第 13 講

第 13 講
ギ リ シ ア 哲 学 と ロ ゴ ス( 其 の Ⅰ)
本講では「ロゴス」
(理性)ないし「ヌース」
(知性)概念のギリシアにおける意味と、それらがギ
リシア哲学においていかなる役割を演じたかを考察します。
「ヌース(知性)は外から入ってきた。
」
ロゴス(理性)ないしヌース(知性)はギリシアの哲学者たちにとっても過大な原理であり、それ
に対する彼らの対処は「ロゴス(理性)ないしヌース(知性)は外から入ってきた」と言うことでし
かなかった。
西洋哲学の「ロゴス中心主義」
(Logos‐centralisme)に対する告発がポスト・モダニズムの側か
らなされてすでに久しくなりますが(デリダ)
、この告発はギリシアにこそ当然向けられるべきものと
受け取られています。と言うのも、一般にギリシアこそロゴス概念(理性概念)の発祥の地とされて
いるからであります。
「ロジックはギリシア人の発見である」とジョナサン・バーンズはその大著 The
Presocratic Philosophers(Routledge 1982)の劈頭で語っています。ロゴス(理性)が初めて明確
な姿を取って現れたのがギリシア人の意識においてであったことは疑いありませんが、ところがその
ロゴス(理性)は実はギリシアの哲学者にとっても過大な原理であり、その到来を彼らは驚きと当惑
をもって受け止めたと言えば、意外とされるでしょうか。ここでしばし立ち止まって、ロゴス(理性)
はそもそもどこからきたのか、ギリシア人にとって一般にそれはどのような意味を持っていたのか、
そしてそれは自然概念(ピュシス)や主観性原理とどのように関係し、それら両原理に対していかな
る振る舞いを演じたのかを見ておきたいと思います。いずれにせよ、ロゴス(理性)やヌース(知性)
は構造的な自然概念
(ピュシス)
とも主観性原理とも異なる第三の原理として登場してくるのであり、
このことはロゴス(理性)を主観性内の一能力としか見ない、したがって主観性の視点でしかロゴス
(理性)を問題としないわたしたち近代人に何がしか示唆するところあるでありましょう。
実はロゴス
(理性)が主観性の中に閉じ込められるかどうかという点に、古代哲学と近代哲学の最大の争点があ
るのであります。近代の啓蒙哲学の代表とも言うべきカントの批判哲学は、
「理性」
(Vernunft)が主
観性の一能力であることを当然のこととし、そのことを前提として、その理論的能力や実践的能力に
ついて吟味を加えるものであったのに対し、古代哲学は、以下にも見るように、ロゴス(理性)を一
般に主観性を越えた世界を取り巻く原理として位置づけ、そこから世界内におけるその痕跡を探し出
そうとするものなのであります。ロゴス(理性)は主観性の内にあるのか、それともその外にあるの
か、これこそが両哲学間の基本的争点であったと言って過言でないのであります。ここでもロゴス(理
性)をめぐって主観性と存在が覇を競っていたのであります。言ってみれば、近代哲学はロゴス(理
性)をめぐって古代哲学を転倒させたところになったものであると言って過言でないのであります。
さて、ロゴス(理性)ないしヌース(知性)はアリストテレスの哲学をもってしても処理し切れな
かった原理であって、これに対するアリストテレスの対応は「ヌース(知性)のみは外から入ってく
る。そしてそれだけが神的である」
(アリストテレス『動物発生論』第 2 巻、第 3 章、736 b 27)と
いうものであります。
1
アリストテレス(
『動物発生論』II 3. 736 b 27)
そうすると残るところは、ヌース(知性)のみは外から入ってくる、そしてそれだけが神的で
あるということである。と言うのも、身体の活動はヌース(知性)の活動と共通するところ何も
ないからである。
『動物発生論』第 2 巻、第 3 章のこの箇所から、ヌース(知性)ないしロゴス(理性)と身体性(自
然性)の差異意識がアリストテレスにおいていかに大きかったかが窺われます。
「身体の活動はヌース
(知性)の活動と共通するところ何もないからである」というこのアリストテレスの認識の断定性を
曖昧にしてはなりません。潜在層からの自然概念(ピュシス)の呼びかけに忠実であったアリストテ
レスにとってヌース(知性)ないしロゴス(理性)と「自然性」
(身体性)の差異性は調停不能な差異
性であり、それらを融和させることは彼にはどうしてもできませんでした。その結果、アリストテレ
スにとって唯一残る解決策は「ヌース(知性)は外から入ってきた」と言うことでしかなかったので
あります。ヌース(知性)は、アリストテレスにとっては、わたしたちの身体内にあってもなお「神
的なもの」
(θειον)なのであります。言い換えれば、いかんとしても自然(ピュシス)に解消し
えない原理なのであります。
「ヌース(知性)は外から入ってきた」というこの思想はしかしアリストテレス哲学にのみ特有の思
想ではなく、この同じ思想をわたしたちはピュタゴラスにもヘラクレイトスにもアナクサゴラスにも
デモクリトスにも見出すことができます。アリストテレスの言うところによれば、古くはオルペウス
にも見られたようであります。むしろこの「ヌース(知性)は外から入ってきた」というテーゼは、言
い換えれば、ヌース(知性)は本来は主観性の外にある原理であったというテーゼは、初期ギリシア
