『武満 徹 ソングブック』

PRESS RELEASE
2011 年 8 月 31 日 発売
ショーロクラブ with ヴォーカリスタス
『武満 徹 ソングブック』
Takemitsu Songbook / Choro Club with Vocalistas
SONG X 006 価格 ¥ 2,100 ( 税抜価格 ¥2,000 )
バンドリン、ギター、コントラバスの涼やかな音色にのせて、
アン・サリー、沢知恵、
おおたか静流、
おおはた雄一、松平敬、松田美緒、tamamix が歌い継ぐ全 15 曲。
美しき「ヴォーカリスタス」の声をまとって、
タケミツ・メロディが 2011 年の「今」を生きはじめる。
本作の主人公のひとり作曲家・武満徹を、「日本が世界に誇る現代音楽家」という
肩書きで呼ぶのはふさわしくない。ブラジル音楽をベースに唯一無二の響きを奏で
る弦楽トリオ「ショーロクラブ」の精緻にして伸びやかな演奏と、7 人の歌手によって、
新たな生命を吹き込まれた歌を聴くにつけ、20 世紀音楽の巨匠を親愛を込めて「ソ
ングライター」と呼びたくなってしまう。バンドリン、ギター、コントラバスの涼やか
な音色にのせて、アン・サリー、沢知恵、おおたか静流、おおはた雄一、松平敬、
松田美緒、tamamix が歌い継ぐ全 15 曲。異ジャンルで活動する美しき「ヴォーカリ
スタス」の声をまとって、
タケミツ・メロディが 2011 年の「今」
を生きはじめる。かつて、
これほどまでに、その歌が近しく感じられたことがあっただろうか。新たなスタンダー
ドとなるべき、これからの「タケミツ・ソングブック」。
株式会社ソングエクス・ジャズ
〒165-0024 東京都中野区松が丘 2-28-6
tel / fax : 03-6314-6829
iPhone : 090-6000-4243
[email protected]
www.songxjazz.com
PRESS RELEASE
Specifications
<収録曲>
①翼
4:23
編曲 : 秋岡 欧
② めぐり逢い ( 歌 : アン・サリー )
3:49
作詞 : 荒木 一郎 / 編曲 : 笹子 重治
③ うたうだけ ( 歌 : 沢 知恵 )
3:09
作詞 : 谷川俊太郎 / 編曲 : 秋岡 欧
アーティスト : ショーロクラブ with ヴォーカリスタス
タイトル : 武満徹ソングブック
④ 明日ハ晴レカナ、曇リカナ ( 歌 : おおたか静流 )
英題 : CHOROCLUB with VOCALISTAS「TAKEMITSU SONGBOOK」
⑤ 島へ ( 歌 : おおはた雄一 )
価格 : ¥2,100 ( 税抜価格 ¥2,000 )
作詞 : 井沢満 / 編曲 : 笹子 重治
規格番号 : SONG X 006 ( POS / JAN : 4571381530067)
iTUNES / OTOTOY / eONKYO : 2011 年 7 月 20 日
フィジカル CD 発売日 : 2011 年 8 月 31 日
----------------------------------------------------------------------
4:51
作詞 : 武満 徹 / 編曲 : 沢田 穣治
⑥ 恋のかくれんぼ ( 歌 : tamamix )
3:31
2:56
作詞 : 谷川俊太郎 / 編曲 : 沢田 穣治
⑦ 小さな空 5:03
編曲 : 秋岡 欧
<プロデュース / アレンジ> ショーロクラブ
< 企画立案・総監督・A&R >
宮野川 真 ( SONG X JAZZ Inc,. )
⑧見えないこども ( 歌 : 松平 敬 )
⑨ ワルツ∼他人の顔 ( 歌 : 松田 美緒 )
⑩ 死んだ男の残したものは ( 歌 : アン・サリー )
ショーロクラブ :
作詞 : 谷川俊太郎 / 編曲 : 沢田 穣治
笹子 重治 ( ギター )
沢田 穣治 ( コントラバス )
⑪ 三月のうた ( 歌 : おおたか静流 )
アン・サリー : ② ⑩ ⑭
沢 知恵 : ③ ⑫ ⑭
おおたか 静流 : ④ ⑪ ⑭
おおはた 雄一 : ⑤
松平 敬 : ⑧
4:51
3:57
作詞 : 谷川俊太郎 / 編曲 : 沢田 穣治
⑫ 燃える秋 ( 歌 : 沢知恵 )
ヴォーカリスタス :
4:42
作詞 : 岩淵 達治 / 編曲 : 沢田 穣治
<参加ミュージシャン>
秋岡 欧 ( バンドリン )
3:36
作詞 : 谷川俊太郎 / 編曲 : 笹子 重治
4:52
作詞 : 五木 寛之 / 英詞 : Ella Louise Rutledge & Kiristi Kaldo / 編曲 : 笹子 重治
⑬ 翼 ( 歌 : 松田 美緒 )
3:08
作詞 : 武満 徹 / 編曲 : 秋岡 欧
⑭ MI・YO・TA ( 歌 : おおたか静流 、アン・サリー、沢 知恵 ) 3:43
作詞 : 谷川俊太郎 / 編曲 : ショーロクラブ
松田美緒 : ⑨ ⑬
tamamix : ⑥
<録音 & ミックス>
鎌田 岳彦 ( foxyrooom )
<マスタリング >
オノ・セイゲン ( SAIDERA PARADISO LTD. )
⑮ MI・YO・TA
編曲 : 秋岡 欧
演奏 : ショーロクラブ
3:46
PRESS RELEASE
作品解説 by 小沼 純一 ( 早稲田大学教授/音楽・文芸批評家 )
武満徹の「ソング」が集められていながら、
「武満徹」の名を、存
在を、ほとんど意識しないで聴いた。ほとんど希有な体験と言って
以下、簡単に各曲の由来を紹介しておく。
〈翼〉
:東京・西武劇場でおこなわれた、恩地日出夫演出によるアー
いい。世に多々ある Various Artists のコンピレーションとも、ひとり
サー・コビットの芝居『ウイングス』
(1982年2月)の劇中歌として、
のアーティストが「武満徹ソングブック」
として録音したのとも異
武満徹自身が作詞・作曲。
