LM-27 米国における黒人差別の問題を考える O31132O佐藤麻依子’指導教員藤掛洋子 【背景と目的】グラント(2000)によると人種差別は、自 人種の平等を訴えた。1964年にはアメリカ議会を動 分と違う人を憎んだり、軽蔑したことから始まり、歴史 かし公民権法案の成立を導いた。 の中で何度も繰り返されてきた。 黒人奴隷の歴史を持つ米国では、1887年頃から 法律上の差別はなくなり、南部の黒人も白人と同じ ようにどこにでも出入りすることが出来るようになった。 アメリカ南部各州において、黒人差別を合法化する キング牧師の偉大さは、インドの宗教家マハトマ・ガ 動きが目立ち始めた。例えば1883年に米国最高裁 ンジー(1869~1948)から教えられた非暴力の闘争を の判決では、「ホテルやレストランの経営者は他の客 最後まで貫き通したことだ。 に不快な気持ちを与えるような者は客として取り扱わ 1985年、多くの白人が、黒人が白人と平等に扱わ なくてもよい」とされた。このことは、表面上黒人差別 れるべきだと考えたが、今日でも多くの黒人は、差別 を表現していないものの、実際には黒人差別を行う ある社会に生きていると感じている(矢部2004)。 巧妙な手段として利用された。 黒人映画を初めてメジャーで公開させた、黒人監 本研究では、米国においてどのような黒人差別が 督スパイク・リーは、差別、人種、階級にまつわる問題 起きてきたのか、原因を調べるとともに、映画の事例 を、映画『ジャングルフィーバ』(1991)や『マルコム から黒人差別の根本的な問題を分析する。 X』(1992)で取り上げている。スパイクリーの映画に 【方法】黒人差別問題に関する文献・資料・インター は黒人しか登場しない。白人は脇役であり、スタッフ ネットによるデーター収集・分析及び映画分析。 もほとんどが黒人だ。黒人は、音楽のセンスがあり、ス 【結果及び考察】人種差別をされている人々は、教育 ポーツが得意なので、この強みを生かしたのがスパイ の機会や仕事を与えられず、下等な人種として見ら クリーの才能である。しかしこのようなスタイルの映画 れるという屈辱感をあじわってきた。その人種だからと は、世間では長く受け入れられなかった。 いう理由で、集団で殺されることさえあった。 【結論】人種差別が公民権の成立によって表面上、 南北戦争(1861-1865)が終わり、目に見える大き な変化は、黒人が奴隷という身分から解放されたこと 米国社会から消えたとしても、人々の心から差別意 織が消えない限り、この問題は解決しないと思う。 である。しかし解放されたばかりの黒人には、財産が 黒人差別にまつわる問題を取り上げている映画は 全くなく、以降黒人たちの失望の時代が始まった。南 たくさんあるが、黒人差別を考えないで見る人達にと 部では頻繁にリンチが行われていた。1900-1917年 っては、映画の中でのメッセージが弱すぎるのではな にリンチされた黒人の数は1241人と推定されている。 いだろうかと考える。また、黒人差別の中にはジェン 白いフードをかぶり、奇妙な儀式をする組織、ク ダー問題も根深く残る。 ー・クラックス・クランは、暴力を振りかざして人種差別 テレビなどで-度は見聞きしている「黒人差別」で を行い世間に恐れられていた。この組織は1920年代 あるが、この言葉の持つ意味の重さは、、私達の想像 に最も大きくなり、500万人もの会員がいた。この人種 をはるかに超えている。 差別結社は、主に南部と西部の州で勢力を強め、カ トリック教徒やユダヤ移民だけでなく黒人も弾圧した。 1149年、異人種間結婚禁止制度という法律ができ、 黒人と白人の結婚は禁止され、学校、交通機関、教 会、レストラン、ホテルも白人と黒人用に分離された。 マーチン・ルーサー、キング牧師(1121~1964)は、 近年、日本ではヒップホップのお陰で「ブラック=ヒ ップホップ=かっこいい」や、B系ファッションといった ことが一人歩きしているが、真の意味での黒人差別 がなくなっているのか真剣に考えるべきだと思う。 ’MaikoSAmD
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