の自然哲学の世界においては一般的なテーゼであり、ギリシア自然哲学者たちの共通認識であったと
言って過言でないのではないでしょうか。ピュシス(自然性)とロゴス(理性)の差異性は彼らには
まだ鮮明に感じ取られていたのであります。否、むしろ、それらは容易には調和の図れない原理とし
て意識されていたのであります。
セクストス・エンペイリコス(
『諸学者論駁』VII 127-129)
そしてロゴス(理性)が真理の審判者であると彼〔ヘラクレイトス〕は主張するが、しかしど
のようなロゴス(理性)であってもそうだと言うのではなく、
「共通の神的なロゴス(理性)
」が
そうなのである。なぜならわたしたち〔の世界〕を取り巻くものは理性的で知的であるというの
がこの哲学者〔ヘラクレイトス〕のお気に入りの言だからである。・・・ ところでヘラクレイトス
によれば、この神的なロゴス(理性)を吸い込むことによってわれわれは知的となるのである。
そして睡眠中は忘却しているが、目覚めるとまた再び意識あるものとなる。
アエティオス(
『学説誌』IV 5,11)
ピュタゴラス、アナクサゴラスは、ヌース(知性)は外から引き入れられたとする。
ヘルミッポス(
『天文学について』II 1,13)
[ヨハネス・カトラレスによる]
〔デモクリトスによれば〕何かあるより神的なものがその中〔人間の身体の中〕に流入してき
て、それがために人間はヌース(知性)とロゴス(理性)と思考に与り、諸存在を探究すること
2
ができるようになったのである。
アリストテレス(
『デ・アニマ』A 5. 410 b 22)
いわゆるオルペウスの詩の言説もこの反論を免れないのであって、それと言うのも、その言説
によれば、魂は生物が呼吸するときに風に運ばれて宇宙からその中に入ってくるからである。
「ヌース(知性)は外から入ってきた」というテーゼが初期ギリシアの自然哲学の世界においてほぼ
共通認識になっていたことは以上の証言からしても知られますが、さらに立ち入ってギリシアの自然
哲学を見るとき、このテーゼがさまざまな姿を取ってわたしたちの前に立ち現れているのに気づかさ
れます。ロゴス(理性)ないしヌース(知性)の発見ないし到来はやはりギリシアの哲学者たちにと
っても大きな驚きだったのであり、その衝撃の残響ないし余波がギリシア思想史の中でさまざまな姿
を取って現れているということでありましょう。そのことを物語る諸思想からその到来時の衝撃力が
窺われます。
ヘラクレイトスによれば、ロゴス(理性)は本来は世界の周辺を取り巻く原理ですが、この周辺を
取り巻く「共通の神的なロゴス(理性)」(ο κοινος λογος και θειος)を呼吸
と共に吸い込むことによって初めてわたしたちは知的となるのであります。しかし「われわれの中の
ヌース(知性)
」(ο εν ημιν νους)は「周辺を取り巻くロゴス(理性)」との交流を不断
に保持していなければならず、それから切り離されるなら枯渇してしまいます。ヌース(知性)はし
たがって常にその故郷たる周辺部のロゴス(理性)に憧れており、それを「窓から覗くように感覚の通
路から覗き見て」います。そしてそれとの交流を回復するなら、炭が火に近づいて灼熱するごとく、
また再び輝きを取り戻すと言います。
この認識はロゴスの哲学者ヘラクレイトスの哲学思想の基幹部分をなす認識であり、例えば法(ノ
モス)をわたしたちは「城壁を守るように」守らねばならないと主張する彼の立場を支える基礎理論
ともなっています。
法
(ノモス)
は、
ヘラクレイトスによれば、
「共通の神的なロゴス
(理性)」
(ο
κ
οινος λογος και θειος)のポリスにおける現れに他ならないのであって、
「人間の
法はすべて神の一なる法によって養われている」
(ストバイオス『精華集』III 1,179)というのが彼
の信念でした。わたしたちの中の思想も、それが命あるものでありつづけるためには、主観性を越え
た存在の真理とも言うべき「共通の神的なロゴス(理性)」によって養われつづけねばならないという
深い洞察がこの命題には表現されています。のみならず、まさに彼の主観性攻撃を支える理論がこの
「共通の神的なロゴス(理性)」という彼の基本認識なのであります。このことについては次講の「ロ
ゴスの哲学者ヘラクレイトス」の項で詳論します。
以上のことはロゴス(理性)ないしヌース(知性)がギリシア哲学の全史において、特に初期ギリ
シアの自然哲学において、基本的に自然性(ピュシス)と調和しない原理として強く意識されていた
ことを物語っています。しかもそれは自然性(ピュシス)と調和しないだけでなく、むしろ多くの場
合に自然(ピュシス)に対立する原理として意識されているのであります。特にアリストテレスにお
いてそうであります。実は多くの場面においてギリシアの自然哲学者たちのロゴス(理性)やヌース
(知性)に対する態度は、その表向きの礼賛とは裏腹に、複雑なものがあるのであって、例えばアリ
ストテレスが存在の不動性を説くパルメニデス説を「ほとんど気違い沙汰である」として告発すると
きも、彼はその責めを「論理の整合性に注目し過ぎた」結果として、ロゴス(理性)に負わせている
のであります。アリストテレスにとってパルメニデスはまったく理解不能な哲学者でしたが、その責
3