なったアルバム。
1曲1曲を単体としてではなく、
アルバムだからこそのながれ、
この曲がきてあれがくるというながれ、質の異なった女性の声がつ
づくとおもえばぽつりと男声があり、複数の声が重なるものがあり、
といったような思い掛けなさもさりげなく仕組まれたストーリー。
ドイツ語や日本語でうたわれるのがほとんどである曲が、
日本語や
英語になってあらわれてくる驚きもある。インストゥルメンタルの
〈めぐり逢い〉
:恩地日出夫(1933-)監督作品『めぐりあい』
(1968)の
主題歌。詞はシンガー&ソング・ライターの荒木一郎。
〈うたうだけ〉
:1958年に作曲、
「ブルースの継承」
と題された草月
ホールでのコンサートで演奏された。詞は谷川俊太郎による。
〈明日ハ晴レカナ、曇リカナ〉
:プライヴェートな 応援歌 として作
曲。
というのも、黒澤明が映画『乱』
(1985)を撮影中、天気によって、
監督の機嫌が変わり、右往左往してしまうスタッフに贈ったゆえ。
みの「チル・アウト」
も効いている。
『乱』本篇の音楽と対比してみるとおもしろい。
ながれとなっているのは、
「武満徹」だからではない。
「武満徹」
で
〈島へ〉
:NHK大阪のTVドラマ『話すことはない』
(1983/伊沢満脚
ありつつ、
ショーロクラブ、
であるからだ。三つの絃の音色とかさな
本)の挿入歌。
ドラマのなかではつかわれず、翌1984年、合唱曲と
り、からみ。
トレモロ、ビート、
ラテン的な空気感。そして時のなかを
して舞台初演されている。
減衰するひびき-----。
1930年に生まれ、1996年に亡くなった作曲家・武満徹。
ヨーロッ
〈恋のかくれんぼ〉
:中村登監督作品『班女』
(1961/村松梢風の3
つの短篇にもとづく)のために書かれた。
パ由来の芸術音楽の延長・拡大されたかたちのコンサート・ミュー
〈小さな空〉
:ラジオ・ドラマ『ガン・キング』
(1963/TBSラジオ)の主
ジックを主としながら、映画や芝居の領域でのこした音楽はまたべ
題歌。脚本は石堂淑朗と田村孟による。詞は武満徹自身だが、
ここ
つの魅力を持っていた。
では故意に「うた・なし」
で演奏されている。
第二次世界大戦中に、禁止されていたフランスのシャンソンを、
こっそりと蓄音機で聴かせてもらい、
こんなに美しいものがあるの
〈見えないこども〉
:シナリオを清水邦夫と羽仁進が手掛けた社会
派ドラマ『彼女と彼』
(1963)による。
かと感嘆、音楽をやりたいと希望するようになる。手探りのように
〈ワルツ〉
:安部公房の高名な小説『他人の顔』にもとづく映画
楽譜を書き、音のでない紙に鍵盤を書いたピアノを持ち歩いた。
(1966/勅使河原宏監督)中、
うたわれるナンバー。岩淵達治のド
町を歩いているときにピアノの音が聞こえると、弾かせてもらえな
イツ語による詞がオリジナルだが、武満徹の死後、
日本語版もつく
いだろうかと頼みこんだ。進駐軍のキャンプでは、夜にしごとがあ
られ、
アルバムではこちらが用いられている。
るまで、ピアノを弾かせてもらった。
結局、
音楽はほとんど独学だった。
〈死んだ男の残したものは〉
:
「ベトナムの平和を願う市民の集会」
若い芸術家の仲間を得、
ストラヴィンスキーに「発見」され、ジョ
(1965年4月22日/東京・全電通会館ホール)でうたわれた、作詞・
ン・ケージやヤニス・クセナキスといった作曲家はもちろん、安部公
谷川俊太郎による反戦歌。森谷司郎の映画『弾痕』
(1969)
でも使用
房、大江健三郎といった多くの友人を持つ。海外でさかんに作品が
演奏される。そうした一方で、愛する映画のために、音楽祭のため
に、共同でしごとをした。
このアルバムに収められているのは、そうした「つながり」のなか
で生みだされ、独自に生き
(息し?)はじめた曲たち。
武満徹は、音楽につくり手の名がついているのは過渡的なもの
で、将来的に音楽は匿名/アノニマスにむかうと記していた。
この
されている。
〈三月のうた〉
:W.P.マッギバーンのサスペンス小説を、松山善三と
池田一朗が脚色、堀川弘通が監督した『最後の審判』
(1965)の主
題歌。
〈燃える秋〉
:小林正樹監督作品『燃える秋』
(1978/五木寛之原作)
に使用。曲が先につくられ、五木寛之があとからに詞をつけてい
る。
アルバムは、
これまでの「武満徹ソングブック」から次の段階への、
〈MI YO TA〉
:もともとのメロディは1960年代だろうか、あるメロド
つまりはただ曲のみが親しまれ愛されうたわれるなか、作曲家の
ラマのための音楽として書かれたという。だが生前に使われたこと
名がいつのまにか消えてしまう段階への、はじまりを告げる。2010
はない。互いに評価しあっていた作曲家・黛敏郎がメロディを手元
年は武満徹生誕80年だったが、その翌年、2011年はそうした10年
に残しておき、武満徹の死後に披露。谷川俊太郎があらたに詞を
ごとの区切りをのりこえるかたちで、
このアルバムがリリースされ
つけて、現在のようなかたちとなった。御代田は長野県、作曲家の
るに相応しい。
山荘があったところ。そこで多くの作品が生まれた。
PRESS RELEASE
編曲者 コメント
⑦ 見えないこども ( 歌 : 松平 敬 )
( 作詞 : 谷川俊太郎 / 編曲 : 笹子 重治 )
この曲を初めて聞いた時、アントニオ・カルロス・ジョビンの曲をショーロ
風に仕立てあげたときとの共通点を感じました。なので、何となく「そうい
うふう」なイントロが思い浮かび、
同時にアレンジの方向性も、
「そんなカンジ」
になりました。松平さんのような、本格的な声楽家の方とのコラボは初めて
でしたが、意外にショーロクラブのサウンドにマッチしたように思います。
①翼
⑧ ワルツ∼他人の顔 ( 歌 : 松田 美緒 )
武満徹歌曲の中でももっともよく知られている作品のひとつ。インストゥル
