです、できません」 「 遣 り な さ い 、 練習 よ 、 前 に買 い 物 に 行 っ た 事 が 有 る と 言 っ た わ 、 経 験 が 有 る のだから大丈夫」 「 ・ ・ で も・ ・ あの 時と 状 況 が 違 い ま す 、 そし て あの 時 は 口 を 訊 か な く て も で きるところです・・お願いです」 「だめよ、何時かはしなければならないの」 「・・・・・・」 「表で待っているわ」 と千登世は立ち上がり出口に向かった。 明日香は仕方無しに財布を手に取ると千登世の後を追う。 し か し 、 帳 場 に は 誰 も居 な い 、 う ら め し そ う な 明 日 香 の 顔 を 千 登 世 は ガ ラ ス 超 しに見ている、暫く待つが誰も来ない仕方無しに伝票を振りながら、 「おねがい」 と 蚊 の 鳴 く よ う な 声 で呼 ぶ が 店 員 は 気 が 付 か な い 、 し か し 出 入 口 に近 い 席 で 飲 んでいた五十過ぎの三人連れ職人風の男性が、 「オオーイ・・勘定だよ」 と大きな声で叫んでくれた。 明日香は思わず、 「ありがとうございます」 大きな声で礼を言い、頭を下げた 「なぁーんだ、声が出るんじゃないの、ちょっと男っぽいけど」 と店員を呼んでくれた男性が言う、明日香は口を押さえた、 「冗談、冗談、アハハハ・・・可愛いから一寸からかったんだ、すまない」 明 日 香は 勘 定 済 ませ ると 三 人の 男 性 に ピ ョ コ り と 頭 を 下げ 逃 げ る よ う に 表 に 出 た。 千登世は、 「ね、できたでしょう、声だってハスキーで結構魅力的よ」 「・・・・・・・」 「あら、怒っているの」 「怒って何かいません」 「怒っているわ」 「 ・ ・ ・ で も 、 あ ん ま り で す、 急 に ・ ・・ 前 に 言 っ て おい て く れ れ ば そ れ な り の覚悟ができました」 「おおげさね、覚悟だなんて・・でも悪かったわ、ごめんなさい」 「いいのです・私も自信ができました、そう言う意味では感謝しています」 「・・・・・・今日は色々あったわね」 「そうですね、遣って見るものですね」 「チョット、どういう意味・・・・もうあんな真似は御免だわ」 「あんな真似って」 「一人で家を出て・・私心臓が止まる位驚き、心配したのよ」 「すみません、もうしません」 「よろしい」 「でも、ちょっぴり自信が付いたから・・・」 「なんですって・・こらっ・・・」 「ヘヘヘッ・・嘘です、もうしません・本当です」 と言って走り出した明日香を、千登世は目を細めて嬉しそうに見つめていた。 1 2 月 最 後 の 土 曜 日 , 千 登 世 は 相 変 わ ら ず 毎 夜 遅 い 帰 宅の 為 、 昼 近 く に 成 っ て も起きて来ない、明日香が空腹に耐え兼ねて千登世の寝室の外から、 「 朝 で す よ 、 違 い ま す お 昼 で す よ 、 お 昼 で す よ 、 今 起 き な い と 日 曜 日 の 朝に 成 ってしまいますよ」 声を掛けると、千登世は、 「今何時・・」 「後、5分でお昼十二時ですよ」 「大変・・・お昼に麻知子が来る事に成っていたんだわ」 「麻知子さんて、妹さんの」 「そう、妹の麻知子よ」 そ う い え ば 、 明 日 香 が 此 処 に 来 て 直 ぐ に 訪 ね て き た 事 が 有 っ た け ど其 れ 以 後 半 年間来なかった為、明日香は千登世に妹が居る事さえ忘れていた。 「 貴 女 、 悪 い け ど 一 階 に サ ン ズ と 云 う 喫 茶 店 が 有 る の 、 そ こ に 行 っ て い て呉 れ る」 「・・・・・この格好で」 明 日 香 は 千 登 世 の 着 古 し た 赤い セ ー タ ー と 緑 色 の パ ン ツ に 黄 色 の エ プ ロ ン を 掛 けている。 「 少 し お かし い け ど エプ ロ ン だ け 取 っ てこ の オ ー バー コー ト を 羽 織 っ て い れ ば いいわよ」 明日香にコートを渡すと強引に玄関を開け追い出した。 明 日 香 は 仕 方 な く エ レ ベ ー タ ー 室 に 向 か う と 、 エ レ ベ ー タ ー 室の 窓か ら 顔つ き が千登世に似た女性が降りるのが見えた。 明 日 香は 本 能 的 に 回 れ 右 を し 、 今 来 た 通路 を戻 り 、 も う 一 つ の 遠 い 方 の エ レ ベ ー タ ー 室 に 向 か う 、 や は り 麻知 子 の 様 で あ る こ ち ら に 向か っ て 来 る 、 久 し ぶ り の 姉 と 遭 う の が 嬉し い の か 足 ど り は 軽 や か で明 日 香 に は 踊 り の ス テ ッ プ に さ え 聞 こ え る , そ ん な 足 音 を 聞 く と 大 事 な 母 を 取ら れ た よ う な 錯 覚 に 成 り 嫉 妬 さ え 覚える。 足 音 が止 ま る 、 明 日 香 は タ イ ミ ン グ を 見 計 ら っ て 後 ろ を 振 り 返 る と 、 や は り 麻 知 子 で有る、今明日香の 出 てき たド アーの 前に立 ちインタ ーホン に向か って話 している。 直 ぐ ド ア ー が 開 か れ 麻知 子 が 何 の 躊 躇 迷い も 無 く 中 に 吸 い 込 まれ てい く 、 再 び ドアーが閉められる。 静 寂 と 共 に明 日 香 は 言 い 様 も な い 心 の 動揺 に襲 わ れ る 、 先 日 の 件 が 有 る ま で 半 年 間 一 歩 も出 た こと の な い 、 自 分の 臭 い が 本当 の 持ち 主 を も 凌 ぐ 位 に 染 み込 ま せ た 巣 が 強力 な 天 敵 に襲 わ れ た よ う な 気 持 ちと 、 何よ り 大 切 な 自 分だ け の も の と思っていた母親を取られ、自分は追い出された様な感情に襲われる。 しばらく、動くことのできない明日香を我に返らせたのは、 「おねえちゃん、どうしたの」 「エッ・・・」 父親らしい若い男性と手をつないだ三・四歳位の女の子に声をかけられた。 めまい 「・・いいえ、何でもないの、ちょっと目眩がしたから立ち止まっていたの」 「大丈夫ですか、この階の方ですか」 「はい・・いいえ・・・・・」 今度は父親が訪ねた、明日香は返事に詰まった。 「良かったら、そこが私たちの所ですから、休んで行かれたらどうですか」 「はい・・ありがとうございます・・でも結構です、もう大丈夫です」 きおつ 「そうですか、では注意けて」 「はい、ありがとうございます、失礼します」 二人から離れると、 「バイバイ」 明日香が振り向くと女の子が手を振っている、明日香も小さく手を振り、 「さようなら」 と笑顔を見せると、嬉しそうに更に大きな声で[バイバイ]と手を振る。 明 日 香 がエ レ ベ ー タ ー 室へ 曲 が る 手 前 で 見送 っ てく れ て い る二 人 に 頭 を 下 げ て 、 やっと視線から解放されると、冷や汗が吹き出した。 [変なこと言わなかっただ ろ う か ? 変 に 思 わ れ な か った だろ う か ? ] な に を 話 し た の か 思 い 出 そ う と す るが何も思い出せない。 麻知子が恨めしく、そして情けなく成ってくる。 喫 茶 店サ ン ズ の 椅 子 に腰 を 下ろ し た 時 には 疲れ が ド ッ と 出 た 、頭 の 中 は 真 っ 白 に成っている。 ウ エ イ ト レ ス に [ ホ ット コ ー ヒ ー ] と 半 分 無 意 識 に 注 文 を す る と 暫 く 放 心 状 態 が続く。 暫 く し て 、 と は 云 っ て も 明 日 香 に は ど の く ら い の 時 間 が経 っ た の か 意 識 は な い が 、 回 り を 見 る と 老 人 か ら 高 校 生 位 の 若 い 人 々 で 席 が 埋 ま っ てい る 、 そ し て 殆 ど が 男 女 の カ ッ プ ル であ る 、 そ の 為 か 明 日 香 に は ま る で 関 心 が 無 い 、 お 陰 で 気 持ちの余裕が出 て来た明 日 香が もう 一 度回りを 見 渡すと他の二人ずれの 客が 座 っ て い る の は 対 面 す る二 人 用 の 席 で 有 る が 明 日 香 の 座 っ て い る の は 四 人 用 席 で 有る 「アアッ、どうしよう」 と小さく呟くが空いているのは四人席が他に一つだけである。 こうなると居心地は極端に悪くなってくる。 [コーヒーを飲んだら早めに出よう]とポケットを探る。 「アア、最悪・・お金が無い」 も [コーヒーを断って出よう]と立ち上がると、悪い時は悪い事が続く物で、 「トイレですか?」 「・・・」 後ろを振り返るとウエイトレスがコーヒーを持って立っている。 「トイレは奥の左側です」 「あっ・・ありがとう・・・」 明 日 香は 行き た く も ない ト イ レ に入 る と 、 ト イ レ には 閉 ま っ ては い る が 、 人 間 が充分通り抜けられる位の大きな窓が有った。 ド ア ー に背 を 保 た れ な が ら [ あ の 窓 か ら 逃 げ て し ま お う か な ・ ・ ・し か し 、 顔 を 見 ら れ てい る か ら 二 度 と 表 に は 出 ら れ な く な る ・ ・ ・ 警 察 に 通 報 で も さ れ 指 紋 を と ら れ れ ば この 辺一 帯 は し ら み つ ぶし に調 べ ら れ て し ま う ・ ・ あ あ ・ ・ ど うしよう] 明 日 香 は ど う 考 え て も逃 げ る の は 得 策 で は 無い と 考 え [ こ う な っ た ら 千 登 世 が 来るまで待とう]と結論を出す、洗浄水を流してトイレから出る。 覚 悟 を 決 め た 明 日 香 は 新 聞 と 女 性 週 刊 誌を 一 冊 雑 誌 棚 か ら 取 る と 冷め 掛 か っ た コーヒーの有る元の席に陣取った。 新 聞 を 一 通 り 読 み 終 え る と 、 女 性 週 刊 誌を 広 げ た 明 日 香 に 取 っ て は そ の 雑 誌 の 存 在 は 知 っ て い た が 初 め て 開 い た 、 千 登 世 が 偶 に 買 っ てく る 週 刊 誌 は ビ ジ ネ ス マ ン と 云 っ て も 可 成 りの 地 位 に 有る 人 達が 読 む 堅 い 記 事 の 物 で あ る、 し かし こ の週 刊誌はすご い、セックスの 記事 それに芸能人と皇 室の 話題で五分の 四を占 めている、五分の一の中に明日香事吉岡克夫の記事が載っていた。 今 年 の 十 大ニ ュ ー ス の 六 番 目 に [い じ め 問 題 に 一 石 を 投 じ た 事 件 ] と し て書 か れていた。 内 容 は ま だ 見 つ か っ てい な い 容 疑 者 吉 岡 克 夫 二 十 三 歳 は 高 校 時代 の 担 任 教 師 一 家 三 人 を 惨 殺 、 又 会 社 の 同 僚 女 性 一 人 を 含 む五 人 全 員 の 手 足 の 指 全 て を 切 断 す る事件を起こした。 原 因 は 高 校 時 代 か ら 虐め の 対 象 で 有 っ た 容 疑 者 を 会 社 に 入 っ てか ら も 虐 め 続 け た 為 と 思 わ れ る 、 又 殺 害 さ れ た 教 師 は 其 れ を 見 逃 し 、 時 に は 加 担 ま で し てい た の で 一 番 残酷 な 私刑 を 受 け た。 し か し こ の 事 件 の お 陰 で 全 国 の 小 中 高 校 で 行 わ れ てい た 虐 め 問 題 が 大 分 消 え た。 行 為 は 決 し て許 さ れ る 事 で は 無 い が、 時 に は 犠 牲 者 が 発 生し て社 会 の 秩 序 が 結 果 的 に保 た れ る 事 が 有 る。 人 間 は 愚 か である、愚か な社会 で教育を受けてい た容疑者吉岡克夫は最 大の 犠牲者かもし れない。 と結ばれている。 明日香には、吉岡克夫は良いことをしたとも解釈できた。 何度も読み直し てい る内 に他の週刊誌にも載っているのではと大きな 興味が湧 い て き た 、 雑 誌 棚か ら 更 に 3冊 の 週 刊 誌を 持 っ て き た が 新 年 特 集 号 に 成 っ て い て、吉岡の記事は載っていなか った、たまたま女性誌は前号が棚に残されてい た様である。 明 日 香 に は 新 年 号 の 週 刊 誌 を開 い て は 居 る が、 内 容は 頭 に 入 ら な い 、 た った 十 行 足 ら ず の 記 事 で は 有 っ た が 自 分 の 事 と な る と そ の 印 象 は 強 烈 で あ る 、 僅か な 活字が過去の出来事を思い出させるには十分で有った。 事 件 当 夜 の 事 、 更 に 高 校 時 代 に 迄さ か の ぼ っ て 色 々 な 出 来 事 が 走 馬 燈 の 様 に 頭 の中を駆けめぐっている。 「ごめん」 千登世が明日香の前に座った、続いて麻知子が、 「こんにちわ、初めまして麻知子です」 とテーブルの脇で挨拶した。 明日香はあわてて立ち上がり、 「どうも、あす・・・よし・・」 と口ごもり、救いを求める目で千登世を見る。 「いいわ、明日香で、二人とも座りなさいな」 「 初 め て お 目 に 掛か り ま す 、 吉 岡 で す 、 お 姉さ ま には 大 変 な 面 倒 を お 掛 けし て います、済みません」 続けて小さな声で、 「明日香として過ごしています」 と初めてまともに挨拶ができた。 麻知子は、明日香の目を見たまま頭を少しだけ下げた。 「 姉 か ら 、 事 情 は聞 き ま し た 、 私 も 今 は 動 転 し てい ま す 、 何 を 話 し て 良 い か 分 か り ま せ ん が 、 一 度 は お 会 い し て お か な く て は と 思い まし て 一 緒 に 付 い て き ま した」 「・・はい」 「 妹 の 私 と し て は 、 こ う 云 う 関 わ り は 持っ て欲 し く は 有 り ま せ ん が・ ・ ・ 姉 が 決 め た 事 で す ・ ・ ・ こ れ 以 上 は 何 も 言 い ま せ ん 、 姉 は 優し い 人 で す ど う か 姉 の 人生を後悔させる事だけはしないで下さい」 「・・はい・・すみません・・申し訳なく思っています」 「おねがいです」 「はい・・」 麻知子は、涙をポロポロ流しながら明日香に訴える。 千登世も明日香も言葉が出ない、特に明日香は[千登世の人生を後悔させるな] と 言 われ て も 、 これ から 十 年 以 上今 の 生活 を続 け る に は 余 り に も 人 間 の 寿 命 は 短 い 、 間 違 い な く 千 登 世 の 女と し て も 人 間 と し て も一 番充 実 し て い る 年 代 を 奪 う の だ か ら 、 千 登 世 は 許 し てく れ て も 、 明 日 香 の 良 心 にと っ て は 堪 ら な く 苦 し い 、 たと え 今 自 首 し て も 或 い は こ こ か ら 消 え 去 っ てし ま っ て も、 千 登 世 の 人 生 に 大 き く 割 り 込 んだ 事 に 代 わ り は 無 い 、 千 登 世 の 歴 史 に 多 大 な 影 響 を 残 し て し まう。 「私、これで帰ります」 麻 知 子 は 、 こ れ 以 上 此 処 に い る と 何 を 言い 出し 、 何 を す る か 分か ら な い 、 麻 知 子のギリギリの所で理性が感情を押さえ最善の方法を取った。 残 さ れ た 千 登 世 と 明 日 香 に は 沈 黙 が 続 く、 この 沈 黙の 間 に 千 登 世 と 明 日 香は 考 える事が180度違っていた。 千 登 世 は ど ん な こ と 事 が 有 っ て も明 日 香 を 守 ろ う 、 こ れ は 部 屋 で 麻知 子 と 二 人 だけで話し合っていた時から少しも変わっていない考え方で有った。 し か し、 明日 香 は今 自分 が 消え 去れ ば 千登 世に は まだ まだ 取 り返 せる、 豊か な 楽 し い 人 生 が 残 さ れ てい る 、 さ て ど ん な 形 で 消 え れ ば 良 か ろ う ・ 自 殺 ま た は 自 首それとも逃げられるだけ逃げるのが良いか、頭の中を駆けめぐる。 「貴女何考えているの、私の前から姿を消そうと思っているでしょう」 「・・いや・・いいえ・・そんなこと」 「 そ う よ 、 私 の 前か ら 姿 を 消 す の が 思 い や り だ な ん て 考 え て い た ら 大 間 違 い だ わ 、 私 の 今 ま で の 苦 労 は ど う な る の 、 そし て明 日 香 ・ 貴 女 も 頑 張 っ て 来 た の で し ょ う 、 貴 女 の し た 事 は ミ ク ロ で 見 れ ば重 大な 事 よ 、 で も マ ク ロ で考 え れ ば 偉 大 な 功 績 が 有 っ たの 、 前 に も話 し た け ど、 私 は 法 律よ り 大 事 な 事 が 有 る と 思 っ て い る の 、 そ し て誰 か が し な け れ ば 成 ら な い 事 が 人 の 世 に は 有る と 思 っ て い る の、それが結果的に生涯を掛けることになってもよ」 「・・・・・・」 「 だ か ら 、 馬 鹿 な 事 を 考 え る の は止 め て、 麻知 子 だ っ て理 性 で は 分か っ てい る の 、 だけ ど感 情 が・ ・ ・ 女 には 理論 ・ 理 性 よ り 感 情 が 勝 っ て し ま う 事 が 良く 有 るの、後で考えると恥ずかしくて穴に入りたく成る程の事が」 「・・・・・・・・・・」 「分かったわね、軽はずみな事を考えては駄目よ」 一年を過ぎると、報道機関の虐めに対する記事 は殆んど無く なって来た、しか しこれを待っていたかのように吉岡克夫の捜査が強まった。 そ の 方 法 の 中 で 一 番 明 日 香 と 千 登 世 を 怯え さ せ た の が 駅 や レ ス ト ラ ン 等 に写 真 付きで指名手配の張り紙が出た事である。 特 に 交 番 の 掲 示 板 に は 女 性 に 変 装し て い る か も し れ な い と 言 う 事 で 合 成 写 真 ま でセットで掲示してある。 其 の 写 真 は長 い 髪 に 睫 毛 近 く で カ ッ ト し た 姿 で あ る 、 明 日 香 の シ ョ ー ト カ ッ ト で お で こ を 広 く 見 せ てい る 姿 と は 大 分 異 な る が 本 物 の 写 真 を 基 に し て い る た め 良く似ている。 それは注意深く見れば今の明日香の姿でも直ぐ分かる写真である。 し か し 、 明 日 香 は 千 登 世 に 改 め て感 謝 し た 、 本 物 の 女 に近 く 成 る 為 に し ぐさ 動 作 か ら 話 し 方 そ し て 思 考 ・ 考 え 方 の 行 程 に 至 る ま で 充 分訓 練 を し た 、 そ の 基 本 は絶対に男が女装していると感じさせない事であった。 普 通 の 人 間 が 考 え る の は 、 公 開 写 真 の よ う に 顔 を でき る だ け 隠 す よ う に 変 装 す る と 考 え る の が 常識 的 な の か も 知 れ な い 、 し か し 千 登 世 は 一 見 は 堂々 と 顔 を 見 せ る が印 象 に は 残 ら な い よ う な 極 普 通 の 女 性 の 化 粧 と 服 装 を さ せ てい る 、 目 の 動 き も 絶 対 に キ ョ ロ キ ョ ロ な ど さ せ な い 通 行 人 と 基本 的 に 目 を 合 わさ な い よ う に さ せ て い る 、 こ れ は 恋 人 が居 た り 安 定し た 家 庭 の 主 婦 の 動 作 で あ る 、 そ れ は 誘 惑 を考 えてい る者 には壁 にな る、 こ れは明日 香 も解 る、 行き違 う人 間 が他 人 を意識している場合はどんなに隠そうとしても隠せない事を。 