説教要旨「イエスはろばに乗って」 4月13日(棕梠の主日) マタイ福音書21:1~11 本日は「棕梠の主日」であり、金曜日が受難日、土曜日までが受難週である。今週は、 主イエスが十字架上での苦しみに向かわれたことを心に刻む期間である。 イエスはエルサレムに入られる時、弟子たちに、ろばと子ろばを引いて来させた。イエ スがろばに乗られたことには、何か特別な意味があったのだろうか。旧約聖書のゼカリヤ 書には、救い主が「高ぶることなく、ろばに乗ってやって来る」という記述がある(9: 9)。福音書記者マタイは、旧約の預言がイエスにおいて成就したと書いているのである。 旧約聖書で、馬は軍事的権力の象徴として描かれている(詩編20:8参照)。馬と比べ ると、ろばは民衆の日常的な労役を助ける家畜にすぎない。イエスがろばに乗られたこと は、彼の謙虚さを示していると言えよう。しかし、謙虚さは弱々しさと同じではない。な ぜならば、イエスはエルサレムに入城された後、大胆にも権力者の不正を告発し、挑発的 な行動に出ているからである(21:12参照)。 46年前の4月4日、マーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された。告別式の会場 まで数キロの道のりを運ばれた彼の遺体は、大勢の黒人大衆が沿道を埋め尽くす中、霊柩 車ではなく、ラバ(雄ろばと雌馬の子)が引く荷車に載せられていた。その荷車を囲んで 行進していたキング牧師の側近たちは、黒の喪服ではなく、ジーンズやつなぎの労働着を 着ていた。イエスがエルサレム入城に際してろばに乗られたことが意識されていたことは 明瞭である。キング牧師の遺体が、ラバが引く荷車で運ばれたことは、貧しい黒人大衆と 共に歩もうとしたキング牧師の葬送に最もふさわしいことであった。 今週は受難週である。私たちは、神と人の前におけるイエス・キリストのような謙虚さ と、不正義や悪には決して屈しない強さの両方を心に抱いていたいと思う。
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