もともとは武満さんが映画のために書いた曲です。美緒ちゃんの表現力にあ
メンタル・ナンバーとして、この曲のシンプルな構成、よく歌う美しい旋律
らためて感動させられた演奏になりました。
( 編曲 : 秋岡 欧 )
( 作詞 : 岩淵 達治 / 編曲 : 沢田 穣治 )
を生かしながら、無理なく最も「ショーロクラブらしい音」に仕立てると…。
⑨ 死んだ男の残したものは ( 歌 : アン・サリー )
② めぐり逢い ( 歌 : アン・サリー )
( 作詞 : 谷川俊太郎 / 編曲 : 沢田 穣治 )
( 作詞 : 荒木 一郎 / 編曲 : 笹子 重治 )
とにかくシンプルなメロディーなのですが、そのことによってかえってアレ
どことなく懐かしさを感じる歌い出しのメロディは、イントロ無しで、アン
ンジに時間がかかりました。6番まである曲ですが全てがメッセーシなので
さんの声から始めよう、と初めから決めていました。武満さんの、この方向
省くわけにはいかず悩みつつアレンジしましたが、アンさんの素晴らしい歌
の楽曲は、ショーロクラブにとってもアンさんにとっても、
「相性抜群」だっ
によって納得のいく仕上がりとました。 たと思います。
⑩ 三月のうた ( 歌 : おおたか 静流 )
③ うたうだけ ( 歌 : 沢 知恵 )
( 作詞 : 谷川俊太郎 / 編曲 : 沢田 穣治 )
( 作詞 : 谷川俊太郎 / 編曲 : 秋岡 欧 )
今年の 3 月に起こった大震災とあまりにも内容がリンクしてしまう谷川さん
意識的に「ブルーノート」を多用したジャズ・テイストの演奏で、色々な意
の詞です。アレンジしながら涙することが何度もありましたが、静流さんの
味で難易度が高かったのだが、それをあたかも最初からこんな風だったとい
歌にまた涙してしまいました。
うように自然体のテイクに仕上げることができた(と思う)のは、イメージ
作りの段階から一緒に示唆、提案をしてくださった沢知恵さんのおかげです。
⑫ 燃える秋 ( 歌 : 沢 知恵 )
( 作詞 : 五木 寛之 / 英詞 : Ella Louise Rutledge & Kiristi Kaldo / 編曲 : 笹子 重
④ 明日ハ晴レカナ、曇リカナ ( 歌 : おおたか 静流 )
治)
( 作詞 : 武満 徹 / 編曲 : 沢田 穣治 )
今回、静かな曲が多いので、敢えて賑やかでテンポの良いアレンジを施して、
この曲は明るいイメージがあったのですが、静流さんの哀愁のある声に合わ
沢さんとリハをしてみたら、考えていた速さでは、英詩がうまく載らないこ
せるために、しみじみとゆっくりと進む感じにしました。
とが判明。試みにゆ∼っくりとやってみたら、
かえってカッコ良くなりました。
でもやっぱり最後は賑やかに、ということで、アンさん、おおたかさん、
⑤ 島へ ( 歌 : おおはた 雄一 )
( 作詞 : 井沢満 / 編曲 : 笹子 重治 )
tamamix さんにも加わっていただき、
ショーロクラブメンバーと一緒に「大コー
ラス」で締めさせていただきました。
最初に、迷いつつ作ったアレンジのサンプル音源をおおはたさんにお送りし
たら、
「いいかんじですね!」というレスをいただきました。それを見て、こ
れはうまくいくであろう、と、確信が持てました。スタジオで、
「ギターを持
⑬ 翼 ( 歌 : 松田 美緒 )
( 作詞 : 武満 徹 / 編曲 : 秋岡 欧 )
たずにレコーディングするの、初めてなんで、ギター持ちながら歌っていい
「希望」や「自由」を謳歌
「翼」歌 ver。軽やかに、あるいは朗々と高らかに、
ですか」とおっしゃって、年期の入ったギターを抱えつつ歌われたのが、印
するだけではない何かを加味した方向で、といった感情の機微に類する漠然
象に残っています。
としたディレクションをあっさりと理解してくださった松田美緒さん。彼女
曰く「空どころか宇宙を飛ぶイメージで」
。
⑥ 恋のかくれんぼ ( 歌 : tamamix )
( 作詞 : 谷川俊太郎 / 編曲 : 沢田 穣治 )
ちょっと可愛くおちゃめな感じが混ざったアレンジにし仕上げました。
⑭ MI・YO・TA ( 歌 : おおたか 静流 、アン・サリー、沢 知恵 )
( 作詞 : 谷川俊太郎 / 編曲 : ショーロクラブ )
tamamix ちゃんの歌声がさらにほのぼのとした雰囲気を醸し出していると思い
おおたか静流さんの提案で急遽実現した、おおたかさん、アンさん、沢さん
ます。
+ショーロクラブによる V.S.O.P. 即興ライブセッション。…レクイエムです。
⑥ 小さな空
( 編曲 : 秋岡 欧 )
⑮ MI・YO・TA
( 編曲 : 秋岡 欧 )
牧歌的なメロディ。
「青空」
「夕空」
「夜空」と景色を変えながら淡々と綴られ
武満徹さんの没後「残されたメロディ」に谷川俊太郎さんの詞を得て発表さ
る歌詞。この曲のもつ世界観を、
インストナンバーとして表現するにあたって、
れた作品。この旋律の醸し出す雰囲気が、モチーフとしてすでに、ショーロ
とりたてて異質なアレンジを施す必要性が見当たりませんでした。結局、心
クラブの持つサウンドのひとつの方向性へと自然に導いてくれました。
をこめて丁寧に弾くだけ。これもまた大切。
PRESS RELEASE
CHORO CLUB プロフィール
<1989>
笹子重治、秋岡欧に沢田穰治を加え活動を開始。
<1990>
ファンハウスからファースト・アルバム『CHOROCLUB』を発表。
<1991>
セカンド・アルバム『CHORO CLUB 2』を発表。サントリー・
ホールにて、ホール創立5周年記念の単独コンサートを行う。
マルコス・スザーノ(perc)ペドロ・アモリン(Bandolim)をゲスト
に加えたリオデジャネイロ・レコーディングのサード・アルバ
ム『CHORO CLUB 3』を発表。
<1992>
横浜美術館にて単独コンサート
(以降、美術館、ギャラリーで
のコンサートを多数実施)。全編カヴァーに取り組んだ4th.