「 明 日 香 、 可 哀 相 だ け ど 又 暫 く 表 に 出 ら れ な い わ ね 、 こ の 暑 い さ なか エ ア コ ン も入れられない状態で部屋に居るのは辛いと思うけど我慢してね」 「・・・・・」 「 私 、 車 を 買 う わ、 大き い の は 買 え な い け ど小 さ い の なら 何 と か な る か ら 、 休 み の 日位 は ド ラ イ ブ に で も 行 き まし ょ う 、 シ ョ ッ ピ ン グ も 大 き な お 店 な ら お 客 が多いし少しくらいは楽しめるかも知れないわ」 「すみません、迷惑ばかりかけて、申し訳なくて・・・・・」 「馬鹿ね、泣かなくてもいいのよ、私も乗りかかった舟だから最後まで一緒よ、 十五年なんて直ぐよ、もう早くも一年が過ぎてしまったもの、大丈夫」 「・・・・」 「 再 確 認 を し て お き まし ょ う 、 絶 対 に オ ド オ ド し て は 駄 目 よ 、 何 度 も 口 にし て く ど い け れ ど 女 は ね 信 じ 込 ん で し ま う とい う 特 技 を 持 っ て い るの 、 例 え 自 分 が 悪 く と も 自 分 は 正し い と 思 い 込 め る の 、 そ し て 何 時 か そ れ を 既 成 事 実 に し て し ま う の 、 貴女 は 今 女 なの だ か ら 、 そ れ も 取 り 入 れ なく ては ね 、 そ れ か ら 二 度 と 同 じ 店 に は 入 ら ない 、 で き る だ け 他 人 と の 接 触 も 少 な く す る 、 同 じ 人 と は二 度 会 わ ない 位い の ね、 他 人 と 会 っ た 時 は でき るだ け 印 象 に残 ら ない よ う に 心が け てね」 ぬぐ 「はい・・・・」 明 日 香 に と っ て は最 悪 の 季 節 を 迎え る こと にな る 、 千 登 世 の 居 る 土 曜 ・ 日曜 は エ ア コン を 入 れ ら れ るか ら それ な り に 快適 な 一 日 を 過 ご せ る が、 平 日 は それ こ そサウナである吹き出る汗をタオルで 拭 うが直ぐに絞れる位ビショビショに成 ってしまう。 千 登 世 が 帰 り 、 風呂 に 入 っ た 時 は 此 処 か ら 二 度 と 出 た く な い と ま で 思 っ てし ま う。 パ ソ コ ン や 内 職 も汗 で ベ ト ベ ト に 成 っ てし まう た め 朝 の 早 い 時 間 帯 だ け し か 真 ともにはできる状態にない。 し か し 何 もし て い な い と 更 に 暑 く 感 じ る た め 、 手 にタ オ ル を 巻い て パ ソ コ ン の キ ー を 叩 き 始 め る 、 次 第 に そ れ に 集 中 さ れ 暑 さ を 忘れ る、 又 そ れ 以 上 に 明 日 香 にとって嬉しいのは時間の経つのが早い事である。 人 間 は 劣 悪 な 環 境 に 置 か れ る と そ れ な り に 工 夫 を す る もの で あ る 、 も っ と も そ ん な 工 夫 が で き なけ れ ば 、 熱 帯 地 方 や 寒冷 地 方 で は 生 き て い けな い 訳 で あ る か ら当然と言えば当然の事なのであろう。 九 月 最 初 の 金 曜 日の 夜 に 千 登 世 は 頼 ん でお い た グ レー で幾 分 地味 だ が 1 30 0 CCの洒落たスポーツタイプの新車に乗って帰ってきた。 「明日香、早速明日何処かにでかけよう」 「 明 日 で す か ・ ・ ・ ・ 又 急 で す ね 、 逸 れ は と て も 嬉し い で す が ・ ・ 何 処 に 行 き ますか 」? 「何処でもいいわ、ともあれ泊れる所を探して頂戴な」 「泊るのですか」 「そうよ、でも探すのはホテルよ、日本旅館は駄目よ」 「はい」 明 日 香 が イン タ ー ネ ット で 探し 出し た の は 、伊 豆 下 田 の 鉄 道 会社 系の チ ェ ー ン ホ テ ル で あ っ た 、 宿 泊 費 も ト ッ プ シ ー ズン が 過 ぎ 特 別 価 格 が 設 定 さ れ て お り 結 構安いものであった。 こ ま その夜は二人とも興奮していて深い眠りに入れない。 勿 論 二 人 の 興 奮 し て い る 理 由 は 違 う 、 千登 世 は 小 さ い と は 言 え 初 め て 自 分 の 力 で 手 にし た 自 動 車 で あ る 、 そ れ に 乗 っ てド ラ イ ブ が で き る 等 と 今 ま で 考 え も し なかった、これも明日香のお陰かな等と思っている。 一 方 、 明 日 香 は 学生 時代 に 登山 や 旅 行 に は よ く 出 か け た が 、 卒 業 後 何 処 に も 行 っ て い な い 、 特 に此 処 一 年 は 囚 われ の 身 に 近 い 生 活 を し て い た訳 で あ る か ら 、 当然嬉しい、外に出られるだけでも幸せを感じる今である。 翌日、朝四時に起きた二人は、 「食事は途中で取りましょう、混雑ない内に都内を抜けてしまいましょう」 との、千登世の提案で五時大分前に車に乗り込んだ。 「新車の匂いですね、好いなあ新しい車は」 「明日香は免許証を持っているの? 」 「 勿 論 持 っ て 居 ます け ど 、 ペ ー パ ー ド ラ イ バ ー で 運 転 に 自 信 は 有 り ま せ ん、 自 信が有っても今は使えませんね」 「そうね、其の格好では難しいわね」 明 日 香 は 、 千 登 世 か ら 借 り た 大 き な ツ バ の 有る 薄 い オ レ ン ヂ 色 に 近 い 色 の 帽 子 に薄い青の裾広スカートのワンピースを着ている。 千 登 世 も 殆 ん ど 同 じ 格好 だ が 色 は ワ ン ピ ー ス が 白 、 帽 子 も 靴 も白 で あ る 、 白 の 方が派手に見え他人の注意を明日香に向けさせないと考えたのである。 首 都 高 速 は三 十 分程 で 通 り 抜け 、 東 名 高 速 に 入 る 、 朝 早 い 為 道 路 は 空 い てお り 六時には小田原を通過する事ができた。 「明日香、お腹すいた?」 「いいえ、未だ大丈夫です、お姉さんの都合の良いようにして下さい」 「分かったわ、八時頃に食べましょう」 熱海 までは殆 ん どが 自動車 専用道の 為順調 に来た が、 此処 熱海か らは 一 般道 に 入る為に信号に捕まることが多くなってきた。 「八時には少し早いけど伊豆高原あたりで食事をしましょう」 観 光 客 の 来 る 時 間 に は 未 だ 早 い 為 に 食 事 処 で 開 い てい る と こ ろ は 無い 、 伊 豆 高 原 駅 入 口 の 案 内 板を 通り 過 ぎ た 所 で フ ァ ミ リ ー レ ス ト ラ ン を 見つ け て 其 処 に 車 を乗り入れ停めた。 「疲れましたでしょう、一人で運転させてしまってすみません」 「いいのよ、でも久しぶりの運転で腰が痛くなったわ」 と千登世は屈伸運動をしている。 二 人 はモ ーニ ン グを ゆ っ く り一 時 間 程 か け て 食 べ ると 、 レ ス ト ラ ン で 聞 い た 城 ヶ崎海岸にある吊橋と灯台に行く事にした。 二 人 が始 め て 見 る 城ヶ 崎 海 岸 は 都 会 の 港で は絶 対 に見 られ な い 綺 麗な エ メラ ル ドグリーンの水が切り立った海岸に白い泡を立てて打ちつけている。 「綺麗な水ですね」 「そうね、見てあれ大島よ、直ぐ近くに有るのね」 「 家 ま で 見え ま す ね 、 も う 少し 早 け れ ば 最 高 の 日 の 出 も 見 ら れ た か も 知 れ ま せ んね」 「 そ う ね 、 で も ど う し て 大 島 が 東 京 な の か し ら 、 東 京 か ら は 見え ない け れ ど 静 岡県からは手に採るように見えるのに」 「そう言えば大島は東京都ですね」 等 と 二 人 は 楽 し そ う に 他 愛 の 無 い 話 し てい る 、 観 光 客 は 明 日 香 と 千 登 世 だ け で あった。 此処で暫く時間を潰した二人は改めて地図を見る、 「 結 構沢 山 見 る と こ ろ が 有 る わ ね 、 さ っき 灯 台 の 上 で 見 え た お 椀 の よ う な 山 は 大室山と言うのね」 「そうですね、 ・・この近くに蓮着寺と云うお寺が有りますよ、確か呆け防止の お地蔵さんが有ると聞いたことが有ります」 「そう、では行かない訳にはいかないわね、行って見ましょう」 二 人 は 蓮 着 寺 で 呆 け 防止 の 祈 願 を し て か ら 、 大 室 山 に リ フ ト で 登 り山 頂 を 一 周 後、池田二十世紀美術館に入った。 驚 い た 事 に こ の 美 術 館 を 作 っ た 池 田 栄 一 と 言 う 人 は 何 時 も 乗 り 降 りし て い る 駅 の 有 る蕨 市の 出 身 と 云う 、 急 に 親 し み を感 じ た 千 登 世 は 更 に もう 一 度 展 示 品 を 見直して来ると明日香を待たせて観に行ってしまった。 伊 豆 高 原 の 見 所 を 回 っ て か ら 一 碧 湖 の 湖畔 の ベ ン チ に 座 っ た 。 緑 に 囲 ま れ た 小 さな湖はロマンチックさを漂わせている。 「相手が貴女でなくボーイフレンドだったらもっと楽しいのにね」 「すみません」 「 冗 談よ 、 直 ぐ 本 気 に す る の だ か ら 、 私 は 男 嫌 い で 通 っ て い る の を 明 日 香 だ っ て知っているでしょう」 「 知 っ て は居 ま す け ど、 私 は や は り 女 に は 男 、 男 に は 女 が 必 要 な の で は ない か と思っているのです」 「 理 屈 は そ う か もし れ な い わ 、 で も 世 の 中 に は 変 わ っ た の も 居 る もの よ 、 私 や 貴女のようにね」 「そうですね、私も若しかしたら女性に興味が沸かない人間かも知れません」 「そうかしら、何だったら今晩試してみる」 「ええっ、如何言う意味ですか」 「私の体は女、貴女は心や見た目は女でも男の部分も持っているわ」 「そんな・・・・」 明日香の頬は紅くなっている。 二 時 に は 下 田 に 着 い た が 、 チェ ック イ ン を す る に は早 い の で ペ リ ー 提 督 で 有 名 な了仙寺の近くに車を止めて散策をする事にした。 お 寺 を 拝 観し て か ら ペ リ ー 艦 隊 員 が 行 進 し た と 言 う 川 沿 い の 道 を 通 り 海 岸 に 向 かう。 「軍隊が行進した道にしては随分細いですね」 「 そ う ね 、 こ れ で は 隊 員 達 も 驚 い た で し ょ う ね 、 日 本 で は 馬 車 の 時代 が 殆 ん ど 無かったから、舗装と言うか石畳等もされていなかったでしょうしね」 「そうですね、まるで未開の国へ来た感じだったでしょか」 わらぶ 「藁葺き屋根のお家ばかりではそう思えたかも知れないわね」 「 想 像 す る と 面 白 い です ね 、 お 姉さ ん の 発 想 は 相 手 の 立 場 で 考 え ら れ る の で す ね」 面 白 可 笑 し く 二 人 の 会 話 は 続 き 、 今 日 の 明 日 香 は 自 分 が 危 険 な 場 所 に 出 てい る 事を忘れて心の底から楽しんでいる。 唐人お吉のお墓なども見て回り、五時過ぎにホテルにチェックインをする。 幸 い 、 千 登 世 だ け の サイ ン で 済 み 、 明 日香 は 離 れ た 場 所 で 荷 物 番 を 装 っ て 居 ら れた。 案 内 係 り が 荷 物 を 持 っ て く れ て エ レ ベ ータ ー に 一 緒 に 乗 る と 、 千 登 世 は し き り に案 内 係 り の 人 に 冗 談 を 言 っ た り ホ テ ル 内 の 事 を 聞 い た りし て 注 意 を 引 き 付 け 、 明日香の方を向かせない。 部屋の簡単な説明をすると係員が戻っていく。 「フー、疲れた」 千登世はベッドに倒れこんだ。 「 お 姉さ ん、 お 姉さ ん、 海 の色 が凄 い コ バ ル ト ブ ルー ・・ 日 本 の 海 と は 思え な い色ですよ」 と後ろを向くと、千登世はスースーと軽い鼾をかいている。 「疲れてしまったのだ、大分歩いたし、運転も一人だったし」 明日香は靴を脱がせバスタオルを足元に掛けると、隣のベッドで横に成った。 ふと 気が付くと、時計の 針は九 時を過ぎている、相変わらず千登世は気持ち良 さそうに眠っている。 明日香は食事の事も有るし、起こす事を躊躇ったが。 「お姉さん、九時を過ぎていますよ」 と揺り動かした。 「・・・・・・えっ、九時過ぎ寝過ごしてしまったわ・・・明日香おはよう」 「何を言っているのです、未だ夜です、夜の九時です」 「・・・・・そうか、ベッドに横に成ったら寝てしまったのね、ご免ね」 「食事は如何します」 「閉まってしまうと大変急いで行きましょう」 身 だ し な み も そ こ ・ そ こ に 、 寝 皺 の 着 い た ワ ン ピ ー ス そ の ま ま に レス ト ラ ン に 駆け込んだ、レストランにはお客は殆んど居なか った、暗い海側の席に案内さ れる。 い 「ステーキにしょう、ここ一年ステーキの顔を拝んでいなかったし」 と男のような喋り方を千登世はした。 「良いのですか、高いですよ」 「良いわよ、そうちょく・ちょくこんな機会が有る訳ではないのだから」 「 私 はカ レー ラ イス で充 分 です けど、 無駄遣い で す、 家に戻 ったら私 が 焼き ま す」 「明日香も味噌臭い主婦に成ってしまったわね、ステーキにするの」 「そうですか・・分かりました、嬉しいです」 「本当は食べたかった癖に」 「ヘヘッ・・本当はそうなんです」 二 人 が満 足し た 食事 を 済 ま せ 、 部 屋 に 戻 り 風呂 で 汗 を 流し 落 と す と 、 着 替 え て バーに出かけた。 結 構 沢 山 の 客 が 入 っ て居 た が 、 明 日 香 と 千 登 世 の よ う な 女 二 人 の カ ッ プ ル は 居 な か っ た 、 カ ウ ン タ ー の 奥 側 で 三 組 の 若 い 男 女 が 陽 気 に 騒 い でい る 、 此 処 で も 千 登 世 は 注 意 が あ ち ら に 行 く と 少し 安 心し た 、 カ ウ ン タ ー の 入 口 側 に 座 っ た 二 人は、バーテンダーの勧めるカクテルを貰う。 口 当 た り の 良 い カ ク テ ル は 結 構 アル コ ール 度 は 高 い の と 千 登 世 は 疲 れ か ら 、 明 日香は久しぶりの酒の為か、アッと言う間に酔いが回る。 殆んど会話の無いままにバーを短い時間で後にする。 二 人 が お 互い を 支 え あ っ て 部 屋 に戻 り 、 鍵 を 掛 け た か ど う か を 忘 れ る ほ ど に ヨ ロヨロとベッドに抱き合ったまま倒れる。 千 登 世 は 明 日 香 の 首 に 捲 き 付 け てい る 腕 に 力 を 入 れ る と 、 明 日 香 の 唇 に 自 分 の 唇を押し付けた。 くちづけ 明日香も極自然に受け入れ、長い接吻は続く。 「愛しているわ」 「私もお姉さんが大好きです、愛しています」 初 め ての 契 り は 短 か った も の の 、 心 地 よ い 肌と 肌 が触 れ て い る 部 分 を 少 し で も 多 く 広 く と 、 足 を 絡 ませ 強 く 抱 き 合 い 、 心 の 底 か ら 、 お 互 い を求 め合 い 心 地 よ い疲れと共に夜明けを迎える。 二人の結びつきは此の旅で離れがたい深い・深いものに成った。 し か し 、 帰 宅 し た当 夜か ら は 以 前と 変 わ ら ず 別 々 の 部 屋 で 眠 る 、 明 日 香 に も 千 登 世 に も あ の 心 地 良 い 状 態 を 今 宵 も 明 日 も そ の 次 も続 け た い 欲 望 が 無 い わ け で はない、続けたい。 だ が 続 け てし ま え ば 、 必 ず 隙 が でき る 隙 が でき れ ば当 然 そ の 結果 が ど う な る か は二人ともよく分かっている。 心 地 良さ が 直 ぐ 手 の 届 く 目 の 前 に 有 る の に そ れ を 抑 え てい な け れ ば 成 ら な い の は 辛 い 、 知 ら な け れ ば 知 ら な い な り の 幸 せ が 有 っ た の に 知 っ てし ま っ た 為の 苦 痛である。 毎 日 、 夜 が 来 る と 週 にい や 月 に 一 度 で も 良 い か ら と 二 人 と も 思 っ てし ま う が 必 死に耐える。 二人の食事とそれに続く寛ぎの時は苦しさのため当然無口になる。 そ れ で も 時 が 経 つ と 其 の 苦 痛 も 弱く な り 楽 にな る 、 新 た な 慣 れ と 知 恵 が 苦 痛 を 和らげる。 二 人 の 二 度 目 の ク リ ス マ ス イ ブ 、 今 年 も十 二 月 に 入 る と 千 登 世 は 忘 年 会 等 で 遅 く な る事 が多 か った が、 こ の 日 は 大 き なク リス マ ス プ レ ゼ ン ト を 持 っ て 早 め に 帰ってきた。 「お帰りなさい・・・・凄い、何ですかその大きな紙袋を幾つも」 「後でのお楽しみ・・後での・・お楽しみよ」 「先にお風呂にしますか?」 「 そ う ね 、 今 夜 は 特 別 な 日 で す もの ね 、 酔 っ た ら 直 ぐ 寝 ら れ るよ う に し て お い た方が良いものね、今夜は思い切り飲むぞ」 千登世はそのまま脱衣所に直行して風呂に入ってしまった。 明 日 香 は 脱 い だ 物を 洗濯 す る 物 と し な い も の を 分 け 、 空 に な った 脱 衣 籠 に は 下 着 と ナイ ト ウ エ アー それ に ガ ウ ン を 置 い た 、 下 田 のド ラ イ ブ 以 来 千登 世 の 下 着 に も 躊 躇 無 く 触 れ る よ う に 成 っ てい る 、 千 登 世 も 汚れ た 下 着 を そ の ま ま 明 日 香 に洗濯を任せている。 続 い て明 日香 が 軽く 湯 を 浴 び て 出る と 、 千 登 世 は 久し ぶり に 台 所 に立 っ て何 か 作っている。 「お姉さん、私がやります」 「いいの、今夜は私も手伝うから・・楽しいイブにしましょう」 千登世の料理の腕は並ではない。 食卓には見事に美しく美味しそうに並んだ料理は明日香を驚かせた。 「凄いですね、こんな凄いのを見たのは初めてです」 じょうず 「上手ね、でも私は料理が好きよ、貴女が遣ってくれるから遣らないだけ」 「私の下手な、とても料理とは言えない代物を食べさせてしまってすみません」 「 そ んな 事 無 い わよ 、 結 構 私楽 し ん で い る わよ 、 味 も それ 程 悪 く ない し 、 で も 一言言わしてもらえば盛り付けが今一ね」 い 「すみません、以後気を付けます」 「さあ食べましょう」 ワ イ ン で 乾 杯 を し た の は 大 分遅 い 時 間 に 成 っ て し ま っ た が 、 二 人 に は 此 れ 以 上 は無いと言う楽しい華やかな時が始まった 「明日香その袋を取って」 千 登 世 が 受 け 取 り袋 の 中 か ら 取 り 出 し た 、 赤い リ ボ ン の 付 い た 箱 を 明 日 香 に 渡 した。 