岡本先生の「アイルランド断片考」 を読み返して - 理工学部

追悼
岡本先生の「アイルランド断片考」
を読み返して
小 堀
聡
Satoshi KOBORI
理工ジャーナル編集委員長,電子情報学科
教授
Editor in Chief, Professor of Department of Electronics and Informatics
理工学部数理情報学科教授で,理工ジャーナル編
上記の出版計画については,わたしも直接岡本先
集委員を担当されていた岡本雄二先生が昨年(2012
生から伺っていましたけれど,定年退職まではあと
年)9 月 1 日に逝去されました.享年 65 歳でした.
何年かありましたので,まだ何回か書いていただく
わたしも個人的にいろいろなお話をさせていただ
機会もあったでしょうし,さらに退職後にはそれら
いていましたし,本誌編集委員長ということもあり
に加筆して,きっと立派な本が出来上がったものと
9 月 5 日の葬儀に参列いたしました.
察します.その意味で,突然の逝去は本当に残念な
赤松学長の弔辞の冒頭においては,岡本先生が理
ことだと思いました.
工ジャーナルに不定期に連載されていた「アイルラ
私事になりますが,昨年の 4 月に実父が 94 歳で
ンド断片考」についての話があり,「定年退職後に
死去しました.父は某大学の理工学部で教授をして
はこの連載を一冊の本としてまとめたい」とおっし
おり 65 歳で定年退職しましたので,退職後も約 30
ゃっていたエピソードが紹介されました.
年の人生がありました.岡本先生と父では人生の終
岡本先生の「アイルランド断片考」としては,1997
年の No.25 VOL.9−2 に掲載された第 1 回「天気と
わり方が対照的ですが,改めて人生や死について考
えさせられました.
ジャガイモ」が最初ですが,同年の No.24 VOL.9−1
には,その前編にあたる「アイルランドへの初旅」
を書いておられます.それ以降,何度も寄稿してく
ださいましたが,2010 年の No.58 VOL.22−1 に第 15
さて,ここで岡本先生の経歴を少し振り返ってお
回「アイルランドの交通網と地方都市」が掲載され
きたいと思います.手許の資料によると,岡本雄二
たのが最後となりました.
先生は,1947 年 4 月,東京都生まれで,本学文学
そのあとも,編集委員長であるわたしに「次号に
部文学科英文学専攻を卒業後,大学院文学研究科修
は書きますよ」と言っておられながら,締切に間に
士課程英文学専攻を修了,文学修士とあります.本
合わないということで断念されたことがありました
学理工学部には 1996 年 4 月に着任されました.
ので,どこかに書きかけの遺稿が残っているのかも
しれません.
―1―
ウィスキーとパブ
No.27 VOL.10−1 1998 アイルランド断片考(3)
アイリッシュミュージックについて
No.28 VOL.10−2 1998 アイルランド断片考(4)
国の仕組みと象徴
No.29 VOL.10−3 1998 アイルランド断片考(5)
北アイルランド紛争
No.30 VOL.11−1 1999 アイルランド断片考(6)
岡本雄二先生
スポーツあれこれ
No.31 VOL.11−2 1999 アイルランド断片考(7)
専門分野は,英語で書かれたアイルランド文学
で,アイルランドの 20 世紀を代表する詩人,W.B.
ダブリン案内
イェイツの詩作品を主として研究されるとともに,
No.32 VOL.12−1 2000 アイルランド断片考(8)
彼を生み出したアイルランドそのものにも興味を持
ゴールウェイとケリーの旅
っておられました.
No.36 VOL.13−2 2001 アイルランド断片考(9)
授業としては,理工学部および社会学部を対象と
「アイルランドの映画」について
した英語以外にも,「英米文化事情」などを担当さ
No.37 VOL.13−3 2001 アイルランド断片考(10)
れ,実に多くの学生を教えられたことだと思いま
ダブリン郊外散歩
す.わたしも,あるときたまたま知り合った社会学
No.41 VOL.15−1 2003 アイルランド断片考(11)
部の学生(その女子学生とは出張中のロンドンで知
聖パトリック祭
り合ったのですが)から,岡本先生が授業で紹介し
No.43 VOL.15−3 2003 アイルランド断片考(12)
ていた,ウィスキーのアイルランドとスコットラン
アラン諸島
ドでのスペルの違いの話を教えてもらったことがあ
No.47 VOL.17−1 2005 アイルランド断片考(13)
りました.岡本先生が授業で教えられたことは,そ
アイルランド共和国の歴史小史
れだけ多くの学生に広まっていると察することがで
No.53 VOL.19−2 2007 アイルランド断片考(14)
きます.