アルバム『SUMMER SIDE OF CHORO CLUB』を発表。
<1993>
NHK大河ドラマ「花の乱」エンディング・テーマを担当。
5th.アルバム『CHORO CLUB 5』を発表。
<1994>
国際交流基金の主催事業として、中南米6ヶ国(コスタリカ、
ホンジュラス、ベネズエラ、キューバ、
ドミニカ共和国、
ブラジ
ル)ツアーを行う。
<1995>
オーマガトキより、全編オリジナル作品のアルバム『SONGS』
を発表。
<1997>
NHK朝の連続テレビドラマ「あすか」の音楽制作に参加。
<1999>
ソニーミュージックより、ジョイス、ジャキス・モレレンバウン、
マルコス・スザーノ、カルロス・マルタ&ピフェ・ムデルノ、シ
バ(メストリ・アンブロージオ)、
アート・リンゼイが参加し、
ブラ
ジルで録音された7th.アルバム「BRASILIANA」を発表、精力
的活動を再開。マルコス・スザーノを迎えたCD発売記念ライ
ブ、来日したブラジル最高峰ショーログループ、オ・トリオやカ
ルロス・マルタ&ピフェ・ムデルノとの共演、DJ内海イズルと
のコラボレーションによるクラブイベント等、多方面に活躍。
笹子重治(アコースティック・ギター)秋岡欧(バンドリン)沢田穣治(コントラ
バス)の3人によって89年に結成された弦楽ユニット。
ブラジルの伝統的な都市型インストゥルメンタル・ミュージック
「ショーロ」に
インスパイアされながらも、全く独自のサウンドを創造する。90年にファンハウ
スレコードと契約、94年までに5枚のCDをレコーディングしたのを皮切りに、
<2000>
NHKスペシャル「激動・地中海世界」の音楽演奏を担当。サン
トラも発売。NHK昼の番組「スタジオパーク」生出演。
ブラジル
でジャキス・モレレンバウンをプロデューサーに迎え、8枚目
の作品集「マリチマ」を録音。世界のトップDJ10人による前作
「BRASILIANA」のリミックス盤を発表。
フジテレビ年末ドラマ
「忠臣蔵1/47」の音楽を担当。サントラも発売。
<2001>
女優・平良とみの沖縄言葉による語りとショーロ・クラブを中
心とした音楽とのコラボレーション「ニライカナイ」をプロ
デュース。各世代の沖縄民謡を代表するメンバー(登川誠仁、
古謝美佐子、大島保克、鳩間可奈子)をゲストに迎えて、沖縄
でレコーディング。
フジテレビ山田太一ドラマ「この冬の恋」の
挿入歌として「マリチマ」が使用。NHKのバラエティー番組
「味わいパスポート」の音楽を担当。
また、DVDアニメ
「横浜買
い出し紀行」の音楽を担当。サントラも発表。
<2002>
ゲストを交えずに制作したセルフカヴァーを中心とした14枚
目のアルバム「colors」を発表。
<2003>
シンガーソングライター畠山美由紀のアルバム「WILD AND
GENTLE」の中、3曲をグループでプロデュース。青山円形劇場
で古謝美佐子、畠山美由紀を日替わりゲストに迎え、2デイズ
コンサート。サンパウロで平良とみ、大島保克とともに「ニライ
カナイ」劇場版を公演。joyce、
アン・サリー、畠山美由紀、青木
里枝(from flex life) をゲストに、全編歌手とのコラボレーショ
ンをテーマとするアルバム「sonora(ソノーラ)」発表。年末に
アンサリーをゲストに迎え、3都市ツアー。
<2004>
NHK-BS番組「ウィークエンド・ジャパノロジー」テーマ音楽を
担当。
この年公開の映画「油断大敵」
(役所広司、柄本明主演)
の音楽を担当。日本テレビ連続ドラマ「彼女が死んじゃった」
の音楽を、ピアニストの妹尾武とのコラボレーションで担当。
サントラも発売。
<2005>
ファンハウス時代の音源からのベスト盤「REVENDO」を発売。
「マリチマ」以来の本格的作品集「PREVENDO」を、キング
レコードより発 表。また、テレビ東 京 のアニメ「A R I A t h e
animationn」の音楽を、再びピアニストの妹尾武とのコラボ
レーションで担当。サントラも発売。
<2006>
アニメ
「ARIA the animationn」の続編「ARIA the Natural」の音
楽を、再びピアニストの妹尾武とのコラボレーションで担当。
サントラも発売。
この「ARIA」シリーズにおいては、
アニメのサ
ントラとしては異例の高評価を得た。
<2008>
アニメ
「ARIA the Natural 」の続編「ARIA the origination」の音
楽を、再びピアニストの妹尾武とのコラボレーションで担当。
サントラも発売。オリコンチャートにも登場の快挙。
現在までにソニーレコード、キングレコード、オーマガトキ、ビクターなどから計
22枚のCDを発表している。
その活動のフィールドは、通常のコンサートホールやライブハウスだけでな
く、美術館やギャラリー、神社仏閣、ジャズフェス、
ストリートに至るまで幅広い。
海外でも、92年リオデジャネイロのイパネマ海岸で3000人を超える観衆を集め
たコンサートを行った他、95年には国際交流基金の主催事業として中 南米6ヶ
国をツアー、01年3月にはブラジル北東部のフォルタレーザでもコンサートを
行った。
また03年8月には、サンパウロにて平良とみとの共演による
「劇場版ニラ
イカナイ」を上演。
レコーディング、
コンサートを通じての新旧アーティストとの
共演歴も豊富である。音を交わした主なアーティストはジョイス、城戸夕果、
EPO、アン・サリー、畠山美由紀、Yae、吉田慶子、本谷美加子(オカリナ)、平良と
み、古謝美佐子、大島保克、桑山哲也、溝口肇、大貫妙子、南佳孝、松田美緒、ギ