を彼はパルメニデス個人ではなく、ロゴス(理性)に帰している訳であります。
アリストテレス(
『生成消滅論』A 8. 325 a 13)
以上の議論から彼らは理性にしたがうべきであるとして、感覚を踏み越え、感覚を無視して、
「万有は一にして不動である」と主張し、また一部の人たちはその上「無限である」とする。と
言うのは〔それを限定されているとしても〕
、その限定は空虚に向かって限界づけることになろ
うからと言うのである。かくして、一方の人たちはこのようにして、また以上のような理由に基
づいて、
「真理」に関する自説を唱えたのであるが、しかし論理の上からはこのような帰結が導
かれるように思われるにしても、事実の上からはそのように考えるのはほとんど気違い沙汰であ
るように見える。
ピロポノス(
『アリストテレス「生成消滅論」注解』157,27)
彼〔アリストテレス〕は、パルメニデス一派の人たちが事実の明証性には全然注意を向けない
で、論理の整合性にのみ注目すべきと考えている点を非難しているのである。
アリストテレスはパルメニデス自身は救いたかったようであります。もちろんアリストテレスない
しはペリパトス派のこのパルメニデス解釈は誤解であります。
アリストテレスのパルメニデス解釈は、
パルメニデスの「存在」
(το εον)を感性的存在と決めつけた上で、パルメニデスの存在思想が
感性的存在と調和しないために、パルメニデスの存在思想を認識や思考に係わる論を感性的存在に不
当に転用したものであると断定するもので、そこではパルメニデスが二重に誤解されています。第一
はパルメニデスの「存在」
(το εον)を感性的存在と解したことにおいて。第二はその存在思想
を思考に係わる論の感性的存在への転用と見た点において。何という誤解、何という不当でありまし
ょう。後に見るように、パルメニデスの存在の唯一不動性の主張の根拠は「非存在」(το μη
εον)という概念の自己矛盾性の洞察にあるのであって、
「論理の整合性」にこだわり過ぎた結果に
あるのではありません。こういった解釈はパルメニデスの存在思想をプラトン主義の延長線上に置く
もので、アナクロニズムであります(第22講:パルメニデス(其のⅠ)
、第23講:パルメニデス(其
のⅡ)参照)
。
ところで、この自然性(ピュシス)との異質性をその基本性格とするヌース(知性)をその自然哲
学の説明原理として導入することを最初に思い付いた自然哲学者はアナクサゴラスですが(第17
講:アナクサゴラス参照)
、結局アナクサゴラスはこの原理をその自然哲学において使い切ることが
できませんでした。着想としてはよかったかも知れませんが、それを使い切ることができなかったこ
とによってアナクサゴラスは、結果として、自然性(ピュシス)とのその差異性が彼にとっていかに
根本的であり、かつ根深いものであったかを露呈させています。
アリストテレス(
『形而上学』A 3. 984 b 15)
そこである人が、ちょうど動物の内にあるように、自然の中にもヌース(知性)があり、それ
が世界とそのすべての配列の原因であると言ったとき、それ以前のよい加減に語っていた人たち
に比べて、この人のみが目覚めた人であるように見えたのであった。ところで、明らかにアナク
サゴラスがそういった説を説いていたことをわれわれは知っているが、彼以前ではクラゾメナイ
のヘルモティモスがそういったことを語っていたとすべき理由がある。
4
アリストテレス(
『形而上学』A 4. 985 a 18)
なぜならアナクサゴラスにしてもヌース(知性)を宇宙創造のために機械仕掛けの神として用
いるだけで、どのような原因によって必然的にそうあるかということでアポリアに陥った時など
にはそれを持ち出してくるが、その他の場合には生成するものの原因をむしろすべてヌース(知
性)以外のものに帰しているからである。
シンプリキオス(
『アリストテレス「自然学」注解』327,26)
アナクサゴラスもまた、エウデモスも言うように、ヌース(知性)には目もくれずに、多くの
ものを偶発的に出現させている。
アナクサゴラスのこの不徹底はソクラテスを失望させ、上掲のようにアリストテレスの嘲笑をかう
こととなりましたが、しかしアナクサゴラスは、イオニアの自然哲学の伝統にその出自を有する哲学
者として、ある意味で正直だったのであります。自然の説明原理として使い切るにはヌース(知性)
ないしロゴス(理性)は余りにも異質的で対立的な原理だったのであります。少なくともアナクサゴ
ラスはそれら両者を分け隔てる裂け目を飛び越えることができませんでした。それらの異質性に目を
閉ざすことができませんでした。そしてそれは、前述のように、アリストテレスにおいても同様でし
た。ところがストアのゼノンはこれを軽々と飛び越えています。自然(ピュシス)とロゴス(理性)
を完全に一体化するところにストア哲学のポイントがあります。
「自然に一致して生きる」ことがスト
ア哲学の要諦ですが、その自然(ピュシス)は、ストアによれば、同時にロゴス(理性)なのであり
ます。
ディオゲネス・ラエルティオス(
『ギリシア哲学者列伝』VII 86)
しかしさらに完全な〔自然の〕導きによって理性的存在者にロゴス(理性)が与えられる段階
になるとロゴス(理性)に一致して正しく生きることが自然(ピュシス)にしたがって生きるこ