「はいクリスマスプレゼント」 「 わ あ・ ・ あ り がと うご ざ い ま す・ ・ 実 は 私 も お 姉さ ん に プ レ ゼ ント が 有り ま す」 紺の包み紙の小さな箱を差し出した。 「ええ、私に、何かしら開けていい」 「勿論です、開けてください」 「何これ、ダイヤのネックレス、それも大きいのが付いている、鑑定証迄」 「・・・・・・」 「どうしたの、凄く高価なものでしょう、これ」 「・・・・・」 「どうしたの、こんな凄いもの?」 「お姉さんから頂いていたお金を貯めていたもので買いました」 「そう嬉しいわ、でも、それ程沢山渡していないわ」 「でも、買えたのです」 「全部使ったの? 」 「・・・・・」 「全部使ったのね」 「ええ、私は持っていても使えませんから、良いのです」 「・・・そんな」 千登世は明日香の頭を抱きしめる。 「ありがとう」 明 日 香の 作 る 軽 い 簡 単な コ ンピ ュ ー タ ーソ フト は 兎も 角と し て、 お 金 に な り そ う な 大型 の コ ン ピ ュ ータ ー ソ フ ト は な か な か売 る こと がで き ない 、 良 い と 思 わ れ て も本 人 が 出 て 行 っ て 説 明 や 使い 勝 手 の 手 直 し が で き な い 為 で あ る 、 し か し 内 職 程 度 の 仕 事 は 多 く は 無 い が 安 定 し た収 入 に な っ て い る 、 そ れ を 全 部 千 登 世 は渡していた。 千 登 世 も 合 計 幾 ら に な っ た か は 正確 に は 分 か ら な い が ダ イ ヤ の 大 き さ 等 か ら も 想像すると多分百万円以上と思える、全ての蓄えを叩いて呉れた事に言いよう の無い気持ちになっている。 「いいえ、感 謝しているの です、赤の他人の私にこれ程の危険を冒し てくれ て 居 る 事 に 、感 謝 を幾 らし て も足 りま せ ん、 これ で は ま だ ま だ 足り ない と 思 っ て います」 「いいのよ、いいの、嬉しいわ・・愛しているわ」 涙に濡れた明日香の瞳を千登世は唇をあてて吸い取る。 「私のプレゼントも見て」 「・・はい」 リ ボ ンと 包 装 紙 を丁 寧に 取 り開 け た 箱 の 中 には 、 真っ 赤な ロ ン グ ド レ ス が入 っ ていた。 「凄い」 「 貴 女 は も う 暫 く家 か ら 出 ら れ な い か ら 、 せめ て 家 の 中 で は お 洒 落を し て 貰 お うと思っていたのよ」 「ありがとうございます」 「これからは、それを着て楽しんでね」 「はい」 暫 く 二 人 は 面 白 おか し い 話 をし な が ら 充 分 に 楽 し み 満 足し 、 更 に 気 持 ち 良く 酔 いも回っている。 「明日香、今夜は一緒に寝ましょう」 「はい」 ほ ぼ 四 ヶ 月 ぶ り 二 度 目 の 愛 を 交 わ し 、 あ の 時と 同 じよ う に 足 を絡 ませ 、 肌を 接 しながら夜明けを迎えた。 二 人 にと っ て 、 ほ ぼ 無事 に 翌 年 の 秋 を 迎え た 、 三 月 に 箱 根 と 七 月 に 会 津 か ら 鬼 怒 川 温 泉 に 一 泊 づ つ のド ラ イ ブ を し た 、 そ し て 三 回 目 の 汗 だ く の 夏を 通 り 越 し た、九月の末に国盛調査の書類が来た。 千 登 世 も 明 日 香 も一 瞬 ド キ ッと し た が 、 考 え て み れ ば 明 日 香 一 人 調 査 か ら 漏 れ て も 日本 の 人 口 が一 人減 る だけ であ っ て 個 人的 に は 大 き な 問 題 に はな ら ない と 考えた。 し か し 明 日香 に すれ ば 日 本 人の 中に カ ウン トさ れ ない よ り 、 母の 事 が 気 に 成 っ た、父が死んでから苦労し て育てた上げた一人息子がやっと一人前に成ったと 思 っ た 直 後 に 、 その 息子 が 大き な事 件 を 起 こし て 失 踪 中、 其 れ な り に 親 子二 人 充 実 し た 日 を 過 ご し てい た の に 、 心 身 の 重 荷 が 取 れ て 僅か の 間 に 独 り に さ れ て しまっている。 明 日 香 が 今 ま で も 気 にし て 居 な か っ た 訳 で は 無 い が、 食 卓 に 一 人 座 り 調 査 書 に 息子の名前を書いたものかと悩んでいる母の姿が目に浮かぶ。 電 話 をし たい 衝 動 に 駆ら れ る、 し か し こ こ か ら 電 話 を し て 万 が一 警 察 に 逆探 知 でもされ てい たら大変な事 になる、公 衆電話と 思うが、この近くから で は結果 的に此処から掛けたのとそう変わらない、少し捜査の手か遅れるだけと思える。 「そうだ、今度ドライブに行った時にそこから電話をしてみよう」と呟いた。 そ れ か ら じ り じ り 待 つ 事 一 ヶ 月 、 十 月 も終 わ り に 近 づ い た 週 の 初 め に 「 今 度 の 土 曜 日 に 日帰 り だ け ど 日 光 に で もド ラ イ ブ に 行 こ う か 」 と や っと 千 登 世 が口 に した。 当日は、そわそわしている明日香を千登世は 何[時もと違うわね、妙に落ち着き が無いわ と]言う、しかしそんな明日香がドライブから帰る時は酷く沈んだ姿に 成ってしまった。 日光から母に電話をした。 [ ル ル ン ・ル ル ン ・ ・ ・ ・ ・ ・ ]呼 び 出し 音 が 鳴 る、 し か し 誰 も 出 な い 、 一 端 五 回 呼んだ処 で切る、明 日 香は 万が一の事 を考 え て逆探知 を 避け る積 も りで あ る。 暫く間を置いて再度ダイヤルを叩く。 [ルルン・ルルン]今度は二度目で出た。 「もしもし、吉岡さんですか」 男の声で、「そうです、どちら様です」 明日香は電話を切った」 思 い 当 た ら な い の で あ る 、 聞 き 覚 え の 無い 声 で あ っ た 、 第 一 何 故 男 性 が 出 た の か 、 母 以 外 住 ん でい な い 筈 で 有 っ た し 、 そ れ に 母 に代 わ っ て 電 話 に 出 る 男 性 が 居る筈が無い。 [警察官?]あの喋り方と声の質は絶対に近所の人ではない。 「どうし たの、出る時はあんなに嬉しそうだったのに、帰 りはお葬式の帰りみ たいよ」 「・・・」 「何か有ったの、私・何か気に障る事を言った?」 「 い い え ・・ ・ ・ 実 は 日 光 から 母 に 電 話を し ま し た、 そう し たら 、聞 き 覚 え の 無い人、それも男性が電話に出たのです。 「電話をしたの?」 「はい」 「・・・・・」 「済みません、勝手な事をして」 「 お 母さ ん が 気 に 成 るの は 分か る わ 、 で も 電 話 は 危 険 、 こ れ か ら は 私 に 相 談 し て、私が見に行く事もできるのだから」 「はい、すみません」 「 終 わ っ た こ と は仕 方 な い わ、 で も 注 意は し て ね 、 お 母さ ん は明 日 に で も 私 が 様子を見に行ってくるわ」 「ありがとうございます」 「念の為に、貴女はトランクに移って」 「エエッ、トランクにですか、後ろの・・」 「そうよ、其処の小道に入るから」 千登世はハンドルを急に左に切ると、小道に乗り入れた。 「 ト ラ ン ク を 開 け る と 畳 ん で あ った ダ ンボ ール を 取り 出 す 、 毛布 を広 げ 敷い て から明日香の膝を折り曲げ寝かせると、毛布の一方を明日香の身体に被せた。 千 登 世は 手早 く ダ ン ボ ー ル を 箱 状 に 組 み立 てる と ト ラ ンク に 積み 込 み 始 め た 、 明 日 香 が 身 動 き でき な く な る 程 に 詰 め 終 る と 、 車 を バ ック さ せ て 元 来 た 道 に 戻 す。 千 登 世は 脇 道 に 車を 乗 り 入 れ て か ら 一 言 も 口 を 聞 か な か っ た 、し かし 明 日 香 は 解った、 千登世は緊急手配を予想したのだと。 トランクの中の乗り心地は酷く悪かった、膝を曲げているのでそれも辛い。 しかし、車は何度か止まった、多分赤信号で 止 ま っ た の で あ ろ う 、十 分 も 経 っ た で あろ うか エ ン ジ ン の 回 転 音 は 上 が り 快 調 に 走 り 始 め た 、 有料 道 路 に 入 っ たの だ と 想 像し た 、 少 し 楽 に な っ た が 代 わ り に 身動きの出来ない窮屈さが気に成り出した。 「高速道路に入ればもう大丈夫・・・早く此処から出して・・」 と呟く。 こ の 頃 、 逆探 知 で発 信 場 所 が 日 光 市 内 の公 衆 電 話 で 有 る事 を 突き 止 め た 埼 玉 県 警 は 直 ぐ に手 を 打 っ た、 栃 木県 警の 協 力 を 依 頼 し 主要 道 路 に 緊急 配 備 を 張 っ た の だ 、 千 登 世 の 走 っ てい る 日光 宇 都 宮 道 路 に は 特 に 厳 重 な 二 箇 所 の 検 問 所 が 設 け ら れ た 、 一 箇 所 目 は寸 前 に 通 り 抜 け た が 東 北 道 と の ジ ャ ン ク シ ョ ン が もう 一 箇所である。 高速で順調に走っていた車が大きくカーブを切った途端に減速した。 千登世の声がトランクの中にも聞こえた。 「検問よ・・絶対に音を発てないで」 車が止まる。 「検問です、お一人ですか、どちらまで行かれるのですか」 警察官らしき者の声が聞こえる。 「川口まで帰ります」 千登世は余分な事を一切言わずに答える。 「申し訳有りません、トランクを開けていただけますか」 明日香の心臓は早鐘のように大きな音を立て始めた。 千登世は運転席からリモートでトランクを開ける。 警 察 官は ト ラ ン ク に 満 杯 に 積 ま れ た ダ ンボ ール を 見た よ う で 、 直 ぐ に そ れ 以 上 調べずにトランクをバターンと閉めた。 「ご協力有難うございました」 千登世は無言で車を発進させた。 明日香の心臓が早鐘のように打つ音は未だ収まらない。 東北自動車道に入り十五分程経っただろうか 千登世は一端高速道から降りた。 暫 く 走る と 車 は 止 ま り 千 登 世 が ト ラ ン ク を 開 け た 、 ダ ンボ ー ル を 畳 み な がら 下 ろすと、 「窮屈だったわね、ご苦労様」 千登世は何事も無かったかのようにニッコリとした顔を見せた。 其処はトランクに移った所とよく似た脇道に であった。 「御免なさい、勝手な事を又してしまって」 明日香は頭を上げられなかった。 「又勉強をしたわね」 千登世は軽く一言を口にしただけだった。 次のインターチェンジ迄は高速道に平行している、国道4号線を上る。 「お姉さんは、今日のような事迄予測していたのですか」 「 考 え ら れ る 事 は 最 大限 し て お か な け れ ば 、 生 き 残れ ない の よ 、 貴女 も 含め て 多 く の 日 本 人 は 隙 が 多い し 、 油 断 の し す ぎ よ 、 自 分の 安 全 は 自分 で守 る もで は ないかしら、少なくとも私はそう思っているの」 「 ・ ・ ・ ・ ・ そ う で す ね 、 私 は 頭 が 悪 い か ら 遣 っ て し ま っ て か ら 反省 す る の で す」 「 経 験よ 、 も う 同 じ 失 敗 は し な い で し ょ う 、 で も 出 来 れ ば 考 え て か ら 行 動し ま し ょ う ・ ・ 対 策 も仕 過 ぎ る 位 に 遣 っ て 置 き まし よ う 、 二 人 で 一 緒 に 考 え れ ば よ り良い方法が思いつくわ」 「ダンボール箱や毛布までも・・」 明日香は千登世の慎重さと頭の回転の良さに心底感謝している。 其 の 日 は 家 に 戻 っ て も明 日 香 の 沈 ん だ 状 態 は 戻 ら な い 、 千 登 世 を 危 険 な 目 に 遭 わ せ てし ま っ た 反省 、 そ し て 母 の 状 況 が 更 に悪 く 成 っ てい る よ う に 思 え る の で ある。 千 登 世 は 翌 日 日 曜 日 、 一 人 で早 朝明 日 香 の 書 い た 地 図 を 頼 り に 埼 玉 花 園 町 ま で 出かけた。 高 速 道 を 下 り る と 広 い 道 路 か ら 大手 食 品 会 社 を 過 ぎ て 三 キ ロ 程し たコ ン ビニ を 右 に 曲が って 十 三 軒 目と の 事 で 場 所 は 直ぐ に 分 か った が 目 指 す 吉 岡と い う 表 札 の 家 は 見 つか ら なか った 、 明 日 香の 言 う家 の 作 り は十 四 軒 目 に 有 った が 吉岡 で はなかった。 千登世は仕方なく通り過ぎるとインターチェンジまで戻った。 近 く の コ ン ビ ニ に 自 動 車 を 置 い た 、 万 が 一 近 く に 停 め て置 い て 車 の 番 号 を 控 え られたらと考えたのである。 少 し 離 れ た 道 端 に立 つ と 通 り 過 ぎ る 車 の 中 で東 京 ナン バ ー の 若い 男 性 が 一 人 で 運転している車を待った。 そ れ ら し き 何 台 か の 車 に 手 を 上 げ て 合 図 を し た 、 や っ と 白 い 中型 の ワ ゴ ン 車 が 行き過ぎて停まってくれた。 「すみません、此処から三㌔程の所まで乗せて貰えませんか」 「良いすよ」 砕けた返事を三十前後、サラリーマン風の男性がした。 「この近くまで調査に来たのですが、車が故障してしまって」 調査と聞いて男性の喋り方が変わった。 「そうですか、調査って何のですか」 「 私 は 調 査 会 社 で調 査 ・ 簡 単 に 言 え ば 探 偵 の よ う な 仕 事 を し てい ま す 、 こ の 先 に有る御宅の家庭状態を・・・・余り詳しくは話せませんが」 「はあ・・そうでしようね、秘密厳守でしょうからね」 「其処を右に曲がって頂けますか・・・ああぁ・・良いですか?」 広 い 道 路 か ら 狭 い 道 路 に 曲 が る 指 示 を し て し ま い 、 千 登 世 は 厚 か まし い と 思 っ たが、男性は曲がってくれた。 「ええ、良いですよ、何でしたらお手伝いしましょうか」 「そうですか・・すみません」 「角から十四軒に吉岡さんと言う家が有るはずなのです」 ユックリと車を進めるが勿論十四軒目の表札は違っている 「無いですね」 「そおですね・・誰かに聞いてみましょう」 「僕が聞いて来ましょう」 男 性 は少し進 め て、 十 五 軒 目の 農家 の 縁先 に 座 っ てい る老 婆 に 声をか け た、 杖 をつき歩いて来てくれた、男性も車から降りると老婆に近づいていく。 「この近くに吉岡さんと言う方の家が有りませんでしょうか?」 「ああ、吉岡は大分前に出て行ったよ」 「引っ越されたのですか? 」 「引っ越したというより、夜逃げだね」 「夜逃げ?」 「そうだよ、息子が人を殺してな、此処に居られなくなったんだよ」 「人殺し!」 「そうだよ、人殺しじゃ、ところであんたは吉岡とはどんな関係の人だね」 「 ・ ・ ・ ・ 以 前 お 世 話 に な っ て 、 こ ち ら に 来た 時 は 寄 っ て く れと 言わ れ て い た ので・・」 「 そ う か ね 、 息 子 も あの 事 が 有 る 前 迄 で は 此 処 に 住 ん でい た 、 好 い 家 族 に 良 い 子だったんだよ」 「分かりました、処でご両親は何処に引っ越されたのですか? 」 「何処に行ったか分からないね、何しろ夜逃げだから、噂では静岡の知 り合い を頼ったとも聞いているよ、でも噂だからね」 「そうですか、ありがとうございました」 男性は戻ってきた。 「お聞きの通りです」 「有難うございました」 男性は、 「どうします」 「其処の大通りに下ろしていただければ」 「送りますよ、足は無いのでしょう、何処へ送ったら良いですか」 「申し訳有りません、では先程乗せて頂いた所までお願いできますか」 イ ン タ ー チ エ ン ジ 迄 戻 っ て 貰 っ た 千 登 世 は 男 性 に [ お 茶 で も ご 馳 走さ せ て く だ さい]と言うが、男性は[残念だけどユックリできないのです、今日はこれで・・ 又お会いした時お願いします]と言い車の窓から微笑んだ。 「あなたは探偵のセンスが有りますわ」 千登世が冗談を言うと、 「ええどこが」 「・以前お世話になって・何て咄嗟に出てくるものでは有りませんもの」 「実は僕も探偵なので」 「エエッ」 男 性 は 笑 い な が ら 敬 礼し て 走 り 出 し た 、 車 の 後 ろ に は 大手 の 有名 製薬 会 社 [ 太 平洋製薬]と書いて有る。 千登世はコンビニに戻り、お昼の弁当とお茶を無断駐車の代償として買い高速 にのった。 待ちかねていた明日香に。 「引っ越してしまったわ、ご近所に行き先も告げないで」 「やはり、そうですか」 「静岡の知り合いを頼ったと言う噂が有るそうよ」 「静岡ですか?」 「・・・・」 「静岡にはあまり縁が無いはずなのに・・・もしかしたら」 「誰か心当たりあるの」 「ええ、母の幼馴染の人が一人」 「 幼 馴染 ・ ・ ・ ・ 難 し い わ ね身 内 と 言 うか 血の つ な が りみ た い な もの が 幾 ら か でもあれば、可能性は高いけど、幼馴染では・・」 「 私 も そ う 思 い ま す 、 で も 三 年 位 前 の 年 末 に 喪 中 の 連 絡 が 来 まし た 、 私 の 事 で は な い の で よ く 覚 え てい な い の で す が 、 母 が 其 の 方 の ご 主 人 が 無 く な っ て 独 り に成ってしまったと言っていた様に記憶しています」 「 そ う な の 、 そ れ で は 少 し の 可 能 性 が 有る わ ね ・ ・ で も ど う や っ てそ の 人 を 探 したら良いのかしら、名前や住所が分かるの?」 「 い い え 、 全 く 分か り ま せ ん 、 住 所 も 名 前 も・ ・ ・ ゆ り ち ゃ んと か 言 っ てい た かもしれません」 「そうなの・・・・でもゆりちゃんだけでわねぇ」 「・・・・・・」 「冷たいけど、探せるように成るまで我慢する事に成るかも知れないわね」 「・・・・はい」 「 処 で お 母さ ん は お 幾 つ な の 、 それ に お父 さ ん の 事 も 未だ 聞 い て い な か った け ど」 「母は今年五十丁度です、父は私の子供の時に癌で亡くなりました」 「 そ う お 母さ ん に 育 てら れ た訳 ね、 そ う ・ ・ ・ 会 い た い で し ょう ね、 そ れ に 心 配でしょう」 「・・・・・・」 「探せるように成った時にも未だ六十少しよ、お元気よ」 「 そ う で す ね 、 心 配 掛け て 済 み ま せ ん 、 多 分幼 馴 染 の 人 に 助 け て もら っ てい る と信じます、親切な方に・・私のように・・・・」 「・・・・そうね・・・そう信じて待ちましょう」 こ れ で、 明 日 香 は 完 全 に 安 心し た 訳 で は な い が 、 千 登 世の お 陰 で 母 の 置 か れ て いる状況が大体分かり、又信じる事で気持は幾らか楽になった。 千登世は何らかの方法で明日香の母を探し出したいと考えている。 只 、 迂 闊 に 動 け ば 必 ず 網 を 張 っ てい る 警 察 の 捜 査 網 に 引 っ か か る 、 母 親 に 監 視 が付いていない訳が無い、戸籍を調べることや探偵を雇うことも閃きはしたが、 素人の千登世には彼らが絶対に警察との関わり合いが無い等と思えない。 