宝塚市立中央図書館 2014 年 11 月 1 日(土) 市民のための文学講座 「物語の転生、小説の誕生」 第1回 上橋菜穂子の世界-『精霊の守り人』シリーズを中心に- Ⅰ 上橋菜穂子について ・1962 年 東京生まれ。父親は洋画家の上橋薫。 ※『明日はいずこの空の下』(2014)に父の画が使われている。 ・中高一貫教育のミッションスクール香蘭女学院に入学。中学では軟式テニス部に入部。 中2からは文芸部に。ファンタジー、SF、ミステリー、児童文学、漫画を読む。 ※研修旅行で英国へ。ルーシー・M・ボストンと会う ・立教大学文学部史学科、大学院へ進み、文化人類学を専攻する。オーストラリアの先住 民アボリジニ研究を専門とする。 ※女子栄養大学助手を経て、現在、川村学園女子大学教授。 ・1989 年 『精霊の木』でデビュー。 ・1990 年 西オーストラリア、ミンゲニュー州のセント・ジョセフ小学校に赴任。 (インタ ーナショナル・インターンシップ・プログラムにより、三カ月間のボランティアとして) ・1991 年 『月の森に、カミよ眠れ』 日本児童文学者協会新人賞 ・1996 年 『精霊の守り人』 (シリーズ完結は 2007 年) ※野間児童文学新人賞、産経児童出版文化賞、日本児童文学者協会賞、路傍 の石文学賞、巌谷小波文学賞、小学館児童出版文化賞、児童文化福祉賞、J BBYオナーリスト、ミルドレッド・L・バチェルダー賞などを受賞 ・2003 年 『狐笛のかなた』 野間児童文芸賞 ・2006 年 『獣の奏者』闘蛇編・王獣編(2009 年に探究編・完結編) ・2007 年 アニメ『精霊の守り人』 (神山健治監督)全 26 話が NHKBS で放映される。 ・2008 年 『精霊の守り人』が英訳され米国で発売される。 (キャシー・平野訳) ※《守り人シリーズ》は、現在までにアメリカ、イタリア、スペイン、ブラジル、 フランス、中国、台湾で翻訳出版。 『獣の奏者』は 1、2 巻がフランス、ドイツ、 スウェーデン、タイ、韓国、台湾の 6 カ国で出版されている。 ・2014 年 国際アンデルセン賞作家賞を受賞 ☆『物語ること、生きること』 (2013、上橋菜穂子/構成・文 瀧晴美、講談社) ……物語との出会い、文化人類学との出会い、アニメ化、翻訳化などについてやさしい 口調で語っている。 ☆『明日は、いずこの空の下』 (2014、上橋菜穂子)…旅のエッセイ 1 Ⅱ 「精霊の守り人」について ⑴ハイ・ファンタジー(異世界ファンタジー) ・新しい世界を創造する……ことば、国、社会、歴史、自然(地形)、動物、植物など。 ・人間の住むこの世界と重なるようにしてもう一つの世界があるという世界の二重構造 性。ヤクーは人間の住む世界をサグと呼び、もう一つの世界をナユグと呼ぶ。 ・建国 200 年の新ヨゴ皇国。先住民ヤクー。 ・呪術師(トロガイ、タンダ)と星読み博士(シュガ)、二つの文化の知恵 ☆ナユグ/サグ、新ヨゴ皇国/他の国々、移民/先住民(ヤクー)、……複数性 ⑵アウトライン 三十歳の女用心棒・短槍使いのバルサが、川に落ちた新ヨゴ皇国の第二皇子チャグムを 救う。二ノ妃の館に招かれたバルサは、二ノ妃から思いがけない依頼を受ける。チャグム に正体のわからぬなにかおそろしいモノがやどっている。神の子孫と称している帝の威信 に傷がつくことをおそれ、帝は事故に見せかけてチャグムをなきものにしようとする、そ れに気づいた妃は、チャグムを守って逃げることをバルサに依頼する。