解答例 映画「アナと雪の女王」がヒットして以降、日本社会には「ありのままで」という言葉 が氾濫している。この言葉が歓迎された背景には、学校や会社などでの競争主義・成果主 義のもと、多くの人が常に誰かの期待に応えようと現実と格闘し、心身を疲弊させている という事情があるのかもしれない。 もちろん、つらい状況や厳しい現実のなかで生きていくにはある程度の慰めも必要だろ う。しかし、 「ありのままの自分でいい」という言葉が現実から逃避する「開き直り」の表 現として用いられる場合には問題がある。以下、その問題と我々の持つべき精神を指摘し たい。 「ありのままの自分」と言うとき、ともすれば単一で固定的なものとしての自分を思い 描きがちである。しかし、記事で触れられているように、本来人間は内部に複雑な思考や 感情を有し、時間とともに絶えず変化している動的な存在である。そして、その動的な存 在である人間は、努力次第で過去の自分という「拘束」から脱し、まだ見ぬ自分の可能性 を手に入れることができるのである。 人間が他の動物と根本的に違うのは、人間がそうした未知の自分への可能性へと開かれ ているのに対して、動物は与えられた環境内においてどこまでも現状の自分に充足しよう とする点である。それゆえ、現実逃避の言葉として「ありのままの自分でいい」と発する ならば、それは人間が本来的に有する未知の自分への可能性を自ら放棄し、進んで動物的 生に甘んじようと宣言することに他ならない。自己変革を放棄するこのような動物的生に、 自己が所属する組織や社会をより望ましい方向へと変えていく力はない。なぜなら、現実 を変えるためには、まずその難しさや苦しさに向き合わなければならず、それには不断に 自己を変革していくことが求められるからだ。 いまの世の中を生き抜くために必要な精神態度は、自分が傷つかないようにあらかじめ 開き直ることではない。そうではなく、大切なのは、人間が本来動的な存在であることを 弁え、自分の中に眠っているまだ見ぬ自分の可能性を信じ、果敢に現実に挑戦しようとす ることである。自分の可能性はあらかじめ自分で把握できるものではなく、目の前の困難 を乗り越えていくなかではじめて見えてくる。そうして新しい自己を創造・発見すること には独特の喜びが伴うのであり、それは人間だけに許された特権的な経験なのである。
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