時 間 を 掛 け て 考 え る こ と に し た 方 が 良 い と 考 え 、 明 日 香 に 軽 い 言 葉を 言 う 事 が できなかった。 しかし、待っていれば良い知らせは向うの方から遣ってくるものらしい。 事件から丁度五年目を迎えたとき、千登世から電話が入った。 「 今 日の 九 チ ャ ン ネ ル 昼 の ワ イ ド シ ョ ー を 見 て 」 と の 連絡 が 来 た 、 勿 論 明 日 香 が 直 ぐ電 話 に 出 る訳 では な い 、 留守 番 電 話 に吹 き 込 ま れ る 音 声を 聞い た の で あ る。 一時から明日香が見たものは、 あ[れから五年、虐めの問題はどうなっている と]のタイトルで特集が組まれた。 事 件 の 真 相 と 現 在 ま だ 見 つ か っ てい な い 容 疑 者 吉 岡 克 夫 の 事 、 そ し て 其 の 家 族 はどうしているか、最後に小中学校の現場ではとの三部構成である。 明日香にとっては初めと最後はどうでも良い、 家[族云々 が]知りたい・見たいで 有った。 ジリジリしながら長い時間を待つ、テレビからは、 「 処 で 容 疑 者 の 家 族 は ど ん な 生 活 を し てい る の で し ょ う 」 と メ イ ン ア ナ ウ ン サ ーの問いに。 「 私 は 現 在静 岡 県 の 伊 豆 に 来 て い ま す 。 此 処 に は 容疑 者 の 只 一 人 の 肉 親 ・ 母 親 が 埼 玉 の 花 園 と 言 う 所か ら 移 り 住 ん で い ま す 。 彼 女 は 息 子 で あ る 容疑 者 の 行 為 に よ り 、 そ れ こ そ 村 八 分 ・ 早 い 話 が 虐 め に あ っ て 友 人 を 頼 っ て 此 処 伊 豆 に逃 れ て来ました。」 取材記者は歯に衣を着せずに話す。 「 幸 い 、 母 親 は 此 処 で は 村 八 分 に は 合 って い ま せ ん 、 多 く の 住 人 は 比 較 的 恵 ま れ た 人々 で余 生 を送 る 為 に 都 会 か ら 移 って 来て お り、 どち ら か と 言え ば イン テ リ層が多い場所柄です。 母 親 が 頼 っ た 友 人 も 数 年 前 に亡 く な っ た マ ス コ ミ 界 で は 名 前 の 知 れ た 方 の 未 亡 人です」 と続けた。 後 は モ ザ イ ク が か か った 家 を 映 し て い た が 明 日 香 に は ど う で も 良 か っ た 、 母 が 幸 せ に 暮 ら し て 居 て さ え 呉 れ れ ば 、 番 組は 母 に つ い て も 評 論 家 が い ろ い ろ と 言 っ て い た が も う 何 も 耳 に 入 ら な い 、 安 心感 と 母 の 友 人 そし て そ の 周 り の 人 々 へ の 感 謝の 気 持 ち で 一 杯 で あ り 、 涙 で そ れ か ら 後 の 映 像 も音 声 も頭 に は 入 ら な か った。 お ろ 明 日 香 と 千 登 世 の 生 活 は 、 千 登 世 が 二 度 程 軽い 風 邪 を ひ い た 以 外 は 殆 ん ど 病 気 にも成らず七年が過ぎ八年目に入った。 緊 張 をし てい る と 病 気 に 成 ら な い と は 良く 言 っ た もの で、 こ の 七 年 間 は 緊 張 の 連 続 で 有 っ た 、 時々 の ド ラ イ ブ と 数 ヶ 月 に 一 度 の 愛 の 交 換 が 溜 ま っ た 二 人 の ス トレスを解消してくれていた。 だ が 、明 日香 は こ ん な 日 々 が後 八 年 続 くの かと 考 え て い た 、 此れ で良 い のか 、 自 分 は 兎 も角 千 登 世 は 来 年 四 十 に 成 る 、 完 全 に 婚 期 を 逃 が し てし まう 、 そ ん な 事をしても良いのだろうかと、最近は来る日も・来る日も思い悩んでいる。 その夜、千登世は思いもしない事を言った。 「できてしまったの」 明日香は最初何の事か分からなかった。 「できたって、何がですか?」 「妊娠したの・・・赤ちゃんができたの」 「・・・赤ちゃん・・・・・」 「そう、赤ちゃん」 「・・・・」 下 田 の 時 と 二 回 目の ク リ ス マ ス に は ど ち ら か と 言 う と 急 な 出 来事 の た め 無 防 備 であったが、それ以降は必ず避妊をしていた。 「どうしてかしら、五月のこどもの日よ、あの時に失敗したの」 明日香がその時の事を思い出している。 「 思 い 出 し ま し た 、 あ の 時 何 時 もと 違 っ て 処 置 を し な い で そ の ま ま 抱 き 合 っ て 寝てしまったのです、暫くして目を覚ましたときシーツが汚れていました」 「そう言えば、思い出したわ」 「・・・・・・すみません」 「すみません・なんて言わないで、あの時離さなかったのは私なのだから」 「でも・・・」 「いいわ、堕胎してくるから」 千登世は軽く言うが、その表情は少しも軽くない。 そ れ を 見 てい る 明 日 香 は 何 も答 え ら れ な か っ た 、 つ い 先 程 ま で 考 え て い た 事 に 繋 が るか ら で あ る、 婚 期 を 逃 が す だ け でな く 、 今 度 は 子 供 を 生 む 事 も 取 り 上 げ て し まう 事 に な る、 下手 を すれ ば 永 久 に子 供 が 授 か ら ない 体 に 成 って し まう か も知れない。 重苦しい空気の中殆んど食事も喉を通らず、二人は寝床に入る。 朝起きた二人の顔は目か赤く、寝ていなかった事が一目で分かる。 け しっ し か し 、 二 人 と も そ の 事 に は 触 れ ない 、 気 だ る い 体 で 朝 食 を 済 ま せ る と 、 千 登 世は出勤して行った。 明 日 香 は 跡 片 付 け を 済 ま せ る と 、 処 在 無 げ に 食 卓 に 両 肘 を 付 き 、 回転 の 鈍 い 頭 で反省と共に今後の事を思案していた。 時計が十一時を指す頃に、千登世が帰ってきた。 「どうしたのですか」 「・・・・」 「顔が真っ青です」 「・・・・病院に行ったけど、入れなかったの」 と明日香に抱きついて泣き始めた。 千登世の涙を見たのは明日香が此処に来て初めての事である。 「・・・・・・」 「・・どうしょう・・」 何 時 も の 千 登 世 ら し く な い 、 同 年 代 の 女 性 よ り 強 い と ・ 確 か りし てい る と 思 っ て い た が 、 子 を 持 っ た 女 性 の 強 さ は 全 く 無 い 、 極 普 通 に 始 め て身 ご も っ た 女 の 戸 惑 い を 隠 す こ と が でき な い 、 こ れ は 二 人 が 普 通 の 夫 婦 で あ るか 、 こ れ が切 掛 け で 夫 婦 に 成 れ るの であ れ ば 戸 惑 い も 小 さ な も の と 言 う よ り 、 む し ろ 喜 び だ っ たのかもしれない、それ程千登世にとっては大きな出来事に成っている。 「 よ く 考 え て 見 まし ょ う 、 子 供 の 事 は 女 性 の お 姉 さ ん にと っ て は 男 の 私 が 想 像 する以上に大事な事と思い ます、どうするのが最善か一緒に考えさせてくださ い」 「ありがとう、・・・・・女っていざと成ると弱いものね」 「当然です、女性にとって人生最大の事ですから」 「・・・・・貴女が強くてとても嬉しいわ」 「二・三日置いて、落ち着いてから考えましょう」 いた と言う事で、千登世はこの日を休み、明日香に労わられながら一日を過ごした。 明 日 香 は 生 む こ と を 前提 に 考 え 始 め て い た 、 翌 日 千 登 世 に そ れ と なく そ れ を 伝 えた。 しかし三日後、千登世は明日香に何も告げず産婦人科の門を潜った。 一日入院をして翌日の昼に帰ってきた。 「ごめんね、やはり生めなかった」 「えっ、やはり・・・・昨日連絡も無く帰ってこないから心配していたのが・・・ 悪い想像をしていた通りに成ってしまうなんて」 「 貴 女と 話し て い る と 、 決 心が 鈍 る か ら 独 り で 決 め た の 、 貴 女の 子 で も 有る の にごめんなさい」 「・・・そうですか、決めてしまったのですか・・・・・分かりました」 明日香は無念で仕方なかった、何とか生めたらと必死に模索していた。 千登世と すれ ば、如何考え ても生め る条件 に無か った、例え生んでし ま った場 合 子 供 も 共 に 苦 し む の は 目 に 見 え て い る 、 明 日 香 の 気 持 ち も 分か ら な い で は な い が、それは 千登世の体を 心配しての事であり、 子供の将 来それ も極近い将 来 も考慮の対象外になっている。 今 の 千 登 世 は や は り 明 日 香 に 比 べ れ ば 大人 であ る 、 最 終 的 に は 女 性 特 有 の 感 情 には流されない 社 会 で揉 まれ ている、若し かし たら明 日香と生活 を共 にし 始めてから は 加速 度 的に冷静な判断ができる様になっている。 此 れ 以 後 、二 人 は 完 全 に 女 同 士 の 同 居 人 に 成 っ て 行 っ た、 当 然男 と 女 の 交 わ り は一切無くなった。 明 日 香 も そ れ が 無 く と も 苦 痛 で は な い 、 女 に 成 り き っ てい る 為、 千 登 世 の 裸 体 を見ても欲望が沸いて来ない、 だ か ら と 言 っ て 二 人 の 間 に ひび が 入 っ た の で も な い 、 一 切 が 以 前 の 二 人 に戻 っ ている、 ス ト レス 解 消 の ド ラ イ ブ も 欠 か さ な い 、 只 泊 る 時 は 一 緒 の 床 に は 入ら な く は 成 った。 そ の 年の 暮れ 、 明 日 香は 千 登 世 の 所 に 来て 初 め て 寝 込 んだ 、 最初 は 千 登 世が 何 処 か ら か 貰 っ て き た イ ン フ ル エ ン ザ に 掛か っ た 、 し か し 会 社 で 集 団 予 防 接 種 を 受 け てい た 為 に 千 登 世 が 寝 込 む こ と は 無か っ た が 、 太 陽 に も 当 た ら な い 不 健 康 な 上 に 、 外 部 か ら 隔 離さ れ た 無 菌 室 の よ う な 所 で 日 常 を 送 っ て い る明 日 香 は ひ とたまりも無かった。 八 年 間 風 邪 ら し い 風 邪 も ひ か な か っ た の は 、 気 が 張 っ てい た の は 確 か だ が 奇 跡 に近い、巷では何度かインフルエンザの流行があったが運良く通り越していた。 四 十 度近 い 熱 に う な さ れ る 日 が 一 週 間 続 い た 、 医 者 に 掛か る 訳 に も 行 か ない 、 千 登 世 が 買 っ て く る 売 薬 を 飲 む が 何 の 変化 も 無 い 、 明 日 香 も 千 登 世 も 若 し か し たら死ぬのではないかと考えた、又命を取り留めても後遺症が残る事を恐れた。 さ す が に 千 登 世 も 観 念 し か か っ た、 明 日 も 熱 が 下 がら なか っ たら 医 者 に 来 て も らう事を考えた。 そ の 時、 頭 に 浮 か ん だ の が 自 分 の 名 前 で医 者 に 掛 か れ ば 良 い の だ 、 し か し 明 日 香の体は首から下は男だ、聴診器を当てられたら拙い。 次に考えたのが自分も同じインフルエンザに掛かれば薬は手に入る。 千 登 世 は 一 度 風 呂 に 入 り 薄 着 で ベ ラ ン ダ に 出 た 、 十 分 もし な い う ち に す っか り 冷 え 切 っ てし ま う 、 か れ こ れ 三 十 分 間 耐え 部 屋 に 戻 っ た 時 は 体の 芯の 底 ま で 冷 え切っている。 てき面に風邪の症状が現れる。 翌朝には、明日香より悪いのではと思える程の症状が出た。 よろける足取りで団地内にある診療所に一番乗りした。 診 療 所 で は 、 今 日か ら ど う し て も 避 け ら れ ない 一 週 間 の 出 張 に 出 な け れ ば 成 ら な い の で 薬 は 一 週 間 分 欲 し い と 願 い 、 三 日 分 し か 出 せ な い と 言う の を 半 場 強 引 に貰う。 そ れ を明 日香 に飲 ま せたと ころ 、熱 は 下 が りだし 夕方 には三 十八 度 前 後 迄に な った。 しかし千登世の熱はなかなか下がらない。 翌 日 は 三 十 七 度 少 し ま で に 下 が っ た 明 日 香 が三 十 八 度 を 超 え てい る 千 登 世 の 世 話をすることに成った。 そ れ で も そ の 日 か ら 二 日 後 に は 二 人 と も三 十 六 度 前 後 の 平 熱 ま で 下 が り 、 恐 怖 の一週間半を乗り切った。 又 、 千登 世の 命 がけ の 行 為 に救 われ た 、 こ の 年 は 二 人 にと っ ては 最悪 の 年に 成 ってしまった。 八 年 目 に し て 気 の 緩 み が 出 てき たと 大 き く 反省 さ せら れ た 、 そ ん な 年 の 暮れ は 取合えず無事過ぎた。 八年目の教訓を胸に九・十・・・十四年と過ぎ去っていた。 しかし、最大の危機はこの最後の年に来た。 時効まで後半月という六月のある蒸し暑い日の午前十一時。 明日香の住む直ぐ下の階でガス爆発が発生した。 大地震 のよ う な揺 れと 共 に ベ ラン ダ には 真 っ 赤な炎 が 大 き く 吹 き 上 が って 居 る 。 やむ な 暑 さ で 何 時 も の 様 に シ ョ ー ツ 一 枚 で コ ン ピ ュ ー タ ー に 向か っ てい た明 日 香 は 慌 てた。 一 度 寝 室 に戻 り Tシ ャツ を 着 た が 胸 が 平 ら なの に 気 が 付 き シ ャツ を 脱 ぎ ブラ ジ ャーを着けてから着直おす、煙は割れたガラス窓からどんどん入ってくる。 朝着けていたスカートを探すが煙の為に見つからない。 已無く、目に付いたエプロンを手に持つと玄関から飛び出した。 廊 下 に は 沢 山 の 人 が 飛 び 出 し て い る 、 当 然 隣 の 部 屋 か ら も 出 て き てい る 、 六 十 に手が届きそうな小太りの女性が出ていた。 そ し て、 留守 と 思 っ てい た 部 屋 か ら 煙 と 共 に 人 が 飛 び 出 し て き た 、 そ れ も下 は シ ョ ー ツ だけ で 、 驚 い た そ の 婦 人 は 目 を丸 くし 火 事 を 忘れ た よ う に明 日 香を 見 ている。 そして、急に「下・下」と指差した。 明 日 香が慌てて手にしてい たエプロ ン を腰 に捲く、し かし 全 部は隠れ な い、 お 尻が丸出しになっている。 婦 人 は 、 もう 明 日 香 が 部 屋 に は 戻 れ な い と 判 断 す ると 、 自 分 の 部 屋 に 飛 び 込 み スカートを手に直ぐ戻ってきた。 「此れを使いなさいな」 と手渡してくれる。 明日香は「済みません」と言いながら受け取り着ける。 その時に婦人は明日香の股間をはっきりと見てしまっている。 それに気が付いた明日香は、 「姉に電話してきます、これ暫くお借りします」 と言い、そこから離れた。 一階に下り公衆電話に近寄るが、お金を持っていないことに気が付く。 人間緊急時には結構機転が働くようで、直ぐ近くの蕎麦屋に飛び込むと、 「 済 みません、 電話を貸し てもらえ ませんか、 私 の部屋の 直ぐ下 が火事 にな っ て お り 慌 て て 飛 び 出 し て 来 て、 お 金 を 持 っ てい ま せ ん 、 姉 に 連絡 を し た い の で す」 「それは大変だ、ああ・いいですよ」 明日香はうろ覚えだが千登世の会社にダイヤルをする。 幸い、間違いなく一度で繋がった。 千登世を呼び出してもらうと 「 お 姉さ ん、 直 ぐ 下 の 階 で 大き な爆 発 が あ り今 燃 え て い る の 、 急 い で 帰 っ て 来 て」 と言うと直ぐ切り、店の主人にお礼を言い暖簾をくぐる時に。 「ちょっと待って」 明日香は心臓が止まるかと思うほどドキッとした。 「靴を履いていない、裸足では怪我をする」 と言いながら、サンダルを出してくれた。 「済みません、お借りします」 頭を下げて店を出る。 し か し 、 もう 部 屋 に は戻 れ ない 、 必 ず 警 察 の 事 情 聴 取 が あ る に決 ま っ て い る 、 隣の奥さんにも男である事を悟られてしまったようだし。 蕎麦屋の店主にも顔を覚えられてしまっただろう。 何れ不審者として問いただされる。 明日香は蕨駅の改札で千登世を待つ事にした。 駅について二十分ほどで千登世は走ってホームから階段を上がってきた。 未だ消防のサイレンは鳴っているのがここでも聞こえる。 「どうしたの、こんな所で」 「でも、近所の方々に見られてしまいました、もうあそこには戻れません」 「そう・・・私達の家も燃えているのね」 「 は っ き り は 分 か り ま せ ん け ど 、 煙 は 物凄 く 、 炎 も ベ ラ ン ダ か ら 入 っ て い ま し た」 「そう」 「どうしましょう」 「どうするって、困ったわね」 「 お 姉さ んも帰 れな いと 思 い ま す、 私 の事 は 直 ぐ にバ レル でし ょ う、 す ると お 姉さんも匿ったと言う事で罪を問われます」 「 ・ ・ ・ ・ ・ 分 か っ た わ 、 取 り あ え ず 貴女 は こ れ か ら 電 車 に 乗 り 少 し で も 遠 く に行きなさい、この携帯とこのお金を持って」 「・・・・」 「私は一度家に帰るわ、そして後で貴女の後を追うわ」 「・・・」 「 そ れ に 、 そ の ス カ ー ト 貴 女 に は 似 合 わ な い 、 ど こ か でジ ー ン ズ で も 買 って 着 替えなさい・・・そう、伊豆高原が良いわ、確かあそこに貸し別荘が有ったわ、 取り合えず行きなさい、着いた頃に連絡をするわ」 千登世は自宅に戻る。 自宅は貰い火で全焼していたが既に鎮火はしていた。 玄関の前と部屋の中に消防士が居たが警察官は居なかった。 「私、この部屋の者です」と玄関の消防士に声を掛ける。 「お気の毒です、全焼です」 部 屋 を 覗 く と 見 る も 無 残 に 焼 け て い る 、 そ れ を 消 防 士 二 人 が 鉤 の よ う な もの が 付 い た 棒 で散 ら か っ た 布 団 や 衣 類 を ひ っく り 返 し てい る 、 火 が 残 っ て い な い の を確認しているようである。 「私は如何したら良いのでしょう」 「 後 で 警 察 と の 現 場 検 証 が 有 り ま す の で 連 絡 先 を 交 番 に 届 け て置 い て 下 さ い 、 今はご家族でも中には入れません」 隣は水を被ったが燃えては居ない。 千登世は隣のベルを鳴らす。 「済みません、隣の者です」 う ち 「大変だったわね、お宅は全焼をしてしまったようね、我家も水浸し」 「はい、如何したものか途方に暮れています」 「そういえば、爆発直後に若い方が飛び出してきたわよ」 「 は い 、 た ま た ま 妹 が三 日 前 か ら 来 て い ま し た 、 妹 か ら の 連 絡 で 急 い で 帰 っ て きました」 「妹さん?」 「はい、何か?」 千登世は やはりと不吉な予感がした。 