解答作成のヒント はじめに:文章は批判的な態度で読まれるべきである あらゆる文章が本来的にはそうですが、とりわけ受験問題の文章や、新聞などにおける、 マスメディアにより発信された文章は、批判意識をもって読まれるべきです。受験問題はそ の力を試すためにそもそも作られますし、また一般論として、マスメディアにより発信され た文章は、読み手の批判意識がないまま鵜呑みにされてしまうと、社会にとって危険だから です。 さて、この「小論文講座」で読むことになる文章は、上記の両方の意味で、批判的な読解 が求められるものです。ここで「批判的な読解」とは、書かれている内容が事実と照らし合 わせて正しそうか否か、文章の内的な繋がりが論理的にはどのような関係にあるか、著者は 書くことにより陰に陽にどのような立場を表明しているか、社会の複雑な変化の中でなぜ あえてその文章が書かれたのか、さらには、読まれている当の文章は、なぜ目下、自分の目 に触れることを許されているのか、などの事柄を、可能な限り、常に遺漏なく、多角的に考 えながら読む、ことを意味します(対象が文学作品の場合は、文体や表現技法にまで留意す べきです) 。こうした態度で読むにはもちろん訓練が必要で、精神の緊張を伴い疲れますが、 慣れてくると、何らかの視座を拠り所として、文章中にいくつか疑問点を見つけることがで きるようになります。 文章中に疑問点を見つけ、解答を作成する際の足がかりにする ところで、自分で文章を書き始め、その筆を最後まで進めていくためには、書かれようと している文章全体を貫く、主題に当たるものの設定が必要です。小論文問題の解答を作成す る際には、課題文で主張あるいは示唆されている意見に対して、賛成か反対か、と立場表明 することで、それが明確化されることが多いです。そこで、ワークショップ「死の体験旅行」 を紹介している今回の記事を見てみると、残念ながらこれは一種の体験記なので、解答にお いてそのように何らかの立場を表明することが、少し難しいのではないかと思われてきま す。 したがって今回は、次のような戦略を採ります。まず、前項におけるような「批判的な読 解」により、文章中に何とかして、 (単なる賛成/反対にはとどまらない)疑問点を見つけ る。その上で、その疑問点を足がかりに、問いに対する答えを自分なりに考えていくことで、 論述を構成する。このような戦略、アプローチです。記事では「死」がテーマになっており、 叙述からはワークショップの厳粛な雰囲気すら伝わってきますが、 「批判的な読解」のため に、意識的に感傷的な気分を排して、文章と向き合っていきましょう。 1 課題文から何が読み取れるか 記事のはじめに「 「終活」や「終いじたく」がブームの中」とわざわざ断られているよう に、紹介されているワークショップ「死の体験旅行」は記者にとって、「死」の在り方をめ ぐって昨今活況を呈している諸々のイベントと、何らかの意味で関係があるものと感じら れたのだと思います。しかし前述のようにこの記事は一種の体験記なので、以後、叙述の主 眼はイベントの過程をできるだけ精緻に、過不足なく描写することに移ってしまい、引き込 まれる文章ではあるのですが、おそらくだからこそ余計に、果たして「終活」 (や「終いじ たく」 )と「死の体験旅行」はどのような関係にあるのか、といった疑問に、明確に答えて はくれません。まずは「終活」と「死の体験旅行」との関係、これを考えていくことにしま す。 例えば「死の体験旅行」というイベントは、「終活」の一環として位置付けられている、 このような見方を、ここでは拒否することにします。<解答例>の第一段落に書きましたが、 「終活」と「死の体験旅行」という二つのイベントの間には、大まかに指摘できるだけで数 点の、おそらくは決定的な相違があるように思うからです(この相違点を掘り下げれば、哲 学的・社会学的に含蓄のある指摘をそれなりに導出できるはずですが、深入りは避けること にします) 。つまり両者はともに「死」に関連はするものの、趣旨から見れば独立したイベ ントであると、今回は考えていきます。 