『キエフ洞窟修道院聖者列伝』解題と抄訳(II)

電気通信大学紀要 20 巻1・2合併号 pp.67-94(2007)〔論文〕
『キエフ洞窟修道院聖者列伝』解題と抄訳(II)
三 浦 清 美
“ Kievan Cave Patericon” – Translation and commentar y (II)
Kiyoharu MIURA
Abstract
Continuing the precedent number of this bulletin, the present author publishes translations of some
of stories in the “Paterik of Kievan caves monastery”, which will form a part of the whole translation
of the “Paterik of Kievan caves monastery”.
Translations of this bulletin contain bishop of Vladimir and Suzdal Simon’s letter, which accused the
ambition to become bishop of Policarp, Policarp’s answer of regret to Akindin, superior of Kievan
caves monastery and nine stories of Policarp, which began with his unchaste activity and Simon’s
scolding at Policarp.
These nine stories by Policarp are following: “Discourse 25. Nikita the solitary”, “Discourse 26.
Lavrentij the solitary”, “Discourse 27. the holy and blessed Agapit”, “Discourse 28. Holy Grigorij the
Miracle-worker”, “Discourse 29.the much-suffering Ioann the solitary”, “Discourse 30. Venerable
Mojsej the Hungarian”, “Discourse 31. The monk Proxor” “Discourse 32. Venerable Marko the Cavedweller”, “Discourse 33. The holy venerabule Fathers Feodor and Vasily.
前号に引き続き、『キエフ洞窟修道院』の抄訳を掲載す
マルコについて 死者がこの人の指図に従ったこと」
、
「第
る。今回発表するのは、物語集の契機となった「第 14 話
33 話 聖なる神のごとき師父、フェオドルとワシーリイ
謙虚なるウラジーミル・スーズダリ主教シモンの洞窟修
について」である。
道院修道士ポリカルプへの書簡」、その返信とも言うべき
ポリカルプによる「第 34 話 スピリドンとアリンピイ」
「第 24 話 ペチェルスキイ修道院長の修道僧ポリカルプ 「第 25 話 ピミン」の 2 編は、シモンによる物語 9 編、
フェ
によって書かれたペチェルスキイ修道院長アキンディン
オドーシイに関する物語群 6 編とともに、次号以降に掲
への第二書簡」、さらに、全部で 11 におよぶポリカルプ
載される予定である。
による作品群から 9 つの作品、
「第 25 話 のちにノヴゴ
ロド主教となった隠遁僧ニキータについて」、
「第 26 話 隠遁僧ラヴレンチイについて」、
「第 27 話 褒賞を求めぬ
医者、聖なる至福のアガピットについて」、
「第 28 話 奇
跡の僧、聖なるグリゴーリイについて」、
「第 29 話 忍耐
第 14 話
謙虚なるウラジーミル・スーズダリ主教シモンの洞
窟修道院修道士ポリカルプへの書簡 (*1)
づよき隠遁僧イオアンについて」、
「第 30 話 神のごとき
兄弟よ。沈思黙考 (*2) のうちに腰を落ち着け、よくよ
ハンガリー人モイセイについて」、
「第 31 話 修道僧プロ
くわが身とわが知恵を絞り、自らに問いかけてみるがよ
ホルについて 祈りによって、ロボダといわれる草から
い。
「心貧しき修道士よ、おまえは主のためにこの世と生
パンを、灰から塩を作ったこと」、
「第 32 話 神のごとき
みの親を捨てたのではなかったのか」と。もしも救いの
Received on August 28, 2007.
総合文化講座
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(2007 年 12 月)
三浦清美
ために来たこの場所で魂の営みをなさいならば、何故に
るのと同じことだ。かの老修道士が見ると、罵りながら
修道士としての名を名乗ったのだ。黒い修道士衣も、お
食事をしている者は糞を食んでいる様子が、讃えながら
まえのことを救うことはできない。
食事をしている者は蜜を食している様子が見えた。とい
考えてもみるがよい。そなたはこの場所で、公からも
うのは、この老修道士は同じ食材をさまざまに透視する
貴族からもほかのすべての仲間からも祝福を受けた。彼
ことができたからである。そなたは、飲み食いをするさ
らは言った。「あの者は真に祝福を受けている。なぜなら、 いに、神を讃えるがよい。なぜなら、罵ることは自らに
現世と現世の栄華を憎み、そのうえ、地上のことに心を
災いをなすことだからだ。使徒行伝には次のように言わ
煩わさず、天上のことを望んだのだから。」しかるに、そ
れている。「お前が飲み食いをするなら、すべては神を讃
なたは修道士にふさわしい生活を送っていない。そなた
えるためである。
」(*9)
のおかげで、私は大いなる恥辱を被っている。もしも、
兄弟よ、こみ上げる怒りを抑えるように努めなさい。
私たちを祝福した者たちが私たちより先に天国にゆき平
なぜなら、最後まで忍耐する人間は救われるからである。
安につつまれたとしても、私たちは大声で泣き叫んで苦
そのような者は難なく救われるのだから。もしも、お前
しむのではないか。自分自身で自分を破滅させたお前を
がたまたま悪しざまに言われることがあり、悪しざまに
誰が憐れんでくれようか。
言われていることを告げる者がいたとしても、お前に告
兄弟よ、背筋をしっかり伸ばして自分の魂のことに思
げた者に対して次のように言うがよい。「もしも私のこと
いをいたし、恐れとあらゆる謙虚なる知恵をもって主の
を罵ったとしても、その人は兄弟であり、私が罵られて
ために働くがよい。今日は穏やかであっても、翌日にな
も仕方のないことをしたのだろう。その人だって、われ
れば激しく怒り獰猛になり、ほとんど沈黙を守らず修道
知らず罵っているのだ。悪魔が私とその人のあいだに敵
院長や仕事をする者たちにしょっちゅう食ってかかる。 意をかきたてるために、その人を唆してそういう振舞い
肉体の罪のために嘘をついたり、教会のミサをすっぽか
をさせているのだ。主がその狡猾な者を追い出し、兄弟
したりしてはいけない。なぜなら、雨が種子を育てるよ
を哀れみくださいますことを」と。
うに、教会は魂を善行に導くからである。僧坊で行うあ
そなたはみなの前で面罵されたと言っているが、子よ、
らゆることは何物でもない。たとえ、お前が詩篇を読み、
そのことをくよくよ思ってはいけないし、すぐに怒りに
12 の聖歌を唄うとしても、それは聖堂で「神よ、憐れみ
身を委ねてはならない。兄弟の前に身を投げ出して跪き、
たまえ」と一回唱えるほどの価値もない。
兄弟よ、考えてみるがよい。最高位の使徒ペテロは自
「私を許してください、兄弟よ」と言うがよい。自らの過
ちを改めれば、あらゆる敵意の力に打ち勝つことができ
身が生きたる神の教会であったが、ヘロデに囚われて投
よう。もしも、悪口雑言に立ち向かってゆくのならば、
獄されたペテロを救ったのは、教会の祈りではなかった
ますます怒りが増すというものである。
のか (*3)。また、ダヴィデも祈っているではないか。
「一
お前はダヴィデよりも偉いのか。シムイがダヴィデを
つのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、 面罵したときに、王の家臣のひとりが王に対する侮辱に
主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を
我慢ができずに次のように言った。「行かせてください。
迎えることを」(*4) なぜなら、主はご自身次のようにおっ
首を切り落としてやります。なぜあの死んだ犬に、主君よ、
しゃっているからだ。「私の家は祈りの家と呼ばれる。」 王を呪わせておくのですか。」ところが、ダヴィデは何と
(*5)「私の名において二人か三人の人が集まるならば、
言ったと思うか ?「ツェルヤの息子よ、あの男には呪わ
私はそこにいる。」(*6) もしも百人以上の兄弟たちが集ま
せておいてくれ。主が私の謙虚さを見て、あの男の呪い
る聖堂ならば、そこに私たちの神がいますことをそれだ
ゆえに私によきことを報いてくださるように。
」(*10)
けよりいっそう信じることができるではないか。
子よ、彼らよりも偉大な者に思いをいたせ。われらが
これらの人々が神を信じる炎から、修道院の食事は作
主は、へりくだって、死にいたるまで父に従順であった
られるのである (*7)。私は私の前にあるあらゆる食事よ
(*11)。あしざまに罵られても主は抗おうとしなかった
りも、修道院の一かけらのパン切れのほうがよい。私が
(*12)。「悪魔に憑かれているのだ」と噂を立てられても、
聖なる兄弟のために用意されたパン一かけらとレンズ豆
顔を殴られ 、 平手打ちされ、唾を吐き掛けられてもお怒
のほかに何の食物も食べなかったことは、主ご自身が証
りにならず、自分を磔にした者のために祈られた (*13)。
人になってくださろう。
このようにして私たちをも教え導かれたのである。主は
しかし、兄弟よ、そなたは今日食卓にのぼったものを
讃えないかと思うと、翌朝には食事の支度をした料理番
こう言われた。
「汝の敵のために祈れ。お前を憎むものの
ために善をなせ。お前を呪う者を祝福せよ。 (*14)」
と下働きの兄弟のことを悪し様に言い、そのことで長上
そなたは自らの傲慢な心から行ったことに満足してい
者に不愉快な思いをさせた。お前自身は、
「修道士列伝(オ
るのか。まさにこのことのために、おまえが泣くのはふ
チェチニク)(*8)」に書かれているとおり、糞を食んでい
さわしいことである。聖なる師父、アントーニイとフェ
『キエフ洞窟修道院聖者列伝』解題と抄訳(II)
オドーシイ、この二人と共にいますそのほかの聖なる師
69
ることを、そなたは信じられないのか ? もしもこの使徒
父たちの、神聖にして敬虔なる洞窟修道院を立ち去り、 パウロの言を信じることができないならば、キリストの
報いをもとめぬ療治者クジマとデミヤン修道院の院長と
なったのだから。今そのような中身のない仕業を捨て、
信仰を持つとはいえない。
なぜそなたは神からではなく、人間から位を求め、神
悪魔の悪巧みに身をゆだねず、おまえはよい行いをした。 に叙せられた者に従おうとせず、高望みをするのか。か
悪魔の望みはそなたを滅ぼそうとすることだから。水が
つてそのような者は天から放り出されたものだ。「私はそ
不十分であったり、頻繁に移植されたりする樹木がじき
のような位の職責に信任されるには相応しくないのであ
に枯れてしまうことを知っているか ? そして、そなたは
ろうか ? それとも私が、あの執事修道士やそれに忠勤す
師父と兄弟たちへの恭順を捨て、自らの場所をあとにし
る兄弟よりも劣っているということか ?」とお前は言う。
た。そのような人間はじきに身を滅ぼしてしまうだろう。 お前自身は望みがかなわないので取り乱し、僧坊から僧
群れにいる羊は無傷でいることができるが、群れを離れ
坊へと歩き回り、つまらないことを言って兄弟たちが喧
た羊はじきに身を滅ぼし、狼に食われてしまう。
嘩しあうように仕向けている。あるいは、「この修道院長
そなたはもっと以前によくよく考える必要があったの
もこの執事修道士も、神のお気に入りになるのはここだ
だ。神聖にして敬虔にして救われたるこの洞窟修道院、 けで、ほかの場所では救われないと考えているのだろう
驚くべきことに望む者がみな救われるこの場所から、何
か。私たちは何もわかっていないのではないか」と。こ
のために自分が出てゆこうなどと思い立ったのか、と。 れは悪魔の所業であり、おまえにとっては虚栄以外の何
兄弟よ、私が思うに、そなたの傲慢さに我慢できなくなっ
ものでもない。もしも、高い位を得るのにそこそこの成
た神が、これをなし給うたのだ。かつてサタンとその反
功を収めても、謙虚さと賢さを忘れてはならない。もし
抗的な軍勢を投げ下ろしたように、そなたを投げ下ろし
も位を失うことになっても、そなたは自らの謙遜なる道
たのだ。なぜなら、聖なる人、そなたの主人、われらが
を見つけだし、さまざまな災いに陥らずにすむからだ。
兄弟、洞窟修道院の大修道院長、アキンディンに仕える
ロスチスラフ公夫人ヴェルホスラヴァ (*18) は、私と
ことを拒絶したからだ。なぜなら、ペチェルスキイ修道
ポリカルプのために 1000 スレブロを費やしても、そなた
院は海であり、自らのうちに腐敗したものを止めおかず、 をノヴゴロドのアントーニイ、あるいは、スモレンスク
外に排出するからなのだ。
のラザロ、ユーリエフのアレクセイのかわりに主教に就
そなたは自らの受けた侮辱について書き送ってきたが、 けたいと、私に書簡を送ってきている。私は彼女に言った。
なんともはや、ひどいものだ。そなたは自分の魂を滅ぼ
「私の娘、アナスタシヤよ。あなたは神の御心にかなわぬ
してしまった。そなたに訊ねるが、そなたは何によって
ことをなさろうとしています。もしも、かの男が修道院を
救われるのだ ? もしもそなたが断食をし、すべての欲を
離れずにおり、清らかな良心をもち、すべての兄弟たちの
節制して、貧しく、眠らずにいたとしても、侮辱に耐え
修道院長の言いつけを守り、すべてに節制をおこなってい
ることができなければ、救われはせぬ。だが、今や、修
さえすれば、主教の衣をまとうにふさわしいばかりか、至
道院長も兄弟たちもそなたのことで喜んでいるし、私た
高の王国にゆくことさえふさわしいといえたでしょう。」
ちもそなたについて聞いた事柄に喜んでいる。私たちは
兄弟よ、そなたは主教の位がそんなにほしかったのか。
そなたが一度は身を滅ぼしたが、再び我が身を見出した
よきことを望んだものだ。テモテに対してパウロがいっ
と聞いて、ほっとしていたのだ。
たこと (*19) に耳を傾けるがよい。そうすれば、そなた
ところが、ふたたびおまえは修道院長のご意志ではな
が主教にふさわしいように生活を改めたか否かが分かる
く、手前勝手に行動した。そなたは再び聖デメトリオス
であろう。だが、もしもそなたがそのような位階にふさ
修道院 (*15) の院長となることを望んだのだ。もしも、
わしかったならば、私はそなたを身辺から離さずとどめ
公と私がそなたに禁じなかったならば、そなたは誘惑に
おき、自らの手でウラジーミル・スーズダリ両主教区を
屈していただろう。兄弟よ、よく考えるがよい。神はそ
統べるもう一人の主教として叙任しただろう。これはゲ
なたが高い位に登ることをお望みになっていない。それ
オルギイ公 (*20) が望んだことであったが、私はおまえ
がゆえに、主はそなたの視力を減じさせ給うたのである。
の狭隘な心を見てかの人に思いとどまるよう申し上げた
しかし、そなたは、「卑しめられたのは私のために良いこ
のだ。そして、そなたが私に従わずに権力を望み、主教
とでした。私はあなたの掟を学ぶようになりました」
位であれ、修道院長位であれ、それを手に入れたとしても、
(*16) と言うべきところを、身を慎まなかった。私はそな
そなたには祝福ではなく、呪いが待っているだけだ。そ
たが位がほしくてたまらない男だとわかった。そなたは
ればかりではない。そなたが剃髪を受けたこの神聖にし
神からではなく、人間から栄誉を求めている。呪われた
て敬虔なる場所へは金輪際足を踏み入れることができな
る者よ、「この光栄ある任務を、だれも自分で得るのでは
い。そなたは必要のない器のように外に放り出されたの
なく、神から召されて受けるのです」(*17) と書かれてい
だ。こののち、そなたは大いに泣くことになろうが、泣
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(2007 年 12 月)
三浦清美
いたとて何の足しにもならぬ。 兄弟よ、人から褒められ
と。そして、主は私たちの秘密をご存知なのだ。真実に
ることが大いなる行いなのではなく、自らの生活を悔い
私はそなたにいう。私はこのような名声と栄誉を土くれ
改め、清き生き方を守ることこそ、大いなる行いなのだ。
のように思うことだろう。もしも私が人に踏みつけられ
兄弟よ、この聖母に捧げられた洞窟修道院からあまた
て家畜の糞とともに掃きだされるにしても、あるいは、
の主教が叙任された。それは、われらが神、キリスト様
かの大修道院の栄えある門の前にいる乞食に加わって物
からじかに使徒たちが全世界に遣わされたがごとく、ま
乞いをするにしても、私にとってはこのことのほうが、
ばゆきあまたの明星がルーシの地を聖なるキリストの教
かりそめの栄華よりもふさわしい。聖母の家にいる一日
えによってあかあかと照らすがごとくであった。まずは
は、千年の歳月にまさる。罪深き者らの村に暮らすよりも、
ロストフ主教レオンチイであり、神は遺骸を腐らせぬこ
私はそこに留まることを選んだだろう (*22)。
とでかのお人を讃えた。かの人は初代ロストフ主教となっ
真実、私はそなたにいう、兄弟ポリカルプよ。この聖
たが、不信心者がいたくこの人を苦しめ、打った。この
なる洞窟修道院で起こった奇跡よりも驚くべきことをど
人は、かの二人のヴァリャグ人とともに、キリストによっ
こかで聞いたことがあるか。太陽の光のように宇宙の果
て桂冠を授けられた、ルーシの地で三番目の人物になっ
てまで輝きわたるこれら師父よりも、より祝福されたも
た (*21) が、キリストのために苦しみを受けたのである。 のがあろうか ? これらの人々について、かつてそなたに話
府主教イラリオンのことは、聖アントーニイ伝をそなた
したことに加えて、いまこの書き物によって真実の姿を
自身が読んで、アントーニイその人から剃髪を受けたこ
知らせておく。兄弟よ、なにゆえに私が聖アントーニイ
と、そのような高い位階にふさわしい人物であったこと
と聖フェオドーシイへの篤い忠誠と信仰を持ち続けてい
を知っておろう。そののちに、ニコライとエフレムがペ
るのかを、私はそなたに物語るだろう。
レヤスラヴリの、イサイヤがロストフの、ゲルマンがノ
ヴゴロドの、ステファンがウラジーミルの、ニフォント
第 24 話 ペチェルスキイ修道院長の修道僧ポリカ
ルプによって書かれたペチェルスキイ修道院長アキ
ロツクの、ニコラがトゥムトラカンの、フェオクティス
ンディンへの第二書簡 われわれの兄弟、ペチェル
トがチェルニーゴフの、ラヴレンチイがトゥーロフの、
スキイ修道院の聖なる至福の修道僧について
がノヴゴロドの、マリーニがユーリエフの、ミーナがポー