「 何 か 男 性の よ う な 感 じ だ っ た け ど 、 で も そ う 言 え ば ブラ ジ ャー はし て い た わ ね」 「・・・・・・」 「 下 着 だ け で 飛 び 出 し て き たの で、 最 初 は 髪 が 長 い し 女 性 と 思 っ て 私 が ス カ ー ト を 貸し て 上 げ た の よ 、 そ の ス カ ー ト を 穿 く 時 に 見 え た の だ け ど 妙 に あ そ こ が 膨らんで居たのよ」 「 ・ ・ あ あ、 妹 は生 理 が 始 ま っ たば か りだ った の です 、 あ の 子最 初 は 多 く て 何 枚も重ねて使う変な癖が有るのです」 「そう、それで慌てていたからずれたのね」 とは言ったものの、顔はまるで信じていない表情をしている。 千 登 世は やは り これ は危 険 だと 判断 し た、 絶 対 に 誰か に喋 ると思 った、 噂 が広 がる前に動いてしまわないと、大変な事になると考えた。 「 私 は 此 処 に 居 ます 、 そ し て 中 に 入 れ ない よ う な の で 取 り あ え ず 実家 に 行 っ て います、何か有ったら連絡を頂けませんでしょうか」 と 名 刺 に 実 家 の 住 所 を 書 き 渡 す 、 彼 女 の 見 てい る の を 意識 し な が ら 部 屋 を 覗 き 其処を去る。 千 登 世は 駐 車 場 に下 りた 、 離れ た 場 所 に 有 る駐 車 場 に も消 防 車は 居 た が 、 幸 い 車は出す事ができた。 駅前の公衆電話から明日香に電話を入れる、なかなか出なかった。 「もしもし」と暫くして返ってきた。 「明日香、私よ、今何処」 「東京駅です」 「そこで待っていて、四十分程したら銀の鈴待合所に行って」 千登世は車を駅近くの有料駐車場に入れると直ぐに電車に乗った。 東 京 駅 に 着 く ま での 車 中 は 、 対 策 が 頭 の 中 でク ル ク ル と 回 る 、 東 京駅 に 着 く 頃 にやっと取合えずの結論を出した。 東 京 駅 で 落ち 合 った 二 人 は 伊 豆 高 原 ま でク レジ ッ ト カ ード で 切 符 を買 い 新 幹 線 に 乗 っ た 、 千 登 世 は 現 金 を で き る だ け 残し て置 く 為 に ク レ ジ ット カ ー ド を 使 う ためら 事にしたのである、一瞬躊躇ったでも請求は来月以降だからと考えた、それが 後で災いをもたらすとは考えなかった。 熱海で乗り換えて伊豆高原駅に着いたのは三時前だった。 出 来 る だ け 人 目 に 付 か な い よ う にタ ク シ ー に は 乗 ら ず 、 二 十 分 程 歩い て 海 岸 近 くの貸し別荘に着いた。 明 日 香 を レス ト ラ ン に 待 た せ 、 同 じ 階 の フ ロ ン ト で 千 登 世 が 手 続 き を 済 ま せ る と、千登世だけが説明を受けに案内の後に付いて行った。 十 分 もし な い 内 に レ ス ト ラ ン か ら 見 え る 道 路 際 で 千 登 世 は 明 日 香 に着 い て く る よ う に 目 で合 図 をす る、 勘 定を 済ま せ る、 千登 世 はそ れ を 確 認 す ると 数 歩先 に 借りた建物に向かって歩いていく、明日香が離れて後を追う。 「 取 敢え ず十 六 日 間 借 り た わ、 時 効 の 翌 日 の 夜 ま でよ 、 此 処 でそ れ ま で 過ご し て い て、 私は 明 日 食 料 を 持 って もう 一 度 車 で 来 る わ、 それ 以 後 は 来な い ほう が 安 全 と 思 う の 、 貴女 は そ れ ま で 、 で き るだ け 表 に 出 な い で 此 処 で 過 ご し て 、 只 掃 除 の 人 が 来 た 時 だ け は で き る だ け 顔 を 見 ら れ な い よ う に し てい て ね 、 多 分 順 番 だ か ら それ ら し い の が 近 く に 来た 時 は散 歩 に 行 く の が 良 い か も し れ な い わ 、 そ れ に 電 話 を 置 い て い く わ 、 で も絶 対 に 出 た り 掛 け た りし て は 駄 目、 私 は 必 要 な 時 にメ ール を 入れ るか ら それ だけ を 見て、時 間 は朝の十 時 にそ れ 以 外 は電源 を 切 っ て 置 く 事 、 決 し て 忘 れ な い で ね 、 今 日と 明 日 の 昼 ま で は ド ラ イ ブ イ ン で 買ってきたお弁当で我慢して」 それだけ言うと、明日香の返事も質問にも答えず急いで帰っていった。 その夜は実家に泊った千登世は、父親に 私[は明日早くから、どうしても外せな い 取 引 が 有 る の で、 火事 で 焼 け た 部 屋 に 一 度 行 っ て欲 し い の 、 後 始 末 は 明 後 日 か ら 休暇 を 取 っ てす るか ら 、 も し 警 察 や 消 防の 事 情 聴 取が 有 った ら 後 日 に行 か せますと言って置いて と]頼む。 翌 日 は 最 初 に 車 が 来 た 時 の ド ラ イ ブ と 同 じ よ う に 朝早 く 出 発 し た 、 ト ラ ン ク に は 昨 日 中 に、 大 量に 買 う 事 が不 信 に 思 わ れ ない よ う に ス ー パ ーマ ー ケ ッ ト を 三 軒に分けて買い込んだ食料品が積んである 前回より少し遅い八時半に伊豆高原の貸し別荘に到着した。 荷物を降ろすと、 「私は直ぐ帰るわ、何か必要なもの有る? 」 「いいえ、思いつきません」 「 多 分、 私は 貴 女の 事 で 数 日 中 に 必 ず 事 情 聴 取 さ れ る わ、 口 は開 か な い け ど 、 尾 行 や 盗 聴そ し て昨 日と 今 日の 行 動 を 調 べ ら れ る と 思 う の 、 だか ら こ れ か ら 十 六日間は絶対に連絡を取らないから其の積もりで、貴女も慎重に行動してね」 と言うと帰っていった。 千登世は十二時には実家に戻れた。 父は十時半頃に出かけて未だ帰っていないとの事で、そのまま団地に戻る。 部 屋 の ベ ラ ン ダ に 何 処 か ら 持 っ てき た の か 白 い 肘 掛の 椅 子 に 座 っ てい る 父 が 居 た。 「もう帰ってきたのか、早かったね」と父が言う。 「取引先の方も事情を話したら、用事を早めに切り上げてくれたの」 「 そ うか 、 少 し 前に 警 察 が 来た が、 お 前が 昨 夜 言 った よ う に 、 何 も言 っ と ら ん か ら な 、 必 要 な ら 娘 が戻 っ た ら 行 か せ ると 言 っ た ら 、 結 構 で す 又 後 ほ ど 伺 い ま すと言って帰ったよ、又来るかも知れんよ」 「そう、ありがとう・・・お父さん帰る?」 「いやもう少し居よう、何か手伝おうか」 「そうね、其の前に食事に行きましょう」 階下に下り、一階の蕎麦屋に入った。 「 あ れ、 片付 け て良いの か しら 、保 険会社 の調 査 等が 済ん でから でない と片 付 ける事はできないのではないかしら」 「わしも、分からんよ、未だ火事に遭った事が無いからな」 「それはそうよね」 「 し か し お 前 、 随 分 落ち 着 い て い る ね 、 皆 焼け て し ま っ た の に 大 事 な 物 も 有 っ ただろうに」 「それは有ったわ、でも仕方ないわ、泣いても元に戻せないもの」 「 そ れ は そう だ が、 お 前 も 独 り の 生 活 を す る様 に な っ てか ら 随分 と 大 人 にな っ たな」 千登世は待っている間に蕎麦屋から保険会社に電話をした。 保 険 会社 は既 に 昨日の内 に調査 に来 ているとの 事 で、 室内 を片付 けるの は問 題 な い と の 返 事 で あ っ た 、 そ し て 貰い 火 な の で保 険 金 も 全 額 出 る だ ろ う と も 言 っ ていた。 翌 日 も翌 々 日 も 警 察 は 来 な か っ た 、 千 登 世 が 心 配 し て い た 事 は 思 い 過 ご し だ っ たかなと考え始めている。 し か し 、 十 五 年 が 無 駄 に 成 っ て はと 考 え て い る 千 登 世 は そ れ か ら 三 日 後 に、 念 の 為 妹の 麻知 子 に電 話し た 、 火 事 の 日 に 千 登 世 の 所 に 来 て い たと の 口 裏 合 わ せ を頼む為に。 千登世が 警{察から と]言った途端、麻知子は思わぬ事を言った。 「警察・・警察から 一昨日問い 合わせ が来たわよ、火事の 日にお姉さ んの所に 居ましたか? って」 「もう・・それで何と答えたの」 「勿論、行っていない・と答えたわよ」 「そう、分かったわ、ありがとう」 後は麻知子が 警[察がどうのって、何の事 と]言っていたが、千登世は何も言わず に、と言うより何も言ええずに切った 「やはり思っていた通り隣の奥さんが喋ったのだ、如何しよう」と呟く。 警 察 は 火 事 で 全 焼し た 住 居 人 と の 連 絡 を 取 る た め に 隣 家 に 問 い 合 わ せ た 、 勿 論 普段から付き合いの無い隣人の勤め先は元より家族が居る事も知らない。 しかし、 私[は顔を合わせた時におはよう・こんにちわ・の挨拶程度の付き合い し か ない の で 家 族 が 居 た 事 もど んな 仕 事 を し て い るか も知 り ませ ん、 あ の 火 事 の 時 に 妹 と か 言 う 人 が居 て ス カ ー ト も 着 け な い で 飛 び 出 し て き た 、 そ の 人 に ス カ ー ト を 貸し て あ げ た け ど 、 戻 っ て き てい な い 、 一 時 間 程 し て 時 々 挨 拶 を す る おとしい 人が戻ってきたが、直ぐ居なくなった ] 此 処 まで 済まし てく れ れ ば 殆ん ど問 題 無く 明 日 香 は十 五年 を 迎え る事 が でき た のだが、女性の詮索好きが明日香と千登世を恐怖に 陥 れた。 で[も飛び出してきた人上は女だったけど、下は違うみたいだった と]言った。 警察が[如何いう事か] 、と聞くと。 「 貸し て あげ た スカ ート を 穿 く と き チ ラ ッ と 見 え た の だ け ど 、 あ れ は 女 の 形 で は無かった、多分男だと思う」 警 察 で は こ の 事 は 直 ぐ に は 関 心 を 持 た れ な か っ た 、 し か し 報 告書 を 読 ん だ 署 長 は関心を持った。 女 装 趣味 者 が 同 居 人 と 言 う 事 な ら 、 そ ん な の も 有 る だ ろ う で 済 ん だ が 、 被 害 者 共々が居なくなった事に若干の疑問を持った。 明 日 も 連 絡 が 取 れ な い よ う な ら 、 調 査 をし て み る 必要 が 有 る か も 知 れ な い 、 と 考えていた。 火 事 の 報 告書 で は 被 害 者 の 父 親 が 来 て い た 、 父 親 の 話 で は 本 人 は 外 せ な い 仕 事 とかで会えないと記載されている。 署長は妹に当時被害者宅に居たかどうか調べるように指示。 直ぐに判明、妹は一人、しかも当日は行っていないし暫く姉とも会っていない、 との報告に署長には閃きが有った、指紋採取を命ずる。 し か し 、 室内 は 全 焼 し て 居 る た め 採 取 不 能 だ が 、 玄 関 ド ア ー は 大 分 消 火 の 水 を 浴 び てい た の と そ の 後 に 多 く の 人 が 触 っ た た め 、 火 事 当 事 と そ れ 以 前 の 指 紋 採 取は難しかったが、それでも不完全ながら幾つかの指紋採取はできた。 結 局 は 不 信 な 者 と の 照合 ・ 発 見 は で き なか った 、 し か し 署 長 は閃 き を 諦 め き れ なかった、他に焼けなかったものは無いのか・・・そうだ車だ。 彼[女は車を所有しているのか、していたら何とかしてそれから指紋採取をして こい ] と命じた。 結果は署長の閃き通り、吉岡克夫が浮かび上がった。 直 ぐ に 県 警 本 部 と 熊 谷 警 察 署 に 連絡 が 行 く 解散 状 態の 捜 査 本 部 が 再 度 召 集さ れ た。 千 登 世 の 参 考 人 聴 取 又 は 犯 人 隠 蔽 で 逮 捕し て 調 べ る 事 が 議 論 さ れ た が 結 論 は 、 何 時 で も 千 登 世 は 逮 捕 で き る 、 だ が 吉 岡 克 夫 は 時 効 が 目 前 に 迫 っ てい る 、 吉 岡 を 確 実 に 逮 捕 す る に は 千 登 世 を 泳 が せ 連絡 を 取 り 合 う の を 待 つ 方 が 賢 明 だ ろ う と成った。 千 登 世に 事 情 聴 取や 逮 捕 し た処 で絶 対 に 黙 秘 を す るだ ろ う 、 何し ろ 十 五 年 も 匿 ったのだから。 そのような訳で千登世に警察からの接触は無かったのである。 し か し 、 千 登 世 は 一 切 吉 岡 克 夫 こ と 明 日香 に は 連 絡 を 取ら な い 、 何 時 も と 変 わ らず勤めに出ている、当然出勤と帰宅場所は実家に移っている。 千 登 世 も 麻 知 子 に 連 絡 を 取 っ た 翌 日 か ら 尾 行 が 付 き 始 め た と 気付 い て い る 、 し か し 気 が 付 か な い 振 り を し てい る 、 何 時 も と 変 わ ら な い 勤 務 、 い や 何 時 も 以 上 に真面目に仕事と日常生活をしている。 三日・四日と経つと流石に警察も焦りの色が濃くなってくる。 其 の 間 に 火事 の 日か ら 最 近 ま で の 千 登 世の 行 動 を 調 べ てい る 、 し か し 火 事 当 日 五 時 間と 翌 日 と 午 前 中の 行 動 が どう し て も 掴 め な い 、 遂 に 警 察は 千 登 世 の 事 情 聴取を決める。 千 登 世 が 勤務 先 か ら 出 た 所 でそ の ま ま 捜査 本 部 の あ る 熊 谷 署 に同 行 を 求 め ら れ る。 熊 谷 警 察 署 で 千 登 世 は 一 切 口 を 開 か な い 、 翌早 朝 ま で 続い た 参考 人尋 問 が不 調 に終 わった警 察は千登世を 朝一旦帰 宅させ るが、 翌日の夜明 けに今度は 殺人犯 吉岡克夫隠蔽容疑の逮捕状を持って来た。 し か し 何 を聞 か れ て も一 切 返事 をし な い 千 登 世 で ある 、 実 家 の 家 宅 捜 査 が行 わ れ た が 結 果 は 、 元 々 此 処 で は な い 場 所 で秘 密 裏 に 匿 っ てい た 吉 岡 克 夫 こ と 明 日 香に関するものは一切発見される筈もない。 千 登 世の 私 物 も 火事 以 降 に 購入 し た 身 の 回 り品 以 外 は メ モ を 含め 何 も 発 見 で き ない。 し か した また ま 来ていたク レジ ット 会社の 請求 書 を目 にし た 刑事 は、 若 しか し た ら 移 動 機 関 に ク レ ジ ッ ト カ ー ド を 利 用し てい る か も 知 れ な い と 考 え 、 ク レ ジ ット会社に調査を依頼した。 ク レジット会社から は短時間の内に調 査結果の返事が来た、東京駅から伊豆高 原 迄 二 枚 の 乗 車 券と 新 幹 線 自 由 席 特 急 券 を 同 じ く 二 枚 購 入 し てい る 、 そ し て 同 日伊豆高原から東京迄を一枚を購入と連絡が来た。 千 登 世 に すれ ば 読 み 違 っ た わけ で あ る 、請 求 が 来 月 な の で そ の 時 に分 か って も 問 題 ない と 考 え た が 、 ク レ ジ ッ ト カ ー ド を 使 用 し た 場 合 は ク レジ ット 会 社 へ の 使 用 結果 は 短 時 間 で 届 く 事 を 知 ら な か っ た 、 そ の 月 の 分 を ま と め て請 求 さ れ る と思ってしまったのである。 警 察 は逃 亡 先 が 伊 豆 高 原 と 分か り、 行 き 先 は 母 親 の 所 と 推 測 し た 、 そ し て 千 登 世は直ぐに戻り明日香のみ残ったと考えている。 し か し 明 日香 は 母親 の居 場 所を 知ら な い 、 第一 伊 豆高 原が 伊 東 市 だと 言 う こ と さえ知らなかった。 母親を尋問するが当然 知[らない・来ない・連絡も無い と]言うだけで有る。 警 察 は そ の 真 偽 を図 りか ね た が 、念 の 為ホ テル 旅 館 そ れ に 貸 し 別 荘 を 虱 潰し に 調べた。 しかし此れは千登世の読み勝ちで貸し別荘は現金払い架空名義で契約をした。 警 察 は 明 日 香 と 千 登 世 が 伊 豆 高 原 に 来 てい る 事 は 解 っ てい る 、 母 親 に 逢 い に 来 て 直 ぐ戻 ったの か、 これ は 数年 前の 逆探知 で分か った 日光 か ら 母親へ の 電話 、 そ し て翌 日の 埼 玉花 園 町 へ 不 審 者 が 訪 ねた 、 何 れ も僅 か に 緊 急 手 配 が 遅 れ 取 り 逃 が し て い る 、 母親 を 気 に し て い る 事 は 分 か っ て い る 、 そ れ ら を 母親 が シ ラ を 切 っ てい る の だ ろ う か 、 只 こ れ 等 は 日 光 か ら の 母 親 へ の 電 話 以 来 、 伊 豆 高 原 に 移 っ た 母 親 に 監 視 が 付 い てい る の で 遭 って い る と は 思 え な い 、 こ の 伊 豆 高 原 は 母 親 に は 関 係 無 く 潜 伏 先 に 選 ん だ 可 能 性 も 高 い と 読 ん でい る 、 警 察 が 掴 ん で い る 何 度 か の 千 登 世と 明 日 香 事 吉 岡 克 夫 の 動 き に は 常 に 裏 を 斯 か れ てい る 可 能 性 が 高 い 事 も承 知 し て い る 為 、 今 回 も 裏 を 斯 く 積 も り な ら ば 此 処 伊 豆 高 原 近 辺 に 潜伏していると考えるべきとした。 翌朝警察が再度改めて調べ直しを始めた。 明 日 香 に と っ て 運 の よ い 事 に 、 警 察 が 貸し 別 荘 の フ ロ ン ト 棟 に 来 た 時 に 、 丁 度 部屋の掃除とぶつかり散歩に出た処であった。 桜 並 木越 し に 警 察 官 を 見 た 明 日 香は 何 時 も の 城 ヶ 崎海 岸と 違 う 反 対方 向 の 旧 国 道135号線に出た。 湘南ナンバーのライトバンに手を上げると車は少し先迄行過ぎて止まった。 「すみません、どちらまで行かれるのですか」 「平塚迄ですけど」 「途中まで乗せて行っていただけませんでしょうか」 「・・まあ・・それは良いですけど」 ほと と若い美人に頼まれた二十代半ばの青年は殆んど二つ返事でOKをした。 そ の 頃 、 此 れ か もし れ な い と 目 星 を 付 け た 刑 事 は 、 明 日 香 の 借 り た 別 荘 棟 に 来 たが、其処には掃除中の中年女性だけが居る。 「此処を借りている人は?」 「何時も掃除の時は散歩に行っています」 「行き先は?」 「 多 分 、 今 日 も 海 岸 に出 て い る と 思 い ます よ 、 海 が 好 き な 人 で殆 んど 午 前 中 は 海岸で過ごしているようです」 「ありがとう」 刑 事 は 一 人 を 残 し て 、 海 岸 に 急 ぐ 、 し かし 此処 は 城 ヶ 崎 海 岸 自然 研 究 路 と 言 っ て 、 全 長 で 1 0 キロ 近 く 有 り 歩 く と 四 ・ 五 時間 以 上 か か る 、 此処 はそ の 中 間 付 近で南と北側の両方に行く遊歩道が有る。 