とになる。・・・ それゆえゼノンが『人間の本性について』において初めて〔人生の〕目的を「自
然に一致して生きること」と言ったが、これは徳〔すなわち理性〕にしたがって生きることに他
ならない。
ストバイオス(
『倫理学抜粋集』II 75.11 W)
〔人生の〕目的をゼノンは「
〔自然に〕一致して生きること」と定義した。だがこれは調和の取れ
たロゴス(理性)にしたがって生きるということに他ならない。
クレメンス(
『教育者』I 13)
徳とは・・・ ロゴス(理性)にしたがい、人生の全般に関して調和を保持している魂の状態に他
ならない。
自然(ピュシス)とロゴス(理性)を合体させることによってストアの倫理学はカントの実践理性
の倫理学とほとんど変わらないものになってしまいました。
「自然にしたがって生きよ」というのは、
ストアにおいては「定言命法にしたがって生きよ」というのとほとんど同義なのであります。言い換
5
えれば、
「実践理性にしたがって生きよ」というテーゼと何ら異ならないのであります。どうしてこの
ようなことが可能となったのでしょう。初期ギリシアの自然哲学者たちはもちろんのこと、アリスト
テレスにおいてもなおあれほど異質的な原理として意識されていた自然(ピュシス)とロゴス(理性)
を完全に合体させるというようなことがそもそもどうして可能となったのでしょうか。それは要する
にストアのゼノンがギリシア人でなかったからでありましょう。
彼は元はフェニキアの商人であって、
したがってセム系の人物であります。すなわち彼は言語的に印欧言語の伝統を共有していなかったの
であります。したがって自然概念(ピュシス)の呪縛にも囚われていませんでした。語根 φυ- の呪
縛に拘束されていませんでした。ゼノンにおいては「自然」はすでに対象概念となってしまっていま
す。対象概念が意識を呪縛することはありません。そのことがまったく異質的なあれら両概念をいと
も容易に結合させえたゆえんのものであって、印欧言語の伝統が前意識的に血肉化した古来のギリシ
ア人の本能にとってはそういった同一化は無茶な暴挙としか映らなかったでありましょう。否、そう
いったことはそもそも不可能事であったでありましょう。しかし生粋のギリシア人であるクレアンテ
スもクリュシッポスもゼノンの哲学を受け入れています。そういった哲学がギリシアにおいて説かれ
えたということ、またそれがギリシア世界に受け入れられたということ、これこそ驚くべき事実であ
って、この驚くべき事実はヘレニズムの時代にはすでにもう相当ギリシア的本能は稀薄化していたと
いう事実を物語るものであると言わねばならないのではないでしょうか。否、むしろこのことは、そ
のような消極的なことというよりは、ヘレニズムの時代にいたってギリシアの自然概念(ピュシス)
が伝統的な構造概念の位置から、それとはまったく異なる位置、対象概念の位置に移ったということ
を最も雄弁に物語るものであると言うべきでないでしょうか。この移行を可能ならしめたもの、と言
うよりは、必然的たらしめたもの、それは主観性原理でしかありえないとするなら、ヘレニズムの時
代にはもうすでに決定的に主観性原理がギリシア世界を蔽い尽くしていたという事実をこのことは示
すものであると言って過言でないでありましょう。対象としての自然概念の成立という決定的な生起
がヘレニズムの時代にあったのであります。そのことによって自然(ピュシス)もゲステル(Gestell)
の中に組み込まれることになりました。そしてそのことの根拠は主観性原理の全面的支配と主観性の
視点の確立ということ以外の何ものでもないのであります。この主観性の視点のもとでは自然もまた
対象である他なかったのであります。ヘレニズムの時代とそれ以前の時代の間には明らかに原理的な
断絶があるのであって、すべてはヘレニズムから始まったのであります。近代の自然概念の発端はヘ
レニズム期にあったのであります。
ロ ゴ ス の 現 象 学
ロゴス(理性)のギリシア的意識への出現はギリシア語の造形性に由来する。ハイデガーのロゴス論。
さて、それではこの自然概念とも主観性原理と結びつきうる、それゆえそれら両原理のいずれとも
異なる第三の原理、ロゴス(理性)は一体どこから哲学に入ってきたのでしょうか。それに対する答
えは当然予想されるように、
「言葉」から得られるでありましょう。
「ロゴス」
(λογος)という名
称そのものがその答えを示唆しています。
「言葉」
、この場合であればギリシア語ですが、そのギリシ
ア語からであります。ギリシア語の持つ理(ことわり)性からそれはきているのであります。ギリシア
語は極めて理屈っぽく作られた言語であって、その理屈性、理論的造形性からして、恐らくそれはあ
る時ひとりの人物によってデザインされ、作られたのでしょうが、それはやがて受肉化し、血肉化し
6
て、その人為性は忘れられました。それがひとりの人物の手になる理論的造形物であるということは
忘れ去られました。しかしそれでもその理屈っぽさが拭い去られることはないのであり、ギリシア語
を話す者は常にその理屈にさらされつづけます。そしてその言葉に伴う理屈性がやがて反省の対象と
なったとき、それは一方では「わたしたちの中のヌース(知性)
」となり、他方では世界の「周辺を取
り巻くロゴス(理性)」となって対象化され、哲学者の意識に原理として出現したのであります。した