ルカがベルグラドの、エフレムがスーズダリの主教となっ
た。もしも、そなたがすべてを知りたいのならば、古い
神のご加護により言葉はさだまり、あなた様のめでた
ロストフ年代記を紐解くがよい。そこには、全部で 30 以
きお知恵のためにお話申し上げます、全ルーシのいと尊
上の名があり、そののちに叙聖された者を含めると、罪
き修道院長、師父にして主人なるアキンディン様。どうか、
深い私の時代まで洞窟修道院の出身者で主教となった者
私のためにあなた様の貴きお耳をお傾けください。これ
は、ほとんど 50 におよんでいる。
ら驚くべき祝福された男たちの生涯、行い、徴(しるし)
兄弟よ、かの修道院の名声と栄誉が如何ばかりのもの
をあなた様のお耳に入れることができますように。これ
かを知るがよい。恥ずかしいと思い、悔い改めなくては
らの事跡はこの聖なる洞窟修道院で起こり、ウラジーミ
ならぬ。静かな心安らぐ生を送るがよい。主はそのため
ル・スーズダリ主教、あなたの兄弟にしてかつてこの洞
にそなたを召命したのだ。主教位を去り、かの聖なる洞
窟修道院の修道士であったシモン様から、私が聞いたも
窟修道院の院長睨下のために働くことができたら、私は
のでございます。シモン様は、ルーシにおいて修道生活
なんと嬉しいと思うことか。そして、こういうことをそ
をはじめておこなった偉大なるアントーニイ様、聖なる
なたに話すのは偉そうな振りをするためではない。本当
フェオドーシイ様、このお二人ののちにあらわれ、この
にそう思っていることをそなたに告げ知らせたいがため
聖母様の家で生を終えた聖なる神のごとき人々の生涯と
なのだ。
功業について、罪深き私にお話し下さったのでした。ど
主教としてどれほどの権威を有しているか、そなたは
うか、あなた様の深き知恵が私の未熟な知恵といたらぬ
よく知っておる。ウラジーミルの壮美、この大聖堂の主
心とをお汲み取りくださいますように、切にお願い申し
であるこの私、スーズダリの教会を自ら建立した、罪深
上げます。
き主教シモンを知らぬものがあろうか。どれほどの町々
過日、あなた様は修道士たちの行いについて物語るよ
を、村々を所有していることか。このすべての地域から、
うにお命じになりました。あなた様は私の粗忽さと洗練
教会税を徴収しているのだ。これらすべてを、それにふ
とは程遠い私の性格をご存知でおられましたので、私は
さわしくないにもかかわらず、私が所有しているのだ。 あなた様の前でどんなことを話しても、いつも恐れを感
だが、このすべてを私はうち捨ててもよい。どれだけ
じずにいることはできませんでした。この人々によって
大いなる精神的なものが私を抱擁しているかを、知るが
おこなわれた徴と栄えある奇跡とを、どうやったら、し
よい。私は主に祈る。私に悔い改める時間を与えたまえ、
かと存分に語ることができるのでありましょう。栄えあ
『キエフ洞窟修道院聖者列伝』解題と抄訳(II)
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る奇跡のなかで、あなた様にお話ができたのはほんのわ
ならば、お前は若いからだ。得意にならぬがよい。さす
ずかであり、大部分は恐れのために忘れ、貴き御身を前
れば、堕落しよう。
」隠遁僧は涙とともに言った。「主よ、
にしてわが身を恥じ入るあまり、物語の語りようもまこ
決して誑かされたりはいたしませぬ。なぜなら、私はわ
とに拙いものでありました。私たちののちに修道生活に
が修道院長から悪魔の誑かしに乗ってはいけないとたし
入る修道士たちが、この聖なる場所でおこった神の恩寵
なめられているからです。私はあなたによって命じられ
を知り、かくのごとき光明の数々をルーシの地、洞窟修
たことをみんな行います。
」
道院でお示しになった天なる父をたたえることができる
そして、そのとき魂を滅ぼす蛇が、この人への支配力
よう、私たちの聖なる兄弟たちについての物語を、私は
を得て言った。
「生身の人間でありながら、私の姿を見る
書き言葉であなた様にお知らせしなくてはならないと感
ことは不可能なのだ。だから、私はわが天使をお前とと
じたのです。
もにいるように遣わした。お前はこの天使の意志とおり
行うがよい。
」するとたちまち、彼の前に天使の姿をした
第 25 話 のちにノヴゴロド主教となった隠遁僧ニ
キータについて
聖なる院長ニコンの時代に、ニキータという名のひと
悪魔が立った。そうして、この修道士は倒れ伏し、天使
に跪拝するがごとく、悪魔に跪拝し、祈りをささげた。
すると、悪魔はこの修道士に言った。
「お前はもはや祈
る必要などない。書物を読み、書物によって神と対話しよ
りの兄弟がいた。彼は人間から誉められることを望み、 うと努めればよいのだ。おまえはおまえのもとを訪れる者
大いなる難業を企てたが、それは神のためではなかった。
に、有益な言葉をあたえてやることができる。この私が永
この人は隠遁生活に入ることを院長に願い出た。院長は
遠に、自らの造物主へお前の救いを祈ってあげよう。
」
彼にこれを禁じて言った。
すっかり誑かされたこの修道士はまったく祈らず、読
「おお、子よ、何もせずにただじっと座っていたとて何
書と説教に精をだした。彼は悪魔が絶え間なく自分のた
の益もない。なぜならば、そなたは若いからじゃ。兄弟
めに祈りを捧げているのを見ると、天使が自分のために
たちのなかにいて、彼らのために働くほうが、そなたの
祈ってくれていると思って喜んだ。彼は、自分のもとに
ためになる。自らの恵みを失わなくてすむ。そなた自らが、 来る者に魂の幸福について説き、予言をはじめた。この
われらが兄弟、聖イサーキイ洞窟修道士 (*23) が悪魔に誑
人の言葉が実現することにみなが賛嘆したので、この人
かされたのを見たではないか。もしも、神の大いなる慈
についての噂が大いに広まった。
悲と、今に至ってもまだ数多くの奇跡をおこなう神聖な
ある日、ニキータはイジャスラフ公 (*24) のところに
る師父、アントーニイとフェオドーシイの祈りによって
使者を送り、次のように言った。いわく、「ザヴォロチヤ
救われなかったとしたら、彼は破滅していただろう。
」
で今日グレープ・スヴャトスラヴィチが殺された (*25)。
ニキータは言った。「そのようなものに誑かされたりは
すぐにノヴゴロド公位に自らの息子スヴャトポルクを登
いたしませぬ。私にも奇跡をおこす力をお与えになるよ
位させるがよい。
」そして、言ったとおりのことが起こっ
うに、主なる神に祈っております。」ニコンは答えていっ
ていたのだった。何日もたたずして、グレープの死の知
た。「お前の望みは分を超えておる。兄弟よ、得意になら
らせが届いた。そして、この一件で隠遁僧は予言者であ
ぬよう気をつけるがよい。堕落してしまうぞ。私たちは
るとたたえられ、公や貴族が頻繁にこの人の言うことを
謙虚でなくてはならない。ゆえにおまえは聖なる兄弟た
聞きに来た。
ちのために働かなくてはならないのじゃ。この者らゆえ
実のところ、悪魔は未来のことを知っているわけでは
に、そなたは自らの服従によって桂冠を授かるだろう。
」
ない。自分自身が行ったこと、たとえば、悪い人間を唆
しかし、ニキータは院長から言われたことに従おうと
して殺しや盗みをさせたりして、そういうことを知らせ
せず、まさに自分がしたいことをした。扉を締め切って
たのである。この隠遁僧のもとに人々が慰めの言葉を聞
表には出ずに閉じこもってしまったのである。この人は
こうとやってくると、天使と思われた悪魔が、彼に人々
それから数日も立たぬうちに、悪魔に誑かされた。自分
の身の上に起こることを知らせ、この人は予言し、実際
で祈祷歌を歌っているときに、自分と一緒に祈る声が聞
そのとおりになったのであった。
こえ、いわく言いがたい芳香を感じた。
誰も彼と旧約の書物の知識で競い合うことができな
彼はこれにだまされて独り言を言った。「もしもこれが
かった。なぜなら、彼はすべてをそらで知っていたから
天使でないならば、私と一緒に歌うはずがないし、聖霊
、
『出エジプト記』
、『レヴィ記』
、『民数
である。『創世記』
の匂いがするはずもない。」そして彼は一生懸命に祈りな
記』
、『申命記』
、『列王記』
、すべての預言者の書を順番に、
がら言った。
「主よ、あなたを見ることができるように、
というように、すべてのユダヤ人の書物を実によく知っ
はっきりと姿を現してください。」そのとき、声が彼に向
ていた。福音書と使徒行伝は、私たちの信仰をかため、
かって言った。「お前のもとに姿を現したりはせぬ。なぜ
悔い改めをさせるために、神の恩寵において私たちにあ
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(2007 年 12 月)
三浦清美
たえられた聖なる書物であるが、これらの書物には見向
僧はこの男をペチェルスキイ修道院に連れて行くように
きもせず、朗誦を聞こうとも、読んでみようともせず、
命じた。そうすると、
この悪魔憑きの男は泣き出した。
「私
他人が自分にそれを講じようとするのさえ嫌がる始末
を誰のもとに送りつけようというのだ ? そこに安置され
だった。そして、このことから、彼が悪魔の誑かしを受
ている聖者ゆえに、私は洞窟に近づくことはできないの
けたことが発覚したのだった。
だ。私はこの修道院の 30 人だけを恐れているが、残りの
そして、神聖なる師父たちはこのことを見過ごすこと
者とは戦うぞ。
」
ができなかった。師父たちとは、修道院長ニコン、ニコ
この男を引きずって行った人々は、この男が一度も洞
ンののちに修道院長となったイオアン、断食僧ピミン
窟修道院に行ったことがなく、修道院のなかでは誰一人
(*26)、のちにロストフの町の主教となったイサイヤ、透
知り合いがいないことを知っていたので、この男に尋ね
視行者マトヴェイ (*27)、聖なる隠遁僧イサーキイ (*28)、 てみた。「お前が恐れているのは、いったい誰なのだ ?」
療治行者アガピット (*29)、奇跡の聖者グリゴーリイ、の
すると、悪魔憑きは自らが恐れるものを名指しで言った。
ちにトゥムトラカンの主教となったニコラ、年代記を書
「この 30 人は、たった一言で私を追い出すことができる
いたネストル、奇跡成就者グリゴーリイ (*30)、のちに
だろう。
」ちなみに、この当時、洞窟には全部で 180 人の
チェルニーゴフの主教となったフェオクティスト、透視
修道士がいた。
行者オニシフォルである。これら神のごとき者たちが誑
そこで、人々はこの悪魔憑きにくちぐちに言った。
「私
かされた者のもとにやってきて神に祈り、悪魔を追い出
たちはお前を洞窟に閉じこめてやる。
」悪魔憑きは言った。
し、以来もはやこの人は悪魔の姿を見なくなった。そして、「死者と争ったところで何になろう。こいつらは今では、
かれを洞窟から引きずり出し、何かを聞き出そうと旧約
仲間の修道士とそのもとに来る者たちについて神へ自由に
について訊ねた。かれは、金輪際そんな書物は読んだこ
とりなすことができるのだから。だが、私の闘いざまを見
とがないと、誓いを立てた。以前にはユダヤの書物をそ
たいと思うなら、私を修道院につれて行くがよい。
」そして、
らで朗誦することができたが、いまや一言一句たりとも
ヘブライ語で話し始め、そのあとで、ラテン語、ギリシア
その文句を知らず、直截に言ってしまえば、言葉そのも
語、一言で言えば、彼が聞いたこともない言語で話した。
のを一言も知らなかった。いと貴き師父たちが読み書き
彼を連れて歩くものたちは話す言葉が次々と代わり、この
から教えなくてはならなかったほどであった。
男がいろいろな言葉を話すことに恐れを抱いた。
そして、以後この人は忍耐と服従と、清らかな謙虚な
だが、修道院に入るころにはすでにすっかり治癒し、
生活を自らに課し、みなを善行へと導いたのだった . そ
分別も戻りはじめた。修道院長がほかの兄弟たちとやっ
の後、彼はおびただしい善行のゆえにノヴゴロド主教へ
て来たが、この男は修道院長のことも知らなければ、悪
と叙聖された (*31)。この人はたくさんの奇跡をも行っ
魔に憑かれていたときに恐ろしいといって名指しをした
た。あるときは、雨が降らず困っていたが、この人が神
30 人のうち、ただの一人も知らなかった。彼を連れて来
に祈ると、空から雨が降り、町の火事を消し止めた。そ
たものたちは訊ねた。「誰がお前のことを治したのだ ?」
して、今はほかの聖者とともに、聖なる至福のニキータ
この男は聖母の奇跡のイコンを見上げて言った。「30 人
として敬われている。
の聖なる師父たちが、聖母とともに私に会いに来ると、
私は治癒したのです。」この男はこれら聖者の名前を全部
第 26 話 隠遁僧ラヴレンチイについて
こののち、ラヴレンチイという名前の別の兄弟が隠遁
生活に入ろうと思い立った。しかし、彼にも、聖なる師
知っていたが、これら長老たちの人となりはまったく知
らなかった。このようなわけで皆がくちぐちに、神と至
純なる聖母と祝福されたそのお気に入りの者たちの栄光
を称揚した (*32)。
父たちは絶対にやめるように申し渡した。このラヴレン
私はこの話を、わが主人、アキンディン様、あなたの
チイはイジャスラフが建立した聖デメトリオス修道院に
ために書きました。かの祝福された神聖な者たちの、驚
行くと、隠遁生活をはじめた。そして、彼の生活がきち
くべき奇跡、徴、徳高い御業が無知の闇によって覆い隠
んとしていたので、神はこれを嘉して療治の業を恵みと
され、分からなくなってしまわないように。ほかの者た
してあたえた。
ちがわれらが兄弟の聖なる生活を知ることができますよ
そして、この人のもとにキエフから悪魔憑きにかかっ
うに。たった一つの言葉で悪魔を退散させることのでき
た一人の人が連れてこられたが、この隠遁僧も悪魔を退
た兄弟たちが、一時は 30 人もいたのです。この修道院に、
散させることができなかった。というのも、悪魔は強力
聖なる師父、アントーニイ、フェオドーシイ、そのほか、
だったからである。大の男が十人かかっても持ち上げら
その名前が聖者伝に記された多くの修道士たちの聖骸が
れない丸太を、この男は一人で持ち上げ、投げ下ろすこ
葬られていたおかげで、悪魔にとり憑かれた者が洞窟に
とができた。この男は長い間治癒されなかったが、隠遁
近づくことができなかったのです。
『キエフ洞窟修道院聖者列伝』解題と抄訳(II)
これら聖者たちとともに、ここに葬られるにふさわし
73
込んだ。彼はこの者に毒の薬草をあたえることを命じ、
いとされた者こそ、幸いです。これら聖者たちとともに
それを食したのちアガピットの前で倒れて死ぬように画
名前を書き記されたる者こそ、祝福されたる者です。あ
策した。祝福された人は病者が死にかけているのを見る
なたの祈りによって、主が裁きの日に私をも、これら聖
と、修道院の食事から少し食物をあたえ、祈りによって
者たちと等しく、憐れみにふさわしい者として下さいま
病者を治した。このようにして、彼は死を宣告された者
すことを、せつにお祈りいたします。アーメン。
を死から救い出したのだった。このときから、異教徒の
アルメニア人は彼に敵意を持ちはじめ、同じ信仰を持つ
第 27 話 聖なる祝福されたアガピット、無欲の医
者について
アガピットという名のキエフ出身のある人が、祝福さ
者たちに彼に毒薬を飲ませるように焚きつけた。このよ
うな方法で彼を死なせることを望んだのである。祝福さ
れた者はそれを飲んだが何の苦しみを感じることはなく、
何の害もこうむらなかった。というのも、主は敬虔なる
れたアントーニイのもとで剃髪を受け、アントーニイの
者を死から救い出すすべを知っておられるからである。
よき行いを見てその天使のごとき生活のまねびをはじめ
主はおおせである。
「毒を飲んでも決して害をこうむらず、
た。あの偉大な人のように、自分の聖性を隠して自分の
病人に手を置けば直る。
」(*35)
食事の一部を分け与えて病者を治療した。彼は病者たち
この頃、ウラジーミル・フセヴォロドヴィチ・モノマ
に薬草を与えていたように思われたのだが、その実、彼
フ公が病に倒れた。かのアルメニア人は彼の治療をして
らは彼の祈りによって回復したのだった。アガピットは
ずっと付き添っていたが、病状はいっこうに回復せず、
このように、かの聖なる年長者にまねび、病者たちの力
悪くなる一方だった。彼が死の淵にいたとき、当時洞窟
になった。
修道院長であったイオアンに遣いを送り、アガピットを
兄弟たちの誰かが病気になったとき、彼は自分の僧坊
自分のもとに来させるように頼んだ。というのも、モノ
を離れて病気の兄弟のところにゆき、その兄弟に仕えた
マフ公はそのころチェルニーゴフの公だったからである。
のだった―彼の僧坊には、盗むに値するものがなかった
修道院長はアガピットを呼び出してチェルニーゴフに
―この人は病者を抱き起こしたり、寝かせたり、自分の
出かけるように言った。祝福された者は答えた。「私が公
手で運び出したり、自分の食事から草を煎じたものを与
のもとに行けば、私は誰のもとにでも出かけなくてはな
えたりしたのだが、病者はその祈りの力によって健康に
らなくなります。ここで息を引き取るまで修道院にとど
なったのだった。神は自らの僕の信仰を強め、祈りが増
まりつづけますという神の御前でたてた誓いを、人間か
し加わることを望まれてそのようにするのだが、もしも
ら栄誉を受けるために破ることはできません。」この人は
病が長引くと、祝福されたアガピットは病者のもとを離
実際に修道院を離れたことはなかった。
れず、主がこの人の祈りゆえに病者に健康を与えるまで、
公の遣いは、この人が来ないとわかると、少なくとも
絶え間なく神に祈りを捧げた。このゆえに、
この人には
「医
薬草を処方してくれるようにとこの修道士に頼んだ。修
師」というあだ名があたえられた。なぜなら、主は彼に
道院長の強い願いもあって、彼は自分の食事からいくら
療治の才をあたえたからだった。人々は町中で修道院に
かの薬草を、かの病者に服用させるために与えた。公は
医者がいると彼について噂し、多くの者が彼のもとに来
薬草を喫すると、たちまち回復した。
て健康になった。
ウラジーミル公はキエフに来ると、洞窟修道院に来た
この聖者が生きたのと同じ頃、アルメニア生まれでア
が、それは、その修道士に敬意を捧げ、自分に薬草をあ
ルメニアの信仰 (*33) を保つある男がいて、かつてない
たえ、神の助けで彼を健康にしたのはどんな人物かを見
ほど医療の技において勝っていた。病者を一目見ただけ
るためであった。というのは、彼はこの人に一度も会っ
でいつ死ぬかがわかり、死の日にちと時間を教えてやっ
たことがなかったが、自らの財産から贈り物をあたえよ
た。彼はけっして自分の言ったことを変えようとせず、 うと考えたからである。しかし、誉めたたえられるのを
もはや病者を看てやろうとはしなかった。
こうした患者のなかで、フセヴォロド公 (*34) のもと
で高い地位にいたある者が洞窟修道院に運ばれてきた。
嫌ったアガピットは隠れてしまったので、公はもってき
た金を修道院長にわたしたのだった。
このあと、ウラジーミル公はたくさんの贈り物をもた
この人はアルメニア人に、8 日のうちに死ぬと宣告され、 せて、貴族の一人を祝福されたアガピットのもとに送っ
絶望に追いやられていた。祝福されたアガピットはこの
た。貴族は僧坊にいる彼を見つけ出し、贈り物を持って
人に自分が食していた薬草をあたえて病気を治した。
いき、
それを彼の足下に置いた。アガピットは答えた。
「わ
この評判は国中に知れわたった。しかしながら、アル