リェルミ・ヂ・ブリート、イタマラ・コーラックス、ジャキス・モレレンバウム(、マル
コス・スザーノ、
アート・リンゼイ、
シバ、
カルロス・マルタ、
ジョゼ・ピニェイロ、知
久寿焼(たま)、内海イズル、山本精一、岡部洋一、渡辺亮、ヴィヴィ、柏木広樹、
ア
ンディ・ベバン等。
また02年にはに木村拓哉主演の年末スペシャルドラマ「忠臣
蔵1/47」の音楽制作を、03年には山田太一ドラマの挿入歌を、04年1月には、
日
本テレビの連続ドラマ「彼女が死んじゃった」の音楽を担当。05年10月からは、
テレビ東京系列のアニメ
「ARIA」の音楽を3シリーズ連続で担当。
(いずれも、サ
ントラも発売。)その他NHKの大河ドラマのエンディングテーマ、バラエティー番
組や情報番組等の音楽の担当する等、テレビを舞台とした音楽制作は活動の柱
のひと
つとなっている。その他ラジオでは、J-WAVEの人気番組「サウヂ・サウ
ダージ」のテーマを長く担当。また、03年には、映画「油断大敵」
(主演:役所広
司、柄本明)の音楽を担当した。結成
20周年を迎え9枚目のオリジナルアルバム
『トリロジア』( 2009年 ビデオアーツ ) を発表後、目黒パーシモンホールでゲスト
を迎えて単独公演を行った。
PRESS RELEASE
CHORO CLUB プロフィール
秋岡 欧 Oh Akioka
バンドリン
(ブラジリアン・マンドリン)、
ギター、
カヴァキーニョ
(小型4弦ギター)、
ヴィオラ・カイピーラ
(10弦ギター)
など、
ブラジル系弦楽器を中心とした
マルチプレイヤー&コンポーザー。
10代の頃から様々なスタイルの音楽に親しむが、大学在学中にブラジルに留学。その頃より本格的に
ショーロをはじめとするブラジル音楽にも取り組む。ショーロクラブでの演奏、作・編曲、
プロデュース
活動の傍ら、故ギリェルミ・ヂ・ブリート、
ミウーシャ、マウリシオ・カヒーリョ、ゼリア・ドゥンカンといった
個性派ブラジル人ミュージシャンはもとより、国内外の多様なアーティストとも共演し、2000年には笹
子重治とのデュオ・ユニットによるオールブラジルプログラム作品「DUO」
(オーマガトキ)をリリース。
その他の主なレコーディング参加作品も中国映画「青い凧」
(93年東京国際映画祭グランプリ作品)、
相米慎二監督遺作「風花」等のサウンド・トラックからロック、ポップス、コンテンポラリー、ワールド・
ミュージックにいたるまで、
ジャンルの壁を越えて多岐にわたる。
笹子 重治 Shigeharu Sasago
ギタリスト。作編曲、
プロデュースも手がける。
ブラジリアン・スタイルのギタリストとして、パウリーニョ・ダ・ヴィオーラやナラ・レオン等多くの来日ブ
ラジル人アーティストとセッションを重ねた後、86∼87年にかけてブラジルで活動。帰国後ショーロク
ラブを結成。更に2005年には、新たにユニット
「コーコーヤ」を結成。08年にアルバムデビューを果たし
た。また、同じく90年以降、EPO、比屋定篤子、鈴木亜紀、古謝美佐子、Yae、NUU、畠山美由紀、
Ann Sally、大島保克、桑江知子、chie、松田美緒、照屋実穂、amin、手嶌葵、吉田慶子等の歌手や、城戸
夕果(fl)、熊本尚美(fl)、かとうかなこ
(ボタン式アコーディオン)小松亮太(バンドネオン)等のインスト
奏者との、
プロデュースやサポートを中心としたコラボレーションを展開。特に、ギター一本によるそれ
らアーティストとのデュオによるパフォーマンスには、定評がある。その他CDプロデュース、
レコーディ
ング、
アレンジ等多方面で活躍する他、作曲の分野でも、
ショーロ・クラブやコーコーヤの楽曲のみなら
ず、
ブラジルの国民的作詞家パウロ・セザル・ピニェイロ、ルーツサンバの長老、故ギリェルミ・ジ・ブ
リートとの共作を始めとして、
アーティストとの共作多数。
沢田 穣治 Jyoji Sawada
作・編曲家、
プロデューサー、
ベーシストとして活躍。
ショーロクラブでの活動と並行して、映画音楽・沖縄島唄・現代音楽・音響系作品の制作や、J-POPアー
ティストのプロデュースおよび作・編曲など、多岐にわたる音楽制作に携わっている。海外のアーティス
トとの活動も多く、サイモン・フィッシャー・ターナー、
ノエル・アクショテ、
アート・リンゼイ他、錚々たる
音楽家との共演を果たしている。自身の室内楽アンサンブルユニット
「架空線上の音楽」の活動、有末
剛氏(緊縛師)
とのコラボユニット
「東京縛音舞」の活動や高木正勝(映像作家、音楽家)のツアーなど
に参加。作曲家としては横浜市文化振興財団作曲家シリーズで 選出されたほか、2004年にはクラシッ
ク専門レーベル、フォンテックから室内楽作品集『silent movie』
もリリース。2009年6月27日公開の20
世紀FOX配給作品「群青∼愛が沈んだ海の色∼」
(中川陽介監督)の音楽監督も務める。ベクトルの振
り幅最大に、
ジャンルやカテゴリーに囚われず、沢田自らが五感で感じる演奏及び作曲に日々没頭中。
2010年にはシンガー松田美緒とともに、これまでとは違いボサ・ノヴァを排除したアントニオ・カルロ
ス・ジョビン曲集『カンタ・ジョビン』 ( SONG X 003 ) を弦楽カルテットを率いて発表した。
PRESS RELEASE
VOCALISTAS プロフィール ( 参加ヴォーカリスト )
アン・サリー
幼少時からピアノを習い音楽に親しむ。大学時代よりバンドで本格的に歌い始め、卒業後も医師として働きながらライヴを重ねる。
2001年「Voyage」でアルバムデビュー。2003年「Day Dream」