以上を踏まえて、論述の核となる新たな疑問を提出します。 <若い世代の一部は現在、 「終活」とは区別された「死」の「仮想体験」 (=「死の体験旅 行」 )を、あえて自ら求めていると言える。これはなぜか> <解答例>第一段落の末尾に置かれたこの問いを、解答作成の際の主題に当たるものと して設定し、以後、この問いに対する自分なりの答えを考えていくことで、論述を進めてい きます。このように、 「ある意見に対する賛成/反対」とは少し異なる視点からですが、 「批 判的な読解」により「疑問点を見つける」ことで、解答の筋道が開けてきます。特に今回の アプローチの特徴は、紹介されているイベントが記者の好奇心を捉えたことを手がかりに して(でなければ取材はされないでしょう) 、では、なぜそのようなイベントが現代日本社 会において成立しているのか、換言すれば、その趣旨のイベントがどのような理由から、現 代日本社会で一定の需要を喚起しているのかを考えようとする点にあります。言わば「記事 が記事として成立していること自体の背景を問う」態度が、根底にはあります。 2 書き始める前に、改めて考える 以上で論述の主題と、設定された問いに答えるという、大まかな方向性は定まりました。 問いに対する答えを考えるに当たっては、記事で紹介されている生命保険会社勤務の女性 の「仕事でも個人としても、死について深く考える体験が必要と思いました」という発言が 示唆的です。今回は、一つは自身の「死」を基点として、残された生の在り方を再考しよう としていた参加者の感想から、一つは社会的に「死」の捉え方が変化した状況に伴う新たな 訓練の必要性という、より仮説的な観点から、それぞれ粗雑にではありますが、アプローチ することにします。この際に注意すべきは、前提として自分が「終活」と「死の体験旅行」 を区別することにしたのだから、 「死の体験旅行」に需要がある理由を、 「終活」のそれと混 同させてはならない、ということでしょう。 さて、ここですぐに書き始めるのではなく、内容以外にも、全体の構成の在り方も含めて、 改めて考え直しておくとよいでしょう。ここでは概括的な構成を、以下のようにします。 (1)指摘:記事にある「死の体験旅行」は、「終活」とはいくつかの点で異なるイベント であること。 (2)問い:では、なぜ「死」をめぐるそのような新しいイベントに、需要があるのか。 (3)仮説Ⅰ:拝金主義などの価値観が強まっている世の中において、若い世代が人生にと ってより本質的な価値とは何なのかを、再考する必要に迫られているから。 (4)仮説Ⅱ:超高齢社会の進展により、日本人の「死」の捉え方が変化し、その変化に対 応するための、新たなイベントが求められているから。 (5)仮説Ⅱの補足:上記の「変化」とは、現在、 「死」の過程にある者の数が健康な者の 周囲においても増え、「死」を意識することがかえって多くなり、その意味で「死」が身近 になっている、という「変化」である。 (6)まとめ:人間と「死」を関連させて一言。 このプランを踏まえた上で書かれた文章が、今回の記事の<解答例>になります。特に要 となる(3)~(5)の視点は敷衍しきれず、また「拝金主義」 「超高齢社会」などの語は、 正確な定義の裏打ちがないままに使用してしまいましたが、あくまで今回は解答に必要な 「指摘」の一つとして思い付いたことを書いた、ということで、大目に見ていただくことに します。 3 終わりに 以上、今回はあえて記者の体験記とも呼べる新聞記事を選び、それを基にどういった小論 文が書けるか、という視点から叙述しました。日本語は普段、私たちのごく身近にあるもの と感じられますが、実際は読むに当たっても書くに当たっても、使いこなすために相当な鍛 錬が必要です。受験生の皆さんにはどうか根気よく、言葉と付き合っていって欲しいと思い ます。 (植木啓之) 4
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