が子よ、私は誰からも何も受けとったことがないのです。
メニア人は嫉妬の矢に傷つけられてこの祝福された人を
私が誰に要求したこともない黄金のために、私の報償を
非難しはじめた。彼は修道院に死を宣告された者を送り
台無しにしてもよいものでしょうか。
」貴族は答えた。
「私
74
(2007 年 12 月)
三浦清美
を遣わしたお方は、あなたがこれを要求しているのでは
どんなものかがわかるだろう。
」アルメニア人はそれを見
ないことを知っています。しかし、私の顔を立てて、神
ると老修道士に言った。
「これは私たちが使う薬草ではな
の名においてあなたが健康を取り戻してさしあげた、あ
い。私はこれがアレクサンドリアから渡来したものだと
なたの息子の心を慰めてやってください。これを取って、
思う。」祝福された人は彼の無知を笑って、病んだ人にこ
貧しいものに分かちあたえてください。」老修道士は答え
の薬草を与えると、病人はすっかり元気になった。
た。「『あなたの顔を立てて』というなら、私に必要なも
彼は医師に言った。
「わが子よ、食するがよい。私たち
のがあるかのごとく、喜んで受けとりましょう。あなた
が貧しく、ほかに食べ物を与えることができないからと
をお遣わしになった方におっしゃいなさい。
『あなたが
言って不平を言わないで欲しい。」アルメニア人はこの人
もっているすべてのものは他人のものです。この世から
に言った。「ちょうど今、私たちはこの月の 4 日間の斎戒
出て行くとき、何ももってゆくことはできない。いま、
をしているところだ。」祝福された人は言った。「おまえ
困窮に苦しむ人にもっているものすべてをあげてしまい
は一体何者でどんな信仰を持っているのか ?」薬師は答
なさい。なぜなら、そのゆえに主はあなたを死から免れ
えた。「おまえはわたしがアルメニア人だと聞いていな
させたのですから。私は何もして差し上げることができ
かったのか ?」祝福された人はこの男に言った。「どうし
ませんでした。もしももう一度苦しみたくないならば、 ておまえは図々しくもここに来てわたしの僧坊を汚し、
私の言うことに背いてはいけません』と。
」
アガピットはもってきた金を取ると、僧坊から持ち出
して投げ、自分は部屋に引き取ってしまった。貴族はもっ
わたしの罪深き腕を取ったのか。ここから立ち去るがよ
い。不埒な異端者め !」アルメニア人は辱められて僧坊か
ら出て行った。
てきた金と贈り物がぶちまけられているのを見ると、そ
祝福されたアガピットは 3 ヶ月の間生きて、少しの間
れを拾い、修道院長のイオアンにすべてをわたし、公に
病気を患ってからこの世を去った。彼が死んでから、あ
は老修道士の言ったことを話した。そして、皆はこの人
のアルメニア人が修道院に来て修道院長に言った。「わた
が本当の神の僕であることを悟った。公はあえて老修道
しは修道士になって、わがアルメニアの信仰を捨て、心
士の言葉に背くことはせず、祝福された者の言葉にした
底主イエス・キリストを信じます。というのは、祝福さ
がってすべての財産を貧しい者に分かちあたえた。
れたアガピットがわたしのもとに現れて言ったからです。
このことのあと、修道士アガピットは病気になった。 『おまえは、修道士になると約束したのだ。もしおまえが
すると、先に述べたアルメニア人がこの人を訪ねてやっ
この誓いを破れば、おまえは命と魂を二つながら失うこ
てきて、どんな薬草がその病気に効き目があるか、療治
とになろう。
』私もこのように信じています。もしもこの
の技について彼と議論をはじめた。祝福された者は答え
祝福された人が長く生きようと思えば、神はこの世から
た。「主が健康を授けてくださるものが効き目がある。」
彼を召すことはなかったでしょう。たとえ彼を召したと
アルメニア人は、この僧がきわめて無知であると思い、 しても、神はこの人に永遠の生命をあたえたのです。か
供の者に言った。「この男は何もわかっていない。」その
の人は、私たちとともに生きることはできたのですが、
あとこの人の脈を取ると、三日後に死ぬだろうといった。
天の王国を望んだがゆえに、自分自身のまったく自由な
「これは本当のことだ。わたしの言葉は裏切られないだろ
意志でこの世を去ったのであると私は考えています。私
う。もしもそうならなかったら、わたしは修道士になる
はかの人が 3 日間は生きないだろうと考えていましたが、
だろう。」
この理由のために彼は 3 ヶ月生きることを自らに課した
祝福された人は怒りを発してこのアルメニア人に言っ
のです。もしも私が 3 ヶ月といったならば、彼は 3 年間
た。
「これがおまえの療治の技なのか ? わたしに死を宣告
生き続けたでしょう。たとえ彼が死んだとしても、この
して、助けることができないではないか。もしもおまえ
修道院のなかにその住みかはあり、永遠に住みつづけ、
に腕があるなら、わたしに命を与えてみよ。もしもそれ
ここで永遠に生き続けるでしょう。」それから、アルメニ
ができないなら、何のために、3 日後に死ぬだろうと宣
ア人は洞窟修道院で剃髪を受け、信仰に満ちあふれてこ
告して、わたしを苛むのか ? 主は、わたしが 3 ヶ月後に
こでその生を終えた。
死ぬだろうとお知らせになっている。」アルメニア人はこ
そのような事績やもっと偉大な事績が、この修道院の
の人に言った。「おまえ自身じきに死ぬとわかっている。
聖なる修道士たちによって行われました。彼らの徳高い
おまえは 3 日ももたないだろう。」実際、この人は非常に
生き方を思い出すとき、われらが聖なる師父アントーニ
病んでいて自分自身で動くことさえできなかった。
イの偉大な業績が黙々と受け継がれていることに驚嘆し
このとき、キエフから一人の病人が連れてこられた。
ます。これほどまでに偉大な光が私たちの怠慢によって
アガピットは全く病んでいなかったかのごとく立ち上が
消し去られることになったならば、どうやって他のさま
ると、自分自身が食している薬草を取り上げ、この医師
ざまな光線が発せられることがありましょうか。私は敬
に見せていった。「ここに私の薬草がある。見よ、これが
虔なる師父たちのことをいっているのです。しかし、主
『キエフ洞窟修道院聖者列伝』解題と抄訳(II)
75
が仰せられたとおり、「預言者は自分の故郷では歓迎され
す。キリストは彼らにその働きのご褒美として、地上で
ない」(*36) ものです。
は奇跡を起こす才を与え、来るべき世においては、キリ
威光あまねき修道院長、わが主人アキンディン様、私
ストは彼らを名状しがたい栄光で讃えたのです。
はあなた様のために、先に述べたこれら聖なる師父たち
なぜなら、地上においては何物も、聖霊なしでは人間
のうち、ある者たちの奇跡、ある者たちの禁欲の業、あ
に与えられないからです。天から与えられるすべてのも
る者たちの決然たる自己放棄、ある者たちの服従、さら
のがそうなのです。したがって、私罪深きポリカルプは
にある者たちの預言の才についてあなたのために書き留
わが主人アキンディン様への服従のもとに仕事を進め、
めました。これらすべての事柄は信仰によって私の知る
これらのことを記録してきたのでした。しかし、私にお
ところとなり、これらすべての徴や奇跡はアキンディン
命じください。私はあなたにもう一つ、祝福された聖な
様の同僚修道士で、我が師のシモンによって知らされた
る師父グリゴーリイ奇跡成就者についてささやかな出来
ものです。
事を物語ることにしましょう。
しかし、行為の偉大さゆえに物語られたことを、不愉
快なものだと考える人もいます。原因は信仰の不足です。
彼らは私があの罪深いポリカルプであると知っているの
です。しかしながら、猊下が私に、私の心が捉え、私の
第 28 話 聖なる奇跡成就者グリゴーリイ
この至福の人グリゴーリイは洞窟修道院のわれらが師
記憶が留めた事柄を記録するようにお命じになるならば、
父フェオドーシイのもとを訪れて、この人から修道士の
ネストルが年代記のなかで祝福された師父たちデミアン、
生活、その無所有、その謙虚、その恭順、そのほかの徳
エレミヤ、マトヴェイ、イサーキイのことを書いたように、 行について教えを受けた。この人は祈りにますます精進
私たちのあとに来るもののためにそれを書き残すことに
し、それゆえに、悪魔に対して勝利を得た。悪魔たちは
致します。たとえあなた様には不必要であったとしても。
遠くからこの人に叫んだものである。
「お前は私たちを祈
彼らの生き方は『聖アントーニイ伝』のなかでごく短く
りで追い出しやがったな。
」というのは、この人は朗誦の
触れられているだけなのですから。先に述べた修道士た
たびごとに悪魔調伏の祈りを唱えていたからである。
ちのことは、私はかつてのように曖昧にではなく、簡明に、
悪魔の長は彼に追い払われたことに我慢できず、彼の
お話しします。なぜなら、私が沈黙を守っていたら、今
暮らしをほかのことで邪魔だてすることができなかった
日まで常であるように、彼らのことは完全に忘れられて
ので、悪人どもをけしかけて彼らが盗みを働くように仕
その名前さえ忘却されてしまうでしょうから。今猊下の
向けた。この人は本のほかは何ももっていなかったのだ
修道院長としてのお勤めの 15 年目にあたり、私は 160 年
けれども。
間触れられてこなかったことをお話しいたします。猊下
ある夜、盗賊がこの人のもとにやってきて、この人が
の愛のおかげで、包み隠れていた事柄がお耳に入り、神
朝の祈祷に出かけたら持ち物をすべて盗みだしてやろう
を愛した者の記憶が永遠に誉め讃えられるでありましょ
と、長老を見張っていた。グリゴーリイは彼らがやって
う。なぜなら、神を喜ばせる者たちは神から桂冠を授か
来たことに気づいていた。というのは、この人はいつも
るでありましょうから。
夜も眠らず僧坊で常に歌い、祈っていたからである。盗
私がそのような名前により引き立てを受けることは重
みにやって来たこの者どものことでこの人は祈りを捧げ
大なことであり、私は私の行為の恥を次のような方法で
た。
「神よ、あなたの僕たちに眠りをおあたえください。
包み隠すことにしようと思います。私は単純に私の聞い
この者たちは無駄な骨折りをして悪魔を喜ばせているだ
た事柄を心に呼び起こし、それを書き付け、これらの人々
けですから。
」
の事績を捜し求めてきたのは自分であると考えることで
この盗賊たちは五昼夜眠りつづけたが、祝福された人
す。主は仰せです。「悔い改める一人の罪人については、
はついに兄弟たちを呼び集め、この盗人たちを起こして
より大きな喜びが天にある」(*37) と。これほど多くの義
言った。
「私に盗みを働こうとして、いつまでそうやって
人たちについて、天使たちはどれほど喜んでいるでしょ
見張りをつづけるつもりなのか ? もう自分の家に帰るが
うか。なぜなら、義人たちは今や天に住み、彼らの栄光は、 よい。」彼らは立ち上がったが、歩くことができなかった。
後に続く者たちのためにも十分であるからです。
彼らはここで肉のことに気をかけず、肉体のない人間
として地上の事柄を見下して、この世のすべてを糞のよ
この者どもは物を食べていなかったため憔悴していたか
らである。祝福された人はこの者どもに食物をあたえて
放してやった。
うに見なし、キリストにのみ達しようとしていたからで
町の支配者はこれを知って盗賊どもを懲らしめるよう
す。彼らはキリストだけを愛し、自らをキリストの愛だ
に命じた。グリゴーリイは自分のために盗賊たちが引き
けにしっかりと結びつけ、自らの意志を完全にキリスト
渡されたことを知り、行って書物を町の長にわたし、盗
に委ねて、キリストから神聖化されることになったので
賊たちを自由の身にした。そのほかの書物は売り払い、
76
(2007 年 12 月)
三浦清美
代価は貧しい人たちに分かちあたえていった。「これら書
えください。
」グリゴーリイは憐憫の情に満たされて泣き
物を盗もうとしてほかの人々が不幸にならないように。 出した。というのも、この男の命に終わりが近づいてい
というのは、主は仰せだからである。『地上に宝を隠して
るのを予見したからである。「可哀想なことだが、この人
はいけない。盗賊たちがそれを掘り起こして盗んでゆく
は死ぬ日が近づいている。」彼らは言った。「父よ、あな
からである。宝を天に積みなさい。そこなら、虫に食わ
たが何かを下さったならば、この者は死なないでしょう。」
れることもなく、盗賊たちが盗んでゆくこともない。宝
盗賊たちはグリゴーリイから何かをもってゆこうとし
のあるところにお前たちの心もある。
』(*38)」盗賊たちは
て、
物をくれと言いつのった。グリゴーリイは言った。
「私
起こった奇跡のために悔い改め、このゆえに最初の所業
が物を上げたとしても、
この人は死ぬでしょう。
」グリゴー
には戻らず、洞窟修道院に入り、兄弟たちのために働いた。 リイは彼らに聞いた。「どのような死に方と定まっている
祝福されたこの人は、薬草や果実を育てる小さな菜園
のですか。」彼らは言った。「木に吊るされて縊られるだ
をもっていた。そこへふたたび、盗賊が来た。そして、
ろう。」祝福された人は彼らに言った。「おまえたちは上
荷物を背負って出てゆこうとしたが、どうしても出てゆ
手にこの者を裁いたのだ。というのは、明日はこの者は
くことができなかった。二日間、身動きもできず重荷に
縊られるのだから。
」それからグリゴーリイは、地上のも
苦しめられて立っていたが、ついに叫びはじめた。「神の
のを見たり聞いたりせずに彼の心が祈りに専心するよう
ご加護を受けるグリゴーリイさま、私たちを解き放ちた
に設えた地下蔵に降りてゆき、そこから残りの本を運び
まえ。すでに私たちは罪科を悔いております。もうこれ
出し、彼らに与えていった。「もし気に入らないのなら私
以上、このようなことは致しますまい。
」(*39)
に返すがよい。
」彼らは書物を受け取ると笑い出していっ
修道士たちはこれを聞きつけ、この者どもを捕らえよ
た。
「これを売って山分けにしよう。
」
うとしてやってきたが、この者どもをその場から動かす
果樹を見て互いに言い合った。
「夜にここに来て果実を
ことができなかった。修道士らはこの者どもに言った。
「い
取ろう。
」夜が来ると、三人がやって来て祈りを捧げる地
つここに来たのか ?」と。盗賊たちは言った。「二日二晩
下蔵にこの修道士を閉じ込めた。木に縊られるだろうと
ここに立っていたのです。」修道士たちは言った。「私た
いわれた 1 人の者が木に高く上り、木の枝をつかんだ。
ちは外に出た時もお前たちの姿なぞ見なかったぞ。」盗賊
その枝が折れた。この 2 人は怖くなって逃げ出した。こ
たちは言った。「私たちはここであなた方の姿を見、私た
の者は落ちる途中で、もう一本の枝に衣服が引っかかり、
ちのことを放してくれと涙ながらに頼んでいたのです。 襟で首をしめられてこと切れた。グリゴーリイは閉じ込
私たちは疲れきって泣きだし、自分たちを解き放ってく
められていたので、助けを求めて教会にいる兄弟のもと
ださるよう長老さまに頼んだのです。
」
にゆくことができなかった。
グリゴーリイはやってきて彼らに言った。「お前たちは
教会から出てくると、修道士たちは木に人が吊り下がっ
他人の労働を盗み、自分自身で働こうとせず、一生無為
て死んでいるのを見て、恐怖に襲われた。グリゴーリイ
に暮らしてきたのだから、自分の生涯が終わるまでそこ
を探したが、隠遁のための地下蔵のなかにいるのが見つ
でそうやって何もせず立ち続けるがよい。」盗賊どもは涙
かった。祝福された人は外に出ると、死者を下ろすよう
にくれながら老修道士に、そのような罪はもう犯さない
に命じ、ほかの盗賊たちに言った。「おまえたちの謀は現
から、と頼んだ。老修道士たちはこの者どもを憐れんで
実のものとなった。なぜなら、神は人から侮られること
言った。「もしもお前たちが働いて自らの労働で他人を養
はないからだ (*40)。私を閉じ込めなかったなら、私はこ
おうというのなら、お前たちを逃してやろう。」盗賊たち
の男のところに行って下ろしてやることができた。そし
は誓っていった。「決してあなたに背きません。
」グリゴー
て、この男は死ななかっただろう。というのは、悪魔は
リイは言った。「神は誉むべきかな ! 今より神聖なる兄弟
虚偽によって中身のないものを大事にさせようとしたの
たちのために働き、その働きにより兄弟たちの必要を満
だ。それで、おまえたちは自らへの恵みをふいにしてし
たすように。」こうして、グリゴーリイは彼らの縛めを解
まった。
」
いてやった。
災いをもたらそうとした者たちはこの言葉を聞くと、
盗賊たちは菜園を守って洞窟修道院で一生を終えた。 この人のもとに身を投げ出して赦しを請うた。グリゴー
彼らの子孫は今にいたるまでここに住んでいると私は記
リイはこのものたちに修道院の仕事につくよう命じた。
憶している。
働いて自らのパンを食べ、自らの働きによりほかの者た
また別のとき、3 人の人間がやって来てこの聖者を誑
ちを養うように、と。この者らは自らの生をこのように
かそうとした。そのうちの 2 人が聖者に頼み、嘘をつい
して終えた。洞窟修道院の至聖なる聖母の奴婢として、
ていった。「この人は私たちの友人ですが、死を宣告され
われらの聖なる師父フェオドーシイの僕として。
ております。あなたにお願いいたします。この者を救う
この祝福された人がいかにして死の受難を受け入れた
ように手を尽くしてください。死から救う何かをおあた
かを語ることがふさわしい。修道院である事件が起こっ
『キエフ洞窟修道院聖者列伝』解題と抄訳(II)
た。生き物が落ちたために器が汚れた。このために、グ
77
である。「復讐はわれにあり、われこれに報いん (*46)。」
リゴーリイはドニエプル川に水を求めて降りていった。 主は仰せである。「これらの小さなものを一人でも軽んじ
ちょうどその頃、ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチ公
ないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使
が祈りを捧げ、祝福を受けるために洞窟修道院を訪れた。
たちは天でいつも私の天の父の御顔を仰いでいるのであ
兄弟ウラジーミルとともにポーロヴェツ人を討伐にゆく
る (*47)。」というのは、主は正しく真実を愛しているか
ことになっていたからである (*41)。
らである。正しい者のみがその御顔を拝するのである。
その兵士たちはこの長老を見ると、恥ずべき言葉を投げ
人は蒔いた種を刈り取るのだから (*48)。主に逆らう傲慢
かけてこの人を罵りはじめた。修道士はこの人々みんなに
な者たちには報いがあり、謙遜な者たちには祝福をおあ
死が近づいていることを悟り、言いはじめた。
「おお、子
たえになる。かの神に父と聖霊とともに祝福あらんこと
らよ、敬神の念をもって、すべての人々が祈ってくれるよ
を、今もこのときにも、とこしなえにも。アーメン。
うに振る舞わなければならないときに、おまえたちは神の
お気に召さぬことをしている。自らの死を泣き、自らの罪
を悔いるがよい。恐ろしき裁きの日に慰めが得られるよう
に。というのも、おまえたちはみな、おまえたちの公とと
もに溺れ死ぬという裁きを得ているのだから。」
第 29 話 忍耐づよき隠遁僧 イオアンについて
最初の人間から、この地上に生まれた人間たちは同じ
ような姿をもち、似通った欲望に屈服する。なぜならば、
公は神への畏怖をもっておらず、祝福された人の言葉
かの果実の美しさを見ると、最初の人間は我慢できずに
を心にとめず、この人がでたらめを予言していると考え
