特別講演「青少年犯罪の今を考える」~安全神話崩壊のパラドックス

特別講演「青少年犯罪の今を考える」~安全神話崩壊のパラドックス~
河合
幹雄氏(かわい
みきお)
桐蔭横浜大学法学部教授
講師略歴等
京都大学理学部卒業後,京都大学大学院で法社会学を専攻。
大学院修了後,京都大学法学部をへて,平成6年から現職。
法務省矯正局「矯正に関する政策研究会」の委員,
横浜刑務所視察委員会委員長代理などを務める。
1.はじめに
青少年犯罪と教育問題というのは非常によく結び付けられますし,新聞紙上でいろんな
犯罪の話が大きく報道されるということが続いています。今日は,実際の青少年犯罪がど
んな状況なのかということを丁寧にお話ししたいと思います。
政策的な落としどころは置いておきまして,まずは状況を知っていただきたいと思いま
す。そのためにたぶんわたしが呼ばれているということでお話しします。したがって,デ
ータなども出しますのでついてきづらいかもしれませんので,ゆっくりお話ししたいと思
います。最後に時間があれば,少しだけわたしなりに思っている印象のようなこともお話
しできればと思っています。
2.少年犯罪の現状
まずは,数の問題です。量と質ですので,数が増えた,凶悪化しているという質の問題
といったことが話題になるので,順序よくいきたいと思います。
犯罪の数ですが,少年の話に行く前に成人の話も見ておかないといけないのですが,犯
罪が増えた,減ったというのは実は非常に難しい問題で,先ほど紹介していただいた本で
丁寧に書いたのですが,何が犯罪でどう数えるのか。そもそも見つからないようにやるの
が犯罪で,見つけた数を数えてもしょうがないところがあります。基本的には警察の統計
ですので,今世界で一番警察統計上犯罪が少ないのは,たぶんイラクかアフガニスタンと
いうような非常に逆説的なことになりかねません。警察官の数が増えていけばたくさん見
つかるわけで増えるでしょう。検挙人員も増えるだろうというようなことがあって,全体
の数を数えるとまさにそういう感想になります。だから,日本で犯罪が一番少なかったの
は戦後直後とか,変なことになります。
これは,罪種別に見ていけば,当然ひどい事件は必死で追いかけますので,強盗殺人な
どを見ると,やはり戦後直後が一番高くてその後下がってきています。ほかの項目は警察
力回復で上がって下がってということになります。この辺を細かくお話ししないで,取り
あえず全体像をお話ししておけば,戦後直後の大混乱期は,やはりものすごくひどい状態
だということがわかるかと思います。その後,高度成長とともに,おそらくは豊かになる
し,どんどんと数は減ってきて,90 年代に入った辺りから横ばいです。その後,増えた,
減ったという論争があって,わたしも非常に巻き込まれております。いずれにしてもここ
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数年急に上がったというのはうそだというのはわたしがずっと主張していることです。さ
らにここ3年間,統計上は毎年1割ずつ減っていまして,このまま行くと7年後に日本の
犯罪はなくなるというすばらしい成果が出ていますが,これはもちろんそうではありませ
ん。どのぐらいかという細かい話は置いておいて,おそらくそこでちょっとした山があり
ますが,90 年代から横ばいで,ここのところ少し減っているかもしれないぐらいという具
合に理解していただければいいと思います。
ちなみにほかの先進国は,戦後ずっと犯罪は増え続けて,やっとこのところで横ばいと
いうのが状態です。
少年の話にいきたいと思います。少年の犯罪の数ですが,これも露骨に少年がやった犯
罪の数だけ数えますと,
「 何だ。最近むしろ減っているじゃない?」ということになります。
しかも,かなり減っているということです。しかし,これは当たり前で,少年の数ががた
んと減っています。少年の数が4割減って,犯罪の方が4割減ったら当たり前だろうとい
うことです。少年の人口比で見ると,皆さんが接触する少年たちの手応えとむしろ合うだ
ろうと思います。警察庁の統計が,きちんとそれをグラフにしているのがありますけども,
人口比で見ると,要するにほとんど変化はないと思われます。この辺までがまず概要のお
話です。
もう少し詳しく見たいと思います。ちまたの議論では,少年犯罪戦後の3つのピークだ
の,第4のピークだのという議論を聞いたことがあると思います。犯罪統計で,先ほどお
話ししたように,これは疑ってみようということです。皆さんの資料では色が出ていませ
んが,80 年代のすごい山があります。これをピークと呼んでいて,ほかにも幾つかピーク
があります。この部分,ちょうど酒鬼薔薇聖斗のあたりですけど,何回かピークがあって,
今の状態が4回目のピークだと無理に呼ぼうという人もおられます。
このピークを考えるときに非常におもしろいのは,このグラフ,犯罪白書の 17 年版の非
行少年特集から持ってきました。エクセルにするためにわたしが少し加工していますが,
ほぼ同じ図です。ここに触法少年とありますが,これは 13 歳以下。年少少年が 14,15 歳
で,年中が 16,17 歳で,年長が 18,19 歳ということになっています。実際に接触されて
いると,この年齢の違いでどれほど少年たちが違うかお分かりだと思います。ここのピー
クだけ説明しますが,年少少年がおそろしく頑張ってくれています。触法少年,13 歳以下
もここで非常に頑張っています。こちらの山はたいしたことはありません。特に年長はあ
まりたいしたことはありません。
これは,要するに罪種を調べますと,中学生の万引をたくさんつかまえたということで
す。特に興味深いのは,ここでこの年少少年,すごい山です。これがとても大変な子ども
たちだったとすると,2年後にこの人たちは年中少年です。だから,この山が次のここに
表れて,4年後にはここに表れるはずです。同じ少年たちなのですから。しかしそれがな
いでしょう。だから,ここで統制を強めてつかまえて,翌年からやめたという,まさに警
察の動きそのものということだと思います。
それをもっと文句なしにだす図が,次の図で,グラフが苦手な人もいるでしょうから,
2個だけにしました。これも同じく非行少年の特集のところから取ってきました。これ,
何年生まれの少年が何歳でどれだけつかまったかという少年の人口比 1,000 人当たりです。
考えてみれば当たり前ですが,12 歳のときは 1,000 人当たり5人もなくて,どんどん増え
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て,この辺でピークになって,またものすごく下がってきます。ここをゼロにしています
から,ここで 25 ぐらいまで行って,5ぐらいまで下がるということはすごい減りようです。
この図を見て幾つかおもしろいことがいえます。15~16 歳で一旦ピークがきますが,結
局みんな犯罪をやめてしまうということです,8割方は。だから,ここでの対処が成功し
ているのか,ただ年を取ったらやめるのか,これはもちろん謎ですけども,いずれにして
も,この下り坂は結果としてはむしろ大成功です。初めて万引する人の数は,日本でも少
なくないといわれていますが,中高生の万引頻度の高さは世界にひけを取りません。日本
の少年がまじめということは全然ないのです。けれども,その後,ここで減るところが他
の国と全然違うということです。
だから,これを見ますと,少年が何歳であるかというのを非常に気にかけて対応しない
と話にならないということはすごく分かりますし,少年法を攻撃する人がいますが,少年
を成人と一緒にしていては,これは全く話にならないことが分かると思います。
もう一つ,おもしろいことは,時代で,一番年上の人たちは,ピークがずれています。
一番外側の線です。この初めのころと比べると,実はピークが 15 歳から 16 歳にずれてい
ます。少年犯罪の低年齢化を叫んでいる人がいますが,これは全然データを見ていない証
拠でありまして,どう考えてもピークは後ろにずれています。この世代の一番新しい人は,
減り方が少なくて,グラフから,悪くなっているという見方もできますが,横に1年ずつ
ずらしていただくと,きれいに重なるので,たぶんこの傾斜だともう一つ次の年にこの辺
まで落ちるのではないかなという感じがします。
むしろ現場の声もそうですが,いい年齢になってもまだ少年みたいな犯罪者の方が多い
です。30 歳でまだバイクをかっとばしている人や,20 歳過ぎてひったくりしている人もお