がってロゴス(理性)も、自然(ピュシス)と同様、本来は対象ではありませんでした。それはパロ
ールされる言葉に虚的に伴う言語の性格であって、言葉をパロールする限り、いかなる者もそれにさ
らされつづけざるをえません。それにさらされつづけることを免れることはできません。しかし大抵
の言語においてはその言語の有する理(ことわり)性は顕在化せず、対象化されないままにとどまるの
ですが、ギリシア語においては、その際立った造形性がそれを顕在化させ、それに気づかせずにいな
かったのでありましょう。ところで、気づかれるということは意識化され、対象化されることであり
ます。気づかれたその瞬間に、原理としてのロゴス(理性)の出現があったのであります。
したがってロゴス(理性)の出現は突然であったと想像されます。誰が、いつ、どこで、というこ
とは確認されません。それは、いつのまにか、どこからともなく到来していたもののように、ある時
そこにあることが気づかれたもののごとくであったと思われます。それが「ギリシア人によるロゴス
の発見」
(ジョナサン・バーンズ)ということなのであります。しかしそれは実はギリシア語と共に、
ギリシア語の分節化された言語としての成立以来、ありつづけていたものなのであります。ギリシア
語の特筆すべき造形性、
例えば動詞の活用形において見られるあの理路整然とした理論的造形性こそ、
言葉に伴う理(ことわり)性をギリシア人の意識にロゴス(理性)として出現せしめたゆえんのもので
あって、もしギリシア語がその造形性において優れていなかったなら、ギリシアがロゴス(理性)の
発祥の地となることはなかったでありましょう。それゆえギリシアをロゴス(理性)の発祥の地とし
たものはギリシア人の比類なき造形能力、芸術的天分であったわけであります。哲学はその根源にお
いては芸術なのであります。
哲学の創出の根源において作動していた能力は、
知解能力である以上に、
芸術的な造形能力だったのであり、だからこそ哲学は魅力的であり、かつ深いのであります。哲学は
その生成においては反省的学知ではなかったのであります。哲学がその本来においては芸術であると
のことは、パルメニデスが存在の「真理」を学説詩で提示したとか、プラトンの対話篇は彼の比類な
き戯曲的才能によるものであって、彼のイデア論は哲学思想というよりは一種の美的現象であるとい
った表層のレヴェルにおいて言えるというだけのことではなく、またギリシア哲学の視覚的性格から
そう言えるだけでなく、もっと根源的な意味において言えることであって、哲学そのものの誕生の根
源にあったもの、それはギリシア人の比類なき芸術的造形能力だったのであり、それだからこそギリ
シア哲学は二千数百年の星辰を経て今日もなおわたしたちに親しまれる存在でありつづけているので
あります。もしわたしたちの哲学がギリシア人のそれに及ばないとするなら、それは知解能力におい
て劣るからというよりは、芸術的天分において劣るからでありましょう。近代哲学のギリシア哲学に
比しての特徴のひとつは、
「学」
(Wissenschaft)あるいは「科学」
(science)の名による徹底的な脱
芸術化であります。そのことによって近代哲学は魅力という点においてギリシア哲学にはるかに及ば
ないものになってしまいましたが、それが「学問の進歩」として顕彰されるにいたっては、これを一
体どう考えたらよいのでしょうか。しかも近代哲学は、以前にも述べたように、
「真理」
(Wahrheit)
の知ではもはやなく、
「正しさ」
(Richtigkeit)の知でしかなくなってしまっているとすればどうであ
りましょう。哲学の根源において抗争し合っている因子のひとつは哲学の芸術的モチーフと学的モチ
ーフですが、哲学の近代化は総じて学的モチーフの推進であり、芸術的モチーフの駆逐であります。
7
もちろん近代哲学においても芸術的パトスで哲学の根源に踏み込もうとした哲学者は見られますが
(例えばシェリンングやショウペンハウアーやニーチェ、また意外に思われるかも知れませんが、ハ
イデガー)
、総じて近代哲学は学的モチーフによって統御されてしまい、全体として認識の哲学に堕し
てしまいました。その典型が新カント派の哲学であります。そのことによって哲学は深淵性を回復し
ようもなく喪失し、皮相化しましたが、近代哲学のそのような状況下にあって、ギリシア哲学が、そ
れも初期ギリシア哲学が、もはや断片という形においてでしかないにせよ、なおわたしたちの手元に
あるということが人類にとってどれほど幸運なことか、そのことにわたしたちは深く想いを致さねば
なりません。ギリシア人は哲学の根源を洞見する芸術的天分を有していました。ギリシア人の芸術的
天分に対する洞見こそ、ギリシア哲学をギリシア哲学として理解する鍵であります。偉大なギリシア
哲学はギリシア悲劇とほぼ同時期に生み出されていたという事実を忘れてはなりません。
「ギリシア悲
劇を自殺に追いやったソクラテス」
(ニーチェ『悲劇の誕生』
)の理性哲学と共に生み出されたのでは
ありません。このことを真に感得したいと思う人はニーチェの未完に終わった論考『ギリシア人の悲
劇時代の哲学』
(1873 年)を是非お読みいただきたいと思います。残念ながらニーチェの天分をもっ
てしてもこの事実が含む真理を全面的に顕在化させることはできず、上記書は結局未完に終わってし
まいましたが。