神の言いつけに背き、欲望にまみれた生き方を受け入れ
て言った。「私が溺れ死ぬとでも言うのか、私は泳げると
たからである。人間が創造されたときには、神の創造物
いうのに。」それから、公は怒りを発し、この人の腕と足
であるがゆえに欠陥はなかった。神は地面から土塊を取
を縛り、石をその首を結わえ、水の中に投げ入れるよう
り上げ、いと清き、過ちなき両の手にて、善良でめでた
に命じた。このようにして、彼は水中に沈められた。
き人間を創造したのであるが、人間は土塊であるから地
二日間、兄弟たちは彼を探したが、見つからなかった。
上のものを愛し、享楽に引き寄せられ、享楽が人間を支
彼が残していった物を取りにゆこうとして、三日目にそ
配するようになり、以来、人間という種族は欲情に支配
の僧坊を訪れた。すると、この人は僧坊に縛めを受けた
され、次々に享楽におぼれ、いつも戦争のような状態な
ままで死んでいた。首には石が結わえつけられ、僧衣は
のである。
濡れそぼち、その顔はまるで生きているかのように輝い
その一人である私も欲情に屈し、その虜となり、わが
ていた。彼を運び込んだ者を見つけることができなかっ
魂の思いは乱され、欲情に支配され、罪を犯したいとい
た。僧坊は閉ざされていたのだ。自らのお気に入りの者
う欲求を克服することができない。今まで犯してきた罪
たちのために驚くべきことをした神に栄えあれ。兄弟た
の多さにおいて、この地上に私のごとき者はいない。
ちは、彼の遺骸を運び出し、丁重に洞窟のなかに葬った。
それは長いあいだ全きまま腐敗を免れた。
ロスチスラフは自らの罪を認めず、怒りのために修道
しかし、人間のなかでこの人だけが真実を見出し、自
らを神の意志にゆだね奉り、その教えを非の打ちどころ
なく守り、あらゆる汚らわしい肉と霊の欲求を退けて、
院には行かなかった。ロスチスラフは祝福を求めず、祝
自らの肉体と魂を清浄に保っていた。思うに、それが尊
福もこの人から遠ざかった。ロスチスラフは呪詛を愛し
者イオアンであり、この人は、とある洞窟の窮屈な場所
たが、その呪詛がロスチスラフのもとに返ってきたので
に自らを閉じこめていた。そして、大いなる節制のうち
ある。ウラジーミルは祈りのために修道院にやってきた。
に 30 年間暮らし、厳しい断食で身を保ち、自らの肉体を
彼らがトレポリ (*42) にいるとき、両軍が衝突してわれ
苦しめ、鉄の枷を身体じゅうにつけていた。
らが公らは敵を前にして逃げ出した。ウラジーミルは聖
兄弟のなかで、ある人が彼のもとに頻繁にやってくる
者の祈りと祝福のおかげで川を渡ったが、ロスチスラフ
ようになった。この人は悪魔の仕業で肉の欲情に苦しめ
はグリゴーリイの言葉とおり、自らの兵とともに溺れ死
られていたのである。彼は、祝福されたイオアンに、主
んだ (*43)。
「裁きを下すものはその裁きによって裁かれ
が自分を欲情から解放してくれるように、自分の肉欲を
る。秤にかけるものは、その秤によって量られる。
」(*44)
鎮めてくださるように、神に祈ってほしいと頼んだ。祝
辱めをあたえる者よ、聖なる福音書のなかに刻み込ま
福されたイオアンはこの者に言った。
「兄弟よ、勇気を出
れた格言をよく心にとめておくがよい。無慈悲な裁き手
し、心をしっかりともつがよい。主を待ち望み、主の道
と辱めを受けた寡婦の話を。裁き手のもとに、この女は
を踏み外さぬよう一生懸命に努力することだ。そうすれ
足を運び、言うのだった。「私の反対者から私をお守り下
ば、主はお前を見捨てて悪魔の手にわたしたり、私たち
さい (*45)。
」私はおまえたちに言う。主は自らの僕のた
を悪魔の牙にゆだねたもうたりはすまい。
」
めに報いて下さる。というのは、次のように仰せだから
すると、この兄弟は隠遁僧に答えて言った。「私を信じ
78
(2007 年 12 月)
三浦清美
てください。もしも、あなた様が私に安らぎをおあたえ
出そうとしたが、私はその悪意に気づいていた。穴のな
くださらないならば、私は夜も眠れず、ふらふら歩き回
かにあった私の足が底のほうから燃えだし、血管が縮ま
るばかりです。」祝福された人は彼に言った。「どうして
り、骨がカタカタ音を立てた。炎はすでに私の腹まで達し、
お前は自らを悪魔の餌食にしようとするのか ? お前は
私の四肢は燃えあがった。しかし、私はひどい痛みを忘れ、
崖っぷちに立つ人に似ている。悪魔が突然やってきてそ
不浄から身を清く保てたことに魂は喜びに満ちた。私は
の人を突き落としたならば、ひどい転落の仕方をして、 穴から出るよりも、主のために全身が炎に焼かれること
立ちあがることもできないだろう。もしも、おまえがこ
を望んだ。
の場所、神聖にして祝福されたこの修道院にいるならば、
すると、私は恐ろしくきわめて獰猛な蛇をみた。かの
おまえは深みから離れたところに立つ人に似ている。悪
蛇は私を丸呑みにしようと、炎と火花を吐き、私を焼いた。
魔が苦心惨憺、おまえをその中に引きずり込もうとして
そして、悪魔が連日にわたってこのようなことを私の身
も、無理だろう。この場所では、主はおまえの忍耐に免
の上におこし、私を穴から追い出そうとした。キリスト
じて、欲情の落とし穴と汚らしい泥濘からお前を引っ張
復活祭の夜がくると、この獰猛な蛇が突如として私に襲
り出し、その足を石のうえにしっかり据えてくださるか
いかかり、私の頭と手をその口のなかに呑みこみ、私の
らだ。しかし、子よ、私の話すことに耳を傾けるがよい。
頭髪と髭は今おまえの見るごとくに焼け爛れた。私は蛇
若いころにわが身に起こったことを、私はおまえに話し
の咽にいて私の心の奥底から叫び声をあげた。
てあげよう。」
祈り。「主、神よ、私の救い主よ ! どうしてあなたは私
私はあの頃、淫蕩な欲望に苦しめられて苦しんでいた。
をお見捨てになったのですか ? ご主人様、私をお憐れみ
救いのために何をしたらよいか皆目見当がつかなかった。
ください。あなた様だけが、人間を愛される方なのです
二日も三日も物を食べなかったりしたが、こういう生活
から。ただお一方の罪なき神よ ! 罪深き私をお救いくだ
を送るうちに三年が経ってしまった。まる一週間何も食
さい。永遠に悪魔の網に絡めとられぬように、私をわが
べないことも何度もあったし、一晩中眠らないことも、 無法の不浄からお救いください。私を悪魔の口からお救
渇きで危うく死にかけたこともあった。鉄の枷をわが身
いください。悪魔は獅子のごとく咆哮しながら歩き回り、
につけていた。このようなひどい苦しみのなかに三年も
私を呑みこもうとしています。あなたの力を動かし、私
いたが、いかなる安息も見出すことができなかった。そ
を救いに来てください。あなたの稲光を煌かせ、あなた
して、あるとき私は聖なる師父アントーニイが眠る洞窟
の眼前からこの蛇が消えるように追っ払ってください。」
へ行き、そこで祈りを捧げていた。昼も夜もかの人の棺
すると、この祈りが終わるやいなや、稲光がしてこの蛇
の傍らにいて祈っていた。すると、かの人が私に語りか
は私の前から姿を消した。以来、私は今にいたるまでこ
ける声が聞こえた。「イオアンよ、イオアンよ。おまえは
の蛇の姿を見ていない。
ここにこもらなくてはいけない。何も見ず、沈黙のうち
すると、このとき神の大いなる光が太陽のごとく輝き
に過ごすことで闘いから少しは解放されるだろう。主が
だし、
「イオアンよ、イオアンよ ! これがお前への助けだ。
聖なる師父らの祈りによっておまえを助けてくださろ
これ以上つらいことがおまえの身の上に起きないように、
う。
」兄弟よ、私はそのときからこの狭い悲しげな場所に
来世で何か悪いことに苦しまぬように、ほかのことはお
居を定めた。以来、30 年が経ったが、つい先ごろ安息を
まえ自身が行うがよい。」私は跪拝し、言った。「主よ、
見出したばかりなのだ。
何のために私をひどい苦しみのうちに放っておいたので
全生涯かけて私は苦しみながら肉体の思いと闘ってき
すか ?」声は答えていった。「お前の忍耐の力に見合うよ
た。私は自らの命を保つだけの食べ物を取り、厳しく律
うに、おまえが金のように鍛錬されるように、私はおま
して生きてきた。そして、それから、何をしてよいかわ
えに試練を与えてきたのだ。神は、人間が疲れ果ててし
からず、肉体との闘いに耐えることができなかったので、
まわぬように、人間の力を超えて試練をお与えにならな
裸足で暮らし、自分の身体に枷をつけることを思い立ち、
い。主人が屈強で力の強い奴隷に重い大きな仕事をゆだ
それはその時から今まで続いている。私は寒さと鉄で自
ね、力の弱い奴隷に小さな楽な仕事をあてがうのと同じ
分を疲れ果てさせようと思ったのだ。
ことなのだ。知っておくがよい。おまえが成就を祈る肉
そして、私はほかのことを行ったが、それは効果があっ
欲との闘いに際しては、肉欲との闘いが楽になるよう、
た。聖大斎期がくると、私は肩までくる穴を掘り、その
お前の向かいに眠る死者に祈るがよい。この者はヨセフ
中に入って自分の手で土をかけて、手と首だけが自由に
(*49) よりも偉大なことを成し遂げ、痛ましくも情欲に苦
なるようにする。この責め苦のもと、身体をどこも動か
しむ者を助けることができよう。
」
すことができぬ状態で、私は全大斎期間を過ごしたのだ
私はその人の名前を知らなかったので、「神よ、憐れみ
が、肉の欲求と身体の炎はやむことがなかった。しかし、
たまえ」と叫びはじめた。のちに私はそれがハンガリー
この頃、敵たる悪魔が私を恐怖で満たし、そこから追い
生まれのモイセイであると知った。すると、いわく言い
『キエフ洞窟修道院聖者列伝』解題と抄訳(II)
79
がたい光が私に差しこみ、私は今もその光の中にいて夜
彼を口説きはじめた。「あなた、そのような苦しみを受け
でも昼でも灯火を必要としない。しかし、私のもとにく
るのは無意味ですわ。物事を筋道立ててお考えになれば、
る者でふさわしい者はみなこの光を浴び、夜目にも明る
責め苦と枷から助けてもらえますのに。」この女にモイセ
く輝くその慰めをはっきりと見る。その光は、希望がも
イは言った。
「神がかくのごとくお望みだ。
」女は彼に言っ
てるように、夜を明るく照らすのだ。私たちは肉への執
た。
「もしも、私の言うことをお聞きになれば、私、あな
着から理性を殺すが、正しきを行うキリストは、決して
たを助けてリャフの地で高い位につけてさしあげます。
実を結ばぬ私たちの苦しみを訪れたまうのである。しか
あなたは私と私の領地のご主人様になれるのですわ。
」
し、兄弟よ、私はお前に次のように言う。この神のごと
しかし、祝福された人はこの女の汚らしい情欲に気づ
きモイセイに祈りを捧げるがよい。モイセイがお前をお
くと、この女に言った。
「女を娶り、その女の言いなりに
助けになるだろう。
なった男が、かくあるべき振舞いをしたことがあるか ?
そして、遺骸から骨をひとつ拾い上げ、この兄弟に渡
最初に神がお造りになった男、アダムは女の言いなりに
して言った。「肌身離さずもつがよい。
」すると、たちま
なって楽園を追放された。サムソンは力比べでは誰より
ち情欲が消え、彼の肢体は死んだようになり、以来彼の
も強く、敵には勝ったが、そのあとで女に裏切られて虜
身に誘惑は起こらなかった。二人は、自らの聖者に栄光
囚の身に落ちた。また、ソロモンは知恵の深みに達したが、
をもたらす神に感謝した。彼らは存命中は神を喜ばせ、 女の言うことにしたがって偶像を崇拝した。そして、ヘ
その死後神は療治の恵みで豊かにし、不滅の桂冠で彼ら
ロデは多くの勝利をおさめたが、女の虜となって洗礼者
を飾り、自らの王国にふさわしいものにした。父と聖霊
ヨハネを首斬った。自由な私が、生まれた日から女を知
とともに、神に現在も常に永遠に誉れあれ。アーメン。
らぬ私が、どうして女の奴隷になれるというのか ?」
かの女は言った。
「私があなたを請け出してあなたを名
第 30 話 尊者モイセイについて
誉ある身にします。私の家全体の主人に立てます。私、
あなたをわが夫にしたいの。私の想いを受け入れて、魂
この祝福されたハンガリー人モイセイについて、聖ボ
の熱い想いを慰めてほしいの。私に、あなたの美しさを
リスに愛されたことが知られている。この人はハンガリー
たんと楽しまさせてはくれないかしら。ちょっとその気
の生まれで、聖ボリスが金の首飾りを授けたかのゲオル
になってくださるだけで、私、うれしいわ。あなたの美
ギイの弟であった。ゲオルギイは聖ボリスとともにアル
しさが滅びるのを黙って眺めていることなんか、私、も
タ河畔において殺害されたが、この金の首飾りのゆえに
うできません。私を焼け焦がす心の炎が、どうか、鎮まっ
首を切断されたのであった (*50)。モイセイひとりがむご
てくれますように。私も、私の想いが慰められて、こみ
い死を免れ、おそろしい殺害の餌食にもならずに、ヤロ
あげる想いから安らぎを得ることができるし、あなただっ
スラフの妹プレディスラヴァ (*51) のもとにやってきて
て、私の美しさをたっぷりご堪能なさって、わが全財産
そこに留まった。そして、この当時、どこかに移り住む
の主人となり、私の権勢を引き継いで貴族たちに君臨し
こともかなわなかったので、この人は心をしっかりもっ
てくださればよいのよ。
」
て神への祈りに明け暮れていた。
モイセイはこの女に言った。
「思い知るがいい。お前の
そして、ついに二人の兄弟に対する熱い想いに我慢し
望むことをしたりはせぬ。貴様の権勢だの、富だのは欲
きれなくなったヤロスラフが、あの無法なるスヴャトポ
しくもないわ。こんなもの一切合切よりも、心の純潔の
ルクへ進撃し、神をも畏れぬ傲慢な、呪われたるスヴャ
ほうがよい。けれども、身体の純潔はそれ以上に値打ち
トポルクを打ち破ったのであった。スヴャトポルクはリャ
がある。主が枷を打たれても耐えよ、と私におあたえく
フ (*52) の地に逃げ込んだが、ボレスラフとともに再び
ださった五年間の苦難を無駄になどできるものか。私が
兵を進め、ヤロスラフを追い払い、キエフ公位についた。
悪くてかくのごとき苦患を受けているのではない。この
そして、ボレスラフがリャフの地に帰還するさい、ヤロ
苦患ゆえに、私は永遠の責め苦から逃れたいと思ってい
スラフの二人の姉妹を捕らえ、その廷臣たちを連れ去っ
るのだ。
」
たが、そのなかにこの祝福された人もいたのである。彼
この女は彼の美しさがわがものにならないとわかると、
らはモイセイの手足に重い鉄の枷をはめて連行し、厳し
悪魔のあらたな唆しに乗ってこんな考えを浮かべた。「私
い監視をつけた。というのも、この人は体も壮健で顔も
があの人を贖ったら、しぶしぶにでも、いずれ私の言い
美しかったからである。
なりになるにちがいないわ。」女はこの人の身柄を預かっ
この人をとある貴顕の女が見初めた。女は若く美しく、
ている者に遣いを送って、好きなだけ代価を取ってモイ
また、豊かな財と大いなる権勢をほこっていた。そして、
セイを引き渡すように言った。男はたっぷり儲ける好機
この女はこの人の見目麗しさに心を留め、この神聖なる
到来と見て取り、この女から 1000 銀グリヴナ近くを受け
人をものにしたいという情欲に心をやかれ、甘い言葉で
取って、モイセイを引き渡した。
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(2007 年 12 月)
三浦清美
かの女は破廉恥にも彼を憚りある所業へと引き込もう
葉を私に言ってくれた。私がこの女のいうなりになるよ
とした。この人に命令できる立場になったこの女は、彼
うにあなたがたは説かれるが、ご忠告、何としても受け
に自分と睦み合うように命じた。この人を枷から放ち、 入れることができない。枷を打たれて辛い責め苦のなか
高価な衣をまとわせ、贅を尽くした食事でもてなし、抱
で死ぬことになろうとも、私は神から憐れみを受けるこ
擁をおこない、無理強いして彼に自分の欲望を満たさせ
とを望んでいる。あらゆる義人たちが女とともに救われ
ようとした。
たとしても、私だけは罪深く、女とともにいて救われる
この尊者は女の常軌を逸した振舞いを見ると、ますま
ことがない。
す祈りと禁欲に打ち込んだ。神のために、高価な食事と
しかし、もしもヨセフがポティファルの妻に屈したな
不浄な葡萄酒よりも、乾いたパンと清浄な水を選んだの
らば、ヨセフはのちに王国を治めることがなかったであ
である。この人は、ヨセフのように、どの衣類にも袖を
ろう。神がこの人の忍耐のさまをご覧になってこの人に
通そうとしなかった (*53) ばかりか、もっている衣類を
王国をおあたえになったのだ。それでこの人は子孫の続
すべて脱いで罪から逃れた。この人は現世の生活をくだ
くかぎり何代にもわたって、知恵のまったき者と讃美さ
らないと思っていたが、これが女を憤らせ、女は彼を餓
れている。私が望むものはエジプトの王権を継承するこ
死させてしまおうと心に決めた。が、神は自らに望みを
とでも、権力を握ることでも、リャフたちのあいだで地
かけるご自分の奴婢たちを見捨てぬものである。神はこ
位を得ることでも、ルーシの地で尊敬されることでもな
の女の奴隷のある者に憐れみを催させて、こっそり彼に
い。より高き王国のために、これらのことをすべて蔑ん
食事をあたえさせた。
でいるのだ。もしも生きてこの女の手から逃れることが
心変わりを促す人々もいて次のように言った。「兄弟モ
できたならば、私は修道士になろう。
イセイよ。なんのために、あなたは結婚を肯んぜようと
福音書のなかでキリストは何と言っているのか ?『自
しないのか。あなたはまだお若いし、あの女は寡だ。一
らの父、母、子供、家を捨てたものこそ、私たちの弟子
年間夫と連れ添ったが、他の女より美しく、夥しい財産
である。 (*58)』キリストのいうことを聞いたほうがいい
をもち、リャフの地で大いなる権勢をほこっている。こ
のか、それとも、あなたがたの言い分か ? 使徒は言って
の女がどこかの公を夫に欲しいと言ったとしても、所望
いる。『妻帯者はどのようにしたら妻に気に入られるか、
された男は拒みはしないだろう。それなのに、あなたは
独 り 者 は い か に し て 神 の お 気 に 召 す か に 心 を 砕 く。
虜囚の身でありながら、この女を近づけず、その主人に
(*59)』あなた方に訊く、誰のために働くべきなのか、キ
なろうとしない。常日頃あなたが言うように、『キリスト
リストか妻か ? 次のように書かれている。『僕たちよ、悪
の教えに背くことができない』というのならば、福音書
しきことについてではなく、よきことについて自らの主
のなかでキリストは言っているではないか。『このゆえに、 人に従うがよい。 (*60)』あなた方は私のことにあれこれ
人はその父と母のもとを去り、その妻と結ばれ、二人は
気を使ってくださるが、女の美しさが私を喜ばせぬこと、
一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体
キリストへの愛から私を遠ざけ得ぬことは、あなたがた
である (*54)。』使徒行伝も次のように言っている。
『情欲
にもおわかりであろう。
に身を焼かれるよりも、結婚したほうがよい (*55)。』ま
女はこれを聞いて、狡い企みを胸に秘め、大勢の奴婢
た、寡には二度目の結婚をするように命じている (*56)。
どもを供につけてこの人を馬に乗せ、自らの領有する町々
それなのに、あなたは修道士の勤しみに関わりをもたず、
や邑々をつれて歩くよう申しつけていった。「あなたがお
その束縛を受けなくてもすむのに、どうして酷く辛い苦
望みになるなら、これはみんなあなたのもの、みんなあ