ります。昔は 20 歳で暴走族を引退するなんていう儀式もありました。これはもちろん国の
制度でも何でもありませんが。むしろ1年ずれているというのが非常によく分かると思い
ます。
これが実態であるし,結局,どの世代も実は一緒で同じパターンだということがよく分
かると思います。
先ほど申しましたように,どこかの都市でかなりキャンペーン的につかまえたりしても,
実際こういう分析をしますと,きれいに同じパターンで,数の点に限定いたしますと,少
年というのはほとんど変わっていないというのが,実はこのデータから見える結論になり
ます。
もちろん詳しく見ていきますと,ほかにもいろんなことがいえまして,女子の増加とい
うのは,1割しかいなかったのが 25%ですから,すごい大躍進になりまして,これはこれ
で非常に興味深いところですが,今日はこの話にはあまり入らないでいきたいと思います。
それから,特少というところに行きますと,日系ブラジル人,中国残留孤児の数が非常
に多くなります。外国人犯罪というのは結構騒がれましたけど,外国人犯罪全体の4%ぐ
らいですから,外国人がやってきて犯罪しているといわけではありません。今既に長期に
在留する外国人登録者が 200 万超えています。その子どもが結構問題になっています。親
は働きに来ているわけですから,よく働きます。その子どもが放っておかれていて,それ
が問題になっているというのが今気付かされているところです。この辺は各論として指摘
できるかと思います。
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それからもう一つ,これは「キレる」という言葉で有名になりましたけど,突然型。つ
まり非行少年というのは,後でもお話しするように服装とか歩き方とか,肩の怒らせ方と
かを見れば分かるというのが昔の状況でしたけど,今はだんだん違うようになってきてお
りまして,普通の少年と思っている少年が急に何かやると。突然型というふうに呼ばれて
いるわけですが,これは確かに比率が増えているというのがデータの部分です。
もう少し細かいところを見ていきたいと思います。少年の犯罪数といいましたが,中の
罪名です。年間一番多かったのは 2004 年ですけども,26 万人が家庭裁判所送りというこ
とになっています。全送検事件 220 万のうちですから,かなりの比率ではあります。26 万
の内訳は何かというと,13 万が一般刑法犯となります。普通の刑法に書いてある犯罪とい
う意味ですが,その中にある業務上過失,業過と書いてあるのは,いわゆる交通事故です。
これを抜いたものを一般刑法犯。普通に刑法犯というと交通事故が入ります。業過5万と
いうのは,これは分かりやすくて交通事故です。道路交通法違反と書いてあるのは,要す
るに暴走族です。事故を起こさなくても暴走していればつかまり,これはかなりの比率で
6万ぐらいです。一般刑法犯 13 万の内訳は,半分が窃盗で,ほとんどが万引だと思います。
万引の中では自転車泥棒が一番多くて,次がバイク泥棒。残りの半分の一般刑法犯は何か
というと,全体の一般刑法犯の4分の1が横領と書いてあります。これは,実は自転車泥
棒です。人の自転車を取ると窃盗ですが,既に誰かが取ってきて放置してある自転車をさ
らに取ると,占有離脱物横領罪と刑法ではいいます。要するに自転車泥棒なのですが,罪
名的には横領になります。
ということは,要するにこの一般刑法犯のうちの半分が自転車泥棒だということです。
次がバイク等というのが実態で,重大な犯罪がどのぐらいあるかというと,殺人はだいた
い警察庁統計で 100 あって,最近 50 まで減っています。警察統計では,殺しているのは殺
人として送りますが,厳重に吟味の末,傷害致死になることもしばしばあります。判決を
見ると殺人は半分ぐらいになってしまいますが,被害者から見ると殺されているから殺人
だという話にもなるかもしれません。しっかり見ていきますと,実は殺人も少年がやると
未遂のケースが多いのです。最近だと,屋上から土嚢を投げたといって,下にいた会社員
に当たったという事件がありましたが,あれは殺人未遂になっています。極端にいうと,
石を投げても殺人ができるのかと,そこまで行くと極端すぎますけども,やはり未遂が多
くなります。殺人は当然ですが,既遂はなかなか大変なことでありまして,未遂が半分以
上だと思います,少年の場合は。
となると,たぶんせいぜい 20 ぐらいです。20 のうち誰が殺されているかといったら,
親殺しが筆頭で,次に兄弟殺し,家族内で過半数でしょうね。あと,少年同士のけんか,
リンチというところでほぼ終わりといきたいのですが,実はまだあるのが強盗殺人です。
これこそが一番の凶悪犯で,検挙人員 22 人と多いのです。ここの少年の特徴ですが,1人
で大きな犯罪はできません。22 人で1つということはないですが,たくさんの人数で,物
を取ったり,ボコボコに殴ったり,けったりします。死ねば強盗殺人で,検挙人員はたく
さんになります。グループ数としては一けたじゃないかと思います。
一方で非常に重大な事件というのが報道されるように,ちらほらあるのは事実です。た
だ,これはほとんど一けたの世界だと思います。もっとも一けたの世界でも月に1回近く
報道されますので,印象的には非常に多いような気がしますが,そのような事件が続発し
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ていないということで見ていかないといけない。
それから,今非常に話題になっている光市の事件で,4月に判決が出ると今日の新聞に
載っておりました。あの事件をめぐっては,すさまじい言論上の戦いが展開されておりま
す。いろいろ言われていますが,ジャーナリストでしゃべっている人は,たぶん犯罪統計
は見ていないと思います。ああいう少年が大勢いるかのようにいっている人がいるかと思
えば,あれは 10 年に1回の稀有(けう)な例だからやめろといっている人もいます。実態
はもっと恐ろしくて,あれは確かにひどい事件ですが,実際はあれよりもっとひどい事件
は年に何件もあります。少年でなく,大人を入れますと。
あまりひどい事件は報道されないのですが,この事件は,一般の主婦が被害に遭ったか
ら報道されています。もっと普通にあるひどい事件もありますが,人々の興味を引かない
からカットされているだけで,犯罪自体は,本当の凶悪事件は報道されていないと考えて
もらっていいです。
光市の事件は何で騒がれるかというと,死刑になるかならないか,ちょうど分水嶺(れ
い)だからです。死刑はご存じのように年間 10 件あるから,あれより確実にひどい事件が
10 件あるのです。その辺を聞いただけで,報道から受けている印象と全然違うということ
だと思います。
それから,もう一点は,ものすごくひどい事件のいろいろな細部は聞きたくないですよ
ね。聞きたくないし,教えたくもないし,必要もない。殺意があればもう十分死刑になる
段階で,それ以上ひどいという証明はする必要がないのです。それでやめてしまうという
のがあります。光市の事件は,普通は出なかった,殺してから後の話も全部被害者から出
てきたというふうにご理解いただければいいかと思います。
どんな犯罪がどのぐらいの数があるという話をしました。レジュメでは次のページを見
ていただいたら分かります。本当にお話ししたいのはこれからであって,犯罪が増えた,
減ったということではありません。
凶悪化といわれる質の問題です。これは,わたしは稚拙化と呼んでおります。犯罪の数
は実は変わらないという話をしましたが,質は確かに相当変わっております。どう変わっ
たかという話をしたいと思います。
ただ,凶悪化しているという人もいるので,少しだけそれに備えて説明しておきたいと
思います。凶悪化をいう人は,少年の強盗が増えていると。特に 96~97 年辺りで,少年の
強盗の検挙人員が急に倍になっています。それから,確かにとんでもない事件が相次いで
いるというのが凶悪化論の根拠になっていると思います。
これは,実は自分の先ほど紹介していただいた本でもっと詳しく書いておりますが,強
盗が増えたというのはかなり統計を数えるトリックの部分もありまして,それまで強盗に
していなかった事件を強盗にしたということがあります。その辺の話もするのですが,そ
のことをいうと,何かねつ造したみたいですが,実は質も違っています。そこが微妙です。