バルサは、チャグ ムを守りながら、幼なじみの薬草師のタンダやその師匠である呪術師トロガイの助けをか りてチャグムに宿ったものの正体を探ろうとする。 主人公たちのいる世界〈サグ〉と重なり合うようにして、〈ナユグ〉という異世界が存在 しているという大きな世界設定のもと、帝の放った暗殺者〈狩人〉や異界から現れるラル ンガ〈卵食い〉と闘いながら皇子チャグムを守るという活劇的な展開と、皇子に宿ったも のの正体は何かという謎解き的な物語展開とが交差しながら物語は進行していく。 この物語の魅力は、バルサをはじめとする登場人物の造型の確かさ、創造されたファン タジー世界の「新しさ」 、大衆娯楽時代劇的な「馴染み深さ」、そして児童文学の持つ「生 きることに対する真摯さ」などがうまくブレンドされ、物語としてのハーモニーを生み出 しているところにある。 ☆タイトルの二重性 「精霊の守り人」とは、直接には精霊の卵を守っているチャグムをさすが、この「守り 人」ということばは女用心棒バルサをも含意している。 《バルサ〈チャグム(精霊の卵) 〉 》 ⑶謎はどのように解かれていくか(ミステリ的な面白さ) 皇子チャグムに起こった異変の正体が、 《建国正史、ヤクーの伝説・口承、古代文字で記 された手記、民間の祭り》などから、少しずつ明らかになっていく。皇子に宿った精霊の 卵を狙っているラルンガ〈卵食い〉の正体、その倒し方など、謎が次々と提示され、そし 2 て解かれていく。 不思議な現象は百年の周期。二百年前の新ヨゴ皇国の建国神話とも関わり、謎を解くこ とは、建国神話に秘められた政治的な意図・策謀をも知ることにもなる。 権力者・征服者の側の知恵(その象徴としての古代文字)と被征服民ヤクーの側の知恵(そ の象徴としての語り・口承や歌)とがともに動因される。互いに異質な知恵が相補いあって、 真相に接近していく。 ⑷さまざまな魅力 ・勧善懲悪ではなく、相対的な善悪の世界。悪と戦うのではなく《状況》と戦う。 ・活劇の魅力……バルサ/狩人、バルサ+狩人/ラルンガ(異世界からの怪物) ・食べ物の魅力 ・ジェンダーについて……バルサ/タンダ、 「妊娠する少年」 、仕事を持つ女 ・経験と教育……大人であること(ジグロとバルサ)。 バルサ⇒チャグム(野ウサギの皮の剥ぎ方、燻製の作り方、武術の基本、 人生を語る) ⑸こどもはいかにして大人になるか、イノセンスはどのように壊れるか 芹沢俊介『現代〈子ども〉暴力論』の序「イノセンスの壊れる時」より① ・自分が生まれてきたこと、そのことに対して、当人には責任がありません。イノセンス という考え方は、生まれてきたということに関しての、この疑いがたい事実に根拠を置い ています。 ・自分の生誕に自分は関与していない、関与できない。にもかかわらず、私はこの体、性、 親、名前などという現実を「書き込まれて」この世界に生まれてきたのです。 ・つまり、人間は世界に対して「自分には責任がない」という心的な場所を、根源的に内 在させてしまっているのだ。 そして、芹沢俊介は、イノセンスの表出と、その肯定的な受け止めによってイノセンスは 解体される基盤を持つ、と述べている。 ☆チャグムの「イノセンスの表出」とバルサの「肯定的な受け止め」 芹沢俊介『現代〈子ども〉暴力論』の序「イノセンスの壊れる時」より② ・成熟とは、現実とか世界というものを等身大で受け入れることができるようになるとい うこと、責任ある態度で、世界を肯定できるようになってゆくプロセス全体を指していま す。 ・成熟してゆくということは、こうしたメッセージ(自分には責任がない。藤本注)を「自 分には責任がある」というメッセージに、自分の手で「書き換える」こと、転換してゆくこ とを意味しているのです。そのためには大きな飛躍が不可欠となります。 3 ⑹先説法(proleps) ……あとから生じる出来事をあらかじめ語るか喚起する語りの操作(ジェラール・ジュ ネット『物語のディスクール』 ) ☆この語りの方法は、物語の進行をはるか高みから鳥瞰しているような印象を与え、一 種運命的な距離感を持たせる。人々がいかにあがこうと、進行していく運命がある、とい う風な。 《運命と人間の覚悟》 ……「なぜ、ととうてもわからないなにかが、とつぜん、自分をとりまく世界をかえて しまう。その大きな手のなかで、もがきながら、ひっしに生きていくしかないのだ。 」 このテーマは最新作『鹿の王』 (2014)でも変奏される。 Ⅲ 「守り人」シリーズについて・シリーズの生み出した豊かなもの ⑴この世とかさなって存在するもうひとつの世界がある、という設定 この二つの世界は重なり合い支えあって存在していて、ときに、越境してくるものがい る。精霊の卵、ラルンガ〈卵食い〉 (『精霊の守り人』)、〈山の王〉・水蛇(『闇の守り人』)、 タルハマヤ( 『神の守り人』 )など。 それらは、人々に畏怖の念を抱かせ、各国の建国神話を生みだしてきた。新ヨゴ皇国の 聖祖トルガルの水妖退治の話、カンバル王国〈ルイシャ贈りの儀式〉の始まりの伝説、ロ タ王国ではサーダ・タルハマヤ退治の物語。神話の創造はそれに伴う儀式を生みだす。神 話は権力者による偏差(バイアス)のかかったものとして相対化され、儀式は伝承される うちに本来の意味が見失われてしまっている危険性が示唆される。 この新ヨゴ皇国、カンバル王国、ロタ王国のかつての建国神話が、バルサたちによって 再演されて、その真実の姿を現し神話は脱神話化される、というのが『精霊の守り人』、 『闇 の守り人』 、 『神の守り人』三作の大きな共通点。バルサはラルンガ〈卵食い〉と闘い、〈闇 の守り人〉と槍舞いを演じ、チャマウ〈神を招く者〉であるアスラがサーダ・タルハマヤ 〈神とひとつになりし者〉となることを食いとめようとする。 タルシュ四部作は、ファンタジーの要素がやや抑えられ、歴史小説の様相を呈している が、不思議な現象は、物語の背景で少しずつ進行し、やがて大きな流れとなり、物語の最 後では前景にあふれ出してくる。これまでとけることのなかった万年雪が溶け、第三部の ラストで大洪水が起き、青弓川の濁流は新ヨゴの戦場も都も押し流してゆく。 ⑵二つの世界のはざまに位置する者たちを創り出している。ナユグ・ノユーク・ナユー グルなどのもう一つの世界を見ることができたり、関わりを持ったり、ときにそちらの世 界にゆくことができたりする者がいる。 『精霊の守り人』チャグム、 『神の守り人』神タルハマヤを呼び寄せることができるアス 4 ラ、『虚空の旅人』 〈ナユーグル・ライタの目〉、『天と地の守り人』オ・チャル〈群れの警 告者〉 ⑶トロガイやタンダ、あるいはヤトノイ・ラスグ(タルシュ帝国の密偵) 、スファル(ロタ 王国のカシャ〈猟犬〉 )といった呪術師たちが大活躍する。魂を飛ばして魂の世界(夢の宿 る花の世界など)へ行きそこで闘い、あるいは魂を鳥や獣に宿らせ探索の道具として使役 し、また魂を飛ばして遠くの地へのコミュニケーションを実現させる。 ⑷不思議な人間や生き物が登場する。