しみに身をゆだね、何のために苦しむのか。もしもこの
なたのお望みのとおりになさってください。」人々に対し
不幸のなかで死ぬことになったとしても、どういう誉れ
ても次のように言った。
「この方はおまえたちの主人で私
を受けるというのだろうか。
の夫、皆この方に出会ったならばひれ伏して挨拶をする
古の人々のうち、修道士でない者が今にいたるまでこ
がよい。
」というのは、この女にはたくさんの僕や婢が仕
れほど女を忌み嫌ったことがあろうか。アブラハムか、 えていたからである。
イサクか、ヨセフか。ヨセフも女の愛に打ち勝ったのは
祝福された人は女の常軌を逸した振る舞いをあざ笑っ
わずかのあいだで、その後女の愛に屈したではないか
ていった。「無駄な骨折りというものだ。この世の腐りは
(*57)。あなたが生き延びてふたたび女を得たとしても、
てた品々で私に媚を売り、魂の宝を私から奪おうなど、
無節操だといって笑う者があろうか。この女の言うとお
不可能な話だ。よく聞き分けて無駄な骨折りなぞせぬが
りになって自由を得、財物の主になるほうが賢いのだ。
」
よいぞ。」女はこの人に言った。「知らないのかしら。あ
モイセイはその者たちに言った。「おお、兄弟たち、私
なたは私に売られたのよ、いったい誰が私からあなたを
の友人たちよ、私の言うことをよく聞いてくれ。あなた
奪うことができましょう。私は生きたままあなたを手放
がたは、エデンの園にすむ蛇の囁きよりもすばらしい言
すことはありません。散々苦しみを与えたあと、私はあ
『キエフ洞窟修道院聖者列伝』解題と抄訳(II)
81
なたを死に引きわたすでしょう。」彼は臆せずにこの女に
ために多くの苦しみを受けましたが、強情ゆえの自業自
答えていった。「私はおまえの言うことを恐れない。とは
得です。とうとうある修道士の手で剃髪を受けてしまい
いえ、私を売りわたしたものはおまえよりも罪が重い。 ました。この男のことでは、あなたのご命令になるとお
私は神がお望みになるとおり、修道士になろう。
」
りにいたします。
」
ちょうどその頃、司祭の位にある修道士が神のお導き
ボレスラフ公は女に自分のところに来るように、その
により聖山から訪れた。この人は祝福された人のもとを
際モイセイを伴うように命じた。女はボレスラフのもと
訪れ、この人に天使の姿をまとわせ、純潔について大い
に赴き、モイセイも連れていった。至福の人に会うと、
に説き、自らを悪魔の手に渡さぬこと、この忌まわしい
ボレスラフは妻を娶るように勧めたが、説得することは
女の手から逃れるよう言って、この人のもとから立ち去っ
できなかった。そして、
ボレスラフはこの人に言った。
「こ
た。人々はその人を探したが、見つからなかった。
れほど幸いと敬意に満ちた扱いを拒み、自らを辛い苦し
女は自らの望みが断たれたため、モイセイに重い傷を
みにゆだねる、おまえのような愚か者がいようか。おま
負わせた。この人を横たえると、杖でしたたかに打ち据
えを待つものが生なのか死なのか、女主人のいうとおり
えるように命じ、地面が血であふれるほどであった。打
になり、私たちから敬意を受け、大いなる権勢を振るう
擲する人々も口々に言うのだった。「自分のご主人様にし
のがよいか、それとも、多くの苦しみの後に死を迎える
たがうがよい。ご主人様のお心をかなえて差し上げるが
のがよいのかを、今から決めるがよい。」ボレスラフは女
よい。もしも言うことを聞かぬなら、私たちはおまえの
に向かってこうも言った。
「おまえに身請けされた奴婢は、
身体をずたずたに引き裂いてしまうだろう。この苦しみ
誰一人として自由ではない。女主人が奴婢に対するがご
を逃れようとゆめゆめ考えてはならぬ、苦しむだけ苦し
とく、おまえの好きなように処するがよい。他の者たち
んだあとに魂を差し出すがよい。それがいやなら、自分
が主人の命に背くことがないように、な。」モイセイは答
自身を憐れんでやるがよい。そのぼろぼろの衣服を脱ぎ
えた。「主の仰せになるとおりである。『もしも世界をわ
捨てて豪華な衣装に身を包むがよい。私たちがおまえの
がものにしたとしても、おのれの魂を損なっては何の益
身体を切り刻んでしまう前に、おまえを待ち受けている
があろうか。おのれの魂を金で買い取ることができよう
苦しみから逃れるがよい。
」
か。 (*61)』おまえは私に名誉と敬意を約束するが、おま
モイセイは答えた。「兄弟たちよ、おまえたちは命じら
え自身がじきにそういうものを失ってしまうだろう。墓
れたことをするがよい。さあ、するがよい。ぐずぐずし
場まで持ち物を持ってゆくことはできないのだから。そ
ていてはならぬ。修道士として然るべからざる振る舞い、
して、この忌まわしい女は無残にも打ち殺されてしまう
神への愛に悖る行いを私はすることができない。どんな
だろう。
」祝福された人の予言どおりのことが起こったの
責め苦であろうと、炎であろうと、剣であろうと、傷を
である。
受けようと、私を神から引き離すことができぬし、天使
女はこの人に対して権柄ずくに振る舞い、破廉恥にも
に見まごう修道士の姿を奪うことはできない。この恥知
この人を罪に引き入れようとした。ある時など、おのれ
らずでおろかな女は、神を恐れぬばかりではなく、羞ら
の寝台に無理やりこの人を引き入れるよう命じ、愛撫し、
いという人として当然の感情を見下して、まるで恥を知
接吻をあたえたが、このような誘惑をもってしても、お
るところなく、私に涜神と淫行を無理強いしたのである。
のれの欲望を遂げるよう仕向けることはできなかった。
私はこの女にはしたがわない。この呪うべき女の望みど
この人は女に言った。「おまえの骨折りも無駄なことだ。
おりには振る舞わない。
」
私を分別なき者と思い込んではならぬ。かかる振る舞い
大いなる悲しみに打ちひしがれて、女は何とかこの恥
ができないのだと侮ってはならぬ。神への畏れゆえに、
辱の復讐をしようと、ボレスラフ公に遣いを送っていっ
」これを聞
おまえを不浄なものとして嫌悪しているのだ。
た。「ご存知のとおり、私の夫はあなたとともに出征した
くと女はこの人を一日百回打擲するように命じた。最後
戦で戦死を遂げました。あなたは誰なりと望みの男に嫁
には、恥部を切り取るように命じて言った。「わたしはこ
ぐ自由を私にあたえました。私は、あなたに囚われたあ
の男の美しさが惜しいとは思わない。ほかの誰かがこの
る美しい男に思いを寄せて買い取り、家に連れ、この男
美しさを味わわないためにも。
」モイセイは出血のためま
に多くの金を与えました。屋敷にあるあらゆる金、銀、
るで死んだもののように息も絶え絶えに横たわっていた。
そして、あらゆる権勢もあたえたのです。ところが、こ
この女が身分が高く、また、かつて愛を抱いていたので、
の男はこれらすべてを何とも思わない。何度となく、こ
ボレスラフは恥辱に満たされ、この女の言いなりになっ
の男に傷を負わせたり、飢えさせたり、責め苦をあたえ
て修道士らに対する迫害を開始し、自らの領土から修道
たりしたのですが、この男には十分ではありませんでし
士たちをみな追放した。
た。この男は、5 年間、捕らえた者によって枷を打たれ、
6 年目に私のもとに連れてこられたのでした。不服従の
神は自らの僕のために報復をはじめた。同じ夜、ボレ
スラフは原因不明の死を遂げ (*62)、リャフ人の地には大
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三浦清美
規模な反乱が起こり、人々は自らの主教ら、領主らを打
ち殺した。このことは年代記の記すとおりである。その
とき、この女も殺された。
この尊者モイセイは傷は癒えたが、受難の傷跡を負っ
第 31 話 修道僧プロホルについて 祈りによって、
ロボダといわれる草からパンを、灰から塩を作った
こと
たまま、勇敢なるキリストの勝利者という桂冠をいただ
人間を愛される神は自らの被造物のことを思い、常に
いて聖洞窟修道院の聖母のもとにやってきた。主はこの
いついかなる時も人間のことを気遣って有益なるものを
人に情欲に打ち克つ力をおあたえになった。
おあたえになる。私たちが悔悟するのを待ち、神はある
情欲に打ち負かされたある兄弟がこの人のもとにやっ
時は私たちに飢饉を、支配者の内訌による戦争をもたら
て来て、この祝福された人に助けてくれるように頼んだ。
される。これで、主は人間の不行跡を善行と醜い業の記
「これから死ぬまで、あなたのおっしゃることを何でも守
憶へと導き、悪逆で芳しからざる行動を行う者は、その
ると誓います。」祝福された人はこの者に言った。「自分
罪のために悪逆で無慈悲な権力者の手に委ねられる。だ
が生きているあいだ、どんな女にも一言も言葉をかけて
が、これら権力者といえども、裁きを免れることはでき
はいけない。」この者は心から誓いを立てた。聖なる人は
ない。慈悲を施さない者に呵責ない裁きが下される。
手に錫杖をもっていた。というのは、これを持たずに歩
キエフ公位にスヴャトポルク (*65) が君臨していた時
くことができないからだが、この錫杖でこの者の額を叩
代のことであった。スヴャトポルクは人々に狼藉の限り
くと、たちまちこの者の恥部は死んだように動かなくな
を尽くし、有力者の家を理由もないのに根こそぎ打ち壊
り、以後、誘惑が起こらなくなった。
し、多くの財産を奪った。これがゆえに、主は異教徒に
このモイセイのことはわれらが師父アントーニイ伝の
彼らを制する力をおあたえになり、ポーロヴェッツ人か
なかに書かれている。というのも、祝福された人はアン
らたくさんの戦をしかけられた。そのうえ、この時代に
トーニイ在世中にここに来て、修道院には 10 年間いてか
はルーシの地に、内輪もめやひどい飢饉、あらゆる面に
ら、よき信仰のうちに主の御許に身まかったからである。 わたって大いなる窮乏が起こった。
こういう時代に、ある人が修道士になるために、スモ
彼は 5 年間枷につながれて過ごし、6 年目に純潔に達し
た (*63)。彼をこよなく愛したもうた神に、ひとえにわが
レンスクから修道院長イオアンのもとにやってきた。修
身を委ね奉ったこの祝福された人の剃髪ゆえに、リャフ
道院長はこの人を剃髪し、プローホルという名前をあた
人の地で起こった修道士の追放のことを私は記憶にとど
えた。この人は黒衣の修道士になると、限りない従順さと、
めていた。このことは聖なるわれらが師父フェオドーシ
パンをさえ口にしないほどの節制に身を委ねた。彼はロ
イ伝に書かれていることである。
ボダという草を集め、自分の手で粉に挽いてパンを作り、
聖なるわれらが師父アントーニイが、ワルラームとエ
それで糊口をしのいでいた。この人はこのようにして、
フレムのことが原因でイジャスラフ公から追放されたと
まる一年分の食べ物を支度し、翌年には、また同じもの
き、リャフ人の出であるその妻は彼をなだめていった。
「そ
を準備したので、生涯にわたりパンがなくても十分に暮
のようなことをなさろうと考えてはなりません。という
らしてゆくことができた。
のは、同じようなことが私の故郷でも起こりました。何
そして、主はこの人の堅忍と大いなる節制とをご覧に
かの原因で修道士たちが私たちの故郷から追い出された
な っ て、
「 夕 べ に 涙 あ り と い え ど も、 朝 に は 喜 び あ り
のです。すると、リャフの地に大いなる災いが起こりま
(*66)」の言葉どおり、この食物の苦さを甘さに、悲しみ
した。」このことは、ここに書かれているようにモイセイ
を喜びに変えた。そして、このゆえにこの人はロベドニ
のために起こったことである (*64)。
ク(アカザ行者)と呼ばれたが、実際、この人は聖パン
私たちは話の最後までたどりついた。私たちはハンガ
のほかはパンは食べず、野菜も飲み物も摂らず、既に述
リー人モイセイと隠遁行者イオアンについて、主がこの
べたように、アカザと水しか食さなかった。彼は悲しみ
二人を嘉したもうて、自らの誉れのためになさったこと
に暮れるということがなく、いつも主のために喜び働い
を書いてきた。すなわち、主は二人をその忍耐ゆえに称え、 ていた。また、彼は戦があっても全く恐れなかった。な
ぜなら、この人の生活はまるで鳥のそれであり、住まい
予言の天賦を豊かに増し加えたのである。神にとこしな
えに栄えあらんことを。アーメン。
も富を貯える納屋ももたなかったからだ。
彼は富んだ者のように、
「魂よ、これから先何年も生き
てゆくだけの蓄えができたぞ。一休みして、食べたり飲
んだりして楽しめ (*67)」ということはしなかった。アカ
ザのほかは何も持たず、しかも当座の年の分だけしか準
備せず、自分には次のように言い聞かせていた。「人間よ、
天使たちが今夜お前から魂を召し上げる。用意したアカ
『キエフ洞窟修道院聖者列伝』解題と抄訳(II)
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ザは誰のためのものなのだ ? (*68)」
、
「空の鳥をよく見な
彼の噂がいたるところに広まり、たくさんの餓えた人を
さい。種もまかず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
養い、多くの人々に恩恵をあたえた。
だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる (*69)」
ダヴィド・イーゴレヴィチの唆しに乗ったスヴャトポ
と主は言われたが、この人はこの言葉を実際の行動でや
ルクがワシリコを盲にし、この事件をきっかけに、スヴャ
り遂げたのであった。プローホルは鳥に見習って、熱心
トポルクはヴォロダルと当のワシリコ (*70) と同盟して、
にアカザの生える場所をあちらへこちらへと身も軽々と
ダヴィドとのあいだで戦をはじめた。このときにガーリ
歩きまわり、そこから、まるで翼が生えたかのように肩
チ (*71) からの商人の出入りが差し止められ、ペレミス
にアカザを背負って修道院へと戻り、自らの食事を作っ
ルから舟が一艘も来なくなり、全ルーシで塩飢饉がおこっ
た。耕されぬ耕地に種を蒔きもしないのに生えるのが、 た。この混乱にくわえて、預言者が「パンを食らうよう
この人の作物なのであった。
大飢饉が襲い、あらゆる人々が飢え死にの瀬戸際にあっ
ても、祝福された人は自らの仕事を続け、アカザを集めた。
に民を食らい、主を呼び求めることをしない (*72)」と
言ったような無法な略奪が起こった。
このとき、人々が大いなる悲しみに打ちひしがれ、餓
この人がアカザを集めているのをある人が見て、飢饉の
えと戦乱に疲弊し、小麦も塩もなく、どうやってこの困
さいに食いつなごうと、自分の家で食べるためにアカザ
窮を乗り切ったらよいか見当もつかなかった。困窮は日
を集めた。その当時、祝福された人が食用にしたアカザは、 を見るよりも明らかだった。
いつもより多く採れた。飢饉の時には、もっとたくさん
祝福されたプローホルは自分の僧坊を持っていたが、
働いてこの草を集め、私が先ほど述べたように、自分の
誰にも知られぬようにしてあらゆる僧坊からたくさんの
両の手で挽いて粉にしてパンを作り、財産を持っていな
灰を集め、これを訪れる人たちにあたえた。灰は彼の祈
い人、飢えのためにぐったりしている人に分け与えた。
りによってみな純粋な塩になっていた。そして、あたえ
飢饉のおりには、たくさんの人が彼のもとを訪れたが、 た分だけ、塩の分量は増していた。
彼がみなに分け与えると、みなにはアカザのパンが蜜で
そして、彼は代償に何も受け取らず、すべての人にた
もつけたように甘く感じられ、この祝福された人が野草
だであたえた。それは修道院で要る分が十分まかなえた
から手ずからこしらえたパン以外のものを欲しがらなく
だけではなく、彼のもとを訪れる世俗の人々も、家々が
なった。この人が祝福してパンを与えると、パンは澄ん
必要とする分をたっぷり持っていった。市場は人っ子一
できれいで甘く感じられることさえあった。 誰かがこっ
人いなくなり、修道院には塩をとりにくる人があふれた。
そりこのパンを持ち出すと、パンはにがよもぎのような
味になった。
兄弟のある者がこっそりパンを盗み、この人の許しも
このことで塩を商う商人たちは彼をうらやんだ。彼ら
は自分たちの望みがかなわなかった。この機会に塩の商
いでたくさんの稼ぎを得ようと思っていたので、彼らの
得ずに 食べようとしたが、この兄弟の手のなかでパンは
悲嘆はたいへんなものであった。というのは、以前には、
にがよもぎのようになり、際限もなく苦く感じられたの
1 クナで 2 メラしか売らなかったものが、今では、10 メ
で食べることができなかった。このようなことが何度も
ラとなり、しかもそれでも誰も買おうとしなかったから
起こった。この兄弟は自らを恥じたが、羞恥の心ゆえに
である。
自分の罪を祝福された人に告白することができなかった。
塩商人たちは立ち上がり、スヴャトポルクのところに
この兄弟は飢えに苦しみ、自然の欲求を我慢できず、眼
やってきてこの修道士のことを非難していった。「洞窟修
前に死が迫ったのを見ると、修道院長イオアンのもとに
道院のプローホルという坊主が、私たちの儲けを奪った。
ゆき、起こったことを告白し、自分の罪の赦しを請うた。
こやつは来る者みなに、塩をただでくれてやるので、俺
修道院長は申し立てを信じず、ほかの兄弟に同じこと
たちはお飯の食い上げです。
」
をするように命じた。こっそりパンを盗み、それが本当
公は塩商人らの歓心を買おうとし、二つのことを考え
かどうかを確かめようとしたのである。パンをもってく
た。一つは彼らのあいだで持ち上がった騒乱を鎮めるこ
ると、盗みをした兄弟が言ったように苦く、あまりにも
とであり、もうひとつは、富をわがものとすることである。
苦いために誰も食べることができなかった。このパンが
この考えを胸に抱きつつ、この修道士のもとから塩を奪っ
まだ修道院長の手のなかにあるうちに、修道院長は言っ
たらそれを売る目論見で、臣下のものと相談して塩の値
た。「一つのパンは祝福された人の手からじかに受け取る
段を高値に決めた。そのときは、騒乱を起こした者には
よう、もう一つは立ち去るときに盗んでくるように」と。
約束して次のように言った。「おまえたちのために、この
この二つのパンが手元に来ると、盗まれたパンはみな
修道士から塩を取り上げる。
」
の前でみるみる変貌し、先のパンと同じように土くれの
富をわが物にしようという目論見は伏せていたのであ
ように苦くなったが、彼の手から持ってきたパンは蜂蜜
る。公は塩商人たちに少し喜ばせておいて、もっとたく
のように甘く、色も澄んでいた。この奇跡が起こったので、 さんの害をもたらそうとしたのであった。羨望というも
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のは有益なことをなすすべを知らぬものである。
べからざる審判に赴くことになったら、わしはそなたに
公はあの修道士のところから塩を全部持ってくるよう
なした多くの罪を主が赦してくださるよう、自分の肩に
に遣いを送った。塩がもちこまれると、公はそれを見よ
そなたを背負い、洞窟にかつぎいれることにする。」そし
うと、祝福された人を訴えた叛徒たちとともにやってき
て、こう言うと、彼のもとを去っていった。
たが、みなは実際に眼で見てみると、それは灰にしか見
至福のプローホルは長い年月よき信仰に生き、神の御
えなかった。
「これはどういうことだ ?」と言って人々は
心にかなう清らかで非の打ちどころのない生活をした。
大変驚き、とまどった。スヴャトポルクはいったい何が