し か も 自 然 を そ の ま ま に 残 し て あ る 為 、 遊 歩道 と 言 っ て も 程 度の 良い 獣 道 に 近 い 、 お ま け に 釣 り人 が 自 由 に海 岸 に 行 く 為 に あ ち こ ち に地 図 には 載 っ て い な い 脇道みたいなのが沢山枝分かれしている。 刑 事 も こ こ を 歩 か れ 自分 の 好 き な 海 岸 に で も出 て い た ら と て も見 つ け ら れ な い と考えた。 「参ったね、此処を探すのは無理だね、貸し別荘で張るより方法が無いな」 年輩の刑事の言葉で引き上げる事にした。 一時間経っても帰ってこない、 「おい、掃除をしていた人に何時もどの位散歩しているか聞いて来い」 と先程と同じ年輩の刑事が言う。 その頃明日香は小田原近くまで来ていた。 道 中 運転 し て い る青 年か ら の問 い に は 笑顔 で答 え る が 、頭 の 中は 見つ か ら な い ように逃げる方法を乗せてもらった時から考えていた。 「小田原の駅近くで降ろして頂けますか?」 「良いですよ、でも良かったら小田原で昼でも一緒しませんか、おごりますよ」 明 日 香 は 迷 っ た 、 も し こ こ で断 った ら 、 指 名 手 配 の 者 と 分 か っ た 時点 で 直 ぐ 届 け ら れ る だろ う 、 食 事 を 一 緒 に し て 情 を 深 め て お け ば 直ぐ に は 届 け な い だろ う と考えた。 しかし、時間は無い、直ぐ警察は手を打つだろう。 「 す み ま せ ん 、 今 日 は 時 間 が 無 い の で 、 後 日 連 絡 さ せ て 頂 き ます 、 そ の 時 に 私 がお礼の意味で食事をご馳走させていただきますわ」 「そうですか、残念だけど仕方ないですね」 「お名刺を頂けます、後で電話します」 彼は自分の自宅と携帯電話の番号迄も書き足して渡してくれた。 「貴女の名前も知りたいな」 「よ・し・・吉田香織と言います」 貸し別荘で使っていた名前を言う、言ってから不味かったかなと思った。 「香織さん・・いい名前ですね、素敵だ、美人だしぴったりですね」 「そんなー・・そんな事は有りません、今度会える日を楽しみにして居ます」 明日香は小田原駅で名残惜しそうな青年の車を降りる。 「ありがとうございました」 「 い い え 、 こ ち ら こ そ 、 楽 し い 時 間 で し た 、 電 話 を 絶 対 に 下 さ い ね、 待 っ て い ますよ」 一方伊豆高原では、 「毎日午前中一杯は帰っていないそうです」 「そうか、後一時間半以上有るな」 「如何します、待ちますかそれとももう一度探しに行きますか?」 「探しに行っても無駄だろう、何箇所かに分かれて待とう」 刑 事 達は フロ ン トの 近 く や 海岸 への 出 入り 口、 そ し て 別荘 地 の 幹 線 道 路 と は 言 っ て も 別 荘 地 内 専 用 の 道 路 に近 い 為 殆 ん ど 車 は 通 ら な い 、 こ こ に 永 住 し てい る 人達の散歩道の趣に近い、その道路の交差点数箇所に張り込む。 十二時を過ぎても吉岡克夫は戻らない。 「おかしい、感づかれたか」 「緊急配備をしますか?」 「 逃 げ た と し た ら 、 か れ こ れ 三 時 間 か ・ ・ 直ぐ 逃 げ た と し た ら 大 分 遠 く に 行 っ て い るだ ろ う 、 張 り 込 み を 始め てか ら なら この 近 く に 居 る か も知 れ な い が・ ・ そ れ で も 一 時 間 以 上 経 っ て い る と 考 え な け れ ば ・ ・ ・ 、 真 っ 直 ぐ に駅 に 行 っ た としたら二十分、伊豆高原と城ヶ崎海岸駅の時刻を調べてくれ」 明 日 香こ と 吉 岡 克夫 が運 良 く 刑 事 達 が 来た 時に 気 が付 い て 直 ぐに 逃 げ た と は 考 えていない、掃除の人の[今、海岸に散歩に出た]との話で惑わされている。 フロントに張ってある時刻表で直ぐに分かった。 「伊豆高原十分前に上りも下りも出ています、その前は特急の上りが二十分前、 普通は四十分前です」 「 前 の 普 通は ギ リギ リだ な 、よ し 特 急 と 十 分 前 の 普通 を調 べ ろ 、 伊 東 警 察と 熱 海警察にも協力を頼め」 「下りと、バスは如何します」 「 そ れ は 捨 て よ う 、 し か し 13 5号 線 と ス カ イ ラ イン それ に 修 善 寺 に 抜 け る 道 の検問」 緊急 配備は張られた、明 日 香は既に小 田原から小 田急 で新松田そして御殿場線 に乗り換え御殿場で下車している。 御殿場からバスで富士に向かっている。 明 日 香 は 学生 時 代 に 来 た 事 の 有 る富 士 山 の 麓 に 広 が る 樹海 に 入 り 込 み 、 安 全 を 見 て 三 日 か ら 四 日 を 過ご す 事 を 考 え て い る 、 既 に 小 田 原の デ ィ ス カ ウ ン ト ス ト ア ー で ザ ック と 帽 子 と 靴 、 ス ー パ ー マ ー ケ ット で 食 料 品 そ れ に百 円 シ ョ ップ で 小 型 ラ ジ オと 懐 中電 灯・ ナ イ フ ・ ラ イ タ ー それ に カ ッ パと 小 説を 数冊 買 い 込 ん でいる。 緊急配備が張られた頃には既にバスも下車して山林に入り込んで居る。 実は、バスは降りたかった停留所では誰も降りる様子が無いので二つ先の観光 地 で 降り る、 此 処 で は十 五 人程 が 降 り た、 バス が 来た 道 を 引 き 返 し 目 的 の 停 留 場から山林に入ったのである。 明 日 香 は 、 小 田 原 の シ ョ ッ ピ ン グセ ン タ ー の ト イ レ で 髪 を 落 と し てい る 、 見 よ う に よ っ て は 男 に も 女 に も 見 え る 、 服 装を 変 え る 事 で ど ち ら に も 見 え る よ う に と考えた、今は男の格好である。 伊 豆 高 原 で は 、 刑事 たち は 逃 げ ら れ た と 考 え て い る 、 恐 ら く 既 に 緊 急 配 備 に よ る検問の外に出てしまったのではと思っている。 「後二日しかない、直ぐ公開捜査に切り変えるように本部に連絡をしょう」 臨時ニュースと成ったのはそれから十分もしない。 テ レ ビ で は明 日 香の モ ン タ ー ジ ュ写 真 が映 さ れ て い る 、 千 登 世は 明 日 香 の写 真 を こ の 十 五 年 間 一 枚 も 撮 っ てい な い 、 警 察 に は 此 れ し か 無 い の で あ る 、 し か し 髪 と 年 齢 分の 変 化 が 加味 さ れ て 、 現 在 と 言 っ て も 少し 前の 形 に修 正を さ れ て い る為、直ぐに明日香と分かる。 臨 時 ニ ュ ー ス と 成 っ た の は 、 十 五 年 前 の セ ン セ シ ョ ナ ル な 出 来事 、 虐 め 問 題 で 日 本 中は おろ か 世界 中の 関 心を 集め た 事 件 であ る 、ニ ュー ス 価 値とし て は大き いし人々の関心と興味は更に大きい。 明 日 香 に と っ て は ラ ッ キ ー な 事 に小 田 原 ま で同 乗 さ せ てく れ た青 年 も ス ー パ ー マ ー ケ ッ ト 等 の 店員 達 も 、 公 開 捜 査 を 開 始 さ れ た 時 直 ぐ に は テ レ ビ や ラ ジ オ を 見ていなかった。 数時間後、最初にテレビのニュースを見たのは同乗させてくれた青年で有った。 彼 は 一 目 で [ あ の 時 の 人 だ ] と 分か っ た 、 偽名 の 吉田 香 織 も 確か にこ の 耳 で 本 人から聞いた。 彼 は 迷 っ た、 警 察 に 通報 す る べ き か 、 それ と も 知 ら ぬ 振 り を し た 方 が 良 い か 、 知らぬ振りをしておけば又会えるかも知れない、時効迄は後二日と言っていた。 だが名刺を渡してしまった、もし逮捕されてそれが出てきたら大変な事になる。 テレビを見なかった事、知らなかった事にしておけば、例え名刺が警察の手に 渡 っ て も 、 あ の 人 に 貸し が で き る 、 又 会 え る か も 知 れ な い 、 し か し あ の 人 の 本 当 の 正 体 は男 で 有 る と 言 う 、 し か し 自 分 が 知 っ て い る ど ん な 女 性 達よ り 美 人 だ った、又会ってみたい。 そ の 頃 、 明 日 香 は 暗 い 山 の 中 で ラ ジ オ を 聴 い て い た 、 自 分 が 公 開 捜査 さ れ た 事 を知った、そして例の青年が未だ通報していない事も感じた。 翌朝、青年は朝のニュースでは更に大々的に報道されている事を知る。 不 安 にな る、 こ れ だ け 騒 が れ て い て 、 知ら なか っ た で は 済 み そう に 無 い 、犯 人 逃亡の手助けをしたと逮捕されるかも知れないとまで考え始めている。 青年が平塚警察に届けたのは八時四十五分であった。 朝まで続けられていた伊豆地方の緊急配備は解除された。 警 察 で は 絶 望 に 近 い 空 気 が 漂 い 始 め た 、 昨 日の 早 い 時 間 に 小 田 原 駅 で は 既 に 日 本中何処にでも行けている時間に成っている。 念の為に各交通機関には問い合わせをしているが、期待は殆んどしていない。 それから一時間少し後に、小田原のスーパーマーケットから、 [似た人が缶詰を 沢山買って行った]との届け出が有ると連絡が届いた。 刑事たちは「それだ、潜伏の準備だ、遠くには行っていない」と言う声と共に、 小 田 原近 辺 で 身 を 隠 す 所 と 東 京 近 辺 を 含め た 周 辺 地 域 で 悟 ら れ な い よ う に隠 れ ていられる所は何処かと様々な角度からの検討に入った。 更 に 数十 分後 に 再び 小 田 原 警 察 か ら [ 大型 の ザ ッ ク を 背 負 っ た 女 が東 海 道線 の ホームにいた]と連絡が入った。 「それだけでは、何とも言えないな、今はザックを背負う事は普通だからな」 「 山 の 中 に潜 伏 の 可 能 性 も 有 る か も 知 れ ま せ ん 、 吉 岡 は 学 生 時代 ワ ン ダ ー ホ ー ゲル部に所属していたそうです」 「そうか、それなら考えられるな、よし思い切って絞ろう、我々は近辺の山だ、 特 に 吉岡 が 行 っ た事 の 有 る 山 を 重 点 的 に調 べよ う 、 丹 沢 ・ 箱 根・ 富 士 そ れ 以 上 遠 く に は 行 っ て い ま い 、 他 人 に 接 触 し な い 方 法 を 取れ ば 近 く だ 、 登山 道 の 最 寄 り駅の聞き込みをしろ、後一日半だ・・急げ」 何 処 の 駅 か ら の 聞 き 込 み も 不 調 に 終 わ る 、 七 月 は 何 処 も 入 山 季節 の 為 余 程 特 徴 がある格好か行動態度が無ければ気に留めない。 刑 事 は 学 生 時 代 の 部 員 仲 間 に聞 き 込 み をし た 結 果 は や は り 同 じ で どの 山 に も 行 っている、しかし吉岡はどちらかと言うと富士山が好きだったと言う者が居た。 警察本部では決定的な手がかりが無いだけに焦りの色が濃い、 「正味あと一日だ、一か八かだな、富士を当たるか」 「 富 士山 も広 い で す よ 、 そ れ に 吉 岡 は 今 ま での 行 動 を 見 て い ると 結 構 頭 が 良 さ そうです、万が一裏をかかれている可能性も否定できません」 「そうだな、しかしもう考たり、聞き込みをしている時間は無い」 「富士山への小田原からから一番近い登山道と言うと御殿場ですね」 「 よ し 御 殿 場 発 着 を し て い る バ ス 会 社 の 運 転 手 に当 た り 、 当 時昼 か ら 午 後 四 時 頃 までの 乗降客に吉岡らしい人 物が乗っていなか ったか調 べろ、それ に女装で は な い か も 知 れ ない 、 短 髪 に 直 し た 写 真も 至 急 作 り 全 員 に 持 た せ ろ 、 明 日 は 日 の出から始めるので今日中に御殿場に移動」 し か し 、 ま る で 証拠 ・ 根 拠 の 無 い 状 態 、 勘 だ け で 静 岡 県 警 の 大 捜 査 以 来 は で き な い 、 当 然 大 々 的 な 山 狩 り 等は でき る 状 況 に 無 い 、 捜 査 協 力 依 頼 につ い て は 警 察犬数頭とその担当警察官を出してもらえる事になった。 ラ ジ オ か ら の 情 報 を 聞 い て い た 明 日 香 は 捜 査 が 自 分 に 近 づ い てき てい る 事 を 悟 った。 多 分 警 察 犬 が 来 るだ ろ う 、 その 対策 を 考え た、 明 日 香 には 警 察犬 の 鼻 が どの 程 度凄いものか分からない。 取 合 え ず 、 自 分 の 臭 い を 残 し な がら 来 た 道 を 一 キ ロ 程 戻 っ た 、 溶 岩 が 露 出 し て い る 場 所 迄戻 る と 、 此 処 で 靴 の 上か ら 買 い 物 先 で 貰 っ た ビ ニ ー ル 袋 を 何 枚 も 重 ねて包むと用心深く岩の上だけを伝わって細い道路から離れた。 そうおん 正午位まで歩いただろうか、時間にして五時間程か溶岩洞の入口を見つけた。 中 は 結 構 深 そ う だ、 富 士 山 に は こ の よ う な 洞窟 が 幾 つ も 有 る 、 結 果 的 に は こ れ らも明日香を助けた。 「 此 処 で 捕 ま っ たら 運 が 無 か っ たと 言 う 事 、 仕 方 ない と 考 え よ う 、 此 の 洞窟 に 掛ける事にしよう、後六・七時間、暗く成るまでだろう」 この時刻捜査本部には、 [テレビに流れた吉岡の男性姿に思い当たる人物が御殿 場から砂走り行きに乗っていたようだった]との情報が入った、只[途 中で下 車したか、如何かはハッキリしない] 「 よ し 、 少 し 絞 れ た 、 現 場 に 連 絡 、 上 は 捨 てろ ・ ・ 森 に 絞 れ 、 静 岡 県 警 に 連 絡 捜査を依頼しろ」 三 時 頃か ら明 日 香の 頭 上 に ヘ リ コプ タ ー が 飛び 始 め た 、し か し 映 画 で 見 るよ う な犬の鳴き声は全く聞こえてこないのが、ヘリコプターの騒音による不安を消 している。 その頃、警察犬は明日香の通った道を発見した。 犬 達の 鼻 に は 二 時 間 程 進 ん だ 小 さ な 洞 穴 の 前 でプ ッ リ と 臭い が 途 絶 え た よ う で 、 洞 穴 と そ の 周 り を嗅 ぎ 回 り 元 来 た 道 に 戻 ろ う と す る、 明 日 香 が最 初 に 来 た 所 で ある。 「撒かれたようだ」と刑事が舌打ちをする 「 戻 り ま し ょ う 、 途 中か ら わ き 道 に 入 っ た の か も 知 れ ま せ ん 」 犬 の 担 当 官 が 助 言をする。 「よし、戻ろう、わき道や人が歩いた形跡のあるところは見逃すな」 刑事達は両脇を慎重にチェックをしながら戻り始めた。 一 キ ロ 程 先の 明 日 香 が逸 れ た岩 場の 前 を 犬 達は 何 事 も 無か っ たか の よ う に 通 り 過ぎる、明日香の作戦勝ちである。 しかし、刑事の一人が、五十メートル程行った所で、 「もしこの岩場伝いに歩いたら犬が感じる匂いが残るのだろうか?」 「難しいけど、残るでしょう」 「此処を、探して見てくれませんか」 犬達が一帯を探し始めた、なかなか明日香の匂いを探せなかった、刑事達が。 「ありがとうございます、此処から逸れたのではないようですね」 と言って元の道に戻ろうと、一頭が僅かに残る匂いを探し当てた。 時刻は三時半を過ぎた。 ここでも明日香の作戦が功をそうして、犬達が足跡を探すのに手間取っている、 歩みが極端に遅くなった。 一時間程進んだ所で、 「しかし問題 ですね、これ では帰る時間も考えないといけ ませんし、無線で指 示を得ましょう」 と 犬 の 担 当 官 が 御 殿 場 警 察 に 指 示 を 仰 ぐ、 御 殿 場 警 察 か ら は [ ギ リ ギ リ ま で 探 すように、引き上げはヘリをまわす]と言ってきた。 上空では相変わらずヘリコプターが旋回をしている。 明 日 香 は 祈 っ て い る 、 此 処 に 着 い た 三 時半 頃 か ら 未 だ 一 時 間 と 少 し し か 経 っ て い な い 、 この 一 時 間 は 一 日 に も 匹 敵 す るほ ど に 長 か っ た、 日 が 落 ち る 迄 後二 時 間森の陽は早いと言っても一時間以上は有るだろう。 明 日 香は この 気 の 遠 くな る ほ ど長い 時 間を 待 て る のだ ろう か 、そ の 前 に 気が 変 に成るのではとさえ思っている。 小 説 を 持 っ て 来 た の に 未 だ 一 ペ ー ジ も 読 ん でい な い 、 ラ ジ オ か ら の 情 報 を 聞 く ためダイヤルをクルクル回しているだけである。 気 が 付 く と 頭 上 の ヘ リコ プ タ ー の 旋 回 範 囲 が 狭 ま っ て い る よ う に 思え た 、 少 し 前 ま で は 一 度 過 ぎ去 ると 暫 く 戻 っ て 来 な か った の に 、 今 は 飛 び 去 って も 直 ぐ に 戻ってくる。 明 日 香 は 移 動 す る事 も考 え た 、 し か し ヘ リ か ら 発 見さ れ る 確 立 が 高 く な ると 思 えて決心が付かない。 ヘ リ コプ タ ー の 騒音 は明 日 香を 苛立 た せ た が、 苛 立 ち の 分 だ け 時 間の 経 つの が 早かった。 六 時 を ラ ジオ が 報 じ てか ら 暫 く し た 時 には 陽 が 隠 れ 空 は明 る い が 地 上 は 薄 暗 さ を 増 し 始 め た 、 し か し ヘ リ コ プ タ ー は 更 に 範 囲 を 絞り 、 殆 ん ど 明 日 香 の 頭 上 に 居るように思えた。 辺 り が 暗 く な っ てき た 、 洞 窟 の 前 は 暗 闇 に 慣 れ た 明 日 香 に も 殆 ん ど光 が 見え な い 。 ヘ リ コプ タ ーか ら の 光 が時 々 通 り 過ぎ る、 ヘ リコ プタ ー は二 機 に 増 え て い た。 明日香は生きた心地がしない、 [飛び出してここだ」と手を振りたい衝動にさえ 起きてくる。 時々犬の鳴き声も聞こえる。 遂に、ヘリコプターが上空で静止した。 明日香は観念をした。 暫く静止していたが、一機が飛び去った、もう一機は未だ静止飛行をしている。 明 日 香 は 捜 査 員 が ヘ リ コ プ タ ー か ら 降 り て い る と 思 っ てい る 、 今 二 機 目 か ら 次 の 部 隊 が 降 り て い る の だ 、 一 機 が 飛 び 去 っ た の は 増 援 の 者 を 迎え に戻 っ た の だ と想像している。 もう一機も飛び去る。 明 日 香の 頭 に は 、 こ の 十 五 年 は 何 だ っ たの だろ 、 それ も時 効 の 日 に 捕 ま るな ん て、と不運を嘆くと共に潜伏していた間の出来事が走馬灯のように駆け巡る。 「 お 姉さ ん あ り がと う 、 こ こ で 運 が 尽 き て し ま っ てご め ん な さ い 、 貴 女 の 人 生 を 棒 に振らし てしまって申し訳 なく 思っています」と神仏 を拝むよう に口にし ている。 ど の 位 時 間 が 経 った の だ ろ う 、 あ た り 一 面 は 耳 が 痛 く な る ほ ど静 か に 成 っ て い る。 明日香は我に帰った、 「どうした」 しかし頭の思考は回転を停止してしまった。 「終わったのだ、諦めたのだ・・・・・・・夜が明ければ自由だ」 と思えるまで長い時間が過ぎた。 