お話を分かっていただきやすくするために,犯罪者側から見た観点でお話ししたいと思
います。ある意味ではとんでもない話ですが,犯罪者側から見ますと,実は犯罪というの
は,怠けて寝ていたらできるわけではなくて,かなり体力も気力も要ります。技術も要り
ます。
バイク窃盗というのは,バイクをキーなしで発進させる技術が必要です。これは電線を
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つないでやるわけです。これは,代々非行少年の上から下へと技術が受け継がれていまし
た。どうやらこれが受け継がれなくなってきたように思います。どうするかといいますと,
大勢でバイクの持ち主が来たときに取り囲みまして,引きずり下ろして奪ってしまう。そ
うすると,窃盗じゃなくて強盗になります。バイク窃盗は減って,バイク強盗が増えてし
まう。統計上は凶悪化で,実質は犯罪が下手になったということです。犯罪者側から見る
と,罪名が重くならずに獲物を手に入れられればその方がいいわけですから,まさに下手
になっているのです。
似たようなことは幾つもありまして,ひったくりもそうです。皆さんに手口を教えても
悪い結果は出ないと思いますので話します。バイクの二人乗りで,後ろの少年が追い抜き
ざまにハンドバックを自転車の買い物かごから奪い取る。これは,成功すればきれいな窃
盗です。失敗して自転車を倒すと,強盗致傷となります。犯罪は失敗が凶悪化なのだとい
うことがここでも分かります。
それから,そもそもひったくりというのは,日本の警察はではずっと窃盗だとしていま
した。ところが,国際標準では,ひったくりは強盗になります。暴力をふるって財物を取
るのが強盗ですから,ハンドバックをたすきがけにしたり,手に持っていたりしているの
を奪うのに暴力が要るひったくりは強盗なのです。外国ではそうですが,日本ではしゃべ
りながらバッグをベンチに置いている人がいますね。それをさっと持って走れば窃盗なん
です。これは,日本ならではの現象であったわけです。ひったくりの荒っぽいのは,強盗
に入れるということをこの段階でやっていると思います。
それから,96~97 年といえば,ニュースの検索をすれば分かりますけど,オヤジ狩りが
騒がれました。オヤジ狩りというのは,大勢の少年でサラリーマンを取り囲んで金品を取
るということです。ところが,伝統的には少年というのは,そんな大勢じゃなくて,2人
組か,せいぜい3人ぐらいで詰め寄って,ちょっと格好つけて,
「ちょっと金貸してくれや」
といって出させていました。これはカツあげですから,恐喝罪です。恐喝で済んだのに大
勢で急に取り囲んで抵抗できないほど脅かすと,強盗に格上げということになります。こ
れもまさに下手なのです。だから,もともと同じことを強盗に上げて数を増やしたという
ようなトリックはやっていないのですが,このように強盗が増えてしまったということに
なります。
だから,少年の加害者に注目しますと,まさに犯罪の技術が伝わっていないのです。上
手にカツあげするというのも,かなり技術が要るし,コミュニケーション能力が要ります。
これができないということになっています。
ただ一点,注意点ですが,被害者から見ると,実は怖いことです。一例を挙げます。一
番極端な例です。これは神奈川県であった事件ですが,少年何人かで金属バットを持って,
「金出せ」も何も言わず急にバットで殴りかかって財布を取った,これで強盗致傷です。
取った金が 300 円だったという,こういう事例があります。本当に情けない少年たちです
が,やられる側はこの方が怖いので,技術の高いカツあげに遭った方がけがしないという
ことがあります。だから,被害者サイドから見たときに,凶悪化と呼ぶのが誤りではない
ということには,一応注意が必要だということです。
もっと印象論の話をしますと,特に長年生きていらっしゃる方はお分かりでしょうが,
昔の非行少年と今の非行少年を比べますと,どんどんひ弱になっています。タイムマシン
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がもしあって呼び出せましたら,各世代の非行少年でどっちがけんかに強いかのタイトル
マッチでもやれば,今の非行少年はぼろぼろに弱いのではないかというイメージがします。
昔は本当に,何も言わなくても黙ってお金を出そうかというぐらい怖いような少年がいま
した。げた履きで学ラン,肩を怒らして,顔も怖いというのがいました。まさに非行少年
と顔に書いてあるというのがいました。今はこういうタイプの少年はいなくなっていると
いう状況です。
ただ,これで安心なのかというと,実は違います。まさに安心感というのでいきますと,
その辺のコンビニに,金髪で耳にピアスしている少年が夜たむろしていても,それだけで
怖く感じます。しかし,彼らは,有名学習塾の帰りの生徒であったりします。不安感とい
う意味では,これで十分怖いですね。だから,その辺もまた今の時代の特徴かと思います。
稚拙化,あるいは幼稚化といってもいいかもしれませんが,加害者が非常に幼稚化してい
るというのが,おそらくこの質の変化の一番中心部分だと思います。
低年齢化については,さっき統計でもお話ししましたが,これは少し触れておきたいと
思います。20 歳を過ぎても少年犯罪的なことから抜けられないということがむしろ多くて
困っているという状態です。20 歳を過ぎているけど少年院に入れたいというような青年が
結構おります。これは現場の感覚ですが,もう少しいろいろ見ていきますと,全体として
らしさということがどうも消えているようです。年齢らしさ,子どもらしさ,中学生らし
さ,高校生らしさというのもあるかもしれません。それから,女の子らしさというのもた
ぶん大幅に消えてきたのではないかと思います。佐世保の 12 歳の少女の事件などは典型だ
と思います。らしさが消滅したショッキングな事件1つで,低年齢化というイメージがあ
ります。しかし,低年齢化ではなくてらしさがなくなって,年齢の関数がだいぶおかしく
なってきたということで,最低記録が伸びているというのが現状で,全体の傾向は,ここ
に見えますように,実はまだ変わっていないし,全体としてはむしろ非行年齢のピークが
年長にずれているというのが実際です。低年齢化のお話でした。
その他の特徴については,簡単にいきたいと思います。共犯の人数が増えています。昔
から独りではできませんでした,非行少年は。でも,2人か3人組でした。このごろは5
人とかがざらで,もっといるときもあります。なぜ人数が多くなったかというと,少年た
ちの友達の数が増えたとは考えません。むしろ携帯電話などですぐに呼び集められること
ですね。いろいろな記録を読んだら,ファミレスと携帯電話ばかり出てきます。それで,
集まって,さっきの金属バットで殴りかかった事件のように,ちゃんとリーダーがいない。
ただ数だけいる。それから,凶器を使った比率というのも,統計がありますが,凶器は用
意していないのです。単純に考えますと,凶器を用意している少年こそ本当に犯罪者,凶
悪なのですが,凶器は用意していなくて,凶器がある場合も,その他と書いてあります。
要するに金属バットかゴルフクラブです。
というわけで,マスコミに出たときはバタフライナイフで大騒ぎになりましたが,ナイ
フを持ってやっていた少年はほかにはいません。ほとんど行き当たりばったり,その辺の
ものをつかんで集まり,突然殴りかかって何かを取っている,というイメージが正しいの
だと思います,全体傾向としては。
先ほどもお話をしていますように,不良とそうでない者の境界が非常にあいまいになっ
てきました。見かけも違うし,歓楽街といいますか,繁華街というのと住宅街の境目自体
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もはっきりせず,渋谷の夜遅くに女の子がいっぱい歩いているという時代になりました。
事例で見ても,援助交際をしているのに夜はちゃんと自宅に帰っているとか,何か変な
パターンの少年がたくさんいます。これぞ非行少年,少女というパターンが相当薄れてい
て,境目が分からないし,本人も「援助交際していたら自分は不良なの?」と聞いてくる
というように,自覚もありません。おれは突っ張っているんだという自覚があればもう少
し格好をつけるから判別がつくと思いますから,同じ話といえば同じ話だと思います。
非行さえできない少年の増加というのは,また後でお話ししたいと思います。これでだ