「Moon Dance」
では、洋の東西を問わぬ新旧の名曲をオリジナルに昇華し
た歌唱が好評を博しロングセラーに。2002年から3年間ニューオリンズに医学研究のため暮らし、地元の音楽家と現地でプライベート
に収録した音源を、帰国後アルバム「Brand-New Orleans」
として発表し話題を呼んだ。帰国後は医師としての勤務の傍ら日本全国でラ
イヴ活動を行い、2児の母となった2007年には「こころうた」。そして2010年末、4年ぶりとなるオリジナル作品「fo:rest」を発表した。時代
やジャンルの枠を超えた、柔らかくも情感あふれる歌唱と、そのナチュラルなライフスタイルは幅広く支持されている。
沢 知恵
1971年神奈川県で日本人の父と韓国人の母の間に生まれる。91年東京芸術大学在学中に歌手デビュー。現在までに22枚のアルバムを
発表している。第40回日本レコード大賞アジア音楽賞受賞。生後6ヶ月のとき初めて訪れた大島青松園で、2001年より毎年無料コンサー
トを開いている。近年はホームレス自立支援のためのコンサートにも力を入れている。
「題名のない音楽会」
「徹子の部屋」
「スタジオ
パークからこんにちは」など、テレビ出演多数。一男一女の母。
おおたか静流
シンガー&ボイスアーティスト。七色の声を駆使し、テレビ、映画、舞台、
アートシーン等あらゆる分野で活動する。
「声のお絵描き」主宰。
即興による声の自由さを軸に、声以外の表現素材からヒントをもらいつつ声の可能性をさぐる。ニューヨーク拠点のヨシコ・チュウマ率
いるパフォーミング・アートにて世界行脚中。
ダンス、映像、写真、演劇、音楽、文学等が交差するシーンで、歴史や国境やジャンルを超え
たメッセージを発信している。NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」にて楽曲提供及び歌唱。イスタンブール録音のアルバム「SES
RENADE」好評発売中。
おおはた雄一
1975年茨城県生まれ。
ブルースやフォークミュージックをルーツとするシンガー/ソングライター、ギタリスト。代表曲「おだやかな暮ら
し」は、
クラムボンや坂本美雨など多くのアーティストにカウ゛ァーされている。
自身の活動に加え、映画音楽( 09「女の子ものがたり」)、
プロデュースや楽曲提供(原田郁子、持田香織など)、CM音楽(JR企業CF、全労済など)
で多くの作品に参加。2010年、盟友ジェシー・ハリ
ス、
リチャード・ジュリアンとの共同制作のアルバム『光を描く人』
(日本コロムビア)を発表。SUMMER SONIC 2010への出演や、ユニット
『オオハタハラダナガヅミ』
でRISING SUN ROCK FES 10に出演。ハナレグミのツアーにギタリストとして参加した。
ジャンルの枠も国境も
飄々と飛び越えて活動中。
松平 敬
愛媛県生まれ。東京芸術大学卒業。同大学院修了。2000年よりほぼ毎年ドイツで開催されたシュトックハウゼン講習会へ参加。2007年「シュピ
ラール」の演奏に対してシュトックハウゼン賞を獲得する。
これまで湯浅譲二、
クセナキスなど全曲前衛作品ばかりによるリサイタル、シューベ
ルト
「冬の旅」
とケージ「冬の音楽」
・
「ソング・ブックス」を組み合わせた演奏会、全曲シェーンベルク作品によるリサイタルなどを開催、
「音楽の
友」誌上などで高い評価を得る。声楽家としての活動に加え、作曲、編曲、合唱指揮、
「レコード芸術」誌への執筆なども行う。現在、文教大学、聖
徳大学講師、日本声楽アカデミー会員、双子座三重奏団メンバー。今年2月、多重録音によって一人の声のみで演奏されたソロアルバム
《MONO=POLI》を発売、平成22年度文化庁芸術祭レコード部門、優秀賞を受賞。
松田 美緒
秋田県生まれ。2003年からリスボンに住み、ポルトガルの大衆音楽ファドを歌う。
ブラジル、
ミナス・ジェライス州の音楽祭に出演。
リオ・
デ・ジャネイロにて1stアルバム『アトランティカ』を発表(2005年)。2006年2ndアルバム『ピタンガ!』、2007年3rdアルバム『アザス』を発
表。
ブラジル移民100周年記念アルバム『ルアール』発表後、
アンサンブル・エクレジアのCD「巡礼の歌」
レコーディングにも参加(2009
年)。
ウーゴ・ファトルーソ、ヤヒロトモヒロと、4thアルバム『クレオールの花』をレコーディング(2010年)。国際交流基金主催でアルゼン
チン、
ウルグアイ、チリのツアーを実施(2010年夏)。同年12月、沢田穣治(ショーロクラブ)
と
『カンタ・ジョビン』を発表。国内外で活躍す
る彼女の、言語、
ジャンルの垣根を超越した歌は各方面、そして世界中のミュージシャンから大きな注目を集めている。
tamamix
1980年静岡県生まれ。22歳の時に東京で自身の絵画展「22展」を開催。オープニングパーティで何か演奏したいと購入したのがウクレ
レとの出会いだった。2007年よりYouTubeにてひっそりとチャンネルを開設。
カバーを中心に、柔らかな声で唄い続ける。その歌声は年
齢層問わず熱い支持を集め、徐々にその名が世間へと浸透していく。カヴァーアルバムを制作の予定の彼女。活動の幅を広げながら
も、tamamixでしか成し得ない「ウクレレと唄」
での表現を「優しくゆるやかに」進化させ続けている。
PRESS RELEASE
ALL ABOUT TORU TAKEMITSU
(Wikipedia より)
キャンプで働きジャズに接した。
やがて音楽家になる決意を固め、
清
瀬保二に作曲を師事するが、ほとんど独学であった。京華高等学校