気 が 付 か ない う ち に 耳か ら 外 れ てい た ラ ジ オ の イ ヤ ホ ー ン を 付 け ると 、 明 日 香 の自由を祝福するように陽気な音楽が流れていた。 ラ ジ オ が 午後 十 時を 報 じ る と ニ ュ ー ス の 時 間 に な り、 明 日 香 の事 を 第 一 に伝 え て来た。 「 虐 め で 社 会 に 一 石 を 投 じ た 事 件 が 事 実 上 終 了 し まし た 、 実 際 は 後 二 時 間 後 の 深 夜 零 時 がそ の 時 間 です が 、 先 ほ ど 午 後九 時 半 に 捜査 本 部 の 有る 埼 玉 県 熊 谷 警 察署で記者会見がありました。現場から中継します」 「 こ ち ら は 埼 玉 県 警 熊 谷 警 察 署 の 玄 関 前 で す 、 先 ほ ど 午 後 九 時三 十 分 に 異 例 の 記 者 会 見 が 行 わ れ ま し た 、 普 通 は 時 効 成立 後 に 開 か れ る 会 見 で す が 、 今 回の 事 件 、 吉 岡 克 夫 容 疑 者 の 富 士 山 麓 の 捜 査 は 断 念 し た と の 発 表 が あ り まし た 、 こ の 富 士 山 へ の 逃 避 は 幾 つ か の 情 報 で 開 始 さ れ た の で す が 本 当 に 此 処 に逃 げ 込 ん だ 事 に 百 パ ーセ ン ト 確 証 が 有 っ た 訳 で は 有 り ま せ ん 、 其 れ ら し い 証 拠 は 幾 つ か 確 認 さ れ て い る と 発 表 はさ れ てい ま す 。 し か し 深 い 森林 での 捜 査 を こ れ 以 上続 け る 事 は 遭 難 の 恐 れ も 有 り ギ リ ギ リ 迄 行 わ れ た 捜 査 は 数 時 間 を 残し て断 念 をし ま し た 、 只 都 内 又 その 近 郊 に 潜 伏 の 可 能 性 が 残 っ て い る の で 時 効 時 間 ま で 捜査 は 続行されるとの事です、以上熊谷警察署まえからでした。 」 「 あ り が と う ご ざ い まし た 、 こ の 事 件 は 虐 め と 言 う 世 界 中 で 起 こ っ て い る 社 会 問題に一石を投じたと、当時のマスコミはこぞって大きく報道しました・・・・・・」 明 日 香 に は こ れ 以 上 は 聞 け な か っ た 、 聞 こ え な く な っ てし ま っ た 、 涙 と 安 堵 感 が襲ってきて五感が働かなくなってしまった。 こ の 洞窟 に 来 た 時 は 肌 寒 さ を 感 じ た の に 、 こ の 後 は 体 が 火 照 り 、 寒さ を 感 じ ず に朝を迎えた、しかし一睡も出来ていない。 明 日香 はもう一日 此処 に居 る事 にし た明 日の 朝ここ を出 ようと 心に決めてい る 。 千登世との約束で安全の為に最低一日は余分の日を作ると決めていた。 明 日 香 は 持 っ て き た 食 料 品 を 腹 一 杯 食 べ て 、 一 人 で お 祝い を す る 、 昨 夜 寝 て い ない為か疲れがどっと出て満腹すると睡魔が急激に襲ってきた。 岩 場 の 寝 台 の 寝 心地 は 良 い と は 言 え な い が 、 木 陰 か ら の 陽 の 光 が 程 好 い 、 グ ッ スリと眠り込む。 突 然 ヘ リ コ プ タ ー の 騒 音 に 驚き 目 が 覚 め る 。 本 能的 に身 を 隠 す 、 ヘ リ コプ タ ーが斜め前方を通り過ぎる、東京のテレビ局名が胴体に書いてあった。 恐らく明 日香が潜伏してい た場所の 取材であろう、騒音が消えないうち に旋 回 して来たそして東京方面に飛び去っていった。 時 間 は 何 時 だ ろ う と ラ ジ オ を 聞 く が 音 が 出 な い 、 電 池 が 無 く な っ てし ま っ た の だ 、 此 処 に 来 て か ら 殆 ん ど 連続 で 聞 い てい た 為 に 六 本 の 電 池 を 使 い 切 っ てし ま った。 太陽は西に傾いているので多分三時前後と推測した。 「 お 姉さ ん は ど う し た だ ろ う 、 逮 捕 さ れ た と は 言 っ て い た が 如 何 し て 居 る だ ろ う、私は自由に成ったのにお姉さんは囚われてしまった」独り言を口にする。 「明日は行きますからね」 その頃、千登世はやっと取り調べに対して口を開いている。 吉 岡 克 夫 こ と 明 日 香 と 出 会 っ た 時 に 、 何 故 赤の 他 人 の 明 日 香 を 危 険 が 伴 う 事 、 そ れ が 罪 にな る 事 も 承 知 で 匿 う 事 に し たか か ら 始 ま り 、 伊 豆 高 原 の 貸 し 別 荘 を 借りる迄の十五年間の生活を詳細に話し始めた。 多分、明日彼は出頭してくると言って締めくくった。 翌 日 、 音 も光 も 無い 夜 を 過 ご し た 明 日 香 は 朝 が 明 け 切 ら な い 早 い 内 に 洞 窟 を 後 に し た 。 バ ス で 御 殿 場 に 出 る と 特 急 あさ ぎ り で 新宿 に出 た 、 途 中 多 く の 通 勤 通 学 の 人 達と 行 き 違 っ た が 誰 も 明 日 香 に は 関 心 も 興味 も 無 い と 言 う 顔 で す れ 違 った。 明 日 香は [こ れ が 自 由 な の だと 言う 実 感と 共 に 事 件 を 起 こ す 前は こ う だ っ た の だ]と喜びに体が震えた。 新 宿 で小 田 急 か ら J R 埼 京 線 に 乗 り 換 え 更 に 大 宮 駅 で 高 崎 線 に 乗 り換 え て熊 谷 駅で下車した、歩いて十五分程の場所に有る熊谷警察署に向かう。 入口に立っている警察官に「吉岡克夫です」と告げる。 一 瞬 驚い た 表 情 を し た 警 察 官 は 明 日 香 を 一 昨 日 ま で 捜 査 本 部 を 取 り 仕 切 っ て い た刑事部長に引き合わせた。 「吉岡克夫君ですか?」と殺人犯人に聞く口調ではない訪ね方をした。 「はい、吉岡克夫です、ご迷惑をおかけしました」 部長は取り逃がした悔しさをその表情には見せずに冷静に別室に案内をした。 そ こ は応 接 間 と は 思 え な い が、 映 画 や テ レ ビ で 見 る 取 調 室 と は違 った 部 屋 だ っ た。 「さあ、どうぞ座って」 「はい、失礼します」 明日香は礼儀正しく軽く頭を下げると腰を下ろす。 部長は初めと変わらない表情そして口調で、 「十五年、長かったでしょう、辛抱しましたね」 「はい・・・すみません」 「い や、 法律 上 は罪 を償 っ た事 と同 じと解釈さ れ てい る、 し かし 被害 者 の苦 し み は 続 い てい ま す 、 自 業 自 得 と は 言 え 彼 ら に は こ れ か ら も そ の 苦 し み は 続 く の で す 、 そ れ を 分 か っ て、 君 は 今 後 過 ご し て く だ さ い 。 そ し て匿 っ て く れ た 千 登 世 さ ん で す 。 彼 女 の し た こ と は 犯 罪 に当 た り ま す 、 君 は 時 効 で 今 は 自 由 で す か 、 彼 女 は 最 近 ま で の 行 動 が 罪 を犯 し てい た事 に な り ま す 、 裁 判 を 受 け な く て は 成 り ま せ ん 、 彼 女 も君 の 被 害 者 で も 有 る の で す 、 そ れ も 承 知 し て置 い て 下 さ い」 「はい、承知しております」 「 君 は 礼 儀 も 正 し い 、 あ の 境 遇 に 無 け れ ば 立 派 な 青 年 そ し て 良 い お父 さ ん に 成 っていたように思えます」 「はい・・もったいないお言葉ありがとうございます」 「 後 で調 書 だ け 取ら せ て も らい ます 、 これ は任 意 です 、 嫌 な ら 断 る事 も でき ま す」 「 結 構 で す、 そ れ か ら 一 つ お 願 い が 有 り ま す、 彼 女・ 南田 千 登 世 さ ん に 合 わ せ て い た だ け ま せ ん で し ょ う か 、 今 ま で 只 一 人 私 を 庇い そ し て 理 解 し て く れ た 人 です、お礼を言いたいのです、そしてお詫びもしたいのです」 「 彼 女 も 全 て 話 し 終 え て い る の で 良 い でし ょ う 、 係 り の 者 に 言 っ て 此 処 に 案 内 させましょう」 「ありがとうございます」 部 長 は 部 屋 か ら 出 て 行 っ た 、 数 分 で 今 度は 千登 世 が 係 官 に 連 れ ら れ て 入 っ て き た。 「お姉さん」 「やはり、来てくれたのね、嬉しいわ」 「ごめんなさい・ごめんなさい、こんな事になってしまってごめんなさい・・」 後は二人とも声が出せない、只手を取り合って見つめ合い涙するだけであった。 一ヶ月後から、さいたま地方裁判所で南田千登世の裁判が始まった。 弁護士は千登世の高校時代の同級生だった友人が担当した。 こ の 裁 判 もマ ス コ ミ にと っ て は 報 道 価 値 が 非 常 に 高 く 、 こ ぞ っ て 特 集 も 組 ん で 放送そして記事になった。 一 般 市 民 の 反 響 も 大 き く 、 嘆 願 書 や 署 名 運 動 が 盛 り 上 が り 、 結局 は 無 罪 と い う 判 決 に終 わっ た 、 殺 人犯 を 十五 年匿 っ た 罪 は重 い が、 殺人 を犯し た 容疑 者の 時 効 が 成立 し て い る の に 、 正 義感 か ら の 行 動 を 行 っ た 被 告 を 今 現 在 か ら 処 罰 す る の は 忍び ない 、 時効の成立 した 殺人 容疑者 が耐え た十 五年 間と同 じだけ 被告 も 耐 え てい た と 考 え る べ き で あ る 、 こ の 期 間 は犯 人 隠 蔽 罪 に お け る 罪 の 償 い よ り 重 い 十 五 年 で あ る、 こ ん ご の 被 告の 新 生 活 に 前 科 の 汚 名 は 益 無き と 考 え る、 よ って本法廷は被告南田千登世を無罪とする。 一 方 明 日 香 は こ の 裁 判 を 証 人 と し て 証 言 傍 聴し た 後 、 二 度 と 千 登 世 の 前 に 姿 を 現さなかった。 千 登 世の 人 生 を こ れ 以 上 壊 し た く な か っ た 、 良 い 結婚 を し て 欲 し い と 願 っ た の である。 明 日 香自身はマスコミ関係からの取材 や手 記の 依頼が多数来たが一切応 じてい ない。 応じればお金にはなるが、千登世を語らずに話したり書いたり出来る訳も無い。 幾 つ か の 会社 の 求 人 に応 募 をし た が 、 興味 本位 で の 話 をさ せ ら れ る が 採 用 に は 至 ら な い 、 結 局 は 水 商売 の 業 界 でし か 相 手 にさ れ な い 、 新 宿 の ゲ イ バ ー で 例 の 明日香ちゃんで売り出されている。 千 登 世 は 明 日 香 が 新 宿 に 居 ると 知 っ た の は そ れ か ら 半 年 経 っ た 時 に、 た ま た ま 見た電車の中で見た有名週刊誌の宙吊り広告である。 [ 口 先 ば か り の 日 本 人 ] の タ イ ト ル 、 の 脇 に小 見 出 し で [ 英 雄 視 さ れ 、 時 効 を 迎えたのに興味本位でしか誰も相手にしない、悲しい日本人のサガ] 明 日 香 の 事 だ と 直感 し た 千 登 世 は 次 の 停 車 駅 で 降 り ホ ー ム の 売 店 で そ の 週 刊 誌 を買う。 おしま 記事は、明日香が多くの会社に応募した、同情と英雄視はされるがそれで 終 い、 結 局 は 新 宿 の 小 さ な ゲ イ バ ー で し か 採 用さ れ な い 、 彼 は ま と もな 会 社 に 就 職 し て、できる事なら十五年匿ってくれた女性に結婚を申し込みたいと思っている、 今 の 姿 は 彼 女 に 見せ たく な い 、 何と か し て 早 く 安 定し た 会 社 に 入 り た い と 願 っ ている、その時が来たら必ず迎えに行きたい。 日 本 人 は 感 激 し やす く 、 直 ぐ 賞 賛 は す るが 中実 が 伴 わ な い 、 自分 に 影 響 の 無 い 所 ま では近づ く が絶 対そ れ 以上 は近 づ か ない、 要 約す ると そ のよ う な 記 事 に 評 論家や賢人と言われる人の談話や批評が載っている。 千 登 世 は 「明 日 香 、 貴 女 は 酷 い 人 ね 、 迎え に 行 き たい 等と 言 わ な い で ・ ・ ま だ 私を苦しめるの、迎えに等と言うなら今来てよ、姿等・仕事等何でも良いわよ、 今更カッコ付けないでよ」嗚咽を堪えながら千登世は呟いている。 それを眺めながら通り過ぎる群集の中で。 完 紅砂 棚 2006/10/15 時効 その2 紅砂 棚 池田二郎、吉岡克夫により両足を切断された男である。 両 足 が 健 在 だ っ た 時 に は 身 長が 1 メ ー タ ー 8 2 セ ン チ 、 こ れ だ け の 身 長 が 無 か っ た ら 足 を 失 う 事が 無か っ た か も 知 れ な い 、 他 の 連 中 と同 じ く 指 と 耳 を 失う だ けで済んだかも知れない。 だが足も失った事により池田二郎は後に一流の人間に脱皮できたのである。 発 見 さ れ た 時 に 他 の 四 人 は 両手 両 足 の 指 と 耳 を 無く す 事 に は 成 っ た か 命 が 危 険 な状態には成らなかった。 し か し 池 田 二 郎 だ け は 足 の 付 け 根 ま で が 壊 疽に 成 り 切 断 し た 、 そ れ を 哀 れ ん だ 両親は死なせてやって欲しいと懇願した。 院 長 は 場 合に よ っ て は 生 涯 を こ の 病 院 で おく れ る よ う に す る と の 説 得 で 両 親 は 引き下がり万全 の治療を施される事になった、院長の男気が後に大きな功績を 生み出す事に成るのであった。 両 手 両 足 の 指 を 失 っ た 彼 の 子 分 で あ っ た、 三 人 の 男 と 女 性 の 宮 沢 貴 恵 は 1 ヶ 月 後にはリハビリに入っていた。 池 田 二 郎 を始 め 四 人 の男 性 は 警 察 の 事 情 聴 取に 対 し て自 分 達 の過 ち を 認 め な か った、一方的に吉岡克夫への恨みだけしか話さない。 宮 沢 貴 恵 だ け 違 っ た 、 自 分 も 含 め て 五 人、 そ し て 教 師 の 故 丸 金 真 が 吉 岡 克 夫 に 対し て行 った 虐 め の 内容 に つい て、 高 校 時 代 か ら 最近 まで の 状況 を事 細 かく 詳 細 に 喋 っ た、 こ れが マ ス コ ミに 流 れ て 吉岡 克 夫 が 有 る 意 味 の 英 雄 に な り 、 社 会 全体でも虐めの問題が大きく変転したのである。 更 に 宮 沢 貴 恵 は 、 罪 は自 分 達 に 有 る 、 当 然 の 罰 を 受 け た の だ と 考 え て い る と 述 べている。 宮 沢 貴 恵 は リ ハ ビ リ が 進 み 一 ヶ 月 半 程 し 幾 ら か 歩 け る よう に な る と リ ハ ビ リ 中 にも関わらず池田二郎の面倒を看始めた。 他の三人の男達はリハビリもそこそこに退院し自宅に戻り引籠ってしまった。 病 院に 残 さ れ た 二郎 は 健 常 の 時 は 体 格 の 良 さ で 人 を 威 圧 し て い た 、 し か し 今 は 何処にもその姿は無くなり、後悔と恨みで毎日を過ごしている。 「今日は顔色が良いわね」 貴恵の声に、僅かに頬を緩ませた二郎は、 「うん」 「元気を出しなさい、貴方は親分でしょう」 「 ・ ・ ・ ・ こ ん な 達 磨 の よ う な 人 間 を か ら か っ て い る の か よ ・ ・ 情け な い よ 、 チクショウ吉岡のやつ」 毎日、面倒を診てくれている貴恵に二郎は甘え始めている。 「でもね、丸金のように殺されなかっただけでも良かったと思わなければ」 「殺されてしまったほうが、何ぼか楽だ」 「そうだね、楽だわね」 「・・・・」 「 私 は ね 、 あ れ 以 来 考 え が 変 わ っ た の 、 私 の 運 命 は 此 れ な の だ、 世 間 の 女 達 と 違 っ た 生 き 方 を し な さ い と 吉 岡 君 を 使 い 、 神様 が 方 向 を 示 し て く れ た と 思 っ て いるの」 「 ・ ・ ・ 俺 に は そ ん な気 持 ち に は 成 れ な い 、 お 前 は 未 だ 歩 け るじ ゃな い か 、 耳 だって髪を伸ばせは見えなく成る」 「 あ ん た だ っ て 手 が 残 っ て い る じ ゃ な い の 、 手 だ け で 動き 回 っ て 活躍 し て い る 人 だ っ て 居 る よ 、 私 だ っ て あ ん たが 思 っ て い る ほ ど 軽 快に 歩 い て い る 訳 で は な い よ 、 足 の 指 が 無 い の は 立 っ て い る だ け で も 不 安 定 な ん だ か ら、 歩 い て も 直 ぐ 疲 れ る し ・ ・ ・ ・ で も 悪 い 事、 辛 い 事 だ け 考 え て い た ら ・ ・ 堪 ら な い よ 、 生 き ていけないよ・・だから考えない、明日だけ見る事にしているんだよ」 「お前は強いよ」 「人間はその気に成れば誰でも強くなれるの、あんただって」 こ の 様 な 会 話 が も う 半 年 近 く 続 い て い る、 そ し て 池 田 は リ ハ ビ リ に 入 る 事 を 拒 否し続けている。 献身的に介護する貴恵に今では長く連れ添った妻に対するように甘え、我侭を 言う。 「馬鹿やろう、出て行け・・お前の顔なんか見たくも無い」 「 解 っ た わ、 出 て 行 く ・ ・ そ ん な に 興 奮 し な い で ・ ・ も う 明 日 か ら は 来 な い か ら」 「・・・・そうだ、もう来るな」 今 日 も 二 郎 は 貴 恵 を 困 ら せ る、 し か し [ も う 明 日 か ら 来 な い ] と 言 う 理 恵 の 言 葉は本当の事だった。 医 師 か ら も 看 護 婦 達 そ し て 二 郎 の 両 親 か ら も 忠 告 さ れ て い た 、 二 人の 姿 は 余 り に も 悲惨 に 見 え た 、 特 に 貴 恵 に 対 し て は 見 て い ら れ な い 状 態 が 此 処 一 ヶ 月 以 上 続いている。 看護婦が、 「 貴 恵 さ ん は 貴 方 の 奥 さ ん で も 兄弟 で も 無 い の よ 、 貴 方 の た め に 献 身 的 に 看 病 を手伝ってくれているの、そんな態度をしては駄目よ、嫌われてしまうわよ」 「うん、そうだね、分かった」 と言うが、少し腹の虫の居所が悪いと直ぐに貴恵に当り散らす。 病 院 も 貴 恵 も 分 か っ て い る、 将 来に 絶 望し 生き て 居 る こ と が 苦痛 に な っ て い る 二 郎 の心 理 状 態 、 誰 かが そ の 受 け 皿 に な っ て 遣 ら な け れ ば 気 が 変 に な っ て し ま うだろうと。 そ れ を 、 貴 恵 は 自 ら 引 き 受 け て い る の で あ る、 自 分 が 引 い て し ま え ば 二 郎 は 病 院 か ら 出 な け れ ば 成 ら な く な る と 思 っ て い る、 両 親 が 引 き 取 れ ば 良 い と 言 う が それも多分現実的では無い事も貴恵には予測できていたのだ。 