いたい質の話を終えました。
3.大人の対処
わたしは社会学ベースなので,少年個人の話をするよりも,やはり周りの変化を非常に
強く感じております。大人の対処,実はここが一番変わったと感じています。ここに書き
ましたように,民間の大人が厳しくしからずに警察に頼る傾向があります。警察が出てき
ましたので,警察関係者の方もおられると思うので,少しだけ触れておきたいと思います。
先ほどから統計の話をすると,勘違いされる人は,いわゆる警察陰謀説で犯罪が増えた
と叫んで予算を増やして,警察力強化をねらっているという見方をします。警察側から見
ますと,非行少年を取り締まるために警察官にはなっていないというのが,たぶん本音だ
と思います。普通の皆さん方は知らないと思いますが,日本には泥棒家業で生きているす
ごい集団が実在します。その人たちは,自分の手にかかればどんな鍵でも5分で開くとか,
向かいのビルから隣のビルに飛び移れる能力はあるし,町から町へ歩いているという,本
当のプロの窃盗集団がいます。こういう集団と戦うのが警察の盗犯,捜査三課です。
万引少年はどうするかというと,親を呼びます。親がいないときは,先生かもしれませ
ん。誰か身元引受人が来れば返してしまうというのが実際のところです。窃盗でつかまる
人は年間 18 万いますが,13~14 万はその場で釈放です。刑務所まで行く人は1万を切っ
ています。少年院には 2,000 ほど入ります。日本で刑務所に入るというのは並大抵のこと
ではありません。一般には,悪いことをすると警察につかまって刑務所に入れられるとい
うことでやってきましたが,実態はプロ以外の方はなるべく刑務所に入れないということ
をやってきました。更生させようと思ったら入れない方がいいのです。これは当たり前の
話です。なるべく入れない,入れてもすぐ出すというのが実際の実務でした。
だから,日本の刑罰は世界一軽いというふうにいわれることもあります。これは,一面
では真実です。確かに刑事罰だけを見ますと,こんな軽い国はありません。しかし,犯罪
は少ない。どうなっているのかといいますと,民間が怖いのです。身元引受人が来たら,
民間に任せて帰す,これで許してもらえていると思ったら大間違いです。身元引受人は,
家へ帰ってから説教どころじゃなくて,昔は殴っていました。
最近の事例を挙げますと,例えば,相撲部屋に入った若い力士が万引でつかまったとし
ます。どうするかといったら,身元引受人は親方です。親方が来れば,もう親方に指導を
頼んで,警察は帰してしまうのです。だから釈放です。ここでぶつかってくるのは,やは
り体罰問題だと思います。やっぱり基本的には少年を殴っていたのです。これがなくなっ
たことの影響が大きいと思います。
最初に前置きしましたように,政策的な落としどころは置いておいてというのは,これ
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を下手にいうと,体罰を復活しろという話と勘違いされるので,あえてこういう例を申し
上げているわけです。体罰はいけないというのはまったくその通りで,それまでやられた
議論の通りですけども,それに代わる方法を考えないでやめただけということがたぶん現
状だと思います。という意味で,非常に苦しい状況にあるのではないかと,そういうふう
に考えています。
それから,厳罰という意味でいいますと,後ろの方にも書いてありますが,基本的には
謝って許してもらうパターンで,反省していれば帰してもらってということをずっとやっ
てきたわけでありますが,刑務所に行く人は行く。少年院へ入る人は入る。少年院は別で
すが,刑務所の場合だけ,せっかくだから少しお話ししておきます。実は出てきても行く
ところがないのです。皆さんの周りでも刑務所から出てきた人が生活しているのを知らな
いと思います。実は,入っている期間は短いのですが,世間には二度と帰れません。特に
殺した人の追跡調査した研究がありますが,自分の元住んでいたところからは家族ぐるみ
で追放,永久追放です。こんな厳罰はないです。長いこと刑務所に入って出されるときに,
出ても行くところがなくて,出てからの苦しさを思って自殺者が出るというようなことさ
えあります。だから,日本では社会的なサンクションは恐るべきものでありますし,一度
前科者になれば,世間には帰れない。少年院の場合は,前科はつかないですし,まだ何と
かなるように別扱いしているというのが全体像ではないかと思います。
先に刑事政策とか警察のお話をしましたが,実際にもっとポイントになるお話はここか
らであります。今どうなってきたかといいますと,万引少年がいて,警察が店に来ると親
を呼びます。そうすると,親が電話口で,
「うちの息子は自分のいうことを全然聞いてくれ
ないので,警察でしかってやってください」と電話を切る人がいます。飛んでこいといい
たいのですが,親が飛んでこないのです。これがおそらく最大の問題です。先生方はお分
かりでしょうが,非行少年より親の方がすごいという経験をいっぱいされていると思いま
す。この親の側の変容というのが大変なことで,警察はそれで非常に忙しくなっています。
親に任せないから交番が空になくなって大変になる,というつながりがあります。そちら
の方は刑事政策の事情になるのでカットしますけれども,そういうところが非常に大きな
問題ということです。
だから,厳罰化といいますけども,身元引受人に当たるような親や教師が厳しくしかっ
て,それで,そのときは厳しい方がいいですね。今,刑事政策でいう厳罰化というのは長
いことぶち込むだけですから,これは逆効果です。悪循環をし始めるかもしれないような
状況にあると認識しています。
次に,事実の確定ということですが,具体的には山形マット死事件ですが,何が起こっ
たのか,少年非行の事実認定ができないという事態が幾つか起きています。大勢の少年が
出入りして,みんなでけったりしていて,下手すれば2日にわたっていて,最後,致命傷
になるけりを加えたのが誰か,ついに分からないという事件もあります。
「少年はうそつかない」は終わりといいましたが,これはちょっと不正確で訂正したい
のですが,少年はうそをつかないようにしゃべろうと思っても,非常に重大な事件を起こ
した仲間であるはずの人が誰かきちんと知らないのです。誰が何をやったかも見ていない。
だから,いくら締め上げても分からないというような状況が発生しています。これはもち
ろん刑事政策側の方で非常に苦労しているところでもありますが,少年の状態としても非
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常に重要だと思います。この辺を見ても,非行少年グループというのが一番おかしくなっ
たというのが分かると思います。
少年非行に関する話はこのぐらいにしまして,多少は施策の話も少し触れていきたいと
思います。
どこがおかしくなってこうなっているのかということです。親の顔が見たいとか,教育
が悪いとかよくいわれますが,わたしの見るところ,教育がそんなに悪くなったとか,親
がどうかとか,先生方が急に悪くなったというのもちがうと思います。いろいろな統計か
ら見ても,むしろ一番変わったのは少年集団だと思います。少年集団は先輩からいろいろ
習っていたはずなのです。けんかの仕方もそうですが,止め方も含めて,この辺でやめて
おこうという,サブカルチャー的な部分です。非行少年グループが,ガタガタになったか
らこそ犯罪は下手になり,歯止めがないという事件も起きているということです。だから,
少年集団という部分が一番打撃を受けたし,社会変化という視点で振り返っても,学校は
それほど変わっていないし,家庭もそれほど変わっていないと思います。ここが一番ポイ
ントだろうということが見えてきます。そこから見ていかなければいけないだろうという
ことが示唆できます。
そうなると,地域だという話になるわけです。安全安心なまちづくりということも出て
きました。少年集団をどうやって生き返らせるかということですが,もう1人で考えるに
は手に負えないようになってきます。ヒントとしていえることはあります。非常に変な事
件や,いじめなどからそう思うのですが,いわゆるニュータウンというのがかなりまずい
ということがいえそうなのです。
ニュータウンが新しいからいけないのではありません。典型的には都心から何分という
ところで造成されたことで,年齢的にも社会階層的にも同じレベルの人ばかり集まってき