W.B.イェイツとスライゴーの町
No.58 VOL.22−1 2010 アイルランド断片考(15)
理工学会・理工ジャーナル関係では,2005 年度
アイルランドの交通網と地方都市
から亡くなる 2012 年度まで編集委員を担当され,
2006 年度には編集委員長も務められました.そし
て,何よりも前述の通り「アイルランド断片考」は
その前編も合わせると 16 編にも及び,これだけ多
くの記事を書いてくださった方はこれまでにはなか
ったのではないかと思います.
以下では,これらの記事を簡単に紹介しておきた
いと思います.
それらの記事の掲載号とタイトルとは下記のとお
「アイルランドへの初旅」
りになります.
1973 年,26 歳の大学院生のときに初めてアイル
No.24 VOL.9−1 1997 アイルランドへの初旅
ランドを訪れた際の思い出(主として下宿での生活
No.25 VOL.9−2 1997 アイルランド断片考(1)
について)とともに,長らく英国の植民地であった
天気とジャガイモ
というアイルランドの歴史が少し紹介されている.
No.26 VOL.9−3 1997 アイルランド断片考(2)
―2―
もに,アイルランドでのゴルフと競馬についても紹
「アイルランド断片考(1)天気とジャガイモ」
1975 年に 2 度目訪問で 1 年間滞在したときのこ
とに触れながら,天気とジャガイモを好きにならな
介している.
「アイルランド断片考(7)ダブリン案内
アイルランドの首都ダブリンについて,観光とい
いとアイルランドでは生活できないという話が書か
う視点から,北地区から南地区へと移動しながら紹
れている.
介している.建物や町並みなどは英国統治時代のも
「アイルランド断片考(2)ウィスキーとパブ」
1997 年に 6 年ぶりに訪問した際のダブリンの印
象を語るとともに,ここでウィスキーのアイルラン
ドとスコットランドでのスペルの違い(Whisky と
Whiskey)の話,ギネスビールのこと,パブにまつ
のを多く残すが,街の雰囲気はアイルランド独自の
ものであると述べている.
「アイルランド断片考(8)ゴールウェイとケリーの
旅」
アイルランドの地方都市として,西部の中心都市
わる話として「パブと教会があれば村である」とい
ゴールウェイと南部の景勝地ケリーを紹介してい
う逸話が紹介されている.
「アイルランド断片考(3)アイリッシュミュージッ
る.ゴールウェイについては,近年,大学を中心に
活気を取り戻しつつあるということと,ケリーにつ
クについて」
アイルランドを代表するトラッド系バンドのザ・
いては 1981 年のバス旅行の様子が述べられている.
ダブリナーズのライブに,1975 年に滞在した際に
「アイルランド断片考(9)「アイルランドの映画」
たまたま行った思い出が語られるとともに,近年
について」
U 2 やエンヤなどを聴いてアイルランドを訪れる人
映画の舞台,監督,俳優などがアイルランドにま
が増えたことを単なる「ケルト・ブーム」で終わっ
つわるものを「アイルランドの映画」とし,「アイ
てほしくないと述べている.また,アイルランドの
ルランドの映画」と通じてアイルランドのことを知
音楽には,1845 年からのジャガイモの凶作と 1973
ってほしいという意図から,『ライアンの娘』,『静
年の EC 加盟が大きく影響しているというユニーク
かなる男』
,『アンジェラの灰』,『マイケル・コリン
な自説を紹介している.
ズ』などの映画を紹介している.
「アイルランド断片考(4)国の仕組みと象徴」
「アイルランド断片考(10)ダブリン郊外散歩」
国旗,国章,国歌,国花であるシャムロック,ナ
ダブリン郊外の観光地として,観光客に人気の高
ショナルカラーの緑などとともに,アイルランドは
いグレンダロックとニューグレンジを紹介するとと
立憲共和制で,議会は二院制であることなどを紹介
もに,個人的なお勧めとしてマハライドとブレイと
している.
いう町についても述べている.