その後、聖なるこの人は病を発したが、公はこのとき戦
起こったのかはっきり知りたいと思って、三日間これを
場にあった。このとき、聖なる人は知らせを送ってこう
保存するように命じた。そして、ある者にこれを食べて
言った。
「私がわが身体より出立するときが近づきました。
みるように命じたが、口に含んでみると灰であることが
もしもお望みなら、お出でください。お別れをいたしま
わかった。
しょう。あなた様もお約束を果たされ、神からその報償
いつものように多くの人々が塩を受け取ろうと、祝福
を受け取られ、御自らのお手で私を柩にお納めください。
された人のもとを訪れていたが、この祝福された人から
かくなる次第で、私はあなた様のご到着をお待ちしてお
塩が奪われたことを知ると、そんなことをした者を呪い
ります。もしもお遅れになったならば、私は出立してし
ながら、手ぶらで帰っていった。祝福された人はこれら
まいます。さすれば、あなた様が私のもとにいらしゃっ
の人々に言った。「連中が捨てたら、取りにゆくがよい。」
たとしても、戦はあなた様によいようには参りますまい。」
公は三日間手もとに置いたのち、夜にそれを捨てるよう
スヴャトポルクはこの伝言を聞くと、すぐさま兵に暇
に命じた。灰は捨てられたとたんに塩に変じた (*73)。こ
を取らせ、祝福された人のもとにかけつけた。神のごと
れを知ると、町に住む人々は塩を取りに出かけた。
き人は喜捨と来るべき審判、永遠の命と限りない責め苦
この奇跡が起こったことを知ると、暴挙をおこなった
について多くのことを教え、彼に祝福と赦しをあたえ、
公は恐懼した。町中全部の前で起こった出来事であるゆ
公とともにいた者らに接吻し、手を高く掲げると、魂を
え、事を隠し立てできず、いったいこれが何を意味する
神にゆだねた。公は聖なる老修道士を担ぎ、洞窟に運び
のかを探ろうとしはじめた。
込むと、自分の手で遺骸を柩に納めた。そして、埋葬を
このとき、祝福された人がおこなった別の事跡が公に
終えると戦場に戻り、神を畏れぬハガル人 (*74) と戦っ
語られた。アカザで多くの人々を養い、アカザのパンが
て大いに勝利を収め、彼らの土地を奪って自らの版図に
人の口に入ると甘い味がした。ある人がこの至福の人の
加えた。これはまさに、
尊者が予言したとおり、神からルー
祝福を受けずにパンを一つ取ると、そのパンは土くれの
シの地に贈られた勝利であった。
ようで、口の中に入れると灰のように苦かった。公はこ
そして、このときからスヴャトポルクは戦や狩猟に赴
れを聞くと、自分の所業を恥じ、修道院の院長イオアン
くときには、感謝の気持ちを持って修道院にやってきて
のところにゆき、告悔をした。
聖母のイコンと聖フェオドーシイの柩に跪拝し、聖アン
以前は、その貪欲さ、蓄財、暴力ゆえにスヴャトポル
クを非難したために、スヴャトポルクは修道院長イオア
ンに敵意を抱いていた。スヴャトポルクはこの人を捕ら
トーニイと祝福されたプローホルの洞窟に立ち寄り、聖
なる師父たちみなに跪拝して、旅路に赴いたのである。
こうして、神に見守られた彼の治世はよく保たれた。
え、トゥーロフへと流刑に処した。もしも、ウラジーミル・
自らの目で確かめたことであったから、公自身が誉れ高
モノマフがスヴャトポルクに対して挙兵しなかったなら
きプローホルとそのほかの神のごとき聖者たちの奇跡と
ば、イオアンはそこに留まることになっただろう。モノ
徴をはっきりと物語った。これら聖者らとともに、われ
マフの怒りに恐れをなしたスヴャトポルクは、丁重に修
らが主イエス・キリストの名においてあらゆる人が憐れ
道院長を洞窟修道院に呼び戻したのであった。
みを授かり奉らんことを。父と聖霊とともに、イエス・
スヴャトポルクは、このゆえに聖母と聖アントーニイ
キリストに今この時も、永遠にも、誉れあらんことを。
とフェオドーシイに大いなる愛を抱きはじめ、修道士プ
ローホルが真の神の奴隷であると知っておおいに尊崇し、
讃えた。スヴャトポルクは金輪際誰にも暴力を振るわぬ
と神に誓った。
公はまた、プローホルに約束してこう言った。「もしも、
第 32 話 死者を自分の命令に従わせた洞窟修道士
マルコについて
罪深い私たちがいにしえの聖者に学ぶとき、彼らが砂
神の思し召しで私がそなたよりも先にこの世を去ること
漠や山や洞窟のなかで巨大な努力によって求めていたも
になったときには、そなたは手ずから、わしを柩に納め
のを知るのに、書かれた言葉をもっておこなう。ある場
てほしい。こうすることで、そなたの無垢さがわしの上
合には、書き手自身が自らの記録したことを目撃したり、
に現れるように。そなたがわしより先に身まかり、避く
聖なる人々の生き方、奇跡、すぐれた行いのことを聞い
『キエフ洞窟修道院聖者列伝』解題と抄訳(II)
たりする。さらにもっと以前に住んだ人々について、彼
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から、兄弟よ、聖水を自分でふりかけ、香油をとって自
らの生き方、奇跡、すぐれた行いのことをまた聞きする
分で塗ってくれ。」死者は手を伸ばして少し身を起こすと
だけのこともある。こうしたことは、史料を収集したり、
自ら香油を取り、胸と顔に十字の徴で塗り、容器を返した。
聖者たちについて語られたことを集めた『洞窟修道院聖
それから皆の前で衣服の乱れを直し、横になって眠りに
者列伝』にもあてはまる。私たちはそれを読み、精神的
着いた。彼らがこの奇跡を見たとき、恐怖の気持ちに強
な話を楽しむのである。
く捕われ、起こったことに震えだした。
私はその資格をもたず、真理の理解に到達してはいな
別の兄弟が長患いののちに死んだ。その友人の一人が
いし、このようなことを見たことがあるわけでもない。 海綿で遺骸をぬぐい、愛する友人がどこに葬られること
しかし、私が聞いたこと、すなわち尊者主教シモンによっ
になるのかを見るために洞窟を訪れ、祝福されたマルコ
て物語られたことにしたがって、猊下のために私はこれ
に尋ねた。この人に聖なるマルコは答えた。
「兄弟よ、
行っ
らのことを書き下ろすのである。
て死んだ兄弟に言ってほしい。掘って場所をつくるので
私は聖地への巡礼をしたことがないし、エルサレムに
行ったこともなければシナイ山も見たことはない。もし
もそんな体験があれば、私の物語に、文才のある人々が
明日まで待ってほしい。そうすれば、あなたは心安らか
にあの世へ旅立てるだろう。
」
訪れた兄弟はマルコに言った。
「師父マルコよ、私は故
作品に込める何かを、加えることができたのであるが。 人の遺骸を海綿でぬぐってきた。彼はすでに死んだ。あ
私には何の栄光もなく、ただこの洞窟修道院とそこにか
なたは誰に向かって言えばよいというのですか ?」マル
つて住んだ、聖なる修道士たちとその生き方と奇跡にこ
コはもう一度言った。「ごらんのとおり、彼の場所はまだ
そ栄光がある。私は喜びをもってそれを思い起こすだけ
掘り終わっていない。私は行ってその死者に向かって言
だ。なぜなら、私は罪深い者であるが、これら聖なる師
うように言っているのです。『兄弟よ、罪深きマルコが、
父たちの祈りを欲しているからである。この点から私は
一日だけこの世にとどまってほしいと言っている。そう
洞窟修道士、聖なるマルコについての物語を始めたいと
すれば、あなたが埋葬される場所を準備して、使いの者
思う。
を呼びにやるだろう。明日には、あなたは望みどおり主
聖なるマルコは洞窟で生涯を送ったが、その存命中に
のもとに旅立つことができるだろう』と。
」
われらが師父フェオドーシイの柩は洞窟から大きな聖な
やってきた兄弟は尊者マルコの言葉に従い、修道院に
る教会に運ばれたのである (*75)。尊者マルコは洞窟のな
戻った。すると、兄弟たちがみな、死んだ兄弟を囲んで
かで夜となく昼となく自らの手で多くの墓穴を掘り、出
慣わしどおりの歌を歌っているところだった。彼は死者
てきた土を自らの肩で運び出す仕事をしていたが、それ
の傍らに立ち、
「あなたが埋葬される場所が出来上がって
は神に仕える仕事のなかでもきついものであった。彼は
いない。だから、明日の朝まで待ってほしいと、マルコ
自らの兄弟のためにたくさんの穴を掘り、仕事に対して
がいっている」と言った。彼らは皆その言葉に驚いた。
報酬を求めなかったが、それでも誰かがしいて彼に何か
その兄弟が皆の前でこれを言うと、死んだ兄弟は突然
を与えると、それを持って洞窟を出て貧しい人々に分か
目を開き、彼の魂は彼の体に戻ってきた。その日一日と
ち与えたのであった (*76)。
夜のあいだじゅうずっと目を開けて生きていたが、誰に
ある日、彼がいつものように穴を掘り、懸命に働いて
対しても一言も言葉を発しなかった。翌朝、先にマルコ
いると、突然疲れを覚えたのでその場を立ち去り、掘っ
のもとに行った兄弟が洞窟に、場所の準備ができている
ていた場所を狭いまま、つまり、ふつうの広さに掘り広
かどうかを見に行った。
げぬままに残して、その場を立ち去った。たまたまその日、
祝福された者は彼に言った。
「言って死者に告げるがよ
兄弟たちの一人が病気にかかり、神の御許に身まかった。
い。マルコがこう言っていると。『このかりそめの世を捨
この狭い墓穴以外使える墓はなかった。死者は洞窟に運
て永遠の生活に入るがよい。あなたの遺骸を収める場所
び込まれ、穴の大きさがぴったりだったので少々無理を
ができたのだから。あなたの魂を神にゆだねよ。あなた
して墓に遺骸を安置した。
の遺骸は聖なる師父たちとともにこの洞窟に葬られるこ
兄弟たちは、場所が狭いために、死者の衣服の乱れを
とになるだろう』
」
直すことも香油を塗ってやることもできなかったと、マ
その兄弟は来ると、こうしたことをこの世に戻ってき
ルコに文句を言った。洞窟の修道士は彼らの前でひれ伏
た修道士に告げた。彼は直ちに目を閉じ、彼のもとを訪
しながら言った。「師父たちよ、私を許してください。私
れたすべての人々の前で自らの魂を神にゆだねた。それ
は突然どっと疲れを感じたので、仕事を終えることがで
から、彼はしかるべき名誉をもって洞窟のくだんの場所
きなかったのです。」
に葬られた。彼らはみなこの奇跡に驚いた。祝福された
彼らはますますマルコを非難し、侮辱的な言葉を投げ
かけた。マルコは死者に対して言った。「この場所は狭い
マルコの言葉で死者が生き返り、そのあと彼の命を受け
て再び死んだのだから。
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三浦清美
この偉大なる洞窟修道院に、若い頃から誠実な愛で結
フェオフィルはこれを聞くと、マルコの恐ろしい言葉
ばれ、神への同じ心と意志をもった二人の兄弟がいた。 にひどく悲しんで、今にもこの場に倒れて死んでしまう
彼らは祝福されたマルコに二人が入れるような一つの大
ように思われ、どうやって修道院に戻ったかわからない
きな墓穴を掘るように頼んだ。主がお命じになったとき
ほどであった。自分の僧坊につくと、慰めようのない嘆
に二人が一緒に葬られるようにするためである。
きが彼を捉えた。肌着一枚にいたるまで自分の持ち物を
その後長い間たってから、年上の兄弟フェオフィルが
分け与えると、自分のためには上着とマンチヤだけを残
余儀のない事情で修道院を離れていた。若い方の修道士
して自分の死のときを待っていた。激しく泣く彼をとど
が病気になり、来世へと出立し、その亡骸は準備されて
めることができる者もなく、甘い食べ物に口をつけさせ
いた場所に埋葬された。何日か経ってフェオフィルが帰っ
ることができる者もいなかった。夜明けが近づくと、彼
てきて兄弟のことを知った。彼は深く悲しみ、何人かの
は「私は晩まで生きられるかどうかわからない」と言った。
人々を連れて、どこでどんな場所に埋葬されているのか
夜が来ると、泣きながら、
「朝まで生きることができなかっ
を見に洞窟に行った。彼が高い場所に埋葬されたのを見
たらどうしたらいいだろう」と言った。
ると、フェオフィルは機嫌を損じ、マルコに縷々と不平
「朝ぴんぴんしていても夕方までもたなかった人は大勢
を申し述べた。いわく、「どうして彼をそちらに葬ったの
いるし、ベッドに横たわっても起き上がれなかった人も
ですか。私は彼よりも年上なのに、あなたは私の場所に
たくさんいる。まして、尊者から命の終わりが近づいて
彼を葬ってしまった。」
いると言われている私の身には、いったい何が起こるの
謙虚な人間であった墓堀り僧はひれ伏していった。「兄
だろう。
」そして、彼は神に悔い改めのための時間をくだ
弟よ、許してください。私はあなたに対して罪を犯しま
さいと祈りを捧げるのだった。彼は毎日を、斎戒、祈り、
した。これを言い終わると、彼は死者に言った。『起きて
とめどない涙で暮らし、自分の死の日にちと時刻を予期
くれ、兄弟よ、あなたの場所をまだ死んでいない兄弟に
していた。魂が肉体から分離することを待っているうち
譲ってあげてくれ。あなたは低い場所に横たわるのです。
』
に体を消耗しきって、骨という骨を数えることができる
尊者の言葉に突然、みなの見ている前で死者は起き上が
ほどであった。多くの人々が彼を慰めようとしたが、そ
り、より低い場所に移った。みなはこの恐ろしい奇跡を
れはかえって彼をより激しく泣かせるだけであった。あ
見て、恐怖に襲われた。
まりに激しく泣いたので、彼は視力を失った。よい生活
そのとき、祝福されたる者へ、埋葬のことで不平不満
をぶちまけていた兄弟は、マルコの足元に身を投げ出し
によって神を喜ばせようとして、彼は毎日の生活を非常
に厳しい節制のなかで送るようになった。
て言った。「師父マルコよ、私の兄弟の場所を動かしたの
尊者マルコは自分が主の御許に旅立つときを知り、フェ
は私の罪だ。お願いがある。彼に本来の場所に戻るよう
オフィルを呼び出していった。「兄弟フェオフィルよ、私
に言ってほしい。」祝福された者は彼に言った。「主は私
は永の年月あなたを不幸にしたのであるから、私のこと
たちのあいだの敵意を除かれたのだ。主がこれをおこなっ
を許してほしい。いまや、私がこの世と別れようとして
たのは、あなたの不平の故であり、これから先もあなた
いる。私のために祈ってほしい。私が神の御前で話す勇
が私を憎んだり、私に邪悪な考えをもったりしないよう
気を持つことができたならば、私はあなたのことを忘れ
にするためである。ご覧のとおり、魂のない遺骸さえお
はしないだろう。私たちがあの世で再びまみえることが
まえに対する愛を示し、死後にいたるまでおまえの年長
でき、われらが師父アントーニイとフェオドーシイと同
権を認めている。わたしが望むのは、あなたがこの場所
じ場所にいることができますように。
」
から立ち去ることなく、年長権のあるこの場所を受け継
フェオフィルは泣きながら答えた。
「師父マルコよ、ど
ぎ、今このときここに埋葬されることだ。しかし、あな
うしてあなたは私から離れてゆくのか。私を一緒に連れ
たはこの世を立ち去る準備ができていない。行って自分
てゆくか、さもなければ、私の視力を取り戻してくださ
の魂のことを気遣うがよい。数日後、あなたはここに引
い。
」マルコは彼に言った。
「兄弟よ、悲しんではいけない。
き戻されてくるだろう。死者を起き上がらせるのは、神
神のためにあなたの肉体の目は光を失ったが、あなたは
の仕事であり、私は罪深い人間にすぎない。しかし、こ
心の目で神を見つけ出す力を得ることができた。兄弟よ、
の死者はあなたの腹立ちを恐れ、私が非難されるのを堪
私はあなたが盲目となる原因となった。私があなたは死
えられずに、二人のために用意された場所の半分をあな
ぬだろうといったのは、あなたの魂のためになりたかっ
たのために残したのだ。死者を動かすのは神だけだ。私
たからであり、自分自身についていい気になった気持ち
は死者に向かって『起き上がって高い場所に横たわって
を謙虚にするためだった。なぜなら、神は心痛めた者、
くれ』と言うことはできない。あなたが彼を立ち上がら
和らげられたる者を軽んじはしないのだから。
」
せてみてはどうか。もしかしたら、さっきのようにあな
たの言うことを聞くかもしれない。
」
フェオフィルが答えた。
「師父よ、あなたは、私の罪の
ゆえに私が倒れたのをご覧になった。私はあなたが死者
『キエフ洞窟修道院聖者列伝』解題と抄訳(II)
87
を起こしたときに、あの洞窟で死ぬべきだったのです。 ておいたのだ。今、喜ばしいニュースを知らせに私は遣
しかし、私の改悛を願う、あなたの聖なる祈りのおかげで、 わされたのだ。おまえは『悲しむものは幸いである。な
主は私を生きながらえさせられた。今、私はあなたにお
ぜならその人は慰めを得るからである』と言われた方の
願い申し上げます。私をあなたとともに主の御許に連れ
もとに、喜びをもって旅立つことになるからである。
」
て行ってください。それか、私に視力を戻してください。
」
こういうと、若者の姿は見えなくなった。
マルコは言った。「あなたはこのかりそめの世を見る必要
祝福されたフェオフィルは修道院長 (*77) を呼び、天
はない。あなたがあの世で主の栄光を見ることができる
使が現れて告げ知らせた話を聞かせ、二つの壺を示した。
ように、主にお願いするがよい。自分の死を望んではな
一つは涙をためた壺であり、一つは芳香のする香油の入っ
らない。なぜなら、おまえがそれを望まなくても、それ
た壺である。フェオフィルは自分が死んだら体に降りか
は向こうからやってくるからだ。おまえが世を去るとき
けるように命じた。
には、前触れがあろう。他界する三日前、おまえは目が
フェオフィル自身は三日目に主のもとに旅立ち、洞窟
見えるようになるだろう。それからおまえが主の御許に
掘りマルコの洞窟の近くにりっぱに葬られた。彼が天使
出発したあとは、終わりなき光とたとえようもない栄光
の壺の香油を塗られると、洞窟じゅうに芳しい香りが満
を見ることができるだろう。
」これを言い終わると、祝福
たされた。涙の壺が亡骸の上に降りかけられた。という
されたマルコはこの世を去り、彼が自分自身で掘った洞
のは、涙とともに蒔く者は喜びとともに刈り取るからで
窟の墓穴に葬られた。
ある。涙を流した者は種を蒔いたと同然であり、キリス
フェオフィルは以前に増して泣くようになった。師父
との別れゆえに、心に傷を負ったのである。涙の泉を流
トによって慰めを得る。キリストと父なる神、ならびに
聖霊に栄光あれ。
していたが、それはますます増えるばかりであった。彼
は一つの壺をもっていた。祈りに没頭していると、涙が
あふれてくる。彼は下に壺をおいてそのうえで泣いてい
た。何年ものあいだ、彼はその壺を涙で満たしていた。
第 33 話 聖なる尊師フェオドルとワシーリイにつ
いて
なぜなら、毎日彼は尊者の予言が満たされるのを待って
無所有は祝福されたるあらゆる善の母であり、金銭へ
いたからである。彼は、神の御名において自分の終わり
の執着があらゆる悪の根源であり、その母であると言わ
が近づいているのを悟ると、自分の涙が神の御前で受け
れている。
『階梯』(*78) において次のように言われてい
入れられるようにと熱心に祈った。彼は手をさし伸ばす
る。
「財産を集めることを愛する者は、死ぬまで針一本の
と、祈りはじめた。
ためにあくせく働く。」財産を愛さぬ者は主を愛し、その
祈り「人間を愛する主、イエス ・ キリスト様。わがもっ
教えを守る。そのような者は財産を後生大事にせず、欲
とも聖なるツァーリ、その方は罪びとの死を望まず、罪
しいという者に分かち与えるが、それは神の御心にかなっ
びとが罪から逃れるのをお待ちになる。あなたは私たち