ます。そのまま年をとっていくという状況になり,いろんな人に出会うという人生経験の
一番基本が抜けてしまう。自分とよく似た子どもたちとの出会いでおしまいという,そう
いう中で育つ。だから,いじめの問題でも,みんな同じぐらいだからどういうことが起こ
るかというと,自分もいじめられるかもしれないということです。昔ながらのまちなら,
はっきりと弱い子や,強い子がいます。はっきり強い子は,何かあったらやめてやれと止
められます。はっきり弱い子は必ずやられるわけですから。これは露骨にいうと,普通の
子は,まず自分は標的にならないと考えるわけです。みんなが一緒だというのは,そうい
う意味でリーダーが不在で,止める子はいないし,自分も何か悪い役に回るかもしれない
という,独特の変な緊張感がある少年集団になってしまいます。この辺が今の少年社会の
大きな問題だろうということぐらいは指摘できると思います。
ひとつだけ事例を出したいと思います。
非常に有名な長崎の 12 歳の少年の例です。少しおさらいします。12 歳の少年が性に興
味をもって,4歳ぐらいの男の子を誘拐していたずらをしたと報道されています。性的な
興味を遂げようとして,駐車場から落として殺してしまったというのが長崎の 12 歳の少年
事件の一番あらましですが,注目点はそこではないのです。このときにわたしのインタビ
ューが朝日新聞に大きく載っていますけれども,加害者に関しては犯罪学者的に申し上げ
ますと,そのぐらいの少年が性に興味をもって,小さい男の子で何か実験をしようとする
というのはよくある事例で,加害者はそれほど特別ではない。ただ,結果は重大だったと
- 10 -
いうことです。
わたしが非常に注目をいたしますのは被害者です。被害者問題は大きく騒がれています
が,被害者が非常に特別,どう特別かというと,普通の子だということが特別です。被害
者は今でこそ取り上げてもらえますが,昔から被害者はいるはずなのにずっと無視されて
きました。これには理由がはっきりあります。小さい村で,昔もそういう少年がいて,誰
か小さい男の子に手を出そうとすれば,みんな知っているから相手を選びます。このとき
はもちろん恨まれている人を選ぶわけではありません。しかし,この子ならば後で事件が
発覚しない,つまり親もしっかりしていないし,放っておかれている子を選べば,あの事
件は,捜査を開始されていなかったかもしれません。
ところが,8時に大型量販店でさらわれたのです。これこそ匿名社会の恐ろしさだし,
わたしがずっと主張している社会の境界がなくなったということです。夜中に行く場所と
か,悪いやつや不良少年が行く場所は決まっていました。それと一般の少年は出会わない
し,一般人も出会わなかったのです。それが今は違う。だから,数は減りましたが,まと
もな暮らしをしている人にとっては,犯罪に遭うかもしれない確率はぐっと上がったと思
います。
というわけで,きちんとした親がいる子がそこでさらわれて,その日の晩から大騒動,
当たり前です。捜査されて1週間でつかまったと,このように考えられると思います。
だから,この少年が非行少年らしいかどうかということも変わりましたが,非行少年の
行動パターン,これが非常に変わっています。どうしても下層の人となると,この辺りで
すと東京の都心まで遠いところに住んでいます。毎晩渋谷や新宿に出かけてたむろすれば
何時間もかかるし,お金も足りません。そこで,近所のコンビニでたむろする。そこに進
学塾や予備校通いの子どもがコンビニに寄って,何か買おうとするとそこでやられる。昔
は非行少年に殴られる子は非行少年だったのです。当たり前です。少年同士のけんかです。
それで技術も磨いていたのだと思います。しかし,今は一般のまじめな子が襲われている
のが,だいたい家裁の調査官に聞くと3割ぐらいはあるといわれています。それが接触す
るような環境にあるのです。
だから実は夜の9時に外を歩くのは,本当は危険なのです。このことが非常に大きな状
況,社会の変化の影響だと思はいます。それで,非常に発言力も強い少数の被害,何の落
ち度もない被害者がメディアに登場して,被害者の権利はどうなっているのかと訴える。
殺人事件を調べれば分かりますが,昔の被害者というのは,よほど悪い人です。恨まれて
いるか何かで,加害者のアンケート記録を見ればびっくりします。自分がやらなくても誰
かがやっただろうという記述もあるし,あの社長だけは生かしておけないと思ってやった
のに,反省しろといわれて,刑事は自分の心が全然分かっていない,とアンケートに答え
ている人がいます。そもそもそうでないと人はなかなか殺せないということです。強い人
がずっといじめて,ひどいことをやり続けられた被害者が,最後に刺してしまったという
ことが非常に多いのです。だからこそ犯罪被害者のためにというのは,政治的に全くパワ
ーがなかったと理解してもらっていいです。
それが 60 年代ぐらいから,いわゆる通り魔が一番典型ですし,無差別テロが典型ですが,
そういう事件がちらほら出始めて,世界中で被害者のためのいろいろな施策が出てきまし
た。これはまさに社会の変化,犯罪の変化です。被害者の変化というのは非常に大きいと
- 11 -
いうことが分かると思います。
非行少年に関してはここまでとして,多少は自分のいいたい仮説もしゃべってみようと
思います。ここまでお話ししたことは,だいたいわたしがこれまで本にも書いてきたし,
おそらくその内容を評価されてここによばれていると思います。データは並べませんでし
たが,わたしの本には 50 ほど図表を載せました。そういうお話です。
4.少年一般の傾向
ここからは,やや印象論的になるということで,ちょっとご注意をお願いしたい。ただ,
状況だけしゃべられても何かピンとこないと思うので,わたしの印象や思っていることを
少しお話ししたいと思います。
少年一般についてお話します。ここになると少し完全な専門ではないということですが,
非行少年研究の副産物といいますか,おもしろいデータがあります。ここに表が載ってい
ます。これは都立高校での 1979 年と 97 年の調査,高校が楽しいか楽しくないかというの
と,高校生活を満足しているか不満かというのをアンケートして掛け合わせると4象限で
きます。満足しているし楽しい,これは適用型,分かりやすくいうとよい子です。楽しく
ないし不満だ,これが不良です。これは,実はどちらの時代にも4分の1ずつです。考え
てみれば当たり前ですが,集団のメカニズムは不思議なもので,みんなよい子というのは
たぶんあり得ないし,みんな悪い子もあり得ないのです。これは,やや少数派,4分の1
ずつというのは分かるところだと思います。
問題は残りです。4分の1ずつ引きますと5割は残っています。これは普通の少年で,
79 年はどうだったかといいますと,その 50%のほとんどが不満だけども楽しい。かつての
多数派と書いています。不満はいっぱいあるけれども,高校生活は楽しかった。それが 97
年は,学校側に満足しているとアンケートには答えるけど,楽しくないという方に移行し
ました。これが本当に今の少年の問題ではないかと思います。
だから,非行の話をしました。そこをきちんと分かってもらうための情報提供をしまし
た。これを見て分かりますように,実は不良のところの非行少年自身の問題よりも,不良
になりきれていなくて,楽しくなくて満足だとアンケートには答えている,この辺の方が
本当は非常に問題です。少年非行は全然増えていないという話をしましたけども,直観的
にお話ししますと,非行さえできない,技術もないし,エネルギーもないというようなこ
とになっているのではないかということです。だとすれば,これは非常に重大だというの
がわたしの持っている印象です。
この満足で楽しくないというのは,いったいどういうことなのだろうということです。
そこに肉薄するのは非常に難しくて,印象的には何かのっぺり顔で,思いきり笑ったり泣
いたりしたことがないような顔で,ボーっといて,「不満はありません」「やりたいことは
ありません」
「暇つぶしするものはいっぱいあります」と答える,そういうイメージなので
しょう。データを探すことが商売なので,1つ,わたしが注目して何とかデータを引っ張
り出してきました。生きづらいということがいわれて,自分がどんな人物になりたいとい
うものがないとか,目標がないといわれる中で,いつも名簿を見て思うのですが,名前が
変わりました。人気のある男の子,女の子の名前という統計があります。それを見ると,
