2008 年 2 月 1 日三田原山雪崩事故報告書 2008 年 12 月 20 日 報告書作成 関口雅樹 <山行計画ルート> 妙高杉の原スキー場、第3高速リフト降り場付近標高 1850m 地点より入山 三田原山方面へ日帰りの行程 撮影目的のため、詳細なルートは地形、雪の状態により流動的な計画 <メンバー> 杉村 航・佐々木 陽子・関口 雅樹・桝本 絹代・小松 由紀子・北村 明史 <事故発生場所・日時> 妙高三田原山 ※資料 1 現場付近 地形図 発生日時 2008 年 2 月 1 日 16 時 25 分発生 発生地点 三田原山南東方向南斜面、標高 2114m 埋没地点 沢内部、深さ約 20 センチ完全埋没、標高 1897m <規模> 破断面 厚約 20cm 幅 20m 雪崩末端 標高 2114m 地点より流動距離約 300m <被害者及び容態> 佐々木陽子 右大腿骨骨折、足関節骨折 <天候> 曇り/雪 後晴れ <装備> ・全メンバー共通装備/アヴァランチビーコン、プローブ、ショベル、トランシーバー 携帯電話、ザック、水、行動食 ・グループ装備(メンバー中数名が携行)/地図、コンパス、スノーソー、ロープ(4mm) スリング タイラップ、サバイバルシート、ヘッドランプ、ナイフ ・スキーヤー/スキー、ストック、シール ・スノーボーダー/スノーボード、ストック、スノーシュー <行動記録> 2008 年 2 月 1 日 8:30 妙高杉の原スキー場 駐車場にて集合 10:00 「杉の原ゴンドラ」を経由して「三田原第3高速リフト」降り場に到着 10:15 「しゃくなげコース」上部からスキー場管理区域外の三田原山へ向かう 10:50 標高 1,600m 付近で最初の撮影を行う 11:15 三田原山山頂方面に向けて登行 14:00 1,900m 付近の稜線上で2本目の撮影を行なう 14:20 北村明史 下山 15:00 1,900m 付近で東へ移動した斜面で3本目の撮影を行ない 1,800m 付近まで滑走 15:40 引き続き、短いスパンの撮影を行ないながら滑走 16:25 雪崩発生 滑走中の佐々木陽子が巻き込まれる 16:35 アヴァランチビーコンでの捜索により、埋没地点を特定 埋没者発見、すぐに顔まで掘り出し、呼吸を確保する 119 番通報、スキー場パトロールに救助を要請 17:20 パトロール到着、副木による応急処置 18:15 搬送開始 18:30 「三田原第3高速リフト」降り場に到着 待機していた雪上車に収容し、消防救急隊員に引き渡す 19:00 スキー場駐車場にて救急車に収容、頸南病院へ搬送 <雪の状態> 当日の朝までの降雪、気象条件の推移等からも雪の状態が良くないことは予測していたし、また 実際に安全とは言えない状態であった。 1,600m 付近で雪の状態の確認をかねて最初の撮影を行った後に下山するか、あるいはスキー場内 の圧雪斜面での撮影に切り替えるかがメンバー内で話し合われたが、結局は下山せず、もう少し 様子を見ながら行動を続けようということになった。 その後、1,900m 付近から東に移動した斜面の尾根上を滑走する際には多少は安定しているよう に感じられたが、標高を下げるに従ってスラフも発生すようになる。それにも関わらず撮影に最 も適した日没前の光を前に冷静な判断を下せず、短い距離の撮影を続行し、雪崩誘発に至ってし まった。 *スキー場パトロールへの救助要請について 本来ならば、セルフレスキューにより、少なくとも第3リフト降り場までは搬送するべきであ ったと考えるが、実際には負傷者の容態から大腿骨骨折が予測され、また肩、腰等全身に痛みを 訴えていたため、安易に移動しない方が賢明あると判断し、スキー場パトロールに救助要請を行 なった。 その判断に至った理由は以下の通りである。 1) 自身も4年前に雪崩に巻き込まれる最中に大腿骨を骨折した経験があり、その時の経験から、 搬送時が最も痛みがひどく、できる限り安定した状態、つまり搬送用ボートで搬送してあげ たいと考えた。 2) 埋没地点は第三高速リフトの降り場からトラバース気味に5分ほど移動した場所で、時間的 に一番早く医療機関に収容できると考えた。 発見時はすでに日没後で、急激な体温の低下等が心配であった。 業務外の救出にもかかわらず、救助活動を引き受けて頂いた妙高杉ノ原スキー場パトロールの皆 様を始め、 今回の救助に関係された皆様にお礼を申し上げるとともに、 深くお詫び申し上げます。 資料-1 雪崩発生地点地形図 資料-2 斜面全景写真
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