たことなのである。福音書のなかで、主は次のように言
の弱さをご存知である。よき慰め手よ、病者には健康を、
われている。
「自分の持ち物を一切捨てないならば、あな
罪を犯したものには救い、弱きものには力、倒れたもの
た方のだれひとりとして私の弟子ではありえない。
」
には再起をお恵みになる。主よ、お祈りいたします。そ
この言葉に従いつつフェオドルは世俗の事柄をはなれ、
れに値せずとも、私に今このときあなたの恵みをお示し
富を貧しい者たちに施して修道僧となり、よく善行に励
ください。私に尽きることのない、あなたの慈愛の泉を
んだ。修道院長の命令によってヴァリャーグの洞窟と言
降り注いでください。あなたの僕、偉大なるわれらが師
われた洞窟の住人となり、長の年月そこで禁欲の生活に
父アントーニイとフェオドーシイと、開闢以来あなたを
はげんだ。
喜ばせてきた師父たちの祈りによって、私を悪魔の誘惑
と支配からお守りください。アーメン。
」
ところが、悪魔の惑わしのために、乞食たちに施した
財産のことでこの人は少なからず悲しみはじめ、長いあ
すると突然、彼の前に美しい青年が現れてこう言った。
いだ物思いにふけり、身体を疲れさせたので、修道院の
「よくぞ祈った。だが、どうしてむなしい涙を誇るのか。」
食事に満足できなくなった。悪魔はこの人に誘惑をもた
フェオフィルのそれよりもはるかに大きな壺を取り出す
らしたので、
彼は自分自身で判断ができなくなり、
主が「何
と、そこには、甘い匂いのする没薬のような芳香のする
を食べるか、何を飲むか、何を着るか、思い悩んではい
香油が満たされていた。
けない。空の鳥をよく見なさい。種を蒔きもせず、刈り
「見よ、これはおまえが神に祈るときおまえの心から流
入れもせず、天の父は養ってくださる (*79)」と仰せられ
れ出してきた涙である。おまえが手やタオルや衣服でぬ
たことがわからなくなってしまった。悪魔は何度もこの
ぐったり、目からじかに地面に落ちていた涙である。わ
人の心を乱し、貧しい者たちに財産をわけあたえて蕩尽
れらが創造主の命令で私はそれを全部壺に収め、封をし
し、困窮したがゆえに、彼が絶望に陥るように仕向けた。
88
(2007 年 12 月)
三浦清美
彼はこのようなことを何日も何日も考えつづけ、悪魔の
の平安を得、じきにその報いを受け取るだろう。そなた
仕業で貧困ゆえに陰鬱な気持ちになり、自分の友達にあ
は神に願い奉るだけで大量の黄金と銀を得ることだろう。
からさまに悲しみを打ち明けた。
そなたの洞窟に誰も入れてはならない。また、そなたも
修養をつんで完成の域に近い修道士のなかで、この修
洞窟から外に出ることはまかりならぬ。洞窟行者はこの
道院の修道士でワシーリイという人がいて、この人に言っ
ように約束した。そのとき、この人のもとから悪魔は出
た。「兄弟、フェオドルよ。そなたにお願い申す。自らへ
ていった。
の報いを台無しにしてはいけない。もしもそなたが財産
この抜け目ない悪魔は、気づかれぬうちに宝物につい
がほしいと言うのなら、自分が持っているものをすべて
ての想念をこの人に吹き込み、この人が神に「黄金がほ
そなたに与えよう。そなたは神の前で『私が分かちあた
しいのです。黄金をいただければ喜捨として分けあたえ
えたものはすべてあなたへの喜捨です』といっておれば
ます」と言って祈るように仕向けた。すると、この人は
よい。ふたたび、自分の財産を持って悲しまずに生きる
夢に、悪魔が天使のように輝き、着飾り、洞窟のなかに
がよい。しかし、気をつけるがよいぞ。神はそなたのこ
は宝物があるのを見た。このような夢をフェオドルは何
とをお許しくださるだろうか ?」
度も見たのである。何日も経ってから、この人が指し示
この言葉を聞いたフェオドルは神の怒りを大いに恐れ
た。フェオドルは喜捨として分かちあたえた黄金を惜し
んだがゆえにコンスタンティノープルで起こった事件を
された場所に来てそこを掘りはじめると、宝物、たくさ
んの金銀と高価な器を見つけ出した。
このとき、ふたたび悪魔が兄弟の姿をしてやってきて
聞いていたのである。その人は教会の真中で倒れて死に、
洞窟行者にこう言った。
「そなたに与えられた宝はどこに
黄金と生命ふたつながらを失ったのであった。この事件
あるのじゃ ? そなたのもとにあらわれた者がわしに言っ
を心にとめながら、フェオドルは自分の罪深さを泣き、 たのじゃ。たくさんの金銀がそなたの祈りゆえにそなた
そのような不行跡から自分を救い出した友を祝福した。 に遣わされた、とな。」フェオドルは兄弟に宝を見せたが
そのような人たちについて主は言っている。「もし、あな
らなかった。
たが軽率な言葉を吐かず熟慮して語るなら、わたしはあ
悪魔は金をもって外国に行くという考えをひそかに洞
なたを、わたしの口とする。 (*80)」それ以来、この二人
窟行者に吹き込みつつ言った。「兄弟フェオドルよ、じき
のあいだには、大いなる愛が育った。
に報いがあると、わしは言ったではないか。あの方は言っ
このフェオドルは主の教えをよく守り、主のお気に召
ておられる。
『わたしのために、家、村、財産を捨てた者
すことをおこなった。悪魔は彼を富で誘惑できなかった
は百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ (*81)。』そ
から、大いに傷つき、ふたたびこの敵は敵意を固め、彼
して、すでにそなたは富を手中にしておる。その富はお
に対して死の奸計を仕掛けてきた。
前の好きなようにするがよい。
」
ワシーリイは修道院長の命によって、とある仕事のた
洞窟行者は言った。「もしも富をわたしにお与えくだ
めに遣いに出されたが、悪魔はこれを自分の悪だくみを
さったならば、喜捨をいたしますと、神にお願いして、
実行に移すのに絶好の機会が到来したと考え、この兄弟
このために神は私にこの金銀を授けたのです。」悪魔はこ
そっくりに姿を変じ、洞窟に入り、はじめは有益なこと
の人にこう言った。
「兄弟フェオドルよ、前にそうだった
を言った。
「フェオドルよ、
そなたはこの頃どうしておる ?
ように、喜捨をしたためふたたび悪魔がそなたを苦しめ
あるいは、悪魔との闘いは終わったのか ? あるいは、悪
ぬように、気をつけるがよい。これは、そなたが貧しい
魔はまだ分けあたえた財産のことを思い出させ、富への
者にあたえた富の代わりに、神がそなたに賜わったもの
愛着をかきたてて汚らわしいことをやっているのか ?」
じゃ。それを受け取るよう、そなたに命ずる。外国に赴
フェオドルはこれが悪魔であるとは気づかず、その兄
いてそこで必要なだけ村を買うがよい。そこで、救いを得、
弟が話しているのだと思って、これに答えて言った。「あ
悪魔の奸計から逃れるがよい。財産を分かち与えるなど、
なたの祈りのおかげで、わたしは今はよく過ごしており
そなたが死んだ後でよい。そうすれば、そなたの思い出
ます。あなたのおかげで、わたしは悪魔の吹き込む考え
が残るであろう。
」
が耳に入らぬようになりました。今はもう、あなたが何
フェオドルは悪魔に言った。
「わたしは現世と現世にあ
をお望みになっても喜んでやりますし、あなたに背くこ
るすべてのものに別れを告げ、この洞窟で自らの生を終
とはいたしません。あなたのご命令のおかげで、魂にとっ
えることを神と約束したのだ。それなのに、今度は逃亡
て最高に有益なものを私は見出したのですから。
」
者となって世俗の住人になろうとしている。これは恥ず
兄弟だと思われることに成功した悪魔は大胆になった。
なぜなら、フェオドルが神のことを思いにかけていなかっ
べきことなのではないだろうか ? もしも、あなたのお気
に召すのならば、わたしがこの修道院で生活できますよ
」
たので。悪魔はこの人に向かってこう言った。「もう一つ、 うに。あなたの言ったことはすべてやりますから。
そなたに忠告を与えよう。この忠告によってそなたは魂
兄弟と思われた悪魔は言った。
「そなたは宝物を隠すこ
『キエフ洞窟修道院聖者列伝』解題と抄訳(II)
89
とはできない。すべてが知りわたれば、すべては持ち去
業なのじゃ。誰かが来たときには、自分と話す前にかな
られるだろう。わたしがそなたに与える忠言を聞くがよ
らずその者に祈りを捧げてもらうことじゃ。そうすれば、
い。もしも神のお気に召さなかったならば、そなたは財
それが悪魔であることがわかる。」それから、悪魔調伏の
を授からなかったであろうし、わしへの知らせもなかっ
祈りをささげ、聖者たちに助けを祈って洞窟行者に力を
ただろう。」
与えつつ、ワシーリイは自分の僧坊に帰っていった。
こうして、洞窟行者は兄弟を信じるかのごとく、この
悪魔は洞窟行者のもとに現れることができなくなり、
者を信じ、洞窟を出立する支度をした。荷車と長持ちを
フェオドルは悪魔の誑かしであることに気づいた。そし
用意して宝をしまい、神とこの聖なる場所、至純にして
て、この人のもとを訪れる人はみな、まず祈りを捧げて
神のごときわれらが師父アントーニイとフェオドーシイ
からこの人と話しはじめなくてはならなかった。そして、
の家を離れて、悪魔の命令によって、欲するところには
それ以来この人は悪魔に対してしっかりと自らを守り、
どこへでも出かけようとしていた。しかし、神はこの聖
彼らの奸計を見破り、主は心に巣くう悪魔から彼を救い
なる場所から破滅する者を一人として出したいとお思い
出し、彼はもはや、砂漠や洞窟で一人閉じこもって暮ら
にならなかったので、自らの聖者の祈りによってこの者
す人にしばしば起こるように、心の悪魔の奴隷になるこ
を救った。
とはなかった。悪魔は彼を破滅させたいと思っているの
ちょうどこのとき、かつて悪しき物思いからこの洞窟
行者を救ったワシーリイが、修道院長の使いを終えて戻っ
てきたのだ。この人は洞窟の中で暮らす兄弟に会いにゆ
くために洞窟に行ってこう言った。
で悪魔の誘惑に陥らぬためには、相当の心の強さが必要
だったが、主が彼を救ったのである。
掘り出した宝物は深い穴を掘ってそこに納め、土をか
ぶせ、以来宝がどこにあるかは誰も知らない。
「兄弟フェオドルよ、そなたはいかに神を思ってお暮ら
フェオドルは、二度とふたたび手持ち無沙汰で怠惰に
しか ?」フェオドルは、ワシーリイがまるで長い間会わな
身をまかせ、そのために神への畏れが遠のくことがない
いでいたかのような問いかけの仕方をするのに驚いて言っ
よう、ふたたび悪魔が大胆不敵な振る舞いにおよばない
た。
「昨日も一昨日も、あなたは四六時中私といっしょに
ように、大いに手仕事に打ち込むようになった。
いて私を教え導いたのです。そして、私はあなたのお命じ
になったところに行こうとしているところなのです。」
洞窟に臼をしつらえ、それ以来、聖なる兄弟たちのた
めに働きはじめた。穀物蔵から小麦を持ってきては自分
ワシーリイは言った。「フェオドルよ。いったいそれは
の手で粉を挽き、夜じゅうずっと眠らずに仕事と祈りに
どういう意味なのか、言ってほしい。そなたは、『昨日も
没頭し、翌日には穀物蔵に粉をもどしてふたたび穀粒を
一昨日も、あなたは四六時中私といっしょにいて私を教
もってくるのだった。こうして聖なる兄弟のために働い
え導いたのです』と、しかと申したな。それは悪魔の幻
て長い年月を暮らし、僕たちの仕事を楽にしてやった。
であろう。神にかけて隠し事をしてはならぬ。
」
この人はそうした仕事を恥じず、常に神に祈り、金銀
フェオドルは怒りを帯びてこの人に言った。「何がわた
への執着の記憶を拭い去ろうとした。そして、主はこの
しを誑かしているのですか ? なにゆえ、あなたはわたし
ような病気からこの人を解放し、もはやこの人は富のこ
の魂をかき乱すのですか ? あなたはこう言ったかと思う
とを考えることはなかった。金銀はこの人にとって土塊
と、今度はああ言うのです。わたしは一体どの言葉を信
と同じようなものになってしまった。
じたらよいのです ?」そして、乱暴な言葉を吐きながら、
そのまま彼を自分のところから追い出してしまった。
ワシーリイはこの言葉をすべて聞くと、修道院に歩い
彼がかくのごとき仕事と苦行に倦むことなく打ち込ん
で長い年月が過ぎ去った。炊事方の修道士はこの人の働
きぶりを見て、あるとき村から穀物が運ばれてきたとき、
ていった。悪魔はふたたびフェオドルの姿をしてこの人
いつも穀粒を穀物倉に取りにきて厄介な思いをすること
のもとに現れると言った。「兄弟よ、そなたは頭がどうか
がないように、彼の洞窟に荷車五台分の穀粒を運んでき
なってしまったのだ。そなたが今夜わしに向かって怒っ
た。彼は穀粒を臼に移し、詩篇をそらで唱えながら、粉
たことは忘れてあげよう。わしはそなたにこう言うのみ
を挽きはじめた。じきに彼は疲れ、横になってすこし眠
じゃ。すぐ今夜にでも見つけ出したものを携えて出てゆ
りたいと思った。すると、突然雷鳴がして臼がひとりで
くように、とな。」こう言うと、悪魔は立ち去った。
に回り始めた。そして、この祝福された人はこれが悪魔
日の出が近づくと、ふたたびワシーリイが老修道士を
数人連れてやってきて、この洞窟行者に言った。「これら
の仕業であると気づき、立ち上がって神に熱心に祈りは
じめ、大きな声で言った。
の人々を連れてきたのは、そなたと会うのは三ヶ月ぶり
「主がやめよと仰せである、ずるい悪魔め。」悪魔は碾
だということの証人になってもらうためじゃ。わしが修
き臼を回すのをやめた。フェオドルはふたたび言った。
「お
道院に戻ってきてから三日目にしかならぬというのに、 まえたちを天から投げ下ろし、自らのお気に入りに者た
そなたは『昨日も一昨日も』と言った。それが悪魔の仕
ちの蹂躙するにまかせた父と子と聖霊の名において、わ
90
(2007 年 12 月)
三浦清美
たしを通じておまえたちは命ぜられている。穀粒全部を
る者、聞く者みなにとって驚くべきことであり、人間の
挽き終わるまでおまえたちは仕事の手を休めてはならぬ。
力を超えたことだった。これは多くの異教徒には、奇跡
おまえは聖なる兄弟たちのために働くように。」こう言い
の偉大さゆえに信じがたいことだったが、これを目撃し
終わると、彼は立ち上がったまま祈りはじめた。
た者は自らのお気に入りの者のために驚嘆すべき奇跡を
悪魔は敢えてこの命に背くことはできず、夜明けまで
に荷車五台分の穀粒をすべて粉に挽いた。フェオドルは
おこなった神を称えた。
主は言われている。「悪霊があなたに服従するからと
炊事方の修道士に粉を取りに人をよこすよう知らせた。 言って、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が
炊事方の修道士は荷車五台分の穀粒を一夜にして挽いた
天に書き記されていることを喜びなさい (*85)。」これは
この奇跡に驚き、さらに荷車五台分の穀粒を持ってきた。
主が聖なるわれらが師父アントーニイとフェオドーシイ
この奇跡はその当時も、今聞く人にも驚くべきもので
の祈りゆえに自らの誉れを高めるために行ったもので
ある。というのは、福音書に「悪魔たちは私の名におい
て汝らに屈服するだろう」とあることが実現したからで
あった。
しばしば不信心者によって神として敬われ、跪拝され、
ある。そこで主は次のように言っている。「蛇やさそりを
そう見なされてきた悪魔たちは、今やキリストのお気に
踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしは
入りに者たちによって蔑ろにされ、貶められ、馬鹿にされ、
あなたがたに授けた (*82)。
」悪魔たちは至福の人を恐れ
買われた奴隷のように働かされ、丘に木材を運ばされ、
させようとしたが、奴隷の枷を捜し求める結果に終わり、
人間によって追い出されたというこの侮辱を我慢するこ
この人に向かってこう叫んだ。
「もうここにはいられな
とができなかった。だが、神のごとき者たちによって罰
い !」
を受けること、自らの奸計をワシーリイとフェオドルに
フェオドルとワシーリイは神の御心にかなう約束を交
よって発かれることを恐れた。
わし、思うことを互いに隠し立てせず、神の御心にした
悪魔は自分たちが人間らに馬鹿にされているのを見る
がってそれを解決し、決めることにした。ワシーリイが
と、叫んだ。
「おお、悪どく、ひどいわが敵どもよ、私は
洞窟の住人となり、フェオドルは老齢のために洞窟から
引き下がらない。休まない。お前たちが死ぬまでお前た
出て、かつての屋敷 (*83) に僧坊を営もうと考えた。
ちと戦ってやる !」悪魔は、それによって一層大きな栄冠
当時修道院が焼け、舟が教会やすべての僧坊を建てる
を彼らにもたらすことになるとは知る由もなかった。
資材を岸に運び、それを運び上げる人夫が雇われた。フェ
悪魔は悪い人間たちを唆してこの二人を殺させようと
オドルはほかの人に迷惑をかけたくなかったので、自分
企んだ。その弓、かの惨き武具は引き絞られ、その凶器
で木材を運び始めた。自分の僧坊を建てるためにフェオ
はふたりの心の臓に突き刺さらんとしていたが、このこ
ドルは資材を運び上げたが、悪魔たちはこの人を困らせ
とはあとで話すことにしよう。
る悪戯をしようとして、山の上から投げ下ろしてしまっ
雇われた人夫たちは自分たちへの支払いを求めてこの
た。この者どもらは、祝福された人を追い出そうと考え
祝福された者に対して一悶着起こしてこう言った。「俺た
たのだ。
ちは、おまえさんがどんなことを企んで、材木を丘に運
そこで、フェオドルは言った。
「お前たちに豚の中に入
び上げろと命令したかは知らない。」公正を欠く裁判官が
れとお命じになった主、われらが神の名において、神は
この連中から賂を受け取り、その連中に祝福された人か
自らの僕たる私を通じておまえたちにお命じになる
ら支払いを受けるように命令して言った。「おまえに仕え
(*84)。岸にあるすべての物を山の上に運び上げよ。神の
ている悪魔たちに支払いを助けてもらったらよかろう。」
ために働く者らの労働を軽くし、聖なる主われらが聖母
この裁判官は、不公正な裁き手は裁きを受けるという神
の祈りの家を建てて僧坊を支度せよ。この人々に対する
の裁きを心に留めなかったのである。
悪さをやめ、この地に神がいますことを知るがよい。
」
ふたたび、闘う悪魔は神のごとき者たちに対して嵐を
この夜じゅう、悪魔たちは下に一本の木材も残らぬま
巻きおこし、公の従士のなかで残酷で獰猛で、気性も行
で、休む間もなくドニエプル川から木材を担ぎ上げ、こ
動も非常に芳しからざる者に目星をつけた。この貴族は
の木材は教会、僧坊、屋根、床にいたるまで、全修道院
ワシーリイのことを知っていたので、悪魔はワシーリイ
建築に十分なだけの量があった。
の姿でこの貴族のもとにやってくると、こう言った。
翌日、人夫たちが起きて材木を運ぶために岸辺に行っ
「私の以前に洞窟にいたフェオドルが宝物、たくさんの
てみると、岸辺には一本の材木も見つからなかった。材
金銀や高価な器を見つけ出し、これを持って外国に逃亡
木は丘の上に運ばれ、ひとつところに、これは屋根、こ
しようとしていたが、私がこの男を取り押さえた。そして、
れは床、これはその長さゆえに運びにくい大きな木材、 今この男は佯狂して、悪魔に碾き臼を挽くように命じた
というように、仕分けして積み上げられていた。すべて
り、岸辺から丘に木材を運び上げるように言いつけたり
の木材は山の上にあった。起こった出来事は、これを見
している。こういうことがしばしばある。
『キエフ洞窟修道院聖者列伝』解題と抄訳(II)
91
宝物は隠してあって、機会があれば私に隠れてそれを
て火にかけた。このとき、この人は炎のなかで、まるで