昔は首相の名前をもらったり,正夫とか正義とか善太郎とか康弘,徳子とか,こういう倫
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理性が入っていたりする名前があって,立派な大人になってほしい,正しい人間になって
ほしいという願いでつけられた人がたくさんいました。今の名簿を見ると,下に書いたよ
うな,意味不明はちょっと言い過ぎですが,海のものとも山のものとも分からないという
言葉がありますが,そのまま海とか山とかつけている人もいて,そういう名前の人が非常
に増えています。女の子でも,そういう名前の人が非常にたくさんいるという状況にあり
ます。
だから,子どもたちは親の期待通り訳が分からなくなったとわたしはいっています。名
前をつけた段階で,これがもし間違いだとすれば,そこで間違っているわけです。という
ことは,はっきりいって学校教育の前です。だから,学校教育のせいじゃないという議論
をするときに唯一出せるデータを必死で探して出したのが,一応これであります。これは
教師の方はぜひ使っていただければと思いますけれども,結局,教育の影響というのは,
そんなすぐに表れるものではないのです。どこかのラグビー部みたいに部員が十何人つか
まれば,その指導者が問題です。これは確かです。どこかのクラスから殺人犯が5人出た
ら,その教育は問題です。因果関係があります。しかし,そうではないですよね。
だから,やはり教育問題はもっと長い目で見る必要があります。皆さんも感じておられ
るだろうし,わたしもさっきからお話ししていますように,今の子どもの親の教育の辺り
からおかしくなったとすれば,もう大きく違っているということは間違いないし,これは
世界中でも同じ議論をしていまして,戦後教育は誤ったのかという議論をやっています。
フランスのル・モンドでもいっていますが,昔,イギリスは,教師は黒板にチョークと一
緒にムチを持ってきていて,それでたたいていました。戦後,それはやめました。そのム
チを復活させるわけにはいかないけれど,自由放任にさせるのもいけなかった。その中間
として軽くたたくというわけにもいかない。先ほど申し上げましたが,ここにオルタナテ
ィブの名案がない状況だということぐらいは分かるのですが,まさに難しい。だから,こ
れは戦後教育全体の問題であるのは事実だと思います。
ただ,これを下手にいうと,古いものの復活という話につながってくるので,いう場所
とトーンは気を付けないといけないですけども,確かに課題としてはあります。あくまで
体罰復活でなしに,代わりがないという言い方でわたしは頑張りたいですが,その辺が課
題かという感じがします。
今ここまで話したことはまだ多少の根拠とデータがある話です。さらに大胆な話をちょ
っとさせていただこうと思います。わたしは複数の大学で教えているので,いわゆる学生
のレベルによる差がどこにあるかというのが一家言あります。これは比べられるのでよく
分かります。おもしろかったのは,数年前に,ある大学で教えているときに,試験の監督
のときにこのぐらいの教室にいた男の子で4割が茶髪でした。それとは別の大学では茶髪
が5割でした。さらに,一流といわれる大学の学生の生活実態調査でいわれていることで
すが,その大学だって一緒だと思います。調べたら先ほどの大学と一緒なんです。だから,
そもそもエリート教育が一番失敗したのだという説があるし,うなずけるところです。世
代差の方が大きくて,大学格差はあまりないという恐るべきデータが取れてしまいました。
ゼミの学生とお話ししていて分かっていたのは,その中にも目が輝いている子どもがい
ます。その目が輝いている子と,どうも楽しくなくて満足のたぐいだろうと思われる子と
どこが違うのかを一生懸命研究してみました。目が輝くというのは難しいことでありませ
- 13 -
ん。あまりいいたとえではないですが,第三世界,アフリカなどでもそうですが,非常に
貧しい国で厳しい状態だというところでも,テレビカメラが行くと,小さい男の子が走っ
てきます。みんな目が輝いていますね。あの目が欲しいので,簡単にできるはずなのです。
目を曇らせたのは何かとむしろ考えた方が正しいということになります。そうすると,い
わゆるはやりの議論になってきます。テレビを見ているというのはいけないとか,ゲーム
はいけないとか,これは散々いわれました。しかし,これは反論も簡単で,テレビもゲー
ムもガンガンやっているけど立派な人はいると。これも事実です。
ここはもう直観的な答えでデータを完全に出せませんけが,一番問題になっているのは,
人生経験自体のはく奪状態が,このどんより目だと思っています。そもそも先ほどのあい
さつのところでわたしの結論を副理事長に先取りされた感があるのですが,まさにいろん
な人と会って,いろんな体験をするという当たり前のことこそ抜けています。非常に小さ
い自分と意見が合う同世代の子とテレビをみて,ゲームをやって,ちょっと悪い年上の先
輩はいなくて,家族だけで,そういう状態で学校に行っているというような生活をしてい
る人が,どうやら元気がないようです。
テレビもゲームもやっていい,ちゃんと経験があればいい。テレビを見なかったら立派
な人間なんて,そんなはずはないですね。だから,それを切ればいいという話ではないの
で,むしろ経験自体をどうアレンジしてやるか,ここが非常に難しい状態です。
もう一つ,テレビとゲームはもういいふるされているので,ここであえてしゃべりませ
ん。いろんな人がいっていると思うので,そこら辺の各論は置いておいて,最初のお話で
携帯の話が出ていましたが,これは実は犯罪学者的に一応かなり知っていますので,少し
情報提供的なことをしたいと思います。
携帯等々による犯罪,出会い系のお話です。ネット犯罪系のことに関しまして,実はわ
たし,犯罪社会学会の研究委員会というところにおりまして,来年の犯罪社会学会のイベ
ントを企画しています。そこで,インターネット犯罪というのはとても騒がれているのに,
なぜか犯罪社会学会で取り上げたことがないから,やれやれという話があります。それで
研究委員会でお話をしました。その内容は,あまり皆さんが予想していない内容ではない
かと思います。
結局,わたしが来年の 10 月にやることになりましたが,皆さんが今想像しているような
携帯犯罪の話はやらないのです。ネットは,おそるべき状況でありまして,技術関係の人
も含めた研究会に出ていますと,そもそもネットのセキュリティは全然ないのです。ミサ
イルでもコンピューターで撃つし,原子力発電所もコンピューター制御です。それが乗っ
取られない方法がないという状況です。
ということで,腕こきの人はみんなそちらへ行っています。少年がどうしたどころでは
ないのです。インターネットセキュリティは本当に穴だらけです。ということで,何が重
要かという話は議論すると難しいでしょう。安全保障レベルですから。サイバー部隊が,
外国から攻めてくるとかこないという議論に能力がある人はみな行ってしまっていると思
います。
という状況なのに,そこら辺で世間受けする題材を使ってどうするのかという議論が出
ました。出ましたが,やはりやらなければいけないという議論もあります。その議論で非
常に有力なのは,携帯の影響をどうするかということです。答えは簡単だと,状況を知っ
- 14 -
ている人の意見は一致しています。子どもに携帯を持たせるのはもってのほか,というの
で終わりです。国のセキュリティを守るプロが守れないものを持たせてどうするんですか
という,傑作なところであります。非常に簡単な話ですが,もう少し補足しないと訳が分
からないと思います。
出会い系というのを少し勉強しました。出会い系で,誰か知らない人に会いに行くとい
うことをするとどうなるか。ここでも犯罪者側から見れば分かりますし,警察庁も統計を
出していると思います。完全犯罪をやるときには足がつかないことが一番いいので,これ
までの関係がない人をやればいい。出会い系で呼び出して,したいことをしてから殺すと
つかまらないのです。警察の捜査というのは,結局地縁や恨み関係で探しますから。これ
までの知り合い,人間関係と,地理感があるかどうか,それだけです。
ということで,本当に怖い犯罪者は出会い系ほどうれしい武器はないのです。実際に殺
されているケースはたくさんあります。完全に命がけです,出会い系で会いに行くという
のは。もちろんこれもノウハウがあって,わたしも実験のためにやったことがあります。
そんな方法で知り合った人と会うときは,人込みがある喫茶店でまず会って,まともな人