だ が 、 こ れ で 良 い と は 思 っ て い な か っ た、 そ れ で 貴 恵 は 決 心 を し 、 思 い 切 っ た 手を打つたのである。 しんじょ 主 治 医 の 友 人 で 僧 侶 を し て い る 真穣 と 言 う 人 が 居 る、 貴 恵 は リ ハ ビ リ に 入 っ た たまたま 時点で真穣和尚と偶々話す機会が有った、それから時々寺真穣和尚を訪ねてい たが 此処四ヶ 月は週に一 度必ず お寺 を 訪ね 真穣和 尚と 一時間程話 をす る 時を貰 っている。 前 々 回 訪 ね た 時 に 今 の 状 況 を 愚 痴 の よ う に 初 め て 喋 っ た、 其 れ ま で 真 穣 和 尚 に 貴 恵 は 一 切 愚 痴 を こ ぼ し た 事が 無い 、 又和 尚 か ら そ れ ら に 関 す る 事 を 聞 か れ た こ と も 無 い、 只 世 間 話 や 趣 味 趣 向 に 近 い 話 を し て い る だ け で あ る 、 貴 恵 は 和 尚 の 傍 に 居 る だ け で 暖 炉の 脇 に 居 る よ う 暖か く な り 心 の 安 ら ぎ を得 ら れ る の だ っ た。 「 時に は 決 然 と 厳 し く 接 す る 事 も 大 事 か も し れ な い ね 、 愛 し て い るの な ら 尚 必 要 な の か も ね ・ ・ 甘 え た り 、 甘 え さ せ て 貰 う こ と 一 見 幸 せ だ け ど 、 果 し てそ う だ ろ う か ・ ・ 初 め か らそ の 味 を 知 ら な け れ ば 何 の 事 も 無 い け れ ど 、 美 味 し い 味 を 知 っ て し ま う と 更 に 美 味 し い 味が 欲 し く な り 、 そ れ を 望 む の が 人 間 の よ う だ ね」 貴恵は初めて教訓めいた事を和尚に言われた。 和尚は更に、 「 し か し 一 度 知 った 甘 い 物、 そ れ を 失 う 事 は 大 変 な 苦 痛 を 伴 う ね、 自 分 で 得 た 味なら兎も角、与えられていた場合は時には厳しいものが発生する事がある」 貴恵は気が付いた。 「真穣さん、私でも仏門に入れるでしょうか?」 貴 恵 は 真 穣 和 尚 を和 尚 と 思 っ て い な か っ た 、 第 一 お 寺 に 来 て い る 感 覚 も 今 の 今 まで意識をしていなかった、和尚を先輩・友人のように思っていた。 「うーん・・・その気さえ有れば誰でも修行はできる、でも思い付きは良くな い、何事に対してもだけどね・・よく考えてご覧、それから相談に乗る」 貴恵は翌一週間、朝から寝るまでこの事が頭から離れなかった。 そして今週木曜日に、真穣和尚を訪ねた。 「和尚様」 「和尚様!!・・急にどうした、真穣で良いよ」 「 和 尚様 、 私 は 仏 門 に 入 る 事 に し ま し た、 い い え 仏 門 に 入 ら せ て 頂 き た い と 思 っています、お願いします・・ご指導下さい」 「おやおや、・・一週間で自分の人生を決めてしまうのかね、・・もう暫く考え た方が・・」 「 い いえ 、 決 め まし た ・ ・ ・ ・ ど の 道 この身 体 で は多く の 皆 さ ん に 助 け て 頂 か なければ生きていく事はできません、自分の浅はかさでこの身体に成りました、 其 の 付 け を 皆 さ ん に 押 し 付 け た く な い の で す、 自 分 自 身 で 責 任 を 取 り た い の で す ・ ・ で き る か ど う か 解 り ま せ んが 修 行 し て 何 れ は 私 の よ う な 者 を 生 み 出 さ な い世にするお手伝いができればと思っているのです」 「 う ー ん ・ ・ ・ 解 っ た、 で も 此 処 で の 修 行 は 叶 わ な い 、 尼 寺 を紹 介 す る か ら 其 処で暫く面倒を見て頂いてから、決めなさい」 と 言 う 事 で 、 貴 恵 は 来 週 の 月 曜 日 に そ の 尼 寺 に 行 く 事 に 成 っ た 、 場 所 は 岩手 県 水上市郊外に有る小さな集落の外れに有る。 話 は 戻 る が 、 二 郎は 冗 談 と 思 っ て い る、 し か し 貴 恵 の 態 度 は 何 時 も と 違 う ・ ま るで違う、 「お前、本当に行ってしまうのか?」 「本当よ、当分此処には来られないわ」 「当分て・・一週間か・二週間か・・」 「多分早くて半年、遅くなれば二・三年かも知れないわね」 二 郎 は 貴 恵 の 言 葉の 使い 方 ま で 変 わ っ て い るの に 戸 惑 う 、 そ し て そ れ が 本 気 で ある事を悟る。 「 悪 か っ た 、 も う 二 度 あ ん な 事 を 言 わ な い 、 だ か ら 行 か な い でく れ 、 俺 の 傍 に 居てくれ」 「駄目なの、もう決めてしまったの」 「 そ ん な 事 言 わ な い で ・ ・ 頼 む 、 何 で も 言 う 事 を 聞く 、 リ ハ ビ リ も 明 日 か ら ・ い や 今 日 か ら 始 め る 、 だ か ら 頼 む ・ 行 か な い で ・ ・行 か な い で 下 さ い ・ お 願 い です」 「今も言ったでしょう、決めてしまったと」 「・・・・看護婦さーん・・おーい看護婦さーん」 二郎は大きな声で看護婦を呼ぶ。 「どうしたの・・」 看護婦が飛んで来た。 「 看 護 婦 さ ん 、 止 め て ・ 止 め て く だ さ い、 貴 恵 ・ 貴 恵 が 出 て 行 く と 言 っ て い る のです、出て行かれたら俺は・俺は・・・」 二 郎 の 悲 痛 な 訴 え に 、 何 時 も の 悲惨 な 状 態 を 見 て い る 看 護 婦 ど う し た も の か と 二人の顔を交互に見ている。 さっき 「二郎さん、貴方は先程、リハビリを今から遣ると言ったわね」 「うん・・」 「 看 護 婦 さ ん お 願 い 、 こ の 人リ ハ ビ リ を始 め た い そ う な の で 気 の 変 わ ら な い 内 にお願いします」 「あっ・・はい」 「さあ、二郎さん看護婦さんにお願いしなさい」 「・・・・お願いします」 看 護 婦 は 一 瞬 躊 躇 し たが 、 二 郎 に リ ハ ビ リ を 受 け さ せ るチ ャ ン ス と 考 え た為 に 時間の遣り繰りをしてくれた。 二郎は車椅子に乗せられリハビリ室に連れて行かれた。 残った貴恵は両手にボールペンを挟んで手紙を書いた。 ・ ・愛する二郎さんへ 私はこれから岩手の尼寺に入ります、貴方の傍に居ると私は心地良くとも、貴 方 は 駄 目 に 成 っ て し ま う と 考 え た の で す、 で す か ら 私 は 心 地 よ さ か ら 離 れ る 事 に し た の で す 、 私 自 身 修 行 し て 少 し で も 皆 さ ん の お 役 に 立 て る様 な 人 間 に 成 ろ うと決心しました。 貴方もリハビリに専念して一日も早く立ち直って下さい。 時 々 手 紙 を 書 き ます 、 そ し て 貴 方 も 手 紙 を 下 さ い 、 必 ず リ ハ ビ リ の 成 果 を 書 い てく ださ い。 さ よ う な ら 貴 恵 ・ ・追 伸 ・ 庵 主 様 の お 許 し が 出 た ら 一 番 に 逢いに来ます。・・ リ ハ ビ リ か ら 戻 っ た 二 郎 は 、 貴 恵が 居 な い の を 知 る と 、 気 の 違 っ た様 に 泣き 喚 いた。 子供のように泣き疲れると、痴呆のような状態が暫く続いた、そして初めて机 の上の手紙を見つける、手紙はタドタドしい字で書かれている。 それを読んだ二郎は、先程とは違った涙を流してすすり泣く。 と 翌 日 か ら の 二 郎 は 生 ま れ 変 わ っ た 、 リ ハ ビ リ も 医 師 や看 護 婦 が 止 め て も [ も う や 少し遣らせてください]・[今まで怠けていた分取り返したいのです]と止めな い、 手 の 掌 や 切断 さ れた 足と 言 って も 殆 ど 残さ れ て い な い が、 切 断 面 に 当 て て あ る クッションを兼ねた包帯から血が滲んでも歯を喰いしばって頑張る。 勿論、言葉遣いも一変している。 二 郎 の 安 ら ぎ は 一 週 間 に 一 度 来 る 貴 恵 か ら の [ は が き ] で あ る、 何 故 手 紙 で は な く [ は が き ] か と 言 う と 八 十 円 に 対 し て 五十 円 で 済 む [ は が き ] な ら 回 数 を 多く出せると考えているので有る。 [ は が き ] の 字 は 相 変 わ ら ず タ ド タ ド し さ が 残 るが [は が き ] は 来る 毎 に 字 の 大きさが小さくなっている、其の分文字が多く書かれている。 内容は日常の事、庵主さんとの会話の中身等が細かく書かれている。 「 貴 恵 も 努 力 し て い る、 字 が こ ん な に 読 み や す く 細 か く 書 か れ て い る 、 庭 掃 除 まで遣っているなんて、しかしどうやって・・箒を持てない筈なのに」 二 郎 は [ は が き ] の 中 か ら 書 か れ て も 居 な い 貴 恵 の 日 常 の 困 難 さ とそ れ を乗 り 越える知恵と努力を想像し、又自らを鼓舞している。 そして決まって最後に。 「 貴 恵 は 凄い ・ 強い ・ ・ 俺 も ・ ・ 見 て い て く れ ・ ・ 貴 恵 」 と [は が き ] を 読 む たびに独り言を呟く。 半年後二郎は退院する事に成った。 貴恵にも伝えて有る。 病 院 の前 に 二 郎 は 約 束 の 迎 え 時 間 よ り 30 分 も 早 く 出 て き て い る、 そ れ も 車 椅 子 無 し で 有 る、 両手 で 歩 い て 玄 関 に 出 て 来 て い る の で あ る、 来 院 者 の 好 奇 の 目 は一切気に成らない、精神力も格段に強く成っている。 両親達が迎えに来る少し前に貴恵が僧衣で来た。 「ワァー、立派な尼さんだ・」 「二郎さんおめでとう・・凄いわ・・立派よ」 「ありがとう、良く来てくれたね・・遠いところありがとう、しかし似合うね」 「 二 郎 さ ん、 私 未 だ 尼 さ ん で は 無 い の 、 見 習 い 修 行 者 よ ・ ・ 簡単 に は 尼 さ ん に 成れないのよ」 そこえ、白い商用車が停まり中から満面の笑みをした両親と兄が降りてきた。 僧衣の婦人が貴恵と気が付くと、三人とも深々と頭を下げた。 「 そ の節 は 有 難 う ご ざ い ま し た 、 貴 恵 さ ん の お 陰 で こ の 子 は 立 ち 直 る 事 が 出 来 ました、何とお礼を言って良いのか分かりません、心より感謝しています」 「 や めて 下さ い、そ んな 事 を言 われ る のは ・・、 私 は 何も し てい ま せん、 二 郎 さんが努力されたのです」 「有難うございました」 二郎も含めて四人がもう一度深く頭を下げる。 院 長 そ し て 看 護 婦 達 も 出 て き て 涙 の お 祝 い と激 励 を し て い る 其 の 間 に 看 護 婦 が 運んできてくれた荷物を二郎の兄は車に積み込む。 荷物が積み終ると、兄が、 「貴恵さん、これから退院祝いの食 事会の予定なのですが一緒して頂けません か」 「 有 難 う ご ざ い ます 、 で も ご 家 族 で お 祝い をな さ っ て 下 さ い 、 私 は こ れ で 失 礼 します」 「貴恵・・・いや貴恵さん一緒に来てよ、お願い・・」と二郎、 「 私 は 貴 方 の 元 気 な 姿 を 見 せ て も ら っ た か ら 充 分 満 足、 こ れ で 帰 る わ ・ ・修 行 つと 者にはお勉めが有るの、又手紙でね」 暫くたってから、二郎から[はがき]ではなく手紙が届いた。 二 郎 も 院 長に 頼 ん で 真 穣 和 尚 の 処で 修 行 す る 事 に な っ た と 心 境 と 経 過 を 詳 細 に 伝えてきた。 貴恵は嬉しかった、できれは他の三人もと思い考えていた。 それから一年程して、二郎は大律師 僧(侶の階級としては下から数えて3番目と 低いが の)資格を頂いたと報告してきた、そして更に嬉しい事に真穣和尚の指導 で引き籠っていた三人も揃って二郎の後輩になったとも記されてあった。 更に来月からは三人とは離れて福井の大本山永和寺に入る事になったと。 只 貴 恵 の 方 は 岩 手 に 来 て か ら 一 年 半 を 過 ぎ て も 自 身 が 僧 階 に は 興 味が 無 く 、 立 場 上 は 未 だ に 正 式 の 尼 僧 に は 成 っ て い な い 、 し か し 其 の 考 え 教養 は 他 の 尼 僧 や 庵主をも凌ぐ位に抜きん出ていた。 貴恵は二郎と一緒に成りたかったのである。 吉岡克夫の時効五年前に貴恵は法衣脱ぎ二郎を訪ねた、そして結婚をした。 其の時には二郎の僧階は権大僧都の位(中よりやや上)に有った。 二 郎 は 尊 敬 す る 真 穣 和 尚 の よう に 易 し く 児 童 達 に 接し 自 然 と 道 徳 を 教 え 、 虐 め な ど が 無 い、 思 い や り の 有 る 人 間 に 導 け れ ば と 言 う 目 標 を 持 っ て い た 為 、 お 寺 の住職にはならず本山に留まり日本全国を回って歩きたいと考えていた。 貴恵とは手紙でその夢を何度も何度も語り合って居た。 貴恵は其の望みを叶えさせる為に身障者仕様の車を手に入れ免許も取った。 二 郎 だけ では 、 身 体 上の ハ ンデ ー の 為 に 夢 の 実 現 は難 し か っ たが 、 貴 恵 と結 婚 することで貴恵の運転する車でその望みが叶えられるようになった。 最 初 は 各 小学 校 や 中 学 校 を 回 っ て 虐 め を 表 に 出 し て 公 演 を し て 歩 い て い た 、 だ が 一 ヶ 月 も し な い 内 に 評 判 に な り 、 新 聞 や 放 送 で 取 り 上 げ ら れ 始 め る と 、全 国 の小中高の学校から授業に組み込みたいのでとの申し入れが殺到し始めた。 嬉しい事に、その放送を見た視聴者から、次のような手紙が届いた。 ・ ・私は身体障害者が少しでも快適な生活ができるように器具を開発している 研究所に勤めている者です、今私達は凍傷等で指を無くした方々の為の器具 を持っています、お二人はそれらの方々とは幾分異なるようですので、もし 宜 し か った ら お 伺い し て形 を 取 ら せて い た だき お 役 に 立 つ 器 具を 作り お 贈 りしたいと考えております。・・ 2ヵ月後には有る意味のグローブが届いた、見た目は殆ど人間の手の形に近い 只 指 の 一 本 一 本 に 何 か 特 殊 な 加 工が し て あ る よ う で 、 一 度 曲 げ る と 其 の 形 を 留 める、其の為に筆も持てるしスプーンも持てる、持っても手から滑り落ちない 、 良 く 見 る と 指 に は 指 紋 が つ け て あ る 、 そ れ は 手 の 掌 に も あ る、 着 け て く れ た 研 究 員 は 指 紋 は 大 変 な 役 目 ・ 仕 事 を し て い る の で す ね、 人 の 身 体 は 好く 出 来 て いるものです、この仕事をして気が付いたのですが、皺一つに至まで・全てに 無駄が無いし意味が有るのですね。 何 れ、自 分 の 意 思 で 指 一 本 一 本 動か せ るよ う に で き る よう に 世 界 中で 研 究 し て い ま す、 も う 暫 く こ れ で 我 慢 し て く だ さ い 、 良 い も の が で き た ら 又 お 届 け し ま す、と言う。 こ の 研 究 員 の 行 為 以 上 に 、 二 郎 と 貴 恵 は 感 動 し た ・自 分 達 の よ う に 悟 り の 為 に 修 行 を し て い な く と も、 懸 命 に 日 々 を 送 っ て い る 人 達 は 日 常 の 中 か ら 悟 り に 近 いものを見つけ出している事を改めて発見をした。 自 分 達 も こ の 社 会に は 必 要 な 人 間 な の だ、 修 行 で は 見 つ け ら れ な か っ た 、 一 番 単純な事であったが、実感のできた事が便利になった事共に幸せであった。 此れ以後暫くして、二郎には更に移動活動がしやすい器具を開発して届けてく れ、理恵には指が届いた。 二 郎 と 理 恵 の 活 動 は 、 一 日 に 午 前 と 午 後 の 公 演 一 回づ つ で は 収 ま ら な く な り 半 年もすると大きな公会堂に数校の生徒を集めてという事にまでになった。 勿論 こ の 頃に 成 る と 貴 恵 も 公 演 の 三 分 の 一 は 担 当 し て 話 す よ う に な っ て い る、 又 話 の 内 容 も ス ト レ ー ト に 虐 め だ け で は な く 二 郎 が 遣 り た か っ た 本 来 の 教え 、 道 徳 の 趣 向 が 強 く な っ て い る、 宗 教 を 国 教 と し て い る 国 の 其 の 部 分 に 似 て い る が二郎と貴恵は、宗教色は殆ど出さない。 吉 岡 克 夫 が 時 効 に な る 頃 に は 二 郎 と 貴 恵 二 人 の 業 績 は 高く 評 価 さ れ 、 授 業 の 大 切な一部に組み込まれ、文部科学技術省推薦の教科書も出版されていた。 宗 教 会は 元よ り 各 県 や国 か ら も 何 度 も 表彰 さ れ た り 感 謝 状 を 貰 っ て い る、 只 こ れ が マ ス コ ミ で 忌 ま わし い 事 件 か ら の 結 果 と し て 公 表 さ れ た り、 吉岡 克 夫 の 名 と 同 時に 話 題 に さ れ な か っ た の は、 マ ス コ ミ の 良 心 で あ り 二 郎 と 貴 恵 の 偉 大 さ に有ったのであるだろう。 明 日 香 こ と 吉 岡 克 夫 が 二 郎 ・ 貴 恵 ら 五 人が 活 躍 を し て い る 事 を 未 だ 知 ら な い 、 夜 の 商 売 の 為 テ レ ビ は あ ま り 観 な い が 新 聞 ・ 雑 誌 は 商 売 柄 良 く 読 ん で い る、 只 彼 ら が 僧 名 で 呼 ば れ 書 か れ て い る 為 気 が 付 か な い の で あ る 、 何 れ は 知 る 時が 来 るだろう、其の時が吉岡克夫にとっては第二の時効の時なのである。 追 伸 と し て、 二 郎 の 当 時 の 子 分 で あ っ た 三 人 も 二 郎 と 同 じ 道 に 入 り 活 動 し て い る 事 を お 伝 え す る。 そ し て 最 大 の犠 牲 者 は 吉 岡 克 夫 で あ り 南 田 千 登 世 で あ る 事 を 。 丸 金 の 家 族 も と 言 わ れ る 方 も 多 い 事 と 思 い ま すが 、 は た し て そ う で し ょ う か 日 本 で は 連 帯 責 任 と 言 う 言 葉 は 好 か れ て い な い よう で す が 、 家 族が 労 わり あ う の は 当 然 と し て、 又 諌 め あ う の も 当 然 と 考 え た い の で す が 如 何 で し ょ う 、 そ れ を怠 っ て 悪 い 結果 を 引 き 起 こ し て 「 私 の 責任 で は 無 い 」 は 許 せ な い と 筆 者 は 考 え る の で す 。 勿論 事 件 を 引 き 起 こ し た 吉 岡 克 夫 も 庇 っ て し ま っ た 南 田 千 登 世 にも罪は有りますが犠牲者であると同情せざる得ないのです。 完
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