卒業後、1949年に東京音楽学校(この年の5月から東京芸術大学)作
曲科を受験するが、
自分に合わないと感じたためか、二日目の試験
を欠席する[9]。
この時期の作品としては清瀬保二に献呈された『ロ
マンス』
(1949年、作曲者死後の1998年に初演)のほか、遺品から発
見された『二つのメロディ』
(1948年、第1曲のみ完成)などのピアノ
曲が存在する[10]。
無名時代[いつ?]、
ピアノを買う金がなく、町を歩いていてピアノの音
が聞こえると、
そこへ出向いてピアノを弾かせてもらっていたという
[11]。
1950年に、作曲の師である清瀬保二らが開催した「新作曲派協会」
第7回作品発表会において、ピアノ曲『2つのレント』
を発表して作曲
家デビューするが、当時の音楽評論家の山根銀二に「音楽以前であ
る」
と新聞紙上で酷評された[12]。傷ついた武満は映画館の暗闇の
中で泣いていたという。[13]。
この頃、詩人の瀧口修造と知り合い、
『2
つのレント』の次作となるヴァイオリンとピアノのための作品『妖精
の距離』
(1951年)のタイトルを彼の同名の詩からとった。同年、瀧口
の下に多方面の芸術家が参集して結成された芸術集団「実験工房」
の結成メンバーとして、作曲家の湯浅譲二らとともに参加、バレエ
『生きる悦び』
で音楽(鈴木博義と共作)
と指揮を担当したほか、
ピア
ノ曲
『遮られない休息I』
(1952年)
などの作品を発表した。
この最初期
の作風はメシアンとベルクに強い影響を受けている。
「実験工房」内
1930 年 10 月 8 日に東京本郷区で生まれ、生後 1 ヶ月で、父の
での同人活動として、
上述の湯浅譲二や鈴木博義、
佐藤慶次郎、
福島
勤務先である満洲の大連に渡る。1937 年、小学校入学のために
和夫、ピアニストの園田高弘らと共に、
メシアンの研究と電子音楽
単身帰国し、東京市本郷区の富士前小学校に入学 [1]、7 年間にわ
(広義の意。主にテープ音楽)を手がけた。また武満はテープ音楽
たって叔父の家に寄留する。叔母は生田流筝曲の師匠であり、初
(ミュジーク・コンクレート)
として、
『ヴォーカリズムA.I』
(1956年)、
期の習作的な作品『二つの小品』
(1949 年、未完)には筝の奏法
『木・空・鳥』
(同年)などを製作し、
これらを通して音楽を楽音のみな
の影響が見られる [2][3]。この頃に従兄弟からレコードで聴かされ
らず具体音からなる要素として捉える意識を身につけていった。
たベートーヴェンやメンデルスゾーンなどのクラシック音楽には興
「実験工房」
に参加した頃より、
映画、
舞台、
ラジオ、
テレビなど幅広い
味を示さなかったが [4]、その一方で 1942 年に行われた「新作曲
ジャンルにおいて創作活動を開始。映画『北斎』の音楽(1952年、映
派協会」第 2 回作品発表会に足を運び、後に作曲を師事する清瀬
画自体が制作中止となる)
、
日活映画『狂った果実』の音楽(1956年、
保二の『ヴァイオリンソナタ第 1 番』のような、当時としては新し
佐藤勝との共作)
、橘バレエ団のためのバレエ音楽『銀河鉄道の旅』
い音楽に感動していたとされる [5]。
(1953年)
、
劇団文学座のための劇音楽
『夏と煙』
(1954年)
、
劇団四季
1943 年、旧制の私立京華中学校に入学するが、在学中の 1945 年
のための『野性の女』
(1955年)、森永チョコレートのコマーシャル
に埼玉県の陸軍食糧基地に勤労動員される[4]。軍の宿舎において、
(1954年)などを手がけた。
これらの作品のいくつかには、
ミュジー
同室の下士官が隠れて聞いていた [6] リュシエンヌ・ボワイエが歌
ク・コンクレートの手法が生かされているほか、
実験的な楽器の組み
うシャンソン『聴かせてよ、愛のことばを』
( Parlez-moi d'amour )
合わせが試みられている。
また作風においても、前衛的な手法から、
[7]を耳にして衝撃を受ける。現代音楽の研究者である楢崎洋子は、
ポップなもの、後に『うた』
としてシリーズ化される『さようなら』
後年の『鳥は星型の庭に降りる』
、
『遠い呼び声の彼方へ!』など、
(1954年)
、
『うたうだけ』
(1958年)のような分かりやすいものまで幅
いくつかの作品モチーフに、このシャンソンの旋律線との類似点が
が広がっている。
また、1953年には北海道美幌町に疎開していた音
あることを指摘している [8]。
楽評論家の藁科雅美[14]が病状悪化の早坂文雄を介して委嘱した
終戦後に進駐軍のラジオ放送を通して、
フランクやドビュッシーな
ど、
近代フランスの作曲家の作品に親しむ一方で、
横浜のアメリカ軍
「美幌町町歌」
を作曲している。
この間、
私生活においては1954年に若山浅香と結婚した。
PRESS RELEASE
1957年、
『弦楽のためのレクイエム』
を創作。
日本の作曲家はこの作
り上げられるようになった [18]。
品を黙殺したが、
この作品のテープを、1959年に来日していたストラ
1970 年には、日本万国博覧会で鉄鋼館の音楽監督を務め、このた
ヴィンスキーが偶然NHKで聴き、
絶賛し、
後の世界的評価の契機とな
めの作品として『クロッシング』
、
『四季』
(初の打楽器アンサンブ
る[15]。
ルのための作品)
、テープ音楽 "Years of Ear" を作曲、翌 1971 年に
1958 年に行われた
「20 世紀音楽研究所」
(吉田秀和所長、
柴田南雄、
は札幌オリンピックのために IOC からの委嘱によってオーケストラ