か確かめてからということです。相手の指定したところへ行って,ドアを開けて入ること
は自殺行為なわけです。そういうことをやってしまうと,本当に致命的なことになるとい
うことで,かなりの犠牲者が出ています。
ということで,出会い系の事件数は少ないですが,殺される危険性がかなり高いという
状況を知って,まだ携帯を渡しますかということです。もちろんすぐ出てくるのが,親と
しかつながらないようにするとか,いろんな怪しいポルノのところを遮るとかいいます。
しかし,それを破ってくるのは実は簡単ですという話を先に前置きさせてもらいました。
というのが実際の現状です。
ただ,ここに集まる関係者でない省庁としては携帯を普及させたいという国策もござい
ますので,そこが常にいろんな問題ではあるわけです。マイナス面ばかりでないことは事
実なのですが,セキュリティ面から考えると,これは少し危ないのではないかと。それか
ら,先ほど繁華街とか夜昼のけじめの話をしましたが,昔は行ってはいけないところがあ
って,そこに夜行かなければ大丈夫でした。ネットというところは,格好よくいうとユビ
キタスですが,世界一の悪と出会えるというように認識いただければいいわけです。昔の
行動パターンとして,変な時間に変なところに行かないということで守ってきたことをす
べて捨てるというのがネットだという理解をしていただければいいです。地理的,夜昼の
境界でほとんど守られてきたというのが実際のところだと思います。そんな護衛に毎日警
察がついてくれるわけではありません。不可能です。警察としては,まじめな人が働く昼
間の時間を安全にするというのが非常に重要なので,繁華街に勝手に行って何かあっても,
それは知らないというのが世界的には常識だと思います。そこで,バンバン撃ち合ってい
ても,市民には関係ないし,自分は絶対に被害に遭うはずもないというのが昔ながらの認
識だろうと思います。これが,携帯のお話ということになります。
そういわれても,具体的にどうすればいいのかというのは,難しいわけで,それに関し
てはなかなか答えが出せるはずもないのですが,これだけではイメージがわかない人もい
ると思います。少々危険な例ですが,少しサービスしてお話ししてみたいと思います。ど
んなことをして遊んで,どうすればいいのかということです。わたしの父は,実は河合隼
- 15 -
雄ということで,ご存じの方もおられると思います。父がどんな教育をしていたか,自分
のことは絶対にしゃべらないで逝ってしまったということで,1点だけ暴露したいという
ことでお話ししたいと思います。わたしにちびがいて,父からすると孫です。うちに来て
どんなふうにするかというと,子どもが一番喜ぶことをします。ソファーのクッションで
殴り合いというようなことです。ボカーンとかやって,バタバタの大騒動で,どうなるか
というと,しまいに母に怒られるということです。これこそが不満だけど楽しかったとい
う,そういうイメージです。
この例はまだしれています。悪い先輩という話をしましたが,そういう血わき肉躍ると
いうのは,悪とつながる何かがないと本当におもしろくないというところが難しい。おか
げで3歳児の教育のためにはクッションで殴り合いということはどこの本には書いていな
いということです。しかし,確かに考えてみれば,ゲームをしたり,テレビを見たりして
いるより,あれで殴り合いをした方が殴る手加減から何から,やっぱり1対1のすごい関
係でありまして,多くのことが学べるということをこじつけたようなところもあります。
それでもちろん,ちびはめちゃくちゃうれしいという,そういう経験です。そうすると,
まさに目が輝く子どもができる。
最後に変な話を付け加えましたが,逆にこうやればうまく育つとか,青少年非行につけ
る薬とか,処方せんは出せないということはある意味で当然ですので,こういう話を最後
に少しだけ加えさせていただきました。
残り時間は,質問があれば受けたいと思います。
<質問1>
少年犯罪の傾向と社会階層との関係ということをお伺いしたい。近年,収入差にかか
わらず犯罪が起きているという意見がある一方で,やはり実態として社会階層との関連
もある。昔はほとんどが低階層グループだったのかどうか。また,現在は階層ごとの比
率というのが,データとしてあるのか教えていただきたい。
<回答>
階層データというのは公式統計には出ません。それを取ったら大騒動になると思います
ので,公式データにはないです。家裁の調査官とか,そういう人の経験則でいくしかない
ということのほかに,家族関係からは予測がつきます。やはり非行少年で両親がそろって
いない方が多いというのは確かにあります。
経済状況といっても,なかなか一概にはいえないですが,圧倒的に下層で起きていると
いうのは事実です。ただ気を付けないといけないのは,下層の少年が非行に走ると見ると
少し違うと思います。ちゃんとした家庭の子は,身元引受人が来たら帰っているわけです。
だからだという解釈があり得ます。
上層の子は家に帰してもらえるが,下層の子は,家庭に問題があるから少年院に入れる
という判断をされて残ってくるわけです。だから,調査官が相手している者がみんなそう
だというのは考えてみれば当たり前で,その数が減っているというのは,全体の貧困層全
体が減っているという関数なだけなのではないかという気がします。
むしろ上層の犯罪というのはなかなか分かりにくいのです。笑ってしまうような話です
が,わたしの知り合いのある弁護士さんは,田舎である有力者のお嬢さんが万引を繰り返
- 16 -
すのを順番に店に行って謝り,全部弁済するという仕事をして,ついに警察に一度もつか
まらなかったが,おれは何のために弁護士になったのだとぼやいていたという話がありま
す。こういうバイアスが非常に入るのです。
だから,昔から上の階層が非行しないというのはうそだし,遊び型非行というのも有名
ですが,これも大昔からあると思います。なぜかというと,盗みや万引をするときは,物
が欲しいのではなくてスリルなのです,少年にとっては。金持ちの子も貧乏人も一緒です。
そもそも品物とか生活に困ってという犯罪自体が少なくて,もう少し年をとってひどいこ
とをやる人でも,何のためにお金を取ったかというと,遊興費なのです,目的は。生活費
のために犯罪するというのは,むしろまず聞かない話でありまして,生活費に困ったら誰
でも働くことを考えるということです。生活水準と非行という点ではこのぐらいのことか
と思います。
<質問2>
携帯電話とかインターネットの問題について,これからの未来,将来がすごく暗いも
のなのか,そうではなくて,どのような明るい未来,可能性が今後考えられるのかとい
うことをお聞きしたい。
来年の犯罪社会学会で携帯とかインターネットのことを取り上げるということをお聞
きしたので,その辺の展望も含めてお尋ねしたい。
<回答>
携帯を取り上げる,取り上げないというので,いろいろいっても後戻りができないこと
をいつもいわれますが,ミクロには簡単で,親が取り上げたらおしまい。まさにそこが弱
くなっているのだと思います。渡さないで取り上げたらおしまいだと思います。法律も何
も要らない,すごく簡単なことだともいえませんか,ということを申し上げたいです。
現実の政策的にどう持っていくかですが,わたしがほえても駄目だというのは,もちろ
ん認識していますが,そういうことがいいたい。
それから,結局インターネットの使い方を覚えればいいのだという議論も非常にやられ
ていますが,最後にクッションでの殴り合いの話をしたのを思い出してください。ネット
の使い方がどんどんうまくなっていっても,本当の人生経験をするためにははっきりいっ
て無意味です。だから,やはりかなりネットに対しては否定的に見ざるを得ないのであり
ます。ネットの使い方がうまくなって,出会い系のときに出会うときはこういうふうに会
えとか,だんだん分かってきたからといっても,救いにはなりません。
何で子どもたちが携帯とかに興味があるかというと,自分の周りにおもしろいことが何
もないのだと思います。ネットの世界だけが血わき肉躍るものがあるかもしれないという,
ある意味でフロンティアです。それで引き付けられているということなので,やっぱり実
社会側にそういうものがなければならないというのが本来の方向性だろうと思います。
少しだけついでにお話しします。社会学者的に非常におもしろいと思っていますのは,
携帯でとんでもない人と会うから危ないという話もしましたが,逆にむしろ起きているの