ホビットを連想させる牧童、もっと小さな夜行性の 小人である〈オコジョを駆る狩人〉 、地下水脈を泳ぎバルサたちを運んでくれた生物〈水流 の狩人〉 、素晴らしい歌声を持ち〈木霊〉から若さを与えられた〈木霊の想い人〉など。 ⑸自然界の動植物も作者は次々に創造していく。毒を持つトガルは少量使うと瞳孔が開き 闇の中でも目が見えるとされ、ユッカルの葉の汁には温熱効果がある。人を呪うときに使 う焦げくさい臭いのするドルガの根、骨が闇の中でも光るという魚ジャゴー、異界から聖 なる川が流れてくると輝くと伝えられているピクヤ〈神の苔〉。食材となる植物や魚、それ らを使った料理や菓子など。 ⑹それぞれの国の権力に連なり支える者たちとして、〈狩人〉、〈王の槍〉、〈猟犬〉、〈鷹〉、 さらに聖導師、星読博士、 〈道の終りまできた者〉などが配され、一方その権力を監視する 者としての牧童、タルハマヤ〈おそろしき神〉の来訪をふせごうとする〈陰の司祭〉 、国や 権力から自由に生きる〈海をただよう民〉、さらに人買いの〈青い手〉あるいはトロガイの ような呪術師など、様々な人々や職能集団が物語世界に登場する。 ⑺習俗を創造。〈償い行〉、黄色の布で死者を悼む習俗、〈海の恵みの子〉、〈船の魂〉、隊商 の護衛をするバルサたちの用語にホイ〈捨て荷〉 。 ⑻新ヨゴ皇国、カンバル王国、サンガル王国、ロタ王国、タルシュ帝国などの国々の歴史 的成り立ち、建国神話、自然地形条件、経済的条件、民族構成、内部対立、などがくっき りと描き分けられている。それぞれの国の抱えている問題が明らかに。それぞれの国は、 政治形態や政治的イデオロギーを異にし、どれ一つ同じものはない。 ⑼登場人物は皆個性的に描き分けられ魅力的。何のために闘うかという価値観がそれぞれ に異なる。ポリフォニックな(多旋律的・多声的な)魅力が生まれている。『神の守り人』 のシハナ、 『蒼路の旅人』のタルシュ帝国の密偵ヒュウゴなど。 5 《文化人類学の知見+児童文学の精神》 ☆世界の多様性、価値観の相対性、善悪二元論ではなく善悪の相対性、 ☆生きることの肯定感、大衆娯楽作品の持つ安定性(困難に負けず、子どもを守り、愛 する者を救う。仲間・協力者の存在) Ⅳ 物語の転生 ⑴物語と小説はどう区別するか ・概念の範囲としては物語の方が大きい。小説も物語の一つの形式といえる。 ・あえて、対立的なものとしてとらえようとすれば、 物語《語る・聞く》 ⇔ 小説 《書く・読む》 ・型の力、磁場が働く ・型から比較的自由 ・何をしたか(行為) ・何を考えたか(心理) ・時間は比較的単純 ・時間はいくらでも複雑にできる ⑵物語の転生の例 ・世界で採録されている「シンデレラ」は 450 を超える ……『人類最古の哲学』中沢新一 ・ 「ロビンソン・クルーソー」の変形譚は三百年間に千を超える ……『ロビンソン変形譚小史』岩瀬龍太郎 ・明治以降書きとめられた「桃太郎」は六百を超える ……『桃太郎の運命』鳥越信 ⑶新しい物語・小説を生み出す三つの源泉 ①読書体験……おはなしから映画まで、広い意味での物語体験を含む ②現実の経験……友人、恋愛、仕事、子育て、事件、災害などの実体験、 ③事件・歴史に対する調査・意味づけ ⑷「守り人」シリーズの場合 ①シリーズ化、前日譚、外伝 ②異なるテキストの誕生⇒翻訳 ③別メディアでの展開⇒ラジオドラマ化、アニメ化、マンガ化、実写ドラマ化 ☆NHKが、 「守り人シリーズ」全十巻を、2016 年春から 3 年にわたり全 22 回放送。主演 は綾瀬はるか。 6
© Copyright 2024 Paperzz