入野義朗、諸井誠らのグループ)の作曲コンクールにおいて 8 つ
曲『冬』を作曲した。1973 年からは「今日の音楽」のプロデュー
の弦楽器のための『ソン・カリグラフィ I』
(1958 年)が入賞した
スを手がけ、海外の演奏家を招いて新しい音楽を積極的に紹介し
ことがきっかけとなり、1959 年に同研究所に参加。2 本のフルート
た。1975 年に FM 東京の委嘱によって作曲された『カトレーン』
のための『マスク』
(1959 年)
、オーケストラのための『リング』
は同年に文化庁芸術祭大賞、
翌年に第 24 回尾高賞を受賞するなど、
(1961 年)などを発表する。大阪御堂会館で行われた『リング』
国内で高い評価を得た [19]。また、
『ノヴェンバー・ステップス』
の初演で指揮を務めた小澤征爾とは、以後生涯にわたって親しく
以後には海外からの注目も高まり、
1968 年と69 年には
「キャンベラ・
付き合うことになる [16]。この時期の作品では、ほかに日本フィル
スプリング・フェスティバル」のテーマ作曲家、1975 年にはイェー
ハーモニー交響楽団からの委嘱作品『樹の曲』
(1961 年、
「日フィ
ル大学客員教授、1976 年と 77 年にトロントで開催された「ニュー
ルシリーズ」第 6 回委嘱作品)
、NHK 交響楽団からの委嘱作品『テ
ミュージック・コンサーツ」ではゲスト作曲家として招かれた [19]。
クスチュアズ』
(1964 年、東京オリンピック芸術展示公演)などが
1980 年に作曲されたヴァイオリンとオーケストラのための『遠い呼
ある。
び声の彼方へ !』は、前衛的な音響が影をひそめ、和声的な響き
1960 年代には小林正樹監督の『切腹』
(1962 年、第 17 回毎日映
と「歌」を志向する晩年の作風への転換を印象続ける作品となっ
画コンクール音楽賞受賞)
、羽仁進監督の『不良少年』
(1961 年、
た [20]。
第 16 回毎日映画コンクール音楽賞受賞)
、勅使河原宏監督の『砂
晩年、それまで手をつけていなかったオペラに取り組もうと意欲を
の女』
(1964 年、第 19 回毎日映画コンクール音楽賞受賞)
、
『他人
見せるが、作品は完成の日の目を見ることはなかった。タイトルは
の顔』
(1966 年、第 21 回毎日映画コンクール音楽賞受賞)などの
『マドルガーダ』
(邦題は『夜明け前』
)となる予定であった [21]。
映画音楽を手がけ、いずれも高い評価を得ている。武満自身は、
1995 年、膀胱、および首のリンパ腺にがんが発見され、また、間
若い頃から映画を深く愛し、年間に数百本の映画を新たに見ること
質性肺炎を患っていた彼は数ヶ月の入院生活を送ることになる
もあった。
[22]。退院後、
『森のなかで』
『エア』を作曲。これらが完成された
1962 年に NHK 教育テレビ『日本の文様』のために作曲した音
最後の作品となった [23]。1996 年 2 月 20 日、65 歳で死去 [24]。
楽は、ミュジーク・コンクレートの手法で変調された筑前琵琶と筝
死の直前、大雪が降り、夫人が見舞いに訪れない日があった。こ
の音を使用しており、武満にとっては伝統的な邦楽器を使用した初
の日、武満は訪れる見舞客も無く、一人で時間を過ごすこととなっ
の作品となった。その後、前述の映画『切腹』では筑前琵琶と薩
た。その日、偶然にも、武満が愛してやまなかった、バッハの『マ
摩琵琶が西洋の弦楽器とともに使用され、
1964 年の映画『暗殺』
(監
タイ受難曲』が放送され、武満は、この曲を全曲聴くこととなる。
督:篠田正浩)
、
『怪談』
(監督:小林正樹)では琵琶と尺八が、
この偶然を夫人は、深い感慨を持って回想している。
1965 年の映画『四谷怪談』
(監督:豊田四郎)では竜笛、同年の
政治にも関心が深く、1960 年代の安保闘争の折には「若い日本の
テレビドラマ『源氏物語』
(毎日放送)では十七弦筝とともに鉦鼓、
会」や草月で開かれた「民主主義を守る音楽家の集い」などに加
鞨鼓など、雅楽の楽器も使用された [17]。1966 年の NHK 大河ド
わり自身もデモ活動に参加していた(ただし体調が悪くなっていた
ラマ『源義経』の音楽においては邦楽器はオーケストラと組み合
のですぐ帰っていたらしい [25])
。1970 年代には、スト権ストを支
わされている。これらの映画や映像のための音楽での試行実験を
持したことがある。また、湾岸戦争(1991 年)の際には、報道番
踏まえ、純音楽においても邦楽器による作品を手がけるようになっ
組における音楽の使われ方に対して警鐘を鳴らし、報道番組は、
た。その最初の作品である『エクリプス』
(1966 年)は琵琶と尺八
音楽を使うべきではないと論じた。一方で音楽による政治参画に
という、伝統的な邦楽ではありえない楽器の組み合わせによる二重
ついては否定的だったようで、1970 年代、自身も参加した音楽グ
奏曲である。この『エクリプス』はアメリカで活動中の小澤征爾を
ループ「トランソニック」の季刊誌上で見解を示した。[26]
通じてニューヨーク・フィル音楽監督レナード・バーンスタインに
なお娘の武満真樹は洋画字幕の翻訳家だったが、2005 年からクラ
伝えられ、このことから、同団の 125 周年記念の作品が委嘱される
シック音楽専門チャンネルのクラシカ・ジャパンの副社長を務めて
こととなった。こうしてできあがった曲が、琵琶と尺八とオーケスト
いる。
ラによる『ノヴェンバー・ステップス』
(1967 年)である。この作
品を契機として武満作品はアメリカ・カナダを中心に海外で多く取