もってどこへなりと好きなところに出発しようと思って
露にぬれているかのようであった。多くの人々がこの人
いる。そうすれば、そなたは何も見つけられまい。
」
の忍耐力に驚いた。けれども、炎はかの人の修行衣には
悪魔からこうしたことを聞き、その悪魔が本物のワシー
リイだと思いこんで、この貴族はこの者をムスチスラフ・
触れなかったのだ。当時その場にいた人がフェオドルの
身に起こった奇跡について物語った。
スヴャトポルチチ公 (*86) のもとへ連れていった。悪魔
公は恐怖に駆られて言った。
「なぜおまえは自らを滅ぼ
はこれらの事実、あるいは、それ以上のことを公に詳細
し、私たちに有用な宝を私たちに渡さないのか ?」フェ
に話して言った。
オドルは言った。「わしは真実を言うておる。わしがその
「あなたは、すぐにもかの男をここに連れてきて財宝を
宝を見つけたとき、わしはわが兄弟ワシーリイの祈りに
取り上げるのがよろしいでしょう。もしもあの男があな
よって救われた。今や主はわしから金銀への執着の記憶
たに財宝をわたすのを拒んだら、拷問と責め苦でそやつ
を拭い去ったので、わしはそれをどこに隠したかわから
を脅かすのがよいでしょう。それでもわたすのを拒絶す
んのじゃ。
」
るならば、私をお召しください。私があなたの眼前で彼
公はただちに洞窟のワシーリイに遣いを出した。彼は
を糾弾し、財宝が隠されている場所を示すでしょう。」悪
公のもとに来たがらなかったので、人々は無理やりこの
魔はこの男にかくのごとき邪悪な話をして彼らのもとを
人を洞窟から引っ張ってきた。公はこの人に言った。「以
立ち去った。
前おまえが、このあくどい男に対してやれといったこと
翌朝早く公は、狩猟か、何か屈強な戦士に立ち向かう
かのように、自ら多くの兵を率いて出馬し、至福のフェ
オドルを捕らえ、この人を自分の家へと連れてきた。
すべてをやった。私はそなたのことを父の代わりだと思っ
ている。
」
ワシーリイは言った。
「私がそなたに何をやれと命じた
まずは穏やかにこの人に問いかけて言った。「師父よ、
のか ?」公は言った。
「おまえが言っていた宝のことを、
そなたが宝物を見つけたのは本当か、言ってくれまいか。
こやつは話そうとせぬので、拷問にかけてやったのだ。」
そのお宝をわしはそなたと分かち合いたい。そなたはわ
すると、ワシーリイは答えて言った。
「それは悪魔の悪だ
が父と私の師父だからな。」このとき、スヴャトポルクは
くみだとわかった。悪魔は私とこの神のごとき人とを偽っ
トゥーロフ (*87) にいた。
て、そなたの欲の皮をくすぐったのじゃ。そなたは私と
フェオドルは言った。「おお。私が見つけて洞窟に隠し
てある。」公は言った。
「師父よ、金、銀、
器はたくさんだっ
たのか ? 宝物を隠したのは誰ということになっておる ?」
は会ったことがない。なぜなら、15 年間 1 度もわしがこ
の洞窟から外に出るのを見た者はいないからじゃ。
」
すると、その場にいる人がみなこう言った。「私たちが
フェオドルは言った。「
『アントーニイ伝』によれば、ヴァ
いるところで、そなたは公に話したのだ。」ワシーリイは
リャーグの秘宝だと言われている。なぜなら、それはカ
言った。
「おまえたちみんなを悪魔が誑かしたのだ。私は、
トリック教徒が用いる器だからだ。このゆえに、洞窟は
公にも、おまえたちにも会ったことがない。
」
今にいたるまでヴァリャーグの洞窟と言われている。金
銀にいたっては数えきれないくらい、たくさんある。
」
公は怒って彼を容赦なく打つように命じた。公は真実を
発かれたことに我慢できず、酒を飲んで理性を失い、怒り
公は言った。「どうして、そなたの息子である私にくれ
狂ったまま弓矢を手に取り、ワシーリイを傷つけた。公が
ないのか ? そなたも欲しいだけ取るがよい。」フェオドル
ワシーリイを刺し貫くと、ワシーリイは自分の腹から矢を
は言った。「私はこの宝は何一つ要りはせぬ。そなたはわ
抜き、公に投げつけて言った。
「この矢でおまえ自身が傷
しに用もない物を取れと命じるのか ? わしにはかくのご
つくだろう。
」この人の予言どおりのことが起こった。
ときものは必要ない。わしは、そのような物からは自由
翌日ふたりを手ひどく責めつけるために、公はこの二
の身じゃ。何も覚えてはおらぬのじゃ。そうでなければ、
人の修道士を別々に監禁するよう命じたが、その夜、二
そなたに全部話しておろう。お前たちは富の奴隷である
人は主の御許に身まかった。そして、これを知った兄弟
が、わしはそんなものからは自由だからの。
」
たちはやってきて、責め苛まれたその身体を引き取り、
すると、公は怒りを発して僕たちに言った。「わが憐憫
ヴァリャーグの洞窟へと丁重に葬った。二人が修行に明
の情をいらぬというこのくそ坊主に手枷足枷を打って、 け暮れたこの洞窟のなかに、二人は血だらけの修行衣の
三日間パンも水もあたえてはならぬ。」そして、ふたたび
まま安置され、今にいたるまで全きままである。火も己
この修道士を問いつめて言った。「宝物を出せ。」フェオ
を恥じたこの二人に、腐食がおよぶことなどあろうか。
ドルは言った。「どこに隠したか、知らぬ。」公はこの人
何日もたたずしてムスチスラフ自身がヴラジーミルの
を厳しく拷問にかけるよう命じ、修行衣が血でびっしょ
城壁でダヴィド・イーゴレヴィチと合戦して (*88)、ワ
りになった。
シーリイの予言のとおり、矢に射抜かれた。そのとき、
そのあと、濛々たる煙の中で吊るし上げ、後ろ手に縛っ
矢がワシーリイを射た自分のものであると知って、公は
92
(2007 年 12 月)
三浦清美
言った。「今日私は神のごときワシーリイとフェオドルの
ル勢との戦で戦死した。
(*21)『原初年代記』983 年の項を参照。
ために死ぬ。」
「剣を取るものは剣によって滅ぶ (*89)」と主によって
言われたことが実現する。無法に殺した者は、自身も無
法に殺される。われらが主、イエス・キリストゆえに二
人の聖者は受難の桂冠を受けた。父と聖霊とともに、イ
エス・キリストに今も永遠に誉れあらんことを。
(*22)『詩篇』84 章 10 節
(*23) 36 話「イサーキイ」には、イサーキイが悪魔に誑
かされた、事の次第が詳述されている。
(*24) イジャスラフ・ヤロスラヴィチは三度(1054-68、
1069-73、1078)キエフ公についた。
(*25) トゥムトラカン公グレープ・スヴャトスラヴィチは
1078 年 5 月 30 日に、伯父イジャスラフ・ヤロスラ
ヴ ィ チ と 戦 っ て 戦 死 し た。
〔
『ロシア原初年代
註
記』,P.221〕
( * 1 ) M. ヘッペルは、この書簡がシリア人エフレイムに
(*26) 第 18 話に登場する斎戒者ピミンと同一である可能
よる『パラエネシス』の影響を受けているとする
性がある。また、第 35 話のピミンと同一である可
D. アブラモーヴィチの見解を引いている。
能性も否定できない〔Heppell, P.145〕。
(*27) 第 12 話参照。
〔Heppell P.113〕
。
(*2)「沈思黙考」はбезмолвие
(
ησυχ´
ια)の訳。「しゃ
‛
(*28) 第 36 話参照。
べることを控える」という意だけではなく、神に心
(*29) 第 27 話参照。
を開かれた「内的な静寂」をも表わす〔Heppell (*30) 第 28 話参照。
P.113〕。
(*31) ニキータは 1096 年から 1108 年のあいだノヴゴロド
( * 3 )『使徒言行録』12 章 1-5 節
主教を務めた。
〔Heppell, P.146〕
( * 4 )『詩篇』27 章 4 節
(*32) ポリカルプは「悪魔憑き」の典型的な兆候を描き出
( * 5 )『マタイによる福音書』21 章 13 節、
『マルコによる
している。兆候とは、不自然なほどの肉体的な力、
福音書』11 章 17 節、『ルカによる福音書』19 章 46
特別な精神的な力に対する恐怖、通常をはるかに超
節
えた知識の量、回復ののちの完全な忘却などである。
( * 6 )『マタイによる福音書』18 章 -20 節
〔Heppell, P.147〕
( * 7 ) M. ヘッペルによれば、この箇所は、厨房の火を至
(*33) アルメニアはキリスト教に改宗していたが、カルケ
聖所の炎から取る修道院の慣習を念頭において書か
ドン信経をとらず、単性論を奉じていたため異端者
れている〔Heppell P.114〕
。
と見なされた。
「Очечник 聖人列伝」として
( * 8 ) ヘッペルによれば、
˘
念頭に置かれているのは、
「’
Ανδρων‛
αγ
ιωνβ
ιβλο㽞
´
´
(*34) フセヴォロド公は、ヤロスラフ賢公の 5 番目の息子。
(*35)『マルコによる福音書』16 章 18 節
聖人の書」の教会スラヴ語訳である(
〔Heppell (*36)『ルカによる福音書』4 章 24 節
P.113)。
(*37)『ルカによる福音書』15 章 7 節
( * 9 )『コリント人への手紙』10 章 30 節
(*38)『マタイによる福音書』6 章 19-21 節
(*10)『サムエル記 下』16 章 5-14
(*39) 悪人の体が麻痺するというモチーフの淵源は、イス
(*11)『フィリピの信徒への手紙』2 章 7 節
ラエル王ヤロブアムの物語(『列王記 上』13 章
(*12)『ペテロの手紙』2 章 23 節
1-6 節)に求められ、後代の文学でさまざまに展開
(*13)『ルカによる福音書』23 章 34 節
された。I. ドゥイチェフによれば、したがって、こ
(*14)『ルカによる福音書』6 章 27-28 節
の話は「歴史的な価値をもつものではない。」〔Ду
(*15) 聖デメトリオス修道院は、イジャスラフ・ヤロスラ
йчев, P.89-93〕
ヴィチ公により建立された。
(*16)『詩篇』119 章 71 節
(*40)『ガラテアの信徒への手紙』6 章 7 節
(*41) 1093 年、フセヴォロド・ヤロスラヴィチの死の直後、
(*17)『ヘブライ人への手紙』5 章 4 節
ポーロヴェツ人がキエフを襲った。フセヴォロドの
(*18) ヴェルホスラヴァはスーズダリ公フセヴォロド大巣
のちにキエフ公を継いだスヴャトポルク・イジャス
公 の 娘。1181 年 に オ ヴ ル チ 公 ロ ス テ ィ ス ラ フ・
ラヴィチは、ポーロヴェツ人への反撃のため、従兄
リューリコヴィチに嫁いだ。
〔Heppell:P.117〕
弟のヴラジーミル・モノマフとロスチスラフ・フセ
(*19)『テモテへの手紙』3 章 1-7 節
ヴォロドヴィチに来援を求めた〔『ロシア原初年代
(*20) スーズダリ公ゲオルギイ・フセヴォロドヴィチのこ
記』
、P.240-246〕。
と。フセヴォロド大巣公の子で、1238 年、モンゴ
(*42) ストゥフナ川とドニエプル川が合流するキエフ南方
『キエフ洞窟修道院聖者列伝』解題と抄訳(II)
の町。
(*43) ルーシ諸公の連合軍はポーロヴェツ人の猛攻撃をこ
らえきることができずに、ストゥフナ川に飛び込ん
93
イはポーランドに連れて行かれ、6 年の幽閉生活を
送ったのち、1025 年頃キエフに戻ってきたと考え
ている。
だ。ウラジーミルは川を渡りきったが、ロスティス
(*64) ポリカルプのコメント。M. ヘッペルは、修道士た
ラフは彼を救おうとするウラジーミルの努力にもか
ちがポーランドから追放されたことにモイセイが積
かわらず溺死した〔
『ロシア原初年代記』, P.242〕。
極的に関わっていた根拠はないと考えている。
(*44)『マタイによる福音書』7 章 2 節
(*45)『ルカによる福音書』18 章 1-8 節
(*46)『ローマの信徒への手紙』12 章 19 節
(*65) スヴャトポルクはイジャスラフの子で、1093 年か
ら 1113 年までキエフ大公の地位にあった。
(*66)『詩篇』30 章 6 節 .
(*47)『マタイによる福音書』18 章 10 節
(*67)『ルカによる福音書』12 章 .19 節 .
(*48)『ガラテアの信徒への手紙』6 章 7 節
(*68)『ルカによる福音書』12 章 .20 節にもとづく。原文
(*49) ヨセフとポティファルの妻とのあいだのエピソード
を指す(『創世記』39 章 7-12 節)。
(*50) ボリスとグレープは、ウラジーミル聖公がブルガリ
は以下の透り。「愚かな者よ、今夜お前の命は取り
上げられる。お前が用意したものは一体誰のものに
なるのか。」
ア人の妻とのあいだにもうけた息子。1015 年 7 月
(*69)『マタイによる福音書』6 章 .26 節
15 日にウラジーミル聖公が死ぬと、彼らの兄スヴャ
(*70) ワシリコ、ヴォロダルともに、ヤロスラフ賢公の曾
トポルクが公位についたが、『過ぎし歳月の物語』
孫で、ワシリコが西ロシアのトレボヴリャの公で、
によれば、スヴャトポルクがロストフ公ボリスと
ヴォロダルはペレムィシリの公であった。1097 年
ムーロム公グレープに刺客を放って殺害した。聖者
リュベチで開かれた諸公会議で、この領域の保全が
伝文学の伝統に従えば、ボリスの命日は 7 月 24 日、
定められていた。
グレープの命日は 9 月 5 日である。
〔Heppell, P.162〕
ワシリコは、トレボヴリャ一帯を勢力下に収めよ
(*51) ペレディスラヴァはウラジーミル聖公がログネダ
うとしたダヴィド・イーゴレヴィチの要請で、誘拐
とのあいだにもうけた娘であり、ヤロスラフとは、
され、盲にされた。
『過ぎし年月の物語』1097 年の
父 母 と も に 一 致 す る 完 全 な 兄 弟 関 係 に あ っ た。
項が指摘するとおり、この事件はリュベチ条約の違
〔Heppell, P.162〕
(*52) リャフはポーランド人を、リャフの地はポーランド
を指す。
(*53)『創世記』39 章 13-14 節
(*54)『マタイによる福音書』19 章 5-6 節、『マルコによ
る福音書』10 章 7-8 節
(*55)『コリントの信徒への手紙』7 章 9 節
反であった。
M. ヘッペルによれば、政治的敵対者を盲にする
ことは、ビザンツ帝国ではふつうにあり、同時代の
ポーランドでもときどき行われたが、ルーシではな
かった。
(*71) ガーリチは重要な塩の産地であったが、ダヴィド・
イーゴレヴィチの支配下にあった。
(*56)『テモテ人への手紙 1』5 章 14 節
(*72)『詩篇』14 章 4 節
(*57)『創世記』41 章 45 節「ファラオは更にヨセフにツァ
(*73)M. ヘッペルによれば、アカザは塩性の土壌で生育
フェナト・パネアという名を与え、オンの祭司ポ
し、組織に塩分を吸収する。このことが、プローホ
ティ・フェラの娘アセナトを妻として与えた。ヨセ
ルの奇跡を事実として裏づける要因となっている。
フの威光はこうして、エジプトの国にあまねく及ん
(*74) ハガル人агарянинは、
ふつうサラセン人
(ア
だ。」
(*58)『マタイによる福音書』19 章 29 節、
『マルコによる
ラビア人)を指すが、この場合はポーロヴェツ人を
指すと考えるべきである。
福音書』10 章 29 節、
『ルカによる福音書』18 章 29 節。 (*75) フェオドーシイの遺骸が移されたのは、1091 年の
(*59)『コリントの信徒への手紙 1』7 章 32-33 節
(*60)『エフェソの信徒への手紙』6 章 5 節
ことである。
(*76) この一節から、フェオドーシイの努力にもかかわら
(*61)『マタイによる福音書』16 章 26 節、
『マルコによる
ず、11 世紀後半になると、洞窟修道院の修道士た
福音書』8 章 36-37 節、
『ルカによる福音書』9 章 25
ちは、ストディオス規則に反し、労働の代価を払っ
節
たり、求めたりしていたことがわかる。
(*62) 年代記によれば、ボレスラフは 1025 年に死に、ポー
ランドでの騒乱は 1034 年に起こった〔M. Heppell,
P.168〕。
(*63)M. ヘッペルは、1018 年ないしは 1019 年頃、モイセ
(*77) 修道院長イオアンのこと。彼は 1088 年から 1108 年
にかけて修道院長を務めた。
(*78)『階梯』はヨハンネス・クリマコスの著書。
(*79)『マタイによる福音書』6 章 34 節、31 節、26 節
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(2007 年 12 月)
三浦清美
(*80)『エレミア書』15 章 19 節
Mouton, 1962
(*81)『マタイによる福音書』19 章 29 節
[Stender-Petersen]Stender-Petersen,Ad. Anthology of Old
(*82)『ルカによる福音書』10 章 19 節
Russian Literature. New York, 1954
(*83) M. ヘッペルは、
「かつての屋敷」とは、
「古い修道院」
を指すと考えている。
〔Heppell, P.186〕
研究書
(*84)『マタイによる福音書』8 章 28-34 節、
『マルコによ
[ B u b n e r ] B u b n e r, F. D a s K i e v e r P a t e r i k o n E i n e
る福音書』5 章 1-20 節、
『ルカによる福音書』8 章
Untersuchung zu seiner Struktur und den literarischen
26-39 節
Quellen, Werner Blasaditsch, 1969
(*85)『ルカによる福音書』10 章 20 節
[Deleye] Delehaye, H., Les Legendes Hagiographiques.
(*86) スヴャトポルク・イジャスラヴィチの最年上の息子。 Bruxelles, 1955
(*87) スヴャトポルク・イジャスラヴィチは、その兄ヤロ
[Goetz] Goetz, L.K., Das Kiever Hoelenkloster als
ポルク・イジャスラヴィチが 1086 年に殺害された
Kultuuzentrum des vormongolischen Russlands. Passau,
のにともない、1088 年にノヴゴロドからトゥーロ
1904
フに移った。ヤロポルクは 1078 年キエフ公フセヴォ
[Pope]Pope, R. The Literary History of the“Kievan Caves
ロド・ヤロスラヴィチによってトゥーロフに封ぜら
Patericon up to 1500. University Microfilms, A Xerox
れていた。〔Heppell, P.174〕
Company Ann Arbor, Michigan, 1970
(*88) この事件は、1099 年に起こった。ルーシの内戦状
[Prestel]Prestel, K.P.,A Comparative Analysis of the
態は、ワシリコが目を潰された 1097 年から断続的
“Kievan Caves Patericon”
. University Micr ofilms
につづいていたものである。
(*89)『マタイによる福音書』26 章 52 節
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