は,番号を見て友達しか出なくて,本当の狭い友達としか付き合わない。少しでも会うの
にエネルギーが要る人はみんな避けてしまうという形にいくというのも1つの現状だと思
います。
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非常に小さなサークルで,自分と馬が合う人だけが友達という,これがむしろ引きこも
りや,フリーターとつながっていくという話なのではないかと思います。こういうことが
ますます許されるユビキタス社会になって,気に入った人とだけ付き合えるような社会に
なるのかどうかという点におきましても,やはりそちらには行けないだろうと思っていま
す。実はものすごくおもしろいことが 2009 年から始まります。裁判員制度です。凶悪事件
を起こした一番会いたくない人が目の前に来るのです。直接対面です。これを強制されて
断れない。何ておもしろいことでしょうとわたしはいいたいです。そういう対面の対決を
避けられないというのも一方では制度化して進んでいて,一方ではどんどん避けられる機
会も進んでいて,両方引っ張り合いという状況ではないかなという認識をしています。
だから,単純に何かの傾向が見えて,それだけ見ていてもいけない。どこかでそういう
直接対決の意味というのを何らかの形で復活させるモーメントは社会から出てくるだろう
と逆に思っています。
犯罪社会学会で,携帯の話もラウンドテーブルということで一応やりますが,わたしは
先ほどいった本場物のセキュリティの話を正式シンポジウムでやります。この携帯サイト
系の話題というのは,まだたぶんここではっきり何か犯罪学的に結論が何も出ない状況だ
から,ラウンドテーブルというかなり気楽にみんなでディスカッションしましょうという,
その程度の段階であります。
<質問3>
「大邸宅と貧乏長屋が隣り合わせの伝統」という部分と,
「少年(人間)を勉強させる
方法働かざるもの食うべからず
地獄に落ちる←受験地獄をさける」という部分のお話
を聴かせてもらいたい。
<回答>
地域といいますけど,海外と比較すれば分かりますが,金持ちの安全地帯とスラムに分
かれています,ヨーロッパもアメリカも。そういう地域が日本にはゼロではないですが,
限りなく少ない状態で,必ず自分の地域は自分の地域だと思っている人がいます。ある種
地域社会としては健全で,さっきのニュータウンと逆です。これもイメージ的にお話しす
ると,時代劇的秩序です。貧乏長屋があって,偉い人もいてという状態で,いつも同じ人
がトラブルを起こします。昔の狭い社会というのは。また,同じ人が出てきて収めるます。
一件落着でまた繰り返します。これが時代劇的秩序一件落着というものです。そういうも
のがないと地域というものは成り立たないので,地域を何とかという話をしたら,必ずリ
ーダーがいないと駄目なのです。そのつながりでお話ししているということで,これはま
ちづくりの観点からも非常に大事ですし,ニュータウンというのは簡単につくれません,
工事だけではつくれないということだと思います。
「少年(人間)を勉強させる方法
働かざるもの食うべからず
地獄に落ちる←受験地
獄をさける」です。勤勉たれとどの国でも昔からいいますが,わたしのように勉強が好き
で学者になったことになっている者でも怠けたいのです,はっきりいって。指導教官にど
なられながらやっていたりします。やはり教育で勉強するのは強制されないとできないと
いう側面はあるものです。だから,その見張り役をつければ,教えるのが下手でも塾か家
庭教師をつければ成績が伸びたりするという,そんな現状もあるかと思います。
- 18 -
そこで,働かせたり勉強させたりするというのをどうするかです。ものすごく大局的な
時代考察をすれば,働かざる者食うべからずという恐ろしいことばがあって,宗教上は,
正しい行いをしないと「地獄に堕ちるぞ」と脅かしていたのです。結局,そういう脅かし
でやらせていました。地獄に落ちたくないからまじめにやらなければしようがない,とや
っていたのが,普通の人だと思うのです。
ところが,今は受験地獄の方が地獄なら,それを避けたいとみんな勉強をやめても何の
不思議もない。避けた後,本当の地獄が待っているというのは生徒たちには見えない状態
なのです。10 年前は,有名私学に落ちて人生敗れたりと,しゅんとしている子が入ってき
まして,それを元気づけるところから指導開始だったのです。今は違います。全然戦わな
かったという子が入っているのです。それが今の状況という印象を持っていますし,受験
地獄というのもフィクションだということもあるので,このメタファには限界もあると思
うのです。受験地獄の内容はどういうものかというのはまた検討が必要で,一橋では,地
獄をくぐってきているような顔をした子は見たことがありません。そういう意味ではこの
地獄も偽物という面もあります。だから,いずれにしても単純な仕掛けで,真ん中より低
いかそのぐらいの人たちにもきちんと導く必要があって教育しないといけないという発想
に立ったときに,今方策がなくて,自由とか個性とかいう抽象的な言葉とか,体罰はいけ
ないとか,どうやっていいのか分からないという状況かなという感じがします。
<質問4>
「校区が地域社会の最後のとりで」というフレーズを,少し詳しくお聞かせいただけ
るとありがたい。
<回答>
これに関してはいろいろ考えていますが,まだまとまらないところもあります。地域人
間関係がなくなってきたのは,水道ができて,井戸端会議が駄目になったからという話も
ありますが,買い物で主婦同士が会うというのが大型店やコンビニで消えてしまったこと
です。車で買い物に行くようになったというので,別に大型店が最後の一押しをしただけ
であって,特に悪いということではないのでしょうが,しかし,それで非常に近所付き合
いがなくなってきたとどめになったと思います。
そうすると,最後に残ったのが,どうやら学区であります。自分のところに子どもがで
きれば分かるのですが,3歳の子は3歳の子としか遊べないのです。あまり大きい子とは
遊べないし,赤ん坊とも遊べません。だから,必ず近所に遊び相手の同じ年齢の子が必要
です。それで,いや応なしに付き合うようになって,公園デビューとか,幼稚園へ行って
関係ができます。それでへたばる人もいますが,だから,人間関係を持たなきゃいけない。
地域というのを考えざるを得ないところに子どもが入ってきて,これが最後のとりでにな
っているという,これは単なる実態描写であります。しかし,これを生かさない手はない。
それから,学校での事件があって,警察との連携というところで問題になりましたけども,
本当は1つのまとまったコミュニティというのがあればいい。校区の境界と警察署の管轄,
その他消防署の管轄とか,ひとそろいがあって1つのコミュニティなのです。
地域社会の復活という,その行政区全部,ひとそろいそろえなければおかしいのです。
それが可能な地域もある。京都なんかはそうでしょうが,警察署の管轄と学校の校区をき
- 19 -
っちり一致させる。1対1でなくてもいいのですが。というようなことはやろうと思えば
できる地域もありますが,学校とか警察署を建てなれば無理というところもあります。ま
さに地域のひとまとまりということを考えないでやってきました。わたしが住んでいると
ころでも,どこからどこまでが地域か,線を引けといわれたら分かりません。そういうよ
うな境界なし状態になっているということです。
さっきのニュータウンの逆ですが,校区内にハンディを持ったような人もいれば,非常
にすごい人もいて,いろいろな人がいるということが人生経験のために必要なので,教育
バウチャー制というのはとんでもない話で,いい学校に,遠くに通うことこそ最悪ではな
いかというのがたしの意見であります。
だから,小学校で越境なんかやらない。高校レベルで学力が違うところで学ぶのは,あ
る程度仕方がないと思いますが,せめて小学校ぐらいは地元に通い,その中にさきいった
長屋もあれば,大邸宅もあるということこそが,健全なコミュニティであり,いろいろな
人がいるという人生経験の根本になるというイメージを持っています。これも後戻りさせ
るのをどうするのですかと突っ込まれたら,わたしにそんな腕力はありませんが,こうい
う問題があるということを我慢強くあちこちで話しているという,そういうところであり
ます。
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