「アイルランド断片考(5)北アイルランド紛争」
「アイルランド断片考(11)聖パトリック祭」
1998 年 5 月の北アイルランド和平合意の成立を
アイルランドの守護聖人である聖パトリックの祝
踏まえて,北アイルランド紛争とはどのようなもの
日に行われるパレードを 2002 年 3 月 17 日にダブリ
かについて説明している.そして,紛争の主な舞台
ンで見学したときの様子が写真とともに紹介されて
であったベルファストも,同年 8 月に 14 年ぶりに
いる.聖パトリックやアイルランドの移民にまつわ
訪れた際には,ダブリンと同じような賑やかさであ
る話,近年商業化してきた聖パトリック祭について
ったという印象が語られている.
も述べられている.
「アイルランド断片考(6)スポーツあれこれ」
「アイルランド断片考(12)アラン諸島」
アイルランド固有のスポーツとして,ゲーリック
アイルランド西部のゴールウェイ湾にあるアラン
・フットボールとハーリングについて説明するとと
諸島について紹介するとともに,1975 年と 1981 年
―3―
にイニシュモア島を訪れたときのことが述べられて
ある種の優しさを感じることができます.
一方で,日本国内も国際社会も,現代社会では,
いる.
「アイルランド断片考(13)アイルランド共和国の
ますます「強者の論理」が強くなり,広まっていま
す.岡本先生の「弱者へのまなざし」は,そうした
歴史小史」
アイルランドの歴史をケルト人の来島から始める
のではなく,「植民地」,「じゃがいも飢饉」,「移民」
流れへのアンチテーゼとして,わたしたちに投げか
けられた問いであるように思います.
また,岡本先生の文章から読み取れるもう一つの
という 3 つのキーワードで使って,独自の視点から
考え方は,「価値観の多様性」です.異文化への理
解説している.
「アイルランド断片考(14)W. B. イェイツとスラ
解は,価値観の多様性を認めることから始まるとい
うものです.これについては,岡本先生の言葉を
イゴーの町」
アイルランドの代表的な詩人,劇作家であるウィ
リアム・バトラー・イェイツの作品を紹介するとと
「アイルランド断片考(5)北アイルランド紛争」か
ら,そのまま引用してみたいと思います.
もに,イェイツゆかりの地であるスライゴーの町で
毎年開催されているイェイツ・サマー・スクールに
政治とは,宗教とは何なのだろうか.国家とは
1973 年と 1981 年に参加したときのことが述べられ
何なのだろうか.答えは,いずれにせよ究極的
ている.
には,人々が幸せに暮らせるように人々が作り
出したものではないのだろうか.たった一つの
「アイルランド断片考(15)アイルランドの交通網
価値観に固執して「石」となり,他の価値観を
と地方都市」
認めない偏狭な思考で,物を,人を,文化を見
アイルランドの鉄道網とバス路線を紹介しつつ,
地方都市としてコーク市とリムリック市についても
る.そして,比較して優越だけが,その人を支
触れている.
配する.しかし,人間は,そして人が作り出し
た文化は,Equal but Different(平等だが異な
る)ではないのだろうか.
アイルランドという 1 つの国について,これだけ
理工ジャーナルという理工学部の学術雑誌に,ア
の愛情を持って書くことができる情熱というのはど
イルランドの文化や歴史について書いた文章が掲載
のようなものなのでしょうか?
されることに違和感を持つ人もいたかもしれませ
わたしがこれらの文章を読み返して感じたこと
ん.しかし,龍谷大学の建学の精神を体し,また,
は,まず,岡本先生の「弱者に対するまなざし」と
グローバルな視点を持って活躍する,科学・技術者
いうものです.司馬遼太郎が「百敗の民」と表現し
を育成していくというのが,本学理工学部の目指す
た,長らく英国に植民地支配されていたアイルラン
ところであるとするならば,岡本先生が示された
ドの不幸な歴史,そして,それに伴って現在も残る
「弱者に対するまなざし」を持つことや「価値観の
様々な問題,それらについて語る語り口は時に厳し
多様性」を認めることは,必要不可欠な考え方とい
いものがありますが,その一方でそこには温かいま
えるのではないでしょうか.
岡本先生にはもっといろいろなことを書いていた
なざしがあるように思いました.
歴史や都市を語るときだけでなく,天気,ジャガ
だいたり,聞かせていただいたりしたかったという
イモ,ウィスキー,音楽,スポーツなど,アイルラ
のは,わたしだけでないと思います.本当に残念な
ンドにまつわるものすべてについて述べるときに,
想いでいっぱいです.
―4―