したがって真に驚嘆すべきは、ブルックハルトも指摘するように、ギリシア人の芸術的な造形力と
その内面的形成衝動であります(
『ギリシア文化史』第 6 章参照)
。特に驚嘆すべきは、ギリシア人が
ポリスにおいて発揮したあの造形力であります。
彼らギリシア人が造形力において優れていたことは、
建築において、あるいは彫刻において、あるいは悲劇の劇作において、わたしたちの瞠目を惹くとこ
ろですが、特にポリスの建設において彼らの造形能力はいかんなく発揮されました。雑然とした集積
からなる近代都市とは異なり、ギリシア人は一個の建造物を立ち上がらせるかのように都市(ポリス)
を建設したのであります。およそギリシアのポリスで自然発生的にできた都市(ポリス)などひとつ
もありません。またポリスのどの部分を取ってみても、自然発生的な箇所は皆無であります。彼らは
一個の建造物を造るかのように都市をデザインし、そのデザインに基づいて街を造営したのでありま
す。このことはいずれのポリスの遺構においても確認できることであって、廃墟の中に立ってすらわ
たしたちは彼らの比類なき造形力といったものを感じ取ることができます。一例を挙げれば、プリエ
ネの遺跡がそうであります。街は碁盤の目状に整然と区画され、すべての建造物がそのあるべきとこ
ろに位置しています。また小高い丘の上に造られたために遺構がそのままの形で残されているペルガ
モンの遺跡からも感じ取られます。倒壊した石柱や石塊を立ち上がらせば、そこに一個の建造物と見
まがうばかりのポリスが立ち現れるでありましょう。およそギリシアのポリスほど統一力といったも
のを世に現示せしめた例は他に例がないと言って過言でないのではないでしょうか。ポリス、それは
その全体が一個の統一的な造形物であり、一個の芸術作品なのであります。またポリス内の個々の建
造物もすべて芸術作品であります。あのような驚嘆すべき芸術作品に取り囲まれてしか生きられなか
った人々とは一体どういう人たちだったのでしょうか。何と驚嘆すべき民族でありましょう。政治や
建築や悲劇など、およそポリスにおいて示された力はすべてこの芸術的な「造形力とその内面的形成
衝動」
(ブルックハルト)から出ていたと見て間違いないのではないでしょうか。ギリシア人は民族全
体が天才であったような人々でした。ここではっきりと言えることは、完全な美はギリシアにあった
ということであります(ヴィンケルマン)
。近代芸術はそれからの逸脱ないし頽落でしかありません。
あのようなものもなお「芸術」と言えるとしての話しですが。近代芸術が逸脱ないし頽落でしかない
のはそこに主観性要素が進入してき、存在の真理であることを止めてしまったからであります。
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そしてそれと同じようにその言語もギリシア人は明確な構図のもとに造形したのであります。もち
ろんギリシア語が文法性を備えた分節化された言語として成立するまでには意味発生の途方もない時
間の経過があったことでありましょう。また意味発生の過程においてさまざまな偶然に翻弄されたこ
とでもありましょう。ギリシア語においてももちろんわたしたちはそういった自然発生的、偶然的側
面を指摘することができます。しかしそれはある時、造形力に優れたひとりの人物によってデザイン
され、整備されて言語として仕上げられたのであって、その理路整然とした造形性からして、わたし
はそれが自然発生的にできたとも、衆議によるとも、到底考えることができません。ギリシア語はひ
とりの人物によって作られたのであります。私見によれば、ギリシア語はあるひとりの人物の比類な
き造形力の産物なのであります。それははっきりとした意識と構図のもとに作られたひとりの人物の
統一的な人工物でしたが、それがやがて受肉化し、血肉化してその人工性が忘れ去られたということ
なのであります。だがこのギリシア語を造形した人物の名前は記憶されていないと言われるかも知れ
ません。しかしそれは当然のことであって、記憶は言語を必要とするが、この人物は言語の背後にい
るからです。ギリシア人は一般に立法家に深甚なる敬意を表していて、リュクルゴスやソロンを、ま
たドラコンをすら、民族共通の恩人として記憶にとどめていますが、あれらの立法家にもまして真に
敬われるべきはこのギリシア語を造形した人物ではないでしょうか。彼こそは理路整然としたギリシ
ア語を造り出すことによってギリシアをロゴス(理性)の発祥の地とし、ギリシア人を知的民族たら
しめた神のごとき存在だったのであります。言語に照らし出された世界の背後の暗闇の中にわたしは
あるひとりの巨大な人物の存在を感じ取るものであります。真に偉大なものは大抵隠れています。そ
れは存在が隠れているのと一般です。世に喧伝された「偉大」など茶番でしかありません。
ロゴス(理性)はそれゆえ元は言葉に虚的に伴う理(ことわり)性であって、対象ではありませんで
した。それゆえそれは本来は原理でなかったのであります。そのことが、それが自然概念とも主観性
原理とも結びつくゆえんのものであって、それは本来それら両原理に対して中立的な位置にあったの
であります。ところがその理(ことわり)性はギリシア語の際立った造形性のゆえに気づかれずにいま
せんでした。気づかれることは意識化され、対象化されることですから、気づかれた瞬間、それは対
象となり、原理となりましました。それが「ギリシア人によるロゴスの発見」
(ジョナサン・バーンズ)
ということなのであります。原理としてのロゴス(理性)の出現は、それゆえ、言語の理(ことわり)
性の意識化、対象化にあったのであります。ところで対象化は意識の志向性に基づき、志向性は主観
性に基づきます。それゆえロゴス(理性)を原理として現出せしめたものは主観性に他なりません。
ポスト・モダニズム(特にデリダ)の指摘するように、もしロゴス(理性)が暴力性を持つとするな
ら、それはそれが原理となったからであります。ロゴス(理性)が権力であるのも同じ理由によりま
す。しかしそれは元は原理でないのですから、それを原理とした原理があったのであります。原理と
してのロゴス(理性)の背後には主観性原理があるのであり、ロゴス(理性)はそのもとで原理とな
り、主張を持つにいたったのであります。言語の理(ことわり)性が主張を持つことはありません。原
理となったからそれは主張を持つようになったのであり、その主張の明確な表現がソクラテス、プラ
トンの主知主義の哲学であります。主知主義は明らかにひとつのイデオロギーであり、それは主観性
の自己主張の一形態なのであります。したがってその背後には主観性原理がロゴス(理性)という衣
を着て作動していたのであります。ロゴス(理性)を前面に立てて己を主張していたのであります。
主知主義にフーコーは権力を嗅ぎ取っていますが、彼は知性の背後で作動している主観性原理をこそ
感じ取っていたのでありましょう。ポスト・モダニズムのロゴス(理性)に対する告発は、その大部
分は主観性原理にこそ該当することではないかとわたしは思います。だとするなら、ポスト・モダニ
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ズムの告発は基本的にはギリシア哲学全般に対する告発とはなりえないのではないでしょうか。ただ
わずかにその一部に、しかもその中の一エピソードでしかない哲学に該当することであって、ギリシ
ア哲学の本体部に該当することではないのではないでしょうか。ソクラテス主義は主知主義というよ
りは、知性という衣を纏った主観性の自己主張なのであります。
ハイデガーは「レゲイン」
(λεγειν)を「集める」という古義に立ち戻って捉え、
「ロゴス」
(λογος)を「収集」という意味に解していますが、そこにはハイデガー一流の戦略がありました。
彼はロゴスを「言葉」という意味に収斂させ、それを主観性の道具の地位に貶めることを潔しとしな
かったのであります。彼はロゴスを主観性の拘束から解放し、それ本来のあり場所に復帰させようと
します。そういう意味において彼の試みはヘラクレイトスのそれと軌を一にすると言うことができま
しょう。彼によれば、ロゴスは諸存在を収集し、そこに世界を現出させる存在の原理であり、まさに
そういった収集(ロゴス)による世界の開けが「真理」なのであります。
「存在の言葉」
(ハイデガー)
というのは深い言葉であります。ハイデガーにとって言葉は人間の道具ではありません。
「言葉が言葉
する」
(Sprache sprict)のであります。しかしロゴスを「言葉」という意味に閉じ込めて人間に極限
するなら、それはもはや主観性の道具でしかなく、そこに成立する真理は「正しさ」
(Richitigkeit)
でしかありません。言い換えれば、
「認識と対象の一致」
(adaequatio intellectus et rei)でしかあり
ません。
「言葉」は対象との一致という観点において自らを正当化しなければなりません。
「正しさ」
や「正当性」は主観と客観の一致・不一致において成立する事態であって、ハイデガーに言わせれば、
真理の頽落態であります。ロゴスを「言葉」という意味に閉じ込めることはロゴスを主観性のもとに
拘束することであって、ハイデガーならびにヘラクレイトスによれば、それこそまさに事態を転倒さ
せることに他ならないのであります。ヘラクレイトスによれば、ロゴスは主観性をはるかに越えた存
在の原理であり、真理そのものでした。この本来の事態を、ヘラクレイトスと共に、ハイデガーは回
復しようとするのであります。ロゴスが「言葉」となり、主観性の中に閉じ込められ、主観性の手段
となった瞬間、
「真理」
(アレテイア)は「正しさ」
(Richitigkeit)に頽落しました。近代の主観性の
哲学において「真理」が後退し、
「正しさ」ないしは「正当性」
、
「誠実性」が前景に出てくるゆえんで
あります。近代哲学がおしなべてひたすら自己の認識の正しさの証明に腐心する認識の哲学に堕して
いった理由はここにあります。哲学から偉大さが消え去ったゆえんであります。哲学は元来認識論で
はないのであります。近代哲学の自己弁明的性格に盲目であってはなりません。自己弁明に終始する
ようなものになおどのような偉大さが感じ取れると言うのでしょうか。偉大なものは自己弁解などし
ません。既述のように、近代哲学の告発的性格もまたこのことに由来しています。ロゴスをもっぱら
「言葉」という意味に閉じ込め、しかもその「言葉」を主観性の表現の道具という意味でのそれと解
することによって、主観性が存在の真理であるロゴスを自らの内に拘束し、事態を転倒させた決定的
瞬間がここにあったのであります。先にも述べましたが、これこそまさに哲学の転倒の瞬間であり、
さらに言うなら、世界を転倒させた瞬間であり、まさにこのことをヘラクレイトスは告発し、この事
態の進展に抵抗していたのでした。ハイデガーは今なお抵抗しつづけています。世界は今日「ハイデ
ガー対世界」
(Heideggeus contra Mundum)の様相をますます強めていますが、この対決は実は初
期ギリシア以来のものだったのであります。
「ロゴス」を主観性から解放し、存在の真理というそれ本来の地位に復帰させようとするハイデガ
ーの意図は理解できなくないにしても、果たして当時のギリシアの哲学者が一般に「ロゴス」を「収
集」の意味で理解していたかどうか、やはり疑問なしとはなしえないでありましょう。しかし「ロゴ
ス」はギリシアの哲学者たちにとって一般に「言葉」であったにせよ、それが主観性の道具という狭
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い意味での「言葉」に収斂するものでなかったことだけは確かであります。ヘラクレイトスにおいて
は、先にも述べたように、明らかにそれは主観性を越えた「世界のロゴス」であります。
「言葉」その
ものというより、
「言葉」における理(ことわり)性がギリシアの哲学者の意識に立ち昇ってきたロゴ
スではなかったでしょうか。したがってそれは存在一般の原理でありえました。ロゴスが存在一般の
原理でありうるということを洞察した点にこそ、ヘラクレイトス哲学の真髄があります。この洞察は
哲学における根本的洞察のひとつであって、それはやがてユダヤのピュロンを経由して『ヨハネ伝』
の中に流入し、宗教的な形を採ってキリスト教の中に生きつづけています。主観性の宗教的イデオロ
ギーそのものとも言うべきキリスト教の中で、しかもそのど真ん中で、ロゴスが生きつづけていると
いうこのことこそ世界の一大不思議と言わねばなりません。ヘラクレイトスが繰り返し、口を酸っぱ
くして説いたことは、
「ロゴスは共通であり、公的である」
(ヘラクレイトス、断片 B 2)ということ
であります。言い換えれば、主観性を越えた存在一般の原理であるということであります。ヘラクレ
イトスのロゴス思想は主観性をこそ否定していたのであります。しかしロゴスが「言葉」という意味
の方向に歩み出した瞬間、それは頽落し始めたのであります。やがてそれは主観性の枠内に収まり、
かくして「真理」
(アレテイア)は「正しさ」
(Richitigkeit)に頽落せざるをえませんでした。ここに
ロゴスそのものの頽落の決定的瞬間があったのであります。言い換えれば、哲学の頽落の決定的瞬間
がここにありました。ヘラクレイトスはこれに抵抗しましたが、彼の死力を奮っての抵抗にもかかわ
らず、
この方向を押し止めることは遂にできませんでした。
押し止めることができなかったばかりか、
主観性の強力な威力の前に彼は遂には壮絶な最期を遂げねばならなかったのであります。それほどに
も主観性への方向性は当時においてもすでに強力だったのであり、
遂には主観性がロゴスに立ち勝り、
ロゴスは主観性の中に飲み込まれてしまいました。何ということか。アートマンがロゴスを飲み込ん
でしまったのであります。これを「主観性の蜂起」と言わずして何と言うべきでしょう。単なる「言
葉」としての「ロゴス」の成立であります。結局ピュタゴラスが勝利したのであります。それ以降西
洋形而上学は二千数百年にわたりこの方向をひたすら歩みつづけています。言い換えれば、ひたすら
頽落しつづけています。ただヘーゲルは哲学に歴史性を取り入れることによって哲学に若干偉大さを
取り戻させようとしたとは言えますが、ヘーゲル自身が結局は近代の哲学者の域を出なかったために
この試みは極めて限定されたものに終わらざるをえませんでした(ハイデガー『ヘーゲルの経験概念』
参照)
。
また前述のハイデガーのロゴス解釈は歴史を二千数百年押し戻そうとする英雄的な試みと言う
ことができますが、果たして成功したと言えるかどうか。主観性原理のグローバル化という今日の世
界状況を見るとき、残念ながら、否であります。ロゴスが「言葉」となり、主観性の内に拘束される
と共に、存在の真理が隠蔽され、哲学から偉大さが永遠に失われたのであります。そしてそういうこ
とになり果てた理由はひとえに主観性の巨大な立ち上がりを哲学が許したということなのであります。
許すどころか、今日では哲学はその手先になり下がってしまっています。今日喧伝されている諸思想
の体たらくに思いを致していただきたいと思います。主観性が立ち上がり、存在を完全に押さえ込ん
でしまった世界、それが近代世界であります。近代世界を支配する原理、それはアートマンであり、
その社会的、政治的論理がデモクラシーであります。そしてその知的表現が「学」
(Wissenschaft)
ないし「科学」
(science)であります。デモクラシーと科学は常に手を取り合っています。ハイデガ
ーはデモクラシーと技術が手を取り合って今日のゲステルの世界を出現させたと考えていますが、こ
のことについては別の機会に論じたいと思います。
同志社大学大学院文学研究科「古代哲学史特講」
(Ⅰ・Ⅱ)講義録
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